-高岡御車山祭- 国指定重要有形無形民族文化財
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高岡は昔、関野郷といわれ人家まばらな所でしたが、慶長14年(1609年)、加賀藩 二代藩主 前田利長公が築城してから、にわかに町づくりが行われました。
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高岡の御車山 |
昭和40年、県指定有形文化財
昭和35年、国指定重要有形民俗文化財
昭和54年、国指定重要無形民俗文化財
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利長は城下の楽土安民を願って地名を高岡と名付け、町の発展にいろいろな施策をとりました。その一つである御車山祭(みくるまやままつり)は、太閤秀吉が後陽成天皇を京都聚楽第にお迎えしたときの山車を、加賀藩祖前田利家が拝受し、さらにそれを子利長が、新しく町づくりした高岡の10町内に与えたものです。そしてさらに京都祇園会の祭礼にならって鉾山に改造させ、関野神社の祭礼に神輿とともに城下を奉曳(ぶえい)させたのが今日の行事の起こりで、特に御車山といわれるのはこのような由来からです。
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御車山は御所車形式に鉾(心柱)を立てた特異なもので、その創期を明らかにし、随時の補修は徳川期における高岡金工、漆工の技術を集め、美術工芸の総合作品として郷土文化の価値が高く、藩政時代は特に加越能三カ国に類似の山車を厳禁した、郷土の美術工芸の代表作品です。
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高岡市では山町地内で曳山と御車山祭の歴史や文化を通年に紹介できる、御車山会館(仮称)を建設するために、積極的な調査・調整することとしています。
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高岡の近郷近在には、高岡の御車山に影響されてたくさんの曳き山祭りが伝承されています。 |