.
K's-forumindex へ
トピックス No.170
2009/05/01
ゲンダイ獅子を御車山祭に貸し出し
築山神事と御車山祭を結ぶ古文書発見
二上射水神社の築山神事と高岡御車山祭

 高岡市二上の二上射水神社春季大祭の「築山神事」で舟形神輿の露払いをする源太夫獅子(ゲンダイ獅子)が江戸期に、高岡御車山祭(国有形無形重要民俗文化財)に貸し出されていたことを記した古文書が発見されました。これまでも同神社の築山神事が御車山祭の源流と言われてきましたが、二つの行事の関連性が初めて文献によって裏付けられました。
 
 ゲンダイ獅子は、お寺の法会の折りにお練りの先導をする形式で、築山神事の神輿渡御の露払いを務めます。詳しい由来は不明ですが、獅子には築山神事で祝詞が奏上される古井戸「天の真名井」に落ちてきた龍だとする降龍伝説もあります。
 
 発見された古文書は、江戸時代に二上地区にあった 本覚坊 の記録書「御用留帳」で、この中に、ゲンダイ獅子の貸し出した記述がありました。天保5(1834)年の記述で、御車山祭の当番町の肝煎から、獅子頭の借用を願い出る手紙が届き、毎年二上射水神社の祭礼後にゲンダイ獅子を貸し出し、御車山祭の後本覚坊に返却されていたと記されていました。
 
神輿渡御の露払いをするゲンダイ獅子
 
二上射水神社の築山神事
 
 古代信仰では、神は天上にあり、祭に際して降臨を願うものとされました。築山神事は毎年4月23日二上射水神社の春季大祭に行なわれます。境内の三本杉と呼ばれる大杉の前に、社殿に向って築かれる臨時の祭壇は、幅4間、奥行3間、上下二段になっており、上段中央に唐破風の簡素な祠が置かれ、その前に日吉、二上大神、院内社三神の御霊代である三本の御幣が立てられます。祠の屋根の上には斧をかざした天狗が立ち、下段には甲冑に身を固めた多聞天・持国天・増長天・広目天の四天王の藁人形が置かれ、祭壇の左右には桜と白いモクレンを模した紅白の造花が篭いっぱいに入れられ飾られます。また築山の壇の腰には、丸に紅葉の葉をあしらった幕が巻かれています。
 
 祭礼の前日の夕刻、頭屋にあたる山森氏(ゴヘイドン)と神主が二上山頂にある奥の御前の日吉社から依代の御幣に神を迎え、一夜自宅でお護りし翌日朝に築山に神様を遷します。院内社は祭の当日迎えられます。祭儀は、午後2時に行なわれ、社殿で例大祭の儀式が済むと三基の舟形をした神輿が境内を巡行し築山へ向かいます。その際にゲンダイ獅子が露払いをし、御幣を捧げたゴヘイドン、神主、その後に院内社、二上大神、日吉社の神輿が続きます。途中で院内社の神輿だけが一旦鳥居の外に出て、戻って二上大神と日吉社の間に割って入ります。これを「院内割り込み」といいます。その後、築山の前まで進み、3基の神輿が並べられゲンダイ獅子のお祓いの舞い・神主による祝詞の奏上・地元の少女による神楽舞などが行われます。次に、天の真名井の前へ移動しゲンダイ獅子のお祓いの舞い・祝詞が奏上され、本殿の前に戻って一連の儀式が終了します。
 
 この築山神事は富山県指定無形民俗文化財で、天上から臨時の祭壇に神を迎える古代信仰の本義を良く残しています。本来は動かない築山がやがて動く曳山へと発展していったと考えられており高岡御車山の原初形態を知る上でも貴重です。また、社殿の神事と古代信仰の築山行事の二重の神事を同日に行なっている点も興味深いと言えます。
 
 祭儀が終ると築山はただちに解体され片付けられます。遅れると神様が荒れると伝えられています。
 また、二上の祭っりを二度も見るだら、一遍も見んだら。とも言われています。
   だらは富山の方言で愚か者のことで、
   単純で盛り上がりが無いお祭り行事を、毎年繰り返して見に来る者と、
   祭りの来客の受け入れ準備に手間取って、毎年行事に間に合わない嫁など、
   祭行事が早い時間に終了し、さっさと片付けられることを言い表しています。
 
 この他にも、二上の祭が晴れると高岡の祭は雨とか、高岡の祭が晴れると伏木の祭が雨とも言い、それぞれの祭を互いに気に掛けています。
 

   .