気多神社・大伴神社

 

 

@    、気多神社

 

養老2年(718)行基の創建とも、天平宝字元年(757)越中国から能登国が分離した時、越中一ノ宮として能登羽咋の気多神社の分霊を勧請して創建したともいう。

 

越中一ノ宮として歴代朝廷の崇敬厚く、延喜式神名帳にも記載されている古寺である。

当時は社殿も広壮を極めたが、寿永2年(1183)に木曾義仲の兵火にかかって焼失した。室町時代には慶長寺が別当職をつとめ、七堂伽藍を整備したが、天文年間(1532〜1555)上杉謙信の兵火で再び焼失、永禄年間(1558〜1570)再建されたという。現在の社殿が、永禄年間再建のものと伝えられ、国の重要文化財に指定されている。

 

 三間社流造りで、屋根はこけら葺き、正面に一間の向拝をつけている。内陣・外陣・広縁よりなり、三方に高欄付の落縁をめぐらしている。元和4年(1618)以来、たびたび修理の手が加えられているが、総体に雄大な風格があり、室町時代の特色をよく伝える貴重な遺構である。

 

 

A    、大伴神社

 

 昭和60年(1985)は、大伴家持が亡くなって1200年経った年であった。

 

天平18年(746)から5年間越中守(国司)だった家持は、また万葉歌人として越中で多くの歌を詠んで越中を、そして高岡を大いに世に知らしめた。ということで、この機会に家持さんに感謝し、その気持ちを形にしようと言うことになり、有志が集い「大伴家持卿顕彰会」を発足させ、募金活動を展開、家持を奉祀する神社顕彰碑気多神社境内に作ったのである。

 

なお、遺骨、遺品がないので、生誕の地奈良の・越中国庁跡の・越中国守館跡の・最終の地多賀城の・遺骨が流刑にされた隠岐の、5箇所の土を地元の古府焼の壷に入れ更に石棺に納めて本殿床下に埋め霊代(たましろ)としたのである。

 

 

 

 

 

(参考) 

 

@、18,4,1付 北日本新聞より

 

 

伏木・気多神社

 

貴重なこま犬見て

 

―鎌倉時代に作られた市文化財―

 

 

高岡市伏木一宮の気多神社は4月18日に開く春季例大祭で、鎌倉時代に作られたとされる同神社所蔵のこま犬一対を始めて公開する。同神社奉賛会(奥村達美会長)は「多くの人に見に来てもらい、神社を身近に感じてもらえれば」と期待している。

 

気多神社の本殿は、天文年間(1532−1554年)に戦火で焼失したが、永禄年間(1558−1569年)に再建されたと伝えられている。昭和6年に国指定重要文化財になっている。

こま犬は松材の寄せ木造りで、戦国時代の戦火を免れて現在まで残る貴重な作品として市指定文化財になっている。作者は不詳。これまで神社の御輿堂に保管され、一般参拝客の目に触れる機会はなかった。

 

奉賛会は例大祭に向けて、神社の歴史をまとめた冊子も製作しており、奥村会長は「こま犬や冊子を通して、多くの人に神社の歴史に触れてほしい」と話している。

 

例大祭では、獅子舞の原型とされる同市指定無形民俗文化財「にらみ獅子」も披露される。