我が人生を歩む・・・

我が人生を歩む・・・福祉編
平成元年(1989)に亡父の友人から、特養ホームを作るから来ないかという誘いがあった。デイサービス運転手である。当時長距離トラックに乗っていたのでかなりの高給を得ていた。子供たちにも楽しみの多い生活をさせてやることが出来た。
引抜であるからその給与がベースになり、今施設に勤務しておられる方々が怒られるほどの高給での転職になった。(少しは落ちたが・・・)

特養ホームオープンから1年余り経ったとき、社会福祉主事認用資格の通信講座を受けてくれないかと依頼があった。生活指導員を誰にさせてもダメだというのである。
40歳も超えているので勉強はしたくない・・・と固辞したが、半ば業務命令的な勢いで受ける羽目になってしまった。
通信講座受講中に先ず最初の事件が起こった。

法人役員には政治につながりのあるメンバーも顔を連ねていたので、友人が地方政治に関わりたいと言ったとき、その関係に関して事務長と懇談している。「個人的な内容だから良いんじゃない???」ということが後に大変な事件に結びつく。
選挙も終わり、通信講座受講中の私に解雇通告書が発せられた。勿論選挙は理由にしていない。この時は某団体を中に入れて解雇は取り消されたが、4年後に休職という形で再燃することになる。私は選挙応援に係る人権としての自由を貫いた。

組織の意思決定と組織の中の個人の決定とは違う。役職名が付けば個人ではない。組織の顔である。
個人の感性で組織を動かそうとすればそれは公私混同である。組織運営は役員合意の下行わなければ組織は崩壊する。その良い例を4年後の裁判でお見せした。決定が出た2年半後には新しい生活が始まっていたので申請は却下された。しかし現状がその結果を表している。「お荷物施設」と表現された方もあった。

今回某団体をまとめて退会したが、ここにも公私混同があった。独走もあった。今回目にした真実は16年前・12年前に見た内容と同質のものである。組織の独断的運用である。
どのような立場におかれても、個人の自由は尊重しなければいけない。組織としての合意がなければいけない。合意を取り付ける方法は民主的に行なわなければいけない。力で人をねじ伏せてはいけない。この真実を隠すために「嘘」があった。
私は「嘘」がまかり通る組織を捨てた。

前回は攻撃を仕掛けられたので迎え撃った。今回は殻に閉じ篭ってしまったので放棄した。ただ、数日後に明らかになった真実を本人の口から公表するように求めた。人として当然行なわなければいけないことである。
「嘘」の事実を突きつけているのに逃げていてはいけない。結果として「嘘」があった事実を認めたことになる。

在宅介護支援センターソーシャルワーカーとして地域を駆け廻っている頃を知る方はそう多くはない。しかし先日言われてしまった。「当時と同じですね・・・」と。
地域を駆け廻るケアマネジャー・・・範囲は随分広くなっているが、目に止まっていたようである。12年前と同じだと言っていただけた。
                             (つづく)
我が人生を歩む・・・「虚構」発行
1,999年暮、何を思ったか妻がワープロを買ってきた。
施設時代には触りもしなかったので、事務員から「やる気がないからですよ・・・」とお叱りを受けていた。そんな私がキーボードに触ったのには目的があった。ファイル1冊に溢れんばかりに綴じられた膨大な裁判資料があった。
「決定」が出てから1年余り後のことである。

年が明けてから手探りで入力を始めた。B5二つ折りのサイズで冊子を手作りする計画である。ちょうどその頃、1週間ぐらいの入院をしている。その病床で「はじめに」「背景」「裁判までの動き」の原稿を書いている。
「まとめ」の日付が2000年6月11日であるから、約500ページの原稿を、キーボードに触ったことのない状態から半年余りで入力したことになる。50冊作成することにした。
このキーボードとの出逢いが後に、インターネットとの出逢いのキッカケになる。

友人のプリンターを借りて印刷を始めて三分の一位印刷が進んだところでプリンターが不調になった。それから半年余り後に冊子をインターネットに載せることを考え付いている。
パソコンが身近になって来ていたと言っても、まだセットで20万円ぐらいしていたと思う。プリンターセットで25万円ぐらい支払ったと思う。甥がコンピューター関係に勤めているので今でもお世話になっているが、細部にわたってご指導いただいた。

印刷が完了したのは暑くなってからのことだった。
編集後記の日付が2001・6・24になっているが、たかが50冊といえ、500ページ125枚の原稿をセット組みするだけでも大仕事である。最後には無駄にならないように不足分を追加印刷している。結局55〜6冊出来たのではなかったかと記憶している。
製本はパンチで穴を開けて、タコ糸で綴じて、表紙を糊付けしている。今考えても根気のいることを仕事の合間に行なっている。

配布先記録が残っているが、2001・9月の休日を利用して訪問の上手渡ししている。
                       (つづく)
我が人生を歩む・・・HP作成
印刷・製本に平行して、インターネットに関して1冊の本を読んでいる。インターネット入門書である。
HPビルダーを頼りにHPを作成しているが、現在のスタイルだけは完成している。現在リンクをはずしてあるが、HPのベースになっているのは「虚構」である。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage4mokuji-2.ht
インターネットの知識がある方なら開くことが出来る。

「虚構」の原稿をスキャンで読み取ったものであるが、そんなに正確には読み取れない。原稿と見比べてかなり修正している。とにかく完成させて、2001・10・1に公開している。
公開と同時にメーリングリストやリンク集・掲示板などにも書き込みを行ってみた。6年前のことである。ヤフー掲示板に『「介護問題」に関するインターネット会議』のトピを作り初投稿したのが2001・10・14である。これで一応情報発信の準備が終わった。

インターネット会議というからには「会議」を開かなければいけない。
2002・1・12を初回に2003・10・1開催まで計7回のインターネット会議を開催している。中には嫁姑の問題も取り上げているが、この会議は終わりのない会議になっている。ご意見があれば再開させても良いと思う。No6である。一番最後の会議開催月には、実務研修受講資格試験を受験してケアマネとしての門をたたいている。
この受験から独立開業までを公表して行っているので、万が一落ちていたら現在は無い。背水の陣で臨んでいる。

HP開設当時はかなりの数のHPに書き込みをしてきた。その中での交流が今でも続いている方もある。かなり辛口の投稿であったから、衝突もあった。理念の低い方には嫌われるようである。
その交流の中でも想い出深いのは、中央に直結する裏情報がストレートに入る状態にあった時期がある。余りにもレベルの低い話なので大きくは期待していない。

HP公開から1年余り経過した頃、独立・中立型介護支援専門員全国協議会が発足している。その会議をテープから反訳した。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/dokuritukeamanezennkokukaigi.htm
反訳は裁判で身につけた技術である。テープから言葉をそのまま書き表せば動かぬ証拠になる。
2003・1・13開催だから、この時点ではまだ開業を思い立っていないが、この会議に参加して開業を思い立ったのかもしれない。

それから1年後、二人の方からメールをいただいている。どちらが先だったかは記憶にないが、お一人は「大工さんネットワーク」構想を、お一人は「難病支援」を熱く語った。
そういう流れの中で開業準備を進め、2004・4・1指定居宅介護支援事業所『高岡発・介護問題研究会議』が誕生する。
HP公開から2年半目のことである。

我が人生を歩む・・・開業から今日まで
HP公開後、一市民として担当課との意見交換も行ってきている。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2repo-tono4.htm
レポートNO4 在宅介護支援センターの絶大な計画
2003・3・2に担当係長・基幹型在宅介護支援センターの皆様と意見交換をしたが、そのときにまとめたレポートである。

関係機関等へは「介護研ニュース」
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/sub4.htm
も届けているが、今考えてみると、どうも「ぬかに釘」だったようである。

開業後の動きを日を追ってご紹介する。
2004・4・1 指定居宅介護支援事業所『高岡発・介護問題研究会議』開設
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/jigixyousixyogoannnai.htm
2004・6・5 担当課長に申し入れ(公正取引委員会調査報告書など)
http://www.jftc.go.jp/pressrelease/02.march/02031301.pdf
2004・7・2 市長にお願い(県パーキンソン病友の会に同行)
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2sitixyounionegai.htm
2004・8・4 新聞広告に「介護研ニュース」折込予定(失敗)
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2nixyu-suno15.htm
2004・8   ボランチ型在宅介護支援センター事業申請
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/boranntigatazaitakukaigosiennsennta-sinnseisixyo.htm
2005・4・28 認定調査における談合の申し入れ(担当係長)
2005・10・1 『会議室』開設。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kannbann.htm
2005・10・12 週間ダイヤモンド取材
2006・3・8   週間ダイヤモンド電話取材
2006・7・18  「独立化の勧め」情報発信
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm
その後の記事等は、上のページでご参照下さい。
2006・9・28  ブログ開始
http://www.care-mane.com/blog_my_top/blog_id=74
2006・11・13 市政への提案(担当部次長・担当課長・協業組合設立準備会)
2007・1     隔月誌「介護支援専門員」1月号の原稿
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm
2007・3・19  市政への提案回答書
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/2tiikihoukatusiennsennta-notorikumi.htm

随分色々と取り組んできたが、回答書以降、表向きの活動はストップしている。
その一ヶ月前に、定年があと1年あると言っておられた方が、回答書を書いて退職された。急に天下り先が決まったことが理由だとは思うが、ご指摘した立場から言えばあまり気分の良いものではない。
現状は何ら変わっていない。
市政への提案からちょうど1年が経過した。

12年前の平成7年といえば「亥」。干支である。
元旦に浅草観音にいたが、引いた富くじが「凶」であった。今年は引かなかったのだが、もしかして「凶」を引いていたのかも知れない。
大きな別れがあった。
                       (おしまい)

『高岡発・介護問題研究会議』

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