眠りの底で聴こえた淡い歌声。
淡く甘く優しい。子守唄ように息吹のようにそっとふれる。あたたかくて心地が良くて、もっと深く夢の中に引きずり込まれかけた。本当はこのままでいたかった。だけど、どうしてもこの歌声の主を知りたかった。
そして、やさしい眠りの国から現実の世界へと歩き出した。軽く体を起こすと、冬の澄みきった冷たい風が髪をかきあげた。
一体、自分はどこにいるのだろうか?
見上げると天蓋つきの窓から、テラとガイヤの映し鏡が姿を見せる。幾千年と旅人達の道しるべとして活躍してきた星々が控えめに輝いていた。視線を落とすと柔らかな布地のシーツが少し乱れながら海のように広がっていた。くるりと視線を回すと紗のカーテンがひかれている。どう考えてもプリマビスタの寝室でもアレクサンドリアの宿場でもない。極めつけは、彼女がいつも愛用している、そうきつくもないさわやかなハーブの香りを微かに感じたのだった。
…まさか、ここって……
薄い紗のカーテンに手をかけて滑らせた。テラスへ続く道が真っ直ぐに開けている、夜空の中にくっきりとかりとられている彼女がいた。光の反射で、漆黒色の彼女の髪が鹿子色や淡い銀色に姿を変える。別れる前は肩先が見えるほどに短くされていた彼女の髪。あのときの事が目に浮かぶ。決意の証として水鏡に姿を映しながら短剣の刃を髪に当てた。もったいないと思うほどに癖のない長く真っ直ぐな髪が彼女の手の隙間を滑っていった。そして今いる彼女は背中を覆うほど、前と同じように長く伸びた髪。
やっぱり、彼女だったんだ。
眠りの世界への旅行中に手に入れた歌声。まるで二人だけの誓いのように口にしていた俺たちだけの歌。孤独にまみれたとき口にするたびに勇気が出たあの歌。何よりも彼女の唇から流れるあの歌が好きだった。
「ごめんなさい起こしてしまったかしら?」
突然に歌がやみ、彼方遠くの世界から引き戻される。目を開けるとにこやかに笑う彼女がいた。月の光に反射して、神秘的な憂いを帯びつつ、優しい笑顔。つい抱き寄せたくなるような可愛さだった。それよりも大きな疑問をたずねる。
「…オレ、どうしてここにいるの?」
一瞬不思議そうな顔をしてから、またあの優しい笑みに戻った。
「覚えてないの?」
テラスの手すりにひじをつきアゴに手をあてながら、記憶を過去へとめぐらす。
今日は…いろんなことが一度にたくさんあった日だった。
確か朝からアレクサンドリアに来ていて、それから、あの悪ガキみたいなボスに舞台をめちゃくちゃにしてもいいぞなんて言われたんだ。
セリフを少しだけ改造して、ダガーに気がついてもらえるようにして…。気づてたかな。本当はすごく不安だったのを。無視されても軽蔑されても仕方がないぐらいアイツのこと放りだしていたんだから。一番辛いときに。側にいてやりたかった。
自分のせいで悲しむダガーがみたくなかった。それは事実だった。だけど、こんな自分を知られたくない、そんな気持ちもあったことは否定できない。自分の怪我に甘えて、ダガーに言葉一つかけてやれなかった事が悔しい。
ただもう一度自分のことをみてくれるなら、そのチャンスが与えられるなら、ダガーのこと絶対に手放したくないと思ったんだ。ダガーは飛び込んでくれたんだ、俺の胸に。
オレとしては玉座のテラスから身を乗り出して降りてくるお姫様を想像してたのに、階段から降りてくるんだもんな。しっかり受け止めてやるつもりだったのに。腕にいた彼女はひどく大人びていて別人のようにすら思えた。女王らしさの威厳とか、気品とか、そういうものを感じてすこしだけむなしくなった。オレはコドモだったんだなぁって。会いたい、ただそれだけじゃダメなんだろうなって。でも、もう一度見た時にはそんな気持ちなんて忘れていた。小さなこぶしをつくって一生懸命叩いてくる彼女は、威厳とか気品とか、そんなものとは無縁そうなただ小さな子だった。再会できた嬉しさとか、今まで会えなかった寂しさとか、そんなものを吐き出しているような。そんなどこにでもいそうな、コイビトの帰りを待っていた少女だった。
ついふざけて痛がっていた。なんとなく、あのときの、みんなで過ごした時間が思い出された。でも、そんな手を下ろして、涙のたまった目で見つめられたとき、つい手を伸ばして親指で涙をぬぐった。
やっぱりさびしかったんだろうなって。
小さく、ゴメンなって口にした。
それから…帰還パティーを開いてもらったんだ。なつかしいみんなに会えたことすごく嬉しかった。けど、そこにはアイツの姿はなかった。いつも帽子をひっぱって直していたアイツは空へ行ったんだ。だけど、ビビの記憶を受け継いだ子供たちがいるから、ずっとビビのことは消えないんだ。
そこで、なんどか彼女の視線を感じた。何か言いたげだった。だけど、ビビの子供たちがくっついてきてなかなか一人になれなかったんだもんな。ダガーがテラスへ出て行ったのをみて子供たちに言ったんだ。テラスへ出て行った男女を追いかけていくのは無粋なことなんだぞって。
「テラスで話した事までなら覚えてるんだけどさ」
どうもその先が思い出せない。思い出そうと頭に手をやるが、ズキズキとしてどうも思い出せない。
「…その後、私の部屋に侵入してきた」
「オレが?」
やばいことになったぞ。あとでベアトリクスやスタイナーからどんな目に合わされるか分からないな。二人と来たらますます腕に磨きをかけてきたにちがいない。旅の最中は劇団仕込みの口と持ち前のすばやさでのがれてきたけど、できれば戦いたくない。
「ジタンが進入しないように、スタイナーがドアの前で番をしていたのに、テラスづたいに窓からやってきたの。落ちたらどうするつもりだったのかしら」
どうやらスタイナー達にはばれていないようだ。本当に良かった。ばれてたら半殺しかなぁ。だよな。女王様の部屋への進入って大罪だし。
「それで?」
「まだ、全然話したりなかったから、たくさんお話したのよ。ビビと過ごしていた事とか、劇場でのこととか…。そういえば、今思えば、来る前から酔ってたんだと思うのよね。タンタラスでいつも飲んでたからダイジョーブとかいいながら」
「…それから、…話してる最中にバタッて倒れて眠ってたのよ」
倒れて眠った?記憶にないな。
「ジタンが占領しちゃうから、私ソファーで転がっていたんだけど」
迷惑よね、と口を少し尖らせながら言う彼女だが、その響きからは迷惑さがまったく感じられない。むしろ、楽しんでいる感じだ。やっぱり俺が帰って来て嬉しいんだろうな。
「寝台広いんだから隣で寝ればよかったのに」
さて、どんな風に返してくるだろうか?彼女の反応に期待しながら、尋ねてみるが…。
「いや。私、添い寝してもらわなければいけないほどお子様じゃありません。いつも子ども扱いするんだから」
おもわずアゴにあてていた手がズルリとこけた。さすがはお姫様。なんだか、不思議そうな目で見られるなぁ。体勢を立て直し、服のほこりを払い落としながら一言口にした。
「・・・変わらない君がうれしいよ」
「?」
とりあえず一呼吸おき、そういえばこんなセリフが劇にもあったなぁと思いを馳せながら役者風に姫君へ手を差し上げた。
「それじゃあオレが子供だからは。ダメ?今宵一夜、姫君の御輩にはべるご光栄をお授けください」
よし。あのとき主役やってたブランクより俺のほうが上手く言ったぞ。そう思いながら期待の色を込めて面を向いたが、お姫様はニコリと一言。
「謹んでお断り申し上げます」
子供っぽいとは思えないの。ジタンのこと見直したんだ、すごく大人びていたから。とガーネットは笑いながら付け加えた。
幾千年と大地を照らし出してきた双月はその日も変わらず地を光で包み込む。
何千回も変わらぬように輝き続けた映し鏡たちは、ふと遠い昔へしばし想いを馳せる。
今と変わらぬ静寂(しじま)の夜の中幸せな恋人達は愛を囁いただろうか。
恋人への想いを馳せる少女は風に言葉を託したのだろうか。
幾多の人生を見詰め続けた双子達は今日も優しい光を放ち輝いていた
月に想いを風に歌を私にあなたを。
あとがき
ようやく終了、一周年記念小説!
これは一応お持ち帰りOKです。ただし、画像や音楽は素材屋さんのものなのでお持ち帰りできません。
はじめはダガーの一人称だけにしようと思っていたんですが、一周年という事でジタン君バージョンも作ってみました。
でも、ジタン君バージョン か な り 書きにくかったです。。。
このさいだから思い切って甘目を書こうとしたのですがどうですか?
イメージ的にはコーヒーに生クリームとキャラメルシロップぐらいのにしたつもりですが。
(2002.9.17 執筆)