掲示板等の発言記録 (2010)



新年につなぐ問題の継続・・・。 2010・12・30
今年一年は、やはりこのケースで締めくくることになった。
思い起こせば1月上旬の「弁当要らない・・・」から復帰したケースでもあった。
夫が急逝したのはそれから1ヶ月と5日目。その間に夫の公正証書遺言も2回の聴取が行なわれ、成立している。2回目の舞台は『会議室』だった。

その時から関っているヘルパー・そのヘルパーしか入ることが出来ないケースなのだが、もう限界なのかも知れない。『在宅ではもう無理でないか・・・』との進言があった。
後見申し立てに関してもまだまだ時間がかかりそうだということ。かなり問題が複雑化している。

地域からも煙たがられる状況だが・・・地域ケア会議にも臨んでいる。
住民の意思が優先されるのであれば、その方向へ進む方法も知ってはいるが、方向へ進む決断も困難な状況のようでもある。
ケアマネジャーを船頭に例えるとすれば、その関係を調整する必要があるだろう。

『在宅生活はもう限界・・・ではないだろうか???』と担当ヘルパーから進言があったが、関係が複雑になっている。裁判所の判断が優先されるのか、地域の声を優先させるのか・・・。後見人が決まるまで、まだ半年はかかるのではないのか・・・という予想である。申立人の他に親族(遠縁)から名乗りが上がっていると聞く。

後見申し立てをしている親族に弁護士と調整を図っていただくように依頼をした。その結果を待って、必要ならば包括経由で担当課に地域の声を伝えることにした。『措置入院』である。
ここまでの調整を通じて思った。
『ケアマネジャーの究極の調整は機関の調整なのだろうが、裁判所と行政の関係の調整も必要なのかもしれない』と・・・。

ということで、このケースに関しては弁護士との調整も必要になるのかもしれない。
今年の問題を来年につなぐ、素晴らしい仕事納めでもあった。とは言え・・・税務が・・・残った。

何とか年越しが・・・。2010・12・29
かなり頑張って年内最後のサービス担当者会議も終了、早朝に救急入院になった方の入院時情報提供書も届けてきた。
残り2日間何が起こるか判らないけど・・・「被保険者証が届いたよ〜〜〜」という電話がかかっても直行出来る準備は出来た。本当は年内にプランを確認して頂いたほうが良いのだが、サービスがスタートするのが中頃過ぎ(賢明な方にはプランを見透かされるが・・・)になるので、年が明けても良いか・・・とは思っている。

昨年の年末は入所に関して飛び回っていたが、結果一年間、出入りの多い年になってしまった。苦労の割には報われなかった一年だったが、「ウサギ」とのご縁はどのようになるのか楽しみになってきた。そう言えば干支の「イノシシ」では快進した記憶がある。「トラ」とはどうも相性が悪いようだ。

来年がどのような年になるのかは全く判らないが、嫌〜〜〜な予感がしないでもない。
進むか引くかの重要な一年にもなるので、健康状態とも「天秤」にかけて、無理はしない一年になれば良いと思う。
残り2日間、準備だけは完了している。

3冊分に膨れ上ースファイル3冊。  2010・12・26
利用表が2枚にわたるケースが3件ある。2件は利用事業所が多いので枚数も多くなるのだが、1件は月の途中での変更が多いケースでもある。

利用表・提供表・別表を含めての枚数は10数枚になるから、作り変えればその倍になる。事業所間の連携ということからも、特に影響が無い場合にはその部分だけにするが、全て作り変えることが多い。
その3冊のファイルが年始めで同時に入れ替えになる。

今日書棚を眺めて別の心配が起きた。ファイルを入れ替えると、不安定になるような気がした。3冊のファイルで10冊分ぐらいのスペースを取るから、ファイルが落ち着かなくなる。どうも空ファイルを補充しなければいけないようでもある。

色々な整理の仕方をしておられる方もあるだろうが、私は個人別、項目別、用件別などに整理している。座敷に書棚を置いていることから、家具屋で特注した。木製の安定した書棚である。
この書棚あと何年使うことになるかは判らないが、手持ちのケースの自然減を待つことにすれば、思い立った時点が中間点なのかもしれない。

仮に今思い立ったとしても、もう一度事業所・・介護支援専門員共に更新する必要がありそうである。
そう考えると、少し早目に決断する必要がありそうだ。

要介護認定申請代行   2010・12・25
もしかして・・・少々危険なことをやっている方がいるの・・・かも???と思った。
もしかして・・・初回相談でそのまま申請代行をしておられる方が・・・あるのかも知れない・・・と思った。

参考までに私の手順だが、初回相談時に「相談申込書」を取り交わしている。裏面にはケアマネジメント実施要綱を明記して、契約に準ずる内容になっている。この書面を根拠に申請代行をしているので、本契約こそ結んでいないが、契約に準じた関係にはある。
その背景の中、暫定ケアプランによるサービスのスタートとなる。

この「要介護認定申請代行」は行政書類の代行であるから、出来る専門職が限られる。仮に施設やサービス事業所・居宅介護支援事業所が代行するとすれば、そこに『契約』関係が発生していなければ【違法】ということになる。だから手順を踏まなければいけない。

もし仮に、代行業務の手数料をいただいている事業所があれば、【違法】だということを認識していただきたい。代行出来る・・・というだけで、代行手数料をいただくと「代行業務を業としている」という法的な判断になるのだろう。この代行が出来る事業者(?)は社会保険労務士・・・ということになるのだろうか???後見人や弁護士・司法書士等も可能だと思う。

ということで、安易に書類代行をするベキではないと思っている。
「相談申込書」等契約書に準ずる関係を結んでからの「書類代行」ということになるのだろう。
こういう背景を受けて、一番気を付けて頂きたいのは、初めて申請者と「認定調査」という形で接する保険者の調査員である。

過去にも指摘をしているのでもう言う気は無いが、今一番姿勢を正さなくてはいけないのが行政ラインそのものである。

『介護が必要になり、介護保険を利用する場合、お住まいの市役所等で、要介護認定の申請をしなければなりません。介護保険の要介護認定の申請ができるのは、以下のとおりとなります。

本人
家族
居宅介護支援事業者
介護保健施設
地域包括支援センター
社会保険労務士                  』

代行出来る関係を作ってから、申請代行をしていただきたいものである。

認定システムの矛盾   2010・12・24
要支援1の方が状態悪化したので変更申請をかけた。
私の視点では限りなく要介護2に近い状況であり、主治医も寝たきり度B1と判定している。
サービス変更の予定は聞いていなかったので、短時間デイケア利用は変わらない。ただ一つ違うとしたら、ベッドレンタルが私費から保険への変更だけの予定であった。

利用者の希望での区分変更だから私には関係のない(責任)内容なのだが、一番喜ぶのはサービス事業所・・・という結果に終わった。
利用者負担は当然増えるが、金額的には数千円である。
仮にこのプランを要介護2で書いたとして、1ヶ月のデイケア利用は半分で済む。要介護者を作りたくない気持ちは判るが、かえって高く付く結果になった。

認定ソフトは5段階の判定を弾き出すと聞いている。(確かではないかも???)要支援2と要介護1そして要介護4と要介護5は認定審査会の判定を待つことになるのだが、ただ認知症があるかないかで支援と介護の振り分けを行なっているだけでは芸がない。
それにしても・・・主治医意見書でB1ランクの要支援者は聞いたことがない。保険者調査だからきっちりとした調査が行なわれているだろうが、疑義も感じた。

包括から審査会資料を取り寄せてもらって、担当者会議で「不服申し立て」の協議をするのも面白いのかもしれない。
ということで、少し不満な、大きな疑義を感じた認定結果でもあった。
認定に関して、調査を受けなくても認定結果が出ていることなどは過去に指摘してきたので封印したが、この調査結果に関して問題提起することも面白いと思う。

明日ケアプランの説明を行い、週明けに担当者会議の日程調整を行うが、年末に向けて、面白いことになるかもしれないと、その方向性をシュミレーションしている。
如何なることやら・・・。

四件の認定結果待ち・・・激動の一年  2010・12・23
四件の更新結果を待っているが、二件の対応は年明けになってしまった。結果が出る日からサービス事業所が年末・年始の休暇に入るので、更新プランは「年始の手土産」にすることにした。
残り二件に関しては日程調整が付けば年内に会議を開きたいと思う。

仕事始めの通院支援が入院になったが、今年は退院出来ない方が多い一年でもあった。現在入院中の方は正月を家で迎えることが出来るか微妙な状況だが、仮に年内の退院ということになればカンファレンスも含めて5件の会議が待っている。そこで余裕を持つことにした。

思い起こせば大晦日の担当者会議もあった。会議があったということは、お付き合いしていただける事業所があるということである。
一人ひとり顔が違うように事業所の対応にも違いがある。究極の対応をしていただける事業所は好きだが、事業所の選択は「利用者の自由」に任せている。

とは言え、仕事を可能な限り年越ししたくはない。年明け早々主治医意見書が出来てくるケースもあるが、このケースは1号被保険者になってからにしよう・・・と、主治医側も待っているケースである。
初老期痴呆の病名が付いて来るのかとは思っていたのだが、精神科医が判断された。無理に病名を付けるよりも、1ヶ月待とう・・・ということなのだろう。我が分身を見ているような方でもある。

残すところ一週間の予定はほぼ決まっているが、ひょっとして追加もありそうな感じがしている。
先生も走る師走とはよく言ったもので、今年も走り回ることになるの・・・だろうな???
笑顔で「紅白歌合戦」(最近は余り見ることが出来なくなったが・・・)を見たいものである。

クリスマス会へのお誘い・・・  2010・12・21
馴染みのデイサービスから電話がかかった。

「〇〇さんクリスマス会に出席すると言っておられるのですが・・・送迎は出来ないのですが・・・」
「本人が行く気になっておられますから、こちらで送り迎えしますよ・・・」
と電話を切ったが、味気ない気がした。
利用者が参加するための送迎はするが・・・『私は???』といったところである。折り返し電話をして・・・・・・・・
『私・・・参加しても良い???』と・・・。『勿論、会費は払いますよ・・・』という話である。

会費は数百円、領収書を貰って会社経費にする額でもない。『一緒に行って良い???』に対して『良いよ・・・』と答えていただけたことが嬉しかった。(もう予定に入っていたようで(???)に近い答えだった。

デイサービス利用中に救急状態で、救急車よりも早い職員(?)が病院に送ったこともある。本人の状態を一番良く知っている介護・看護職員が救急時に対応できることが一番だと思う。それができる施設でもある。

ということで「私・・・如何しよう・・・???」投げかけたら、出席の申し込みになった。
医療では支えることの出来ない重度身障者のための施設ではあるが、重度高齢者(介護保険)でも対応していただいている。
お酒は出ないが・・・このような会も好きである。
企画に大きな期待を持っている。また目頭が熱くなる・・・企画なのだろうな・・・と。

『身体介護護6』・・・特例利用・・・OK  201012・17

入院までの特例措置だったが『身体6』が発生した。ヘルパーによる点滴の見守り(訪問看護からの申し送り)なのだが、条件があるらしい。そこで隣市担当課に聞いてみた。
係長さんとの丁重な事情説明(聞き取り)の後、返事を待つことにした。

相談から2時間後の詳細(部分に関して)の問い合わせがあった。とにかく「必要なのだ・・・」ということを強調して、担当者(判断者)に伝えていただくことにした。
それから30分余り、答えが来た。「OK」ということである。

近日中に決断に対するご挨拶に行ってくるが、判断された方の予測は付いている。「公式」にお会いすることはしない方が良い(内容不明)とも思っている。
お互い・・・お互いの立場で、お互いの役割をこなしているが、専門職のつながりとはこういったことなのかもしれない。

直接相談の必要が無いと判断したので「こんな事出来る???したのですが・・・請求出来ますか???」という問いかけであった。
答えは「良いですよ・・・」ということだったので、係長さんには丁重にお礼を言っておいた。

必要な時に必要なサービスを使うことが出来れば良いと考えているが、どの時点で「何が」必要なのかはケアマネジャーの「公正」な目なのだろう。
現状を良く知っているので、果たして「こんな対応」が「出来るのかな???」と思った。ポイントは『柔軟な姿勢』である。
全国のケアマネジャーの皆様には柔軟な対応を期待しますが、それにも増して『保険者』の迅速な対応も期待します。

そういう意味では・・・良い保険者とのキャッチボール・・・だったと思います。
忙しい中にも『満足』な1日でした。

不公正な認定調査。  201012・17
認定調査員研修が行なわれたが、資料の中から「公正な・・・」という文句を目にした。そう・・・「公正な・・・」認定調査を望むのであれば、担当ケアマネが調査をしないことへの徹底が必要かと思う。

多くの「理念ある」調査員もあるのだろうが、担当ケアマネが調査をしなくても認定調査票を作ることが出来る現状は改めなければいけない。そういうケアマネと同列に見て欲しくないので、私は「担当者の調査をしない」ことにしている。理念レベルの低い方と同列視していただきないことが大きな理由ではあるが、私でも「鉛筆を舐める」ことがあるかも知れない。

保険者としても全件保険者調査を考えておられるようだが、可能な限り早い次期に実現していただきたい。
「認定調査を受けなくても更新が出来た」話を聞いてからもう4年近くになるが、そろそろ更新時期なのだろう。一度「要介護」を取れば「要介護」を維持できるシステムは好きではない。

そうこう想いながら認定調査員研修を受講していたが、少しでも早い時期に全件保険者調査を実現していただきたい。
一件3千数百円を一日3件行なったとしても1万円余り。保険者職員では出来ない金額だろう。パート職員にしても2件が限度だろう。
来年度に体制を整えられるようだが、少しでも早い改革を望んでいる。

「公正な認定調査」とは『調査を受けなくても更新認定が出ていた・・・』類の整理だけではなく、ケアマネジメントシステムの『公正』さにも影響があるだろう。
すなわち『理念確立』のキッカケになるとも思っている。
真面目にやっておられるケアマネジャーさんに『大いに怒って頂きたい』と思う。

情けない現状である。
布石(を打つ)  2010・12・14
布石・・・『囲碁において、序盤戦での石の配置を指す。
転じて、戦略を練りながら、その手順とっかかりとしての行為を指す場合が多い。』

囲碁は判らないが、序盤戦での石の配置が戦略に結び付き、勝利に導けるようである。
ケアマネジメントも『そうだよ・・・』と言いたくなった。最初が肝心・序盤(アセスメント)が重要だよ・・・ということである。

この変形がサービス依頼の方法である。
確かにケアマネジャーはサービスを提供する側だから、事業者にとって『依頼主』なのかもしれない。しかしこの感覚が大きな問題だということを、『ケアマネジメントの独立』の立場から言い続けて来た。適正な『布石』はそう無いものである。

今日ある件から『ケアマネジメントの独立』という言葉を思い出した。独立ケアマネが選定の結果、条件が合わなくて断わった『老舗』もある。経営的の如何なのか・・・という事よりも、その必要性に視点を置いていただきたかった。
結果継続プランではあるが『布石』を打つことが出来た。

『布石』とは・・・(私にとって・・・)今後如何展開するであろう「ケアマネジメント」の方向性を見極めて打つ『石』のことなのだろう。
果たして適正だったのかは判らないが、自分自身ではその成果が見えている。

ただ・・・この感覚を如何伝えたら良いかは判らない。
もしかして・・・経験談で良かったら何時でも出向きます。
でも・・・そういう事よりも・・・もっと大きな問題があるのだが・・・誰も気付いていないのか・・・は判らないが・・・。

これからの皆様(現役時代)の考え方もお聞かせいただきたいと思っていますので・・『メールでご批判など・・・』いただければ幸いに思います。

久しぶりの「のんびりとした」日曜日  2010・12・12
朝一番に日曜日にしか会えない方に会ってきた。更新ケアプランに合意いただき、明日以降の準備は整った。
年末年始にかけて7件の更新・変更申請の結果が出るが、何故か毎年忙しい年末年始である。

ポッカリと空いた日曜日の半日をネットサーフィンで過ごしたが、頭の中からは『仕事』が離れていなかったようである。思いついて確認・点検する自分自身に笑いが込み上げてきた。

【A型の性格】
http://www.furby.co.jp/aboy.html

思わず笑ってしまった。

背水の陣  2010・12・9
訪問看護ステーションの担当看護師から電話がかかった。
背景として、看護師が入る1時間前に訪問介護の業務は終わっている。

看護師さん曰く、訪問すると「便失禁のまま放置して訪問介護が帰ってしまった・・・」ということである。
『もしかして・・・訪問介護が帰ってから失禁したのではないの???』と指摘してみたが訪問介護の「過失???」の一辺倒である。視野の狭い方との話は疲れるものである。

そこで訪問介護ステーションへ確認の電話を入れた。担当ヘルパーによると訪問時失禁しておられたが、きちんと対応していただけたということ。食事に関しては「食べたくない・・・」ということで先日来準備されていた「高カロリースープ」の栓を抜いて一口二口飲んでいただけたということ。
ここで気になったのは本人の状態・看護師に見てもらいたい状態であった。

人に責任転嫁をするのは余り好きではないが、もし・・・真相が明らかになっても、ならなくても、このケースは「捨て」ようと思う。
他市の包括からの依頼ケースでもあるので、私が持ち込んだ事業所が気に入らないのなら事業所と一緒に辞退することにした。
しかし・・・包括が、他市ではあるが、我が事業所しかないと依頼があったケースでもある。

事業所所属併設MSWとも懇意にしているし、包括に関しては依頼した立場もあるだろう。そこいらに相談の結果態度を明快にするが、私が担当を下りても問題は無い。何故ならば・・・当事者不在の『問題』だからである。
仮にこの問題の整理が付いて、担当は『誰???』と話になるだろう。此処で受けなければいけない立場なら「徐に・・・」ということになるのだろうが、その時点で「保険者」に返すだろう。そして「包括」へ・・・というのが手順なのだろう。

少し手順を「端折って」伝わってきたので、訪問看護ステーションが断る立場にあるのかどうか・・・もしかして・・・保険者を通じてその姿勢を問うことになるのかもしれない。
勿論併設病院関係者には「真」を問うが・・・。

公正な認定調査・・・2010・12・8
担当ケアマネが認定調査をするのは公正に欠けるのではないかと、担当者の認定調査をしない方向で今日まで来た。担当課に指摘したキッカケは「更新認定調査を受けた覚えのない」方の更新認定が出ている事実を本人から聞いたことだった。
その他にも「これは???」という実態をお伝えしてきたが、初回保険者調査になってからも「???」はあった。

担当課から依頼があったので電話で調査日程を調整した。
時間に訪問すると「〇〇さん・・・」と嫁さん(らしき方)から声がかかる。「???・・・何方でしたっけ・・・」「□ですよ。・・・その節はお世話になりました・・・」「彼とはね・・・」ということで、私のことを良く知る方だった。

通常認定調査では調査依頼書を提示して調査を始めるが、今回だけは名刺をお渡しした。
調査を進めていくうちに超強度の視力障害だということが判った。生年月日と年齢があやふやだったが、認知症ではないと判断した。
調査票に障害者手帳の視力を書いておくことにしたが、視力を調べる方法があるのだろが、良く見える方の100分の一の視力である。

夕刻、生年月日が言えなかったことが気になったのだろう。電話で認知症が進むのではないかと相談があった。答えになるのかは判らないが、「目からの情報が入らないから数字などの情報を忘れられるのかもしれないから、耳から情報を入れるようにされたら如何でしょうか???例えばラジオなど・・・」と無責任な思いつきの答えを出してしまった。

見た目は普通のにこやかなオバーチャンだが、年老いてから目が見えなくなったことは大変なハンディーだと思う。
調査票を提出してからの相談だったから、「公正な認定調査」だったのでしょう。依頼された時点で知人だということが判れば断るのだが・・・。

体調不良  2010・12・7
珍しく晩酌も含めた夕食が入らなかった。体調不良・食思不振ということなのだろうか???とにかく一日電話が鳴り続ける日だった。

朝1番に、情報公表の調査員が来た頃から電話が続き、吸引器の手配から始まった。午後入院中の病院で家族と一緒に事業者と会う約束をして、続いて入ったのが県東部の病院に入院しておられる方を高岡に連れて来たいという電話。MSWに中に入ってもらって、〇〇か□□に紹介してもらうように伝えた。そこへ入ったのが、デイサービスからチルトリグライニング車椅子の不調である。事業者に見に行ってもらうことにした。

調査を中断しながら仕事を優先したが、まだまだ続いた。
変則利用の方なので、毎月利用表はコピーとはいかない。その内容が間違っていた指摘も事業者からあり、作り変えて届けることにした。
そこへ入ったのがウロパックのトラブルが多い方のカテーテルの不調である。訪問看護ステーションへ緊急訪問していただくように連絡をした。

調査員には失礼だったが、一時間余りで何とか調査が終わった後、問題の整理に入った。
訪問看護ステーションからは時間調整をして緊急訪問をしていただけたが、大きな問題があった。体調不良・受診が必要な状態だと言われる。子に連絡をするが電話がつながらない。そうこうしている間に午後の会議の時間になった。

吸引器に関して話を進めていると、病院側から2割引で・・・という話があったと言われる。そういうことなら病院から出してもらったら良かったんじゃないの???と。最近使い出した方の吸引機の調子が良いということを聞いていたのでその事業者を選んだが、病院側としても事業者の意向があったようだ。
それなら最初からそちらで準備してもらったら良かったんじゃないの・・・と・・・。

そういう1日が終わって晩酌に入ったが、食事も入っていかない。出された食事を残したことは滅多に無いが、3分の1ほど食べたところで「寝るわ・・・」と布団に入った。
一件携帯電話に着信があったのは知っていたが、またかかるだろうと・・・そこへかかった電話が組織委員会の延期の電話だった。

これで終わりだろうとうつらうつらした所へかかった電話が、急逝を知らせる電話だった。転院することは出来なかったが、家族・親族も満足しているようだった。
とにかく忙しい一日だったが、体力的にも「もう限界か・・・」と思う1日でもあった。

今日一件認定調査の予定が入っているが、その足で「弔い」にいってくることにした。
まだ疲れているのか・・・目が霞んでいる。

「良い笑顔」に・・「良い笑顔」で・・。2010・12・4
隣市の窓口で、夫婦の更新申請や先に申請した方の認定審査会日程の問い合わせなど・・・。久しぶりに窓口のカウンターでのんびりと座って書類を待っていた。そこへ「ケアマネジャー見ましたよ・・・」と「良い笑顔」で声をかけていただいた。

もう14〜5年前になるが、重度認知症の方に関して協働したことがある。
当時MSWとして活躍中だったが、現状(家の中の状態)も確認していただき、県外の精神科病院へ入院出来るように紹介の手続きをしていただいた。
今考えてもその方法しかなかったことを、つくづくと思い出す。
在宅介護支援センターソーシャルワーカーとしての思い出深い支援の一つでもある。

一人の専門職が地域を大きく変えることの証明でもあり、多くの専門職がその功績を認めている。安心して、どのような困難事例であっても苦にならない。安心して取り組むことが出来る背景が出来上がっている。
6年前の開業時には勿論挨拶をしておいたが、その時にも「良い笑顔」で応えていただいている。
今後、最後の段階でお世話になるであろうケースを抱えているが、今のところは関係者を通じてつばぜり合いをしている。意は通じている(のだろう)。

安心して仕事が出来るためには「良い笑顔」が必要だが、あちこちで「良い笑顔」を目にすることは良いことだと思う。
せいぜい「良い笑顔」に出逢いたい。

夜中に目が覚めた・・・  2010・12・2
昨日主治医意見書が出来たと電話があり、午後区分変更の手続きをした。
要支援の区分変更だから、暫定プランを介護で作っておくことにした。
介護の区分変更ならコピープランで良いのだが、この場合には最初から作る必要がある。
半分位書きかけて、明朝少し早く起きることにして晩酌を始めた。
寝たのは10時頃だっただろうか・・・。気が急いたのか目が覚めたのは2時半だった。

脊髄系の神経難病の方だが、病状が進んでからは状態悪化が早い。
一件排便障害に始まって、数ヶ月でねたきりになられたが、今回のキッカケは排尿障害だった。
病名は色々あるが、排便コントロールは今のところ何とか出来ているが、症状から見て同じ経過を辿るような気がしている。

年内に認定が出るかは微妙なところだが、とにかく暫定プランで認定を待つことにした。プランの内容は同じなのだが、様式を変えるだけで、半分は寝ているが一晩かかった。
早目々々に対応はしていくが、重度化するのも早いと推測している。とにかく認定が出てからの対応にしようと思っている。

年末まで5件の更新を抱えているので、今年も忙しい年末になりそうだ。
数年前大晦日の担当者会議もあったが、今年もある・・・カモ・・・知れない。
「師走」とは良く言ったものである。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

利用者(側)の選択・・・2010・11・29

急逝された方の連絡や更新申請代行・生保の関係書類提出など、スケジュールが詰まっていた。そこへ電話がかかった。

開業一年半経った頃に居宅変更を行なった老夫婦のケースだが、担当して間もなく、夫の認知症が重度であリ、精神科病院から他市の特養へ入所していただいたケースがある。
こちらで入所を待っていれば何年先になるか判らないので、他市の特養に依頼をした。コネ入所は認めるが、それしか方法が無かった・・・
・・・遠くでしか入所出来なかったことへの責任を感じ、3ヶ月に一回程度妻に『面会』の機会を作ってきた。9月上旬の面会で、妻から「もうええ〜〜〜」という言葉が出た。
それからそろそろ3ヶ月、やはりこの周期で予定していく必要があったようである。

朝一番に電話がかかり、2時間後には迎えに行く約束をして施設へ向かった。

看護師からの説明で「危篤」状態であることを妻と子に理解していただいた。そこで「施設で看てもらうのか病院へ搬送するのか???」に関しては家族親族の「決定」になる。私の提案は一言・・・「ねえちゃん(子の子・本人からは孫)に聞いて決めたら良いのでは???」と。
看護師にこの選択を伝えると協力病院のベッドが一床空いたところだと言われる。そこで「孫の選択」を待った。

入院することに決まり施設の車を出してもらう準備をしている所へ本人の兄弟姉妹4人が到着された。非常に良いタイミングで、大まかな話をして、一緒に病院へ直行した。
今回の意思決定は『孫』だが、一番良い背景もあることを私は知っていた。
かなり乱れた生活をしてきた孫だが、『幼い頃・・・随分本(祖父)人には可愛がってもらった。』歴史がある。そのことを聞いていたからこそ判断を求めるように子に言った。

診察の結果肺炎があったようだが、これで何かあっても、誰もが納得するであろう。決断は『孫』だが、その結論に至るまでの『緊急マネジメント』は(元)ケアマネジャーの仕事だと思う。
滅多に無いケースだとは思うが、施設入所後も関ることが出来たことに満足している。

「セカンドオピニオン」みたいな関係だったのかもしれないが、私は入所後一口もコメントしていない。そして最後になる「コメント」なのかも知れないが、「ねえちゃん(子の子・本人からは孫)に聞いて決めたら良いのでは???」は重要な発言でもあった。
その対応が出来たことに関して・・・充分満足している。
介護保険事業計画・・・今度は大丈夫???  2010・11・28
開業以来、随分提言をしてきた。その度に嫌な顔をされたが、まとめてみたら
http://www.city.takaoka.toyama.jp/fukushi/0703/unkyo/h21-23jigyokeikaku/02_dai2hen.pdf
こうなるのですね。

◎認定調査を受けなくても更新が出来ていた件に関しては、ようやく全件保険者調査の方向にいくようです。
 全国に先駆けて初回認定調査を保険者が行うことになってからそろそろ5年になりますが、ようやく・・・といったところです。

◎介護サービスの適切な実施と質の向上にむけて
 ここでは利用者の『選択の自由』を保障していく方向に触れています。
 もう一歩踏み込んで、行政ライン(委託機関)による行政の持つ被保険者情報の保護をしっかりと行なっていただきたいものだと思います。
公正・中立な立場からの関わりが確保できないという現状もあり・・・と現状を認めてはいるが・・・是非実現していただきたい内容でもある。

◎介護支援専門員の質の向上・・○ケアプラン指導チーム評価事業
 に関して、事業所ではなく、一人ひとりの介護支援専門員にその機会を与えていただくように、今年度の指導チームの場で直接提言を行なった。

『公平・公正』の受け止め方が保険者職員と食い違っている面も公の場で指摘しているが、果たしてこれで如何なるのやら・・・
あとは運用面の問題。委託機関の職員がこの『理念』を理解できるのか・・・また天下り管理者が如何動くのか・・・
大きな期待はしていないが、少しでも『選択の自由』が保障されていけば良いとも思う。

しかし〜〜〜先日の事例検討会の内容を見る限りでは・・・難しいのかな???
「囲い込み」とは・・・。  2010・11・27
「囲い込み」とは、介護支援専門員に係る『理念』の問題である。ケースの内容を聞けば『理念』が如何であるのかは伝わってくる。自社完結型ケアマネジメントを批判した言葉ではあるが、一番重要なのは裏に隠された『理念』が如何なのか・・・ということである。形だけ整えても『理念』は見えてくる。

「困難事例」というのを何件か抱えているが、人には「困難」でも「困難でない」ケースもある。「困難」な問題(介護問題)には大きく分けて二つのケースがある。「本人が問題」「家族親族の問題」その何れにも関っているが、何れも「人間関係の問題」と捉えても良いだろう。
本人を取り巻く人間関係を整理出来れば、自ずと問題は解決する。その『社会資源』の使い方がポイントなのだろう。

とは言え・・・中には自ら去っていった『問題』もあった。その後に関しては知らないが、「問題が解決している・・・」とは思えない。嫁姑の問題である。
ケアマネジャーには何が『問題』なのかを見抜く力も求められる。ただサービス計画を書いているだけでは『問題』は解決しない。問題の原点に迫る『勇気』が必要なのだろう。

『本人』が問題なら本人に迫れば良い。『家族・親族』が問題ならその関係修復に挑戦をしていただきたい。だから・・・という訳でもないが、年中無休の仕事をしている。その代わり・・・でもないが、平日の日中に酒を酌み交わしていることもある。とにかく『独立ケアマネ』は気楽でもある。

『介護問題』を解決する方法は一つしかないだろう。『囲い込み』の考え方を拭い去り、本人にとって最良の方法を提案する。
『家族・親族の問題』を本人にとって最良の形に手繰り寄せる・・・この手法を身に付けられることをお勧めする。『介護問題』と仲良くなって支援を行なう・・・ということであろうか???
団塊の世代・・・ある方の顔をテレビで〜〜2010・11・23
そう違わない年代の方の顔をテレビで見て、そう違わないかな???と。
戦後世が落ち着くに連れ自己主張が盛んになった。学生運動の始まりを皮切りに、一通りの自己主張(の手段)は体験して来ている。労働組合もその一つである。

大学2年の時、昭和42年のことだが、学生運動が形を現そうとしていた。
当時横浜に居たが、東京への大行進(デモ行進)を目にしている。
この後すぐに郷里へ帰ることになるのだが、その翌年、東大安田講堂事件が起こっている。全国各地の大学の学生運動の集結の姿だが、前年に見た大行進はその予兆だったのであろう。多くの犠牲者もあっただろうが、現在の安定した社会(?)へのスタートになったことも事実のようである。

当時の学生が何を主張していたのかというと、一口で言えば「社会構造(不公正)への抗議」だったのかも知れない。あるいは「自己発見」の機会であったのかも知れない。
実際社会運動には怖い反面もあり、首謀者と団体の構造が違ってくることがある。大学紛争も例外ではない。
非常に懐かしく激動の時代を回顧してみたが、その団塊の世代もそろそろ引退の時期が迫ってきているのだろう。戦後65年、戦後のベビーブームの年代がそろそろ高齢者の仲間入り、周りを見渡せば引退した方もあるが、皆それぞれの持分で頑張っておられる様子でもある。

突然話は変わるが、今日救急入院された91歳の方は、夏前に畑作業をしておられた。糸を張って棟を作ろうとしておられる姿に「昔取った杵柄」という言葉を思い出した。基本だけはしっかりと身に付いている。
この「基本」が重要だと、改めて思った。
介護プロの目から見た評価・・・。2010・11・22
療養型病院併設のショートステイが利用に関して難色を示した。医療療養型施設ではないので、医療療養型ショートステイにも問い合わせをしてみた。条件的には困難だった。
県がベッドを確保した医療療養型ショートステイもあるが、私が(選んだ)紹介したのは総合病院のレスパイト入院だった。

妻は介護の専門家でもある。自身が勤める施設も頭の中に無かったかと言えば、『有った』のだろう。今日はじめてその胸の内を聞いた。「不安」だったそうである。
超ベテラン看護師で、本人のことを良く知る方に聞いてみた。総合病院を選んだ視点に間違いは無かった。とは言え、貴重な資源(病院)である。

胃婁造設から1ヶ月目に亡くなる方が多いと聞いている。ちょうど造設手術入院中のことだったが、医療素人の私自身が、その状態から不安を抱いていた。そこで「レスパイト入院」の相談をしている。
快く受け止めていただいて、月一回一週間程度の入院を続けてきたが、今日介護プロの妻の口から「大変」という言葉を聞いた。そこで入院日数を増やすことを提案した。

一週間以内から10日位・・・週末をまたぐだけの話だが、その数日増が助かると言われる。妻にしか出来ない介護。この介護を継続するために、調整を行った。
入退院の調整に関して非常にスムーズに行っている。
私自身MSWでもある(単に協会員だというだけの話)ので、その立場も判る。3回目(3ヶ月目)のレスパイト入院だが妻の口から評価の言葉が出た。

「〇〇〇ケアマネジャー〇〇ことない・・・」
プロだから在宅で介護が出来るのですよ・・・と激励しておいた。

気になる電話が・・・。  2010・11・20
地域密着型・・・でもやろうかと社会福祉法人を作る予定だと言われる。
せっかく社会福祉法人を作られるのだから、特養ホームを作られる方向を勧めておいた。

チョッと気になったので、気になる記憶を辿ってみた。
特養ホームをベースにしたサテライト型老人ホームの話を聞いたのはかなり前である。あくまでもベースは老人ホームであり、そこから地域の日々の在宅支援サービスにも出る形である。

もしかして・・・サテライト型がフィットしなかったので形を変えて『地域密着型』ということになったのかもしれない。しかし『本末転倒』のような気もしている。
例えば・・・デイサービスを週に何日間か地域で開催するという話である。これもサテライトの形なのかもしれない。

新しい『サテライト型』が必ずしも良いとは限らない。地域と交流を持つ必要はあるが、無理をして(必要とのバランス)地域に出て行くことはない。
多分、行政ライン(県・市)の天下りがいる施設はもう一杯だから(委託機関の包括の枠はないが・・・)サテライト型特別養護老人ホームなら作ることが出来ますよ・・・という話だったのだろう。しかし・・・付属部分で大きなハンディがある。(ハンディーの内容は読者各位の推測に任せるが・・・)

此処まで想いを巡らせて・・・この角度からなら、現状を打破出来る・・・とも思った。人生の目的を持って独立開業をしているが、もしかして〜〜〜もしかして〜〜〜と『懐かしい歌』になってしまった。
ひょっとして・・・この角度から???・・・???これも面白いのかもしれない。

誘いがあれば、乗る価値がある内容なのかもしれない。
『もしかして〜〜〜もしかして〜〜〜』
深刻な相談・・・。  2010・11・19
『頑張っている嫁』
いよいよか・・・???・・・。

義母のADLはどんどん低下していく・・・。
義弟は、脳梗塞の再発で障害者施設へ・・・。
そしていよいよ・・・夫が初老期痴呆に・・・。

電話相談を受けて訪問したが、深刻な内容ではあるが一人では抱え込んでいないので悲痛さは無かった。
先日来勧めていた受診で先生から介護保険の申請を勧められたと言う。申請の手順と必要な書類を渡し、・・・ところで認定を受けて何を希望されますか???と聞いてみた。私には必要なサービスは思い浮かばなかった。

火の心配もあるのだけど、風呂を沸かすことが判らないのか、前日の「沸かし冷まし」に入っている・・・らしいということ。即ち『水風呂』である。
そういうことなら、風邪を引いても大変だし、ヘルパー介助で入浴・・・というプランなら書けそうですね・・・。
ということで引き受けることにした。

彼の状態もある程度判っているので、ヘルパーのタイプが頭を駆け巡った。
そう若くない女性が良いのか???それとも体格の良いがっちりした女性???か弱そうだが底力のある男性ヘルパー???・・・事業所も入り乱れてヘルパーの選定をしていた。

果たして本人が受け入れるのか・・・という大前提があるが、とにかく申請をすることにした。
それにしても・・・頑張っているなぁ〜〜〜
スポーツウーマンでもあったので芯は強いが・・・潰さないように応援するから、頑張っていただきたい。
爆発の一日  2010・11・17
「爆発」という表現が良いのかは判らないが、内向していた想いが表面化した。・・・と言うよりも表面化したことで問題は解決した。

一件、軽度者の福祉用具の例外給付でベッド等を使用する申請をしてあった。例外給付なのだが、利用者にすれば「当然」なのだろう。しかし『例外』は例外である。
そこへ体位変換器の利用希望が重なった。カタログを見て・・・ということだったのでおおよそ予測して納入に立ち会った。カタログには要介護1〜5まで利用出来ることになっていたが「???」その確認の意味で同席した。
裏の話として「同様な機種の例外給付の理由書は書けない・・・」という理由から私費レンタルの単価を出していただくことにしてあった。説明は担当ケアマネである。

別件だが、昨晩救急入院の連絡を受けていたのでその方の『入院調整』に朝から飛び回っていたが、残すところ一事業所になったところへ、先のレンタル希望の夫から電話がかかった。「使ってみたけど・・・使い勝手がそんなに良くないので・・・止めて置きますわ・・・」と。大きな問題にならなくて良かったが、この件に関しては「信用破綻行為」が潜んでいた。
そして残る1箇所の訪問先が、入院の件にも関る福祉用具レンタル会社である。

何時ものように玄関のカウンターから入院の旨伝え・・・そして・・・もう1件に関しては「今夫から電話がかかって・・・使い勝手が悪いそうで・・・お手数でしたが・・・引き上げて・・・下さい」と。
正面に座る「彼の顔」は先日の私の「良い笑顔」に勝るとも劣らない良い笑顔だった。
お互い「良い笑顔」で仕事が出来る事はいい事だと思う。

それにしても「良い笑顔」だったな〜〜〜
責任の所在・・・。2010・11・14
平成七年のことだから生まれた子供が高校生になっている。
その時長女は「高校3年生」・受験生でもあった。今思えば充分に教育はしてやれなかった。次女は2年遅れだから『2年遅れ』であるが、現在チビッ子ギャングNo1・No2と、ついでに夫も連れてきて同居をしている。とにかく男3人を連れて来た。

今日他県に住む長女が帰ってくるが、他県へ行ったのは通学のためだった。結果そのまま就職をして今も居付いている。アパート代が高いことから市内での移動はしているが、今も15年前と同じ市の住民である。
『ふるさと納税』ということで出身地では納税をしているが、『果たして???』という気もしている。住んでいる所を良くすることも重要なことだと思う。

その長女が今日帰ってくるという。車の整理もして帰ってくるスペースも作ったが、多分何時もの一時帰宅だとは思うが、何かありそうな感じもしている。
・・・・・もしかして・・・???

昨年12月10日にスノータイヤを持って金沢まで走っている。
しかし・・・それにしても少し早い。
何か重要な相談(報告)でもあるのかな???と思いながら毎回『駐車スペース』を空けて待っている。
5台目を確保することがどんなに大変か(技術が必要なのか・・・)は家族の誰も判っていない。

もしかして・・・テレビで『此処に駐車出来る方大募集』という番組を作って欲しい位に思っている。
とにかく・・・数センチ・・・左後輪・・・右フェンダーミラー・・・後ろのスペース(プランター花壇)に無事収まれば『免許』でも出しましょうか???
『コレシカナイシャコイレメンキョ』というのは如何でしょうか???

興味のある(自信のある)方の挑戦を受け付けますが・・・もし失敗された方には・・・自費請求が・・・あるかも知れません。
是非挑戦していただきたいと思います。(先ずは高岡の皆様・・・如何ですか???)

華麗なる競技へようこそ(競技ダンス画家)2010・11・10
“ダンスを単なるなるスポーツとしてではなく、動く芸術としてとらえたい。”
http://www.kareinaru.com/

競技ダンスを題材に絵を描き続けておられるsuiさんとはインターネットで知り合った。キッカケまでは覚えてないが、BCCメールを送ったら必ず返信がある。納得していただくまで送受信が続くが、そのsuiさんが地域包括支援センターの健康教室に通っておられる。
以前に『介護が必要になったら・・・』と近くの民間・単独型居宅介護支援事業所を紹介しておいた。

先に中央法規出版「ケアマネジャー」の取材記事のゲラ版をメール添付で送っておいたが、開くことが出来ないとパソコン教室の先生にも相談されたが「開けない・・・」とメールで知らせていただいた。そこで住所を知らせていただいて、郵送した。そのお礼に「パステル画を贈ります・・・」とメールで連絡をいただいたが、大小あわせて七枚の額入り絵画が届いた。
独り占めするのには多すぎる・・・と言うか飾るところが無い。そこで提案をした。

「デイサービスとか多くの人の目に届く所へ飾ってもらっても良いですか???」との投げかけに快い返事が来た。(というかどれだけの絵画を贈ったのか画材屋に任せてあったということ)
私が見ても心温まる、流れを感じる画なので、馴染の事業所に飾ってくれるか問い合わせをすることにした。

一番心配なことを聞いてみたが、公正証書作成済みで相談出来る弁護士もおられるということ。内容は知らないが、状況に応じた相談をしていっていただくように伝えておいた。
人生色々ではあるが、年老いても生き生きしておられる方はある。少し・・・いや・・・大きく刺激をされてしまった。

・・・・・まだまだ根を上げるのは早い・・・・

組織と事業者  2010・11・10
経営陣と従業者との利害の調整は労働組合という形で、長い歴史がある。現状は知らないが、一時期その場に身を置いたこともある。不況とともにその活動も弱まってきている???のであろう。
措置時代の介護・福祉界は公務員に準じた給与体系を執っていた事業所も多いと思うが、介護保険がスタートしてからその状況も大きく変わった。経営者の意識レベルの問題もあろうが、随分醜い理念の経営者に関しても報告いただいている。

在宅介護支援センターは措置時代の唯一のケアマネジメント機関でもあった。介護保険スタートと同時に大量のケアマネジメントが必要になり、介護支援専門員も量産された。
居宅介護支援事業所が誕生してケアマネジメントを担当することになったが、多分この時点で、行政(保険者)自身がこの流れに付いて行くことが出来なかったと思われる。そして現状がある。

自由競争になった(はずの)ケアマネジメントが「公正・公平」ではない現状が全国各地に誕生した。管理者(経営側)からの「囲い込み」の指示があった現状に我慢が出来なかった「理念」にあふれる介護支援専門員が独立開業をした。彼らは「独立・中立型介護支援専門員全国協議会」を結成して、その現状を全国に訴えた。
この翌年だったか、厚生労働省が「独立性・中立性の確保」を政策の柱にしている。

一方行政ラインは措置時代の「在宅介護支援センター」→「地域包括支援センター」といった行政ラインでのルートを堅持している。自由競争になった介護保険と福祉が混濁した現状が未だに続いているが、ここに出てきたのが「地域包括ケア」である。
地域包括ケアの政策が浸透しなければ、日本の「介護」は崩壊するのかもしれない。その受け皿を作るには介護支援専門員としての「理念」を貫く組織が必要だと思う。

70パーセントという数字で今日本協会は揺れ動いていると聞く。この数字は私自身の口からも出ている。
囲い込み率90パーセントは高すぎる・・・という話から中を取って・・・ということで出した数字だが、一番新しい我が事業所(私自身)の数字は・44・22・31である。勿論行動範囲も広いので目安になる数字とも思わないが、利用者の「選択の自由」を保障する気持ちだけは現れている数字のように思う。

独立協が復活できるかは別として、理念形成のためにも、国→県→市町村(保険者単位)の「介護支援専門員」のつながりのある組織の整理が今求められているように思う。

富山型デイサービス誕生から17年・・・  2010・11・8
昨日氷見市で開催された地域福祉フォーラムに行って来た。17年前といえば在宅介護支援センターソーシャルワーカーとして地域を駆け回っていた頃、月日の経つのは早いものである。
その富山型・・・が、県内80箇所・全国では600箇所に増えているという。
関った方の1割程度は富山型デイサービスを利用して来られた。

その他に医療依存度の高い方には「富山型」ではないが、「富山で誕生」した医療ケア付きデイサービスもある。近所のお年寄りとの交流を希望される方には出身地のエリアに、民間事業所のデイサービスもある。
それぞれの施設に、それぞれの特徴があることが、小規模・民間の魅力でもある。

良いものは好まれるという証がここにあるのだろうが、経緯があって社会福祉法人のデイサービスも何件かは使っている。サービスそのものは悪くはないのだが、そこに至る経緯が好きではないので、出来る限り避けるようにしている。
それにしても、全国を制覇された感触が伝わってきた。

話の中で意外なことを耳にした。「アル中」だそうである。
他人のことは言えないが、私もそうなのかもしれない・・・というか、そうなのだろう。
閉会の挨拶の方も多分・・・そうだろう。
機会があったら一緒に飲みたいものである。(今度耳打ちしてみよう・・・)

光接続に・・・会議室のインターネット  2010・11・6
事務所は最初からケーブル接続を使っていたが、『会議室』にインターネットを引く時点でケーブルは通っていなかった。そこでADSLでつないでいたが、かなり動きが悪くなってきていた。キャンペーン期間でもあったので、光に変えることにした。

まだ使い始めなので感触は判らないが、メール受信に関しては確かに早くなったように感じる。
パソコンもかなり年数が経っているので実際は如何なのかは判らないが、今流行の『光』というだけで早いような気がするのかもしれない。
ケアプランソフトもインターネット接続で使っているので、多くはないが、急ぎのプラン変更を『会議室』から入力することもある。

気分だけの問題なのかもしれないが・・・一応は時代に乗っておくことにした。
囲い込み率70パーセント2010・11・4
先の報酬改定で「囲い込み率」が論じられていた頃、独立協のメンバーから電話がかかった。『電話がかかった場所』は今でも鮮明に覚えている。
片側2車線で開通したばかりの国道八号線の高架下にいた。

電話の内容は「囲い込み率50パーセントを提言したい・・・」という内容だったと記憶している。
当時の私の実態は、確か訪問介護だったと思うが、50パーセントに近い数字だった。そこで提案に関する『提言』の内容が70パーセントに落ち着いた。中を取った形だったが、70パーセントという数字が提言された。

今回の改正で私が開業間近に叫んだ『独立性・中立性の確保』が数値化される予定のようである。そこで『回想』してみた。
日時までは確実ではないので公式記録の対象ではないだろうが、私の口から『70』という数字は出ている。常識的な数値が「70」だろうという程度だった。

いま日本協会が揺れ動いている(先日県協会組織委員会でも呟いたが・・・)と聞く。
各種審議会等で会長が突然「70パーセント」の数字を出したことから揺れ動いているのだとは思うが、仮にこの数字が問題になるとすれば、日本のケアマネジメントは「公正・中立」を越脱している。
「概ね半分でしょう・・・」という数字と当時の数字との『中』を取った形だと思うが、これ以外に提示出来る数字はないだろう。

そのうち具体的な数字は出てくるのであろうが、概ね『常識』の範囲で治まるのであろう。私自身も現状ではこれ以上の数字を示す予定は無い。
(もしかして・・・厚生労働省が・・・意地になって・・・数値を引き下げない限りは・・・これも常識の範疇である。

『囲い込み率』を意識しないで仕事をしているが、数字を意識していては良い仕事が出来ないであろう。そういう意味からも、独立ケアマネは自由に仕事をしている。『日本全国皆独立・・・』という位の意気込みで発信しているが、『理念』が届くのは何時のことなのだろうか???
『我が子の時代』なのかも知れないが・・・まさか・・・『孫の時代』ということだけは無くして頂きたい。

団塊の世代は競争の世界を潜り抜けて来たが、続く次世代が如何考えているのであろうか???その団塊の世代が本格的に高齢者の仲間入りをする。
同級生の中には進んで(?)高齢者の仲間入りをしたかたもあるが、もうしばらく頑張ってみようとも思う。

厚生労働省の考え方の中に『団塊の世代を切り抜ける』方策は目に当たらなかった。
自分自身で守る高齢化への道程なのだと思う。
とは言え・・・半額年金を片手に、現役時代では取り組めない『独立ケアマネ』の普及に関して提言を重ねている。

良いケアマネジメントのためには「独立性・中立性の確保」を『担保』した考え方が必要なのだろう。
おおくは望まないが『独立性・中立性』を確保出来る背景・市場が必要になってくるだろう。
『独立性』・・とは・・『中立性』とは・・・といった論議が・・・地域のあち・こちで・・囁かれる・・・論議される『現状であって欲しい』と思う。
専門職としての理念の高揚。  2010・11・3
介護保険法が誕生して何年経ったのだろうか???
介護保険法の要の役割として『介護支援専門員』が誕生した。その立場は「公平・公正・中立」である。
その基本理念が『怪しい』方が随分と目に付く。
『怪しい』から覆面でもしていただければ良いのだが、『怪しい』ことが判らないから公然としておられる。知る人ぞ知る『ピエロ』である。

『理念』とは「持って生まれたその人の性質」なのかも知れないが、「持って生まれた本来の性質」までは変えることは出来ないであろう。その「性質」を携わる仕事が出来るように、少し変えて見ようというのが『理念の形成』なのかもしれない。自身の取り組みもあるだろうし、外部からの『洗脳???』の機会があるのかも知れない。

とにかく専門職を続けていくためには、結果『洗脳』だったとしても、理念を高めていくことが必要である。これは専門職に必要な『知識』ではない。『知識』は調べれば判る。その『判らない』部分が『理念』なのだと思う。同じ文章を読んで人によっては解釈が違うように、理念の違いによって解釈が違う場合もあるだろう。
一言で言えば『立つ位置が違う』ということになるのだろう。

『立つ位置』とは、専門職が『置かれた立場』ではない。関係者との相談の中で如何なる位置に『立つ』のかということだろう。誰の『立場』でマネジメントを行なうのかと言い換えた方が良いのかも知れない。
言うまでも『利用者本意』の立場なのだろう。

こう考えてみると、色々な立場に『立つ』ケアマネジャーを目にして来ている。我が身可愛い方もあるだろうが、『利用者の立場』でものを言える・考える方が少しでも増えることを望んでいる。
このことが『理念の高揚』ということなのかな???と思った。
専門職としては『基本中の基本』なのだが、『理念の高揚』が叫ばれるということは、『出来ていない方が・・・随分多いのだろうナァ〜〜〜』と推測してしまった。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

風邪を引いたみたい・・・  2010・10・31
2日前ぐらいから背中が痛かった。左後ろなのだが・・・。
それと両肩は平素もに増して痛みが強い。

昨日風呂好きの妻に急かされて入浴をしたが、逆効果だったようだ。
朝起きて回復していないので「好きな?」風邪薬を飲んでみた。昼食後も飲んだが、眠気がもよおしたので布団に入った。約4時間熟睡したら少し楽になった。

日課のウイスキーを片手にパソコンに向かっているが、勿論本調子ではない。入浴を急かされているが入らないことにした。入浴しなくても死ぬことはない。
入浴好きな妻は、他人が入浴しないことだけで気分が悪い。高齢化と共に介護が必要になったら「困難事例」だろう。

1日には寝込んでいても提出しなければいけない書類がある。福祉用具特例利用の申請書である。担当者会議が日程的に間に合わなかったので、土日をはさんでしまった。
月初めは実績も届くし、会議記録の配布もある。しかし何にも優先して、この書類だけは提出しなければならない。

今日の晩酌は好い加減にして、早く寝ることにした。
更新1ヶ月前になっても主治医意見書が出来てこない方に電話をしたが出る気配はない。2回目に電話をしたときは電源が切れていた。
「入所か在宅」か選択を迫られているので逃げておられるのだが、逃げれば逃げるほど窮地に追い込まれていく。週末以外は毎日支援が入っている。

最初から困難事例(最期に関して)を予測して受けているケースが何件かあるが、この期に置いて逃げていただいては困る。しかしこれは私にとっても好都合でもある。面会出来ない・電話をしても通じないということになれば・・・「如何すれば良いの???」
たった一本の電話だが(今回は2本)専門職の身を守ることに通じるのかもしれない。

東京からの来訪者・・・現実に呆れる。  2010・10・29
そろそろ一年になると思うが、久しぶりに来訪があった。
来年で一区切りを付け郷里に帰る予定のようだが、どうも独立開業を視野に入れておられるようである。
主任介護支援専門員研修が来月から始まるということで、受講費の話になった。5万円に近い受講費ということだったが、こちらでは県協会員は無料だと、その背景をお話した。
住民票はこちらにあるそうで、県協会に入会しようかという乗り気の姿勢にびっくりしたが、それ位優遇されている。ただし、個人会員・施設会員の両方を抱える協会の組織改革の中間点が現状であることは事実である。

協会への入会はこちらへ来られてからでも遅くはないが、独立開業される予定なら準備が必要だということもお話した。
「協業組合」構想を公開した時に、単身東京へ乗り込んで行こうかと思ったこともあった話も交えて現状をお話した。とにかくケースとの結びつきが困難なので、知人・友人などの紹介ルートを整理しておかれることを勧めた。

ソフトに関しては、インターネットでつなぐタイプを使われれば、そう費用はかからない・・・と機能を確認していただいた。使い勝手は別として、2社ほど利用料も含めて紹介しておいた。
先ず法人を作って、自宅を事務所に、そして指定申請ということになるが、事務所(相談室)から他人に顔を合わせないでトイレまで行くことの出来る構造になっていれば大丈夫なことも伝えておいた。
長く高岡を離れていた方だけに利用者の獲得には苦労されるだろうが、そのためにも現在の市の構造も伝えておいた。

そういえば行政(保険者)に向かって随分提言してきたが、元に戻っている。
東京では
・担当ケアマネが認定調査をしない方向は出来上がっている。
・利用者が多いので、行政ラインで囲い込んだら大変なことになる。
・サービスの選択肢は揃っているので、自社サービスに囲い込む必要なない。
等など・・・やはり考え方が「公正・公平」である。

所詮高岡は、田舎であり考え方も片寄っているように感じた。
『・・・東京へ行こう・・・』は年齢的にも無理だとは思うが、同じ日本なのに考え方まで卑屈な現状に、苛立ちを通り越した『安らぎ』を感じた。
一日も早く、都会仕込みのマネジメントを見せていただきたいものである。

介護度が下がった・・・。2010・10・28
要介護4から要介護3へ更新認定で変更があった。 更新プランの説明で、通所介護に関しては費用負担が減ることを説明したが、担当者会議でも話題になった。マイナスになる事業所の相談員は苦笑していた。

オムツ券が届いていて内容を確認すると、こちらでは月額1,000円減額になる。半年先の分まで届いていたので、申請時の介護度で一年いくのでしょう・・・と説明しておいた。新年度の申請から月額1,000円減額になる。まさかオムツ券で区分変更でもないし、1段階の(2段階はいかない)区分変更はしないことにしている。

大まかな計算の上、オムツ券減額分をかぶるのは通所介護ということになるが、認定調査をした事業所を家族から明らかにしたことによって約1名気分的にも被害をこうむった(それだけ小さな人間ではないが・・・)方があるが、一応円満解決ということで会議を解散した。

「認定調査を担当ケアマネがするのは公正じゃないの???」と担当課に開業以来提言してきたが、また(というか直ぐに)戻ってしまったようである。私のケースはクロス調査になるのだが、やはり相手を考える必要があるだろう。同じ地域で同業者であれば、私情が入るのも当然である。まだまだ「公正な認定調査」には程遠い現状を確認した。

理想とすれば、担当ケアマネジャーが担当者の認定調査をしないことは原則になるのだが、利用しているサービスにも関係のない方が調査をすることが望ましいのではないかと今回思った。果たして現状で出来るのかは???だが、広範囲に動いている私にはそれが可能なような気がしている。そのスタイルは「保険者調査」なのだが、近隣の保険者では当然の如く行なわれていることである。

確かに近隣の保険者は人口的にははるかに劣って(?)いる。しかし人口を抱えていれば高齢者人口に応じた介護保険予算も確保しておられるであろうし、規模の違いだけの・・・ハズである。 そういう角度(外部)から見ても、「行政の怠慢」という気がしてならない。独立開業の指定事業所という立場を外せば、一市民でもある。

一市民として筋道を立てた、住民活動も必要なのかもしれない。

在宅生活の限界かと思いながら5年半。。。2010/10/27 19:59 [ No.4307 / 4307 ]
開業してから1年目・・・2号被保険者で重度の方を担当することになった。週3回の透析の合間に、主介護者の兄夫婦の休養の時間を作る目的のケアプランで、一事業所では負担がかかると思い、二事業所に振り分けてきた。週末の金・土・日のショートステイ(途中で曜日は変わったが・・・)の計画利用であるが、事業所・担当者にも配慮していただいて今日まで来た。

入浴はショート利用中の月2回で、後は兄夫婦で清拭等で対応して来られたと聞く。ここに来て兄夫婦も高齢化され、介護が困難になってきた。
遠慮がちな方だから無理は言われない・・・しかし・・・かなり負担になってきているようであった。

デイサービスで入浴の希望があったが、私自身デイサービス利用の対象者だとは思っていない。しかし希望は希望として問い合わせてみた。答えは彼を知る担当者からは出ないが、その代弁をした。「デイサービス対象者ではないですよね」・・・同意の眼差しが光るのを見た。しかし拒否ではない。何とかしたいという「心」が伝わってきた。

2箇所目のショート担当者にはこの反応も含めて伝えた。そこで出た考え方隔週の1週間の中で「一泊ショートステイ」を利用する『案』である。逆に言うとこの結論に誘導したのかもしれない。とにかく担当者間で話し合っていただき結論を電話で知らせていただくことにした。
結果として、両事業所からその必要性を認めていただき『答え』を待つことになった。

現在は介護保険サービスで何とかつないでいるが、出来なくなった場合は透析病院への入院である。透析病院で『療養』できるが、現在透析通院している病院が『終の棲家』になるかは最近怪しくなってきた。その確認を兄に取っていただき、ダメならダメで少しでも早い時期に透析転院の必要性を問いかけてある。受け入れ先があることだけは伝えてある。

状況によってはかなり複雑なケースではあるが、一つの『方程式』が出来上がった。もと『化(け)学』系だから方程式はお手のものである。
今回のマネジメントで若干(とは言え倍)のショートステイ利用を増やして、少ないとは思うが週一回の入浴は確保して、移送手段に困らない通院手段で現状のサービスを継続していく。
今回のマネジメントで現状(?)を続ける方向が何とか見えてきた。

医療機関を変える必要があればそのつながりも作った。
マネジメントとは・・・ケースに即応出来る体制を作ることなのかもしれない。
成年後見制度だけでは後見が出来ないーU  2010・10・24
天涯孤独の利用者を無事天国に送るために「任意後見制度」をアレンジすることにした。アレンジ・・・という言葉には「必要時」という意味も含まれている。法の専門家に必要な時に登場していただく方法である。
ただ・・・誰がやるかということだが、可能性のある行政書士に打診していただくことにした。

地域包括支援センターも関っているケースなので、礼儀として任意後見申し立ての背景が揃った時点で、包括社会福祉士に打診してみることにした。
「社会福祉士会で00000こんなことやれる???」と。
日々の金銭管理以外にも本人が意思表示しなければならない場面がある。その法に絡む意思表示を任意後見人が行なっていけば良い訳で、そう頻度は高くないだろう。日々の介護・生活に関しては担当ケアマネが見守っていけばいいだろう。

地域の関わりも良い関係が出来ている。法に絡む最大の手続きは人生最期のときだろう。その手続きさえ出来れば安心して人生を閉じることが出来る。そのためにもブランクのない形で「後見」をスタートさせる必要がある。地域に見守られながら、医療・介護を受けながら、必要なときには代理人が法的手続きを行なってくれる。
市民後見人制度の必要な部分をカバー出来る後見のスタイルが出来るのかもしれない。

効果的な開始時期を睨みながら、包括を通じて行政にもその姿を確認していただきたいものである。
ただ一点気がかりなのは・・・果たして後見人の報酬が出るのか・・・という点である。方法は方法として、このような方法に予算(報酬)を付ければ可能なのかもしれない。
「必要な方に必要な法の支援を・・・」といったところであろうか???
そう多額な費用ではない。
成年後見制度だけでは後見が出来ない。  2010・10・22
2010・10・4 『成年後見制度に関する横浜宣言』で
「公的支援システムの創設」「新たな成年後見制度の可能性」が指摘・提案されている。
この『横浜宣言』を必要と思われる方のために、参考まで地域包括支援センターへ届けておいた。
答えは『わが市では・・・現状では・・・困難(無理・・・)でしょう・・・』という答えが返ってきた。しかし、担当ケアマネとして必要な制度である。

現状の後見制度では充分に対応出来ない経験を持っておられる方は多いと思うが、法廷後見ということになると、認知症の有無も加味される。病状が重篤であっても成年後見では対応出来ない。成年(法定)後見の対象者であれば条件によって首長申し立てもあるが、現状では任意後見の対象者である。
病弱であるだけに、何時何があっても可笑しくない状況である。

『ゆりかごから墓場まで・・・』の日本型福祉であるはずではあるが、担当ケアマネジャーとしてはスムーズに墓場まで行くことが出来る支援を行なわなければいけないだろう。その墓場への段階でつまずくケースもあるだろう。その様なケースだと思っていただければ良いと思う。
包括が逃げ腰ならこちらで道筋だけは付けておく必要があるだろう。私も後何年独立ケアマネを続けられるか判らないので、誰が担当しても良い様にしておかなければいけない。

今日久しぶりに法に明るい彼に電話をしてみた。概要を話して近日中にお会いすることにしたが、ボンヤリとその方向が見えてきた。現行制度の中で可能な方法を模索するしか方法がない様でもある。
『任意後見』で果たして何が出来るのか・・・不足する分は担当ケアマネがフォローするしかない様でもある。

社会福祉士ケアマネが担当すれば解決する問題なのかは判らないが、「出来ないから・・・」と居宅変更になったケースでもある。
明日の相談で如何なるか判らないが、条件によっては返しても良いケースのようにも思う。しかし・・・私でなければマネジメント出来ないケースであることも事実である。

独立ケアマネと社会保険  2010・10・17
開業5年目に年金機構から「法人は一人でも社会保険ですよ・・・」と案内をいただいた。法人格を取得しないと参入できない業界だから、そういう決まりなら仕方が無い・・・と加入手続きをしたが、ここに来て大変な状況になってしまった。
昨年までは何とか決算期に法人事業税等と会計事務所に払う額を通帳に残すことが出来たが、果たして・・・今期の決算は???

先ず家計に入れる給与額を減らすわけにいかないので、社会保険料分だけを給与アップした。
半額年金をもらいながらの事業運営だが、加入から1年目に保険料算定にかかる給与額の申請をした結果、しばらくして半額年金の減額書が届いた。老齢厚生年金の部分である。
給与の改定は年一回なので残る3ヶ月は現状で行くしかないのであるが、事業主負担も含めた社会保険料の部分で大幅な赤字決算の予想になった。ダブルパンチである。

そこでの作戦だが、新年早々大幅な給与の減額をすることにした。給与ランク2段階の変更になった場合に届け出る義務がある。
果たしてこれで赤字の解消と年金減額の解消になるのか・・・???いずれにしてもケアマネの介護報酬は安すぎる。
10数年前の給与と比較した場合、倍額にしても経営は苦しいのかもしれない。

介護支援専門員がセールスマンに変身する理由はここにもあるのかもしれない。厚生労働省さん、独立して採算が取れるケアマネジメント報酬にしないと「公正・中立」は確保できませんよ・・・。

やんわりと・・・  2010・10・15
目立ちたい方は何処にもおられるもので、やんわりとつぶしています。
一人・独立ケアマネですが、かなりの事業所と関わりを持たせていただいています。その中での話です。

優秀な方ほど特出されますが、それが『地域』という観点から見ると弊害になることもあります。「優秀だけど・・・『あいつ』には関って欲しくない・・・」と。。。
そういうことの繰り返しで、私が見る限りでは随分穏やかな(?)介護の現場が出来てきているようです。
以前は「あの人は苦手だから・・・会議には出たくない・・・」というサービス事業者の主任もありました。しかし・・・チームは組みました。

ケアマネジャーは地域で利用者に対する最良のチームを組む必要があります。地域を変えていくのもケアマネジャーの仕事なのかもしれませんね。
今日入院中の利用者の見舞いに病室を訪ねた帰りのことですが、ナースステーションのカウンターの向こう側から会釈をする「カワイイ」看護師がありました。過去に関ったことがあるのでしょうが、特徴があるので覚えていただいています。これも「個性」かと思っています。

病院に関しては地域医療連携室との関わりが主でしたが、最近は「病棟と直接でも良いですよ・・・」と・・・・・。
地域全体をチームに巻き込んで、良い地域を作って行っていただきたいと思います。
参考までに・・・私の特徴は頭は低く目立ちます。そして腰は中腰で・足は軽く「スーパーマンより早い」こともあります。

ご自身で出来なければ・・・誰か地域にいませんかね・・・判っていただくようにしていただける方が・・・。
余り関係のない話だった・・・かもしれませんが・・・。

迷走している原点が・・・ここ・・・  2010・10・10
(人的ネットワーク)の続きだが、
『・・・相談援助業務に携わるものの会議は〇〇協会的な集まりであり、居宅介護支援事業所という機関のネットワーク作りには有効な人的ネットワークを形成するかもしれないが、果たしてこの機関ネットワークが必要なのかは疑問に思う。また、コミュニティー作りには役立たない。地域包括支援センター主導の地域ケア会議に発展させていっていただきたいものである。』
と書いている。

最近、一人の対象者に関する地域ケア会議が開催された。勘違いしておられる方は参加されなかったが、コミュニティを作ることの意味をご理解いただけたのかもしれない。この会議は結果として良い効果があったと思う。
会議の目的に沿ったメンバーで目的に沿った論議を行ないたいものである。
ケアマネジャーの立場とすれば、「対象者を中心に効果的な会議を構成する・・・」といったところであろうか。こちらから包括支援センターに声をかけることもある。

一番大きな間違いは、コミュニティーを作っていかなければいけない立場の方が、手っ取り早く機関ネットワークを作ろうとする点である。機関ネットワークを作ってもそれはコミュニティーには結び付かない。この原点にお気付きでない。私の実践が想っていることと同じでも、実を結ばないというのが実態だろう。
それでは如何すれば良いのであろうか???

介護保険法がスタートして営利企業も介護保険界に参入した。そして、独立性(企業から)・中立性(サービスから)を求められる介護支援専門員が誕生した。本来利用者の立場でマネジメントを行なう必要があるが、かと言って独立採算が取れる介護報酬でもない。そういった中途半端な状況から介護保険の現状は混沌としている。この現状を正す意味からも、専門職組織を整理してみる必要がありそうである。

措置時代、行政主導で在宅介護支援センターを核とする専門職会議が組織されていた。地域福祉コミュニティー作りの原点はここにあるが、介護保険スタート時点で、これをそのままスライドさせただけでは実を結ばなかった。
この時点で制度が変わったことを知る必要があった。
その現場にいなかったことを残念に思うが、最近気付いてきた方があることを知った。

独立協は現在休眠中だが、日本協会にその『意志』を理解していただけたのかもしれない。
ケアマネジャーの『独立性・中立性の確保』。この理念を浸透させていただきたいものである。
嘘のような・・・本当の話・・・  2010・10・9
ヘルパー事業所から電話がかかり行ってみると、どうも私費ヘルパーの相談だったらしい。
要介護3の妻を夫が介護していて、同居の子は仕事で日中留守だということ。ねたきりに近い状態のようだから、身体がらみで充分支援を行なうことが出来る。「介護保険でやりましょう・・・」と相談者に電話をしてもらうと可笑しな実態が浮かび上がった。

デイサービスへ通うのは本人が嫌っているが、担当ケアマネが付いていて福祉用具だけのプランが動いているようである。嫌われたデイサービスは担当ケアマネの所属法人のサービスで、ヘルパーは利用出来ないということで、相談者の別居の子が日に何度も「通い介護」を続けているという。
疲れ果ててヘルパー事業所へ私費派遣の相談をした・・・というのが実態だった。

担当ケアマネがいるということなので説明はヘルパー事業所のオーナーに譲ったが、子の「通い介護」の内容は同居家族がいても、充分に介護保険の対象である。
担当ケアマネの事業所名を聞いて誰かは想像が付いた。
結果、担当ケアマネに言ってみて、受け入れてもらえなければ「担当変更」の相談をしたい・・・ということで一件落着となった。

同居家族がいる場合のヘルパー派遣に関して勘違いしているケアマネも多いようである。
高齢の夫が介護するねたきりの妻に対して、身体介護が必要でない訳がない。この辺りを常識に判断しても、生活の状況が見えてくる。
別居の子がSOSを出さなければ、共倒れになっただろう。

返事は如何であるかは判らないが、プランに介護ヘルパーが追加されることは確実であろう。
良い事業所へ相談されたものである。
4年半前の記事ですが・・・今読んでも新鮮 2010・10・6
(人的ネットワーク )

ケアマネジメントで必要とするネットワークは利用者を中心に組み立てた社会資源のネットワークである。即ち本人も含めた人のネットワークであり、異職種間の連携を保つためのネットワークである。そのつなぎ役がいわゆる相談援助業務に携わるものの果たす役割のように思う。
本人を中心にばらばらに形成されたネットワークを一つにまとめ上げる作業を某MSWに持ちかけた。医療ニーズの高いケースである。人的ネットワークの活用方法の一つである。

地域包括支援センター担当地域の居宅介護支援事業所を組織した会議が始まるようである。この意図がよく判らないのであるが、地域におけるネットワークの形成を意図する会議であるなら地域の社会資源を組織するべきであると考える。
「ケアマネジメントを手段として活用したコミュニティーソーシャルワークが必要」というのは行政が進むべき地域福祉の方向性を示した言葉であり、地域包括支援センターに配属された社会福祉士あたりが取り組まなければいけない問題である。この件に関して校下の民生委員の会合でお話したことがある。

今回利用者の抱える問題を人的ネットワークを使って協働する事になるが、「ケアマネジメントを手段として活用した」ということになるのであろうか?機関ネットワークに拡がりを見せれば良いと考える。
本当はもっと大きなネットワークに向けて論議したいところだが先ずはケアマネジメントを手段として・・・である。

ところで地域包括支援センターを核とした地域会議だが、まだその段階なのであろうか?そういえば昨年まで行われていたケアマネ相談会に在宅介護支援センター関係者はほとんど顔を出していなかった。ケアマネジメントリーダーが主任介護支援専門員にスライドするようだが、一部ケアプランも見せていただいている。伝わってくる情報からの推測だが行政主導で動いている感もある。「コミュニティーソーシャルワークが必要」には程遠い現状のようである。会の趣旨を聞いてはみるが、時間を割いてまで出席する会議かは今のところわからない。
「これ出んなんがけ・・・」という話もあった。
相談援助業務に携わるものの会議は〇〇協会的な集まりであり、居宅介護支援事業所という機関のネットワーク作りには有効な人的ネットワークを形成するかもしれないが、果たしてこの機関ネットワークが必要なのかは疑問に思う。また、コミュニティー作りには役立たない。地域包括支援センター主導の地域ケア会議に発展させていっていただきたいものである。
小布施の栗おこわ 2010・10・3
朝のワイドショーで小布施が紹介されていた。妻が珍しく「行きた〜〜〜イ」というのでインターネット検索で場所だけは確認した。上信越自動車道に乗れば行けそうだ。A4の地図1枚を持って車を走らせたのは10時近くだった。可能な限り一般道で行くことにして、片道おおよそ4時間のコースを組んだ。

走り出してから「何で軽四で来たの???」という話になった。せっかく買った会社の新車は妻の乗用車になっているが、何故か軽四に乗り慣れたら、営業用の車=軽四の感覚になってしまっている(レジャーも営業の一部???)。長距離を走ると燃料の心配をしなければいけないことが頭から飛んでいる。高速を下りてから向こうで満タンにしておくことにした。

途中で高齢者のオートバイグループに挟まれ、ラリーを楽しんだ。マナーの良いグループだったので安心して前後をつないだが、場所が「親不知」というところが面白い。過って良く走った道なので、一つひとつのカーブの感覚まで身体で覚えている。車が軽四なのでなおさらのことだが、先ずはブレーキを踏まない。信号待ちで先に出したが、良い言葉が返ってきた。「プロですね・・・」「お宅達こそ、良いマナーですね」

現地に到着してからがまた大変だった。幸いお寺の外に駐車スペースがあった(軽四しかとまらない)ので止めさせていただいて町並みへ向かった。
妻は目的の店をメモしており、食事・お土産は「栗おこわ」「栗づくし」とメニューは決まっているが、行く所・行く所順番待ちである。
先ずは「予約」を二件入れて、おおよその時間に戻れば対応していただける。誠に丁寧な対応だった。

インターから下りたところの栗の特売場で大粒の栗を予約しておいたが、値段としては町で売っている栗の半額だった。帰りに予約分が買えなかったとしてもあきらめることにして栗は買わなかった。
充分に「小布施」を堪能して、インター近くの特売場に寄ってみた。大粒の栗を2袋確保してあったが、もう一袋ある。「これも・・・」「良いですよ・・・」ということでお土産も出来た。

久しぶりの長距離運転で明朝が心配だが、そういえば独立開業をしてから始めての家族ドライブだったかもしれない。
開業当初長野まで車を走らせているが、兼任さん・如庵さん等など・・・。
それからみても強行軍だった。

昼食(というか栗おこわ)が3時頃だったこともあり、夕食は高岡へ帰ってから「うどん」で済ませた。最近出来た手打ちうどんの店だが・・・しっこり麺で、こちらも常連になりそうな感じだった。
今日の走行距離は400km余り、東京への片道でもある。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
2号被保険者の妻たち・・・私が・・・その立場だったら???  2010・9・24
過去に担当した2号被保険者の方は約1割だが、中でも妻(たち)の関わりが印象深いケースが何件かある。いずれも重度化してからの関わり方に関してである。
介護中に脳血管障害を発症し帰らぬ人となられた方・・・後に「レスパイト」の必要性を痛感している。

今レスパイトが必要な方が3人あるが、一人は性格的な面もあるのだろうが、そう介護負担に感じておられないようである。大らかなのか・鈍感なのか・開き直りなのかもしれない。
残りのお二人は医療ニーズの高い方で、一人は療養型ショートステイで何とか妻の休養の機会を作ってきた。深刻なのはもう一人である。通常なら在宅は不可能だろう。

療養型病院併設のショートステイで月に一週間の利用で妻の仕事を支えてきた。嚥下障害から嘔吐が続き、鼻チューブからの栄養補給になった。「胃婁になれば看れますよ・・・」ということだったが、頻回な吸痰が必要になった。そこで本音が出た。夜間の職員体制である。
別の療養型病院併設のショートステイへ問い合わせてみたが、やはり職員体制がネックになり「困難」だった。「出来ない」のではなく「困難」なのである。

そこで思い付いたのが、過って「レスパイト入院」で受け入れていただいた病院のMSWだった。
相談すると「院長と相談してみる」ということで、しばらくしてOKの答えをもらった。
初回入院に立会い、院長の診察で「毎月定例的に入院させていただきたいのですが・・・」と。「連携室と相談してください・・・」ということで「安心」をもらった。

ねたきり・胃婁に加え、体調によっては頻回な吸痰が必要である。一つの前例になるのかもしれないが、妻は「安心して夜勤が出来る・・・」と。
そしてポツリと・・・「50キロだから出来るんですよ・・・」と。倒れる前は90キロの方だったとか・・・。
病院のある地の祭礼で、何度か命を落としにかかったこともある、勇ましい方だったということ。強いご夫婦だったようでもある。
HP公開から早10年・・・  2010・9・23
10年前の今頃はHPの最終調整を行っていた。一市民であった。

それから2年余り経った2003年1月に第一回独立・中立型介護支援専門員全国会議が開催され、独立・中立型介護支援専門員の全国協議会が発足している。
この協議会がキッカケになり独立開業の準備を始めた。
第2回全国会議が開催されたのが同年の10月12日だから、実務研修受講試験の2週間前である。
受講を公言して、準備は全て終わっていた。

試験までの2週間何をしていたかというと、全国会議の内容をテープから反訳・記録誌の原稿を作っていた。メール添付で反訳文を送って、肩を軽くして(肩の荷をおろして)受験会場へ向かっている。
その全国協議会も現在組織活動はストップしている。再開したい想いの方はあるが、なかなか行動には結び付かない。

独立開業はその半年後の2004年の4月だが、現場に入ってみて随分醜い現状を目にしている。
昨日も介護支援専門員の鏡のような方と認定調査に関して意見交換をする機会があった。担当者の調査に関してはかなり気を使っておられる様子が伝わってきたが、このような介護支援専門員ばかりではない。誰とは言わなかったが、調査を受けなくても更新が終わっていたケースもある。

何度か現状に関して指摘したこともあるが、一度は公正な方向へ行ってもまた元に戻る。この構造を操っているのが天下り管理者だということも判った。
初回認定調査が全国に先駆けて保険者調査になったまでは良かったが、その情報が委託機関に流れる構造も目にしている。その指摘に至るまでの間に、調査員に相談が来るようにメモまで残している方もあった。

書き出せばきりのないことだが、目にしたレベルの方とはお付き合いしない方向で仕事を進めている。
そういうレベルの地域ケアマネジメントの体制を作り上げた原因は、判る方には判るのだが、修復するのにはもう遅いのかもしれない。
この6年半で、しっかりとその現状は見せていただいた。
医療連携におけるアセスメントシートの開発  2010・9・17
教育機関の研究者から電話がかかり協力をすることにした。
紹介が懇意にしている医療機関でもあり、リストアップはしておいた。ただ今回の調査は、医療系サービスにおける連携状況の調査であるから、対象は『訪問看護』『リハビリ』を受けている方である。
医療依存度の高い方3名の追加リストアップをしておいたが必要はなかった。ただ・・・リストから外れた方の利用デイサービスに関しては紹介をしておいた。県内に3ヶ所ある。

私の役割はその調査を受けていただくように仕向けることである。
本人家族に了解をいただければ調査が始まる。調査の対象は実際に医療系サービスを提供している専門職である。
調査資料を公的な制度改革に役立てる(モデルを作る)ために、事前に調査対象者の了解を得て欲しい・・・のだが・・・協力お願いできますか???という話である。

色々な研究があって、色々な改善があって・・・そして良い方向(本来の姿)に近付くのだろうが、ついでに・・・自己アピールもしておいた。
中央法規出版の月刊「ケアマネジャー」のゲラ原稿のコピーを渡しておいた。
もし、必要な方があればメール添付でお送りします。メールアドレスは
kaigoken@p1.tcnet.ne.jp
です。
「ケアマネジャー送れ・・・」のメールをいただければ、メール添付でお送りいたします。
専門職の常識とは???  2010・9・16
私費負担を巡って腹の中を見てしまった。人間関係の常識・社会の中における人の関係における人の『心』を見てしまった。一言で言えば『独善』的考え方である。
話を簡単にするために、関係の大筋だけ整理してみた。現在が何故あるのかという話である。

家族間の葛藤があり、入院中に退院後の生活の場は概ね病院に決まりそうになっていた。『在宅』の方向へ進んだのは夫の一言だったが、家にも事情があった。期間を区切って二週間は病院で過ごす必要があった。その二週間を医療機関(又は療養型ショートステイ)で過ごす提案をした。
この経緯で在宅が実現した。

この経緯を関係機関に話をしておいたが、今になって既得権とでも言おうか・・・後から入った事業所が私費負担分を被るべきだと言う。何とも浅はかな考え方である。
先発・後発の論議で行けばそれも一つの方法ではあろうが、先発隊が後発事業所を温かく迎える考え方を持っていただきたかった。
それにも増して、現在の在宅生活があるのは、後発サービスの提案に他ならない。

実際どちらでも良いのであろうが、その心がおぞましい。
そういうことを考えながら・・・そろそろ利用面接に出かける・・・か・・・。
この内容を本人・家族、そして担当者にも隠さずお知らせしようと思う。
勿論了解を得る方向で・・・。
レスパイと入院  2010・9・11
療養型病院併設のショートステイを利用してきたが、経過の中で最終的に胃婁に落ち着いた。しかも吸痰回数が多いので、ショートステイ利用は難しくなった。
別の療養型病院にも聞いてみたが、夜間の職員体制がネックになっているようである。

他に無いかといえば有るのだろうが、知る限りではベッド数が少ない。担当者にも数日間定期利用をしている方もあるが、頭を過ぎったのはレスパイト入院である。介護者が倒れる予防の意味も含めて、相談してみた。
数日後返事をいただいて、院長の了解を得ることが出来たということ。本人の状態は『ねたきり・胃婁』である。

月に1回1週間程度の入院になるのだが、MSWから『退院時には看護サマリーを渡しますね・・・』と。
それじゃ・・・という訳でもないが、入院時の情報提供と退院時に退院後のサービス利用予定をお伝えすることにした。
重度の医療ニーズを持つ方の『レスパイト』の一つの形になるのかもしれない。
台風迷走・・・そういえば・・・ 2010・9・9
今回の台風は過去にほとんどないコースを辿った。
北陸への上陸は50年ぶりとか60年ぶりとか・・・そこで貴重な体験を思い出した。
今を去ること50年。高岡市を台風の目が通過している。中学生の私はその『目』を見ている。台風の目は青空であった。

台風の目が通過したということは、台風がまともに通過している・・・ということである。しかし・・・目を見るまで風は吹いていなかった。風をさえぎったのは「北アルプス」・・・そう『立山連峰』である。目が通過したあと、猛風が襲った。

今回の台風は北陸に上陸したが、これも珍しい・・・らしい。50年ぶりとか60年ぶりと言われているが、ここまで詳しくは知らない。
結果として、白山を含めた北アルプスが壁になって北上出来なかったらしい。勿論異常気象の北の高気圧もその行く手を遮ったのだろう。
この台風の方向転換を私自身が体験している。
水がつかねば良いのだが・・・と話している矢先だった。

台風の気変わりで災害があった各地の皆様に心から『お見舞い』申し上げます。しかし・・・台風が方向転換する寸前まで、『このまま進めば・・・???』という推測をしていました。これまでに体験したことの無い台風でした。
被災地の皆様に・・・心よりお見舞い申し上げます。
エアコン不調・・・!!!  2010・9・5
土・日は久しぶりにゆったりと時間を過ごすことが出来た。
とは言え・・・ゆったりとしているから笑い話で済んだが、気ままなお年寄りに振り回されている毎日でもあった。家族や関係者に『場』を配慮していただけた。

昨日はヘルパー事業所から電話がかかり、エアコンの不調に対応した。
電気屋さんは今、テレビの入れ替えとエアコンの納入に忙しい・・・見付からなかったので友人を呼んだが、これも夕方の話である。
接近困難な方なのでヘルパー事業所オーナーに同行してもらった。家に行ってみるとエアコンは回っていた。当初リモコンの電池も視野に入れていたが、とにかく電気屋同行だった。

エアコンではなくかなり年式の古いクーラーだったが、電源を切る方法が「コンセントを抜く」だった。リモコン操作をしても点かない訳である。とにかく心配した熱中症は回避したが、あせもの原因は下着にあった。ナイロン系のシャツを一枚着ていればあせもも出てくる。薬をもらって来てあったのでオーナーの看護師が点検すると快方に向かっているということだった。
亡き夫のランニングでも良いから、綿の下着を着けていただくように伝えてきた。

今日は今日で、県東部の施設に入所している夫の面会に同行した。
かなり重度化して、妻とのコミュニケーションが取れない。帰りの車の中での話しだが、これも同行した子が口を挟んだ。「・・・お世話になっていながら・・・もう行かないの???」
高齢になると、この状態の夫には会わなくても良いようでもある。
今度お会いされるのは『帰らぬ人』になられた時になるのだが、本人はそれで納得されたようでもある。

そろそろ・・・かも知れないし、かなり先のことになるのかも知れない。どちらが先になるという保障もないが、とにかく本人は納得された。
緊急性もあり、少し遠方だったが入所させたのは『私』である。その責任は果たせたようでもある。
お二人とも人生を全うして頂きたい。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
計算したような退院日!!!  2010・8・30
8月6日入院だから、9月5日退院だと丸1ヶ月。8月は31日だから、31日目の退院になる。
しかも日曜日の退院だから、病院側からも担当ケアマネの関わりを評価されたのかもしれない。通常は日曜日の退院は無いはずである。
1日のことで退院・退所加算(U)になるのだから、ご配慮をありがたく受けることにした。

もう一件の胃婁入院の方の退院はもうしばらく先になりそうである。3日違いの入院だったが、こちらは術後の調整に時間がかかっている。吸痰が必要な状態で、注入時間を調整中だがあと一週間はかかるであろう。
こちらも退院・退所加算(U)のご配慮をいただけそうである。

何れも退院後が心配だが、吸痰とショートステイの関係に関しては『計画的レスパイト入院』で対応していただけることになった。療養型ショートステイでも首を傾げられた内容でもあるので、医療機関を選んだ。
ここで問題となるのは医療連携加算である。これに関しては後日整理をすることにして、一つのスタイル(モデル)になる内容なのかもしれない。

かなり忙しい夏場であったが、医療ニーズの高い方々の変化も大きかった。
熱中症の恐れがありショートステイで非難したケースもあったが、『暑い夏』も残すところ一日。31日・1日は研修のお手伝いである。
9月1日〜3日は八尾の『風の盆』で多くの観光客が富山県にやって来られる。
そして・・・台風がやってくるのもこの頃だが、果たして無事秋を迎えられるのだろうか。

とにかく『暑い夏』だった。
胃婁手術・退院後1ヶ月以内の死亡率2010・8・28
先日の情報交換会で、死亡率がかなり高いことを耳にした。原因は判らなかったが、今回退院調整に走って、ボンヤリとその姿が見えてきた。吸痰との関係は否定出来ないようである。
担当看護師から、一出勤で2〜3回の頻度で吸痰を行なっているという話があった。一日6〜7回といったところだろう。施設の夜勤帯で3回の吸痰が必要になる。

定期的にショートステイを利用していた方でもあったので、カンファレンス欠席の担当者を訪ねた。返ってきた言葉に弾みがなかった。
事前に療養型病院の担当者に予備知識を得ていたが、夜勤体制に問題がありそうだった。

無理を言うつもりはないが、在宅生活を続けるために必要なショートステイはある。しかし、医療療養型ショートステイは数的にも少ない。そして、夜間の職員体制も少ないようである。
ダメモトで介護者のピンチに受け入れていただける病院MSWに相談してみた。

期間を決めた受け入れが可能かどうか・・・一応検討していただけることになった。無理は言わないが・・・今後の問題として、利用出来る社会資源が増えれば良いと思う。
果たして行政の対応は???  2010・8・27
『虐待気づくも市は保護せず 寝屋川転落死・・・』
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201008270005.html

信じられない事件ですが・・・このような環境を無くしていかなければいけないと思います。
人生最期に立ち会ってくれる『方』があれば・・・
可能な限りその方向へ行きたいとも思います・・・私一人では何も出来ません。心温かな地域を・・・『是非』作っていただきたいものだと思います。
秋近し・・・  2010・8・26
昨日の夕方、突然雷雨になった。危険を感じてパソコンを切ったが、間もなくして停電になった。
雷雨が治まっても電気が来ないので配電盤を確認すると、漏電ブレーカーが落ちていた。?????
漏電ブレーカーを復旧すると電気は通じたが、何故切れたのかは???である。まさか雷の音に反応したのでもないだろう。

実際落雷で送電線が切れて2時間近く停電した地域はあった。
今朝は虫の声で目を覚ましたが、秋近し・・・を感じる爽やかな朝である。

話は変わるが、先日タンスの中から出てきたお金を金融機関へ持って行ったら、百数十万円あったと聞いた。生活費があちこちに分散してしまわれていたのだろうが、長年の間にタンス預金になってしまったようだ。
もの取られ妄想が実は本人の片付け過ぎ・・・ということになるのだろうが、良い機会だとは思ったが、もうしばらくタイミングを外すことにした。

妄想の実態が記録に残ったわけだから、妄想の中身を明確にすることになった。主治医にこの実態を話して、専門医の紹介を受けることにした。
事実を明らかにして次の段階へ進めば本人も納得されるのであろう・・・???か・・・。
こちらも暑い夏から「秋近し・・・」になれば良い。

それにしても暑い夏だった。
クライマックスと思いきや・・・!!!2010・8・22
若い頃からの生活習慣なのだろう・・・通帳と生活費は別に管理されてきた。そして、日々の買い物等は小銭入れである。
その小銭入れを入れた袋をスーパーで忘れた。気付いて戻ってみたが、もう袋は無かった。店員に聞いても、忘れ物は届いていなかった。
関係者が心配したのは、その袋に通帳と印鑑が入っていなかったか・・・ということだった。今日電話がかかったのは、通帳が無い・・・ということで精神錯乱に陥っておられるということだった。
急遽関係者を一人拾って自宅に向かった。仮に昨日の袋に入っていたとしたら月曜日の一番に届ける必要がある。全財産である。

心配をよそに通帳はあった。先ずは一安心で、本人の精神状態も落ち着いていた。そこへ親族が来て家宅捜索が始まっていた。『生活費が無い』ということだった。
金融機関へ一緒に行っている親族なので、その形態はご存知である。生活費と言っても一度に下ろす金額は多くても10万円単位だろう。そう大騒ぎするほどの(私なら大騒ぎだが・・・)金額でもないだろう。
家宅捜索は続いていたが、あとは親族にお任せして失礼してきた。

ただ・・・話の中で気になることがあったので、もう一人の親族を訪ねた。
経過を説明して、心配な面をお伝えしておいた。
「それならそれでバトンタッチしても良いよ・・・でもね・・・ここへ来るまでかなり立て替えているからね・・・」と。
ケアマネジャーとしては親族間に関しても中立の立場を貫く必要があるのだろうから、一方が知らないことがあっても困る訳である。仮にそのことで関係が崩れ去ることがあっても・・・伝えておく必要のあることは耳に入れておく必要があるだろう。関係者の共通認識の下調整を図っていく必要があるが、偏った情報を入れることは公平ではない。

公平・公正・中立の立場を看板に、クライマックスと思ったが、もうしばらく先送りになった。
このタイミングを見計らうことも重要な役割だと思う。
明日の会議以降、また機会があるだろう。
本人の心に突き刺さるクライマックスの機会が・・・。
突然の胃婁手術。  2010・8・28
入院後、日程通りに手術が出来なかった方を見舞うと、動くはずのグローブの右手がダラン・・・と下がっている。声をかけると薄目は開いたが、焦点が合わない。・・・症状が進んだのか・・・とナースステーションにも声をかけずに帰って来た。

翌日妻に電話をかけると「私も仕事の出がけに『手術をします・・・』と電話をいただき、まだ会っていないんですよ・・・」と。
ということで午後時間を合わせて病室でお会いした。
前日私が病室を訪ねたのは手術の直ぐ後のようだった。

術後一週間程度の入院になるのだろうが、まだ退院日程には乗っていない。妻の勤務もあるので、退院前日でも良いから一度関係者が集うことにした。
区分変更の話も出ているので伝えたが、5ヶ月を残して区分変更の必要があるのかとも思った。上がっても1ランクである。

もう一人胃婁目的で入院しておられるが、こちらは微熱が続いてまだ手術が出来ない状態でもある。
今年の夏は一時3人が入院する時期もあったが、残り一人の手術が残るだけになった。
退院後の住宅改修費の請求が出来れば良いとも思う。何とか今年の夏も乗り切れるのかな???という状況でもある。
ビール党  2010・8・16
ビールはかなり飲んだが、どちらかといえば「ウイスキー党」だと思う。ビールは高くて飲めないのが現状なのだが・・・(笑)(笑)(笑)

今一番売れているのが「アサヒ(缶生)」だそうだ。
私が飲み歩いた頃の話だから、もう40年は経過している。
その時点でのビールの評価・売れ筋は、トップがキリン、そしてサッポロ・アサヒの順だったと思う。勿論瓶ビールの話で、当時缶ビールはまだ発売されていなかった。

何故そのランク付けだったかを考えてみると、瓶ビールのキリンのラベルが映えていたように思う。褐色の瓶にマッチしていたのであろう。そして、サッポロ・アサヒの評価は如何であったのだろうか???
とにかく黙っていても『ビール』と言えばキリンが出てきた。
ビアガーデンではサッポロが多かったようにも記憶している。

今や『缶』ビールが主流になっているが、売れ行き1番がアサヒスーパードライという。滅多にビールは飲まないが、喉越しの爽やかさは天下一品である。
辛口ビールが持てはやされるということは、消費者の趣向に合っているのだろう。とにかく『アサヒ』が売れているそうである。

滅多に飲まないビールではあるが、『ウイスキー党」の私には『アサヒ』が合っているようにも思う。
各位には好みのビールを飲んでいただきたいとも思う。
『お盆』の上で右往左往・・・。  2010・8・15
月の後半二週間の予定表が順次詰まっていく。
充分に時間はあるはずなのだが・・・お盆の日曜日に『気』だけが焦っている。
通常、スタンプラリー期間に日曜日から日曜日を設定しているが、日曜日にしか会えない方に会えなくても「来週があるさ・・・」という安心感がある。しかし今月は一発勝負になる。このことが『気の焦り』に結び付いている。

そういう中、問題が発生した。
静かになっていたケースが動き出した。方向性が出たのが13日の夕方だったが、包括も交えて解決した方が良い内容だったので、お盆明けの17日に相談に出かける約束をした。ここで半日はとられるであろうから、ラリーのピッチも少し上げる必要が出そうである。
申請文書数件の取り扱いや保険請求の内容の相談もあるので、ここでも少し時間が取られる。

ここで思い立ったのが「ところてん方式」である。月末に向かって詰まって来れば順次予定を押し出していけば良い。
変則的な月末になるのだろうが、31日は一日空ける必要がある。
一番動きたい日に動くことの出来ない。『お盆』の上で右往左往しながら思考を巡らせる一日だった。
『囲い込み』とは・・・。  2010・8・12
「囲い込み」という言葉に勘違いされている方があった。もしかして・・・この種の勘違いは多いのかもしれない。

通常、ケアマネジャーが自社サービスへの「囲い込み」を行い、所属法人の利益のために「利用者の選択」を囲い込むことなのだろう。そこで設けられた「囲い込み率」は訪問介護・通所介護・福祉用具において、上位サービス事業者の利用率が90パーセントを超える場合に減算となる。かなり甘い「囲い込み率」ではあるが・・・。
しかし、「囲い込み」というのはこの事ではない。専門職の「理念」の問題・利用者に「選択の自由を保障」しているのか・・・という話である。そこで面白い話を紹介しようと思う。

途中経過は省略するが、対象者の子の知り合いの方のデイサービスに相談したら利用の方向へ行ったそうである。
現在利用中の介護保険外のサービスに関してもその事業者は一緒に行なうことにしたという。そこで紹介者の手前担当を辞退することにしたが、管理者から帰ってきた言葉が面白かった。
『サービスを一体的に提供するためには、一体として、私費も含めて利用していただきます・・・。』ということだった。
この管理者・・・過って県の監査の時に、サービス提供の希望があった自社サービスのプランを書いていたことから『囲い込み』と指摘されたと怒りをあらわにしていたことがある。しかし今回の取り扱いについてはまさに『囲い込み』・・・このことに本人は気付いていない。
専門職の『理念』の問題でもある。

独立ケアマネの多くは『管理者』からの囲い込みの指示に反発して、『理念』を守るために独立している。
今回のケースとは『理念』一つをとっても大きな違いがお解かりになるであろう。情けないかな・・・簡単な違いなのだが、このことが判らない方には『介護専門職』を続けていただきたくない。

担当ケアマネジャーが自社サービスを「囲い込む」ことだけが『囲い込み』ではない。
『囲い込み』とは専門職の誰もが犯すであろう『理念』の問題。「利用者の利益よりも事業者の利益を優先した『利益誘導』の総称」であることを再確認しておきたい。
胃婁造設入院二件・手術出来ず・・・  2010・8・11
重度障害者の通所施設で介護保険の方も利用させていただいているが、3人同時に病院は違うが入院になってしまった。
本来透析(に入らないといけない)方の退院に今日立ち会ったが、同じ病院の同じ階に、同じデイサービスへ通う方が偶然に一緒になった。一昨日内視鏡手術が行なわれるはずだったが・・・手術室へ入ることが出来なかった。

排便障害のある方で、訪問看護で週2回強制排便をして命をつないできた。
入院時の情報提供書では最終排便日と排便のサイクルに関して伝えている。一日遅れたが訪問看護ステーションからも専門的な申し送りが行なわれており、主治医=かかりつけ医も病室を訪ねている。
申し送りには問題なかったのだろうが・・・何故か本人の状態が悪化した。酸素吸入中で危険な状態(なのかも・・・)のようでもある。

もう一方、予定されていた手術が出来なかったと言われる。理由は炎症反応が出たということだだった。
デイサービスで3件の報告を行い、明日から再開出来る一人を除いて、あとのお二人は少し長引きそうでもある。
残暑厳しい年だという予測があるが、入院も長引いた方が良いのかもしれない。

今日退院した方の首に、緊急通報装置のペンダントを掛けて来た。
冬場が心配・・・。  2010・8・9
なかなか忙しい方で、日曜日にお会いするのにも一日かかった。
午後一番の予定だったが、結果夕方になった。

今年の冬は何とかしなければいけない・・・と、誰もが思っているケースだが、この方留置カテーテルの『ウロパック』を(寒かろう〜〜〜寒かろう〜〜〜)とストーブであぶったりされる。非常に心優しい方なのだが、通常やらない行為をすれば問題はおこる。ウロパックメーカーもここまでは考えていないだろう。
しかし・・・『鋼鉄』の漏れないウロパックを研究していただきたい。

とは言え、広い日本でもそうあるケースではないだろう。私費も含めて、訪問看護でもかなりの補充をしていただいているが、通所先々でも最低一袋は確保していただいている。
今年の冬場(春先)は訪問看護師に随分パックを補充していただけた。
目下・・・通院時・訪問看護の補充分で何とか切り抜けている。

関係者から「ショートステイで・・・」という話が持ち上がり、時間をかけて『主介護者?』の説得を始めた。秋にお試し利用も兼ねて、一週間(余り)から利用スタートする(案)をようやく伝えることが出来た。日曜日の夕方のことであった。

こちらでは農繁期が始まる。ただでさえ日曜日にさえ合えない方と進めることになるのだが、一つのパターンが出てきた。『・・・いつでも会えるんだ〜〜〜』勤務が決まる前にスケジュールの予定時間を計画すれば良い話である。

秋に一週間程度のショートステイを利用していただき、冬本番はショートステイで過ごしていただこうという関係者の結論に近い判断がある。今年の春先(冬)は大変だった。肝心の「ウロパック」が準備出来ないほどであった。

今回は日曜日の夕方しか会えなかったが、主介護者が超多忙の方でもある。
しかし時間を作ることが出来る方でもあるようなので、必要な時間(面接・会議など)をお知らせして、その時間(だけを作っていただきたいこと)に関して伝えておいた。

冬場まで数ヶ月間、変則的でも良い・・・何らかの施設で保護した方が良い方のようでもある。
市民としての提言・・・。  2010・8・7
行政に関わりのある各業種からの集まりでもあった。
教育・建築・医療などなど、介護福祉の分野からは私であった。

他市町村から見て、どうも職員のレベルが低いようだ。
そういえば過って市長のコネで職員採用があったようなことも聞いたことがある。
角度を変えて言えば、ケアマネジャーに公正・中立の立場を求めているが、市長自身が果たして「公正・中立」の立場だったのであろうか???

市民レベルの話であるから行政批判には当たらないと思うが・・・行政自身に身を引き締めていただきたい気持ちになった。
公僕『(公衆に奉仕する者の意)公務員などの称。』
どうも勘違いしている『公僕』もあるように思う。

天下り管理者の実態を指摘しているが、どの角度から見ても『元公僕』には見えない。
情けない実態である。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
熱い夏・・・その二  2010・7・30
胃婁入院2件に加え、レスパイト入院か・ショートステイかの選択肢も加わった。
そして、日常生活自立度がA1とB1、認定調査特記事項には歩行に関して「歩くことが出来ない」と明記されていた方もある。同じ方である。
月の最後に4件のケースの調整に走り回ったが、目の先に僅かな光が見えたので、大きく県内を巡回してきた。

県東部の老健からの退所支援に関しては、「住みか」が決まれば相談員とPTとで現地視察、住環境の確認をしていただけることになった。県西部までは通常出られないのだが、「来て頂いたから・・・」というニュアンスが感じられた。
もう一件隣市には違いないが、限りなく外れに近い包括へ相談に出かけた。
富山型デイサービスを見学したが、まだ利用するレベルでないことを本人が感じ取られたので近くの老人福祉センターを紹介しておいた報告と、地域に利用出来そうな運動教室等が無いかの問合せである。
聞いてみるものである・・・機械リハビリや歩行訓練が出来る短時間利用のリハビリジムがあった。

子に電話すると出かけるところだということなので、本当はお会いしたかったのだが・・・電話で要件を済ませた。
出先からの帰りに寄ってみるということで、こちらは反応が良い。

人ひとり一人思いがあるが、この思いのすり合わせもマネジメントなのだろう。
今電話があり、明日もう一件の調整が残った。連絡調整・・・ひとり一人の思いの調整・・・選択肢を色々残しているので、選択肢に関する選択肢の調整も・・・これもマネジメントなのだろう。
熱い夏・・・序章  2010・7・26
ここに来てオーバーヒート気味。予測どおり「熱い夏」を迎えている。

在宅か・・・病院か・・・の結論が出たのが4日前。方向が決まれば早いもので、明日の退院になる。今回のケアマネジメントはそのほとんどを夫が行なっている。私はまとめただけ・・・なのかもしれない。

話は変わるが、人生色々、人間怒る時には怒らなければいけない。その典型のような更新認定があった。
主治医意見書の「A1」のランク付けをみて気になっていた。結果要介護1で、福祉用具の例外給付にも当てはまらないので不服申し立ての相談をした。
手っ取り早いのが区分変更申請で、そのためには主治医意見書を書き換えてもらう必要がある。

担当課との相談で変更申請をすることにしていたが、妻が意見書の書き換えを主治医に求めたら書き換え拒否があったという。それならそれで、半年に1回位通うことにしている総合病院へ依頼をすれば良い。主治医・かかりつけ医の関係は崩壊するが、それ以上に問題があった。

実は温厚な(に見える)本人が「かなり気が短い」と言われる。「今怒りの真っ最中で、切れてしまわないか心配だ・・・」と・・・。
「私も短いんで・・・」と言ったら、妻と意見が合った。「・・・やっぱり・・・」と見透かされていたようである。

明日担当課と相談をしてからにするが、不服申し立てにするのも面白いのかもしれない。実態を調査してから、主治医にも意見を聞かれるだろう。担当ケアマネ(申し立て代理人)の役割があるのかどうかは判らないが、問題の原点を「明らか」にする必要がある。その原点が『A1』である。

何にも判らない方とのお付き合いを考えるよりも、さわやかな関係を継続していったほうが良いだろう。そのスタートに老夫婦は立たれたようである。
気が短いことを表面化させてはいけないが、怒る時は一緒に怒りましょう・・・
退院支援  2010・7・21
地域医療連携室から退院支援に関して昨日電話がかかり、カンファレンスの日程まで予定に乗っていると言われる???在宅の答えが出たのかな???と自宅を訪問すると、病院へ行っておられるということ。夕方主治医から家族に話があるということで、揃って行かれる予定だと子の妻から教えていただく???

???のまま病院へ直行すると、電話をくれたMSWが状況をよく把握していない。『退院支援』に関して病棟から依頼があった・・・というだけの話、充分に内容を把握しないで電話をよこした様子だった。
一緒に病棟へ・・・と誘うが余り乗り気でないようなので、担当看護師に内線でつないでいただいた。

担当看護師に聞いても、退院前カンファレンスの日程が何処から出たのか判らない。とにかく現在の状況を確認すると、同じ認識だった。
「家族間の調整が付かない限り答えは出ない」
主治医からの話に立ち会う予定で、訪問看護ステーションともカンファレンスの日程調整をしておいた。
そこへ師長から電話をいただき、現状では『無意味』だということで、立ち会わないことにした。家族間の調整が付いていないことに関して、同じ認識だった。
夕方担当看護師から電話をいただき、転院の方向性が強いということなので、連携室から転院先を探していただいた方が良いでしょう・・・ということにしておいた。

今朝、地域医療連携室から電話をいただけた。ようやく同じ目線に立てたようだが、週末に家族の意向を確認してから連絡するが、病院探しは家族の意向を確認してからにされるということ???早目に空きベッドだけでも探しておかれては???とは言ってみたが、その答えだった。
3週間の入院期間が示されているが、誰の目にも間に合わない。後は内部の調整だから良いのだろうが、それにしてものんびりとした対応である。

こういうのをお役所仕事というの・・・かもしれない。
同じケースは二つとない  2010・7・15
開業以来関ってきたファイルの棚を眺めて、ケアマネジメントは金太郎飴でないことを改めて感じた。

・認知症の妻を残してこの世を去った夫の無念さ
・糖尿病の家系で、合併症が出た弟を看る兄夫婦
・排泄時に大量の紙を使いトイレを詰まらせる舅
・高貴な人生を送った母の変わり様に困惑する娘
・変わり果てた認知症の夫に困惑する妻
・妻の意思に沿った居場所に同意出来ない子への困惑
・別居の子の病気を按ずる障害を抱えた母
・夫の病気を理解出来ずに、出来ないことを悔しがる妻
・家計と介護(費用)を天秤に掛ける嫁
などなど・・・。

必ずと言って良いほど問題点はあるが、この問題点に絞って解決していくことがケアマネジャーに求められているケアマネジメントなのかもしれない。
解決方法もケースごとに違ってくる。
しっかりとした介護者のいるケースでは内容が困難であっても困難さは感じない。

一人暮らしや老々世帯でも近くに親族がいるとか、条件的には恵まれているようにも思う。
本人を取り巻く親族間に争い(意見対立)があるにはあるが、方向性さえ整理すれば、問題は納まったかに見えることもある。問題が出れば同じことの繰り返しなのだが・・・。
要はケアマネジャーの『立つ位置』が問題なのかもしれない。

ケースの全容を見渡して、適切な『立つ位置』で相談にのりたいものである。
インテーク面接が重要であるということは、そういうことでもある。
今読んでも新鮮・・・いよいよ・・・  2010・7・12
3年半前に書いた記憶があったので探してみた。

『「協業組合」と介護保険法
協業組合は事業運営の一つの方法であり、今回提示している協業組合は、ただ単に指定基準の法人格を得るためだけのものではない。措置から契約へ介護が自由化されたにも拘らず、一向に措置から抜け出せない現状に刺激を与える方策でもある。

介護保険法を正常に運用させるためには、介護保険法の要とも言える介護支援専門員の質の向上を図れば良い。質の向上というと先ずケアプランの書き方講習になるのであろうが、もっともっと大切なことがある。即ち理念の向上である。しかし理念をいくら向上させてもケアマネジメントの質が向上しない背景がある。それが天下り管理者も巻き込んだ行政ラインによる行政の持つ個人情報の囲い込みの構造である。
行政ラインで囲い込んでいるのであるから、自事業所でも囲い込んでいることは当然予測されるし、実際「天下り管理者も板ばさみになって苦しいんだよ・・・」という言葉が返ってきた。「???」である。

自由化された業界を特定の事業者で操ると独占禁止法に抵触する。このことを公正取引委員会は調査報告書・研究会報告書で指摘している。しかし一向に治まる気配を見せない。

この現状を変えていくためには介護保険の現状を広く社会に知ってもらう必要がある。その手段の一つが「協業組合化」である。
事業形態に福祉から商工分野の考え方を取り入れ、自由化された事業とはどういったものなのかをお示ししたいと思い立った。「質の悪いサービスは淘汰される」ということである。現状は質には関係なく、民間が淘汰される背景がある。

現状ではその組合員も確保できない。そこで「独立化の勧め」として投げかけを行った。そして第2弾が「独立し易い背景作り」である。
高岡では背景作りに向けたプレゼンテーションを終えた。答えは少し先になるのであろうが、内容によっては3段階ぐらいの手順を考えている。』

ここに来てグループのメンバーから催促があった。
実現に向けて準備を始めることにしたが、まとまった時間を作ることが出来るように、順次調整を図り2年後に照準を合わせた。
(今も同じ・・・か???)学生の生活  2010・7・9
学生の生活実態の番組を見て、40数年前のことを思い出してしまった。
社会構造ではなく、物質の構造・夢を膨らませて宇宙の構造と物質の構造の共通点を探っていた時代である。
経済学を学んでいた「彼」の発想は、宇宙は原子(構造物質)であり、巨大生物の身体の一部(ではないか???)という説も飛び出していた。とにかく夢のある時代であった。

学生寮は二人部屋で同じだが、随分近代的な寮に住んでおられる。家賃が2〜3万円とか・・・当時は数千円だった・・・かまでは記憶がない。
寮の朝食がバイキング・・・ということで、お代わりをして2食分食べていくそうである。そこまではやらなかっただろうが、昼食はパン1個だったように記憶をしている。

一年で退寮してから同室の『彼』と二人で間借りをした。6畳と3畳二間だったから、一人では借りられない。
朝食抜きで、昼食は学生食堂、夕食は近くのラーメン屋で済ませていたが、そう言えば店員を誘って一稼ぎしていたようである。学生マージャンに店員が乗ってきたのだが、負けた記憶は無い。かと言ってイカサマは嫌いである。

お酒は飲んだが、当時合成酒というのもあった。アルコールランプのメチルアルコールだけは飲まなかったが、合成酒というのは化学合成したエチルアルコールである。
何度かスナックで飲んだことはあるが、勿論合成酒である。本当に飲み上がったのは郷里に帰ってからである。

大学2年の秋、父が急逝し郷里に帰ることになるが、同居していた『彼』は住居を変えたと聞いている。
番組から、寮の構造は近代的になっているが、生活の中身は大きくは変わらないようである。
札幌・富山・神戸・鹿児島の寮の二部屋のメンバーで親しく生活をしていたが、如何しているのだろうか???
みんな自分の役割を終えて、悠々自適の生活をしているのかもしれない。

そう言えば阪神大震災もあった。神戸の彼は無事だったのだろうか???
落ち着いた頃に安否確認の手紙を書いたが・・・返信は無かった。
彼らの当時の顔が、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。
はや40数年もたった・・・昨日のことのように鮮明に記憶している。

(追伸)余計なことだが・・・山本リンダの近くで暮らしていたことがある。
ここにも『天下り構造』が・・・2010・7・7
『介護保険制度に係る書類・事務負担の見直しに関するアンケート』調査結果
http://www.mhlw.go.jp/public/kekka/2010/dl/p0706-1b.pdf
を、興味を持って拝見させていただいた。

非常に興味のある改善案も多々示されており、早期に改善に取り組まれる姿勢を感じた。
読み進んでいくうちに、もしかして・・・という不安を感じた。
その答えは最後にあるのだが、『やはり・・・』というのが実感だった。
行政・・・ぐるぐる・・・なのですね。

ちょうど1週間前『ケアプラン評価指導チーム』なる偉い方々から指導を受けることになりましたが、ケースを通じての問題点『天下り構造』に関して丁重にお話してきました。
『行政ライン』はクリア・・・というかオープンであって欲しいですね。
『隣の町へ行こう・・・か???』ということも匂わせてきましたが、今話題になっている【地域包括ケア】の方向へ果たして進むことが出来るのか・・・冒頭の管理者の挨拶にこの言葉は入っていました。

興味のある方は紹介したページをご参照ください。
究極のケアプラン。 2010・7・6
状態が悪化して総合病院に入院したが『完治』とは言えない状態である。ゴールは『胃婁』なのだが、今回の入院では出来ないと言われる。
最期通告(?)は今週中の退院・1ヵ月後に胃婁を作りましょう・・・。という話である。

デイサービスと福祉用具、それに加え月一回だが3〜4泊のショートステイを利用してきた。ショートステイでは鼻チューブの方に対応は出来ない・・・とはっきりと見解が出ている。・・・
サ〜〜ぁ〜〜〜如何する〜〜〜が今回の相談のテーマでもある。

妻の勤務に合わせて、日中だけはデイサービスで対応していただけることになった。残りは3泊のはずせない妻の用事が残っている。
吸痰の問題も残るので、家政婦紹介所に人選を急いでいただいている。
何とかなりそうな感じではあるが、大きく意識レベルの低下した本人を前に「やりましょう・・・」という声を期待している。
?????何があったのか?????  2010・7・4
総合病院入院中の方の家族から療養型病院への転院の案内をいただいたのは1週間前だった。
経過の中で在宅の可能性もあったので気に留めていたが、妻・嫁が入院の方向を希望していたので、99パーセント在宅支援は無い予想をしていた。そういう中での療養型病院への入院だったので、居宅ケアマネとの関係は切れていた。そこへ電話をいただいた。

未明に亡くなられたということだが、ご報告いただいてもどうしようもない。「?????」そういえば状態の変化の極端に激しい方だった(要支援1から要介護2の予想で区分変更申請をしたら、認定調査日には要介護5の状態だった。出た認定結果も『要介護5』1ヶ月前に病院でのカンファレンスに出席したときは要介護2の状態だった。

何があったのかは判らないが・・・極端に状態が変化した方だった。
それにしても・・・入院1週間目に帰らぬ人となられたということは・・・。
何があったのか私には判らないし、想像も付かない。

心より『ご冥福をお祈りいたします。』
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
間に合った夏用喪服  2010・6・27
先日妻から電話がかかり、行ってみると夏用喪服を選んでいる。兄の葬儀に準備した金が少し余ったから思い立ったと言う。「夏用なんて要らないよ・・・」と言ってみたが、もう買うつもりでいる。渋々同意したが、何とか間に合った。

仕事上着ることは多いが、夏はシャツで勘弁してもらってきた。そう気の張る葬儀は無いもので、それで充分だったのだが、近日中にお世話になった方の親族に不幸が予定されていた。一時は在宅ターミナルの方向も考えられたが、2週間前に答えが出た。主治医意見書を主治医が書かなかったケースでもある。
相談を受けた時点で、意見書さえ出来れば暫定スタートする腹積もりだった。看護・介護チームも頭の中では出来上がっていた。

まさか・こんなタイミングで間に合わなくても良かったのだが、今日お会いすると、今晩が山だと言われる。最後の最後までお大事にしていただきたいと気持ちを伝えてきたが、大変な中、ご夫婦にはお世話になった。
心静かに眠っていただきたいものである。
『ご苦労様でした』は最期の言葉としたい。
最適のサービスを利用するために・・・検証  2010・6・25
嘔吐を繰り返し、ショートステイ利用を半ばにして入院した方がある。
多分「移送距離が長いため・・・」との推測(入院後も症状が・・・)から、退院後のプランの組み立てに着手した。
しかし、近いところでは充分なプランを組み立てることが出来ない。当初そのことも考えて現在(入院前)のプランが出来上がっている。どの角度から見てもベストのプランなのだが、一応「移送・・・・・」の角度から精査してみた。

偶然と言うか、予定の巡回コースの先回りをした形で主介護者から電話連絡が入っている。担当科も内科から脳神経外科に変更になり「嘔吐」の原因が探られている。
連絡を受けて予定のコースの病院へ直行すると、病室変えが終わったところだった。病棟師長(主任)に、入院前の生活状況を口頭で伝え、移送距離を短くするためのアタックも実施している事を伝えている所へ主治医からお呼びがかかった。主治医の予測は・・・こう・・・であった。

2種類精神科の薬を飲んでおられるが、その薬を外して、鼻チューブからの栄養が胃から吸収されるか、状況を見たいと言われる。その状況(状態)観察に一時帰宅の「在宅生活」が盛り込まれている。一時帰宅の在宅サービスが可能かどうかは今後形態をすり合わせなければいけないが、とにかく「在宅」で様子を見ながら、家族も希望している「胃婁」への転換を意図しておられる。「胃婁」にしなければ在宅サービス利用に影響が出ることは妻の頭にも充分インプットされていた。

受ける側の立場と提供する側の条件のすりあわせが困難な場合もあるが、今回は全て事前に「合意」を得られた。あとは嘔吐の原因が「何か」が判れば良い話で、精神科の薬の影響というのは概ね当たっているだろう。
そういう状況でもあったので用具担当者には少し様子を見ていただくことにして、入院中の対応(レンタル中断)の扱いで様子を見ることにした。

今問題なのは、鼻チューブから胃婁に至る間に一時帰宅があることである。果たして「退院」扱いになる内容なのか・・・医療の内容を吟味するための一時帰宅であれば在宅サービスの内容を吟味する一時帰宅であって欲しい。
この内容で「退院」→「在宅生活」→「入院」という経緯は果たして「法」に準じた対応なのだろうか???
正当ではない方法なのだろうが、この経緯をたどらなければ在宅復帰出来ないケースのようでもある。

今必要なのは「検証」よりも「実行」のようにも思う。
「ダメモトで 渡ってみよう この手順」
多分大丈夫でしょう「退院」なのですから・・・儲かるナァ・・・(とらない方が良いかな???)
世間は狭いもの・・・(2)  2010・6・16
『介護』が集中して頻繁にお会いする機会がある。各方面・角度からの集中だからかなり大変な状況だが、その役割を果たしていただいている。
そういう中から介護・看護分野の人のつながりを見た。複雑に絡み合った中から専門職からの評価があったので、人のつながりの紹介も行なっておいた。
『世間は狭いもの・・・』であった。

何故か今回は一地域包括支援センターの職員に話題が集中した。
結果「〇〇さんと□□産は一緒にしごとをしておられるんですよ・・・」で話の締めくくりとしておいたが、機会があったら一緒に飲みたい方でもある。
もしかして・・・近いうち(年度内に)に実現する・・・のかもしれない。(工作の手段はある)

人生とは複雑なもの。キッカケで人生は変わっていくが交友関係まで変わらない。過去に医療職だった方は職業とは別にその専門性を維持しておられる。
過去に列車の中で急病人が出た話をしたことがある。車掌の呼びかけは「医師」だったが「保健師」が”もし医師がいなかったら・・・”と目の前で申し出をした。この勇気・・・というか存在感を今でも新鮮な記憶として脳裏に刻み込まれている。

主治医が主治医意見書を書かなかったケースだが、ターミナル承知で受けるケアマネも決まっていた。ケアプランもその時点・時点で書けば良いように構想は練りあがっていた。「ターミナルのケース」である。
申込書は作成していないが、実質『契約』も済んでいたと『解釈』している。

人の人生の最後の部分での出会いは重要である。しかし昨日・今日お会いした関係でもない。親族の危機に関しても出向いていただいている。
そういう中で親族関係者の知人からも絶賛された・・・そうである。勿論その専門職に対する評価も伝えておいた。『機会があれば一緒に飲みたいね・・・』と伝えておいていただくことにした。

「♪♪♪・・・〜〜〜外は雨・・・」空梅雨の様相を呈している今日この頃であるが・・・『梅雨』はあるのだろうか???
『氷雨』ならぬ温かい雨・『快い良い雨』との出会いはあるのだろうか・・・。ひょっとして・・・男性的な梅雨・・・。大雨で明けた梅雨だった・・・ということになるの・・・かもしれない。

年間降水量は概ね決まっている(自然の摂理)が、果たしてどのような展開になるのであろうか???
確認はしていないが・・・ターミナルの方向性ではある。
県内大移動のケース  2010・6・14
県東部の老人保健施設に入所中の方の相談を受けた。
老夫婦での生活が危なくなって相談者の姉の、施設よりもっと東寄りの町に住居を構えていたが、骨粗鬆症の妻が腰痛で倒れてしまったという。そこで相談者の目の届くところで、慣れ親しんだ地で新居を構えよう・・・という話である。

寂しい地に病院と老人保健施設が隣り合わせに建っているが、近くには老人ホームもある。始めての地だが、時間に余裕がありそうなので何とか退所の準備が出来そうな感じでもあった。
先ずは住居探しから始まるが、市営住宅の空きを待っての退所・転居になるという。のんびりとした話でもある。

人生色々、老後の生活も色々だが、子が独立した後は「わが道を行く」人生も良いのだろう。夫婦に生活の不安は感じられなかったが、住環境に問題が出てくるようにも感じた。
とにかく現状で考えられる不安に対しての対処方法を確認してきた。プランは頭の中では出来上がっているが、果たしてそれで生活が成り立つのかは「やってみなければ判らない・・・」ということなのだろう。

新しい生活と自立支援を同時に行なう必要のあるケースだが、本人との相性もあるので、馴染の事業所を使うことにした。選択肢のある候補をリストアップしたが、具体的に事業所の特徴も提示する必要がありそうである。
転居と同時に新しい生活が始まるが、最適のマッチングが出来れば良いとも思う。

広域圏の主任介護支援専門員に相応しい内容なのかもしれない。
歩こう会(バスハイク)2010・6・7
町内の歩こう会が、何時の時点でかバスハイクに変わった。
昨年は「武田信玄」今年は「前田利家」と戦国の武将の遺跡巡り。かなり気の利いたコースの選定である。
どうもコースのヒントが大河ドラマから来ているようだが、七尾城に係わるコースから、知らなかった事実も浮かんだ。高岡城との関係・僧兵の考え方であった。

七尾城は、前田利家が金沢城に移る前に支配していた土地であった。
その七尾城を見渡せる小高い山に寺院を集結させた。城のバックアップである。
僧兵に代表されるのは「弁慶」だろうが、当時各寺院には「僧兵」がたむろしていたのであろう。表向きは寺院だが、バックに控えた戦闘集団であったことは想像がつく。

そして利家は金沢城へ入城することになる。加賀100万石の誕生である。
後にこの利長が高岡城を開城することになるが、利長死後菩提寺として瑞龍寺(国宝)が建造されるが、一国一城令によって取り壊された高岡城に替わる『城』僧兵のいる寺院でもあった。

ということを考えながら和倉温泉へ向かったが、ちょうど『よさこい祭り』真っ最中だった。どのチームも若いメンバーなのだが、中にはかなり年配の女性が混ざっている。先頭を切っているからリーダーなのだろうが、表情がとても良かった。
手を差し伸べると歩み寄ってきて・・・軽くタッチ・・・サービス精神満タンの出場者たちだった。

総湯に入ってから一路高岡へ・・・そのコースで丸一日たっぷりのバスハイクだった。
ちょうど1年前、春日山の帰りに膝・肩関節が痛くなり、肩関節痛に一年間悩んできたが、今日は心なしか肩も軽い。
そろそろ仕事に出かけますか・・・。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
温泉三昧の週末・・・  2010・5・30
月曜日から始まるカレンダーと日曜日から始まるカレンダーには、製作者の考え方に違いがあるように思う。
「休んで鋭気を養ってから仕事をしよう」という考え方と「仕事をしてから休もう」という考え方で、『週末』という言い方は後者の考え方に基づいたものなのだろう。

土曜日の午後、道の駅でもある中能登の温泉へ行く約束を孫たちとしていた。公的な施設でもあり、入浴料は銭湯(幾らかは知らないが)並みの450円である。距離にして約50キロ・一時間位の距離にある。
午前中駆け足で仕事を済ませ2時半頃から出かけた。のんびり入浴しても時間を持て余し、結局家の近くの孫の好きなラーメン店で夕食を済ませることになった。

朝起きて、孫のリクエストがあった。県内の温泉に行きたいと言う。妻もそのほうが温まるし、お湯もやわらかいと言う。まして近くでアンパンマンショーがあるということ。ショーが終わった頃に温泉で待ち合わせることになった。
こちらの温泉は少し高くて600円。温まるなら肩の痛みも和らぐだろうということで同行することにした。
この時期としては肌寒い2日間だったが、温泉三昧で身体もほっかほか。
心なしか肩の痛みも和らいだようではあるが、なかなか良くならない関節痛でもある。

原因を思い出して「もしかして・・・???」1年半前に60年近く大事にしていた『乳歯』が抜けたことを思い出した。一応ブリッジでつないであるが、歯を食いしばれないことから肩こりなどが発症するそうである。
来週は町内のバスハイクで能登島へ出かけるが、昨年は上杉謙信の春日山城へ行って来た。往復6時間のバス旅行の後、膝関節と肩関節に痛みが走った。現在は肩にだけ痛みは残っているが、果たしてどうなるのであろうか???行って来てみての話だとは思うが・・・。
保険者関係者の言動・・つなげてみると・・  2010・5・29
独立開業の方向性を伝えた時、意外な言葉が返ってきた。
『看板を上げただけではお客さんは集まらないよ・・・』
集まる所を知っておられたのでしょうね。この言葉への返答はにこやかな笑顔(気持ち悪かったでしょうね・・・)だった。

公正取引委員会の調査報告書に関して文書をもって指摘してみた。
『在宅介護支援センターという名の居宅介護支援事業所』職員が、初回認定調査後自分に依頼が来るように『メモ』を残していたことがキッカケだった。
『窓口申請分(校下)だけでも依頼しますよ・・・』
そして、年が明けて全国に1年先駆けて初回認定調査を保険者が行うことになった。

初回認定調査が保険者調査になってから、友人の紹介で相談に行くと2枚の名簿(在宅介護支援センターと居宅介護支援事業所)があった。ご丁寧に在宅介護支援センターの名簿に地区担当ということで丸印が付けてあった。
『この丸印は???』『調査に来た方が付けて行かれました』
2枚目の名簿には同じ名前の『在宅介護支援センターという名の居宅介護支援事業所』がある。利用者(市民)をバカにするのも好い加減にして欲しい。
これが初回保険者調査の実態であった。

3年半余り前にこの経過に関して担当部・課幹部と「利用者の選択の自由を保障する」内容で協議の機会を持っている。地域包括支援センターに名前こそ変わったが、その実態が何ら変わっていないことを今回確認した。
『天下りライン』と言った方が良いのだろうが、このラインに今でも『行政の持つ被保険者情報が集まるシステム』になっているようである。

国では事業仕分けが行なわれているが、地方においては誰がこの役割を果たすのであろうか???介護保険分野では地域包括支援センターに所属する『社会福祉士』に求めたい気持ちなのだが・・・???果たしてどうなることやら・・・指摘する機会があるので指摘はしてみるが、これが最後の指摘になると思う。
3年半黙ってきたが、利用者(市民)の『選択の自由』を保障していただきたい。『介護保険法』がスタートして『自由競争』の世界に『介護』が位置付けられていることに早く気付いていただきたいとも思う。
1週間に4件の相談は・・アセスメント・・2010・5・21
確か4件のはずが・・・どうしても一件の相談が思い浮かばなかった。

引継ぎ(を受ける)事業所から電話がかかり(前任)ケアマネが申し送りをしたいと言う。家族からの電話連絡は頂いていた(忘れていた)が、「申し送り」とは知らなかった。一応家族からも相談開始の連絡を頂いていたので『申し送りだけは』お受けすることにした。かなり複雑な関係もありそうな雰囲気ではあった。

話は変わるが・・・『アセスメント』とは???と考えさせられている。
『介護保険』における「アセスメント」は『調査では無い』と思っている。一人々々のケアマネジャーが「調査ではないアセスメント」を行なう必要があるのだが、どうも全国的に担当ケアマネが認定調査を行なう風習が根付いてしまったようである。
介護支援専門員基本テキスト(だったかな???)某教授の記述に対して、この点を批判をしている。「認定調査と。アセスメントは違うよ・・・」と・・・・・・・。

今日一日の日課だが、隣市のケースで一番遠い地域包括支援センターへ認定結果に合わせた対応の依頼に行ってきた。市外の居宅に予防プランを(再委託)していただけるか???という話であるが、自立が出ても良いように(地域支援事業)の内容も若干聞かせていただけた。
(私より)少しトーン高く話す担当者には感銘した。繰り返すが・・・我が『市』ではない。

活力ある『専門職の言葉』には説得力がある。自信を持って仕事をしていただきたいものである。
次回お会いしたときには、今日の感想。専門職として感じたことをお伝えしたいと思っている。
病院でのカンファレンス・・・  2010・5・18
総合病院入院中の方が療養型病院の申し込みをされた。
通常この時点で居宅介護支援事業所は「お払い箱」になるのだが、カンファレンスに呼ばれた。
病室で本人に療養型病院への申し込みに関してさり気なく風を向けてみた。
申し込みが行なわれていることを本人は知らなかった・・・。

主治医・MSW・病棟師長と妻・子・子の妻のメンバーだが、在宅への可能性は無かった。妻の意向と病状が最優先された結論のようであった。
居宅ケアマネとして別に口を挟む内容でもないので黙って聞いていたが、一番奥の席に座っていたので、師長・MSWが退席した後しばらく家族と主治医の話を聞く羽目になってしまった。余り聞きたい話ではなかった。

残るは本人の結果に対する合意だが・・・今回は病院関係者に無言でお願いした。MSW(社会福祉士)も関っている訳だから、今回は「合意」を得るのはMSWの仕事だろう。そう思いながら病院を後にした。
筋書きの決まっている転院カンファレンスに居宅ケアマネは必要無い。
・・・それにしても・・・何故・・・声がかかったのだろう???

今後の経過に関して一抹の不安が関係者にあったのかも知れない。
アンパンマン号の持ち主の主張・・・。  2010・5・16
子家族と同居するようになってから一年半余り経過した。
アンパンマン号が我が家を駆け巡るようになったのはそれより少し前「ちびっ子ギャングNO1」が毎日のように遊びに来ていた頃からだから、もう二年以上も前のことである。勿論「車」は我が家に置いてあった。

「ちびっ子ギャングNO2」の誕生に向けて同居をはじめ、静かな環境が必要になった(よちよち歩きも含め)ことから、最近は卒業したのかな???と思っていたが、最近また走り出した。以前ほどではないが、所有権を主張するかのように、少し小さくなった(本人にとって)アンパンマン号が走り出すようになった。

「ちびっ子ギャングNO2」はようやくまたぐことが出来るようになった程度だが、所有権を主張して危険な場面も見受けられる。(こういう体験を通して2番目は気丈に育つのかもしれない)
アンパンマン号の持ち主は判っているが、その「主利用者」が誰になるのか・・・今後の経緯を黙って観察することにした。

どちらも思いやりのある子に育って欲しいとは思うが・・・子育てとは違う(責任の無い)興味もある。
活動家からの依頼  2010・5・14
「少し遠いけど行ける???」隣市のケース依頼だったが、快く引き受けた。直接電話をいただくことにしておいたが、数時間後に連絡をいただけた。
郷里に住んでいた老夫婦を目の届く所へ引き取って面倒を見ていかれることになったのは母の病気だった。

電話だけでは本人の様子がわからない。一応「支援」が出ても良いように手を打つことにして、保険者の対応に関して関係者に問合せをした。
保険者は「良い」と言っているが、包括の考え方で出来ない場合もある・・・らしい。申請と同時に「支援が出たらお願いね・・・」と担当包括に話を通しておくことにした。
とにかく断ることが出来ないルートからの依頼である。

「昨日はありがとうね・・・」と方向性の報告に訪問した。相手が誰なのかを某冊子で紹介いただけた。「福祉」の一分野で頑張って来られた方である。人の出会いから色々な夢が脳裏を駆け巡る。何も出来ないかもしれないが、相談者の気持ちの理解は出来るだろう。そして・・・もしかして・・・と新たな人のつながりも予測した。そういえば・・・そんな話を・・・聞いたことがあるような・・・世間は狭いものである。

来週お会いすることにしているが、楽しみな出会いでもある。
血液型の特性  2010・5・10
思わず笑ってしまった・・・。

AB型(日本人の10%):人との応対、にこやかでソツなく頼まれたらイヤといえぬ親切さ
O型(日本人の30%) :現実的で常識派
B型(日本人の20%) :マイペースの行動、他人から行動を縛られ抑制されることを嫌う
A型(日本人の40%) :対人関係には神経質なほど、気を使う

血液型とは関係なく「B型」ケアマネジメントを行なっていたようですが・・・キッカケがありましたので、本来の血液型に戻ることにしました。

この表を見て笑ってしまいました。

http://www.rnac.ne.jp/~yogorou/ketuekigtanotokusei.html

ご参照ください。
結果・要支援1から要介護5への区分変更。  2010・5・9
通常2段階以上の変更が見込まれれば区分変更申請を行なっている。

突然意識不明になられ救急搬送された。栄養点滴で症状が軽快したので家に帰られたが、その状態を見て区分変更を勧めている。
救急搬送当日主治医は不在だったので、数日後報告がてら受診して主治医意見書を依頼していただくことにした。(後に届いた主治医意見書の内容は予測どおり要介護2に匹敵する内容だった)

きりの良いところで区分変更申請を出してから10日目、意見書の日付から2週間目に2度目の発作が起こった。土曜日だったが主治医を受診することとし、車椅子対応の介護タクシーを手配した。
数件用事を済ませクリニックへ顔を出すと、点滴後自宅に帰られたところだった。自宅へ行くと総合病院宛の紹介状を貰っておられ、週明けに受診・入院の手配がなされているということだった。

受診予定の時間に病院へ向かっていると電話がかかった。自宅まで数分の所だったのでUターンして訪問すると目を白黒させておられる。「スーパーマンより早い」タイミングに対してである。
全身硬直した状態でストレッチャーでなければ運べない。「救急搬送しようか???」と地域医療連携室へ連絡を取ると、ストレッチャータイプの介護タクシーで来て欲しいということだった。救急と紹介状では対応する医師が違うことが原因の様子だった。

タクシーを手配し、受診は家族に任せ一件遠方の用事を済ませ病院へ行くと予定通り入院になっていた。主治医に明後日の認定調査の可否を確認して、担当課へ病院での認定調査に変更していただくように依頼をした。
滅多に立ち会わない認定調査に立会い、保険者の調査員に経過等を説明していると「嘘です・・・警察を呼んで下さい・・・」と、か細い声で訴えがあった。同席した妻も含め、一同苦笑した。

結果要介護5の認定結果が出ていたので病室を訪ね本人に伝えておいた。
翌日の夕方に被保険者証のコピーと「暫定プラン」の差し替えに訪問したが、妻に認定結果や認定調査時の発言に対して話をしておられたということで、涙ぐまれてしまった。
夢と現実の間を彷徨う夫の姿に対して、感無量になられたのであろう。

週明けには専門治療も受けることの出来る病院に相談に行かれるが、側面からサポートすることにして、私が担当していることを相談員に伝えて置いていただくことにした。少し長い入院になるのだろうが・・・再び要支援でも良いから在宅復帰していただきたいものである。
世界遺産・・・五箇山  2010・5・4
ゴールデンウイークには遠慮して関係者とは連絡を取らなかったが、日程的に迫っている分だけは直接連絡を取らせていただいている。
仕事としての対応は充分なのだが、問合せがある。何故か知らないが・・・こちらが気遣いしている時期(頃)に電話がかかる。タイミングが悪い方なのか・・・考え方によっては『マッチング』しているのかもしれない。

このゴールデンウイーク初めての外出が「五箇山」だった。
子の夫から誘われて、先日「孫」が気に入ったという(場所は違うが・・・)日帰り温泉(名称が適切かは判らないが・・・)いわゆる「銭湯」に入りたいと言い出した。そこで「五箇山」になった経緯もある。
五箇山は想いで深い地でもあり、現在は超ベテランソーシャルワーカーが、広域件で担当しておられる(た)と聞く。想像だが、車を移動事務所にして駆け巡るとしても困難な範囲でもある。・・・・・・・・。
そこへ「ソーシャルワーク・地域ケアマネジメント・ネットワーク・・・・地域の連携」等などの言葉が出てくる。

突然話は変わるが、何処へ行っても禁煙である。入浴に入ったところの喫煙室で滋賀県の方から声をかけられた。
一言二言話して・・・「富山県の方ですね・・・」と「え???・・・」と言うと「富山弁ですね・・・」と。非常に世渡りが上手な初老期・・・と言うか、同じ年代の方であった。
白山スーパー林道がまだ開通していなかったので富山側から登られたということ。帰りもそのコースで帰られる。

「白山スーパー林道」という言葉を聞いて思い出した。「焚き火」が出来ない地内で「バーベキュー」をしてきている。勿論巡視員にも了解していただいている。国立公園(?)内での公の「バーベキュー」である。
そういう話をしながら「無事お帰りください・・・」と送り出したが、白山スーパー林道がこの時期に「不通」とは知らなかった。

そういえば入浴中や道中「桜」が満開(散りはじめ)だった。
標高500メートル以上の地であるから当然のことなのだが、この時期には水芭蕉も含め色々な花々を目にすることが出来る。
チューリップフェアーで昨日満開のチューリップを堪能してきたということで、子供(孫)たちも忙しい。
孫たちにすれば「行動の選択」も迫られたし「好きな風呂」にも巡り合っている。

家庭風呂より大浴場・露天風呂が良いに決まっている。その意向を汲み止めることが出来なかった「町の銭湯」が廃業せざるを得なかったのだと思う。
「温泉」の入浴料が600円も魅力であった。
まさか・かなり好尚な2チャンネルで・・  2010・5・3
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2honn-10.htm

検索サイトで探していたら、偶然自分のページが見つかった。
2チャンネルページでの紹介

http://www.unkar.org/read/hideyoshi.2ch.net/ms/1239976035

だが、信者もいる様子・・・ごねている方々は、ご指摘の相手のようでもある???
元ページでは、地方行政(もしかして・・・中央は???)の一口で言えば『怠慢』を指摘している。

そういう意味では2チャンネルで充分な内容を取り扱っていただいている。
心強い「可愛い奥様」方が登場されます。
HPの紹介もいただいていますが・・・かなりヒートアップしているようでもあります(半年ぐらい前)。

福祉は息の長〜〜〜い分野でもありますので関係者の合意を待ちますが、合意を『多数決』にするのか、内容に関する合意者の『支えを待つ』のか・・・判断の分岐点に来ている。
まさかこのページが生きていたとも思っていなかっったので以外だった。

念のため紹介しておきます。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage4mokuji-2.htm
介護人材養成課程  2010・5・3
今後の介護人材養成の在り方に関する検討が行なわれているが、働きながらの通信講座等での資格取得には大変な労力が必要のようだ。
そう感じて自身の資格に関して振り返ってみた。
特別に苦労した感覚は無い。

期間的には申し込みの時期を外していたので結果2年近くかかったが、一年間の通信講座で社会福祉主事任用資格を得ている。その後一通りの生活指導員・ソーシャルワーカーを経験しているが、地域づくりに関しては独自の発想もあった。その発想こそがネットワークを作っていくことであった。

介護・福祉に限らず、ネットワークのスタイルは色々な分野で目にする。その姿・テーマを基本に関係者をネットで結べば良い。構想が固まったら・・・先ずは行動である。
この行動には『道具』が必要である。その道具作りも含めてネットを作る人・ソーシャルワーカーの構想・発想が重要になってくる。

介護・看護の専門職には基礎知識が重要になってくる。かなり大変な教育(時間)を受けて『資格』を手にされるが、相談援助職には『理念』は重要なことなのだが、理念が備わっていれば『発想』の世界なのかもしれない。ネット作りの『発想』である。

今思うに・・・この『発想』こそが現在を支えている。
情報ネットワークをどのような形で張るのか・・・開業初期の段階で方向性を見出せたことが今につながる。
そろそろ次の段階に移る時期に来ているのかもしれない・・・が・・・担当ケースを放り出すわけにもいかない。
新規を受けない方向で時間を作る必要がありそうにも思う。
慌しい年末年始とゴールデンウイーク  2010・5・1
毎年のことだがこの時期にケースは大きく動く。
年末年始は入院ラッシュだし、ゴールデンウイークには入所ラッシュを迎える。それに加えて今年のゴールデンウイークは2件の退院で幕を明けた。

1件に関しては充分に退院準備も出来たが、1件に関しては準備期間が1週間も無かったことから、退院後の会議になった。
今日現在でまだ5月のプランが確定していない。取り合えず必要な福祉用具は準備をした。

病院で面接をしてから週末に発熱があったと言われる。ゴールデンウイークを前に病院側が退院を急いだのかとも思えるほどの状態の悪化であったが、どうもそれだけではないようだった。
安静を要求される状態の方が退院翌日、来客の接待など面会者も多かった・・・そうである。少しは体のことを考えてほしいということを関係者から聞いた。
大きくプランの内容を組み替えてのスタートになるのだが、昨日の時点では訪問計画が出てこなかった。
ゴールデンウイーク前の急な退院には病状から見ても日程的にも無理があったように思う。

今日は『高岡御車山祭り』開町401年を祝う7本の山車の巡行が繰り広げられる。珍しく今年は良い天気である。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
無事???マイナス決算・・・。  2010・4・23
居宅介護支援費の一人当たりの総額は決められている。
法で限度件数を決めている(それ以上に関しては減額)ことから、『中味のある』マネジメントのためにも目標には置いている。しかし・・・???
これって『ビジネスモデルに乗る金額なの???』というのが、全国に散らばる『独立型』ケアマネジャーの疑問なのだろう。
そのことを立証するかのような『決算結果』が出た。その内容とは・・・

昨年度に法人事業税を分不相応に支払った経緯がある。決算はマイナスにする必要があるが、「程度」が判らないのでかなりの経費を使った。
車の乗り換え・クーラーの取り付け・庭師(昨年まで自分でやっていたが・・・)による剪定・雪つり・雨漏りの修理・・・などなど・・・。
結果・・・無事???マイナス決算に落ち着いた。

でもね・・・〜〜〜

法人格を持たないと介護保険業界には参入出来ないのだけど・・・居宅介護支援だけを見ると事業として成り立つ事業ではない。「会社員」として得ていた給料にも及ばない「介護報酬」では・・・???この実態から見れば「自社サービスのセールスマン」を否定する根拠は無いであろう。仮に「公正・中立」を求めるのなら・・・ケアマネジメント単独で世の平均的給与を支払うことが出来る『報酬』でなければいけないと思う。
これは『理念』のハザマで悩み・もがいている方々に対する労いの言葉でもある。

参考までの話であるが、二十年前に普通の家族生活が出来る(「私の」基準が)600だったように記憶している。
もう一件の退院支援  2010・4・22
先日夫を訪問した時に入院中だということは聞いていた。
その夫から電話がかかった。

昼に歯科受診の予定が入っていたので、診療が終わってから人間らしく「昼食」を摂って、その後訪問すれば「こんな時間でしょう・・・」という時間を伝えておいた。
電話をいただいてから2時間後には訪問していたが、妻がゴールデンウイーク前に退院になると言われる。子も交えて現在の本人の状態と希望される「プラン」をお聞きした。概ね把握して夫を大学病院へ誘った。

ゴールデンウイーク前の退院といえばそう時間がない。状態が悪化したことから変更申請用の主治医意見書も依頼してあると言われる。そこらもまとめて解決(マネジメント)するための行動であった。
病室で本人に夫と子の意向を確認して、担当看護師から病状等を聞く予定でNSステーションへ行った。主治医もおられ、夫と一緒に退院に関する方向性に関して『会議?』を持つ機会に恵まれた。

主治医に家族の意向を順序だてて話をすると大筋で合意いただけた。担当看護師には退院前カンファレンスを開く時間がないのでサマリー等を準備していただく依頼をした。「地域医療連携室へこちらからも言っておきますが・・・」ということではあったが、今回は時間がないし夫と一緒に来ていますので寄りませんが、〇〇MSWによろしく伝えてください・・・ということでその場を去った。

『走りながら考える・・・』夫を送り届け、事務所(自宅)に戻る間に福祉用具の手配をした。先日一時帰宅に合わせて収めたところで出ていた話が今日の『主』である。世間は狭いものである。こう言うと『ツーカー』であった。
訪問看護と訪問介護はその家庭に対して馴染である。もうプランは決まった。それぞれ訪問して「この方向で考えていますが・・・」でプランはまとまった。

週末にプランを文書化しようとは思うが・・・文書としてのプランは必要なのだろうか???このまま放っておいてもプランはスタートするだろう。
要の日程調整だけは行うこととするが、必要なプランを文書に残さないとサービスを提供出来ないこと自体に、「ケアマネジャーが信用されていない」実態を感じる。
介護保険法がスタートしてから10年、ケアマネジャーは世間の信頼を得る努力をして来たのであろうか???

忙しい中だが、概ね半日かけて一式作ることにするが、寄り添ったメンバーには「利用表」だけで意味が通じる内容でもある。
専門職に囲まれて暮らしておられる方に対するプランに関しては現状(内容を簡素化して)の報酬でも良いと思うが、今月「あちこち」で噴火したプランに関しては通常の数倍労力を使っている。
それがケアマネジャーとしての『私』の元気の素なのだが・・・近い将来世話になる立場のものとして・・・『これで良いのか???』とも思う1ヶ月だった。

偶然なのかもしれないが・・・人生の中で同じような『仕事』をして来られたお二人の退院日が『ニアミス』を起こしている。
月末まで『超』多忙が続く。
退院支援 2010・4・20
退院支援の方向が変わって来ている感覚を持っている。
今回の退院支援には担当看護師にしっかりと関っていただいてきた。
先月末相談を受けた時点で、初回面接から担当看護師に同席していただいた。相談後、地域医療連携室にMSWを訪ね、担当する報告をしておいた。

過去にも感じていたことだが、在宅への調整は看護師・転院や施設入所などに関してはMSWといった住み分けが行なわれたようでもある。病院によっても違うが、二重構造があることは事実のようである。MSWにとってはこの辺りの整理も必要なのかもしれない。

今回のケースは病棟との調整で何とか軌道に乗った。
2度の一時帰宅で福祉用具等の調整を図り、月末に退院になる。
見ると使うとでは大きな差があるもので、状況から判断した用具選びが失敗に終わった。身体の大きさまで頭に描いていなかった。「失敗・・・失敗・・・」

念には念を入れた2度の一時帰宅には、繊細な想いがこもっていたのであろう。大雑把なマネジメント「穴」を埋めていただけた。
『出しゃばり・・・』良くあることだが・・  2010・4・17
デイサービスで「誤嚥」があった。妻の選んだ施設だからそのまま家に帰って何にも無ければそれで良かった・・・。
本人の身体に異変があったのか・・・明日訪問看護で出す予定(?)の便が出ていると言われる。そこで訪問看護師に「下剤」を飲ませて良いか聞いていただくことにした。
ここからが「蛇足」である。

訪問看護師は「蛇足」を行なってしまった。
デイサービス看護師は幸い施設にあった吸痰機で適切な対応をしている。その施設でしか出来ない対応だったのだが・・・訪問看護師はデイサービス看護師を問い詰めた・・・「そのまま家に帰して良い状態だったの???」オクターブ上がりそうなトーンに感じた。

病室を訪ね担当看護師にお会いした。経過だけは話して名詞をお渡ししておいた。後程妻から電話がかかり、少しくすぐったかったが「いい〜〜良いケアマネさんですね・・・」ということになっていた。しかし問題点ははっきりと伝えておいた。

デイサービスを選んだのは妻であり、そのデイサービスで「誤嚥」があり、しっかりと対応していただいている。帰宅されてから熱も下がりつつあったが、担当訪問看護師に電話された理由は「だらだら便が出ているが下剤を飲ませて良いか???」という問合せである。誰も家にいることが適切かとの問いかけはしていない。まして、看護師は現状を見ていない。

ややっこしい電話がかかったので、はっきりと立場の違いを説明しておいた。まだお解かりいただけない「鈍感」な方なのだが、サービスを受諾するのは「法人」である。『あなた』ではない訳なのだが・・・ご理解いただけなかったようである。

妻が選んだデイサービスに間違いは無かった。夫の命を助けたのはデイサービス看護師である。その看護師に『救急搬送』しなかったことに対する批判は、専門職間の「いじめ」なのかもしれない。その「いじめ」を担当ケアマネとして受けて立つことにした。
ちょうど妻から電話がかかったのでそのことを伝えたが「穏便に・・・」ということだった。

退院時点で確認して、ひょっとして「担当看護師」を変えることになるのかも知れない。
居宅を選んでいただき、デイサービスも選んでいただいた。追加サービスの訪問看護・福祉用具・訪問介護は私からの紹介だが、訪問看護事業所を本人・家族が選んだ事実は無い。主治医からの紹介である。この意味を『誤解』しておられるのかもしれない。

もしかして・・・訪問看護は「選択の自由を保障する」から外れているとお思いなのかもしれない。『訪問看護』も自由に選ぶことが出来るだろうし『担当者』を選ぶことは勿論出来るであろう。
妻から電話があったのでそのことを伝えたが・・・「穏便に・・・」ということであった。

しかし・・・担当看護師は確実に変わることになるのであろう。(妻は『穏便に』とは言っているが・・・)
二週間目の意識不明・・・。  2010・4・10
2週間前意識不明で救急搬送された方がある。
病院で点滴後、意識も戻ったので自宅へ帰られたが、ADLが極端に低下した。変更申請書を提出したのが4月1日だが、認定調査・保険者調査前に2度目の意識不明が訪れた。

前日組み直した暫定プランの通所サービスを受けておられる。
通所施設を訪問した私の手を硬く握り締め、何かを訴えたかったのだろうが言葉にならない。その言葉を「心」で聴くことが出来なかったことを今反省している。

早朝に妻から電話をいただき訪問した。前日、通所サービスへ行くのが嫌だと訴えがあったということで、本人には予兆があったのだろう。
かかりつけ医受診の予定・・・ということで「足」を確保した。本来ならストレッチャーなのだろうが、リグライン型車椅子で代行出来るタクシーを手配した。

訪問予定があったので継ぎ接ぎの支援になったが、受診後訪問すると本人は熟睡されていた。週明けに総合病院入院の紹介状を貰って来られたということで、病弱な妻のレスパイト入院の意味もある。
認定調査・保険者調査の日程も決まっているので、入院になったら連絡をいただくことにした。今回の調整はサービス事業所に加え保険者への連絡も必要になってくる。

こういう状況なので介護度は高く出るだろう。ひょっとして主治医意見書の内容とも大きく異なる調査結果が出るのだろう。
神経難病とは・・・主治医にも「判らない」病気のようでもある。
状況に応じた対応が出来る事業所を選んでおいて良かった・・・。
束の間の休息・・・か???  2010・4・7
年末から動き始めたケースにもようやく落ち着きの兆しが見え始めた。
走り去ったケースに付随したケースも半歩下がったところで様子眺めをすることにした。一気に解決する方法もあったのだが、誰をも傷つけずに収束の方向へ行くためにも一呼吸置くことにした。

新規ケースで始めて利用するサービスの提供責任者とゆっくりと時間を持った。先日は駆け足でサービス依頼をしたが、他のサービス提供者からも話を聞かれたらしく、『独立ケアマネ』に興味を持っていただけた。
福祉との結び付きから今日まで駆け足でお話したが、どうも自分でも体験したいようなニュアンスも感じた。

激動の週明けでもあったが、今日も一日電話は鳴り響いた。しかし電話で解決出来る問題も多かったので、一応いっぷくが出来るような感じになっている。明日はのんびりと今日出来なかった後始末に回ることにした。
とは言え、問題の応援を依頼していた方が本人に会う機会を逃してしまった。

先日主治医意見書を依頼していただくように言ったが、申請して・・・とは言っていない方の申請書が期限前に上がっていた。一応受理はされていたが、認定調査に絡めて予定していた同行面接(黙って同席)が実現しなかった。電話連絡はしておいたのだが、事業所内部での連携が取れていないこともわかった。タイミングが悪かったのかもしれないが、またの機会もあるだろう・・・と本人は納得していた。

明日で入院2週間になる方の退院がもうしばらく延びると連絡が入った。問題の原点が判ったようで、問題が終結するまでの入院になったということ。主治医の計らいであと一ケ月余り入院が継続する。
老健入所が決まったが、通院しないと手に入らない薬への対応も手法に関して関係者で合意がなされた。半分拾ったようなケースだが、これも良いだろう。

明日はのんびりとしよう・・・。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
神経難病への対応。  2010・3・30
神経難病に関する患者会から退いて2年半余りになるが、未だにお呼びがかかっている。
区分変更申請を2件行なうこととして年度替りの日程に乗ったところへ、療養型病床入院中の家族から電話がかかった。問題点は家族・親族の想う『治療』に関する不満であった。

治療法も無い神経難病の方だが、親族には未だに未練があるようである。インターネットで病名を検索していただくように伝えたが、完治療法どころか治療法も確立されていない難病である。
療養型病院を転院されても同じであろうことは伝えた。

栄養摂取に関して、誤嚥が度重なるようなら鼻腔栄養、本人に体力があれば胃婁ということになるのであろうが、胃に直接栄養を入れても何らかの問題があり吸収されないこともある。そこで初めてIVHということになるのだろうが、「誤嚥性肺炎」から「IVH」そして病院が対応してくれないから「転院」という話にまで発展した。

家族・親族で話しをされるのなら行きますよ・・・。と言ったら集まっておられるところだと言われる。晩酌中なので行くことが出来ないことを伝え、上記『要』をお話しておいた。果たしてどうなったかは判らないが、問題の相談ルートもお伝えしておいた。先ずはインターネット検索で病気を知って欲しい・・・ことも伝えておいた。

果たして『難病』なのだから『対処療法』しか無いことをご理解いただけたのであろうか???
病状の進行を病院の責任にされたのではたまったものではない。
「進行する病気なのだと・・・」かなり強い口調でお伝えしておいた。
嫁姑の問題・・・精神障害を演ずる姑  2010・3・27
婿取りの姑だから、この方の血(筋)がこの家に流れる。その姑と嫁が、姑が可愛がって(母代わりをした時期もあった)きた孫の結婚問題で、嫁の言う条件に行動をおこした。

問題行動が始まって1ヶ月位と聞くが、孫の結納に子夫婦が留守にした。その時点で姑の抗議行動は始まっていたので、泊り込み家政婦を手配した。その馴染の家政婦に全て話された。
夫はこの経緯を知っているが、嫁(子の妻)には対抗出来ない。孫の結婚に関する一連の問題が「精神障害の原因か???」を確認すると頷かれた。

地元公的病院で相談の結果隣市の閉鎖病棟を紹介された。受診に立ち合うが、満床で入院出来なかった。その時にまたまた隣市の公的病院に閉鎖病棟があることを応対に当たった医師が説明している。子家族が考える病院に相談の結果、夕方その病院に電話で相談されたという。

夜8時頃嫁から入院が決まった電話をいただいた。
日が変わるのを待って夫を訪ねたが、本人は納得されて入院されたということ。問題の原点を確認し、隣県で医療に関っている孫に、本人の状態を伝え面会の機会を設けていただくように依頼をした。

親子3代に係る「介護問題」だが、もしかしてこの問題を解決出来るのは『孫』しかないと思った。2週間の入院中にその機会を作っていただければ全て問題は解決するだろう。
4〜5日経ってから孫への連絡を取られたか確認しようと思うが、私の「提言」を軽く扱われたとしたら、本人の退院は無いであろう。

嫁姑の問題には奥深いものがある。主導権争いでもある。
生活保護・・・おかしな論理・・・。  2010・3・23
生活保護の方のショートステイは「多床室」を使わなければいけないと担当者から電話がかかった。たしか「多床室」の方が介護保険単価が高いという印象だったので、単価を調べてみた。確かに高い。

担当者の視点は、いわゆる「ホテルコスト」の自己負担金が「0」の多床室を選べ・・・という話である。しかしこの選択には、総額が単独型・従来型個室の方が多床室よりも安くなるという矛盾が出てくる。それでも・・・と言われるので「ホテルコスト分は当事業所で負担しましょうか???」と言ってみた。それだと「資金援助」を受けたことになり、保護費から減額され、結果同じ結果が生じるという説明であった。

保護担当者と一緒に高齢介護課へ行っての話だが、話を進めているうちに「副案」(腹案)が浮かんだ。当事業所が負担するのではなく、利用施設が「生活保護者負担なし」の取り決めをすれば良い話である。
話の筋として、相談する値はありそうである。

利用者の「選択」を重視したい。
がん患者在宅支援事例検討会に参加して  2010・3・19
厚生センター主催の表記研修会に出席したが、グループワークでは事例検討よりも、グループメンバーが関ってきたケースが話題になった。
圏域研修会なので隣市のメンバーも集まっていたので、市外でも、退院こそ出来なかったが素晴らしい医療ネットワークが構築出来たことを紹介した。

思い起こせばがん患者にかなりの数関ってきている。
膀胱がんの術後で、特殊なパウチの交換を誰かに知っておいて欲しい方や、先に紹介したケースや末期がんで関ってから3週間位の命だったが、旧盆に子兄弟夫婦が集まって酒盛りが始まる所だった話、そして思い起こしたのが「骨髄腫」だった。
司会をつとめる看護師に「骨髄腫ってがん???」と聞いたら「そうよ・・・」と教えていただけた。

一つひとつのケースに思い出があるが、良い家族関係を最後まで保って来れたことがケアマネジャーの満足なのかもしれない。
退院こそ出来なかったが、素晴らしい地域医療ネットワークの姿も見せていただいているが、このときは10数人の退院前カンファレンス・サービス担当者会議だったと記憶している。

たとえ退院出来なくてもケアマネジャーが満足出来るケースとはあるものである。その時の経験(ネットワーク)が今も生きていて、関係者とは良い関係が構築できている。
広域圏ケアマネの姿がここにあるのかもしれないが、何処に・どのようなケースがあろうとも、良いネットワークを作っていくことが出来る『自信』のようなものが芽生えている。

・・・がしかし・・・『年』を意識する今日この頃でもある。
久しぶりに・・・全開か・・・???  2010・3・17
先月、年明け早々の混乱を整理して、静かな(寂しい)日々が続いていた。ようやくエンジンが始動した・・・というか、余りにも忙しい一日に根を上げた。

退院出来ない原因は病院側にもあるのだが、そのことを口に出さずに日程を区切った。「点滴が取れれば退院していただいても良いのですが・・・」「早くても面接に来ることが出来るのは1ヵ月後ですし、ショートステイの連続利用でつなぐにしてもそれ位ではないかと思います・・・」
一応この説明で、5月初旬の退院をMSWもイメージしたようだった。

これに前後して、大きくサービスを組み直す「核」に迫った。
担当者・・・頭が混乱して・・・とは言われるが、しっかりとしておられる。10日間の猶予の間に困難なサービスが、条件付きではあったが確保されていた。
ついでに先月から入院していただいた方やショートステイ利用者・患者会や前の施設で良くお会いした方・病状が進行している方などを見舞った。
その後、最終サービス調整にお伺いした。

何でもそうなのだろうが、ケアプランには核が必要である。その核さえ決まればその他は流動的に決まってくる。その流れを作るのもケアマネジメントなのだろう。「核」が決まれば自動的に流れるシステムにしておきたい。
そのシステムとは・・・「根回し」である。
1ヶ月近くかかった調整だが、気をもんでおられた方もあるだろう。スタートまで半月間、目には見えないが「問題の原点」への対応はスタートしている。まとめが出来ていないだけの話であり、プロセスは経過でもある。

明日も超過密スケジュールになる。
にこやかな・穏やかな・微笑ましい老夫婦だったが、妻に「精神障害」が出たと関係者から連絡をいただいた。明日受診されるというから、連絡をいただいた方の用事を済ませてから、半日市外で立てこもることにした。久しぶりにのんびり(中味のある)仕事をさせていただくのも良いだろう。

それにしても・・・判らないものである。
「あの方に精神障害???」と腑に落ちないでいる。
スタンプラリーの極意・・・。  2010・3・15
介護支援専門員各位も「面会困難事例」をお持ちだと思う。その「困難」な方から面会ルートに入れていけば、その月のスタンプラリーは完結する。
その方法はいかに・・・ということになるのだが、土日しか会えないことが判っている方に関しては、一週間前からアタックする。通常第二日曜日になるのだが、さりげなく訪問をする。それでダメなら来週がある。
「困難事例」とはよく聞く言葉だが、そういう困難さよりも「会えない」事が困難なケースが目に付く。だから・・・私は年中無休になってしまう。

こういったケースでも問題が発生すれば「困難」ではなくなる。面談が出来れば問題は解決するのだから、困難事例ではなくなる。私が持つ一番の困難事例は面会困難事例だが、別居の子が家を建てているということで、本人の合意を得た上で転居を考えておられる。
転居予定の地域にはネットワークのメンバー・居宅もあるのでスムーズにつなぐことが出来るのだが・・・おそらく向こうへ行っても「困難」が残るものと思う。

何とか「面会困難」な状況を整理して、申し送りしたいものだと思う。
月一回本人と面接することに大変な思いをしている「困難事例」もある。
そろそろかな???  2010・3・14
60歳定年というのは身体の衰えからみた場合、個人差はあるかもしれないが、概ね当たっていると思う。

もう10ヶ月も前のことだが、膝から腰・肩へと痛みが走り、結果肩の痛みで落ち着いている。ケアマネジャーの仕事はパソコンに向かう時間も長いことから、腱鞘炎・・・位に自己診断を下していたが、かなり身体にガタが来ているようだ。痛み止めでつないでいるだけでは完治は無いのだろうが、薬が無くなったら注射に通っている。

そういうこともあり少し弱気になっているが、何時・何があっても誰かに渡せるようにしておかなければいけない。そういう角度から、現在では出来ない、目標に向かって整理をしていく時間を持とうかと思った。
年金と役員報酬との絡みもあるので、少し調整していくことにした。
正直ケアマネジメント報酬を全て給与にしてみたところで、現役時代には及ばない。半額年金をプラスして、何とか我が家の通帳はバランスを保っている。

スムーズな移行を目指して65歳少し前に新規ケースをストップして時間を作ろうかと思っていたが、体調のこともあるので少し早めようかとも思い出した。一応、現状のケアマネジメント報酬では25万の給与が限界だということだけは実証してみるが、昨年度税理に失敗して、多額(?)独立居宅としては多額の法人事業税を払う羽目になってしまった。
一年間かかって何とか帳尻は合わせたが、払った分を取り戻しただけ法人事業税を払うことになるのかも知れない。

時間を作って独立ケアマネの組織化・法人化に取り組むつもりだが、現状では本人に何かあった時のバックアップ体制が取れない。
3年半前に『協業組合』構想を公開したが、そろそろ準備段階に入ったのかもしれない。そのためにも少し身軽になりたいとも思っている。
その境を65歳においていたが、体調も加味して考えると少し急ぐ必要があるようにも思っている。
夫婦とは・・・(夫にきつい妻ほど・・・)  2010・3・13
色々な夫婦像があるのだろうが、住宅改修に絡んで素晴らしい嫁の姿を見た。『金庫番』はやはり嫁だった。

かなり大掛かりな住宅改修なのだが、その住宅改修が必要なのは入院中の妻である。
妻は要支援。夫は要介護で担当しているが、妻の委託を受けることが出来ない状況である。通達では他市町村の居宅を希望される場合もあるので、一応(再)委託を受けることは出来るはずなのだが、保険者の考え方を否定しなかった。

妻に必要な住宅改修を担当している夫名義で申請することに同意いただいている。しかし工事はかなり大掛かりになり(当然のことだが)、手すり工事だけは妻に残す予定であった。・・・が、『一緒にやってしまえ・・・』という子の判断が出てきた。この場面で『嫁の』優しさと『大蔵省』を握るを感覚を感じた。

一次工事が終わってから手すりの2次工事に包括を巻き込めば良いのだが、子は一期工事でやる腹積もりのようだった。そこへ繊細(?)な妻(嫁)からクレームが付いた。『相談するだけでも・・・』
先日認定調査に立ち合われて妻の介護度は『支援』だと確信しておられる。支援が出れば再委託(委託)は無いから、保険者に依頼をする必要がある。そこへ思いついたのが駆け引きなしの全工事の見積もりから妻の分を分離する方法である。

私の文書には手すり工事は入れてない。工事見積もり書には全ての工事が明記されている。申請時に嫁に同行して、理由書に抜けている部分を『包括』に書いていただけないか依頼をすることにした。
全工事の概要が目に見えるようにして、その中でご夫婦の介護保険の改修として何処まで出来るのか、何処まで対応していただけるのか、突きつけることにした。

果たして結果は如何出るか判らないが、地元ではない不自由さはあるが、論理の筋は通ったように思っている。
「工事の後半はお願いね・・・」ということに収まる背景が見えてきた。
その背景とは・・・楽天的な子の姿勢であった。
『生きる』選択・・・(ALS患者・家族)  2010・3・9
担当しているロングショート(このような言葉は無いのだろうが・・・)の方と同室だったALS患者の方の顔を見なくなった。

年が明けて患者会に出席させていただいたところ、その(同室だった方)妻から、鼻マスクの使用になったのでショートステイには戻れなくなったことを聞いた。以前申し込みをされた長期療養型病院では「もう少し症状が進んだら相談に来て下さい・・・」ということだったと言われる。
私からもMSWに伝えておくから、「もう一度相談に行って来て下さい・・・」と言っていたのが、1月下旬の「相談会」の場での会話だった。

町内の新年会もあったので患者会は中座させていただいたが、出席していた訪問看護師からは・・・「主治医の評価もあったりして・・・盛り上がったんですよ・・・」と事後報告をいただいていた。

難病関係者や支援者など等、多くの方々に支えられ難病患者の方々も担当させていただいているが、今日その事後に関して、関係者から報告をいただいた。筋書き通りの病院に転院され、面会されて来たということ。妻に話したとおりの筋書きで相談されたことが判った。
時を同じく(前後)して、お一人難病患者の方が入院しておられる。病院の意向がはっきりと出ているケースだが、この結果には私なりに納得(公正な病院運営)している。

巷では公的施設である筈の「入所判定基準」に『???』が出ているが、その他にも「行政ライン」での、『公正ではない行政の持つ被保険者情報の取り扱い』を目にする。それを当然視する『レベルの低い』職員も目に付く。『行政ラインによる行政の持つ被保険者情報の囲い込み』である。

今回提示した『生きる選択・権利行使』に協力いただいた施設に心からエールを贈りたい。
ああ・・・勘違い・・・早とちり・・・。  2010・3・2
葬儀の日程が会場の都合で変えられることを・・・知らなかった。

同日に、しかも数時間の時間差で亡くなられた方だったので、葬儀日程も「同じ」とコンピューターは弾き出していた。確認したのは時間だけだった。
同じ時間の通夜なので掛け持ちを視野に入れて会場へ出かけた。
少し遅れて亡くなられた方の名前が無いので職員に聞いてみた。丁寧に新聞で調べていただき、そこではじめて一日遅れだということが判った。
日程的に余裕が出来、明日ならゆっくりとお参りできる。

思い込みから、とんだ錯覚を起こしていた。会場が無ければセレモニーも出来ない訳で、習慣から来る日程だけの判断で、日まで確認していなかった。
福祉関係にもご活躍の方が親族に居られることもあって、後ろを見ると馴染のメンバーにもお会い出来た。
人の一生を短時間で語ることは困難なことでもあるが、喪主から日頃本人から聞いていた生涯の人生が正確に説明された。

公務員として現役時代を過ごされた方だが、色々な問題点もご教授いただいている。
結論としては「一人一人の人生における『姿勢』の問題」でもあるが、果たしてこの方ほど真剣に生きて来られた方があろうか・・・とも感じている。

「どうも・・・ありがとうございました」
困ったぞ〜〜〜  2010・3・1
今日お二人永眠された。

一件は脳梗塞再発で在宅も考えられたが結果、長期療養型病院へ入院されることになっていた。入院に係る施設選定においても情報を入れ、馴染のMSWもいる市外の施設に入院が決まっていた。
5日前にMSWにお会いして、「入院時は付き添うよ・・・」と言っていた矢先のことだった。
随分と大きな仕事をして来られたし、県政にご尽力して来られた方だが、「天下り」のシステム・本来の姿・考え方にもご指導をいただいた方である。

もう一方、数時間遅れで最期の力も失われた方がある。在宅でのターミナルケアの終焉に関して、訪問看護ステーションへは訪問時間が判らなかったこともあり、連絡を入れなかった。福祉用具担当者には地元から離れているので様子を見に行っていただくように依頼をした。
連絡をいただいてから1時間半後位であったが訪問した。安らかに眠る・・・ということはこの事なのかもしれない。眠るように息を引き取られたことを確認した。「天寿を全うする」とはこのことなのであろう。

そこで・・・困ったぞ〜〜〜なのだが、通夜も葬儀も同じ時間と考えておかなければいけない。
明後日10時から、これも人生の問題に関して包括を交えての相談を予定している。多分分身が必要な時間配分になるのだろう。そこで妻にSOSを出した。「葬儀」には代理出席してくれると言う。「社長の妻」だからそれでも良いのだろう。

どちらを妻に任せるか・・・「代理」でも良い方の葬儀にピンチヒッターを依頼した。
私が行かなくても・・・後日事情を話すれば通じる相手。より身近に一緒に活動をして来た(これからも・・・)方の葬儀に代理出席させることにした。

お二人の葬儀の時間に、もう一方の人生の「まとめ」の相談を包括担当者と真剣に行なっているだろう。
この選択を「ベスト」と判断している。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
徘徊センサーの別の利用法・・・同じかな?  2010・2・27
徘徊出来ない方の安全策に「徘徊センサー」が思い浮かんだ。

退院一週間目に、(上手に)歩くことが出来ない方が、歩行器も杖も持たずに廊下をはさんだトイレへ行こうとして、トイレの前で転倒された。腰椎圧迫骨折で、通常ならコルセットを付けて「退院」のケースだが、しばらく入院させてもらうことにした・・・ということだった。

通常徘徊センサーは玄関に置くが、この場合外出すると「危険」が待っている。今回アレンジしてみたのは、ベッドから降りると「危険」が待っている。「危険」に対してセンサーが鳴る。そのシステムを応用してみようと思う。
ベッドから降りて直ぐの転倒は無いであろう。仮によろついてもベッド柵がある。転倒の危険は「その先」にある。

徘徊センサーも玄関から外の「危険」を察知するシステムである。
この方の「危険」はベッドから離れたところにある。
福祉用具レンタルにあったが、随分活用(応用)出来る用具もある。今回は応用させていただくことにした。

福祉用具の応用で思い出したが、目的外に使ったことが過去にもあった。
一社カタログを見てみたが、応用の品物は無かった。その品物は車椅子テーブルである。
施設時代、車椅子から転落しそうな方にテーブルで「抑制」していたことがある。良いことなのかは判らないが、テーブルを置くことにより抑制効果もある。身体拘束なのだが、見た目にはスマートに写ったようである。

当時納入していた事業者のカタログを見てみたら・・・あった・・・。
レンタルになるのかどうかまで判らないが、同じ商品が「現役」だった。
久しぶりに静かな一日  2010・2・25
朝一件電話がかかったが、「直ぐに行きましょうか???」と言うと、訪問に出なければ・・・ということで電話で用件を済ました。言語リハビリに対する家族の意思表示を主治医からの依頼書(紹介状)で対応した方が良いのではないかという内容だった。
そこまで事業者は求めていなかったが、提案もあったのでそうしていただくことにした。ちょうど受診日だということで、多分目の前で文書は出来ていることだろう。

昨日の調査・会議・会談の後始末をして、会計事務に入った。月末複雑になるので途中集計をしておくことにした。年度末は何かと変則的な金の出入りがある。今年度で決算するのか、来期に回すのか微妙なところでもある。
結果細工はしなくて良いだろう・・・という結論を出したが、もしかして・・・また多額(?)の法人事業税を払う羽目になるのかも知れない。

午後同じ病院の同じ階に入院中の二人を見舞った。
お一人はそろそろ退院のようだが、もう一人は一週間の安静で認知症が少し進んだかな???という感じを受けた。救急入院であったことから専門科の病棟ではなかった。ちょうど一週間安静にしておられたのだから、そろそろリハビリが始まるのかもしれない。

夜はMSW協会の地区部会が計画されているが、今日のテーマは「療養型病床の現状」に関してである。なかなか入院出来ないが、そうかと思えば申し込みから一ケ月で入院出来たケースもある。
将来を見越して日頃からお付き合い(利用者が)をしておく事も重要なことで、先ずはサービス職員が推薦してくれる。本人のゴールを頭に描いて、そのようなルートを作っていることは事実である。

明日二件の被保険者証が手元に届くが、一件は暫定プランそのままの認定結果であった。「暫定を消してね・・・」と被保険者証コピーを届ければ用は済むが、もう一件もそれに準じた対応で良いように思う。
明日も静かな一日であって欲しい。
タイミングの良い電話・・・。  2010・2・23
ターミナルに入った方の調整や変則的な退院劇の生保の方の報告が終わったところへ電話がかかった。問題の民生委員担当の地域包括からである。
余りにもタイミングが良く、その方向性もある程度煮詰まっていた。包括担当者に複雑な人の心を伝えるには充分だった。
ただ結論だけは「相談」をした。

「ひとり暮らし届け」の推進員を公正証書遺言実行者にして地域包括担当者に渡すことにした。民生委員には介入していただきたくないことの条件付である。直接行政窓口へ『そのこと』を伝えるより「丸い」のかもしれない・・・が、人が関ることにより「角」が明確になるのだろう。とにかく引き受けていただけた。

勿論・・・地域は・・・民生委員・・・連携の下・・・支援を行なっていかなければいけないことは充分わかっている。在宅介護支援センターがスタートした頃の実践者は「私」だったのだから、包括担当者も充分承知している。しかし・・・「介入」していただいては困る背景がある。
勿論「本人」にも問題はあるが、そこへ『問題民生委員』に介入してもらったは全てが藻くずと化す。そのことは先日お会いしたときもお話した・・・と言うか・・・言葉をさえぎり、フォローした。

支援の現場には排除しなければならない現実もある。それでも介入したい方はあるもので、『自分自身が判っていない』方でもある。
そのことも合わせてお伝えしたいが、『判るかな???・・・判んないだろうな???・・・』
しかしそれ以上のことはしないつもりである。

でも・・・・・・。
我が事業所を助けた一人の女性・・・その2  2010・2・22
提供表を届けに行って、その後の情報交換をした。
葬儀の席で民生委員が『今後の相談も・・・』と言うのは非常識だろう。親族一同、民生委員の介入を排除する考え方にまとまっている。その方向で対応することにした。

地域包括とは地域も望んでいることだし、行政の力を借りた形で入所の方向へ持っていく話にしておいた。今回この方向性が何処から出ているのか明らかになったが、これは地域からの『排除』の考え方でもある。
近日中に包括担当者にも確認をするが、『排除』が事実であれば対抗していくことも考えている。行政の『措置』が何を意味するものかを確認する必要がありそうである。

裏の関係はあるが、ご本人は落ち着いた生活をしておられるのであろう。亡き夫がキッカケで『馴染める』ヘルパーが見つかった。その支援に満足しておられるのであろう・・・一週間何の音沙汰も無いことが不思議でもある。
『馬が合った』とはこのことなのだろう。
ヘルパー経験も長いし、定年後は民間に所属しておられるが、まだまだ定年を迎えていただくのには早い。第二の人生としての再就職なのだが、私よりもかなりとは言わないが、少しお姉さまである。

人とのつながりとは『馬』なのだろうが、合えばこれまた良い関係が出来る。自身を持ってマネジメント出来るので、丁重なルートで丁重な方法で民生委員を排除する方向を固めた。
近日中に包括担当者には事実の経緯をお知らせするが、『支援を受けたくない』公的制度もある。

『選択の自由を保障する』ことがこの部分に及ぶことが情けない。
行政ラインで確りとした『公的ネットワーク』を作っていただきたいものである。
何時も指摘していることだが、『行政ラインによる行政の持つ被保険者情報の囲い込み』の一部なのかもしれないが、行政自身ネットワークの現状を確認していただきたいものである。
これか・・・「介護支援連携指導料」・・・  2010・2・19
1月早々入院された方に関してMSWは「病棟と話をして下さいね・・・」と言った。???今まで入退院支援に関して窓口として関っていただいてきた。私自身も県協会に加盟している。ソーシャルワーカー協会ではないので医療に関わりのあるケアマネジャーにも門戸を開いている協会である。

病棟では担当看護師とデイサービス看護師との情報交換の場をセットしていただけた。少し恥ずかしかったが、看護師同士の話に同席した。途中一回退院の連絡があったが、退院出来なかった。その都度退院準備をしているが、今回の連絡は本物(本人の希望もあり・・・)のようでもある。
週末退院で週明けから同様のサービスで生活を支えるプランに合意いただき、サービス事業所にも配布した。
そういった背景のところへ・・・病棟師長から丁重な電話がかかった。
「看護サマリーは準備してありますが、その他に何か必要なものは無いですか???」面食らったが、サマリーを本人に渡してもらえば、退院日の午後訪問する予定だと伝えた。

このからくりが判った。
「介護支援連携指導料」が4月から介護支援専門員と連携をした病院側に加算がつく。
これでお互い様だから、医療連携が進むものと思う。そこで心配になった・・・。

MSWの今後の役割だが・・・数年前に囁かれていた退院支援は病棟で・・・という話が本格化した後、病院間連携がMSWの仕事になるのだろう。
医療に関る報酬改正だが、体制が大きく変わらなければ良いのだが・・・。
ケアマネジメントの要・・・。2010・2・16
ケアマネジメント関係において、将来「困難事例」になる可能性を先ず抑えておく必要がある。本人を取り巻く「親族関係」が将来重要な要になることもある。
この関係を双方向から、あるいは多重的に見ておかなければいけないが、紹介ケースでは案外整理されている。
そう思いながら手持ちケースを再点検してみると・・・やはりあった・・・。

一見安全そうな関係に、夫を介護する元気な妻の姿が目に浮かぶ。しかし・・・その妻が倒れたら・・・果たしてどうなるのであろうか???増して子の関係がはっきりとしないケースもあった。
話したくない事に関して多くは聞かないが、最低限確認しておかなければいけない内容もある。その内容が次世代との関係なのだろう。

昨年経験したケースでは、道を付ければ大丈夫だった。しかし道を付けただけでは大丈夫ではないケースもありそうである。
その角度からケースを眺めてみたが、おおよそ1割に不安要素があった。何れも身体的には元気な妻に介護される夫の姿である・・・が果たして・・・。念には念を入れておいたほうが良いようにも思った。

二人一緒に・・・ということは無いだろうから、老夫婦に絞って再検討してみることにした・・・が、今のところ大丈夫のようである。しかし今の内に整理しておく必要がありそうなケースも目に付く。
少し落ち着いた時点で、その角度からの整理をしてみることにした。
お世話になった方への恩返し・・・  2010・2・14
早朝に急変され、日曜日でもあったので往診医の往診は受けられなかった。結果救急車の依頼になったが、ここまではヘルパー事業所で対応していただけた。
救急車にも同行していただけ、可能な限りの対応をしていただいてから電話をいただいた。
救急病院へ駆けつけたが、その時には死亡原因の確認に入っている段階だった。

ヘルパー事業所オーナーにも病院へ駆けつけていただき、死亡確認の上一緒に自宅へ向かった。
認知症の妻が「うろうろ」する中で夫の急逝を伝え、座敷の整理に入った。ベッドを置いてある部屋が座敷だったので、空ける必要がある。日曜日でもあったので、ベッドの解体は私の仕事でもある。

ケアマネジャー各位には色々な考え方の方もあると思うが、事業者が出て来れない休日にはケアマネジャーが対応するしか方法が無い内容でもある。
部屋の片付けも終わった頃にご本人も到着されたが、私達の動きが「ボランテイア」と理解出来ない親族もあったので、最小限の準備を整え帰ってきた。
その足で昼食を食べに「レストラン」へ入った(ヘルパーもオーナーも朝食抜き)が、カット割りの会計を申し出たら叱られた。ヘルパー事業所の朝食(?)に私がお付き合いしたようである。
それにしても美味しい、レストランでのランチメニューだった。

恩になってきた親族(我が事業所はこの方の紹介がなければ無い・・・かも・・・)に何とか「恩」を返せたようでもある。丁重な電話をいただいた。
突然・・・おひなさま・・・  2010・2・13
もう30年余り前になるが、妻の父から七段飾りのお雛様をいただいた。
当時問屋で50万円位の定価が付いていたが、貰ったものだからいくらだったのかは知らない。
少し遅れてデイサービス運転手の頃(約20年前)だが、同じ顔立ちの雛人形を利用者宅で見かけたので聞いてみた。「高かったのでしょうね・・・」と・・・。軽く100万円・・・という答えが返ってきた。

かなり前の話だが、子がいなくなってからも何らかの形でお雛様は飾ってきた。この時期は「おひなさま」が一部屋占領していた。
一昨年次女家族が孫(ちびっ子ギャング)を連れて同居するようになった。ギャング2世もそろそろ一歳の誕生日を迎える。そういった背景の中、今年も簡略化した「おひなさま」を展示することになった。

昨年の簡略化した雛飾りは床の間を利用して「内裏・雛・三人官女」の二段飾りだったが、今年は「右大臣・左大臣」が加わった。二段目に一列にである。
ちびっっこギャングは昨年も「おひなさま」には触らなかった。
今年は「2世」も同居しているのでどうなるかは判らないが・・・子供心にも「厳か」な感覚があるのかも知れない。

この期間に「主」である「長女」に帰って来るように言おうかとも思っている。
「主」は「主」である。
果たして入院できるか・・・。  2010・2・13
往診医から再度総合病院医師に「医療」の可能性を問い合わせていただいた。答えは「何もすることがない」であった。

何時急変するか判らない『爆弾』を抱えておられるが、認知症の妻との二人暮らしではリスクが大き過ぎる。発見のキッカケが配食弁当だったが、妻には急変の兆しさえ判らないであろう。自宅でひっそりと暮らすことに限界を感じた。
果たして受け入れてもらえるかは判らないが、療養型病院の候補の中から一ケ所に焦点を絞った。

土曜日で出勤しているかは判らないが、朝一番に電話で確認して、MSWが出勤していれば親族と一緒に入院申し込みに出かけようと思っている。
準備する紹介状を内科・外科の往診医と「何もすることがない」医師にもお願いだけしてみるつもりでいる。一番データーを持っているのも「何もすることがない」医師であるから、こちらもMSWを通じて依頼する腹積もりである。

どのような展開になるのかは判らないが、とにかく当たってみることにした。
親族から本人・妻への入院に関する合意はいただいてある。入院後の妻の「処遇」に関しても確認してあるが、相談専門職にも問題提起が出来る内容でもある。

イメージした方向へ動き始めた。
必要なサービスは即・提供・・・・。  2010・2・8
ヘルパーステーションから訪問看護の必要性の指摘があった。

電話をいただくなり、訪問看護ステーションへ車を走らせていた。
管理者不在のため連絡を頂くことにしたが、昼を過ぎても連絡が無いので、昼休憩時間がそろそろ終わる時間に電話をした。
ちょうど帰って来られた所で、10分後に訪問する約束をした。(緊急性を感知されたのか・・・10分後には食事は終わっていた。)

管理者と日程調整の結果、明日の11時から時間が空いていた。
本人の状態確認が出来る「簡単な」資料のコピーを撮ってもらい、本人の状態を確認していただくために、11時に自宅でお会いすることにした。

一件用事を済ませてから往診医を訪問、明日訪問看護ステーション管理者と一緒に相談に来ることを伝えた。訪問の頻度や訪問のポイントのすりあわせだが、これには往診医にも納得していただけた。
ところでこのケース・・・かかりつけ医がある。その後の状況で外科受診もしたわけで・・・この関係を確認してみた。

病院にも各科がある訳で、地域にも各科の開業医がある。今回は外科からの「指示書」になるのかもしれないが内科からの「指示書」もあって良いような気がした。
後はベテラン管理者にお任せして・・・とにかく訪問看護を入れることに成功した。

この動きに満足しているのだが・・・明日は「叱られる」立場になるのかもしれない。
我が事業所を助けた一人の女性。  2010・2・7
開業以来、被保険者を継続して紹介していただいてきた女性がある。情報を得ることの出来る立場にもある方だが、中にはその方の親族関係の利用者もある。
一件、被保険者情報が行政ラインで流れている確証を得たケースもあるが、このケースがキッカケの指摘で、全国に先駆けて初回認定調査が保険者調査になった経緯もある。近隣の保険者では全件保険者調査を行なっているところもあると聞いている。
現在残っている5分の1にその方の関わりがあるから、「広域圏を股にかけるケアマネジメント」が出来ている原点でもある。

利用者が広域圏になると、サービス事業者も広域圏でのお付き合いになる。利用者の数に匹敵する事業者と関ってきているが、これが広域圏におけるケアマネジメントの醍醐味なのだろう。「動き」がかなり目立っているようであるが、大学の大講堂の最後列にいても司会者から確認出来る「風貌」も手伝っているのだろう。

今日は町内の「成壮年部」の総会・新年会だが、初老に入っても気持ちだけは青年の方々が、子の年代も巻き込んで万年青年の会を作った。
老人クラブから声がかかるのも数年後なのだろうが、それまでの間、気持ちだけは「青年」で居たい。

本題に戻るが、今回ようやく恩返しが出来そうである。
「死んでも良いから・・・」無事成功・・・  2010・2・5
過去に「死んでも良いから家に帰りたい・・・」と言う方を連れ出して、1年近く在宅生活をしていただいた。
今回は「死んでも良いから外出する必要がある・・・」方の連れ出しに成功、用事を済ませて無事家(ベッド)まで送り届けた。
昨晩から雪は降り続き、車椅子のルート確保に自宅でも目的地でも役割分担が出来た。外出の準備も介護福祉士のボランテイアだが、私自身も久しぶりに移乗介護等手伝った。

午前・午後の日程がつまっていたので、一件電話で用事を済ませていただいた。バルーントラブル・ウロパックのトラブルだが、昨日訪問看護が持ってきたパックが二袋、朝にはもう無かった。この方、パックを乾かそうとして(・・・かどうかは判らないが・・・)温風ヒーターでパックをあぶられる。熱に弱いホースは変形して用を成さなくなる。このことが頻繁に起きるので、箱買いの話も出ていた。とにかく泌尿器科外来へ家族に行っていただければ、二袋出してもらえることを家族に伝えた。

もう一件家族関係の調整が待っていたが、当事者が如何したいのか答えが出ない。
方向性に関してかなり誘導したが、今日から如何するのかの結論が出ない。
双方の折衷案で、明日結論を出していただくことにして、今日のところはより安全な方向性を提示した。

人生に係る問題が集中した1日であったが、電話で済ませた問題はたいした話ではない。トラブルを解消するためには医療の枠から外れた部分を「私費」対応する話である。
介護保険におけるマネジメントでも「私費」対応はよく行なう方法である。
今日長期入院された方があるが、かなりの私費負担が出ていた。こちらは顔も見に行けなかったが、後日病室を訪ねることにしようと思う。

かなり困難な問題が山積してきた2010年の年明けだが、何とか年越しの問題が収束し始めている。
何とか・・でも判らない・・日程だけは。  2010・2・3
混沌とした中で、予定と方向性はほぼ軌道(日程)に乗った。

退院される方のカンファレンスも予定しているが、「公証」の日程も「予定」をくぐり抜けるように決まった。公証役場から「会議室」の正確な住所の問合せがあった。「地番」まで必要のようである。
HPを参考にしていただけたようだが、インターネット「検索」でかなりの情報が明らかになっているようである。(調べ方をお分かりの方の話だが・・・)

当日は予定3・40分前に「会議室」の温風ヒーターを付けて迎えに行くことにした。本人に関しては介護タクシーで対応することとして、支援体制は整った。ただ・・・???

人の人生の最終章(を飾ることになるかも???)での「必要な本人の行動支援」なので何があっても外出する。ここが看護職とソーシャルワーカーの違いなのかもしれない。とにかく「会議室」へ連れ出す。
・・・・・・・・・・。
ここからは「誰」も「何」も言えない状態である。
人生最後の「決断」を示す「場」へ行くことの「行為」だから「死」をも意識しておられる・・・のだから、本人は「理解」されているのだろうか???

「人生色々・・・」ではあるが、当事者の意に沿ったマネジメントを行ないたいものだとも思う。
月が替わってもおんなじ・・・。  2010・2・1
情報公表の調査日でもあったので、その時間だけ身体を空けた。
結果昼食にも事務所に帰る事は出来なかった。

連絡調整の一日だったが、退院前カンファレンスに関する連絡調整・ベッドとテーブルのマッチング及び調整・開業専門医への往診依頼。やはりこれだけで1日の仕事なのだろう。昼食に帰る時間がなく「鉄砲玉」の1日だった。
その中でも驚いたのが変更申請書を朝一番に提出した方の認定調査の日が、昼少し前に訪問したらもう決まっていた。明日の調査なのだが、申請時に発した一言から「緊急」を感じていただけたようである。「申請しましたが・・・結果が出るまで・・・仮に亡くなられたら・・・どうなりますか???」「認定調査が終わっていれば結果は出ますが・・・」
この問合せから緊急性を感じていただけたようである。

事務所に帰ればファックスが詰まりそうな位実績が届いていた。
一件(実際は二件)の返戻の確認(犯人はわかっているが・・・)と処理はソフトメーカーへ電話で問合せをした。
ここの所返戻が続いているが、今月決算だから「利益」を来期に先送りした方が良い状況でもある。
昨年大きな「法人事業税」を払った影響が一年間続いた。

明日はのんびりと給付管理をしたいと思っているが・・・果たしてどうなるかは判らない。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。
地域包括支援センターと成年後見  2010・1・30
今回何らかの後見が必要なケースが3件重なってしまった。
1件に関しては昨年中から地域包括社会福祉士にモーションをかけてきたが、今回のケースでは報告に止めておいた。何故報告をしたかというと、将来必ず関わりが必要だと判断した。また行政からの支援も必要だと判断したことからの報告である。

そういった話(対談)の中には、専門職の考えている方向性が見えてくる場合がある。二人寄れば相談であり、その輪が拡がっていけば協働も可能になる。一人で抱え込むよりは効果が何倍にもなるのだろう。そういう地域の相談体制の「要」に地域包括は育っていっていただきたい。

地域で問題になっているケースもあるだろう。その問題解決の方向性を一人ひとりの専門職は持っているものである。対談でその内容も明らかになった。
時期が来ればその方向へ行政の持つ力をばねに進むことも可能である。そういった対談が出来た。

今回の3件に関しては凡そその方向性が見えてきた。正月も残すところ一日だが、今年は非常に満足出来るスタートを切ることが出来た。かなり業務多忙で、行動日誌(連絡調整記録)は通常の月の倍のボリュームになった。
機関ネットワーク・地域でのネットワークなど、利用者を取り巻く背景を整えていくこともケアマネジャーの仕事だと思うが、そのネットワークが動いている確信を得た。

一件新規のケアプランを説明して契約を終えて今月は終わるが、今日は月末の土曜日、月一回の「憂鬱な日」でもある。
午後からは事務員さんに変身する。
公正証書遺言を生かすために・・・。  2010・1・28
「鶴の一声」は1年前のデイサービス利用面接でもあった。同じことが起こったが、調整の末、場所を変えてテーブルを囲みましょう・・・ということで落ち着いたようである。
「会議室」は車椅子対応可能になっているし、公証役場でも良いような・・・。とにかく日時と場所を設定していただくことにした。
ヘルパー事業所へ話をすると本人の状態が心配なので提供責任者が、外出準備から同行まで・・・来てくれることになった。

話の流れが納得出来なかったので、後見(法)に明るい方に問合せもした。どうしても納得のいかない内容だったが、全貌が見えた。1年前の担当者会議でも同じことが起こっている。
もう大丈夫だろう。引っかかっていた問題も解決した。「何故任意後見」なのかも説明が付いた。

もしかして「会議室」の新たな使い道がスタートするのかもしれない。
「独立化の勧め」を全国発信した頃には、随分とマスコミ・専門誌・紙各社からも来ていただけた。
法に明るい方の来訪も随分あったが、直説法関係者が来られるのははじめてである。
かなり大きな看板を『少女漫画の目』(・・・必要以上に大きい)と表現された方もあるが、新たな発展があるのかも知れない。

来週時間を設定していただけるということだが、時間調整が一番気がかりなところである。
幻の投稿・・・。  2010・1・27
記録には残さない方が良い内容だったのだろう。投稿は途中でストップしていた。

後見契約に大波乱があったと今連絡を頂いた。
妻の意思で成立しなかった契約なので、夫申し込みの妻のケアマネジメントの申し込み書は、夫の死後有効なのか微妙になってきた。
契約は本人との契約になっているが、サービス提供を本人は拒否するであろうから、多分自動消滅することになるのだろうか???

この関係だけを確認しておきたかったのだが・・・。
「後見」には色々な問題が絡んでくる。
波乱万丈の年明け・・・。  2010・1・26
昨年もそうだったので、年初めは早めに動いた。
給付管理も順調に(?)いき無事期限までに伝送したが、期限締め切りの翌日に異常に気付いた。これが事の発端だったのだろう・・・。
何故か指定事業所等を識別する枡に、本来指定事業所なのだが「基準該当」にランクされている事業所を見付けた。本当に偶然だったが、もう修正はきかない。そして原因が判った。

インターネットでつなぐタイプのケアプランソフトだが、台帳を共有しているソフトでもある。事業所の指定を変更したのは、ソフトを紹介した独立系のケアマネである。結果「内輪の話」として各事業所には説明をし、快く過ちを許していただけた。
この1件がキッカケになったのだろうか???(余り関係はないと思うが・・・)その後が大変だった。

通常の月よりかなり早めに(問題の翌日から・・・)スタンプラリーを開始したが正解だった。残り4日で提供表を約15箇所に配布すれば良いのだから何とか今月は越せそうである。二件の会議はあるが、何とか・・・このままなら大丈夫だろう。
「月一回の憂鬱な日」を土曜日に持っていくこととして、一件手付かずのプランを、本当は土曜日に「提案」したいのだが、最悪日曜日の「提案」ということで、月を越す予定にしている。

年中無休で「大笑い」して来たが、我が事業所の営業日は週休1,75日で指定を頂いている。なかなかそれを実行することが出来ない毎日だが・・・公になったら「指定取り消し」もあるのかもしれないので、声を小さく囁いておくことにしておこう。
「ケアマネジメント」とはそれだけ手間のかかる業務でもある。
『これで良い』ということは無い。
お世話になった方の通夜。  2010・1・25
夏ごろまで元気に仕事をしておられたが、その後、入院されていると聞いていた。
昨日町内の総会・新年会だったが、その朝他界された。

町内に関っていたのが子が小学生の頃だったから、もう20年近く経過している。随分お世話になったが、会議や話の内容は記憶に無い。
お酒の好きな方で、話が一段落すると高らかに柏手がなる。「お酒持って来い・・・」との妻への合図である。

町内活動の基礎を作った方でもあるので、随分多くの方がお参りされるのだろう。
そろそろ時間なので、心から弔いの言葉を述べて来ようと思う。
認知症もここまでくれば・・・ご立派。。。  2010・1・23
と言うか、認知症だと承知でお付き合いをしていただいている。

ご自身の薬は勿論ゴミ箱へ・・・なのだが、夫の大切な「痛み止め」まで投棄してあったという。みんなであきれ返っているのだが、一番労力をかけておられる夫の弟さんが「男泣き」されたと伝わってきた。私の前では素振りも見せられないのだが・・・。

後見手続きを進めておられ、妻の分も含めた後見なのだが、先日一番気にかかる事を聞いて確認させていただいた。
将来的に施設の方向へ話は進むのだろうが、現状では夫に出来る限りのことをしたいという意欲が伝わってくる。

問題発覚から2週間が経過したが、発見の原因が「配食」だった。
食べることが出来ない弁当は必要無いのだが、必要無い原因を確認させていただいて良かった。異常時のアンテナ役を果たしてくれた「弁当」ではあるが、現在はおかゆなどに作り変えられている。
買い物に行く時間も無い位、ヘルパーは「介護」に集中している。

変更申請の準備も整い、主治医の協力にも感謝している。
夫婦按分のプランだが、市認定調査員にもプランの内容を確認していって欲しい。「支援」とはこういう事なのだろう。
お酒の話・・・。  2010・1.21
生まれてから好きだったのでしょうが・・・もしかして母乳に代わりに飲んでいたかも???
は冗談として、体質にお酒が合っている。
勿論成人になってから(これは建前)お酒を飲んでいるが量が半端ではない。日本酒からウイスキーに変えた理由はここにあるのだが、当時一ヵ月、日本酒10本のペースで飲んでいた。3日に1本である。

先日美味しいお酒を頂いた。地元の吟醸酒なのだが、難しいのは銘柄の意味するところである。近々馴染みの量販店で値段を見てくるが、ひょっとしてとんでもない値段なのかも知れない。それ位美味しいお酒であった。

過って飲んでいたのは灘の酒、今回は地元の「辛口」と評価されている酒蔵メーカーのお酒なのだが、「吟醸酒」ということなのかも知れないが、「甘い」でも快い甘さである。
頂いてから3日間で2本目に手が付いていた。4日目の今日は「明日も危ぶい」量しか残っていない。

お酒に限っての話だが・・・年とともに飲み上がって、現役時代を遥かに(少しだけ)超えているようでもある。
若い頃はかなり飲み歩いた。(時々は出るが・・・)
二件の後見相談・・・プラス一・・・。  2010・1・20
関係者から後見に関する相談を受けた。
姉妹の子の後見人になって煩雑な業務をこなしてこられたが、親族から「財産問題が目的か・・・」のような話が出てきたと言われる。障害年金を受けて施設入所をしていれば財産が増える制度も可笑しなものである。その他にも不動産があるということで、かなり高額な財産を持っておられる。親族からの横槍が入らないようにする為にも、施設入所と年金等公的援助との整合性を図る必要があるのだろう。
公費で「保護」して財産が残る制度は・・・お・か・し・い・・・。

ということで後見に明るい方に人選をしていただくことにした。その地区の司法書士会会長で後見に長けた方を紹介いただけた。

もう一件、認知症の老夫婦で夫が医療から見放された方の後見申し立ての「立会人」の依頼を受けた。後見人になられるのは親族で、手続きを司法書士に頼んであるということだった。このケースは「遺言」という形になるのだが、本人亡き後も妻の後見は続くということで一安心した。
先日妻の実家に関して聞いたが、そのことの理由をお話し、私の中では解決した。

それに加えて、天涯孤独の方の相談をしたのも今週はじめだった。
続く時は続くもので、三件の後見相談に何らかの形で関ることになった。
巻き込まなければいけない方々も巻き込み、方向性は見えている。
後見に限らず良く似た問題は集中するものである。
あらゆる問題に対応出来るネットワークを確保しているので、心は軽やかである。
病院の対応に疑問・・・???  2010・1・19
膝に動脈瘤を抱える方に対して、手術が出来ないから「退院」という話はある程度わかる。しかし・・・しかし・・である。

未明に本人が痛がっていると認知症の妻からキーパーソンの弟へ電話がかかった。駆けつけて救急車の手配など、とにかく病院へ救急搬送された。
病院側で対応出来たことは「痛み止めの処方」だった。昨日かかりつけ医に往診いただき「痛み止めの座薬を出しましょうか・・・」という話になっていたそうである。かかりつけ医には切れ間の無い(実際切れ間は作ってあるが・・・)「按分」の報告はしてあった。

救急搬送先の病院で【心無い看護師】がこう言ったそうである。
【どんな介護をしておられるのでしょうね???】と。
夫婦按分で、時間的には切れるが、切れ間の無い介護が始まっている。時間が詰まっているので、この間は「ボランテイア」でつなぎましょうか???という話まで出ている。

確かに夜朝に救急搬送された時には便にまみれておられたのかも知れない。担当ヘルパーに聞いてみると、夕方にも大量の排便があったそうである。
その上で夜朝に便が出ていたことは、喜ぶべき事ではないのであろうか???私は心の中で「介護の成功」を喜んだ。口からものが入っている何よりの証拠が便であり尿である。

レベルの低い病院看護師の言葉は忘れる(表沙汰にしない)ことにしたが、看護師の意識レベルから疑問を持った。果たしてこの病院に任せて良いのかな???ということでもある。
ケアマネジャーを・・・増して独立ケアマネジャーを「小さな存在」と見ておられるのなら大変なことである。世は評判である。
日本航空の再建に関するニュースも入っていたが・・・顧客(利用者)が選ぶことが出来る「介護保険法」でもある。(余り関係ないかも・・・)

大きな批判はしないが、今後の対応の前進を期待して、近日中にお会いすることになる予定のMSWの耳元で囁いて来ようとも思う。
今回別件ではあるが、雇われ専門職・ソーシャルワーカーに業務内容の拡大の必要性を意識していただけた・・・同じ日だったことに意味を見出している。
各分野で働かれる社会福祉士さんには、利用者の立場に立った相談業務を継続していただきたいものだとも思う1日であった。

時として・・・利用者の立場で・・・先走ることも・・・あるのかも知れない。「方向性の誘導」があるのかも知れない。
老夫婦での按分(ヘルパー派遣)2010・1・16
過去にも「按分」プランを書いたことがあるが、夫婦を一つの支援対象としてお二人の介護保険で「按分」する方法である。
当時介護保険課担当者は「按分」の内容に興味があったようである。
今回は身体介護が必要な本人と認知症の妻への「介護支援」で「按分」することにした。

本人は身体介護も必要な状態だから「身体+生活」でサービスを提供するが妻には「介護」が必要ではない。妻には「夫への介護支援(の支援)」を行ない、介護をするのは「妻」という想定でのヘルパー派遣である。当然のこととして妻に「介護」は必要無いから、「生活」で入ることになる。
この方法が違法なのかどうかは判らないが、妻が夫の介護が出来るように「生活支援」を行なうという筋書きである。ヘルパーが手を出すことは目に見えているプランである。

この条件でヘルパー事業所も「良い」というからサービスをスタートさせた。少しだけ行き違いがあったが、結果良い方向へ出た。ヘルパー事業所オーナーの看護師を連れ出すことが出来た。本人の状態を看て「緊急」性の指摘があった。土曜日の12時を少し回った時に、弟さんと一緒に主治医を訪ねた。往診依頼である。月曜日まで往診は無いが、「介護」体制を整えるのには充分だった。

一日3回のヘルパー派遣が明日から始まる。ターミナルにも応えられる体制を整えたが、もしかして・・・「入院」という話が主治医から出るのかもしれない。
とにかくやるだけやってみることにした。
看護師の視点も同じだった・・・が・・・  2010・1・15
病棟看護師とデイサービス看護師の話に立ち合わせていただいた。病状に関して、お二人はお解かりなのだろうが、医療に関して素人の私には高度過ぎる話であった。そういう中で自分の仕事を再確認した。本人の立場に立った看護師の不安と(元)ソーシャルワーカーの視点は同じだった。

本人の置かれた立場を考えれば当然のことなのだが、「死」と「その後」の心配の違いこそあれ、同じ流れの中で心配事は膨らんできている。もしかして・・・担当看護師の目からは、これが最後の入院なのかも知れない。病状は決して良くは無い。
地域包括支援センターとも成年後見に関して話をしていることを伝えると、安心されたような素振りがあった。

地域医療連携室へMSWを訪ねたが、病棟での相談に行かれる所だったので、昨日の看護師の話に感銘を受け、地域包括との話もなかなか進まない状況を伝えた。しかし方向性は提示してある。
「今回の入院では無いでしょうが・・・」という認識だったので、退院後一度包括社会福祉士も交えて話をしましょう・・・ということで別れた。
その話の中で「献体」という言葉が出てきた。

まとめをするのは包括社会福祉士になるが、妙にこの言葉が気にかかっている。社会福祉士に面会を求める電話をしたが、出張中で今週は会えない。
週明けにお会いしてこの話も伝えるが、私の中では納まり所が見えたような気がしている。
無事退院出来ればその方向性を本人に確認することで「問題解決」が出来るような気がしている。

医療職の気づきから、方向性を教えていただけたようでもある。
お互いの立場で妥協できる結論を見出したいと思う。
続・弁当要らな〜〜〜い(その2)2010・1・14
何とか明日からサービスが入ることになった。ヘルパーも夫婦按分である。

ご夫婦のサービスが18年3月に終了しているから、昨年の2月に再来の相談があり、それから約1年後に再スタートを切ることになった。
状況は大きく変わっているが、とにかく明日からのスタートである。
背後にサポーターチームも付いており、背景も含めて最良の条件を整えることが出来た。

残るは会議記録だが、一時ソフトへのアクセスが不良だったので、明朝早起きをして書き上げることにした。
約4年間のブランクではあるが、不十分ながら見守りをしてきた。可能な限りの支援はしたいと思うが、何よりもご夫婦での自立を目指していただきたい。
是非『亭主関白』を再来させて頂きたい。
続・弁当要らな〜〜〜い  2010・1・12
心配になること(右膝上の瘤)があって、受診を勧めておいた。
受診後総合病院整形外科・皮膚科に紹介状が出たということだった。
受診後ケアプランを確認していただきスタートを切る段取りに入る・・・はずだった。その電話が、午後2時を過ぎても鳴らない。そこで電話をしてみた。

まだ診察が続いているが、多分入院になるだろう・・・ということなので病院へ直行した。MRI室の前にいるということで、何とかお会い出来た。入院させていただくように依頼をしてあるということで、その後すぐに病室へ向かう。実はこの入院は検査入院だった。
瘤の原因は3個の動脈瘤。過去に下腹部の動脈瘤の手術を受けておられるが、動脈瘤が起き易い体質のようでもある。

主治医からの話では、通所サービスで受けていただけるかは施設の合意もある・・・ということだったので、診療情報提供書を依頼した。
検査入院の目的は患部に注射針を刺して出血があるのかを見る検査が目的のようだった。結果腫れている部分はほとんどが「オカラ状態」のものであり、包帯で圧迫しておけば滅多なことは無いでしょう・・・という説明があった。しかし、動脈瘤だから破裂する可能性もある。その時には救急車で・・・という確認もさせていただいた。

人生色々だが、妻の協力があればもう少し「安心」出来る人生・老後になったのであろうが、人の出会いもそれぞれである。
この時点で認知症の妻を責めるつもりは無いが、人生色々である。
爆弾を抱えたデイサービス利用を実現させるためのシナリオを描いているが、各機関に対して正面から対応することにした。

話は変わるが、長期入院申し込みの方の家族が呼び出されていて「入院の話かもしれないよ・・・」と言っていたら本当にその話だった。残り1ヶ月未満の話だが、無事入院まで見守りたい。
流れの良い年明け・・・。  2010・1・11
仕事始めは、大晦日の相談に必要な、入所に係る紹介状から始まった。朝一番に主治医に相談されたのだろうが、紹介状は昼には出来ていた。非常に行動の早い先生だが、この辺りでも気が合うのかもしれない。随分助けていただいている。
午前中に相談があった方の紹介状が午後一番に届いたので、相談・担当者も目を白黒させていた。その相談に関して、明日呼び出しを受けているということ。もしかして・・・もしかである。

そういう中で凡そ一年間様子眺めをしてきた老夫婦のケースも明日動きそうである。
七草がゆに大きく動いたケースでは、診察に同行しただけで長期療養型病床への入所が目の前で決まった。
そして、入院中の方の新規に関して依頼があった。申請からのケースだが、家族関係に特に問題も無いようである。

昨年のゴールデンウイーク中に長期療養型病床へ入院された方に関しては、入院までの経緯に関して家族関係者から「鮮やか・・・」という言葉をかけていただいた。業界に精通された方でもあった。
「鮮やか・・・」だからこそ、ケースの手持ちが悪い。補充はあるのだが、ケースが増えない、追い付かない一年だった。

今年は昨年末に新年早々担当者会議を予定した「増える」ケースから始まっている。そういう中でのマイナスだったが、約一年間(もっと以前から)見守ってきたケースが動きそうである。それに加えて新規相談も頂いたり、良いペースで年明けを迎えている。
そしてもう一件、緊急性を感じているケースも急展開する・・・のかも知れない。ギリギリの場面での有効な働きかけには関係者にも動いていただける。

支援の経過を大切に・・・将来の姿を視野に入れて、支援チームを組んでいることは事実である。
弁当要らな〜〜〜い2010・1・8
地域から心配していただいている老夫婦がある。
そろそろ一年になるが、サービス開始の担当者会議の場で、妻からサービス拒否があった。定期的に誰かの目に触れる必要がある老夫婦でもあり、包括も心配している家庭である。

その後親族から配食弁当の話があった。食のアセスメントに関して認定期間が切れていたことから包括担当者と同席した。特定高齢者の登録を済ませ、手続きも終わった。配食事業者から電話がかかったのはその翌日である。
訪問の上、夫の分だけ配達してもらうことにした。
それから4ヶ月。また事業者から電話がかかった。妻が「要らない」と言っているということだった。

一応状況を見てくることにするが、年末に訪問したときには玄関で妻との立ち話だった。心配な面も感じているが、訪問してみることにした。
知人の親族でもあり、ケアマネジメントは発生していないが、弁当でつないでいる。接近困難事例に対してケアマネジャーは無力である。
知人宅にも大変な問題が起きているということで関りは期待できない。
行ってみてどうなるかは判らないが・・・とにかく行ってみることにする。

何事も無ければ良いのだが・・・。
これも定年・・・なのかな???  2010・1・6
現役時代に定年までのブランクが8年間あつた。
介護保険業界に縁あって、ブランクを抱えて実務研修受講試験を受けている。合格したので研修が終わる月に合わせて居宅指定申請をしている。
全く「ゼロ」からの独立開業であった。

そのブランクを先延ばししようという話である。
60歳定年として8年延ばすと定年は68歳になる。その前に「ブランク解消(定年)」を設定した。復帰してからブランクの期間仕事が出来れば良い・・・という「身体に優しい」定年である。その最後の年に一族でディズニーランド旅行が出来れば良いと思っている。(今回は孫のためである)

どちらでも良いのだが、独立開業で随分羽を伸ばしている。年相応の評価だが、専門職の中ではかなり目立ってきている。目立つ存在であることを少しでも続けることが、完全復帰の証なのかもしれない。
もしかして80歳の独立ケアマネがここ高岡で走り回っているのかも知れない。
気の長い話だが、後3回更新講習と2回の指定更新申請をすれば良い話である。

もしかして・・・???挑戦してみるのも面白いのかもしれない。
目標が出来た気分になっている。
神様は信じない〜仮テントでご祈祷が・・・2010・1・3
大晦日の深夜行きそびれたら、結局宮参りはご遠慮することになった。気持ちの問題が大きいから・・・「もう良いか〜〜〜」ということにした。こんな事なら、寒かったけど、娘の厄払いに便乗すれば良かった・・・とも思っている。年末・年始の年中行事をサボったことに関して心残りはある。

神様(神社)も災難に合うことがある。電線の老朽化による漏電が原因の火災だったが「神」は予知しなかったのであろうか???神に仕えるものの怠慢だったのか・・・は判らないが、とにかく神社は「燃え」た。
言葉では色々表現があるだろうが、「神職」と「介護に関る者」を同列視するつもりは無いが、「心」に迷いがあっては、結果悩める「心」になるのかも知れない。公的制度であるから、「公正・中立」が求められている「介護支援専門員」の皆様は特に気を付けなければいけないのだろう。

何に気を付けるかと言えば介護支援専門員の「公正・中立の立場」の検証であるが、ご自身に迷いがあれば将来必ず「悩まれる」ことがあるのかも知れない。
「悩む」ということは「心がナヤマシイ」ことであるから、それが原因で弱い人間の致命傷になるのかも知れない。神社が燃えたことからトンだ発想をしてしまった。災害は関係者への「心」の持ち方に関するメッセージなのかもしれない。

そういう訳で、今年1年「神」とは無縁の生活をすることにした。
決して驕らず、マイペースで自分の役割を果たす・・・。困っている方があれば遠方まで出かけ・・・近くに求める方があっても、誰か出来る方がありませんか???・・・と。
広域圏の主任介護支援専門員を・・・目指す・・・と講習を受けたので、主催者との約束もあるので、地元校下で活動することはそう多くは無いであろう。

この辺りから「気付き」があれば良いのだが・・・。
ちびっ子ギャングUがパンを丸かじり・・・  2010・1・2
7ヶ月を過ぎてからかなりしっかりとしてきた。
テーブル・応接セットの間を伝い歩きするようになってから1ヶ月近く経つ。そのTが時々「介護?」に行くからかえって危ない。「ドスン〜〜〜ぎゃーーー」ということもあるが、床には電気カーペットが敷いてあるから、それほどまでのショックでもないようだが、将来のためにも頭は大切にしなければいけない。

正月2日目の昼に、おせちの残りとピザパイや焼き餅が出てきた。ちびっ子ギャングUの手には、すなっくパン・台湾バナナほどの大きさのパンが握られている。それを丸かじりするのだが、余りにも食べっぷりの良い丸かじりなので大笑いになった。早いもので家族の一員として過ごすようになって7ヶ月余り経った。
兄貴はオットリ、オッサン(弟)はキカンボウになる経緯を見たような気もしているが、年が近いと上の子が嫉妬するのが世の流れなのかも知れない。
我が家は二人姉妹だったが、それが当てはまっているようにも思う。

一昨年は妻と二人(+α)の正月だったが、昨年はちびっ子ギャングの家族三人と他県で悠々自適の生活をしている長女も加わって六人で正月を迎えている。
そして今年はちびっっこギャングUも加わって七人で正月を迎えた。私が知る限りで、一番賑やかな正月になった。

話は変わるが、非常に正確な天気予報で、元旦の雪も今は雨になっている。明日まで雨が続き、仕事始めの4日にはまた雪の予報である。
今日は朝から税務に取り組んでいたが、独立ケアマネは何でも屋のようだ。確定申告の必要もあるので、月曜日に源泉徴収関係を処理して確定申告に取り組むが、今年はあといくら税を払えばいいのだろうか???一人で法人代表も兼ねているので、社会保険税も含めてかなりの税額支出がある。

賢いやり方としては、所得税で払うようにして会社に金を残さない方が良いようだが、赤字会社にしないためにもギリギリが求められるようでもある。
ケアマネジメント報酬だけでは25万円が上限(だろう)とそろばんを弾いているが、もうしばらく上限は見送ることにした。
それにしても、社会保険税は高い・・・本当は今年から上限になるはずだったのだが・・・上げ幅を半分にした。

それにしても現役時代の給与は破格だった。
おそらくソーシャルワーカー・介護支援専門員も含めた相談員として、現状の介護報酬では、上限でも届かない。公正中立を確保するためにもケアマネジメント報酬の大幅な見直しが必要と考える。
このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

HOME
掲示板等の発言記録2009
「お便り・情報・ご案内」へ