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トピックス No.91
2006/01/16



重要有形・無形民俗文化財高岡御車山
御車山の車輪復元が文化財保存修理事業に採択
高岡市が文化庁に申請していた二番町の御車山

 重要有形・無形民俗文化財高岡御車山(みくるまやま)の保存修理で、高岡市が文化庁に申請していた二番町(にばんまち)御車山の車輪の復元が、新年度の文化財保存修理事業に採択される見通しとなりました。
 高岡御車山は天正16年(1588年)豊臣秀吉が、後陽成(ごようぜい)天皇と正親町(おおぎまち)上皇を聚楽第(じゅらくだい)に迎え奉るときに使用したもので、加賀藩初代藩主・前田利家が秀吉より拝領し、二代藩主・前田利長が慶長14年(1609年)に高岡城を築くにあたり、町民に与えられたのが始まりと伝えられています。
 京都祗園の祭礼にならって鉾山に改造され、高岡関野神社の祭礼日に神輿とともに曳廻されてより以来、今日に至るまで高岡の発展とともに継承されてきました。
 御車山は御所車形式に鉾を立てた特殊なもので、高岡町民の心意気と財力に支えられ、格式を保ち高岡の金工、漆工、染色などの優れた工芸技術の装飾が車輪や高欄(こうらん)、長押(なげし)等に施された日本でも屈指の華やかな山車です。
 5月1日 高岡御車山祭り
 
 今回文化財復元事業を申請したのは木地の制作費用で、2本合わせて約1300万円。二番町は8年前に岐阜県高山市内の業者を通じて原木を確保しており、文化庁からの内示を得たうえで復元に取り掛かります。
 文化財保存修理事業のうち、民俗文化財の保存修理は政府予算案で概算要求額のほぼ満額が認められています。
二番町の御車山は豊臣家の定紋である桐の文様が車輪などにあしらわれ、7基ある御車山の中で1基だけ2輪車であることなどから、伝承の御所車の様式を最も伝えているとされています。
 車輪は7基の中で最大の直径2m5cm、厚さは外輪部で12・5cmあり、主要部分はカシ材が使われている。外輪部は8つの部材で組み立てられているが、全体に緩みが出ているほか、車軸の取り付け部なども摩耗が進んでいます。
  御車山の保存修理は、1963(昭和38)年度から1982(昭和57)年度まで三次にわたって行われ、その後、調査事業などで中断していました。
 再開された今年度は一番街通(いちばんまちどおり)の尉(じょう)人形と姥(うば)人形の衣装の復元に214万円が認められ、現在、京都で制作が進められています。
 二番町の御車山