高岡大仏阿弥陀如来座像は、奈良大仏(752年)、鎌倉大仏(1246年)と並んで日本三大仏に数えられ、「銅器のまち」「ものづくりのまち」高岡のシンボルです。
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高岡大仏は、鋳銅本体の亀裂や如来蓮座からの回廊への雨漏りのため、今年8月から大仏座像と下部回廊の大規模修復が予定されています。
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大仏寺は檀家を持たないため、地元町会などでつくる奉賛会が維持管理に当たっています。今般実施する平成の大修復では、約2000万円の費用のうち、市の支援は半額で残る半額が奉賛会の呼び掛けで集められました。
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高岡市は近世高岡の文化遺産群の世界文化遺産登録に向けた再提案で、コンセプト案の一つに、高岡大仏なども含めた提起をしていることから、世界文化遺産登録運動で大きく脚光を浴びています。
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高岡大仏と大仏寺の後背地約250平方メートルを市内の信者さんが購入され、近く同寺に寄付されることになりました。
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後背地を寄付されるのは高岡市古定塚の自営業向山耕司さん(68)で、大仏寺の信者でつくる「大仏あけぼの会」の世話役でもあります。入会後、ニット製造販売業が順調で、廃業後も大過なく過ごしてこられたのは高岡大仏のおかげと、後背地を購入して寄付することを申し出されています。購入費は約2000万円とのことです。
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高岡大仏の正面入り口は公園になっていますが、寺の所有地は約500平方メートルしかなく、寄付される後背地にある家屋とはブロック塀を隔てて近接しています。この土地で営業していた飲食店が昨年で閉店し空家となったのを機に、向山さんが地権者に購入を打診されていたものです。
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高岡大仏は 1221年頃摂津国の源義勝が越中に移り、二上山麓に1丈6尺(約5m)の木造阿弥陀如来座像(頭部は現存)を造営したのが始まりです。その後
1609年に前田利長公が現在の大手町に移設しました。 しかし、大火による消失と再建を繰り返したことから、380年の伝統を誇る高岡銅器の職人の手による大仏が昭和7年12月に完成し、昭和8年5月に開眼式が盛大に行われています。
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