高岡市は、大門町の和田川で見つかった高岡城の石垣用に切り出された大石約20個を3月29日に引き上げた。石は明治初期に城址が払い下げられた際に、河川の護岸工事に使われたものとみられ、引き上げた後は高岡市立博物館等に展示されており、約130年ぶりの里帰りとなった。
石は、花こう岩で、大門町大門新の常盤橋付近で見つかった。中には石を切り出す際にのみを打った半月型の穴痕「矢穴」や石垣用大石に付けた「+」と「田」の刻印されたものもある。
刻印のある2点は高岡市立博物館の正面玄関に展示され、5個は大門町で活用してもらう。残りは本格的な活用方法が決まるまで、市民が自由に見て触れることができるよう、高岡古城公園の本丸広場西側に置かれた。
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高岡城の石垣は、加賀藩2代藩主前田利長が高岡城を築城した際、一部は氷見市の虻が島から切り出された。高岡古城公園の石垣と、虻が島の石に同じ刻印が残ることが証拠とされている。石は他にも、高岡市の有磯八幡宮や熊野神社などでも使われている。
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明治8年(1875)頃、大門町の和田川護岸工事のため、高岡城址から多数の石垣の大石が運ばれ使用されたことが「高岡古城址」や「大門町史」に書かれている。今回大門町大門新のときわ橋付近の河床から花崗岩の大石が見つかった。
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引き上げられた中で 田 と刻まれた大石 |
+ と刻まれ、矢穴痕がある大石 |
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高岡古城公園に残る石垣の一部 |
石垣には色々な記号が刻まれたものがある |