国重要文化財 勝興寺の古文書の調査で、幕末の京都の不安定な政治情勢を伝える手紙が、数通が発見されました。勝興寺二十三代住職 金剛院沢映 に宛てて、住職の弟で、七尾の光徳寺に養子に出ていた沢称と越前の本向寺に養子に出ていた沢応が文久〜慶応年間にかけて書いたものです。
|
手紙は幕末の京都の様子を伝えるもので、新撰組の動静や幕府の長州征伐に触られています。勝興寺文書研究会の調査員 金沢大大学院社会環境科学研究科博士後期課程の堀井美里さんは通信手段が限られた時代でも、高岡に中央の政治が伝わってきていたことが分かる史料だと評価しています。
|
勝興寺では2005年度から 平成の大修理 が始まり、本坊を構成する大広間や式台など11棟の壁やふすまから、下張りとして使われていた古文書約1万点が発見されています。
|
|
勝興寺文書研究会では歴史的な史料の散逸を防ごうと、もともと勝興寺にあった古文書と合わせ、専5月下旬から月 1〜2 回集まり、整理、解析を行っています。
|
|
沢称、沢応の二人は度々仕事で京都に出掛けていたとみられ、手紙には京都の三条河原に生首がさらされていることや、新撰組が屯所を壬生から西本願寺に移し、鉄砲のけいこをしている様子がつづられています。また、第二次長州征伐が行われるといううわさが京都に流れていることなども伝えていて、当時も中央の政治に興味を持ち、地方に伝える人がいたことが分かります。
|
|