1)、与謝野晶子が夫の寛(鉄幹)とともに高岡に来たのは、昭和8年11月5日、
6日である。この
時、真新しい、綺麗な大仏様を見て鎌倉の大仏より一段と美男であると感嘆したと いわれて
いる。 また、高岡古城公園の本丸広場北側には夫婦の歌碑が建っている。
2)、11月5日高岡に入った2人は、延対寺旅館で少憩ののち、高岡大仏寺、 古城公園を散歩し
ている。
3)、晶子は、古城公園の歌碑に刻まれている
「館などさもあらばあれ海越えて 羅津に対す本丸の松」 のほか、
「紅葉散る朝陽橋をわが越えて 丘に出づれば白し立山」 など古城公園で計5首を
詠んでいる。
また、晶子が高岡で詠んだ歌数は、計18首もある。
4)、鉄幹は、古城公園で
「高岡の城の公園静かなる 水と紅葉を路めぐりゆく」 の1首詠んでいるだけで、
ほかに古城公園の歌碑に刻まれている
「高岡の街の金工たのしめり 詩のごとくにも鑿(のみ)の音を立つ」 など高岡で
計7首詠んでいる。
5)、晶子は、古城公園散歩の後、図書館で講演をしている。そして、6日には、県立高岡
高等
女学校で講演をし、読書の効能について話をした。
6)、また、晶子と高岡の関係では、市立高岡高等女学校の校歌を作詞していることがある。晶子
が 来高の時依頼し、後刻届けられたのである。尚、作曲は前陸軍戸山学校軍楽長 辻順治
で ある。