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トピックス No.56
2004/08/01



加賀藩2代藩主前田利長が越中射水郡関野に築城した高岡城
 
企画展「高岡城」開催中
8月29日(日)まで高岡市立博物館

 高岡古城公園は、前田利長が築城した高岡城に起源を持ち、利長の逝去と翌年の一国一城令による廃城の後も「古御城」として保持されてきました。 民間払い下げの危機もありましたが、有志の努力により公園指定として切り抜け、今日まで400年近くの命脈を保ち続けてきました。高岡古城図・古文書・公園指定請願書・各種公園絵図のほか、利長ゆかりの資料により古城址から公園として生まれ変わるまでの物語を紹介した企画展「高岡城」が開催されています。

【とき】  8月29日(日)まで
【開館時間】  午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)月曜日休館
【入館料】  無料
【ところ・お問い合わせ】  高岡市立博物館 TEL 0766-20-1572

 高岡古城公園は自然美豊かな水濠公園として知られ、市民の憩いの場となっています。
 その起源は慶長14年(1609)、加賀藩2代藩主前田利長により越中射水郡関野に築城された高岡城に始まります。縄張(設計)は高山右近が行ったといわれ、本丸の前後に二の丸と小竹薮を配し、内堀をはさんで鍛冶丸・明き丸・三の丸を縦列に配する壮大堅固な城であったといわれています。
 慶長19年(1614)に利長が死去し、翌年には一国一城の令により廃城となりましたが、加賀藩の努力により、土塁と堀(水濠)は残り、城跡は町民から「古御城(フルオシロ)」と呼ばれて町の誇りとされました。
 明治初期の民間払い下げの危機も第17大区区長(高岡市長に相当)の服部嘉十郎ら有志の運動により明治8年(1875)に公園として指定されることにより切り抜け、それ以来、園内の改修・整備が重ねられ、各種の施設が建てられ、又、種々のイベントが催されて、市民の憩いの場として今日まで親しまれてきました。
 高岡市は、やがて開町400年を迎えます。そんな中、昨年6月、本市で「第22回全国城下町シンポジウム高岡大会」が開催されたのを機に、「幻の高岡城を探そう」と銘打ち、高岡市と同大会実行委員会(高岡JCが中心)が共同で、高岡城関係の絵図、古文書等の史料の情報提供を広く市内外に呼びかけ、また県内外の図書館などの協力をいただき調査を進めました。その結果、築城から年代的には最古となる慶長17年(1612)に写したと記された「高岡御城景台之絵図」が発見されるなど、若干の新知見がありました。
 本企画展では新知見もまじえ、古城公園が近世初頭の開城以来、古城址として残り、明治期の公園指定を経て、市民の公園として生まれ変わる物語を高岡古城図・古文書・公園指定請願書・各種公園絵図ほか、利長ゆかりの資料により紹介しています。

※ 前田家当主、高岡市と上平村を訪問
 前田家十八代当主の前田利祐氏が8月8日に上平村、9日に高岡市を訪れられます。高岡市では橘慶一郎市長との懇談が予定され、市が2009(平成21)年の開町400年に向けて検討を進めている前田記念館構想についても意見交換されます。
 高岡市は今年度に前田記念館構想を含めた記念事業検討委員会を設置する方針を示していますが、富山県人社(高岡市)社長の高島誠氏が同構想が具体化する前に前田氏と橘市長に自由に意見交換をしてもらおうと仲介され実現したものです。
 前田記念館は昨年12月に高岡商工会議所が構想を提案しましたが、市側は御車山会館を併設するかどうかも含めて同検討委員会で計画を具体化させる方針を示しています。
 上平村はかつて火薬の原料となる塩硝の産地として知られ、前田家当主の現地入りは初めてとなります。当日は羽馬家で越中五箇山民踊保存会の中谷賢治会長との歴史対談が予定されています。

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