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  『思春期の子どもたちの理解と援助の視点』
現代の思春期〜青年期のこころに寄り添うには
京都大学医療技術短期大学部教授 菅 佐 和 子   
* はじめに
 私が何故カウンセラーという仕事を選んだかと言いますと、人間の心という訳の分からないものに関心があったからで、それと言うのが、私自身小さい頃から親子関係での葛藤があったからです。父親からはスパルタ的な教育を受け、田舎に引っ越して当然のようにいじめに遭い、大学では70年代安保前夜という外からの困難がふっかかってくるような環境の中で、人間の心って不思議やなって思っていました。
 今も私は父と距離をおいて生活をしてますけど、会えば「酷い親やった。子どもは親を選べんから大変や」と言いますが、「酷い子やった。親はどんな子が生まれるか分からんから大変や」言い合うような関係でいます。
 こうやって、人前で自分史を語りますと、「お父さんあってのあなたでしょ。感謝しなさい」と説諭されたり、「それはお気の毒でしたね」と同情されたりということが殆どです。
 カウンセラーというのは、『実体験がなくても普遍的共感性を持つように』と教えられてきたのですが、私はやはり似たような体験をしていないと難しいと思います。
 父親の折檻に傷つき、社会に出て挫折した人とのカウンセリングで、その人から「先生の生い立ちは?」と問われることがありまして、こういう時にはたいていは「あなたはそれが知りたいのね」と返すように習っているのですが、その時私は事実を話しました。その人はじっと考え込んでいたのですが、次の回にその人から「先生が自分のお父さんのことを話す時の口調が冷たかった」と言われまして、「あなたの親のことではなく、私が自分の親のことを言うのに、あなたに文句を言われることはない」と話しました。その人は「お父さんが可哀想になった。厳しく先生を仕込んだから先生は立派なカウンセラーになれたのだから、お父さんに感謝せなあかん」と言われまして、「そんなふうに考えられるってえらいね」と返しますと、「たまには良いことも一つも言わせて」と言われました。これが父娘関係の難しいところです。その後、その人から「先生と私の違いってどこやろ」って問いかけられまして、「私はちょっとだけドライでクールなんだと心の中で言っている」と答えました。父とは適度の距離を保ちながらも、心で父を切り離していたのだと思います。まあ、父は私に嫌われていると分かっていたけど、私が拾った猫が思いの外父に懐いていることがあって、それも良いかなって思っています。父娘関係は重要なテーマだと思っています。
 自分のことを自分で語るというのは、作家ではないので難しいけれども、それは『蟹は自分と似た穴を掘る』と言うように、個人的な経験があったからできることだと思います。
 それから、アメリカがアフガンを攻撃した頃に、『ああ、無神経』って新聞記事がありました。父親に対する腹立ちから、よりによってその時期にイスラム教の寺院に入り込んでコーランを盗んで破り捨てた人がいたという件なのですが、「そうでもしないと父親の心のドアを叩けなかった。父親には直接向かえず、大きなことを仕掛けて父に揺さぶりをかけたかったんだな」ということなのでしょう。これも私には自分の体験があるから、これほど大きな心の動きが起きても分かるんだろうなと思います。まあ、この人が自分のクライエントだったら、止めるだろうとは思いますが。
 知り合いの先生から『なぜ私はカウンセラーになろうと思ったか』という趣旨の本を出そうという話がありまして、これまで事例研究という形で、人の内面を俎上に載せてやってきたのだから、自分も載せるべきではないかという話になって、それもそうかなと思って書くことにしました。そうすると、逆にその先生から「本当にいいんですか?」と驚かれて「だって自分のことでしょ」って答えたんですけど、「つらいですよ」って言われました。まあ、その時にこのコーラン事件があったわけで、これって意味のある偶然の一致なんだろうなと思いました。

1 人間のライフサイクルのなかでの思春期〜青年期の意味
 人間には個人差があると思います。持って生まれた個性と、どういう環境に生まれ育ったかということ。小さい時の生活史の中で性格傾向は形作られるものだと思います。それでその中で思春期はどんな時期なのかということを考える必要があると思います。
 思春期とは子どもから大人への変わり目の第一歩なんですね。基本的には生理学的背景をもってやってきます。つまり生殖機能が成熟するのです。犬、猫は一年で個体として親になり得るのですが、人間はこの時期です。まあ、発達加速現象や都市化の影響で、女子で小4頃から、男子で中1頃からが思春期の始まりです。
 生理学的には、親となり得る身体を持ちながら、心理的には児童、生徒であるというように、身体と心理に大きなギャップがある時期です。よく『さなぎの時期』と称されるのですが、さなぎというのは、細胞レベルの変化が起こっている時期です。人間はさなぎにはならないけれど、外面からは何となく分からないまま、身体の中で大きな変化を起こしているわけです。
 身体的に親になり得るということは、心理的には親離れしたくなるけれど、形の上では親から離れらないわけで、別の言い方をすれば、『独立戦争の時期』ということができると思います。思春期は親からの心理的独立戦争の時期であって、何でもして貰いながら反抗する、丸抱えにされながら独立戦争をしかけなければいけないという大変な時期なのです。大なり小なり、これをしておかないと大変になるとはいわれています。
 この時期には、親の欠点が目に付くようになります。一方で、親に自分の心の中を見られるのが嫌になる時期でもあります。女の子にとっては、父親が男性であること自体が気色悪くなるものです。娘に嫌われたと思うお父さんもおいでますが、まあ、これは時期的なもので、一時的現象と考えて下さい。
 とにかく、親離れの独立戦争をしないといけないわけです。親に抱かれている時代から、自他の区別がつく2,3歳頃に第一反抗期があり、そして、思春期に第二反抗期を迎えます。個人としての自分になるということで、これは大変なことです。昔は、家から離れて山にこもるというような形での、原始社会に見られる通過儀礼があったのですが、現代では、そういう儀式がなくなってしまったために、個人で変化に耐えなければならなくなっています。
 一人でその変化に耐えるのは大変なことで、だから、発達のテンポがずれてしまうと困ってしまうわけです。モデルがなく、くっつく人もいないというのはとてもつらいことです。半独立国家になった人が箱に詰められているのが学校で、そこで外交を展開するのです。だから、独立しようとしていない人だけでなく、独立してしまっている人にとっても、それがたとえどんなに素晴らしい個性をもっていたとしても、異質なものとして大変な孤独感にさいなまれることになるわけです。
 『さなぎの時期』を体験させるべきなのですが、それはすごく大変な時期です。それで、学校というところでは、暇にさせると大変なことが起こると思うので、時間に縛って忙しくさせています。ウロウロして貰っては困るので、無駄な時間がないようにして、立ち止まらせないのです。
 大人でも、自分が変な状態の時には、人に見られること、あらを探されることは大変だと感じます。思春期も自分が変っていく時期という点で、人の視線が気になるものです。『自分が汚いと思って手を洗い続ける』『外界が汚いと思って家に入ると外で着ていたもの全てを洗わないといられなくなる』といった形で問題が起こったりします。親から独立して一人の人になるという作業は、たいていはつまずかずに通り過ぎるものですが、敏感な人には大変なことなのです。
 「自分作りとは何か」と言いますと、「自分の生き方を、自分の責任で選べること」ということができます。「今自分は判断できるけれど、どう生きるかは考えても分からない」と言うのが同一性拡散状態ですが、これは大学生くらいの課題です。ただ、その入り口の急カーブが思春期です。『身体の成熟をベースに起こる』ということを頭に置いておく必要があります(思春期を身体的にはpuberty、心理的にはadolescence)。

2 現代社会と若者のストレス
身体の成熟をベースにして、社会の影響を受けるのですが、では、思春期の子どもはどのようなストレスにさらされるのでしょう。ストレスという言葉がよく使われますが、これは元は物理用語で、机に重しを置いた時に机にかかる負荷のことです。そして、その負荷を起こす元をストレッサーと言います。今日のこの蒸し暑さでは、雨がストレッサーになっています。排気ガスや騒音、忙しいスケジュール、対人関係、進路問題などさまざまなストレッサーがあります。ストレスが全くないということはなくて、適度なストレスは必要です。ここでは心理的ストレスに限定して話をしたいと思います。
 個人がストレスに耐える力をストレス耐性と言います。ストレスと耐性のバランスがとれている時には良いのですが、それを超えると、机ならば壊れるしかないのですが、人間の場合には黄信号(赤信号かもしれませんが)がともります。それを素早く察知して何らかの対応をとる必要があります。
 では、黄信号はどうともるのでしょう。心理的ストレスに心理的黄信号がともるのですが、大人の場合は、うつ状態ということが多いです。『うつ』と言うと、その字面から憂うつになると考えがちですが、そうとは限らず、むしろ焦りやイライラの状態になります。チェックポイントとしては、ぐっすり眠れないという状態です。良い睡眠リズムが崩れ、食べても美味しくなかったり、人と会うのがおっくうになったりするというように、なんとなく生き生きしない状態があれば、『うつ』と考えて良いでしょう。
 うつ病と言うと、大変なことのように思われがちですが、これは『心の風邪ひき』と言われるくらいの誰でもなるものです。最近に医学診断では初回かどうかという分類(うつ病エピソードと反復性うつ)しかありません。そしてこれに一番効くのが休養です。頑張って乗り越えるとか根性で乗り越えるというのは無理なのであって、休養すれば必ず治るものです。休養だけでは時間がかかるので、服薬治療が並行されます。精神科に行くことに抵抗があるようならば、心療内科などでも薬は出して貰えます。なによりも軽い間に治すのが良いでしょう。心のエネルギーが足りない状態ですので、問題は治りかけで自殺したくなる(年3万人の自殺者で、殆どが中高年)ということです。これは心の負担感によりまして、1000億円の借金でも平気な人がいれば、1000万円でも自殺する人がいます。
 それから、うつの人を励ましてはいけません。励まされても、それに応えられないということでより落ち込んでしまいます。むしろ、「心配しなくても支えますよ」と相手が気を楽にしながらつながりを感じられるメッセージを伝えていくことが必要です。
 他にも、不安や強迫等といった症状がありますが、心ではなく、身体が肩代わりすることがあります。これは小さい子によくあることです。心に受けたストレスを身体が肩代わりするのです。現代医学では「病は気から」が実証されてきていて、自律神経系(失調等)、内分泌系(生理不順等)、免疫系(NK細胞の衰退等)への影響が明らかになってきています。骨髄移植では、ストレスを軽減しておくと成功率が高まると言われていて、空調や内装、音楽やアロマの他、Drの態度やNrsの対応、家族の理解までも含めて対応してしますが、やはり人間関係でのストレスを下げることが一番難しいようです。
 欧米ではストレスマネージメントと言って、ストレス軽減を自分で何とかしようとすることが言われていて、どういうことかというと、まず深呼吸をします。まあ、ストレスが軽減できるようならできることはした方が良いでしょうね。仕事の途中にでも2,3回。それから、身体のリラックス。これはリラックスしてと言っても難しいもので、例えば肩にぎゅうっと力を込めてパッと抜けば良いわけです。それで脱力したことが分かるでしょう。これも机に座っていてもできることです。こういうことがアピールされてきています。ホントにそんなんでストレス下がるのかな?と思うかもしれませんが、できることはした方が良いかなと思います。なお、これを体系化したのが、自立訓練法です。
 身体にいろんな形で症状が出るので、それを専門医が「心が絡んでいる」と判断したものを『心身症』と言います。心身症は1つの病気ではなく、過敏性腸症候群等のようないろいろな症状があります。下痢と便秘があるから登校できないという人が、内科に行って治そうとしてもうまくいかない時、根本にストレスが過剰になっていると考えることも大切です。
 ストレスは、心、身体、それから行動に出ます。行動というのは、例えば買い物依存やギャンブル依存、いじめ、万引き、痴漢行為、教室内での立ち歩きといったものがそうでしょう。どれか出さないとしょうがないなら、身体は治らないと大変だし、行動を起こして捕まったら大変だし、まあ、心に出ても自殺しない程度なら良いやろってことです。
 症状を外から理解すれば、ストレスとストレス耐性のバランスが崩れると黄信号が出るというのはまず間違いありません。では、対応はと言いますと、放っておいて自然に治るということはありません。ストレス耐性が高まれば良いのですが、現実、ストレスマネージメントではすぐに高まるわけではありません。とりあえずは、ストレッサーから逃げることが必要です。
 いじめの問題にしても、周りから見れば“よくある程度”なのかもしれませんが、当人にとっては、耐えられない程度と理解するしかないわけで、そういう時にはストレッサーを取り去ってストレスを軽減するしかないのです。そして、その次ぎにもう少し逞しくなってくれることがあれば、それをやれば良いわけです。ガミガミ言いすぎたことが良くなかったと思うなら自由にさせれば良いでしょうし、放ったらかしにしたと思うならかかわりを持つようにすればよいのです。遊戯療法やスポーツ、ペットと遊ぶなどいろいろなことがあります。
 ただ、これはそんなにドラマティックにはいきませんし、3歩進んで2歩下がるくらいのものです。どんな時でも絆を離さないつもりで、向こうから蹴飛ばされない限り自分からは去らないつもりでやっていかなければなりません。ひいてしまうと相手は孤独になるだけに、自分から退かないという決心が必要です。
思春期の人を相手にする時には、しつこく追いかけないで自分から退かない態度が大切です。終結にしても「これで終わり」とこちらから切ろうとすると変になります。たいていはなし崩しに来なくなることが多いし、「必要があれば来てね」くらいの手紙でも書くくらいで良いかもしれません。転勤によってかかわれなくなることもありますが、その時にはできるだけ早い時期に、事実を事実として伝え、あなたを見捨てたわけではないことを離すべきです。
 これまで見てきたように、症状をとりあえず黄信号と考えれば間違いはないでしょう。ストレッサーと除き、ストレス耐性を高めるわけですが、そのためには機関連携が必要です。家族だけで抱え込まず、ある機関の対応が冷たければ他の機関を活用するというようにネットワークの情報をもっておくことは必要です。

3 思春期〜青年期と家族・家庭
 家庭においては、兄弟間の競争心が高まっているようです。父性、母性の乏しい友達親子という親側の問題だけでなく、親の愛情を得ようとする競争心といった子ども側の問題もあります。子どもの数が少ないということが関係しているようです。2人兄弟であれば決定的に勝敗がついてしまいます。まあ、6人も兄弟がいれば、下の方はほぼ横並びと思えるわけです。
 親は公平であるように思っていても、期待されすぎた、されなさすぎたということはあります。3人兄弟であれば、上は期待が大きいだろうし、真ん中は親の関心が薄く、その分独立自衛の心が高まります。下は甘やかされる一方で、上の2人の圧力を感じたり、おまけ的位置づけになります。たいてい、上と下が挫折することが多いようです。最近は、母親はおしゃれだけど、子どもはみすぼらしくしていることがあったり、末っ子だからとは言え、楽ということのないようです。
 母親が心満たされないままで母親役をやってきてブチッと切れるということは、子どもの青年期に多いようです。父親は仕事で精一杯で、祖母から自立できない状況だと、母親は自分をうまく表現できずに、子どもを無視したり、依存したり、期待してしまったりするわけです。子どもを可愛がれれば幸せとかつてはそうだったかもしれませんが、妻として満たされないと子どもに向かえなくなっているようです。
 子どもの方からは「両親をきちんとして欲しい」と訴えてくることが多くなっています。独立戦争をしようにも、親が強大過ぎればできませんし、一方で親に余裕がなければ戦争に打って出るわけにもいかないのです。脆い船に乗っていると、子どもは動けないのです。そうなると、同年配の集団で自分の場所とりができなくなったりします。大人しい子、ききわけのよい子が学校で問題を起こすということもよくあります。親が心理的受け皿として機能できるかどうかが大切で、それを援助するのは難しいことです。子どもが相談に出てこないケースの場合は、親にゆとりが出ると子どもも来る気になったりするものです。課題が大きくても、あきらめずに、一人で担がないで、ぶら下がるだけでなく、自分の力を出すことも大切です。
核家族やホテル家族、どういう形の家族がこれから増えていくだろうか。私達はこれからの家族像をまだ持てていない。大家族が良いのか、好きなもの同士が集まるのが良いのか、まだまだ未確定な状態です。

4 思春期〜青年期と学校
 学校という場が持つストレスの中心がクラスや部活です(大人にとっては職場の持つストレスの中心が部署の何人かの人間関係)。部活でもクラスのでも居場所がないと大変になってしまいます。しかし、グループも生き物ですので、設定して与えられないという難しさをもっています。

5 思春期〜青年期と地域社会
 地域社会と家族とのかかわりが薄れていていて、世間体ばかりを気にかけるような状況になってきています。今の地域社会は、「よけいなところには介入せずに、必要な援助を」というバランスがうまくとれていないように思います。
 NPOなど地域社会の様々な繋がりの活力を学校に取り込めると良いなと思っています。

6 若者のもとめる心の交流 −確かな手ごたえの感じられる昨今
 若者は、心の近くで話をして欲しいというニーズはもっていると思います。説教や覗き込まれることもこまるけれど、勝手にしろと言われても困ってしまうのです。
 でも、よくよく考えると、皆、気ぜわしすぎるのではないでしょうか。一時間の雑談ができるかということです。忙しい生活の中で自分のスイッチを切って、結論を出さずにたらたらとした会話を楽しむことができれば良いなと思います。この会話はきっとあとで生きると思います。
 若者は、心の絆を切りたいとは思っていないはずです。大人の側も交流しようというチャンネルを開いていることを伝える努力をするべきだと思います。
 今は大変な時代だとは思うけれど、確かな手応えを感じられたら素晴らしいなと思っています。
平成14年7月13日に催されたI県こころの健康センターの「思春期精神保健公開講演会」に出た際のメモに基づいて、7月18日に作文したもの。間があいたので、結構作文しちゃっている…。当然、文責はおいらにある。それにしても、時間の関係で、最後は尻切れトンボみたいになったのが、残念。
  たこぼうP