おまけ その後、ヒダカワールドはユニオンの所属を離れ、地方の新潟競馬で
がんばっていた様子です。
成績は9戦5勝2着が4回。元中央競馬所属の面目を保った感じ
でしょうか。お疲れ様でした。
1999年10月29日 馬体面の成長も見られず、レース内容も良い所がなく惨敗続き
なので引退することになった。
1999年3月6日
阪神の芝2000m新馬戦でデビュー。
ヒダカワールドは6着で勝ったのは同じユニオン所属のプロティウス。
おめでとうございます。さあ後に続け!
1999年1月14日
栗東の加用正厩舎に入厩。元気すぎてゲートの中でもじっとして
いないらしい。大器の証か???
1998年12月4日
入厩に備えてトレーニング中。
1998年4月10日 この馬を選んだ理由はなんと言っても父親がメジロライアンだと
いうこと。もともと好きな馬だったし初年度産駒のメジロブライトと
メジロドーベルが重賞勝ちしていて、この馬にも同等の期待を
してしまう。目指せクラシック!
4足履いている白の靴下がチャームポイント。