高岡大仏について
@、高岡大仏尊像
総高 15m85cm 手 (長さ) 2m12cm
座高 7m43cm 指 (まわり) 64cm
御顔 2m27cm 円光背(外径) 4m54cm
白毫(直径) 15cm 円光背(内径) 3m64cm
螺髪(直径) 9cm 円光背(巾) 45cm
螺髪数 645個 円光背(厚さ) 15cm
肉髻(直径) 45cm 連弁 (巾) 1m21cm
眼 (長さ) 36cm 連弁 (長さ) 2m00cm
鼻孔(まわり) 30cm 連弁数 32枚
耳 (長さ) 1m21cm 逆連弁数 32枚
髭 (長さ) 60cm 総重量 65トン
青銅使用量 13,125s
イ)、高岡大仏には大円輪の光背がそびえている。
ロ)、手印は阿弥陀定印で、右手を左手の上に置き人差し指を立て、親指をその指頭につけた阿弥陀如来の結ぶ印である。
(註)、極楽往生の仕方に9つの区別があり、阿弥陀如来の形姿にも9種あるとされ、
上品(ジョウボン)、 中品、下品(ゲボン)と、それぞれに
上生(ジョウショウ)、中生、下生 の3種があり、
阿弥陀定印はその中の上品上生である。
A、高岡大仏のひとりごと
高岡大仏のひとりごと
今年も憂うつな梅雨がやってきた。私は1年中で梅雨が一番大嫌い。昭和56年に新調してもらった衣も着替えがないので、最近すごく傷んできた。
と申すのは、衣の生地が薄くなり雨漏りで寒さが身にしみる。酸性雨で緑青が生じ、そでやえりのところどころに大層汚れが目立つ。昔あの有名歌人与謝野晶子が絶賛したという美男子の顔も今ではシミやアザが出て、実にみっともない顔となった。
その上、雨が衣のひび目から伝わり、台座下の回廊が雨漏りで濡れだした。回廊には、明治時代の木造大仏の顔面が安置され、内壁には13枚の仏画が掛けられ、極楽地獄を描かれた名画があるので汚染しないか心配である。
大勢の参詣者の皆さんはすてきなデザインの洋服で、私を背景にして記念写真を撮っていかれるが、私はたまったものではない。そしてこの歎きを訴えたいが残念ながら声を出せない。実にかわいそうな私である。だれか雨の漏らぬよう衣の修理を布施して頂けないかとお願いする今日このごろである。
註)、
・上記文章は、平成16年6月27日付 北日本新聞 “読者のひろば”(31面)に
投稿されたものを転記したものである。
投稿者は、高岡市 谷道 巌氏(会社役員 80歳)である。
B、日本三大仏
奈良大仏は 天平勝宝4年( 752)、
高岡大仏は 承 久 3年(1221)頃、
鎌倉大仏は 寛 元 4年(1246)に創建され、いずれも非常に長い歴史がある。
また、現高岡大仏は原型・鋳造とも高岡工人の手によるもので380余年の伝統を誇る高岡銅器の象徴的なお姿として、仰ぎ見る私たちに優しく慈眼を注いでおられる。
C、日本三大仏論争
「三大仏」とは、奈良東大寺の大仏と鎌倉高徳院の大仏のほか、三番目は高岡大仏寺の大仏が常識である。しかし、国内で三大仏(三番目)を「自称」する「大仏」もあるそうである。これについて、長年「三大仏」を研究されておられる瀧川 渉氏はやはり高岡大仏が三番目だと言っておられる(宝島社「全国お宝スポット魔境めぐり」より)。
氏によると、「三大仏」の条件は、@立地する町において象徴的存在である。A立地する町そのものが知名度が高い。B長い歴史が背景にある。C精神性が高い。D五体満足で健在、等であり、高岡大仏はこれらの条件を充分に満たしているとのことである。
高岡大仏は、
・江戸時代以降、主要産業となった高岡銅器の技術の粋を集めて作られた経緯がある。
・また、戦時中に兵器の原料として軍部から供出を命じられた際、市民が手を取り合って大仏を守ったという逸話を残す。
・さらに、漫画家・藤子不二雄両氏の実家近くに立地し、自伝的作品「まんが道」にもたびたび象徴的に登場する。
など、上の条件をクリアしているのである。
D、北日本新聞 平成16年8月15日付(1面) “とやま うた散歩” 欄より
筆者 四辻 利弘氏
「高岡の街をみつめて70年
飽きたる顔もみせずに座る」
塚原 健三 (原型富山同人 高岡市)
高岡大仏は、日本三大仏の一つと親しまれているが、創建は鎌倉大仏より早いことはあまり知られていない。紆余曲折があって現在の鋳像の完成が昭和7年。鎌倉大仏を美男と歌った与謝野晶子が後日来高の折、高岡大仏のほうが鎌倉大仏よりも美男だと感嘆したという。
激変する市民生活を飽きずに座って見てござる、 と作者は歌う。
E、越中三大仏について
高岡大仏、庄川大仏、蓮王寺大仏の3つが越中三大仏に数えられる。
(参考)
・庄川大仏
金屋神明宮の横に光照寺がある。境内に富山県三大仏のひとつといわれる「金屋大仏」が鎮座する。
この大仏は昭和5年3月に同寺の門徒尼講が主になって、10万人の死没者の慰霊と供養のために建立が計画されたもので昭和7年6月に完成した。高さ6.3mのコンクリート製の大仏の体内には 10万人の遺骨が塗り込められている。総高10.1mの大仏の前には線香の煙が絶えない。
・蓮王寺大仏
「小杉大仏さん」として地元の人々に親しまれている蓮王寺の大仏。凛とした美しい姿に温かみを感じる木造丈六阿弥陀如来座像で、高さが5mもある巨大なものである。
F、大仏の危機
日本3大仏の一つ、高岡の大仏さまは、もともと木像でした。現在の青銅仏として完成したのは昭和8年です。座高は7・43b、奈良東大寺の大仏は14・98b、ちょうど半分になりますが、地方の一事業として完成したのですから、高岡の大仏は誇るべき大きさだといえるでしょう。
(中略)
高岡大仏にもかって危機がありました。梵鐘や仏具を供出して鉄砲玉にした戦時中、県の役人から大仏供出の催促がありました。当時、高岡の仏教協会長だった祖父(土岐慶静)は、「若し必要とあらば大仏さま自ら立って征(ゆ)かれるであろう」と突っぱねました。
平和が乱されるとき、大仏も危機にひんします。 (後略)
上記は、平成14年6月16日付 北日本新聞 掲載のコラム「心のかたち」(筆者は、土岐 慶正氏――浄土真宗本願寺派専福寺住職、
高岡市)より、“大仏の危機”と題した文章(主題は、バーミヤーンの大仏とアフガン)の抜粋である。