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     臨床心理講演会(平成11年11月6日)

     『現代社会の子どものこころ、おとなのこころ〜子ども・親・教師がいま出会っているもの

                                愛知教育大学助教授 滝川 一廣    

はじめに
 今日も来る時に電車の中で眠ってしまい、のりすごしてしまいまして、主催者の方にはいろいろとご迷惑をかけてしまいました。
 まあ、そんなふうに行き当たりばったりでやってますので、今回も行き当たりばったりな話になるかと思います。それというのも、1つは自分がルーズということもあるのですが、もう1つには、精神療法・心理療法というのが、あらかじめこちらでシナリオを用意するわけでもなく、その都度、クライエントとの間で話を作っていくのが仕事ですので、そういうことと近いやり方でやらせてもらった方がやりやすいということもあります。聞き苦しい点があるかもしれませんが、ご了承願います。
 『現代社会の子どものこころ、おとなのこころ』と、まあ大変なタイトルをつけましたので、どこまで話が出きるか分からないのですが、いけるところまで、やっていきたいと思います。

※現代社会の骨組み
 それで、本題に入るのですが、今ほども紹介がありましたように、私、精神科医です。精神科医がいきなり「心とはなんぞや」と入りますと、これはもう観念的というか、一種、精神主義みたいになりかねない。それこそ、「心がけ次第で、子どもは良くなる」等々といういような話になってしまうんですけど、まず、そんな単純な、生やさしいものではない。
 というわけで、いきなり心の問題に入る前に、現代社会をどう理解したらよいかというところから、考えを進めてみたいと思います。  まず、私たちがどんな社会を生きてきたかの一番の骨組みを理解するために、ちょっと、産業人口の分野別の比率を見てみましょう。  戦後50年で考えていきますけど、最初の10年は、半数が第一次産業に従事していました。要するに、ついこの間まで、日本は農業国、農業を基幹産業として支えられた社会だったわけです。
 それが、昭和30年代に入りますと、第二次産業がのしてきまして、30年代前半で第一次産業を越えるのです。つまり、ここに農業国から工業国への大転換が起きています。この時代が高度成長時代と呼ばれるものです。世界の歴史を紐解いてみても、これだけの大転換に成功した国はそんなにないのです。それを日本はこの昭和30年代に体験したわけです。大きな構造的な変化、要するに、日本が大きく変わった時代です。
 そして、昭和45年頃から第二次産業の就業割合が頭打ちになって、第三次産業がのしてきます。昭和50年には半数を超えています。つまり、商業が日本の大きな基幹産業になるのです。高度消費社会、消費が産業を支える中心となるのですから、生活の仕方、価値観が大きく変化しました。  現代はというと、第三次産業は6,70%を占め、第一次産業は数%に落ち込んでいます。話は変わりますが、少し前に米の輸入問題が起きた時、「高いコストをかけて作るより自由に輸入すれば良い」という考えと「生活の糧となる農業を保護しなければならない」という考えで、世論が二分され、結果輸入するということになったのですが、その背景には、第一次産業従事者の減少という産業構造の変化があったということを忘れてはなりません。

※産業構造の変化とこころ
 昭和35年頃と昭和50年頃に産業構造の大転換期があったことを念頭に置いて、今度は非行の推移を三つの観点でこれを考えていきたいと思います。
 一つは、今の子どものこころが荒れてきているのかどうかを、後で考えるために。
 もう一つは、産業構造の変化と子どものこころがどう関係しているかをみるために。
 さらに、先に精神主義に陥らないためにと言いましたが、親がどうしたとか、家庭養育機能の低下がどうのといった議論がどの程度的を射ているかを考えるために。
 非行の推移を眺めますと、昭和20年代初め、昭和30年代半ば、そして昭和50年代から60年代にかけての三つの非行の大きな波があり、今第四の波が表れかけていると言われています。

*精神主義に陥らないために
 まず三つ目の観点について考えますと、戦後の子育て機能は、確かに長いスパンで考えれば変化はしていますが、10年くらいのスパンで見れば、子育ての仕方が良くなったり、悪くなったりとは考えられません。子育ての仕方が非行件数の増減に影響を与えているならば、子育ての仕方も非行件数と同じ波で良くなったり、悪くなったりしているはずですが、まず、そういうことは言えないしょう。そのことは、教育のあり方についても同様に否定できるでしょう。
 このことから、少なくとも、非行問題を考える時には、子育てのあり方、学校教育のあり方に単純に結びつけるのは、無理があると私は結論づけたわけです。確かに、個々の事例をみれば、親子関係がとか、学校がとか個別な理由は挙げられますが、そのことと社会全体で何が問題かとは別に考えるべきでしょう。
 それこそ、どうして交通事故が増えるのかを考える時、スピード違反や前方不注意の人が増え続けているわけではなく、車の台数の増加に道路整備がおいつかないためと考える方が正しいのと同様だと思いますし、同じ問題を抱えた家庭の子どもでも、非行に走らない子もいますし、むしろ、そちらの方が数は多いのです。

*産業構造の変化と非行の波
 では、非行の波は何を表しているのでしょうか。これを産業構造の変化と重ね合わせてみると、非行の波が日本社会が大転換を迎える時期と合致しています。
 昭和20年代初めは、終戦の時期で日本人がこれまで信じてきた価値観を放棄せざるを得なかった時期です。そして昭和30年代半ばは高度経済成長期に移行し、経済構造が大変化を起こした時期ですし、やはり昭和50年代と言うのも、消費社会への移行という大転換期なのです。こう見てきますと、社会が大きな変化を体験する過渡期が、非行の増減にかかわる大きなファクターになっていると考えるのが妥当ではないでしょう。
 では、なぜ過渡期が非行の増減に影響するかと考えますと、過渡期というのは、良いこと、正しいことと信じられてきたことが、揺らいだり、変わる時期=価値観が変わる時期だからです。
 社会全体が揺らぐのですから、大人も大きく揺らぎます。子どもは社会のバロメーターと言われますが、子どもがそうした大人の揺らぎをいち早く反映する大きな『こころの揺れ』を示していると考えると、分かりやすいと思います。言うならば、非行は大人の不安の反映なのです。自分自身が今立っている社会に安心、確信が持てない時、不安は子どもに向かって出やしないかということです。
 神戸の事件とかがあると、日本中あげて不安になりました。事件の大きさ、異常さが大人を不安にさせるということも確かにありますが、それ以前から抱えていた不安が増幅して出てきたと見た方が的を射ていると思います。
 神戸の事件などがあると、子どもへのチェックの眼差しも厳しくなりました。社会全体が子どもに不安を持つと、非行へのしめつけもきつくなります。社会の揺らぎの前駆が子どもを不安にさせ、それが大人の不安を増幅させて、子どもへのチェックを厳しくして、大きな非行の波を形成していると私は考えました。  今、非行は第四のピークを迎えようとしていると言われています。だから、子育て、教育を何とかしなければという声が挙がっています。でも、その前に、個々の子育て、教育の問題ではなく、今社会が大きな変化を迎えつつあるのではないか見てみましょう。今、どんな構造の変化が起ころうとしているのでしょうか。もし、それがないのから、非行はそんなに増えることはないのではないでしょうか。

*子どものこころは荒れてきているのか?
 さて、神戸の事件をきっかけに社会全体が大きな不安にぶつかったと言いましたが、そのことはどの程度妥当なのでしょうか。マスコミはキレる、殺人に走る子が増えている、大変な事態だと報じましたが、これが根拠のある心配なのか冷静に考える必要があります。
 それでは、少年による殺人は増えたのでしょうか。昭和20年から40年代には今の比ではないくらいの、それこそ年間3,400件の殺人が起きていました。そして、40年代後半からは、数10件からせいぜい100件くらいに推移しています。今の人たちは昔それだけの殺人があったことを忘れてしまっているのです。そうすると、少年による殺人が増えているというのは、統計的には妥当でない心配だと言えますし、今の不安は、大人自体が子育て・教育に不安になっている、そのことの反映と考えた方が妥当でしょう。
 暴行・傷害などの強行犯にしても…これは昭和55年頃の校内暴力のピークというものがありますが、それを除けば殺人と同様の波を示していますし、レイプ犯罪にしても同様のことが言えます。援助交際等々、性の問題も大きく取り上げられますが、昔の子どもの方がより激しい性犯罪を起こしていたのです。

*昭和40年〜50年に目を向けて
 少年による凶悪犯罪がなぜ同時期に減っているのか、その理由としてどんなことが考えられるでしょうか。
 凶悪犯罪と言われるものを並べて眺めますと、全て昭和40〜50年の頃に激減しています。むしろ、この急降下が何だったのか、私たちは問題が増大してくるときには一所懸命考えますが、本当に大事なのは、この良くなってきた時の、その理由を考えるべきだと思います。精神療法、心理療法も、悪い所を探してよくするのではなく、良い所、可能性を探して生かしていくものですが、それと同じ考え方です。原因、犯人探しをするよりも、良くなったときの背景を考えるのが大事ですし、良くなった理由を大事にしていけばよいのです。

・豊かであること
 これまで見てきたように、この時期が、高度経済成長の過渡期の揺れ、不安を経て、新しい社会構造を受け入れた時期だということが分かります。貧しい農業国から豊かな工業国への転換です。その当時を経験された方なら分かると思いますが、炭火鉢が翌日には石油ストーブになるということが目に見えて分かった時代です。「物質的に豊かになって心が貧しくなった」と言いますが、貧しい頃を知っている人にとってはそれはわがままで贅沢な話です。貧しさ故に心が荒れて非行に走る、やむにやまれずにしていた強盗等が激減したのですから。社会がある水準以上の豊かさを持っていることはある意味、重要なことなのです。豊かになって贅沢やわがまま故に心が荒んだというのは、個別的には言えても全体としては、妥当ではないだろう。

・思春期
 2つ目に、思春期に増える子どもの問題行動と言う観点です。社会の過渡期と同様に、思春期は子ども自身の過渡期であり、問題行動を起こしやすいものと言うか、子どもは問題行動を起こしながら成長して行くものです。
 その時々に思春期を迎えた子どもは、それぞれ違う生い立ちをしているものです。昭和30、40年代に思春期を迎えた人は、戦中、戦後の混乱期に生まれています。それは子育てに手が回らなかった時期であり、乳幼児期に手厚い子育てを得られなかった人たちです。そのために、不安定な思春期を迎える時、大きな問題行動に走らざるを得なかったのです。
 一方で、昭和50年代に思春期を迎えた人は高度経済成長期に移行していましたし、マイホーム主義が謳われた時代に生まれた子どもたちです。ゆとりを得た大人が子育てに目を向けた頃で、手厚い乳幼児期を過ごせた彼らは、思春期に以前の子どもらほど激しい荒れに繋がることがなかったのです。社会全体として、子育てが手厚く豊かになるということも、重要なことなのです。

・教育の要因
 高校の進学率を見ますと、これが昭和40年代からどんどん上がっています。それに呼応するように非行は激減しています。また、同時に長欠率も減少しています。この時期はちょうど高校進学率が上がり続けた時期です。学識経験者はこれに対して「ゆとりがなくなった。競争意識ばかりを育てている」と批判的でしたし、今もこの考え方は尾を引いています。
 でも、本当にそうなのでしょうか。高校進学率の上昇が子どもたちをダメにしたのならば、その時期にこそ非行、長欠が増えるはずなのですが、それが激減しているのです。昭和20,30年代は、中学を卒業すれば、さらに学びたいという意欲がありながらも家庭の事情が許さなかった時代ですし、自分の先行きに夢が持てなかった時代です。それが昭和40年代になって、学費がまかなえ、中学から高校へと、より高い教養、文化を身につけて社会に出るといった夢や目標を子どもたちが持てるようになったのです。将来に対する行き詰まり感からドロップアウトする子どもが減り、子どもたちが展望、希望、可能性を持つことができたのが、3つ目の要因です。

 これら3つが重なって非行が減ったのです。今、非行の第四の波が来ると言われていますが、そうならないために、
  ★経済的にある水準以上の豊かさを(豊かさの持つプラス面を大切に)
  ★子どもを手厚く育てる(少なく産んで手厚くじっくり長くという考えが、そのまま少子化につながっており、また、過保護、親離れ、子離れの問題など個別的な問題はあるにしても)
  ★教育がどうやって、現実的な夢、希望を与えていけるか
が重要になってきます。

*教育を巡るの諸問題
 昭和50年頃から不登校の件数が上昇しています。ちょうどこれが、進学率がほぼ100%近く、頭打ちの時代になった頃です。高校が誰もが行くのが当たり前の所になってから、長欠率が増えたのです。高校へ行くことが夢や希望に結びつかなくなったのです。大部分が小学校を卒業した時代に高校へ行くことは大きな意味を持ったのですが、皆が行って当たり前になれば、高卒は意味がなくなったのです。それよりむしろ、ドロップアウトすれば、それで社会のマイノリティになるという不安に彩られるようになってしまいました。
 夢や希望に支えられた努力は心を豊かにする、意味のあるものでしたが、意味のない努力はストレスになり、フラストレーションを呼び起こすものです。高校進学がやりがいのある意味のある努力から、意味・価値の持てない努力に変容してしまったのです。
 学級崩壊とか荒廃とか、登校が子供らにとって意味のある努力と体験のできないものになっているのではないでしょうか。さらなる意味を持たせるために、どんなことができるかを考えることが、これからの教育に求められているのです。

*産業構造の変化とこころ
 一見関係がないように見える業構造の変化が、私たちの心にどう作用しているのだろうか。
 第一次産業は「自然に働きかける仕事」であり、第二次産業は「ものに働きかける仕事」、そして、第三次産業は「人に働きかける仕事」と大まかに言うことができますし。つまり、働きかける対象が大きく違うのです。
 自然に働きかける仕事の場合には、長い深い人生経験は要しません。これはいつの時期に種をまき、どう育て、いつ刈り取るかという技能という意味ではなく、対人関係的判断力が必ずしも必要としないという意味です。そのため、小学生くらいからでも、仕事に従事できますし、一人前の労働力として扱われたわけです。
 そして、ものに働きかける仕事。これについても、それなりの高度な技能や知識は要求されますが、人間関係の深い蓄積は必要とされません。
 しかし、人に働きかける仕事となりますと、人とかかわる力がとても重要になってきます。人が何を求め、何を望んでいるか、高度な対人関係の経験、能力が要求されます。それこそ、12,3歳の子で、旋盤工はたとえできたとしても、車のセールスとなると難しいだろうということです。従って、第三次産業が6,70%に達する現代において、人間関係における能力の成熟が求められるようになってきているのです。
 そして、それに呼応するように、子育てのコンセプトは、長く手厚くになってきています。社会の中で自立したおとなになるには、より高い人間的な力が要請されるだけに、これまでよりずっと長い養育の時間が必要になってきているのです。
 子育てを手厚くすることで、問題行動は減ってきているということは先に見たとおりですが、にもかかわらず、子育てに不安を感じるのは、育て上げなければならないレベルが高くなってきているからです。子育てに大人が払う負担が増すということは、それだけ大人に緊張を強いるものであり、そのために、子どもの事件に容易に不安をかき立てられてしまうのでしょう。
 近年、子育てできない親が増えている(親の育児能力が低下している)というのは、全くの誤解で、親は昔も今もそんなに変わっているわけではないのです。ただ、要求されるレベルが高くなっているだけなのです。

*まとめ
 かつて日本は稲作中心の社会でした。稲作というのは、皆そろってやらないとできないことです。一斉一律の共同作業によって生産性の向上させてきたという長い歴史があります。その時代には、皆で足並みをそろえて協調することがなにより評価されたし、個々人も外れることに不安を感じていたのです。
 ところが、そういうことが今の日本ではなくなってきています。主流となった第三次産業においては、『一斉に』ということは受け入れられず、むしろ個別なニーズに対応することが要請されているのです。言うなれば、集団的協調精神は今の社会では基盤を失いつつあるのです。『皆一斉にではなく、それぞれの部署で…』今は、こういう価値観の大きな変化にぶつかっているのです。
 学校現場は『皆一緒に』がコンセプトです。文化全体に集団主義が有効に生きていた時には、それはマッチしていましたが、今は同じに過ごすことが、生き生きとした体験、価値にはならなくなって、個別的ニーズがいかに生かされるかが大事になってきています。そういう意味で、これからの学校の集団教育をどう見直すかが、今後の課題となっています。

この文は、滝川先生の講演を聴いた際に、録ったメモに基づいて再構成したものであり、私が理解できた限りのものである。従って、この文についての責は全て私が負うべきものであることを、申し添えます。

          平成11年11月12日 たこぼうP