《住処建設日記》
【1999/7】
1999/7/31(土) 今日は土曜日だというのに仕事。それも炎天下で駐車場の整理をして、それから児童虐待の講演を聴いて、終わったら会場の片づけ。は〜〜、疲れる。その後、職場の暑気払いに突入。あああ、電車もないし、今日は当直室泊まりだな。
そういうわけで、今日は更新できません。ごめんなさい!!(7月30日記す。たぶんこんなになるだろう)1999/7/30(金) う〜む、この記事を書いていると、どうも頬がゆるんでいけない。ちゃんと昼時間に書いていたのだが、同僚が何事かって顔をする。よっぽど親バカな顔をしていたんだろうなぁ。帰ってきて、ママの検閲(事実誤認がないかの確認)を受けて『たこぼうのいる暮らし【乳児編】』に載せました。
1999/7/29(木) ふう!やっとできた。今日はどうやって更新しようかと悩んだが、折紙の作品を作ることにした。「どっちの料理ショー」を見ながら作り始めたのだが、その後、「らせん」も見て、それでも完成しなかったというもの。C:,ミだよ!まあ『折り紙ぎゃらりぃ』を見て。
同じ作者にくコ:彡があるんだけど、それは次回ということで、はあああ、疲れた!!
おお!えみぶー、800HIT感謝。えみぶーはヤマト君の優しいママなのだ。あら?777HITはだれだったのだろう??るくすじゃないのかな??1999/7/28(水) さて、今日はどうしようかとはたと詰まってしまった。う〜〜む、困った。まあ、何か文でも書くかなということで、『↓ちょっと思いつきを』に一文書いてみた。相変わらず口下手なおいらは今ひとつ自分の考えを整理して表すことができなかったが、まあ、これも練習と思って…
ほんとにあるのかしら?
『パニックY2K』なる本を読んだ。後半の中国がアメリカを攻撃するという部分は、まあ平和ぼけしたおいらの頭には全くの想像もつかない様。むしろ話の中盤くらいの2000年1月1日を迎えいきなり全ての電力がストップした様はむしろリアルに感じられた。
Y2K=2000年問題というとその前にはコンピュータという文字がつく。おいらも含めて多くの人がコンピュータ2000年問題というと単にこの目の前の箱が誤作動を起こすとその程度にしか認識していないのではないだろうか?それがごく一般的な考えのように思う。しかし、自分をとりまく生活を考えれば、どれだけ多くのコンピュータがチップのレベルまで含めると、もう考えられない数が存在しているのがわかるだろう。交通機関しかり、通信機関しかり、金融流通しかり、その多くが誤作動を起こしたとしたら、大変な状況になることはたぶんに否定できないだろう。
おまけに外国からは日本の2000年問題対策は立ち遅れていると言われながらも、日本は国を挙げて十分対応可能な状況であると言っている。
まあ、どちらが真実かはその時がくれば分かることなのだが…
さて、この本で2000年1月1日に全ての電源が途絶え、ガスが途絶え、通信が途絶え、交通機関が途絶える。全ての都市の生命線が機能しなくなると言っているわけである。神戸の大震災の時にもまさにそれと同じ状況が起こったのだが(まあ、その時にはさらにいつ地面がひっくり返るかという恐怖すらも同時にあったのだが)、あの時には外部からの援助の手が差し伸べられるということがあった。しかし、この本のとおりに2000年問題が起きたとすれば、それは地球規模で起こるだけに、どこからも助けの手は来ないのである。では、どうするか。結局自助努力で問題に対処するしかないだろう。この本では食料を求めて、暴徒によるスーパー襲撃が起きている。まあ、神戸の時は確か誰もがお金を抱えて店に行ったように思ったが。しかし、どこからも助けの手がこないとしたら、そんな悠長なことをやっていられるだろうか。暴徒と化する可能性は否定できないだろう。おいらも家族の食べ物を得るためなら、たぶんそういう行動に走るのではないかな?
未だ、おいらもそういう状況が起こるとは考えられないでいる一人である。それこそ「人生万事塞翁が馬」を座右の銘にしているだけに。
最後にこの本に書いてあったY2K備える7箇条を記す。
●保存の利く食料を1年分購入すること。家族1人当たり200リットルの水を脱酸素容器に入れて蓄えておくこと。
●ピストル、ライフル、その弾薬を1000包分購入すること。銃器に慣れておくこと。みなさんのパートナーや子どもたちにも慣れさせておくこと。(日本じゃ関係ないか)
●1999年末から2000年初めにかけての冬の間使用するのに、十分な薪を蓄えておくこと。
●健康診断を受け、規則的に運動すること。
●痛み止めや救急処置キットなど、日常よく使う薬1年分と、処方箋の薬を1年分購入すること。眼鏡を使用している人はスペアを2セット購入すること。家族全員にコレラや破傷風、発疹チフス、A・B・C型肝炎などの予防接種を受けさせておくこと。
●耐火性の金庫に1999年の預金関係の書類と請求書すべてのハードコピーを保管しておくこと。証券会社に株券を請求しておくこと。
●エラーチェックできるように、2000年以前と以降のクレジットカード記録を取っておくこと。
さて、これがただの杞憂で終わればよいのだが…1999/7/27(火) きのうICQを上げていたら、いきなりmarionetteという人がコンタクトを求めてきた。3(-_^) エッ?だれ?OKをクリックすると、いきなりファイルが送信される。3(-_^) エッ?何?このotyame.gifって??開いてみると、それは見事にデザインされた「たこぼうの住処」の文字。あれ?それから間をあけずに「サンクス」のメッセージ。サンクス??そりゃ、こっちの科白じゃないの??急いで「????マリオネットってだれ??」と送信。しかし、返ってきたのは「おちゃめさん(ワライ」だけ。再度送信しようとしたが、marionetteの文字はオフラインに消えていた。誰だよ〜〜〜、おちゃめさんって??せっかくの頂き物。何となく立派すぎておいらのHPには似合わないようにも思うんだけど、表紙に飾らせてもらうことにしました。
1999/7/26(月) かねてより懸案であったバナー(のようなもの)を作ってしまった。おまけの好きなおいらが、これも一太郎Office9のおまけの「花子フォットレタッチミニ」で作った代物。下絵はたこぼうママが描き、あとはおいらがドットと相談しながらこつこつと作ってみた。ちょっとぼやけた感じになったけど、リンクフリーだから、使ってもらえるとありがたい。
本日、ace^O^aokiさん666HITおめでとう(爆)。エースはjapan_practiceのチャット仲間。昨年大晦日の年越しチャットが懐かしい。
それから春梅さん700HITおめでとう。あれ?今日は偉いヒット数が多いぞ(爆)。春ちゃんは#Practiceのお友達だよ。1999/7/25(日) 今年の6月26日(土)、hi^O^ro(『リンク』参照)が企画したオフ会が山形蔵王温泉で開かれた。その時の秘蔵写真(?)を入手したので、アップすることにした。写真に写っているのは、秋田のネット漫画家たぬき、茨城のKeyこと牛、そして静岡は清水のねずみ=ラッツ。場所はどうやら座敷らしい。
1999/7/24(土) たこぼうとママは2人で日帰りで宝塚へ宙組公演を見に行っていた。おいらは朝から仕事。疲れ果てて帰ってきても、2人ともいない。7時くらいに帰ってきて、どうしようかと思っていたのだが、ちょうど「アイズ・ワイド・ショット(S・キューブリック監督の遺作)」の先行レイト(夜2回)の日だと思いだし、時間を調べたら、1回目はすでに始まってしまっている。2回目はと言えば、9時頃開演で、これを見ていると12時くらいになってしまう!!う〜〜ん。そんなわけで、R18指定のこの映画は来週始まってから(先行レイトの場合、パンフが売ってないのも取りやめた理由。パンフは大抵買っているからなぁ)見ることにして、別の映画を見てきた。帰ってきたのが、9時半過ぎ。さて、シャワーの一つも浴びないと、汗でべとべとだしな!
軽く汗を流してたこぼうたちの帰りの時間を見れば10時27分の電車。じゃあ、迎えに行ってやるかと駅まで。それから、『映画の話』を書いたものだから、結構遅くなってしまった。1999/7/23(金) ついに!ついに『たこぼうのいる暮らし【乳児編】』の執筆にとりかかる。しかしあまり覚えていないものだ。こりゃあ、ママに母子手帳でも出してもらったり、アルバムでもひっくり返さないことには書けそうにないな。とりあえず、仕事の昼休みの間に書いた分だけアップしちゃいました。ううううう、スランプじゃああ。
でもこれ書いたのは昼休み中で、それもおいらのPCでだよ。その点はFUJIOさんとは違うからね。そうそう、FUJIOさんと言えば、600HITありがとうございました。1999/7/22(木) ここでは言葉を重ねることはしないでおこう。『↓ちょっと思いつきを』に一文、ただそれだけ。もっと大人にならなくちゃ。
調子に乗るな!
昨夜のことだった。おいらは車を走らせていた。漆黒の闇は車の姿も押し隠してしまい、自分とハンドルだけしか感じられないくらいだった。自分でもどこを走っているのか分からないような頼りなさを感じていた。
ピピピピ!突然の警告音。しかし、それも一瞬のこと。ただあまりの頼りなさが自らの不安だけをかき立ててしまう。アクセルを踏む足はむしろ引き気味になっていた。
しばらく行くと、四角い機械のようなものを持った人が立っている。それも一人でなく、だいたい人二人分ずつ開けて何人も並んでいる。そして、最後に制服をきた男。おいらはクラッチを切った状態で、惰性で車を走らせていく。それに平行して歩いてくる制服の男、ガタン!妙な音に意識が遠のく…
気づくとおいらは自分の布団の上で寝ている。ママが「ラジオ体操やよ」とたこぼうを起こしている声。
結局夢だったのだが、なんだったのだろう。そう言えば、遠い昔に人ではなく、犬が並んでいる夢を見たことがある。幼かったおいらは当時犬が苦手であった。あの時は道の両側に居並ぶ犬に畏れを抱きながら通過するというシーンだった。
この犬の夢が何をイメージしていたのかを意識したことはなかったが、今度の夢はなんだったんだろう。
車は自己の衝動を表現するものらしい。居並ぶ人間はおいらの行動を監視しているものかもしれない。そして、制服を着た人。これはルールを象徴しているのではないか。
そう考えてくると、なんらかの行動の監視と統制がおいらには必要なのかもしれない。
ただ、最後に妙な音と、それに続く意識の喪失が何を表しているのか。最後の最後に落とし穴が待ち受けているとでもいうのか?
自らが自らの行動を監視し、統制する力、そういうものが、お調子者のおいらには必要だろうし、それだけでうまくいくわけでもないということも肝に銘じておくことが必要ってことかな?1999/7/21(水) きのうemibooのHP行ってカキコしてきたら、linkはってくれるってレスがきちゃった。「わ〜〜い、嬉しいなっ!こちらも『リンク』はらなくっちゃ」ってんで、きょう早速linkはっちゃいました。あ〜〜〜あ。そう言えば、以前にFUJIKOちゃんからバナーは?って言われてたんだよなぁ。まだ作ってないや。どうしよう。
1999/7/20(火) きょうはたこぼうが友達と出かけるというのでアッシー君を仰せつかったたこぼうパパ朝送っていってから、昼過ぎに迎えに行かなくてはならない。ちょっと出かけにくいなと思ったので、待機している間に折り紙作品を2つ折る。可愛いのと怖いのと、まあ『折り紙ぎゃらりぃ』を見れば分かるかな。
1999/7/19(月) おいらが勤める石川県から、大関誕生を見る(まだ確定していないが)。そのお父さんの話を小耳に挟んだものだから、『↓ちょっと思いつきを』に一文書くことにした。
そうそう、そう言えば、今日の0時頃チャットしてて、TLSとHPの話をしてたら、いきなり500HITしたって返事があったなぁ。
出島大関に!
たこぼうが就学までを過ごしたのが、石川県金沢市。その金沢市出身の出島関が昨日13勝2敗で優勝決定戦で曙を倒し、優勝してしまった。
この場所は魁皇が大関取りをかけた場所で、だれも出島の大関を予想だにしていなかった。それもそのはずで、それまでの2場所、小結で9勝、関脇で11勝だったから、13勝しないことには昇進ラインの33勝には満たない。むしろ今場所2ケタ勝てれば来場所の大関昇進の足がかりになる、とそれくらいにしか考えていなかったのだから。
それが2横綱2大関を倒して勢いにおり、13勝を挙げて大関昇進を確実なものにしたと思ったら、同部屋の兄弟子武藏丸が曙を倒してくれたものだから、ついには優勝決定戦なってしまったのである。
さて、この出島関。色白で、ぽっちゃりと、加賀人形みたいな体型で気弱そうな顔つきをしている。同じ石川県出身で今場所怪我で休場した栃の洋という関取がいて、2人はほぼ同期で相撲界に入り、方や金沢で、もう一方は七尾の出身で、それぞれ贔屓がいたのだが、この2人、雰囲気もそれぞれ違う。たこぼうの住処では、出島を「いじめられっ子のデブ」、栃の洋を「いじめっ子のデブ」と呼んでいる。その「いじめられっ子のデブ」が優勝し大関になるのだから、痛快である。
実際、出島は結構気の小さい関取で、角界入りにしても本人はやっていく自信がなくって、就職もほぼ決めていたところに、武藏川部屋からの誘いがあったわけである。
本人も迷っているところで、彼の角界入りを決定づけたのは父親の「駄目でもどうにでもなる。とにかくやってみろ」という言葉。これなかなか言える言葉じゃないよね、普通なら安定した就職を考えるところなのに。
この父親がまたできた人で、実は父親自身相撲をとっていて、横綱にまでなった輪島の1年先輩だったか後輩だったからしいんだけど、身体を壊して相撲をやめた人で、出島には自分が相撲をしていたことを全く話さなかったとか。それと言うのも、そとで指導者に習ってきて、さらに家で父親に習うとなると、指導に一貫性もなければ、本人にもよくないと考えたという話。
まあ、大関を育てた親ってストーリーはしばしばマスコミの手によって作られるけれど、このお父さんの支えがあって、今の出島があると思うと、ほとほと頭の下がる話である。1999/7/18(日) たこぼうも明日学校に行けば夏休み。昨日学校で作った作品を持ってかえってきた。結構愛らしい作品だったので、親ばかたこぼうパパがすぎに写真撮影。作品を持っているのはたこぼうの手だよ〜〜ん。『私の作品』のページ見てね。
さて、今日も映画を観たんだけど、それがまた入りの悪い映画館で、10人くらいで観てきました。これはそこそこ面白い映画だった(『映画の話』)。1999/7/17(土) 昨日観てきた映画の話を『映画の話』にアップ。昨日忙しかったこともあるが、なかなかアップしにくい作品だった。多くの人が見ているし、ストーリーについては書かず、自分の感想だけを書いたのだが、はっきり言ってあまり好きな作品ではなかった。う〜む。
1999/7/16(金) 今日は平日に代休がとれたので、朝からスターウォーズを見てきた。平日というのになんでこんなに人がいるんだ??まあ、それは置いておいて、画像処理を始めたら、HDの容量不足に悩ませられることになってしまったので、システムも不安定になっていたので、再セットアップを開始。フォーマットしたところで、お気に入りをバックアップするのを忘れていたことに気づく。「げっ!どないしょ。今日はHP巡回できないな。あらら〜」。とりあえずリンクから友達のHPにジャンプ。そこからリンクを探して、え〜と、こんなもんかな。あ〜あ、スターウォーズの話は明日にしよう。
1999/7/15(木) たぬきのHPに行ったら、「ピースのマンガ」が「たぬきのマンガ」に変更してある。確か『リンク』で紹介していたはず。直しておかなければ。そうそうそれからリンクのページはしばらく見てなくて(爆)忘れていたけど、FUJIKOのところも紹介文を直しておかないといけないな。
1999/7/14(水) このHPがおいらだけでなく、家族全員の力で作られていることを痛感。いよいよ今日になって更新するものがないのではないかということになってしまったのだが、たこぼうママが人形を1体持ってきてくれた。よし、分かった。じゃあ、これをアップするかなね。そういうわけで、ママの部屋の『ジェニーコレクション』に追加。もしかしたら、おいらの方がママにうまくのせられたのかしら??
1999/7/13(火) 毎日更新もいよいよ疲れ気味。今日はたこぼうママの部屋を改装(『ジェニーコレクション』)。ママ自作の着物を着た人形を2体アップする。いい年したおやじが人形に下駄を履かせたりスタンドに立てたりと結構ブキミな感じで写真撮影を実施。人に見せられる姿じゃねえな。
1999/7/12(月) ついにベールに包まれていたたこぼう一族の正体が明かされた。詳しくは『この部屋の住人!!』を見よ!
1999/7/11(日) 昨日から始まったSWepisodeTはきっと混んでいるだろうと、別の映画を見ることにした。映画館には6人の男がそれぞれ席を離して座っている。あらら、なんか変な映画だったかな?登場人物は9歳の子どもと、多分60くらいのおばちゃんって映画なんだけどなぁ。『映画の話』に書いておこう。
それから、表紙のデザイン(?)をちょっと変更。1999/7/10(土) BALLADMIXさんのHPに行ったら、おいらのHPがリンクしてあるではないか。これはいけないってんで、ええええ、気づかなかった〜〜。急いでBALLさんのHPを『リンク』のページにアップしました。それから昨日書こうと思っていた話、遅くなったが『↓ちょっと思いつきを』に一つ書いちゃった。
どうなるのやら
昨日の新聞に、「文部省が大検の受験資格から義務教育修了という要件をはずす」という話が載っていた。外国人学校の卒業生を受け入れることが主たる目的のようだが、一方で不登校児への門戸を広げるという意味合いもある様子。文部省は義務教育制度はそのままにしてと言っているらしいが、さてどうなることやら。
過去において「登校は当然のこと」と考えられていたところに、何年か前に『不登校は誰にでも起こり得ること』という見解が出たのだが、このままでは「不登校が当然のこと」になるのではないかとつい心配になってしまう。
現実、外国人学校の卒業生の大学への受け入れ(すでに公私立ではなされており、今回は国立もという動きであるらしい)という背景には、いじめなどの日本の学校教育が抱える問題を回避するために、日本人ではあっても、日本の学校には入れたくないと考える(実践している)親がいるという事実があるわけで、すでに義務教育を見限ってしまっている親がいるのである。それを今回、文部省が追認しようとしているとも言えるのである。
それこそ、親が英才教育をしようと、家でいろんな学者を雇い入れて、一切学校教育を受けないままに、大学に入れさせるという、マンガのようなことが現実に可能になるのではないだろうか。
実際、今の学校現場というのがあまりにも悲惨な状況であるだけに、このことが妙に現実味を帯びてしまうのは、私だけだろうか。1999/7/9(金) 今日はjapan_practiceの富山オフをやっているのだが、今日も明日も仕事がつまっていたため、泣く泣く不参加。ずっと以前に作成した2体の恐竜骨格模型をまるで化石を掘り出すようにして引っぱり出したは良いが、どれがどちらの骨か分からず、ようやくの思いで組み立て、台も作って写真撮影。『折り紙ぎゃらりぃ』にアップ。う〜ん、骨が折れた。
なお、これまでこのページを『住処建設履歴』としていたが、『住処建設日記』に改名。1999/7/8(木) ようやくおいら(たこぼうパパ)のもう一つの趣味である折り紙のページを作った。その名も『折り紙ぎゃらりぃ』。家の中に作りっぱなしで置いてあった作品を3つ、デジカメで撮って貼り付けただけだけど…。これから少しずつ増やしていく予定。でも、画像データってホントに重いんだよなぁ。
1999/7/7(水) たぬきのHPに行くと日記のところにたこのgifがある。これはもしかしておいらのために?と独り決めしてDLしてきちゃった。ちゃんとたぬきのHPにはその旨カキコしてきたよ。それをいそいそと表紙に貼り付けちゃった。それから、今日は『↓ちょっと思いつきを』を一つ書いちゃった(ロッテマリーンズ首位記念)。
幸せなことで…
(前もって記しておくが、私は純然たる巨人ファンである)
さて、今日は七夕である。あまり季節感を感じずに生活しているので、特に感慨を抱くこともない。私が住む町では七夕は8月にしているので、それもなおのことである。久しぶりに七夕の日に晴れるかと思ったが、夜になって曇ってしまった。
それよりも今日はとても嬉しいニュースがあった。あのロッテマリーンズがついに首位に立ってしまったのだ。私は別にロッテのファンというわけでもないが、今のロッテの監督である山本功児さんが巨人時代から大好きであった。「山本こうじ」と言えば誰もがカープの監督をしたこともある人を思い出すが、何故か私は彼の方を思い出す。彼はとてもすばらしい選手でもあった。はっきり言って王さんさえいなければ、巨人で4番を打っていてもおかしくなかったのである。それが巨人の優勝至上主義の名の下に、殆ど飼い殺し状態で選手生活の大半を巨人で送ることになってしまったのだ。
私が彼を好きなのは、そんな不遇な生活を送りながらも、愚痴もこぼさずに、それでいてきっちりと仕事をこなしていたところである。ホントにすばらしい人である。
やっぱり男は無口な方が良い(おいらは結構おしゃべりだ)。首位に立とうが、今日も彼は控えめなコメントしか残さなかった。男は黙って…である。
その点、今の巨人の監督はどうだろうか?ロッテが首位に立とうとする時に、「ON対決も楽しみだけど、功ちゃん(かの茂雄は山本さんをこう呼ぶ)とこともやってみたいね」とキンキン声で話していたらしい。未だ2位のチームの監督が何を言っているのやら。そんなことを言っているから、札幌で2連敗して、首位に4.5ゲーム差になっちゃったじゃないか。3位阪神とも0.5ゲーム差。おいおいどうすんだい?ホントに幸せな人である、今の巨人の監督は…1999/7/6(火) 昨日FUJIKOちゃんに「たこぼう怒らなかった?」と聞かれたので、今日になってたこぼうに確認。一旦は渋々「いいよ」と言ったんだけど、いざ寝ようという時になって「やっぱり消して。お願い」と言い出しまして、一家3人でどれにしようかと選んだのが、生後5日目の写真。スヤスヤと眠る姿をAdobePhotoDeluxeで画像処理(失敗?)してから『たこぼうって何??』にアップし直し。
1999/7/5(月) 仕事から帰ってくるとちょうど食卓の上に古いポケットアルバムがある。「おやあ??おお、たこぼうの写真じゃ」。今日は写真でスキャナのテスト、いそいそ。たこぼうのセミヌードを『たこぼうって何??』にアップ!みる?
1999/7/4(日) さて、昨日折角映画に行ったんだから『映画の話』を書かなくっちゃ。それからボーナス(クリンが見たら羨ましがるかな?)も出たので、ついにデジカメとスキャナを買ってしまった。さあて、どうやって使うのかな。
だめだーー。やっぱり買ったら使わないといられない。とりあえず形なりにと、『たこぼうのへや』に絵を『たこぼうママのへや』に写真をいれちゃったーい。1999/7/3(土) 結局寝るに寝られずに、フレームを試してみる。いろいろやって出した結論が見えないフレーム。ほおら、フレームもないのに、どのページ開いても音楽がなるだろう(うひゃひゃひゃ)。それから、たぬきからの再要請もあって、『リンク』の紹介文を変更しちゃったぞ。ううう、眠い。
ねぶい。たこぼうも学校に行ったし、もう少し。そうそうマーキーって言うのか、文字がスクロールする奴。あれをつけたいって思ってたんだ。何々、あら?なんだ簡単にできるじゃん。じゃあ、表紙に。サイズをどうするかな?まあ、この辺で良いか。
ああああああ、たぬきーーー、ごめん。さっきゲッターから指摘を受けました。たぬきのリンク、バナーを置いて紹介文を書いたけど、ハイパーリンクが設定してないって……。たこぼうパパ、不覚。誠に申し訳ない。きちんとなおして置きました。1999/7/2(金) さて、今度は音楽くらいつけてみようか。バックグランドサウンド、こいつやな。あれ?表紙にしかつかんやないか?他のページ開いたら鳴らんぞ!う〜ん、フレーム切らんといかんのかなぁ。よー分からん。今日はこのまんまや。
1999/7/1(木) きのうFUJIKOちゃんに言われたしなぁ。じゃあ、『住処建設履歴』(これのことじゃあ)作るかな。
三題話を『↓ちょっと思いつき』にアップ(これは全て事実です)。
ぴょんぴょん
ついに1999年7の月になった。ノストラダムス?恐怖の大王?そんなことあるのかな?そう言えば、子どもたちと会っていて、「どうせ1999年の7の月になれば」という台詞を時々耳にすることがあった。大抵は1999年7月になれば人類は滅亡するのだから、頑張ったって何の足しにもならないというのが言い分だった。さて、あの子たちは今月が終わったら、今度はどうするのかな?7の月は9月だという説もあるし、あと2ヶ月は大丈夫かな(うふふ)。
そんなことを思いながら、仕事場から家に帰る道。石川と富山の県境、傾斜7%〜9%の細い山道をおいらのインプレッサWRXは調子よく走っていた(この9月でやっと4年というのにすでに11万4千q走っている)。MT車はこういう時は不便である。まあ、そんなに飛ばすこともなく(飛ばすなんてできないんだけど)走っていたら、目の前をぴょんぴょんと通り抜けるものがいる。おやあ?ウサギが走っていくではないか。なんとも可愛い。ちょっとお愛想したように見えたのは気のせいかな?あの子もしっかり生きている。
家につくと、「こんなの出した?」とたこぼうママが小包を渡してくれた。カルピス80周年記念のセット。ああ、Chance It!で懸賞応募していた奴だ。う〜ん、当たることもあるんだーー。毎週3回、メーリングサービスが来るたびに、せっせと書いていた甲斐があった。ラッキーーー。
とにかくできるところからやってみよう。ウサギだって毎日しっかり生きている。こつこつ小さなことでも積み重ねれば、時に良いことだってあるんだし。
今を精一杯に、生きたいもんだね。