(一)須賀木仙
初代須賀松園の子(現4代目松園のおじいさんの弟=2代目の弟)
・初代松園没後、息子達はそれぞれ独立。真之輔は月真、精一は松園の号を継ぎ、良二は木仙(もくせん)の号を名乗った。
・昭和54年に死去
・高岡大仏寺のおびんずる様は昭和37年1月5日寄贈の記載あり。
・あけぼの会員の藤川さんが絵(掛軸)をもっており、木仙氏の奥さんに箱書きをしてもらったとのこと。
1)、初代松園
・1863年〜1935年=昭和10年
・高岡金属工芸ー蝋型鋳造ーの技をひろめた。
・江戸京橋に生まれ、明治41(1908)年頃来高、のち高岡市定塚町に住む。須賀松園工房で原型製作から鋳造、仕上げまでを自らの管理下で行った。
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初代松園没後、息子達はそれぞれ独立。真之輔は月真、精一は松園の号を継ぎ、良二は木仙の号を名乗った。
2)、二代松園
・若い頃画家を志したという二代松園は、額面(レリーフ)にその才を発揮し墨画や水彩の制作も楽しんだ。暮らしを豊かにする親しみやすい小品も数多く制作して、地域の人々に支持された(干支の置物や茶托、装身具など)。
3)、鋳造は金属を溶かして鋳型の中に流し込んで作る方法で、大別して、惣型(最も古い原始的鋳造方)、蝋型(蜜蝋・松ヤニなどを配合した“蝋”で原形を作り、鋳型土“真土”を付けて重ねて鋳型を作り窯の中で徐々に温度を上げながら脱蝋をし、その後7〜800°Cで素焼き焼成した鋳型に金属を溶解して鋳込む方法)、砂型、込型の4通りある。
(二)須賀木仙(もくせん)作品集(昭和55年8月30日、高岡市立美術館発行 序文)より
序
須賀木仙は、昨年6月17日74歳の生涯を終えましたが、彼ほどひょうひょうとした洒脱な 人間味と詩情溢れる多彩な作風で、多くの人々を魅了した美術家は少ないと思います。
木仙は本名良二、明治38年8月1日蝋型鋳造家須賀亥子蔵の次男として東京で生まれ、3歳のころ高岡に移住、高岡工芸高校金工科を卒業後、義兄月真、実兄松園と共に家業の蝋型鋳造に従事しましたが、天性の豊かな芸術的資質に加えて非常な研究努力を重ね、独力で絵画,書、彫 刻、陶芸をも修めました。昭和17年請われて富山県工業試験場に入り、以来22年間、高岡工芸銅器の原形の製作、デザインの指導に努めると同時に、文展、日展に十数回も入選するなど、 美術工芸作家としても輝かしい業績を残しました。
しかし、やがて老荘儒佛の哲理に傾倒し、その探求に深く没入、萬巻の書を読み千萬の思索を重 ね、ついには恬淡不飾、常に詩情に満ちた仙人のような境地に達するにおよんで、次第に世間の名利を離れ、飄然として酒瓢に親しみ、楽しんで作品を作り、絶対の間にも常に自己を客観視する大風流人の風格を具えるに至りました。この人柄と作風に魅せられて、教えを乞い、交わりを求め、作品の愛蔵を志す人々が絶えず、い つの間にか絵、書、彫刻、鋳銅、陶芸など幅広い分野で萬を超える作品を作ったといわれます。
私どもは本年6月、木仙の一周忌を期して約250点の作品を選び、高岡市立美術館で遺作展を開きましたが、この機会にこれを永く後世に伝えたいと念願して、この作品集を編んだ次第であります。何とぞ末永く御愛蔵御清鑑賜りますようお願い申し上げます。
終わりに本書の編纂や刊行いあたって、格別の御協力を賜りました御遺族ならびに快く作品の掲載を許可されました愛蔵家の方々に、衷心から厚く感謝申し上げます。
昭和55年8月
補)、
● 三代須賀松園氏のこと
精巧で繊細な作品を生み出す江戸流のろう型鋳造を高岡に導入し、数多くの名工を輩出してきた須賀家の三代目。高岡工芸学校(現高岡工芸高校)、東京芸大工芸科鋳金部を卒業し、師と仰いだ父の二代松園(国指定無形文化財保持者)の下でろう型鋳造の仕事に従事。昭和61年に三代松園を襲名。生命感あふれる花鳥文や軽みを生かした雲のシリーズなど、洗練された美を追求した。
高岡短大開学時から産業工芸学科金属工芸専攻教授として教育・研究の中心的役割を果たした。平成3年に退官し、同短大名誉教授。日展会員。地域文化功労者として文部大臣表彰を受けた。