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『子どもの表現へのまなざし』

京都大学教授 山中康裕   

◎はじめに
 先に経歴などを紹介していただきましたが、この場にいる人全員と同じ時を共有できることは多分もうあることではないでしょうし、そうした経歴とか肩書きとは関係なしに、“一期一会”と言いますが、この一回にどういう時を持てるかが大切だと思っています。
 今日与えられた演題はY先生が考えられたものですが、私もこういうことを中心に置いて良いと思いましたので、そうすることになりました。

◎私の臨床活動
 それから、先にK先生が私が精神科医で臨床心理士のような活動をしていると言われましたが、自分では、臨床心理士として活躍しているつもりでありまして、『として』と『のような』ではずいぶん違うものですから、“九十九里をもって半ばとなせ”という言葉もありますが、そういうところだという戒め的な意味なのかなと思っています。
 また、児童・青年期を中心にしていると言われましたが、それには異論がありまして、私は最初から0歳から100歳までを対象としてやってきています。精神科医としての出発が自分の出身校で…、医局のことはよく分かっていまして、1年目は月のうち16日、半分以上を当直していましたが、お年寄りの方によっては6時頃にはもう病院においでて、待合室で話をしておいでます。「○○先生は人当たりは良いが、薬をうまく選べない」「××先生は厳しいが、ずいぶん薬のことを勉強している」とかって話が待合室で聞こえてきますので、たいていの先生についての正確な知識を持っていました。これは余談ですが…
 それで、6時頃においでたそのお年寄りの方が名前を呼ばれるのが、大体11時過ぎで、じゃあ、子どもはと言えば…これが親御さんとか保母さん、先生に連れて来られたり、自分で着たりするのですが…、やはり11時過ぎまで待たされていました。当時、若い精神科医の関心は、ほぼ分裂病にむいていましたので、こういうことになっていたのですが、私は病気に区別はないと思っていましたので、それならばと、お年寄りや子どもを診ることになったのです。
 最初は自閉症のお子さんを診ていましたので、これは生後3,4ヶ月、軽い場合でも保育所の段階でほぼ診断できます。それで、0歳から対象にしてきたということです。それから、お年寄りも診ていたので、最高齢で81歳…最近101歳の人を診て、ようやく0歳から100歳まで診てきたと言えます。
 まあ、中が抜けているので、これを“中空構造”と言います……
 あっ、これは嘘です。私の師であり、上司であった河合隼雄先生が「うそつきクラブ」の会長ですので、私も時々嘘を言います…
 さて、子どもは当たり前のことですが、年をとります。だから10年も経てば、0歳の子も10歳、10歳の子も20歳になります。また、お年寄りというのは面白いもので、「(自分の)孫を診てくれ」「ちょっと家の嫁、変だがね、診てくれんね」…あっ、これは名古屋弁ですね。私は名古屋弁は使いませんし、言葉が違うということはいじめられの対象になるんですね。それから、私、ビッコですので、いじめはずいぶん体験しました…と言って連れてこられるので、中抜けにならずに、大体0歳から100歳まで診てきています。
 それが、20年前に『少年期のこころ』という本を書きまして、それがベストセラーになったものですから、それ以来、児童・青年期の専門家って見られたので…まあ、それも否定はしないのですが…、少年期はライフ・サイクルにとって大事な時期ではありますが、出産前期、週産期も含めてライフ・サイクルにおいて大事ではないという時期はないと思っていますので、その全てに興味と言うか…ちょっと言い方が変ですかね。うん…関心があります。…『興味』と言うと変な奴って見られるのですが、『関心』と言うと、なるほどと納得される、英語にすれば同じになるのですがね…
 それで“子ども”ですが、101歳のおばあさんから見れば、80歳はまだまだ子どもですし、普通の一般概念で“子ども”と言うと、どれくらいかなと考えまして、スライド(略)を選ぶ際にも、“子ども”の定義規定で困ってしまったのですが、今回は2歳半から18歳のスライドを選びましたし、この範疇で話をしたいと思います。

◎正常と異常
 それから、“異常”というレッテルを貼られた人のものだけでなく、“正常”な人のスライドも用意したので、そういうことも話したいと思っています。今は、この“正常”を定義することが難しくなってきています。それこそ「正常という診断書を書くのに、3ヶ月の入院が必要」と言われていまして、3ヶ月入院して診察や検査を受けて、ようやく「あんたは正常だよ。だから、入院しなくて良いんだよ」と言えるわけです…まあ、これは嘘ですが…。
 しかし、昔は、「自分以外は異常」と言う人が精神病で、「自分だけが異常」と言う人が神経症と大体いっていたのですが、今はこれがすごく曖昧になってきているのです。
 私は、こういう中で、あの神戸の殺人事件が起こったのではないかと思っています。ちょうど私がスイスに飛び立つ時に、少年が逮捕されたと聞きました。スイスに行っている間は、執筆依頼にも応じるつもりはなかったのですが、ファックスで依頼があって…ファックスというのは、こちらがうんと言わなくてもザーッと来るので、ね…大事件だし、あまりにふざけた論評が多かったので、引き受けることにしました。ちょうどスイスにいる間に友人が、土居健郎先生が『プレジデント』だったかに書かれた論文を送ってくれまして、最近はほとんど原稿依頼に応じない土居先生が書かれたということだったので、先生も『いろんな視点はあるにしても、勝手なことばかり言わせてはいられない』と同じ憤りを感じられたのだろうと思いました。
 今日はその話も含めて、お話しようと思います。

◎神戸の殺人事件のことから…
 まず、神戸で起こったことの意味、なぜ神戸だったのかを考えてみました。
 これは、偶然とも必然とも言い切れないのですが、神戸というのが、一つには先に大震災があった土地だということです。今日の新聞で、PTSDは小学生で増加傾向に、中学生でやや減少傾向にあり、6%…100人に6人の割になっていると伝えられています。
 それともう一つが、神戸が、数年前に近くで校門圧死事件が起こった地だということです。全てを一つの考えできることは危険なことですが、これは規則だけが独り立ちして、何のための規則かを忘れた事件だと考えます。本来、校門は時間を区切らなければ途中で教室に入ってきて授業の妨げになるとか、授業を受ける権利を守るために9時に閉めると決められたはずなのですが、その部分が抜け落ちてしまって、『9時に閉める』という規則が、『その規則によって守られるべき人』を殺すことになった…これがこの事件の一つの意味です。
 そして、大震災は、“絶対、神戸では大きな地震は起きない神話”“高速道路網は、地震では壊れない神話”を崩壊させてしまったのです。…その日、私は博多にいて、最終の“のぞみ”で移動していたのですが、まさに『のぞみを絶たれた状態』でした。
 この、神戸には、優れたブレインが4人にて、一度も赤字を出したことにない、他に類を見ない政令指定都市です。六甲山を削ってポートピアを作り、そこにスカイライナーを走らせて新しい生活空間を作りだしたことは、それはそれで凄いことなのだと思いますが、一方で六甲山の土を削ったために気候異変が起き、年中、霧にけぶるようになった…ちょうど、関ヶ原に雪が降るように、そこだけが山陰側の影響をストレートにかぶるようになった…結果、植物系も全部変わってしまったところまで、出てきているというように、私は全部がプラスになることはないと思っていますし、むしろ、1つのプラスに2つのマイナス、3つのプラスに4つのマイナスくらいに考えています。そういう中での神戸なのです。まさに、洗練された日本の希望の星であった土地が、天誅を受けた…髪が日本の核心を突いたということでしょう。
 今一番危ぶんでいることは、…あの精神鑑定をした2人の医師を私は知っているのですが、公表されていませんので、ここでも名前をあげることは避けますが…、「なんだ、精神病かそれに近い人だから、起こした事件なんだな」というふうな見方をされることです。むしろ、あの少年の心情は、大なり小なり殆どの人が持っているものであり、“教育、社会、文化なりへの憤りに根ざすもの”なのです。あの事件の後、「彼がやっていなかったら、自分がやっていたかもしれません」などと自分のことのように考える患者さんが少なからずいました。そういう時、「お前はそんな大変な人を診ているのか」という人もいるのですが、それは自分だけが外側にいるとみている人なのでしょう。
 むしろ、自分もその対象の一人でありえるのです。私の尊敬する先生の一人、神谷美恵子さんは、癩病患者を前にして「なぜ、私でなく、あなたが…」と言ったということですが、このように自分を内側に置いて見直すことが必要なのです。

◎子どもが表現するもの−スライド(略)を見ながら−
 これまで、いろんな側面から考える中で子どもと出会ってきましたが、子どもの表現するものに、あまり意味を付与しすぎてはいけません。子ども自身が、せざるを得ずに付与していることですから、それ以上に意味を見つけることは御法度にしておかなければいけません。

*4歳女児の箱庭:2週間に1度、知的障害児通園施設でかかわったケースですが、何度作っても、この子は右下の領域しか使うことがありませんでした。目が悪いのかと思いましたが、それも否定されました。私は「もっと広いところがあるよ」とこの子に言ったことがあるのですが…これは、箱庭が日本に導入された当初のことで、今では、こうした誘導をしても、意味のあるものが出ないということは、分かっているのですが…、それでも空間は広がりませんでした。
 私は『この箱庭とこの子の心がパラレルになっていて、何かの理由で押しやられているのだろう。これが広がることで、この子の世界も広がるのではないか』と思いました。実際、知的障害児として生まれたことで、他の兄弟に比して受け入れられておらず、自らの存在空間が、圧迫されていたことが後になって分かりました。

*アスペルガーと診断された5歳男児の箱庭:この子とは、4歳の時に初めて出会ったのですが、その時に「四塩化エチルクロルベンゼンのこと、どうする?」と聞かれまして…これは公害の元についての話だったのですが…、「わ〜、すごい天才が来た!」と言うのが、最初でした。この子は、箱庭にタイルを敷き詰めて、それから水を入れて護岸工事をしていまして、セメントでなく砂ですので、崩れてしまって、いつも怒っていました。スライドでは見えないのですが、砂の中には三種類の土管が埋められていまして、ずいぶん経ってから気づいて、その子に聞いたところ、「雨水と上水と下水の管」だということでした。
 『表面に表現されたことと、実際にもっているものの落差のある子だ』と思いました。

*自閉傾向のある5歳男児の絵(家):自閉傾向のある子で、絵画表現に広がるのは2割程度ですが、この子はその2割に入る子でした。三角屋根に波線で瓦を描き、下に視覚で壁が描かれているのですが、その内側に4つの四角が重ねて描かれていました。私は、『五重とは、ずいぶん厚い壁だな。心の守りが薄い子なのだろう』と思いました。
*同じ子が描いた絵(人):自閉傾向の子が人物を描くことは、さらに稀なことなのですが、あっ、これはスライドが間違っているわけではなく、横たわる描き方をしています。普通、人物を描く時には、顔の輪郭、次に目、鼻、口、髪、首と描き、それから下の方を描くのですが…最近は、髪から描く人もあって、それはやはり、そういう髪型などに興味があったりするようですが…、この子の場合には、まず脚を描き、それから四角で胴体を描きました。腕とか首は、既にイメージとしてあるようで、その証拠に、腕、首の出る部分は隙間を開けてあります。身体の後に首を描き、顔、そして最後は目でした。
 この時、私は『自閉の子は、自分たちの基盤がぐらついているから、自分をなかなか表現できないのだろう』、それから、「一番怖いのは目だろう』と思いました。
 重度の自閉の子は「視線が合わない」とよく言われるのですが、私の観察では、決して合わない訳ではないのです。それは瞬時に(125msec位の速度)真横に走査線を走らせる仕方で見ているのです。そこから、同じ背の高さに立つということを心がけるようになったのですが、まあ、この子たちは、視線が合わないのではなくって、合わさないだけなのです。

*5歳の電線ちゃんと呼ばれる自閉傾向のある子の絵:変圧器への線と家庭への引き込み線…最近では、地下埋設が進んでいますが…をきちんと区別して、線の本数まで寸分違わずに…嘘ですが…描いています。この子らのものを把握する力には、いつも驚嘆させられます。
 先のアスペルガーの子は、名古屋の地下鉄の工法ミス…後に大学の友人で工事を担当した者と、「あれは、地質が違うからダメなんじゃないか」という話をしたところ、「そうだけど、何で知っとる」と驚かれてしまいました。私は彼から聞いてきたから知っていたのですが…を指摘したこともあります。

*5歳児の千代紙の切り絵:千代紙に『会』という字を書いて、それを全く計ることをせずに、隙間も重なりもなしに、埋め尽くしています。

次は少し変わって…
*神経症の子どもの箱庭:米独では、以前は、自分たちの生活のための大事な権利として、離婚を考えてきましたが、最近、離婚が子どもに及ぼす影響(非行の温床になったり…)から、反省する傾向にあります。この事例は、当時、時代の最先端を行っていた離婚ケースで、『壊れた家に置き去りにされたという場面の箱庭』の写真が見つからなかったので、それより少し前に作った『洗濯をして、家を保とう・つなぎ止めようとしている場面の箱庭』です。

 最初、自閉症をやっていて、ほぼ同じ時期に登校拒否にもかかわっていて…当時は、学校恐怖症と言っていましたが…、これについては、私は内閉論をとっていて、今度、一冊のものにしようかと思っています。
 学校恐怖症の型としては、幼稚園児や小学校1,2年で出るのは、分離不安型と言われ、これは、子どもが母親から分離させられることに不安を感じるというふうに思っている人が多いようですが、母親が子どもを離せない心的問題を抱えていて、子どもがそれを感じとって、離れることができなくなるという二重構造…子どもが側にいない安定できない母の問題…にあるのが、本当です。
 そして、優等生の燃えつき型。これは、自己像肥大型とも言われますが、高い自己像という“自己像の取り違え”によって、それが、例えば、恥をかくことで破綻して登校拒否になるタイプです。これを、子ども一人一人に照準を合わせて見てきますと、内的・社会的に未成熟であります。そこで、それをどうやって成熟させるかという時に、攻撃性の出し方…時期という側面から、高木先生は、「心気的時期」、「攻撃的時期」、「自閉的時期」としていますが…が下手だなと思う子が多くいました。私は最初から、学校に行く・行かないは問題にしていませんでした。学校との関数で解こうとすると、より複雑な問題が出てくるからです。本当に学校を“拒否”している子もおりまして、それが実際、眼鏡の弦の色がどうだとか、髪の長さはここまで等々、とにかく一から十まで規則で縛ろうとする先生で、その全てに反抗していたのですが、まあ、こういうのは例外で、やはり“拒否”という言い方は違うと思います。不登校の中核は、「行きたいのに、なんでか行けない」ということで、それが「攻撃性の出し方が下手」ということと関係していると思っています。

*不登校児の箱庭:“騎兵隊とインディアンの戦い”で、赤を使って、流血まで表現しています。こうして、象徴的に攻撃性を表現しているわけですが、正に「こうして表現できる」ことが大事なのです。神戸の少年の場合、心の中で起こることと、現実の間の守りが薄かった、超自我とか、両親というものが、未成熟だったことが指摘できると思います。

*自己臭を訴え、登校拒否になっていた女児の描画:このケースは、「先生という人がいて、それでいて、私の助けには、とてもならない人です」と言っていた子どもです。関係もとりにくい子どもで、7年半かかりました。この子は、バスで通学していたのですが、「乗る人が少ない時間に」と、より早いバスに乗るようにしていたのですが、それが朝5時のバスに乗るようになってから、余計に症状がひどくなってしまいました。8時より7時、7時より6時の方が、確かに乗客は減るのですが、5時バスというのが、ちょうど夜の仕事の人が帰宅に使うために、乗客が多い時間だったのです。人が顔を背けるとか、鼻を鳴らすことで、『やはり自分の臭いを気にしているのではないか」と、気に病むようになったのです。
*二重写しの人と影で人が作法に押しやられている絵:この子は、「何か自分の背後から、影のようなものが自分を乗っ取ろうとしている。影も自分で、臭いを出しているのは、こっちの影の方」と話してくれました。悪くすれば、分裂病になっていてもおかしくない状態でした。

 その後、2年経って、ミヒャエル・エンデの『モモ』を見つけたのですが、そこに出てくる灰色の男たち。人から盗んだゆとりを、生活の糧にしています。例えば、「床屋の場面で、客との無駄話を無くせばこれだけの時間短縮ができる。そうすれば、これだけの客をこなせる」と言って、ゆとりを盗むのですが、床屋の方は、無駄話を無くしたことで、客との関係がぎくしゃくして、客が寄りつかなくなってしまうのです。これは、哲学的な意味合いで、時代を考えさせる文学ですが、私は子どもが表現するものから、『子どもたちは、自分の心身を病むことで、時代がはらんでいる間違いを表現している』ということをいつも考えさせられています。
 人間には、臭いがないわけではなく、各腺からいろいろな臭いが出ていて、それが思春期には強くなるのです。そうした生物学的な意味でも、思春期は疾風怒濤の時期なのです。

この後も、同じ子の作品ですが…
*「赤い目の鷲が、自分を襲う夢」を表現した描画:意識化されていない・無意識的なものが、表出されているのが、夢です。思春期が疾風怒濤の時期だったという人もいれば、イヤ、平穏に過ぎたという人もいます。それは、意識化の度合いの違いなのだと思います。そして、意識化が薄い人が、症状として出すのだろうと思います。
*象徴的に母親を火あぶりにする絵:この“象徴的”ということが重要なのです。神戸の子の場合は、「現実の死を見つめないと魂が震えない」ということが問題だったのです。
*枯れ木にやせ細った牛が繋がれて降り、空には夜半の月の絵
*醜いアヒルの子の絵:思春期に良く出るテーマで、自分の中で白鳥をどう育てるかが、主題になっています。
*口紅をした女の子がリンゴを食べている絵:より女性的になりたいという表れですかね。
*枯れ木に実がなり、鉄道もひかれた木の絵。
*相互スクイグル:かかわって4,5年目にしたものです。その子が、「時々出かけて、パクッとやるペリカン」で、私が「釣り…釣りの心で待っていようか?」と、やっています。ここに、新しい自我の成長が見られます。
*鉢植えの写真:冬に種を植えようとして、周囲から無理だからやめるように言われたのですが、私が「中には育つのがあるかもしれないね」と言っていたところ、なぜか本当に発芽したもので、ほぼ、前のスクイグルと同時期のものです。偶然では片づけられないようなものを、感じます。
*詩の切り抜き:「詩だけが自分を慰めてくれる」と言っていました。

*キング・クリムゾンのジャケット:警察によって、精神病院に連れてこられた高校生でした。それと言うのが、深夜に大音響で音楽を鳴らすために、近所からの苦情で警察が出向いたという経緯なのですが、この子は、随分あとになるまで、他人に迷惑をかけたとは考えていませんでした。音楽によって、抑えた攻撃性とのバランスをとっていたのでしょう。この子とは、最大30分、実際15分しか面接時間がとれない状況で、毎回、ロックの入ったテープを持ってきては、当時出たてのウォークマンで、2人で聞いていました。子どもの方は、私をロックに手なづけようとしていたようでした。それで段々、「これは、前のより良い」とか分かったようなことを言って、「それは前のと同じ人の」と教えられたりしていました。持ってくる音楽だけで、子どもが見えてきたりします。
*2つの鼓のためのコンポジション:この子が書いてきた譜面で、一緒にやらせられたのですが、鼓を教えられながら、いつもいつも叱られながら、ずっと付き合っていました。

*魔女の絵:アノレクシアの子どもで、過食もありました。7年近く付き合った方です。「私の心の中に魔女がいて、その魔女が食べている。窓からのぞく月は、もう一人の私です」。月は、太陽と違い、自己主張はしないが、きちんと照らすものとして、よく出てきます。こういう客観視ができることが、後の治療に結びついていきます。

*SMMS+C:『偶然落ちた落とし穴に、居心地の良さを感じて閉じこもっている』。
 不登校を学校の関数で解こうとしても、本人の関数で解こうとしても、なかなか難しいもので、むしろ私は、その中間にあるものとしてとらえています。それこそ、自我をどう育てるかということが関係するのですが、私は、そのために“内閉”するのだという考え方をとっています。この“内閉”を、英語では、seclusion と表記しましたが、これは鎖国という意味です。鎖国の時に、出島だけを開いておくことで、諸外国へ目をむけることはしていましたし、明治には、時代に取り残されたと言われましたが、その一方で、日本文化の熟成がなされました。熟成させることで、表面的でないところで分かり合える関係ができるのです。

  …あっ、もう時間内ですか。じゃあ、スライドを省略しちゃって…

 これまで、世界から“ネガティヴ”と見られがちなところについて、“象徴”を見てきましたが、今度は少し視点を変えてみたいと思います。
 娘らを相手に「お父さんは、大学院を出てるんだぞ」と威張りますと、「幼稚園も出てへんくせに」と応酬されまして、この“幼稚園”が心の傷になっていました。それで、18年前から九州にある幼稚園にこっそりと通園していまして、そこの子供らの作品を、スライドで見てもらいます。長いこと通っていますので、10年前には、卒園証書も戴いて、「幼稚園も出てるんやで」と娘らに自慢しますと、今度は、「裏から手、回したんやな」といわれてしまいましたが…
 その幼稚園では、創造保育をしていまして、そこの顧問のような者として行っています。クリエイティヴなものをいかに表現させるかに主眼をおいていますので、子どもたちには、できるだけ本物の体験をさせるようにしています。現実の牛に触ったり、田畑の仕事も実際にして、クワだって、ナイフだって、実際に持たせています。怪我をすれば、その後は痛いことが分かって、気をつけるようになります。こうした実体験ができる場所・空間が、どんどん少なくなってきていますが、可能な限り子どもらができるようにと、努めています。さて、そこの子らが作った作品です。

*バケツ7杯の粘土で作った獅子と、廃品で作った獅子:両方とも生き生きしています。

*畑の絵:クワを自分で入れいているから、土の中の生き物をおこしたことも知っているので、地中のことまでも描かれています。

*変身帽:つい被ってみたくなるような素敵なものです。変身願望は、全ての子どもにあるものです。

◎おわりに…
 子どもたちは、表現そのものの力を、元々持っています。病気という形でしか表現できない人もいますが、ごく自然な形で、自分を表現しながら、自分というものになっていければと、思います。

 これは、平成9年11月8日、金沢経済大学にて、京都大学臨床教育実践研究センター長・山中康裕先生を講師に迎え、催された公開講演の際に、おいらが記録したメモに基づいて作文したものである。
 山中先生の話は、あっちに飛び、こっちに飛びして、随分理解できない部分があったため、作文自体もうまくできなかったが、実際の話は、ウィットに富んでいて、気持ちを逸らさせないものであったことを、ここに記しておく。

平成9年11月8日23時34分 たこぼうP