(谷道さんと写経)
B、17,8,15付 富山新聞より
「鎮魂の写経」 3万巻超え 人間魚雷で散った友思い 高岡の谷道さん
太平洋戦争末期、人間魚雷「回天(かいてん)」の発進基地に配属となった会社役員谷道巖さん(81)=少尉、高岡市小馬出町=が、十九歳の若さで命を落とした戦友の小森一之さん=のちに少尉、旧福野町出身=を悼み、約三十年前から写経を続けている。戦後六十年の今年、その数は三万巻を超えた。「子孫には二度と戦争は体験させたくない」。小森さんと過ごした激動の青春時代に思いをはせる谷道さんの「鎮魂の筆」は止まらない。
回天は日本の敗色が深まる中、劣勢を逆転しようと考案された。人間もろとも敵艦に体当たりする「人間魚雷」で、訓練中に死者が出たほど危険をはらんでいた。 小森さんは高岡工芸学校電機科生時代の一九四三(昭和十八)年に三重海軍航空隊奈良分遣隊に予科練習生として入隊した。谷道さんは学徒出陣で平生基地に配属となり、同じく同基地に配属された小森さんと知り合った。同郷の二人は兄弟のように慕い合ったという。
やがて小森さんに出撃命令が下ると、小森さんは谷道さんのもとにやって来ては酒を酌み交わし、故郷の話に花を咲かせた。小森さんは終戦間近の四五年七月十八日、回天を積んだ伊五八潜水艦に乗り組んだ。二十八日に沖縄とグアムを結ぶ海域で米国の大型タンカーに向けて突撃し、回天としては県内で唯一の戦死者となった。
訓練中に終戦を迎えた谷道さんは「小森君には安らかに眠ってほしい」と「般若心経」の写経を始めた。ほぼ毎日、高岡市大手町の大仏寺に出かけ、読経も欠かさない。
(参考)
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高岡大仏あけぼの会発足当初以来の最古参メンバーの一人である 谷道 巌氏に関し、平成16年7月31日付 北日本新聞 “読者のひろば”(35面)に投稿された文章を下に転記した。
投稿者は、高岡市 辻 郁子氏(主婦 74歳)である。
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大先輩に学ぶ 写経する心 |
私たちの校下では毎年、大先輩の経験談を聞く講話会を開いて、自己研修の糧としている。今年は「私の歩いた道」と題して、前校下自治会長の谷道 巌さんの話を聞いた。
谷道さんは、昭和18年大学在学中に学徒出陣して舞鶴海兵団に入隊。やがて20余人の予科練生を部下とされた。そのころ、特別攻撃隊が編成され人間魚雷の訓練が続いた。親しかった県出身の予科練生は、「精神は澄んで一点の曇りなし」の言葉を残し、「行きます」とあいさつして出撃し、終戦20日前に19歳の若さで戦死した。今も心に深く残り、毎年命日に墓参りをしていると、当時を思い出し話された。
戦後、結婚し平穏な日々だったが、腹膜炎を患い大手術をして生死の境にあった時、霊夢を見て仏に導かれて命が助かり、信仰に目覚めたことを穏やかな声で語られた。毎朝五時に起床して般若心経を写経し、近くの寺に参り、般若心経を同志と唱え、戦友の鎮魂を祈って二十五年、と聞いて感心する。
四国八十八ヵ所の写仏巡礼もされており、写仏を見せてくださった。写経すると心が清らかになり、安らぎ、落ち着き、静けさを得てうれしいと高岡弁で話を結ばれた。谷道さんの書かれた般若心経を薄紙に写経し、信仰に生きる心をいただきたいと思った。
A、18,6,10付 北日本新聞
写経で心和らげて
大仏寺で教室開講−あすから毎月第2日曜―
高岡・谷道さんら
独学で写経に取り組んでいる高岡市小馬出町の谷道巌さん(82)が中心となって「大仏寺写経会」を結成した。毎月第二日曜日に、高岡大仏がある大仏寺(同市大手町)で、写経教室を開く。11日に第一回があり、ボランティアーで講師を務める谷道さんは「何かと物騒な時代。写経で心を和らげてほしい」と、参加を呼びかけている。
谷道さんが写経を始めたのは役30年前。戦時中に県人でただ一人、人間魚雷「回天」に搭乗し命を落とした戦友、小森一之さん=旧福野町出身=の霊を慰めようと、高岡大仏へ毎日参拝に行くようになったのがきっかけだった。以来、写経や写仏を続けている。
昨今は、全国的に痛ましい事件が続いていることから「一人一人が清らかな心でいられる社会にしたい」と、友人とともに写経会を結成。誰でも自由に参加できる教室を開くことにした。
毎回午前十時から約1時間半を予定し、「般若心経」を入門編とする。初心者は筆ペンを使い、上達すれば毛筆に切り替える。写経前には、その日に取り組むお経を読むことにしている。谷道さんは「たくさんの人に参加してほしい」と話す。
教室は参加費500円と実費が必要。問い合わせは大仏寺、電話0766(23)9156.
B、平成16年11月14日付 北日本新聞 “読者のひろば”(31面)に投稿された文章を下に転記した。
投稿者は、高岡市 谷道 巌氏(会社役員 81歳)である。
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推せんしたい「父母恩重教」
私の母は9月25日、満百歳の誕生日を元気で迎えた。父は平成3年春に九十二歳で黄泉の客となっており、わが家は、案外長寿の系統かもしれない。 母の百歳祝いに親族を集め、簡素なパーティーをした時、孫が「おばあちゃん今何が欲しいの」と尋ねたら、しばらく考えて「モダンな服を着てみたい。そして子持ちのアユを食べたい」と返事が返ってきた。中学生の気分と全くかわりがない。 私は三日に一度は、洗濯物の取り替えに施設を見舞うが、私の着ているセーターやシャツの柄まで批評する。いつまでたっても、息子は息子と見てくれ、実にありがたい思いがする。 ところで、「父母恩重教」という中国でつくられたお経がある。短くて分かりやすいお経なので、是非おすすめしたい。お経の半ばほどに「父母の恩重きこと、天の極り無きが如し」と書いてある。父母に十種の恩徳がある、と詳しい説明もあり、誠にありがたい。 道徳の乱れた世相に、おあつらえ向きの警告本であると思う。 |
C 、手元にある谷道さんの北日本新聞への投稿文章、その他を以下に記す。
イ)、平成9年 北日本新聞 “読者のひろば”に投稿された文章
高岡大仏さんの“独り言“です
高岡市谷道 巌(会社社長 73歳)
最近の日本は不信不安が多いせいか、老人はもちろん若いもんのお参りが多くなり、うれしい限りだ。おかげで私も忙しい忙しい。参詣者は朝6時の暗いときから鐘をたたいて、私を夢からさます。
休日には観光ブームで、アベックがマイカーでドンドンやって来る。拝む前に私に向って「高岡の大仏さんは立派で、天下一のいい顔をしておいでるが、ゆっくりお参りしたくても、小さな駐車場が満杯ですぐ帰りゃないかん」とくどいて帰る旅人が多い。
また、この間の連休なんか、関西から来た大型バスの運転手とガイドさんは、「お客は、高岡に来たからは名物の大仏さんにどうしても参りたい、と言われるけど、バスを片原町の道路上に止め、お客に5分間も坂を歩いてもらわにゃいかん」と文句たらたらだった。
ちかくに大型バスの駐車場があれば、もっと人が集まり、オタヤ通りもにぎやかになるのに・・・どうにかならんかなあ!!
ロ)、平成11年 北日本新聞 “読者のひろば”に投稿された文章
高岡大仏の夏の口説き
高岡市谷道 巌(会社社長 75歳)
今年は低気圧やらの関係で、梅雨明け宣言のない変な夏である。毎日雨ばかり続くので、20年前新調してもらった一枚しかない袈裟も破れてきて、肌に雨水がしみる。夏休み中は子供連れの参詣者が増え、忙しいことは確かだが、未曾有の大不況で、私にもその余波が押し寄せてきたようである。
瞑想に耽っていると、いろんなことがある。神社と混同して拍手を打つ人、拝礼もせず「トイレ」だけで帰る人、思い出にと写真だけ撮って帰る人。私は「何か忘れてはいませんか」と問いたくなる。
また、近頃の世相を反映してか「南無阿弥陀仏」の名号を二百回も唱え、病気回復のお礼参りの人、会社が赤字となり「リストラ」で職を失い、一家が路頭に迷っているので「どうか大仏さん助けてください」と願文を書いていった、随分かわいそうな人もある。こんなのは何とか助けてあげたい気持ちになる 。
一番腹が立つのは、人様がせっかくお布施していかれた浄財を夜中に賽銭箱をこじ開けて、中身をいただいていく悪党がたまたまいることである。私は「泥棒」と大声を上げたいのだが、声も出ず口惜しい思いをする。
人間はこの世に生を受けたからには、清い暖かい心の持ち主であってほしいものだ。
ハ)、平成13年 “富山県人“ に投稿された文章
高岡大仏の勤行
高岡市 谷道 巌(樺J道代表取締役会長)
JR高岡駅から歩いて約5分の繁華街に、高さ16bの銅製露座大仏がある。最近世相が非常に錯綜して混迷を極めているからか、参詣者が増えてきた。歌人で有名なあの与謝野晶子さんが来高され、この大仏を拝見し「鎌倉より一段と美男である」とすごく感嘆されたエピソードもあるくらい、良い顔をしておいでる。
その大仏に隣接して大仏寺がある。朝詣り(勤行)が有名である。毎朝六時半になると、どこからともなく約20人ほどの仲間が集まり仏殿の人となる。商店主あり、会社員、主婦、定年退職者らさまざまで、みな宗派を超えた連中である。
定刻に住職井上香粋尼の導師で勤行が約20分厳粛に行われる(但し月の内1日、15日は休み)。勤行の内容は「生かされて、生きる喜び限りなし」「全力を尽くす人に、仏の力が加わる」など約十句の格言を斉唱し、二分間の正座黙祷、そして「帰敬文」「三帰」「懺悔」「開経謁」を唱え、そののち般若心経二回唱和、軽い体操、腹式深呼吸をして終わる。会の名称「あけぼの講」。私の如きは入会20年暦、仮に一日でも休むとその日の生活の「リズム」が狂い、一日中気分がすぐれぬ。
永年日参のおかげで般若心経276文字お手本なしで写経が出来る。その上精神や心に安らぎを得、大変幸せだ。旅のお方で高岡に泊まりの方、翌朝是非あけぼの講に出席してみて下さい。心のすみずみまで浄らかになること疑いなし。お勧めします。
ニ)、平成13年十月19日 北日本新聞 “スポット“欄より
信頼関係が大切
樺J道 谷道 巌会長
文具の「価格破壊」が進み、卸業の同社にとっても深刻だ。「安易な販売ルートに流されてはいけない。今こそ正念場」と話す。
平成11年から日本文具紙製品事務器卸業団体連合会副会長、同中部ブロックと富山で会長を務める。通信販売などの増加で、問屋制度の弱体化が叫ばれているが、「永年築いてきた、メーカー、卸業、小売りの信頼関係を保つことが良い製品提供につながる」。
高岡のシンボル・大仏には、60歳の時から毎朝歩いてお勤めに。77歳の現在も健康の秘訣という。
ホ)、平成14年5月12日 北日本新聞 “読者のひろば”に投稿された文章
列車内で見た中学生と大人
高岡市 谷道 巌(会社員 78歳)
盛んにごみの分別が言われている。大層いいことだと思う。私も自治会のごみの日には協力するよう努めている。分別は初めは面倒だが、お互いが協力し合えばそのうち習慣となると思う。
先日、特急「サンダーバード」で大阪へ出かけたとき、高岡駅から修学旅行の中学生と同じ車両になった。行き先を聞くとユニバーサル・ジャパンとのこと。しゃべる、歌う、食べる。楽しそうだった。
京都をすぎたころ、三、四人の生徒が大ビニール袋を持ち、各席を回りごみ収集を始めた。分別しながらである。席にいる生徒は「ありがとう」とお礼を言って協力していた。この行動に感動し、心の中が急に明るくなった。
翌日、仕事を終えてやはり「サンダーバード」で帰った。通路を隔てた隣席に、某有名上場会社(胸のバッジで判明)の45歳ぐらいの男性2人が大阪から乗車した。2人はかなり大きな声で話し出した。私の耳に自然に入るのは上司の悪口、会社への不満で、ビールを飲み落花生を食べながらの駄弁は見苦しいものだった。
金沢で降車していったが、椅子の下は煮は鶏小屋の食事の後の状態だった。前日の中学生の父親ほどの年令のサラリーマンと思うが、もっとしっかりしてもらいたいものだ。
ヘ)、平成20年4月21日付 北日本新聞 “読者のひろば”(11面)に投稿された文章を下に転記した。
投稿者は、高岡市 谷道 巌氏(会社役員 84歳)である。
装い新たな高岡大仏
不運にも文政4年、明治33年と、2度も灰じんに帰した高岡大仏。その再建は随分と難航したと聞きます。当時の県知事が「高岡は銅器の町だ。青銅鋳造づくりの不燃大仏にしよう」と助言し、市民が一致団結、浄財の募金に動き出しました。そうして昭和8年に建立されたのが今の高岡大仏です。
それからもう75年。その間いろんな出来事がありました。大きな戦争もあり、台座の移転もありました。今では日本全国、いや韓国、中国、台湾、ロシアからもお参りに来られるようになって、喜んでいます。
さて高岡大仏は長年、酸性雨や風雪にさらされて顔や肩、袖、ひざなどに大きなひびが入っています。台座下回廊の壁画には郷土作家の立派な作品が13枚ありますが、雨漏れで汚れてきたのも心配の一つでした。
そこで市、高岡商工会議所、奉賛会はじめ町内会や信者が中心になり浄財を募りました。そして昨年夏から約4ヶ月間の「平成の大修理」でこの度、立派に修復完成したのです。大変うれしく思い、関係者の努力に感謝します。
今月22日、修復完成を祝った落慶法要が行われます。多くの方々に、装いも新たになった大仏をご覧いただきたいと思います。