高峰公園

 

 高峰譲吉博士の生家跡地にある。公園には顕彰碑(下記2)と高峰博士の胸像があり、毎年11月3日に“高峰譲吉博士顕彰会"(下記1)主催の生誕祭(胸像への献花、湯川秀樹博士撰文(下記3)の朗読、近隣小学校児童による「高峰博士を讃える歌」(下記5)斉唱)と高峰科学賞表彰式、レセプションが行われている。

 

 

1、高峰譲吉博士顕彰会

 

 郷土高岡の偉人である高峰博士の業績を顕彰し、広く市民に知らせ、後世に伝えると共に、無限の可能性を秘める子供達が、科学に関心を持ち、理解を深めるようこれを助長するための諸事業を実施し、もって高岡市の科学教育の振興と文化の発展に寄与することを目的にしている。会員は、法人会員約60社強、個人会員約70人強を数える。

 

 

 

2、高峰公園顕彰碑(パネル)の銘文 

 

 

高峰譲吉(1854年=嘉永7年〜1922年=大正11年)

工学博士(1899年)薬学博士(1906年)

学士院賞受賞(1912年)

 

 

1854年この地(高岡市御馬出町51番地1)に、医師である高峰精一と母幸子の長男として生まれた。母の実家津田家は醸造業を営み、生まれながらにして父母の影響を受けて化学者への道を歩むよう運命づけられていた。生まれた年に父は、加賀藩に招かれて金沢に移った。

 

1879年工部省工部大学校(東京大学工学部の前身)応用化学科を卒業、翌年イギリスに留学。

 

1884年アメリカのニュー・オリンズ市万国博覧会事務官と して渡米し、肥料等に生かされている化学の有効性を認識。帰国後の1886年に専売特許局次長に就任。1892年ジアスターゼの研究に成功。1894年タカ・ジアスターゼ特許を得る。1900年ウシの副腎からアドレナリンを結晶として得ることに成功するなど、多くの発明発見を行い世界の医学・薬学の発展に大きく貢献した。

 

   博士は、高岡市がアルミニウム産業の立地に有利であることを提唱した。今日、本市は博士の指摘どおり、我が国のアルミニウム産業の一大拠点となっている。

 

    また、アメリカで日本クラブ・日本協会を創設し、セントルイス万国博覧会の日本館「鳳凰殿」を「松楓殿」として残すなど、日米親善に尽くした。

 

   1922年7月22日68歳で逝去。

 

 

 

 

3、高峰譲吉博士胸像の後ろに刻まれている撰文(湯川秀樹博士によって書かれた)

     −胸像は1955年(昭和30年)生誕百年を記念して建立され、撰文はその時(昭和30年)に書かれたー

 

  

 

高峰譲吉博士は1854年高岡に生まれ1922年米国で没したがその生涯は真理の探究に捧げられ、

  偉大なる発明発見によって人類に不朽の恩沢を与えたのであります。生地高岡の人々は、わが国科学

  の先駆者としての博士 識見高邁な世界人としての博士を追慕して先に生家の跡を公園とし、今またこ

  の胸像を建てたのであります。

   かくて博士は常しなえに郷土に生きここに来る人々に感銘を与えるでありましょう。

   19557

                                                       湯川秀樹誌

 

 

 

 

4、高峰譲吉博士とアルミニウム{津田俊治編「津田家と高峰譲吉」(65頁〜68頁)より}

 

“富山県下に於ける軽銀興業について(高峰譲吉博士談)”高岡新報より

高岡市立中央図書館資料提供

 

 

 

上編                       (大正7年5月21日)

 

吾々は今度アルミニュ−ムの製造を計画し、先づその第一要件たる電力を得んが為に神通川の水力使用を出願し、その許可を待って本県下に一大工場を設立する筈である。このアルミニュ−ム製造と云う事は特殊の技術熟練設備が要るので容易な様で中々むつかしい。従来日本で一二計画されてあれども予定の成果を挙げる事の出来なかったのは、多くはこの点に帰着するので今迄日本で製造されないとい

うのは甚だ遺憾の次第である。

 私は多年この事業を日本に興して見たいと思っていたところ、今回さいわいにも斯界において世界第一と云われる米国アルミニュ−ム会社の好意に依って、その最も熟練した技術を日本に輸入し日米人共同して一大アルミニュ−ム会社を日本に興そうと云う話が纏まったので、この機会を以てこの事業を日本に確立したいと思って今や鋭意その準備中である。さいわいにこの計画が予定通り成功すれば以って日本におけるアルミニュ−ムの供給を全する事が出来るのみならず、進んでは東洋各国にもこれを輸出し日本の工業独立という事に貢献するところが少なくないと思う。

 元来アルミニュ−ムはその発見が比較的新しく、かつその製造の盛になったのは極めて新しいので、その性質用途の如きは未だ充分世人に周知せられていないが、その特殊な性質例えば非常に軽い鉄の三分の一位しかないとか酸類に対する抵抗率が強いとか電導率が高いとか、又他の金属と混ぜて種々の好い金属を造るとかいう性質は他の金属で造ることの出来ない器具機械類を造るに適しているのである。日用の器具として鍋とか皿とかコップ、湯沸等を始めとして携帯用品として水筒とか写真器とか望遠鏡とか軍需品として飯盒とか防弾帽とか造るに都合好く電線に使用すれば銅の半分位の値段で出来、又将来日本において大いに発達しなければならない自動車、潜航艇、飛行機等の軽い機械は是非ともアルミニュ−ムを使わなければ出来ない。

 斯様にその用途は頗る広く且つその新しい用途も漸次発達するので需要の増加も頗る急激なもので、今からざっと十年前は世界のアルミニュ−ム産額は約二万屯位/年であったのが、現今においては十数万屯に達し十年間に六七倍の 増加を示しているので、近い将来において最有用な金属は 鉄 銅 アルミニ ュ−ムとなるであろうと予想せられている。

 

追記

            【黒部開発の祖 高峰譲吉】        

著名な化学者であり事業家でもあった高峰譲吉博士は、水力発電の宝庫・黒部 に、いち早く着目、数々の調査を進めるとともに、鉄道敷設、宇奈月温泉開湯 など、偉大な足跡を残しました。 また、1917年(大正6年)アルミニウム工業会社の設立を計画。黒部川電 源開発のため土木技術を黒薙まで踏査させました。

 

(これは、黒部峡谷鉄道 宇奈月駅前にある「黒部川電気記念館」に掲げてあるパネルの説明文です。

 

 

中編                    (大正7年5月22日)

 

 軽銀は日本にて従来全然生産されず需要の全量を外国からの輸入によっていたので、その輸入額は戦前において年約四百屯であったが近時急に増加して、昨年の如きは九百屯余に達している。内地で出来る様になって比較的廉い「アルミニュ−ム」を供給する様になり、又一般の機械工業が発達するに従ってその増加率は一層急激な事とおもわれる現今「アルミニュ−ム」製造の最盛なのは米国であるが、その産額は年約六万屯それに使用する水力は約四十万馬力に達している。その外、英、仏、墺、独、諾等の諸国にはそれぞれ大なる工場があって、盛に製造に従事しているので斯様に重要な工業が日本において未だその基礎を有していない事は甚だ寒心すべきことである。

 我々は今後神通川の水力を利用して発電所を設け、その電力を伏木・高岡方面に送電し、この方面に工場を設ける計画であるが、この場所を選んだ理由は神通川の水力が日本でも稀な好い水力である事と伏木・高岡方面が水陸の交通に便利にして将来の工業地として理想的である事、並びに水力地と工業用地との距離が極めて近いと云う事にあるので、水力を求むならば他県の河川にも中々大きい水力があり、又港湾として伏木以上の所も大いにあるが大水力と港湾と斯様に接近している点は本県が他県に比し工業地として特に優秀なる所以で、現今の様に電気化学工業が発達し又石炭の埋蔵量が漸次減少して凡ての工業動力が電力に依らなければならない状態では、本県で五六十万馬力の水力が開発せられ本県が本邦有数の工業地と化する事も遠くはないと思う。

 本邦現時の「アルミニュ−ム」輸入額は前述の如く、一年に千屯位であるが年々の統計は需要の急激なる増加を示しているのみならずその用途は汎まる一方であるから数年の後には二三千屯に達し、或いは一万屯位の需要額に達する事も余り遠くはあるまいと思う。しかのみならず、この事業は大規模の計画でなければ成功し難いから、我々の計画では単に国内の消費量を充たすのみならず東洋各国にも輸出する計画で、その工場の如きもかなり大規模なものを設立する筈である。従って目下種々の工業の計画及設計で伏木高岡地方が工業地として発達しかかっている傾向を一層促進しこの地方の繁栄を益する事と思う。

 

 

 

下編                    (大正7年5月23日)

 

ここに特にこの地方の商工業家の一考を労し度い事は「アルミニュ−ム」工業は、一般の化学工業の様に単にその製品を直に販売し輸出するのみならずこれに加工して諸種の器具を製作する事が必要で、即ち「アルミニュ−ム」製造工場が出来ると必然これに附随して諸種のこれに加工する工業が発達しなければならない事である。従来高岡は銅器の製造地として有名で銅 鉄 等の金属の細工としては特有の技術が発達している。かくの如き技術は一層研究して発達せしむる事が必要であるが、今ここに大なる「アルミニュ−ム」工場が出来るとこの地方の工業家は多量の廉い新しい金属を得られる事になるから、従って歴史的に発達した優秀な金属加工の技術と豊富なる原料と相俟って、又ここに「アルミニュ−ム」は器具製作の発達を促す事になり、本県下の産業に一新生面を拓く事ができる。我々が工場を設けるのに伏木地方を選んだのは前述の通り、水力と港湾との関係からではあるが加工という点を考えるとこの地を選んだことが一層適切と考えられるのでこの点は是非共この地方の商工業家の一考を労して、単に「アルミニュ−ム」の生産のみならず「アルミニュ−ム」器具の製作加工と云う事でこの地方において充分の発達をなさしめ、この種工業において本郡否東洋に覇を称へ度いと願う次第である。

 従来北陸地方は裏日本と称せられ商工業が不振で兎角閑却され勝であってこれは気候の関係もあるが交通の不便なる事と工業の親とも称すべき石炭の産出のなかった事は蓋しその最大原因と云う可きである。然るに今や陸には北陸沿岸の鉄道が縦貫し濃飛横断の鉄道も着手せられ、海には北鮮航路の開かれる事になると本県は北陸各地における交通の要衝となるべくその山地においては無尽蔵なる水力を持っているのであるからこれ等を適当に利用し、開発すれば本県は比年ならずして、北陸第一の工業地として繁栄するに至るべくその関鍵は一に本県人の奮励努力如何にある事と思う。我々の計画の「アルミニュ−ム」事業の如きは本邦何所にも未た成功を見たないのであるから、先ず本県においてその先鞭を付け該事業において本県を以て中心とするが如き蓋し本県の快事として県人の誇とすべきではないかと思う。

 

 

“富山県下に於ける軽銀興業について(高峰譲吉博士談)”高岡新報より   (高岡市立中央図書館資料提供)

 

 

 

 

5、高峰博士を讃える歌

 

、毎年11月3日に、高峰譲吉博士の生家跡地にある高峰公園で“高峰譲吉博士顕彰会"の主催で生誕祭(胸像への献花、湯川秀樹博士撰文

の朗読、近隣小学校児童による「高峰博士を讃える歌」斉唱)と高峰科学賞表彰式、レセプションが行われている。

 

以下に、“高峰博士を讃える歌”を記す。     

  

 

 高峰博士を讃える歌               中山 輝  作詞

                                   室崎 琴月 作曲

  

 

1、 時代の朝を呼ぶ風に     黄菊白菊咲きかをる

     安政元年 霜月三日      わが高岡に生うけて

     射し出た光 高峰博士     ああ日本の誇り 高峰博士

 

  2、 真理のとびらおしあけて       千古の秘密解き明かし

     アドレナリンやタカジアスターゼ   かざして人を救われた 

     科学の父よ 高峰博士        ああ世紀の巨人 高峰博士

 

  3、 太平洋に並びたつ        日の丸の国 星の国

     結ぶ平和の橋ともなって     母国の幸を築かれた

     人間愛の 高峰博士       ああ世界の偉人 高峰博士