下記文章は、平成16年7月3日付 北日本新聞 「心のかたち」(29面 コラム欄)に
掲載されたもので、執筆者は、北陸内観研修所副所長・大山町 長島 美稚子氏 である。
地獄絵
−悪を思いとどまる境界線―
久しぶりに、高岡市の大仏様を拝んできました。そのおなかの中には地獄絵が掲げられ、釜ゆでの刑や針山地獄など悪事をした因果応報の恐怖が物語られています。この時、大人である私は、この絵をなんの感慨もなく見ていました。幼稚園時代にも遠足でここを訪れています。その時、小さな私は怖いもの見たさでこの絵を下から見上げ、おどろおどろしい光景に戦慄を感じました。「悪いことをすれば、地獄に堕ちる」ことを強く心に焼き付けられたのです。
かって文字を読めない人や子供がその教えを一目で理解できるのは絵画でした。理屈抜きで「悪いことをすれば、地獄に堕ちる」「良いことをすれば極楽にいける」と信じられていたのです。二千年以上続いた仏教の叡智で、死後の世界ではなく現世での戒めを表しています。
過去に体験した出来事(思い出)は、写真ではなく「絵画」のように心に焼き付きます。思い出は事実をそのまま映し出すのではなく、見た人が「怖い」という感情が強いほど、釜ゆでされている罪人の苦しみや鬼の残虐さが強烈に心に残り、日常においても悪事をさせない重りとなります。しかし、現代では地獄絵を目にすることが少なくなりました。
五歳から七歳には罪悪感を獲得すると言われています。子供はいたずらをすれば親にしかられ、いじめた時には友達に泣かされ、それが「悪いことをしてはいけない」という自覚になり心の底に根付くのだと思います。そして大きくなって、人生のどん底(地獄)におちたとしても盗みや殺傷という最悪の事態を招かない境界線を張る一つの要因が、この時期の体験からくるのではないでしょうか。
法を犯した少年たちを目の前にして思うことです。一見では、そのような行動に出るように見えない少年がほとんどです。
なぜ、少年は悪の境界線を越えてしまうのだろうか、事件を思いとどまる重りはなかったのだろうかと私は考え込んでしまうのです。