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たこぼうのいる暮らし

[誕生編]  [乳児編]  [幼児編]

おや? 翌朝早速病院へ行ってみる。うちに大事な女の子。新生児室のガラスから覗くが、あれ?いない!どうしたんや??「ピンクの札だよな。ピンクの。あれ?おかしいな」。その時新生児室には20人以上の子どもがいた。ミルクの時間かな?仕方ない、ママの病室で待っていよう。 病室に行くと、ママがいる。おや?「ねえ、どこにいるの?」「えっ?分からんだ?こっちやよ」と連れられて行く。「ほら、あそこ」ん?どこだ?「ほら!」え?様子を見ていた保健婦さんがカゴをガラスの前に移動させてくれる。「おお!」なんのことはない。たこぼうには空色の札。「え?女の子じゃなかった?」名札が足りなかったらしい。 まっ、いいかと写真をバシャバシャバシャ。 翌日は仕事があったので、後ろ髪を引かれる思いで、I県K市の家に帰る。以来毎週土曜日ごとにT県T市に通う日々が始まった。それがいつまでも続くとは思いもせずに…

でへへ 次の土曜日に病院を訪ねていくと、ちょうどおいらの伯母ちゃんらがやってきている。「こっち、こっち」と前回あれだけ戸惑っていたのに、今度はおいらが案内役。ほらほら、あの一番大きい子。あれ?しっかりピンクの札がついている。「あら〜〜、パパそっくりやね〜〜」、「え?そうかな(そうだろう、そうだろう)」、「うん、目元なんかそっくりじゃない」「そんなもんかな(うんうん、見る人が見ればわかるもんじゃ)」、「それにおでこのライン」「え?(そんなのいいやん!)」。似てる似てると言われては、やに下がっているおいらであった。

やあ 1週間で退院。じいちゃん、ばあちゃんとT市の家に。おいらが仕事からK市の家に帰ると、ママからпB「ただいま」。そうかぁ、退院したんか。早く会いに行きたいなぁ。あ〜、今日はまだ火曜日じゃねえか。早く週末にならないかな。
金曜日はさっさと仕事を終えて、T市の家に。やあ、おいらがパパだぞ。え?なになに?これから入浴?寒くないようにストーブをつけて食卓の上にベビーバスを用意して、さあ準備OK。ママがむちむちのたこぼうを抱っこして連れてくる。あーー、結構じゃあ。ふぃ〜〜〜〜〜。

なんで さて、その夜。一緒に寝るものだと思ったが、「パパはあっちで寝て」。え?なんで?たこぼうは夜泣きが激しくって、抱っこからおろしたと思ったらすぐ泣いちゃって、寝かせてくれないって…。う〜〜〜、一緒に寝たい!
結局おいらは別室で寝ることになる。

ぶつぶつ そんなこんなでおいらは金曜日に来て、日曜日にK市に帰るという日々が続くのだが、次の週に行ってみると、たこぼう顔にぶつぶつができている。あれ?なんだ?
なんのことはない。寒がりのじいちゃんが「一杯着せとかんと駄目や」っていうものだから、ちょっと多めに着せていたのだが、そこへもってきて、長老(=曾祖父、当時92歳)が「寒ないか。もっと着せとかんと駄目やぞ」というものだら、さらにもう一枚。う〜む、年寄りというのは頑固で困る。
結局、たこぼうのぼつぼつはただの汗も。う〜む、おい!ちょっと着せすぎやぞ!!

おやおや そうこうするうちに、年も押し詰まり、おいらは御用納めも終えてT市の家で年を越すことになる。夜はと言えば、相変わらず、抱っこからおろすと泣く状態。日中はママに休んでもらおうと、(ホントは自分がしたいだけ)、一日中たこぼうを抱っこしながら、片手に本。そんな生活を送っていた。さすがにオッパイだけはでないので、ママを起こすが、オムツはおいらが変えていた。う〜〜ん、綺麗なウンチじゃあ。

おめでと 大晦日の夜、おいらと、劇団四季ファンのママはたこぼうを抱えて市村正親の「オペラ座の怪人」を聴いていた。う〜む。年も明けたか、「おめでとう」。そんじゃ、おいらは寝るかな?その夜もママはあまり寝かせて貰えなかったみたい。
翌日、たこぼうの枕元には長老からのお年玉が置いてあった。

カチンコチン 正月に入って、親戚の叔母さんらを呼んで、たこぼうのお披露目。座敷に御膳も用意して、たこぼうMがたこぼうを抱っこし、晴れ着をかけて…。まあ、叔母さんらばかりだから、出るのはお酒ではなく、「かわいいねぇ」との声ばかり。うひひひひ。おいらはと言えば写真を撮ったりしていたのだが、「ほら抱っこして」と親子3人で並んでいるところをたこぼうJ(祖父)が写真を撮ったり、和やかな雰囲気。宴たけなわというところで、叔母さんから「おおじいちゃんに抱っこしてもらわなくっちゃ」との声。当時92歳の長老に抱っこされたたこぼうは緊張してか、ほとんどお地蔵さん状態だった。

ぐびぐび たこぼうってのがホントにミルクをよく飲む子で、たこぼうMの胸に吸いつきぐびぐび飲む。もう随分飲んだなと思うんだけど、なかなか乳首を離さない。あら?ミルクの出が悪いのかしらと計ってみたんだが、普通の子の倍の量。ん?なんだ、やっぱりたこぼうが飲み過ぎているだけか?

あれ?間違えた? T市にいる間に1ヶ月健診を迎える。おいらは仕事だったから、たこぼうMが連れて行く。待合室にはママに抱っこされた赤ちゃん。それがどれを見ても小さい子ばかり。あれ?間違えた??そう、たこぼう一人、3ヶ月健診って顔をしていたのだった。「問題ありませんよ」と言われて、たこぼうMも、ほっ!

あらら、雪だよ! 1ヶ月健診も終えて、そろそろK市に戻ろうって思っているんだけど、移動できるのはおいらが休みの土日。さあ、今週はって思っていると、ドカッと雪が降ってしまう。この年は何故か土日に雪がまとめて降るという妙な天気。まあ、平日にも降っていたから、いつたこぼうを連れてきても良いように、おいらが毎晩家の前で雪かきをしていたのだが。
そんなこんなで2ヶ月がすぎる。「さて、今日こそわ」と朝起きる。寒いものだから、給湯器をつけてお湯を出そうとするが出ない。あれ?どうしたのかな?水は出るのだが…。げっ!!水道管が凍ったのかな?さっそくヤカンでぬるま湯を作って、水道管にかける。よし、出た。これでたこぼうを連れてこれる。ふ〜。ところがドンドン雪が降り積もる。「今週もやめたら」とたこぼうB(祖母)。う〜ん、そうやね…ぶつぶつ。ところがその次の週も、そのまた次の週も雪が降る。このまんまじゃ春を待たんとあかんのかい!!
いよいよ3ヶ月を迎える頃2月に末に、意を決してT市を出る。ようやくたこぼうとの3人の暮らしが始まる。

3ヶ月健診 たこぼうの母子手帳には「大腿皮溝非対称」という文字が書いてある。これはそんなにしばしば書かれるものでもないものらしい。
 時は、平成2年3月14日。母子手帳には保護者の記録という発達状況をチェックするための質問が書いてある。それによれば、首はほぼ座ったかなというところだった。
 それにしてもたこぼうはとにかくミルクをよく飲む赤ちゃんだった。飲んでも飲んでも足りないくらいで、こりゃあ、将来ママみたいな体型になるんじゃないかとちょっと心配もしていた。当時の体重が7.6s、身長が63.3pと、乳児身長発育曲線でみれば、身長は90パーセンタイルのライン上(5ヶ月くらいの平均サイズ)だったけど、体重の方ははるかに超えてしまっていた(6ヶ月くらいの平均サイズ)。そんなわけで、ムチムチの身体つき。ちょうどこのHPのバナーの絵くらいだったかな。腕の関節が多いぞって感じに盛り上がっていて、うちじゃあ「パン屋さん」って笑っていたのだ。分かる?食パンの盛り上がった様子、そのまんまだったの。それで股間はと言えば、相撲取りのようにしっかりと何本も皺が入っていたのだ…
 さて、3ヶ月健診の日である。その日はおいらはお仕事、ママはたこぼうを抱えて保健所に出かけたのであった。だから、おいらは保健所の様子は知らない。
 仕事が終わってさっさと家に帰る。ホント「5時から男」って、勤務時間中はモタモタしていて、5時すぎてから仕事するようなおいらだったんだけど、たこぼうがK市の家にやってきてからというもの、定時に寄り道もせずに帰るのが習い性になっていたなぁ。
 さて、家に帰ると、たこぼうの泣き声がする。え?なんだ?急いで玄関に鍵をあけて中に入る。電気も灯さず暗い居間には寝かされて泣いているたこぼうと、その前に座り込んで放心したようにしているママの姿。
 「おい、泣いとるやろ。どうしたんや」と声を荒げるおいら。はっと気づいたようにこちらを見るママ。そして「この子の将来もうお終いやわ」。
 な・なに〜〜〜、なにがあったんや。ちゃんとよく話せ!!と、とにかく、たこぼうはおいらが抱っこしてやれば、泣きやんでくれた。ふ〜〜。
 それでママが見せたのが、母子手帳の「大腿皮溝非対称」の文字。なんや?これ?
 ママによれば、要するに股の皺が左右違うっていうことらしい。な・な〜〜んだ、脅かすなよ!そんなもん、良いやないか、と思ったいるおいらが次に聞かせられたのが股関節脱臼って単語。ママによれば、股の皺が左右違う場合にはまず股関節脱臼が疑われるということらしい。もし、そうであれば、たこぼうが痛がろうがどうしようがベルトで固定した生活を始めなくてはいけないのだ。
おいらも一瞬頭が真っ白になりかけたんだけど、おい、その疑いっていうのは、なんや、疑いって。ホンマそれやって決まったわけじゃないんやろ。
 「うん。それで今日はレントゲンをとってきた」とママ。な・な〜〜んだ、まだ検査の段階かいや。脅かすやな。ちょっとどもりながら、おいら「そ・それなら、そのレントゲンの結果出るまで、ワカランのやろ」。
 ところが再びママがうつぶして泣き始める。え?ど・どないしたんや!と動揺するおいら。「何泣いとるんや。どうしたんや?」というおいらに、ママが見せたのがいわゆる育児書。保健所から帰ってきてよほど不安だったのだろう。救いを求めて育児書を開いたはずが、それによってさらに奈落に突き落とされたらしい。
 『特に女の子については、股間のレントゲンを撮る場合、女性器を守るためにガードを当てて撮るようにしましょう。もし、医療機関でそのような処置がされない場合は、医師に申し出るようにするのが親の義務です』みたいなことが書いてある。ママが泣くには「この子がもう一生子供の産めない身体になったんじゃないのか」ってこと。
 おいおい、育児書なんて真に受けんなよ。こんなのってのは、極端なことしか書いてないんだよ。一方で子供と友達親子になりましょうって感じで「ダラ甘やかし(馬鹿みたいにただ甘やかしてしまう)」しろって言ってみたり、もう一方で早期にビシビシやらんとダメやとかって言って、とにかく親の不安をかき立てるだけみたいなもんなんだから。
「大体こういうのって心理学者が書いてるみたいけど、心理学者ってのは口で商売している奴らでほとんど詐欺師みたいなもんだから、信用するもんじゃないぞ。大体、心理の仕事して飯食っている俺が言うんだから、間違いないって。心理屋の言うことなんか信じたらダメだって」って、とにかく育児書の不当性をママに納得させ(考えてみれば、多分その記述って医者が書いたんだよな)、それから「大体、そんな昔からレントゲン撮る時に、そんなガードなんかしとったはずないやろ。そんなこと言っとったら、そこの保健所でレントゲン撮った子はみんな子供産めない身体になっとるはずやないか」。それでどうにかレントゲンのことはママも納得できたみたい。ふ〜〜。ホンマ心理屋ってのは巧いこと言うもんや、絶対信用ならんで〜〜。
 さて、レントゲンの方は落ち着いたが、股関節脱臼の心配。これにはほとほとおいらも困った。まだ、結果も出てないものだからなぁ。しかし、2人して頭を抱えててもどうしようもないこと。しかし、ママの方が思い出したように泣き出してしまう。は〜〜、どないしょ!
 とにかく、たこぼうをママに押しつける。「お前、今泣いとったかて、なんにもならんやろ。股脱やったら、この子いらんのかい!見てみい、え〜。お前に抱っこされてこんな幸せそうな顔しとるやろ」。ママの髪の毛をひっぱって、たこぼうを見させるおいら。「いつまでもダラ(T山弁で、馬鹿げたとか阿呆みたいなを足したような意味)みたいなこと言うとらんと、この子見たらんかいや」といつしか、おいらも涙を流しながら、ママの頭をポカポカ叩いていた。それからママの肩をさすりながら、「3人で生きてくんやろ。な。どうなろうが、この子はこの子なんやから。何があろうが……」
>数日後、保健所に出かけたママは、母子手帳に「股関節XP 正常」と書いて貰って帰ってきた。は〜〜、良かった。

ザブン K市に戻ってからのたこぼうの入浴はおいらの仕事。だから、大抵5時半の勤務が終わればさっさと帰宅。夕飯前には一緒に風呂に入る。だって、たこぼうを洗ってしまってママに渡せば、あとはゆっくり風呂に入れるでしょ。まあ、受け取る役をおいらがやっても良かったんだけどね。
 だいたい、1人で風呂に入れて赤ちゃんと一緒にあがるってのは、なかなか難しいもんだと思うんだよね。だって、それだと自分を拭いている暇なんてないでしょ。そしたら結構湯冷めしちゃったりもするしね。そういうわけで、うちではできるだけおいらがたこぼうを入れるようにしていたのだ。
 そんなある日のことなんだけど、まあ、ずいぶん風呂入れるのにも慣れてきていたわけ。いつものようにたこぼうと一緒に湯船に入る。これがまた満足そうな顔して入っているんだ。それで茹だらない前に身体を洗ってやる。ベビー用の石鹸使って、ない髪の毛も洗ってやって。それから、ほら先に「パン屋さん」って言っていたでしょ。あの山の間も開いて洗ってやるの。いやあ、あの皮と皮の間って、結構埃がたまるんだよね。腕や脚だけじゃ泣くって、首の周りとかも皮を延ばして洗ってやるのだ。さて、綺麗になった。さあ、湯船に…と立ったはいいが、湯船に向かいかけて”つるり!”足を滑らせてしまった。わっと湯船方向に身体が泳ぐ。たこぼうをかかえているから手をつくこともできない。このままたこぼうもろとも壁に直撃!
 咄嗟においら、たこぼうを湯船に落とす。そのまま壁に手をつく。びっくりして目を開けたまま沈んでいくたこぼう。ぶくぶくぶくと気泡。あっ、拾わなきゃ。
 急いで湯船からたこぼうを拾い上げるや、脱兎のごとく台所のママのところへ。「お・お・おとした〜〜〜」と叫ぶおいらに、何事もなかったかのように「大丈夫なんでしょ」とママ。「え?あっ、うん」。結局、たこぼうはちょっと驚いただけで、おいらの腕の中で泣きやんでいた。
 まあ、その後、おいらが風呂の中を歩く時には、いたって慎重になったことは言うまでもないのだが…

うぃ〜〜〜 年度末っていうのは、何かと忙しいのだが、それだけじゃなくって、送別会だの歓迎会だのがあって、それも大変。送別会の時には、仕事の整理とかで結構慌ただしくしていたので、2次会もそこそこに帰っていたんだけど、さすがに歓迎会だと、まあちょっと一段落ついたところだったから、ゆっくり2次会につきあってきた。
 結構気持ち良〜〜〜くなって、帰宅。当然のことながら、小さいあかりだけをつけて、ママとたこぼうは布団に入っている。たこぼうをおこさないように小さな声で「ただいま〜〜」、ママはまだ起きていて「おかえりなさい」。おいら「うん、たこぼうはどうしとる?」、ママ「そこだよ」。おいら「え?どこどこ?」と足を進める。結構酔っぱらい。うぃ〜〜〜、どこだぁ。と足を下ろそうとした途端に「きゃっ!」とママ。「えっ?」とおいら。下ろそうとした足を咄嗟に横に動かす。ママ「どこ見とるが!」、おいら「え?」
 な・な・な〜〜んと、おいらの足の下にたこぼう。おいらの足はまるでナイフ投げのナイフのように的となる美女(?)の腕のすぐ横に着地していたのだ。「ほっ!」。
 一気の酔いの覚めた夜であった。

 

                                             まだまだつづく