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トピックス No.179
2009/09/16
孝子六兵衛 を題材とし昭和初期に制作
映画フイルム「輝く孝道」を探しています
白黒の無声映画で全10巻

 高岡市立博物館では江戸時代の高岡の孝行人 孝子六兵衛 を題材とし、昭和初期に制作されたた映画「輝く孝道」のフィルムを探しています。
 
 作品は、石瀬屋六兵衛の遺徳を伝える内容で、高岡を舞台に初めて撮影された映画だと言われ、作品を知る人は多いのですが、フィルムは見つかっていません。
 
 「輝く孝道」は白黒の無声映画で全10巻。作品は孝道の尊さを伝えることを目的に活動した「頌孝会」が昭和10年に制作したと伝えられます。頌孝会は高岡市の山町筋の商家の代表者らが明治36年に設立し、六兵衛の孝行を記した出版物を頒布するなど道徳教育に力を入れ事業を進めました。
 
 作品の完成を記念して刊行された頌孝会の冊子によると、出演団体に高岡芸友会、野村青年団、高岡検番芸妓と記載されており、高岡を舞台に市民が作り上げた映画だったことが読み取れます。
 
 宝暦5年 現在の高岡市一番町に生まれた石瀬屋六兵衛は、幼名は弥三と称し、5歳で父と死別して母と兄とに養育されましたが、兄の早世後は昼夜働き通して貧しい家計をささえました。日頃から病気の母親に孝行を尽くし、篤行を重ね、天明元年加賀金沢藩主から賞され、3人扶持を与えられました。
 
 
 孝子六兵衛の影無し井戸と呼ばれる、県の名水に選ばれている井戸があり、高岡の隠れた観光スポットになっています。
 ある日六兵衛が、この辺りを歩いていると、突然不思議な老人が現れ、「お前は、良い心がけの持ち主だ。いまにきっと幸せになるだろう。」と告げ、姿を消しました。以来、この坂は影無しの坂と呼ばれるようになりました。後日、寺の富くじに当たった六兵衛がここに井戸を掘ったところ、たいへん良質な水が湧き出ました。井戸の名称は、影無し坂の地名に由来しているそうです。
 
 影無し井戸には、文化6年(1809)学者の富田徳風ら有志によって顕彰碑が建立されました。今も、高岡市末広町の超願寺の横にあり、地下5mからポンプでくみ上げ、紫外線滅菌装置を通しています。

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