小峠   地図 たぶんここ辺りだと思う…
 標高 615m

 資料探しにHPを検索していたら出てきました。小峠は小瀬集落→小瀬峠→小峠→城端町上田を経由する。
 細尾トンネル入口から袴腰林道を約1km進むと、道路左側に洞窟がある。この洞窟は1926〜45年頃まで石灰を焼いた窯跡で城端町上田の人々は「小峠の原の石灰窯」と呼んでいたという。窯跡は入口が小さく草に隠れているので見つけるのは大変困難である。小峠からの道はそこ辺りにつながっていたと思われる。(越中山河覚書T、参照)
 小峠には不動尊が祀られてあったが、細尾トンネル内に移転され、1979年に細尾トンネルの城端側出口に移転された。




 飛騨への道 (富山県歴史の道調査報告書)
 『城端町から小瀬峠を経て小瀬まで。』


 村(上田村=現在廃村)に入ると、対岸の岩の上に不動尊が建っている。ここが村の中心で、右手の道は、熊野神社へ登る道である。廃村の村を過ぎると水田が開け、一部に杉が植林されている。川に沿って上り、人喰谷との出合を過ぎると城端町の採石場がある。谷は段々狭くなり、両岸の斜面も傾斜がを増す。この辺りは雪が多く、雪崩の発生を防ぐために雑木林の伐採を禁じていた所である。この林(雪持ち林)を守るために、ここを通る五箇山の村々から上田部落に年貢が納められていた。今も林の一部が保安林として残っている。
 谷がやや開け、前面に細尾峠に登る尾根が見えてくる。道は左岸に移り、砂防堰堤を過ぎると、二ツ屋川は四つの沢に分かれる。尾瀬への道は川を渡らず、右手の沢の左岸に沿って上る。橋を渡って杉林の中を続いているのが、細尾峠の道である。小さな川を越えると、左側には三体の地蔵がつる草に埋もれている。
 小瀬への道は、沢の出合付近では馬車道ぐらいの道跡が続いている。しかし、茨や茅が生え茂り、容易に通ることはできない。谷に沿って進むと、やがて道幅は狭くなり、土砂に埋もれている所が多い。谷頭近くで少し左に折れて急坂になる。これを登ると標高615mの小峠である。全面に小瀬峠が望まれ、右に袴腰山が見える。眼下には山田川上流の東谷が横たわっていて、源流部急斜面は各所で崩壊している。この峠には不動尊が祀られていたが、今は細尾トンネルの西口に移されている。(以前は細尾トンネル内にあった。一面二手の不動明王である。 @ばった)
 小峠からの道は、東谷右岸の急斜面を斜めにゆっくり登っている。ここでの雪崩防止林の中を通る道であったが、今は林は見られない。上に進むにつれて、昭和52年に開通した林道袴腰線の建設工事の土砂で各所が埋まっている。林道と交差する付近では旧道は全く消えかかっている。 やがて林道に出て、残された道を小瀬峠に向かって登る。急斜面につけられた道のわりに、歩き易く安定した道である。清水の流れる小さな沢を渡り、道はやや急斜面になる。右手に電力会社が建てたコンクリート造りの小屋がある。ここを登ると間もなく小瀬峠に出る。
 小瀬峠は、標高940mの峠である。上田部落から約600m登ったことになる。峠には地蔵堂があり、越中峠の会が建てた道標が建っている。(地蔵堂、峠の木造の小屋は崩壊しました。 @ばった) 眼下に庄川の谷を眺めながら、九十九折りの道をしばらく下りる。やがて鞍谷川の左岸に出て小瀬に下る。
 この道はオロロの多い道である。オロロはアブ科のイヨシロオビアブの俗名で、体長15cm内外の小型のアブである。七月から九月にかけて発生し、特に朝夕の川近くで活動し、人畜を襲って吸血し毒を残す。ここを往来した人や牛はオロロの襲来に悩んだことであろう。