富山の峠 Jcc 2801 富山市

マーカーリスト

写真レポート


2000/01/01 00:00:00

天池峠

 多分、この辺りだと思う。 汗

 県道224の高瀬峠から八尾に通じる峠です。
 「峠?」と疑問符が付くほど小さな峠です。
 参考資料は、富山県大百科事典です。



庵谷峠

2000/01/01 00:00:00

庵谷峠

 R41の庵谷トンネルの旧道。
 明治に入り、旧飛騨街道である小菅峠に変わりつくられた。
 細入村の道の駅より攻めました。あっという間に着いてしまい拍子が抜けた。この後、小菅峠に直行したのであった。
 画像、庵谷峠 2002年06月08日 富山市方面



2000/01/01 00:00:00

一本杉峠(一本杉の峠) 

 山田村深道(廃村)から利賀村栗当(脇山大橋近く)に通じる峠です。
 山田村の山中(廃村)と数納(廃村)から通じている。主要地方道富山-庄川線(県道59号線)という話もあるが?1/5万地形図では点線道路ですが、1980年に通ったときは確認できませんでした。



御鷹山峠

2000/01/01 00:00:00

御鷹山峠

 八尾桐谷~細入村楡原御鷹山林道にある峠。全線舗装路。

 八尾町には御鷹山が2つあり、ここのは細入村との境界、神通川と支流の久婦須川との間にある。楡原の上行寺から桐谷への道が御鷹山林道で、S54年秋に全線開通した。主峰782mと北峰676mピークの鞍部が御鷹山峠。

 画像、林道最高地点 1980年10月



大多和峠

2000/01/01 00:00:00

大多和峠

 有峰林道、富山~岐阜県境。標高1,130m。峠からの景色は最高です。岐阜県側はいまだに砂利道みたいですね。富山県側は整備されたみたい。
 有峰は、ダムを観光地にしてもだめだという見本ですな。自家用車の通行料がなんと1,800円。何考えてるんかしら…有峰林道のトンネルに注意…

画像は、1980年7月 大多和峠



2000/01/01 00:00:00

小谷峠

 小谷(おたに、昭和50年廃村)から長瀬(平成元年廃村)に通じる峠。
 長瀬はこれが廃村?という感じらしいが、、、やっぱ廃村です。



2000/01/01 00:00:00

小畑尾峠

 多分、この辺りだと思う。 汗

 有峰から薬師岳を結ぶ峠。かつては地図にも載っていたらしい。薬師岳への登山道として多くの登山者がこの峠を越えたらしいが、今は完全な廃道である。有峰の村がダム湖に沈み、折立まで車が通行可能になり忘れられた峠になってしまった。(越中の峠、参照)

 峠は折立峠の南、約4kmにあった。有峰(廃村)の住民が登った薬師岳2,926mへの登拝路である。旧暦の6月15日は薬師岳頂上での薬師祭りで、15~50歳までの男衆は祭り一週間前から精進し、祭り当日には沐浴して塩で体を清め、提灯を持って登り、途中三度程雪水で“みそぎ”をし、頂上180m手前からは素足で登って参拝を済ませたとか・・・。勿論、女人禁制の山で、女は真川谷までしか行けないといわれていた。この小畑尾峠も有峰が湖底に沈んでからは廃道になった。(富山県歴史の五街道を参照)



2000/01/01 00:00:00

小亦峠

 八尾町桐谷から猪谷へ通じる峠。
 桐谷から峠近くまで林道が延びている。ここから歩けばすぐに峠です。猪谷側は整備されていないらしいが、常虹の滝に通じていたらしい。常虹の滝って、確か、、、流しそうめんの所だったっけ?



折立峠

2000/01/01 00:00:00

折立峠

 ポイントは?です。多分この辺りかと… 汗

 有峰林道、有峰ダムより折立線にある折立隧道上の峰より北側に約600mの所にあります。
 折立隧道の完成により通る人もなく、廃道になった。

 折立峠が折立隧道に取って変わったが、この折立隧道は土にうもってしまった。(少しだけ見えるらしい)
 現在、新折立隧道になっちゃった。

 写真は1980年7月28日。旧折立隧道。
 吐く息が白く、結構寒かったです。



2000/01/01 00:00:00

桂原峠

 ポイントは?です。多分この辺りかと… 汗

 八尾町谷折から桂原を結ぶ峠。
 谷折から祖父山をかすめて行くみたい。たぶん、廃でしょう。

 と思ったら、林道らしき物ができている。。。



2000/01/01 00:00:00

唐尾峠

 神岡町和佐府~富山県大山町 、県境付近。
 大多和峠から県境沿いに行けば、たどり着けるみたいです。
 1/2.5万で点線ですからね~。どんなもんでしょうか?

 唐尾峠、長棟峠等、この辺りの峠は歴史が あるんですけど、「行くぞ~。」という気持ちにはならなかった。



蟹寺峠

2000/01/01 00:00:00

蟹寺峠

 飛騨街道にある峠で、細入村蟹寺~猪谷の猪谷トンネル上にあります。道は忘れられた存在になってしまい、農作業道状態のところもある。峠の下にはお地蔵様もいらっしゃる。
 富山県歴史の道調査報告書(飛騨街道)参照。
 2003月11月08日、行ってきました。
 R360の蟹寺トンネルを潜り、右側の道を進むと峠に行く。勾配はきついが舗装路で距離も数百mなので、すぐに峠に行き着く。
 峠より地道(シングルトラック)が伸びていて、この道が蟹寺峠の旧道に当たるのではないかと思うほどである。
 峠の道路下にあるというお地蔵様は見当たらなかったのが残念である。


 画像、2003年11月08日 蟹寺峠



2000/01/01 20:22:10

桐山峠

 多分、この辺りだと思う。 汗

 現在、城ヶ山公園となっている。
 佐々成政は城生城(じょうのじょう八尾町城生)を攻めたが、城生城主の斉藤信和は城の西約5kmに位置する聞名寺に加勢を求めた。有力な浄土真宗寺院の同寺は、かねてから斉藤氏と同盟を組んでいた。
 手を焼いた成政は富山への街道筋の井田村(現八尾)に関所を設け、門徒支援を遮断した。夜になると井田川西岸の石戸村(八尾町石戸)にかがり火を焚き、鎧や兜を着けたわら人形を木陰に多数並べ、寺の北側に兵を集中させていると見せかけた。門徒達が注意を奪われているすきに、本物の兵は井田川の西岸を南下し、寺院の南東にある桐山峠(八尾町城ヶ山)に移動し聞名寺に一気に流れ込んだ。
 時は午前6時頃で、ちょうど親鸞の命日に当たる御正忌が営まれておりパニックになった。しかし、読経を中断させてはいけないため、住職は猛スピードで読経を終え、寺宝の親鸞聖人像を守り井波に逃れた。
 聞名寺では今も毎年1月15、16日に御正忌法要を営むが、参列した僧侶は普段より早く読経するという。(笑)



2000/01/01 00:00:00

くま洞峠

 遠見尾根にある、まむし洞峠より寺地山を目指して、約1時間歩くとたどり着く峠。
 途中に有峰湖を望む展望台もあるらしい。



呉羽峠(呉羽越え)

2000/01/01 00:00:00

呉羽峠(呉羽越え)

 県道44富山市内峠茶屋交差点。旧R8と言った方が解りやすいかな?呉羽丘陵を越える坂道です。渋滞情報を聞いてから攻めませう。歩道が狭いので要注意。 ママチャリがオススメ。

 画像は旧R8の呉羽峠(呉羽越え)。
 2003年05月10日



小井波峠

2000/01/01 00:00:00

小井波峠

 八尾町桐谷から小井波に通じる峠。
 以前に桐谷の住人に、この道は大変荒れていると聞かされた。現在は普通車でも通行可能みたいである。

 峠から小井波までの標高差は何と30m!ダウンヒルを楽しむ余裕もないでしょうな。しか~し、小井波から八尾町への下りは凄かったらしい。(1980年当時)
 途中に1m位の段差があったらしいが・・・

 資料を見ていたら卯の花峠と言う表記もある。
 山登り関係のHPでは小井波峠が圧倒的であるが…

 画像は、1980年09月14日、小井波峠より
 石碑があるが何の石碑やら?



高清水峠

2000/01/01 00:00:00

高清水峠

 山田村から県道59(富山庄川線)を山田川をさかのぼり途中の分岐で山田川の左岸へ、渡ります。渡ればすぐに居船(いぶね廃村、昭和6年以前は以無称。山中にある村なのに富山湾の船が見えたから付いた名前らしい)で林道居船線がでており、そこから深道(ふかどう廃村)経由で林道の最高標高地点が高清水(こしみず昭和42年廃村。加賀藩と富山藩の境で主に加賀藩の役人が住んでいた。そのため住人が移り住みできた村。約300年前。)です。ここに分岐があり数m上ると利賀村との村境です。

 村境には森に囲まれた神社がありますが、引き払った後なのか何も残っていません。神社の名前は大抜神社。利賀村史を見たが、利賀村の神社ではないみたい。山田村史を調べなきゃ。汗

 峠を利賀川方面に下れば高沼、脇山大橋に抜けれます。高清水から林道を下ればR471にでます。近くには、山田川右岸の林道、越道峠の入口、そして栃折峠手前にある怪しげなトンネルがあります。
 峠は林道の最高地点なのか、それとも山田村と利賀村の境なのかわかりません。

 林道居船線は80、81年と攻めました。
80年度に攻めたときは、自転車に乗車する事ができました。所々、道が腐り(変な表現ですが、トチノキの実が絨毯のようにひきしめられ、それが腐りヘドロ状態になっている。物凄くくさい。)苦労するぐらいでした。
 81年度に攻めたときは、56豪雪の影響か道は荒れ放題で押し、担ぎのオンパレードで苦労しました。高清水線の途中に住んでいたおじいさん(一軒家で、なにか彫金の作業をしていた。当然、電気・水道無し。清水を引いていらっしゃったので水を分けて貰った。)もいなかった。
この道も廃道でしょうな~。

 この峠だけを攻めるのであれば、利賀村からどうぞ。
結構勾配が強く、道は荒れ放題ですが距離が短いのでなんとかなるでしょう。林道居船線は、、、?昔、R471を通ったとき林道入口に巨大なコンクリのブロックが置いてあった、、、現在、高清水村跡までは通れるみたいです。

 2003年04月27日、文字どおり逝ってきました。脇谷から攻めたのですが4月末なのに残雪が多く、往生こきました。居船林道も残雪が多く、一つ間違えば妙厳峡に真っ逆様…高清水は水芭蕉が咲き誇っていたのが印象的でした。

 画像、 2003年04月27日 村境。山田村から利賀村方向です。



小菅峠

2000/01/01 00:00:00

小菅峠

 小菅峠は旧飛騨街道の峠で庵谷峠の旧道にあたる峠です。 庵谷峠からの分岐から行けます。峠は洞山の登山口にもなっている。峠の周辺はアンテナだらけである。庵谷峠の分岐から来たせいもあるが、雰囲気があまりよろしくない。

 画像、小菅峠 2002年06月08日



2000/01/01 00:00:00

コヤツ峠

 多分、この辺りだと思う。
 小原(昭和43年廃村)から上滝方面の安藏、隠土(共に廃村)に通じる峠。
 小原の上流にあった千野谷鉱山の物資(主に黒鉛)を運んだと言われる。しかし、鉱山の閉山(昭和42年)により近隣の村々も次第に廃村となり、コヤツ峠も忘れられた存在となったみたいです。(今の1/5万地図の道は当時の表記と違っています。赤倉(熊野ダムにあった村で昭和47年廃村)からコヤツ峠方面に通じる道が表記されているものもある。)(村の記憶、参照)



2000/01/01 00:00:00

蛇越(蛇越峠)

 県道187荒屋敷月岡線を富山市側から登り、小坂から左へ。
 小坂~河内(熊野川ダム方面)間。

 蛇がいっぱいいるという意味ではないらしい。
 蛇しか越えることができないほど狭いということらしい。



2000/01/01 00:00:00

祐延峠

 有峰林道小口川線の祐延ダム~有峰ダム湖にあります。
 小口川線は通ったことがないので、じぇんじぇん解らないのですが、富山県側からだと延々と上りでしょうな。
 峠から有峰ダム湖へは11%の下りが待っています。



高瀬峠

2000/01/01 00:00:00

高瀬峠

 山田村、八尾町にある峠。県道224、湯八尾線の高瀬地区にあります。道は細く古びた感じで私は好きです。地元の人は、余りオススメしないが…

 輪跡の当時この道は、高岡から八尾に抜ける最短距離(標高差は無視)で皆さんよく利用したみたいです。山田村~八尾はこの道、県道224しかなかったからな~おっと、県道25号がありました。サンクス Jun822 さん!

 北陸の峠に旧高瀬峠が載っていた。雰囲気の良い感じだが走破可能なのか今一不明…それと、八尾側に少し下ると天池部落があるが高瀬峠の間に天池峠なる物があるらしい…(富山県大百科事典より)

 画像 高瀬峠 1980年4月



2000/01/01 00:00:00

高天ヶ原峠

 高天ヶ原温泉に通じる峠らしい。自転車じゃちょっと、、、



2000/01/01 00:00:00

辻峠

 多分、この辺りだと思う。 汗

 有峰街道にあった峠。
 有峰の住民が水須方面に生産物を売りに行き、買いだしして戻って来るとき、残された住民は辻峠迄、ワラビ餅を持って向かえに行くという慣例があった。辻は向辻ともいわれた。有峰から下の町に出かけて戻ってくるのが、いかに大変だったかを物語っているようだ。

 有峰街道は今の林道とは違う所を通っていた。
 水須(今の水須では無い)-堀切水懸-焼杉-高杉山頂-熊子-二本松-東笠(展望良らしい)-祐延-アシ谷-辻(有峰より向かい。ワラビ餅食す。)-水掛-有峰

 この有峰街道は有峰より山吹峠、安房峠を越え、鎌倉へと至る最短距離の道でもある。有峰より鎌倉に至る道は鎌倉街道(双六街道)と言われ、物資の交流が盛んに行われていた。しかし、江戸中期以降は飛騨街道が主に使われることになったみたいです。(富山県歴史の五街道を参照)



栃折峠

2000/01/01 00:00:00

栃折峠

 R471、百瀬川地区、栃折地区の境にある峠です。
 国道なので舗装路です。400台の国道なので、道幅は狭いです。利賀村村営バスが現れたら、車だったら恐怖です。
 峠は、百瀬から攻めると楽勝。逆コースは攻めたことがないので解りません。ただ、気持ちよ~く、長~く下った記憶があるんで逆コースは…

 峠近くに、怪しげなトンネルがあります。
 当時、用水だろうと思っていたのですが、人が通るトンネルらしいです。同じ様なトンネルが利賀村の北豆谷にあります。雪深い場所なので、あんなトンネルでも役に立ったのでしょう。

 現在、八尾側の道路を改良工事しています。
 少しずつですが昔のイメージが無くなりつつあります。

 画像は2002年07月13日
 画像、八尾側から利賀村方面



2000/01/01 00:00:00

長谷峠

 多分、この辺りだと思う。 汗

 利賀村入谷から八尾町長谷川の清水に通じている峠であったが、現在は林道となっているらしい。(しかし、地図で確認するが林道が見当たらない…)峠を長谷川に乗り越したところにお地蔵様があるらしい。

 富山県山名緑に面白い話が載っている。
 江戸の頃にこの峠で強盗が人を殺して埋め、この地蔵さんに「誰にも言わんでくれ」と頼んだところ、地蔵さんは「わしゃ言わねど己が言うんじゃろう」と言った。3年後の村祭りの時、その男が獅子舞のシシトリ役になって踊り話す中で「おら人殺した」と歌ってしまい直ぐに取り押さえられたという話が伝えられている。(富山県山名緑より)



2000/01/01 00:00:00

長棟峠

 長棟林道~神岡町佐古地区内間。

 (歴史コーナー)
 黒川をさかのぼり桧峠を越え、さらに長棟川に沿って山深く入ると、昔 鉱山村だった長棟(廃村)へ出る。その上手に長棟峠があり、峠を下りると飛騨の佐古へ通じる。
 この道は江戸時代(350年ほど前)、長棟鉱山が開けた頃に出来た道で長棟往来とも言われた。「加越能三州地理志稿」 という古書にも、長棟鉱山(カネヤマ)道として載っている。金沢の石川門、高岡の瑞龍寺総堂の鉛の屋根瓦は、 この長棟鉛山の産であると言われている。

 峠より桧峠を越える道を長棟上道と呼び、茂住峠を越える道を長棟下道と呼ぶ。
 岐阜県側は整備されてないようだ。



猫坂峠

2000/01/01 00:00:00

猫坂峠

 婦負郡婦中町高塚と平等(だいら)を結ぶ峠(坂)。昔そこで高塚と平等の猫が逢い引きしたという伝説から、猫坂峠と呼ばれるようになったらしいです。
 道はもろ遊歩道です。平等から攻めたのですが記憶が曖昧です。帰りに、いこいの村に寄ったのは覚えてるんだけど、、、

 この峠は、是非とも彼女を誘い攻めてね。え?、彼女は自転車を持ってない。それなら、プレゼントしてでも、誘いましょう。
逢い引き猫ではないが、半年後に結婚。そして今頃、三人の子持ちになっていたりして… そんなんで、私はこの逢い引き猫じゃなかった、カップルを見ていたので峠の印象は?なのでした。初デートから見てるからな~

 画像 2003年12月23日 猫坂峠



2000/01/01 00:00:00

ひとまち峠(人待ち峠)

 多分、この辺りだと思う。 汗

 利賀村スノーバレースキー場のピークより金剛堂山への稜線(利賀村、八尾町の境)にある峠。
 峠の標識はあるらしい…自転車は無理?



桧峠(地図では、檜峠)

2000/01/01 00:00:00

桧峠(地図では、檜峠)

 県道187荒屋敷月岡線を富山市側から登り大山町~大沢野間にあります。標高520m。峠からは神通峡を眺めることができます。できれば、茂住峠→長棟林道→桧峠がおすすめ。茂住峠-桧峠は一般車両通行禁止です。(結構頑丈なゲートがあります。)峠は長棟林道側からだと楽勝。逆コースはしんどいと思う。タイヤは太い方がよろしいようで…

 画像は、1981年7月 桧峠



2000/01/01 00:00:00

蛇越峠

 利賀村菅沼(昭和33年廃村、現在の菅沼ダム辺り)から八尾町薄尾(すすきお、昭和45か46年廃村。第二発電所の真上辺り標高550m位にあった村)に通じる峠。



法尻峠

2000/01/01 00:00:00

法尻峠

 県道52号線(通称、有沢線)の呉羽トンネル上にある峠です。
 峠付近には、朝日の滝(昔はハンセン病に効くと思われていたとか。)や古墳も多い。
 峠だけを攻めても面白みが少ないので、呉羽丘陵を茶屋峠方面に縦走するのも良いかも。
 とやまを歩くを参照。

 画像は 峠の地蔵堂。



2000/01/01 00:00:00

堀切峠

 多分、この辺りだと思う。 汗

 有峰街道にあった峠。
 有峰林道小口川線沿いの水須より少し有峰側にあったみたい・・・

 有峰街道は今の林道とは違う所を通っていた。
 水須-堀切水懸-焼杉-高杉山頂-熊子-二本松-東笠(展望良らしい)-祐延-アシ谷-辻(有峰より向かい。ワラビ餅食す。)-水掛-有峰 (富山県歴史の五街道を参照)



2000/01/01 00:00:00

松瀬峠

 東松瀬地区、小井波地区の境にある峠です。峠から夫婦山に通じる登山道がでています。
 輪跡の記録を見ると、「東松瀬から峠を攻めるが道がすごく荒れており断念」とあります。
 とあるHPを見ると、「峠までは普通の山道」 と記述されているが…



2000/01/01 00:00:00

まむし洞峠

 多分、この辺りだと思う。 汗

 岐阜県神岡町からの県道484を山之村へ。ここから通じる飛越大規模林道を県境の飛越トンネルまでいきます。( トンネルより富山県側は有料で有峰湖に通じています。)

 峠は飛越トンネルの上にあります。トンネルの入口手前(岐阜県側)の左側からどうぞ。
 遠見尾根に出たところが、まむし洞峠だとか…



2000/01/01 00:00:00

水須峠

 多分、この辺りだと思う。 汗

 小原(昭和43年廃村)と水須を結ぶ峠。
 昔の地図を見ていたら、水須の位置が現在のと違う。今の小口川沿いではなく西南側の山中にある。



明神峠

2000/01/01 00:00:00

明神峠

 呉羽峠は明治天皇が富山巡幸(明治11年)のさいに通られた道である。
 それ以前は、明神山麓を通る明神峠を通っていた。
 天皇の北陸巡幸のさい、政府からも「単なる道路補修はやっても良いが、仰々しいことはやるな!」というお達しがでていた。この当時、富山は富山県ではなく石川県であったのだが、「なんとかしなくっちゃ!」ちゅう事で、新潟・富山の県境の境川に橋を架け、明神峠の北側に新たな道(呉羽峠)を造り、そして富山・石川県境の倶利伽羅峠が大変だということで、少し北へふって天田峠に新道をつけた。

  画像は旧北陸道の明神峠です。 2003年05月10日



茂住峠

2000/01/01 00:00:00

茂住峠

 神岡町茂住~富山県上新川群大山町
 R41神岡町茂住の信号付近からわき道へ。初っ端から急な上り坂になります。当時ははじめは舗装路。後から砂利道に…見栄を張らず、押しましょう。峠から少し下って分かれ道に出ます。右方面は、長棟峠。左方面は、長棟林道経由の桧峠へ。

 峠には、道路の開通記念碑あり。その向かい側に、お地蔵様があるとか…

 画像は、1981年7月 茂住峠



2000/01/01 00:00:00

薬師峠

 薬師岳~太郎山間。地図に載っていたので、、、登山が好きな人、どうぞ…



2000/01/01 00:00:00

柳川峠

 ネットで見つけた峠。
 県道25号線の旧山田村と旧八尾町境にある。
 峠は、加賀藩と富山藩の藩境のはず。