沿革

  


13世紀初め攝津国多田(兵庫県)住人源義勝が承久の乱をさけ、入道して越中に移り、 二上山麓で一丈六尺の木造大仏(腹中に護持してきた丈八寸の 金銅佛を納めた)を造営したのが高岡大仏の始まりと伝えられている。

その後、16世紀中頃守山城を築いた神保氏がこの大仏を鎮守佛としていた。


慶長14年(1609)前田利長が高岡城築城の折、高岡の町に移し崇めていたが、荒廃したので 延享2年(1745)に極楽寺住職とその弟子の良歓(勧進職)等の努力により、現在地(大手町)に大仏堂を建立、 再建された。

それ以来、大仏は、高岡市民に親しまれてきたが文政4年(1821)の大火で類焼、腹中の金銅佛のみ焼失を免れた。


天保12年(1841)に木造一丈六尺の大仏(腹中に焼失を免れた金銅佛を入れた坐像)が 再建された。しかし、明治33年(1900)高岡大火で再び 焼失した。


明治38年松木宗左衛門が不燃の大仏の鋳造を発 願し、明治41年高岡出身の原型師(=彫刻家) 中野雙山(双山) に大仏の原型作成を依頼、途中資金難から中断をしたが、荻布宗四郎ほか多数の市民の協力を得て昭和7年(1932)に完成、 昭和8年に開眼式が行われた(現大仏寺の建物も完成)。


その後、戦時中の金属供出を免れ、大円輪光背(昭和33年)、仁王像(昭和43年)、大香炉(昭和53年)の 設置等を行い、昭和56年(1981)には後方への移動(大仏寺建物も)と大修理を行って 現在の高岡大仏寺の姿になっている。


又、近年、風雨による大仏本体の腐食、コンクリート防水機能の低下による台座の雨漏り等が進行し早急な補修 が必要な状況になり、平成20年4月に工事が完了した。


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