国宝瑞龍寺に隣接する民地で宅地造成が計画されたため、高岡市は本年5月から埋蔵文化財試掘調査を実施していました。試掘調査の結果江戸時代に存在した、瑞龍寺を守る鎮守堂の敷地後と見られる遺構が確認されました。
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遺構調査で確認された
鎮守堂後
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瑞龍寺の総門側から北に向けて、粘土で整地し踏み固められた幅約2.5m、長さ18mの参道があり、その奥には建物を建造するために小石を引き詰めて地固めをした南北10m、東西7mの遺構後が確認された。
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周辺からは、瑞龍寺の歴史に関係すると見られる、瓦や陶器片が出土し、暦年の溝が確認されました。
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江戸時代の瑞龍寺の記録「瑞龍閣記」に、「総門から右折して行くこと四十歩で鎮守様の神廟に至」との記述のとおり、総門から北に72mの所に遺構が確認された。
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鎮守堂は1660年代に建設され、建物は明治初期に近くの赤祖父神社の社殿として移築されたとされています。
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