土蔵造りの家

 

   

商都高岡の中心地として栄えた旧北陸道沿いの御馬出町、守山町、

木舟町、小馬出町といった「山町筋」(京都でいえば四条烏丸通り

周辺に当たる)には、白漆喰や黒漆喰で塗り込められた大きな土蔵

造りや洋風建築が混在している。

 

かっては、このあたりに店を構え、御車山の山宿をすることが高

岡商人の誇りであった。

 

 

@、土蔵造りの町並みが作られたのは、明治33年(1900)6月

27日に起きた“大火”以降のことである。

 

A、この時の大火は、高岡市の6割近くを焼きつくしたもので、特に

山町を中心とする中心部は壊滅状態であった。

 

B、大火後、土蔵造りが作られたのは、復旧に際して明治32年9月

1日に施行された富山県令第51号「建物制限規則」が適用され

たためである。この規則は、防火の為市街地の中心部に路線を設

定し、壁面や屋根を防火構造にすることを義務付けたものであっ

た。

 

C、しかし、家屋を土蔵造りにすることは多大な費用を必要とするた

め、山町筋以外では規制を緩和するための陳情を盛んに行い、結

局、土蔵造りの町並みを作ることが出来たのは、山町筋だけだっ

たのである。

 

 

 

33)、18,4,26付 富山新聞

 

 

土蔵の町から高岡の活性化を 民間のまちづくり会社を来月設立

 

 高岡市の山町筋に住む若手経営者らが五月十一日、山町を含む中心市街地の活性化を目的とした株式会社「蔵のまちスクエア」を設立する。山町筋沿いの喫茶「山町茶屋」を活用し、オリジナルグッズの企画販売や集客イベントなどを繰り広げる。

 

 まちづくりを事業化するのは、第三セクターや任意団体が大半だが、県内でも初となる株式会社での運営を決めた。資本金は二百万円で、山町茶屋を経営する高岡ガスグループの菅野克志社長が全額出資した。山町筋に店を構える三十―四十歳代の若手経営者から、塩崎吉康さん(塩崎商衡常務)ら五人が取締役、監査役を務める。

 

 当面は、山町茶屋のホームページ開設、山町に関連したグッズの開発・販売のほか、観光案内看板の設置、山町への集客イベントなどを実施する。山町筋の空き家や空き店舗、駐車場を活用するため、不動産業者と連携したシステム開発なども視野に入れる。菅野社長は「ソフト事業を中心に事業を継続し、町に役立つサービスを増やしたい」と話す。

 

 

34)、18,4,26付 北日本新聞 
社でPR 高岡
山町筋を株式会社でPR 高岡
 
 
高岡市山町筋の土蔵造りの町並みをPRしようと、住民有志が五月十一日、株式会社「蔵のまちスクエア」を設立する。ホームページで山町筋の情報を発信し、
土産品をインターネットで販売するなど全国に向けて魅力を紹介。任意団体にはない、会社組織ならではの経営責任や行動力を生かし、まちづくりに本腰を入
れる。
 
 黒のしっくい塗りの外観に瓦ぶき屋根の土蔵造りが連なる山町筋。明治三十三年に高岡の大火で市街地の約六割が焼失した。県建築制限規則で繁華街は
防火構造にすることが義務付けられていたため、当時の防火建築だった土蔵造りになった。
 
 蔵のまちスクエアは菅野克志高岡ガス社長(40)=高岡市木舟町=が「山町筋を軸に中心市街地を活性化させたい」と昨年から構想を練ってきた。菅野社長
が資本金二百万円を全額出資し、社長に就任。木舟町の商店で働く三十代から五十代の中堅に協力を呼び掛け、取締役には木舟町の塩崎吉康さんと山崎肇
さん、斉藤浩一さん、今庄康裕高岡ガス取締役が、監査役には舟金敏明高岡ガスサービス取締役が就く。
 
 高岡ガスサービスが経営する喫茶店「山町茶屋」(同市木舟町)の二階に事務所を置き、ホームページを作製。同店で販売している高岡銅器や漆器の土産品、
山町筋の歴史、イベントを紹介して集客につなげる。同店では現在、芸術家を招いて作品展を開いており、今後は蔵のまちスクエアがイベント企画会社と協力
して催しを実施する。将来的には、土産品のネット販売や、不動産業者と連携して空き店舗に飲食店などを誘致し、仲介料を得るなど利益を上げたい考えだ。
「ずっと高岡を盛り上げていく」という姿勢を打ち出し、周囲の信用を得るため株式会社にした。菅野社長は「経営責任がはっきりし、意思決定のスピードも早まる。
良い面を生かしてまちづくりを進めていきたい」と意気込んでいる。

 

 

21,5,9付 北日本新聞社説

御車山会館/高岡の宝でまちに活力を

 毎年五月一日に行われる国重要有形・無形民俗文化財、高岡御車山(みくるまやま)祭の山車を常設展示する「御車山会館」の建設場所が高岡市中心部の守山町と利屋町にまたがる場所に決まった。御車山は四百年前の高岡開町以来、町民が守り続けた「高岡の宝」だ。その歴史と魅力を発信する機能を充実し、新たな観光拠点として、まちに活力を与える施設を目指してほしい。

 御車山は、加賀藩祖・前田利家が豊臣秀吉から譲り受けた鳳凰(ほうおう)の飾りが付いた乗り物を、二代利長が高岡開町に際して町民に与えたのが始まりと伝えられている。
 御車山を常設展示する会館建設構想は、以前からあった。ただ長年御車山を守り続けてきた山町の住民には、山町以外の町内での建設や長期間の展示による傷みを心配する声が強く、実現しなかった。
 平成十六年、橘高岡市長の呼び掛けで、山町、高岡商工会議所を交えた検討委員会が設けられ、実物一基を三カ月ごとに入れ替え、レプリカ一基を作って置くことで合意。建設場所は山町の住民で協議するよう求めていたが、まちの核となる施設だけに慎重な協議が続いた。

 今年の開町四百年の御車山祭に間に合うように建設場所が確定したことの意義は大きい。山町側の決断を評価したい。市が建設用地約二千平方メートルを購入あるいは借りて建設する計画だ。財源は歴史まちづくり法に基づく国土交通省や文化庁などの補助金を活用する。移転準備や設計などの手続き、レプリカ制作で完成に相当年数かかるとみられているが、二十六年度中の北陸新幹線開業に向けて完成するよう作業を急いでもらいたい。
 市は本年度、山町の住民や観光、文化財、まちづくりの専門家でつくる準備委員会を立ち上げる。展示内容や運営方法など基本的な考え方をしっかりと練ってほしい。いくら貴重な実物とはいえ、御車山を館内に展示し、パネルで解説するだけでは魅力を感じない人もいるだろう。金工や漆工など高岡のものづくりの技の粋を集めた山車の魅力を伝えるための工夫が必要だ。


 祭礼の歴史や意義を古文書や映像資料を使って解説するほか、山車の上から眺める山町の土蔵づくりの町並みを映像で紹介する試みもあって良い。三カ月に一度の山車の展示替えも、組み立て作業を公開すれば、それ自体が魅力になるはずだ。祭りばやしの演奏実演や体験、法被姿になっての記念撮影コーナーなど、御車山に親しむ機会を設けてほしい。
 山町周辺には駐車場が少ない。万葉線やコミュニティーバスなど公共交通の利用をPRするとともに、大型バスも駐車できるスペースの確保が不可欠だ。
 今年の祭礼は開町四百年の節目ということもあり、例年にない人出でにぎわった。片原町交差点での山車七基の勢ぞろい式で、年番代表の平能徹雄御車山保存会長は祭礼を次の世代に引き継ぐことを誓い、橘市長は山町とともに会館建設を進めることを約束した。山町と市が一体となって、高岡の新たな顔を生み出してほしい。