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高岡市~氷見市にある峠。昔の1/5万地形図には峠として表示してあったらしい。
峠は旧国道・R160・氷見スーパー農道@ラブホ街が交差する、交通の要所である。名前の由来は、海老のように体を曲げて越えたからとある。以前の峠は15~6mほど今より高く急坂であったとか。
古来からの重要道で、巡検使は臼が峰を越えこの峠から高岡に入った。
画像は峠近くにある、地蔵堂
2012年10月27日
2000/01/01 00:00:00
高岡市~氷見市、標高150mの峠。
県道361の高岡市~氷見市にこっそりあります。名前の由来は、西方にある三方峰に連なっているから、又、氷見市神代、仏生寺、国吉の境界になっているからとされている。峠にお地蔵様は無いが、神代側に大部下ったところに祠が安置されている。
このスーパー農道に高岡市~氷見市に桜峠トンネルがありますが、これも峠になるんかしら?
1978年当時はジャリ道。現在、舗装路です。攻めるんだったら高岡側の五十里からがオススメ。
この峠に城があったいう話を聞いたことがある。詳細は解らないが、尾根道を断絶する目的で造られた感のある竪堀がある。
画像は1979年xx月xxh日
この時は、高岡側全舗装で、氷見側は砂利道。
2000/01/01 00:00:00
県道75押水福岡線を富山県沢川(そうごう)の県境から約1km石川県に入った南にあったという。旧峠は標高は530mで富山の飛び地であった母水に通じていたのは確かである。
現在、峠は富山・石川県境になっています。
(越中の峠&県境踏破無雪期 参照)
(北日本新聞、続越中の街道(ふるみち)を参照)
ゴルフ場開設(開設前に破綻)のため、旧道は無いと思われる。
(追記)
沢川は佐々成政が末森城を攻略のさい通った村として有名だが峠は越えず沢川谷道を通った。これは道案内人が佐々正成を好ましく思っていなかったため、遠回りの道を案内して混乱させたといわれている。そして、道案内人の息子は成政の来攻を梨の木峠を越えて知らせたとされている。
峠越えの道は、物資等の輸送の道というより単に金山に通じる道として存在したみたい。
画像 梨ノ木峠 2008年07月08日