高岡商工会議所は、高岡市が6月に県内自治体で初めて歴史まちづくり法に基づく「歴史都市」に認定されたことを受け、市内の旧町名復活を目指ための調査を進めています。旧町名やその由来を確認しているほか、全国で町名復活の先駆けとなった金沢市の先進事例の調査するなど、商工業の町・高岡の成り立ちを示す貴重な歴史的文化資産としての町名復活を市民運動とし、その機運を盛り上げていくこととしています。
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金沢市は1998年、「主計町 カズエマチ」「飛梅町 トビウメマチ」「下石引町 シモイシビキマチ」の復活方針を表明。2044年に旧町名復活の推進に関する条例を施行し、これまで住民合意に基づき11地区で旧町名復活を実現しています。金沢では町名復活で地域の交流が深まり、ふるさと教育につながったほか、イメージアップによる経済効果もあったと評価しています。
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高岡市立博物館長 晒谷和子 氏の助言を受け文献などから調査を進めた結果、現在までに由緒ある28の旧町名を確認しています。商工業の町の成り立ちを示す町名として、檜木材で薄い曲げ物を作る檜物屋があった「檜物屋町 ヒモノヤチョウ」(現・川原本町)、瑞龍寺前の八丁道の石灯籠に点灯するための油を販売する油屋がいた「油町」(現・京町、大町)、窯跡や土器が見つかり製陶業者がいたと裏付けられた「土器町 カワラケチョウ」(現・大坪町)などがあり、高岡を代表する鋳物以外にも幅広い産業が存在したことを確認されました。
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千保川などに架かる橋の番人が住んでいたとされる「橋番町 ハシバンチョウ」
(現・川原本町)、武士が着用する母衣を作る職人が存在したという説や関野神社で母衣武者行列が休憩したという説など由来に三つの説がある「母衣町 ホロマチ」(現・京町)なども確認されています。
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