掲示板等の発言記録 (2011)


Re:木村委員の重要な発言  2011・12・28
okotae_shimasyou さま ありがとうございます。

良識を持ったケアマネなら地域包括支援センターと他の介護サービス事業所や居宅介護支援事業所との兼務(抱え込み)はしないでしょうね。

チョッと『誤解』があったのかもしれませんね。
私がご指摘した部分は

『地域包括支援センターに委託された法人が、要支援から要介護に移っていくときに、同一法人内で囲い込みをしているのではないかという話があります。この辺のところは報酬とは別でありますけれども、早急に調査をしていただいて、改善を図っていただきたいと思います。』

即ち・・・行政ラインでの『被保険者情報の囲い込み』のご指摘です。
正にその指摘を日本の代表の口から聞くことが出来ました。
日本のケアマネジメントにとって、『非常に重要なこと』です。
木村委員の重要な発言  2011・12・26
『2011年10月31日 第83回社会保障審議会介護給付費分科会議事録』から

(木村委員発言)
ここはいつもわかりにくい議論になるんですが、地域包括支援センターの中に、2枚看板で予防給付ケアプランをつくる指定介護予防支援事業者があります。そこの人員配置基準であります。要するにケアマネジメントをケアマネジャーでなくても、今はできるようなっております。しかしながら、ここは事業者の人員配置基準を変えて、ケアマネジャーのみが行う形にしていただきたいと思います。今般、居宅介護支援事業所への委託件数の8件を廃止する話も出ておりますけれども、今ほど話した提案をきちんとすることによって、予防給付のケアプランが指定介護予防支援事業者の中でできるようになると考えておりますので、よろしくお願いします。


事務局側からも課題として出ておりましたけれども、地域包括支援センターから地域に新規の要介護者がなかなか回ってこない状況にある。よく見てみると、地域包括支援センターに委託された法人が、要支援から要介護に移っていくときに、同一法人内で囲い込みをしているのではないかという話があります。この辺のところは報酬とは別でありますけれども、早急に調査をしていただいて、改善を図っていただきたいと思います。
                            (ここまで)

部分抜粋ですので、興味のある方は
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001xs6v.html
ご確認下さい。

2001年(平成13年)に『選択の自由を保障する』趣旨でHPを公開してから10年が経過しました。そして、平成16年には居宅介護支援事業所も立ち上げました。
今・・・ようやくその方向へ日本のケアマネジメントは変わろうとしているのですね。

今年の8月から年金生活に入っても良いようになっています。
来年の8月からは1号被保険者です。
そろそろ『引退』かな???と・・・身体の節々が痛い現状もあります。

現在担当している方々に関しては、途中で投げ出すことを好まない性格ですので、最後まで看取りたいと思います。
8年間で積み上げた利用者ですので、8年以上(イヤ・・・もっと・・・)かかるのかもしれません。

平成16年に突然独立事業所として介護保険界に参入しましたが、今回審議会資料を読みまして『安心』しました。
全国のケアマネジャーの皆様、介護職員の皆様・・・頑張って下さい。

以降投稿は続けるとは思いますが、今までの投稿内容とは大きく変わるのでしょう。
ご紹介した記事は日本の『介護保険の夜明け』の内容だと思います。
ケアマネジャーの皆様・・・介護保険の『要』の役割を全うしていただきたいものだと思います。
HP公開から10年間  2011・12・23
HPがキッカケで独立開業を始めたが、もう8年になろうとしている。
ケアマネ受験を思い立ったのが試験の5ヶ月前だった。
勤めていた会社が倒産したので受験を思い立ったのだが、それにしても早いものである。
そろそろ引き際かな・・・???と最近思い出したが、「年には勝てない・・・」といったところ。物忘れもあり、根気も無くなった。

メモを活用して物忘れをカバーしているが、メモを残すことが出来なくなったら・・・『ヤバ〜〜〜イ・・・』
行動スケジュールを宛先毎に区分けした「通い袋」でコースが判るようにしているが、その他に「伝言メモ」も挟み込んでいる。こうこう・・・こういうコースで、〇〇さんにはこの件の話を、△△さんにはこの話を・・・といったように・・・である。

会社の車のローンも残すところ3回になったし、おまけ的に3年間納めることになった厚生年金もあと5年間は納めることが出来るといっても・・・それ以上納める必要があるのか???とも思ったり・・・。
8年間で担当して残っているケースを「ゼロ」にするのにはもう8年間かかるのかも知れない(あるいはそれ以上の期間)と思ったり・・・で・・・。

そういう訳で方向性だけは、新年を迎えるにあたり「決定」しておきたいと思っている。
とりあえず、「新規を受けない方向」で考えていこうかと思っている。
ここで悩むのが給与や経費が出なくても良いのだが、決算費用と税金の問題である。この問題を解決するためには最低3件の担当は必要である。

潮が引くように行けば良いのだが、給与が「ゼロ」でも社会保険は必要なのかな???。そうなれば10件位必要になるから、潮が引くように・・・とはいかないようでもある。
困難事例を解決してから・・・誰かに申し送りますか。
チョッと残念・・・2011・12・22
核心に迫りながら機会を逃していることが多い。
今回も、もう少し時期がずれていれば『論議』になったの・・・だろう。

年末年始を迎えて支援から介護への変更の方がある。いずれの介護度でも特例福祉用具を使用しなければいけない方だが、認定の度に申請書を出すことになっている。支援→支援。介護→介護なら問題は無かったのであろうが、介護区分が変更になってしまった。取り扱い部署が違うので面倒な話でもある。

諸氏ご存知のように、日本の役所は年末年始に休みに入る。そこで年末年始の休みの間に解決しなければいけない問題を事前に解決しておこう・・・かと思った。
私にすれば『常識的な判断』なのだが、行政担当者には『常識』ではなかったようである。

福祉用具の話だからサービスの切れ間があってはいけない・・・ということで支援から介護の『担当の明記』を事前に行なっておく必要性を感じた。
居宅申請手続きは年明けということだが、役所が開くのは多分4日であろう。元旦に裏口(警備事務所)へ出しておいても良いのだが、まさか死亡届でもないから受理は無いだろう。
・・・ということで『困って』いる・・・

担当の申請の他に、主治医意見書等の開示請求がある。でも・・・
手元に主治医意見書があるということは、もう一つ『申請書類』があるということである。担当ケアマネとして受理されていなくても『福祉用具』の許可が出るのだろうか・・・???
面白いかもしれない『駆け引き』をしてみようとも思っている。

『駆け引き』同じ介護保険課の中だから、『変更届け』を受理しないのに『福祉用具の特例使用』を受理するはずが無い。しかし1月1日からも必要な用具でもある。
許可が下りていない用具に関しては全額自己負担である。ここらに関してもコダワルことにした。

この二つの駆け引きが年明け始まるが、年末の最終に『予告』を示しておこうと思う。
もう一件に関しても窓口を訪ねる必要があるので、この序でにもう一度『布石』を打っておくことにする。

何のことはない・・・公務員は・・・と高飛車な若い職員があったので、将来に向けて『勉強』していただきたいとの『想い』である。
この部分が「年をとった証拠」とも自覚している。
多分実践すると思うが・・・としに似合わぬ「茶目っ気」があるのかもしれない。

果たして如何なる事やら・・・。
孫のクリスマスプレゼント2011・12・18
何かと忙しい日曜日だったが、ほとんど外出。訪問(スタンプラリー)も何件かこなしている。
事務に精を出していたところ、孫家族と妻が外出した。数時間後嬉しそうな声と共に帰宅した孫の手には持ちきれないような荷物があった。

夕食後、長女の帰宅もあり、賑やかな雰囲気だったので一旦仕事は中断した。実は・・・明日提示予定のケアプランを作成していた。
そこにあったのはマイク付きの子供用パソコンであった。
パソコンと言うよりは、パソコンに似せたデュークボックス・・・といったところだろうか・・・テレビ番組の主題歌などが自由に選べる。

実はこの孫・・・毎朝早起きで、パソコンの幼児番組が目的で事務所に下りてきていた。母の意向で×になっていたが、その代わり・・・の代用品の意味がありそうである。
教育ママとは可笑しなところで意地を張るもので、私に言わせればパソコンも子供のおもちゃも同一レベルである。・・・が、結果そうなった。

とにかく(何でも良いのか???判らないが)喜んで遊んでいる。
金沢から長女も帰り、賑やかな声が聞こえる。
それにしても『おもちゃ』も変わったものである。かなり精度が良い。

それにしても今日は寝るのが遅い。明朝大丈夫だろうか・・・。
下の子は充分に昼寝をしているので大丈夫なのだろうが・・・上の子が心配である。『シンケンジャー』になり切るグッズを買ってもらい、昼寝をしていないことが心配だが・・・腰に太いベルトを巻いて有頂天になっている。

そういえば・・・わたしにも・・・そういう時期もあったのかも知れない。
ガンターミナル・・・マネジメントの確認。2011・12・15
厚生センターの研修会に「ガンターミナル」の事例が紹介された。
現在進行形のケースを担当しており、自分自身のマネジメントの『確認』の意味もあった。
私なら・・・という部分もあったが、「まぁ〜〜〜そんなもんか・・・」といったところだろう。
もし一点だけ指摘するなら、マットに関してである。

体圧分散マットからエアーマットへの変更であるが、私なら・・・最初から交換しなくて良いマットを入れているだろう。(現実に入れている)
そのマットとは・・・メーカー名を書くには問題があると思うので、機能だけ説明することにする。
端座位が保てるように、マットの周りは普通のマットの硬さであるが、寝たときに身体にあたる部分の構造はウオーターマットを体圧分散マットで包み込んだような構造になっている。
このマットの部分を指摘しても良かったのだが・・・やめておいた。

褥創の原因は湿気とスレだが、このマットを使うにも工夫が必要である。
適度な体位変換こそが褥創を防ぐが、まだこの域には達しておられないようでもある。
体位変換で褥創を防ぐ方向ならマットだし、エアーマットで解決しようとするのなら、体位変換型エアーマットの使用である。
エアーマットの体位変換は酔ったような感じになるので、意識のしっかりとしておられる方はマットで対応した方が良いようである。
この二つの方法を混同(ミックス)すると、可笑しな福祉用具の使い方になってしまう。

もし・・・入院中の方が『退院』になったら・・・如何しようかと検討中でもある。
また摩擦があるのだろうな〜〜〜
マットかエアーマットかの論議を先にしたい。
果たして問題は解決したのであろうか??  2011・12・10
『これからの在宅介護支援センターの在り方』
これからの高齢者介護における在宅介護支援センターの在り方に関する検討委員会 報告書
http://www.zaikaikyo.gr.jp/siryo/pdf/001.pdf
七年余り前の報告書だが、結果うやむやになってしまっている『感』がある。(申し送りがあったのか、申し送りをされたのだったかも記憶に無いが、重要な人事の異動(変更)があった頃の話である。

メンバーに関しては問題は無いと思うが、この報告書は役員交替で次年度以降は『申し送り』が為されている。こういうところにも『流れ』は必要だと思う。
私が危惧しているのは『地域』への影響である。
実際何処までの在宅介護支援センターの地域活動が為されていたかは判らないが、仮に『何らか』の地域活動が為されていたとして、再稼動させようとすれば『摩擦』が起こる。その要素を含んだ内容でもある。

通らなければならない『報告書』でもあったが・・・このことが実践されていれば、現時点のような問題はおこらないだろう。
表面化して大きくなる内容ではないが、表面化しないことに『怖さ』も感じている。
『人』を扱う『難しい』仕事であることもご理解(誰に???)いただいて、『来るベキ超高齢化社会』に備えていただきたいものだとも思う。

『在宅介護支援センターという名の居宅介護支援事業所』があることに大きな不安を感じている。
気になる内容  2011・12・8
社会保障審議会 介護保険部会の『議論の整理』の中に気になる内容があった。

(ここから)
○介護分野における改革内容としては、以下のような改革項目が列挙されている。
@ 医療・介護のサービス提供体制の効率化・重点化と機能強化
・ 地域包括ケアシステムの構築(在宅サービス・居住系サービスの充実、在宅医療との連携)
・ ケアマネジメントの機能強化
・ 施設のユニット化と重点化(在宅への移行)
・ 介護予防・重度化予防(2025年に向けて要介護者の伸びを抑制し、要介護認定者数を現行ベースより3%程度減少)
・ 重点化に伴うマンパワーの増強

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001wnbh-att/2r9852000001wnf1.pdf

その中でも気にかかる部分が
・介護予防・重度化予防(2025年に向けて要介護者の伸びを抑制し、要介護認定者数を現行ベースより3%程度減少)

この内容である。
この3パーセント減少に関しては、厚生労働省の・・・そして部会メンバーの『期待』でしかないであろう。
確かに『健診』が充実して、脳血管障害等の発症割合が『減る』と見ておられるのだろうが、果たして・・・如何かな???という見方もしている。

今、正に高齢者の仲間入りをしようとしている『団塊の世代』は「戦後」生まれている。
現在の高齢者は、戦中戦後の食糧難の時代に「粗食」で過ごして来られた方が多いだろう。一方団塊の世代は「高コレステロール食」で過ごして来られた方も多いだろう。

薬を飲んでも改善しない「贅沢病」に対して、私はある時点で『検診』を受けるのを止めてしまった。『ピンピン・・・コロリ』で良いと今も思っている。
こう書いてきたらある方の言葉を思い出した。それは・・・在宅介護支援センターが誕生して間もない頃、舞浜で全国研修があったが、堂々と「・・・現在の未熟な医療は多くの障害者を作ってきた・・・」と指摘があった。
正にその通りである。

厚生労働省(国の政策)が『安上がり介護』を目指すのなら、先ずは『医療の安上がり』から始めなければいけない。また『障害者』を数多く作ってもいけない。
ここで問題になるのが『生きる権利』の問題・解釈なのかも知れない。
『命の選択』は重要な問題だが、社会保障とは切り離す必要があるのかも知れない。

何でもかんでも助けたことから、本人の意に反した『生』があるのかも知れない。
私は「尊厳死」を選びたい。
冬支度  2011・12・7
3〜4年前に早い初雪で、タイヤを積んで金沢に住む子のタイヤ交換に出かけたことがある。その年が自分で交換した最後の年になった。
雪吊りに関してもその頃から、肩の痛みに加えバランスが悪くなり、無理をしないことにした。

車に関しては一人1台。4台の車がある。
雪吊りに関しては友人の庭師が、空いた時間を見計らって来てくれる。
少し早めだが、今日で全ての冬支度が終わる。
冬支度を自分で出来なくなったことに関して『年』を感じている今日この頃である。

身体の状態から見ると、60歳定年・60歳年金支給開始が妥当だとは思うが、身体の衰えを除けば必ずしも60歳=高齢者ではないだろう。
自営だからのんびりとケアマネジメントを楽しんでいるが、どうしても新規を獲得しなければ・・・という意欲は無くなった。
が・・・しかし・・・断われない紹介者からのケースもあるし、現在手持ちのケースを放り出す気もない。

担当している平均年齢をざっと見てみると80歳前半。2号被保険者の方もあるが余命4〜5年といったところか・・・4〜5年後にどうなっているか・・・ということだろう。
一応、社会保険の対象である70歳を目処に、順次企業縮小をして行こうかとも考えている。

3年余り前に、法人は「一人でも社会保険」ということで強制加入したが、七年余りの『おまけ』が付くことになる。保険料は下限があるので、1円の給与でも社会保険料を払う必要がある。下限額は14,000円位だが、事業主負担とで倍額になる。ということは1円の給与を払うために、28,001円必要になるので、若干の経費も含め10件は必要になるのだろう。

冬支度に備えて、こちら(懐)の対応もしておく必要がありそうである。
そうそう・・・決算期には税理士費用と法人事業税が必要になるからこの分で3件程度は確保しておく必要がありそうである。
ということは・・・13件以上が、報酬の対象になる担当件数ということになるだろう。
34件担当しても210,000の給与は出ない。法人負担分も増えていく。

ケアマネジメント報酬はどのような視点から決められているのか判らないが、この報酬で『囲い込みをするな・・・』とは厚生労働省でも面と向かっては言えないだろう。
日本のケアマネジメントシステムを確立するためにも、大幅なケアマネジメント報酬の設定が必要になるが・・・果たしてケアマネジャーの『理念』は確立しているのだろうか???

本題からかなりずれたが、私も含めた『団塊の世代』が本格的に高齢者の仲間入りをする。
戦争の後遺症・・・国の責任でこの境地を乗り越えていただきたい。そして・・・
少子高齢化と言われる社会を作り上げたのが『団塊の世代』であることも事実である。
人生最後の旅立ち・・・その後  2011・12・4
帰られてから一週間経つので連絡を取ろうかと思っていたところへ電話がかかった。元気の良いはっきりとした声だったので安心した。

旅行中も行く所行く所好天に恵まれ、非常に良い旅だったと言われる。実は何時破裂するか判らない要素も持たれての旅だったが、心配は何処吹く風・・・だったようだ。

あまりにも明るい声だったので、重要なことを聞くことを忘れてしまった。
認定調査に関してである。多分・・・その様子では・・・要支援1かな???主治医意見書にはしっかりと書いてあるであろうから・・・福祉用具の特例使用の申請書類は揃っているものと思われる。
今年の年末はこの申請に全て係る。

今日の日曜日の午後一件入所の方向の相談があるが、サービス提供責任者から家族・親族の意向の方向性に関して電話があった。こちらも予測と一致していた。影には『嫁の姿』がチラツクが、別居していて何が気にかかるのであろう。
現在の状態では入所施設が無いことを伝えておくことにした。
ケアマネジメントとソーシャルワーク  2011・11・30
これもソーシャルワークかな???

2週間余り前に『入院になるかもしれない・・・』と連絡をいただき、丁度情報交換会の時間にも合った(ということでもないが・・・)ので、外来でお会いした。
本人はゴロゴロと・・・肺炎でしばらく入院になるということ。妻の首には頸椎カラーが巻かれていて痛々しかった。

情報交換会の時間が迫っていたのでお別れしたが、「あ〜〜〜勘違い」だった。ご夫婦揃っての入院かと思っていたが、入院したのは本人だけ、妻は別の病院へ通院中だということ。時間が無かったのも手伝って、状況判断・・・早とちりだったことが後日判った。
(本人の顔も見に行っているが科が違うので・・・)

2週間余り経過したので、そろそろ退院の話が出るのかな???と思っていたところへ妻から電話がかかった。実は違う病院に入院中であり、ここが妻のかかりつけ病院で、夫入院中の病院が夫のかかりつけ病院だということ。
とにかく病院へ直行して妻の話を聞いた。

むち打ち症のため、後日吐き気が出て入院治療をしているということ。もうしばらくかかるが、夫入院中の病院から退院に関する電話が2回位かかっているということ。そこで私への電話になった訳である。
当事者を取り巻く背景を整理することはソーシャルワークの分野に入ると思う。そして夫が退院になればケアマネジメントの再開ということになる。
背景を整理して、一つの提案をすることにした。

幸い妻の主治医に病室でお会いすることが出来たので、私の提案をぶつけてみた。その内容は・・・。
病院側から(一応地域医療連携室間の話として・・・)夫入院中の病院に、「主介護者が倒れているので入院を延長出来ないか・・・」という投げかけである。そして・・・妻の入院が長引けば、平素レスパイと入院で利用している病院への「転院」も可能だと付け加えておいた。

実際ソーシャルワークを実践していただけたのは地域医療連携室間(もしかして・・・双方の主治医直接だったのかも知れない)
翌日妻の入院中の病院から電話がかかり、一週間の入院延長が可能になったということだった。
この電話・・・もしかして・・・主治医からだったの・・・かも知れない。

実は妻の主治医は若い女医さんだった。
妻に冗談で「私も入院したいな〜〜〜」と言ったら笑われてしまった。
だから電話の主が主治医なのか・連携室からなのか・あるいは看護師からなのかは判らない。早口で名前を言われたので(聞きなおしても名前の確認をしていなかったので)誰からの電話かは確認できなかったが、とにかく一週間の入院延長が可能になったというだけで充分である。

1週間後の妻の状態によって「レスパイト入院」になるのかもしれない。本人の移送手段だが、これは本職に任せるしかないだろう。そして妻が入退院の手続きが出来なければ、子に半日仕事を休んでもらう必要があるだろう。
夫に関してはケアマネジメントだが、それ以外の手順に関してはソーシャルワークと言うことが出来るだろう。(実際は病院間だったが・・・)

果たしてどうなるかは判らないが・・・方向性は見えたし、その方向で決定だとも思っている。
北陸本線 踏み切り事故続き  2011・11・29
27日の日曜日の午後、在宅医療連携に関するシンポジウムに富山市へ出かけた。
帰りの時点で判ったことだが、この列車は富山・金沢間を往復している普通列車だが、折り返しの便が高岡を過ぎたところで踏切事故を起こしている。

事故を起こしたのは踏み切りで立ち往生した車だが、この影響でシンポジウム終了後駅へ行くと、列車が全て止まっていた。
何時になるか判らないのと、18時に訪問の約束があったので、結局バスで帰ることにした。運賃差額380円の損失だった。

今日のニュースによると、朝6時に加賀市で踏切事故があったという。
平日でもあり、朝の通勤ラッシュに向う時間帯の事故だから、これは大変だっただろうことが予測される。

日曜日の事故に関しては5時間位列車が動いていなかった。
今日の事故に関しては確認していないが、平日の日中ということから、かなりの人々が影響を受けたものと思われる。
それにしても3日で二件の踏切事故は多過ぎる。

日頃滅多にお世話にならなくなったJRだが、久しぶりにお世話になったことが事故を誘発した・・・ということは無い・・・と思いたい。
ようやくメスが入ったか・・・。  2011・11・25
http://www.caremanagement.jp/dl/kaisei_iken2.pdf

ケアマネ関係HPで紹介されたニュース(他にもあったらゴメンナサイ)だが、核心を突いていた。

措置時代の特養生活指導員として疑問があった。その疑問は・・・

入所措置されて、入所者の預金(預かり金)が増えていくことだった。
特養ではその方の生活の『全て』を保障している。
年金とは・・・福祉とは・・・介護とは・・・

私の結論は、「高齢者になって・介護が必要になって・家族は喜んでいるのだろうな・・・」ということだった。

家で介護が出来ない・・・(出来る方もあるのだが)・・・〇〇さんに頼んで施設に入れてもらおう・・・。結果として、家族には介護が必要無くなり、終末まで看てもらって・・・おまけに遺産までもらえる。結構な話である。(〇〇さんに御礼があったのかまでは知らないが・・・)

今回示された方向性で気に入った負担に関する内容が
『○若年層に負担を求める以上、高齢者も応分の負担はしていかなければならない。少なくとも一定以上の所得者には利用者負担の増をお願いしなくてはならない。
○ 総報酬割とのバランス上、サービス利用者で所得の高い方には応能負担をお願いする対応も必要。
○一定以上所得者は、既に保険料負担の段階で所得再分配機能(世代内)の要素が加味されているため、新たな利用者負担の導入は避けるべき。医療の方の負担も考える必要。
○ 支給限度額がある制度であり、サービスの利用も長期間に渡ることから、利用者負担を上げるべきでない。』

という4つの中から少なくとも二つはある。

私も含めて少子高齢化の社会に突入するのだが・・・『その社会を作ったのは誰か・・・』ということには触れずに選択するならば、前の2発言を支持する。

それにしても気になることを書いてしまった。
措置時代には『コネ入所』という例があった。
介護保険法下では・・・『是非無くして頂きたい』
これは『理念』では無く、市民の『モラル』である。

『モラル』の無い『実力者』は“『消えていただきたい』”
1号被保険者と2号被保険者そして・・・。  2011・11・23
独立開業をした頃は1号被保険者(で良いのだろう・・・)として届けていたが、後日法人は一人でも社会保険ということで2号被保険者になった。
介護保険に関しては年齢的に2号被保険者ということなので、社会保険のほうから天引きされて(して)いる。

65歳になると社会保険のほうは2号で残るが、介護保険に関しては1号になる。「2号のほうが良いナァ〜〜〜」と言っても通らない。
社会保険のほうはやめても良いのだが、これも通らないから話が厄介だ。70歳までは加入義務があるという。

介護保険・医療保険はそれでも良いのだが、それに付いたものがある。
国民年金加入期間もあったのだが、このままでいけば厚生年金の加入期間が40年を超えてしまう。人生の最後にお年玉を貰う結果になりそうである。
むやみに新規を受けないことにしたが、それでも手持ちのケースを無事送り届けるのには、開業から今日までの月日と同じ・・・あるいはもっと日数を要するかもしれない。
正確に平均年齢を出したことはないが、概算で76歳といったところだろう。96歳から57歳までの平均を出してみた。

という構想は構想として、いつかの時点で財政破綻が生じてしまう。役員報酬を限りなくゼロに近付けても、社会保険料はある時点で定額になってしまう。
そこで思い出したのが基準該当事業所。前向きではない考え方かもしれないが、これしか無いような気もする。
本当は独立ケアマネの組織化・・・と言いたいのだが・・・。
ケアマネジャーが主役にならないテクニック  2011・11・21
ケアマネサロンで紹介されたケースは認知症への対応(形を変えているが)だった。ケアマネャーの立場で如何対応していけば良いのかという、医療者側からの提案だった。

レジュメを勘違いして、認知症予防に「飲酒・喫煙」が効果があると読んでしまった。都合の良いように読むのが人間でもある。その人間性(私自身の)を確認しつつ(誰も確認はしないが)記事を書いている。
実は・・・予防のために「してはいけない」ことだったが、タイトルと「ビール・タバコの図」で「予防のためしても良い事(しなければいけない事)」と読んでしまった。
上記は私の趣向に関することだが、いくら私でも「???・・・???」だった。で・・・よく読んでみると、再発防止策だった。

「介護予防」は「余り意味の無いこと」(厚生労働省に叱られるかな???)本人が長い人生の中で培ってきた生活習慣を「介護予防」の名の元に「改めさせよう・・・」というのは厚生労働省の「偏見」だとも思っている。

私自身来年第1号被保険者になるが、その様な『制約』は受けたくない。
自分自身の人生を自分自身の責任で過ごして来たが、何故『介護保険被保険者』になったからといって制約を受けなければいけないの・・・だろうか???
我が人生の全責任は私自身で取るが・・・『介護』が必要になれば介護を受けたい。その自由な支援を行なうことが出来るのが『公的介護保険』だとも思っている。

で・・・本題に関しては・・・。
ケアマネジャーが「問題を解決するのではなく」問題を解決するのは『家族親族』だということを明記しておきたい。
決してケアマネジャーが『主役』(介護の)にならないように・・・。
そうなんですよ・・・介護保険法は主役の『補助』でしかないのです。
病室を見舞うと・・・みんな同じ思い・・・2011・11・20
・・・10日目位に病院を訪問すると、素人の私にも『軽い症状』ではなかった。

その数日後病室を見舞うと、看護・見守り中の母と妻に会った。
病室での話も・・・ということで、看護師がおむつ交換に来た(大名行列)のでホールに移動した。

皆様もう『腹』は決まっている。
多くは語る必要も無い場面だが、「カニューレ」に関して聞いてみた。
カニューレを入れない方向に意見統一が出来つつある様子だった。
肺炎はかなり軽減しているということだった。

そこへ子夫婦が現れた。子の妻のおなかは・・・肥満ではない。
話は中断したが、子夫婦の意向も取り入れる必要がありそうである。
ここまでくればケアマネジャーとしての「アドバイス」はもう無い。
答えを出されるのは、家族・親族である。

とは言え・・・お呼びがかかれば何時でも「登場」する心積もりはある。
人の心の動きは激しいものではあるが、相談専門職として判断(アドバイス)の域は超えている。
あとは「家族・親族」で答えを出していただきたい。

ここでも福祉用具を返した効果(???)があった。
ケアマネジャーは如何いう場面でも「公正・中立」の姿勢を保つ必要がある。
マッサラの状況下で判断が出来る「背景作り」も重要なことと思う。(こじ付けめいているが・・・)
人生最後の旅立ち  2011・11・17
旅立ちが1週間後に迫った。
主治医意見書が明日午前中に出来ると連絡をいただいたが、慌てて申請しないことにした。「明日午後からお伺いします・・・」と答えておいたが、『間』を持たせる腹積もりである。気持ち良く行って来て頂きたいので、認定調査は帰ってから受けられれば良いだろう。

担当してから1年半ぐらいになるが、東海地方で手術が出来ないことから、こちらで手術を受けられた。そしてそろそろ2年目というところで再発した。
ご夫婦の利用表を届けようと思い電話をしたら、軽やかな返答があった。心は明るい。

土・日・祭日役所は休みだから、時間を稼ぐのに格好のカレンダーでもある。慌てて旅立ちの前に調査を受けることも無いだろう。
主治医も意見書にかなり細かく書いておられるということだし、仮に支援が出ても会議さえ開けば福祉用具の特例使用は継続できるであろう。
ただ・・・年末年始にかかる事から、手続きだけは早くしておきたいと長期的な展開も頭の片隅にはある。

来年もまた・・・元旦から書類を作っているの・・・かもしれない。
整理の心理と可能性の追求。  2011・11・15
入院の案内を受けて「???」だった。『何故・・・何故・・・』
軽い肺炎でも、重度者にとって命取りになることがある。後悔しない為にも一考が必要だったのかも知れない。一応病院で福祉用具(エアーマット)の確認をした。

その後、癌ターミナルの退院にも関わり、一件退院支援もあり、10日目位に病院を訪問すると、素人の私にも『軽い症状』ではなかった。
胃婁からの逆流ではなく、唾で誤嚥を起こしているのではないかということ。
自宅へ妻を訪ねると、気管切開・カニューレ挿入の話が出ているということ、人工呼吸器に関しては一つの段階として考えられることを勧めておいた。
療養型病院入院の話も出ているということで、考えを整理するためにも、福祉用具の一旦返却を提案した。

提案の可否は判らないが、目の前にベッドがあるよりも、何も無いほうが入院中のご主人を中心に考えられるのでは・・・との思いでもあった。
いずれにしても肺炎が落ち着かないと話が進まない。その為にもカニューレ挿入が先行するが、果たして・・・。
「在宅」か「施設」かの話はもうしばらく先のようでもある。

仕事と介護  2011・11・13
母の介護を買って出られた方がある。
とはいえ、仕事を続けなければ介護生活も成り立たないので、比較的余裕のある仕事につかれた。
介護と両立させるためには、朝早いか、夜遅いかである。

主介護者が選んだ仕事は朝の早い仕事で、仕事に出かけている間の介護が必要になる。
毎日ではないが、朝起きて、おむつ交換をして、食事をする。そしてデイサービスの利用日は送り出しが必要になる。このプランを見切り発車した。

初日の日曜日にヘルパー事業所から電話がかかった。明日休みになっていたから不安だったのだろう。出来立てのプランを確認して、仕事の休みの日には抜いてあることを伝えた。変更した提供票はfaxで送ってあった。それでも不安だったのであろう。

最初はこういった感じだが、その内に提供票が間違っていてもサービスが提供されている。そういう気心の知れた相手と仕事がしたい。
誰しも間違えはあるもので、それをカバーしてくれるメンバーがいることだけでも恵まれている。

ということで介護者は安心し切っている。

会議が続く・・・。  2011・11・11
良く似た題名のミュージカルを見た記憶がある。私にしては『珍しい』ことでもあった。確か東京ディズニーランドとセットだった・・・ような記憶がある。20年余り前のことだが、子連れで全国を飛び回った時期がある。
車はスバルドミンゴ。かなり荒稼ぎをしていた時期だったが、デリカワゴンは手が出なかった。

今日の1件はサービス追加スタートの会議。本人は食べることを忘れ(?)たのではないだろうが、昨日受診・点滴治療中との連絡を受け、ヘルパーの時間調整の上、時間を合わせ自宅を訪問した。
ヘルパーと一緒にしばらく懇談したが、知っているはずの病名が最後まで出てこなかった。
忘れても良い病名であり、告知もされており、本人も『どうなるのか・・・』は知っておられる。でも・・・忘れても良い内容なのだろう。

もう一件も何らかの後見が必要なケースなのだが、なかなかその気になっていただけないのでプランに軽く触れておいた。拒否は無かったが、深刻に考えてもらっても困る内容でもある。
包括担当者も変わったので、こちらは出ていただけるようだ。

そしてもう一件、気になるケースがある。退院からそろそろ2週間。2週間後には人生最期の『旅』が待っている。果たして旅立ちが出来るのか・・・。
そういえば『死んでも良いから家に帰りたい・・・』というケースもあった。こちらは『子』がテーマだった。

会議そのものは何件あっても良いのだが・・・記録が・・・。
どうも今週末も仕事になりそうである。

↓この方向性なら・・・大丈夫・・かも・・2011・11・6
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001tonu-att/2r9852000001tp5i.pdf

平成24年度介護報酬改定にあたっての要望ということで社会保障審議会介護給付費分科会で木村 骼氈@氏が、上記アドレスの発言をしておられる。
日本のケアマネジメントの進む方向性なのだが、多くの行政ラインに位置するケアマネジャーには抵抗がある内容であろう。しかし・・・これは日本のケアマネジメントの進む方向である。

独立協は現在空中分裂状態であるが、その主張してきた内容は今回の『要望』に充分に盛り込まれている。もっと力があれば、もっと早くに日本のケアマネジメントの現状を、今回示された方向に導くことが出来たであろう。
多くは語らないが、『理念』は同じである。その理念を守るためにも、日本協会として理念を明確にされたもの・・・と受け止めている。

報酬改定に関しても期待しているが、そうしないとケアマネジャーの『理念』が守られない現状に関して寂しさも感じている。
経営陣に関しては、介護保険事業は『福祉』なのだということも伝えておきたい。
もっと言えば、民間に開放された事業ではあるが、決して『儲かる』事業では無いということでもある。

これを機会に、「ドッチ」も「どっち」の議論は止めていただきたい。
介護=福祉は今も変わらないと信じている。

はじめての伝送取消し  2011・11・6
事業所からの実績に、9・10月分を請求します・・・とメモ書きがあった。???だったので事業所を訪問。確認すると、変更月の8月分が返戻になっていた・・・ということ。変更認定結果が間に合わなかったのでしょうね・・・ということにしておいた。

如何考えても不可解な対応をしているので、請求システムの内容を話しておいたが、それでも理解されない様子。とにかく変更申請の8月分から3月分を請求していただくことにした。
ケアマネジメント報酬は月遅れで入っているが、「もしかして・・・」と頭を過ぎった。請求された分と給付管理表を照らし合わせて、請求分だけ払うシステムになっていればケアマネジメント報酬は支払われる。そこでシステムを調べてみた。

審査済み給付管理表を再送できるシステムになっており、ここで請求されていない分を拾い上げるのでは・・・ないか・・・という結論に至った。『審査済給付管理表の再送』である。
・・・伝送データーをストップするのには1〜3時間かかると書かれている。とにかくストップした。この3時間が非常に長く感じた。

ようやく審査済み給付管理表を添付して再送信が出来たので、事業所オーナーに電話でその旨伝えておいた。こちらは超ベテランで、医療請求をしていたこともある看護師。話が通じるのが早い。
これで月末の国保連からの支払決定書を待つだけになった。

考えてみれば簡単なことなのだが、支払われていなければその旨連絡をいただきたい。ここにもチームワークの必要性を感じるのだが、サービス提供と請求事務と分けている事業所も多い。
そういえば先日も『バカ』な担当者がいた。2枚の提供表になっていれば、2枚の実績を返すのが常識だろう。実績点数だけ返しても給付管理のしようが無い。

こういうところでも事業所は評価される。

夢・・・と・・・現実・・・  2011・11・5
それにしてもリアルな夢だった。多分日頃からの『想い』が『夢』になったのかも知れない。

少し年上の女性だったが、私が職場で逢った初めての女性でもあった。
事情があってその職場を退職しているが、それから一年位経った時だっただろうか???乳児を背負った彼女に逢っている。確か記憶では『女の子』と言うことだった。
それから40年余り・・・私も年取ったが、皆一緒に年を取っている。

老人の域に入った彼女。子を持つ母になった子。そして・・・初老と言えるのは今年までであろう私がそこにいる。
そして・・・昨晩の夢が気になった。その時の『子』が子を背負っていた。
この夢が何を意味するのか私には判らないが、心の片隅で気になっていたことは事実である。

人生ももう終盤を迎えている。その私に対する何かの『ヒント』だったのかもしれない。
人生60年から80年時代に入っているが、その半分を思い出せ・・・という事だったのかも知れない。非常に良い夢であり、また見たい気もしている。

そういう横で、また孫が泣いている。意思表示できる『子』は良い・・・。
これが私の現実でもある。

寂しい感覚・・・  2011・11・3
デイサービスの空き情報を聞いておいたが、空きがあるということだった。

担当者会議の後直行した先は支援1の、姉妹で支えあって過ごしておられるお妹さん宅だった。姉をデイサービスに通わせたいということだったので、先程別れた担当者に電話をした。そして考えられない言葉が返ってきた。
“支援の枠がいっぱい”だと言う。(枠なんてあったかな???)おまけに区分変更を勧めてきた。(こりゃ〜〜〜私の相手では無いわ〜〜〜)

施設が建った経緯から、かなり関わりが深い施設だったが、時が過ぎれば随分変わるもの。そういえば職場の雰囲気がおかしいようにも感じていた。
区分変更に関しては拒否をしたが、本人も何か感じたのだろう。入院中の方に形を変えて電話があった。「入院中は医療に任せておけば良いんじゃないの・・・」と軽く交わしておいた。

人間色々あるだろうが、進んで関りたいタイプではない。
施設には随分助けてもらったこともあるし、変則的なこともしてきた。
県をまたいでのマネジメントもあったし、居宅届を出しに特急で往復(JR料金は貰ったが)したこともあった。
何とも早、懐かしい思い出が詰まっている。

たった一言で、担当者を「隔離」してしまった。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
余計なことを心配しながら・・・2011・10・30
「法人事業所は一人でも社会保険・・・」とご指摘をいただいて、2年前から社会保険に再加入しているが、いよいよ貰う側になって、表題の心配が出てきた。孫・子の代に負担はかけたくない。

20歳の時に始めて就職して、その時の給与が2万円。一番稼いだ(物価も高かったが)時の報酬は38万円。40歳の時だったが、そのベースで老人福祉の分野へ引き抜かれたから大変であった。破格の給与を貰うことになった。

訳あって一時民間事業所へ避難したが、良心的な事業者で28万位書いてくれていた。それが原因でもないだろうが、倒産してしまった。それを機に、失業保険を貰いながら介護支援専門員資格を取って独立開業している。
居宅指定申請の最後の書類が実務研修修了書だった。

独立ケアマネの給与は???一応20万円を基準にしていたが、2年前に社会保険事務所から『強制加入事業所』の案内を受けた時に、社会保険料本人分を給与に上乗せしてしまった。これが我が事業所の財政破綻の原因でもあった。
しかし・・・。

先日貰う側の案内が来た。今までに納めた額も明示してあるが、果たしてこれだけ貰って良いのだろうか???4年間で払った分を食いつぶしてしまう。事業主負担もあるからその倍になるのだろうが、平均余命を考えると心配である。
私たちの年代で平均寿命が約80歳位と計算されているが、65歳から貰い始めて15年はある。納めた年金額はその当時の物価水準も加味している(のだろう)が、それにしても果たして大丈夫なのだろうか???

という余計な心配をしながら、現在担当しているケースだけは見送りたいとも思っている。どちらが先になるかは判らないが、その気持ちだけは持ち続けたいものである。
退院・入院が続いて・・・追伸  2011・10・27
そして午後、別の入院に関して子から電話をいただいた。担当ケアマネの所属は???と聞かれたということで、連携室を通じて所属(何処にも所属していないのかな???)一応事業所名を伝えておいた。

こちらはひょっとして、総合病院の欠点・自分の担当している分野しか診ない医師がいることへの証なのかもしれない。
入院時状況提供書に、スペースが少なかったこともあるが、サービス担当者から『おかしい』ということで、同病院の予てからお世話になっている「科」を受診している3週間位前のことは書かなかったが???である。

どうも血液が漏れている状態らしいので、輸血をしながら明日以降MRIなどの検査が始まるという。血液データーは決して良くないということであった。
総合病院のベースも(何科とは言わないが)総合的に判断出来る『科』であるべきなのかも知れない。
かかりつけ医が何科とも言わないが・・・

医療は奥が深い。と同様にケアマネジメントも奥が深い。
退院・入院が続いて・・・  2011・10・27
末期がんの方に福祉用具が必要だということで、委託元の包括担当者と一緒に退院前カンファレンスに臨んだ。中2日で退院になるので、プランだけはパソコンの中で作成して、終了後、会議記録を書くだけにしておいた。
というのは夕方の会議で、翌日朝1番に福祉用具の特例使用の申請をして、その翌日(退院前日)にはベッド等搬入しておきたかったからでもある。
地元ではないが馴染みの包括職員とカンファレンスに臨み、初対面の訪問看護師とも日程的なものをすり合わせておいた。

カンファレンス終了後、帰り道にはラッシュにあったが、それがタイミングが合ったのか、相談の電話がかかった。2〜3分で到着すると主介護者は目を白黒させていた。スーパーマンより速い・・・とはこのことで、時々あるということはかなりフットワークが良い・・・のか、乗っている証拠でもある。
帰宅後日課になっている入浴→晩酌・夕食を省略して書類作りを始めた。

支援の様式は慣れないせいもあり、会議記録などは特に時間がかかる。終わったのは22時を回っていた。
これだけやって無報酬とは介護予防報酬に矛盾を感じるが、末期ガンとはいえ、変更申請で介護になるとは限らない。

翌日申請も終え、昨日ベッド等も搬入し・・・そこへ今朝病院から電話がかかった「今日午後から退院です・・・」と。
準備は出来ていますよ・・・と答えたら、こちらもプランが欲しいということで、FAXで送ることになった。ついでに支援経過(会議記録)も送っておくことにした。

そういう中で一件入院があった。かかりつけ医にレスパイト入院(本人に軽度の肺炎もあり)の手配をしていただいた。今冬にかかりつけ医に紹介状(初めてだったので)を書いていただいた時に『そんなこと出来るの???』という状態だったが、『いい手があるものだ・・・』と思われたらしい。
医師がソーシャルワーカーの手法を真似られることも・・・良いことだと思う。

今後定期的にレスパイト入院で、本人・介護者ともに健康管理をしていっていただきたいものである。そして・・・良い手・・・を真似ていただきたい。
在宅介護支援センターは素晴らしい機関  20011・10・18
http://www.zaikaikyo.gr.jp/siryo/pdf/001.pdf

在宅介護支援センターは素晴らしい機能を持って誕生しているが、介護保険法誕生と同時に急増した支援センターではその『理念』を守ることが出来なかったようである。
そこで誕生した地域包括支援センターは如何なのであろうか???
多くは語らないが、もっと悪くなったのかも知れない。

何が・・・と言うことに関しては『理念』ということになるのだろうが、営利を目的にした法人に公的機関を併設させることは『世の常識として・・・無理』なのかも知れない。例え『天下り』と言えども、天下れば『個人』である。怪しい『個人』の会話も耳にしたことがあるし、『個人』とは聖人ではない。
別の言い方をすれば「心の貧しい方々」なのかも知れない(当てはまらない方々には心よりお詫び申し上げます)。

何が怪しいかというと、世の常識が通らない考え方になっておられることである。
世間に階級がある訳ではない。しかし・・・階級世界におられた方々は全て階級で物事を判断されるようである。(そういう方ばかりではないことは百も承知しているが)そういう階級社会での管理者の一言を聞いて「嫌に」なった。
ここに出てくる言葉が「立場で仕事は出来ないよ・・・」ということだろうか???(かって気に入った言葉を紹介したことがあるが、思い出せない・・・)

大きく主題を逸れたが、在宅介護支援センターの本来の目的は『地域福祉』である。誰にでも届く『福祉』を目指していただきたいものである。
・・・ところで『福祉』とは・・・公的機関でなくても出来る。片寄った助成は『おかしい』とも付け加えておきたい。
『社会福祉・・・』という肩書きを多く目にするが、福祉とは『肩書き』ではない。

胸を張って『・・・』と名乗っていただきたいものである。
わが社は『合資会社』であるが、妻と二人で造った会社でもあるので、胸を張って(?)名乗っている。
団塊の世代の老後・・・  2011・10・18
チョッと先輩なのだが、今の高齢化に関する意見交換をする機会があった。

想いは同じなのだが、働ける間は働いて、後はのんびりと過ごしたい・・・。という意向なのだが、お互いに身体に「ガタ」がきている。そのことを承知の上で、「穏やかに身を引きたいね・・・」ということになった。
私の場合は新規を可能な限り受けない方向・・・断わることが出来ないケースは仕方ないが・・・と考えていることを披露した。

同年代で介護が必要になった方の話を聞くし、実際担当もしている。決して「高齢化」とは無関係ではないのだが、「まだまだ若い・・・」という錯覚に陥っていたのかもしれない。
『肩が痛いのはその内に忘れる(痛みは無くなる)・・・』と教えていただいた。四十肩・五十肩と色々言われているが、そういうもの・・・らしい。しかし・・・私の場合は長い・・・もう4〜5年悩まされている。

パソコンが原因だとは思っているが、これを外したら仕事にならない。そこが辛い所でもある。

ゴールド免許の話になったが、お互いゴールド免許である。
でもね・・・お互い最近運転に不安を持っている。
反応速度が遅くなったこと・・・ゆっくりと運転すれば良い。
咄嗟の危険回避に関して・・・自分の安全・態勢だけは維持する。
目が悪くなったこと・・・古くなった老眼で遠視を防ぐ。
などなど・・・お互いに工夫しているものである。

特に健康への工夫は無かったが、『医者嫌い』は健康に結び付くのかもしれない。私の場合は、何かあれば『売薬』である。
そういえば「富山の配置薬」はどうなったのだろうか???東北地方へも行っていたと聞いたことがあるが、地震・津波で影響を受けたのかも知れない。

そういった何でもない世間話から、お互いの『年』を感じた。
同じ想いで生きている『団塊の世代』がここにもいたことに安心した。
可能な限り・・・仕事はボケ防止・・・と・・・のんびりと日々過ごしたいものである。
話の筋が通らない・・・???  2011・10・13
・・・果たして入院中の病院からの紹介になるのか、紹介状を持って受診されたのだから、かかりつけ医に返されるのかは判らない。

家族との話で本人の状態を見ていないので何とも言えないが、話の筋がおかしい。訪問看護先付けのサービス提供はかなりキツイ。もしかして一時帰宅なのかもしれない。
家族には福祉用具の特例使用の話や利用限度額の話をした。どう考えても限度額オーバーなので、その角度から病院と話を進めていただくことにした。
「来週には時間を作ってご一緒しますよ・・・」と。

通常、骨転移した癌の帰宅は在宅ターミナルと考えてしまう。そうであれば訪問看護は医療保険での派遣になる。仮に一時帰宅だとすればどうなるのだろう???これも医療の範疇だろう。
どう考えても「介護保険で・・・」という根拠が判らない。
明日何らかの連絡があるだろうから、それからでも遅くはない。

一応包括へは福祉用具の特例利用の申請等に関して連絡、様式を送っていただいた。地元ではない困難さもあるが、非常に協力的でありがたい。
退院時の会議にも出ますよ・・・ということだが、包括も交えた会議が必要だと・・・この辺りに関して、随分手抜き(?)をしてきたのかもしれない。

明日の病院からの連絡で真相は判るのだろうが、下準備をして置いたから話も早いのだろう。
予測される答えは・・・多分・・・かなりの高額医療になっていることも考えられる。あるいは・・・連続入院にブランクを設けたいのかもしれない。
ルール的にはおかしいが、一応「一時帰宅」の「在宅療養計画」に乗ろうかとも思っている。

『でも・・・どうせやるなら・・・月を跨いで欲しいな〜〜〜
・・・・・・・不謹慎・・・不謹慎・・・・・・』
『。。。』の部分は「ア」「み」「カ」「け」ということで・・・。
そろそろかな・・・  2011・10・6
数年前から肩の痛みが取れないが、整形外科へ行っても患部へ筋弛緩剤の注射と痛み止めの服薬しかなかった。
原因はパソコンなのだろうが、仕事を続ける以上は触らない訳にはいかない必需品でもある。
身体の衰えと定年制に関してこじつけてみた。

労働組合に身を置いていたのは25歳位の時のことである。
当時55歳定年だったが、これを60歳に上げる流れがあった。
団体交渉の場で、現場管理者から異論が出た。(これは流れとして可笑しいのだが・・・)「もう一年で定年だと思ってきたが、これを延長するのか・・・」と・・・。
こういった流れが全国の民間労働組合であった結果として、定年60歳が実現している。

もう40年も前の話だが、平行して年金の支給開始年齢も上げられてきた。この理由は先にも書いたことがあると思うが、戦争の後遺症・団塊の世代の年金を負担する年代の「数」の問題・少子高齢化社会を作り上げた団塊の世代の責任でもある。
そういった私も受給対象者になった。

肩の痛みもあるが、年には勝てない理由がもう一つある。根気が無くなった・・・と言えば良いのか、「どうしても・・・」という信念が無くなったと言えば良いのか・・・。
10年前にHPを公開して介護保険下の実態を知り7年余前に独立開業したが、この7年間で心身ともに衰えてしまったのだろう。

ということで「そろそろかな???」と思い始めている。
書棚に約30件のケースファイルが並ぶが、どちらが先になるか判らないが、最後の一件まで見送る決意はある。
ということでむやみに新規は増やさないことにした。とは言え・・・断わることの出来ないケースばかりで運営してきた経緯もあり、決意が鈍ることもある・・・のかも知れない。

一応「そろそろかな・・・」の方向へ進むことにした。
不適正な認定結果・・・  2011・9・29
認知症加算対象者に要支援1が出た。先々月も一件あったが、認知症加算には届かないが、主治医意見書ではUbにランクされていた。
実態に合わない結果が続いたので、精度を高めていただく為にも保険者調査の率を限りなく100パーセントに近付けていただきたい。そういう思いもあり、近隣保険者の実態もお知らせした。

市保健福祉計画・介護保険計画にもそのことは明記されている。その方向性が見えないこともあり、余計な心配をしている。
数年前に指摘したことがあるので、まさか担当ケアマネが調査をしていることはないだろうが、そのことを当たり前だと思っていたケアマネも少なくない様子である。

実態に合わない認定結果に対して変更申請で対応することになるのだが、認定期間が通常より短くなるという弊害がある。短くなったらなったで、認定調査費用も膨らむことになる。可能な限り費用を抑える努力をしないと、団塊の世代が順次高齢化する現状では、保険料への跳ね返りは必至であろう。

この団塊の世代の問題だが、要介護者が増える分、1号被保険者が増えるから大丈夫だという向きもあるのかも知れない。しかし・・・大きく違うところがある。
戦中・戦後を通じて、現在の介護保険対象者は一般的に粗食(?)で育ってこられたのであろう。ただ・・・私だけの話なのかもしれないが、かなりコレステロールの高い食事をしてきたように思う。

この食生活から、脳血管障害の発症率が限りなく高くなるのであろう。
ということで、そろそろ引退の準備も視野に入れて、可能な限り頑張って行こうとも思っている。
転記  2011・9・29
会議室の新しいパソコンから・・・初投稿・・・2011/09/27/ 09:44

会議室のパソコンの動きが遅くなったので相談すると、デスクトップの交換で対応していただけた。
今朝は試運転・・・ということで記録を残しているが、開業から半年目に開いた会議室だから、もう8年も使ったことになる。

値段を聞いてびっくりだったが、皆様いくら位だと思われますか???
事務所のマウスも動きが悪くなっていたので、光のマウスに変えてもらうことにした。
〆て・・・4万数千円と聞いてびっくりした。

初めてパソコンを購入したときは、手元にフロッピーデスクの、冊子1冊分のデーターがあったのでHPとして公開したが、その時は30万円位していたと記憶している。
画面も大きく、操作も変わったのでまだ慣れてはいないが、動きは早い。

ということで初投稿のご報告です。

最近認定がおかしいので助言(?)をしようと思い、今から人に逢うが、良い方向に行けばいいのだが・・・。
ちなみに、保健福祉・介護保険計画では、今年度末を目処に、認定調査を限りなく保険者調査の方向へ持っていくことが明記されている。
果たして・・・間に合うのか・・・と、余計な心配をしている。
若い時にいじめられたから・・・2011・9・23
・・・「若い時にいじめられたから、何も解からなくなったこの人の全てをお世話する事が、私の復讐です。」と明るく話して下さった方もありました。

インターネット会議の書き出しの文章ですが、今もあるであろう「嫁・姑の問題」。
幸い嫁・姑の問題は我が家にはないのですが、別の問題に悩んでいます。

将来的に「どうなるのか」は現時点では判りませんが、何らかの訴訟が起こりそうです。
人間共同生活を続けていく中で、法にも勝る『理念』が必要だと思います。
その『理念』とは・・・。

いずれお話しすることもあろうかと思います。
一言で言えば『相手の立場になる』ことなのですが、そうばかり行かないのが人生なのでしょう・・・。
記録に残せない相談。。。  2011・9・8
相談を受けたその日の内に入院になった。
脳出血の手術もあったということなので、時間がかかるのだろうと病院も訪ねていなかった。そういう中、昨晩病院から着信があった。
連携室だろうと電話をするが、誰もいないということだったので、連絡を待つことにした。

今朝関係者から連絡をいただき訪問。本人とゆっくりと話が出来た。
話の内容は口外出来ないが、正に『介護問題』がそこにあった。本人は認知症でもなんでもない。淡々と筋道を立てた話が出来る。

総合的に判断して施設入所の方向は正しいのだが、本人が入所出来る施設はない。そこでかかりつけの病院へ入院出来ないかと提案した。
子とも連絡が取れて、夕方会うことになったが、果たしてこの問題を解決出来るかは判らない。

正に困難事例。ボランテイアのソーシャルワークである。
懐かしい記録・・・  2011・9・26
久しぶりに開いたページだが、私自身が真剣に生きてきた記録でもある。
来月から年金生活者(と言うか年金の受給権は発生しているのだが・・・)になってしまうのも心残りがあるので、もうしばらくこの『心』を情報発信したい。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2honn-9.htm

我が人生に残る自己主張(?)。事実を真剣に主張してきた記録です。

結果は現れています。
果たして私が継続していれば・・・もう少し「高岡」の『福祉』は向上していたのかな???
『今は昔』・・・如何でも良い話なのですが・・・私も「高岡」市民です。
余りにも情けない結果(利用者の立場で)なら・・・一騒動起こる・・・カモ・・・知れません。
雨台風  2011・9・4
昨年9月に迷走した台風が北陸に上陸しているが、ここ高岡では大した被害もなかった。増して高岡城址は位置的にも高いので、庄川が氾濫しても大丈夫だと聞いている。前田の殿様が選んだ地でもある。

52年前、伊勢湾台風の目を見ている。台風の目は青空である。
目を見るまでほとんど風は吹いていない。多分立山連峰に遮られたのだろう。目が通過した後の風は凄かったが、そう大きな被害が出たとは記憶していない。
まともに通っても、被害のない(少ない)地でもある。

今回の雨台風は桁が外れている。一両日に降った雨の量が年間降水量を超えている・・・とか、1〜2メートルの雨は想像も付かない。
今後のコースは2つの高気圧の間をすり抜けて日本海を北上するようだが、52年前の台風は高気圧に押されてUターンしている。

最後まで判らないが、明日以降北陸への再上陸が・・・無いとは言えないのだろう。
そういう状況下で、明日大変なスケジュールを組んでしまった。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
アドバイスに忠実な家族 2011・8・31
昨日の相談のあと、気にかかったので総合病院の神経内科を受診することを勧めた。現在かかっている病院から紹介状を貰い、今後の受診の関係からも医師を指定させていただいた。

15時からプランの説明、15時30分からサービス事業所を交えて利用面接兼担当者会議のスケジュールを組んであったが、昼過ぎに電話がかかった。受診したら、糖尿病の方がひどいので入院になった・・・ということだった。

認知症状の進行が早いので勧めた神経内科だが、治療中の糖尿病がかなり進行しているということ。もしかして糖尿病から来る脳症だったのかもしれない。
いずれにしても動きの早い方は命を拾うのであろう。

そして、こちらの対応も早かった。今日の会議でサービススタートを明後日に予定していた。
認定調査が前日だから、暫定スタートになるのだが、被保険者証の預かり書が見付からない状態での暫定プランだった。
相談から中2日でサービススタートであるから、こちらの動きも早かった。

入院治療で介護が必要無くなればそれで良し。
アドバイス通りに動いていただけるということは気持ちの良いものである。
もう最後にしよう・・・と思いつつ・・・  2011・8・30
そろそろ引退を視野に入れ引き際を見据えているのだが、今年に入って断わることの出来ないケースが続いている。
知人・友人などの知人・友人の親族も含め、自身のネットワークからの紹介が多かったが、今回は妻の友人からの依頼であった。

2年位前から肩の痛みが治まらないので、パソコンから離れたい気持ちなのだが、パソコンが無ければ仕事にならない。先日こういった話をしていたら、若い頃にペンを持つ必要があった方からも、肩の痛みの訴えがあった。
現役時代の過労が尾を引いているのだろう。皆様同じ想いを持っておられた。

案外お寺さん(住職)を担当することが多く、今回担当することになるとかなり比率は高くなる。人生の大先輩に守られ、もうしばらくケアマネ人生が続くようである。
自由に生きてきたこともあるが、宗教に関しても中立の立場(?)を保ってきた。しかし・・・人生の最期にはお世話にならなければいけない。

「まだ早い・・・」ということなのか「もうスグだよ・・・」ということなのかは判らないが、確実に一歩一歩進んでいることは間違いない。
勿論、生まれた時から一歩一歩なのだが・・・それにしても我が人生に悔いはない。
ということで、今回も何食わぬ顔で相談に乗ることにした。

このペースでいくと、今年は開業以来、最高の新規ケースを担当することになる。
春先の1ヶ月に±7件という月があったが、それからみれば落ち着いて取り組めるの・・・かもしれない。
法人事業所は社会保険・・が「はじまり」  2011・8・28
2年位前に社会保険事務所から訪問があり、結果加入することになった。
当時もう比例報酬部分を貰っていたので「今更・・・」という思いもあった。

厚生年金のからくりが判らなかったので、保険料の請求額に見合った額を報酬アップしてしまった。若干報酬を減らしていたこともあり、この報酬アップが大変な方向、法人経営にも影響が出てしまった。かと言って給与額の改定は年一回、それまでの間、保険料の負担+年金給付額の減額が同時に来た。
独立ケアマネの皆様には充分気を付けていただきたいところである。

その分何処かで見返りがあるのが制度の面白い点でもある。
今月分から満額年金になるのだが、試算をして見てそのマイナスを取り戻すのにはそう時間はかからない。掛けて置いて「正解」と言ったところだろう。ここ1年分に関してはすぐに計算していただけるようである。

定年退職後働いておられる方も多いと思うが、順次年金の支給年齢が上がり、あと10年を待たずして完全に65歳からの支給になる。若い方々には気の毒なのだが、これも戦争の後遺症、団塊の世代の年金支給時期を少しでも遅らせるために採られた政策である。

国の一大事が集結するまでに100年かかると言われるが、この年金問題も例外ではないようである。
最終的なケアマネジメントは「主介護者」2011・8・27
困難事例にも色々あるが、天涯孤独状態の方のケアマネジメントは、ゴールを見据えて取り組む必要がある。
最終的には行政の責任で解決されなければいけないのだが、行政の目は表面的な「金」の問題の解決なのかもしれない。

財政的に破綻状態だったので、行政ラインへ解決を依頼した。そのケースが事例検討のテーマになったが、私が危惧した同じ問題が隠されていた。サービス事業所がマネジメントの主役になってはいけない。ケアチームを作るのはケアマネジャーだという基本の基本で、問題が起きている様子だった。

措置時代に天涯孤独の方の入所に際して問題提起をしたことがある。
民生委員が身元引受人になっていたが、確認すると民生委員の立場で身元引き受けなどできないと言われる。そこで、公営施設で措置していただくように問題提起をしたことがある。(拒否だったが・・・???)

今回のケースも最終的には措置入所になるのだろうが、その辺りも睨んで行政ラインに乗せた。本人の「していること」からみると財政破綻の状況は変わっていない様子だった。
前任包括によれば「ジプシーのような人・・・」ということだった。
可能な限り在宅で、人生を全うしていただきたいものである。
そして、天涯孤独の方の「主介護者」は「行政」であることを明記しておきたい。
ブラックホールと“∞”2011・8・26
39億光年の星がブラックホールに飲み込まれた報道があった。飲み込まれたのは39億年前である。
“∞”無限大とはその39億光年のもっと先であり、有限の世界を物理学的に説明するために作られた数字(?)である。

有限と無限に関して学生時代に論議したことがあるが、突き詰めていくと頭が可笑しくなっただろう。
反面、介護・福祉に関しても目に見えない対象を扱う分野でもあるので、両極端を感じた人生だったのだろう。
目に見えないもの・・・それは人の『心』である。

ブラックホールに関する結論は、そう理解しないと説明が付かない・・・と妥協している。
しかし・・・ブラックホールの外側がドウナッテイルノカに関して興味が無い訳ではない。
数学の教諭に『∞の先は???』と聞いたら、『∞は∞ジャ・・・』との答えが返ってきた。

宇宙全体がブラックホールなのか、今回星が飲み込まれた部分が∞への入り口なのかは判らないが???・・・もしかして・・・ドラえもんの「どこでもドア」はこの発想なのかも知れない。
独立開業した成果があったのか???  2011・8・25
独立開業した「わけ(理由)」は、果たして私が去ったあと『福祉』の実践が「為されているか」ということの確認でもあった。残念ながら、福祉理念は極一部・・・片隅に追いやられていた。

この確認をするために独立開業したのだろうが、その成果は充分に確認出来た。
何が成果かと言うと、独立開業をするためには『法人格』が必要だった。
2万円の給料を払えない時期もあったが、最高時には20数万円。順次下げて、ここ数年で15万円まで急落させることにした。

現在64歳。年金を請求できる年になった。ただし、満額年金をいただくためには条件がある。
年収をある程度に抑え、総額で月額28万円以内に抑える必要があるのだが、その条件は何とか・・・というか、自分で設定する給与だから出来る。

介護・福祉の分野に転向したのは40歳の時だった。それまでかなり荒稼ぎをしていたので、過去に納めた年金額はかなりランクの高いところにある。
ということはスカウトした法人側も、力が付いた時点でその時の給与を支払っている。

2ヵ月後に貰う年金と妻の年金をシュミレーションしてみた。
若い方々には気の毒な話なのだが、現役時代には及ばないが、その半分位の年収がありそうである。一家を支えるには充分な年金である。
そういったゆとりの中・・・もうしばらく(担当している方がいる以上)・・・マネジメントを楽しむことにしたいと思う。

今までにも増して心の余裕を感じることが出来た。(狭い心だが・・・)
不可解なケースの依頼・・・2011・8・21
支援の方が更新で介護になった・・・地域包括支援センターからの依頼ではない。
支援で担当出来て、介護になったから担当出来ない理由が判らなかった。
一応、月末に向けてパニック状態でプランを書いている時間が無いことを理由に、丁重にお断りした。

年齢・性別・お酒が好きな所が良く似ており、もしかして中学の同級生かもしれない。あらゆるグループとお付き合いもあったので知人なのかもしれない。
自分自身のプランは書けないものである。

そういえば中学校を卒業してからそろそろ50年になる。
3年前に還暦学年同窓会が開催されたが、百数十人が集まっていた。
その団塊の世代が高齢者の仲間入りをする。
年金生活者が大幅に増えるが、今年の誕生日から年金も順次満額になる。
年金財政が何時まで持つのかということも興味深い・・・が、美食家が多かったであろうから、平均余命も下がるのではないかと思っている。

そろそろ年齢的にも身体にガタが出始めている。無理なくスムーズに引退するためにも、仮に新規を担当するとしても超高齢者にしたい。
と思っていても、思い通りになるかは判らない。
そろそろ新規を受けない方向に進む必要がありそうである。
バカみたいな・・・本当の話。2011・8・18
知人を通じて相談があったので行ってみた。
担当ケアマネが懇意にしている医師にかかっていたが、一向に病状が改善されないので、隣町の総合病院に変わりたいと言われる。
透析も必要になっているのだが寝たきりのため透析通院は出来ない。
これらを総合して、希望に沿った対応が出来るようにプランが頭を過ぎった。

医療には医師の出身も加味したネットワークがある。そのネットワークに乗った手術入院→療養入院のルートである。
このルートは人も介して行う必要があり、在宅で担当することは無いのかもしれないが、手術入院までの間、担当ケアマネとしての関係が必要だろう。
そう思い担当ケアマネに担当を交替する旨話をしに行った。

実は更新時期にかかっており、適正ではない認定調査が待っていた。その認定調査で利用者側のはかない望みも吹っ飛んでしまった。
『選択の自由を保障する』市場を作るために舞い戻っては来たが、見るに見かねる光景を目にしてしまった。
担当ケアマネの醜い心に呆れ返って担当することを辞退したが、気の毒というよりもかわいそうな気がした。これが現状なのか・・・0%でない事は事実だった。

最近ケアマネジャーが立場を履き違えているという言葉も耳にするようになった。利用者・市民もようやくそのからくりに気付いたようだ。
先日『会議室』に置いてある印刷物に興味がある老夫婦の来訪をいただいたが、果たして思い通りのプランに変更されたのだろうか???「不満があったら相談してくださいね・・・」と手順を説明しておいたが、思い通りのプランに変更されたのかもしれない。

『会議室』を有効に使っていただきたいと思っている。
年金・定年延長・・・そして・・・  2011・8・16
年金制度は、団塊の世代が親の年代の老後を支える方法としてスタートしているが、ここに来て大きな問題が起きている。その問題とは・・・団塊の世代が順次高齢化してきているということである。

反面、私が小学校のとき、50人クラスで5クラスあった小学校も1クラス(未満)の小規模校になっていると聞く。支える年代が少ないことは「少子高齢化」という聞き慣れた言葉に代表されるのであろうが、高齢者が増えて、支える年代が少なくなっている。
年金財政に現在は預金があるようだが、食いつぶすのも時間の問題なのかもしれない。

順次給付年齢を高くはしてきているが、今年度から団塊の世代が順次年金対象者になる。興味があったので試算をしてみたが、現在給与として取っている額に匹敵する年金額が出て来た。ということは如何にケアマネジメント報酬が安いのか・・・ということなのだが、私自身、身体は使ったが、稼ぎの荒い業界からスカウトされて介護の現場にはいった。

2年位前に、「法人は一人でも社会保険」と指摘されて再加入したが、保険料が高いのに驚いている(経営者=従業者だから満額負担)。社会保険加入後法人会計は可笑しくなっているが、その分も取り戻せる・・・のだろう。

そういった中、定年延長が進んで新卒者の職場が無い現象が起きていると聞く。年金を払う年齢を遅らせることが目的なのかもしれないが、かえって年金額を膨らませることにはならないだろうか???
その上、今後年金の負担者になる若い方々に職場が無いことは、決して良い方向ではないと思う。

そういうこともあり・・・そろそろ自分で定年を決めておくことも大事かと思い出した。これ以上年金が膨れても仕方ない・・・とは思うが、法人は一人でも社会保険・・・ということなので、疑問を感じながら、保険料を払っている。
糖尿病と壊疽2011・8・13
この話を聞いたのはもう50数年前、ひょっとして60年に近いかも知れない。

隣町の氷見市から『祭り』の日には来られる方があった。
この方・・・若い方々はご存じ無いかも知れないが、『エノケン』喜劇役者の榎本健一さんを頼って上京し、その道の専門家の治療を受けられたという。頼って行かれただけでもすごいことだが、それに応えられた『エノケン』さんもすごいと子供心に、記憶の片隅に残っていた。

ここ数年で二人の「壊疽」患者に出会っているが、一人目は片足膝下・もう片足は足の甲での切断だった。
今回手術入院をしておられる方は入院後の血液造影で、もう片足も膝下切断になるような状況である。手術は週明け、裏盆の火曜日、どうも今年は例年の開業とは違うようでもある。(土日休業を優先される医療機関も多い???)

現在は義足の技術も発展してきているので、足が無くても歩くことが出来る・・・のかもしれない。しかし本人は壊疽のためかなり苦しそうでもある。
義足の技術が発展してきていると言っても、両足義足で果たして公営住宅の1階にある4段の階段を上がることが出来るかは判らない。それが出来なければ住居の変更・または透析病院への長期入院になる。

果たしてどの方向へ行くかは判らないが、しっかりと送って・・・そしてしっかりと迎えたい。
約60年前に聞いた話が今役に立っているが、それだけの年月も経っているので「壊疽=達磨さん・・・」ということではないと思う。
発展している義足の技術で、可能な限り在宅で過ごしていただきたいものだとも思う。
花火大会と誕生日  2011・8・5
第60回の花火大会(高岡)が昨日行なわれたが、60年目にして誕生日に開催されてきたことに気が付いた。
子供の頃母に連れられ庄川の川原まで歩いた記憶があるし、混雑した中でバスに乗って帰ってきた記憶もある。
何回かは川原に下りて、直に花火をみたこともある。
その花火と誕生日がはじめて結び付いた。?????

子供の成長とは早いもので、2歳を過ぎた孫の手を引いて10分くらい歩いた場所まで出かけた。
家や街路樹の間から、大きく開いた花火が一望できる場所がある。そのポイントには沢山の人が集まる。

もう年金生活に入っても良いのだが、手持ちのケースが30件くらいあるので、一応全ケースを見届けることに挑戦することにした。
ある時点で法人を維持出来なくなるであろうから、その時点で基準該当も検討していくことにした。
果たして・・・それまで元気で居れるのか・・・。
皆さん、元気で長生きされそうだから・・・。
手術と任意後見  2011・8・1
任意後見が必要な方が、全身麻酔での手術が必要になった。
予てより後見の必要性は話してあったが、今回は時間が足りなかった・・・というか本人の気持ちの整理が出来ていなかった。
仏壇の中には本人自筆の「遺書」があると言われるが、誰が死亡届を提出するのかという問題も出てくる。

手術入院で何かあれば、病院側で届けは出してもらえる。
遺書があるということだから、法関係者につなげば処理も出来るのだろう。
全身麻酔をかけての手術には、数的には少ないがリスクを伴う。今回は何とかなるのだろう(?)が、日々の安心のためにも後見は必要だと思っている。

任意後見。遺言書を公正証書にして届けておくだけで良いのだが・・・。
無事退院の暁には、手続きを取っておくように、再度勧めることとする。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
虚偽の証言(申告)  2011・7・31
私は担当者の認定調査をしない方向で今日まで来た。
担当課から最初頃は不思議がられて、調査が回ってきた。断わり続けたところ、最近は来なくなった。
その間に、認定調査を受けた覚えの無い方の更新が成されたことを耳にしたこともある。不思議なことではあるが、担当ケアマネが調査をしている限りは可能なことである。

そういう中で、少しでも高い介護度を欲しがっておられる方もある。そのことを公然と言われるから、介護度が上がったら担当しないことを通告しておいた。市民を欺く行為は許されない。これは利用者でも専門職でも同じことが言えるだろう。
その為にも担当ケアマネが担当者の調査をすることを先ずは止めなければいけないと思う。

ルールに乗れない方とはあるもので、人として考えられない発想が出てくる。公的なルールに乗れなければそれは犯罪と言って良いだろう。そういう不安をはらんだのが日本の国なのだろう。寂しいことである。

話は変わるが、そろそろ独立ケアマネとしての引き際を考えている。
以前、担当件数の調整のため居宅変更を検討したことがあるが、この時は利用者側から拒否があった。誰でも良いということではない様子である。
今回ゴールに相応しいケースを担当したので、新規は受けないことにして自然減で予測を立ててみた。

約8年間で自然増の結果担当したケースだが、自然減でもこれ位の日数が必要なのだろう。そうなればネックになるのが、法人の維持である。法人会計は素人では困難であり、毎年かなりの出費がある。
一年間の報酬が税理士に流れることにもなりかねない。
そこでの発想だが、基準該当というのは如何だろうか???

等など考えている間はまだ時期ではないのかもしれない。
神経難病と神経内科医 2011・7・27
県内には神経難病の専門医がおられないことは知っていた。
今日の相談はアルツハイマー病の実家の母の相談だった。
少し離れたところで受診しておられたので、神経内科医の近医を紹介した。
このアドバイスが適切だったのか・・・半日インターネット検索で医師の専門分野を検索してみた。

アドバイスは満更でもなかったが、医療素人の私にとって、少し冒険だったのかもしれない。が・・・その手ごたえはあった。
明日受診だということなので、紹介状を依頼していただくことにしておいた。通院が遠いので一番近い神経内科医を・・・ということならば「角」も立たないだろう。神経難病も「難病」だが、こちらも勝るとも劣らない『難病』である。

さて・・・今後如何関っていくのかということになると、最終的には精神科医に頼らざるを得ないのであろうが、現段階で『精神科』には抵抗がある。
問題行動を医療で抑える必要が出て来た時点でも、主治医の交替は良いように思う。一ケアマネの勝手な判断ではあるが・・・。

神経内科は巾が広い。脳に関る判らない部分を担当する診療科ではあるが、「未知との戦い」とでも言おうか・・・開拓者・チャレンジ精神を持っておられる医師なのかもしれない。そういう意味で、こちらも気軽にお付き合いが出来そうである。

確かにケアマネジメント分野においても「如何すれば良いのか???」判らないケースもある。ケアマネジャーが敷いたレールを関係者が修正していく。これがケアマネジメントなのかもしれない。
介護保険で決められたルールを守るだけでなく、日々柔軟な対応をしていきたいものである。
今日の相談で、そのことを身にしみて感じた。本来は医療素人の私が担当するケースではないの・・・かもしれないが・・・チームで関る中に何か光が見えないか・・・とも思った。
日曜日の相談  2011・7・24
患者会・研修会で1日の予定だったが、昨日急に予定をキャンセルすることにした。

経緯から見ると「今日(日曜日)しかない・・・」ということで、朝電話をかけた。通い介護の長女につながり、すぐに相談訪問をすることにした。
相談時間は一時間程度だが、サービスがスタートしているので月曜日には居宅届けを出したい・・・ということでケアプラン完成まで約5時間。今日中に会いたいと電話をするが、かなりのんびりと・・・。午後、通い介護の子と一緒にお会いして、プランを説明出来た。

サービスがスタートしてから明日・月曜日で1週間だから月曜日には居宅届けを出したい。ケアマネジメントの手順を若干端折っても、遡るのは1週間が限度だろう。何とか申請日から対応できないか・・・と。「保険者も申請されたからサービスを利用されても良いですよ・・・」と言っていたらしいが、居宅届を何時で受け付けるのか・・・は重要な問題である。

ケアプラン関係書類一式を4時間で準備したことは記録に残しても良いだろう。ケアプランに合意いただき週明けに居宅届けを出すが、独立開業以来一番最短距離のプランなのかも知れない。
地域包括支援センターに期待する。  2011・7・18
彼と始めて会ったのは15年位前のことだっただろうか・・・。
大学を卒業して実務に着く前に研修に来ていたが、施設中心の研修だったので、私が指導する機会はなかった。
そういう彼が在宅介護支援センター担当になったということで、市から一人暮らし老人の実態調査を軒並み指示されたことに関して、不満を漏らしていたことがある。

独立開業をしてから何件か困難事例の依頼を受けているが、今回だけはSOSを出した。何が困難かというと、口(相談)だけでは解決しない、実務が伴う困難さである。
生保対象者でもあるので保護課も巻き込んで苦戦しているが、ようやく解決の方向性が見えてきた。

今考えても対象者本人の不可解な行動が気になるが、その行動が問題を大きくしてしまった。大きくなった問題は逆に全てを解決してくれるのだが、通常はここまではやらないだろう・・・。
その不可解な行動とは、救急車で搬送されながら一旦家に帰ったことである。何か気になることがあったのだろうが、その一晩のために家は便まみれになってしまった。

隣人から入院日の朝の本人の状況(姿)を聞いていたので、或日3人の男が勇気を振り絞って家に入ってみた。これはひどい・・・結論はすぐに出た。ハウスクリーニングである。
掃除の手配は包括の彼が担当してくれ、費用面に関しては生保として出来る範囲は???と担当者が・・・でも足りない・・・と社協の貸付制度の利用も包括の方で手配をしてくれている。

サービス利用に関しても色々問題が起きており、再開可能なサービスと出来ないサービス、新規に必要なサービスに関しては私のほうで調整を図っているが、先日の確認で、概ね何とかなりそうな感じでもあった。
そういう中で通常業務も平行して行なっているため、スケジュールが頭から飛んでいた。民生委員宅の同行訪問を忘れており電話で催促を受けたこともある。

行政ラインとの素晴らしい連携なのだが、一つだけ残念なことは隣市でのことである。地元ではこうはいかないだろう。
地域包括支援センター・・・頑張れ・・・
16〜7年前の出会い。  2011・7・13
重荷になっている・・・というか・・・本人の拒否もあって思うような援助が行なえないケースがある。近隣は協力的なのだが、本人はその方向を拒否する。・・・困ったぞ〜〜〜。
ということで行政に相談した。

「このケース・・・包括に返して良いですかね???」・・・。
ということで包括へ概要を話して、担当辞退を申し入れた。
・・・・・・・。
それから数時間後包括担当者から電話がかかった。「今から担当者と一緒に家の状況を見に行きますが、同席されますか・・・」ということで同行することにした。

玄関の鍵は開いているので、さて・・・如何するか・・・「入りましょう・・・」ということで踏み込んだ。部屋の戸をあけた瞬間、予想はしていたが、凄まじい光景が目に飛び込んだ。便・尿が垂れ流し状態になっている。小さな虫が飛び交っている。とてもじゃないけど、帰って生活出来る状態ではない。3人で入院中の病院へ直行した。

病棟でMSWも交えて今後の相談が始まった。包括の彼から「ハウスクリーニングで掃除・消毒をして、少なくとも居室の畳を入れ替えないと・・・」先ずは結論から入った会議だった。
実は先日近隣からの情報で本人に掃除の必要性を話したが、本人の答えは拒否だった。しかし現状を見てしまった3人の答えは、本人の意向はともかく、住むことの出来る住居を準備することだった。

方向性を決めて、各自の担当分野も確認して退院出来る住居環境が整うまで入院出来るようにしていただくことにした。このことが出来るメンバーが集まっていた。
・・・そういえば・・・〇〇さんとの出会いも便が点在している家だったナァ〜〜〜。一人言のように呟いたが、皆さん納得の様子だった。

少し金がかかることになるが、メンバーが揃っているのだから、各々の立場で・・・答えが出るのも早いだろう。
飛び回る一日になりそうな・・・  2011・7・11
更新2件の調整とレスパイと入院の対応は日程に乗っているが、昼頃1本の電話がかかる予定になっている。この電話の内容次第では大変な一日になりそうである。
退院調整に関して根回しは終わっているが、丸っきり新しいプランに組み替えられる。そのプランはパソコンに入っているが、退院日次第では大慌てする必要がある。

既定のコースを巡回しながら1本の電話を待つことになるが、この内容次第では、明日から新しいプランがスタートすることになる。ケアマネジメントの醍醐味なのかもしれない。
果たして日程に乗せることが出来るかは判らないが、今日も一日暑い日になりそうである。
今日の行動を予測して、昨日代車に10リッターのガソリンを入れておいた。走行距離100キロを超える一日になるのかも知れない。

携帯電話があるからこそ出来る仕事でもある。
おまけがあった・・・。  2011・7・6
複合機・車の問題が解決した月曜日の夕方、メガネのフレームが変形していた。孫が触ったことは判っていたが、手で修正した。そのあとが大変だった。
1時間も経たない間に、またフレームが変形している。前回と同じように手で修正したが・・・ぽっきりと折れてしまった。
不覚・・・。

メガネスーパーも考えたが、その足でめがね店へ走り一番安いフレームにレンズを組み込んでもらった。1万円でお釣りが来たので、何とかポケットマネーで解決出来た。
100万円から4万円に安く上がったのが今回の収支決算であるが、支払が誰かという話は別にして、100万円レベルの収支決算である。

新車に乗り換えは『ローン』を意図してのことだが・・・もうしばらく事業所は維持出来そうである。
それにしてもケアマネジメント報酬は『安い・・・』。
独立してケアマネジメントが出来る報酬にしないと、日本のケアマネジメントの『倫理』を守ることは出来ないであろう。

それにしてもケアマネジャーの理念の低さに驚いている。
この現状を作り出したのは日本の国政・厚生労働省なのかもしれない。
団塊の世代が高齢化する日は近い。
戦争の後遺症でもあるが、この後始末をするのも国民である。
「公正・公平」なケアマネジメントが日本で実現出来るかは判らない。

来月から年金生活に入っても良いのだが、年金財政までパンクしてもらっては困るので・・・もうしばらく厚生行政を「看視」の目で眺めることにした。
冷や汗ものの日曜日。  2011・7・4
月初めから複合機の調子が悪くて、実績が届かなくて取りに行ったケースが一件あったが、何とか8割方届いた。
そこへ追い討ちが来たのが、オートマミッションの故障である。

朝一番に車のセールスから電話がかかった。メーカーへクレーム修理の申し入れをしてある・・・ということで、しばらくしてからかかった電話では、クレーム修理をするから代車の入れ替えをして欲しい・・・といった内容だった。まだ代車が準備できないのであろうか・・・電話はかからないが、3〜40万円の修理代は必要なくなった。

そこへかかった電話が複合機に関してだが、FAXと電話だけの機種なら3万円だと言う。現在使用中のものはそろそろ10年経つが、確か10万円位だった・・・様な・・・記憶がある。複合機も随分安くなったものである。
おまけに現在使っているトナーが1本1万円。新しい機種では2本で1万1000円だとか・・・
以上をザ〜〜〜っと計算してみても50万円は得をしたような気分になった。

中古車に乗り換えるのなら新車を・・・と考えていたのだから、気分的には100万円近く『儲かった』。
今晩の晩酌は美味しいだろうな・・・くれぐれも外には出ないことにしよう。

バックしない???やったかな・・・  2011・7・3
月をまたいだが日曜日にしか会えない方を訪問した。
家に着いて車庫イレをしようとしたが・・・バックしない。バックしなければ前進しかない・・・ということで一回りして、前進で脱出出来るように車を止めた。

用件を終えて一路車屋さんへ直行した。途中勝手にエンジン回転が上がりクラッチが滑るような感覚もあった。
“やったな・・・”オートマチックの故障である。
何とか車屋さんに到着。修理概算を聞いてみた。何と・・・一か月分の介護報酬である。修理をするか・・・中古車を探すか・・・車検を終えて半年だから、まだ一年半乗る・・・ハズだった。

車屋さんから部外のセールスに電話、中古車の相談をしてみたが、軽は高い。会社の新車は妻の専用車になっているし、妻の車を燃費の関係もあって仕事に使っているのだが、経理面でも複雑な関係になりそうである。
仮に修理をすることになっても、高額の修理だから税理士の指摘があるだろう。勝手に妻の車を持ち出して壊したことにしようか・・・いずれにしても一ヶ月分の介護報酬が修理代では・・・イタイ・・・

近年オートマチックの車が主流になっているが、私にすればどちらでも良い話。便利になれば故障も多いという話なのだろうが、明日代車が届いてからの判断にすることにした。
しかし、ここに来て3〜40万円の修理代は『イタイ』・・・。しかし中古車を探すよりも安いのかもしれない。

困ったぞ〜〜〜。

自己作成プランへの支援2011・7・2
ケアマネジメントには法に定められたルールがあり、プランそのものを自己作成するとなると市民の立場からはかなりの労力になってしまう。
しかしプランはケアマネのものではない。
利用者本人・家族・親族にとって心地良いプランとは、必要に応じて柔軟に変化出来るプランなのだろう。『予定』に合わせ自由に変化させることで、その機能が倍増することもある。お盆を前にその計画が形に現れた。

ということで、遠く離れて暮らす子等が一人暮らしの親の元へ帰ってくる。その間のプランを如何すれば良いのか・・・答えを出したのは次男だった。
プランがスタートしてから5ヶ月間。もうコツは飲み込んでおられた。
各サービス事業所とも相談され、8月分のプラン(サービス計画)は完璧に出来上がっていた。

一件自己作成プランの支援を行なっているが、内容は利用日不定・利用回数?回・・・というものだが、このケースも月単位から週単位へと回数の増加につながっている。そろそろ介護プランに変わっていくのだろう。
自己作成プランをケアマネジャーが作ることこそが、介護保険法スタートの目的だったのかもしれない。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
昔お世話になった医師から・・・。  2011・6・26
『虚構』のまとめを書いたのが入院中の病床であった。早いものでカレンダーが一回りした。
当時手術室に3回入ったが、完治することは無かった。そこでその道の『名医』と言われる医師を紹介していただいた。
その医師と先日10数年ぶりにお会いした。

挨拶すると誰かお判りいただけた様子で、事業所名の問い合わせがあった。簡単に「HPの名前なのですよ・・・」と伝えておいた。
それにしても懐かしい思い出でもある。
それからしばらくして介護支援専門員受験→独立開業となる。
居宅の指定申請の最後の書類が「実務研修修了書」(コピー)だった。

早いものでHP公開から10年になろうとしている。
11年前の今頃は「虚構」の原稿をワープロ入力していた。
真夏の暑い時期に「製本」していた記憶があるが、やれば出来るものである。
その後原稿を元にHPを作るのだが、HPビルダーに写す方法は原始的であった。知識が無いとは恐ろしいことであり、スキャナーで原稿を読み取って、その文章を校正してページを作っている。
そのHPがキッカケで独立開業をすることになるのだが、人間出来ないことは無いのかもしれない。その前まではワープロも触らなかった。

話は随分逸れたが、地域における医療連携に関して必要性を感じていただいている医師も随分増えた。タイミングの良い時には「お元気訪問」と「回診」が合うこともある。主治医と直接退院調整ということも珍しくは無い。
開業医の先生方にも色々あるが、流れに乗り遅れている先生方には頑張っていただきたいものである。

宇宙遊泳の如く、医療・介護・福祉の中を飛び回る今日この頃でもある。
最期に残るであろうケース  2011・6・19
どちらが先になるのか・・・人生判らないが、例え居宅を閉鎖することになっても担当を続ける必要があるケースを担当した。2件目の後見が必要なケースでもあるが、一件目は良いタイミングで成立している。

『会議室』を開設して早いもので7年になろうとしているが、一件目はこの『会議室』が公正証書遺言作成の場になっている。
遺言書作成から2週間目に帰らぬ人になられたが、これが無かったら大変なことになっていたであろう。必要な法的手続きは摂っておく必要がある。

老化とは突然に来るものではないが、2年余り前に膝と肩の痛みから始まった老化現象も、肩の痛みだけは無くならなかった。原因はパソコンなのかもしれない(だろう)が、仕事を続ける上でパソコンは必需品である。
そして老眼もかなり進んで、最近かすみ目(と言うか焦点が合わない)現象も出てきた。

新規は可能な限り断わっているが、断わることの出来ない新規もある。4月を中心にした出入り7件(プラスマイナスゼロ)はキツかった。
本格的に年金生活者になる年になったが、年金記録を見ると、若い頃はかなり荒稼ぎをしていたようである。それに比べ福祉・介護保険関係は報酬が安い。とは言え、私が老人ホームにいた頃は引き抜きでもあったので、破格の給与をいただいていた。。。

平成元年にデイサービス運転手としてのスタートだったが、どっぷりと高齢者介護に浸かってしまった。
波乱万丈の人生だったが、人生を謳歌出来たようである。
最期の1件は、多分自己作成になるのだろう。
選択の自由・・・を求めて・・・  2011・6・13
妻の『選択の自由』を求めて、夫の来所相談があった。
話の結果、包括職員の行政のもつ被保険者情報の『適切ではない』操作が行なわれた背景が目に見えてきた。包括で出来なければ併設居宅でも良いのだが、それではサービスの『囲い込み』になると手の込んだ操作が行なわれていた。
希望のサービスは他にあったのだが・・・情けない現状を見てしまった。

私のアドバイスは『利用者が利用したいサービスを組み込んだプランを現在のケアマネジャーに依頼をすること』だった。
そうすると裏の背景で『困りごと』が発生する。包括併設サービス(?)が無くなってしまう。相談者には目を白黒させてこの話を聞いていただけた。
おまけの話として、利用表はいつも郵送で、担当ケアマネの訪問は無いということ。ここで『スタンプラリー』の話をすると、相談者の顔が緩んだ。

人間として常識程度の月一訪問(モニタリング)だが、当たり前の如く『訪問しないケアマネ』が今でもいる。『認定調査を受けなくても更新が出来たり』困った状況が市のあちこちに見受けられる。ほんの一部のケアマネで全体のレベルを下げてもらっては『困る』ということだろう。
問題点の整理をして、担当ケアマネに『希望』を伝えてもダメならば、再度相談に乗ることにした。

未だにこの種の苦情相談があることに驚いたが、隣接包括間でケースのやり取りをしているレベルにも驚いた。
開業以来、認定調査のあり方や行政ラインでの行政の持つ被保険者情報の囲い込みの構造を指摘してきたが、裏には根強い「天下り構造のゆがみ」が横たわっていることも目に見えている。

情けない現状だが、「シッカリシロ・・・」とエールを贈りたい。
人生最期の選択2011・6・12
胸騒ぎがしたのか、偶然なのか・・・病室を訪ねると主治医からの話がもう直ぐ始まるということ。立会いさせていただくこととした。

主治医から親族への話の後、親族と主治医とで本人に「告知」が行なわれた。余命2〜4週間。最期の時間を過ごす場所として在宅か病院かの選択である。
本人の選択は一週間考えさせていただきたい・・・というものであった。

病院からの帰りに在宅の方向になっても良いように、サービス事業所に方向性を伝え、主治医からの話を家族との問答集の形でまとめた。週明けに配布する予定だが、そこには家族の思いも記されている。
最後の最後まで・・・本人に納得していただける支援を行ないたい。
組織の熟成度と組織の方向性・・・。  2011・6・2
組織の方向性は決まっているのだが、まだその方向へ踏み出すことが出来な・・・かったようである。
果たして今後同じ方向に向けた話があるのか・・・???・・・は判らないが、私はこの結末を見ないことにした。

大きく話は変わるが・・・隣り合わせた方から「専門職集団で−−組織作りをすることによって、独立(個人)開業することも出来るね・・・」という話があった。正に専門職として目指すところなのだが、介護支援専門員に関してはそこまで意識が高揚していないだろうという角度からの話であった。

是非その方向を目指したいね・・・ということで、独立ケアマネの「引き際」に関してお話をした。
人間・・・(スーパーマンでも)・・・その引き際を常に意識している必要がありそうである。
責任を持った引き際のシナリオを書いておく必要がありそうである。

団塊の世代も段階的に年金生活者・介護対象者になっていく。
(若い)女性ケアマネには困難事例だが・・  2011・6・1
インテーク面接で「手に負えない・・・」と判断されて依頼の電話があった。独居ということもあるが、本人の生活に対する姿勢から「私には出来ないわ・・・」ということになったと推測する。決して「若い」からではない・・・と思う。

今日研修会で(その)先輩にお会いした。「〇〇さ〜〜〜ん」と声をかけると、隣にいたのが彼女だった。出来ないことは出来ないと言う、素直なケアマネジャーである。「上手く行っていますよ・・・」と内容こそ伝えなかったが、これで安心していただければ良いと思う。
「もちは餅屋・・・」ということだと思う。

以前にも同じようなケースがあった。(今回何処までエスカレートするかは判らないが・・・)大晦日と元旦の緊急電話で助けたが、時が時だから自分で運転して行ったわけではない。運転手に使った代わりに、タクシー料金並みの運賃を請求した。「払ってやってね・・・」と。
今後どのような経緯を辿るかは判らないが、ヘルパーが馴染んでも介護支援専門員に馴染めないのが、いわゆる「2号」被保険者の独居者・老人になりきれない「男」なのかもしれない。他人事ではない・・・。

「老人」になりきれない「老人」(予備軍)がそろそろ高齢者の仲間入りをする。実際には65歳まであと一年余りあるのだが、この年代の皆様には私も含めて「常に若くいて・・・」と願っている。
とは言え・・・今年迎える誕生月からは、皆様「年金生活者?」になられる。
戦争の後遺症・・・「団塊の世代」も高齢化した。その清算が今から始まる。しかし・・・その清算を「孫・子」に背負わせたくはない。
国の一大事の清算には100年かかると言われている。その清算が終わらない内に今回の「大災害」が起こった。

わが社の決算の如く・・・赤字決算の順送りになるのかも知れない。
今更「政府」を責める(追求)するつもりはない。
可能な応援はする予定ではいるが・・・年々からだの衰えも感じている。
整形外科医が「触らない方が良い・・・」と言った、左首の付け根のしこりが気になる・・・今日この頃でもある。

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束の間の家庭???  2011・5・13
強がりを言っておられたが、求めておられたのは『家庭』だった・・・と推測する。
ヘルパーが入って1週間目に入院になってしまった。

昨日の朝、緊急ヘルパーの依頼があったという。緊急時の連絡先として、管理者の携帯電話を伝えてあった。目的は『買い物』だったという。
夕方「ベッドから落ちた・・・」と連絡があったと連絡をいただいた。ヘルパー事業所は夕方の忙しい時間でもあり、担当ケアマネが緊急時の「SOS」に対応した。
訪問すると、かなりお酒が入った状態でベッドから転落。横にはコップが転がっており、コップの中身で衣服も濡れていた。着替えを探して、着替えてもらった。

日に2回の緊急時訪問なので、ルールを作らなければいけないと準備していたが、今朝ヘルパー事業所から電話がかかり、真夜中に携帯に着信が残っていたと連絡をいただいた。
午後になって定期通院の病院から電話がかかった。状態が可笑しいので総合病院受診・入院になったということ。後見役の親族の電話番号を伝えた。

しばらくして後見役の親族から電話を貰った。病院から脳外科で手術中だと連絡をいただいたということ。関って1週間だが、一応関係者との連携は取れていた。本人の状態も心配なところだが、実は・・・このように連絡がスムーズにいった理由がある。1通の文書を主治医に届けたのは2日前である。

「主治医連絡票」担当のご挨拶とケアプランの方向性を主治医に伝える文書様式があるが、これを届けていなければ連絡も無かったであろうし、親族への連絡も出来なかったであろう。
朝・夕方・夜中の電話は身体の異常を伝える電話だったのだろうが、その異常を伝える相手が出来たのは1週間前であった。

束の間ではあったが、「家庭」の雰囲気を味わっていただけたのかもしれない。そして元気に退院して、前向きに生きていただきたいものだと思う。
他人事ではないが・・・私から見ても・・・酒量が多い。
元気に帰ってこられたら「お酒論議」をするのも良いかもしれない。

家族は大切にしなければいけないと、日々感じている「団塊の世代」がここにもいる。
『介護問題』との出会いは???  2011・5・8
開業から7年経過したが、テーマの『介護問題』には、ゼロではないが、なかなか出会えないものである。『介護問題』を「介護に係る、家族・親族の問題」と定義付けているが、開き直って向き合っているから、問題ケースは逃げて行く・・・のかも知れない。
在宅介護支援センターソーシャルワーカーとしての一年余りで、約500件余りの相談に関ったが、実感として『介護問題』と位置付けられるケースは1〜2%位だった・・・だろうか???この七年間で関ってきたケースの数はデーターとしては遥かに少ない数である。

例えば独居であっても、必ずしも「困難」になるとは限らない。『介護問題』を見る目で「独居老人」を見れば、自ずと解決策が見えてくる。本当の意味での『天涯孤独』は少ないものであるが、人生の中で、親族がありながら『天涯孤独』になった方に関しては、少しテクニックを使う必要があるだろう。勿論「ダメなものはダメ」である。
成年後見制度の有効利用を心がけてはいるが、後見に漏れる方がある。本人の意思は尊重しなければいけないが「アンタ・・・如何するの???ワタシャ知らんよ・・・」と突き放すのも良いのかもしれない。

背景が如何なのかは判らないが、独居に関する二件の相談を抱え込んでおられる方からメールが届いた。背景から包括への相談など、介護申請した場合の予測などに関しても簡単に返信しておいた。「時間が合えば同行させていただいても良いですよ・・・」と・・・。
返信ではまだそこまでは行っていない様子だったので、「何時でも連絡して下さい・・・」と締めくくっておいた。

「介護相談」では本人の背景を探る姿勢が重要である。勿論本人の「お困りごと」も重要なのだが、その置かれた立場に焦点を当てて『相談』に臨む必要があると日頃感じている。
相談者の言葉から、その背景が見えてくる。決して表に出た言葉だけで判断しないようにしている。
石橋を念入りに叩いて・・・念には念を入れて方向性を見出したい。
久しぶりの遠出・牧歌の里  2011・5・4
ゴールデンウイークに入ってから急に持ち上がった話だが、今日は運転手役を引き受けることにした。
孫が主役のドライブだが、東海北陸道沿いの「牧歌の里」へ行きたいと言う。
高速道路網も整備されてきており、距離の概算は130キロメートル、時間にして2時間見ておけば大丈夫だろう。

高速運転は慣れているのだが、一つ不安がある。車が子のワンボックスカーである。
約30年前ワンボックスカーが出始めたが、値段が高くて手が出なかった。そこで買った車がスバルドミンゴである。軽四サイズの車をワンボックスに仕立てた車だが、随分遠出をした。高速道路で横風を受けると怖い車でもあった。

子が小学校時代のゴールデンウイークは毎年東京ディズニーランドにいた。
元来遊ぶことはキライではないが、これだけ毎年になると度が過ぎている。
子の「笑顔」が見たかったということだろう。
今日は孫たちの「良い顔」が見れるのだろう。
7時半出発と言っていたから・・・そろそろ起きて来るのかな???
ゴールデンウイークとケース依頼・相談  2011・5・3
ゴールデンウイークが始まろうとしている時に、某居宅から相談の電話がかかった。相談の上「対応が出来ないので・・・」と言われるので引き継ぐことにした。
FAXで面接のデーターを送っていただけたが、細部までアセスメントが書き込まれている。素晴らしい介護支援専門員である。しかし・・・彼女が「手に負えない」と思って私に連絡をして来たのには「訳」がある。その「訳」とは・・・。

天涯孤独ではないが『天涯独居』である。おそらく彼女の頭を過ぎったのは「誰が骨を拾うの???」ということだったのかもしれない。
訪問して一番心配な部分を聞いてみた。『親族の関わり・関係等々』幸い親族に関って頂いている甥があるという。この実態を聞いて、担当可能だと思った。

成年後見(任意後見)はケアマネジャーの身を守る制度でもある。
生活全般の世話は出来ても、他界された方の世話は出来ない。もちろん日々支援が必要な方もあるが、多くは『最期』に法的な措置が必要になってくる。この段階でのケアマネジャーは『無力』である。この背景を描いての相談でもあった。

話の筋書きを描いていると話しのキッカケはあるものである。
相談の中で住宅改修の相談があった。手すり2本の話なのだが『関係』を明確にするキッカケにもなりそうである。
そこで『後見』を担っていただくことになる兄弟の子に登場していただくことになる。

相談の日程が決まらなかったが、ようやく連絡が取れて「こどもの日」の夜にお会いすることにした。
翌日居宅届けを出して、その日の内にサービス担当者会議、そして翌日からのサービス開始である。私にしか出来ないスケジュール・・・なのかもしれない。

ポイントの要に関しては、こちら側にも意思表示出来る場面がある。
相談の原則なのかもしれないが、お互いの立場で相談の方向性を確認しながら・・・一歩一歩進めていくことは重要なことだと思う。
(実は・・・本当に私が担当しなければいけないケースなのかな???と思っている)
受ける側にもマナーがある・・・と思う。明確に日程をお話しているのだから、催促をしないでも日程に乗っていただきたい。
求めていたのは「たった1本の電話」である。
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四月の締めくくり・・・。  2011・4・30
非常に忙しい1ヶ月だった。(心を亡くしていた・・・カモ???)

初日の癌ターミナルの担当者会議に始まり、退院を待っていたケースもあり、癌のターミナルで再入院になった方など、5件のスタートを切った。
スタートが五月にずれ込んだケースも2件あるが、最後の最後の駄目押しとでも言おうか、面接を済ませてきた。

民間なのだが、初回面接を終えた居宅からの依頼だったので、いただいたデーターから想いを巡らせてみた。「もしかして・・・後見がらみのケースかな???」と方向性を定めて面接に向った。
「案ずるより生むが安し・・・」何の変哲もない、しっかりと親族がガードしている、老人と呼ぶにはまだ早い、独居老人だった。

以前にもその事業所から良く似たケースを依頼されているが、私には何でもないケースなのだが、女性には困難な事例なのかもしれない。
1週間後のスタートに向けて日程調整は終わった。
ゴールデンウイーク明けには二件のサービスがスタートする。
団塊の世代は平均余命を下げる??かも・・  2011・4・29
日本の平均余命(0歳児の余命)は現在世界一である。

国及び地域   男   女    総合 男 女
   日本   79.0    86.2     82.7

しかし、私を含めた段階の世代の平均余命があと20年あるかは判らない。
現在の平均余命以上の年代の皆様は、戦前戦後の食糧難の時代に「芋のつる」まで食べて来られた方々である。それに比べ戦後生まれの私たちは、随分『美食』だったのではないかと思う。

20代の話だが魚より肉食が好きであり、給料日には自家製のステーキが出た。血も滴る・・・とはこのことであり、ステーキ肉の重さは200グラム。そのステーキを平らげていたことを思い出す。決して『身体に良い』食生活を送って来た訳ではない。

魚といえば『骨のない魚』が好物だったが、まさかクラゲを食べていた訳ではない。刺身もしくは骨を外した焼き魚・煮魚が食膳に並んでいた。
言い換えれば『骨が付いている魚は食べない・・・』ということだった。

決して『スマート』な食生活をしてきた訳ではないし、お酒もかなり飲んだ。焼酎・ウイスキー・ブランデイ・日本酒・ビール等など。何でも良いのも私の特徴である。
しかし・・・流石の私も戦時中は・・・こうはいかなかったであろう。

悪までも平均レベルの話が、体質に合わない方や病気の方を除いて、かなりの確立の数字で晩酌を続けてこられた方があるのだろう。もし統計があれば見てみたい衝動に駆られているが、ここ6〜7年下降だった。
http://bizmare.bizplat.net/top/category/detail/30

表題のPRの成果だろうか・・・下降線を辿っているのが現状のようだ。
ということは・・・団塊の世代が現役並みに『酒』を飲むことが出来なくなった・・・ということであろうか???
寂しいことである。
両肩が・・・痛い・・・  2011・4・27
もう2年前のことだが、バス旅行のあと膝関節の痛みから始まって、最後は肩に来た。整形外科で注射を続けてみたが、痛みを止めるのは、痛み止めの服薬だった。少しは軽快したが、完治は諦めた。60歳の頃だったと思うが、ソフトボールでセカンドを守っていたが、ホームまでボールが届かないこともあった。「老い」を感じた。

仕事の関係でパソコンを使うが、肩の痛みはパソコンの影響なのかもしれない。一日何時間パソコンにつながっているだろうか???
約20年前、ワープロからパソコンへの流れがあった。その時はキーボードに触ること自体を拒否していたが、必要があってキーボードに触った。このキッカケが無ければ・・・時代について行けなかったのかも知れない。

そろそろ引き際を頭に置いているが、今月の様子を見ると、まだ早い・・・とお叱りをいただいたようでもある。
昨日税理士とも話していたことだが、給与改訂だけは大幅減にする予定である。かなりの出資もしているので、そう多くは法人事業税の付加も無いでしょう・・・という答えではあったが、収束の方向性だけは確認した。

積極的に新規ケースを開拓するつもりは無いが・・・そういう想いに反するのが現実である。断わることの出来ないケースとはあるものである。

例年年度始めは波乱万丈・・・。  2011.4.25
例年年末年始から年度始めにかけて、ケースは大きく揺れる。
入院ラッシュに始まり、退院ラッシュ。落ち着くのはこの頃、ゴールデンウイークの頃である。
今月は「癌に始まり・癌の1ヶ月」だった。

先月初めに相談があった方に関しては主治医意見書の病名で大凡の予後を推測した。
4月1日に突然サービス担当者会議に呼び出された方に関しては、「望ましい方向」へ進んでいる。
いずれにしても当初から「そんなに長くはない・・・」と推測している。医療素人の「体感」からの推測である。

一件、今日子から再入院になったと電話を頂いた。
利用施設へ電話で入院の旨伝えると「席はどうしておきましょうか???」と返答があった。担当者も今度入院をしたら「帰って来ることが難しい・・・」ことは充分承知である。一応状況が判るまで席を置いていただくことにした。

もう一方は今日訪問すると「お前帰れ・・・」の仕草があった。
往診医をより身近な(昔から関わりのあった)医師に変更したり、万が一の心構えを家族・親族に植え付けたり・・・心の面でターミナルを迎える準備は出来ている。初めて関ったヘルパー事業所だが、私のマネジメントに対して「判る・・・判る・・・」の返答をしていただいている。

誰もが判る。誰の心にも届くマネジメント。
そして急変に対しても慌てなくても良いマネジメントを心がけている。
波乱万丈の中での幕開けだが・・・もうしばらくやれるのかな???との実感を得ている。
1ヶ月の内にプラスマイナス5はかなりキツカッタ・・・。そして来月早々2件がスタートする。何とか帳尻が合いそうである。

人口のドーナツ化現象・・・。  2011・4・23
幼少時を別の校下で暮らしたことは先日書いたが、当時1学年に50人クラスが5クラスあった。1学年に約250人の同学年の生徒がひしめき合っていた訳である。(生存)競争は激しかった。
その校下の新入生が「22人だった・・・」と、ニュースで報じられていた。

もう50数年前の話だが、団塊の世代・・・戦争の申し子が、狭い地域にひしめいていた訳である。
社会が安定するにつれ郊外に住宅地が造成され始めた。人口は郊外へ・・・郊外へ・・・と分散して行き、旧『町』は過疎化してしまった。その結果の数字だから、数字だけ見て「子供の数が10分の1以下になった・・・」というつもりは毛頭無い。

狭い地域に子供たちがひしめいていた時代に育った身としては、社会生活に関る競争率(子供のことだから・・・知名度)がかなり高かった。
言い換えれば『ワンパクボーズ』が有名だった実態がある。
育った地を離れてそろそろ50年になるが、「昔のおバーちゃん・おばちゃんの多く」はもう他界されているが、「昔のおネーちゃん」の情報は入ってくる。その方に相応しい人生を送っておられるようだが、そろそろその『お姉ちゃん』も介護対象者になって来ておられる。

私がもう少し若かったら、その当時の『お姉ちゃん』方の面倒を看ていけば良いのだが、そろそろその夢も実現出来ない予測が大きくなった。その原因は・・・???
『女性は若い・・・』と言ったら怒られるが、どうも残るのは女性のように感じている。
何時までも若々しい女性を作り出している背景に『家族関係』があるのだが、知る限りでは『良い伴侶』を得ておられる方が多いようである。

介護保険に直接関ることが出来るのももうしばらくのことだと思っているが、もしかして・・・とんでもないところから呼び出しがかかる・・・かも知れない状況が・・・。
最期は『自分自身』の介護保険なのかも知れない。
一年余りすれば被保険者証が届くが、可能な限り「介護申請」はしない方針だが・・・果たして如何なる事やら・・・。
最近酒量が増えている。(美味しいから・・・)
皐月(ツツジ)2011・4・23
玄関先(事務所入り口)に小ぶりな皐月の木があるが、昨年・1昨年はこれ以上咲けないほど花を持った。
例年ならあと2週間ほどで満開をむかえるが、今年はつぼみの持ち方も少ないように思う(肉眼での確認だから老眼鏡をかけると、もう少し見えるのかもしれないが・・・)。

今年は例年から見ると大雪だった。38年・56年の大雪を経験しているので、それから見れば少なかったのだろうが、2月初旬にもう一日降り続けば危ない状態(雪下ろしが必要)だった。
その様な雪に、雪つり(竹囲い)はしてあったのだが、雪害を受けたのかもしれない。

開業した7年前から咲き誇ってきた(何年かは少なかったが)皐月の今年の咲き振りが楽しみになってきた。
何かと慌しい一日・・・2011・4・16
予定が若干狂っただけで、かなり忙しいことになる。
サービス事業所を変更するだけで、かなりの文書を作り直すことになる。
馴染の事業所への変更だから、少しは手抜きしたが、これも本人に「ベスト」より「ベター」を選んでいただけたことに救われた。かなりお疲れの様子でもあった。

家族に電話してもつながらない状況が半日続いた。電話がダメなら・・・先ず現地視察・・・といった所だろうが、何故電話に出られなかったかが判らない・・・???家にはおられた。
書類を調えてサービス事業所へ向おうとしている所へ妻から電話がかかった。孫が子の勤務先に行っているので迎えに行って欲しい・・・ということで、若干コースを変えることにした。

孫を乗せ事業所へ書類を届けてから優しく孫に「ジュースでも飲もうか・・・」と言ってみた。孫の答えは「トイザラスへ行きたい・・・」だった。
目的は判っていたが、財布も軽かったので今日は『拒否』をした。
おもちゃではないが、年齢に応じた「ドリル」に凝っている。

数字が好きで、4歳児ではあるが、数字を書くことも趣味である。
「末は博士か大臣か・・・」という名言もあるが、数学者を目指しているの・・・かもしれない。
忙しい中にものどかな日々が続いている。

そして夕方相談があると電話をいただき、将来的には自立したいと思っておられる新人ケアマネさんと4時間余り懇談の機会があった。
幼少時を過ごした地 2011・4・16
高校入学と同時に現在の地に越して来たが、最近仕事を通じて旧知の方と逢うことも多い。しかし、足元の同年代の状況がよく判らない。その様な中、地元の同年代から親に関しての相談があった。

本人にお会いしてみるとかなり昔のこと、人のつながりが判ってきた。
町並みも変わり、場所の特定も困難な中『会議室』の場所が話題になった。その辺りに同級生が居た・・・名前まで覚えておられる。
「その〇〇さんが私の母ですよ・・・」

妻を亡くして子の通い介護で生活が何とかなって来たが、有料老人ホームへの入所申し込みをしてあると言われる。そこでヘルパーを紹介してみた。
結論はまだ出ないが、在宅生活を続けることが出来る・・・実感を感じていただけたようでもある。

かなり高齢になられても、幼少時のことはしっかりとした記憶として残っているようでもある。
ベッドの高さ・・・  2011・4・11
ポータブルトイレを使って排泄の自立を目指すリハビリ入院の方がある。
先日子から高さ変動のベッドで準備して欲しいと電話がかかったので、病室を訪問の上、本人・子に確認をしてきた。ベッドの高さ(変動)に関してはかなり気を配ってきた。事故を未然に防止するためのベッドの機能に関する確認である。

介護保険が始まってから福祉用具業界もかなり研究して来られた。「これなら使える」というベッドはあるのだが、使い方を間違えれば非常に危険なことになる。利用者の状態や介護者を確認の上、ベッドを選んできた。

今回選んだベッドだが、おむつ交換終了後勝手に設定した高さで止まる。それ以上下げるときには音を出す。介護者が定位置まで確実に下げれば、ベッドの高さはいつも同じ・・・ということになる。その上気に入ったのが、低位置は20cmまで下がるという。少し介助すれば、ベッドから降りて床の上の生活も出来る。リハビリではマット上で自由に動いておられるということ。

歩くことこそ出来なかったが、ベッド周りで目が届く状況なら、移乗も大丈夫の様子。ベッド上・床の上・車椅子で・・・と生活の「場」は大きく変化させることが出来る。
かなり研究された結果だが、15年前には想像も出来なかったベッドの使用方法でもある。

とは言え・・・段差だけは確実に超えていただきたい。
生活リハビリ。排泄の自立こそもう少しのところまで来ているが、家の中でも行動範囲をかなり大きく拡げることが出来そうである。
それにしてもべッドは、福祉用具は大きく進化している。
一時帰宅かも???・・・  2011・4・10
病院で始めてお会いしたのは、新規申請代行書類を受け取った時だった。
それから1ヶ月余り経過して、認定も下りての退院になった。
合計1ヵ月半の入院だったが、初めてお会いした時よりも体調が悪い。もしかして・・・病気が病気だから・・・ひょっとして、体調の良い時の一時帰宅ではないかと思った。

歩行器を使っても部屋から10メートルぐらい先のトイレまで行くことが出来ないと言われ、福祉用具は利用しないことになった。
トイレの改修を予定しているが、行くことの出来ないトイレの改修は必要ない。
家での入浴が出来ないことから、デイサービスを手配しておいた。担当者会議で利用予定日まで一週間あるので、たまたま欠員が出ていた週明けに一日「お試し利用」をしていただくことになった。
そして退院から1週間後の利用日に果たして利用できるのか・・・という状態も想定した。

開業して間もない頃、同じ病気で他界した母のことを思い出した。
結果療養型病院で最期を迎えたが、この方も今度病院に帰れば同じ形になるのだろう。
癌の末期・・・もしかして・・・給付管理が発生しないのかもしれない。
本人希望の弁当を配達して貰えるように、注文さえしていただければ良いように手配もした。

担当者会議の後サービス提供責任者とも「・・・もしかして・・・かもしれないよ・・・。」という会話があった。
一時帰宅でも良い・・・断わることの出来ない方からの紹介ケースでもある。
これしかないプラン・・・だが・・・。  2011・4・9
高齢者の仲間入りにはまだ早い障害者生活を続けてきて、今回新たに重度の障害を背負った方なので、少し遠いが、本人に「車に4〜50分乗っておれますか・・・」と確認の上、高齢者施設は選ばなかった。
ケアプランを説明に行ったが、本人には合うことが出来ず、姉から話があった。近くの障害者施設へ相談してみようと思っておられるので、「ケアマネジャーも居ますから・・・」と担当を辞退した。

相談経路の事業所へその旨伝えると帰ってきた言葉が「出来ないよ・・・」だった。
想いは一つ。私に相談をした背景には「ベスト」の施設が頭にあったということ。誰の想いも同じなのだが結果は悪い方向へ行きそうである。
訪問入浴利用で外部の空気に触れることが出来ない・・・寝たきりへの道へまっしぐら・・・といったところであろうか。

重度障害を背負っていても車椅子で離床を図り、「ベスト」の生活を続ける事により『心』に変化が現れる。この変化こそが『生きる』力に結び付く事になる。
その『心』を届けようと思ったが・・・今回はダメだった。
残された人生を精一杯生きていただきたい。

1ヶ月に5件のスタート・・・。2011・4・6
チョッと大変な状況になってしまった。

入院中から関ってきたケースもあるが、3件目の方向性(自立支援法か介護保険法か)も定まった。今日ケアプランの説明と今週中のサービススタートを確認してくるが、明日退院一件とショートステイ入所が一件あり、残すところ一件となる。1週間に四件のスタートは・・・キツイ・・・。

その代わり・・・減らす分も多かった。
春先には例年入所ラッシュがあるが、例に漏れず3人の方が去っていかれた。
計算上は若干プラス・・・ということになるが、労力に関しては大変だった。
レンタル商品の単価も届いたので、書類を完成させて・・・今日も巡回の一日になりそうである。

一方通行の書類・・・帰って来ないと・・・2011・4・3
退院支援のケースだが、順を追って帰って来ない書類が増えていく。相談申込書も帰って来ていないので辞退しても良いのだが、断われないルートからの相談でもある。増して週明け早々住宅改修にかかろうという背景も揃っているが、事前申請の意味を理解して頂いてないのかも知れない。事前申請書が無ければ工事にもかかれないのだが、工事が延びれば退院も延びることなど、考えに無いのかもしれない。

主治医からの呼び出しも受けているのだが、こちらも如何なっているのかは知らない。退院前カンファレンスの依頼はしてあるが、状況を見て『逃げる』ことになるのかもしれない。
日曜日だが午前中に書類の催促をしておいた。明日は午前中かかる急ぎの仕事があるので、住宅改修の申請などは夕方になってしまう。結果工事にかかるのが一日遅れることになるのだが、気を急かせないことにした。

どうしても外すことの出来ない仕事・・・果たしてサービスがスタート出来るのか微妙である。本人はサービスを拒否しているが、ゴミ屋敷での生活は憲法第25条に反するであろう。
その権利を自ら放棄する方を放置して良いのか???
やってみて・・・ダメなら保険者に相談・・・という事になるのだろう。
予想(想い)に反する年度始め。 2011・4・1
社会保険事務所へ給与の減額届を出す(給与改定3ヶ月目)ことから始まる年度始めだったが、『まだ早い・・・』と足を引っ張られる一日でもあった。

昨年度は、個人開業でも法人の場合は社会保険適用・・・ということで給与の設定を間違え、大赤字を出してしまった。社会保険の法人負担と個人負担の合計が約6万円だから、独立ケアマネの台所は大変だった。業績も年初め(給与設定)から意に反して下り坂だったことも手伝って『大赤字』を背負ってしまった。年間70万円余りの社会保険料(事業主負担+本人負担)は独立ケアマネにとって大き過ぎた。
そこで・・・そろそろ引き際かな???数ヵ月後年金も満額支給になるし・・・。

年度始めの相談は現在入院中の方の住宅改修に関する現地相談だったが、そのあと、隣町の包括から相談が入っていた。本人を取り巻く関係者とサービス事業者の『作戦会議』に呼び出されていた。ヘルパー初回訪問=本人とのサービス担当者会議になるのだが、本人抜きでの『担当者会議』に増して、厚生センターからも会議の場へ訪問があった。
そういうスケジュールの中へサービス事業所を通じて相談があった。

午前中の日程をこなし午後サービス事業所を訪問した。相談は『より適切なサービス事業所の紹介』依頼なのだが、私に対する『暗示』でもあった。
当然のこととして『その暗示』に乗ったが、結果半日調整に回ったが、受け手は無かった。定員いっぱいということが『理由』ではあるが、『出来ないの???』という暗示でもある。
ベストとベターは違うが、ベストを何らかの形でつないでおいて、ベターな方向へ行くことにした。

そういう相談経緯の中で、『団塊の世代』に会った。2級先輩の同級生夫婦だが、「私もあと4ヶ月で満額年金をいただくんですよ・・・」という話になびいていただけた。
「良いですね・・・可能な限り仕事を続けてください・・・」これが老(?)夫婦の私へのエールであった。
ご夫婦の言葉には、「早すぎる老後」を感じた。

20代の頃、定年延長に関して労使でテーブルを囲んでいた。(多分50歳定年を55歳定年に延ばす話。年齢が不適切かも???である。)
それから約40年。通常60歳定年が多いのではなかろうか???
年金支給年齢の関係もあるが、同時に年齢が上がってきたことも事実だろう。

話しは大きく逸れたが、年齢と共に介護が必要になったとき、近くに『誰か』が居てくれる関係を作っておく必要がある(と思う)。
障害を背負った身でありながら、都会で専門職(プログラマー)の仕事をこなして来られた。倒れた時に「救って」くれたのが「姉」であった。
人生色々・・・倒れた時に助けてくれる親族がある・・・そういう人生を送りたいものである。

追伸・・・我が家は危ない・・・一番重要なときに・・・福祉の現場で『不当解雇』があった。家族には『不当かどうかは如何でも良い』・・・。
だがしかし・・・何とか妻から『勘当』されないで今日まで来ている。
そして・・・ようやく『理解』しようと努力しているようでもある。
ということは・・・そろそろなのかな???とも思う今日この頃でもある。

思想・・・思い巡らすと・・・時として・・・意味の通じない文章になるものである。
(ご質問があれば『ズバリ』答えますが・・・)

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片麻痺の方にピックアップウォーカー???  2011・3・30
昨夕電話がかかり、歩行器のレンタルの希望があった。福祉用具を提供していただいている事業者とは別の事業者のメモに「ケアマネに電話をして(型番の)歩行器を〇〇からレンタルをするように、手配を依頼する。」とメモに書かれている。
外せない用事があったので会議に直行したが、家に帰っても気になって、朝目が覚めても気になっていた。恐らく夢の中でも思考を巡らせていたのかもしれない。

不可解な状況だが、先ずは現実を確認してみることにした。
デイケアを訪問してサービス提供責任者に「〇〇さんからピックアップウォーカーのレンタル希望が出ているのだけど、片麻痺だから、身体を持たせるタイプじゃないの???」「そうだね・・・リハビリ担当者に聞いてみるね・・・」
そこで真実が判った。旅行に行く時に立ち上がりが不自由だから・・・」という事らしいが、福祉用具のレンタルは『在宅』。在宅でレンタルしている物を旅行にもって行かれても、これは致し方ないのかも知れないが、目的が『旅行』では介護保険は使えないよ・・・と一路自宅へ向かった。

歩行器は目的外使用。布団からの立ち上がりに必要なわけで、自宅では車椅子使用で自立生活が出来るから、本人は『買う』と最初から言っておられたということ。レンタル料に関しても『半年で元が取れるもんね・・・』とレンタル事業者の腹の内まで話していただけた。心の綺麗な方である。
結果私費購入する(最初からそう言っていた)ことになり一件落着した。『何でも介護保険』ではない。

一路会議室へ・・・会議室の前で担当課からの電話が鳴った。昨年春の事例検討会で出したケースを『事例集』に掲載していただけるそうである。
日々の支援の中、間違いの無い支援を心がけているが、『間違わないで良かった・・・』というタイミングでかかった電話に驚いた。
世の中全てつながっている・・・と言うか、『神様は見ているよ』のレベルの話かもしれない。余りにもタイミングの良い電話だったので・・・。

何事があっても『上を向いて歩こう♪♪♪・・・』
・・・・・・・・・・もう何年経っただろうか???心を歌う歌手だった。
元気になられた証拠だね・・・。2011・3・29
退院にむけて、ベッドを囲んでケアプランの説明を始めた。福祉用具と通所介護の何の変哲も無いプランだが、本人の口から住宅改修の必要性が話された。
約1ヶ月前の初回相談は同じく病室で行っており、本人の生活(の『場』)が見えていなかった。言われる通り、福祉用具で対応出来るものと思っていた。

身体の状態と生活の場に関して一番詳しいのは本人である。その本人が言われるのであるから、家に帰っても現在の状況では生活が出来ないのであろう。
和式トイレから洋式トイレへの変更と居室からトイレとトイレ内の手すりの設置である。
『失敗・・・失敗・・・』一番重要な部分を確認していなかった。

これだけの改修を行うとなれば目の前の『退院』には間に合わない。担当ナースに「住宅改修の必要性が出たので・・・なるべく早くやるけど・・・退院少し遅れるね・・・」と伝えた。「先生に伝えておきます・・・」ということだが、早く解決する方法も頭にはある。
子にはとにかく工務店への手配を依頼した。

後期を縮めて目的を果たす為の方法がまるっきり無い訳ではない。住宅改修の書類上の準備はあるが、一日の工期で問題を解決する方法である。
賢明な諸氏には想像出来るであろうが、住宅改修と福祉用具購入での対応である。
本人がそれで納得されるのかということである。

臨機応変とは、方法は一つではないということである。あとは利用者の選択・・・ということであろう。

チョッと危険な賭け・・・。2011・3・25
糖尿病の薬がインスリンも含め切れそうな方がある。
本人が「受診したくない」と言われるから無理強いも出来ないが、放って置けば危険な状況になる・・・のだろう。

見てみるのも方法かもしれないが、黙って見ている「手」もないと思った。医者を本人が手放したのだから「ヤケクソ」である。
糞が焼ければ『臭い』から、少し『臭い』手を使っても良いだろうと「化学者」の部分が頭をもたげた。糖尿病の原因の究明である。

詳細に関しては省くが、血液内に消化されない『糖』が残るのには原因がある。吸収されないから残るのであって、これを吸収出来るようにしてやれば良い。「インスリン」は血糖値を下げる役割ではなく、細胞が血液中の糖分を吸収出来るようにする薬である。これが作用しなくても他にも方法がある。

漢方ではないが、その効果がある食品もある。海藻類・・・とは言わないが「ひじき」にその効果があることをつかんだ。食生活はスーパーやコンビニの出来あいの食材が中心の方だから、買って来る方向性だけお伝えすれば良いだろう。
「医療は必要ない・・・」と言う積もりは無いので「こんなものが入った食事にしたら・・・」の程度だが、アドバイスをすることにした。

「死んでも良いから家に帰りたい・・・」と言って家に帰って死んだ方・・・。
「死んでも良いから『この医師にはかかりたくない・・・』という方・・・」何故か応援したくなった。
日本の(世界なのかもしれないが・・・)医学では糖尿病を治すことは出来ない。血糖値を下げる治療が行なわれているが、果たして細胞に糖分が吸収されているのであろうか???その程度の医療しか出来ない医師を『見放した』患者がいる(という角度から・・・)

ひじきとか・・・ピーナツ・チーズやアナゴ・うなぎアサリ汁等など・・・『食べてみる???』と勧めてみることにした。
本人もヤケッパチになっているので、こちらからは『型破り』の提案をすることにした。
要は細胞に栄養が届けば糖尿病は完治するのだが、その方法が血糖値を下げる方法であることに寂しさを感じる。
栄養分を補えない糖尿病患者は『痩せる』がこの方は『太って』いる。困った症状は『尿が出ない』ことである。簡単な話が『水ぶくれ』である。

この水分を取る(除去する)ために透析が必要だと考える・・・これは「科学者」・・・『化学者』の視点である。
自然科学者の立場から、『クロム』を摂取出来る、クロムを多く含む食品を勧めてみることにした。
どうせ本人は『ヤケ』になっている。

独立ケアマネと合資会社2011・3・21

独立ケアマネとして開業している先輩のHPに「合資会社」を選んだ根拠が書き記されていた。
NPO等も検討されていたが、結果として合資会社を選んだ根拠は、「資本」ではなく「人」が資産である会社形態だということに根拠がある。
「基準該当」という形で行政(保険者)と相談する方法もあったが、行政とも対等の立場で係わっていくためには、「法人格」が必要だった・・・と。

6年余り「合資会社」として経営をしてみたが、ここに来て行き詰っている。何に行き詰っているかというと、「決算」である。税理士に依頼すると利益が出ていなくてもかなりの決算費用が必要である。
そろそろ年齢的にも引き際を視野に入れているのだが、責任を持って最後の一人まで担当していくつもりである。途中で投げ出しては、失礼に当たるだろう。そこで色々な状況を想定して、考えを巡らせてみた。

あと数ヶ月で年金生活者になるのだが、これを境に新規を受けない予定にしている。とは言え・・・現在手持ちのケースの全てのゴールを見るのには数年・・・いや10年以上かかるのかも知れない。現に開業年度に担当した方々の5分の1は残っている。そこでこの考えが浮かんだ。

「基準該当」・・・指定を受けるためには「法人格」が必要である。「個人」の立場で「基準該当」ということで「新規を受けない条件の下」継続できるのなら、「決算」が必要ではない(だろうから)から、必要経費位は出るだろう。
とは言え、現在飛び込んでいるケースは、いずれも「断われないケース」知人・友人を通じてのケースだから・・・どうなることやら・・・。

そうこう言いながら、10年後にまだやっているのかも知れない。

大き過ぎた地震2011・3・18
想定をはるかに超えた、人類歴史で最大の災害を目の前にして、被災された方に心から哀悼の意を表すると共に、今後何時まで続くであろう「核の問題」終結にむけて、人類の戦いが延々と続くことになるであろうことを深く感じています。

核燃料が燃え尽きるまでこの戦いは続くのであろうが、原爆が投下された長崎・広島には人が住むことが出来たが、原発事故のチェルノブイリに人は住むことは出来ない。このことが今後の大きな問題になるのだろう。
何年・何十年・何百年続くか判らない災害を日本は背負った。

津波の被害に加え原子力の被害の大きさには閉口してしまった。
人類の英知を結集して、良い対策を期待している。

名残雪 2011・3・10
約30年ぶりの大雪だったのだろうか???
2月初旬もう一日雪の日が続けば危ない状況(雪下ろし)になったであろう。我が家の車庫は無理をして建てたこともあり、2回雪を下ろした。
その雪もすっかり消え「春近し・・・」といったところへ、今朝はうっすらと雪化粧をした。

会議室の庭の雪吊りは、木が1本ということもあり私の仕事だったが、一昨年前から自宅の雪吊りは「庭師」に頼んでいる。
過って冬場には友人の庭師の応援をしたこともあるが、年をとったものである。

65歳を境に新規を受けない予定でいるが、現在担当している方々とどちらが長生き出来るかの競争になるのかもしれない。
最近4日間だけショートステイを利用したいという相談があったが、大歓迎である。
責任を持って皆様をおくりとどけたいものである。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
自治体レベルの加算の上乗せ実現へ!  2011・2・28
『高知県が、中山間地域で介護サービスを展開する事業者に対し、独自の報酬加算を行なうことを発表しました。上乗せは15〜35%。対象となるのは訪問系や通所系など、訪問・送迎において移動が必要となるサービスで、事業所から利用者宅までの移動時間に応じて加算額が設定されます。』

介護保険サービスの提供に関して地域格差があることはご指摘して来た。
しかし地域によってここまで『シンコク』とは思わなかった。
加算に関しては「出すことの出来る」保険者が『加算』を算定するようだが、果たして『公的介護保険』で「格差」があることを『当然』として良いのだろうか???

上記現実を見せていただいたが、今回のケースでは「何とかするしかない!!!」今回も『当たって砕けろ・・・』で担当することにした。断わることの出来ないケースである。
何が出ても良いように『ウルトラC』を使うことにした。

ケアマネジャーの「立つ位置」  2011・2・26
過去に『困難事例』として相談があったケースでは、必ずと言って良いほど「ケアマネジャーの立つ位置」に問題があった。立つ位置を間違えたために、混乱を招いているケースである。

「介護問題」をテーマに掲げていることもあり「家族・親族の問題」ケースが主流を占めるが、中には「本人が問題」や「医師が問題」ケースも混ざっていた。
これらのケースとの出会いは包括(在宅介護支援センター)経由が3分の1程度はあるが、残念ながら高岡では包括併設居宅が持て余した(対応出来なかった)ケースが何件かある。いわゆる担当ケアマネが「引き摺り下ろされた・・・」ケースである。

ケアマネジャーの「立つ位置」が話題になったので、共通認識のあるケースを例に「この視点で立てなかったことが彼の問題だったね・・・」と、良く似た(?)ケースで例示しておいた。正しく今問題になっているケースで「立つ位置」を間違えると「おんぶに抱っこ」になってしまう。そのことを確認して来たと、協力を依頼した。

本人・家族・親族の役割を明確にして、しっかりとした「立つ位置」を確保することが、ケアマネジメントを混乱させないためにも必要なことであり、良い方向へ進むための第一歩でもある。
そして・・・「かなめ」「かなめ」でそのことをしっかりと確認していく必要がある。
「あなた任せ」「ケアマネ任せ」にならない為にも、しっかりと確認する必要がある。
転院から一週間・リハビリが・・もしかして  2011・2・24
相談を受けたのが脳出血発症から5日目。本人は集中治療室、関係者とは集中治療室前の部屋で会った。
一般病室へ移られてから予後の予測と今後の計画に関して相談の場を設けた・・・と言うより、関係者に集まってもらった。この場で病院の機能をお話した。急性期病院の目的は先ず「命」を助けることだと・・・。
療養型病院も候補に上がっていたが、私はリハビリの出来る病院を勧めた。そこで在宅か施設(入院)かを判断されれば良い・・・と。結果、どうも正解だったようである。

昨日病室を訪ねるとリハビリ中ということだったので、リハビリ光景を見学させていただくことにした。小一時間見学させていただいたが、かなりリハビリが進んでいて、『もしかして・・・』と思って聞いてみた。リハビリ入院の延長に関してである。
実は別の理由(転居)で1ヶ月の入院(延長)が必要だった。急性期リハビリの入院は発症から3ヶ月医療保険の対称だということ。本人を説得することを約束した。

子と連絡を取り、一緒に本人の「リハビリに関する」意思確認をすることにした。病院側とは「本人が希望されるのなら・・・」との根回しは終わっている。果たして・・・如何答えられるのだろうか???
答えは「リハビリを受けて元気にしていたい」だった。

ケアプランに関するチーム作りは終わっており、あとは認定結果を待って、揃えたチームによるプランを作るだけになっているが、1ヶ月リハビリ入院が延びたので、のんびりと構えることが出来る。
もしかして・・・もしかして、予定しているプランが大きく変わるのかもしれない。子の予想は「杖歩行」だったので、「ベッドからポータブルトイレに移ることが出来るようになれば良いね・・・」とかわしておいた。

そうそう、このケースがキッカケでベテランPTと再会出来たことは特筆に価するだろう。良い退院支援が出来そうである。
青年・壮年・老人(クラブ)への橋渡し  2011・2・20
青壮年部の総会があったが、今回は老人クラブまでの橋渡し(つなぎ)の提案をしておいた。
役員の中に私より半年早く老人クラブ対象者がいるので、少し先に『提案』しておいてね・・・といった所である。

人生80年。定年延長も進んでいるのかも知れないが、多分60歳定年であろう。あらためては聞かなかったが・・・もしかして・・・『定年』を迎えておられたの(かも)だろう。そこで『生きがい』に対する「提案」をしておいた。
自営業の方とは『年金減額』の話が進んでいるが、案外制度は理解出来ていないのが現状だろう。そういう中で情報交換をして有利な方向を選んでいただくことも、重要なことだと思う。

兎に角ポイントだけ伝えておいた。
年金と給与の合算が『28万円』を超えたら年金は減額になるよ・・・と。

働くことが出来る限りは働くつもりでおられる「自営業」の方だが、自ら選ばれる「定年」もそう先のことではないだろう。そういったメンバーで年に数回「懇親」の機会があることを喜んでいる。
ちなみにこの会の資金源は「廃品回収」の回収金である。
案外あるものだが、役員にとって「使えない金」のようでもあった。
「老い」と「青春」・・・   2011・2・16
『理想を失ったとき、人は老いる』

インターネットを通じて交流のあるある方のHP・ブログの中で見つけた言葉(勝手に引用させていただきましたが・・・)だが、老いても理想を追い求めたいものだと思った。

実は自分自身で『定年』を決めていたようで、あと半年で満額年金がもらえるから新規を受けないことにしようと思っていた。理由は色々あるのだが、その考えが『吹っ飛んだ』。

さ〜〜〜て、如何なる事やら・・・最後の一件までお付き合いすることになりそうである。
どちらが『長生き』するのかという『挑戦』にもなるが、私自身「医療」はキライである。検診結果、高脂血症・高コレステロールを指摘されてきたが、これは家系・血族関係の持つ病気でもある。

「癌」か「脳卒中」が家系なのだが、その「系図」に挑戦することにした。
『ダメ』だと判断した時にはケースを依頼するが、自ら定年を定めないことにした。
如何なる事やら・・・案外、社会の構造は『良い塩梅』に流れているようでもある。

求めていただける方々に『感謝』しながら、特に定年・『年齢』に対する対応はしないことにした。(本当は稼ぎ過ぎても同じなのだが・・・)
「選択の自由を保障するために」  2011・2・14
2006・9・27 スタートのブログの題名が、表題「選択の自由を保障するために」であるが、もう4年半の歳月が経った。
在宅介護支援センター機能の活用から地域包括支援センターへの橋渡しは重要な問題だったが果たして、結果は如何だったのであろうか???
気がかりな問題が『手付かず』で残っていることに「先行きの不安」を感じている。

その間専門紙・誌にも取り上げられ今日まで来たが、回りを見渡して「寂しさ」を感じている。お付き合いのあるサービス事業所のほとんどには私の「理念」は伝わっているが、行政ラインの理念は一部を除いてそう大変わりはしない・・・というか、「給料取り」の専門職が多い・・・と言えば聞こえは良いが、「資質」に問題があろう方も目にしている。「資質」とは「持って生まれた性質」なのだが、最近は『適性』なのかもしれないと思い出した。

私の学歴を振り返ってみても仕方の無いことなのだが、『工学系』の頭脳だったことは間違いがないようである。自分の考えを『理路整然』とまとめるコツは(多分)自分で作った「方程式」なのだろう。無意識のうちに方程式を作っているようでもある。
ここで問題がある。『方程式』をそのまま使うのか・・・あるいは『応用』するのかでは、随分結果は変わってくるであろう。

私が専攻した(専攻していた)分野は、以前にも書いたことがある・・・かもしれないが・・・『化け学』である。如何にでも変わる『応用』が身に付いてしまったのかもしれない。
幅広い解釈で幅広い支援を実践しているが、ケアマネジャーの皆様には『柔軟な対応』を期待している。

介護には方程式もないし、結論も無い。如何に対象者に合わせた『柔軟な対応が出来るのか・・・???』が、ケアマネジャー各位に求められているのであろう。
『利用者本意』利用者の合意を得ることが出来なければ正反対のプランを書くことになる。
親族合意で『入所』だったが、本人が選ばれたのは「独居の継続」だった。
過保護でもなく・・良い感じのプランが・・  2011・2・13
生活の『場』に関しては本人の意向が『最』優先される。
同居出来ない家族は「入所」の方向性を選んだが、本人は「死んでも良いから家にいた〜〜〜い・・・」と言われたそうである。「在宅」か「施設」かを決めるのは本人である。

一応入所に向かってコースは出来ていた。残るは入所施設の選定と、それまでのプロセスだったのだが、本人は「入所」を拒否された。良かれと思っての「家族」の『選択』だったが、本人は『在宅』を選ばれた。

そういう事なら方法は十分にある。『例えば・・・』の話として『私費』の方法も示しておいた。介護保険サービスだけでは自宅で「支えられない・・・」ケースでもある。
ヘルパーは入れるが、その他に「家政婦」の話もしておいた。

実際『在宅可能』と家族が判断された根拠が『家政婦』だった。週に一日で良いから日中看て貰えれば『大丈夫』との判断だった。
日中「食堂」で椅子に据わって過ごす本人だが、それ以外の行動は無い。主治医意見書には「認知度Ub」が明記されているが、「T」または「自立」というのが「正解」だろう。主治医の問題もあったが、認知度が『たらいまわし』になっている。

入所しない方向性に関して確認したあと民生委員を訪ねた。プランの方向性と経緯をお話して、ケアマネジメントに関して『絶賛』(上手の言葉)された。そこで調子に乗って、福祉経歴などをお伝えしてきた。
かなり実力派の民生委員さんなので・・・もしかして・・・定年が延びるのかな???など余計なこと(背景)も頭を過ぎった。

町内の00さんも担当しているのですよ・・・に関して、「ご主人亡くなられましたね・・・」で終わったことで、胸を撫で下ろした。
実は・・・県担当課に・・・柔軟な介護保険法の解釈求め・・・関係者と県担当課で「直談判」とは言わないが「協議したケース」でもある。

それにしても・・・「爽やかに」方向転換出来たケースでもある。
「在宅」か「施設」かに関しては、当然関係者の『納得』は必要である。
『納得』から『合意』まで出来た一日であった。
結果の後始末には『本人の意思』を伝えれば良い。「入所出来なくてゴメンね・・・」と。
38・56以来の大雪  2011・2・13
昭和38年の豪雪は大晦日から正月の間雪が降り続いた。屋根から降ろした雪は平屋の屋根の高さを超え、玄関から外に出るのに階段を作っていた。
当時重機は無く、町内にただ1台、3輪のトラックがあった。そのトラックが大活躍をし、住民ぐるみで生活道路を確保した。その大雪からそろそろ50年。
今回の大雪でも、重機が入ることが出来ない地域では、トンネルを掘るなどして生活路を確保しておられるそうだ。
ここ北陸では、生活道路と言える裏道に随分「融雪(消雪)」装置が普及している。この融雪装置が無かったら、かなり大変な雪だったと思う。

1月31日、もう一晩雪が降り続けば屋根雪を降ろす必要があっただろう。インターネットで天気予報とにらめっこをしていたが、翌日から曇り時々晴れ・雨の予報だった。
一人暮らしや老人世帯を訪問して雪の状況を確認した。中には端口の雪を切った家もあったが、「大丈夫」を確認した。

そういえば56豪雪では確か京都の山間部だったと記憶しているが、車の中に一晩泊められた。ダブルチェーンを巻いて完全武装。1メートルの新雪の中でも突進できる装備をしていたが、前の車が動かなければ前へ進むことは出来ない。

デイサービス運転手が介護・福祉への入り口だったが、翌日の天気(雪)予報で前日からチェーンを巻いて備えたこともあった。
今年の雪の中、デイサービス送迎車にチェーンを巻いた車は無かった。幹線道路の除雪が進んでいる証拠なのであろうが、玄関まで迎えに行くためにも装備はしっかりとしておく必要がある。
簡単なチェーンの巻き方もあるのだが、必要ならご指導に出かけたいと思う。1〜2分でチェーン装着は出来るのだが・・・。
安全な走行をお願いしたいものである。

オルグ  2011・2・10
『オルガナイザーの略。ある種の組織を作る人、または、その手の組織に勧誘する行為を示す。』

左派系の意味が強い言葉だが、過って『同盟』支持政党は民社党・・・40年余り経って現在は与党になった(?)のだろうから、オルグの説明に時代を感じる。
当時民社党系の『同盟』の県担任の組織活動員として、「専従」だったことがある。

その『組織』感覚が今役に立っている。
多くは語らないが「組織」という『理念』をケアマネジャーの皆様には持っていただきたい。
一人ひとりのケアマネジャーは「組織の一員ではあるが、利用者一人ひとりのために働く『介護相談員なのだ』ということ。『理念』ではなく、その職に就くための「適正」の一つであると理解していただきたい。

『理念』=『適正』という【関門】があっても良い職種のようにも思う。

施設(組織)の決断。  2011・2・5
過去に施設の現場職員から呼び出された事があった。
話を聞いてみると、本人は寝たきりで全面介護が必要なのだが、嫁いだ通い介護の子が介護内容に口を出す・・・といった内容だった。私の答えは簡単「今いる私の場に座るのは施設長ですね・・・」だった。
現在も定期利用は続いているが、定期的なショートステイを受けることが出来るのか・出来ないのかは施設の判断である。トップが「出来ない」と判断されれば他を探す・・・これがケアマネジャーの立場だろう。
結果、施設の姿勢も確立して月一回の不定期利用は続いているが、このプロセスが重要だということを、現場・経営の立場からお伝えしたい。
当事者はまだ入所申し込みはしていないが、年間(概ね)半日数ショートステイで暮らしておられる。その間に『帰省』されるのだが、今年度(今期)は『限度日数オーバー』の届けを出してある。
早く入所申し込みをしていただくようにお願いはしているのだが・・・その必要性を感じておられない。・・・と言うか・・・『入所』しなくても良い(しては困る)背景があるのかもしれない。

突然話は変わるが、利用者と関係機関の間を飛び回るのがケアマネジャーなのだが、『入所・入院』に関しては、なかなか答えが出ない。そういう中で「レスパイト入院」が浮かび上がった。
入所申し込みは『勿論』して貰わなくてはいけないのだが、もう1点の選択肢として『転居』(アパートの2階では生活が出来ない・・・)に関しても検討していただいている。
こういうケースでも(ということは全てのケースで)ケアマネジャーの『責務』はそう捕らわれない。在宅生活が出来るようになったら『担当します』と言う話である。
とは言え・・・これから始まるのは、住居の選択であり、生活基盤の『確立』である。
選択肢としては良かった(総合病院からリハビリも出来る病院への転院)と思っている。

別のケースだが、今日ケアマネサロン(肩の力を抜いて情報交換しましょうよ・・・という会)で、概要をお話して「身体6」を問いかけてみたが、テーブルの主任ケアマネさん(等)には『医療保護入院』は頭に無かったようである。
保護しなければならない時には『保護』が出来る、そういった体制が出来上がって行けば良いと思う。
わざわざ他市まで出かけているケースだから、私が担当していることだけで『異常』を感じていただいている。
概要の話はしたが、返ってきた答えが「何故???出来るの???家族の責任は???根拠は???・・・」といった反応だったので、保険者の方で調べていただくことにした。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
まさか〜〜〜とは思うが、「特例」ではない「特例」を探し当てることが出来るのであろうか???(本当は『特例』でも何でもない。ただ・・・無知・・・とは言わないが・・・「保護」出来るのなら「保護」していただきたい。

・・・という『問題提起』が出来たのだから「良い」と思っている。
それにしても・・・・・?????
何故・・・そういうことが出来るのかな???・・・といった角度から考えていただける方も増えて来るのではないかと思っている。が・・・『何故・・・何故・・・何故・・・』と・・・目の前の事象だけにしか目が行かないのであろう方があることを確認した。

他人とのネットワークを『活用』すれば良いのにね・・・〜〜〜。
断われないケース3件  2011・2・3
そろそろ新規を受けないように・・・と思いながら、手付かずのケースが3件たまってしまった。
2件は退院・退所待ちなのだが、住居が決まらない。残る1件が、如何支援をして良いのか判らない。生活そのものは自立(?)なのだが、精神障害がある。他人に危害が及ぶわけではないので放っておいても良いのだが、本人の身の安全を守る必要がある。
動きの鈍いケースは苦手である。

今年ほど天気予報を気にした年はなかった。もう一晩降ったら危険だっただろう一人暮らしの方の家も、もう大丈夫だろう。判断に週間天気予報が役に立った。
昨日朝、凍結もあり渋滞していた道路事情の中、大きく巡回するコースで事務所を出た。道路事情は熟知しているので、コースを選んだ。仮に逆コースで車を走らせていたらかなり時間がかかったであろう。

実績もほぼ予定通り届いており、包括分も一件だけ残っている。今日中には給付管理も目処がつく。
そういう中で、1週間でスタートさせたケースがある。自立の認定で包括に預けていたケースだが、急変があった。まず本人を連れて走ったのがかかりつけ医、主治医意見書だった。
かかりつけ医の待合室でプランを組み立てていた。訪問なのか通所なのかは本人が選べば良い。とにかく定期的に誰かの目が届くようにしておく必要性を感じていた。

そろそろ引退かな???と思いながらも断われないケースが飛び込んでくる。この人的ネットワークが我が事業所を支えてきたことは事実なのだが、誰も変わることの出来ない背景もあり、何処かでけじめを付けておく必要も感じている。
そうこう考えているところへ、再発かもしれない・・・と電話がかかった。体調良く過ごしておられたので、全く考えなかったことなのだが、その可能性も持った方でもある。

人生80年時代に入っているのだろうが、余裕を持って余生を送るためにも、そろそろ新規を受けない方向へ行きたいのだが・・・断われないケースとはあるものである。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
戸惑っておられるからこそ冷静な対応を・・  2011・1・29
かなり苦労された母娘だが、母が倒れても悲壮感は無かった。心の支えがあってこそ前向きに考えておられる。大変な状況ではあるが・・・何とか支えることが出来るように感じた。

最初の相談は脳出血でICUに入っておられる時だった。待合室というか、談話コーナーでお会いしているので、本人がどのような状態なのかは判らない。倒れられた経緯と、落ち着き先の予想だけお聞きして別れている。
翌日住居を確認したが、アパートの2階で生活できるように回復されるかは判らない。翌日電話で、「主治医から2階での生活は無理だ・・・」と通告を受け、アパート探しが始まっていた。

相談の中で、エレベーター付きの住居に心当たりがあったので、現在探しておられるアパートの家賃を聞いてみた。4万円くらいだと言われる。気に入った物件が無い様なので、心当たりを聞いてみることにした。エレベーターが付いているので、多分車椅子生活でも大丈夫だろう・・・ただ値段の折り合いが如何かは判らないが・・・。
今日の相談には従姉妹が二人同席されたが、主介護者になる「子」に力強さを感じた。これならやれそうである。

病院側からは概ね1ヶ月の入院の通告を受けておられる。
住居探しの問題もあるので、退院後しばらくの間「リハビリ入院」する病院が無いか病棟師長に聞いてみられることを勧めた。想いはあるのだが、「リハビリが出来る病院」ということでとどめておいていただくことにした。そこがMSWの仕事なのだろう。このまま退院にならないので、現状ではMSWと連絡を取らないことにした。

まとまったような・まとまらない相談なのだが、状況を継続的に教えていただくことにした。その結果を持って方向は決まっていく。これが連携のコツでもある。何故かと言うと「相談をするのは家族」だからである。
レールを敷いた相談は相談員が墓穴を掘る結果に結び付く。『想いと違っていた・・・』という話は良く聞く話で、その結果の居宅変更というのも何件か担当している。

ケアマネのペースで相談しているケースが多いであろうが、利用者の『選択の自由』とはこういう局面にもある。増して「自社サービスに『囲い込む』こと」は理念に反することでもある。
余りにも漠然とした方向性だが、これが理解できる相談者だと理解して話を進めている。お示しした方向性は、私が敷いてきたレールでもある。

地域医療連携室へ相談に行かれれば「担当は???」と聞かれるだろう。それで話が通じるから、ケアマネジメントとは日々の積み重ねでもある。
今回、私はアパートの角度から支援を行なうことにした。
大雪と道路事情  2011・1・28
夕方から一休みしているが、昨日から断続的に雪が降っている。

昨日は通常の郵便配達(?)と担当者会議が重なったので、雪道の中、本当の郵便配達になってしまった。結果としては、前日主治医意見書を受け取ってから24時間以内にサービス提供が可能な状態なったが、サービス開始は来週にずれ込んだ。
雪道の移動時間を通常の時間+αと見て朝8時に家(事務所)を出た。コースは国道を通らない横の幹線道路なのだが、かなり除雪も進んでいるし、融雪になっている所も多かった。隣市の道路も雪での混乱はなかった・・・が、やはり国道は混雑していた。

雪道での安全運転は、雪の無いときの安全運転につながる。
雪が有っても無くても『同じ』運転をすることが「コツ」なのだが、それが出来ないドライバーが雪道で失敗するようである。その「コツ」とは・・・。『ブレーキを踏まない』ことである。
ブレーキを軽く『押さえる』だけで車速は落ちる。乾いた道路でもブレーキをロックしてはいけない。雨で濡れた道路でもブレーキロックでスリップする。スリップする前にブレーキを外せば良いのだがこれが出来ない・・・ようである。
車の機能が非常に良くなって運転に苦労しなくても良いようになっている。しかしスリップしてエンジンストップすれば色々な機能(例えばパワーハンドル)がロックしてしまう。

雪道の運転は「コツ」を覚えればそう難しいことではない。しかし・・・
雪道を走り回って気がかりなことがあった。デイサービスの送迎車にも多くあったが、チェーンを掛けた車は見かけなかった。(みんな腕が良いのだろう・・・)
私と介護・福祉との出会いはデイサービス運転手として、プロの運転手の『引き抜き』だった。冬場のチェーンに関しては前日の天気予報で判断する。他の送迎車にも勿論掛けてもらっていた。その為の練習もしてもらった。(簡単なチェーン装着の方法が知りたい方はご連絡を下さい。本当に簡単なんです・・・)
チェーン一本で冬場の事故が防げるのなら安いものです。また送迎車は荒れた道にも入り込む必要があります。その為にも必要でした。
しかし・・・昨日の走行は(走行時間)チェーン無しだから出来たのだった。

今日も一日雪だったが、久しぶりの大雪のようだ。市担当課からも一人暮らしの方の安否確認の書類が送られてきた。明日は一件用事を済ませて、一人暮らしの皆様を見舞うことにした。
一人暮らしとは言え「親族や地域の見守り体制が整っている」(1件を除いては・・・)大きく巡回して、安否を確認することにした。
支離滅裂のかかりつけ医。  2011・1・24
あまり関りたくない医師がここにもいた・・・。

一人暮らしで自立認定が出た時点で「福祉推進員」に見守りをお願いした。
「必要なら何時でも呼んで下さいね・・・」と。勿論一人暮らしだから包括につないでおいた。一年3ヶ月余り前の話である。
電話がかかったので「00さん???」と返答したが、包括担当者だった。体調が悪いということで福祉推進員さんと一緒におられるということ。直ぐに直行することにした。

訪問して状態を聞くと、年末ぐらいから体調を壊しておられるということ。それじゃ〜〜〜ということで先ず受診することにした。
受診してみて「こりゃなんじゃ〜〜〜」という実態だったが、何時もの担当医ではなかった様子。まるっきり介護保険の中身をご理解されていない。

私は一年数ヶ月前までは担当(包括からの委託)していたが、自立が出た時点で関係は途切れている。今日時点で要介護を予想すれば「復帰」はある。現時点では赤の他人である。そこで包括担当者に先生の照準は向けられた。
現在の状態は「入所」に値する状況だと言われる。しかし・・・それは・・・現状を知らない方の言葉でもある。

現状で入院が出来る病状ではない。しかし・・・現状で入所(入院)は難しい。かかりつけ医が必要を感じれば総合病院へ入院依頼をされれば良い。その考えもないようなので、結論を包括担当者に任せた。医師と話の結果、入院出来る病院を捜すことになった・・・ということ。一足先に帰って病院の手配をしていただくことにした。

30分余りでかかりつけ医に連絡が入った。入院出来る病院が見付かった・・・ということだったが、当然予測できる結果だった。
かかりつけ医は別居の子に明日来院するように伝えるように・・・と推進員に言っていたそうで、連絡は取れているという。そこで子に、来られたら連絡が欲しい旨伝えていただくことにした。

かかりつけ医は一人で在宅生活が出来ないと言う。しかし・・・独居老人である。子との話でどうなるのか判らないが、この先生少し勘違いしておられる。先生には病状を診て、対応の方法を教えていただければ良い。が・・・しかし・・・少し勇み足をされたようだ。
介護もそうだが、医療に関しても余程の理由がない限り、その方向性を決めるのは本人・家族・親族である。

たまには勘違いした医師がいても良いとは思うが・・・。
それにしても無知だし、医療の立場が高いと考えておられる。そこで少し注射をすることにした。
勿論事実なのだが、一年数ヶ月前に自立が出た時点で私との関係は切れていると明言した。そこで包括担当者が動くことになるのだが、結果良い働きをしていただけた。

一時的に入院にはなる様子だが、そのあとの通所介護事業所にも受け入れていただける。もうケアマネジメントは出来ていてケアプランも出来たようである。とは言え・・・。
かかりつけ医の手前、しばらく入院する必要もありそうである。
チョッと失敗・・・まぁ〜〜良いか・・・。  2011・1・22
昨日ケアマネ部会の懇親会で、熟女二人に挟まれて、飲みやすいぐい飲みでもあったので、スムーズにお酒が入った。かなりペースが早かったこともあり、珍しく「酔っ払い」になってしまったようだった。
郊外の海鮮料理店での開催だったが、歩いて15分くらいの所なので、最初から往復歩く予定をしていた。

そういう状態で帰途についたが、見た目に歩行が危なかったのだろう。親切な方があり、警察に連絡していただいたようである。ということで保護されて安全に帰宅出来た。その後は想像に任せることとして、2〜3年前にも飲み会の後怪我をしている。手のひら・親指の付け根を深く切ったことがある。今でも傷は残っているが、医療機関は受診していない。

何故か美味しく・・・飲み過ぎるほど美味しくお酒を飲むことの出来る会だが、『失敗』を『失敗とも思わない』私に妻は腹が立つようである。
人生60年は無事(???)過ごしたが、残る人生は余生だと思っている。
その余生に何があっても悔いは無い。
紆余屈折はあったが力の限り生きてきた自分を誉めてやりたい。

我が人生に悔いはなし。
たまには失敗をしないと・・・疲れるだろう。
Re: 無責任な病院の対応・・・結果・・・2011・1・17
とにかくリハビリ通院しなければいけないと・・・妻の脳裏に『インプット』されていた。

愛する夫の為だから当然だと思っておられる。

そこで障害になったのが住宅構造である。ある意味得意分野でもあるが・・・。とにかく福祉用具で対応することにした。
要介護1だから座ることの出来る歩行器でスロープを使って妻の運転する車に乗り降りしていただくことにした。

果たして・・・スロープを使って、妻の介護で車まで辿りつくことが出来るのか???この実証もした。(出来なかった・・・)そこで・・・介護ヘルパーを使うことにした。次回の通院にあわせ明後日ヘルパー派遣時間に訪問(担当者会議と確証を得るために)同行訪問するが、多分大丈夫だろう(妻には出来ないが、私には出来た・・・)

ケアマネジメント・・・プラン(原案)があって、担当者会議が開かれ・その場で関係者合意・・・がケアマネジメントの流れではあるが、アレンジも必要である。ケアまねじゃーの描いた(暫定ではない暫定プラン)実行のための『初回』サービス担当者会議も必要だろう。
『動くケアマネジメント=即対応のケアマネジメント』でもある。

今日はかなり忙しかったが良い感じで結ぶことが出来た。
明日以降その報告はするが、ケアマネジメントとはこういうことなのかと・・・自ら体験した。『必要な方に・・・必要なサービスを・・・』この言葉はケアマネジャーにも『心』していただければ幸いに思う。
『相談』=『実践』だと思うが、『=』の要素が『ケアマネジメントでもある。くれぐれも・・・ピントが外れていないことを望む。
15年ぶりの裁判所宛文書・・・  2011・1・19
15年前の今頃から裁判所宛の文書を書き出している。
認めていただけなかった裁判ではあったが、かなりの文書を書いている。その文書がHP『高岡発・介護問題研究会議』のベースになっている。

当時は便箋に手書きだったから大変だった。几帳面(?)な性格でもあるので、修正ペンでの修正はしなかった。一枚書き直しである。
それから見ればワードは便利である。A4一枚の原稿を2時間足らずで書き上げた。裁判所で必要とする内容は『後見』に関する専門職としての『意見書』である。

書き上げて担当している事業所へFAX送信して内容を確認していただいた。どうも100点満点いただけたようである。
早速印鑑を押して当事者宅へ届けた。ここにも専門職がおられるので、ご夫婦で検討していただくことにした。そして・・・明朝の提出である。

決して文章は上手な方ではないので小説家のようにはいかない。しかし・・・「措置入院」とは書かずに『保護』と書いた自分に驚いた。昔ならズバリ・・・『措置入院の検討』と書いただろう。裁判所には『保護』の必要性が伝われば良い。必要と思われれば『医療措置入院』になるだろう。
久しぶりに書いた裁判所宛の文書だが、自分自身も納得しているし、サービス事業所からも『正確に伝わっている』と返事をいただいた。

かなり気が早いが、依頼されて1時間半後には依頼者の手元に届けた。後は当事者(家族)で相談され、明朝提出されれば良い。
自分でも満足出来る対応だった。
無責任な病院の対応・・・その対応に一日  2011・1・15
金曜日の朝、病棟看護師から電話がかかった。「今日の16時に退院になります・・・。」

暮れの29日の早朝妻から電話がかかった。「階段から落ちて骨折して・・・救急車で00000病院に入院になりました。デイサービスへはこちらから連絡をしました・・・。」多分デイサービスへ連絡すると、担当ケアマネにも連絡するように話があったのだろう。順序は如何でも良い(ケアマネジメントに重要なこと)が、関係者に確実に伝わるチームを作っていく必要がある。病棟へは当然の如く「入院時情報提供書」を29日(救急入院日)に届けておいた。

病院から急に退院の連絡があったが、対応の方法が見当たらなかった。そこで病室へ本人を訪ね「今日退院なんですね・・・」と。ナースステーションには人がいなかったので声をかけなかった。
退院時間に合わせ自宅を訪問すると、整形外科開業医へリハビリ通院の予定だと言われる。
その前に・・・自宅へ入ることが困難だった。妻と二人で本人を抱え・・・今朝少し腰が痛かった。そこで通院方法に関して思考が巡った。

妻一人では自家用車に乗せることが出来ないとの判断から、家の構造も含め模索した。そこで一つの案が浮かんだ。
変更申請をかければ2段階以上・要介護3は出る。しかし意見書を取ったりしている時間がない。そこで現状の介護度で対応することにした。

歩行器対応の「座ることの出来る」車椅子ではない歩行器レンタルと3箇所段差があるので、移動出来る段差解消機・スロープでも軽いタイプを選んだ。これなら妻にも介助外出が出来るだろう・・・と。
その夢にも見た構想を伝えるのに一日かかった。
今日は土曜日、月曜日に納品するためには今日発注してもらう必要がある。そこで「見切り発車」自分の判断を信じて『見切り発車』をした。

夕方には妻の了解を得てきたが、今回は『夢に描くケアマネジメント』だったのだろう。医療・(介護もかな???)に不審を抱いた妻の心をつかんだのは夕刻だった。
『構想』を説明すると、『出来る』といったのは強がり・・・という事よりも『夫』を思う気持ちから出た言葉だった。私と二人で自室まで運んだが、一人で出来ることではないと思っておられた様子だった。

「車椅子(歩行器)とスロープで私が車に乗せることが出来るのでしょうか???」「やってみましょう・・・月曜日の00時に、用具担当者と一緒に来ます・・・」
この場で私のアイデアがアイデアで終わるのか、実効性のある計画なのかが立証される。

福祉用具選びは究極の介護なのかもしれない。
在宅の限界。。。  2011・1・14
「もう無理だろう〜〜〜」とヘルパー事業所から声がかかった。

紙パンツの使用を促していただいたが、結果は『拒否』だった。
家の中は垂れ流し状態で、冬場に布団を干す訳にもいかない。血圧も高いということで、肺炎の恐れもある。仮に救急入院になっても、黙って病院で治療を受ける方ではない。医療保護入院が必要なのだが・・・〜〜〜。

後見申し立てからそろそろ半年になる。時間がかかっている理由は、遠方の遠縁の方が手を上げたらしい。申立人は替わってもらって良いと言っているが、誰が後見人になるのかまだまだ時間がかかると言われる。
年明けに現状を弁護士に伝えてもらい、答えを急いでもらっているが・・・。

一日々々状況が悪くなってきている。今日裁判所との話し合いが行なわれるというが、再度現状を伝えていただくことにした。
『医療保護入院』に合意する人が必要であるが、現状の中で弁護士が代理人になれるのかは判らない。とにかく現状では法的な判断が必要である。
とにかく打つ手は打ってきたが、話し合いの結果を待つしか方法が無いようである。

現状を判らない方が「手を上げた」ということだが、手を上げた責任は取っていただきたい。
背景が出揃ったところで、少し気楽になった。

初めての雪遊び  2011・1・10
今日は珍しく孫家族は別行動だった。
昼過ぎ急に妻から『倶利伽羅不動尊』へ行って来ようか???と提案があった。そういえば開業してからは行っていない。少し遅めの初詣に出かけることにした。残っていたのは2番目の孫とその母だった。
高岡を出た頃少しは雪が降っていたが、対向車が雪を付けている。県境はかなり降っているものと予測できた。

小1時間で不動尊へ着いたが、妻と子には目的があったらしい。随分『お守り』の吟味が続いている。最初は曇ったガラス窓で遊んでいた孫だが、待ちくたびれたのか行動が大胆になってきた。そこで雪が止んだ外へ出てみた。そこで始まったのが『雪遊び』だった。
始めて触る雪で手を真っ赤にして遊んでいる。もみじの様な手で握れる雪玉は白玉ぐらいの大きさだが、大きな雪玉を渡すと『投げる』ことが面白いらしい。初めての雪遊びの割には、結構楽しんでいた。

お守りを買い揃えた妻から渡されたお守りが『仕事守』だった。
仕事が問題なく出来ることよりも、主婦の感覚が頭を過ぎった。
本当はブランクの間に崩れ去った理念の回復を見届けたいのだが、一応65歳を定年に考えている。残り一年半余りで何が出来るのか・・・その後の整理に段階までずれ込むのかも知れない。
新規を受けないことと廃業とは別ではあるが、先を見越した『定年』を定めた。

全国ネットでの相談・・実りはしなかったが  2011・1・8
開業当時暇だったから遠方まで車を飛ばしたことがある。
その彼からの電話だから、6年ぶりのことだった。

元気な高齢のご婦人なのだが、夫の死去に伴い多額の遺産相続をされた。その遺産を狙って他人がまとわり付く状況なので、高齢者マンションなどへ逃避させたい・・・。といった内容である。弁護士も関っているということで、背景はしっかりしている様子。早速思い当たる高齢者住宅へ問い合わせをした。

幸い空き部屋があり、担当者と電話連絡を取っていただければ直ぐにでも対応出来る背景が揃った。メールでマンションのHPも紹介して、担当者との連絡方法などを伝えた。

折り返しかかった電話では、本人がそこまで遠くなくても・・・と、年老いてからの転居に躊躇しておられるという。かと言って隣町という訳にはいかない背景がある。「身を隠す」とは徹底的に対応しないと効果が無いことが多い。「まさか〜〜〜」と思う方法を取っておいた方が、確実であろう。しかし本人の決定は決定である。

弁護士には遠いが、日々に関しては任意後見等補佐役が必要でもある。そういった背景も考えれば、良い相談ではあったのだが、実りはしなかった。
こちらの後始末に関しては窓口になっていただいた方に事情を説明すれば事足りる。
正月早々の降って沸いたような話ではあるが、ネットが機能していたことに関して満足している。

『介護問題研究会議』は何時でも再開出来るようになっているが、今回はてっとり早く対応出来る内容でもあった。
穏やかな年明けではあったが、回転の速いマネジメントが必要な状況でもある。一件だけ心配なケースはあるのだが・・・キッカケを捜すことにした。
まだまだ続く入院ラッシュ・・・。  2011・1・4
昨年もそうだったが、例に漏れず入院ラッシュが続いている。
年末に骨折入院になった方の手術が今日執刀されるが、あとを追うように昨日脳出血でICU入院になった方がある。
計3人の方が入院中であるが、家族との話の中から内二人は多分家に帰れないだろう。先を見越した下準備も必要なの・・・かも知れない。

2月のショートステイの予定が確定していない方も中には含まれるが、ショートステイを断わることにした。ついでに・・・という話でもないが、入院の事実だけは伝えておくことにした。「多分〜〜〜家に〜〜〜帰れないんじゃないかな???」と。
多分家に帰ることが出来るのは一名だけになる・・・だろう。
とは言え、終の棲家探しも担当ケアマネの重要な仕事だとも思う。

正月三ヶ日もそれなりに仕事をしていた。元旦だけはファックスは休んだようだが、事業所として年中無休に近い所がある証拠でもある。(トータルの話だが・・・)意外だったのは何時もきちんと3日に実績を送ってくる事業所から2日に届いたことだった。???日曜日・増して正月2日に出勤したんだ・・・と折り返し限度額オーバー分の実績別表を送るとファックスが稼動していない。ファックスを切って帰る徹底振り、一方通行でもあった。

改めて年始回りの機会は作らないが、今日実績のオーバー分の確認を届けることにした。徹底した仕事ぶりに関して、大笑いになることだろう。
仕事始めの今日は忙しい。
税務署・市担当課・税務課を皮切りに県西部の3分の1を巡回するコースが出来上がった。総走行距離6〜70キロメートル、今年も動き回る一年になりそうである。

一応予定は予定だが・・・電話1本で大きく予定が変わることも日常である。今日だけは余計な電話がかからないことを祈るが・・・こういう時に限ってコース外から電話がかかることもある。
タイミングが良ければ、「今玄関だよ〜〜〜」となるのだが・・・。
今年一年を占う一日にもなりそうである。

元旦早々・・・体調不良。  2011・1・2
通常通りののんびりとした元旦を迎え、ホテルから届いたおせち料理が昼食に出てきた。チョッと腹に重いナァ〜〜〜と思いながら昼食を済ませ、古城公園内の神社へ初詣に出かけた。

帰ってから体調の異変を感じ、『冷えた』のだろうと少し早めだが入浴をした。胃腸に若干違和感を感じていたが、特に気になるほどではなかったが、しばらくして痛みを感じるようになった。
5時過ぎだっただろうか・・・『もう寝るわ・・・』と。その後が大変だった。

数えで65歳になったが、身体に気をつけるように・・・という戒めだったのかもしれない。
あと何年出来るか判らないが、そろそろ先のことを考えておく必要性を感じた。
生身の人間。何かの時のサポート体制を作っておく必要性を痛感した。

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