御旅屋七本杉

 

 

 

高岡の歴史に名を留める巨大な杉の御旅屋七本杉は、現在の末広町通りの中程にあった。「高岡開闢由来記」によれば、高岡築城以前から七本の大老杉があり、そのうち一樹が残って「七本杉」と称したという。幹周り12メートル、樹高は約40メートルという巨大さ。杉の上には天狗が住むと伝えられ、霊木として尊崇された(日本人には、老樹には精霊が宿るという原始以来の宗教感情があり、杉の巨木などの特別な樹木の伐採に僅かながらもブレーキをかけてきた)。

 

7本の枝が茂っていたが、明治27年9月の台風によって5本が倒壊した。明治33年6月の高岡大火の折、火が七本杉に迫ってくると突然雨が降り出し末広町の殆どが難を免れたという。しかし、衰え激しく風による倒伏の怖れあり、また道路拡幅の障害になってきたこともあって、昭和2年11月に伐採された。

 

 

 

 

(参考)、

 

@、「高岡開闢由来記」の「御旅屋七本杉の事」

 

 

御旅屋七本杉、高岡築城以前関野に大老杉七樹あり。其一樹存立せしを以って、

七本杉と呼称す。

 

    幹     四丈

    樹 高  十三丈五尺

 

経年幾千歳なるや不詳。此大樹枝七本に茂りし。明治二十七年強風のため枝五本

と、根株大半は吹倒れ、現今二枝と根株半のみ存せり。但此杉霊木と尊敬し、四十年

前より有志者、大杉大明神と称号、いつき祭、火災除難の守護神となしたり。現今近隣

町々春秋簾おろし、点燈し祭典営み執行せり。将又風損したる杉材虚空蔵菩薩彫刻

し、高岡市内除難福徳延命守護仏となしまつる有志もでき、いづれも同心神仏に崇め

まつらるる霊木なるべし。

 

 

 

 

A伐採のこと

 

 高岡の大火後、商業発展のため駅前通りを拡幅しようとしたが、七本杉は霊木とされていたため、伐採を諦めざるを得なかった。明治45年、東大教授の本多静六氏がこの木の実態調査を行った。そして、大正2年、「大日本老樹名木誌」にこの杉のことを掲載した。丁度この時、開市三百年記念で地元では「名木保存会」が設立され、立派な石の柵が作られた。人々はその前を通るときは必ず頭を下げ合掌した。

 

 しかし、人や車の往来が年毎に頻繁になり、また、杉が老衰の一途を辿り、暴風雨になると非常に危険であると不安を募らせる人が多くなってきた。されど霊木、神木であり、そう簡単には伐採できない。

 

 昭和2年、定塚町の材木商河原外次郎氏が伐採を申し出た。大杉神社では氏子会を開催、協議した。その結果、神社の境内に代わりの苗木を植えて、伐採することとし、11月18日厳粛な式典を挙げた後、ついに伐られたのである。