掲示板等の発言記録2012

高岡大仏がベレー帽を・・・  2012・12・31
大晦日の今、こちらでは時々雪が降っている。
降雪予報では高岡は大雪から外れているが、富山県では東の方面で雪の予想である。
1週間前位に初雪が降っているが、その時の高岡大仏は『ベレー帽をかぶった様』で可愛く思った。

高岡大仏は日本三大仏の一つ(3番目)と言われているが、大仏は高岡の高台に位置する。大仏の前は坂になっており、門前町ならぬ坂下町と町名が付いている。
現在事務所にいるが、時々雪が降っている。
昨年の大晦日は雪が無かったが、今年はみぞれ混じりの初詣となりそうである。

今思い出す年末風景だが、小学生高学年から中学生にかけて大晦日は射水神社にいた。
『かがり火奉仕』ということで、交通整理も兼ねた警備(?)に協力(?)していた。
今はあるのかどうかは判らないが、夢多き少年時代も経験している。

読者の皆様には・・・
『良いお年をお迎え下さい』
やはり年越しか・・・  2012・12・29
先月中旬に入院になった困難ケースだが、相談も年越しになりそうである。

経緯があって相談には乗っていたが、まだ正式に依頼は受けていない。MSWから相談後電話をいただいているが、『こちらから押しかける訳にもいかないですからね・・・』と。
依頼があれば即相談にのる予定にしている。

入院に至るまで親族会議に出席しているが、近親者で最終結論を出していただくように、遠縁の親族と私はその場を去った。
今回も同じ経緯で結論を出されれば良い。結論を受けての支援になるが、私の頭にはそのシナリオが刻まれている。たった一つの方法なのだが、子等に進んでその結論を出して欲しい。費用に係る結論である。

入院・入所に関してはコトゴトク断わられたということ。後は在宅しかないが、専門機関が断わるということは専門職にも難しいものがある。それを解決するためには答えは一つしかない。その結論を親族会議で出して欲しい。

今年は二件の年越しの問題を抱えたが、一件に関してはほぼ解決している。
このケースに関しては時間をかけて方向性を見極めたいので、少し時間が欲しいと思っていた。

例年のことではあるが、何らかの年越しのケースがある。
数年前、大晦日と元旦にSOSがあったこともあるが、最近は静かな年明けを迎えている。
果たしてどうなるか・・・。

今年も残すところ後2日になってしまった。
ショートステイの限界・・・???  2012・12・26
ショートステイで嘔吐があったということで22時過ぎに「救急搬送した・・・」との連絡をいただいた。
時間が時間だけに夢の国を彷徨っている。そこで通りまで出てタクシーをひろって、病院に直行した。入院が決まって病室に入られるのを確認して帰宅したが、3時頃だった。

遠距離通い介護の子が郷里に帰っている間のことで、電話連絡をしておいたが始発の新幹線が7時発。大阪乗継で11時頃になるということ。それにしても日本の国は短くなったものである。
1週間位の入院で28日には退院になるのだが、年内のプランはそのまま利用していただくことにして29〜31日は別のショートステイになる。

昨晩から降った雪がそこそこ積もっていたが、9時過ぎに給与を払って(といっても会社の通帳から家の通帳へ移すだけだが)申請書類もあったが、提供表配布のため、高岡の北から南まで巡回した。一応年内の仕事は終わった。

新年早々会議とまでは行かないが、確認の意味でメンバーが集まることにした。ショートステイで嘔吐のケースだが、デイサービスを2日追加で隔週の週末のショートステイで支援する方向は出ている。方向性の確認はほぼ終わっているので、年始めの顔合わせで事は足りる。
介護者が「時間がな〜〜〜い」と言い出しているが、ヘルパーで時間を埋める働きかけも行なっているのだが、果たして〜〜〜???という状況でもある。とにかく良い返事を待つことにした。

一件通院の結果によっては動く必要がありそうなケースもあるが、多分・「多分」だが、年内の仕事は99パーセント終わったようである。
今年は『ベッドから落ちた・・・』といった呼び出しも無いようだし、久しぶりにのんびりとした年末年始を迎えることが出来そうである。

残すところ5日間。雪も小康状態のようでもあるし、良い年末を迎えることが出来そうである。
必要な入院の方向性  2012・12・15
食事を摂ることが出来なくなったことから、入院の経緯・方向性に関してイメージした。妻にはその経緯・方向性に関して概ね説明してあった。
開業医受診→入院出来る方向への紹介→入院。この時点で親族会議を開いてもらった。
親族会議では費用がテーマになってきたので、その時点で関ってきた親戚の方と私は退席した。
その後妻には後方支援を行なってきたが、入院の時点でMSWにお願いした。

MSWのアドバイスで必要な公的手続きを済ませ、転院の方向へ話が進んでいる。まずはワンクッションの転院の手順を踏んで、最終的な落ち着き先が候補に上がってきた。
「先生が紹介状を書くと言っておられるが・・・」と電話があったので、その方向へ進めていただくことにした。

受診先は違うが、5年位前に同じコースを辿った方がある。入院後そう長くはなかったが、他界されている。その後妻を担当することになったが、現在は入所生活をしておられる。
その経緯を思い出した。
ここしか落ち着き先は無かったのだが、本人・妻・子を乗せて病院へ向かった。人を乗せて走ることは過って本業だったが、この時には異常に神経を使った。

今回は担当することは無かったが、入院支援ということでは『影のMSW』だったのだろう。
費用もかかることだが、先の親族会議でその確認はされていると思う。
色々な形での『看取り』はあるが、そのことを理解できる親族であって欲しい。
インフルエンザ予防接種  2012・11・27
ショートステイでインフルエンザ予防注射が話題になった。
「私にも届いたよ・・・」と言ったら「???・・・」目を白黒させていた。その表情を見て、もう少し若いと見られていたようだ。
帰ってきた言葉が「是非受けて下さいね・・・」だった。

子供の頃は身体が弱かったらしく、あらゆる病気をしてきたと聞いている。
中学生の頃からだろうか、あらゆる病気に抵抗力が付いて元気にしている。が・・・しかし・・・。果たして如何なのだろうか???
とは言え、先日来「高齢者」の仲間入りをしている。

接種期間に3週間余りあるので、日々検討してみることにするが、果たして時間の余裕があるのだろうか???時期が悪い。
???     2012・11・24
サービス事業所オーナーから電話がかかった。
「□□さんの娘さんから電話がかかったが、〇〇苑の××さんに連絡していただきたい・・・」と・・・。
サービス提供に関してトラブルがあるのか、担当ケアマネに問題があるのかは判らないが、とにかく連絡を取ってみることにした。

一応週明けに・・・と思っていたが、土曜日に仕事をしているかは判らないので電話をしてみた。外出中ということなので帰られたら電話をいただくことにした。内容が判らない依頼事とは不安なもので、私が解決すべき問題なのかも判らない。

仮に担当して欲しい・・・ということになったとして、決心が揺らぐことになるのかも知れない。一応被保険者証をいただいた時点で新規は受けない方向へ進んでいる。
ただ・・・一件だけ、入所待ちのショートステイのケースは包括の依頼で受けた。

全件見送る事は無理としても、大半の方々の最期を見送りたいと思っている。そこで負担になるのが「法人」を維持していくことである。
小規模事業所としての加算も考えたが、基準該当事業所として法人の経理費用を削減する方が良いようにも思い始めた。その様な背景の中での依頼である。

頼られる間はまだ大丈夫なのかも知れないが、身体と頭が回らなくなってきている。65歳を高齢者の境にしている理由を身を持って感じている。
年金受給年齢を70歳にしようという方向へ動いているが、これは財政の問題。やはり高齢者の境は65歳である。
そろそろ・・・引退・・・カモ・・・   2012・11・15
今日話のついでに『そんなに長くないよ・・・』と主介護者に。
何故か気に入られてしまい、どちらが先になるか判らない。
そこで「医療」が話題になった。往診を受けて、適切な服薬もある方と、「健診」も拒んでいる私とでは、どうもこちらが先になりそうな気がしてきた。
そこで・・・

実はね・・・医者が嫌いでね・・・医者は薬を出さないと儲からない・・・と言った方もあるし、別に医者に儲けて貰わなくても良いし・・・。
・・・儲からん・・・医師が現在儲かっているのかは知らないが、こんな先生ばかりではないことも充分知っている。
そこで、往診するが終末医療はしない・・・という先生の話になった。近くに知り合いの医師もあると言われる。

医者を選ぶのも患者の自由。どちらを選ばれても良いが、背景まで揃ってはいない。かといって掛け持ちという訳にもいかないので、どちらかに絞る必要がある。
『選択の自由』ではあるが、これまた難問である。
「看護師さんと相談したら・・・」とその場を逃げてきた。
『介後の日』・・両肩が・・痛・・・い・・  2012・11・11
やはり『年かな???』と思ってはいるが・・・「痛い」・・・。

筋肉を使っているなら痛みは出ないのであろうが、ここ20年余り「頭を使う」仕事に転向している。
とは言え・・・「介護」の分野だからそう頭も使っていない。
(でも・・・『勘』は働いている)

私は「介護者」では無いと自覚しているが、果たして周りの見方は如何なのだろうか・・・。
今日「介護のプロ」から『介護されている』と言われた。
間接的ではあるが・・・
『お役に立っている』ようでもある・・・。

今日は新設された『介後の日』・・十一月十一日・・・一と一が笠で、一と一がプラスすると『十』になる・・・が変形して「11」ということらしい。
ここから変形して「介」になるそうだが・・・。
素晴らしい発想はにほんごがくしゃ・・・かな???とも思う。

象形文字の原型はこんなところだったの・・・だろう・・・。
女の園  2012・11・6
介護の現場が『女の園』だと判ったのにはそう時間がかからなかった。
平成元年9月就職の話だから、もう20年以上の前の話である。
止せば良いのに・・・2回目の機会があった。
独立開業をしたのが平成16年だから、8年前の話である。

今回見せていただいたのは「女の園」対「女の園」・・・「女の『エゴ』」の問題だった。人間主張したいことはある。
だが・・・しかし・・・問題の原点によっては逃げてはいけない。逃げることによって、原点が判らなくなる。
だが・・・しかし・・・私も長年人間をやっているので、経過だけで原点は判る。

関係者に遠回りに「円満な解決方法」を打診してみた。別に人手が必要な訳ではない。でも・・・。答えの「結論」を確認するだけの話であるが・・・その「検証」は出来なかった。
表面化した『問題』は大きな問題なのだが、経緯を考えれば「許しても良いかな???」という範囲である。

この「問題を大きくしてしまった」事業所との今後のお付き合い方法を検討している。
問題を当事者に転嫁したり、問題提起をしても表面には現れない事業所・・・は、連携の相手ではないのかな???と思っている。

別に私が仕事を急いでいる訳ではない。
少しでも『マシ』な介護保険の現状を作り上げることが出来ないか・・・と、「浦島太郎」の如く『再登場』しているだけの話なので、当事者と私の話である。
当事者のお好みに『+α』を付けることが出来れば良いと思っている。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
知事選挙は荒れた一日に・・・  2012・10・28
朝から小雨がパラつく天気だったが、夕方になってパラパラ・・・と塊が落ちてきた。僅かな時間だったが、初あられである。
昨晩から遠慮しがちにエアコンが活躍しているが、まだ10月、少し遠慮しながらの稼動開始である。

年のせいか寒さが身にしみるようになった。
早い時期からのエアコン使用は過去にもあったが、若い(?)妻からたしなめられたことがあった。『早〜〜〜』・・・と。
そういう過去もあり我慢していたのだが、今日は事務所隣のリビングルームのエアコンが稼動を始めた。

という訳で、少し焦らして、午前投票・午後エアコンを稼動させた。
エアコン稼動は正解。現在16時20分だがあられが降っている。
孫たちは元気にはしゃいでいるが、暖房を急いで『弱い子』にしてはいけない。上が鼻っカゼを引いたようでくしゃみをしているが、大したことはなさそうである。

『カゼっ子』カゼも何のその・・・。元気な子に育って欲しい。
私たちが子供の頃は鼻水は当たり前、『ゴットン鼻』というのもあった。黄色く膿のような・・・(お食事中の方は・・・すみません)
とにかく元気に育って欲しいと思っている。

そういう私は『弱い子』だったそうで、かかりつけ医もいた・・・とか・・・。
そういう私の現在は『殺しても死なない』初老の被保険者証が先日届いた老人(?)でもある。
ショートステイ利用日数・概ね半数  2012・10・28
色々な角度から入所申し込みに関してアドバイスされているが、申し込みの気配はない。介護保険法にも一定のルールがある。
限度日数超えの届けは各認定期間ごとに提出してあるが、入所申し込みはしていないにチェックを入れている。そろそろ限界に来ている。
更新まで半年あるが、その間に申し込みをしておいていただくことにした。「概ね半数とは、週に3日と4日の繰り返し」だと・・・。
一応次回更新時までに考えておいていただけるということだが、色々な方から勧められている『入所』がベストの方でもある。
一応昨日はその程度にしておいた。

人生色々・・・想いも色々なのだが、ルールはルールである。
当然、必要だと判断すればあらゆる手を講じるのだが、腹の中が見えた限りでは無理をしなくても良いと判断している。言い方は悪いが腹が黒い。

もう一件、ショートステイが利用出来るかどうかの境界の方がある。
今回の調整で施設を変更したが、これでダメなら『医療入院』ということになるのだろう。
一時家族はグループホームも考えていたようだが、症状が進んでしまった。
抑制・拘束が必要になれば精神科。その手前で神経内科での治療を勧めておいた・・・が、受診はなかった。

先週親族会議に出席したが中座した。
こちらに関してMSWが出した答えは、医療保護入院である。
いずれのケースも介護支援専門員の立場で答えは出ない。しかるべき専門職に問題の解決を依頼する所までが役割だと思っている。
相談経緯の中で、最適な方向性をお示し出来れば良いと思う。

来週早々一件施設への橋渡しをすれば、何とか今月も無事乗り切れそうである。
往診しない開業医が多い・・・とか・・・  2012・10・21
通院出来なくなりそうな方が続いたが、かかりつけ医が往診出来ない先生だと・・・何件か続いた。
市の成り立ちからいうと過って住宅が密集していた地域に多い。
人口のドーナツ化で過って郊外であったところの人口密度が多い。その地も高齢化しつつあるが、深刻なのは旧の市街地である。

数十年前の商店街ではほとんどの店のシャッターが降りている。
新幹線工事が進んでいるが、それに合わせて駅裏に裏駅が出来た。こちらが将来高岡の窓口になるのだろうが、町の構造も大きく変わりつつある。
そういう背景もあり、旧市内は高齢化が進んでいる。だからこそ・・・往診できる開業医が必要なのだが数は少ない。

元来医者嫌いの私には興味の無い分野でもあったが、現状を聞いてその深刻さに気付いた。何かあれば救急車を呼べば良いという考え方もあるが、果たしてそれで良いのかとも思う。

車社会になった今、買い物の多くは大手スーパーで済ませているようだが、車に乗ることができなくなったら如何するのだろうか???
10年程度は大丈夫なのかも知れないが、子を頼りにしていかなければいけないときが目の前に迫っている。
そいうことも感じさせられた昨日の親族会議でもあった。
通院・・・果たして・・・2012・10・18
自由気ままな生活をしていたら歩くことが出来なくなった。整形外科も精神科も力を貸してくれなかった。おまけに水分や食事ものどを通らない。ここまで来ているのだからやはり医療のエリアだろう。
歩いて1分もかからない開業医があるが、初診でもあるのでいきなり往診は頼めないだろう・・・と、受診に挑戦することにした。車椅子があれば何とかなるだろう・・・と。

妻によれば、医院に車椅子はあったはず・・・ということなので、開院一番に受付をして、車椅子を借りてきていただくことにした。車椅子への乗降の介助に応援するが、畳の上に座ったきりの本人をどうして車椅子に乗せるか???二人がかりなら何とかなるだろう・・・と妻の手伝いをする。
という訳もあり、昨日から天気予報が気になっていた。

朝起きると何とか雨はあがっている。短い距離ではあるが、車椅子を押して「傘」では不自由だろう・・・と。知人でもあり、受診のお手伝いを少しだけすることにした。
果たして如何なる事やら・・・3日間の先ず食わずということなので、その後の回復が気にかかる。

余り長くないのかな???と思いながらも・・・回復してくれないかとも思っている。
とにかく私に出来る範囲の『ベストを尽くす』ことだろう。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
台風の進路が気にかかる。  2012・9・29
月末から月初めにかけて、クロスするように2件のショートステイ利用がある。
一件は中京方面。もう一件は関東へ向けての家族の用事だが、台風の進路が気にかかるところである。
何れも自家用車での旅の予定なので、風に加えて洪水なども気になるところである。

現在の予想では立山の裏側を通る様子なので、富山県にはそう大きく影響しない。たた・・・旅の途中の交通状況に関しては気がかりなこともある。
「気を付けてね・・・」とは言ってみたものの、長距離の経験が余りない方々なので、道路状況の判断など、心配な面もある。

現在こちらでは『嵐の前の静けさ』なのか、風一つない状況である。通り抜けるのに3日間、10月1日に再接近する可能性が高いということ。何時もの南からの接近ではなく、西からの接近だというところが気にかかる。

他人の旅だとはいえ、全くの他人でもない。
年の近い知人・友人の元気だった親が90歳に近くなっている。
多くは見送ったが、元気な方はまだ元気である。
中でも小学校の6年間。クラス替えもなく、先生も同じだった。
身近だったお母さんとは昔話に花が咲く・・・とは言え、関係は夫の友人だったり、生家の近くのお兄さんだったりする。

先日花が咲いた話は、父の転勤(どうも港湾工事らしいが)で全国の港町を回った話をしていただいた。転校の繰り返しで最後に落ち着いた地で結婚されたそうである。
現在3〜40歳位らしいが、良い想い出の中で生きておられる。人生の中で一番幸せな時期なのかも知れない。

話は脱線したが、台風の進路が気にかかる。
開業から9年目・・・全て見せていただいた   2012・9・20
過去の実践・地域活動をベースにHPを公開してから11年が経過しようとしている。
実はこの記録、不当解雇の裁判記録でもある。
縁あって独立開業をしたのが平成16年だから、8年のブランクがあった。
そのブランクの期間を某友人に助けていただいたが、小企業ゆえ、経済の低迷に耐えることが出来なかった。

ある日「・・もうあかんわ・・・」と。たしか6月末のことだった。
それから受講試験参考書を買い求め、10月の試験まで3ヶ月余り・・・独立開業の意思は固まっていた。57歳の時のことである。
当時気になっていたのが、地域の現状である。

最後の仕事が在宅介護支援センターソーシャルワーカーだが、市内10中学校区の3分の1を担当していた。地域には民生委員が約90人おられる。
この地域を目に見えるようにするために、民生委員を窓口に地域活動を展開していた。そして目に見えつつある時期だったので、今振り返っても残念に思う。

独立開業後のケースは市内全般に散らばっているが、紹介元は知人・友人そして担当している関係者の紹介が中心である。これは私自身のネットワークと開業後の人のつながりでもある。また認定調査がキッカケになったケースも何件かはある。

認定調査で思い出したが、当時在宅介護支援センターへ調査の多くが委託されていた。また、担当ケアマネが調査をすることが当たり前になっていた。
その現状の中で、とんでもないことを耳にした。調査を受けなくても更新がすんでいた・・・と・・・。
このことも含め、公正な介護保険運用にために何回か担当課に提言をしている。

現在行政の持つ被保険者情報がどのように扱われているのかは判らないが、先日あるケアマネから「新規何処行った・・・」という話があった。確かにここ数年、知人・友人関係以外のケースは無くなっている。
地域の会合に招待されることもあるが、本来は地域のことは地域包括・・・その筋も乱れている。先日お話したのは在宅介護支援センター時代の実践に関してである。

行政の委託機関がその役割を果たせないでいる現状があるが、裏では違う考え方があるのだろう。チョッと寂しい現状ではあるが、地域で仕事をしていれば見えてくることもある。
先日も書いたが、そろそろ引き際を考えているが、このまま引退するのは心苦しい。しかし・・・引退したほうが仕事がやりやすいのかも知れない。過去の実践・地域活動をベースにHPを公開してから11年が経過しようとしている。
実はこの記録、不当解雇の裁判記録でもある。
縁あって独立開業をしたのが平成16年だから、8年のブランクがあった。
そのブランクの期間を某友人に助けていただいたが、小企業ゆえ、経済の低迷に耐えることが出来なかった。

ある日「・・もうあかんわ・・・」と。たしか6月末のことだった。
それから受講試験参考書を買い求め、10月の試験まで3ヶ月余り・・・独立開業の意思は固まっていた。57歳の時のことである。
当時気になっていたのが、地域の現状である。

最後の仕事が在宅介護支援センターソーシャルワーカーだが、市内10中学鉱区の3分の1を担当していた。地域には民生委員が約90人おられる。
この地域を目に見えるようにするために、民生委員を窓口に地域活動を展開していた。そして目に見えつつある時期だったので、今振り返っても残念に思う。

独立開業後のケースは市内全般に散らばっているが、紹介元は知人・友人そして担当している関係者の紹介が中心である。これは私自身のネットワークと開業後の人のつながりでもある。また認定調査がキッカケになったケースも何件かはある。

認定調査で思い出したが、当時在宅介護支援センターへ調査の多くが委託されていた。また、担当ケアマネが調査をすることが当たり前になっていた。
その現状の中で、とんでもないことを耳にした。調査を受けなくても更新がすんでいた・・・と・・・。
このことも含め、公正な介護保険運用にために何回か担当課に提言をしている。

現在行政の持つ被保険者情報がどのように扱われているのかは判らないが、先日あるケアマネから「新規何処行った・・・」という話があった。確かにここ数年、知人・友人関係以外のケースは無くなっている。
地域の会合に招待されることもあるが、本来は地域のことは地域包括・・・その筋も乱れている。先日お話したのは在宅介護支援センター時代の実践に関してである。

行政の委託機関がその役割を果たせないでいる現状があるが、裏では違う考え方があるのだろう。チョッと寂しい現状ではあるが、地域で仕事をしていれば見えてくることもある。
先日も書いたが、そろそろ引き際を考えているが、このまま引退するのは心苦しい。しかし・・・引退したほうが仕事がやりやすいのかも知れない。
近々厚生労働省がケアマネジャーの独立化の方向性を示すようである。
それを確認することを最後の仕事としても良いのかな???とも思っている。独立開業するキッカケになった『提言書』の内容でもある。

(ここから)
(6)第三者機関主義の段階的実施
 また、当協議会は、発足当初よりいわゆる「第三者機関主義」の段階的実施を訴えてきた。ここで言う「第三者機関主義」とは、「ケアマネジャーは、サービス利用者が具体的にダイレクトケアサービスの提供を受ける機関以外の第三者機関から選ぶべきであるとする考え」である。このような考えは、The National Association of Professional Geriatric CareManagers(「全米高齢者ケアマネジメント専門職協会(仮訳)」)が既に採用している。2005年の法改正時に一律導入は困難としても、以下の手順で段階的に導入すれば、5年後には「第三者機関主義」の完全実施が可能になるものと思われる。

第1段階 「囲い込み指数」(すべての担当ケアプラン数に占める所属機関および関連機      関のダイレクトケアサービスを含むプラン数の割合をパーセンテージで示したもの)     すべての介護支援専門員に対して同一基準日で調査する。
第2段階 指導基準となる「囲い込み指数」を設定する(例えば「囲い込み指数70%を越      える事業所」に改善に向けての行政指導を行う)。
第3段階 指導基準となる「囲い込み指数」をより厳しい数値に設定する(例えば、囲い込      み指数50%を越える事業所」に改善に向けての指導を行う)。同時に、前回の       基準(70%)を越える事業所に対しては全ケース減算処分とする。
第4段階 指導基準となる「囲い込み指数」をさらに厳しい数値に設定する(例えば、囲い      込み指数30%を越える事業所に改善に向けての指導を行う。)同時に、前回の      基準(50%)を越える事業所に対しては全ケース減算処分とする。
第5段階 指導基準となる「囲い込み指数」を0%とし、要件を充足しない事業所に改善に      向けての指導を行う。同時に前回の基準(30%)を超える事業所に対しては全       ケース減算処分とする。
第6段階 前回の基準(0%)を越える事業所に対して全ケース減算処分とする。同時に、       前々回の基準(30%)を越える事業所に対してはその指定を取り消す。
第7段階 前々回の基準(0%)を越える事業所に対してはその指定を取り消す。

※はじめから0%をクリアしている「第三者機関」ケアマネジャーのみの居宅介護支援事
業者に対しては、第1段階から独立採算ベースの基本報酬設定とする。他の居宅介護支援事業所に対しては、各段階ごとに漸増した基本報酬設定とする。
独立ケアマネジャーの給与  2012・9・14      (※ケアマネドットコムで大反響)
ケーマネジャーの給与の統計が出ていた。働き盛りの男性の最高給与が年間460万円位だということ。現在の話である。

今から16年前の私の施設(生活指導員)での年間給与が600万円位だった。引き抜きでもあったので24年前の運送業の時の年間給与に合わせた形だが、これには訳があった。
現在の介護(ケアマネジメント)報酬は、最高重度35件で年間480万円これに加算をつけても500万円といったところだろうか・・・???

そこで独立ケアマネの懐具合だが、最高で400万円位だったと思うが、「そろそろ引退(年)かな???」と順次縮小している。時間がかかっても残り5年間で引退したい。
皆様元気だから長生きされるだろうが、決算費用だけは捻り出していきたい。そして最後の一人まで見送りたいと思っている。

毎年この決算で失敗している。
月に2万円位の残高を残していけば良い話なのだが、2万円×月数にはならない。まとまった額になった時に、必ず失(出)費がある。原因は監査役の(はず)妻である。
そうこう繰り返しながら8年を経過した。

65歳はやはり高齢者だった。身体の節々が痛くて、根気が無くなった。
肩の痛みはパソコンが理由なのかもしれないが、昔鍛えた筋肉が衰えているからなのかも知れない。
物忘れも激しくなってきた。

昨日銀行の窓口で・・・。
介護保険料は最初の年は銀行引落でくる。誕生日を迎えた月は現金納付・次の期からは引落しになっている。
そこで・・・最初から年金引落にすれば良いのにね・・・と。窓口職員は独立ケアマネだということを知っているので、ニッコリと・・・。

今日は何を書きたかったのか???まとまらない。
認知度『M』  2012・9・7
もう何年経つだろうか・・・(開業から早い時期)。
認定調査で認知度に『M』を付けた方がある。

認定調査の報告書を提出してから数日後、担当課から呼び出しがあった。
担当者から『M』とは・・・と説明をいただいた。
「その通りですよ・・・『私は誰でしょう』状態です・・・」と押し切った。
結果担当するようになったが、判定を10段階にしても『M』は『M』である。

その後もう一度『M』の判定をした。
今回も『私は誰でしょう』状態なので躊躇わずに提出した。
現在お一人残っておられるが、担当から3年半が経過した。何故支え切れたかというと、『妻』を支えたからである。主介護者を支えることによって、支援の効果は倍増する。

勿論支える専門職・サービスも医療に長けたスタッフを準備している。
経過の中でチームが壊れそうな時もあったが、チームを壊さないのがコンダクターなのだろう。
それらの中には、包括併設居宅が担当し切れなかったケースも紛れ込んでいる。
これらのケースを如何支援すればチームを維持出来るかという角度からケアマネジャーは考えていく必要があると思う。

自分で作ったチーム(勿論最良)を壊さないことに徹することがケアマネジャーには求められると思う。
壊れたチームを組み直して上手くいったとしたら、最初に手抜きをしたことにつながるのかも知れない。
『介護は真剣勝負』常に最善を尽くしたいと思う。
源泉所得税の請求書  2012・9・7
税務署から源泉徴収税の請求書(問い合わせかな???)が届いた。
そろそろ年金生活者になろうかと年初めから社会保険の最低ランクに給与を合わせ、無駄な(???)出費はしないことにした。(これ以上年金が増えても困るだろうから・・・と)
一応返信はがきにその旨書き込み(その旨の内容が気がかりではあったが)投函した。
それでも気になり、税務署の担当者に電話した。この声のトーンが気にかかった。

署が付くから署なのだが、声のトーンが妙に気にかかる。
署が付く役所は、その分野で『取締りをする』役所でもある。
相手に合わせるのが好きな性格でもあるので、自分でも判るくらい、声のトーンが低くなっていった。
一応その内容を明記して返信していただきたいということだったので、投函した旨伝えた。

昨年は法人事業税はかからなかったのだが、法人市民税・法人県民税は払っている。国税だけがゼロだったのだが、時期になっても納付書は送ってこなかった。
担当者によれば昨年3枚の納付書を送っているそうである。その納付書を使うそうである。

開業から8年目にしてまた勉強した。
来年も送ってこないのだろうから、昨年の分を使ってゼロ入金すれば良い。
多分ゼロでも銀行の証明印が必要だったようにも記憶している。

何事もそうなのだが、慣れた頃には終わる。
そう言いながら、手持ちのケースがゼロになるまであと何年かかかるだろう。
税理士費用と法人事業税(県・市)は払わなければいけないので、約30万円余りの税と税理士費用合わせて100万円は払うことになりそうである。

出入りの事業所に決算に通っている会計士のおばちゃん(???)に頼もうかな???
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
ケアマネジメントの方向性  2012・8・31
担当している方の将来の姿を想定(想像)してプランを書いているが、今回もその『想定』が的を得ていた。
療養型医療施設なのだが、在宅生活が出来なくなったら『この施設しかない・・・』とショートステイを依頼した。

今回は医療入院だったが、『医療の必要がなくなった・・・』と電話がかかった。
そこで担当ケアマネが結論を出してはいけない。妻に退院出来ることを連絡していただくことにした。
その時のアドバイスだが・・・『ショートステイまで1週間だが、前倒しでショートステイを利用できないか・・・???』聞いていただくことにした。
妻には施設(病院)から連絡があることを伝えておいた。(ご丁寧に返答の内容まで・・・)

ということで施設(病院)から確認の電話がかかった。
『00日からのショートステイを明日からに延ばしていただけますか???』
「良いですよ・・・デイサービスに連絡を取っておきますね・・・」
あとは利用表・提供表を作りかえるだけの話。各担当者には電話で連絡を済ませた。

実はこの方・・・別の療養型ショートステイの県の委託も受けている施設から「対応出来ないわ・・・」と言われた方でもある。
それならそれで利用出来る施設を探すのもケアマネジャーの仕事・・・必ずあるものである。
県の指定施設が出来ない・・・でも出来る施設がある以上、県の指定は???本当に出来るのかは、その場になってみないと判らない。

看護・介護の技術は担当者の技術でもある。
優秀な『介護者』が埋もれている・・・のかも知れない。
技術は法人格では無いことを『明記』しておきたい。
介護のレベルを上げるためにも保険者はその実態を知らなければいけない。
企業年金  2012・8・26
65歳の誕生月をむかえ、一応人生の「就労」という役割からは引退の年になった。この根拠が、厚生年金加入65歳定年である。(でもまだ請求が来るかな???・・・どうも来るらしい・・・)
そこで興味があって、年金制度の細部にわたって計算してみた。

基礎年金は国民年金部分であり、その加入月数に比例する。
報酬比例部分は「その時の給与額に比例するのか???」と思っていたが、どうも『どんぶり勘定』のようである。人生数十年、当時の貨幣価値に比例させることは非常に困難なことなのだろう。そこでの推測だが・・・

私が担当者なら数字からの逆算はしないだろう。
それでは・・・如何するのか・・・。
貨幣価値の水準は出ているのだから、当時の年金水準額をその水準に合わせ逆算するだろう。勿論『どんぶり勘定』である。

その前提において『企業年金』に触れてみたい。
一時期大企業の運送会社に席を置いていたが、勿論企業年金が付いている。
その企業年金は中途計算なのだが、定年退職となると基礎年金がもう一つ付くことに・・・なる・・・らしい。(あくまでも推測の域は脱しないが・・・)
世が成長時代の話である。(何時とは言わず、ターミナルには常にあふれる荷物が・・・)

特別支給の老齢厚生年金と企業年金はもう貰っているが、独立開業した分と国民年金が残っている。
先日誕生日をむかえたが(お祝いの言葉もなかったが・・・)もうしばらくしたら『人生の決算書』が届く。
大した年金ではないのかも知れないが・・・されど年金・・・人生の『まとめ』なのかもしれない。

そして・・・次回に『まとめ』をするのは70歳になったとき・・・ということになるのだろう。
そして・・・そのあと・・・もう一回位『(人生の)まとめ』をしたい。
何か良い方法はないのだろうか???
「拠点施設」の勘違い???か・・・  2012・8・24
サービス事業所に相談があることもある。
制度的に如何対応して判らないときには地域包括支援センターに相談をすることになるが、その対応が出来ていないケースが続いたと言われる。
緊急性のあるケースでは介護保険に乗せている暇はない。即応する必要があるが、出来ていないらしい。
地域を聞いて思わず微笑んで(?)しまった。

いずれも医療ニーズの高いケースだが、包括支援センターには医療職もメンバーにいる。何故3職種をそろえているかというと、どのようなケースにも即応できるように・・・ということだろう。
私が在宅介護支援センターにいた時は、センターへ看護師を迎えに行ったものである。

先日来『チョッと勘違いかな???』と思うソーシャルワーカーも目にしているが、役割を判っていないと思われる専門職の方もある。
当時3箇所、現在10箇所だからキメの細かな地域活動が出来ている・・・のだろうと思っていたが、どうも『妄想』だったようだ。

開業から8年が経過したが、年齢的にも『まとめ』の段階に入った。
現在手持ちの皆様を見送って引退になるのだろうが、どちらが先になるのか???と思われる現状でもある。独立ケアマネの引退のタイミングだが、申し送りが出来る背景は整っている。

それにしても何故拠点施設が機能を果たさないのだろうか???
先日も書いたが、専門職の「立つ位置」に問題があるように思う。
自分の役割をしっかりと理解していただき、地域を作り上げて行っていただきたいものである。
そろそろ「引退」かな???と言いながら、5年後・10年後に「引退」し切れない自分がいることは、一応「否定」しておきたい。
独立開業のキッカケになった会議  2012・8・20
独立開業から9年目に入ったが、そのキッカケになる全国会議があった。
独立中立型介護支援専門員全国協議会の全国会議である。
その2回目の会議で、厚生労働省宛の「提言書」が採択されている。
その中に興味深い内容がある。行政(委託)ラインでの行政の持つ被保険者情報の『囲い込みへの対応・その対策』が明記されている。

『また、当協議会は、発足当初よりいわゆる「第三者機関主義」の段階的実施を訴えてきた。ここで言う「第三者機関主義」とは、「ケアマネジャーは、サービス利用者が具体的にダイレクトケアサービスの提供を受ける機関以外の第三者機関から選ぶべきであるとする考え」である。このような考えは、The National Association of Professional Geriatric Care Managers(「全米高齢者ケアマネジメント専門職協会(仮訳)」)が既に採用している。2005年の法改正時に一律導入は困難としても、以下の手順で段階的に導入すれば、5年後には「第三者機関主義」の完全実施が可能になるものと思われる。

第1段階 「囲い込み指数」(すべての担当ケアプラン数に占める所属機関および関連機関のダイレクトケアサービスを含むプラン数の割合をパーセンテージで示したもの)をすべての介護支援専門員に対して同一基準日で調査する。
第2段階 指導基準となる「囲い込み指数」を設定する(例えば「囲い込み指数70%を越える事業所」に改善に向けての行政指導を行う)。
第3段階 指導基準となる「囲い込み指数」をより厳しい数値に設定する(例えば、囲い込み指数50%を越える事業所」に改善に向けての指導を行う)。同時に、前回の基準(70%)を越える事業所に対しては全ケース減算処分とする。
第4段階 指導基準となる「囲い込み指数」をさらに厳しい数値に設定する(例えば、囲い込み指数30%を越える事業所に改善に向けての指導を行う。)同時に、前回の基準(50%)を越える事業所に対しては全ケース減算処分とする。
第5段階 指導基準となる「囲い込み指数」を0%とし、要件を充足しない事業所に改善に向けての指導を行う。同時に前回の基準(30%)を超える事業所に対しては全ケース減算処分とする。
第6段階 前回の基準(0%)を越える事業所に対して全ケース減算処分とする。同時に、前々回の基準(30%)を越える事業所に対してはその指定を取り消す。
第7段階 前々回の基準(0%)を越える事業所に対してはその指定を取り消す。

※はじめから0%をクリアしている「第三者機関」ケアマネジャーのみの居宅介護支援事業者に対しては、第1段階から独立採算ベースの基本報酬設定とする。他の居宅介護支援事業所に対しては、各段階ごとに漸増した基本報酬設定とする。』

今年のゴールデンウイーク前のことだが、厚生労働省が発表した審議会資料の中からこの(良く似た)内容の文書を発見したが、今探しても見付からない。もしかして・・・何かの都合で一旦取り下げられたのかも知れない。
文書になっていたということは「採用しても良いかな???」ということだったのだろう。しかし・・・まだその時期ではない・・・ということなのかも知れない。
いずれにしても時期を見て採用の方向へ行くのかも知れない。

方向性としては居宅はサービスから独立。独立ケアマネが地域で協業する方向性が目に浮かぶ。
独立化の勧め・協業組合方式はこの方向性を発信したものであるが、独立ケアマネの協業組合(方法は何でも良いのだが)で『ひとり』の欠点を補っていけば良い。

日本のケアマネジメントが介護保険法として誕生して干支も一回りするが、この節目に、是非、日本型ケアマネジメントの体制を整えていただきたいものである。
そして・・・『情報囲い込み型委託機関』を切る勇気を(天下り管理者がいても)行政担当者には持っていただきたい。
在宅介護支援センターから地域包括・・・へ  2012・8・18
在宅介護支援センターから地域包括支援センターへ地域福祉の拠点施設の『名前は変わった』が、その『機能は何ら変わっていない』ことをお伝えしてきた。
現状は「予防プランセンター」としか見られていない(?)センターだが、行政としての体制は整っているし、それなりの予算も付けられている。

8年前に開業して驚いたのが「在宅介護支援センターという名の居宅介護支援事業所」の存在である。ネーミングからして混同しているのだから、その運営に関しては凄まじい内容である。『公私混同』とも言うが、公費が実績に結び付かない現状も目にしているが、今回このことは指摘しない。
関係者には少なくとも、在宅介護支援センターと地域包括支援センターの持つ役割だけはご理解いただきたい。

本質的には同じ機能を持つセンターなのだが、介護保険法で予防プランの役割を追加したために、その機能を整理する必要があった。
逆に言うと、在宅介護支援センターに予防プランセンターをくっつけたのが地域包括支援センターである。算数的に解釈すれば、地域包括支援センターから予防プランを引けば在宅介護支援センターになる。
「在宅介護支援センター」という名の『居宅介護支援事業所』にはならない。だから驚いた。あくまでも行政からの委託機関の固有名詞が『在宅介護支援センター』である。

ネーミングは重要なことである。経緯を知らない若い年代にとって、果たしてその各々の『機能』は理解されているのだろうか???「されていないだろうな〜〜〜」と伝わってきているが、今更改めて指摘はしないことにした。
専門職の『姿勢』は重要なことである。何故こんなに簡単なこと・原点に関ることが理解出来ないのだろう・・・という話になるのだが、ここで重要なカギを握るのが『立つ位置』である。この立つ位置を間違えなければ大丈夫だろう。

『勉学』とはこの立つ位置を学ぶことなのかも知れない。
元々違う分野を学んできたが通じるものはある。
化学方程式に『応用』はない。その「応用の方法を学ぶ」のが応用化学なのだが、私の場合は中断した方が良かったのだろう。
宮澤賢治(雨にも負けず)2012・8・13
在宅介護支援センターから地域包括支援センターに変わってかなりの月日が経つが、地域でその役割を果たしているのか???に関して、疑問の目で見ている。

先日も地域でソーシャルワーカー時代の地域活動に関して話をして来たが、まだまだ地域が見えていない・・・というか、地域から見えない存在のようでもある。
そこで思い出したのが宮澤賢治の詩『雨にも負けず』である。

『・・・・・東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
・・・・・』

そういえばこの詩を唄ったソーシャルワーカーがあった。
地域に出て行かなければ『支援』が出来ないことをこの詩は表している。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html

是非、ご参照いただきたい。

思い出せない・・・(何とか・・・)。  2012・8・12
サービス事業所からの相談だが、担当ケアマネが持て余しているケースだという。話しの内容を聞いてみると、場所的に過去に行ったことがあるような場所である。多分5〜6年前のことだろう。
おまけに当時利用希望(多分親族)の施設があり、現在通っておられるという施設と同じ。その施設へは当時空き情報を問い合わせに訪問している。少しずつ当時のことを思い出してきた。
そこへ新たな情報が・・・県東部の施設を親族が探しているということ。
担当ケアマネは〇〇さんとつながりがあるらしい。それなら入所も簡単だろう。東部に拘らなければ何とかなるのだろう・・・と別れて来た。

車を走らせて数分間。当のケアマネから電話がかかった。
『こう・・・こう・・・で、こうだから・・・私の出る幕はないね・・・』とサービス事業所へ連絡をしておいていただくことにした。入所の方向性が出ているのだから担当を交替する理由がない。
しかし・・・話が食い違っている。食い違っている内容はケアマネの『所属』であった。

今回は家族親族も含め、6〜7人が話しに関っている。知らない者と判らない者が「あっちでひそひそ・・・」「こっちでひそひそ・・・」である。
この状況では若い女性ケアマネでは如何して良いか判らないだろう。でも・・・滅多にない良い(『勉強』)機会だから、是非まとめていただきたいものである。

まとめる方向としては、個別に意向を確認し、最終的に方向性を出す手順で良いだろう。個別面談の集大成を会議でまとめる方法である。いきなり会議を開いても何の解決にもならないだろう。
1〜2分の電話での内容だが、かなり困惑した反応が返ってきた。多分・・・の話しだが、相談の『窓口』を絞れなかったことにあるのだろう。言いたい放題ではまとまるものもまとまらなくなる。
担当ケアマネには良い勉強の機会だったと思い、頑張っていただきたい。
本当の意味での『勉強』は『現場』にある。

もしかして・・・多分・・・患者会の関係で嫁いだ子から相談を受けたケース・・・???だったように???記憶している。
被保険者証が届いた。   2012・8・4
被保険者証の発送は、65歳の誕生日以降だと(勝手に)思っていた。
月が変わって2日目に、年金請求書と一緒に届いた。
何時も見慣れている被保険者証だが、いざ自分の分を貰ってみると複雑な気持ちになった。

年金請求書に関しては特別支給の老齢厚生年金を貰っていたので往復はがきで簡単なもの。名前を書いて、目隠しシールを貼って投函するだけ。
週末になるので、月曜日に届くようにポストへ入れた。

そういった節目(?)には何か起こるもので、サービスに関して(人)の問題が起こっていた。事業所へは内容を電話で伝え、実際を調査しておいていただくことにした。
その節目の日の調整がこのケースへの対応なのだが、果たしてどうなるかは判らない。朝一番に事業所を訪問することにした。

波乱万丈の楽しい人生だったが、老後がどうなるかは今日にかかっている。
土日祭日もない日々を送っているが、少しはのんびりとさせていただけるのだろうか???
最近肩の痛みが強くなり、パソコンに向かう時間を少なくしていきたいと思ってはいるが・・・果たして???のスタートにもなりそうである。
利用者の尊厳  2012・8・2
尊厳に関して考えてみた。

>人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。

介護支援専門員受験の『心得』でもあるのだが、実際この『尊厳』に基いたマネジメントを行なっておられる方は、比率にしてどの位なのだろうか???(チョッとだけ)心配になったので・・・問いかけることにした。

『人』の『尊厳』とは・・・私個人の解釈だが・・・
「その人生を関係者に容認していただける人生・・・」という位でまとめておきたいと思う。
「人生色々・・・受け止め方も・・・色々・・・」である。

私はその人生の中で『尊厳』を守り通した。
結果として、金銭的には不自由した時期もあった。
現在は「独立ケアマネ」+「厚生年金」で、(不自由ではあるが・・・)何とか孫も含めた生活が成り立っている。
今が、我が人生の中で一番「ゆったりした」時期なのかも知れない。
何しろ・・・孫には「責任」が無い。

話が二転三転しているが、何事も『責任の所在』ということだろう。
家庭の中でさえ『責任の所在』を感じる今日この頃だが、私は年齢的にも『孫の責任はもてない』
そういえば・・・先日『勘違い』から「とばっちり」を受けそうになった。

私の結論(アドバイス・・・???)は「家系図」を元にした「本人の判断」だった。
この程度の「アドバイス」だが「ベスト」だったとも思っている。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
気持ちは若いのだが・・・  2012・7・30
今年が最後になるのだろう・・・と町内の夏祭りの手伝いをした。
翌朝あと片付けの予定だったが、時間に目が覚めなかった。
起きてみたら身体の節々が痛い。
大したこともしなかったのだが、一晩寝ても体調は回復していなかった。
昨年位から、そろそろゴールを目指す方向で調整をしてきた。
1週間後には被保険者証も届くが、身体の方も年相応に老化してきているようだ。

中学まで過ごした地では、小学校で5クラス・中学校で12クラスあった。その団塊の世代が一斉に高齢化した。
人口はドーナツ化してはいるが、高齢者の比率はかなり高くなっている。
壮年期は過ぎたと自覚はしているのだが、気持ちの面で整理が出来ていないようでもある。

手元に20件余りのケースが残っているが、可能なら全件見送りたいと思っているが、どちらが先になるのか・・・と思える元気な高齢者の方もある。
今一番問題なのは「法人」を維持出来るか・・・ということなのだが、もうしばらく様子を見て、「基準該当」事業所への相談をして見るのも良いのかも知れない。
とにかく気持ちは若いのだが、身体が付いていかない現状がここにある。

65歳というのはその境界の年なのかもしれない。
梅雨らしくない梅雨と思っていたら・・・2012・7・22
降るときに降らないと、必ずと言って良い位こんなことがある。

昨日の朝大雨だったので、スタンプラリーを見合わせていた。
10時過ぎに晴れてきたので訪問を開始したが、2件目の訪問で「やはり・・・」だった。地下の駐車場が水浸しになって、駐車中の車が溺れていた。
近くの利用者宅を訪問すると、玄関の近くまで水が来たそうである。
農業用水が溢れたということで、大事にはなっていなかった。

一番心配な所の利用者の予定を見ると、朝からショートステイ利用。施設から電話がかからないところを見ると、無事迎えが出来たようである。
1泊の予定だから家族が帰って家に異常があれば電話がかかるだろう。
かからない所をみれば・・・大丈夫・・・だったのかな???
そこで50年余り前のことを思い出した。

川の増水で、堤防が氾濫した訳ではないが、川へ流した排水口から逆流した。住んでいた所は一番低いところだったので結果床下浸水になった。
当時はまだ汲み取りのトイレだからたまったものではない。トイレの枡へ水が入る音を聞いている「ゴ〜〜〜」と。(後は想像に任せるが・・・)

その後5〜6年してから現地へ転居しているが、亡き父が現地で建て替えるより、一番高い所で中古住宅を買い求めた方が、後々良いと判断したのだろう。
高岡古城公園の堀の堤防からは少し低いが、庄川の堤防よりも標高が高い。
平地では高岡で一番高いのが古城公園・当時の関野が原である。さすが・・・前田の殿様が高岡城(城は築城されなかったようだが・・・)の地として選んだ場所である。

その家に居ても、洪水を心配するほどの雨だった。1時間に190mm・・・とか・・・。
雨どいが氾濫して庭に穴が開いたが、埋めておけばまた苔が生えるだろう。
数十年ぶりの大雨ということだから、もしかして小学校時代に経験した大雨以来だったのかもしれない。

被害にあわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
超特急のケアプラン  2012・7・15
夕方の相談だったが、明朝にはプランが出来ていた。
親族の関係でサービス担当者会議は翌日になったが、会議記録も整え、サービスはスタートしている。
週末の連休にかかったので、届を出すのは連休明けになるが、久しぶりの『超特急』のスタートになった。

年と共に頭の回転は悪くなったが、自由な時間が解決してくれる。
『超特急』とは言え、時間はかかっている。時間を『自由に』使うことが出来る・・・というだけの話である。
資料は揃っていないので判らないが・・・捻挫で半年以上も痛みが続く・・・とは???複雑な疾患なのかも知れない。
居宅届けは週明けに・・・久しぶりのサービス先行でもある。

そういう私にも来月被保険者証が届く。
最近「老いとはこういうことなのか」と思う症状が現れている。
車を走らせていて「目的」が???だったり、身体の節々に痛みが出てきている。両肩に加え、先日から右膝が痛い。つなぎ目の潤滑油が切れてきている・・・といったところだろう。

「老い」の年齢が繰り下げられてきているが、これは別の理由によるものだと思う。
自分の周りに関しては何かと理由を付けて60〜65歳へ延ばしてきたが、そろそろ年貢の納め時のようでもある。
最近は被保険者番号が気になっている。果たして希望に沿った番号なのだろうか???
社会保険財政・・・大丈夫???  2012・7・12
年金受給者からも掛金を取る方針の政府に『疑義』を感じている。(これ以上増やして如何するの???)

65歳まで1ヶ月を切ったが、独立開業後『法人は社会保険・・・』の案内があった。
現役時代に充分(過ぎる位)資格を満たしているが、心配なことがあった。
「私が加入者になったら、年金納付期間が増えるが大丈夫・・・」ということである。

現在特別支給の厚生年金を受給しているが、考えようによっては「本業」よりも「ワリ」が良い。それに少ない保険料で加入年数を増やしていただけるのだから、受ける側としては『非常に良い』のだが、この状態が増えれば『大丈夫・・・』と言いたくなる。本当に大丈夫なのだろうか???

私達が支えてきた対象者の多くの方々は、年金制度が始まって間もない頃の、中には納めて来なかった年代の方もある。
今年金が成熟(成熟していないのだが・・・納めてきたことに対して)した団塊の世代が一斉に年金受給となれば、日本の年金制度の先は見えている。
一番良く判っているのが『当事者』である。

戦後年金制度は安定してきた・・・かのように見えるが、決してそうではない。その『誤算』とは、当てにしていた団塊の世代が『少子高齢化の社会』を作ってしまった。
年金という角度から考えてみれば、話をするまでも無いことであろう。
しかし・・・という「余韻」の残る話でもある。
ここで政府のとる立場として、現状の積立金を正確に判断して、本当の意味で「100年続く」年金に再編成する必要がある。

でも・・・出来ないだろうな・・・
それだけの大物がいない。
もしかして・・・という思いはある。
孫子の世代に続く年金制度に再編成していただきたいものである。
それが『政治』というものだと思う。
今日も行って来るね・・・  2012・7・9
二人の孫が映画出演ということで、昨日は静かな日曜日だった。
今朝妻が「今日も行って来るね・・・」と、朝早く出かけた。
孫は保育園、子は仕事だから、一人で行くという???
細かくは聞かないが、時期的にもテーマは「海」ロケ地は「雨晴海岸」・・・と推測している。

興味がない訳ではないが、その内に向こうから切り出すのであろうが、大自然の中で自由に遊ぶ子の姿が目に浮かぶ。その様な場や機会が少なくなったことは事実だろう。
もう60年近くも前のことだが、私が泳ぎを覚えたのは「海」だった。

小学校時代には「臨海学校」ということで、1シーズンに何回か海へ出かけている。家族連れというのもあった。
子の頃はプールが主体で、水泳教室へ通っている。
果たして孫たちは・・・???

話は逸れたが・・・多分、妻がスカウトされたということから考えれば、スタッフの食事の炊き出しメンバーなのだろうが、もしかして・・・???
でも・・・出演だけはないだろう。
1ヶ月を切った・・・  2012・7・7
想像したくない現状が目の前まで来ている。

年金に関しては、頂けるものなら・・・と、特別支給の老齢厚生年金をいただいてきた。この分に関しては辞退しても、後日追加して頂ける訳ではない。
それに加えて、介護保険被保険者証が近々届く。
現在も条件さえ整えば頂けるのであるが、幸い(?)条件が整わなかった。

条件が迫ってくると改めて「老い」に関して考える。
「老いとは・・・」ただ単に年をとっただけの話だが、年相応に気力・体力の衰えを自覚するようになった。
今まで問題もなく処理してきた問題も困難に思えるようになった。
それ以上に心配なのは、車を走らせていて「何の目的で・・・」と思うことが時々ある。

スタンプラリーに関しては封筒を順路通りに組み込んで出発するので特に問題はないが、単発の相談が重なった時など『何で・・・???』となる。
路肩に車を止めて考えることしばし、「何だ・・・〜〜〜」ということもある。
通常順路メモを準備して出かけるのだが、それでも目的が???のこともあるから始末が悪い。

あと何年出来るか判らないが、昨年ぐらいから無理に新規を増やさないことにしている。知人・友人からの紹介が中心だが、断わることの出来ないケース以外は出来る限り辞退してきた。
書棚のファイルとにらめっこしてみたが、皆様元気である。そして女性が多いことから、「どちらが先かな???」という想いもある。

今月いっぱいは普通に業務をこなし、来月からは静かに業務をこなすことにしようかとも思う。???の内容でもあるが、スタンプラリーより茶飲み話に訪問することのほうが多くなるのかも知れない。
どちらが先になるのかは判らないが、可能なら・・・無事全員、送り届けたいものだとも思う。

癌の家系というところが心配ではあるが・・・。
梅雨らしくない梅雨  2012・7・5
明日にかけて梅雨前線が北上するとか・・・でも、富山県は大した雨にならない様子。今年はどうも空梅雨のようである。
とはいえ、時期柄かなり湿度は高いので、事務所にいると少し汗ばむ今日この頃である。

今月の請求も、あと一件の実績を待つだけになった。毎月同じパターンだが、最後は必ずこのサービス事業所になる。
通信の確実性からか・・・必ず郵送で届く。日本郵便になってからも信頼されている様子だ。

ところで、郵便と電信・電話は元々同じ国営事業所だった。
先ず電話が分離してNTTになったが、その後かなり遅れて郵便が公社化された。電報は如何なっているのか・・・多分NTTだろう。
郵便局には貯金と保険も持っているが、いずれも貯蓄に近いタイプだろう。

年が迫ってくると日にちの経つのも早く感じる。
あと丁度1ヶ月で65歳になるが、それにしても長く生きてしまった。
自分の判断で生きた50年でもあるが、判断に迷う時もあった。
現在のケアマネジャーは、無謀ともいえる手順で資格を手に入れた。
会社倒産から試験日まで3ヵ月半しかなかったが、人間崖っぷちに立てば何とかなるものである。

開業から8年が経過した。
『もう良いだろう・・・』と思う気持ちと『最後の一人まで看送りたい』と思う気持ちが交錯しているが、最後の一人まで看送るためには奥の手を使う必要がある。そろそろその『奥の手』を発効させる時が来ているのかも知れない。
その『奥の手』とは・・・経費のかからない方法である。

独立開業をして一番経費がかかっているのは法人会計である。税理士にしか出来ない会計なのだが、法人でなければ素人でも出来るだろう。
先日終わった昨年の決算でかかった税金は「法人事業税(県税・市税)」だけだった。
個人事業として出来るようにして、最後の一人まで看取る方法を模索している。

条件を付けて、行政が認めれば、その方向へ進みたいのだが・・・ダメモトで相談してみることにしよう。
もう終わったことだが・・・  2012・7・3
「雨晴苑」から『不当解雇』されて早8年が経過した。
私にしてみれば『早』という感覚はないが、『もう・・・』という感覚はある。もう・・・それだけ経って・・・現実が・・・これなのですね・・・。
私にしてみれば『少し寂しい』

「そうなのか・・・」という現実と『何故・・・』という事実が混在する。
現在の私の『存在』が「何故・・・」であったり「何で・・・で・・・」であったりするのだが、私自身が語らない限りは『闇』の中である。
もう如何でもいいことなのだが、「真実だけはお伝えしておく必要」を感じている。介護法が始まる前の話だから、公法上も時効(民事)になっているのだろう。が・・・

勿論法制度が如何あれ、時効間近になって『控訴』の気持ちは無い。
というか・・・相手方が『自然の条理』で受けて立つことが出来ない。(施設側が・・・ということであれば可能なのだが、問題の原点は施設職員でありながら、その施設職員の範疇を超えていた。(就業規則上ではないが、労働契約上の問題?)

答えの出ない『問題』は「スッキリしない」のは現実だが、ここに来て「各所」から声がかかる。
声がかかることが「元気」の証拠だが、担当課には予測(相)定年は伝えていない。何処を見渡しても『最高齢・・・』ということも近い将来あるのだろう・・・。
急遽駆けつけたら・・・『同級生』・・・???。(そのためにも・・・あてにならない同級生の電話帳は作った(50人クラスの25人が限界だった。)

人生・・・最後を看取る(のは家族・・・)
この他に考えられるのが甥・姪の世代なのだろう。
拒否はしないが、より『親族』に近い方々と相談の上決めていただきたい。

人生〇〇年・・・。
ご自身が考えられる『方向性』で相談されるこよをすすめます、

開業のキッカケになった『提言書』が・・・  2012・7・2
早いもので開業から8年経過したが、開業のキッカケになった「独立・中立型介護支援専門員全国協議会」が厚生労働省へ発した1通の提言書がある。
この提言書の趣旨がこの度採用されるようである。
その趣旨とは、行政ラインで行政の持つ被保険者情報を囲い込んで来た実態にメスを入れることだった。

実施が何時からは判らないが、現在厚生労働省・審議会でケアマネジメント報酬の「加算・減算」と独立化を進めていく内容に関して検討されている。所属法人のサービスとケアマネジメントの関係を囲い込み率で表し、加算から減算までパーセントで表されている。この表を見て、8年余り前の提言書の内容『第1段階 「囲い込み指数」(すべての担当ケアプラン数に占める所属機関および関連機関のダイレクトケアサービスを含むプラン数の割合をパーセンテージで示したもの)をすべての介護支援専門員に対して同一基準日で調査する。
第2段階 ・・・・第3段階 ・・・・第4段階 ・・・・
第5段階 ・・・・第6段階 ・・・・第7段階 ・・・・
※はじめから0%をクリアしている「第三者機関」ケアマネジャーのみの居宅介護支援事業者に対しては、第1段階から独立採算ベースの基本報酬設定とする。他の居宅介護支援事業所に対しては、各段階ごとに漸増した基本報酬設定とする。』を思い出した。

その間在宅介護支援センターから地域包括支援センターへと『名前』こそ変わっているが『理念』に関しては大変わりしていないように思う。
今回提示されている改正内容が『誰に向けたもの・・・』とは言わないが、関係者が胸を張れるような理念の形成が成されれば良いと思う。
是非頑張っていただきたいものだと思う。
ソーシャルワーカー  2012・7・1
「在宅介護支援センター」から「地域包括支援センター」へ職種も追加して機能強化された(ハズだった)。
社会福祉主事という行政資格から社会福祉士という福祉専門資格へ順次バトンタッチされてきたが、ここに来て『資格は仕事をしてくれないよ・・・』という言葉を思い出してしまった。
にわか作りのソーシャルワーカーが地域を駆け回ったのには目的があった。地域を『目に見える』ようにする目的であった。

先日縁あって、当時のソーシャルワークを振り返る機会があった。

介護保険法がスタートして干支が一巡したが、少し遅れてカムバックした私の干支が一巡するのにはもうしばらく時間がかかる。その遅れた日程に合わせれば丁度良い『引退』時期なのかも知れない。
最近からだの節々が痛く、特に肩の痛みはパソコン・・・なのだろう。老眼も進み、不自由になってきたが、一年に一回老眼鏡を買い換えるのも負担である。(必要なものは必要であるが・・・)

今日から7月。あと1ヶ月もすれば介護保険被保険者証が届く。
年を気にしないで仕事をして来たが、ここに来て『年』を感じている。身体の老化から来る「実感」でもある。
法人会計の月〆も好い加減に帳尻を合わせた。後は決算時に税理士が処理してくれるだろう。

先日包括から予防プラン講習会の案内をいただいてガッカリした。包括から予防プランの依頼があった訳でもなく、相談ケースにたまたま支援の方が混ざっているだけの話である。知人・友人からの紹介だから断わる訳にいかないので担当しているケースが何件かある。

そこでソーシャルワーカーの役割だが、地域で『即戦力』になることが出来るように、地域が「目に見える」ようにしておく必要がある。
当時の3分の1の担当エリアなら、キメの細かな地域活動が出来るだろう。
本来の役割に目覚めていただきたいものである。
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自動車税・会費が集中・・・  2012・6・25
振込みが5件集中したので、頭が混乱している。
合計金額は出ているが、振り込み手数料が???
振り込み合計は出ているので、手数料を確認してから金額を書き込むことにした。

通常国保連の振込みの日に合わせて給与計算等を行なっているが、今月は振り込み手続きを済ませてから会計をすることにした。

年のせいなのかもしれないが、頭が回らない。
元々計算は苦手だが・・・年のせいにしておこう。
考え様によっては・・・???  2012・6・17
寝たきりで、右手だけ上下に動く方があるが、妻は最近コミュニケーションが取れるようになった(???)と言われる。発語の無い方なのだが、その内容が気になった。
右手の動きも何かへの反応なのだろうが、疲れないかと思うほど。何かを訴えたい・・・のかも知れない。

声をかけると感情失禁があるから、こちらからの問いかけは判る???・・・のかも知れないが、内容を理解されているとは思えない状況でもある。
コミュニケーションが取れるという話には「ご馳走様・・・」と笑って答えておいたが、長年連れ添って喧嘩もあっただろう。別れ話の途中で「プツン・・・」と切れたのも事実である。
そういう夫婦だから言える言葉なのかも知れないが、会話が成り立つ状態ではない。

長〜〜〜い人生の中で色々なことがあった様子である。
こちらには山車をぶつけ合う「けんか山」があるが、馴初めは「けんか」だったとも聞いた。山車の下にもぐりこんで死にそうになったこともあるとか・・・。一度落とした(そうになった)命だから、惜しくは無いのかも知れない。

人生色々。良い方向へ考えられる、良い性格なのだろう。
生活保護と介護保険法  2012・6・13
生活保護の内容にも色々ある・・・

介護保険サービスの利用者負担が「減免」されている方があるが、どうも次年度(この先)は適用されないの・・・かも???・・・と言われる。
主介護者の頑張りで「所得」を確保されたようである。
保護課との相談は、こちらから出向いていただきたい・・・とお伝えした。

生活保護にも色々あるが、生活全般を支援していただけたり、介護サービスのみの支援もある。その内容を先ず当事者が知る必要がある。
担当ケアマネとしてその内容(細部)に関しては『詮索』しない事にしている。必要なのは一部負担金の内容に関してである)

生活保護法はかなり複雑な内容も含んでおり・・・たとえは『介護券』が発行されていればその内容の手続きを行なうが、ただ・・・『生活保護』・・・というだけではその内容がつかめない。と言うか・・・保護通知証も確認していない(数年前の分はコピーはあるが・・・)果たしてそれだけで『生活保護』なのかは判らない。

今日確認した資料では国保・年金をある程度はかけておられる。専門家ではないので担当課に相談しようと思うが、何が出てきたかというと、亡きご主人の「遺族年金」である。本人は無年金(?)でも夫の「遺族年金」の受給資格がある。・・・はず・・・である。

もうしばらくして年金生活をしても良い立場になったので「勉強」はしていたが、その程度では解決しない内容のようでもある。
詳しい方には是非教えていただきたい・・・と・・・。
「SOS」です。よろしくお願いいたします。
昭和生まれが4分の1  2012・6・5
開業から8年経過したが、気になって昭和生まれの方々の数を読んでみた。
担当した時点での昭和生まれの数が4分の1だが、現在に置き換えるともっとそのパーセントは上がるだろう。
介護保険がスタートした時点での視点は『団塊の世代の介護』に向けられていた。その団塊の世代が順次高齢者の仲間入りをしていく。私もその一人である。

数年前から肩の痛みが取れない。整形外科へ行っても痛み止めの注射しか方法が無いので、しばらく通って止めてしまった。「スポーツ肩」というのがあるのかどうかは判らないが、学生時代には体操部。随分筋肉を使い、肩は筋肉で盛り上がっていた。

昨日気晴らしにタバコをくわえて外へ出た。丁度向いの旦那が帰ってきたので関節の痛みの話になった。彼はバスケットボールの選手だったが、膝・足首・手首などの関節に「ガタ」が来ているそうである。スポーツ肩・スポーツ関節・・・といったところだろうか。
お互い年取ったことは認めている。

この先どうなるかはわからないが、校下の住民ソフトボール大会は数年前からやっていないということ。「セカンドを守っていてホームまで玉が届かなかったのでやめた」話をして大笑いをした。
あと何年で本番になるのかは判らないが、初老の私たちが身体の「ガタ」を自覚してきている。そう遠い先ではないだろう。
これからの社会・・・若い方々に迷惑を掛けることになるが・・・よろしくお願いします。
高齢化を他人事とは思えない年になってしまった。
ケアマネジメントと地域活動・・・  2012・6・2
地域活動に関しては、本来なら地域包括支援センター・ソーシャルワーカー(社会福祉士)の役割なのだが、何故か・・・依頼があった。
ケアマネジャーから地域ネットワークの話をするのは筋違いだと辞退をしてみたが、結果、何らかの話をすることになってしまった。
そこでソーシャルワーカー時代の「実践」に関してお話しすることにした。

ケアマネジャーとして過去の実践に関して話をすることが良いのかは判らないが、地域のネットワークを作っていく上で参考にしていただければ良いとは思うが、ネットワーク作りはその地域を担当するソーシャルワーカーの仕事である。
話をしたことにより「テコ」の効果があるのかは判らないが、『目指す地域』に向って、地域とソーシャルワーカーで協働していく必要があるのだろう。

私は、地域の民生委員を窓口に福祉活動員など地域の方々と協働してきた経緯はある。地域の事情を一番良く判っておられるのは地域の方々で、その情報から得た『問題』を地域の皆様と一緒に解決してきた。
勿論、発見は地域の方々で、解決に向けての相談は『当事者』とである。

ここで問題なのは『対象者のプライバシー』の問題である。ソーシャルワーカーが介入した時点で、情報の取り扱いに関しては『ベール』に覆われる。
この構造に関して果たしてご理解いただけるのであろうか???かえって『ボケ』た問題解決になることもある。
生活にかかる問題解決とは、竹を割ったようにはいかない。
そういう意味でも、地域とソーシャルワーカーとで役割分担をしていくことを提案しようと思う。地域の『問題』をソーシャルワーカーに『伝える』ことで問題が解決すれば良い。
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いよいよ高齢者の仲間入り  2012・5・28
仲間入りをしたくないと意地を張っていたが、最近身体に症状が現れてきている。
2年前に左肩の痛みが強くなり、整形外科へ通ってみたが、痛み止めの注射しか方法が無かった。そして2年後、両肩にその症状が拡がった。

2ヶ月余りで介護保険被保険者証が届くが、高齢者の一人として『番号』を貰うことになる。「被保険者番号」である。
それと同時に厚生年金が支給されることになるが、一足早く報酬比例部分・特別支給の年金を貰い始めた。
『厚生年金保険法(昭和二十九年五月十九日法律第百十五号)』

戦後生まれの団塊の世代に対して、小学校から高校・大学へと教育の量が倍増した。産業(職場)も拡大し、高度経済成長時代と突入することになる。
しかし・・・良い事は続かない。
現在は安定期(?)なのかは判らないが、低いながらも安定して来ているようでもある。

訳あって途中から「介護」の現場を体験するが、施設時代は『引き抜き』でもあったのでかなりの高給を貰っていた。
そして居宅の独立開業の機会があったが、介護保険法の報酬の低さに驚いている。成人の男子が家族を養っていくことが出来る報酬ではない。年金があるから何とかやってきたが・・・。

市の人口はドーナツ化しているので一概には言えないが、小学校時代に50人・5クラスの小学校が1クラス30人位(かな???)の小規模校になっているという。その時の小学生が順次高齢者の仲間入りをしている。
そして順次年金生活者になっていく。

国民年金だけでは難しいだろうが、夫婦の年金プラス報酬比例の厚生年金があれば老夫婦二人の生活だけは何とかなりそうである。
現在手元に20件余りのケースが残っているが、この皆様を送り届けるのに何年かかるかは判らないが、プラスアルファーにはなる。

ケースを持つということは対象者の生活を支えることでもある。
どちらが先になるかは判らないが、可能な限り穏やかに送りたいものである。
が・・・一つだけネックになることがある。法人事業税(等)+法人経理の問題である。約3人分の一年間の介護報酬が飛んでいく。

如何なる事やら判らないが、もうしばらく様子を見ようとも思う。
これだけは「前進あるのみ・・・」とはいかない問題でもある。
呆気ない別れ  2012・5・26
担当して6年目位、住宅改修から始まったケースだが、担当ケースの中でもメインクラス。複雑に絡んだケアプランが一糸乱れぬサービス提供で支えられていた。
唾でも誤嚥を繰り返す方だが、前回の入院では気管カニューレが挿入された。それから1ヵ月余り後の入院だが、肺炎ということだった。

入院から2週間、肺炎も良くなり退院が日程に乗った。そこで退院後のサービス調整・6月分の利用票を妻と確認して書類作りに事務所に戻った。
6月分の提供票に退院日を朱書きして、退院前の提供票を生かしてもらうことにして6月分提供票を配り始めた。市内一巡である。
最後の事業所を出たところへ妻から電話がかかった。直行すると・・・接骨院へ行って来たのだけど・・・と。私が帰ってから庭に水撒きに出て足を捻ったということ。夫入院中の病院の整形外科受診を勧めた。

翌日訪問すると馴染の開業医を受診して、レントゲンの結果足の甲の裏が骨折していたということ。完治には3ヶ月の期間が必要だという。
考えられる方法を模索することとし、家政婦紹介所へ直行した。
妻が出来ない期間、吸痰も出来るように看護師免許を持つ家政婦を探してもらうよう依頼した。
妻の補助が出来る体制が整うことを確認した後再度訪問。一つの方法として提案した。

入院期間の問題もあるので翌朝、訪問すると妻の手には療養型病院のパンフレットが・・・今回の入院時に主治医から渡されたものだと言われる。この時点で在宅介護に限界を感じられたことを悟った。
施設の「地の利」に関しては子の通勤が病院の方向だと言われる。
非常に良いチームではあったが、解散することにした。

事務所に帰って各事業所へチーム解散の電話をしたが、皆様の納得でもあった。
在宅介護の限界は、主介護者がその気持ちを失った時である。
その原因が・・・私を追うようにして・・・庭の水撒きに出た『時』だった。

長い間・・・ありがとうございました。そして・・・末永く・・・。
生活指導員が手術室で医師と相談・・・  2012・5・19
今回のケースで、生活指導員時代のことを思い出した。

『下肢の痛みで救急搬送になった。
家族の「代理人」でもあるので、病院に直行した。
病名は・・・というか「症状」は下肢動脈の「閉塞」である。
手術の方法は「閉塞部分からの切断」であった。
家族に連絡を取っている時間は無かったので、生活指導員として全責任を取り、手術に合意した。』
手術室で本人を前にしての主治医との話である。

今回は骨盤に人工骨を入れる手術だったので緊急性は無かった。かと言って、両足とも一度に手術出来る訳でもなかった。
本人は判断力のある方だったので、直接主治医と相談していただくことにした。約20年前に立ち会った手術の執刀医であった。

片足が上手く行ったので、もう片足の手術も勧めていた。
決断には時間がいったのだろうが、手術も無事終わったようである。
医学も発達して人工骨で普通の生活が出来るようである。
ケアマネジャーは方向性のアドバイスは出来るが、その実際に関ることは出来ない。

滅多に無いケースだが、可能性があると思い、また主治医(執刀医)も信頼していたので勧めた。
手術が無事終わり生活が自立されれば「御役御免」である。
残された人生を、是非、可能な限り自立した生活を送っていただきたい。
『医療』への橋渡し。今回も上手くいったようだ。
伏木けんか山  2012・5・16
昨日が祭りの日だったが、雨で1日延びたようだ。
大した雨(?)ではなかったが、勇壮な祭りなので大事をとったのだろう。
雨でスリップしたら大変なことになる。
山車と山車とのぶつかり合いだから、かなり危険も伴う。

実は・・・担当している中に、けんか山夫婦がある。
夫は山車の下にもぐりこんだこともあり、
また離婚話の当日倒れられたそうである。
そこで放って家を出ることが出来なかった妻と
後遺症が残った夫との生活が始まった。

この話を聞いて微笑ましく思った。
また羨ましくもあった。
果たして・・・我が家は???
孫を連れて子と一緒に「けんか山」を見に行った。
車は置いてあるので、電車かJRで行ったのだろう。

金沢の長女が帰って来る・・・ということで、一食分夕食が残っている。
久しぶりに静かな中で、ちびりチビリやりながらキーボードを叩いている。
でも・・・
うるさい位賑やかな家が静かだとかえって落ち着かないものだとも思った。
今晩は平素とは大きく状況が変わっている。
独居高齢者と親族  2012・5・7
担当しておれば当然本人から聞くことが出来る内容だが、元気な独居老人の親族関係は、民生委員でも判らない内容もある。
在宅介護支援センターソーシャルワーカー時代にそのことに焦点を当てて、名簿整理・状況の把握をしていた。
その時のことだが民生委員も掴んでいない内容もあり、担当課と調整の上、情報を共有する方向へ進んでいた。

介護保険法スタートと同時に在宅介護支援センター(という名の居宅介護支援事業所も含め)が急増し、地域包括支援センターが誕生した。現在ならきめ細かな地域活動が展開出来るであろうが、しかし・・・実体に関しては如何なのだろうか???民生委員には別ルートの情報があった。

町の片隅で何時起きるか判らないことが起きる。
近隣住民がゴールデンウイーク中の新聞が新聞受けにたまっていることから、近隣に相談した。高齢者に成りたての方だが、民生委員にも声をかけた。井戸端会議ならぬ『協議』で、警察へ相談することになった。

暫らくして警察官が来て状況説明、職権で踏み込んでいただけることになった。
予想は的中・・・一人寂しくこの世を去っておられた。
民生委員は関係機関へ問い合わせのあと、名簿を取りに家へ帰られたので後はお任せして、家へ帰って来た。

親族は案外近い所にもおられた。
新聞受けの新聞からの急変の察知だが、何処にでもありそうなことでもある。
地域の見守り・・・重要なことだと思う。
ご冥福をお祈りいたします。
プロの運転手からケアマネジャーへ・・・  2012・5・3
あと3ヶ月で年金生活者(になっても良い年)になったこともあり、人生を走馬灯のように振りかえってみた。

先にも書いたが、学生運動が激化してきた頃に、大蔵省(?)の父が亡くなった。
続けても良いよ・・・と回りは薦めたが、セレモニーが済んだあと、整理のため横浜に向った。
退学手続きも終わり、関係者から送別会も開いてもらった。
郷里に帰ってから知人の勧めで勤めた会社で運転免許書も取らせてもらった。
このあと何ヶ所か転職して運転手人生が積み重ねられて行くのだが、現在運転出来ない車は、特殊車両と大型バス(営業)だけである。

今回問題になっている関越道は関東方面へ向けて何回か走ったことがある。
当時は一般道利用中心だが、北陸から関東へは原則二人乗務だった。(その後ワンマン化された時には行き先(業務の内容・貸切など)によっては一人乗務だったこともある。)
関東よりも広島が多かったように記憶している。

私の『介護』との結び付きはデイサービス運転手だった。その私がケアマネジャーを受験出来たのには訳がある。入職後一年経ったところで、社会福祉主事任用資格の通信講座を受講(業務命令)している。
そして・・・生活指導員も経験した。

訳あってしばらく現場を去るが、そこへ誕生したのが『介護保険法』。タイミング良く受験の機会に恵まれ、3〜4ヶ月の準備期間で合格してしまった。その合格書が最後の「指定申請書類」だった。

運転手は時間への挑戦の仕事でもある。
朝6時ごろ、阪神高速でパンクしたことがある。この時のタイヤ交換は10分余りだったのかも知れない。とにかくラッシュ前に目的地まで行かなければ大変なことになる。この時のパンク理由が・・・タイヤにスパナが刺さっていた。

大型のラジアルタイヤは滅多にパンクしない。
それでもパンクする(前2軸目)。考えられないことが起きる。それが人生でめぐり合う「事実」なのだろう。
もうしばらく色々な体験をしてみたい。
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3冊のファイル2012・4・23
決算・税・社会保険の赤いファイルが書棚に並んでいる。このファイルのバランスに随分頭を悩ませた。独立ケアマネの余計な仕事でもある。

介護保険事業者には『法人』が求められている。この3冊のファイルは最初からあったものではない。決算は税理士に任せていたが所得税等は自分で申告をしていた。そこへ「法人は社会保険・・・」と連絡をいただいたのが3年目位だっただろうか???それから会計が可笑しくなってしまった。
社会保険料は法人負担分もあるのでかなり金額は大きい。

同時進行的に年金もいただいているのだが、財布が違う。財布が違えば管理者も違う。この部分が複雑だ・・・。

そろそろ幕引きのタイミングを見計らっているのだが、少し余裕を持ったほうが良いだろう。どちらが先になるのかな???という高齢者もあるし、皆様元気でもある。特に女性はゆったりと人生を楽しんでおられる。
そして男性で残っている方には「妻」が付いている。妻あっての介護人生でもある。

そう思って女性を確認してみた。「夫」がいる方は一人もいない。ご夫婦として担当しても、夫は先立たれる。
そういった人生の縮図を見せていただいている。
果たして我が家は・・・どうなるのだろうか???

3冊のファイルを分散した方が良い・・・のかも知れない。
チチキトクスグカエレ2012・4・18
44年前に亡き母から送られた1通の電報・・・この電報が私の人生を大きく変えた。
ここまで書いて、涙が噴出した。

墓場まで持っていくつもりだったが、癌患者の家族の手記を読んでいて、書くつもりでページを開いたが、私の人生においてこの一瞬は余りにも大きな瞬間だった。
大学2年生の時、丁度試験中で、数学で年3回目のテストを受ければ「0」点でも進級が決まっていた(基準点数は取っていた)。しかし・・・3回目のテストを受けなければ合格(進級)はない。テストを受けられないということが、当時の私には心の負担だった。

同じ事をもう一年やるのなら「やめてしまえ。。。」が私の結論だった。
何と小さな結論だったのだろうか・・・。
それから45年経過したが、この時の判断に悔いはない。しかし・・・

当時大学紛争の真っ最中で、もしかして現在国政を動かしている方々も同じ年代だったのだろう。
亡き三島由紀夫氏の東大事件もその頃だし、私の仮住まいの横浜から学生のデモ集団が東京へ向かった頃でもある。
田舎へ帰ったあと学生運動(?)が頂点を迎えた・・・という時期もあったが、私に言わせれば「果たして・・・???」ということにしておこう。
とにかく「チチキトクスグカエレ」で家に帰った。

こういう経過の中で大学中退ということになったが、もしかして・・・危険な存在になっていた・・・のかも???知れない。
専攻は「応用科学」もしかして今頃『爆弾』を作っていたかも???は冗談だが、同年代の『菅首相』は東北大震災のときに現地へ直行しようとされたとか・・・。
原理が判っているから『居ても立っても居れなかった』というのが心境だったのだろう。充分に「理解」出来る。

『うつは、魂の病気です。

わたしの魂は、父の病気と対峙する生活の中で癒され、今は普通に生活できるようになりました。わたしの魂は、父の病気によって救われたので す。もし父がガンになっていなければ、こうしてホームページを作ることも なかったでしょう。 』

がん患者家族のHPからの無断引用ですが、このフレーズで目頭が熱くなりました。

ご冥福をお祈りいたします。
年金・保険  2012・4・18
そろそろ年金を意識する年になった・・・というか、特別支給の厚生年金は昨年からもう頂いている。

独立開業をして4年目位だっただろうか???「法人事業所は強制加入になっている・・・」とご丁寧な連絡を頂いて加入(再)することになった。国民年金からはもう外れていたので空白が出来ている。
一応独立開業後の厚生年金はプラスαということになる。

この年金料がかなり高い。現役の当時はそう気にしなかったが、事業主負担も加わるから倍額になる。先日「もう払えない・・・」と社会保険事務所へ給与の減額申請をした。最低ランクへの大幅減額なのだが、担当者は大きく渋った。「保険料が払えないから減額するんですよ・・・」こちらも事業の存続がかかっているので、強硬姿勢であった。

気になったので「それだけ払っていくらになるの???」と試算をしてみた。
仮に70歳定年として、60代前半と60代後半の8年分の年金給付額は合わせても15万円余りの増額にしかならない。国民年金の額である。(医療保険は含まれているが・・・)

年金財政が破綻しそうになっていることは聞いているが、国保より安い社会保険料で財源を確保しようと思っても赤字になるのは目に見えている。(こちらからいえば良いことなのだが・・・)
結果社会保険に再加入することは私にとっては非常に良いことである。

あと3ヶ月で「特別」ではない年金の案内がある。医療保険に関しては「妻」が元を取っている・・・というか数倍の給付を受けている。(私は医者嫌い)
このちぐはぐとした負担と給付のバランスだが、これで良いのかな???とも思う。
目先の年金額よりもリスクの多い高齢者に関しては「国」に任せたほうが良い・・・とは思うが、日本年金機構は進んでリスクを買って出ている。

ま・・・親方日の丸・・・だから良いのかな???
田中角栄以上の大物政治家2012・4・15
皆様の記憶に新しい『東北大震災』その被害は甚大なものになっている。
現在槍玉に上がっているのが原子力発電であるが、仮に原発が無かったとしても被害は甚大であったであろう。
という理由から、私の頭の中では地震と原発は切り離されている。
その事をご理解いただいていると思い、過去の経緯を確認しようと思う。

日本の原発生みの親は、私の家から歩いても30分ほどの所に住んでおられた。「正力松太郎」氏、私が選挙権を得る前の政治家である。
三流新聞社を現在の読売新聞に育てられたのも正力氏であり、ここ高岡にはいち早く「読売会館」が建設されている。高校生の頃初めてその屋上で開催される「ビアガーデン」に年齢詐称で出入りしたこともある。

その正力氏が原発を誘致しておられる。彼の過去の業績を見ていると、もしかして・・・と思う。田中角栄氏以上の実力者だったのかも知れない。
現在残っているのは廃墟となった豪邸なのだが、その豪邸の横を流れる『庄川』の治水工事にも尽力されている。この川はもう氾濫することは無いが、高岡城の堀へ地下水路が通じていると聞いている。

資源の無い国に資源をもたらすためにはその方法しかなかったのだろう。しかし事故は起こった。
今後の話として・・・高浜原発は稼動した。地元の了解は得ていない様子である。でも・・・しかし・・・。
資源の無い日本で、多少危険はあっても原発を稼動させる必要はあると思うのだが・・・???。

幸い富山県は『水』に恵まれている。
「黒四発電所」建設をテーマにした映画「黒部の太陽」(石原裕次郎主演)を見たのは小学校6年の時だった。
三船敏郎との競演だったが、素晴らしい映画(事業)だった。

富山県は雪国でそう目立たない県ではあるが、歴史に残る人物も残している。
包括からの依頼が???あった時???  2012・4・11
市担当課からアンケートがあった。
包括から予防プランの依頼があった時受諾できるか・・・と。
予防も何も、包括から依頼があったことは99パーセント『無い』
まして今回のアンケートでは、介護プランには触れていない。

何故この時期に・・・と結び付けてみた。
多分これだろうな〜〜〜と

『各位宛

『2011年10月31日 第83回社会保障審議会介護給付費分科会議事録』から

(木村委員発言)
ここはいつもわかりにくい議論になるんですが、地域包括支援センターの中に、2枚看板で予防給付ケアプランをつくる指定介護予防支援事業者があります。そこの人員配置基準であります。要するにケアマネジメントをケアマネジャーでなくても、今はできるようなっております。しかしながら、ここは事業者の人員配置基準を変えて、ケアマネジャーのみが行う形にしていただきたいと思います。今般、居宅介護支援事業所への委託件数の8件を廃止する話も出ておりますけれども、今ほど話した提案をきちんとすることによって、予防給付のケアプランが指定介護予防支援事業者の中でできるようになると考えておりますので、よろしくお願いします。


事務局側からも課題として出ておりましたけれども、地域包括支援センターから地域に新規の要介護者がなかなか回ってこない状況にある。よく見てみると、地域包括支援センターに委託された法人が、要支援から要介護に移っていくときに、同一法人内で囲い込みをしているのではないかという話があります。この辺のところは報酬とは別でありますけれども、早急に調査をしていただいて、改善を図っていただきたいと思います。

                            (ここまで)

部分抜粋ですので、興味のある方は
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001xs6v.html
ご確認下さい。

2001年(平成13年)に『選択の自由を保障する』趣旨でHPを公開してから10年が経過しました。そして、平成16年には居宅介護支援事業所も立ち上げました。
今・・・ようやくその方向へ日本のケアマネジメントは変わろうとしているのですね。

今年の8月から年金生活に入っても良いようになっています。
来年の8月からは1号被保険者です。
そろそろ『引退』かな???と・・・身体の節々が痛い現状もあります。

現在担当している方々に関しては、途中で投げ出すことを好まない性格ですので、最後まで看取りたいと思います。
8年間で積み上げた利用者ですので、8年以上(イヤ・・・もっと・・・)かかるのかもしれません。

平成16年に突然独立事業所として介護保険界に参入しましたが、今回審議会資料を読みまして『安心』しました。
全国のケアマネジャーの皆様、介護職員の皆様・・・頑張って下さい。

以降投稿は続けるとは思いますが、今までの投稿内容とは大きく変わるのでしょう。
ご紹介した記事は日本の『介護保険の夜明け』の内容だと思います。
ケアマネジャーの皆様・・・介護保険の『要』の役割を全うしていただきたいものだと思います。』

昨年末、12月26日にBCCメールで情報発信しました。
インターネット情報から心配になって復帰した原点の内容でもあります。
ご参照下さい。
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『夢』・・・その後・・・  2012・3・28
現実の問題として、今回の介護保険法改正(報酬改定)に『夢』を見ています。

見る方がみれば見えるのですが、『囲い込み型ケアマネジメント』を整理する方向へ進んでいます。
根拠は・・・今回報酬改訂が無かったのはケアマネジメントだという事です。

全国の優秀なケアマネジャー各位へのお願いなのですが、厚生労働省の『意図』する体制に方向転換出来ないものなのでしょうか???
その『意図』とは・・・ケアマネジメントの『公正・中立』の運用なのですが・・・簡単なことです。
簡単なこと・・・『利用者本人が何を望んでいるのか・・・』

これが出来なければ日本のケアマネジメントの将来は『無い』ということだろうと思います。 

そこで皆様にお聞きしたいのは・・・
『来年度から本格的に始まる超高齢化社会ですが、この原因を如何考えておられるのでしょうか???』
是非・・・ご質問いただきたいものだと思います。
日本とアメリカは接近し続けている・・・  2012・3・20
これは『外交』上の話ではなく、『距離』の話である。

皆様の記憶にも新しい、昨年の『東北地方太平洋沖地震』の話である。
日本海溝へ太平洋プレートが沈み込んでいる地殻現象がある。その『歪』で起きた『大地震』なのだが、この地震は繰り返される。

私たちが生きている間はこれが最後だろうが・・・この体験を子・孫・子孫・・・へと伝えなければいけない。その様な立場に日本の国はある。

興味のある方はご参照いただきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87

もしかしてつながらなかったら、リンクの中で切れている部分をつないでいただければつながります。
『夢』  2012・3・17
睡眠中はそれが夢だとは意識しておらず、目覚めた後に自分が感じていたことが夢だったと意識されるようになる

夢の定義だが、現実の『夢』は如何解釈すれば良いのだろうか???
夢実現のために眠っていては実現もしないだろうし、意識しないで積み上げた実践が必要なのだろう。
そして・・・意識した時こそが『夢の実現』なのだと思う。

我が人生において永遠のねむりに付く『瞬間』でも良い・・・。
良い『夢』を見たいと思う。
果たしてどうかは・・・判らないが・・・。

今(現在)が一番良い『夢』なのかも知れない・・・。
地域包括支援センター職員の意識レベル  2012・3・15
意識レベルの高いセンターからは「躊躇」無く困難事例の相談がある。
困難レベルと労力を天秤にかければ、無理をしなくても〇〇に任せておけば・・・ということなのだろう。決して出来ない訳ではない。

時として「出来るのかな???」というレベルの話がある。
何が何でもセンター内(併設居宅で・・・)と意固地になってはいけない。マネジメントには『余裕』が必要である。
何がその要素かというと、労働時間である。(他にもあるのだが・・・)

労働契約に基づいた仕事をして入る方々と私も含めた「独立ケアマネ」とは『違う』。何が違うかというと『時間』である。
前にも書いたことがあるが、平日の日中に某所でお酒を飲んでいることもある。しかし・・・事務所の電話を携帯電話に転送しているので、電話仕事は何時でも出来る。お酒を飲んでいるから電話があったことも忘れるだろう・・・そこで『着信履歴』が役に立つ。

同じ仕事が出来ないことに関してはお判りいただけたと思うが、もう一つ大きな違いがある。『受けるのか受けないのかの判断』だが、頭の中でストーリーを作っている。そのストーリーに『合わない』話ならお断りすることにしている。
『私のお客じゃないよ・・・』という話である。

先日もあったが、「お金を払うからお客さん・・・」という意識の方がある。これは私の『お客』ではないのだが、ご当人はそう思っておられる。
各位もご存知のように、ケアマネジメント報酬に自己負担は無い。
制度がスタートする時点で『お客さんレベル』の議論もあったのだろう。

『公正・中立』の立場でマネジメントが出来るのは、このからくりのためなのだろう。私は利用者の『お客さん』ではない。法の理念を守る『専門職』である。勘違いをする『素人』とは言えない「介護受給者」がある。
「患者会」などで情報交換をしておられるが、指導者が悪いのか、根本的に考え違いをしておられることもある。

「権利と義務」このバランスが崩れたら、『社会保障』は成立しない。
『受ける権利主張』には吐き気がする。なごり雪  2012・3・11
最近随分暖かくなったが・・・今日は『少し寒いな???』と思っていたら、夕方から雪(みぞれ)になった。
積もることはないだろうが、良い雪を見た。

『なごり雪』で検索していただけば、良い曲が聞けると思う。
4階建アパートで関った3人の男性の・・・  2012・3・8
一人目は骨髄腫で、月1回受診が必要である。
アパートの階段昇降を介護タクシーの運転手と車椅子介助で行なった。
2年目位だっただろうか・・・症状も末期に近くなり、往診医を依頼することになった。妻と一緒に依頼に行って、何とか往診していただけることになった。
初回の往診時、在宅は不可能だと医師が救急車を手配した。
あとから聞いた話だが、タンカに寄り添う妻の耳に「ボキ・・・ボキ・・・」という音が聞こえたという。
集中治療室で1週間位だっただろうか・・・帰らぬ人になられた。

二人目は大酒飲みで、ベッドから落ちる方であった。
常時携帯電話を持っていただき、ベッドから落ちたら私に電話がかかることにしてあった。
このケースに関してはかなりレスキューしているが、大晦日と元旦に続いて電話がかかった。向こうが飲んでいればこちらも飲んでいる。大晦日は妻に、元旦は帰省中の子に運転手を頼んだ。
正月明けに注意したら反抗されたので、ケアマネジメントから手を引いた。
1週間以内に入所になったと聞いた。

そして今回・・・。
退院のケアプラン説明に行ったら、ベッドの単価に対して文句を言われる。入院中に認定調査を受け要介護3が出ているので今回は介護保険適用である。
私費レンタルをしていた認定前は要介護1。説明をしても判らない方にはケアマネを探していただくことにした。そして入院前のチームを解散した。
民生委員を通じて包括へ話が行ったが、「どうぞ〜〜〜」とポイントだけ申し送りをしておいた。

『開けてびっくり玉手箱・・・』になることは目に見えているのだが・・・
果たして如何なる事やら・・・。
ヘルパー事業所へ電話をしたら喜んでいた。
そういえば二人目の時も同じ事業所だった。
後日誰が入っていたのか聞いたのだが・・・あの人が・・・部屋の片隅で・・・介護が出来ずに固まっていた・・・とは・・・。
それくらい凄まじいケースでもあった。

私にしか出来ないマネジメントもあるのだが・・・よろしくお願いね・・・で終わって・・・良かった〜〜〜
チョッと大変  2012・3・5
毎年同じことの繰り返しだが、冬場の入院者の退院予定が集中した。
中にはケアプランの見直しが必要な利用者もあり・・・今週中に対応出来るかが微妙になってきた。
簡単に言う専門職も居るが・・・肩代わりしていただきましょうか???
自分がケアマネジャーも兼務していた頃も考えていただきたい。

とは言え・・・囲い込んでも減算にならないサービスが中心だったでしょうから、ケアマネジメントの手順は当然ご理解しておられない。
最近『困った方』が、かなり『クローズアップ』されてきている。
ケアマネジメントの『原点』をご理解出来ない、優秀な『専門職』である。

・・・で・・・
「〇〇さん・・・担当出来ない???のかな・・・」と言ってみた。
・・・出来ないよね・・・ケアマネジメント報酬が・・・。
報酬もそうだが、馬鹿にされつつある『介護支援専門員』でしかないのだろうが・・・

競合出来るサービスの『新設』を大いに期待している。
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素直になれない人・・・  2012・2・22
人生色々ではあるが、戦中父母を亡くしたことを今更悔やんでみても仕方が無い。この方は祖父母に育てられた。
老後の生活・心配を解決するためには方法がある。その方法をお示ししたのだが、判っていただけない。
その方法とは『公正証書遺言』なのだが、費用もかかることだからご理解いただけない。借金をしても(実際は発生しないのだが・・・)残しておく文書である。

普通は考えないことなのだが、この時点で不安があるのだろう。
別に遺産を望んでいる親族もいないから無用の長物なのだが・・・この遺言は葬祭執行者に関する遺言である。ならば・・・素直になる・・・ベキ・・・では???という勝手な想いである。

誰かが処理しなければいけない問題だが、遺言で指名をされない限りは『他人』を装うことは出来る。しかし『心情』が許さないといったところだろうか???何処にでも顔を出して馴染む『シイタケ』とは違う。
この点が悩みの原因でもある。

公正証書遺言にはその処理方法が全て示され法的に処理される。こんなに公明正大な方法があるのだろうか???その方法に引っかかるということは『邪心』があるのだろう。贈る側の邪心である。
その邪心とは・・・。
それならそれではっきりと言われれば良い。

色々な問題が重なって・・・肩の痛みも強くなってきているが、自分で解決出来ない問題が重なると気も思い。
自分自身の問題を解決出来るように『案』を示してきたが、「案は案」でも良いのだが・・・答え(方向性)が出ないことが多い。
勿論・・・良かれと思った提案が却下されても良いのだが、是非『代案』が欲しい。(代案が出ないから『提案』をしている現実でもある)

でも・・・案外・・・拘られる方ほど長生きされるのかな???結果相談をいただいていても何のお手伝いも出来な(かった)・・・。
ということなのかもしれない。

果たして・・・如何なることやら・・・。
出来ないものは出来ない・・・  2012・2・19
無茶を言う人はあるものである。

夫のデイサービスへの送り出しが出来ない・・・と家政婦で対応していた。
老夫婦が入院になって、下痢で部屋が汚れている。鍵を判るようにしておくから掃除をして欲しい・・・という依頼があった。留守中の家での作業は出来ないから、立ち会って欲しい・・・と言うと、それなら私がします・・・とは別居の子の返答だった。
家政婦紹介所へ依頼をしたキッカケは妻からの依頼であった。

退院が近いから・・・と家政婦の依頼があったが、家政婦紹介所は子が無茶を言うことから、予てより断わりたいと思っていたとの本音が出た。予定していた時間では作業が終わらない日々が続き、かなりの奉仕をしてきた様子だった。
この話を聞いて、合法的に辞退する作戦を立てた。

経過の中で子が紹介所のオーナーに相手を確認しないまま『アンタでは話にならない・・・』と言ったということ。出来ないことを出来ないと言うオーナーも立派である。
家政婦を依頼したのは妻であったが、一応問題の原因の子と会うことにした。
自分勝手な方の思考とは面白いもので、自分中心である。

紹介所へ電話がかかったが『人が居ない・・・と断わった』ということだったので、今朝子に「依頼主の妻の病院へ行こうと思うが、同行されますか???」と電話をした。子の方で説明をしておくということだったが、説明責任を果たす手順でもあった。
子の方で説明をされるということだったので、これで全て終わった。

家政婦紹介所からまた依頼の電話がかかった・・・と電話がかかったが、どうも担当していた家政婦を1本釣りしようとしているようである。本人に状況を説明して、本人の判断に任せることにした。
紹介所として仕事をする分においては紹介所が責任を持つが、個人として仕事をすると、どうなるのだろうか???

常識の無い相手だということを判って対応するためには、その上を考えておく必要がある。
もう手を離れたケースではあるが、海面下で燻ぶっているケースでもある。
この1週間で肩の痛みも増したように感じている。
そろそろかな???  2012・2・13
タイミングの合わない日々が続いているが、今日も肩透かしを食らってしまった。

午後一番にケアマネのブロック研修会が予定されていたので、その足で老夫婦の相談に出かけることにしていた。そこへMSWから電話がかかり、時間に余裕は無かったのだが、院内のケース検討会への出席を依頼されたので、先日も無理を言ったので出席することにした。

連絡を受けた時間はケース検討会の終了の時間だった。会場から出てきたメンバーに〇〇MSWさんは・・・と聞いてみると、検討会が始まる時間にすれ違ったということ。「帰ったんじゃないの???」という言葉に『カチン』ときた。
検討会が終わるのを廊下で待っていたのは、製薬会社のセールスだろう。

老夫婦の相談は少し複雑な内容であり、大事な郵便物が無くなる家庭でもある。当然介護保険被保険者証も何処へ行ったか判らない。再発行と多分・・・の介護度でスタートすることになるのだが、暫定介護度でプランを立ててから整理することにした。
当然被保険者証の送付先も変更する。

来週スタートの予定で約束をして来たが、日程が少し詰まってきている。
今週中にプランに合意を貰わなければいけないが、頭が回らない。
そこへかかった電話の内容は誰が考えても???3週間余りの予定でショートステイ入所をされたが、入所日から毎日数回妻に「帰りた〜〜〜い」と電話がかかるそうである。その説得までケアマネジャー???結論が出たら電話を頂くことにした。

タイミングが合わない時は合わないもので、新規のプランも出てこない。
案外勢いでプランをまとめるタイプでもあるが、頭の中は空っぽである。
そこへまた苦情が入った。町内の融雪装置の水漏れ(配管パンク)をなかなか直してもらえない。
融雪組合の幹部に電話で依頼することにしたが、本人は入浴中。ニューヨークとも交信しなければいけない状況になってしまった。

助けてくれ〜〜〜とSOSでも出しますか・・・。
勤務に合わせたプラン  2012・2・6
週3回のデイサービス利用に関して、妻と子の妻の勤務に会わせて利用時間・送迎方法を調整した。非常に複雑なことになってしまい、果たして事業所に伝わる・・・かな???という内容である。
提供表に直接送迎方法を入力し、確認をすることとした。

利用時間が少し長くなる日もあるが、内容に関しては直接サービス提供責任者との交渉になる。
先週は雪道のため送迎も大変だっただろうが、大雪も峠を越えたようなので条件は良いのだろう。大雪の最中に提案すれば『却下』の内容でもある。

デイサービスの運転手をキッカケに独立ケアマネをやっているが、デイサービスにいた頃は翌日の天気を予測して、前日にチェーンを掛けて準備したものである。しかし・・・最近はほとんどチェーンを掛けた送迎車には逢わない。
デイサービスは移送料丸めになっているからいいのかな???とは思うが、ショートステイに関しては運賃報酬が明記されている。
人を運んで報酬を得るのだから、緑ナンバーと2種免許が必要だろう・・・と思うが、国の制度だからいいのかな???

大きな矛盾を感じる今日この頃でもある。
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地震・断層に対する根本的な考え方が・・・  2012・1・30
インターネットページに『立川断層』が話題になっていた。
多少影響が出るかもしれないが、視点が大きく違う。
日本の置かれた立場から言えば、国内の断層はそう気にする必要は無い。
日本列島の置かれた『位置』に焦点をおいていただきたい。

小学校の教科書にも載っているが、今一番深刻なのは日本の、地球上の『位置』である。日本海溝の上に乗っかっている、非常に不安定な位置にある。
日本海溝へは太平洋プレートがのめり込んでいる。
あなたが生きている間にどうなるのか・・・という短期間の話ではないが、ある程度期間を置いて(ポテンシャルを蓄積して)今回のような『大地震』が起きるであろう。

『日本海溝』この言葉を聞いて60年近くと言えば大げさかも知れないが、小学校時代にこの話を聞いている。具体的に何がどうなるのかは判らなかったが、日本列島がプレートの境界に位置することは理解していた。(だから・・・怖かった・・・)

例えば・・・読者の方の自宅の下に『動く地盤』があると言ったら如何されるのであろうか???余裕のある方は転居されるであろうが、私も含めて庶民はそこで過ごすしかないだろう。
結論はそれで良いのだが・・・地盤構造から言えば、答えは『どちらも同じ』である。

・・・という事実が今回突きつけられた。

人生60年とか70年とか・・・80年時代に入っているのかも知れないが、上記の話は、私たちには全く関係ない話でもある。
何時の話なのか・あるのか無いのか・でも・・・あるのかも知れない。
そういう時のための準備も必要だろうし、心構えの申し送りも必要だろう。

唯一つだけ確率的に申し送り出来ることは・・・
『60年』を目処に、大きな地震(災害)はあるのだろう。
富山県は歴史的にも災害の『無い』県だが、果たして次回は大丈夫なのだろうか???

60年後に生存している確率は・・・0,0000000000001
自分でも推測もできない数字を書いてしまった。
皆様・・・「ご健勝をお祈りいたします・・・・・」
漫画みたいな話!!! 2012・1・28
末期がんの疼痛管理のレスキューを飲んでみた方がある。非常に不味かった・・・ということで、薬を出した開業医が首になった。
それじゃ・・・私も・・・ということで担当を辞退した。

薬は総合病院から開業医に申し送りされている訳だから、この角度から詰めていくと可笑しな話になる。薬を作った製薬会社製の薬は全て首になるのだろう。
漫画家はこの話をどのように漫画にするのだろうか???私は漫画には登場しないことにした。

話は変わるが、長期入院中の重度認知症の方がベッドから落ちて骨折(?)したらしい。
このような状況に対して施設職員だった頃、受診→入院→家族への連絡が普通の手順だった。
入院・入所中の怪我は施設の責任でもある。しかし・・・時代は変わったのだろうか・・・。

親族はあるが家族だ無いため後見人に全てを任せてある。
親族の一人が介護等の担当だということで、後見人は金銭管理だけをしているらしい。走り回っているのは義理の弟である。
この話も可笑しな話なのだが、完治の後病院へ戻るためにも、腰を低くしていただくようにアドバイスしてきた。

そういえば、施設の生活指導員の頃、一件だけ高飛車な対応をしたことがある。認知症の方がベッドからダイビングをして骨折をした時だった。家族が高飛車に出たので高飛車に出たケースである。
結果その方は二度と施設へ来ることは無かった。
そういう経緯もあるので、低姿勢で対応していただくようにアドバイスをしておいた。

漫画みたいな話の結末は、漫画みたいな結末に終わるのだろう。

子供向け???回転すし  2012・1・22
新しい回転寿司が開店したから・・・行ってみよう・・・と声がかかった。話を聞くと、子供向け???だそうである。
何が???なのかは行ってみて判った。ドリンクコースも定額で利用出来る。アイスクリーム・ポップコーン・綿菓子・ジュースなどなど、子供の喜びそうなコーナーがある。

寿司も100円皿と150円皿の2種類。富山湾の新鮮な魚・ブリもメニューにある。ブリの握りは150円皿に一個乗っている。それを見て納得した。大人3人と幼児2人で約30皿とドリンクコーナー2が会計だった。
これだけの寿司を寿司屋のカウンターで食べれば数万円かかるだろう。子連れでも行ける回転寿司の昼食時間は、超満員である。

富山県人は魚に関しては随分贅沢をしている。
冬場になって北から回遊してくる魚が富山湾に入って太るそうである。氷見ブリとは能登半島から出る前の魚で、氷見漁港でせりにかかった魚を言う。
今年からは箱も統一して、証明書も付いたそうである。
都市部の市場のせりに間に合わせるように、トラックが駆け巡る。スピード違反にかかっても、免許書を投げ捨てて走り去るそうである。

最近回転寿司が増えたので・・・かどうかは判らないが・・・店を閉める寿司屋が増えた。それだけ新鮮な魚を日々口にしているので、「江戸前寿司」店は減っている。
寿司ネタでお酒を飲むのも良いのだが、好みが変わってきているのかもしれない。飲みに出ると高く付くことは事実である。
高橋英樹が我が町内でロケ・・・  2012・1・21
昨晩市ケアマネ協の飲み会があったが、少し前に妻・子・孫が「高橋英樹が来る・・・」と出かけていった。
そろそろ飲み会へ出かけようかと思っていた所へ子から電話があり、「手の届く所に居るから・・・来て・・・」と。そういう訳で出かけてみた。

往年のスター高橋英樹は良く知っているが、映画が下火になった今、スターはテレビで活躍している。ドラマの内容は良く判らないが、サスペンスドラマの刑事役だとか・・・。
家へ踏み込む場面の準備中で、車庫で台本の確認中だったが、手の届く所に英樹はいた。
何故高岡なのか、何故閉店した寿司屋の自宅なのかは判らないが、とにかく撮影は行なわれていた。

孫たちは頭を撫ぜてもらった・・・とかで喜んでいるが、本当に庶民的なスターである。
日本の玄関引き戸の高さは180センチ位だが、家の中に入るのには少し屈まなければいけない。そこは慣れたもの、鴨居に頭をぶつけることも無いようだった。

夕方のロケだったが、近くの利用者を訪問した時に「何かやっているな・・・」とは思っていたのだが、まさか映画のロケだとは思わなかった。増して高橋英樹が高岡に来ているとは思いも及ばなかった。
で・・・一応飲み会ではロケをやっていることを伝えておいた。
滅多に無いことでもあるので、町内の会合などで話題になるのだろう。

推測だが、近くの古城公園でもロケが行なわれたのではなかろうか???
これは推測だが・・・。
70年以上前の記憶が鮮明に・・・  2012・1・19
父の仕事の関係で全国を飛び回った(転校も含め)と話される。北海道から本州・四国・九州まで・・・出てくる地名は港町である。
本人の記憶には父の仕事が何だったのか・・・は無いが、推測するに港湾工事・建設の仕事だったのではなかろうか???
話のキッカケは、私が「四国にだけは渡っていない・・・」ということだった。

亡きご主人に捕まったのは富山県の港町にいた時だと言われるが、60数年前、時期的にも戦後の混乱期であり、時期的にも合っている。
人生の記憶を振り返られたが、認知症ではあるが、非常に正確な記憶なのだと思った。

私が知る地域の大きな出来事に関して問いかけてみた。
大雨で川が氾濫して、当時汲み取りトイレのつぼに、音を立てて水が入り込んだ話に関しては、同席した嫁も体験していることであり、合意があった。
そういう昔の記憶は鮮明である。一時間余り昔話をしてから「デイサービスでもショートステイでも転ばないように気を付けてね・・・」と帰ってきた。

70年余前の正確な記憶の中で生きる、90歳に手が届こうとする軽度認知症の方だが、昔を振り返っている時の顔は生き生きとしていた。
この「生き生きとした顔」を1日でも長く保っていただくことが私たちの仕事なのかもしれない。
ギクシャクした家族関係・嫁姑の問題もこの時だけは成りを潜めていた。

それにしてもケアマネジャーとは良い仕事である。
一緒に昔を振り返り、自分自身の「ぼけ防止」にもなる・・・のだろう。
最近物忘れが激しくて・・・心配していたところだったが・・・。
越路吹雪  2012・1・10
人生を全うされた方がここにもありました。
『越路吹雪』さんです。

私は昭和(戦後)生まれだが、この『歌手』は好きだった。

腹の底から人生を歌う歌手はそう多くは無かったが、美空ひばり・ペギー葉山・・・そして3人姉妹の一人でもあった。私も好きだった。
宝塚の『生』を知らせていただけた歌手でもある。

1980年急逝されたが、今も私の脳裏には彼女がある。
そして・・・その後の3人娘の記憶も残っている。
そのうちに『初代・2代・3代・・・』と、紹介することにしよう。
時代の流れは重要なことだと思う。
エンジンがかからない・・・  2012・1・10
年明けからなかなかエンジンがかからない。
緊急性のあるケースは年末に解決しておいたし、一件ショートステイの早期退所に動いただけかもしれない。

手元に二件の申請書類があるが、一件は期限が切れている。認定が切れているということは契約期間も切れているのだが、特にサービス再開の希望も無いので、希望が出た時点で「仕切り直し・・・」ということになるのだろう。
そういえば年末年始の一時帰宅にベッドの依頼があったが、一時帰宅は「在宅」では無い(私費)と言ったら切れた方があった。

歯切れの悪い年末年始だったことも影響?しているのか、それとも「年」のせいか・・・そろそろエンジンをかける必要がありそうである。

最近の車はエンジンのかかりも良いが、私が始めて車に乗った頃は良くエンジントラブルがあった。特に冬場はエンジントラブルも多かった。
ガソリン・軽油・ガスなど各種の車に乗ってきているが、それぞれエンジンの掛け方が違う。
ガソリン車では生ガスがかむことがトラブルの原因になったり、軽油(ディーゼル)車は始動時重たがる。ガスは気化器が凍ることもあり、冬場は慌ててはいけない。

最近の車は性能も良くなり、始動時のトラブルは無いと言っても良いだろう。ただ・・・特に冬場にエンジンが温まらない内に発進すると、トラブルの元になることも全く無いとは言えない。
雪の朝はエンジンを掛けてから、車に積もった雪を落としているが、この順序が良いのかもしれない。
公正でない保険者調査の実態。  2012・1・3
開業後色々と『提言』してきた。その一つが「担当ケアマネが認定調査をすることは『公正』なの???」という投げかけである。担当ケアマネの調査で『認定調査を受けた記憶が無い方の更新』が終わったいた。『???』・・・『???』それにも増して『公正ではない』現状があった。

要支援から要介護に移っていくときに、同一法人内で囲い込みをしているのではないかという話があります。

この話は全国の『委託機関』で公然と行なわれている(であろう)内容だが、保険者(調査)に関しても『危ない』現状を見ている。
確かに「利用者のため・・・」という話になるのだろうが、保険者調査員が残した『メモ』(公文書)だった。その公文書とは・・・。

地域包括支援センター(当時は在宅介護支援センター)の名簿と居宅介護支援事業所の2枚名簿の、行政委託機関の(当時は在宅介護支援センター)に、ご丁寧に『丸印』があった。
居宅介護支援事業所の名簿にも同じ名前の『在宅介護支援センター』の名がある。名称が在宅介護支援センターから地域包括支援センターに変わっただけで、地域包括支援センター併設在宅介護支援センター(住所が同じ)で『行政の持つ被保険者情報』の『交流』が行なわれていることは日常のことなのだろう。

今回提言(?)が行なわれた内容はズバリ、私がHPを通じて介護保険の現場に復帰した内容に通じる。
そして、数多くの現状も見てきた。
この現状を正常の戻すのには、『そこに関わるものの理念』を正常化するしか方法は無いであろう。

【理念】
1 ある物事についての、こうあるべきだという根本の考え。「憲法の―を尊重する」
2 哲学で、純粋に理性によって立てられる超経験的な最高の理想的概念。

この『理念』を確立しないと日本の介護保険法は『絵に描いた餅』でしかないであろう。
『理念』を貫くのは「一人ひとりの専門職」なのだろうが、「理念」の『要』は「介護支援専門員」だということも明記しておきたい。
静かな年明け  2012・1・2
年末に、入院中の方から、年末年始の一時帰宅にベッドが必要だと電話がかかった。在宅扱いにはならないから私費レンタル。事業所の休暇もあるので、28日の納入と4日の引き上げで、半月・半月分で1ヶ月のレンタル料で提案をした。
気の短い(自分勝手)方とはあるもので、『他所へ言う・・・』ということだったので「ど〜〜〜ぞ・・・」と。夏に総合病院で手術を受け、秋口に療養型病院へ入院になっている。契約上は一旦切れている方でもある。

元旦に一件電話がかかったが、年末からショートステイ入所していただいている方の介護者の用事が早めに終わった・・・ということだった。
3ヶ日は私自身ばたばたしたくはないので、4日の退所を提案した。
エリア外の利用なので、送迎をする必要がある。エリア内で利用施設を探すことが出来なかった(実際無いのだが・・・)から致し方ないだろう。
そして・・・元旦から仕事をしていた(実績)職員もあった。これもショートステイである。

4日を仕事始めにしようと思っているが、月初めの包括分の実績が揃う前に済ませておく仕事がある。1月1日付の居宅届を年末に受理してもらえなかった分と、更新申請書類が手元にある。2保険者の移動と途中数ヶ所の事業所を立ち寄るコースが決まった。新年の初仕事は『大移動』距離にして約70キロメートルである。
朝一番に出て帰る頃には、他の包括分の実績も届いているであろう。

今年の正月は孫とは別行動をした。金沢に住む長女も帰っており、孫たちもそのほうがよかったようである。
12月に降った雪もほとんど消え、小雨は時々降ったが、穏やかな正月だった。
年金生活に入っても良いのだが、もうしばらく「ぼけ」防止の意味も含め、最後の一件までお付き合いが出来れば良いと思っている。

パソコンのせいだとは思うが、肩の痛みが強くなっている。
老眼もかなり進んで、かすみ目になっている。
定年制は良い所を抑えてあるようにも思う。
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