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  『思春期の子どもたちの理解と援助の視点』
学校現場における生徒の諸問題 −カウンセラーの立場から
京都大学医療技術短期大学部教授 菅 佐 和 子   
* はじめに
本来ならば心理的発達の話をして、どう対応していけばよいかという展開になるのでしょうが、午前中にお集まりの方が専門職ということですので、一般論は午後に回すことにします。
 私の専門は一対一の面接をするカウンセラーで、教師もしてますが、これは一般的な教師だと思います。ただ、最近カウンセラーの個人の力ではどうにもならないケースが増えてきているように思ってまして、かつては不登校は心の交流ができれば学校に戻ると考えられていたのが、それがはじき出されてしまうと言うか、内面に変化があっても居場所がないという状態だと思います。
 私はわりと安易に考えるところがあって、こちらから穴を掘ってもだめならば、向こうからも掘れば良いだろうって考えまして、じゃあ、学校の中ってどうなってるんだろう?って考えるようになってきています。そうすると、向こう側、学校側からの視点の必要性を感じるようになってきています。
 これまで精神科にいて、学校は外の世界と考えていたのですが、京都で学校のコンサルテーションを求められまして、そこで出会った先生方、特に養護教諭の先生方との出会いは私にとって大きな意味を持っていたように思います。
 それから、京都では20人くらいで、いつも13人くらいしか集まらないのですが、職域を超えた児童思春期の研修会をやってまして、いろんな角度でものを見る人がいて、そこで現実的な対応を考えているのですが、それも大きな意味を持ったみたいです。余談ですが。 まあ、それで、本当に学校の中はどうなっているんだろうか。子どもを取り巻く人の視点に立つということを考えるようになってきました。そうやって立体的、多角的にものをみるようになって、10年くらいになります。

1 「学校・学級」の成り立ちと仕組み
 さて、今、子どもにストレスがどうかかっているかということは午後に回すとして、理想的家庭教育がなされていない現在で、学校はどうなっているのかを考えるために、学校の成立と歴史を振り返ることにしたいと思います。
 現在の学校教育は、明治5年の学制の制定に始まります。江戸期には藩校とか寺子屋があったのですが、明治5年の制定時には、まず基準設定が作られて実際は寺子屋のようなものが中心だったようで、明治30年代以降にようやく学校制度が確立したとものの本には書いてありますし、多分そうなのでしょう。
 そこでは、70人学級くらいの集団教育において、知識伝達型の一斉授業がなされていました。一個人の個性や学習の進度は度外視されていたのです。その時代にはついて来れない人はいたのですが、とにかく、学級集団中心の知識伝達型の教育がなされ、それは今も同じ状況だと思います。子どもたちにとって一番ストレスが高いのは学校というよりは学級なのですが、その学級のもつ重さ、しんどさは、明治30年代頃から萌芽があったわけです。
 その後、敗戦を迎え、教育の民主化があったわけですが、一斉教育は同じままだったし、教える内容も決められるようになりました。教育の内容は変わったけれどもパターンは同じだったわけです。
そして、どこの学校を出たかで、職業選択を決めるようになってきました。一流企業、潰れない会社を求め、どこ行きのバスに乗るかが重視されたわけです。「休まれたら困る」「受験に失敗したら困る」ということで、最近は一流企業も潰れるような時代になったので、建前では個性を尊重しようとは言っているのですが、やはり本音は変わっていません。社会全体の価値観がその方向で走ってきたわけです。
 まあ、おかげで日本は豊かになったわけですが、どんな良いことにも全ての人にとって良いということはあるわけがなく、居場所が見出せない子どもはいつでもいたわけです。社会全体の価値観に反旗を翻してそこから降りれた人は強いのですが、まあ、そういう人はカウンセラーのところにはまず来ないものです。
 それで、学校は嫌だけど、皆の列から外れることや親の期待を裏切ることを恐れる人たち、要するによい子の看板を下ろすことを恐れる人たちと、カウンセラーは出会ってきたのです。
 最初から落ちこぼれている子というのも、自分にとっての価値を持てないということではストレスを感じてます。自分を良いように言われなければ価値観は養成できないのです。では、中間ならというと、それにしても、これ以上落ちられない、これ以上は上がれないというストレスを感じているものです。つまり、どのあたりにいてもストレスはあるのです。
 ストレスは適度であれば必要なものですけど、「これまでどこの学校を出て、どこの会社にはいるか」という価値観しかない時代が長く続いてきたわけで、そのストレスが強く影響してきていました。最近は学生もものを考えるようになってきているように思いますし、もう一回原点に立ち返る時が来たのかと思います。
 それでも、明治5年に法律の青写真がひかれ、知識伝達型の一斉授業で、職業選択が決まるという流れの中で、「どこを出ても、対人関係がとれなければやっていけない」という話は、親の耳には届かなくなっているのは事実でしょう。

2「枠」に収まりきれない若者たち
最近、小学校に適応指導教室ができたりして、別室指導が充実してきているのですが、そこに信じられないほど明るい子が来るようになっています。自分からは教室には入れないけれども、教室の子が別室に来ることは受け入れられるのです。
 ただ、そこに専任の先生がいる場合はまだ良いのですが、空き時間の先生が交替で入る場合、特に年配の先生が手伝いに入ると噛み合わないことがよくあります。年配というのは失礼ですが、『教師とは何か、生徒とはどういうものか』という見方をされる先生の場合にはなかなか噛み合わないのです。つまり、「これが正しいと先生側が口を大にして言っても、生徒側がそれを受け入れないなら同じ」ことで、こういう枠では引っぱっていけない子どもが増えてきているようなのです。
 これが学校外で友達づきあいできる子どもは非行になるのでしょうが、一人でいることしかできない子どもが切れた時には、自傷他害が十分起こるわけです。こうやって子どもが切れたという事件が起こると、いつでも『心のケア』が叫ばれるのですが、こういう状況がどんどん増えてくるとすれば、どこかで『ガス抜き』をする必要があると思います。
 1つ事件が起きますと、それに類似した事件がよく続くものです。一人で閉じこもっていると、誰も相手にしてくれないのですが、一旦事件が起きてそれを皆が注目しているのを見ると、自分に目を向けさせるためにも、「やらなくちゃ」って思ってしまうようです。一生薄暗い部屋で悩むのは嫌で、立ち上がろうとする人がいることを忘れてはいけません。
衝動性は抑えられるものだと我々は信じてきたのですが、その力が弱くなっているように思います。それで追いつめられると切れてしまうのです。しつけ不足や甘やかしによってセルフコントロールの力が弱くなっていると言われていますが、そんな簡単なことなのかと思います。
 子どもは皆、見捨てられたら困るので、親の気持ちにはらはらしているのではないでしょうか。親の受容力に限界が来ているように思います。親の力が低下していると言ってしまえばそれまでなのですが、親が親であることに精一杯なのかもしれません。相談を受けていますと、親自身が『子ども心』を整理できていないのではないかと思うことも時々あります。「私よりも姉の方が大切に育てられた」というように、自分が心を満たされていない人には「子どもを大事にして」と言っても無理だったりするのです。
 先生方は、「親からの子どもへの援助が必要」と思いながらも、それ以前に「親を支えることが必要」とされると、より重荷を抱えさせられることになるのです。
 カウンセラーは「人の荷物を抱える人ではない」と教えられてきたのですが、最近は「抱えてくれないんですか?」と言ってくる人が多くて、その覚悟をしないといけなくなってきています。自分の内面を掘り下げたい人は少なく、「助けて」と言う人が多くなっているのです。
 頑張って欲しい親こそ逃げ腰になってしまうことは多いもので、先生には「でも言うべきことは言いたい」という方もいらっしゃって、「言いたいことは言わないとしょうがない」と思うので「どうぞ」とは言うのです。それでうまくいくこともあるのですが、大体10回に1回くらいのものでしょう。むしろ、言われた親は、「あの先生嫌い」と言って顔を合わせようとしなくなったり、「あんたのせいで」と子どもの当たったりする方が多いようです。
 頑張って欲しい人に、「頑張って」とは言わないで、じゃあ、どういうことが言えるかと言えば、ホッとなれるようなことなのだと思います。人間、ゆとりができると頑張れるものなのです。だから、「その人のキャパシティからしたら、しんどいだろう」と分かることが共感能力なのだと思います。じゃあ、どうしたらそれが分かるかと言うと、その人の生活史、原家族まで理解しないと分からないように思います。
 親であっても、親の中にも『子ども心』があります。『親心』になるとは、自分のことより子どものことを考えるということです。社会に出て職場で頑張るというのは、『大人心(そつなくこなすということ)』ですが、それを『親心』にスイッチするのは難しいことです。というのが、『親心』とは、『大人心』とはまた違うものだからです。言うなれば「これだけしているからお前も頑張れと、背中で語ること」なのです。
 子どもが危機にある時に立ち向かえない親はいて、それでも一緒に逃げるくらいはできるはずですが、転んでも助けられない親が増えているようです。転んだ子に「痛くない。痛くない。痛くないと思えば痛くない」って親は言うのですが、それって子どもにとっては大変なことです。痛いものは痛いのに、自分の感覚を信じるなと言われるのですからね。それで、友達親も良いのですけれど、思春期になると子どもは「ホントに親か」と突いてくるのです。

3 もうひとつの「教室」を求めて
 子どもは、家庭という楽屋から学校という舞台に出るのですが、楽屋に戻ったらしっかり充電して朝まで養生[ようじょう]しないといけないのです。ところが皆会社とかに行ってますし、戻ってくると誰が楽屋の主になってくれるのかということになります。おじいちゃん、おばあちゃんが家にいる場合は、形としては主の役をとれるのですが、そういう人たちの場合には自分の価値観を押しつけるようなことにもなったりしますので、楽屋にもこもれないということになります。
 では、楽屋に居続ければ出て行けるのかというと、ここでやっぱり充電は大切なことです。一人で休むのは必要なことですし、年休、代休、足りなければ病休を使ってでも休むようにとはなしています。煮詰まったら休むことが必要だと思います。それは大人にとってもそうですが、子どもにとっても、「とにかく一人でしばらく休ませて」ということが必要です。こう言いますと、「それは何日?何週間?」と聞かれるのですが、それはケース・バイ・ケース、「とにかく1,2週間は休ませて」というのは間違いのないところです。
 それじゃ、その時にどう働きかけるかということになるのですが、先生方には家庭訪問をお願いします。登校刺激は与えないというのは、よく知られるようになってきていますので、そういうことはなくなっているのですが、「じゃあ、放っておけば良いのか」ということになります。「会えなければ、力ずくで引きずり出して対面したい」ということを言われる先生もいらっしゃいますが、これはうまくいかないことが多いので、「大抵悪くなると聞いてます」と伝えています。
 訪問は必要だけれど、ズカズカ踏み込むのはダメなわけで、まあ、この時、本人と保護者のニードが違うことはよくあります。「学校のプリントは全部くれ」と言われる保護者がいるのだけれど、クラスに配って靴跡がついたものだったり、期限が切れていたり、同じものが数枚あったりということが時々あるようで、それは気をつけるべきですね。それから、そのプリントを本人に渡すかについては、「親に渡して、子どもに見せるのは考えて下さいと伝えるように」と話しています。本人の方は、次々に言われるのは嫌と思っているかもしれません。こういう場合に、先生の方で子どもにプリントを渡さないようにと止めれば保護者に不満が残るし、先生と保護者の相性が悪いと大変です。だから、担任が子どもに気長にアプローチをするなら、保護者へのアプローチは養護教諭とか管理職にというように複数で対応していくことが重要です。子どもの心に応えようとすれば、保護者や保護者担当にも腹が立ちますし、保護者の心に応えようとすれば、子どもや子ども担当に腹が立つということはよくあることです。
 そうならないためには、ケースの心を理解しないといけません。それには、場数を踏んだり事例検討に参加したりすることが必要ですし、いつでも自分の心をモニターして欲しいと思います。
 学校の先生から相談を受ける時も、「どうしましょう」と言われて、「あなたはどう思いますか?」と返してもなかなか答えはありません。だから、「こういうやり方をした人がいました」と提案することにしていますが、そうなると、大切な「自分で感じて考えること」や「工夫すること」をしなくなってしまいやすいようですが、とりあえず手がかりとして提案はするようにしています。
 さりげなく時々家庭訪問をして、私なら、踏み込まないようにします。その間、保護者担当にはしっかり保護者をフォローして貰うようにします。無理せずにつきあっていくと、子どもはある程度よくなるのですが、そうなると、逆に「このままで良いのか」と保護者は先を求めます。経済的社会的自立を求めるのは、保護者としては当然の気持ちです。その保護者に付き添って、子どものための時間を確保するのです。その時に、グチが言えるということも大切なことだと思います。
 それで、子どもに会って貰えない時どうするかと言いますと、手紙やファックス、最近ではメールを使います。電話は便利ですが、受ける方が大変です。内容も直接的なものを長々とは書かず、間接的なことを手短に書く方が良いようです。率直な先生で『学校に出てきても無視されるかもしれないけれど、気にしないように』と子どものことを思って書いた先生がいて、逆に子どもが余計に傷ついたという話も聞きます。『出てこい。皆、こうしてる。何してる』と書くよりは、植物や動物の話題等当たらず触らずの内容で、それでいて常に関心をもっていることをアピールできると良いのです。これってなかなか書きにくいものですが、心の絆を作っていくことが大切です。また、心の相談室のお兄さん、お姉さんの訪問も良いように思います。
先にも言いましたが、校門をくぐれても教室には入れない子どもが多くなっています。それで学校内の居場所として、保健室を活用したり、心の相談室といった別室が整備されてきています。こういうものを用意すると「楽なところがあるから皆逃げ込んでしまう。甘やかすと怠ける」と言う人が出てきて、「怠けとしんどいとはどこで区別すれば良いのですか?」と質問されることがあります。まあ、「目の角度が…」とかって言えるわけではありませんしね。『甘えや怠けならばガツン!とやりたい』という気持ちは、当事者であればなおのことそう思うということは分かるけれど、純然たる甘えや怠けがどれくらいいるかは分かりませんし、追いつめないようにすることが大切です。どうしても言いたいという先生がいれば、言ってどうなるとは思いますが、そのフォローが必要です。
 別室登校といっても環境整備が必要で、皆がいるところを通らないと入れない場所というのはダメです。それに廊下にはカーテンやブラインド、入り口には衝立のガードがあった方が良いですし、そこの部屋の主のような人がいるべきです。順番に手が空いた人というようにすると、義務感とか嫌々で入る人がいるというふうになってしまって、それでは困るわけです。まあ、いわゆるデイケアを学校内に作るということです。
 ただ、ここから教室というのがものすごく敷居が高いということは分かっていて欲しいものです。心の相談室に行っている院生の女性がかかわっている生徒の話なのですが、遠足とかで全校生徒がいない日に、その子が「教室に入ってみたい」と言ったのです。それで「ついて来て」と言われて、それでもなかなか入れずにいて、ようやく入れた時に「私はここに来たかったんだぁ」と言われて涙が流れたって話でした。
 中学に行けなくても高校には行く子はいます。つまずいた場所では立ち直れなくても、少人数で一緒に過ごすことから立ち直りの力をつけていくものです。
 では、その別室で何をするかということですが、そこで教科書を開いているというところもあります。でも、将来社会の中に居場所を見出せる力を身につけるプロセスと見ないと、学校は目的になってしまいます。ちょっとリラックスできると力が出るものです。まず、学校内に別室を認知してもらうことが必要です。
しかし、校内はつらいという子もいます。そういう時には学校外の適応指導教室の充実を図っていくことが必要です。なによりも重要なのはその教室の中をどうするかということです。設備よりも、やはりスタッフの質が肝心です。
 自分の全てをさらせる人というのは大切で、そのためにお兄さん代わり、お姉さん代わりの人を泳がせておくのも良い方法です。父性、母性の軸になる人が一組いて、それから明朗快活な大人から見て評価が高い人でなく、おや?って思えるような人を入れておくのが良いようです。自分も悩んでいるという人は、鋭敏すぎたり繊細すぎたりして困ったりするものです。与える構えではなく、一緒に楽しみたいな、思春期の復習になるかなっていう人が適していると思います。
 私がかかわっているところは、人口20万人弱で中学校が9カ所あるところの適応指導教室で、定員は20人、小3から中3までが来ていまして、たいていは13人くらいが来ています。場所は古い幼稚園の跡地です。それぞれの下駄箱があって、和室の居場所、それから週1回非常勤のカウンセラーが来ていて、個人面談の部屋もあります。そして、ミーティングルーム、PCルームとかもあって、「ここに来て初めて友達と遊べるようになった」という子が多いです。大体曜日ごとに活動が決まっていて、工作はあまり人気はないのですが、横に菜園があって自分たちで育てたものでクッキングするのは結構受けるみたいです。建物自体が、古びているところがなかなか良くって、横にお年寄りがゲートボールができるところがあって、地域に開かれたところになっています。
 その他、民間の居場所として、ユース・サービスセンター、学生ボランティア、NPOなどがあって、子どもによっては併用している子もいます。民間の利点としては、小回りがきいたり、いろんな人がスタッフに入れるということがありますが、一方で指導者の個人的な価値観でひっぱられるということもあったりはします。
 家の外に別室を作っていくことはとても意味のあることだと思います。
こういうことをやってきましたが、肝心の教室はどうだろうかと考えますと、1教室の生徒数を減らすことや複数担任制、先生が書類書きに追われない環境作りや、スクールカウンセラーの充実などやるべきことはいろいろあると思います。

4 心理的援助における二者関係・三者関係の見極めの重要性
人の心にかかわることにマニュアルは作れません。ただ、別室をつくることで、子どもたちが元気にたくましく過ごしていれば、それは何もしないより良いなと思います。「それなら、中3で終わるのは可哀想ではないか」と言われることもあるのですが、いつか巣立つ時が必要で、やはりエンドレスであってはいけないと思います。
 高校にも別室が必要かもしれません。いろんな学校の中でインターネットとかを活用して、授業の内容が伝わるということも要るのかもしれません。「そこまで甘やかす必要があるのか」と言われるかもしれませんが、それ以上に、この時期に人とふれあう機会をなくすことが良いのではないか?と思ったりもします。
 集団が苦手な子は集団をかえ[換え、変え]ても動きません。二者関係ができても、三者関係ができない人は多いのです。1対1のキャッチボールならば、ボールは自分にしか戻ってこないのですが、3人となると、どっちに投げる?あの人は私にあまり投げてくれない等考えることが増えて、俄然難しくなるのです。
 基本は二者関係でありますが、社会は三者関係で成り立っています。もう一度二者関係に立ち戻って、できることから復習し、それから小さな三者関係(小集団)、そして大きな三者関係(学校、社会)というふうに、二者関係から三者関係へのステップアップをどう支援するかが重要です。まあ、三者関係を引っかき回す人もいることはいますが。
 
* 終わりに
今、二者関係と三者関係の中でどの程度にいるのか、それに応じた援助を見立てていくことが必要です。手紙、メンタルフレンド、適応指導教室、別室指導、中3で進路指導というところで、様々な部局での連携が必要になります。他職種の目からはどう見えるかを考えることで連携は組みやすくなると思います。
 病院やカウンセラーは個人との契約でやっていることだから、それを言ってはいけないと思っているところがあります。それで「守秘義務がありますので」と話さないことが多いです。
 これは子どもとの信頼関係ができてからのことですが、私はいずれ戻る学校には仲間を作っておきたいと思っています。だから、「どれは分かっておいて貰いたいかな?」と本人に聞いて伝えるようにしています。まあ、それは保護者にも同じことです。「言うことを守る」と言うスタンスで、まず本人の許可(内的許可)を得て、保護者からの許可(外的許可)を得て、これだけ伝える、これだけ伝えたと、本人には秘密を持たないようにしています。ただ、本人の許可を得ての話ですので、洗いざらいは伝えられないことは分かっていて欲しいと思います。
 『学校現場で役立つ臨床心理学』(共編著 日本評論社)に連携のことはいろいろと書きましたので、よろしければ読んでみて下さい。大事なことは皆で情報を共有しましょう。「共有することは本人のためになる」、「周りの人と連携することが本人の役に立つ」、「協力して貰えないとうまくいかない」と思えないと連携にはならないと思います。
平成14年7月13日に催されたI県こころの健康センターの「思春期関係機関研修会」に出た際のメモに基づいて、7月18日に作文したもの。間があいたので、結構作文しちゃっている…。当然、文責はおいらにある。
  たこぼうP