『現代の家族関係について考える 〜家族療法をめぐって』
香川医科大学教授 石川 元
◆はじめに…
『現代の家族関係について』ということですが、あまりに大きなテーマでどう話をして良いものか困っているのですが、サブタイトルに『家族療法をめぐって』とありますので、そういうことで、ちょっとホッとしています。
ちょうど1週間前に、ラジオの収録で、ある小児科の先生と家族について話をする機会がありました。その先生は、私から言うと理想的な…悪く言えば理想論の…考え方をする方でした。ことの発端は、児童相談所が中心となって作った“虐待のパンフレット”についてでした。こうしたパンフレットを作って、これから母親になる人に配ろうということになったわけです。作った側は現場での悲惨な状況を知っていて、実際には母親自身も救いを求めていることが分かっているので、「自分だけで悩まないで!」とメッセージを込めることが虐待の予防に役立つと考えたのです。ところが、この先生が「こんなことを普通の母親に伝える必要はない!」と言ったものですから、作った側から疎まれたわけです。
この先生の考え方というのが、要するに『母子は互恵的関係にあるものであって、健全な世の中ならば、それは保たれている』ということです。日本の母子関係と言うのは、明治期に来日したモース(米国の生物学者。ハーバード大学に学ぶ。1877年腕足類採集のため来日,翌年再び来日して東京大学初代動物学教授として,日本の近代的動物学の育成に尽力したほか,進化論の紹介や教育施設の充実にも活躍した。また大森貝塚などの発掘,日本先住民の研究にも努め,日本の考古学,人類学の創設者の一人でもある。主著《大森介墟古物編》《日本先住民の遺跡》《日本その日その日》。)が「こんな良い母子関係はない」と言ったくらいの関係であり、これを害したのが物質文明だというのです。
この先生の偉いところは、ただの論評や愚痴で終わらないところでしょう。先生の病院では、24時間、いつ父親(母親)が訪ねてきても新生児に会わせてくれるようにしています。これは、小さなことですが、父性(母性)を育てることに繋がっているのです。 要するに、この先生と、虐待にかかわる人とは、論点が違うのです。先生の方は『パンフレットを作るくらいなら、もっと根本的なことを』、『健康な人たちに妙な偏見を与えるくらいならば、母性を育てることの方が大事』と言っているのです。この考え方は、現実的ではない(理想的)としても、大切なことだと思います。
浜松医科大学で家族療法を実践していた当時、ある教育心理学の大家の書評に触れることがありました。「昨今、家族療法というものがはやっている。家族の中で起きてきた問題を、家族ぐるみで治療するという方法であるが、きちんとした家庭教育を行う方が、より大きな家族のケアとなる」というもので、その時には私も「臨床家はもっと現実的だ」と反発を感じたことはありましたが…。
それで私が家族療法をすすめていくうちに、「機械的だ」、「大胆すぎる」、「過激だ」、「個人を無視して個人間、家族ぐるみで見るなどとは非人間的である」ということで批判を受けました。当時、アメリカが主流だったのですが、それとは別に、フーコーに代表されるスウェーデン、ノルウェーからの傍流が第二次家族療法といわれる流れへと広がってきていたところでした。私は、これに感銘を受けて、治療に生かすようになってまして、今回は、このことを話そうかと思っていたところですが…、司会の先生と話をしていますと、「家族療法に熟知した人ばかりではないだろう」ということだったので、第一次家族療法においては『どういう見方、考え方をするか』を学んで帰って貰いたい思います。◆いかに過激か…家族療法をめぐって
【症例1】『体重が29キロで低血圧、貧血のさほど重症ではない痩せ症の症例』ですけど、大概、こういう場合は、母親は心配するのですが、本人はあまり困ってはいません。他の家族もさほど気にかけていないということはよくあることです。 この症例の場合、臨床データから「34キロあれば良い」ということだったので、以後3週間で2キロ、次の3週間で2キロ増やして欲しいと要請しました。それで、母親は一所懸命になったのですが、娘の方は人ごとのような態度をとっていました。面接において「父親は心配しているけれども、母任せ。兄弟は全く関心がない」ということが分かっていました(現在、当事者となっている母子だけではなく、他の家族の動向にも目を配ることは大切なことです)ので、「1週間半で1キロ増えるまで、8時以降は家の電気を消すこと」という処方をしました。母親の方は『変な処方だな』と思うのですが、“溺れるものはわらをも…”の心境で、とにかく家に帰って、この処方を宣言しました。母親の方は懸命ですから、この処方を守ろうと努めます。それで困ったのは、父親や兄弟です。テレビも見られなければ、勉強もできないのですからねぇ。
それで大抵、こう言う時にはブレーカーを戻しに行く人が出てくるものですから、前もって母親に「こう言う時には必ずと言ってブレーカーを戻そうとするものが出て来るものです。だから、あなたはブレーカーの下で寝るようにしなさい」と伝えて置きました。こうすることで、家族が本人に注目するようになりまして、それによって意識、行動に変化が起こってきます。また、電気を止められるものですから、冷蔵庫に買いだめをするわけにもいかなくなり、過食を防ぐという副次的な効果も発揮しました。この後、いろいろと難しいことが起こるのですが…、まあ、家族療法とはこんな治療法です。
【症例2】こんな症例もありました。『父親が一所懸命で、母親は無気力。長男は以前は突っ張っていたけれど、今は名門高校生。そして、中学生の本人がぐれかかっている』というものです。 本人が悪いことをしては父親が学校に呼び出されまして、その都度、父親が本院を叱るということが続いていました。しかし、そのうちに本人の身体が大きくなりまして、父親を追い越してしまったのです。 そんなある日、父親に叱られた時に、本人が父親を叩くことがありまして、それでも、父親の方は一所懸命ですから、事あるごとに本人を叱っていました。それで、腹を立てた本人が父親を叩くということが繰り返されまして、そのうちに、父親と本人の立場が逆転してしまいました。母親の方はそんな父親に幻滅してしまいましたし、兄は家族の中では唯一本人に身体的に対抗できるのですが、名門高校には行って受験競争に巻き込まれ、それどころではありませんでした。それでも、兄なりに、父親と本人の間に入ろうとするのですが、父親の方は懸命になってまして、自分だけで解決しようと、兄には「お前は勉強をしていろ」と止めてしまいます。それを見て、本人の方は『兄ばかりを大事にする』と(無意識的に)思ってしまっていました。
この症例に対して、“世代間境界がない(父親と本人の間には良好ではないとしても、コミュニケーションが多くある一方で、兄と本人、父と母の間にはコミュニケーションが乏しい)”という点、“母、兄、本人ともに働いていない”ということに着目し、私は『経済ピラミッドを活用して世代間境界を明確にすること』を目論みました。そこでまず、「お父さんは、次男が反社会的で良くないことをしていると思っていますが、お父さんの許可があるとはいえ、長男ほど非道い者はいません。目の前で父親がやられているのを見ながら、見て見ぬ振りをするなど、そんな者が社会に出られるわけがないじゃないですか」と伝えます。これによって、父親の価値観を振るがせるのです。それから「今度から、次男のことで学校から呼び出しがあるたびに、長男から千円ずつ(彼は月4000円の小遣いを貰っていた)取り上げなさい」と指示しました。この指示によって、本人と兄の間に強烈な利害関係が生まれたのです。そして、兄が本人の一挙手一途右側を見るようになりましたし、また、その後、「お金を持ってくる父親が偉い」というイメージを作ることができましたので、母親も父親を尊敬することになりました。こういう症例の場合に、「非行の背景に何があるのかについて、父親と、そして本人の言い分にしっかりと耳を傾けることが大切である」と言われる人もいると思います。時間があれば、当然そういうふうにしたでしょうし、この時の処方がうまくいかなければ、実際そうしたはずですから、私はこのことを批判とは思いません。一方で「本人がひねくれて、父親を挿したら責任を取れるのか」と言われれば、私はその当時「そんな危険と背中合わせて仕事をしていた」と言えます。
11人のスタッフで、日常の臨床以外に夜6時から11時まで、日に3ケースを毎日のようにやっていましたので、それは大変なことでした。アメリカへの留学を機に、第一次家族療法から第二次家族療法に親和性を感じるようになったのも、このことが関係しているように思います。
それで、この後は、実際の治療事例を話ながら、私がどうして家族療法に目覚めたか、現実的な対症療法としての家族療法を通してかいま見た家族について話したいと思います。◆描画のこと
芸術とは無縁な世界で生きてきたのですが、描画テスト・描画療法学会の関係で、9月にも金沢に来ることになっています。それで、どうして、そういうことに関心を持つようになったかといいますと、九州大学から浜松医科大へ移った時…、それがちょうど精神科の病棟ができた時でしたが、その当時は、精神分析に興味を持っていました。しかし、行ってみるとそこは、スタッフも少なければ予算も少ないという状況で、病棟でのレクレーションをどういうふうにしていけば良いかに頭を悩ませていました。それで誰もやりたがらないお絵描きのセッションを、当時一番下っ端だった私が担当することになりまして、いろいろな患者さんがいたのですが、ただ絵を描かせてもなんでしたので、“ある言語刺激にどう反応するか”ということに着目することにしました。その時に、『お留守番』という言葉が退行促進的だと知りまして、それから絵の世界に興味を持つようになってきました。その時には、FDTとかDAF、KFDとかいうものを知らずに『家族』という題で描いて貰うことも多かったです。
家族画を見ますと、ある人物が相対的に濃い筆圧で描かれたり、本人との距離が遠かったり、大きな人が小さく描かれていたりします。大切な人は“強く近く大きく”描かれるといった常識心理学で絵を見ながら、絵と現実との大きな違いが一目で分かるといったところに 惹かれていきました。【症例3】ある症例で、本人が、強い筆圧で小さい父親が、本人の傍にいる家族画を描きました。ところが、来談した時の父親は、大きいけれど弱々しい人で、本人と離れて立っていました。このことから、私は「本人が父親に対してアンビバレントな感情を抱いている」と思いました。実際に面接したところ、『父親は、教育熱心な一方で、対外的なことを強く気にする人。一人娘である本人には優しい父親だったが、本人が登校拒否したことを責め、反抗した本人を殴ったことがあってから、父子の間から会話がなくなった』ということが分かりました。
精神科医というのは、X線やMRIといった武器を全く持っていませんので、これは良いものを手に入れたと、以来よく使うようになりました。
【症例4】次に、登校拒否の男子の症例ですが、『弟は本人と同じ名門校を目指しており、母親は、本人の登校拒否と、本人の弟に対する暴力に悩み、胃潰瘍となっている』というものでした。先に母親と会って話を聞いてから本人に面接したのですが、第一印象は、むしろ人当たりが良く、母が言っているものとは全く異なっていました。本人は、弟が生まれる以前の家族の絵を描きました。この時私は、『本人が弟に対して拒否的な感情を抱いているのだ』と思いました。
これは、ハルセーやポローが言っている“心理的抹消”ですが、私はこれを後に知ることになったのですが、その時私は、『(特別な)知識なしで分かるものが、一番大事(容易に利用できる、万能感を与えてくれる)と思っていました。
【症例5】それから、心因反応的な登校拒否の女子の症例では、『祖母の死亡後、登校刺激に対して家具を破壊する』という行動を起こしていました。母親に家族画を描いて貰ったところ、父、母、妹、本人、弟の順に描きました。本人が制服を着ている姿を見て、私は『お母さんはそんなに本人を登校させたいのだな』と思っていましたが、書き上げたところで、母親は「妹の方を大きく描いてしまった」と言いました。一般に母親が来談する時には、大抵懺悔の気持ちを抱いているものですが、この母親の場合もそうでした。「本人が生まれた時に自分が働いていて、養育を祖母任せにしていた。しかし、妹の時には仕事をやめてパートをしていた。私は本人をないがしろにしていたのだ」と絵を見て自らの“気づき”を語り始めたのです。まさに、常識心理学の持つ重みだと思いました。
また、改めて見て、私は絵の中の父親が小さいことに気づきまして、あえて「お父さんはお母さんより小さいのですか?」と聞いてみました。母親は「いいえ」と否定しまして、「夫は酒を飲む時が大きくなるけれど、素面になると何もしない風見鶏みたいな人」と評しました。【症例6】次に有名なポローの“ジオゼに関する症例”です。ジオゼが描いた家族画を見た心理学者でも医者でもない第三者が、彼女の背景を言い当てたというものです。この症例は、家族のことを知るのには家族画が有効であるという証左となっています。この第三者は、この絵について心理的距離と物理的距離を区別して読みとっておりました。要するに人間には“筆者に共感して読み取る力”があるのです。 この後、私は成員の位置、描く順序、大きさ、省略、輪郭の筆圧など体系的に絵を読むようになりました。また、母子家庭の子が“憧れの騒々しい家”を描く場面に接する機会もあって、『本人が理想と現実の中でどんなものを意識するかによって、出てくるものが違う』ということも考えるようになりました。
◆家族描画法(相互描画、交互描画、合同描画)
他科の依頼で子どもと会う機会もありまして「子ども心を読みましょう」と言ったところで、できるわけもなく、さりとて、言葉でのやりとりも続くわけもありません。そこで絵を描いてもらうことにしました。
【症例7】『喉が詰まるという10歳の男の子』の症例で、本人は八つ切り画用紙に“自分の家”を描きました。それから本人には診察室から出てもらって、母親を呼び、母親にも“自分の家”を描いて貰いました。並べて見ると、2つがあまりにも違っているのです。そこで、2人に一緒に入って貰って、見比べて貰うことにしました。本人は何も言わなかったのですが、母親は「窓がこんなに小さいことはないし、煙突は換気扇のものがあるくらいで、こんなに大きいことはない」と言い、更に「家で息苦しい思いをしているのでしょうか。そんなはずはないのです。弟には欲しがるものを買ってやっていますし、本人にも好きな歴史の本を買っています」と言いました。なお、母親は、本人が通っている学校の教員をしてます。
2回目のセッションで、本人が“目がつり上がった牙のあるキツネ”を描き、「これが僕の好きな動物」と言いました。それで母親に好きな動物の絵を描いて貰うことにしました。それは“弱々しい猫”で、「よく言うことを聞くから好き」ということでした。その上で、2人に感想を求めたところ、母親は「私のは下手ですね。この子のは力強く描けています。それにしても…意地悪そうな目」と言いました。その「意地悪そうな…」と言いかけたところで、本人が急に「お母さんの好きな動物は僕で、僕の好きな動物はお母さん!お母さんは弟のことばかり…」と心情を吐露しました。こういう形で、親子で面接をしますと、事態が急変することがあるのだなと、気づかせられました。
【症例8】次に『都心から田舎に引っ越した後、頭痛を訴えるようになった男の子』の症例なのですが、学校では、担任とも相性が合ってうまくいっており、変わったことと言えば、環境的なことを除くと、父親の帰宅が早くなったことくらいでした。この症例の場合には、本人は絵を描いてはくれませんでした。それでも、ゲーム的なことはするようだったので、母親にも同室して貰って、四つ切り画用紙を用意して、2人で互いに相手を描いて貰うことにしました。母親が犬を連れた本人を描き、本人が描かないために、母親が自分の姿を描きました。すると、本人が犬の鎖を途中から折り曲げ、母の首に縛ったのです。
この家では、10年間子宝に恵まれず犬を飼うことになったのですが、飼い始めてしばらくして本人が生まれたのです。その後、犬が母親の膝に乗ると本人が犬を追い払ったりと、本人と犬が張り合うようにして育ちました。そして、3年後に犬が死に、両親ともに涙にくれたのですが、本人だけは喜んでいたとのことです。最近、父親が早くに帰ってきて、母親とソファに並んで座っていると、決まって本人が割り込んでくるようになっていました。
2回目のセッションで、私は、『本人は、母親との関係を父親が邪魔していると思っているのだろう』と考え、母親に“父親の絵”を描いて貰った後、それを本人に渡してみました。すると、本人は、“ブラック・ジャックが父親の腹を切り裂いている”絵に描きかえました。
3回目のセッションでは、初回時と同様のオーダーで、2人で互いに相手を描いて貰ったのですが、その後、本人は“母が描いた自分にチンチンをつけ、ダイナマイトのスイッチの上に立たせました。自分が描いた母親には、ダイナマイトを巻きつけ、股間にミサイルを、傍らにはウンチ”を描き足しました。母親はこの絵を見て「この子は大犯罪者になるのでは!」と心配しました。この当時、母親には“幼児性欲”を理解することも難しかったようです。
この後、凧揚げの絵にダイナマイトが括りつけられたりもしましたが、段々、頭痛、発熱がなくなりまして、両者の色(それぞれに好きな色のクレヨンを1本だけ持って貰っていた)が混ざり合うようになりました。つまり、2人の関係に変化が起きたのです。これまで、描画によって家族の中の個々の自分イメージobject relationshipを捉えていたのですが、家族成員それぞれに1本ずつクレヨンを持って貰うことで、家族間の関係inter-personal relationshipを捉えるようになりました。
【症例9】ある放火児童の症例では、家の中にオーガナイザーがおらず、それぞれがなんら関連性もなく、てんでバラバラに描かれていました。
【症例10】ある登校拒否児の症例では、選んだ色でそれぞれのアピール度も分かりやすかったのですが、家全体が見事にオーガナイズされていて、同一行動にまとめ上げられていました。
【症例11】また、ある症例では、母子で一緒に一枚の画用紙に描いて貰ったところ、母親が「プールを描こう」と提案してプールの枠を描いて、それから本人がそこに泳ぐ自分の姿を描きました。それを見て、母親は「この子は私の枠から出られないのね」と言いました。
その後、本人が描いた鳥を、母親が籠を描いて入れてしまうことがあったのですが、本人がそれに抵抗するように、出口を描くということがありました。このように、内容だけでなく、制作過程においても家族の行動の仕方が出てくるものです。個人の持っている家族イメージではなく、家族間の関係を取り出して、そこにアプローチする…つまり、『その人を家族の成員として“症状を起こさせて”いる家族のパターン』に介入するのです。そして、そのパターンを知るために、家族画を活用するようになってきました。
ここで注意して欲しいのは、決して理想的家族像を求めているわけではないし、母源病のように家族の中に悪者を捜しているわけでもなくて、ただ、その家族のパターンを変えようとしているということなのです。◆家族療法
家族療法の舞台装置ですが、家族と治療者が面談する部屋があって、そこにはハーフウェイ・ミラーとインターフォン、ビデオカメラが用意されています。そして、ハーフウェイ・ミラーの向こうには別な治療者がいて、インターフォンを通して治療者や家族に話しかけることができるのです。
家族を治療するというのは、それは家族のパターンを変化させると話しましたが、症状とか問題が、その家族の中の同じところ(同じパターン)で起こっているとすれば、その一部をいじるだけで、その家族に何らかの影響を及ぼすことができるのです。ただ、それには、どこをどうすれば良いといった明確なものはありません。それこそ、各人が千差万別なように各家族も千差万別なのであって、現在家族とはこういうものというパターンがあるわけではないのです。
どこをどうするかが見えると、治療は容易なように思えますが、それでも、パターンを変化させようとしますと、家族としての意識が高まるもので、それは仲間集団でも誰かを攻めることで仲間意識がまとまる(内が乱れた時に、外に敵を作れば内をまとめ直すことができる)ことと同じで、家族が変化させない方向に治療者を巻き込もうとする動きを見せることは治療の場面ではよくあるものます。
そんな時に、ハーフ・ウェイ・ミラーの向こうからインターフォンを通して指示を出すことがあります。【症例12】とにかく母親ばかりが喋り続けようとする家族の症例がありました。この時にハーフウェイ・ミラーの向こうの治療者がインターフォンを通して指示を出しました。このインターフォンの力で黙らせ、そして、「家族に母親ばかりが喋っていますね」と中の治療者に言わせたのです。このことで、家族は初めてそういうパターンが家族にあることに気づきました。
目の前で話を聞いている治療者には言いにくいことでも、「鏡の向こうで、こう言っています」と伝えることで、家族に了解させることができるのです。つまり、家族を一体として扱うには、家族のパターンをコントロールできるだけの、より大きな存在(メタ)が必要なのであり、鏡の向こう側にいる治療者が、そう言う役割を取るのです。
それから、ビデオカメラにしても、ただ撮影しているわけではなく、ミラー、ビデオのことをハッキリと家族が意識できるように伝えることが必要です。【症例13】痴呆の人を抱えた家族の症例で、その家族はそれぞれがバラバラだったのですが、セッションをすすめるうちにまとまりが出てきました。そんな時に、長男がビデオカメラに対して不快感を示したのです。私はその時に『やっと家の恥を意識』したと判断しまして、「もう続ける必要はあるません」と終結を宣言しました。
このミラー、ビデオが家族にとってのスーパーエゴとして働いているのです。
大抵の症例において、原因→症状→治療というように綺麗に流れることはありません。そこには家族なり、患者の反応が出てくるものなのです。そして、それは治療の方向だけでなく、原因の方向に働くこともあるのです。
一番端的なのが、不眠症です。患者が寝ようとする努力は、より患者を眠らせない方向に働くものです。また、ヒステリー患者の場合には、家族が本人を大切にしようとすればするほど、増悪するものです。【症例14】痩せ症の場合を例に挙げてみますと、食べないことがあって痩せ始めると、家族が心配して食べるようにすすめるのですが、それが患者の肥満恐怖を呼び起こすために、更に食べないことに拍車をかける結果になってしまうのです。すると、家族はより食べるように働きかけますが、患者の肥満恐怖が高まるために…というふうに、円環的に作用することになります。
しかし、人間の思考というのは、決して円環的なものではなく、むしろ因果(原因−結果)で考えてしまいがちです。つまり、家族の言い分からすれば「食べないから勧める」であり、患者の言い分は「家族が勧めるから食べない」なのです。そこで、治療1としては、患者と家族の断絶を考えます。患者を家族から引き離すのですが、それだけではパターンの変化を起こせません。そこで食事の時間だけ同室にさせるのです。そして「家族には患者を無視して夫婦喧嘩をするように」と処方します。それで随分症状は改善されます。
それで治療2ですが、今度は再発させます。これはある程度治療が進んだところで行います。患者には「食べない演技をするように」と処方します。そして、「私が手を叩いた時にだけ食べて良い」ことにします。このセッションの後、家族は「今度食べなかったら、再発かどうか分かりませんね」と言い、患者は「初めて食欲を感じました」と言っていました。【症例15】過換気症候群の症例の場合ですが、この症例では、患者が発作を起こすたびに母親が救急車を呼んで対応していました。そこで「発作の原因を無理に探るようなことはしないように」と前置きした上で、患者には「6時半に発作を起こすように努力して、できない場合には、発作の演技をするように」と、そして、家族には「皆で大騒ぎして下さい。でも、他人に迷惑をかけてはいけませんから、決して救急車は呼ばないように」と処方しました。こうすることで、母親だけが一所懸命の母子の関係から、家族全体の関係に変化させたわけです。1週間後、発作は起きていませんでしたが、「父親の帰宅が遅いので参加できない」との不満があったので、6時半を9時半に引き下げることにしました。
過換気症候群の一つの際だった特徴として、症状の発現や持続に多くの悪循環を抱え込んでいることが上げられます。そのために、様々な治療法が必要なのですが、この時の家族療法は、家族の保護欲求と患者の救護欲求に関して、バイパス治療的に作用していたものと考えます。
【症例16】次に13歳の過食児についてですが、この時には、家族から処方を募りました。こういうことも時にはするのです。そうすると、「弟が吐くためのラーメンを作ることと、食べてから吐くまでを実況中継すること。母親が吐くためのおかずを作ること。父親はしっかり食べてしっかり吐くようにと激励すること。そして、本人は誰もがしたがらなかったゲロの始末をすること」というふうになりまして、そのままさせたこともあります。
【症例17】それから、育児不安の母親について、最も簡単な家族療法として、「子どもがおねだりをしたら、「ちょっと待ちなさい」と言って2階に行き、サイコロを振って、半ならば買う、丁ならば買わないことに決めて、階下に戻って子どもに決定を伝えなさい。もちろん、口が裂けてもサイコロを振ったなどと言ってはいけません」と処方したこともあります。
これを聞いたある小児科医は「サイコロはうちの父親だな」と言っていました。『酒を飲んで寝ている父親に、母親がうかがいをたてに行くのですが、父親の酒の飲み具合によって、可否が決まるので、まさにサイコロと同じもんだ』という話です。
それで、どうしてこれが家族療法かと言うと、この処方で母親は迷わなくなりますし、子どもも答えが予測できない(以前なら、給料日前だから大丈夫かなとか、機嫌が悪いから無理かなと予測ができた)ためです。ここに親は親、子は子という良い意味での断絶が起きるのです。両親のいずれかが子どもとの豊かな交流を持ちすぎている時には、こうした良い意味での断絶を起こさせることも大切です。◆最後に…
家族療法においては、「家族とは?」」と聞かれても、「家族の暖かさ」「家族の結束」といった見方はしないで、「たまたま一緒にいる人たち」「時を同じくして住まっている同居人」くらいの見方をしています。そして、“悪者探し”もしなければ、“理想の家族像”を押しつけることもありません。
家族療法とは、家族の一人、あるいは一部と面接しようが、全員を一カ所に集めようが、そのやり方は特に限定はありません。家族を一単位ととらえ、そこにあるパターン、相互作用に着目して、そのパターンを変える方向で介入する治療法なのです。平成9年6月21日、I県精神保健協会主催の講演会が催された。
これは、その講演を聴取した際のメモに基づいて筆者が再構成したものである。石川先生の言葉通りではないし、省略した部分もあるが、筆者が理解できた範囲で記す。文責 たこぼうP