三番札所    長江公民館

(千手千眼観世音菩薩の石仏を祀る)

 

    長江公民館前の道路際に千手千眼観世音菩薩の石仏が祀られている。長江公民館の建物は、元は長信寺という尼寺であった。

 

    観音像は、昭和3年の建立当時、四屋の来福寺の尼寺・無常庵に祀られていた。無常庵の庵主と長信寺の庵主・信教尼は、尼僧学校以来の旧知の仲だった。その親密な二人の庵主が亡くなった戦後すぐ、信教尼の跡を継いだ石田という尼さんが、二人の菩提のために無常庵の観音像を譲り受け、長信寺に祀った。

 

 

    その石田尼僧も亡くなり、長信寺が廃寺となったが、建物は長江公民館として残った。そこで、観音様を地区の人達がお守りすることになり、今日に至っている。

 

 

    この三番目の千手千眼観世音菩薩は、和歌山県粉河町の 粉河観音宗・風猛山・粉河寺のご本尊に当たる。

     

    千手千眼観世音菩薩の石仏像の台座には西国三十三観音霊場第三番札所・風猛山・粉河寺のご詠歌 「父母の 恵みも深き 粉河寺 

仏の誓 頼母しの身や」が刻まれている。

 

・粉河寺についての話として次のような伝えがある。770年(宝亀元年)、領主の大伴孔子古(おおとものくじこ)が風猛山で獣を追っていると山中で霊光 に遭遇する。孔子古はこの地(現在の本堂の場所)に草庵を結んだと伝えられている。この小堂に童男大士(どなんだいし・子供の姿 をした修行者)が一夜の宿を求め、孔子古の望 んでいる仏像を七日間で刻んで姿を消す。その仏像は、金色に輝く千手観世音菩薩(本尊)になったという。  孔子古は童男大士こそ観世音の化身と考え、以後、殺生をやめ供養礼拝したといわれる。

 

・この草創の縁起は「粉河寺縁起(国宝)」という紙本著色絵巻に描かれているそうだ。

 鎌倉時代には七堂伽藍が整い、以後隆盛をきわめるが、1585年(天正13年)、豊臣秀吉の紀州根来寺攻めにより、粉河寺も全山焼失する。 現在の堂宇は江戸時代の再建が多い。