井上香粋尼
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高岡大仏寺の現住職は第5代井上香粋尼である。下記は、平成十八年6月に発行された浄土宗「吉水会」の機関紙に掲載された香粋尼の文章である。
記
2月中旬、私を仏道に導いてくださった、三重県松坂の樹敬寺の方丈様が御遷化になり、お参りにいきました。その帰路に仏縁のお蔭で寺守をしながら、念仏三昧の生活をさせて頂いていた、山寺の妙楽寺を13年ぶりに訪ねました。
杉林も梅林も山霧に包まれており、妙楽寺は静寂の中にひっそりと私を迎えてくれました。山寺では、沢蟹・ムササビ・コギシロ・ムカデ・蛇と共存です。ムササビは夜になると天井裏で運動会を始め、子ネズミたちは部屋をチョコンと覗き、小さなコギシロには足を噛まれたりでした。部屋の隅に、ネズミ捕りの薬を置いておくと、朝目が覚めてみると薬は私の寝ているからだの上に置き換えてありと、ネズミに弄ばれたりでした。
捨てられていた子犬を拾いアキと名づけ、放し飼いで寺守の一員として共生していました。山上にある本居宣長奥墓を参詣する方々の道案内をし、また足繁く御参りに訪れる方を山の入り口まで送り迎えして、皆に可愛がられ大活躍でした。
アキはまた奥墓に御参り方々にお給仕する食材を取りに行くときは、先頭に立って行くのです。私はその後から長靴を履き籠を背に、護身用の長い鎌を持ち出かけます。山茶・クサギ・野蕗・スミレの花など、アキと一緒に山を駆け巡り山菜取りです。山の恵みで薬草粥、お菓子などを作り、皆様にお出ししたことを思い出しました。良き山の動物たちに助けられながら、自然の中で楽しく寺守ができたことは、阿弥陀様の御加護とお計らいをいただいた事と感謝しています。
お優しかった樹敬寺の方丈様に二度と御教授を頂けない寂しさを思い、山寺を後に富山の自坊に帰ってきました。 (富山支部 井上 香粋)
A、
19年12月11日付北日本新聞(2面)“けさの人”欄の記事を以下に転記する。
記
<けさの人>
修理完了間近の高岡大仏を守る住職 井上香粋さん
「大仏様を守り続けたい」
高岡市指定文化財、高岡大仏(高岡市大手町)の「平成の大修理」がほぼ完了した。ひび割れの補修や色の塗り直し、台座下の回廊の雨漏り対策を行う昭和56年以来の大修理。大仏の隣にある大仏寺の住職として、8月に始まった工事の無事を祈ってきた。「修理のおかげできれいな姿になり、大仏様は喜んでいると思う」と話す。
工事前は風化によるひび割れや黒ずんだ汚れが目立ち、台座下の回廊は雨漏りが激しかった。日ごろは観光客への案内役も務めており「痛々しい姿を見てもらうことは心苦しかった」と言う。
修理費用約二千万円は市が半額を補助。残りは奉賛会が市民から寄付を募った。「多くの人が大切にしてくれていることを感じた」と感謝する。
東京都出身で、53歳まで東京で主婦として暮らしていた。長男が仏教に興味を持ち、出家。その寺の住職から「三重県の山中にある無人の妙楽寺に暮らし、寺を守ってくれないか」と頼まれた。豊かな自然に囲まれた環境に引かれ、夫とくらしはじめた。
1年後に夫が他界してからは一人で寺を守った。50代後半に「第二の人生を歩みたい。仏教を一から勉強しよう」と一念発起。妙楽寺は周辺住民に管理してもらえることになり、京都で尼僧の養成講座を受講し、資格を得た。
60歳になった平成4年、尼寺の大仏寺に入り、8年に五代目住職となった。「高岡は信仰心があつい土地。市民の心のよりどころである大仏様を守り続けたい」。大仏寺で副住職と暮らす。75歳。
(米沢慎一郎高岡支社編集部記者)