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 思春期の引きこもりについて 2
『児童・青年期の人々のひきこもり』

大正大学人間学部教授 村瀬嘉代子

◆はじめに
 私、対人恐怖なので、座ってお話させていただきます。
 主催者側から与えられたテーマが引きこもりの人にどうかかわるかということなのですが、ひきこもりは現象ですので、分裂病で退院まもない人のひきこもりならば、治療全体の流れからは、そっと見守っていることが必要ですし、心因反応的なひきこもりであっても、自分の中を味わい直し、育ち直すための内閉状態も大切にせねばなりません。現象はその背景抜きでは対応を考えることはできません。引きこもりの背景にある、今の時代、社会情勢を見ないで、子供、家族だけを見ていても対応を考えることは難しいものです。まず、社会的なところから、そして治療的なところへ話を進めていきたいと思います。

1 現代の人間関係の特徴
 現代の人間関係の特徴を、「さらりと淡く立ち入れない、まるで透明なカプセルの中に入り込んだような」と表現してみましょうか。一応愛想は良くて、さしさわりのあることもしたり言ったりせず、Aさんと会うにもBさんと会うにも特に違いがなく、それはあたかも“のっぺらぼう”のようなそんな人間関係が見えてきます。
 最近の大学院生のレポートを見ますと、器用に、色々なものをつないだ、さらりと上手なものを書いてきます。しかし、そこには個性がなく、また、どこまで理解しているかも疑問です。例えば、フロイトについてのレポートを出しますと、理論については、すばらしく理路整然としたものを書いてくれます。そこで、その院生に「フロイトの育った時代は?その時代にユダヤ人として生きることは?」等といった質問をしてみるのですが、そこで詰まってしまうことが殆どです。
 現代は、自らの問題を引き受けて考え抜くことが、さほど推奨されなくなってきています。考えたり悩んだりすることを一言“根暗”で片付けてしまう風潮があります。レポートにしても、深く考えないで、理論を切り貼りすることにばかり長けているようです。  

2 高度の物質文明が人間にもたらす光と影
 このように特徴づけられる人間関係の根底には、現代の高度の物質文明が関係していることは否定できません。
 無機質な環境が、自分の中で確かめて練り上げることをさせなくなったという影の部分があります。疑似体験が可能になったことで、例えば、パイロットの訓練でも、実際の命の危険を感じる必要もなくシュミレートできることは、咄嗟の場面に対応するためには、貴重なことからしれませんが、しなやかに少し耐えて考え抜くことが薄れやすくなっています。大型テレビで高い山から下界を眺めれば、それはそれで感動ものかもしれませんが、実際に登ることで得られる壮快感は、決して味わう事はできません。結果だけがパッと出されて、その間の大事なものをそぎ落としてきたように思います。
 また、柔らかな有機的な関わりも減少してきています。「手塩にかける」、「手作りの」、「手当てされた」といったことが、少なくなっています。惣菜一つとっても、以前はしっかりと時間をかけて作ったものですが、最近はコンビニへ行けば、24時間何でも手に入ります。夕暮れ時ともなれば、バラエティに富んだ惣菜が、味は画一的かもしれませんが、ずらりと並びます。一人前でなく、“個食”というようですが(孤食でもあるのでしょう)、個食しながらテレビで疑似体験が当然となってきています。こうしたマスプロダクションによって、個別性、感性、創造性が疎外されてきました。
 さらに、じっくりと時間をかけて本を読むこともなくなり、読みもしない本を、それこそ題名と著者名を線で繋ぐことをするのが当然の教育がなされており、どんどん言葉が貧しくなっています。そしてそのことが思考を平板化させてきているようです。
 「カワイー」「カッコイー」といった言葉で全てが表現されてしまいますが、「カワイー」一つとっても、その時々で色々な意味で使われています。やはりその場に即応した言葉で形容されるべきですし、母国語が大切にされることが心を育てることには極めて重要なことです。

3 時代の閉塞感
 経済の行き詰まりは自明のことですし、当然の帰結なのですが、これまでそうした現実に目を向けず、ひたすら右上がり一直線の上昇志向のベクトルで、ものごとを考えてきていました。しかし、これからは、そうした成長が望めるわけもなく、ファジーな相互交流パターンで、柔軟性をもって、ことに当たらなくてはなりません。こうした難しい状態の時には、基本的な知識をおさえた上で、自分を個人としてどう練り上げていくかが求められるのですが、現実には、マニュアル的なものばかりがもてはやされています。しかしやはり、分化と統合の絶えざる努力が求められているのです。  

4 臨床を通して見る、他者や自分へのかかわり方の特徴
 これまでの自分の臨床を振り返ってみますと、1960年代半ばから1970年までは、子供は葛藤を抱えて悩み、考え抜くという関わり方をしていましたが、その後、暴力に訴えるというふうになりました。いわゆる“校内暴力の時代”です。ある地域では、教師に格闘技の素養が求められました。右上がり一直線の上昇志向の時代で、そうした暴力も押さえ込まれることが多く、その結果、抜毛のような自傷が増えました。そして現在、無気力、無感動なひきこもりが増えています。
 言葉の上での精神保健への理解の高まりが、知識としては色々なことを知っているが、翻って自分に当てはめてみれば、自分はどうかということになっています。外でつらい思いをするくらいならば、ひきこもってという状態が当然になっています。
 人格の中核が育っておらず、中身が虚ろで、存在することをよしとできない、守りの薄い、居場所感覚の乏しい状態にあります。観念が経験によって裏打ちされていないので、理屈だけをこねくり回し、知識と知恵が乖離して、知識はあっても知恵はもう一つというふうです。とりわけ思春期・青年期の人の言葉は、鋭く本質的なものを言い得ているのですが、内的なものを言い尽くせていない、内的体験と言葉の乖離を起こしています。  

5 時代の推移の中にあって変わるものと変わらざるもの
 じっくりと相手と話をしてかかわってみますと、見えてくるものがあります。いたずらに変化するものにこだわらず、こころの根底にある不変のものに目を向けてみるのです。ただし、それと出会い育むには、マニュアル的なかかわりを越えなければなりません。一見無感動で無気力な相手に、一つの理論方法で対応するのではなく、その人にあった個別的で統合的な自然体なかかわりが必要です。
 カウンセリングの知識が世に行き渡ったのは良いのですが、例えば、虐待の体験を言語化させる、遊びに出させるということが大切ということは分かっているので、そのことを「表出する助けをする」ことに尽力しがちですが、本人が、それを受け入れられない時に表出させたとしても、本人の基本的なところは変わらないわけで、決してそのような“心に手垢をつける”ようなことをしてはいけません。場と時と人とが備わったときでない限り、むしろ「傷口をそっと包む」ことの方が大切です。このように「表出する助けをする」ことと「傷口をそっと包む」ことについてのバランス感覚を持つことが重要です。
 また、触知しうるものや量に着目するばかりでなく、やはり「見えないものを見ようとし、声なき声に耳をすます、それでいて侵襲的でない」、こういった感覚を持っていると、否定的なものの裏側にある何かが見えてくるものです。
 相手が物語る前には物語らせない慎み深さを持ち、遠くを見る眼差しを持ちながらも、それとの連関を考え合わせながら、今、ここで着手できることをしてみることです。
 そして、〇〇といった技法に囚われず、全体的で個別的な、創造的かかわりを持つのです。技法に走ると何か言葉に息吹がなくなるものです。
 以前に出会ったクライエントで、その人は混迷状態にありましたが、言葉で通じあえる部分がずいぶんあったように思いました。しかし、その人と別れる時に言ってくれた言葉「たくさん交わされたことばは消えていく。でも先生が一緒にいてくれたという行為は残る…」を聞いた時、お茶を飲んでいるようなさりげない時、冷たくも暖かくもなく、さらっと淡々とあることができたことかと思いました。
 また、分かっている言葉を使って話をしているかが大切です。法律的紛争も人間関係の綾と捉え、そういうことを学ぼうとする弁護士の方がいらっしゃって、その先生は、荒れている中学に行って権利とかの授業をされたりもしているのですが、確かに書類は法律用語で一杯ですが、その人と話をすると、柔らかく平易で的確に話をされます。そうすると被疑者の方も素直に返事ができるようです。自分が使っている言葉に常にコンシャスであることが大切です。  

6 引きこもりへのかかわり方の様々
1)本人の特性を活かすライフスタイルを考える
 「どういうふうになっていきたいか?」を、当事者の意向に沿ってすすめなければいけません。働かずに家にいるけれど、小遣いを与え続ける親が、ここ3年増えているようです。アパートにでも入れて、大体その辺に落ち着くだろうと見ているようです。人と分かち合いたいというのが人間の本質かと思いますし、フロイトの『働くことと愛することは人間の健康の指標』と言う言葉もあるのですが、そうでもない生き方もあるようです。
 持っている素質も高く、部分的知識も多いのですが、「自分の失った時間を返せ」と訴えていた人がおいでまして、その人は、それなりの素養もあるので、株の売買で一人で生きていけると納得されていました。バブルが弾けて株の売買で生きていくのは随分大変なのですが、これは自分が選んだスタイルだからやると、つましく生活しておいでます。家族も、「あの子は兄弟の中で一番親思いの子」と、まあ、こういう落ち着き方もあるようです。

2)「待つ」ことが意味をもたらす場合
 「待つ」というのは先送りするということではなく、多少どうかと思うスタイルでも、納得して待てることもありえるかなということが、ここ3、4年増えているようです。
 激しい家庭内暴力から境界例になった人がおいでまして、その人の家族は、東大出のバリバリでないと相手をしないようなプライドの高い人たちでした。その母親が、本人に内緒で水薬を飲ませていたのです。ちょうど本人が、学校に行けなくても自分の身の立つ技能を見つけて旅立つ矢先に、母親のノートを見てそのことを知ってしまったのです。本人は「もう何も信じられくなった。自分の10数年が揺らいでしまった。もう親とは一緒に住めない」と、この家庭では考えられないような狭いアパートに家族を追いやり、広い家で一人、生活費は親が払うという生活を始めました。父親もリタイヤして、かつての華やかさもなくなり、自分や自分の家の歴史、自分が周囲に及ぼした意味を考えたそうです。着るものを取りに家に寄ることを拒むので、リサイクルショップで買い揃えたりして、つましく生活されています。親戚からは「踏み込めば」と言われたりもしたのですが、「(自分たちが)本人を壊したことを、考える必要があるのですし、待ちます」と言われました。本人が20歳の誕生日に「親とは言えないが、好意を持って自分に付き合ってくれる人として認めます」と言いました。待つ時間を主体的に過ごすこと、真摯に考えそういうところの傍らにあって内側から育ってくるところの糸口を見つけてじっと待つことがもう1度できるかが重要です。「早く」「沢山」「上手に」の世界で、本物に会う、本当に待つことが少ないように思います。

3)個別的にして多面的アプローチ
 20年近く中間施設とかかわってきまして、去年岩波から本を出したのですが、その本以降のことなどお話したいと思います。
 教え子が地方の精神病院に勤めていまして、力のあるのにずっと院内にいる人がいることを奇異に思い、院長に尋ねたところ、「その人の家に行ってごらん」と言われて、見に行ったそうです。そこで、受け皿がないまま(病院に)残らざるをえない人がいることを知り、「何とかしたい」と私のところに言ってきたのが始まりでした。私も世の中での振る舞い方が身につく、手作りの場を求めていたところでしたので、その施設作りにかかわることになりました。
 場所は府中市。ここは、色々な顔をもった町で、ちょっと変わった人がいても、そんなに変にも思われないところです。
 そこでは、午前中に周囲の清掃と、それぞれに合った個別授業をします。午後は運動です。体育と言わないのは、体育に対して悪いイメージを持っている人が多かったりするためです。それこそ、野球をしてもピッチャーはバットにボールが当たるように投げないといけないというルールです。個別授業についても、できる人は通信制で高卒資格をとれるよう援助しますが、そういう人は希で、学力的には小学校高学年、学ぶことも嫌いということで、来て寝ているだけの人もいます。私も授業を持ってみたのですが、「色んな角度で説明でき、また生活実感に即応した話題を利用しその中に原理原則を詰め込む」ような授業が必要なものですから、準備に時間がかかり自分自身、正確に分かっているかを見つめ直すことが必要でした。
>浮き島のような知識ではなく、10いることを教えるには、17も18も咀嚼しておかなければいけないのです。このことを思うと、今の学校教育で全部の教科を子供に分からせることは、並大抵のことではないのだと思います。
 また、地域で生活していくためには、奇異に見られないようにつとめなければいけません。運動の後は、こざっぱりとした格好で帰るように着替えをします。遠方から通ってくる子もいますので、汚れ物を持ったまま電車に乗るわけにもいきませんから、洗濯、アイロンかけもそこでやっています。ある帰国子女の緘黙の子が、いきなりズボンを脱いで私に差し出すことがありました。皆は「こんなところでパンツになって」とすぐに履くように言いましたが、ズボンにアイロンの線を入れて欲しかったようだったので、私は「良いよ」と答えました。
>自分の思っていることを出せば反応が返ってくることが必要だったのです。その頃から「書いてみようよ」とごはんのメニューからでも書くようにして、きちんとした文章が書けるようになりました。
 バイトに行くには、バイクの免許が必要ですし、それを取るために国語の勉強をしようということもありました。この20年間の111例を整理したことがあるのですが、その中には111回バイクの受験をした人もいました。「そんなに落ちる人、大丈夫か」と言う人もいますが、それだけ勉強したのだから本当にきちんと運転しています。
>実利的目的が世の中に出るとっかかりになる子供もいるのです。
 色々なフリースクールもできてきて、この中間施設に来る人は、比較的重い人が増えてきました。なかなか就職に結びつかないので、「いっそのこと会社を」ということで、軽自動車による運搬会社も設立しました。また、免許をとれない人もいるので、ポスティング(個別ビラ配り)の仕事を請け負って、5万分の1の地図を拡大して範囲を説明し、一緒に配布場所まで行って、その都度大事なポイントを教えるようにしました。最初は「かったるい」と言っていた人もそうやって一緒になって動くことでするようになりました。
 この中間施設へ通ってくるのは、退院後も引きこもっている人たちで、最初からすぐに本人が来るわけではなく、まず親が見にくることが殆どです。来てみて「とっても重そうな青年なのに良い表情をしている」と言って、すぐに本人を連れてこられる人もいますし、「この建物は自前か借家か」などと色々と詮索する人もいます。そういう親にも丁寧に説明しますと、次第に親も変わってくるものです。本人も来てみるということになりますし、その人なりに何かすることがあれば続くものです。
 それから、実際に免許を取るのが難しい人のために、清掃会社も作りました。色々な建材に応じた洗剤を使わなければいけないので、なかなか難しいものです。その時には、勉強用にと私の家で実験してみることにしました。この頃はそれなりに注文が来るようになっています。
 >マニュアルだけではなく、それぞれの状況に応じて、次にどういう風にしたらハードルを乗り越えられるかを絶えずクリエートしないと、重篤な人には対応できませんし、いつも考えていくことが大切です。
 免許取得についても、「やる気になっているところを潰さないようにして教えてもられるように」と自動車教習所との連携を図りました。そのうちに施設専用の教習車を買い入れましたし、「人との付き合いが大好き」という定年間近の(ベテラン)教官が施設スタッフとして参加してくれることになりました。
>繰り返し繰り返し、決して自尊心を損なわず、ちょっとしたポイントでコツを教えるようにしています。
 免許を持つことは特に男性には意味のあることで、随分と自信になるようであす。事故を起こした人もいませんし、暴走族に入る人もいません。以前暴走族に入っていた人がいたので、「そんなに走りたいのならレースに出よう」とレーシングチームも作りました。公道でバリバリやっていてもレースに出れば遅いものでした。しかし、その体験を通して、“生きたい”と強く思うようになった人もいました。今は、走りたがる人もいないのでチームは休眠中です。

◆おわりに
 手掛かりなしに待つのではなく、絶えず手掛かりを見つける努力をしなければいけません。マニュアルを知って、それを越える努力、きれいに枠にはまるようなことなく、なお個別的多面的に創意工夫し、治癒するのは本人と、本人の治癒力、成長力を信頼して“待つ”ことが大切です。
 私は、何歳になったから定年というのではなく、「しんどいな、もう考えることできないな」と思った時が定年だと思っています。

 平成9年9月27日(土)県立中央病院「健康教育館」において1997年度児童思春期精神保健講座が開催され、山崎晃資先生及び村瀬嘉代子先生によるレクチャーがなされた。これは、そのレクチャーを受講した際に、筆者が書き取ったメモに基づいて再構成(勝手に作文)したものである。筆者の理解という荒いフィルターを通っているため、先生が意図されたこととは異なることが記載されているかもしれないが、その時の理解の及び範囲でここに記す。

                                 文責 たこぼうP