生意気にも、富山県内の峠リストを作成したいと思いまして…
思いついたらすぐ実行。ヾ(--;)
さて、どんな順番で並べるか?
アイウエオ順では峠の呼び名に?のやつがあるし…
あとからの編集もめんどくさいし…

そこで、JCC,JCGリスト順に並べることにしました。
JCC,JCGが解らない人は、アマチュア無線家になりましょう。
最近、430なんか静かで静かで…

地図を見たり、昔走った記憶で書き殴ってます。
オイオイ、これは違うだろ〜。これを忘れたら〜。
等々、
御意見等ありましたら、メール・掲示板でお知らせ下さいませませ。>


▲輪跡


 Jcc   2801 富山市  2802 高岡市  2803 新湊市  2804 魚津市  2805 氷見市 
 2806 滑川市  2807 黒部市  2808 砺波市  2809 小矢部市  2810 南砺市 

 Jcg   28001a 大島町  28001b 下村  28001c 小杉町  28001d 大門町 
 28002 上新川郡   28002a 大沢野町  28002b 大山町 
 28003 下新川郡   28003a 朝日町  28003b 宇奈月町  28003c 入善町 
 28004 中新川郡   28004a 舟橋村  28004b 上市町  28004c 立山町 
 28005a 福岡町  28005b 福光町 
 28006a 細入村  28006b 山田村  28006c 婦中町  28006d 八尾町 
 28007 氷見郡 *
 28008 東砺波郡   28008a 井波町  28008b 井口村  28008c 上平村  28008d 庄川町 
 28008e 城端町  28008f 平村  28008g 福野町  28008h 利賀村 
 
 JCC,JCGリストは、LOGCSW98を参照しました。  by ばった
 
 2005年11月01日、 新しく
 「Jcc2802高岡市」=高岡市Jcc2802+Jcg28005a福岡町
 「Jcc2811射水市」=新湊市Jcc2803+Jcg28001射水郡(大島町+下村+小杉町+大門町)
 が誕生しました。

 2004年11月01日、 新しく
 「Jcc2808砺波市」=旧砺波市Jcc2808+Jcg28008d庄川町
 「Jcc2810南砺市」=旧東砺波郡Jcg28008(庄川町を除く)+西砺波郡Jcg28005b福光町
 が誕生しました。

 2005年04月01日、新しく
 「Jcc2801富山市」=Jcc富山市+Jcg28002(大沢野町+大山町)+Jcg28006(細入村+山田村+婦中町+八尾町)
 が誕生しました。


 2006年03月31日、新しく
 「Jcc2807黒部市」=Jcc黒部市市+Jcg28003b宇奈月町
 が誕生しました。

 上記の表には消滅したエリアが表記されてますが、内容は何も変わっていません。(^^ゞ
 「詳細差が無くなるから!!!」と表向きには述べていますが、面倒っこいからです…( ̄ー+ ̄)ふっ

 富山県の市・郡の沿革を載せました。ここをクリックして下さいませ。

平成の大合併後をうpしますた。
ここをクリックして下さいませ。


 

 2801 富山市 
 
 呉羽峠(呉羽越え)  地図
 くれはとうげ(くれはごえ)

 県道44富山市内峠茶屋交差点。旧R8と言った方が解りやすいかな?呉羽丘陵を越える坂道です。渋滞情報を聞いてから攻めませう。歩道が狭いので要注意。 ママチャリがオススメ。

 画像は旧R8の呉羽峠(呉羽越え)です。
 2003年05月10日
 

 
 法尻峠   地図
 ほうじりとうげ

 県道52号線(通称、有沢線)の呉羽トンネル上にある峠です。
 峠付近には、朝日の滝(昔はハンセン病に効くと思われていたとか。)や古墳も多い。
 峠だけを攻めても面白みが少ないので、呉羽丘陵を茶屋峠方面に縦走するのも良いかも。
 とやまを歩くを参照。

 画像上 峠手前にある地蔵堂。
 画像下 法尻峠。 廃畳&廃車が放置プレー…
 



 
 明神峠  地図
 みょうじんとうげ

 旧茶屋峠(地図)は城山スカイラインの高岡市から見て手前右の遊歩道(階段)から行けます。雰囲気の良い道で、すぐに旧茶屋峠にたどり着けます。ここから城山に至る尾根散策路(階段多し!)へ行くのも良いでしょう。

 呉羽峠は明治天皇が富山巡幸(明治11年)のさいに通られた道である。天皇の北陸巡幸は以前から決まっており、政府からも「単なる道路補修はやっても良いが、仰々しいことはやるな!」というお達しがでていた。この当時、富山は富山県ではなく石川県であったのだが、「なんとかしなくっちゃ!」ちゅう事で、新潟・富山の県境の境川に橋を架け、茶屋峠の北側に新たな道(新茶屋峠)を造り、そして富山・石川県境の倶利伽羅峠が大変だということで、少し北へふって天田峠に新道をつけました。
  画像下は旧北陸道の明神峠です。 2003年05月10日
 

 
 

 2802 高岡市 
 
 海老坂峠   地図
 えびさかとうげ 標高 61.5m

 高岡市〜氷見市にある峠。昔の1/5万地形図には峠として表示してあったらしい。
 峠は旧国道・R160・氷見スーパー農道@ラブホ街が交差する、交通の要所である。名前の由来は、海老のように体を曲げて越えたからとある。以前の峠は15〜6mほど今より高く急坂であったとか。
 古来からの重要道で、巡検使は臼が峰を越えこの峠から高岡に入った。


 画像は峠近くにある、地蔵堂
 2002年02月24日
 
  
 
 三方峰峠   地図
 さんぽうみねとうげ 標高 150m

 高岡市〜氷見市、標高150mの峠。
 県道361の高岡市〜氷見市にこっそりあります。名前の由来は、西方にある三方峰に連なっているから、又、氷見市神代、仏生寺、国吉の境界になっているからとされている。峠にお地蔵様は無いが、神代側に大部下ったところに祠が安置されている。

 このスーパー農道に高岡市〜氷見市に桜峠トンネルがありますが、これも峠になるんかしら?
 1978年当時はジャリ道。現在、舗装路です。攻めるんだったら高岡側の五十里からがオススメ。

 この峠に城があったいう話を聞いたことがある。詳細は解らないが、尾根道を断絶する目的で造られた感のある竪堀がある。

 画像は1978年11月
 



 
 

 2804 魚津市 
 
 アナノ木峠

 魚津市古鹿熊から魚津市平沢付近に通じていた峠。
 新川郡村々組分絵図より。
 
 大麦峠   地図(ここ辺りだと思う)

 資料を調べていたら出てきました。
「村の記憶」を見ていたら単に「峠」と表記されていて、「松倉から小早月川へ抜ける峠」とあり、お地蔵様の写真まである。↑の地図は「村の記憶」にでていた地図を参照にリンクを張りましたが、実際はここ(地図)だろうと思われる。そして、とあるHPを見ていたら松倉の南に大麦峠があるというのを見つけてしまった。たぶん同じ峠だと思うのだが確認はしていません。

 坪野より南側には昔、多くの村が存在していた。村々を結んでいた道は車道ではなく人(もしくは荷車)しか通れなかった道らしい。現在の地図上の道は多くが河川敷横を通っているが、昔の道は山中を通っていた。これは、道が川の氾濫により通行が困難だったためと思われる。現在、村々を結んでいた道は荒れに荒れていると聞いている。まぁ、人が通っての道だから仕方ないのだが・・・

 2002年12月に角川ダムから白倉トンネルを抜け、早月川上流の馬場島付近まで行ってみたのですが、たかだか海から数qしか離れていないのに「何じゃこりゃ!」状態です。ここは水無?加須良?・・・私ゃ、富山・岐阜県境に来てしまったと思っちゃいましたわ。

 で!、長々と書き込んでいるが、魚津市の峠捜しは大変厳しいと思われる。
(呉西に住んでいるから尚更そう思うのかも?)
 おっと・・・忘れていた。ここら辺りは熊の宝庫?です。恐いっすよー・・・
 
 笠取峠   地図(ここ辺りだと思う)
 かさとりとうげ

 HPを見ていたら笠取峠がでていた。
 魚津市坪野から大菅沼へ越す辺りにある峠です。笠取峠は坪野城の遺構らしい。
 上杉景勝が松倉城攻略するための陣跡で、ここに笠を並べたとか笠を取ったという話があるらしい。
 
 春日峠   地図(ここ辺りだと思う)
 かすがとうげ 標高約 517m

 春日(古鹿熊より3km位溯った所に存在した村。昭和52年廃村)より河原波(昭和12年廃村)・鉢に通じる峠です。 以前、峠には茶屋もあり川原波・松倉・鉢・蓑輪の人々が訪れたらしい。(「村の記憶」を参照)
 
 金山谷峠
 標高約 463m

 魚津市御影(桜峠の近く)と東城を結ぶ峠。
 御影の人達は「金山谷」と称し、「カンニョンダン」と言う。反対側の東城の人達は、この峠の事を「コアンジャン」と言う人もいる。単に「峠」と言う人もいる。正確な名前は解らないみたいだが、越中の峠には金山谷峠と記されてあった・・・(越中の峠、参照)
 
 桜峠   地図
 さくらとうげ 標高 180m

 E137.28.49、N36.49.4にあります。
 ( こぉせぇさん、有り難うございました )

 ナビに緯度、経度を打ち込み地図どおりに車を進める。が、すごく解りにくい道であった。地図では県道67号線になっているけど、これマジで県道?凄いぞ、県道67号線。
 積雪量は25cm位なので車の方は大丈夫なのだが、道が狭く、前方に木が倒れているのを発見し断念。長靴を持ってきていたら歩いて行けたのに、、、

 縄文時代の遺跡が発見され、峠は富山県指定文化財の史跡になっている。

 2002年12月22日、行ってきました。 逆コースから攻めたのですが、峠は坂のピークが峠ではなかった。なんか納得のいかない峠です。


 画像上、真ん中
 史跡巡りのコースになっているのか、あちらこちらに看板がある。
峠まであと400mにて断念長靴を持ってこれば良かった、、、
 2002年02月10日、185にて。

 画像下 2002年12月22日、MTBにて。
 





 
 ぶどう原越え   地図(ここ辺りだと思う)
 ぶどうはらごえ 標高 430m

 資料@新聞を調べていたら、ぶどう原越えがでてきた。
 峠は標高430mで、大杉山と大菅沼の集落が美しく見れるらしい。

 大杉山山頂と大菅沼の間をぶどう原と言い、以前は山スキーのコースとして有名だったらしい。
 自転車は無理っぽい・・・
 
 

 2805 氷見市 
 
 荒山峠   地図
 あらやまとうげ 標高 385.9m

 県道18、氷見市〜石川県県境当時は、磯辺から砂利道。
 現在は、舗装路。なんたって県道だもん。石川県側は、相変わらず道は細いし暗いが、拡張工事が進行中。

 峠道は古くは二宮道ともいわれた。明治22年から能登への幹線道として改修が始まった。旧峠は現峠のすぐ横にあり、標高は390mだったらしい。
 画像 1978年4月
 

 
 臼ケ峰往来 (志雄越え)   地図

 石川県志雄町と、氷見市の県境にあります。
 石川県側は、遊歩道です。
 氷見市小久米( おごめ ) から攻めるのが正統派?のコースです。

 大伴家持が、初めて能登巡行のとき(天平20年・748年)に通った志乎路(しをじ)は、この峠道を経由したと云われ、親鸞と法然も越後へ流された折り、ここに足を留めたと言い伝えられている。

 「 志乎路から、直越え来れば羽咋の海、朝なぎしたら、船楫もがも 」  (大伴家持)
 本当は漢字書きで、 「志乎路加良 直越来者羽咋之海 朝凪之多里 船楫毛加毛」です。

 この峠は古来からの重要道で、巡検使は臼が峰を越えこの峠から高岡に入った。しかし、明治に入ってからは、忘れられた道に一直線なのであった。

 臼ケ峰は、無線の移動運用場所として有名です。
でも10mFMだもんな、、、430なら碁石ヶ峰の方がいいもんね〜



画像は、
上、1982年4月11日、峠( 臼ケ峰往来 )
真ん中、1977年4月17日、大伴家持の歌碑前にて
下、2003年03月02日、峠( 臼ケ峰往来 )
 





 
 海老坂峠   地図
 えびさかとうげ 標高 61.5m

 高岡市〜氷見市にある峠。昔の1/5万地形図には峠として表示してあったらしい。
 峠は旧国道・R160・氷見スーパー農道@ラブホ街が交差する、交通の要所である。名前の由来は、海老のように体を曲げて越えたからとある。以前の峠は15〜6mほど今より高く急坂であったとか。
 古来からの重要道で、巡検使は臼が峰を越えこの峠から高岡に入った。


 画像は峠近くにある、地蔵堂
 2002年02月24日
 
  
 
 大窪峠(庚甲塚)   地図
 おおくぼとうげ

 氷見市白川〜大窪にある峠。
 歴史のある道で、石動山道(または大窪道)という名がついている。
 石動山道は信仰の道で、名の通り石動山(565m)に通じている。石動山には神が住むと信じられていて、自然と伊須流岐比古神をまつる神社が信仰対象になったみたい。
しかし道は大窪集落で行き止まりである。

 峠は白川〜吉岡にあり県道306号線にある。峠としての表示はないが見田窪集落内の石動山道の案内板に大窪峠(庚甲塚)として表記されてある。

 画像上 大窪峠、白川側から写す。 石動山道は峠を左折する。
 画像下 峠にあるお地蔵様。庚甲塚?
 2002年07月27日
 



 
 大坂峠   地図
 おおさかとうげ 標高 290m

 氷見市県道29赤毛トンネルの旧道。吉池〜赤毛間。昔の1/5万地形図には峠として表示してあったらしい。峠には、開通記念碑が立ってます。一応、舗装路。
 旧峠はもう少し西側にあったといわれている。峠の名の由来は読んで字のごとし…

 開通記念碑は、いつの間にか移転されていた。トンネルより高岡市側500m位手前左側にあります。



 画像上
 大坂峠  2002年4月27日

 画像中
 トンネル手前に移設された開通記念碑。
 残念ながら、銘板が無くなっている。
 2003年12月30日

 画像下
 現県道を数回横切っていた旧県道。
 通行不可能で自然に帰っている…
 開通記念碑は旧県道の碑で、旧大坂峠とは関係ない。
 2003年12月30日
 



 
 キゴヤ峠     地図
 きごやとうげ 標高 約200m

 R415熊無峠手前(氷見市側)のわき道より論田を通りすぎ、氷見市石川県県境がキゴヤ峠です。
 峠は、切り通しタイプ。熊無峠の一本、東より。
 私的な考えですけど、R415ができる前の、旧道だろうと思います。M.T氏によれば、越中の峠を参考にして攻めたらしい。記事の表題は、「忘れられた峠」 だったと思うんだけど???  私も、忘れてました。

 峠より石川県側に少し下りた所にあるお地蔵様と説明板。内容は、盗賊が多くナンタラカンタラ…

 この街道は菅池往来あるいは飯山越えともいわれた。
 本街道は臼が峰往来なので間道にあたるのだが、「宿抜け」といわれる違法コースでもある。江戸中期、農村の貨幣経済の浸透の影に造られた往来といえるのかもしれない。
 



 
 久江原山峠   地図
 くえはらやまとうげ 標高約 380m

 氷見市一刎から石川県鹿島郡久江を抜ける道で、県境に峠がある。
歴史のある峠みたいです。一刎越えとも言われ、氷見市稲積−芝峠−久江原山峠−久江の道順で、1183年、同様な道順で木曽義仲が能登へ進撃、1449年、蓮如上人が布教のためそれに近い道順で巡回、などという伝説が残されており、「義仲道」「蓮如道」と呼ばれている。ん〜ん!全然知らんかったぞい・・・

北陸の峠、参照

 2003年03月16日、行って来ました。
一刎からえっちら上り、ピークが峠と思いきや、少し下った所に峠がありました。道は一刎部落内を除けば大変広く、勾配も緩やかである。上りのさい、遠くに原山峠にある風車を眺めることができ、振り返ると富山湾を眺められる。峠より石川県側は砂利道になっている。県境沿いに遊歩道が整備されていて、原山峠と荒山峠に続いている。

 写真上、2003年03月16 久江原山峠、お地蔵様あり。
 写真下、2003年03月16 県境沿いの遊歩道。
 



 
 熊無峠   地図
 くまなしとうげ 標高 175m

 R415富山、石川県県境ちょい手前、氷見市より。 バス停、熊無峠あり。天狗林健康広場の滑り台がオススメ?
 01/10/28日、ドライブイン跡にバス停があったのに!いつの間にか、資材置き場となりバス停が無くなっていた。唯一の、峠標示物だったのに…ここから、天狗林健康広場を通り抜けたら、すぐキゴヤ峠です。
 画像は、R415熊無峠。奥にスノーシェッド。(氷見市側)
 熊無の名の由来は田んぼの隅(区画)がよく欠けたからとか。ちなみに論田は、田畑の境界や水利権をめぐり論をなしたからとある。
 

 
 三方峰峠   地図
 さんぽうみねとうげ 標高 150m

 高岡市〜氷見市、標高150mの峠。
 県道361の高岡市〜氷見市にこっそりあります。名前の由来は、西方にある三方峰に連なっているから、又、氷見市神代、仏生寺、国吉の境界になっているからとされている。峠にお地蔵様は無いが、神代側に大部下ったところに祠が安置されている。

 このスーパー農道に高岡市〜氷見市に桜峠トンネルがありますが、これも峠になるんかしら?
 1978年当時はジャリ道。現在、舗装路です。攻めるんだったら高岡側の五十里からがオススメ。

 この峠に城があったいう話を聞いたことがある。詳細は解らないが、尾根道を断絶する目的で造られた感のある竪堀がある。

 画像は1978年11月
 



 
 しば峠   地図(ここ辺りだと思う)
 しばとうげ

 氷見の山間部にある赤毛は行政区は氷見市に属するが、買い出しには高岡に出向いていた。ちなみに距離は氷見まで18km。高岡までは20kmらしい。さすがに魚は氷見だったとか…
 大坂峠(昔の峠は現峠より西にあったと言う。昭和23年発行1/5万地図)を越え、吉池を経由して今は旧道になってしまったしば峠を越え、細越を経由して勝木原に出て高岡に向かった。


 画像上
 県道29号線の勝木原(のでわら)からの入口。バス停とお地蔵様が目印。

 画像下
 一番標高が高そうな所。氷見から勝木原(細腰)方面を撮る。

 画像は共に、2003年12月30日
 



 
 柴峠 芝峠   地図
 しばとうげ 標高 513.0m

 柴峠、芝峠と呼ばれている峠で能登と越中を結ぶ荒山道から荒山城の南側を通り、柴峠を越え石動山に至るらしい。位置的には荒山と石動山の中間にあり、富山・石川の県境にあるみたい。

 富山県山名緑によると、荒山峠を越え石川県に入り東に向かって石動山に通ずる林道を進み林道氷北線と交差する地点から、造林された檜林に至る道を約100m入ると着くらしい。そこは峠でもあるが、石場山(標高513.0m)の山頂でもあり三角点がある。
 
 芝峠   地図(ここ辺りだと思う)

 氷見市一刎(ひとはね)と余川の境にあるらしい。
 峠は一刎城跡近くの林道沿いにあるらしい。

 でっ、2003年03月16日、行って来ました。
 県道経由で一刎までは結構辛いものがあるので、氷見市稲積からの林道稲積谷村線経由で攻めた方が面白いと思う。

 この林道は稜線林道で景色が大変よろしい。
 そして、芝峠は氷見市稲積から攻めるのが正式ルートなのである。
 余裕があれば、久江原山峠まで行くのもよろしいかも。

 峠には一刎城址跡があるが、そこまでの道は距離は短いがガレガレで引き戻してしまった・・・


写真上、2003年03月16
芝峠、お地蔵様あり。

写真真ん中、2003年03月16
芝峠、お地蔵様。

写真下、2003年03月16
一刎城址跡。
城址跡に続く道は板で塞いである。
自転車を担いで上ったがガレガレで戻った。
 





 
 鳥越え峠(鳥越え道)   地図
 とりごえとうげ 標高 約145m

 県道306号線、氷見市阿尾〜白川にある峠。
 歴史のある道で、石動山道(または大窪道)という名がついている。
 石動山道は信仰の道で、名の通り石動山(565m)に通じている。石動山には神が住むと信じられていて、自然と伊須流岐比古神をまつる神社が信仰対象になったみたい。

 石畳の道が峠手前の見田窪集落内に一部残っている。
 (平成8年11月に歴史の道百選に選ばれました。)
 現在の峠は古道の峠より東側に大正2年に造られたものらしい。
 旧峠には鳥居があり、渡り鳥が越える峠の意味からではなく、単に鳥居をくぐる峠からトリイゴエ→トリゴエになったらしい。
 現峠は舗装路だが峠付近だけが道の拡張がなされていないお陰様で良い雰囲気をかもし出している。峠から白川に少し下った所に旧峠に祀ってあった延命地蔵がある。
 長い間、風雨にさらされていたのか目鼻立ちがはっきりしない。相当古そうだ。

 昭和54年11月24日発行 北日本新聞
 続越中の街道(ふるみち)を参照

 画像上 見田窪集落に残る古道
 画像中 鳥越え峠
 画像下 延命地蔵

 2002年07月27日
 





 
 八丁坂   >地図
はっちょうさか 標高約 160m

 県道29(県道76と重複)の氷見市岩瀬から県境を上る坂です。

 県境は越中と加賀の分水嶺でもあり、石川県所司原へ抜ける峠道でもある。
 しかし峠としての名前は無く、地元では八丁坂と呼ばれている。
 県境は2000年富山国体の道路拡張の影響か、大変味気ない姿に変貌してしまった。

 県境から所司原までの道はローリング族が大活躍する道でもある。

 画像上 旧八丁坂
 画像下 新?八丁坂

 どちらも富山・石川県境から富山県側の風景です。
 (2003年03月02日)
 



 
 原山峠   地図
 はらやまとうげ 標高 390m

県道304鹿西氷見線、富山〜石川県県境。ここから、碁石ヶ峰461mへの分岐がある。かつては懸札越えとも言われた。
 いつの間に出来たのか、風力発電のでかい風車が回っている。結構、迫力がありますわ。

 画像は、1976年4月25日
 

 
 三尾峠   地図
 みおとうげ 標高  約140m

 県道300号線、氷見志雄線の富山石川県境。
 越中から能登を越える道に臼が峰往来があったが、道が狭く勾配も急なことから、明治に入り三尾峠が新しく開削された。
 この峠には古く大正九年より現在にいたるまで氷見市・志雄町の両住人による「道路愛護デー」が実施されており、一年に一回、両自治体の首長をはじめ議員・一般住人が峠に集まり、互いの交友と発展を祈った後、道路清掃のなどの行事を行っている。

 画像は2002年02月09日
 
  
 
 

 2807 黒部市 
 
 下立山峠
 おりたてやまとうげ 標高 350m

 黒部市嘉例沢(かれいざわ)と宇奈月町下立(おりたて)を結ぶ峠。
 嘉例沢では「柳原」とか「アマタキ」と呼ぶ人もいる。
 下立では「境の谷」(サカイタン)と呼ぶ人もいる。
 嘉例沢と下立の境という意味である。昔は人しか通れなかったらしい。(越中の峠、参照)
 
 

 2808 砺波市 
 
 追分峠   地図
 おいわけとうげ

 県民公園頼成の森の中の管理道路にある峠です。
 一応、一般車両も通行できます。
 峠には緑のトンネルなるものがあります。生意気にも遊歩道の為のトンネル(=見た目は単なる橋)です。

 ここは頼成の森の自然を探索するために、歩きましょう。遊歩道も階段が多いため、自転車向きではありません。
 どうしても!!といわれるお方は、峠から天狗山のピストンがよろしいでしょう。階段も少なく、乗車率も高いです。余りお勧めしませんが…


 画像上
 2004年05月03日  追分峠。

 画像下
 2004年05月03日  天狗山。
 



 
 須蘇末峠   地図
 すそまとうげ

 県道72。砺波市宮森新〜R359間。
 お地蔵様と石碑があり、石碑には峠名と大伴家持の詩がきざんであります。
 「谷の戸は タレおさして あま衣 すそまの山間に 秋風ぞ吹く」
 (昭和51年11月3日建立)  
 意味は「こんな寒くて嫌な田舎はいやじゃ!早よ帰りたいぞよ…ふぅー!」だったと思う…(笑)
 ロードレーサーがおすすめ。

 画像は1980年3月 須蘇末峠
 

 
 
 

 2809 小矢部市 
 
 天田峠   地図
 あまだ峠 標高 160m

 県道286、小矢部市〜石川県県境。R8の倶利伽藍トンネルは交通量も多く、自転車.歩行者は危険なため天田峠越えがおすすめ。
 天田峠は明治天皇が富山巡幸(明治11年)のさいに通られた道である。天皇の北陸巡幸は以前から決まっており、政府からも「単なる道路補修はやっても良いが、仰々しいことはやるな!」というお達しがでていた。この当時、富山は富山県ではなく石川県であったのだが、「なんとかしなくっちゃ!」ちゅう事で、新潟・富山の県境の境川に橋を架け、茶屋峠の北側に新たな道(新茶屋峠)を造り、そして富山・石川県境の倶利伽羅峠が大変だということで、少し北へふって天田峠に新道をつけた。
 画像は2002年09月08日 天田峠
 

 
 内山峠   地図
 うちやまとうげ 標高 210m

 R359、小矢部市〜石川県県境。
 小矢部市側は昔、地滑りがおきて通行止めになったことがある。大規模な地盤整理が行われ、現在の道路状態に。現在、峠はスノーシェッドに覆われている。ロードレーサーがおすすめ、、、

 歴史のある峠で、南北朝時代には開かれていた。少し南には小原街道(道)を経由する松根峠があり、少し北には安養寺越えといわれる桝山の一乗寺城を通る街道があった。富山から石川への最短距離として使用頻度も高かったらしい。
 現在はR8のバイパス的な役割を持っている。

 画像上
 1980年4月 内山峠

 画像下
 2003年01月19日 内山峠
 スノーシェッド左側から松根城跡につながる林道(松根城線)があります。
 



 
 倶利伽藍峠   地図
 くりからとうげ 標高 260m

 小矢部市〜石川県県境。倶利伽藍不動尊近く。
 県道274から通じる源平ラインから峠へ行くのがよろしいかと。
 根性と気合のある勇者は旧北陸街道経由がよろしいでしょう。道は歴史の国道として整備されています。蜂&熊には要注意!
 紅葉の季節終わり頃が哀愁もでていてよろしいかと思います。

 やっぱり、行くならランドナーでしょう。(笑)

 峠は、旧北陸街道にあります。
 しかし、何処にも標示物が無い…
 源平合戦に関する説明板は大変充実している。
 じっくり巡るのがよろしいかと思います。

 画像上、1981年倶利伽藍峠
 画像下、2002年09月08日 倶利伽藍峠
 



 
 能登坂   地図
 のとさか 標高約 170m

 小矢部市了輪口(県道74号線、小矢部津幡線)から小矢部市峠に抜ける坂です。1/5万地図では点線道路ですが、しっかりした道が通っています。と思ったら点線道路は自然歩道でした…

 周辺には中部北陸自然歩道があり、名ヶ滝や子撫川の宮島峡周辺を探索できます。

 了輪口からの上りは結構きついと思う。
 坂を上り詰めると、お地蔵様に出会えます。


 画像上 2002年09月08日 能登坂頂上

 画像下 2002年09月08日 能登坂頂上のお地蔵様
 



 
 松根峠   地図
 まつねとうげ 標高約 300m

 内山峠のほんの少し南側にある峠です。
 峠は小原街道といわれた越中と加賀を最短距離で結んだ県境にあり、街道は加賀側の松根城内を通っていたらしい。

 江戸時代は物資の輸送に使われ、旧北陸街道沿いの町・村が小原街道の使用中止を訴えた程で、両藩ともその判決に困ったという話がある。
 現在、小原街道は忘れられた道になっており一部分のみが存在するだけになっている。
 峠は、松根城跡から探すしかないと思われる。

 確かな情報ではないが、金沢国際ゴルフクラブ敷地内に小原街道が通っていて確認は困難という話もある。

 2003年01月19日、行ってきました。
 峠は松根城跡からほんの僅かでした。
 峠から小矢部市方面へ向かうが、雪のため逃げ帰ってしまいました。
 なお、内山峠の横から林道が延びており、松根城跡に通じています。


 画像上  2003年01月19日 
      左、松根城跡 右、小原街道跡
 画像中央 2003年01月19日
      松根峠 上の画像より50m
 画像下  2003年01月19日
      松根峠より小矢部市方面
 





 
 

 28002 上新川郡 


 28002a 大沢野町 
 
 桧峠(地図では、檜峠)   地図
 ひのきとうげ 標高 520m

 県道187荒屋敷月岡線を富山市側から登り大山町〜大沢野間にあります。標高520m。峠からは神通峡を眺めることができます。できれば、茂住峠→長棟林道→桧峠がおすすめ。茂住峠−桧峠は一般車両通行禁止です。(結構頑丈なゲートがあります。)峠は長棟林道側からだと楽勝。逆コースはしんどいと思う。タイヤは太い方がよろしいようで…

 画像は、1981年7月 桧峠
 

 

 28002b 大山町 
 
 大多和峠   地図
 おおだわとうげ 標高 1,307m

 有峰林道、富山〜岐阜県境。標高1,130m。峠からの景色は最高です。岐阜県側はいまだに砂利道みたいですね。富山県側は整備されたみたい。
 有峰は、ダムを観光地にしてもだめだという見本ですな。自家用車の通行料がなんと1,800円。何考えてるんかしら…有峰林道のトンネルに注意…

画像は、1990年7月 大多和峠
 

 
 小谷峠   地図
 おたにとうげ 標高 400m

 小谷(昭和50年廃村)から長瀬(平成元年廃村)に通じる峠。
 長瀬はこれが廃村?という感じらしいが、、、
 
 小畑尾峠
 おばたおとうげ 標高 1,802m

 有峰から薬師岳を結ぶ峠。かつては地図にも載っていたらしい。薬師岳への登山道として多くの登山者がこの峠を越えたらしいが、今は完全な廃道である。有峰の村がダム湖に沈み、折立まで車が通行可能になり忘れられた峠になってしまった。(越中の峠、参照)

 峠は折立峠の南、約4kmにあった。有峰(廃村)の住民が登った薬師岳2,926mへの登拝路である。旧暦の6月15日は薬師岳頂上での薬師祭りで、15〜50歳までの男衆は祭り一週間前から精進し、祭り当日には沐浴して塩で体を清め、提灯を持って登り、途中三度程雪水で“みそぎ”をし、頂上180m手前からは素足で登って参拝を済ませたとか・・・。勿論、女人禁制の山で、女は真川谷までしか行けないといわれていた。この小畑尾峠も有峰が湖底に沈んでからは廃道になった。(富山県歴史の五街道を参照)
  
 折立峠   地図
 おりたて峠 標高 1,410m

 有峰林道、有峰ダムより折立線にある折立隧道上の峰より北側に約600mの所にあります。
 折立隧道の完成により通る人もなく、廃道になった。

 折立峠が折立隧道に取って変わったが、この折立隧道は土にうもってしまった。(少しだけ見えるらしい)
 現在、新折立隧道になっちゃった。


 写真は1980年7月28日。折立隧道。
 吐く息が白く、結構寒かったです。
 
  
 
 唐尾峠   地図
 からおとうげ 標高 1,630m

 神岡町和佐府〜富山県大山町 、県境付近。
 大多和峠から県境沿いに行けば、たどり着けるみたいです。
 1/2.5万で点線ですからね〜。どんなもんでしょうか?

 唐尾峠、長棟峠等、この辺りの峠は歴史が あるんですけど、「行くぞ〜。」という気持ちにはならなかった。
 
 くま洞峠  標高 1,684m

 遠見尾根にある、まむし洞峠より寺地山を目指して、約1時間歩くとたどり着く峠。
 途中に有峰湖を望む展望台もあるらしい。
 
 コヤツ峠   地図(ここ辺りだと思う。多分、、、)
 こやつとうげ 標高約 530m位

 小原(昭和43年廃村)から上滝方面の安藏、隠土(共に廃村)に通じる峠。
 小原の上流にあった千野谷鉱山の物資(主に黒鉛)を運んだと言われる。しかし、鉱山の閉山(昭和42年)により近隣の村々も次第に廃村となり、コヤツ峠も忘れられた存在となったみたいです。(今の1/5万地図の道は当時の表記と違っています。赤倉(熊野ダムにあった村で昭和47年廃村)からコヤツ峠方面に通じる道が表記されているものもある。)(村の記憶、参照)
 
 蛇越(蛇越峠)   地図
 じゃこし

 県道187荒屋敷月岡線を富山市側から登り、小坂から左へ。
 小坂〜河内(熊野川ダム方面)間。

 蛇がいっぱいいるという意味ではないらしい。
 蛇しか越えることができないほど狭いということらしい。
 私は新聞でしか見ていません。記憶だけで書き殴ってます。
 
 祐延峠   地図
 すけのべとうげ 標高 1,480m

 有峰林道小口川線の祐延ダム〜有峰ダム湖にあります。
 小口川線は通ったことがないので、じぇんじぇん解らないのですが、富山県側からだと延々と上りでしょうな。
 峠から有峰ダム湖へは11%の下りが待っています。
 
 高天ヶ原峠

 高天ヶ原温泉に通じる峠らしい。自転車じゃちょっと、、、
 
 辻峠
 つじとうげ 標高約 1,607m

 有峰街道にあった峠。
 有峰の住民が水須方面に生産物を売りに行き、買いだしして戻って来るとき、残された住民は辻峠迄、ワラビ餅を持って向かえに行くという慣例があった。辻は向辻ともいわれた。有峰から下の町に出かけて戻ってくるのが、いかに大変だったかを物語っているようだ。

 有峰街道は今の林道とは違う所を通っていた。
 水須(今の水須では無い)−堀切水懸−焼杉−高杉山頂−熊子−二本松−東笠(展望良らしい)−祐延−アシ谷−辻(有峰より向かい。ワラビ餅食す。)−水掛−有峰

 この有峰街道は有峰より山吹峠、安房峠を越え、鎌倉へと至る最短距離の道でもある。有峰より鎌倉に至る道は鎌倉街道(双六街道)と言われ、物資の交流が盛んに行われていた。しかし、江戸中期以降は飛騨街道が主に使われることになったみたいです。(富山県歴史の五街道を参照)
 
 長棟峠   地図
 ながととうげ 標高 1,155m

 長棟林道〜神岡町佐古地区内間。

 (歴史コーナー)
 黒川をさかのぼり桧峠を越え、さらに長棟川に沿って山深く入ると、昔 鉱山村だった長棟(廃村)へ出る。その上手に長棟峠があり、峠を下りると飛騨の佐古へ通じる。
 この道は江戸時代(350年ほど前)、長棟鉱山が開けた頃に出来た道で長棟往来とも言われた。「加越能三州地理志稿」 という古書にも、長棟鉱山(カネヤマ)道として載っている。金沢の石川門、高岡の瑞龍寺総堂の鉛の屋根瓦は、 この長棟鉛山の産であると言われている。

 峠より桧峠を越える道を長棟上道と呼び、茂住峠を越える道を長棟下道と呼ぶ。
 岐阜県側は整備されてないようだ。
 
 桧峠(地図では、檜峠)   地図
 ひのきとうげ 標高 520m

 県道187荒屋敷月岡線を富山市側から登り大山町〜大沢野間にあります。標高520m。峠からは神通峡を眺めることができます。できれば、茂住峠→長棟林道→桧峠がおすすめ。茂住峠−桧峠は一般車両通行禁止です。(結構頑丈なゲートがあります。)峠は長棟林道側からだと楽勝。逆コースはしんどいと思う。タイヤは太い方がよろしいようで…

 画像は、1981年7月 桧峠
 

 
 堀切峠
 ほりきりとうげ 標高約 1,000m

 有峰街道にあった峠。
 有峰林道小口川線沿いの水須より少し有峰側にあったみたい・・・

 有峰街道は今の林道とは違う所を通っていた。
 水須−堀切水懸−焼杉−高杉山頂−熊子−二本松−東笠(展望良らしい)−祐延−アシ谷−辻(有峰より向かい。ワラビ餅食す。)−水掛−有峰 (富山県歴史の五街道を参照)
 
 水須峠   地図(ここ辺りだと思う。多分、、、)
 みずすとうげ 標高約 703m

 小原(昭和43年廃村)と水須を結ぶ峠。
 昔の地図を見ていたら、水須の位置が現在のと違う。今の小口川沿いではなく西南側の山中にある。
 
 茂住峠   地図
もずみとうげ 標高 1,060m

 神岡町茂住〜富山県上新川群大山町
 R41神岡町茂住の信号付近からわき道へ。初っ端から急な上り坂になります。当時ははじめは舗装路。後から砂利道に…見栄を張らず、押しましょう。峠から少し下って分かれ道に出ます。右方面は、長棟峠。左方面は、長棟林道経由の桧峠へ。

 峠には、道路の開通記念碑あり。その向かい側に、お地蔵様があるとか…

 画像は、1981年7月 茂住峠
 

 
 まむし洞峠   地図

 岐阜県神岡町からの県道484を山之村へ。ここから通じる飛越大規模林道を県境の飛越トンネルまでいきます。
( トンネルより富山県側は有料で有峰湖に通じています。)

 峠は飛越トンネルの上にあります。トンネルの入口手前(岐阜県側)の左側からどうぞ。
 遠見尾根に出たところが、まむし洞峠だとか…。
 
 薬師峠   地図
 やくしとうげ 標高 2,294m

 薬師岳〜太郎山間。地図に載っていたので、、、登山が好きな人、どうぞ…
 
 

 28003 下新川郡 


 28003a 朝日町 
 
 オコ谷峠   地図
 標高約 385m

 入善町舟見と朝日町の県道45号線沿いにある朝日小川ダムの下流約1km手前を結ぶ峠。
 車での通行は可能らしいが結構荒れているらしい。
 峠から負釣山(入善町最高峰959m)への登山道がある。
 峠だけを攻めるのはサイクリスト位か?
入善町舟見は旧北陸街道の宿場跡で、その面影を留めた家並みがある。
 
 越道峠   地図
 こいどとうげ 標高 882m

 県道45黒部朝日公園線を小川温泉元湯まで進み、そこから北又小屋(朝日登山口)に通じる間に峠があります。古地図では横山峠と表記されている。この峠は村と村を結ぶ峠ではなく、奥山廻りの道として開かれていた。
 呼び名はコイド峠と呼びます。同じ名の峠が利賀村にもありますが、こちらはコエトウ峠と呼びます。
 利賀村の越道峠は過去に何回も越えましたが、こちらはまだ一回も越えてません。朝日はやっぱり遠いです。
 杉峠

 越戸峠から奥山巡りにある峠。
 越戸峠→杉峠→柳峠→樫薙峠(=深層峠?)→猫又峠と続く。
 ちなみに奥山巡りとは越中と信州の境を警備する役回りの事で、藩政において重要な任務で、一般人は立ち寄る事もできなかった。コースは、後立山を廻り、有峰からは有峰街道(=ウレ街道)を通っていた。
 
 柳峠

 越戸峠から奥山巡りにある峠。
 越戸峠→杉峠→柳峠→樫薙峠(=深層峠?)→猫又峠と続く。
 ちなみに奥山巡りとは越中と信州の境を警備する役回りの事で、藩政において重要な任務で、一般人は立ち寄る事もできなかった。コースは、後立山を廻り、有峰からは有峰街道(=ウレ街道)を通っていた。
 

 28003b 宇奈月町 
 
 阿曽原峠   地図
 あぞはらとうげ 標高 1,150m

 黒部峡谷鉄道けやきだいら駅→阿曽原温泉→峠→仙人湯
 自転車ではちょっと…
 
 樫薙峠

 もしかしたら深層峠と同じかも…
 越戸峠から奥山巡りにある峠。
 越戸峠→杉峠→柳峠→樫薙峠(=深層峠?)→猫又峠と続く。
 ちなみに奥山巡りとは越中と信州の境を警備する役回りの事で、藩政において重要な任務で、一般人は立ち寄る事もできなかった。コースは、後立山を廻り、有峰からは有峰街道(=ウレ街道)を通っていた。
 
 深層峠   地図

 地図に載ってたのでとりあえず。
 自転車ではちょっと…
 
 仙人峠   地図
 せんにんとうげ 標高 1,140m

 黒部川の下の廊下→仙人湯→仙人ヒュッテ→仙人峠です。
 自転車ではちょっと…
 
 南越峠   地図(この辺りだと思う!)
標高 1,420m

 宇奈月→欅平→祖母谷温泉→南越峠→餓鬼山→白馬方面です。
 自転車ではちょっと…
 
 猫又峠   地図

 地図に載ってたのでとりあえず。
 自転車ではちょっと…
 

 28003c 入善町 
 
 オコ谷峠   地図
 標高約 385m

 入善町舟見と朝日町の県道45号線沿いにある朝日小川ダムの下流約1km手前を結ぶ峠。
 車での通行は可能らしいが結構荒れているらしい。
 峠から負釣山(入善町最高峰959m)への登山道がある。
 峠だけを攻めるのはサイクリスト位か?
入善町舟見は旧北陸街道の宿場跡で、その面影を留めた家並みがある。
 
 

 28004 中新川郡 


 28004b 上市町 
 
 赤坂峠   地図

 立山町虫谷地区の県道67号線を進み、「えっ!」と思う分岐(一応県道だったりする…w)を左上に進みます。道なりに進むと赤坂峠です。
 行き過ぎても、岩室の滝への分岐左(地図)経由でたどれます。岩室の滝の分岐左からチョイ進み、左から斜めに右に横切る怪しい道を右折です。怪しいけどw、進みませう。^^
 湿っぽい平な所に峠があります。

 峠は立山町、上市の境にあります。
 お地蔵様が2体、別々の祠の中に入って安置されています。
 道路は県道67号線です。
 そう、あの険道67号線です。

 画像は、2002年09月29日 赤坂峠。

 情報有難う御座いました。@K.Tさん。(2009/10/19)
 

 
 折戸峠   地図
 おりととうげ 標高 410m

 上市町稲村と同町折戸の集落境界。峠にはスノーシェッドがあります。剣岳登山口の馬場島へ向かう県道上市−市田袋線(現在、県道46、67上市北馬場線)沿いの峠で、標高410m。
東側早月川水系、西側上市川水系を分ける分水嶺にもなっている。深雪地帯だが、一帯は山菜の宝庫でもある。

 滑川側からの方が登りは楽なような感じが…

 冬季は上市町側しか上れませんが、峠の名前通りウネウネ度が大変きつい。カーブ毎に滑り止め剤が設置されてます。
 峠からの景色は期待しないで下さい。


 画像上
 馬場島から進み、左に折れると折戸峠。
 右下に折れると、魚津&滑川方面へ。(荒れてまっそ〜)

 画像真ん中
 折戸峠。スノーシェッドに覆われている。

 画像下
 スノーシェッド付近にお地蔵様がいらっしゃる。

 画像は全て2002年12月22日

 情報有難う御座いました。@K.Tさん。(2009/10/19)
 





 
 鳥越峠   地図
 とりごえとうげ 標高 860m

 国立立山少年自然の家からの林道大辻山線の終点が鳥越峠です。峠より上市側は林道千石線が延びており、上市川ダムに通じています。
 自然の家〜鳥越峠には、城前峠、長尾峠があります。

 2002年10月14日
 

 
 ブナクラ峠

 上市町馬場島からブナクラ谷を進む。猫又山〜赤谷山の間位にあります。
 馬場島から歩いて攻めましょう。
 

 28004c 立山町 
 
 赤坂峠   地図

 立山町虫谷地区の県道67号線を進み、「えっ!」と思う分岐(一応県道だったりする…w)を左上に進みます。道なりに進むと赤坂峠です。
 行き過ぎても、岩室の滝への分岐左(地図)経由でたどれます。岩室の滝の分岐左からチョイ進み、左から斜めに右に横切る怪しい道を右折です。怪しいけどw、進みませう。^^
 湿っぽい平な所に峠があります。

 峠は立山町、上市の境にあります。
 お地蔵様が2体、別々の祠の中に入って安置されています。
 道路は県道67号線です。
 そう、あの険道67号線です。

 画像は、2002年09月29日 赤坂峠。

 情報有難う御座いました。@K.Tさん。(2009/10/19)
 

 
 国見峠   地図
 くにみとうげ 標高 610m

 県道6富山立山公園線の芦峅寺より、立山町松倉方面に通じる林道にあります。この林道(林道座主坊線)は残念ながら地図には載っていません。
 と思ったら、最近の1/2.5万地形図には載っていた。座主坊側からは上りがきついです。

 2002年10月14日

 
 刈安峠   地図
 かりやすとうげ 標高 1,880m

 黒部湖の平ノ小屋から五色ヶ原の間にある峠。自転車じゃちょっと…
 
 ザラ峠   地図
 ざらとうげ 標高 2,348m

 獅子岳と鷲岳の間にあります。
 佐々成政は徳川家康に会うために、厳冬期に常願寺川をさかのぼり、立山温泉に滞在したのち、大きな犠牲を払いながらザラ峠へ向かったという話がある。が、幾つかの説が他にあり、その中の一つに、大山町より有峰街道を通り有峰に出て、唐尾峠、山吹峠、安房峠経由で向かったとされるものがある。有峰から安房峠の街道は鎌倉街道と称され、古来からの道である。安房峠は以前は平井峠・信濃峠とも呼ばれており、地元(信州側・飛騨側)ではザラ越・ザレ越(ザラと同じ意味)と呼ばれていて、現峠の南側を通っていたらしい。
 まぁ、今でも富山から関東方面に抜けるには最短距離だもんなぁ〜
 
 獅子峠
 ししとうげ 標高 2,714m

 ザラ峠から通じているみたい。獅子岳付近?
 
 城前峠   地図
 じょうぜんとうげ 標高 750m

 標高750m.県道6富山立山公園線の芦峅寺より、国立立山少年自然の家まで上り、林道大辻山線からはすぐです。

 以前の峠は現峠より1km程、西寄りにあったという。来拝山とその西にある一山山との鞍部で、城前、小又、松倉の人々が行き来したという。

 2002年10月14日
 
  
 
 鳥越峠   地図
 とりごえとうげ 標高 860m

 国立立山少年自然の家からの林道大辻山線の終点が鳥越峠です。峠より上市側は林道千石線が延びており、上市川ダムに通じています。
 自然の家〜鳥越峠には、城前峠、長尾峠があります。

 2002年10月14日
 

 
 長尾峠   地図
 ながおとうげ 標高 920m

 県道6富山立山公園線の芦峅寺より、国立立山少年自然の家まで上り、国立立山少年自然の家からはじまる林道大辻山線を大辻山方面へ。峠は長尾山と前尾山の鞍部になる。
 城前峠より奥にあります。大辻山登山によく使われる峠です。
 以前は長倉峠と呼ばれていたらしい。昭和40年前半位までは、長倉や芦峅の人々が炭焼きに行き来するための作業道的な役割があった。

 2002年10月14日
 

 
 夏椿峠   地図(多分 ^^)
 なつつばきとうげ 標高 約400m?

 立山町から座主坊新村(廃村)に繋ぐ峠。
 昔の地図を見ると、座主坊新村から横江に通じる道が載ってる。
 現在、横江からの道は地図上には無い。
 知る人ぞ知る峠となっている。

 峠は尖山への登山道になっている。(地図には表記無。)
 自転車withでも行けるが、自己満足の世界になってしまう…汗

 峠から尖山は、細尾根道の急勾配。
 補助ロープが張ってある。
 峠から座主坊新村方面は、座主坊新村が廃村になり、ん〜十年以上経つんでヤブ漕ぎ必衰であろう。

 行く時は、素直に低山ハイク気分が良いでしょう。。。



画像上 夏椿峠

画像下 夏椿峠にあった案内板。
      マジックインキで峠名が表示。

画像上下とも2009年04年11日撮影。
  



 
 針ノ木峠   地図
 はりのきとうげ 標高 2,536m

 標高2,530m。立山町〜長野県大町間。
 針ノ木峠は、越中と信州を結ぶ峠として戦国時代から通られた由緒ある峠です。明治時代(明治13年)には、富山〜長野を結ぶ山道として一部「越信連体新道」という有料道路であった。幅3mで80km長。牛が荷物を積み峠を越えた。しかし、開通後2年で廃止。峠道の一部は黒部ダム湖の底に沈んでしまった。
 
 松尾峠   地図
 まつおとうげ 標高 1,971m

 弥陀ヶ原から旧立山温泉に通じる道だと思うんですけど?
 景色は大変よろしいらしいですね。(写真を見る限り)…晴れていたら… 
 





 28005a 福岡町 
 
 梨ノ木峠   地図
 なしのきとうげ 標高約 460m

 県道75押水福岡線を富山県沢川(そうごう)の県境から約1km石川県に入ったところにあります。残念ながら富山の峠ではありません。
 しか〜し、ほんのチョイ進めば母水キャンプ場があるんですが、そこは富山県なんですよ〜。飛び地ていうやつですね。
 そんなんで、梨ノ木峠を無理矢理?富山の峠にしちゃいます。

 (追記)
 沢川は佐々成政が末森城を攻略のさい通った村として有名だが峠は越えず沢川谷道を通った。これは道案内人が佐々正成を好ましく思っていなかったため、遠回りの道を案内して混乱させたといわれている。そして、道案内人の息子は成政の来攻を梨の木峠を越えて知らせたとされている。
 峠越えの道は、物資等の輸送の道というより単に金山に通じる道として存在したみたい。
 旧道の峠は石川県側にあった。
 さすがに今は何処にあるのか解りません。
 旧峠は標高は530mで母水に通じていたのは確かである。
 現在、峠は富山・石川県境になっています。
 (越中の峠&県境踏破無雪期 参照)
 (北日本新聞、続越中の街道(ふるみち)を参照)


 画像上  梨ノ木峠? 1978年11月
 画像真ん中 1982年11月県境。ここが梨ノ木峠だと本に載っていた
 右下画像 1982年11月 母水キャンプ場サイクリストの奥の山の稜線チョイ右が峠みたい。
 





 

 28005b 福光町 
 
 小又峠   地図
 おまたとうげ 標高 310m

 小又越えまたは二俣街道といわれる古い道に峠があるらしい。
 県道27の福光町側の医王手前からの医王山スカイラインに通じる道を上り、ちょうどトンネル上部に近い切り通し辺りあたりを小又峠と言っていたらしい。
 何回も通っているのですが、最近買った本に出ていてビックリ!参考著書は、「越中山河覚書T」です。

画像 小又峠。 2004年06月13日
 

 
 金山峠   地図
 かなやまとうげ 標高 760m

 医王山百万石道路の国見ヒュッテと三国山の間位にあります。
 峠より石川県側は登山道です。大沼(大池)、鳶岩方面に抜けれます。

 画像上 金山峠のお地蔵様。 1980年11月
 画像下 金山峠。 2004年06月13日
 



 
 鎌中越え   地図(多分…)

 ここは古くから加越国境で、鎌中越えと呼ばれる峠道が近くにある笠取山(標高530.6m)の肩を通り、城端町の善徳寺に通じていたという。戦国時代は要路とされていたという。
 
 カラ峠   地図(多分…)

 小矢部川沿いにある中河内(なかのこうち=地図)と瀧谷(地図)辺りから富山・石川県境を越え金沢の二又に通じていた峠。
 加越能地図の礪波郡村々組分絵図に載ってました。絵図を見ると峠は県境にあり、しばし県境沿いをなぞり二又部落に通じていたみたいだ。(礪波郡村々組分絵図、村の記憶 参照)
 
 国見峠   地図
 くにみとうげ 標高 650m

 医王山百万石道路の終点に国見権現が在ります。ここが、国見峠です。……と言い切ってますけどヒュッテ手前(福光町から見て)100mでした。(^^ゞ
 医王山百万石道路が、医王山スカイラインという別の名が在るのには笑ってしまった。まあ、牛岳スカイラインよりはまともだが… 実際の道は、福光町祖谷地区から通じる登山道が正式ルートだと思うが?登山道は、国見峠を経て金山峠経由で、大沼・鳶岩方面に通じています。

 画像上 1982年06月13日 国見ヒュッテ
 画像下 2004年06月13日 国見峠の標柱。(百万石道路沿い)
 



 
 越戸峠   地図
 こしととうげ 標高約 720m

 ブナオ峠を越える硝煙の道である旧街道の峠です。
 中河内を過ぎ小矢部川沿いに進むと長瀞峡があります。しかし、当時は峡谷なので道幅が狭く通行が困難な為、
中河内を過ぎてからの枝道経由で下小屋に抜けていたようです。
 
 刀利峠   地図
 とうりとうげ 標高約 430m

 福光町刀利ダムの堰堤を渡り、登り詰めたところが峠です。
 県道10号線の富山、石川県県境です。1976年、石川県側はもろ砂利道。富山県側は…憶えてない。

 現在、峠には枝道があります。( 医王林道 )ここを通れば、IOX-AROSAスキー場へまっしぐら。

 峠よりダムへの下りは、度胸試しに最適です。道は細くくねくね状態。真下にはダム湖。攻めすぎて次の日の朝刊に載らないように…なお、冬季は閉鎖です。

 画像上、1976年6月20日 峠手前2km石川県側
 画像下、1980年4月20日



 
 鳥越峠   地図
 とりごえとうげ 標高 990m

 福光町臼中(廃村、現在臼中ダムがある)〜上平小瀬地区(五箇山旧YH)。標高990m。
 福光、上平間にあり袴腰山と三方山の間にあります。むか〜しの地図を見たら臼中峠なんだけどな〜。
 峠には気象観測装置があり、道標には鳥越峠と書いてあるらしい。道標に鳥越峠と書かれては、鳥越峠と認めるしか…ないか。由緒ある峠なのですが、登山でしか攻めれません。
 
 彦尾峠   地図
 ひこおとうげ 標高約 430m

 滝谷〜中河内にある峠。
 ブナオ峠を越える硝煙の道である旧街道の峠です。
 
 菱広峠   地図
 ひしひろとうげ 標高 840m

 地図では夕霧峠になってます。IOX-AROSAスキー場、医王山縦走線の国見、金沢市見上峠のどちらからでも攻めることが出来ます。スキー場側は坂がきついです。縦走線からがおすすめ。夕霧峠は、何処やらの山荘のオーナーがつけた名前だとか…そんなに簡単に峠名を変えれるのかしら。

 無線の移動運用場所として有名です。
 「〜by9夕霧峠からの移動運用です。」(相手局)
 「はいはい。菱広峠ですね。ご苦労様です。」(ばった)
 「いえいえ。夕霧峠ですよ。」(相手局)
 「夕霧峠ともいわれてますね。本当は菱広峠と言うんですよ。」
 (ばった)
 「そうなんですか。ありがとうございます。」(相手局)
 誰が何と言おうと 菱広峠です。

 画像上、菱広峠近くにあるヒュッテ 1979年4月(白兀平ヒュッテ)
 画像下、菱広峠 1983年6月
 



 ブナオ峠     地図
 ぶなおとうげ 標高 976m

 県道54福光上平線の硝煙街道の福光、上平村西赤尾間。全線舗装路。刀利ダムから小矢部川上流に向けてのコースがオススメ。
 近年、上平村の頑固なゲートが閉じたままになっている。県道に昇格してからは工事だらけ。夏季シーズンは開いていることが多い。自転車なら通過出来るんじゃないかな。(保証ナシ)
 最近は福光側が工事中。冬季は、通行止め。むか〜しの地図を見たら、峠〜西赤尾に枝道があり、そこから加須良、卒塔婆峠、馬狩、大窪、大牧、野谷につながっている。

 ばったが、中3のとき制覇した本格的な峠です。当時は、路面は荒れほうだい。こぶしだいの石がゴロゴロ。
 おまけに8月のお盆ときたもんだ。オロロの襲撃にあい、仲間一人が転倒。(長瀞峡〜下小屋) 通りがかりの車に負傷者を峠まで乗せて貰った。乗せて貰ったのは人だけ。残った自転車を代わる代わる引っ張り合い、一歩ずつ前進したのでした。
 自分の自転車だけで精一杯なのにもう一台。両手はふさがっている。そこにオロロの襲撃。炎天下の中、雨カッパを着て汗だくになり、もうブチ切れ寸前。
 一時間位、悪戦苦闘で頑張っていたとき 「ばった。先に行って負傷者を見てこい。あと2kmだから。」 TCF理事長の命令で峠まで単独行動となった。私は、「あと2kmだから。」と言う言葉を真に受け全力ダッシュで峠に向かったのだが行けども行けども登り坂。結局、10kmはあったみたい。ケガした本人は暇そうにボーとしていた。ここに、忌まわしき 「あと2km。」が誕生したのであった。

 (歴史コーナー)
 ブナオ峠・ブナノオ峠・父那尾峠・山毛尾峠、、、越えの道。

 冬には3m近く積もる雪。夏は刀利地区 (刀利、下刀利、滝谷これらはダムにより水没。そして下小屋 以上は廃村) を中心に 「オロロ」 の大発生で人畜に被害を与える道である。寺社、古い石建物等もない道である。
 加えて、刀利から奥の道は幕府に提出するべき国絵図類にも記載されていない道である。

 現存の道が開通したのは昭和40年で、以前は下小屋まで馬車が入る程度でその先は背丈を超える草をかきわけて進む一足道で、橋もなく川原をぬけ不動滝を見上げながらあえぎ峠に達した道で、加賀藩の密使か早使いか猟師等の通路であり、また金沢への硝煙の道でもあった。下小屋より先は 「西赤尾道」 とも呼ばれ江戸への近道であったこの道は、加賀藩としては飛騨への陰道 (闇道) であった。

 福光町史には、刀利地区には縄文中期の遺跡があったと記している。伝説によれば、木曽義仲の残党が土着したところとも言われている。


 画像一番上、1977年8月 ブナオ峠
 画像2番目、1980年7月 ブナオ峠。上の画像と同じ場所
 画像3番目、1979年7月 ブナオ峠。上の画像よりちょい左
 画像4番目、 2002年8月14日 ブナオ峠。上の画像の看板が変わっている。
 画像下、 1984年11月 ブナオ峠の石碑
 
  








 
 朴坂峠峠   地図
 ほおさかとうげ 標高 380m

 金沢と福光を結ぶ古くからある道で、「朴坂峠越え」「二俣越え」と呼ばれ、富山・石川を結ぶ重要な道であった。安政3年(1856)、加賀藩藩主、前田斉泰が江戸参勤交代の帰路に城端に泊まり、福光町を経て朴坂峠越えの道を使って帰国したことにより、殿様道との愛称?が付いた。
 福光町坂本の墓地内を突っ切り、百万石道路を経由し二又にたどるが、坂本からの上りは、陰湿・展望無しの勘弁して!!の道である。江戸時代に道幅が拡張され、ダブルトラック並の広さがあるが、誰も通らないのかクモの巣だらけである。
 この殿様道には石崎市右衛門が亡き娘の菩提を弔うため、西国三十三番札所観音型の石仏を安置し旅人の安全を守る悲願をして、 33の石仏が祀ってある。(詳しくはここを。)
 また、道路整備のため石畳を敷いたらしいのだが、昭和55年頃にブルが入り、石畳は壊滅状態になったらしい。

 峠は百万石道路の出合いと思っていたが、道路手前の殿様が休まれた場所が峠みたいだ。



 画像上、1979年04月15日 百万石道路にある朴坂峠の標柱。
 画像下、峠からの風景。百万石道路と県道27号線が見える。
 


  
 
 横谷峠   地図
 よこたんとうげ 標高 530m

 県道10を金沢市横谷から林道横谷線に入り、富山金沢の県境に峠があります。
 峠を越え進むと、医王林道(医王山林道とは違う)に出ます。左へ進むとIOXのスキー場。右へ進むと刀利ダム付近の県道10にでます。
 
   ?峠   地図(多分…)

 刀利からブナオ峠に向かう途中に下小屋(廃村)があります。(今では県道54に架かる橋でしか場所は分かりませんが…)そこから石川県倉谷(金屋川沿いにあった村)に通じる峠。

 峠名は、鳥越峠だったと思うんですけど…。福光町臼中(廃村、現在臼中ダムがある)〜上平小瀬地区に鳥越峠があるし?…。鳥越峠という名前もそう珍しいものではないですね。渡り鳥は決まったコースを通るので、その山に峠があれば安易に名前は鳥越峠になったみたいです。
 





 28006a 細入村 
 
 庵谷峠   地図
いおりだにとうげ 標高 326m

 R41の庵谷トンネルの旧道。
 明治に入り、旧飛騨街道である小菅峠に変わりつくられた。

 細入村の道の駅より攻めました。あっという間に着いてしまい拍子が抜けた。この後、小菅峠に直行したのであった。


 画像、庵谷峠 2002年06月08日 富山市方面
 

 
 御鷹山峠   地図
 おたかやまとうげ 標高 590m

 標高782m 八尾桐谷〜細入村楡原御鷹山林道にある峠。全線舗装路。

 八尾町には御鷹山が2つあり、ここのは細入村との境界、神通川と支流の久婦須川との間にある。楡原の上行寺から桐谷への道が御鷹山林道で、S54年秋に全線開通した。主峰782mと北峰676mピークの鞍部が御鷹山峠。

 画像、林道最高地点 1980年10月
 

 
 小亦峠   地図
 おまたとうげ 標高 730m

 八尾町桐谷から猪谷へ通じる峠。
 桐谷から峠近くまで林道が延びている。ここから歩けばすぐに峠です。猪谷側は整備されていないらしいが、常虹の滝に通じていたらしい。常虹の滝って、確か、、、流しそうめんの所だったっけ?
 
 蟹寺峠   地図
 かんでらとうげ

 飛騨街道にある峠で、細入村蟹寺〜猪谷の猪谷トンネル上にあります。道は忘れられた存在になってしまい、農作業道状態のところもある。峠の下にはお地蔵様もいらっしゃる。
 富山県歴史の道調査報告書(飛騨街道)参照。

 2003月11月08日、行ってきました。
 R360の蟹寺トンネルを潜り、右側の道を進むと峠に行く。勾配はきついが舗装路で距離も数百mなので、すぐに峠に行き着く。
 峠より地道(シングルトラック)が伸びていて、この道が蟹寺峠の旧道に当たるのではないかと思うほどである。
 峠の道路下にあるというお地蔵様は見当たらなかったのが残念である。


 画像上、2003年11月08日 蟹寺峠
 画像下、2003年11月08日 旧蟹寺峠?
 



 
 小菅峠   地図
 こすげとうげ 標高 400m

 小菅峠は旧飛騨街道の峠で庵谷峠の旧道にあたる峠です。 庵谷峠からの分岐から行けます。峠は洞山の登山口にもなっている。峠の周辺はアンテナだらけである。庵谷峠の分岐から来たせいもあるが、雰囲気があまりよろしくない。


 画像、小菅峠 2002年06月08日
 

 

 28006b 山田村 
 
 一本杉峠(一本杉の峠)   地図
 いっぽんすぎとうげ 標高約734m

 山田村深道(廃村)から利賀村栗当(脇山大橋近く)に通じる峠です。
 山田村の山中(廃村)と数納(廃村)から通じている。主要地方道富山−庄川線(県道59号線)という話もあるが?1/5万地形図では点線道路ですが、1980年に通ったときは確認できませんでした。
 
 高清水峠     地図
 こうしみずとうげ

(資料を見ていたら「桜峠」と言う表示がなされていた。今は高清水峠で通します。)

 山田村から県道59(富山庄川線)を山田川をさかのぼり途中の分岐で山田川の左岸へ、渡ります。渡ればすぐに居船(いぶね廃村、昭和6年以前は以無称。山中にある村なのに富山湾の船が見えたから付いた名前らしい)で林道居船線がでており、そこから深道(ふかどう廃村)経由で林道の最高標高地点が高清水(こうしみず昭和42年廃村。加賀藩と富山藩の境で主に加賀藩の役人が住んでいた。そのため住人が移り住みできた村。約300年前。)です。ここに分岐があり数m上ると利賀村との村境です。

 村境には森に囲まれた神社がありますが、引き払った後なのか何も残っていません。神社の名前は大抜神社です。ここを下れば高沼、脇山大橋に抜けれます。高清水から林道を下ればR471にでます。近くには、山田川右岸の林道、越道峠の入口、そして栃折峠手前にある怪しげなトンネルがあります。
 峠は林道の最高地点なのか、それとも山田村と利賀村の境なのかわかりません。

 林道居船線は80、81年と攻めました。
80年度に攻めたときは、自転車に乗車する事ができました。所々、道が腐り(変な表現ですが、トチノキの実が絨毯のようにひきしめられ、それが腐りヘドロ状態になっている。物凄くくさい。)苦労するぐらいでした。
 81年度に攻めたときは、56豪雪の影響か道は荒れ放題で押し、担ぎのオンパレードで苦労しました。高清水線の途中に住んでいたおじいさん(一軒家で、なにか彫金の作業をしていた。当然、電気・水道無し。清水を引いていらっしゃったので水を分けて貰った。)もいなかった。
この道も廃道でしょうな〜。

 この峠だけを攻めるのであれば、利賀村からどうぞ。
結構勾配が強く、道は荒れ放題ですが距離が短いのでなんとかなるでしょう。林道居船線は、、、?昔、R471を通ったとき林道入口に巨大なコンクリのブロックが置いてあった、、、現在、高清水村跡までは通れるみたいです。

 2003年04月27日、文字どおり逝ってきました。脇谷から攻めたのですが4月末なのに残雪が多く、往生こきました。居船林道も残雪が多く、一つ間違えば妙厳峡に真っ逆様…高清水は水芭蕉が咲き誇っていたのが印象的でした。


 画像上、1980年 深道あたり
 画像2枚目、1981年 R471から約2km
 画像3枚目、 1981年 林道最高標高地点。画像の左上のポッカリ空いた辺りが大抜神社。右横が村境です。
 画像下、 2003年04月27日 村境。山田村から利賀村方向です。
 







 
 高瀬峠   地図
 たかせとうげ 標高310m

 山田村、八尾町にある峠。県道224、湯八尾線の高瀬地区にあります。道は細く古びた感じで私は好きです。地元の人は、余りオススメしないが…

 輪跡の当時この道は、高岡から八尾に抜ける最短距離(標高差は無視)で皆さんよく利用したみたいです。山田村〜八尾はこの道、県道224しかなかったからな〜おっと、県道25号がありました。サンクス Jun822 さん!

 北陸の峠に旧高瀬峠が載っていた。雰囲気の良い感じだが走破可能なのか今一不明…それと、八尾側に少し下ると天池部落があるが高瀬峠の間に天池峠なる物があるらしい…(富山県大百科事典より)

 画像 高瀬峠 1980年4月
 
  
 

 28006c 婦中町 
 
 猫坂峠   地図
 ねこさかとうげ

 婦負郡婦中町高塚と平等(だいら)を結ぶ峠(坂)。昔そこで高塚と平等の猫が逢い引きしたという伝説から、猫坂峠と呼ばれるようになったらしいです。
 道はもろ遊歩道です。平等から攻めたのですが記憶が曖昧です。帰りに、いこいの村に寄ったのは覚えてるんだけど、、、

 この峠は、是非とも彼女を誘い攻めてね。え?、彼女は自転車を持ってない。それなら、プレゼントしてでも、誘いましょう。
逢い引き猫ではないが、半年後に結婚。そして今頃、三人の子持ちになっていたりして… そんなんで、私はこの逢い引き猫じゃなかった、カップルを見ていたので峠の印象は?なのでした。初デートから見てるからな〜


画像上、
1993年5月 平等からの上り。カメラのストラップが写り込んでしまった。

画像中、
1993年5月 猫坂峠のピーク

画像下
2003年12月23日 猫坂峠 
 





  

 28006d 八尾町 
 
 天池峠     地図
 あまいけとうげ 標高224m

 県道224の高瀬峠から八尾に通じる峠です。「峠?」と疑問符が付くほど小さな峠です。
 参考資料は、富山県大百科事典です。
 
 御鷹山峠   地図
 おたかやまとうげ 標高 590m

 標高782m 八尾桐谷〜細入村楡原御鷹山林道にある峠。全線舗装路。

 八尾町には御鷹山が2つあり、ここのは細入村との境界、神通川と支流の久婦須川との間にある。楡原の上行寺から桐谷への道が御鷹山林道で、S54年秋に全線開通した。主峰782mと北峰676mピークの鞍部が御鷹山峠。

 画像、林道最高地点 1980年10月
 

 
 小亦峠   地図
 おまたとうげ 標高 730m

 八尾町桐谷から猪谷へ通じる峠。
 桐谷から峠近くまで林道が延びている。ここから歩けばすぐに峠です。猪谷側は整備されていないらしいが、常虹の滝に通じていたらしい。常虹の滝って、確か、、、流しそうめんの所だったっけ?
 
 桂原峠

八尾町谷折から桂原を結ぶ峠。
谷折から祖父山をかすめて行くみたい。たぶん、廃でしょう。
 
 桐山峠   地図(ここら辺りだと思う)
きりやまとうげ

 現在、城ヶ山公園となっている。
 佐々成政は城生城(じょうのじょう八尾町城生)を攻めたが、城生城主の斉藤信和は城の西約5kmに位置する聞名寺に加勢を求めた。有力な浄土真宗寺院の同寺は、かねてから斉藤氏と同盟を組んでいた。
 手を焼いた成政は富山への街道筋の井田村(現八尾)に関所を設け、門徒支援を遮断した。夜になると井田川西岸の石戸村(八尾町石戸)にかがり火を焚き、鎧や兜を着けたわら人形を木陰に多数並べ、寺の北側に兵を集中させていると見せかけた。門徒達が注意を奪われているすきに、本物の兵は井田川の西岸を南下し、寺院の南東にある桐山峠(八尾町城ヶ山)に移動し聞名寺に一気に流れ込んだ。
 時は午前6時頃で、ちょうど親鸞の命日に当たる御正忌が営まれておりパニックになった。しかし、読経を中断させてはいけないため、住職は猛スピードで読経を終え、寺宝の親鸞聖人像を守り井波に逃れた。
 聞名寺では今も毎年1月15、16日に御正忌法要を営むが、参列した僧侶は普段より早く読経するという。(笑)
 
 小井波峠   地図
 こいなみとうげ 標高約 490m

 八尾町桐谷から小井波に通じる峠。
 以前に桐谷の住人に、この道は大変荒れていると聞かされた。現在は普通車でも通行可能みたいである。

 峠から小井波までの標高差は何と30m位!ダウンヒルを楽しむ余裕もないでしょうな。しか〜し、小井波から八尾町への下りは凄かったらしい。(1980年当時)
 途中に1m位の段差があったらしいが・・・

 資料を見ていたら卯の花峠と言う表記もある。
 山登り関係のHPでは小井波峠が圧倒的であるが…


 画像上
 1980年09月14日、峠付近より
 後に御鷹山が見える

 画像下
 1980年09月14日、小井波峠より
 石碑があるが何の石碑やら?
 


  
 
 谷折峠   地図
 たにおりとうげ 標高 670m

 県道228号線、島地新名線の谷折地区と布谷(のんたに)地区の境にあります。
 輪跡を見ると、バーストランで紹介されてます。当時は砂利道。現在は舗装路みたいですね〜。
 でも、いつ県道になったんだろう?それより、県道にする意味があったのであろうか?
八尾は南北に道がいくつか在りますが、東西につながる道は少ないです。コース取りに苦労します。だから、キライ…
 
 栃折峠   地図
とちおりとうげ 標高 627m

 R471、百瀬川地区、栃折地区の境にある峠です。
 国道なので舗装路です。400台の国道なので、道幅は狭いです。利賀村村営バスが現れたら、車だったら恐怖です。
 峠は、百瀬から攻めると楽勝。逆コースは攻めたことがないので解りません。ただ、気持ちよ〜く、長〜く下った記憶があるんで逆コースは…

 峠近くに、怪しげなトンネルがあります。
 当時、用水だろうと思っていたのですが、人が通るトンネルらしいです。同じ様なトンネルが利賀村の北豆谷にあります。雪深い場所なので、あんなトンネルでも役に立ったのでしょう。

 現在、八尾側の道路を改良工事しています。
 少しずつですが昔のイメージが無くなりつつあります。

 画像は2002年07月13日
 画像上、八尾側から利賀村方面
 画像下、峠にあるお地蔵様
 



 
 長谷峠
 ながたにとうげ

 利賀村入谷から八尾町長谷川の清水に通じている峠であったが、現在は林道となっているらしい。(しかし、地図で確認するが林道が見当たらない…)峠を長谷川に乗り越したところにお地蔵様があるらしい。

 富山県山名緑に面白い話が載っている。
 江戸の頃にこの峠で強盗が人を殺して埋め、この地蔵さんに「誰にも言わんでくれ」と頼んだところ、地蔵さんは「わしゃ言わねど己が言うんじゃろう」と言った。3年後の村祭りの時、その男が獅子舞のシシトリ役になって踊り話す中で「おら人殺した」と歌ってしまい直ぐに取り押さえられたという話が伝えられている。(富山県山名緑より)
 
 ひとまち峠(人待ち峠)
 ひとまちとうげ 標高約 1,270m

 利賀村スノーバレースキー場のピークより金剛堂山への稜線(利賀村、八尾町の境)にある峠。
 どこだろ?峠の標識はあるらしい…自転車は無理?
 
 蛇越峠   地図
 へびこしとうげ 標高約 730m

 利賀村菅沼(昭和33年廃村、現在の菅沼ダム辺り)から八尾町薄尾(すすきお、昭和45か46年廃村。第二発電所の真上辺り標高550m位にあった村)に通じる峠。
 

 松瀬峠     地図
 まつぜとうげ 標高 670m

 東松瀬地区、小井波地区の境にある峠です。峠から夫婦山に通じる登山道がでています。
 輪跡の記録を見ると、「東松瀬から峠を攻めるが道がすごく荒れており断念」とあります。
 とあるHPを見ると、「峠までは普通の山道」 と記述されているが…


 28008 東砺波郡 


 28008a 井波町 
 
 (新)杉谷峠   地図
 すぎたにとうげ 標高 396m

 井波町閑乗寺公園〜R156の間にある峠です。昔の1/5万地形図には峠として表示してあったらしい。
 R156のスノーシェッド内からの枝道より峠をアタックして下さい。現在、峠までは廃道状態です。押し担ぎ、ゼイゼイあえぎ攻めましょう。泥除けは、木の枝が挟まるので邪魔です。(秋季は熊に注意 )

 峠には、杉の木とお地蔵様の祠があります。ここから庄川が富山平野に流れる様を一望できます。視線を移すと、小牧ダムからのR471が急坂で利賀村に向かっているのが脇山大橋付近まで展望できます。
 峠より5分程度下ると、左側に一面八手杉谷不動明王があります。私は余り詳しくは無いのですが、全国でも珍しいらしいです。ここからすぐに舗装路の分岐があり、左は八乙女山方面(林道大谷線)、直進は閑乗寺公園(スキー場&テニス場アリ)です。

 井波町、井口村、城端町には古道が多く残っています。が、物流の為の道と言うよりお坊さんが檀家回り、布教活動?の為の道と言ったところでしょうか。当然、整備されるはずもなく一部は登山道で残っている状態です。

 それから、新があるなら旧は?
 峠の位置は現峠よりも庄川に下りた所にあったらしい。そしてR156からのアプローチも違う。旧は、峠より庄川まで一直線の道であった。そして旧峠は新杉谷村(廃村)に通じていた。
現在、峠の真下には長〜いスノーシェッドが鎮座している。


画像上、 1980年11月3日。ひたすら押し。R156〜峠
画像中、1980年11月3日。新杉谷峠より
画像下、 2002年5月。新杉谷峠
 





 
 栃原峠   地図
 とちわらとうげ 標高 720m

 井波町〜利賀村栃原にある峠。
 現在の1/2万5千の地形図には道は載ってません。77年頃買った1/5万地図には点線で表記されてた。( 探しても見当たらない)赤祖父林道からの枝道である八乙女林道(だったと思う?)を横切っているのですが、80年にここを攻めたとき、地図をチェックしながら走ったのですが解らんかった…当時、すごく行きたかったのだがまわりの声 「 俺はヤダ。」 「 道では無いでしょう。」「 行くなら一人で、、、」 等々,あたたかい励ましがあり断念。

 この峠は井波町の??寺のお坊さんが檀家巡りに使った道らしい。同じ様な峠に、杉尾峠、小瀬峠があります。昔のお坊さんって、すごかったんですね〜。

 2002年5月、行ってきました。八乙女峠より延びる林道から行けます。昔の道は確認できませんでした。

画像上、峠の大杉
画像下、栃原峠
 



 
 八乙女峠   地図
 やおとめとうげ 標高 690m

 井波町〜利賀村下原にある峠。
 井波町からだと、2ルートあります。( 林道東大谷線、林道八乙女線 ) どちらも舗装路でしょう。
 峠〜栃原は、砂利道です。(現在、舗装工事中、通行止め)途中、OMサンタの森スキー場のゲレンデを2回横切ります。

 推薦ルートは、R156→新杉谷峠→ 林道東大谷線( 体力があれば林道八乙女線経由でもよい)→八乙女峠→栃原峠→栃原→R156

 小牧ダム付近まで車で自転車を運べば、手軽な周遊コースを楽しめます。


画像上、1980年 八乙女峠。
画像下、2002年5月 八乙女峠。
 



 

 28008b 井口村 
 
 新山峠   地図
 あらやまとうげ 標高約970m

 井波町より庄川沿いの利賀村に通じる峠。旧井口村・旧城端町・旧利賀村境にある。このルートは3つあり、これらは室町時代にはすでに開かれていたらしい。
 杉谷峠=仙納原、北原、長崎、重倉方面から杉谷峠を越えて井波町、前山村に出る道。栃原峠=下原、栃原方面から栃原峠を越えて井波町、志願寺村に出る道。そして、新山峠=障子谷、城、祖山、大牧方面より新山峠に出る道があった。
 新山は大牧温泉の対岸辺りに存在したが、昭和30年に廃村。R156より道無き道を歩いて30〜40分かかるらしい。
 

 28008c 上平村 
 
 打越峠
 うちこしとうげ

 飛騨の峠に載ってました。
 昭和45年頃まで境川沿いに打越(地図)という部落があり、峠は部落周辺にあったと思われる。
 打越の名前の由来は天正十三(1585年)の大地震の時(この時、帰雲城が崩壊)に、楮の大山崩れがあり庄川を飛び越えて小白川を打ち越えて飛んできて在所ができた事に由来すると言う。歴史のある村だが寺・神社がなく、祭りは西赤尾と共に行われていたらしい。推測だが、峠は打越トンネル上辺り?かな…
 
 小瀬峠   地図
 おぜとうげ 標高 940m

 旧R304の細尾トンネル城端側手前を右に入り、昭和54年度開通の袴腰林道を進み城端・上平の村境(新小瀬峠改め袴越峠)からの遊歩道から行けます。(村境の手前からも行くことができる。)約20分位歩けば、峠です。

 峠 ( 標高 940m ) は、ひなびた感じを通り越し、寂しさをかもし出しています。小さなお地蔵様、朽ち果てそうな小屋が何とも言えません。(お地蔵様は雪害のためか、壊れたらしい)
 峠からは、旧細尾峠、尾瀬集落 ( 一軒しかないが、その一軒が元Y・H ) に向かう道があります。秋がオススメですが、熊に注意。登山者は皆、熊よけの鈴を付けてます。単独では行きたくない峠です。

 小瀬は西赤尾の行徳寺と城端の善徳寺を結ぶ宗教の道であり、五箇山と南砺波地方を結ぶ交易の道でもあった。

 この峠道は藩政時代にシャクナゲの道として親しまれていたらしい。とくにこの峠道の中間点に当たる小瀬峠尾根にシャクナゲが繁茂し、初夏には旅人を楽しませたといわれる。そして小峠を越え城端町上田に通じていた。


 画像上、
 細尾峠より2、3km地点。写真は旧細尾峠方面を写す。2001年11月
 画像中、小瀬峠 お地蔵様 1979年11月4日。
 画像下、 小瀬峠 1979年11月4日。
 
  




 
 越戸峠   地図(ここら辺りだと思う…)
 こしととうげ 標高約 530m

 塩硝街道にある峠でブナオ峠〜西赤尾にあります。同名の峠が刀利〜中河地にもあります。(刀利〜中河地の越戸峠は、歴史の道調査報告書では越戸峠、礪波郡村々組分絵図ではコシト峠と表記されている)
 西赤尾からブナオ峠に至る今の道(県道54)は、昭和43年10月に草谷左岸沿いに完成した「峰越林道ブナオ線」で、以前は行徳寺裏から通じていた。古道は、暫くは残っているという話だが完全にトレースするのは無理らしい。 街道は、行徳寺から越戸峠を越え、草谷(赤尾川)右岸沿いを上がり、四十八曲峠に行き、ブナオ峠に向かっていた。なお、四十八曲峠からブナオ峠までの道は旧街道をそのまま拡張したらしい。(続越中の街道、礪波郡村々組分絵図を参照)

 
 四十八曲峠(四十八曲坂)   地図(ここら辺りだと思う…)

 塩硝街道にある峠でブナオ峠〜西赤尾にあります。(西赤尾〜越戸峠〜四十八曲峠〜ブナオ峠)
 四十八曲峠は、塩煙街道の脇道的な役割を持ち、加賀から飛騨・江戸への近道として、ブナオ峠→四十八曲峠→桂→おのえ峠→加須良→卒塔婆峠→野谷峠と通じていたらしい。
 この四十八曲峠は、四十八曲坂と記されている事が多い。礪波郡村々組分絵図でも四十八曲坂と載っているが、新湊博物館の組分絵図には「四十八曲峠」と表記されている。

 四十八曲峠を通る脇街道は、蓮如上人も歩んだらしく、加須良では 500回忌法要が平成10年7月19日に行われている。
(続越中の街道、礪波郡村々組分絵図を参照)


 画像上 昭和51年発行のドライブ地図
 画像下 2002年08月14日 四十八曲峠付近?から桂湖を望む。
 



 
  鳥越峠   地図
 とりごえとうげ 標高 990m

 福光町臼中(廃村、現在臼中ダムがある)〜上平小瀬地区(五箇山旧YH)。標高990m。
 福光、上平間にあり袴腰山と三方山の間にあります。むか〜しの地図を見たら臼中峠なんだけどな〜。
 峠には気象観測装置があり、道標には鳥越峠と書いてあるらしい。道標に鳥越峠と書かれては、鳥越峠と認めるしか…ないか。由緒ある峠なのですが、登山でしか攻めれません。
 
 袴腰峠   地図
 はかまごしとうげ 標高約 900m

 旧R304の細尾トンネル手前を右に入り袴腰林道(昭和54年開通)を進み、城端・上平の村境が峠です。ピークは城端側にある。
 これまでこの峠はTCF内では新小瀬峠と表現していた。それは続越中の街道(ふるみち)で、この峠を小瀬峠にかわり、言うならば新小瀬峠である。と表現されていたからである。当然、まわりからは認知はされてはいなかった。

 しかし2000年国体が富山で行われ、この峠が上平縦走コースのゴール地点となり袴腰峠と表記されたのである。こうなったら完璧な峠?でしょう。


 画像上 1979年11年04日 TCFクラブランより
 画像下 2002年08月14日
 



 
 ブナオ峠     地図
 ぶなおとうげ 標高 976m

 県道54福光上平線の硝煙街道の福光、上平村西赤尾間。全線舗装路。刀利ダムから小矢部川上流に向けてのコースがオススメ。
 近年、上平村の頑固なゲートが閉じたままになっている。県道に昇格してからは工事だらけ。夏季シーズンは開いていることが多い。自転車なら通過出来るんじゃないかな。(保証ナシ)
 最近は福光側が工事中。冬季は、通行止め。むか〜しの地図を見たら、峠〜西赤尾に枝道があり、そこから加須良、卒塔婆峠、馬狩、大窪、大牧、野谷につながっている。

 ばったが、中3のとき制覇した本格的な峠です。当時は、路面は荒れほうだい。こぶしだいの石がゴロゴロ。
 おまけに8月のお盆ときたもんだ。オロロの襲撃にあい、仲間一人が転倒。(長瀞峡〜下小屋) 通りがかりの車に負傷者を峠まで乗せて貰った。乗せて貰ったのは人だけ。残った自転車を代わる代わる引っ張り合い、一歩ずつ前進したのでした。
 自分の自転車だけで精一杯なのにもう一台。両手はふさがっている。そこにオロロの襲撃。炎天下の中、雨カッパを着て汗だくになり、もうブチ切れ寸前。
 一時間位、悪戦苦闘で頑張っていたとき 「ばった。先に行って負傷者を見てこい。あと2kmだから。」 TCF理事長の命令で峠まで単独行動となった。私は、「あと2kmだから。」と言う言葉を真に受け全力ダッシュで峠に向かったのだが行けども行けども登り坂。結局、10kmはあったみたい。ケガした本人は暇そうにボーとしていた。ここに、忌まわしき 「あと2km。」が誕生したのであった。

 (歴史コーナー)
 ブナオ峠・ブナノオ峠・父那尾峠・山毛尾峠、、、越えの道。

 冬には3m近く積もる雪。夏は刀利地区 (刀利、下刀利、滝谷これらはダムにより水没。そして下小屋 以上は廃村) を中心に 「オロロ」 の大発生で人畜に被害を与える道である。寺社、古い石建物等もない道である。
 加えて、刀利から奥の道は幕府に提出するべき国絵図類にも記載されていない道である。

 現存の道が開通したのは昭和40年で、以前は下小屋まで馬車が入る程度でその先は背丈を超える草をかきわけて進む一足道で、橋もなく川原をぬけ不動滝を見上げながらあえぎ峠に達した道で、加賀藩の密使か早使いか猟師等の通路であり、また金沢への硝煙の道でもあった。下小屋より先は 「西赤尾道」 とも呼ばれ江戸への近道であったこの道は、加賀藩としては飛騨への陰道 (闇道) であった。

 福光町史には、刀利地区には縄文中期の遺跡があったと記している。伝説によれば、木曽義仲の残党が土着したところとも言われている。


 画像一番上、1977年8月 ブナオ峠
 画像2番目、1980年7月 ブナオ峠。上の画像と同じ場所
 画像3番目、1979年7月 ブナオ峠。上の画像よりちょい左
 画像4番目、 2002年8月14日 ブナオ峠。上の画像の看板が変わっている。
 画像下、 1984年11月 ブナオ峠の石碑
 
  








 

 28008d 庄川町 
 
 小牧峠   地図
 おまきとうげ

 庄川町から、庄川町小牧・藤橋を経て利賀方面に通じる峠で、R156金屋トンネル付近にあったみたいだ。 金屋トンネル北側(庄川側)には旧トンネルがあり、名は小牧隧道というらしい。 昭和18年に掘られたモノで、トンネルや踏切の名前には以前にあった名前を付ける事が多いので、間違いなく峠があった場所だと考えられる。
 庄川左岸の道は大正時代に入ってからつけられた道(車道としては、昭和10年)であるが、石黒信由の組絵図をみるとそれ以前からからある道で、利賀村には藤橋(当時は藤の木で造った吊り橋。名の由来になっている。)で庄川を渡り通じていた。ダム湖畔に架かる情けない赤い吊り橋が当時の古道につながる。

 画像は、2004年12月19日
 庄川町→小牧ダム方面の小牧峠隧道です。
 
  
 
 隠尾峠   地図
 かくりょうとうげ 標高約 460m

 県道346号線の夢の平スキー場からR471湯谷の間にある峠。
峠は鉢伏山の麓にある。峠からの景色は最高で、遠くに二上山も望める。
 峠と隠尾の間にコンクリート製の小堂があり、中に自然石に彫られた観音様が祀られてある。この観音様の右に「右 八尾道、下 隠尾村」、左に「山道」と刻んであるらしい。

 この峠道は大正の初め頃まではやっと通れる山道で、その後、群道として開発されたという。舗装されたのは昭和39年で、失業対策事業の一環だったらしい。それ以前は、鉢伏山峠を通る街道(八尾街道)が使われていた。
(富山県の歴史の五街道を参照)

 画像上 隠尾峠
 画像下 道標が刻まれたお地蔵様
 画像上下共、2003年05月03日
 



 
 鉢伏峠(鉢伏山峠)     地図
 はちぶせやまとうげ 標高 510.3m

 隠尾峠が現在の道だが、以前は井波町−金屋−藤懸渡り(川合ダム付近)−鉢伏山峠−今山田−山田村−八尾を通る街道が所要道で、鉢伏山がこの街道の峠であった。山田村側から来るとアプローチ&アップ・ダウンが多いので、「これが峠?」という印象は無いでしょう。
 現在、この八尾街道は忘れられた道になっているが、隠尾峠の隠尾集落側の脇道に道標と不動明王があり、道標には「右 八尾道 左 庄道」と刻まれてある。
 峠である鉢伏山は公園になっているが城跡でもある。八尾街道を知っている人には鉢伏山は峠として認識可能だが、何も知らない人には単なる山でしかないのがチョット寂しい・・・
(富山県の歴史の五街道を参照)

 画像上 鉢伏山山頂
 画像下 山頂より南側100mにある不動明王 ここが峠だという話もあるが・・・?2003年05月03日
 



  
 二ツ屋峠     地図
 ふたつやとうげ 標高 314m

 国道471号線の砺波市庄川町と南砺市利賀(旧庄川町と旧利賀村)境にある峠です。

 明治期、小牧から利賀への有料道路である牛嶽車道が開設。
 開設以前は二ツ屋集落を経由して利賀へと向かっていたという。
 道路が開設され村境を二ツ屋峠といったとか。(利賀村史より)

 峠という感じは微塵もありません。
 利賀まで「はぁはぁ。」しましょう。。^^


 画像上
 国道471号線の砺波市庄川町と南砺市利賀(旧庄川町と旧利賀村)境

 画像中
 利賀に向かって左にある石仏。

 画像
 上利賀に向かって右にある石仏。


 2010年03月xx日
 





 

 28008e 城端町 
 
 大尾峠

   道宗の道(井波〜西赤尾)にある峠でらしい…汗 道宗の道とは、約500年前に五箇山に浄土真宗を伝えたお坊さんの名で、井波から上平の西赤尾までの道だとか。近年、整備されたと聞く。
 峠の場所は、日溜まり(日だまり)峠〜高清水山〜明神峠〜杉尾峠〜大尾峠〜新山峠です。
 
 小瀬峠   地図
 おぜとうげ 標高 940m

 旧R304の細尾トンネル城端側手前を右に入り、昭和54年度開通の袴腰林道を進み城端・上平の村境(新小瀬峠改め袴越峠)からの遊歩道から行けます。(村境の手前からも行くことができる。)約20分位歩けば、峠です。

 峠 ( 標高 940m ) は、ひなびた感じを通り越し、寂しさをかもし出しています。小さなお地蔵様、朽ち果てそうな小屋が何とも言えません。(お地蔵様は雪害のためか、壊れたらしい)
 峠からは、旧細尾峠、尾瀬集落 ( 一軒しかないが、その一軒が元Y・H ) に向かう道があります。秋がオススメですが、熊に注意。登山者は皆、熊よけの鈴を付けてます。単独では行きたくない峠です。

 小瀬は西赤尾の行徳寺と城端の善徳寺を結ぶ宗教の道であり、五箇山と南砺波地方を結ぶ交易の道でもあった。

 この峠道は藩政時代にシャクナゲの道として親しまれていたらしい。とくにこの峠道の中間点に当たる小瀬峠尾根にシャクナゲが繁茂し、初夏には旅人を楽しませたといわれる。そして小峠を越え城端町上田に通じていた。


 画像上、
 細尾峠より2、3km地点。写真は旧細尾峠方面を写す。2001年11月
 画像中、小瀬峠 お地蔵様 1979年11月4日。
 画像下、 小瀬峠 1979年11月4日。
 
  




 
 唐木峠   地図
 からきとうげ 標高 690m

 R304から縄ヶ池に通じる林道高清水線から攻めましょう。
峠への入口に看板が設置してあると思う。夫婦滝を過ぎたら行き過ぎです。正統派を気どるのならば?、旧若杉部落跡から攻めるのも良し。

 峠までは、遊歩道です。歴史のある峠で、石畳が敷き詰めてあります。MTBなら一部区間、乗車可能だと思うが?
 峠は、標高690m。歩いて約30分チョイ。見晴らしは、期待しないで下さい。景色を期待したい方は、峠から通じる高落葉山1,120mへ登って下さいませ。

 峠には説明看板があり、結構整備されてます。峠から、朴峠(唐木峠の説明板では朴木峠になっていたが、鹿熊峠の説明板では朴峠)へ通じてます。


画像上、1980年10月5日 峠への登り。
画像下、 1982年10月31日 唐木峠。こらこら、勝手に抜くんじゃない。
 



 
 小峠   地図 たぶんここ辺りだと思う…
 標高 615m

 資料探しにHPを検索していたら出てきました。小峠は小瀬集落→小瀬峠→小峠→城端町上田を経由する。
 細尾トンネル入口から袴腰林道を約1km進むと、道路左側に洞窟がある。この洞窟は1926〜45年頃まで石灰を焼いた窯跡で城端町上田の人々は「小峠の原の石灰窯」と呼んでいたという。窯跡は入口が小さく草に隠れているので見つけるのは大変困難である。小峠からの道はそこ辺りにつながっていたと思われる。(越中山河覚書T、参照)
 小峠には不動尊が祀られてあったが、細尾トンネル内に移転され、1979年に細尾トンネルの城端側出口に移転された。

 富山県歴史の道調査報告書の「城端町から小瀬峠を経て小瀬まで」を、ここに載せときます。
 
 杉尾峠     地図
 すぎおとうげ 標高 1,080m

 赤祖父林道からの登山道を登り、城端町、平村の境に峠があります。峠を下りると杉尾部落経由でR156に抜けれます。

 ばった@母が、地元のハイキングクラブ主催のハイキングで攻めている。道の詳細を聞くが何一つ憶えていないらしい。まぁ、行事名が 「 山菜天ぷらハイキング 」 じゃ、しかたないか…
 
 袴腰峠   地図
 はかまごしとうげ 標高約 900m

 旧R304の細尾トンネル手前を右に入り袴腰林道(昭和54年開通)を進み、城端・上平の村境が峠です。ピークは城端側にある。
 これまでこの峠はTCF内では新小瀬峠と表現していた。それは続越中の街道(ふるみち)で、この峠を小瀬峠にかわり、言うならば新小瀬峠である。と表現されていたからである。当然、まわりからは認知はされてはいなかった。

 しかし2000年国体が富山で行われ、この峠が上平縦走コースのゴール地点となり袴腰峠と表記されたのである。こうなったら完璧な峠?でしょう。


 画像上 1979年11年04日 TCFクラブランより
 画像下 2002年08月14日
 



 
 ひだまり峠     地図

 縄ヶ池のパラグライダー発信基地から伸びる林道を上り、城端町、平村の境が峠。この道は新道で、縄ヶ池から出ている林道が正式な道だと思う。

 峠には高落場山へ通じる登山道があり、車数台駐車可能な広場になっています。峠からの下りは、始めの分岐までは急坂です。分岐を右方向に進めると梨谷川に架かる橋にでます。左方向は数年前に行ったけど行き止まりみたいです。梨谷川に架かる橋から左方面はR156へ。右方面は平スキー場の入口に抜けれます。

画像、パラグライダー発信基地〜ひだまり峠。最高標高地点。1分も下らないうちに峠に着きます。1995年10月
 

 
 朴峠   地図
 ほおとうげ 標高 849m

 R304から縄ヶ池に通じる林道高清水線から攻めましょう。
 唐木峠からは道は荒れています。
 はっきり言うと、草ボーボー。苦労しまっせ〜。

 五箇山と南砺(南部砺波地方)を隔てる高落場山1,122mから細尾峠に連なる稜線の間の鞍部に位置し、平村と城端町の境界にある峠。
 朴峠越えは五箇山街道と呼ばれ、すでに加賀藩初期の正保四年(1647)の古文書登場しており、歴史は古い。五箇山と城端を結ぶ最短コースとして、五箇山の人達には、最も多く利用されたルート。

 2002年06月23日、行ってきました。
 旧R304からの林道経由です。結構急坂で大半を押してしまった。旧五箇山街道はいつの間にか、中部北陸自然歩道となっていた。要所に看板があり道の歴史についての説明も載っている。

 峠より平側に100m行くとお助け小屋跡地があります。峠の説明板によると「お助け小屋峠」と表記されている。景色は期待しないで下さい。
 あっ!峠の地蔵堂を探すのを忘れた…(お地蔵様は梨谷に移転されたらしい。)


 写真上    朴峠1982年10月31日
 写真真ん中  朴峠2002年06月23日
 写真下    朴峠2002年06月23日
 





  
 細尾峠   地図
 ほそおとうげ 標高 735m

 旧R304の城端町、平村の境にあるトンネルです。地図ではトンネルが峠という表記はされていません。なぜならトンネル上方向に細尾峠があるからです。
 最近、城端町側1km手前に、旧細尾峠入口の看板が出現。旧と書かれたからには、トンネルも峠と認めましょう。

 トンネルの改修工事も終わり、昔のイメージはありません。峠の茶店もお化け屋敷状態になってます。
 茶店の名前がわかりました。「一本杉」という名前です。五箇山トンネル開通後もしばらくは営業していたようです。

 R156は「 いちころ線 」 と呼ばれている。由来は、いちころで通行不可能になるから…( まぁ、現在は余程のことがない限り通行不可能にはなりません。)そのため、旧R304が五箇山方面に向かう主要道路であった。あの狭い道を大型バスが通っていたんだもんな〜

 旧細尾峠は明治20年(1887年)に開通した。(明治23年という話もある。)朴峠や小瀬峠が牛方の道であるのに対し、細尾峠は馬方の道であった。また、冬季でも雪崩の危険性が少なかったらしい。旧細尾峠は2001年12月に平村の指定文化財に指定された。


 画像上、 1979年7月8日。このときは現役のR304細尾峠。
 画像中、2001年11月18日。旧R304細尾峠。
 画像下、2001年11月18日。旧R304細尾峠手前1km。旧細尾峠入口
 





  
 明神峠
 みょうじんとうげ

 過去、ここでは「索道峠」として載せてました。 がっ、正しい峠名が在ることが分かったので訂正して載せておきます。
 明神峠は、道宗の道にある峠です。
 日溜まり(日だまり)峠〜高清水山〜明神峠〜杉尾峠〜大尾峠〜新山峠です。(還暦記念y_ogawaさんのホームページを参照しました。)

 過去の記述も載せておきます。



 索道峠

 これを峠にあげていいのかな…悩む!
 城端・平にある峠?で、庄川電力開発(祖山ダム)の資材を運ぶために造られた峠。庄川沿いには車道は無く、資材を運ぶために、まずは杉尾峠を利用するボッカが活躍したという。その後索道が設けられ、城端から平に資材が運ばれた。ちなみに、庄川沿いに車道ができたのは昭和10年だとか。
 ルートは、ひだまり峠から高清水山系の北方面への尾根道(道宗の道)沿いを進むルートと、杉尾峠から南方面への平らな尾根道(道宗の道)を約600m(小高い頂きを2つ越す。)進むと索道峠らしい…
 道宗の道とは、約500年前に五箇山に浄土真宗を伝えたお坊さんの名で、井波から上平の西赤尾までの道だとか。近年、整備されたと聞く。 
 

 28008f 平村 
 
 大尾峠

 道宗の道(井波〜西赤尾)にある峠でらしい…汗 道宗の道とは、約500年前に五箇山に浄土真宗を伝えたお坊さんの名で、井波から上平の西赤尾までの道だとか。近年、整備されたと聞く。
 峠の場所は、日溜まり(日だまり)峠〜高清水山〜明神峠〜杉尾峠〜大尾峠〜新山峠です。
 
 お助け小屋峠   地図
 おたすけごやとうげ

 朴峠より平側に100m進んだ所にあります。アップダウン無し。ただし、草ボーボー。

 小屋は通行人の休憩所、産物の行き来のチェック、流刑人の逃亡の取り締まり、そして、避難小屋の機能を果たしていた。管理人の名に、助右衛門の名が在り助右衛門の一族の世襲で小屋を営んでいた。この子孫の名前が驚くことに、朴峠の名字で大坂に住んでいらっしゃる。そして、峠より平側の約8ヘクタールの山林が今も(昭和60年の讀賣新聞 北陸の峠を参照)朴峠家の所有である。名実共に朴峠の主である。
 小屋は合掌造りで明治35年に梨谷地区に移転され昭和30年代後半に村を疎開したが小屋は買い手が決まり引き取られた。引取先は羽咋市のゴルフ場で休憩場所として残っているらしい。


 写真上下とも、2002年06月23日
 



 
 鹿熊峠     地図
 かくまとうげ 標高 730m

 旧R304、平スキー場から始めのスノーシェッドを越え、数十m付近に峠の入口あり ( 看板あり )

 前日に雨が降ったせいか、路面は落ち葉が水を吸いぐちゃぐちゃであった。旧R304より歩いて15分チョイで峠に着くが、峠の名前に熊が付くので大変恐ろしかった。峠での展望は期待しないで下さい。峠から、相倉、上梨の村上家に通じているらしい。しかし、旧R304側より勾配が急みたいです。
 昭和48年3月13日 富山県告示第213号で、「 公園計画の決定 」 で旧五箇山街道が認定されている。鹿熊峠の入口にも、案内看板やベンチなどが設置されている。しかし、だいぶん年期が入ったものになっている。訪れる人も少ないのではなかろうか?

 2005年06月23日、MTBで上の杉ノ峠経由で行きました。上梨側は結構荒れており、所々轍が水でえぐり取られている。梨谷側は、下りに関しては乗車okです。転けたけど…w 


 画像上  鹿熊峠。
 画像中  峠より上梨方面の下り。
 共に2001年11月18日 鹿熊峠。
 画像下  上梨側から峠を望む。2005年06月23日
  




 
 杉ノ峠(上の杉ノ峠)     地図
 すぎの峠 標高 500m

 鹿熊峠から上梨に通じる間にある峠です。(鹿熊峠〜相倉への分岐〜鹿熊峠) 峠には大杉と、お助け地蔵と呼ばれるお地蔵様がいらっしゃる。上梨からだと1kmの行程で、標高差は220m… ハードです……。越中山河覚書Tを参照。

 画像は、上の杉ノ峠の大杉とお地蔵様。
 2005年06月25日
 

 
 杉ノ峠(下の杉の峠)     地図(多分…)
 すぎのとうげ 標高730m

 梨谷から来栖に通じる峠です。
 富山県歴史の道調査報告書には、この峠が出ていた。(上の杉ノ峠はでてなかったのよね…) しかし、越中山河覚書Tを見ると梨谷〜上梨の峠となっている。???になったのだが、石黒信由の加越能地図を見ると、、、2つあるのね、、、納得しますた。

 来栖には、「右梨脂城端道 左山道」と刻まれた道標があり、これは昭和03年11月に途絶えてしまった古道を守る為に建てられた物という。道は酷く窪んでいて、約1時間の歩きで峠に達するらしい。(続越中の街道古道を参照)

 画像上
 小来栖にあるという道標。

 画像上
 2005年06月25日、下の杉ノ峠。
 
  


 
 杉尾峠     地図
 すぎおとうげ 標高 1,080m

 赤祖父林道からの登山道を登り、城端町、平村の境に峠があります。峠を下りると杉尾部落経由でR156に抜けれます。

 ばった@母が、地元のハイキングクラブ主催のハイキングで攻めている。道の詳細を聞くが何一つ憶えていないらしい。まぁ、行事名が 「 山菜天ぷらハイキング 」 じゃ、しかたないか…
 
 ひだまり峠     地図

 縄ヶ池のパラグライダー発信基地から伸びる林道を上り、城端町、平村の境が峠。この道は新道で、縄ヶ池から出ている林道が正式な道だと思う。

 峠には高落場山へ通じる登山道があり、車数台駐車可能な広場になっています。峠からの下りは、始めの分岐までは急坂です。分岐を右方向に進めると梨谷川に架かる橋にでます。左方向は数年前に行ったけど行き止まりみたいです。梨谷川に架かる橋から左方面はR156へ。右方面は平スキー場の入口に抜けれます。

画像、パラグライダー発信基地〜ひだまり峠。最高標高地点。1分も下らないうちに峠に着きます。1995年10月
 

 
 朴峠   地図
 ほおとうげ 標高 849m

 R304から縄ヶ池に通じる林道高清水線から攻めましょう。
 唐木峠からは道は荒れています。
 はっきり言うと、草ボーボー。苦労しまっせ〜。

 五箇山と南砺(南部砺波地方)を隔てる高落場山1,122mから細尾峠に連なる稜線の間の鞍部に位置し、平村と城端町の境界にある峠。
 朴峠越えは五箇山街道と呼ばれ、すでに加賀藩初期の正保四年(1647)の古文書登場しており、歴史は古い。五箇山と城端を結ぶ最短コースとして、五箇山の人達には、最も多く利用されたルート。

 2002年06月23日、行ってきました。
 旧R304からの林道経由です。結構急坂で大半を押してしまった。旧五箇山街道はいつの間にか、中部北陸自然歩道となっていた。要所に看板があり道の歴史についての説明も載っている。

 峠より平側に100m行くとお助け小屋跡地があります。峠の説明板によると「お助け小屋峠」と表記されている。景色は期待しないで下さい。
 あっ!峠の地蔵堂を探すのを忘れた…(お地蔵様は梨谷に移転されたらしい。)


 写真上    朴峠1982年10月31日
 写真真ん中  朴峠2002年06月23日
 写真下    朴峠2002年06月23日
 





 
 細尾峠   地図
 ほそおとうげ 標高 735m

 旧R304の城端町、平村の境にあるトンネルです。地図ではトンネルが峠という表記はされていません。なぜならトンネル上方向に細尾峠があるからです。
 最近、城端町側1km手前に、旧細尾峠入口の看板が出現。旧と書かれたからには、トンネルも峠と認めましょう。

 トンネルの改修工事も終わり、昔のイメージはありません。峠の茶店もお化け屋敷状態になってます。
 茶店の名前がわかりました。「一本杉」という名前です。五箇山トンネル開通後もしばらくは営業していたようです。

 R156は「 いちころ線 」 と呼ばれている。由来は、いちころで通行不可能になるから…( まぁ、現在は余程のことがない限り通行不可能にはなりません。)そのため、旧R304が五箇山方面に向かう主要道路であった。あの狭い道を大型バスが通っていたんだもんな〜

 旧細尾峠は明治20年(1887年)に開通した。(明治23年という話もある。)朴峠や小瀬峠が牛方の道であるのに対し、細尾峠は馬方の道であった。また、冬季でも雪崩の危険性が少なかったらしい。旧細尾峠は2001年12月に平村の指定文化財に指定された。


 画像上、 1979年7月8日。このときは現役のR304細尾峠。
 画像中、2001年11月18日。旧R304細尾峠。
 画像下、2001年11月18日。旧R304細尾峠手前1km。旧細尾峠入口
 





 
 明神峠
 みょうじんとうげ

 過去、ここでは「索道峠」として載せてました。 がっ、正しい峠名が在ることが分かったので訂正して載せておきます。
 明神峠は、道宗の道にある峠です。
 日溜まり(日だまり)峠〜高清水山〜明神峠〜杉尾峠〜大尾峠〜新山峠です。(還暦記念y_ogawaさんのホームページを参照しました。)

 過去の記述も載せておきます。



 索道峠

 これを峠にあげていいのかな…悩む!
 城端・平にある峠?で、庄川電力開発(祖山ダム)の資材を運ぶために造られた峠。庄川沿いには車道は無く、資材を運ぶために、まずは杉尾峠を利用するボッカが活躍したという。その後索道が設けられ、城端から平に資材が運ばれた。ちなみに、庄川沿いに車道ができたのは昭和10年だとか。
 ルートは、ひだまり峠から高清水山系の北方面への尾根道(道宗の道)沿いを進むルートと、杉尾峠から南方面への平らな尾根道(道宗の道)を約600m(小高い頂きを2つ越す。)進むと索道峠らしい…
 道宗の道とは、約500年前に五箇山に浄土真宗を伝えたお坊さんの名で、井波から上平の西赤尾までの道だとか。近年、整備されたと聞く。 
 
 柳峠   地図
 やなぎとうげ 標高 490m

 平村大崩島〜利賀村長崎の林道大牧線にある峠で、大崩島〜祖山にある。1981年に大牧線が開通したが対岸のR156から見る限り、荒れまくっています…古道でもあるらしいが、生活のために使われた道ではなく、村人が農業のために使用した道みたい。この林道を使えば、船でしか行けないとされる大牧温泉に自転車で行く事が可能である。
 
 画像は、2005年12月05日、大崩島のゆー楽より。
 

 
 山の神峠(A)   地図
 やまのかみとうげ(A) 標高 890m

 平村東中江〜利賀村阿別当にある峠。旧山の神トンネルを峠とする見方があるが、旧トンネル上に本当の峠がある。

 峠は、旧トンネル利賀側手前からの道を自転車を押して約15分。旧峠には、巨大な杉の木、小屋、お地蔵様がある。峠から平村への道は旧山の神トンネルからの道ではなく、現広域林道と猫池の間位を通り夏焼に通じていた。
 何年か前に地元テレビで猫池の事が放送された。アナウンサーと地元の案内人が峠から猫池へヤブ漕ぎ約2時間かけたどり着いていた。
 猫池の名の由来は、猫の額のように狭いから来ています。池には浮島があり子供位の体重なら乗っても大丈夫らしい。
学術的には池が湿地帯になる過程の一つの状態で、訳が解らないがめずらしいらしい。

 TCFではこの山の神峠を 「 山の神峠A 」 と呼んでいます。そして、利賀そばの郷から利賀村上百瀬にある峠を 「 山の神B 」(柴峠) と呼んでいます。理由は新聞で、「 この2つの峠をまとめて山の神峠と呼ばれていた。」 と記載されていたからです。

 山の神峠Aは地図上にも峠と表記され結構有名ですが、山の神B は知る人ぞ知ると言った処でしょうか?

 2001年12月に平村の指定文化財に指定された。残念ながら、地蔵堂はバラバラに崩壊。


 画像上、 1978年5月 平村からの上り。ワイヤーリードがぶっ飛び変速できず!
 画像中、1979年7月8日。現在旧山の神トンネル利賀側。
 画像下、1980年7月13日 山の神峠。
 
  




 

 28008h 利賀村 
 
 一本杉峠(一本杉の峠)   地図
 いっぽんすぎとうげ 標高約734m

 山田村深道(廃村)から利賀村栗当(脇山大橋近く)に通じる峠です。山田村の山中(廃村)と数納(廃村)から通じている。主要地方道富山−庄川線(県道59号線)という話もあるが?
 1/5万地形図では点線道路ですが、1980年に通ったときは確認できませんでした。

 2003年04月27日、攻めてみましたが返り討ちに…
 画像、 2003年04月27日。脇谷大橋、r59終点。ここから攻めます。
 

 
 牛首峠   地図
 うしくびとうげ 標高 1,084m

 岐阜県大野郡白川村荻町地内と富山県東砺波郡利賀村大勘場地内の水無ダムを結ぶ峠。文化11年(1814年)の「越中五箇山図」ではスカノコ峠と記してある。

 1979年4月22日に攻めました。水無ダムからの道が凄く荒れており、峠までオール押し&担ぎ!石はゴロゴロ、川は横切るわ、峠2km手前からは残雪攻撃…
 峠に着いても展望が良くない。看板等も何も無し。愛想もない峠であった。峠から白川村に向かって2本道がのびている。野生のカンで右側の道を選ぶが(残雪が少なかったので)、500m位で行き止まり。また峠に戻り左側の道を進む。(2km位、雪の上を押す。)雪が無くなり快調に砂利の下りを楽しむが、地図に無い道があちらこちらに出てくる。
峠からの下りは下って当たり前の理論でひたすら下る。約1時間下り(仲間のパンク修理、地図チェック含む)、山菜採りのファミリーと出会う。
 いや〜、泣きました。本当に涙が出た。人に会えたんだもん。「白川村に抜けれますか?」の問いに、「抜けれますよ〜」の答えに、又泣いた…しばらくすると、白川村が見えた。田んぼに水を張った直後なのか太陽の光を反射し幻想的な風景だった。
 帰りが又大変であった。まだ合掌大橋などが完成する前である。庄川沿いのくねくねした道をひたすら高岡へ。朝4時に高岡を出発し、到着が午後6時半。約160km。疲れた…
 翌日、写真を現像に出したがASA400のフイルムなのにASA100で写していたため、全滅。あぁー悲しい…
 
 高清水峠     地図
 こうしみずとうげ

(資料を見ていたら「桜峠」と言う表示がなされていた。今は高清水峠で通します。)

 山田村から県道59(富山庄川線)を山田川をさかのぼり途中の分岐で山田川の左岸へ、渡ります。渡ればすぐに居船(いぶね廃村、昭和6年以前は以無称。山中にある村なのに富山湾の船が見えたから付いた名前らしい)で林道居船線がでており、そこから深道(ふかどう廃村)経由で林道の最高標高地点が高清水(こうしみず昭和42年廃村。加賀藩と富山藩の境で主に加賀藩の役人が住んでいた。そのため住人が移り住みできた村。約300年前。)です。ここに分岐があり数m上ると利賀村との村境です。

 村境には森に囲まれた神社がありますが、引き払った後なのか何も残っていません。神社の名前は大抜神社です。ここを下れば高沼、脇山大橋に抜けれます。高清水から林道を下ればR471にでます。近くには、山田川右岸の林道、越道峠の入口、そして栃折峠手前にある怪しげなトンネルがあります。
 峠は林道の最高地点なのか、それとも山田村と利賀村の境なのかわかりません。

 林道居船線は80、81年と攻めました。
80年度に攻めたときは、自転車に乗車する事ができました。所々、道が腐り(変な表現ですが、トチノキの実が絨毯のようにひきしめられ、それが腐りヘドロ状態になっている。物凄くくさい。)苦労するぐらいでした。
 81年度に攻めたときは、56豪雪の影響か道は荒れ放題で押し、担ぎのオンパレードで苦労しました。高清水線の途中に住んでいたおじいさん(一軒家で、なにか彫金の作業をしていた。当然、電気・水道無し。清水を引いていらっしゃったので水を分けて貰った。)もいなかった。
この道も廃道でしょうな〜。

 この峠だけを攻めるのであれば、利賀村からどうぞ。
結構勾配が強く、道は荒れ放題ですが距離が短いのでなんとかなるでしょう。林道居船線は、、、?昔、R471を通ったとき林道入口に巨大なコンクリのブロックが置いてあった、、、現在、高清水村跡までは通れるみたいです。

 2003年04月27日、文字どおり逝ってきました。脇谷から攻めたのですが4月末なのに残雪が多く、往生こきました。居船林道も残雪が多く、一つ間違えば妙厳峡に真っ逆様…高清水は水芭蕉が咲き誇っていたのが印象的でした。


 画像上、1980年 深道あたり
 画像2枚目、1981年 R471から約2km
 画像3枚目、 1981年 林道最高標高地点。画像の左上のポッカリ空いた辺りが大抜神社。右横が村境です。
 画像下、 2003年04月27日 村境。山田村から利賀村方向です。
 







 
 越道峠     地図
 こえとうとうげ 標高 791m

 標高780m、コエトウ峠と呼びます。同じ名の峠が朝日町にもありますが、こちらはコイド峠と呼びます。R471 北豆谷から攻めた方が良さそうですな。高峰山入口の看板?電柱?があるので入口はすぐにわかるでしょう。
 峠は切り通しタイプで、お地蔵様があります。展望は期待しないで下さい。出来れば、高峰山1,071mとのセットメニューで攻めて下さい。
 山頂にはNTT?のパラボラ、アマチュア無線のレピーター、神社等があり結構賑やかです。話によると、呉西で電気が通じている標高の一番高い山だそうです。天気が良ければ、富山湾の景色を眺めることができます。

 高峰山で無線運用したことがあります。2mハンディー機、0.35wで金沢方面と交信し59を貰う。当時、利賀村運用局が少なかったので、パイルの嵐だった。良い時代であった、、、

 なお路面は北豆谷側の一部が舗装。残りは砂利道です。峠→百瀬川は結構荒れています。それと水場が無いので要注意。


 画像上、1993年、越道峠。派手なウェアーが似合わない峠である。
 画像中、1993年、高峰山山頂。
 画像下、1993年、高峰山からの下り。
 





 
 柴峠   地図
 しばとうげ 標高 840m

 利賀村豆谷〜上百瀬入谷に通じていた峠。大豆谷の利賀郵便局から百瀬地区に郵便物を配る最短コースで局員が利用したが、昭和31年に楢尾峠のトンネルが開通し廃れた。

 利賀村の自然解説員らでつくる「利賀飛翔の会」が柴峠の旧道を村の歴史や植物を紹介する「歴史の道」として再整備した。(2002/12/29北日本新聞朝刊)。その他、「利賀富士」と呼ばれる尾洞山(943メートル)に約5キロの登山道や旧楢尾峠を「歴史の道」として復活させている。う〜ん・・・、御苦労様。

 画像、2005年06月19日
 峠手前で路面崩落。
 
  
 
 杉峠(TCFでは山の神峠B)   地図
 すぎとうげ 標高 791m

 利賀村阿別当〜上百瀬にある峠。上百瀬側から上れば勾配はそんなにきつくありません。距離も短いです。阿別当側は、利賀そばの郷、西勝寺からの道から攻めることが出来ます。こちらはハードです。

 山の神A、Bのセットで山の神峠と地元では呼ばれていたみたいです。TCFでは区別するためA、Bと表記しています。どちら側からも攻めているが、お地蔵様は拝んでいない。HPでまとめていたら、腹が立ってきた!いつかリベンジ、、、

 2002年07月14日、行ってきました。いつの間にか中部北陸自然歩道になっている。阿別当側からの道も1/3が舗装路になっている。上百瀬側の道は結構荒れていた。

 百瀬は倶利伽藍の合戦に敗れて五箇山に逃げ込んだ平家の残党が、一の瀬から二の瀬へと曲がりくねった渓流を渡って奥に進むうちに、安住の地を探し当てたときに、それが百の瀬にも及んだことから付けられたといわれている。
山々に閉ざされた百瀬川流域の平家の子孫にとって山村を結ぶ峠道は唯一の交通路である。
百瀬川と利賀川を結ぶ峠には楢尾峠やもう一つ下流に越道峠があるが、この山の神峠は百瀬集落から井波ばかりではなく平村、城端を結ぶ道として重要であり、井波、城端の判方商人とも結ばれていた。
またこの道から信仰の厚い村民が、西勝寺(坂上)、瑞泉寺(井波)、善徳寺(城端)へお参りに使用した。

 現在の峠は昔の道とは違う所を通っていたみたいです。峠より遊歩道が延びており「峠の散策みち」(だったかな?)の看板がある。阿別当からの道も旧道らしきものが残っており、「どんぐりの道」(だったかな?)の看板が立っている。道は上百瀬分校(廃校)に通じていたのだが、現在は上百瀬分校(廃校)より少し南側の神明宮の横に抜けている。上百瀬分校(廃校)からの登り口には不動明王の石仏が置かれてある。残念ながら拝んでない…続越中の街道(ふるみち)参照。

 調べていたら、杉峠なる名前がでてきました。富山県歴史の道調査報告書(飛騨街道2)参照


 画像上、杉峠(山の神B峠) 1980年06月08日。
 画像2、峠のお地蔵様 1980年06月08日。
 画像3、 杉峠(山の神B峠),上百瀬方面を望む。2002年07月14日。
 画像下、峠のお地蔵様。2002年07月14日。
 






  
 
 栃折峠   地図
 とちおりとうげ 標高 627m

 R471、百瀬川地区、栃折地区の境にある峠です。
 国道なので舗装路です。400台の国道なので、道幅は狭いです。利賀村村営バスが現れたら、車だったら恐怖です。
 峠は、百瀬から攻めると楽勝。逆コースは攻めたことがないので解りません。ただ、気持ちよ〜く、長〜く下った記憶があるんで逆コースは…

 峠近くに、怪しげなトンネルがあります。
 当時、用水だろうと思っていたのですが、人が通るトンネルらしいです。同じ様なトンネルが利賀村の北豆谷にあります。雪深い場所なので、あんなトンネルでも役に立ったのでしょう。

 現在、八尾側の道路を改良工事しています。
 少しずつですが昔のイメージが無くなりつつあります。

 画像は2002年07月13日
 画像上、八尾側から利賀村方面
 画像下、峠にあるお地蔵様
 



 
 栃原峠   地図
 とちわらとうげ 標高 720m

 井波町〜利賀村栃原にある峠。
 現在の1/2万5千の地形図には道は載ってません。77年頃買った1/5万地図には点線で表記されてた。( 探しても見当たらない)赤祖父林道からの枝道である八乙女林道(だったと思う?)を横切っているのですが、80年にここを攻めたとき、地図をチェックしながら走ったのですが解らんかった…当時、すごく行きたかったのだがまわりの声 「 俺はヤダ。」 「 道では無いでしょう。」「 行くなら一人で、、、」 等々,あたたかい励ましがあり断念。

 この峠は井波町の??寺のお坊さんが檀家巡りに使った道らしい。同じ様な峠に、杉尾峠、小瀬峠があります。昔のお坊さんって、すごかったんですね〜。

 2002年5月、行ってきました。八乙女峠より延びる林道から行けます。昔の道は確認できませんでした。

画像上、峠の大杉
画像下、栃原峠
 



 
 長谷峠
 ながたにとうげ

 利賀村入谷から八尾町長谷川の清水に通じている峠であったが、現在は林道となっているらしい。(しかし、地図で確認するが林道が見当たらない…)峠を長谷川に乗り越したところにお地蔵様があるらしい。

 富山県山名緑に面白い話が載っている。
 江戸の頃にこの峠で強盗が人を殺して埋め、この地蔵さんに「誰にも言わんでくれ」と頼んだところ、地蔵さんは「わしゃ言わねど己が言うんじゃろう」と言った。3年後の村祭りの時、その男が獅子舞のシシトリ役になって踊り話す中で「おら人殺した」と歌ってしまい直ぐに取り押さえられたという話が伝えられている。(富山県山名緑より)
 
 楢尾峠   地図
 ならおとうげ 標高 830m

 利賀村利賀地区〜百瀬地区にある峠。昔の1/5万地形図には峠として表示してあったらしい。トンネルが開通し、峠への道はすたれたが道跡は残っているらしい。
 
 野田の尾峠   地図
 のだのおとうげ 標高 1.372m

 水無よりカラ谷を溯り、河合村羽根に通じる峠。大正元年(1912年)測図の1/5万地図に載っていたらしい。二ツ屋峠を新野田の尾峠と記する著書もあるらしい。

 まぁー、自転車じゃチョット(かなり)無理っぽい。
 
 ひとまち峠(人待ち峠)
 ひとまちとうげ 標高約 1,270m

 利賀村スノーバレースキー場のピークより金剛堂山への稜線(利賀村、八尾町の境)にある峠。
 どこだろ?峠の標識はあるらしい…自転車は無理?
 
 二ツ屋峠   地図
 ふたつやとうげ 標高 1,250m

 県道利賀河合線r34号の富山岐阜県境が峠です。峠には県境の看板、お地蔵様、白木水無県立自然公園の看板があり結構賑やかですが、薄暗く秘境感をただ寄せています。なお、峠は分水嶺になっている。この峠の名称を知っている人はほとんどいないんじゃなかろうか?でも、HP「旅と峠」に載っていたので私ゃメチャ驚いた。
 1978〜9年頃、北日本新聞に週一の掲載で「富山の峠(だったと思う)」に紹介されていました。それによると、二ツ屋峠〜楢峠間は二ツ屋高原と呼び距離は短いが高原サイクリング?を楽しめます。
 利賀、八尾、角川からの3通りの攻め方ができますが現在大規模な道路工事のためどのルートも通れません。r34号なんか道路陥没ですわ。(峠〜水無は砂利道で標高差200m以上) 富山県も険道から県道にするため本格的な工事に取り掛かっているみたいです。
「越中山河覚書T」という著書には原山峠という名で紹介されています。この本の中に、水無八幡宮横の一軒家に住んでいたおばあちゃんの話が載っています。地図に二ツ屋峠と載っているのもあるので、ここでは二ツ屋峠とします。


 画像上、1980年8月17日、二ツ屋峠。
 画像下、1980年8月17日、二ツ屋峠。
 



 
 二ツ屋峠     地図
 ふたつやとうげ 標高 314m

 国道471号線の砺波市庄川町と南砺市利賀(旧庄川町と旧利賀村)境にある峠です。

 明治期、小牧から利賀への有料道路である牛嶽車道が開設。
 開設以前は二ツ屋集落を経由して利賀へと向かっていたという。
 道路が開設され村境を二ツ屋峠といったとか。(利賀村史より)

 峠という感じは微塵もありません。
 利賀まで「はぁはぁ。」しましょう。。^^


 画像上
 国道471号線の砺波市庄川町と南砺市利賀(旧庄川町と旧利賀村)境

 画像中
 利賀に向かって左にある石仏。

 画像
 上利賀に向かって右にある石仏。


 2010年03月xx日
 





 
 蛇越峠   地図
 へびこしとうげ 標高約 730m

 利賀村菅沼(昭和33年廃村、現在の菅沼ダム辺り)から八尾町薄尾(すすきお、昭和45か46年廃村。第二発電所の真上辺り標高550m位にあった村)に通じる峠。
 
 ほくらの峠
 ほくらのとうげ

 利賀村千束集落から白谷山(しらたにやま、1411.1m)の北谷を詰め、ほくらの峠を越え百瀬川に出る山道があったらしい。(富山県山名緑より)
 
 水無峠(東俣峠)     地図
 みずなしとうげ

 県道利賀河合線r34号利賀村水無地区〜利賀村入会地にある峠。もち、砂利道。

 山関係の人は、東俣峠と呼んでいます。沢の名前が東俣谷だからでしょうか?水無峠の名前は地元の方に聞きました。あえて水無峠にさせて貰います。
 峠から金剛堂山に通じる登山道があります。たしか、1時間もかからないんじゃなかろうか。反対側に林道があり、話によると大勘場に通じているというが…?

 峠〜水無は凄い坂です。もち、砂利道。そしてヘアピンの連続。サーフじゃ一回で曲がれきれなかった。落ちたら死ぬでぇ〜。山菜採りの季節には結構車が通ります。注意、注意。道はr34に抜けれます。右方面は水無ダム方面へ。(舗装路です。川が道を横切っています。気持ちいいですよ〜)左方面は二ツ屋峠へ。荒れてます。通行止め状態。

 峠〜利賀スノーバレースキー場は砂利道ですがカーブも緩やかでスピードが乗りやすく、ランドナーじゃフロントが暴れるのを押さえるのに苦労する。チョットでも気を抜くとパンクですわ。

 利賀スノーバレースキー場側から攻めた方が良さそうな感じがするんですが?r34に出て舗装の緩やかな下りをチンタラと走るのが良いんじゃなかろうかと思う。


 画像上、1980年6月8日、水無峠への上り。
 画像中、1980年6月8日、水無峠。
 >画像下、1992年7月5日、水無峠。利賀MTBツーリングなのにランドナーが1台?
 





 
 八乙女峠   地図
 やおとめとうげ 標高 690m

 井波町〜利賀村下原にある峠。
 井波町からだと、2ルートあります。( 林道東大谷線、林道八乙女線 ) どちらも舗装路でしょう。
 峠〜栃原は、砂利道です。(現在、舗装工事中、通行止め)途中、OMサンタの森スキー場のゲレンデを2回横切ります。

 推薦ルートは、R156→新杉谷峠→ 林道東大谷線( 体力があれば林道八乙女線経由でもよい)→八乙女峠→栃原峠→栃原→R156

 小牧ダム付近まで車で自転車を運べば、手軽な周遊コースを楽しめます。


画像上、1980年 八乙女峠。
画像下、2002年5月 八乙女峠。
 



 
 山の神峠(A)   地図
 やまのかみとうげ(A) 標高 890m

 平村東中江〜利賀村阿別当にある峠。旧山の神トンネルを峠とする見方があるが、旧トンネル上に本当の峠がある。

 峠は、旧トンネル利賀側手前からの道を自転車を押して約15分。旧峠には、巨大な杉の木、小屋、お地蔵様がある。峠から平村への道は旧山の神トンネルからの道ではなく、現広域林道と猫池の間位を通り夏焼に通じていた。
 何年か前に地元テレビで猫池の事が放送された。アナウンサーと地元の案内人が峠から猫池へヤブ漕ぎ約2時間かけたどり着いていた。
 猫池の名の由来は、猫の額のように狭いから来ています。池には浮島があり子供位の体重なら乗っても大丈夫らしい。
学術的には池が湿地帯になる過程の一つの状態で、訳が解らないがめずらしいらしい。

 TCFではこの山の神峠を 「 山の神峠A 」 と呼んでいます。そして、利賀そばの郷から利賀村上百瀬にある峠を 「 山の神B 」(柴峠) と呼んでいます。理由は新聞で、「 この2つの峠をまとめて山の神峠と呼ばれていた。」 と記載されていたからです。

 山の神峠Aは地図上にも峠と表記され結構有名ですが、山の神B は知る人ぞ知ると言った処でしょうか?

 2001年12月に平村の指定文化財に指定された。残念ながら、地蔵堂はバラバラに崩壊。


 画像上、 1978年5月 平村からの上り。ワイヤーリードがぶっ飛び変速できず!
 画像中、1979年7月8日。現在旧山の神トンネル利賀側。
 画像下、1980年7月13日 山の神峠。
 
  




 

 





































  404 Not Found   そんなところに峠なんてないっす!

 














































    

  404 Not Found   氷見郡は高岡市と氷見市に統合されたらしいっす!