司馬遼太郎は、利と欲について高田屋嘉平衛に語らせています。「商人というものは利を追うものでありながら、我欲ではそれができない。我欲のつよい人間はすでにそのために盲目になっている。耳も欲で聾している、だから利という海で泳ぎながら自分自身の利について鈍い人間でなければならない。」
嘉平衛に集中した官金はそれを蝦夷地の開発に小気味良く散じたのである。
「嘉平衛さん、蝦夷地で何をしたのぞ」と村の人が聞いたとき、「この菜の花だ」と、いった。
「菜の花は昔のように自給自足のために植えられているのではなく、実を結べば六甲山麓の多くの細流の水で水車を動かしている搾油業者の手に売られ、そこで油になって諸国に運ばれる。
たとえば遠くエトロフ島の番小屋で、夜なべ仕事の網繕いの手許を照らしている。その網で採れた魚が肥料となってこの都志(淡路の国)の畑に戻ってくる。わしはそういう回り舞台の下の奈落にいたのだ、それだけだ。」といった。
グローバル化と「利」が実に爽やかですね。ついこの間まで、資本主義と称して社会主義をやってきた日本では、程よい「利」が機能していたのではないでしょうか。
2007.5.10