1、藤子・F・不二雄(ふじこ・えふ・ふじお)
本名、藤本弘 (ふじもとひろし)。1933年(昭和8年)12月1日、富山県高岡市に生まれる。高岡工芸高卒業。幼なじみの安孫子素雄氏ととも執筆活動を始める。
昭和26年、「毎日小学生新聞」にて、「天使の玉ちゃん」 で漫画家デビュー。昭和29年、本格的な作家活動を目指して上京。安孫子氏とともに二人で一人という異色な形の漫画家
藤子不二雄 が誕生する。その後、作品は「藤子不二雄」として発表されることになる。
有名な「オバケのQ太郎」、「パーマン」、「ドラえもん」などをはじめ、「海の王子」、「キテレツ大百科」、「ウメ星デンカ」、「ジャングル黒べえ」、「21エモン」、「エスパー魔美」などのヒット作を次々と生み出すに至る。
昭和62年、ゴールデンタッグと称された安孫子氏との合作活動を終え、新たに一人
の漫画家 藤子・F・不二雄 として執筆活動を開始する。その後も、代表作「ドラえ
もん」をはじめ、多数の児童向け漫画を創作。映画製作なども手がける。
平成8年9月23日、肝不全にて逝去。享年62歳。晩年、藤子F先生は、自身を次のように語っている。
子供の頃、僕は「のび太」でした。
並外れて不器用で遅筆な僕にとっては
よくこれだけ書き続けてこられたというか、
書き続けさせてもらえたというか、
これはやはり大変なことなのです。
皆さま、長い間ありがとうございました。
藤子・F・不二雄
2,(参考)
2004年3月10日付 富山新聞
ドラえもん全作品高岡市に寄贈 富大の横山教授が671冊
一九九六(平成八)年に死去した藤子・F・不二雄さん=高岡市出身、本名藤本弘=の漫画「ドラえもん」を研究する富大教育学部の横山泰行教授(生涯スポーツ)は九日、高岡市立中央図書館に、収集した「ドラえもん」全千三百四十四作を収容した初版、増版の単行本など六百七十一冊を寄贈した。本は四月五日に高岡駅前再開発ビル内に開設される「ドラえもん文庫」に収められる。
この日、横山氏は「藤子・F・不二雄さんを愛する会」の松原吉隆代表とともに、市役所に佐藤孝志市長を訪ね、目録と寄贈図書リストを手渡した。横山氏は、佐藤市長や細呂木六良教育長らに「漫画には藤子さんの生活が克明に描かれており、高岡も漫画の舞台になっています」などと解説した。 寄贈されたのは初版本二百十八冊、増版本四百五十三冊。
再開発ビルに移転する新しい中央図書館の「ドラえもんコーナー」(三階)に初版本が参考図書として並べられ、「藤子・F・不二雄コーナー」(二階)には増版本が置かれる。
横山教授は、新聞やインターネット、テレビ番組で提供を呼び掛け、単行本や雑誌の付録など全作品をそろえた。ドラえもん文庫は今春、富大教育学部第三教棟にも開設される。
17,9,9付 北日本新聞より
ドラえもんパークに変身 高岡おとぎの森公園
高岡市佐野にある高岡おとぎの森公園が来年度、「ドラえもん」パークにリニューアルされる見通しとなった。高岡商工会議所が八日までに、藤子・F・不二雄プロ(東京)から、園内にドラえもんのほか、のび太くんら関連キャラクターのモニュメントを設置する内諾を得た。同商議所は近く具体的なプランをまとめ、公園を管理する高岡市と再整備の検討を始める。
ドラえもんは、高岡市出身の漫画家、故藤本弘氏(藤子・F・不二雄)が生み出したキャラクターで、ディズニーのミッキーマウスと並んで世界的な人気を集めている。
同商議所は、藤本氏の郷里でドラえもんを活用できれば、次代を担う子どもたちに夢を与えるだけでなく、高岡の観光振興にもつながると判断。創立百十年の節目となる来年をにらんで、「ドラえもん公園」の整備を本年度の重点事業に位置付け、昨年秋からキャラクターを管理する藤子・F・不二雄プロと交渉を重ねてきた。
公園は、JR高岡駅の南約二キロに位置し、平成八年の全国都市緑化フェアにあわせて造られた。広さ約十一ヘクタールで、動植物の生態を学べる「おとぎの森館」のほか、一部がバラ園となったメルヘンガーデン、大型複合遊具などがある。
同商議所は、ドラえもんに登場するジャイアンやスネ夫、しずか、ドラミちゃんなど数体のモニュメントを地元で製作し、園内に設置する方針。一連の事業にかかる費用の負担方法や設置場所などの具体案をまとめたうえで、市との協議に入る。
高岡では「藤子ワールド」への関心が高く、昨年夏、市美術館で開かれた「THEドラえもん展」には、大勢の来場者があった。
18,2,18付 北日本新聞より
藤子ワールド建設へ
人気アニメ「ドラえもん」「オバケのQ太郎」の作者故藤子・F・不二雄(本名藤本弘)さん=高岡市出身=の作品の原画などを展示する「藤子・F・不二雄アートワークス」(仮称)を川崎市多摩区に建設する構想が17日までにまとまった。
多摩区は藤子氏が晩年を過ごした土地。妻の正子さんは四万点を超える原画などを提供する。市と著作権を管理する藤子プロ(東京都)、正子さんの三者が基本合意した。
合意によると、藤子プロが展示施設を建設して川崎市に寄贈、市は藤子プロに運営を委託する。建設費は10億〜15億円の見込みで、2010年度までの完成を目指し、年間約50万人の来場者を予想している。場所は多摩区の生田緑地(約115f)にある向ヶ丘遊園跡地などを中心に選定。
原画以外にドラえもんの映画の世界を再現した施設の設置なども検討するという。
(補足)
下記は、あるプログ(2006年6月)から“高岡に藤子不二雄記念館があるか?”についてのやりとりの引用である。
(A)、私が、ゆっくり帰るから富山駅周辺に遊べるトコはない?との質問に伯父が「高岡に藤子不二雄館があるぞ」と教えてくれたんですが、ググっても公式サイトはヒットせず、詳しい場所も分かりません(高岡に藤子不二雄記念館があります…という説明しか引っ掛からず)。どなたかご存知の方いらっしゃいませんか〜?行けなくても実際あるのか、どこに存在するのか…かなり気になるんです。
A),私もあの後、高岡出身の方の所で聞いてみたんですが、ハットリ君電車とか藤子不二雄公園とかの話は出るんですが、記念館の話は最後まで 出ませんでした。やっぱり無かったのかな〜。今度母が富山に行くときに伝えてもらおうと思います。
「藤子不二雄記念館はないようです」
と…。
出来たらいいな〜。でも、出来たら出来たで宝塚の手塚治虫記念館みたいな寂しい感じになるのかな…。
A),ウィングウィング高岡の藤子不二雄作品が集まれられてる場所ってのは他の方から聞いたんですが(ネットにも情報がありました)、叔父が言っている「藤子不二雄館」とはちょっと違う模様。はてさて、叔父情報が間違っているのか、それともひっそり隠された名所として存在するのか…気になります!
「実は氷見じゃないのか?」という意見も出てるんですが、氷見のページも高岡の観光ページにもそれっぽいものはあらず…。ハットリくん列車とかの記事は引きかかったんですが。ぐぅぅぅ!見つけてやりたい!そして行きたい!!!!
B),残念ながら高岡には藤子不二雄館はありません。川崎に出来るというので、市が慌ててドラえもんの作者藤本弘さんの生まれ・育った故郷の“高岡”に作りたい由“奥様に”お願いしましたが、拒否されたと聞いています。最近になってウイング・ウイングにコーナー(富山大学横山先生のご好意で)を作ったり、広報紙「市民と市政」や母子手帳に、「ドラえもん」のキャラクターを使用させてもらったりしていますが。高岡市民は、市出身者で、県外で活躍する文化人に対し、最近は一生懸命ですが、これまでは少し無関心、冷たかったのでは?と思ったりします。
A)、詳しい情報有難うございます。
ウィングウィングにコーナーが有ると言う話は聞いていたんですが、教授さんのご好意で出来てるものだったんですね…。
川崎の方、今調べてみたんですがまだできてないみたい?2002年の地域情報紙(?)で「本年度に場所決定」という情報がありました。中止になったという話は無いのですが…(手塚治虫記念館を見ると着工しにくいような気もしつつ)
ドラえもんの母子手帳…普通に欲しいんですが!いや、眺めるだけでもぉぉぉ。
B),>川崎の方、今調べてみたんですがまだできてないみたい?
確かに出来たという話は聞いたことがありませんね。もし川崎市が作らないなら、高岡がもう一回名乗りを挙げるチャンスかも?
要調査ですね。
A),その後色々とググったんですが、やっぱりまだ川崎にも出来ていない様子(ヘタすると場所もまだ決まってないかも?)です。川崎の方は建設場所の選考まで進んでいる分、高岡より一歩リードしているんでしょうかね。
漫画家の記念館は宝塚にある手塚治虫記念館しか行った事ないんですが、展示物がそうコロコロと変わる訳でもなく、2回目以降行くときは…お土産の新製品をチェックするという目的になっております。藤子不二雄記念館が出来たらどんな場所になるのかなー。楽しみです。
(そういや、ジブリの森とかはどうなんだろう…)
18,3,19付 富山新聞より
藤子記念館と連携を
―橘市長講演―
橘慶一郎高岡市長は18日、地域女性ネット高岡と福岡町連合婦人会の合流祝賀会で講演し、川崎市で漫画家藤子・F・不二雄氏の記念館の整備が進んでいることを紹介し、今後同記念館との連携を進めたいとの考えを示した。
藤子氏は長年、川崎市に居住し、藤子氏の妻正子さんが「市民に公開してもらうため、原画などを寄贈したい」と同市に申し入れていた。藤子氏が高岡市出身であることから、同市でもドラえもんを活用したまちづくりを進めており、橘市長は「川崎市の助役が高岡市出身でもあり、貴重な縁を生かして交流を深めたい」と述べた。
3)、参考
「大仏つぁん」は、高岡のへそ。
まちに生命を吹き込んでくれた。
高岡の想い出 藤子不二雄A氏
僕が生まれたのは氷見市だ。光禅寺という曹洞宗のお寺の住職をしていた父が亡くなり、 十一才の時、高岡市へ引っ越しした。転校した先は定塚小学校だった。 五年生のクラスへ入ったが、そこで会ったのが藤本弘君(藤子・F・不二雄)だった。
それは僕にとって運命的な出会いだった。 二人とも当時数少ない漫画少年だったので、たちまち意気投合して、 一緒にまんが道をまっしぐらに進むことになったのだ。
もし、あの時高岡へ引っ越しすることがなかったら、僕の人生は全く違ったものになっていただろう。 それはともかく、氷見に比べて高岡は大きな街だった。新しい高岡の家は駅前の桜馬場通りにあった。
家の前の堤に桜並木があり、春になるとピンクの電飾をつけたようになった。 後に上京して古本屋で資料のために古い百科事典を買った。そこに全国桜の名所≠ニいう項があり、
高岡の桜馬場の写真ものっていた。 よく見ると、それはナント桜並木のうしろに我家が写っているではないか!? 今はもうあの美しい桜馬場はあとかたもない。高岡へ帰るたびにあの桜並木が残っていたらなあ・・・・・≠ニ残念に思う。
終戦の翌年、僕は旧制高岡中学へ進み、藤本君は高岡工芸学校へ進んだ。この二つの学校が 隣同志だった。授業が終わると校門で待合わせ、毎日のように古城公園の中を一緒に歩いて帰った。
時には公園の中の双つ山≠ヨ行き、そこで漫画のアイディアの話や将来の夢を語り合った。 そして夕方近くにたいこ橋を渡り、大仏様の横を通って帰るのだった。
高岡の大仏さまは、何のキドリもなく通りの横にヒョイと座っていらっしゃるところがすごくいい。「まんが道」がNHKの銀河テレビ小説で放映された時、ほとんど毎回大仏さまがうつった。ファンの人が『「まんが道」ツアーで高岡へ行って、歩いていたらイキナリ大仏さまにお目にかかって驚いた。』という。
漫画家を目指して上京する時、大仏さまに「よろしく!」と拝んだ。あれからン十年、今だにこうして現役の漫画家でいられるのも、高岡の大仏さまのおかげかもしれない。
平成7年版 TAKAOKA CITY GUIDE 「万葉の丘 高岡」 14頁より
高岡市観光物産課・高岡市観光協会
20,2,8付 北陸中日新聞
藤子記念館は…
私のふるさと愛知県から、高校時代の旧友が出張のついでにと高岡へ遊びに来た。
長らく会っていなかったので久々の再会に話が弾んだ。今の仕事や生活、同級生たちの今−。電車などの都合で一日も一緒にいられず、楽しい時間はあっという間に過ぎた。
面白い写真を集めるのが趣味の彼は、高岡大仏などの観光スポットを旅の楽しみにしていた。とりわけ高岡市おとぎの森公園にあるドラえもんの像には興味を抱いてくれたので、原作者の藤子不二雄は二人とも地元出身だと話すと「なぜ藤子記念館がないのか」と聞き返された。
なぜだろう。言われてみると確かに不思議。先輩記者によると、二人が移り住んだ川崎市では、そんな構想もあるらしいが…。 (高瀬俊也)