掲示板等の発言記録 (2009)


大晦日の担当者会議こそ無かったが・・・   2009・12・31
爽やかに新年を迎えることが出来た。

2年連続の大晦日の担当者会議を教訓として、少し早めに動いた12月だった。大晦日には相談で方向性を見出したが、新年につなぐ内容でもあったので、実質的には担当者会議だったのかもしれない。とにかく新しい局面を向かえ、方向性を見出せたことは一年を通じて最大の成果だったのかもしれない。

毎年年末には何らかの問題が山積してくる。1年の中でも特別な日、大晦日から元旦であるが、一応一件落着として新年を迎えられた。
山積した問題には、主治医(医療機関)変更の問題があった。不服申し立てが包括の介入で区分変更に変わったケースのまとめもあった。家族・親族の意向が強い通所サービス利用に関しては本人をなだめもした。そして福祉用具のマッチング会議もあった。そしてあらゆる角度から、状況に応じた福祉・医療施設の選択にも大きな選択肢を残した。
最後にお会いしてきた方は、伝わらない意向に関して大きな声で訴えておられた。「そばに居るだけで良い〜〜〜♪♪♪〜〜〜」という歌もあったが、傍らで手を握るだけで本人は納得されたのであろう。声は納まり、帰っても良い・・・と。

心配なところへは顔を出して、問題には余裕を持って対応が出来た年末だった。
新しい年がどのような1年になるのかは判らないが、スケジュールに余裕を持って、気持ち的にも急かされない対応をしていきたいと思う。
波乱万丈の1年であり、新旧入れ替えの多い年でもあった。
去る者は追わず・・・の方も含めて、17人の方が去られた。そして、順調に補充が出来たと言っても去られた方の3分の2である。
良い具合に報酬改訂もあって、何とか不足分は帳尻が合ったようでもある。

波乱万丈の幕開けだったが、今年はどのような幕開けになるのだろうか・・・。
外は深々と雪が降っている。
一年のまとめとしては、波乱万丈・満足出来る一年であったが、それにも増して揺れ動く一年になりそうな予感がしている。
今二人の方の落ち着き先を模索しているが、良い落ち着き先・方法を見出せれば良いと思う。

小規模多機能か・・・それとも???2009・12・29
2箇所の通所サービスを利用して、日曜日以外は通所施設で「保護」してきた。その保護も危なくなってきた。
ここへ出てきたのが小規模多機能なのだが、利用されるということになると居宅も同時に変更になる。それで良いのか・・・を慎重に吟味する必要がある。
特養の申し込みは済んでいるが、もう少し早い方法を模索していた。
ショートステイの連続利用で数年間しのぐ方法や、特定疾患もあることから療養型病床への入院の方法などである。

小規模多機能だとケアマネジャーとの関係は切れる。しかしネットワークを駆使した方法で「出来なかった」場合のサポートをすることも考えてみた。動くのは小規模多機能のケアマネジャーだろうが、そのバックアップをしてもいいとは思っている。しかし「担当している」のと「担当していない」のとでは相手先の受け止め方も違うだろう。切羽詰って相談に行けば充分に対応していただけるネットワークはある。

「何とかしよう」という気持ちは充分に伝わってくるが、「何とか出来る」判断は重要である。判断されれば手から離れるケースだが、最終確認を取る必要がありそうである。ケースに執着がある訳ではない。制度がそうなっているから心配しているだけである。
大晦日に子とお会いする約束もしたので、前もって施設に投げかけを行なっておこうと思う。入所に向けてサポートはするが、あくまでも「サポート」である。本当にケアマネ交替があっても良いのかの確認である。

サポートとしてのケアマネジャーの動きと担当ケアマネとしての動きには違いは無くても相手方の受け止め方が違う。「何とかしなくっちゃ〜〜〜」という目に見えない協力が数々あった。女性の心を揺り動かすマネジメントと言ってしまえばそれまでだが、何故か協力をしていただいてきた。
今回このケースは如何動くか判らないが、結果が如何あれ、最後まで協力をしていく積もりである。

施設の面子もあろうから、小規模多機能の利用で私との関係は終焉を迎えるのであろうが・・・果たしてその後の対応が出来る・・・のかは・・・・。
やってみなければ判らないといったところであろうか???

氷雨  2009・12・28
今降っているのが「氷雨」なのだろう。28日夜半から雪に変わり、29日からは雪マーク、正月は「雪」の予報の北陸である。

この歌、日野美歌(ハワイアン歌手)さんがヒット(私が知る限りでは・・・)させたが、長い月日をかけて陽の目を見た歌のようである。

http://jiten.biglobe.ne.jp/j/94/07/89/6fbf900a0969c3b0d30ca6de5270a83a.htm

リンクしない場合は「氷雨」で検索していただきたい。

♪♪
飲ませて下さい もう少し
今夜は帰らない 帰りたくない
誰が待つと言うの あの部屋で
そうよ誰もいないわ 今では
唄わないで下さい その歌は
別れたあの人を 想い出すから
飲めばやけに 涙もろくなる
こんなあたし許して下さい
♪♪


デュエットで歌ったことがあるような記憶も残っているが、良い曲であり、懐かしい曲でもある。(何で思い出したのだろう・・・)

ウルトラC  2009・12・27
「ウルトラC」を連発して優勝したのが、東京オリンピックにおける日本男子体操チームだった。(古い話だが・・・)

今年の春に続いて、ショートステイ緊急利用での「ウルトラC」があった。今回は支援者があったが、この連携あってのこと、偶然(私が知らなかっただけ・・・かも・・・)背景が揃っていた。

日曜日の早朝電話がかかった。某施設併設のデイサービスへ通っている方だが、併設包括担当者が同じ部落(郡部)に居られると言われる。(知らなかった・・・)その方に緊急ショートステイの相談をしたので、電話がかかる・・・ということである。利用に関するお膳立て整っており、後は利用出来るようにすれば良いようである。
しかしこの時期に・・・例え1泊でもベッドの確保は難しい。簡単な方法として、馴染みのヘルパーが側に居るだけでも良いのだろう・・・と緊急避難の方法も頭の片隅を過った。

そこへ電話がかかり、ショートステイは満床だが、入院中の方のベッドが一つ空いているので・・・ということなので、施設へ駆けつけることにした。必要な書類の一つがこちらには無いので確認すると、デイサービスで取っている筈だから・・・と連絡をしていただけるという。全てお膳立てが揃っているが、利用出来るかは担当者にお会いしてからになる。サービスの依頼をする時には「丁重に」である。

約6時間後本人はショートステイへ入所することになった。入所契約と同時に入所面接・担当者会議(顔合わせ)も終わり、本人と一緒に居室へ行った。日曜日の緊急入所であるからベッドメーキングもまだだったが、そこは慣れた職員方の対応であるから、さりげなく本人の身体状況のチェックで時間稼ぎをしておられる。もう大丈夫と、施設を後にし、サービス変更の周知に関しても、明朝に1本の電話で完了出来るようにしておいた。

今年も残すところ4日間。一件年明けからのサービス開始のプランの説明・会議日程の調整と担当者会議が一件残っている。余裕があれば一人でも多くお会いして、今年最後のご挨拶が出来れば良いと思っている。
2年続けて大晦日の担当者会議を開催しているが、今年はそこまで切羽詰っては居ない。先日来の雪もほとんど消えているが、29日からまた雪マークが付いている。

現在の所静かな年明けを予想しているが、今年1年は激動から始まっている。
静かな年明けを迎えたいものである。

若い女性(障ガイ者)からの歓迎・・・。  2009・12・25
障害児(者)中心のデイサービスだが、高齢者も受け入れていただける。
さり気なく・頻繁に施設訪問をしているが、気に入っていただけた若い女性がある。何時の日にか交わした『握手』を毎回求めていただける。『白魚』のような手を軽く握り締めて、心で「頑張れよ・・・」と・・・。

多くは語らなくて良い。気持ちが通じれば良い。気持ちを感じていただき、その行動が現実になれば良い。それが『握手』なのかな???と思いながら、求められるままに白魚のような手を握ってくる。いつも笑顔で握手を求めていただける。その気持ちに出切るだけ応えようと思う。

人生とは何かを古くから色々な角度から語られている。宗教等も然りだが、患者団体等、心に語りかける活動家の方々も多い。
大きなことは考えていないが、笑顔で差し伸べられた白魚のような手をさり気なく握ることが出来るようになった。「心」を「行動」でお返しする・・・ということであろうか???

「介護者」の心を明るく、介護に励んでいただける・・・そういうケアマネジャー・相談員でありたいと思った。

『根回し』  2009・12・23
通常交渉ごとには関係者への根回しが必要である。

介護保険法によって介護が「措置」から「契約」へとシステムが変わった。一番重要な変更は、本人が好むと好まざるに関らず、本人にとって必要なサービスを提供する義務がサービス側に課せられたことではないかと最近感じている。この変化を担っている役職が『介護支援専門員』だと思う。
もっと砕いて言うと、「本人が好まなくても、本人の生活を支えるための支援の手を差し伸べる必要がある・・・」こともある・・・ということになるのだろうか・・・措置時代には申請が上がって確認の訪問はするが、本人に『拒否』があれば、多分サービスの提供は無かったであろう。
・・・・・・・・・しかし・・・・・・本人が拒否しても必要なサービスはある。

ほぼ、在宅介護支援センターが誕生した頃から措置時代のケアマネジメント機関としての在宅介護支援センターに関っていたが、条件(本人の拒否など)が合わなければサービスに結び付けることは無かった。この現状を改革したのが介護保険法改正で位置付けられた『介護支援専門員』なのだろう・・・と理解している。給付管理だけが目的なら、医療保険に見る『給付管理係』(何て言うのかは知らないが・・・)で充分なはずである。

回りくどい話になったが、介護保険法は利用者との『契約』で運用されることになっている。契約は勿論本人とだが、近親者との代理契約も可能な状況・・・ではある。
相談時本人が拒否していても、家族親族が望む方向に介護支援専門員が合意出来ればその方向へ進むこともある。家族の生活を支えるため・・・の大義名文で、困難事例と言われるケースではほとんどその方法で対応している。

角度を変えると・・・契約社会で契約を結ぶためには当事者の了解が必要である。しかし介護保険法ではそこまでは厳密に言っていないのでろう・・・と勝手に解釈して、主介護者の言い分で進めることがある。これが『根回し』である。
社会では契約が進むように関係者に根回しをする。このプロセスを介護保険利用に関しても「手順として踏む」必要がある。

何のことはない・・・お互い合意で進めなければいけない・・・ということである。
何かの参考になれば良いと思う。

感激!!!介護実地指導・・・  2009・12・22
先日重度の方の移乗・移動(ベッド上)介助の実地指導をベテラン看護師さんから受けた。・・・というよりは「モデル」になった。
本人は目の前にいてその指導内容を見ていたが、まさか今日そのモデルになるとは思っていなかったのかもしれない。重度の介護指導であるから、かなり濃厚な指導であった。

妻を誘ってその介護内容を伝授していただくことにして、一緒に利用中のデイサービスへ行った。
この介護には小道具が必要だが、移乗スライド板とスライドシート、そしてアームレストハネ上げ式の車椅子があれば、介護は楽になる。腰痛持ちの妻の介護負担を軽減しようという試みである。

介護の基本・体重移動など有効な介護方法は身に付いていたが、その介護動作をより「楽」にするために道具を使う。簡単な道具でこれだけまで介護負担・介護に使う「力」を軽減出来るとは知らなかった。
例えばスライドボードでは、体重の重心を体の外へ少しずらして、手で軽く尻を横へ押せば身体は動く。すなわち接点の摩擦力を少なくする方法である。体重移動が介護の基本であることは身を持って体験している。

「科学的介護」と言っても良いのだろうが、妻に実際やってもらった。予想通り「濃厚」な介護だった。・・・勝手にやって・・・。

今まで余り気にしなかったことだが、女性の力では「濃厚」な介護になるようである。そういえば・・・「力」で介護していたようにも思う。身体全体で介護をする介護・看護職の皆様は色々工夫されていることを身をもって体験した。
良い指導を受けたことに感謝している。

私の車は滑らないよ・・・  2009・12・21
暖冬のハズ・・・だったが、今日も雪が降り続いている。
融雪装置が順調に動いていないので、妻が車庫から出れない・・・とお呼びがかかった。何のことは無い、前か後ろへ動くことが出来れば車は脱出出来る。車庫から出るときの思いっきりが必要なのだが、数十年運転していても怖さが先立って、思いっきり(適度に)アクセルが踏めないようである。

雪道の運転テクニック。特に発進に関しては、車を止める時のアクセルのテクニックが必要である。雪の上でブレーキを使っては発進も困難になる。それでは如何すれば良いのか・・・。ブレーキを踏まないで車を止めるテクニックを身に着けていただきたい。
ブレーキを踏まないで止めたタイヤの下の状況は、前に向けて下り勾配になっている。ブレーキを踏むと踏んだ時点から後ろに向かって下り勾配になっている。微妙な話だが、この関係が重要である。ブレーキを外せば勾配の低い方向へ車は動き出す。この力を利用して脱出すれば良い。

訪問先で主介護者は除雪中だった。
ほとんど手の付かない新雪にタイヤ痕が走っている場所に、90度の角度からバックで突入した。大丈夫だと思うから突入するので、駆動輪(フロント)の位置は安全(低い位置)に置いている。これも身に付いたテクニックなのだろう。雪道の運転は『1発勝負』である。思いっきりの良さと経験がテクニックを支えているのだが、それにしても私の車は滑らない。
『その分頭は滑っているが・・・』

まとめにならないまとめだったが、雪の上ではブレーキを踏まない(ブレーキロックしない)テクニックを身に付けていただきたい。
雪道の運転は楽しいですよ・・・。

雪の中・日曜日の、スタンプラリー  2009・12・20
月1回は概ねこのコースを回るが、市の外郭を巡るスタンプラリーコースでもある。
日曜日にしかお会い出来ない方には「日曜日」に面会に行くが、今日は雪の日の訪問になってしまった。

ところで「スタンプラリー」という言葉を、先日の主任介護支援専門員研修会で耳にした。否定はしなかったが「スタンプラリー」の語源はインターネットにある。
某県・某在宅介護支援センター(当時)の管理者がメーリングリストで流した言葉でもあるが、「スタンプラリー」に関して個人的にもメール交換をしている。

一億人口の日本で同じ言葉を発することはあるのかもしれないが「専門職」という狭い分野では情報源が同じことも考えられる。
否定も肯定もせずに笑って賛同して来たが、もしかして・・・私に対する「エール」だったのかもしれない。確率は非常に高い。そのスタンプラリーを雪の中行なった。
スタンプラリーの結果だが目的を果たしている。

残すところ年内10日間。サービス事業所への郵便配達兼利用状況の把握(利用状況のモニタリング)も可能な限りこなすが、年末・年始に1年の集計が残っている。この辺りも考えて例年余裕を持つことにしている。
外には雨音がしているので雪の峠は越したのであろう。大騒ぎの雪ではあったが、家族の絆を強くした雪でもあった。

帰りはもう少し遅いのかもしれないが、そろそろ寝ることにしようと思う。
この状況ならスノータイヤも装着しているので、問題なく帰ってくることと思う。
「雪の中・日曜日の、スタンプラリー」で少し疲れたので・・・先に休むことにした。

子の車・・・脱出作戦  2009・12・19
隣県で悠々自適の独居生活を楽しんでいる長女の車が孤立した・・・。
明日の日曜日には帰る予定で、月初めに来たときにスノータイヤに交換をしていかなかった。12月に入ったら交換するように言ってはいたが、今年はタイミングを逃した。そこへこの大雪である。

昨日は仕事先の駐車場から車が出なかったので、バスで帰ったと言う。先ずは安全を確認したが、今日は訪問の約束や訪問しなければいけないケースが何件かあって時間の都合が付かない。そこで明朝走ることにした。
雪に埋まった車を掘り出してのタイヤ交換だが、困難を極める作業になるかもしれないので、万全の準備をして早朝出かけることにした。

運転の基本を弁えていれば、30センチ位の雪までは普通タイヤでも大丈夫・・・のはずだが、それはプロの話。長女にそれを求めることは事故に繋がる。
仕事に間に合うように出かけ、タイヤ交換をして来るが、予定通り明日の夜は家族全員揃っての少し遅めの晩餐になる。
たまにはこんな年があっても良いのかも知れない。

仕事を早めに片付けて、明日に備えることにした。

孫と初仕事  2009・12・15
妻と子がそれぞれ用事があったようだった。乳児の孫は子の管轄だが、ちびっ子ギャングの行き先が無くなった様子だった。
午後二件の訪問を予定していたが、気の張らない訪問先でもあったので、ドライブがてら連れて行くことにした。

助手席でシートベルトで縛り付けて車を走らせたが、もう椅子台が無くても座っていることが出来るまで成長していた。
訪問先でエンジンをかけたまま車の中に置いたが、勝手にシートベルトを外して前後の座席間で遊んでいた。

二件目は春の申請で自立の認定が下りた難病の方だが、福祉用具の選定と申請の手順を話していたので少し長くなったが、車の中で遊んでいたようである。家から持っていった「お菓子」に手をつけることなく「家に帰って食べる・・・」と仕事がスムーズに行くように静かに車の中で待っていてくれた。

孫にして見ればただのドライブなのだが・・・この状態ならアシスタントをお願いしても良さそうである。
時には一人では「寂しい」仕事もあるので、時々は助手に雇っても良いように思った。
お駄賃が缶ジュース一個で良いところも魅力である。

糖尿病とインスリン  2009・12・13
果たして投薬のみで糖尿病治療を行なってきたことが良かったのか・・・???私には判らない。
一度発症した脳の障害は治まることは無いであろう。精神障害として、今後介護に影響が及ぶと思う。

通常糖尿病は投薬でコントロール出来なければ「インスリン注射」が使用される。その境界が問題なのだが、今回キッカケがあって主治医ごと変える結果になった。原因は「問題行動」だが、問題行動のターゲットは「妻」に良く似た小柄の女性であった。
脳神経に悪さをする条件が整っていたのであろうが、「脳症」と言っても良い位の症状が現れている。私には如何にも出来ない。

もうしばらく状態の変化があると思うが、先を見越して治療に関して考えていただけた医師があった。精神科の薬は足に来るが、「歩けなくなれば看ますよ・・・」ということで、精神科の薬も調整していただけることになった。日頃無理を言ってはいけないと思っている医師だが、今回は「問題」を「買って」いただけた。

経過はどうなるのかは判らないが、一つの道筋がついた。
『歩けなくなれば看ますよ・・・』では本来困るのだが、現状としてはそれしかないのであろう。
インスリンは脳障害を遅らせるそうだが、発症した脳障害には効果は無いのであろう。とにかく医師に任せて、本人の状態に合わせていくしかない。

幸いなことに・・・妻や嫁いだ子とは良い関係が出来ている。
究極の選択もしていただいているが・・・結論が出るまで、もうしばらくかかりそうである。

ガンコ・・・ジ・ジ・イ・・・。  2009・12・11
年をとると素直になれない方がある。今日の説得・相談では、自分の分身を見ているようだった。(どちらが分身かは判らないが・・・)

家族関係者の先走りもあったが、スケジュールに合わせて逆方向から順序だてて説得に取りかかった。時間がかかることは予測していたので、先ずは「現地視察から・・・」と日程を組んでいたが、日程の先を走ってしまう結果になった。
担当者から電話がかかったとき「00日から00日まで予約を入れ、契約も済んでいます・・・」「・・・???何???・・・」であった。ケアマネジメント手法を知らない方ではないが、無視である。断る方法もあったが、予定した手順どおりに進めることにした。

この予定に合わせ夕方会うことにしたが、家族・親族会議にはならなかった。本人と子の会議に同席した。
素直に「ウン」と言えない体質なのだろう。これが「ガンコジジイ」の本性なのかもしれない。始めの言葉と経緯の説明を終え、「のらりくらり」の本人の弁が始まった。子が何を言っても「のらりくらり」だから話が進まない。何回か親子対立の場面もあったのでエスカレートしないように口は挟んだ。

かれこれ一時間余りの舌戦の結果、おもむろに現状の生活を否定する確認をさせていただいた。事象一つ一つに「こうなりますが良いですね・・・」と。
本人の斜め後ろからの投げかけであるが、本人の表情の変化を見逃さなかった。「妻は実家に帰り、子はそう度々訪問出来なくなる・・・それで生活が出来るのですね・・・」見方によっては脅し文句だが、時として使うこともある。

出来ないことを出来ていると妄想めいた感覚もある。
出来ると言われたことを実現していただくために、自立に向けて努力してもらわなければいけない。その準備としてサービスが必要である。
そういった話を始めた時に本人の異変を見つけた。にやりと表現すれば良いのか・・・本人の「笑み」である。渋い顔に「笑み」を見たとき、ようやくガンコジジイも「堕ちた」と感じた。

今後果たして家族・親族に「支えられる」立場・気持ち的に支えられる立場になられるかは判らないが、ガンコジジイが「堕ちた瞬間」を目にした。今回担当したケースのクライマックスでもある。
家族関係修復の一瞬でもあった。
果たして今後どのように推移するかはわからないが、少なくても「ダクテン」は取れたのかもしれない。

通常は何回も繰り返して落ち着いていかれるが、今回のケースはどのような経緯をたどるのであろうか???年中行事なのかもしれないが、少しずつで良いから、進化して行っていただきたいものである。

ザン〜〜〜ネ〜〜〜ン!!!  2009・12・7
パーキンソン病(含む関連疾患)の方々が週に3日間リハビリ(体操)に励むジム(道場)がある。3年前からであっただろうか???年に一回この時期に温泉一泊旅行を実施しておられる。
私の立場は患者会に理解の深〜〜〜いケアマネ・・・といったところだろうか???私がいなければ参加出来ない会員もある。
昨年・一昨年は大脳疾患の方であったが、今年は小脳疾患の方である。
パーキンソン病は中脳の異変(機能低下?)からおこる病気だが、専門医・神経内科医でも明確な区分が出来ていない(様子)。症状から『症候群』なる病名も数多く目にする。

そういった日々リハビリ体操に励んできていた方々中に、行事から「卒業?」された方々がある。しかし時にはOBとして参加希望されることがある。重度化されて本人・介護者だけでは参加できないが、要の介助があれば参加できる方もある。そのような方の支援を毎年行なってきた。
ボランティア協力していただいている方に患者会の「研究者」の立場の方もおられる。出発に当たって「00さんの入浴介助お願いしますね・・・」とエールを送っておいた。

ホテルへ付いて先生と一緒に浴室の状況を確認した。浴室へ至る経緯が先ず問題であった。
「車椅子をこうやって階段を登れば出来ますが、一応介護者に了解を取りましょうか???」ということで妻と一緒に現地を確認した。男湯が半4階に、女湯が半3階に。階段の踊り場はその中間にある。
「・・・無理だ・・・」とは主介護者の第一声。先生もその言葉に甘んじることにされた。『出来ないことは無いが無理はしないでおこう・・・』との結論を出した。

通常患者会で旅行を企画する時には下見もするが、今回はジム会員の親睦も目的であるし、出かけるところも県外(加賀)である。入浴介助のスタッフがいるのに実現出来なかったことに残念さは残ったが、みんなで出した結論だったので甘んじることにした。
『プロ』がもう一人いたら実現した入浴だが、本人・主介護者には充分納得していただけたし、私自身の身体の心配もしていただけた。

実現は出来なかったが今まで以上に『こころ』の結び付きが強固になったように感じた。挑戦するかしないかは本人も含めた関係者の合意であったが、この合意を得る手順に満足している。

つかの間の休息・・・。  2009・12・5
通常の月は『憂鬱な日』(会計事務)で一区切りになるが、先月は区切りが無かった。
月末に担当したケースの細部の調整や区分変更の結果調整。病院内で調整を図っていただいたケースのまとめなど・・・通常ならもっと時間がかかるだろう調整を金曜日までに済ませた。

日・月曜日は患者会の温泉に同行するが、つかの間の休息の土曜日は昼までの業務日程を組んで事務所を出た。心が通じる・・・と言えば良いのか、温泉行きに関して一番体調に心配がある方の介護者から電話がかかった。
「30分ほどで行くよ・・・」と訪問すると訪問看護師から声がかかった。「良い所へ来られたね・・・ミテ・ミテ・・・」本人の了解を得て担当ケアマネに排泄状況を見せていただいた。

思い起こせば2年前、数ヶ月かかって排便障害を克服していただいた看護チームの主任担当者だが、この日の排泄は「腹を空にした」排泄だった。そのことを確認させていただいた。明日は軽い身体で温泉へ行くことが出来る。シャワーチェアーを持って行かれるというから温泉にも入ることが出来る。患者会を研究しておられる先生と一緒に入浴介助である。

明日は遠方の施設入所をした夫との面会に同行して、出発時間には福祉バスに乗る。分刻みの予定ではあるが、土曜日の半日のんびりと過ごした。
のんびりとすれば問題点にも目が行くが、果たして2分の1の確立をクリア出来るのであろうか???
主任介護支援専門員研修と病院内での地域医療連携のまとめのサービス担当者会議の日程が重ならなければ良いのだが・・・。日程が合えば「本物」である。

布団が重た〜〜〜い  2009・12・2
羽毛布団が重くなったと聞いていたが、訪問入浴看護師から食事がのどを通らなくなったので受診を勧めたが、ひょっとして・・・経管栄養になるかも〜〜〜と電話がかかった。
いよいよか・・・と思い訪問してみると、「腹減った〜〜〜」と訴えがあり、うどんを食べられたということだった。

手足のむくみがあったので利尿剤が処方されていたが、主治医によれば食欲が無い原因はその薬の様子。一先ず安心出来る状況???のようなので、関係者に連絡をしておいた。
訪問看護師から電話をいただき、訪問回数を増やす必要があるのかも・・・ということでもあったので、次回訪問時、主介護者と相談していただくことにした。こちらとすれば異存の無いところで、看護の目も行き届いた方が良い状態だと思っている。

食事がのどを通らない件に関しては解決したようだが、必ずしも本人の状態はよくない。
一時入所の方向へ話も進んでいたが、現時点では家族・親族で見守るのも良いだろうと思い始めておられる。
良い介護体制も整っているので、是非見守っていただきたいものである。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

A型の性格・・・。  2009・11・29
かなり前だが、テレビ番組で幼稚園(保育園)の器楽合奏の一こまを投影していた。その中で面白い行動をおこす子があった。非常に興味深い(私もやりそうな・・・)行動だったので今も頭に焼き付いている。
その行動とは・・・。

ピアニカ演奏中にテーブル(机)にゴミがあったのだろう。演奏の途中で手がすいた時に拭ってみるが、なかなかゴミが取れなかったのだろう。演奏中その行動を繰り返すのだが、母の困惑した顔も「チラリ・チラリ」と紹介される。これが「A型の性格」なのだろう。
同じ事をやっている。
毎晩晩酌をするが主にウイスキー、水割りを作りに「流し」へ行ったら縁に水滴が飛んでいた。浄水された水をロック状態のウイスキーに入れて、同時に台布巾でその水滴を拭った。そのあとご紹介した光景を思い出して、噴出してしまった。

「A型の性格」その場は取り繕っても、気にならないことには大雑把である。妻は主婦でもあるので、ことごとくその調子だが・・・時には掃除を「し過ぎる」ことで口論になることがある。「私」の出る幕が無いので「ストレス」が溜まっている・・・のかもしれない。

A型の男性への忠告ですが、くれぐれもA型の女性は選ばないように・・・。
とは言ったものの、その辺りは自由です。
くれぐれもお間違えの無いように・・・体験談のほんの一こまをお話しただけです。

A型同士のご夫婦に、「幸多かれ」と祈っています。

病院内での地域医療連携・・・  2009・11・28
認知症のある留置カテーテル患者に悪いことを教えてしまった・・・。

退院までに自己排尿出来るようにならないかトレーニングも行なわれたが、結果留置カテーテルで退院することになった。そこで自分でウロパックの尿を捨てることが出来るように指導がなされた。
退院時には問題が発生することは予測されなかったのだろうが、大きな問題が発生している。家族にも受診時に訪問看護の必要性に関して主治医に聞いてもらうように再三話したが、今日お会いした時も「聞いていない・・・」ということだった。

袋に尿が溜まるとトイレへ捨てに行かれる。若干尿をこぼすことがあったが、これは致し方ないことであろう。次に現れたのが「クリップ」が見当たらなくなることであった。そしていよいよ、ウロパックが頻繁に破れるようになった。細かく丸めて肩下げの袋に入れられるのだが、見せてもらったら、尿が入る余地が無いくらい細かく丸めてある。
デイサービスでは「看護師がいるから予備のパックを預かれば対応出来るのだが・・・」と言っていただいているが、パックが破れていればシャワー浴で対応していただいている。

ちょうど会議があったので家族に合意をいただき、病院内での地域医療連携に働きかけることにした。
先にMSWに相談の電話をしたが、あいにく休みだったので後日・・・と思いながら日が過ぎていっている。その時には家族の合意が得られていなかったので少し「及び腰」だった。

病院内での地域医療連携に加え、地域でも医療との連携を図ることが出来るように「お墨付き」を貰った。あとは「マイネットワーク」もプラスしてまとめていくことになるが、そのキッカケが「家族の合意」であった。
積極的な介護支援専門員なら強引にいかれるの・・・かもしれないが、変なところで「奥ゆかしい個性」が頭をもたげる。
「関係者合意」を大前提にしているから仕方の無いことではあるが・・・その方向へ持って行く「テクニック」は身についている。

今後も時間のかかるケアマネジメントを行なっていくのだろうな〜〜〜と気長なことを考えている。
しかし、緊急事態には緊急対応が出来る、「マイネットワーク」はそのような働きもしてくれる。
今回は尿漏れが気にかからない家族に対して関係者が気をもんだ・・・ということにでもしておこうか。
週明けには行動開始である。

ケアマネジャーの仕事とは・・・  2009・11・26
3日連続で会議を開催することになった。

2週間前に超ベテラン専門職から電話がかかり相談を開始している。
その時は本人の受け入れ態勢が整っていなかったので福祉用具購入でお茶を濁した。
3日前に電話がかかり、結果福祉用具のレンタルから話が始まったので近くの用具事業者で現物を確かめてレンタルを開始した。その場で出た話が、2週間前に紹介した事業所へ見学に行き、「お試し利用」の日を決めてきたと言われる。レンタルも開始したので、半ば徹夜のような状態でプランを準備した。

複雑な話になるので経過は割愛するが、用具のレンタルを開始し「お試し利用」の内容はともかく、居宅届けも出しておく必要があった。お試し利用に関して基本情報も事前に届けておく必要があるだろう。そこらの連携は、超ベテラン専門職も苦手のようである。あらゆる予測の中から最小限準備しなければいけない準備を整えた。その上で「調整」に走った。

通常まとめの方向に、最小限のネットワークを整えながらマネジメントを行なうが、ばらばらの方向で単発的にまとまったマネジメントを再構築することの困難さが判った。手順を踏んで、まとめながら一つの形にする・・・牧場で羊追いをするカウボーイの姿が頭をよぎった。
ケアマネジメント・・・ソーシャルワークは介護・医療とはやはり違う。ベテラン専門職もこの分野では素人だということがわかった。

概要を聞いて、自分の頭でまとめて、先回りの調整を行っておいたので何とか明日の「お試し利用」に間に合った。間に合わなかった部分は私が代行することにした。
今月も残り4日間になったが、何とか月は越せそうである。

ボーリング大会で200UP・・・か???  2009・11・23
最後の一投で届かなかったが、198は過去最高の得点だった。
町内青壮年部のボーリング大会のクライマックスで計算をしていただいた。トップピンを外して200UPは実現はしなかったが、過去最高の記録であり、参加者の中で最高齢でもあった。

そういえば、主任介護支援専門員研修でも最高齢の受講者であろう。人生の中で置き忘れたものを取り返す意味もあって受講しているが、受講資格としては最短である。

あと何年現役を続けられるかは判らないが・・・今年の年末年始も忙しくなりそうな気がしてきた。
今年の正月はSOSから始まっている。

ケアマネジャーの立場を明確に・・・  2009・11・21
少し前にサービス提供責任者から電話がかかり、相談があるということで行ってみると、サービス主任と一緒にテーブルを囲むことになった。
異様な雰囲気を感じたが、少し話を聞いてみることにした。
話の結論は、「主介護者の要求が多くて、要求どおりに介護が出来ない。」ということなので、会議のメンバーが違うことをお伝えした。
サービスの提供が継続出来るかどうかはサービス事業所の問題で、差し詰め私が座っている場所に座るのは事業所管理者であることを明確にしてその場を去った。
それから2週間余り、サービスが継続していたので、主介護者とサービス提供責任者の話し合い・合意が得られたようでもある。

「何でもかんでもケアマネジャー」という考え方をしておられる方も多いように思う。立場を明確にしておかないと「何でも屋」になってしまいそうである。立場を明確するためにも、介護保険法の原点に戻ってみる必要がありそうである。
ケアマネジャーを選ぶのは利用者の選択。「選択の自由を保障する」ことから始まるが、サービスに関しても、紹介をすることはあるが、ここにも「選択の自由」がある。
結果、双方合意の下「契約」を取り交わすことになるが、今回のケースでは「契約解除」の事業者決定の前に、ケアマネジャーに「解除」を臭わす現場からの発言があった。
このプロセスを「可笑しい」と受け止めておかないと「問題」に巻き込まれることも考えられる。立場だけは明確に捉えておいていただきたいものである。

私の事業所の実施要綱には契約解除に関する方法も明確にしている。
(6)ケアマネジャーは、以下に掲げる正当な理由なく一方的にケアマネジメント関係を終了する事はできない。
  1)申込者ないしケアプラン利用者より、ケアマネジメントの委任の本旨に反する依頼を受けた場合。
 2)申込者ないしケアプラン利用者よりケアマネジャーに対する信用破綻行為などがあった場合。
 3)ケアプラン利用者が死亡した場合。
 4)その他ケアマネジメント関係の継続が社会通念上著しく不適当と認められる場合。

今回のケースに照らし合わせれば、事業者側からの契約解除は難しいと言わざるを得ない。

天涯孤独 2009・11・18
過去に特養入所で問題として取り上げた。身元引受人として名が上がっていた方が、「身元引き受け人としての重責を担えない・・・」と言い出された。公立の特養があったので担当者も含めテーブルを囲んだことがある。
結果、その方は身元引受人無しで入所することになった。

同じ様な状況下に置かれた方を担当することになったが、先ずは近い将来入所・入院になるであろうからこの点を整理しておくことにした。
入所・入院になれば施設長が葬祭執行者になることになるが、それだけではこの問題は解決しない。「墓」の問題もある。

当初軽い気持ちで住職に相談するつもりでいたが、少し遅れ遅れになっているので、担当している超ベテラン(?)住職に話を聞いてみる機会があった。答えは簡単である。「親族合意の下、墓ごと合同蔡にする方法がある」ということだった。その条件として「遺言」しておかれれば良いでしょう・・・。とアドバイスいただいた。

気分的に少し楽にはなったが、十数代続いた家柄・何百年続いている家柄である。この方向で関係機関と相談をしてみることとするが、家系を紐解いてみれば問題も出てくるのかもしれない。勿論介護支援専門員の仕事ではない。
そろそろ研修もクライマックスに近付いているので、方向だけでも見えたことで気が軽くなった。明後日の研修終了後懇親会が行われるが、研修そのものも重要だが、この期間中に方向性が見えたことにも意義を感じている。

簡単な問題ではないが、人が生きるということに付随した問題もある。

ジジ・・やかましい・・・ 2009・11・15
孫に都合の悪いこと(孫にとって???)でもないのだが・・・何か言うと時々表題の言葉が返ってくる。オクターブ高い声で「やかましい」と言われる時には、確かに無意識に注意をしている。「危険」に対する注意・促しである。
誰が教えたのか・・・とにかく3歳児がそう言う。微笑ましい光景でもある。それに対して「あーちゃん」という呼び名がある。「バーちゃん」から濁りを取ったさわやかな呼び名である。

未満児がそろそろ支えれば立つことが出来るようになりつつある。一番危険な状態である。事務所の隣はダイニングリビングなのだが、賑やかな声が一日中聞こえている。
早いもので孫家族・・・ちびっ子ギャングが来てからもう1年が経過した。
当時2歳の長男は「アンパンマン号」で家の中を駆け巡っていた。最近は卒業したようだが、キッカケがあれば走り出す。

未満時は最近「いやいや」をするようになった。面白がって何に対しても「いやいや」であり、笑顔で「いやいや」をしている姿が微笑ましい。
この一年間でプラス3から4に増えたが、何かと笑顔が絶えない日々を過ごしている。一番気をつかっているのが「婿さん」のようでもある。

時々他県で「悠々自適」の独居生活を楽しんでいる長女が帰ってくるが、そうなるとかなりの大所帯になる。
過って家族が増えなかった家柄だが、五人所帯が限度だったようだ。
今年の年越しも6人で過ごすことになるが、段々家が狭くなるのだろうな〜〜〜と思っている。

今、オクターブ高い声で孫が叫んでいる。
「ボーイソプラノ」という言葉を思い出した。声変わりする前まで「ボーイソプラノ」・・・だった。

何故必要か・・・スーパービジョン  2009・11・13
スーパービジョンの研修が終わったが、先の法改正で地域包括支援センターが誕生して、同時に主任介護支援専門員にスーパーバイザーの役割が求められたことに関して理解出来た。

改めて書くことはないと思うが、行政ラインの「囲い込み構造」を正す意味もあったのだろう・・・。介護支援専門員に対して専門職としての「管理的」な役割を作った。
勿論「理念」としての「管理」だが、この役割が「主任介護支援専門員」である。

そこで「理念」としての「管理機能」スーパーバイザーを新しく誕生した「地域包括支援センター」に配属することになった。
研修が始まってから3年目になるが、ようやく民間の介護支援専門員も受講出来るようになった。

回りくどい方法ではあるが、確実に「介護保険運用」の「適正化」に向かって進んでいる・・・のであろうか???真の意味での「選択の自由を保障する」はもう少し先・・・なのかもしれないが・・・「スーパービジョンを学んだ介護支援専門員」が増えることによって、その方向へ進むことを期待する。

参加者の皆様に、本当の意味の「スーパービジョン」をご理解いただきたいものである。
それにしても・・・回りくどい法改正の内容でもあったように思う。
果たして・・・その趣旨が通じているのであろうか???

量子論から大宇宙への発想の転換  2009・11・9
物質を作り上げる最小の構造物質が原子であるが、原子を作り上げる単位に原子核(陽子+中性子)と電子がある。地球の周りを月が回っている姿を想像していただければ良いが、これが原子の姿。月が1個回っているから、地球は「水素」といったところであろうか???イメージとしての話である。

量子というのは、原子核(陽子と中性子)と周遊する電子だけでは説明の付かない「量」を化学(物理学)的に説明した、架空の量を与えた構造物質である。エネルギーとも若干違うが、その存在が無ければ「科学的」に説明が付かない。幽霊のような存在でもある。
言い換えれば、独立居宅の不安定な会計が行き詰ったときに何処からか帳尻を合わせる資金が出て来るが・・・これに似たものなのかもしれない。

量子論のレポートに批判を承知で大宇宙に置き換えたレポートを書いたことがある。次回の講義は休んだが、友人が教えてくれた。「東大レベルの発想・・・」だそうである。「灯台だろう???」と笑って済ませておいたが、今その発想が役に立っている。
人の心を扱う「介護・福祉」において、目に見えないものを想像・創造することは、目に見えない原子と大宇宙の関係と似ているのかもしれない。

縁あって介護・福祉界に身をおくものにとって、「発想の転換」ということをお伝えしたい。行き詰ったらまったく関係の無い・得意分野から発想をめぐらしていただきたい。必ず「良い発想」があるものと信じる。
だまされたと思って・・・是非実践していただきたいものだとも思う。

大局を見据えたケアマネジメントが必要。  2009・11・8
金太郎飴的なプランを書き続けているケースもあるが、そういったケースでも大局は睨んでいる。
今回大きく動いて、医療(主治医)も動いた。大局を睨んでいた方向に主治医を交替する方向に仕掛けたが、当初から睨んでいた方向性が無ければ、この方向へ落ち着かせることはしなかったであろう。

人のつながりとは複雑なもので、各専門職各々思う方向へ進んでいるが、裏の関係も知り尽くしてマネジメントを行なうことも必要だと思うし、その効果も倍増する。そのためにも適切(?)であり、効果的な関係を模索しておくことも必要である。そういう中で「地域における医療連携に関するシンポジウム」を受講してきた。ターミナルケアに関する興味深い内容でもあったが、もう一つ収穫があった。

在宅療養における医療の連携に関してはターミナルに限らず「テコの原理」が必要である。本人・家族が「如何したい」のかも重要なことである。その方向へ進むための背景の調整も重要なことである。
主治医を神様のように思う必要は無い。先ず・・・主治医を変えても良い・・・という認識が必要なのだと思う。その時(キッカケ)を待つタイミングもある。タイミングが合えば変えれば良い。
緩和病棟の医師も往診に出ているということであった。かかりつけ医に往診を依頼するのかを選ぶのは患者本人である。その認識をしっかりと持っておられた上で往診に出ておられることに感心した。

ケースの結末をイメージしてマネジメントを行なってきたが、まんざら方向は間違っていなかったようである。
金太郎飴から水飴細工の素晴らしい飴に何時転換できるかは、一人一人のケアマネジャーの「センス」に任せられているのかも知れない。
何時起こるかわからない「人生の一大事」を「予感」して、一人一人のケアマネジャーに金太郎飴では無いケアマネジメントに対応出来る準備をしておいて頂けるように期待をしている。

その時が有るのか無いのかは判らないが、ケアマネジメントの展開に対する準備として「イメージ」だけは持っている。
居宅介護支援がとっぷりと首まで漬かってしまわないためにも、サービス事業所とも良い関係を作っていきたいものである。この関係を作ることこそが「ケアマネジメント」であると言っても過言ではないであろう。
本人にとって一番良いチームを揃えて、良いマネジメントを行ないたいものである。

手紙〜親愛なる子供たちへ〜  2009・11・4
どうしても今日中に会わなければいけない家族を待って、施設で約半日のんびりと過ごした。給付管理で忙しい、飛び石(?)連休明けの午後である。

気持ち的にものんびりしていたので、掲示物にも目をやったりしながら時間を過ごしたが、その中で読んだ素晴らしい歌詞があった。
家に帰ってインターネットで検索したら・・・「あった・・・」

http://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/disco/cg17_lyric.html

人の・人生の心をここまで忠実に表した詩にはお目にかかったことは・・・あったかもしれないが・・・はっきりとした記憶は無い。
来るべき超高齢化社会が、この詩が詩う真の意味の方向へ進んで行けば日本の国も何とか戦後の清算が出来るのだろう。
真の意味を理解出来なければ、第2の戦争「介護戦争」へ突入することになるだろう。

心が揺さぶられ、心が「あつく」なった。
是非読んでいただきたい詩でもある。

「虐待だね・・・」  2009・11・3
先日申し送りをした後任者から電話がかかった。
「先日用具事業者から実績が届いたので、担当者を訪問の上居宅変更の確認をしたら、FAXを見せていただきました・・・。ありがとうございました・・・」と。その後の話が・・・良かった。

通所サービスをストップされたということなので「虐待」の話をした。
金銭的虐待が匂っていたので「年金貰っておられるのでしょう???」とヤンワリと指摘したことが回りまわって、嫁いだ子から、これも回りまわって最初に関った事業所を通じての居宅変更であった。ルールは可笑しいが、そのことも付け加えて申送りをしておいた。

必要なサービスを受けさせない「虐待」と金銭的「虐待」の匂いを絡み合わせると「介入の必要性を感じた。
「行政措置が必要なケースかもしれませんね・・・」と暗に包括への相談を匂わせておいたが、必要なら呼び出していただきたいことも付け加えておいた。

私にはその構造は充分に判っているのだが、構造に踊らされている子等の気持ちもわからないではない。
「黒幕」の正体は「金庫番」なのだが、この構造は家族・親族間においても同じことが言えるようである。誰に金庫を握らせるかは、家族も含めた社会一般に重要なことのようである。
介入の機会は無いとは思うが、経過に基づいた話は出来る。

これもスーパービジョンの一つなのかも知れない。

市議会議員選挙で歓声が上がるか・・・  2009・11・1
昼頃から雨の投票日になってしまったが、市町村合併後はじめて大選挙区で行われる選挙だけに興味深い。雨が降り出す前の午前中の投票率は前回を上回っている。最終的には投票率が影響するが、郡部と一部地域の投票率は高い。

もう18年も前のことになるが、選挙に絡んだ事件がおきている。選挙応援の自由に絡んだ行動もあったが、今回の選挙がその最終章になるのかもしれない。
昨日状況をお聞きした限りでは、何とか滑り込んだようだった。家に帰ったら珍しく妻が期日前投票をしてきたという。最初で最後になるのかもしれないが、良い背景も揃った。
開票は21時から、大勢がわかるのが23時頃になるが、ひょっとしてもう一つの歓声が上がることになるのかもしれない。

もう一つの情報交換があったが、ブランクの5年間お世話になった会社が閉鎖になっていた。時期的にタイミングも良く、3ヶ月の準備期間で介護支援専門員に挑戦をして、実務研修修了書が居宅申請の最後の書類になった。
随分と冒険もしたが、3年余りで何とか軌道に乗った実感があった。
開業後、何とか本来の姿にならないか働きかけもしたが、地域包括ケアというのにはお粗末な現状も見ているし、ご指摘もさせていただいてきた。

主任介護支援専門員研修中に選挙があることも偶然ではないであろう。
果たして18年前の感激があるのか・・・は判らないが、もしかして、もう一つの歓声が上がるのかもしれない。
久しぶりに、本当に久しぶりになるが、開票を待つ選挙事務所へ出かけることにした。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

良い雰囲気の研修が続き、懇親会も・・・  2009・10・29
良い雰囲気の主任研修が続いているが、今日も講師から労いの言葉をいただいた。グループワーク中の通りすがりだったが、一受講生が目に付くのだろう。
そう言えば司会を担当しておられる方が、大学の大講堂の演壇から、最後列に座っていた私を確認しておられる。とにかく目立つようである。

講義が中心の一日だったが、午前の講義が終わった時点で「アンケート」用紙が配布された。「懇親会をやろうと思っているのですが・・・参加されますか???」との投げかけのアンケートである。
この話を県から来ていただいている方にも投げかけてみた。どうも毎回何らかの形で「懇親会」が行われているようである。良い雰囲気で研修が行われてきたのであろう。

とにかく今日で半分が終わった。月末の3日間は大変だったが、何とか調整で月を越せそうである。
明日主治医交替の相談と病院連携の交流会があるが、会計事務にもかなり慣れたので、何とかなりそうである。
10月も、一応、良い月だったようである。

主治医交替への仕掛け  2009・10・28
施設利用時に顕著な精神障害があったので、施設関係の医師から主治医へ紹介状が出た。精神科受診を促す文面だが、主治医は自分の担当科に誇示し、精神科の紹介は無かった。
将来の入所も睨んでの病状の改善を意図していたので、担当者・妻と相談の上、主治医に内緒で精神科を受診した。
入院で薬の調整が出来れば良かったが、別の病院のワーカーに相談した時点で、出来ない事情が判った。本人の身を守る意味も含まれていた。
精神科の薬は足にくる。しかし症状は治まってきている。

先日の受診時に症状が足に来ていることから主治医が妻に向かって暴言を吐いたそうである。精神科受診をしていることは主治医にも話してあったそうだが、妻は怒った。主治医を変える決心をしたと言われる。しかし妻は通い続けられるそうである。心の強い方である。
施設の相談員と主治医に黙って受診する行動に移した時点で、このことは予想していた。「施設関係の医師に変えれば良い・・・」と暗黙の了解があった。これが「仕掛け」である。

今日は提供表を配りながら、半分はこの件に関しての連絡調整で一日が終わった。病院を訪ね、医師にこそ会えなかったが、明後日の相談を予約してきた。明日は主任研修で一日取られるが、もう次の段階に入っている。この種の対応は面と向かって喧嘩をするよりも、身をすかしたほうが実を結ぶ。
この話を看護師にしていたら、施設利用の検討もしていただいているということ。妻にはそのことは言わずにもうしばらく高い代償を払っていただくことにした。

妻一人では介護出来ないので、施設利用以外の時間帯「家政婦」対応でヘルパーを入れている。1ヶ月約40万円位の介護費用になるが、そう長くは続けないことも考えていた。この実態を知った介護関係者も「何とかならないか・・・」という気持ちになっていただいている。
本人の状態も見ながら、段階的に問題を解決して行く予定を組んでいる。

2週間後には主治医の交替が出来るように明後日主治医を予定している先生にお会いしてくるが、相談の結果、受診が早回るかもしれない。
今日二回り、関係事業所を訪問したが、これぞ正しく「報・連・相」ケアマネジャーの動きが手に取るように判るようにしておくことも重要なことである。
良い方向へマネジメント出来れば良いが・・・何しろ相手のあることでもある。

リスクマネジメント2009・10・25
あらゆる問題にリスクは伴うが、研修だから「介護に関るリスク」である。

別角度から「リスク」を見てみると、子が男か女かでも本人あるいは妻のリスクが違ってくる。女が良いとしても(嫁姑の問題が無いという意味において)その子の性格によっても大きく変わるのかもしれない。
高等教育を受けても非常識な子はあるだろうし、何が「安全」なのか判らないのが「人生」である。そういう背景の中での「リスクマネジメント」の話である。

上記は家庭内での話だが、介護支援を行う中でも「リスク」は生じる。何があってもわが身を守る・・・と言うか不利益にならない対応を考えておく必要がありそうである。
この種の対応は日頃何故か無意識に行っている。改めて学ぶ必要は無いのだが、講師の話上手に巻き込まれてしまった。とは言え、掘り下げる気は無い。重要なことなのではあるが・・・。

ここで一言だけお伝えしておきたい。
リスクマネジメントは日々の利用者と良い関係を作ることで解決出来る。人間関係さえ良ければ将来に向けて問題は起こらない。
最近二件の居宅変更があったが、去って行かれたケースである。
「去るものは追わず・・・」これがキーポイントだと思った。
そう多くは無いが、将来ケアマネジメントを断られることになりそうなケースもないことは無いが、「契約」が如何の・・・という話ではないように思った。自由に去って行かれれば良い。

社会「福祉」に「契約」も導入されているが、結果当事者の姿勢如何では制度「解釈」は変わってくるのであろう。リスクを無くすることは、その対象者との人間関係・良好な人間関係を如何に作り上げていくことかと・・・噛み締めてきた。
良い関係が作れなければ、契約関係も「破綻」するのかもしれない。
いずれにしても「攻撃」をする必要は無い。

前を向いて・・・歩きましょう。

主任介護支援専門員研修・NO3   2009・10・22
良い雰囲気で研修が進んでいる。
細かく書くと個人が特定されるので・・・・・。 

夜半電話で研修会の世話もしておられる方に電話をした。「終了式に飲みませんか???」.
「実は仲間とも話をしているのですが・・・良い雰囲気ですね・・・」
「包括研修が終わってからの研修ですから、参加者の中身も濃いと思います・・・」

会話の内容はともかく飲み会の幹事を依頼した。仲間内でも話しが出ているようである。
主任ケアマネが誕生してから法的効力(猶予期間)がそろそろ過ぎているのだろう。参加されていたのは意欲的な民間事業者が中心であった。

これも自由な研修の一部・・・もしかして実現したら・・・素晴らしい(と思っている)
意を同じくした方々が研修を終わって、自らの意思で、一緒に研修をしたメンバーと飲むことも良いのだろう。そのキッカケ(布石)を打っておいた。
少なくても一名はお付き合いいただける。

我が人生を歩む・・・  2009・10・18
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/wagajinnseiwoayumu.htm

久しぶりに開いたが、事実のまま振り返っていた。
途中リンクが切れている部分があるが「m」がキーポイントです。
是非ご参照いただきたいと思います。

「独立性・中立性の確保」の加算が???  2009・10・17
当時独中協からは提言に加え、要望書も提出されていた。多分4年前・・・位だろうか???インターネット文書を探そうと思えば探せるのだが・・・報酬改定で内容が摩り替わった姿を知りたい方には、是非提供したい資料でもある。

とにかく今年の報酬改定では細かな加算が付いた。仕事に見合った加算だが、その中には「独立性・中立性の確保」という大義名文的な根拠は見出せなかった。とにかく条件が揃えば加算を付けよう・・・という方針のようであった。

「独立性」とは???
「中立性」とは???

答えは簡単。所属法人から相談専門職として影響を受けないことである。
法人経営・管理者と言った方が適切なのかもしれない。

団塊の世代が本格的に介護対象者になるのにそう時間は必要ないのであろう。団塊の世代は戦争が生み出した人口ピラミッドにも現れる歪な現象。この年代の老後「介護」を如何するのかが現在の問題点・焦点である。

介護保険法は措置から契約へ・・・自由競争の原理の中で誕生しているが、いろいろな事業者の参入を得てこの国家の一大事を切り抜けなければいけない。この事を長年行政に携わって来られた方が如何認識されているかである。
天下り人事を批判するつもりは無いが、この構造を理解出来る方々が天下っておられることを信じて、国の一大事・行政の尻拭いをするのも「民間」だということを明記したい。

来るべき高齢化社会の到来は、戦争の後遺症の清算でもある。

早3年・・・行政の姿勢は変わったのか??  2009・10・16
レポートNO12「独占禁止法と介護保険法」

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2repo-tono12.htm

約3年前のレポートだが、結果残念な結果に終わっている。
独立協の全国研修から帰ったその日に臨んだ会談だが・・・結果、定年を1年残して天下って行かれる結果になった。
それ以降はものを言っていないが・・・本来なら継続して申し入れる必要のある内容であろう。

「ケアマネジメントの独立」是非実現していただきたいものである。

『介護問題』が去っていく・・・申し送り  2009・10・13
今日お一人、サービス利用日だったのでサービス提供責任者と本人を訪ねた・・・提供責任者には「〇〇から電話がかかるから対応してあげてね・・・多分請求は向こうになると思うけど・・・」と伝えておいた。

利用者本人にケアマネ交代を伝えると???だった。「ネーちゃんに聞いといて・・・」と暗に嫁いだ長女から、過って住んでいた包括に電話があったことを伝えておいた。本人には聞かされていないことの様子だった。
軽く「元気でね・・・」と背中をスキンシップしてきた。
「元気にしていてね・・・」とかけた言葉が最後の激励であった。

『介護問題』が去っていく・・・  2009・10・11
『介護問題』を「介護に関る家族・親族の問題」と位置づけてHP発信をしてきたが、ここに来て『介護問題』ケースが去っていく状況が出てきた。

将来何処に『問題』が発生するのかを予測して予防線(教宣とも言う)を張っているが、その恐れのある方々は必ずと言って良い位乗って来られる。家族・親族との『介護』に関する考え方のすりあわせなのだが、この時点で逃げ出す方が最近続いた。その問題点を列記してみれば凡そ次のようになる。

・裏でこそこそとマネジメント(?)を行ってみても、所詮ネットワーク内でのこと、今更出て行っても、相手の専門職の怪訝顔が見えそう・・・。信用破綻行為を指摘すると・・・「ケアマネを変えることが出来ますか???」「ど〜〜〜ぞ」で一件解決した。
相談者とケアマネジャーが対等な立場にいることが必要なことを立証するようなケースであった。

・家族・親族が『問題』だと思う点とケアマネが『問題』視する点が違っていたケース。
嫁姑の『問題』を嫁の立場で解決することがケアマネだと思っていた甘い息子が、嫁いだ姉を使ってケアマネ交代を申し入れてきた。問題発覚の背景には『我が子』の『盗癖』があった。この問題に関連して『金銭的虐待』を匂わせたら逃げてしまった。
当事者が真の『問題』を解決しようと思わない限り『問題』は解決しない。

逃げる相手を『契約の当事者は本人だ・・・』と追いかける訳にもいかないので交代することにしたが、身を引くことも一つの方法なのかもしれない。スムーズに行われていた介護もギクシャクしてくれば(そうとは限らないかも)何か感ずることがあるのだろう。
「去るものは追わず・・・来るもの拒まず・・・」という姿勢で行きますか。

一割程度の将来問題が起きそうなケースを抱えてはいるが、『家族が問題』のケースだけは解決方法が無いようでもある。
『介護』面で良い家族関係が出来てきている家庭は、将来的にも救われるのだろう。

虫の知らせ???・・・  2009・10・10
滅多に死亡らんを確認しないが、何故か昼過ぎに確認した。

8月に長期療養型病院に入院になったと聞いていたが、7月には、あらゆる手を使って在宅復帰を試みている。複雑な環境を制度に乗せるために県へも出向いているが、関係者了解の下、合意の上で退院準備を進めていた。
そこへ主治医からストップがかかった。

こんな事なら・・・とは関係者の誰もが思ったことだろう。本人は病院よりも在宅生活を望んでおられた。その気持ちを汲んでの「ウルトラC」の提案であった。
果たして3ヶ月命を永らえることが出来たかは不明であるが、例え1日でも家に帰してあげたかった・・・そういう想いのメンバーにも通夜の式場でお会いした。「急だったのですね・・・」と。
容態が悪くなってから2日目に息を引き取られたそうである。

開業後一番長くお付き合いをさせていただいた方でもあり、滅多に開かない死亡らんを開いたのは、「虫の知らせ」だったのかもしれない。

コンパに誘っていただきたい事業所・・・  2009・10.5
地域包括支援センターを核として、「地域でコンパが出来るような地域ネットワークを・・・」とは・・・果たして実現するのであろうか???地域包括支援センターの姿勢に係る課題であろう。主任ケアマネ研修で耳にした言葉である。「ケアマネ」ではなく「介護支援専門員」だと胸を張って言えるようになることが先ずその登竜門だとも思う。

独立ケアマネが事業所のコンパに参加したいと思う事業所もある。(誘われればの話だが・・・)その事業所の担当者から電話がかかった。
土曜日にお会いして、問題のある利用者を訪ねようと思っていたところへ電話がかかった。緊急性があったので直行したが、その時点で専門職の言葉は頭から飛んでいた。
今日電話をいただいて直行して、土曜日の話の結果を確認していかれたことを聞いた。正しく「コンパ」に誘われている。

何ヶ所か全員参加されても違和感無く入っていくことが出来る事業所がある。案外管理者の心をつかんでいるので、そう難しいことではないだろう。が・・・例えば年末に集中すれば身が持たない・・・そういう良い労働環境の中で仕事をさせていただいていることに喜びを感じている。
しかしそういう事業所ばかりではない。

地域包括支援センターの目指す方向が「コンパの出来る地域」なら独立ケアマネも同じことが言えると思う。ドサクサに紛れて、開催予定を聞いたら手土産を持って出かければ良いのかもしれない。そこが奥ゆかしいところで、誘われなければ「腰が立たない・・・」。
年を感じる今日この頃でもある。

人生3分割・・・大胆な転身。  2009・10・1
子供の頃の話を書いて人生を振り返ってみた。

親の援護で育ってきた3分の1の人生は親の死で終末を見た。我が人生を歩みだしたのは大学2年で中退した化学者の卵だった。
その前段があり、高校1年で「人生とは・・・」と自分なりの人生観を身に着けた。これがひょっとして「福祉」の考え方につながる「心の動き」だったのかもしれない。
15年間「養子」だと知らずに育った「お坊ちゃま」だった。

20歳で自分の意思で「無」から社会に飛び出した。学歴は関係の無い社会での就職だったので、運転手の道へ進むことになった。免許を取って3年目に2種免許を取ることになる。ここからが「人」が対象の人生だったのであろう。幸か不幸か、労働組合で旗を振ることにもなった。実際旗手を勤めたのは何年だったか・・・メーデーで今は無き「同盟」の旗だった。団結・共同とはこの頃の体験だったのであろう。

子が誕生して生活が出来ないので長距離便に乗った。身体を使う代わりに給料は良かった。公務員の係長クラスの年報は貰っていたであろうか???
そして平成元年、福祉施設運転要員としてスカウトされた。スカウトであるから基本給ベースは・・・かなり高かった。独立ケアマネが限度件数いっぱいにやってみても手の届かない年間報酬を得ていた。
体験した職種は、デイサービス運転手・特養ホーム生活指導員・在宅介護支援センターソーシャルワーカーである。

ここに不当解雇が出て来るわけだが、小学校で6年間クラス替えも無く・担任も変わらなかった同級生の一人が市議会議員に立候補すると言い出した。
小学校以来のお付き合いが続いておりお手伝いをした。それが理事長の意に触れたらしい・・・。おかしな話である。参考までに、同じ校下で、中学校同級生も立候補した。裏では理事長懇意の国会議員と繋がっていた。その派閥だという・・・。私は家族ぐるみでお付き合いをしていた友人を選んだだけの話である。

この不当解雇に関して仮処分ではあったが高裁まで行って来ている。
申し立ては認められなかったが、決定が出るまで3年間かかっている。その決定の根拠が生活の糧を求めて「就職」していたことだった。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage4mokuji-2.ht
このリンクは無効にしてあるが、インターネットに慣れた方なら開くことが出来るでしょう。

そういう経緯もあって介護保険法が施行された。
第一回の介護支援専門員実務研修受講試験受講を勧められてはいたが、準備間もなく決定が出たので受講は断念した。しばらくしてインターネットが普及(安価に)し始めてHPを公開したのが2001年の秋だった。
その後インターネットを通じて専門職と議論しながらキッカケがあった。一時的に生活の糧を得ていた会社が不振になった。そこで今回は「解雇」に異存が無かった。

違法か合法かは微妙であるが、独立開業をもにらんで実務研修受講試験を受けたことは事実である。試験日まで5ヶ月余りであった。
「人生3分割」のキッカケは正確には「退学」と「スカウト」であるが、中身から言えば「養子」と「解雇」なのだろう。
幸い、どんな場面においても冷静な判断が出来る気質が見に付いた。
しかし・・・具体的には言わないが・・・犠牲が伴っていることも事実である。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

昔の話・・・昔のおもちゃ・・・駄菓子屋。  2009・9・28
55〜6年位のお付き合いになるのだろうか・・・友人の母の葬儀でメンバーが集まった。父(その夫)の葬儀は凡そ25年前、香典帳を書くのに23時までかかったことを思い出し、手分けをした。会社(企業)と個人で一応は分けた。あくまでも凡そである。

昔の仲間が寄ると昔話になる。そこで小学校時代の「遊び」の話が持ち上がった。
当時「駄菓子屋」なる商売が流行っていたが、必ずと言って良い位置いてあったのが「カッチン玉」である。何のことは無い、ラムネの栓のビー玉に色をつけたものである。
実は・・・博打の道具にも使われていた代物である。

子供にすれば大博打。ビー玉をぶつけ合って、ルールに則り、勝者が・敗者のビー玉を獲得する。友人の中に近くの寺院の前庭を舞台に稼ぎまくっていた男(同時は学童)がいた。そのことを指摘すると快い答えが返ってきた。
「必死だったよ・・・」
その彼も昨年定年になって、週2日間「アルバイト」という形で人生の中で得た「技術」を活用していると言う。本当の意味での「定年」はまだまだのようである。

ついでに「駄菓子屋」の紹介だが、子供相手の商売だけに「おまけ」が付いてくる。「宝くじ」ほど偏った「おまけ」ではないが、3倍・5倍位まではあった様に記憶している。キャラメルを大きなビニール袋にいっぱい貰った記憶がある。

「カッチン玉」の名人も定年を迎え、嘱託で勤務を続けている。聞くところによると・・・妻も「酒豪」で本人も飲む。
お酒に溺れる生活だけはして欲しくないと思っているが、第2の人生も期間限定なのかも知れない。
団塊の世代・・・終戦から100年。国の一大事が収束するのには100年かかるそうである。

まだ45年はあるが、現在の福祉計画の最終年度・2050年は、団塊の世代が完全にこの世を去った時代でもある。
これから始まる日本の「福祉(介護)戦争」・・・。
良い介護現場が出来上がっていれば良いのだが・・・。もうしばらくお付き合いをさせていただきたいとも思っている。

良い介護環境を作る「キッカケ」にでもなれれば良いと思っているが・・・。「福祉は心」でもある。
良い福祉・介護環境が出来上がって行くことを期待している。

ケアマネジメントの対象者・・・。  2009・9・25
ケアマネジメントの対象者は誰かという問題が持ち上がった。誰のためでもない。本人が生活をするために必要なマネジメントを行うのがケアマネジャー・・・だと理解している。
包括経由で、転居の予定もあったので落ち着く経緯を支援してきた。その包括から電話がかかり、別居の子からケアマネジャーを変えたいと電話があったそうである。
変えてもらっても良いが、先ずは本人に意向を確認していただくことにした。

私としては事を運び易くなった訳で、その延長線上に金銭的虐待がある。本人が希望されれば、家族(親族)とは対立構造が出来上がるわけで、本人を擁護する趣旨のマネジメントに発展する。背景に親族関係がある訳だから、家族も逃げるわけには行かない。電話があったのは嫁いだ子からだと言われる。本人は孫をかばって、真実をオープンにして欲しくは無いと言っていたが、子の詰問から真実を話してしまった。真実を知った私が邪魔になったということであろうか・・・???
とにかく転居先にも包括があるから、そこへのつなぎも示唆しておいた。

良く似た話があった。
内容はともかく、家族が嫌っておられるのに私にマネジメントを再依頼する気持ちがわからない。本人の意向まで確認はしなかったが、「家族が嫌われているのなら、他を当たられた方が良いのではないですか???」と。

本題に戻るが、地域包括の調整結果によっては、本人を擁護する行動に移すことになるのかも知れない。
ケアマネジャーは先ず本人と契約を結んでいるという原点に立ち返り、契約書に代理署名をされた方はあくまでも代理であって、本人の意向を充分尊重したマネジメントを行っていく必要性を感じる。
包括がその事実関係の確認を行うことになるので・・・果たしてこのケース・・・どの方向へ行くのやら・・・。

医療・介護改革調整会議  2009・9・22
最近の会議資料を読んでみたが、概ね現状の仕事を継続することで良いようである。
特記すべき事項は、病院では医師であり、地域ではケアマネジャーと同格に見ている点ではないかと思う。

『退院した利用者本人を支援するためには、退院前カンファレンスによって作成された援助計画が、地域における他職種連携による生活支援に有機的に結びついていくことが必要である。具体的には、退院前カンファレンスによって作成した援助計画も踏まえながら、サービス担当者会議で議論が行われ、ケアプランが作成されることが望ましい。こういった利用者サイドに立った複数サービスのケアマネジメントを実現するための方策を講じるべきではないか。』

『入院から退院(転院)・地域生活への移行を支援するとともに、地域での暮らしの継続を支援する観点から、地域包括ケアマネジメントなど、医療■介護を通じた協働体制を構築する。』

この辺りがポイントではないかと思った。

http://www.wam.go.jp/wamappl/bb16GS70.nsf/0/bcab123bee3b9b2249257612000d0fcb/$FILE/20090814_1shiryou_all.pdf

ご参照ください。

早めに動いたスタンプラリー・・・  2009・9・19
1ヶ月に8件の更新では・・・先月末から「あせって・・・」いた。
4連休を外せば今月は残り1週間である。連休中にも動ける大勢を作っているので、何とか月を越せそうな感じになってきた。
担当者会議の日程が決まっていないケースも3件抱えるが、何処かに入りそうな感じになってきた。早めに動いたことが効を奏したのだろう。

話は変わるが、新型インフルエンザがこちらでも心配な状況になっているようで、先日非常に気分を悪くした。来訪者に手の消毒とマスクを義務付けるのならマスク位準備しておけ・・・。今日の施設ではマスクは準備してあったが、消毒液が切れていた。しかし・・・手洗い所には準備されていた。

この対応の違いに「理念」を見た。

施設運営とは兎角そのようなものである。必ずしもトップの考え方が末端にまで浸透していることばかりではない。しかし部外者から施設の「レベル」を測られるのもこのようなケースにある。窓口が無理解で頭が高ければ評価は下がる。このことを当事者は気付いていないし、気付くレベルでもない。
当然教えてあげる気持ちも無いので、柔らかく逃げておくことにした。

独立ケアマネはサービス事業所をも評価している。「レベル」の低い事業所は紹介もしないだろうし、余りお付き合いもしたくない。その考え方に今回のケースではランク付けも変わるのであろう・・・か???サービスは良い。
勿論目に見える・雰囲気を感じることが出来るサービスは利用者に何箇所か見学してもらって決めている。サービスの評価はお伝えするが、事業所全体の評価まではしない。事業所全体の評価はケアマネの「心」の中にある。

介護保険施行以来、競争の原理が働く市場になっている。・・・はずである。
ここでも行政ラインの「おごり」を見たが、独立ケアマネをそのレベルで見てもらっては「困る」・・・「困る」というよりは、あなたの「見方」が違う・・・。このことを教えてあげる機会があるのであろうか???

「たかが事務員・・・」と思わないところが・・・わたしの良いところ(?)なのかも・・・。
時間をかけて、次期事務長になっても良いように、外部から「教育」していくのも面白いのかもしれない。
それにしても時間がかかるだろうなぁ〜〜〜

主任介護支援専門員研修始まる・何故??  2009・9・17
主任介護支援専門員研修初日で、何故???という想いを持った。現状に対してである。

独立型介護支援専門員の私(達)にすれば当然のことだが、改めて介護支援専門員の職業倫理に関して講義をいただいた。現在主任介護支援専門員を名乗っておられる方々も「倫理」は学んできておられるのであろうが、現状を見る限りでは「倫理」は無いに等しい。(だから講義されたことに驚いた)
その中でも「公正中立」に関しては「あ・や・し・い・・・」

講師から門前薬局に例えた偽装中立の話も出たが、これが日本のケアマネジメント業界の実態なのかもしれない。寂しい話である。あえて広域圏主任介護支援専門員を目指す独立ケアマネがいることをお知らせしても火に油を注ぐ結果になることは目に見えていたので、グループメンバーに門前薬局型独立居宅介護支援事業所があることだけはお伝えしておいた。

メンバーの全員が郡部の事業所だったことから市部の実態も伝えておいた。
郡部に関しては地域包括支援センターが行政直営のところも多く、行政ラインでの、もっと言えば天下りラインでの利用者情報の囲い込みは無いということだった。
このような内容の講義を受けてもなお、囲い込み体制が続いているという実態があることに対して問われるのは天下り構造ではない。専門職がその倫理を問われているのである。このことを確認しておきたい。

地域のスーパーバイザーを求められている主任介護支援専門員が、囲い込み構造を改善してこなかったことに関して、その質(レベル)の問題であろうことを、反論を期待しながらご指摘しておく。
介護支援専門員も介護保険法施行に向けて量産された実態がある。全てとは言わないが、質の問題は予てから指摘されていた。

実態はともかく、研修では基本中の基本、介護支援専門員の専門性・職業倫理に関しては講義をいただいている。
余りにもスムーズに消化出来る内容であったので、無駄な講義を受けている感もあった。講師には失礼だが、私(達)の中では当然の話であり、目指すものはワンステップ上である。利用者本位と利用者の言い成りとが違うように、如何に利用者と対等な立場でお付き合いしていくかという域に入っている。

対等ということは利用者側に権利義務があるように介護支援専門員側にも契約関係継続の義務もあるが、解除の権利もある。利用者側が義務が果たせなかった場合に契約解除となるが、利用者側の義務とはお互い対等に信用関係を維持していくことである。「信用破綻行為」があった場合には居宅側から契約解除の申し出が出来る。
お互い義務を果たしながら、良いケアマネジメント関係を保っていきたいものである。

訪問看護ステーション事例検討会  2009・9・16
この規模での事例検討会を毎月開催されていると聞いて驚いた。今回のテーマは「神経難病」なのだが、病名の確定が難しいことの説明が主治医からあった。理事として出席している先生方はお二人とも内科医、日ごろお世話になっている(なってきた)先生方でもある。
主治医からの病名確定の経緯をお聞きして、私からは訪問看護に関わっていただくまでと今日までの経過を振り返らせていただいた。関わってから2年半余り、進行は早い。その原因が「排便障害」であった。

友の会からの温泉旅行で3時間カラオケボックスにいたことは紹介したが、一番肝心なことの紹介を忘れた・・・と終了後思った。訪問看護師さんの勉強の場であるから「理念」も忍ばせれば良かった・・・と。その理念とは、排便障害を取り除く看護「摘便」を「・・・摘便は私たちの仕事なのですよ・・・」とのベテラン看護師の言葉であった。

「心」を支えることが相談員の仕事なら、「看護」は身体を支えることである。飲み食い・排泄、この一番重要なことを支えることが「看護」だと予てから体感している。そのことを若い看護師に伝えるまでの「余裕」は無かったようである。
進行性の病気でもあるのでその進行に合わせた支援に関しては伝えることが出来たと思う。しかし本当に伝えなければいけなかったことは、「看護」の心ではなかったのかと・・・。予習不足であった。

出席された先生には日ごろの協力に関するお礼を述べたが、返ってきた言葉が「大変なケースを抱えておられるんですね・・・」だった。もう1件も「大変なケース」である。
日頃の仕事内容も確認させていただける非常に良い検討会だった。しかしこれだけの検討会を毎月開催されているとは・・・その姿勢を見習わなければいけないと思った。

構想は持っているが、なかなか実行に移せないのも人間である。
良いきっかけがあれば良いのだが・・・。

前田利長公入城大行進(開町400年)  2009・9・13
開町400年のメインイベント『前田利長公入城大行進』が約2500名規模の大行進で開催された。
前田利長公役に勝野洋さん、永姫役に浅野ゆう子さんを招いての大行進が開催され、高岡古城公園の本丸広場へ無事入場した。400年前の今日利長公が高岡城に入城しているが、その再現である。
出発した場所が前市庁跡であり、御車山と合流した場所が前々市庁跡。昼ごろまで雨模様だったので、御車山が出たかどうかは確認していないが、晴天の中大行進は行われた。

出発点で市の関係で働いてきた二人の男性に逢った。中学校でクラブ活動で体操競技に励んだ彼と高校同級生で、良く似た道へ進み・・・そうになった彼である。その彼と話をしている内に家族は行方不明になってしまった。
携帯電話で場所を確認すると向かい側へ行っていると言う。しばらくして帰ると言うから場所を確認して合流地点へ向かった。気配を感じて建物を見上げると『特等席』から手を振っている女性がある。『特等席』は盲点だった。

このところ元気を無くしている「高岡」だが、夜には勇ましい祭りが行われる。高岡市の港町「伏木の喧嘩山」提灯山2基が始めて高岡入りする。
喧嘩山は雨でも練り出されることになっていたが、御車山がどうなったのかは後日確認したい。
国の重要文化財にも指定されているので通常は雨天では引き回さない。しかし「開町400年」は特別の日である。是非予定通り巡行されていれば良いのだが・・・。

メガネを忘れた・・・  2009・9・9
先日の1泊研修でメガネを忘れてしまった。
講師の話は、パワーポイントで筋書きは判るのだが、困ったのがグループワーク。演習シートも読めなければ、分析シートに書き込む自分の字もボンヤリと・・・。
1日目が終わって100円ショップでメガネを準備しようと、地元の方に場所を聞くが、これもボンヤリで・・・結局、2日目も目を細くして字を拾っていた。

講師とは在宅介護支援センター時代に接点がある。独立開業の準備段階の実務研修で再会しているのだが、講師を務めた彼から声がかかった。私自身の7年の空白の間に随分と力を付けておられ、理論的にもしっかりとしたものを持っておられる。
わたしの最後の年と、彼のはじめの年とが一致していたことを確認して、美味しいお酒を飲んだ。隣には当時彼の実習を担当された方がおられる。

結局メガネを準備できずに2日目に入ったが、細部はともかく、大筋でICFを学んだ。私は手作りの台帳(アセスメント表)を使っているが、まとめにはICFの考え方を取り入れている。文章としてのICFでのまとめである。
来週からの主任ケアマネ研修で顔を合わせる機会もあるのだろうが、独立開業からようやく5年経ったことを喜んでいただけた。広域圏を飛び回ることも約束したが、そこへ出てきたのが「雨にも負けず・宮沢賢治」だった。
雨にも負けず (原文)を紹介する。

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ

世間は狭いもの・・・。  2009・9・3
先週末に限界(礼儀)として、入院ベッドを抑えておいていただくように依頼をしている。その晩電話をいただき経緯をお聞きしたが、誰もが納得出来る筋書きには程遠い。家政婦が通うに遠いから・・・では専門職も納得しないであろう。予約を取ってある病院へ週明けに断りに行って来ると言われるが、こちらからも確認を取ることにした。週明けの15時には予約を取ってある病院へは行っておられなかった。

ケースをスタートさせるためには各機関と綿密な連携を図る。断られた時も逆コースではあるが綿密な連携を図る。
別件に関しての連携行動と一部重なったのでそう労力を使わなかったが、予防プランの実績を届ける時期でもあり、包括回りもしている。
その包括で聞いてみた。勿論「支援が出たら再委託・・・お願いね。」と依頼していた包括でもあり、状況から言うと先ず担当課へ相談されたようである。(相談に関しては人伝に伝えていた)

担当課から包括に相談があり、併設居宅(?)に動いていただけていた。
おおよそ私が関係者に伝えていた内容で動いておられるが、プラン担当の事業所が変わりそうな背景もある。私に依頼のあった事業所からのサービス提供は望めないようである。
利用できる社会資源も失っておられたわけで、このケースを通じて「如何に人と人とのつながりを大切にしていかないと(即ちネットワーク)、根底から崩れ去ることもある。」という実態を見さていただいた。

早い話が入院中に家政婦に通ってもらう必要があるが、家政婦の自宅から近い病院が良いだろう・・・という発想から始まっている。しかし本来なら私が関係者に合意を求めた病院での療養しか無いのが実態である。
今週の週末に関係した3病院のMSWと研修会後の懇親会でお酒を酌み交わす機会がある。果たしてどのような話になるのやら・・・。
包括事務所で担当する予定のケアマネにお会いしてきたが、必要な情報があれば提供する約束をしてきた。

それにしても世間・業界は狭いものである。
孫悟空の話を思い出したが、時速数百万キロメートル(???)で飛んでみてもお釈迦様の手からは逃れられなかった話である。
世間は狭いものであるし、それだけのネットワークは持っている。

二件の介護問題・・・その対応は・・・  2009・8・29
予想はしていたのだが、週末に二件重なってしまった。早目の対応と思い時間調整をしていたが、最終的には重なった。最後の相談中に電話がかかったので、10分程度で駆けつけるように伝えておいた。

二件の『介護問題』は何れも外野席からの問い合わせ(横槍?)なのだが、ケアプランとしては本道を進んでいる。本道がケアマネジメントの姿と違うケースと本道に向けて進んで欲しい(期待)のケースであるが、不思議なことに対象者が一致していた。『戸主』の役割を果たせないお二人に関して直接と間接的に話をしてきた。

一件、本人の意向を確認して『戸主』夫婦の介護を本人は望んでいないことを伝えてきた。午後一番に訪問すると戸主が外出しておられたので、その妻に概要を伝えておいた。「内容に関して説明が必要でしたら、電話を下さいね・・・」と内容はかなりキツイが妻に伝えておいた。その電話がかかったので訪問したが、理路整然とした筋書きなので、簡単な質問に関する説明で終わった。「本人が何を望んでいるのか・・・」は充分に伝わったようである。

話をしている途中にもう1件に関する電話がかかった。10分程度で終わるから・・・と終了後直行した。

昨日ケアマネ交代の電話を受けていたが、その方の代弁をしていただけた。
方向性は確認出来ているので、本人(子)からの申し出が無い限り交代を実行していただくつもりでいるし手順としての準備もしてあった。
手順としての準備とは、何時居宅変更届が出ても良いように関係機関へ根回しをしておくことである。
案外身近な人を使ってケアマネ交代を闇に葬ろうという考えのようである。しかしこの方法に私は賛同しなかった。スムーズなケアマネ交代のためにも関係機関へ「首を切られた」ケアマネが出来る範囲で申し送りをする方法を頭に描いていた。

どうも関係者から「ケアマネ交代」を思い留まってもらうように働きかけをしたい意向のようだが、ここにも発言者本人の「甘い人生」が見えてきた。
「坊っちゃん」という有名な小説があるが、正しく「坊っちゃん」の考え方である。
本人からの申し入れ撤回の意思表示があれば考え直すが、現状としては元の鞘に戻す考えは無い。「ご本人(子)のためにも、ご本人自身から意思表示していただく必要があるのではないですか???」と伝えておいた。

ケアマネジメントにサービス事業所は必要だが、今回のケースは条件を考慮してみても現在利用中のサービス事業所の利用を継続するしかない。そのことがやっとお分かりになったようである。私に紹介のあった事業所である。

どうも紹介ルートによってケアマネジメントの内容が決まってしまうケースもあるようである。そのケースの中で「担当ケアマネを変える」話に発展したわけだから、何処を如何変えても・担当ケアマネを変えても解決しない問題が根底にある。
一応関係者には、本人(子)から申し出が無い限り交代を受ける意向は示したが、子から電話でもあれば考える余地を残しておいた。

週明けに後始末の下準備はするが、気持ち的には解任されたケアマネの心境である。
髪を振り乱して担当交代を主介護者に思い止まらせたケアマネとは・・・同格に扱っていただきたくない気持ちである。

『介護問題』  2009・8・26
『介護問題』を「介護に関わる家族・親族の問題」と定義付けてHPで情報発信をしてきました。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigomonndai.htm

ページ内のリンクは古いので記事にリンクはしていませんが、家族・親族の中で静かに進行している『介護問題』を発見出来る地域のシステムが出来上がれば良いですね。
ページの中で『「かすかな訴えに耳を傾けて、地域ぐるみで支えて行ける」地域コミュニティーが出来て行けば良いと思います。』と書いていますが、在宅介護支援センターから地域包括支援センターへとその役割はバトンタッチされています。
地域包括支援センターを核としたコミュニティーが出来ていけば良いですね。

独立居宅開業の意思を、自分のHPで確認しました。
一件困難な問題が発覚しました。スムーズに施設入所に持って行くことが出来れば良いのですが・・・もしかして施設での生活は困難・・・かもしれない。
入所者の中に「妻」(と勘違いしている)が何人かあったようです。。。???

受診に同行・・・それしか方法が・・・  2009・8・25
受診同行を「便利な交通機関・・・」としか考えていなかった方の受診同行をした。
パーキンソン病で脳内電極埋め込み手術を受けておられる方だが、余りにも体調が良かったのでかなりの無理をしておられた。
社会福祉センターの風呂で倒れたのは泌尿器科の薬の影響だと聞いているが、その時に救急搬送されたことよりももっと重要な内容があった。問題点のすり替えはあるもので、元疾患の薬のせいにされたようである。

救急搬送は血圧が下がってのことだったが、入浴中に眠気が襲ったことを理由にされた。自己防衛された訳だが、そのことによって重要な薬が減ってしまった。
背景は凡そ判っていたが、SOSを出さなければいけない状態にまで陥った。パーキンソン病の薬を減らすことが何を意味するかご本人に判っていただく為にも、タイミングを外した。5ヶ月目で行動に移した。

今回の受診同行は、主治医に薬を5ヶ月前に戻していただく依頼だった。
主治医にもそれを感じていただき、私が言いかけた言葉を封じて自ら答えを出していただけた。現在の調剤では生活出来ないことを充分に判っておられた。
医師と患者。この関係の中にも社会的なルールがある。ケアマネジャーと担当者においても同じことが言えるが「信頼関係」が無くなっては医療・介護・福祉も制度として成り立たない。我がままな方は自由にしておられれば良いのだが、そのことを医師の立場から体験していただくことになったのだろう。

身勝手はいけないことを5ヶ月かかって体験されたのであるが、モノには順序がある。薬を戻して、1ヵ月後の受診でようやく電極調整が行われる。
高度医療は時間がかかるものであるが、計半年で何とか本来の姿に戻るのであろう。
体調良く過ごしているからと言って、如何すれば体調を保つことが出来るかを本人自身が自覚しなければいけない。

そう思った受診の同行であった。
人間甘えてはいけない。

ケアマネジメントの原点を覆す理由(わけ)  2009・8・22
関係者一同の合意を経緯の中で確認しながらプランが最後の段階で覆されそうになっている。関係者の中には覆そうとしている本人も含まれているが、その背景にもうひとりの関係者が存在する。
原点の問題として存在する方なのだが、最終確認の意味も含めて誘った会議当日、体調が悪く参加出来なかった。当然親族間では合意が出来ていた・・・はずなのだが、ここに来て「これしかない・・・」原点が覆りそうな雰囲気になってきている。「・・・それじゃ如何するの???」という代案が無い原点を覆そうとしておられる。

「もしかして・・・」の内容は関係者合意で進めている方向で確認出来るのだが、あえてそのことはしないことにした。出てきた方向に関して経緯を振り返って「もしかしたら・・・」と想像できる場面もあった。確認はしないが、過去に何かあったことは想像出来る。しかし今そのことで経緯をゼロにする気はない。仮にあったとしたら「御和算」である。

流れるように合意を得ながら進むケアマネジメントの中で、その方向性全てが容易に進められているわけではない。利用可能な社会資源を組み合わせる際に微妙な駆け引きもある。それにしても関係者の合意の下方向が決まってから10日目の申し出は遅すぎる。駄々をこねている子供の姿を見た。

ケアマネジメントの原点を組み替えては責任は持てない・・・。ということで辞退も視野に入れて、最後の説得を試みることにした。
誰かやれる方があるのかな???

日曜日にしか会えない方々・・・  2009・8・16
月半ばの日曜日に決まって訪問する方々がある。
本人の理由も中にはあるが、家族が日曜日にしか家にいないケースもある。あくまでも確率で、日曜日の訪問で確実に会えるとは限らない。一応二回の日曜日を視野に入れているのだが、今月は盆明けの日曜日に焦点を絞っていた。来週は在宅医療に関するフォーラムに行く予定でいるので、出来れば今週の日曜日にスタンプラリーを済ませておきたかった。

運良く再訪問もあったが、日曜日のラリーは終わった。走行距離は約70km、大きく外周を回るコースになった。
利用者は事務所から半径15km位に点在している。その日の訪問計画に沿ってコースを選定するが、月間の走行距離は約1000km。軽四に乗ってから月3回の給油でほぼ間に合っている。

施設ケアマネ(表現は悪いが・・・)の困難事例にはこの日曜日にしか会えない方々も入っている。ケースとして困難かと言えば、必ずしも困難ではないが、中には困難事例も混ざっている。比率とすれば私の担当するケースの平均値位だから、平日に時間を自由に取ることの出来る独立ケアマネとしては「困難」では無いケースが多い・・・ことにしておこう。
そうそう・・・サービス提供責任者が「困難」なケースもあるが、自分で解決しなければいけない範囲をわきまえていない方もある。「何でもケアマネ・・・」ではない。

ということで今月は楽になった。
月末にかけての担当者会議3件の内2件は盆前に審査会が終わっている・・・はずだった。月末にその2件の会議を開催する必要があるが、超困難事例も混ざっている。会議を何処で開催するのか・・・ということも含め、全員参加なら10数名の会議になる。主介護者の希望に沿うが、往診時間に合わせて集まるのも面白いのかも知れない。

超困難事例にそう度々会うことは無いが、要素をはらんだケースには良くお目にかかる。ケアマネ諸氏には先ず本人を取り巻く背景から整理されることをお勧めする。

お盆の一日  2009・8・15
孫家族が帰って来たのが2時半頃だっただろうか???孫のけたたましい声に目が覚めて寝直したが、何時もの時間に目が覚めた。1年365日、規則正しい(?)生活をしている。
朝次女は起きてきていたが、孫とその父は疲れて眠りこけている・・・ということで、墓参りは妻と長女の3人で出かけた。参らなければいけない墓が3箇所ある。

予定より少し遅れて出発したが、行ったり来たりの道中だった。5分ほど車を走らせた所で妻の実家への手土産を忘れたという。道順を考えると取りに戻った方が早い。Uターンをして家に戻った。
我が家の墓のある寺の前で『お布施袋』を忘れたという。一番近い100円ショップまで車を迂回させた。
一応お参りを済ませ、もう1箇所立ち寄り、妻の実家の墓へと向かった。

妻の実家の墓参りを終えて実家へ寄ると、賑やかな(はず・・・)が静かである。妻の兄が出てきて「みんなどこへ行ったのだろう???」と。しばらく待つと兄嫁が帰って来た。
ビールを勧められたが今日はご遠慮した。私にしか車庫入れ出来ない場所に車を入れる必要がある。車庫入れの経緯もあるが、右左1センチの余裕しかない。この場所に車庫入れ出来るのは日本広しと言えども私だけである。

昼食中にプールの話が出た。色々検討の上、プールと温泉が一緒になった所へ行くという。3歳未満児2名の受け入れ態勢も確認した。そこで話が大きくなってしまった。妻と長女が「私たちも行こうかな???」「一緒にどうぞ・・・」「あんたも行かない???」「行かないよ・・・」ということで留守番をすることになった。

今電話がかかって、焼き鳥屋の電話番号の確認である。今回はさすがに外食は考えなかったようだが、準備はしてあった。
焼き鳥を持ってのご帰還になるが、お盆の晩餐は「焼き鳥パーティー」になる。

一つ勉強したのは、水(プール)に入っても良い紙オムツがあるそうである。乳児の次男はその紙オムツとつなぎ服でプールを楽しんだ・・・のだろう。

孫が・・アンパンマンミュージアムへ・・・  2009・8・14
HPで馴染みのアンパンマンミュージアムへ早朝に旅立った・・・らしい。

昨晩お酒を飲んでいたのではっきりとした記憶は無いが、そういえば婿さん、朝はゆっくりのお目覚めだった。体調を整える準備をしていたのだろうが、長距離運転は甘くは無い。無事のご帰還を祈っている。

そう言えば若い頃随分走り回った記憶がある。
大阪から早朝に帰って、夕方には舞浜にいたこともある。
大文字焼を見て、翌朝鳥取砂丘にいたこともある。
それから見れば大丈夫なのかもしれない。

夕方妻が電話で話をしていたが、みんな元気のようである。ただ、4ヶ月の子も連れて行っているところが気にかかる。
いつの時代も親の心は同じなのかもしれない。
目的地がHPで知ったアンパンミュージアム、孫の一番好きな場所であり、2番目に好きな自動車会社のHPにも載っている車で出かけている。

いつの時代にも子の夢をかなえる旅がある。そのことを実感している。
67歳の誕生日を子と5年間通った東京ディズニーランドで迎えようと計画しているが、果たしてその時に親族は何人になっているのだろうか???
その日を目標にその日まで居宅を継続出来れば良いと思っている。

人生ドラマと介護  2009・8・12
『介護問題』(介護に関わる家族・親族の問題)をテーマにしているが、担当してきたケースを思い浮かべてみても、そう困難事例は無い。もしかして関わった時点で問題は解決しているのかもしれない。

妻が夫の介護に限界を感じたケースや嫁小姑の問題・嫁舅の問題・親族からそっぽを向かれた独居生活・子の介護力の問題など、複雑な問題はあるが、決して『介護放棄』といった問題にまで発展したケースは今のところ無い。
関わるときに家族の役割を明らかにしていることもあってか、本人が問題であっても家族はそのカバーをしてくれている。そういう中で数々の人生のドラマを見せていただいている。

在宅介護支援センターソーシャルワーカー時代の話だが、重度認知症の姑に対して「この人の全てを介護することが私の『復讐』です・・・」と語った嫁があった。引用のケースもあるのかもしれないが、家族関係は外面的には大きく崩れることはないと思う。虐待ケースは部外者が適切な対応をすれば表面化することは少ないと思う。ここにもケアマネジャーの役割は隠されているものと思う。

介護力不足なら専門職に可能な限り関わってもらえば良い。そういう視点から心配なケースが何件か浮かび上がる。
本人自身が問題のケースを今日訪問してその問題点が見えてきた。
難病でありながら本人に病気と闘う意欲が失せていた。妻も精神面に問題がある。
果たして長期入院という形をとると受け入れ施設があるのだろうか???候補はあるが、難しい状態でもある。

もう一度本人に病気と『闘う』意欲が湧いてくれば良いのだが・・・・・。
そのことが一番の問題だと感じた。
『介護問題』とは本人自身の中に潜んでいることもある。

ターミナル・ようやくプランが軌道に???  2009・8・7
ターミナルケアに関してケアプランを整えて相談に行ったのが、本人が一時帰宅された1日だった。その時に主介護者・同居の次女が3日に最後の抗癌剤治療を受け、9月には10日余りの手術入院が待っていることを知らされた。
次女の体調にもよるが、訪問看護ステーション管理者からは病院での退院前カンファレンスに是非出席していただきたい旨依頼があったことを伝えている。

予想していたことだが、抗癌剤治療の2日後には主介護者の退院前カンファレンス出席は無かった。
退院後本人と主介護者を自宅へ訪ね、明日からのサービス提供スケジュールを主介護者に説明すると、体調が悪いことも手伝って、スケジュールに追われているようだとサービス提供に拒否があった。主介護者の体調に合わせてサービスを利用していただける内容だが、先ずは他人に来てもらっては困る家の状況・・・そう、ごみ屋敷である。

この主介護者の心の問題に関しては家族で調整をしていただくこととして、最低限必要な往診医の確保と訪問看護に関して、半日遅れたが、入院前のかかりつけ医に往診依頼をしてきた。訪問看護ステーションへは往診依頼をしてきたので訪問日程を調整していただく依頼をしておいた。

子には週明けの10日からサービスを入れて欲しい気持ちがあり、ヘルパー事業所に関しても週明けからサービス提供を開始して欲しい気持ちがあった。訪問看護ステーションの事前訪問が週明けに予定され、訪問介護に関しては子から依頼があれば「事前訪問の時間をずらして訪問して欲しい・・・」旨電話をした・・・が、オーナーは恐縮して「こんなケース見たこと無い・・・」と。

本人を取り巻く家族・親族関係の調整。これも「介護問題」だろう。
足を出した訪問看護事業所オーナーに、「誰もやらないことをやるのが私ですよ・・・」と伝えておいた。
多くのケアマネはこの時点で足を出すのかもしれない。

9月に予定される主介護者の手術の期間、本人を預かっていただける病院の手配もMSWを通じて行っておいた。
安心して過ごせるターミナルケア・・・関係者全員がマネジメントの内容を理解してはじめて実現されるものと思う。
主介護者の理解は今晩兄からされる経過の確認と今後の対応に関する話に終結されるのであろう。

主介護者の理解を「あの手。。。この手」で変えていくことも担当ケアマネの重要な業務である。

花火大会・・もしかして・・第1回目に・・  2009・8・4
富山の花火大会は空襲にあったその日・8月1日に開催されていると聞いている。
高岡の花火は私の誕生日である。今年で57回というから5歳の誕生日から毎年花火で祝っていただいていたようである。

かなり鮮明に残っている記憶だが、母・祖母と花火に行った記憶がある。帰りに母と私がバスに乗って祖母は徒歩で帰った(のだろう)。年齢を逆算すればそれも可能だったのだろう・・・今はいない二人のことである。
今思い起こせば、第1回の花火大会の記憶だったのであろう。

その後庄川のかわらへ行ったことは1〜2回だろうか。花火を下から見上げると腹に響く。子供が小さい頃だから連れて行ってやりたかったのだろう。今はもう卒業したが、昨年は近くの通りまで行って花火を見た記憶がある。5分くらい歩けば大通りに出るので、その場所からなら全景を見ることが出来る。孫と夫婦はその辺りまで行って来たらしい・・・。

今年は家のベランダから見たが、尺玉程度だと向かいの屋根越しに半分位見える。風向きも良かったのか、夜空が明るくなりテーマソングも聞こえてくる。音楽にあわせた仕掛け花火だろうと予測する。
ベランダから戦後を振り返り、過去を思い出した1日だった。
人間色々な想いを胸に生きていることは事実である。

話は変わるが、今日1通のメールをいただいた。
そのメールから「議論」という言葉を思い出した。
そして「議論とは人の意見を聞いて理解する場である。」という言葉も思い出した。
そして化学者(を目指していた私)は時として実験を試みることもある。

議論では「正しい答」より「納得できる答」に価値があるとされているが、大勢が違う方向に進んでいる介護保険界の現状ではこの定説を採用することは出来ないと思う。「正しい答え」を基本に、「納得出来る」答えを導き出すためにも、専門職自身が常識に「目覚める」必要があるものと思う。
自立された専門職には失礼な話だったが・・・連携の良い機会なのかかも知れない。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

ターミナルケアの相談  2009・7・30
今回のターミナルに向かう方の相談はヘルパー事業所から依頼があった。
今月末の退院予定の方が入院3日目で吐血があり20日間絶食の状態が続いた。10日前からおもゆが入っているが、病名から来る入院期間の限界が今月いっぱい、しかし退院支援には準備が必要である。

家族を交えてMSWと相談中も、病棟との退院日程の調整は続いたが、一応一週間後ということで、主治医と調整を図っていただけることになった。
必要なサービスは、急激に進むと思われる病状に合わせた特殊寝台の利用。リモコンの変更だけでモーター数を変えられる(変更するのは事業者だが)ベッドを入れておいた方が、後々本人の状態に合わせられると思った。申請は4日前、昨日認定調査が終わったということで、退院時には介護度が出ていない。そういう意味も含めて主治医の見解を聞くことにした。

ターミナルケアの依頼に訪問看護ステーションへ行くと「ちょうど1年前でしたね・・・」という言葉が返ってきた。すぐには思い浮かばなかったが、3週間のターミナルケアがあった。相談に行ったときには支えて食堂まで移動出来ていたが、翌日の訪問看護師との同行訪問時には移動さえも出来なくなっておられた。
ベッドも検討したが家族の想いで畳の上に耐圧分散型マットを準備した。
訪問入浴を週一回準備したが、主治医の意向もあり半身浴だった。七月の旧盆をはさんで3回の利用があった。
旧盆には兄弟家族が集まって酒盛りが始まっていた。その酒盛りが担当ケアマネからのプレゼント・・・と言いかけたら、「私も呼んで欲しかったなぁ・・・」はステーションの管理者の言葉だった。

介護技術の提供に勝るとも劣らない「心のサービス」。久しぶりに温かい言葉を聞いた。
ケアマネジャーはサービス提供に関して注文を付ける必要は無い。心のある良い事業所・本人に一番適した事業所を推薦すれば良いことである。ここにも独立ケアマネが増える必要性を感じる。
一週間での退院援助には苦しいものもあるが、日程的にもコースに乗った。
退院前日のサービス担当者会議で翌日にベッドを入れることに関して、事前に担当課と調整を図っておく必要がありそうである。

気の利いた認定調査員。  2009・7・30
認定調査に関しては開業以来の経緯がある。
開業準備に使った基本テキストに某教授が、認定調査がモニタリングの機会になる・・・と受け止められても仕方の無い記述をしておられた。
担当ケアマネが担当者の認定調査をすることは公正さを欠く。
このことを担当課に申し入れ、一時は全件クロス調査になった経緯がある。
その後、私がご指摘をしている公正ではないラインからの横槍が入ったのだろう。認定調査は担当ケアマネがするもの・・・と元に戻ってしまっている。そういう経緯の中で認定調査を受けなくても更新が出来ていた事実もあった。

担当課から電話がかかったので、相談に行こうと思っていたところだということで直行した。調査票に「担当ケアマネに被保険者証を直接渡して欲しい」と明記されていた。そのことの確認の電話であった。
午前中介護者に会っていたのだが、調査時点で話した介護の背景を特記事項に書いていいですか・・・と言って行ったそうである。前代未聞の調査票が出来ているのであろうが、資料請求は主治医意見書に留めている。
市担当者には「調査票の請求はしませんがね・・・」と笑って返しておいた。

帰ろうとすると別の島から声がかかった。同じ方の話なので何かあったらしい。そういえば以前、別の行政機関からの問題が表面化したときに背景をお話したことがあった。もう忘れ去ったことだが、皆様に「問題」ケースであることは認識していただいているようである。
ケアマネジャーが問題に巻き込まれないために、自分自身の位置付けを明確にしておく必要がある。ケアマネジメントの依頼は「本人」自身からであり、意思表示が明確でない方に関しては、誰が「代理人」なのかを確認しておく必要がある。

居宅変更の時点で「代理人」の確認を行っているが、前任者もこの渦の中に巻き込まれている。ケアプランの大筋は変わっていないが、流れるようにプランは遂行されている。この違いは、担当ケアマネ自身がその位置付けを明確にするかしないかで違ってくる。
困難事例を恐れることは無い。
「介護問題」は「家族・親族の問題」でもある。

ケアマネ交代・・・  2009・7・28
早いものでそろそろ2年になるが、『介護問題』ケースを担当してきた。
何が『問題』かというと「家族・親族の問題」。正に我が事業所のテーマそのものの『問題』である。
母の介護に関して兄妹が対立しているケースであり、当時の担当ケアマネは、一刻を争って手を離したがっていた。

兄妹を前に初回相談を行ったが、担当ケアマネは身を透かした。その場で確認したことは、誰が本人の代理人として相談申し込み書からケアマネジメント契約書に至る書類に代理署名をされるかということであった。
そのときに面白い(?)言葉を聞いた。
『主介護者』という私の言葉に対して『全部介護者』です・・・と。

担当当初2回の入院はあったが、ここ1年半「入院」という言葉を忘れる位体調が良い。
経緯の中でペテンのような話があって事業所を変えたこともあったが、大筋では当時の担当ケアマネのプランが今でも動いている。私はプランが崩れないように維持をしているだけである。ケアマネジメントとはケアプランではないことを実証しているようなケースでもある。

先日『主介護者』から自ら身を引いた方からケアマネを変えるつもりだ・・・と電話がかかった。市に相談しようと思っておられるということなので「どうぞ〜〜〜」と答えておいた。
一番最初に「誰が契約書に本人の代理署名をされるか〜〜〜」の投げかけに無言であった方であるので、そのことを指摘しておいた。その子が担当ケアマネを変えることが出来るのか〜〜〜やってみられれば良い。

その夫婦には介護が出来ないと、遠距離介護・住み込み通い介護を今でも続けておられる子があるが、その了解はもちろん得ていない。『介護問題』の原点はここにある。
静かに流れるようにプランは継続されている。その流れを維持出来るケアマネが果たしているのだろうか???

8月も波乱万丈の幕開けになるのかもしれない。

主任介護支援専門員  2009・7・23
ゼロから独立開業をして5年が経過した。
その間、包括(在介)併設居宅が持て余したケースが1割程度舞い込んでいる。正式に依頼されたケースもあるが市内では手に負えなくて手放したケースが目に付く。行政ラインで得た被保険者情報の取り扱い自体に困惑している実態が目に見えてきている。
そういう中、いわゆる困難事例を選んで依頼をしてくる包括(併設居宅)もある。大歓迎で困難事例を解決(進行中も含め)してきた。

HP『高岡発・介護問題研究会議』はインターネット会議を何回か開催しているが、その経緯の中で「ボランチ型在宅介護支援センター」との位置付けが為された。ボランチ=サッカーの遊撃手であるが、問題のあるところへ駆けつけるフットワークの軽さも意味している。開業以来このフットワークの軽さを実践して来た訳である。

最初から問題があったケースもあるが、支援の経過の中で問題が発生したケースもある。この問題を解決してくれるのは、業務を通じて築き上げたネットワーク・専門職ネットワークの力である。組織の力ではない。このことを明記しておこう。
ネットワークの中を飛び回り支援を行う日々が続いているが、正にこの行動自体が主任介護支援専門員に求められるケアマネジメントの姿であると思う。

『今更・・・』との思いはあるし、資格は仕事をしてくれないことも充分知っている。ケアマネジメントリーダーから主任介護支援専門員へ名前こそ変わったが果たして資格者は他に判を示すことの出来るようなケアマネジメントを行っておられるのであろうか???(全てではないが・・・)
そういう実態の中で行動派のケアマネジメントの範(スタイル)をお示しすのも面白いのかもしれない。

今一件地域包括社会福祉士と協働する必要のあるケースを手がけている。人生の中で安心して、前向きに生きていただくためにも、人生の中で抱えた最大の不安を拭い去る必要がある。本人は開き直っているので、生活自体も投げやりになっている。
最期の瞬間に良い人生を振り返っていただきたいものである。
そしてケアマネジメントの実践を通じて、自分自身が満足できる人生を送りたいものである。

過密なスケジュールの中で過密な研修スケジュールをこなすことが出来るかは不明だが・・・今年が最後の機会なのかもしれない。

「ソーシャルワーカーデーTN富山」  2009・7・20
中央では5月に案内が出ているが、富山大会の案内をいただいたのが4日前、記念フォーラムメンバーに同級生が名を連ねていたので、参加してきた。

4月にソーシャルケアサービス従事者研究協議会が「海の日」をわが国のソーシャルワーカーデーと決めたことに端を発する。少し遅れてそのことを知った彼が重鎮に働きかけをして急遽実現したフォーラムだった。
中央会場へ出かけとんぼ返りして来られた方の若いパワーには感心しましたが、ソーシャルワーカーには軽いフットワークが必用のようです。

何故『海の日』がソーシャルワーカーデーなのか・・・納得出来る解説が付いていた。

『※ソーシャルワーカーは、全ての人を(海には国境がない、一つである)、力強く(海にはパワーがある)、かけがえのない存在として(海は人類の母胎である)、支援する実践者であることから、その象徴としてソーシャルワーカーデーを「海の日」に設定しました。』

パソコンがパンク・・・。  2009・7・17
14日夜半、急にパソコンがパンクした。
仕事にも使っているので時間に待ったはない。原因が何かを調べている時間はないので、明朝事情を話して入れ替えることにした。
すぐに注文してもらい、必用なディスクを届けておいた。

翌日セットしていただけたということで、今朝入れ替えてもらった。
細部にわたってはこれから調整が必要だが、一応仕事には使えるようになった。
2日間の仕事は『会議室』のパソコンで行ったが、プリント出来ない。パソコンが使えるようになってからメール添付で送信しておいた帳票もプリント出来た。

中1日で入れ替え出来たことはお金には変えられない。それにしてもパソコンも安くなったものである。
2001年にHP公開用に買ったときは20万位していた。
今回入れ替えたデスクトップとキーボード・マウスで税込み5万円である。

開業から5年を経過したが、時間は待ってくれない状況が続いている。

日曜日の相談から一週間  2009・7・13
とにかく忙しい1週間を過ごしている。

在宅か療養型病院かの結論に関して、県にも意見を聞いて、結局在宅サービスが利用出来るようになった。週末にMSWから薬の関係で療養型病院しかない・・・旨電話がかかった。家族に主治医から話をしていただかないと県へ行って来た意味がない。この答えは週明けにももらえなかった。

脊髄カリエスの方の相談ではケアマネを変える方向で話がまとまっていた。担当ケアマネが私には出来ない内容(髪を振り乱して)で主介護者に担当交代を思い止まらせたと言われる。醜い姿を想像した。
私が準備したサービスは私費部分だが、担当交代が無いのなら派遣出来ない・・・ということになった。ケアプランとは介護保険・内・外を問わずプランに明記する必要がある。前任者はそのことを理解出来ないケアマネジャーで、介護保険の給付管理しか出来ないケアマネであった。
近い将来病院連携が必要なのだが・・・担当ケアマネには想像も付かないマネジメントが待っている。ケアマネジメントとは奥の深いものである。

私とコンビでなければ私費サービスも提供出来ない事業所との連携内容は往診医の意見を反映出来る内容である。「あんたが外されたのなら私も提供出来ないよ・・・」とあっさりと断られてしまった。
主介護者を訪ねるが留守のため預った書類を返して電話で内容を伝えるが・・・「それでは困る・・・」ということだった。
担当ケアマネとのレベルの違いの確認をして、病院連携も情報源を断たれたことから「出来ない」ことを申し入れた。

思い切りの悪い方とはあるもので・・・今後どの方向に進むことやら・・・。担当してはじめて出来ることもある。
サブとしての相談は二重相談にもあたる。
この選択肢を如何解決されるかは利用者の選択でもある。
ケアマネジャーは利用者自身がその力量を測って選ばなければいけないという実例がここにもあった。

今、紹介者から相談があった。
「利用者本人がケアマネジャーを選ぶ必要がある」必要がある事を伝えておいた。

日曜日の相談  2009・7・5
先日来知人から、その知り合いの相談に乗って欲しいと依頼があった。主介護者の勤めもあり、なかなか日程調整が付かなかった。「土日でも良いよ・・・」と言っておいたら、今朝来訪があった。午後一緒に来所されるということで、日曜日の相談になった。

話の大筋は、私費で使っているヘルパーの費用が嵩む・・・ということで良い方法はないか・・・ということ。1時間7000円は高過ぎる。
介護度も本人の状態も判らないのだが、費用からいってもしかして、私費看護師なのかもしれない。とにかく話は聞いてみないと判らない。

先日家政婦紹介所の方と話していたが、最近私費ヘルパーが随分増えているということだった。国の制度では家政婦は介護労働安全センターの管轄であり、私費ヘルパーとなると所轄が違ってくる。おおむね介護保険単価から割引している事業所が目に付くが、果たしてこの割引された単価は正当な報酬なのだろうか・・・。また割り増しした場合にはどうなるのだろう。

他にも問題があるのか、担当を変えたいと思っておられるようである。
出来れば居宅変更は避けたいが、果たして方向は???

重要な場面への立会い2009・7・2
入院中の方の主介護者から電話がかかった。「IVHになって在宅生活は出来ないので療養型病院へ入院することになった・・・」と。
週明けにMSWとの相談に立ち会ってほしいという電話がかかり、立ち会うことにしていたが、その朝別居の子から電話がかかった。
「何とか努力をして、私のほうで看ようかという話をしているが、MSWとの話の前に本人の意思確認をしておいて貰えないか・・・」という内容だが、背景に関しても充分わかっている親族なので、その方法も含めて模索してみた。・・・何点か問題点もあるが・・・出来ないことはない。

少し早めに病室を訪れ本人の意思確認をしようと思ったが、傾眠中でもあり後程にすることにして地域医療連携室を訪ねた。担当者(される方)は相談中で不在だったが、前任者と簡単に方向性に向けた情報交換をしておいた。
主介護者・子も揃い相談が始まったが、連携室で伝えておいたことはもう伝わっていた。

自宅での生活は不可能なので、二つの選択肢が残った。会議出席者合意の二つの選択肢である。
療養型病院への入院に関してはプラスアルファーの方法も提示しておいたのでそう難しいことではないであろう。病院側も転院まで看てくれると言う。残す一つの方法・別居の子の努力で在宅生活を続ける方法には、その方向性を見つけるためにも少し時間がかかる。来週もう一度話し合いをもつことにして、それまでの間に方法を模索することになった。

本人の意思確認は私の仕事のようなので、主介護者・子と一緒に病室へ向かった。
先ず自宅での生活は出来ないことを判っていただき、二つの選択肢を本人に説明した。療養型病院入院に関しては反応がなかったが、子の努力で在宅療養をする方向で左手(のグローブ)がはっきりと動いた。再確認をすると同じ動きをした。
お二人に「確認出来ましたね・・・」と在宅療養の方向性を確認した。

果して良い方法があるのかはこれから細部に亘って検討していかなければいけないが、目の前に何かが見えたような気がした。
週明けには担当課との意見調整も図る必要があるが・・・決して不可能ではない方法が、ぼんやりと見えてきた。

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腰痛と闘った3週間  2009・6・28
今月の行動日誌を確認して驚いた。通常の月と同じ動き方をしているが、無様な姿をさらしながら、何とか今月も無事終了のようである。

腰痛がおこった原因は町内のバスハイクの7日(日)だと思っていたが、単なるキッカケでしかなかったようである。膝の裏側に痛みを感じたのはその1〜2週間前のこと、その頃から体調異変が起こっていたようである。
2週間余り接骨院に通って、接骨院では完治しないと判断したのが土曜日の朝だった。とにかく布団から起き上がるのが大変だった。以前から痛みを感じていた右肩に加え、左上腕部も思うように動いてくれない。左肘を軸に身体を起こし、タンスにつかまって立ち上がった。始めてのことである。

朝一番に天涯孤独状態の方の緊急連絡網に関する相談に民生委員宅へ出かけたが、午前中は会議に出かけておられるということで、午後一番に訪問することにして、先日知人から紹介を受けた整形外科クリニックへ直行した。開業間もないクリニックだが待合室を見てかなり時間がかかると判断した。
受付で簡単な経緯を書いて待つこと1時間でレントゲンへお呼びがかかった。膝・腰・肩の計7枚の撮影で、しばらくして診察室から声がかかった。腰痛の原因は膝裏の痛みから来たものだった。

ついでではないが、パソコンによる腱鞘炎と思っていた状態が一番深刻だといわれる。横90度までしか腕が上がらないので筋肉が壊れている・・・とか。とにかく要に注射をしましょうということで、右肩と右膝裏の二ヶ所の筋肉に注射をしてもらうことになった。痛み止めも処方され、現在は痛みもなく快調に生活をおくっている。
1週間後の受診になるが、今は受診戦争の時代なのかもしれないと思い、2週間痛み止めを貰って来ているので今週の受診は如何しようかと考えている。

腰痛と闘っての業務だったが、担当者会議二件(未調整)と来月に認定がずれ込むが、上旬の二件の担当者会議で今月は終了する。何とか見通しが立った。
日曜日も休みの無い日々が続くが、今日は主治医への報告書3件と入所に関する意見書を一件書き上げ、午後一件ケアプランの説明に出かけてきた。日曜日にしかお会い出来ない方も多く、年中無休のような状況である。
とは言え・・・或る平日・・・ある場所で・・・日中お酒を飲んでいることもある。

独立ケアマネにはそのような自由もある・・・が、そのような時には必ずと言って良い位電話がかかるものである。

父の日(?)のプレゼント  2009・6・21
何時が父の日か知らないが、「父の日のプレゼント」と言って、先日他県に住む長女から特大のジョッキーを貰った。特大と言っても水割りを飲むためには特大であって、ビールなら小ジョッキーといった大きさである。
金のラメが少し入ったジョッキーだが、グリップの感じが良い。指に優しく当たるようにアクセントが付いているから、大量生産の品物ではない。
左手2指の「ジョッキーだこ」を解消してくれる道具なのかも知れない。

次女からは携帯電話の釣り具(ストラップというの・・・かも知れない)である。
夏場は名札も一緒に吊っているので、少し工夫しながら以前同様のセットが出来た。気が利いているのはサングラス(だと思うが銀色なので・・・)のアクセサリーが付いている。
ここまでは通常の、想い想いのプレゼントなのだろう。ただ続きがあった。

包みを開けるなり台になっている丸型の黒い物質が何か判らなかった。
携帯電話をつなぎなおしてからその物質が何か判った。「おまけ」である。
丸く・黒く・薄い物質には、丸く・浅く溝が切ってあった。・・・そう。コースターである。
長女・次女とで晩酌(?)のウイスキーを飲むセットが出来たわけである。「飲んで良いよ・・・」というコールが篭っているのだろうと勝手に解釈している。飲める間は好きなお酒を飲みたいものである。

今朝起き上がるのにかなり苦労した。腰痛が下肢筋肉痛・肩の筋肉苦痛に拡がって今朝は起きること自体が大変だった。
日曜日だが、日曜日にしかお会いできない方々とお会いし、知人の親族のケアプラン診断・ケアプランの方向性をお話してきた。明日から早速に実行されるであろう。担当ケアマネさんが日々言っておられることを、私の言葉で確認させていただいた。良いマネジメントをしておられる。

月末業務が多忙になることを予測して早目のスタンプラリーを開始したが、予定のお一人だけお会い出来なかった。日曜日も通常業務の一日だったが、気分的に楽になった一日・一週間でもあった。
月末に問題が山積している。ゆっくりと取り組むことが出来る日程が準備された。五件の担当者会議の中に、『介護支援』の原点からお話しするケースもある。

腰痛その2・日曜日の作業で元に戻った。  2009・6・15
利用票を作るタイミングが無かったので日曜日にずれ込んだ。
午後退院された方のサービス担当者会議をセットしていたが、会議記録も早く(サービス開始前に)配布したい。夕方は滅多に会えない家族に会う必要があった。
何だかんだで、パソコンの前に半日以上座っていただろう。おまけに久し振りの入浴も楽しんだ。

が・・・今朝起きてみるとかなり良くなった・・・ハズの腰が、当初ほどではないがかなり悪くなっている。歩く姿もへっぴり腰である。しかし予定が一日詰まっている。
出かける前にぶざまな格好をさらすことに腹を決めた。担当者会議2件と退院支援もあったが、電話があったことを良いことに夕方お会いすることにした。

そこに一枚のメモが出てきた。意味不明だが、〇〇〇さんが相談があるようだ。トボケて出来上がった利用表を持って朝一番に訪問することにした。予測通りショートステイの追加だったが、電話で確認すると運良く取れた。その変更利用票・提供票の配布が追加に加わった。
近所のめい医を訪ねて今日は仕事をやめた。(と言いながら書いているのだが・・・)

明日は担当者会議の調整に走る。退院したのは良いがお土産を貰ってこられた。留置したことの無いカテーテルを留置するとお土産があった。膀胱炎である。
一時は入院中の病院でカンファレンス(更新時担当者会議)も考えていたが、退院後にセットすることにした。
波乱万丈・・・状況は大きく変わるものである。

今月は随分と加算も多い。退院支援や新規(介護が出れば・・・)加算だけで新規を上回るのかもしれない。それだけの仕事もした。
今週一件、来週一件の認定結果が気にかかる。

立ち上がりが不自由な方の気持ちが・・・  2009・6・11
筋肉痛が始まってからそろそろ1ヵ月半になるが、落ち着いたところが腰痛だった。新規二件のカンファレンス・施設見学も無事終わったその夕方のことだった。
そういえば午前中にカンファレンスではじめてお会いした方のプランを書いていた。退院日が決められていたので夕方には家族にプランの説明をする必要があった。朝5時からの午前中である。

午後の見学から帰って「こりゃダメだ・・・」と町内の接骨院のめい医を訪ねた。前屈が出来ないので、服を着るのも不自由だったし、床からの立ち上がりは勿論出来ない。パソコンデスクのイスの肘掛だけでは腰がきれない。デスクの脚を支えに何とか立ち上がった。

認定調査では簡単に「テーブルに手をついて立ち上がる・・・」などと書くが、その状態を体験している。布団で寝ているので「横向きになって手をついて家具などしっかりとしたものに手が届くところにすわり座り、家具などしっかりしたものにつかまって立ち上がる・・・」の状態である。状態を起こすことが出来ても、最後の腰がきれない。腰をきるためには手の力が必要になってくる。

車の乗り降りも同様である。支えになるものを探しながら、最後はドアにつかまって腰を伸ばす・・・。傍から見ていて面白い状態なのかもしれない。
訪問は予定通り行っているが、スタンプラリーが始まるまで治しておかないと大変なことになる。利用者との話はおおむね畳の上で行われる。

こういう訳で、今立ち上がりが不自由な方の状態を体験している。今後不自由な方に身のこなしを伝授するための体験なのかもしれない。
下肢の筋肉痛から始まったが、最終的には腰で落ち着いた。しかし・・・気にかかることを言った超ベテランの看護師があった。もしかして・・・。
下肢に寒い時に出来るまだら状の(血管?の)線が走る。もしかして・・・。

今年も住民検診に行けるかどうか(気持ちがあるかどうか)は不明である。

ケアマネジメント・ソーシャルワークに応えて・・・行政ライン  2009・6・10
ケアマネジメント(ソーシャルワーク)に応えていただいている。行政ラインの囲いこみ構造を随分批判してきたが、今回の行政の対応を見ていると、一部(と言っても大部分)の行政委託業務に関わる(あるいは管理者)のレベルが単に低いだけなのかもしれないと思った。
別の言葉で言うと『雇用と理念とを天秤にかけ・・・』ということになるのだろうが、この表現はごく一般に通用する言葉なのかもしれない。

わが市でないのが残念なのが、ソーシャルワーカーに後見の必要があるケースを担当したことを伝えた。2号被保険者・生保の方なので情報は入っていない。併設居宅からの情報も無かったことを残念がっていた。
そういう背景の中で生保担当者から一通の文書が届いた。2号被保険者の独居老人届出書である。余りにもタイミングが良いので・・・もしか・・・と思った。

制度に無いものを制度に適用させていくこともソーシャルワークなのだろう。もしかして背景にはこの関係もあるのかもしれないが、15年余り前に一緒に仕事(ではなく働いた)ことがある方が主務を勤めておられる事をその時に聞いた。後見の相談の前に私で出来ることの方向性は伝えておいたが、余りにもタイミングが良い。
生保担当者には方向性はお話しておいたが、前任者は同じ条件で支援は出来ないと言っておられたとか・・・現に相談した支援は行われていない。

行政対委託機関の調整は随分行ってきた。「鍔迫り合い」に似た折衝もあったが、結果は粘って、反論が無い状態に追い込めば目的は達せられる。・・・もしかして・・・前哨戦があったような気配を感じた。
何れにせよ、プランは良い方向へ進んでいる。こちらで調整する方向は話してあったが、まだ半分も済んでいない。行政ラインへ持ち込む以前の調整である。

元民生委員・住職・現民生委員と3氏にお会いすることが残された私のスケジュールだが、どうも行政ラインに先を越されたような感もある。
ケアマネジメントもそうだが、ソーシャルワークも同じこと。一人で解決しようと思っても解決は出来ない。如何に最良のチームワークを動かすかということがテーマになってくるのだろう。
不思議なほど・動けば動くだけ、背景が動き出す。

繰り返しになるが、わが市でないのが残念である。
「打てば響く」背景を感じてソーシャルワーカーは元気になれるのだろう。
ネットワークとは目に見えないものである。

病院まるごと連携・・・  2009・6・8
包括からの相談だったが、入院中の病院には力になっていただいて来たMSWがいる。担当MSWを聞いてみると彼女だった。
相談の翌日退院前カンファレンスの日程が決まったので、家族ともお会いしていない。本人とお会いするのも今日がはじめて・・・包括からのケース紹介状を頼りにプランを組み立ててみた。日中一人にしておけない方である。

認定結果が出ない境界の方なので、事前に包括には打診しておいた。「カンファレンスでは、土日を除いた全日通所サービス利用とそこに至るまでの間のヘルパー派遣である。同居家族があるので単なる家事援助では利用出来ないが、状態確認と尿パックの処理を入れれば身体プラスで大丈夫ではないか???と。
退院前カンファレンスでの私の役割は、その必要性を病院関係者にもご理解いただくことであった。もちろん包括は同席している。

会議の場で言葉はともかく、この方向性に関して主治医も含めて病院関係者に笑顔で賛同していただけた。最低限必要だと皆様が思っていることを、介護保険法の解釈で正面から理由付けをした。「単なる家事援助ではない」ということに賛同していただけたようである。
主治医からの丁重な病状説明に先立って担当看護師から細部にわたって説明があった。会議時間1時間で完了させる工夫でもあるのだが、3段階に分けた会議となった。

看護サマリーを事前(未完成)にいただきケアプランを求められた。医療側からプランを求められたこともはじめてであるが、これも情報提供になるのだろう。
後先にはなっているが、果たして初回加算はどの加算を選べば良いのだろうか???加算対象の根回しには3日間かかった。入院期間も長いようだし、最高額を算定することにしようかと思う。

しかし・・・支援が出れば担当出来ないケースでもある。

二歳半の孫がお好みのHPを・・・  2009・6・3
インターネットを接続したまま風呂から上がったら孫がいない・・・と騒いでいる。事務所との境の戸が開いているので覘いてみると事務所の回転イスに座って、パソコンに向かって、お好みのアンパンマンのページを見ている。入浴前は給付管理をしていたから、インターネットで接続したケアプランソフトが開かれていた・・・ハズである。

お気に入りにアンパンマンページも登録してあるから、クイックするだけでアンパンマンページを開くことは出来る。しかし開いてあったページは、歴代の映画を紹介したページだった。確実に手順通りにクイックを繰り返している。
そういえば一緒にページを見せている時に、次のページを指示していたのは孫だった。「ここをこうすれば如何なる・・・」ということを知っていたことは事実である。

マウスの操作は出来ないと思っていた。各ボタンにしてはどうなるのかは体験させていたが・・・まさか自分で使いこなすことが出来るようになっていたとは・・・。子供の記憶力というか、発展しつつある頭脳と衰えつつある頭脳との違いを見せ付けられたような気がした。二歳半の子供が手順を覚え、自分で見たいページを見ることが出来る・・・これには驚いた。

最近膝の上に乗せてHPを見せていたことが原因かどうかは判らないが、筋肉痛が1ヶ月ぐらいから始まっている。その間の柔らかい頭脳は自分でHPを開くことが出来るまでに成長していた。
そういう話をしていたら、信じられない妻も・・・そういえば、年少の時にはテレビゲームを楽しんでいたよ・・・と孫の母と話している。そういえばスーパーマリオがお気に入りだったことを思い出した。

それにしても子供の頭脳・記憶力は素晴らしいと思った。

レスパイト入院  2009・6・3
主介護者の介護疲れを察知した訪問看護師から週末の訪問時に提案があった・・・「先生に相談してみられたら・・・」・・・午後の受診時に相談されたということだった。

週明けの午後看護師から連絡を受けて、自宅へ向かっている途中に妻から電話がかかった。「・・・今向かっています・・・」
自宅へ着いて話を聞いてみると、紹介状が出来たから、明日午前中に入院するように連絡があったということ。「先日から微熱が続いて体調が思わしくないけど、入院するほどでもないが・・・少し休んだら・・・」という主旨だった。
レスパイト入院。介護者に休養をしてもらうことが主旨である。

入院の手順として、おおよその時間を決めて病院で落ち合うこととした。
少し早く着いたので地域医療連携室へ在宅看護・リハビリ情報・生活状況がわかる資料を準備した。生活状況は提供票である。
今回の入院は医師間での調整であり地域医療連携室は通っていなかった。資料コピーを病棟へ届けていただくことで、在宅の生活状況を伝えていただくことになった。

診察に立会ったが、妻から正確な生活状況・病状など伝えてもらったので口を挟む余地はなかった。入院時の検査も終わり病室へ行くと、エアーマットが準備されていたので、顔を見合わせた。生活状況は病棟にも確実に伝わっていた。

MSWには更新時でもあるので可能なら入院時にカンファレンスが出来ないか打診をしておいた。レスパイト入院も資源に組み入れたプランが動き出せば良いと思う。
1〜2週間の入院なので時間は無いが、チームのメンバーにも打診してみる必要がありそうである。

総合病院に幅広くレスパイト入院にも取り組んでいただけるキッカケになれば良いと思う。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

また従兄妹の子が唯一の親族・・・  2009・5・29
親族関係が薄い方を担当することになった。一番の近親者でまた従兄妹の子が唯一の親族だと言われる。直系親族としては何とか六親等内のようである。
高齢になると病気がちであり、入所の必要性が出てくることも考えられる。もうその時期に来ているのだろうが、整理されているのかの確認はまだ取っていない。

過って天涯孤独の方の入所に際して、民生委員が身元引き受けを拒否したケースがあった。申し込み時点では民生委員が身元引受人ということで申請が上がっていた。悪い言葉で言えば、入所が決まってエスケープされた。
このケース、行政とのやり取りもあったが、結果身元引き受けに関しては宙に浮いた形になっていた。
措置時代の話である。

今この種の問題に発展すれば、入所・入院は難しいだろう。親族関係を先ず抑えておく必要があるだろう。
行政も関わっているので、現状では必要があれば措置入所・入院ということになるのだろうが、そうは簡単にいかない背景も潜んでいるように感じている。先ずは親族を逃がさないことが重要かと思う。
生活不安の一つに身寄りが無いことも上げられるのだろう。身体的なハンディキャップに加え、親族関係が薄いことが加わって本人の想いは想像以上なのかもしれない。この関係を先ず整理する必要があると思っている。

来月包括の巡回相談があるが、困難事例の提出の必要があるそうだ。残念ながらわが市のケースではないので外れるが、かといって市内のケースは最近数えるほどしか担当していない。増して包括担当エリアのケースは数えるほどしかない。
2ヶ月間のドラマの末担当としては終了したケースでも提出しようかとも思う。ケアマネジメントの手順が凝縮されたケースでもある。

隣市からの相談。  2009・5・24
ここの所近隣からの相談が続いている。昨年もこの頃集中しているが、それに伴い市内の介護力も持ち出している。
昨年は医療ネットワークで満足出来るマネジメントを行うことが出来た。
今回もサービスの持ち出しはあるが、市内のサービス事業所を利用しておられる方も中にはあった。

1件気になる内容でもあったので双方向から私で良いのかを確認してから担当できればお引き受けすることにした。
メインのサービス事業所へ確認すると、依頼先の居宅が問題としていた点では問題は無かった。居宅へ電話で残る1点の問題点を本人に確認していただくように依頼をした。

2号被保険者の独居の女性なのだが、頻繁に家庭に出入りすることになるのでその点が気にかかった。あとは本人が受け入れるかどうかの問題でもあり、居宅が問題としていた点に関しては全く問題にはならない。一方向からだけの問題解決を図れば担当を替われば良いことだが、如何もそのことだけでは解決しないようである。
今後どのように進んでいくのかは本人の答えにかかるが、背景的にもやり易いケースではある。「(介護)問題」をテーマにしているが、そこに至るまでの「問題」が潜んでいる。この「問題」を解決するのは本人でしかない。

約3週間で4名の入所・長期入院があったが、少し遅れて並行して1ヶ月に3件の新規相談があった。
昨年もそうだったが、市内はひっそりとしている。
全てではないが、近隣からは出来れば避けたいようなケースが舞い込んでくるが「介護問題」をテーマにしているので苦にはならない。
残り2名の入院が如何なるかで、軌道修正が出来そうである。

丁度電話機の交換で電話屋さんにいたときの電話でもあったので、着信音を「ラデツキー行進曲」にした。・・・少し派手かな???

新型インフル、57年以前生まれには免疫?  2009・5・23
『新型インフル、57年以前生まれには免疫? CDC見解』
http://www.asahi.com/science/update/0521/TKY200905210321.html

団塊の世代も含めた中高年者は今回の新型インフルエンザに何らかの免疫を持っている・・・らしいことが発表されている。
私自身風邪で寝込んだ記憶はないし、熱も出した記憶もない。
小さい頃はかなり医者通いもしたらしいが、そのうちに抵抗力が出たのかもしれない。

今、日本中を騒がせている新型インフルエンザだが、案外高齢者は持ちこたえられるのかもしれない。
市高齢介護課では対策本部が出来たらしく、メールアドレスの問い合わせがあった。早速昨日メール添付の文書が送られてきたが、「風邪かな???」と思ったら厚生センターへ連絡して欲しいということだった。
一昔前には「はい〇〇〇」というコマーシャルもあった。

大事にならなければ良いのだが・・・。

独居加算  2009・5・20
昨日市ケアマネ協(協ではないのだが・・・)のブロック勉強会で「加算」が話題になった。この中で〜日本介護支援専門員協会のメルマガから〜厚生労働省への問い合わせ内容を紹介しておいた。その内容とは・・・

(ここから)
4月20日号
(問1)
独居高齢者加算を算定するための住民票を取得するためには、必ず利用者自筆の委任状が必要なのか。
(答1)
いいえ。加算の算定について、通知では利用者の「同意を得る」ことまでしか定められていません。しかし、市町村・特別区によっては、住民票取得のためのあくまでも行政手続き事務として、委任状を必要としているところもあるようです。

(問2)
独居高齢者加算を算定するための独居の確認は、アセスメントでもよいのであれば住民票は必要ないのではないか。
(答2)
算定の基本は、あくまでも利用者の同意を得た上での住民票による確認です。ただし、利用者の同意が得られない場合や住民票の内容とは実態が異なる場合などはアセスメントで算定できるものとなっています。
したがって、優先順位はこの順番になります。

(ここまで)

玉虫色の回答ではあるが、ケアマネジャーが住民票を取得する必要性にはベールがかかっている。そこで提案しておいたのだが・・・。
例えば入所にかかる負担階層の確認は行政が行なっている。それに習って、独居者に関する住民票の確認を行政職員が行っても良いのではないか・・・と。
果たしてどうなる事やら。赤紙に似た委任状にサインをいただき、自筆出来ない方には「拇印」である。
「同意」を得ていただけても、本人にとって抵抗のある事務手続きだとは思う。

公正な認定調査!!!  2009・5・15
認定調査が公正に行われるように期待している一人だが、開業以来担当者の認定調査はしないことにしている。
某教授も書いていたことだが、モニタリングの意味も込めて担当者の認定調査を行っておられる方もある。批判はしないが、果たして公正な調査が行われるのか・・・私自身、鉛筆が滑ることもある・・・と感じている。実際、認定調査を受けた記憶の無い方に認定が降りていたことがある。
そういう訳もあり、担当者の認定調査を断ってきたが、今や保険者担当者間では定着している。

チョッと複雑な認定調査の申請をした。1週間通所サービスが詰まっていて家族がいるのは土・日だけである。日曜日の調査も通常は無理(私は行っているが・・・)と思い、土曜日の朝一番の認定調査を依頼した。調査終了後、通所施設へ送っていく予定であった。
出来れば木曜日の夜までに調査日程が決まっていれば良いと思い、金曜日の朝一番に家族に電話をした。調査日程の打ち合わせの電話はかかっていない・・・ということだった。

もう一晩待つと土曜日になるので担当課へ認定調査の依頼先を問い合わせた。認定調査が無ければ施設からの迎えでサービスを利用していただければ良いが、調査があるのなら送る必要がある。その連絡のタイムリミットが土曜日の朝8時15分だった。無駄足はさせられない。問い合わせの理由にはそのような意味も含まれる。
依頼先の施設へ出向くと調査担当者は午後休みであった。認定調査になる・・・かもしれないことは管理者に伝えてあったので連絡を戴くことにした。ここからが危険であった。

次の訪問先を目指して車を走らせていると電話がかかった。電話をとると認定調査に関してだったが、話をしているうちによく検問(?)をしている交番に近付いた。警察官も出ていたが、電話をしている事に気付かなかったようで、信号待ちと同時に電話を隠した・・・。
危険だったが、無事だった。

調査時間は判ったので少し時間をずらして迎えに行くことにした。
調査員には想像の出来ないことらしく、月から土曜日まで通所している方の土曜日の調査希望が何を意味するか判らなかったようだった。
デイサービスへ迎えが必要ないことを電話連絡したが、こちらは充分に内容は判っている。入浴予定には入れておいていただけるということで、無事調査が終わりそうである。

問題の調書の内容は、低く出れば現在の介護度・高く出れば出た介護度である。この調書に関しては家族にお話してある。

筋肉痛  2009・5・14
肩に関してはパソコンだろうと数年間筋肉痛を気にしてこなかった。ここ2週間ほど寝起きに下肢の筋肉が痛む。その日によっては痛い場所が移動するから不思議である。
連休明けに超特急で溜まった仕事を片付けて、ここ数日のんびりと時間を過ごしている。過労になっているはずは無いのだが、寝起きに筋肉が痛い。
最近用心のため自転車で「会議室」へ通っているが、筋肉を使わないことがかえって悪いのかもしれない。
昨日も市へ行った時にはじめてエスカレーターを使った。

先日東京で同年代の独立ケアマネから新規は受けないことにしたことを聞かされた。まだその域に達するのは早いだろうとは思っているが、何時突然何が起こっても良いようにバックアップ体制を組んでいく必要があることは仲間内で話している。
昨年ケース交流を試みて失敗したこともあるが、継続出来ないことになれば可能だろうが、現状では「このままにしておいて欲しい・・・」という言葉が返ってくる。一時限度件数を担当して苦慮していたこともある。
報酬改定後取り組むことにしていた問題も手付かずであるが、もうしばらく落ち着くまで様子を見たいとも思っている。

ここ半年色々なことがあった。特筆すべきは・・・60年間乳歯を持ち続けていたことであろうか???今日の昼の間は歯科にいる。

意見書も兼ねた受診のついでにご報告・・・  2009・5・12
平日家族が動けないケースの要だけはこなしている。「家族でもしてくれないよ・・・」とは主治医の言葉だった。(滅相もない・・・)

3ヶ月に一回は主治医に状態を見てもらう約束で半年余り前から始めた受診支援だが、手術を勧めた事からこの支援が始まっている。脱臼肩の手術を「筋移植」で出来ると言った医師がいるが、実は出来なかった。脱臼しない代わりに可動域が極端に狭くなった。腕ごと肩関節で固定した・・・という表現が適切なのかもしれない。本来の受診支援者は執刀医である・・・ことを明記したい。

出来ないことを論じていても仕方がないので、受診支援を続けている。主症状で通院が必要な主治医から「家族でもしてくれないよ・・・」という言葉が出た。家族は月一回薬を取りに来るだけである。
3ヶ月の約束が4ヶ月になっても良いのかもしれない。受診支援は続けるつもりでいるが、冬場に関して少し気が楽になった。

1月1日付で変更申請・認定調査終了後利用施設に送っている。
調査員が来る前に、車に乗る間の除雪をして、認定調査に備えている。その後一回受診支援をして、今日の目的は「主治医意見書」である。主治医にも私の動きは充分に判っている。
意見書も含め、診察が全て終わった時点で二件の報告をした。

主介護者が急逝されたケースでは、先日長期療養型病院への入院が決まった。初期段階で先生に入院先を紹介していただいている。
画像診断をしていただき、退院後往診をしていただいた方に関しては、8日間の在宅生活で肺炎で入院された後心停止が起こり、心臓は動いているが如何なられるか判らない状態だということ。
返ってきた答えが・・・「いずれも神経内科の分野ではないですね・・・」ということであった。

ご報告は、一件は担当ケアマネから離れましたが、もう一件はそのような状態です・・・という内容である。もしかして帰ってきて欲しいと思っている一件に関しては、内科の分野に移ったのであろうか???
脳の深部を解明する神経内科に是非診断を求めるようになっていただきたいものである。これこそ本人の持つ「生命力」なのだろう。
復帰して・・・是非神経症状を訴えていただきたい。

三十数年来の友人の危機・・・。  2009・5・8
1ヶ月余りの入院を経て、病診連携も充分に行って退院にまでこぎつけた。
医療連携に関しては主治医の希望にも添うことが出来た。診療科がなければ地域で連携すれば良い。そういった準備のもと退院されたが、病院へ戻られたのは9日目であった。

妻から連絡をいただいた。
朝「心停止」があったとのこと。心臓マッサージ30回位で心臓が動き出した・・・とは言われるが、心臓マッサージを始めるまでにどれ位の時間があったのだろうか???その間脳へは酸素が送られていない。
その状況をお聞きして色々な経緯を想定した。妻には最小限、意識障害が残るかもしれないことをお伝えした。

遡ること三十数年前・・・団体交渉で机を拳で叩いて感情を顕わにしていた二人の男がいた。彼と私である。
年齢にすれば10歳お兄さんの彼だが、全てにおいて良く似ている。先日妻からも生活状況を聞いているが、好き放題の人生を送ってきた。よく今日まで御世話をいただいていたものだ・・・と、その時に思った。
我が家も良く似たものである。

お酒は飲み放題・・・好き放題の人生(お互い)だったが、もしかして、心臓が止まっても動き出す必要があったのかも知れない。彼の人生にとって・・・。
その想いを叶えるためにも担当看護師を訪ねた。生憎休みだったが、「心停止」の事実だけは伝えておいていただくように依頼をした。
もしかして・・・今ICUに入ることが出来るのは彼女しかないのかも知れない。

果たして我が身に振り返って考えてみる時、そのような方があるのだろうか???そういう想いを込めて考えた時、良い人生のサポートが出来たの・・・かも知れないと思った。
お互い豪快に飲んだ記憶が甦っている。

改訂後始めての給付管理・・・メール便・・  2009・5・7
報酬改訂後始めての給付管理だったが、何とかソフトが対応してくれている。連休中にほとんど実績は届いていたが、残り数箇所のサービス事業所の分を待つことになっていた。

午前中は連休中にたまった連絡調整に出かけたが、帰ってみると二事業所から実績が届いていた。残すところ一事業所だが、明日の夕方まで待つつもりでいた。午前中が超過密スケジュールでもあったので少し疲れた。行政も含めた13事業所との調整とお一人の現状確認、スタンプラリーでもこのような日程は組まない。しかしそれだけの訪問が必要だった。

一段落したところで私的な時間に入った。孫が「アンパンマン・・・アンパンマン・・・」と寄って来たのでHP閲覧のお供をすることにした。もう見るページは無いのだが、何回見ても見たいものらしい。
そういうところへ電話がかかった。
「実績を1日にメール便で送ったのですが・・・届いていますか???」残る一事業所からだが、何処かから催促されて電話をしてきた様子だった。「来てないよ・・・」と言うと「送信状無しで良いですか・・・」と・・・「良いよ」・・・ということで実績が揃った。

プライバシーの問題や色々あるのだろうが、確実に届けば良い。連休中のメール便は時間がかかるのかもしれないが、料金的には安いと聞く。折角他人よりも早く仕事をしていても、相手に届くのが遅れては困る。FAXを電話に送っている光景も目に(想像)することもあるが、一応電話とFAXの二回線つないでいる。独立開業される時の最低要件だと思う。

ところで今回の報酬改定で独立ケアマネが評価されなかったようである。独立性・中立性は評価いただいているのであろうが、継続性で(?)があったのだろう。そのことは充分に理解出来る。
独立ケアマネの実務に関する何らかの組織化が出来ていれば評価はあったのかもしれない。問題点は充分に理解している。

人間何時何処で何があるかは判らない。そのサポート体制が確立していればもう少し評価していただけたものと思う。
独立ケアマネの全国組織は現在機能別に分散しているのかもしれない。
個性の強い方々の集りだったが、今細分化されて方向性を各々見つめている・・・という段階だろうか・・・。
各集まりが見極めた方向が出揃うのには少し時間がかかるのだろうが・・・何かの時に担当ケースをサポートしていただける体制だけは作って行かなければいけない。その集大成の全国組織を作ることが一つの目標になるのではないかと考える。

あちこちでモデルは出来つつある・・・のかも知れないが、ここ高岡でも「何かあったらお願いね・・・」と言えるメンバーはいる。しかし急には対応出来ない。そのことを解決することが次の段階かとも思っている。
欲を言えば、全国から・・地方から・・双方向で機能する団体が望まれるのかもしれない。

介護からの逃避・・・何故???・・・2009・5・5
人がこの世を去る状況に三つのパターンがあると思う。
・自分自身の体から「生」が消えた時。
・事故で止む無く「生」が消えた時。
・自分自身で「生」を断った時
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分自身の人生を企画するのは自分自身である。如何生きても人に迷惑をかけなければ良いだろう。
人に迷惑をかけながら生きている姿がある。具体的に言葉にしないが、同じ言葉を使っていた方がある。「インテリ・・・」という表現である。そろそろ40年前の話である。

「生きる」と「死ぬ」という言葉を考えた時単に生物の「生」か「死」かをイメージする。しかし自ら人生を絶つという現象にはドラマを感じる。「死」に至るドラマを感じる。
亡き父の墓前で車椅子の母を残してこの世を去られた方があった。果たして生きることは出来なかったのであろうか???その原因となる母を墓前に残して一人この世を去るとは・・・。

家庭とは色々な年代の家族が共存共栄出来るように、お互い干渉をしないで共存の道を探る場であると恩う。「見ざる」「聞かざる」「言わざる」が家庭(社会)の安泰とも思わないが、一人で問題を囲い込むことは良くない。
事件があった事を聞いて寂しい想いはしているが、「生きる力」を持っていただきたかったとも思う。

話は変わるが・・・もしかして連休明けに何かおこっているのかもしれない。連休明けに相談に出向いていただきたいと伝えてきたが・・・もしかして・・・。
強い方であっていただきたいものである。

高岡御車山祭り  2009・5・1
ゴールデンウイークの中で微妙な一日がある。5月1日だが、過去にはメーデーとして労働者の祭典が行われ、休みの事業所も多かった・・・ように記憶をしている。
その日に高岡御車山祭り
http://www.senmaike.net/mikurumayama/
が伝統的に行われてきた。メーデーの行進と山車のコースが交錯していなかったのかまでは記憶に無いが・・・ひょっとして日をずらしていたのかも知れない。

その御車山祭りの出発点へ孫を連れて見に行く話が急に持ち上がった。押しても行くことの出来る3輪車に乗せていくということなので妻に応援をすることにした。
山車の出発点に着いた頃から頻繁に電話がかかった。祭りには違いないが、休日ではないのでほとんどの事業所が仕事をしている。30年余り前から見ると随分情況は変わっているが、介護事業所ではまず休んでいるところは無いのであろう。

ケアマネジメントとは関係の無いところでの内容が多かったが、一件、支払方法の変更の処分を受けているケースがあった。国保連からの受信内容を確認してみると処分がなされている。2ヶ月前に発行された被保険者証にその記載は無かった。
思い起こしてみればその頃担当課から呼び出しを受けていたが解決したと話を聞いていた。

支払方法の変更は償還払いなのだが、今問題になっているのは3月分で、4月分も提供寿美である。もし連絡があれば何らかの対応は出来ただろうが、勿論担当ケアマネにはご連絡は無い。知らないで2ヶ月サービス提供を行っていたわけだが、この結末は高く付く。このことを明日話しに行ってこようかと思う。

長年介護サービスを利用しておられるから当然ご存知のことだとは思うが、保険があっての1割負担。保険適用が無ければその10倍を払うことになる。誰でも出来る計算だが、それも出来ない内容なのだろう。
市担当者の話では更新にむけた相談の中で条件(保険料支払)を満たせば処分はされなかったということ。その約束の下更新時の被保険者証が発行されている。
市との話にも行って来られたということでコピーを撮った被保険者証には条件は書かれていなかった。

連休中の仕事がもう一件増えたが、誰かが綺麗にしなければいけないケースだとも思っているので、根本的に解決を図る必要を感じている。
無年金は確かに本人の責任だろうが、無年金になってしまったのだから、生活を支える方法の模索が必要だろう。その上不可能ならば生活保護を考えれば良いだろう。
現時点では『可』とも『否』とも言えない状況のようである。

人間・・頑張る方法を模索する方向は大切である。
もしかして・・・模索をやめたら本当にダメになるのだろう。その前に現状をお話いただきたい。方法が皆無でないことは信じているが・・・方法があるのかは判らない。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

爽やかなゴールデンウイークの幕開け・・・  2009・4・29
少し雲がかかっているが、爽やかにゴールデンウイークが幕開けした。
孫と婿さんは市内のもう一つの公園に行くと出かけた。古城公園では動物園がメインだが、もう一つの公園「おとぎの森公園」には遊具が揃っているという。水遊びも出来る浅瀬もあり、幼児向けなのかもしれない。
つい2〜3日前に寒波が吹き荒れ寒い日々を過ごしたが、ぽかぽかと春らしい一日になった。帰って来たので聞いてみると、大型ショッピングセンターにも立ち寄りお好みの遊具で遊んで来たらしい。

ゴールデンウイークの給付管理票の送付が何時になるのか、昨年を調べてみると6日の振替休日に送っている。今年も同じ条件なのでその頃になるのだろうが、今年のピークは5月1・2日になるのだろうことは予測出来る。
月末の30日は一日予定が入っているが、会計業務も待っている。久し振りの憂鬱な一日になりそうである。

ゴールデンウイーク中に一件医療療養型病床への入院者がある。これには立ち会わなければいけないと思っているが、久し振りの療養型病床への立ち入りでもある。過去に長期入院から療養型へ移る寸前に亡くなられた方もあるので、ひょっとして開業以来始めてのことなのかもしれない。
それに加えて、2名の方がグループホーム入所になり、もう一人返事を待っておられる。年末年始に続いて利用者の出入りが激しいゴールデンウイークでもある。

この半年で7人の方が去っていかれ、4人の方を迎えている。病状的にも不安定な方もあり、不安定な状態が続いているが、関わったが帰って来ることが出来なかった方も何人かあった。
そういう不安定な中で、今回の報酬改定は有効に働いている。担当件数が減ったにも関わらず、報酬は維持出来ている。厚生労働省は3%の報酬アップといっているが、当事業所の内容では5〜6%の効果がある。独居・認知症対象者が約半数と通常のエリアから出た分が1割余りある。豪雪地帯ということで中山間地の加算も算定出来るが、夏場でも豪雪地帯???である。

それにしても皆様重度化してしまわれた。60パーセントを雄に超えているが、中には改善した方もある。
もう一方近日中に入所になるが、揺れ動いたおかげで少しスリムになることが出来た。昨年の夏場にかけてケース移動・担当移動を行おうとして失敗した。結果年末にかけて苦しい調整をした想いがあるが、果たして今年度はどうなるのであろうか???これから夏場にかけて本番になるものと思われる。

入所・入院のかけ引き???  2009・4・27
緊急に保護する必要が出てきたので、あらゆる方法を模索しながら落ち着き先・方法を模索した。
ショートステイの連続利用ということで、次の落ち着き先まで準備した。その落ち着き先からベッドが空いたと電話があった。経緯から見て余りにも早い対応なので???だった。
経緯の中でショートステイ担当者から別の病院も探しておく必要があるとアドバイスがあった。その話を家族・親族に伝え、近くの病院も申し込んでいただくことにした。橋渡しは勿論担当ケアマネである。

急に入院が出来ると担当者から電話があった。返事が明日の10時だということなので子に電話をすると家にいるということだった。
自宅を訪問して意向を確認すると、他の病院を申し込んだ時点で「近くて良いね・・・」という話が出ていた。私も耳にしている。
親族の意向をまとめるのには時間がかかる。親族会議を開く必要があるのかもしれないがその時間は無い。今晩通夜に出かけ、明日10時までの返答である。急な話なのだとは思うが、入院が今週の土曜日だと言われる。とにかく親族の意向を確認していただくことにした。

方向がどちらに出ようが連絡をいただくことにした。その後は私の調整内容であろうから、明日の10時まで調整を済ませたい。タイミングの良い話とはあるもので、事の発端から2ヶ月で長期療養型病床が準備出来たことになる。ギネスブックに乗るかもしれないスピードである。
しかしその間に関係者の意向が芽生えている。「何時入院できるか判らないから、別の病院も探しておかれた方が良いですよ・・・」というアドバイスが無ければ、入院出来るまでただ待つだけであった。その書類も揃えてある。

他にもあった話だが、グループホームを主体に入所申し込みをしてあったケースがあった。話が発展して老健も含め3箇所から入所の打診があった。結果お試し利用をされた施設が空くまで待つことにされたケースもある。
施設事情はかなり厳しいということは聞いているが、もしかして施設側が入所・入院者を選んでいるのかもしれない???と感じた。
日頃懇意にお付き合いさせていただいている方々なので滅多なことは言わないが、私の担当ケースは、施設側にとっても「良い」ケースなのかもしれない。

入所・入院でケアマネジャーから手が離れるが、その時点で判断していただければ良いかと思う。果たして安易なケースだったのか・・・。
半面施設側からの信頼も得ていることを確認した。

ALS春の高岡定例会  2009・4・26
ちょうど一年目・5回目になるが定例会も定着してきた。その中で幾つかのつながりを作っている。そのつながりが輪を拡げていた。人のつながりの拡がりを確認させていただいた。一つ一つの人のつながりが決して無駄にはなっていない証明なのかもしれない。

初回・2回目と会に参加されたおばあちゃんと再会出来た。
おばあちゃんの相談は「人より高い医療費を払っている・・・」ことだった。講師に招いた神経内科医も首をかしげていた。その原因をMSWを通じて後日究明したのだが、その件に関して手紙を送っている。その手紙に感激され、次回にお礼の言葉をいただいた。

久し振りにお会いしたが、高い医療費の問題は解決したということだった。???だったが、公費負担が認められたのであろう事は判った。???何故かな???までは判らなかった。解決させた方も会場に来ておられた。世間は狭いものである。

某事業所のチーフ専門職から娘さんが保健センターに勤めておられる・・・と紹介を受けていた。会の進行とは別にそのルートを探っていたが、娘さんとは初対面ではなかった。遡ること15年余り・・・水泳大会で娘を紹介してもらっている。小学校3年生で、家の子は小6と中2であった。そのことを話すと娘さん覚えていた。ダサいおっちゃんだが、覚えていただいていた。

そういった交錯もあり、所属保健所にも錯覚があった。〇〇???そうすると△△さんの???高い医療費の最終的な調整を行っていただいたのが娘さんだった。手紙の内容を参考に調整されたそうである。
親子2代との関わりであるが、お母さんには日々充分にお世話になっている。この世代の拡がりが至る所で拡がっていく可能性を見た。
人間一人の能力は知れているだろうが、知らないところでネットワークが拡がっていることが素晴らしい。

この拡がりに感謝しながら、会を後にした。
全ての実践がこう上手くいくとは限らないが、前途に明るいものを見た。

超特急のケアプラン・・・手順は踏んだ  2009・4・24
施設から相談があって駆けつけたが、予想外の認定が降りたと言われる。耳は確かに遠いが、低音(の魅力)の男性の声は聞きやすいと聞いている。コミュニケーションを取るのにそう苦労はしない。相談から2日目に施設職員と一緒に家族ともお会いした。実質初回相談+サービス担当者会議なのだが、家族が仕事から帰られてからの話なので、家(事務所)に帰ったのが19時30分を回っていた。すぐに仕事をする意欲もなく、明朝早く起きてプラン等を整理することにした。

孫に誘われ寝たのが21時過ぎ・・・気になることがあると熟睡中に目が覚めるものである。6時には起きるつもりでいたが、時計を見ると真夜中の2時だった。頭もさえているし、仕事に取り掛かることにした。厳密に言えば、晩酌のお酒は体内に残っている。通常8時間以上経たないと飲酒検知器にかかることもあると聞く。飲む量が半端ではないので、明朝酔っていることを自覚することもある。その状態での飲酒終了から5時間後に目が覚めた。

基本情報は施設からいただいていたが、アセスメント表からプラン・利用票・提供票(通常は利用票に合意いただいてから作るのだが、今回は2か月分を同時に作成した)まで一気に作った。担当課へ提出するサービス計画作成届けや資料請求の文書も含め、完成したのが5時間後、朝7時のことだった。
朝からサービスがスタートするのでそれまでには居宅届けだけは提出しておきたいと思っていたが、早起きでは間に合わなかったのだろう。とにかく間に合った。

サービススタートに関する全ての手続きを終え施設へ向かった。迎えの車とは出会わなかったが、どこかですれ違ったのだろう。一本道だから、施設へ入るときにグルグルになったのだろう。昨晩同席したサービス提供責任者が目を丸くした。サービス担当者会議記録も揃っている。このことが何を意味するかは充分に判っていただいている。独立ケアマネにしか出来ない『業』である。
夕刻の会議記録までそろえて明朝のサービスに間に合わせることは、ケアプランの内容が如何のこうの問題ではない。

誰もプランの中味を見ようとはしない。プランの方向性をお話しただけで満足をしていただけた。プランの内容は家族の希望に添った内容になっているが、今後継続して本人にとって一番良い方向へ相談を進めていく。その内容もプランに盛り込んであり、暗にではあるが家族一人の合意も得ている。この一人が重要である。偶然・・・と言うか休みが不定期なのでお会いしてしまった。

ケアマネジメントの方向は本人は勿論のことだが、家族の合意も得ていかなければいけない。家族の(誰かが)希望する不自然なプランを先ずスタートさせ、そして微調整を行っていく・・・暗にその内容を忍ばせた。
徹夜とは言わないが・・・早朝に目が覚めて作ったプランは私自身も満足出来る内容であった。
180度違う考え方を時間をかけて浸透させていくこともケアマネジメントだと思う。その方向性だけは示した。

税理士のミス???過大な法人事業税を・・2009・4・22
明らかに税理士の説明不足(ミス)で過大な法人事業税を支払う羽目になった。開業当初の資金繰りで、随分自腹も切っていた。余裕があればその回収を行っても良いですよ・・・と言う説明だったので、昨年度は70万余り回収している・・・が・・・。実はお互い思い違いがあったようである。

結論を先に言うと、現在のケアマネジメント報酬でケアマネジャーの給料は25万円しか出ない。それ以上貰っておられる方は所属法人に付加価値があるためと思っていただければ良いと思う。とにかく上限が25万円である。
「何時でも回収して下さい・・・」という言葉を信じて昨年度70万余りを回収させていただいた。決算の結果、回収した分は経費にならない・・・と言うことで10数万円の法人事業税を支払う羽目になった。

仮にこの分を給与としていただいていれば法人事業税は発生しなかった訳である。首にしたいような税理士だが、人的な関係から選んだ税理士なのでそのようなわけにも行かない。からくりが判ったので来年度は同じ轍は踏まないが・・・とにかく給料(法人役員報酬)は支払っていただくことにした。
+アルファーの分は現金でプールしておくことにした。この切り替えに数ヶ月係る。

色々やってみて賢くなるのが人間だが、4月に報酬改定もあったことだし中間での給与アップも理由が立つ。支払が一段落したら役員報酬を上げるつもりだが、一人で決断できる所が個人経営の迅速さなのかもしれない。
開業当初出資した分は誤和算にすることにした。
報酬の中で適正な報酬をいただいて、余裕を持たせる意味で一部内的にプールさせていただくことにした。それにしても25万円しか払えない介護報酬のあり方に疑問を持つ。

悪までも比較だが・・・現職時代は、現状のケアマネジメント報酬を全て給与にしてただいても足りなかった。それ位の給与をいただく仕事もしていた。仕事内容は現在も同じである。

何とか支払が出来るような・・・丼勘定・・  2009・4・20
2月決算なので決算費用が発生することは頭に置いてあった。それと法人県民税・市民税である。市民税の方が高い。その分は何とか会社通帳に残高を残して年度末決算を終えている。年度末と会計年度が1ヶ月違っていたために思い違いをしてしまった。ミステーク・・・である。

我が家で最初にクーラーを購入したのが、長女が誕生した年だから30年余り前のことである。数年経って家をリフォームした時に、チョッとオシャレなリビングを作ったが、その時に入れたクーラーを事務所で使っていた。そのクーラーのリモコンが叩かないと反応しなくなった。昨夏で使用は限界だった。

その頃友人の電気屋に型式遅れ(年式遅れ)の品物を確保していただくように依頼をしておいた。ついでにもう一部屋・・・一番最初の機種がくたばった部屋の分と2台1台で注文しておいた。そのエアコンが今日付いたのだが、資金計画(会社の)が行き詰っている。「ゴメンネ・・・来月の26日には支払いに来ますから・・・」と先に了解を求めた。
通常そうなのであろうが、請求書をいただいたら直ぐに払ってきた実績がある。

今日無事付いたが・・・一時から見ればかなり安い。
量販店と対抗するための家電業界の工夫があるようである。
町の電気屋さんが生き残っていくためには量販店に対抗していかなければいけない。その協力をメーカーもしているようである。

「選択の自由を保障する」は行政ラインでの『囲いこみ構造』の指摘であるが、家電業界でもこの買占め・・・買占めによる標準単価の崩落・・・があった。
この二つを見比べれば・・・前者への協力はメーカーであるが、行政ラインでの囲いこみ構造は解決していない。是非行政主導で構造改革を行っていただきたいものである。

何か予感がする・・・天下り構造を批判してきただけだが、このままで行くと行政の構造自体を正面から批判することになるのかもしれない。

日曜日の訪問はスムーズに・・・  2009・4・19
先週一件振られたが、問題なく関係者とお会い出来た。逢いやすいスタンプラリーのコースを作っているので予想されている方もある。「今日かな???」と思いながら待っていただけることは嬉しいことである。
週末に限らず、何時行っても「今日来てやと思うとった・・・」(富山弁)と迎えていただける方もある。

ここまで来れば今月のスタンプラリーは終わったも同然、今月は久し振りにサービスを利用しておられる状況のモニタリングも行える。
一件嬉しかったのが、先月末から駆け込みスタートした方が、サービス利用を「楽しみにしている・・・」と自らの口から発しられた。楽しみにしていただけるのかどうかも判らずに見切り発車したケースだが、妻も勤務とマッチさせておられる。マネジメントは色々な角度に存在する。

本人の口から非常に快い言葉を聞いたので事業所にも伝えることにするが、今一番安心して良いのが本人自身なのかもしれない。
複雑な背景もあるが、出来る限りの努力をして生活されれば良いと思う。
話は変わるが、過っての「おしどり夫婦」は現在も「おしどり夫婦」であった。介護を如何するのか・・・ということではなく、現状を如何に生きていくのかということである。

介護支援専門員が出来ることはその生き方のサポートなのかも知れない。
良い生き方をサポートしたいものである。

波乱万丈の平成21年・・・。  2009・4・18
昨年末4人の入院があったが、お一人が年を越すことが出来なかった。
年が明けて再入院もあったが、そこでもお一人が帰らぬ人となられた。
今再入院中の方は2月末の入院だが、一週間余りの自宅生活で病院に戻られた。入退院が交錯する中で担当件数は不安定な状況でもあった。

ここに来てもう一つ不安定な要素が表面化した。
3ヶ所の施設から入所の打診があった方や突然入所が決まった方もある。もう一方週明けの面接で入所が決まる・・・かも知れない方もあるが、関係者の意向どおりに入所調整も行っている。
もしかして・・・腕が良いか悪いかは読者諸氏に判断していただくこととして、近日中に確実に3件はケースを減らす。

限度件数一杯で年越しを迎えているが、この4ヶ月でひょっとして10件の方々が我が居宅を去って行かれることになる・・・ようである。
数件の追加相談はあるのだが、開業以来の大構造変革である。
開業5年にして守る体制に入ろうとしていた所「守ってはいけない・・・」という神のお告げに似た意識を持った。

「事業安泰で守ってはいけないんだよ・・・」という現状がそこにあるのかも知れない。
「選択の自由を保障」するためにもこの逆境に立ち向かっていかなければいけない。

実はね・・・新車を注文した後のことだったので・・・5万円のローン・・・払って行けるかな???

チビッコギャングその二の帰宅・・・5周年  2009・4・16
チビッコギャングの弟が今日帰ってきた。帰って来たという表現は正確でないのかも知れない。腹の中にいたときから我が家で過ごしていたのだから・・・自分で呼吸が出来るようになって帰ってきた・・・と言った方が正確なのかも知れない。

事務所の隣の部屋で寝ているのだが、泣き声一つ聞かない。聞こえてくるのはその兄がかたこと(赤ちゃん言葉)で喋り捲っている声だけである。たまにお母さん(娘)の声が聞こえてくる。
チビッコギャングは病院から直ぐにアパートへ行っているので家にいる時は如何だったのかは知らない。ほとんど毎日家に来ていたが、一緒に住む前の状況までは判らない。聞いても直ぐに忘れる年頃でもある。
ということで老夫婦と娘家族が同居することになった。
一応家を構えているが、現在の部屋割りから考えて数年後には部屋が足りなくなるだろう。その時に如何するかが問題なのかも知れない。

180度話は変わるが・・・。
四月一日に我が事業所は5周年を迎えている。その話は追ってすることにして、10周年となると私自身が後期高齢者の仲間入りをしている。後期高齢者が後期高齢者の相談に乗っていることが可笑しいと思われる方もあるのかもしれない。しかし事業を続けていく以上、そのような現状がある。

将来的な日程を書き込んでみたが、先日更新した介護支援専門員の期間から言えばあと5年(余り)である。5年後に更新をするかどうかは微妙なところだが、そうなれば67歳が私の定年になる。(その後の計画もある)
もしかして・・・ギネスブックに載る独立居宅の歴史になるのかも知れないが・・・あと2回の事業所更新もあるのかも知れない。(3回目は無理かな???)と自分でも思った。

ギネスブックに載るように挑戦することも意義のあることなのかもしれない。
隣室では「チビッコギャングその一」の声だけが聞こえる。

ターミナルケア加算の根拠  2009・4・16
少し古いが、厚生労働省から出ている死亡場所の統計がある。
在宅と病院での死亡率が逆転するのが昭和50年代中ごろで平成12年からは横ばい・・・というか逆転して安定してしまった。平成に入ってからは80パーセント以上の方が病院で亡くなっておられる。

この関係を修復(どちらが良いかは判らないが・・・)するためにもターミナルに焦点が当たったものと思う。
ちなみに昭和60年代から急激に増え始めた介護施設等での死亡率も数パーセントでしかない。在宅10数パーセント、残り80パーセント以上の方々が病院で亡くなっているという現実がここにある。

昨年1ヶ月足らずの関わりであったが、ターミナルのケースを担当した。
ちょうどお盆時期だったが、本人に合わせて1ヶ月早いお盆で家族が集まられた。訪問時、子や嫁が忙しそうに調理に励んでおられ、その晩酒盛りが始まるということだった。7月14日がその日だったが、それから数日後に訃報をお知らせいただいた。

利用されたサービスは週2回の訪問看護・褥創予防マット・2回の訪問入浴だった。
病名確定の診断を総合病院でして来られたが、入院の希望は本人も含め誰にも無かった。往診医にも何時でも対応できる体制をとっていただいていた。
在宅療養支援診療所の整備と訪問看護ステーションの整備が在宅での死亡率のアップにつながるのだろうが、一件、往診医自ら救急車の手配をされたケースもあった。
病気によっては病院を選ぶ必要のあるケースもあろうが、可能な限りターミナルケアへの支援を行いたいものである。

プロは道具を選ばない・・・新車購入2009・4・15
次女が新車に乗り換えた時に下取り価格で我社が購入した。その次女も次の新車に乗っている。
長女も乗り換えたかったらしいが、その時にも話に乗った。妻が普通車に乗りたがっていたので、長女の車を妻が乗って長女が新車に乗り換えるという構想である。長女の車の下取り価格で我社が買い受け、妻の軽四が私のところに回ってくるという話であった。その話は誤和算になっている。

普通車に乗りたい妻には最後の願望があった。今を逃したら普通車には乗れないが、運転が下手なので果たして乗りこなすことが出来るのかも問題である。しかし、乗りたいという妻に乗せてやりたいという夫兼法人代表があった。妻は副代表(?)妻と二人で作った合資会社だから法人役員でもある。
あとは帳面上の話だから、税理士には保険の関係を口実に、個人名義で車を買うことにした。使用者は法人であり指定事業所である。

ようやく新車をローンではあるが買うことの出来る会社になった。その車を仕事に使うことは当然のことなのだが、訪問主体の仕事上、時として小さな車の方が良いことがある。小回りも利くので日常的に軽四を訪問用にしようと思う。黒塗りの車(と言っても小さな車)で訪問しているよりも良いだろう。ものは言い様である。

気になる燃費だが、妻が乗っている以上はリッター10キロに達しないと言う。軽四でそれだけ燃費が悪い車は珍しい。普通車でも12〜3キロ走っていたので、燃費のチェックが必要のようである。
妻が普通車に乗れば多分7〜8キロも走らないだろう。2000クラス高級車並みの燃費しか出せないのではないかと予測している。半年位経ったら聞いてみようと思う。

プロの運転と素人の運転では燃費が違う。どこで違ってくるかと言えば「余裕」である。無駄なアクセル操作はしないし、無駄なブレーキ操作もしない。簡単に言えば・・・走りたい時にアクセルを踏んで、止まりたい時にブレーキを踏めば良い話である。そのコンビネーションが難しいのだろう。
ケアマネジメントにおいても同じことが言えるのだろう。対象者本人の状況に合わせて、ごく自然にマネジメントを行えば良い。

肩の力を抜いて、状況に応じた判断をして行けば良いのだとも思う。

二重相談・・・信用破綻  2009・4・14
会議の流れで結果を判断するつもりで臨んだ会議だが、現担当ケアマネしか知らない話まで持ち出された。話が前に進まないので、経過を足早に確認した。途中罵声も飛び出したので、結論を判断しその方向へ話を持って行った。

見学していただいた通所サービスを抜きにしてサービスをスタートさせる妻の意向だったが、中一日置いて通所サービス併設居宅から電話がかかっている。「サービスを利用されたら居宅も持たせて欲しい・・・」「サービスを利用されなくても担当されたら???」というのが私の答えだった。そのケアマネも呼んであった。

まとめの方向は、二重相談・信用破綻行為である。相談申込用紙の裏にケアマネジメント実施要綱をプリントしてあるが、事業者側から契約までの間に相談打ち切りの申し出が出来る一項目である。契約は5月1日からだから、申し込み自体が無効になれば契約も成り立たない。
サービス利用が条件の居宅に関しては、表面だって弁明の余地はないであろう。そのことも視野に入れ呼んでおいた。

現担当ケアマネは、事業所に戻って相談しておいたいただくことにしたが、後程電話で確認すると、過去にもそのような行為があったということ。二重相談の常習者のようである。
担当ケアマネに対してお世話になった気持ちがあればこのような対応もしなかったが、裏で陰口を随分聞いてきた。

今後介護は継続するのだろうが、果たして相談に乗ることの出来る方はあるのだろうか???「二重相談=信用破綻」の図式をご理解いただければ良いのだが・・・。

開町400年高岡築城祭り  2009・4・12
開町400年ということで今年は色々なイベントが開催されるが、その一つとして大石引きのイベントが開催された。
前座としてよさこいダンスのグループが華やかなダンスを披露して、子供石引き・一般石引きと続いた。一般の部は1トン余りの石を2〜30人で引くが、中に一チーム、チームワークよろしく道路保護の角材を順送りして、ほとんど止まらずに引いていたグループが目に付いた。

一番最後にメインの大石が紹介されたが、重さ6トン・150人がかりで引くことになる。石垣の基礎部分にはこれ位の石が使われているという。400年前の文献にこの大石引きの様子が残されているという。開町400年を記念にこの大石引きが再現された。
スタートから数十メート来たところで台の角材が折れてしまった。敷き直すことも出来ないので、そのままそりを引っ張ることになった。
沿道には数千人の観客が集まっており、久し振りに活気ある高岡を見た。

家から歩いて1分もかからないところで行われたイベントだが、そこで真新しい標柱を見た。直ぐ前の町内の住人に聞いてみると、今日に合わせて立てられたということ。六体地蔵の祠が建て替えられたのは10年余り前、有志が寄付を募って立替が行われた。
標柱には「高岡城築城陳没者六体地蔵」と書かれていた。何かわざとらしいね・・・とはその場でのひそひそ話しだった。仮にそうだとしたら祠の移転改築は行政が行なうべき事業だったのかもしれない。

大石引きも無事に終わり、秋には市内の各所から登城するイベントが計画されている。御車山も5月1日の御車山祭りと9月にも引き回される。そして、伏木の喧嘩山も二機だが始めて高岡入りをする。
今年1年間はお祭りの多い年になるようである。

ケアマネジャーとシステムエンジニア  2009・4・11
入所の話が三件集中して困っている子・兄妹から相談があった。一件は断られたようだが、本人の選択以外に好条件の施設がある。病状からみても何とも言えない施設なのだが、果たして本人が何と言われるか・・・問題はその点である。家族の安心と本人の意向は必ずしも一致しないことは多々ある。
ちょうど受診の予定があると言われるので、医師の意見も聞いていただくことにした。

タイミングの良い話として良い方向へ向かっている三人の在宅医の話をした。各科の専門医がネットワーク良く在宅医療を分担していただけることになったキッカケは1ヶ月余りの入院中の主治医の働きであった。
病院内ではMSWが、地域では担当ケアマネがソーシャルワークを行なうことになったが、そのことがシステムエンジニアにも繋がると言われる。

システムを如何に組み合わせて製品を作り出すのかというシステムエンジニアは、システム全体の出来上がりを頭において仕事をしておられるということで、ソーシャルワーク・ケアマネジメントにも一致点を見出して相談を終わった。
最終結論は医師と病状の進行を予測して決められるように勧めておいた。

介護事故???  2009・4・10
昨年暮れから現在まで7〜8件MSWと関わったケースがある。半分が誤嚥性肺炎だが、中に首をかしげるケースもあった。事故と言うよりも・・・もしかしたら・・・という内容もある。滅多なことは言えないが・・・退院出来なかった方も何人かあった。

介護職員もそうだが、サービス利用中の方の状況もある程度掴んでいるケースもある。その中に一ケース首をかしげるケースがあった。介護に対する無知と言ってしまえばそれまでだが、前日介護の状態を目にしている。チョットかわいそうな光景を目に浮かべている。

介護は本人の出来ない動作を介護することだが、身体的に出来ないことまで介護で行わせようとしてはいけない。そこに介護事故???はおこる。
身体能力が落ちているのなら医療の手を借りる必要がある。
本人自身がその危険を自覚していないケースもあるが、介護者が無知の場合もある。ここまでが事故の範疇である。

滅多なことは言えないが、無知なのか・意図なのかは本人しか知らない。その後の様子を見て「もしかして・・・」と思った。根拠はない。
他人事ではないが・・・安らかにこの世を去りたいものである。

ケアプランなしでサービスがスタート???  2009・4・4
産休に入るから・・・と5月からプランを依頼されていた。居宅としても了解していただいている担当ケアマネの変更である。
住宅改修が進行中であることは聞いていたが、居宅の変更は5月からである。それまでには住宅改修が終わっており、5月以降のプランを担当することになるが、現在はサービス利用がない・・・はずであった。

妻から入浴が出来ないからと相談があり相談に出かけた。
本人に話してなかったらしく、頭から拒否であった。時間をかけてサービス利用を妻から促していただくことにしたが、こちらからは働きかける術もない。とにかく本人は通所サービス利用を拒否しておられる。
療養型病院への入院を医療連携(主治医からの紹介)で進めていただくこととして、本人の居室を出た。

別室で今後の方向性を妻に指南したが、そこへ出てきたのが車椅子の契約書である。担当を分けているサービス事業所なのだが、在宅担当者の名前で契約が交わされている。???????ケアプランがないのにサービス提供出来るの???という話なのだが、そこには私の事業所名も書かれている。
?????と思いながら担当者に電話をするが、なかなか繋がらない。電話をいただきたい旨留守電に録音した。

担当ケアマネに電話をしてみると出勤しておられたので、直行した。
担当ケアマネも知らない話で、仮にレンタルがスタートすると住宅改修費が出ない。しかもその時点で居宅変更となると、仕事をしただけの報酬が得られないことになる。車椅子レンタルで今月分の請求をして欲しいと依頼した。
どちらでも良いという話ではあったが、受ける側の私がすっきりとしない。

後程用具担当者から電話がかかったので状況を話すと、契約を行ったのは住宅改修に関わっている担当者のようであった。経緯が経緯だけに、今月は「デモ使用」扱いにするように事業所内で話をしていただくことにした。ケアプランのないサービスはスタート出来ない。このことを確認しておいた。
例え車椅子レンタルのプランでも、ケアプランの説明から担当者会議を経て居宅届けを出す必要がある。この手順だけは取りたいと思うし、居宅変更も絡んでくる。ルール違反はいけない。

ということで、気持ちよく居宅変更を行いたいものである。

孫が主介護者・・・他人事ではない・・・  2009・4・2
将来の我が家に良く似た介護環境を目にしている。
別姓同居世帯は珍しいには珍しいのかも知れないが、私の回りでも目にする。婿養子という考え方もあるが、その根底にあるのは相続の問題なのかも知れない。大した相続も発生しない場合は、そう問題もないのであろう。
我が家では昨年暮からチビッコギャング家族と同居している。他県で一人暮らしをしている子の部屋も確保して、住民票上も6人家族であり、順調に行けば近々もう一人増える。
私の知る限りでは最大の家族人数になる。

先日内容は良く判らないが、高齢者と子供には高額の、通常の人は定額の給付金があると世帯連名で通知が来た。世帯主のハンコとサインは私が執務したが、振り込まれた場合の配分は妻の仕事である。
この給付金にどのような意味があるのかは知らないが、くれるものは貰っておこうというスタイルである。
巷では景気回復も見込んでいるような話も聞くが、冷え切った経済が上向きになる要素は感じない。

脱線したが、限りなく入所の方向へ行っている。かなり進んだ認知症はあるが、誰かが居れば困難ではあるが在宅で生活出来る方でもある。
最初の不幸は同居の子が亡くなったことから始まっている。
相談を受けた時点では妻と一緒に在宅生活をする・・・はずであった。その妻も家に帰ることは無かった。
孫の生活も日につれ情況が変わってくる。「良いお爺ちゃん」だったのだろうが、入所の方向へ考えが進んでいる。

こちらでは入所事情が非常に悪い。本当に必要な方の入所を優先させるべきとは思っているが、第二のマイホーム。住み替え感覚の方もある。
このケース必要かと言えば必ずしも必要ではない。在宅サービスを使いながら生活を続けることは出来る。法ルールに基づいた(案)を示してきた。限度額内で、緊急時にはショートステイも利用出来、サービス事業所にも負担のかからないプランである。

ここまで書いてきて、自分の将来を見ているようにも思った。果たして一緒に生活をしてきた状況は如何だったのかは判らないが、優しいおじいちゃんだったと聞いている。しかし現実は施設の方向へ行っている。
妻も孫も大切にしていかなければいけないのだろうが、子が当たり前だと思っている。子の夫は我関せずであるが、家計図に共通性を感じた。
交錯した話を書いたが・・・本当に他人事ではない。
その背景には・・・・・・・。

出来る限り元気にしていたいものである。

大きなバクチ・・・結果良い方向に・・・  2009・4・1
退院調整中のケースだが、MSWから妻が通所介護を望んでいる旨教えていただいた。本人は望んでもいないし、仮にサービスに組み込んでも拒否されるだろうことは今までのお付き合いの中で充分把握している。しかし一応本人に確認を取ることにした。
確認の方向性は妻に納得していただくためのものである。

妻と一緒に病室を訪れおもむろにその話をした。勿論拒否だったが、妻の「足だし」から、亭主関白の彼が言葉を濁すようになった。この変化を見逃さなかった。妻の言うとおりにプランをスタートさせ、行きたくなければ行かなければ良い・・・。この想いが伝わってきた。
本人の意思がはっきりしていないことから、代案を提示した。ホームヘルパーによる身体介護で介護負担を軽減させようという話である。

訪問看護ステーションへ退院前カンファレンスの日程調整に行ってこの話をしてみた。「行かれないでしょうね・・・」誰の想いも同じだった。
妻とはヘルパー派遣の日程調整を行い、ヘルパー事業所には日曜日にも入ることが出来るか確認しておいた。カンファレンス出席も日曜日の派遣もOKである。

プランが固まったのでプランを印刷し始めたところへ妻から電話がかかった。遠慮しがちに「土日のヘルパーさんは必要無いです・・・子が来てくれると言って・・・」どうもこの作戦、大成功であったようである。
母親がそこまで介護に疲れていたことを子は知らなかった。初回の退院前カンファレンスに同席した子である。どうもその子の心を掴んだようである。

ケアマネジメントの目的には如何に関係者を巻き込んでいくかという内容も含まれる。妻一人で囲い込んでいた介護をサービスで分散させる方向を提案した。その話を聞いた子が、私も協力を・・・と申し出た形にはなったが、良い形でこのプランまとまりそうである。
社会資源はサービスだけではない。家族・親族・・・利用出来る社会資源を如何に活用していくかがケアマネジャーに求められる。疲れ切った妻に勇気を与えたのは子の介護力であった。

多分良い在宅介護が出来ていくものと思う。良い子を持たれて・・・良かったですね。それにしても自由奔放に生きて来られたのですね・・・。(他人のことは言えないが・・・30数年前に一緒に旗を振った仲間でもある・・・)

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

ケアプラン・・・良い感じに収まった・・・  2009・3・30
月初めに相談を受けていたが、良い感じにプランが落ち着いた。退院後プランをさわられるのも家族であるが、主介護者に安心感を抱いている。本人の介護のサポートが出来れば良い状況で、余裕を持ったプランにした。
考えようによっては如何にでも変化出来るプランであり、主介護者の時間も作ることが出来る。好条件で良いプランが出来た。

退院後ベッドに横たわった本人と、ベッドテーブルを会議用テーブルに変えて詳細に説明・確認を行った。話がまとまった時点で事業者に確認の電話を入れながら会談は終わった。記録に残せば、これも担当者会議である。
一件契約が終わっていない事業所があり、初回利用日に迎えに来て契約内容の説明をされると言われる。それも良いと思う。退院前カンファレンスで一斉に契約の話をすれば時間は足りなかったであろう。

そうこう話をして話がまとまった時点で本人に確認をした。「週に2回通って、一泊が1回で良いですね・・・・」と。
本人は急に感情が高まったのであろうか・・・感情失禁があった。
「奥さんに感謝してくださいね・・・」と言い残してその場を去った。
色々な人生があるが、その人生を噛み締めていただくのはこれからなのだろう。

良い人生をサポートしたものである。

もしかして・・・。  2009・3・29
お互いに受け止め方があるのだが、事実に基づいた介護支援を心掛けたい。双方の言い分、受け止め方が食い違っていればその確認をしなければいけないだろう。ケアマネジャーには事実に基づいた対応をしていく必要性を感じる。

家族から電話がかかり、入浴をストップしておいて欲しいと伝えたが、入浴をさせたということである。入浴のために病状が悪化したことになると入浴が原因で病状悪化したことになるであろう。そこで問題は、何時・誰に・どのようにその内容が伝えられたかということである。仮に誰かに伝わっていたとして、施設側職員に伝わっていなければ伝えなかった職員の問題であろう。施設内部で問題を解決する必要がある。

薬をもって来ておられないので、医療機関に果たしてかかったのか判らないということに関しては、朝晩塗り薬を塗ってガーゼー交換をされていると言われる。裏表使ったガーゼー交換の実態は、施設職員が目にしている。その薬が何かは判らない。逆に言うとそこまで責任を持つことはないということも通じる。しかし入浴をした事実はある。
この辺りが事前に担当ケアマネに伝えて欲しかった内容なのだが、医療機関に関してもお知らせいただいていない。先週のサービス利用の状況に関して確認をする必要がありそうである。

もっともこのケースは、早期受診を感じたケアマネジャーとの受け答えでギャップを生じている。早期受診ということで家族の同行があれば、受診されるとされた日の2日前には受診で来ていた。その時点で一刻を争うケースだとの認識は持っている。
問題の原点は担当ケアマネにあるのかもしれない。家族の認識を「(保健)・医療・福祉の連携」という所に持っていくことが出来なかった点でのミスマッチである。

何故、医療に強いデイサービスへ、例え塗り薬でも明確にされたかったのかという疑問は残るが、自分でしなければと思い込まれたのかもしれない。
在宅では家族は看護師の役割の担っておられるケースもあるが、利用施設の看護師に何故内容を伝えられられなかったのかという疑問も残るが、一応して欲しくない内容だけを伝えられたと言われる。そのことをしてしまった。

困難事例にも色々あって、お互い思い込むタイプのケースも困難である。そのよりを戻すためにも、私に電話がかかっただけでも良かったのかもしれない。
検証はしないが、確認だけは取らせていただきたいと思う。何時・何処で・誰が・誰に・何を伝えられた・・・のか・・・。それは何のために伝えられたのだったのか・・・を。
5W1H・事実を伝える新聞記事でもこれが基本になっている。

ケアマネジャーは中立の立場でもあるので、双方の言い分を聞いて調整をさせていただきたいと思う。

介護事故???真面目な専門職ほど気になる  2009・3・28
退院の翌日デイサービスに通ったが、熱が出ていると看護師から相談があった。水分補給等充分な介護は行っておられたのでそのまま診ていただくように伝えた。夜自宅を訪問すると、悪寒が来て寒がっているから湯たんぽを入れてあるということだった。火傷の心配があるから、バスタオルなどに包んで、直接肌に熱が伝わらないようにしておいていただくように伝える。

2日後、やけどが出来ている・・・とデイサービスから電話をいただいた。送った時に受診を勧めていただくことにした。夕刻自宅を訪問するが、家族が帰っておられないので、後日訪問することにした。
一日おいてデイサービスからかなり火傷が進行しているという電話をいただきデイサービスを訪問、写真を見せていただき受診の必要性を感じた。

自宅へ向かう途中に皮膚科の診療時間を確認。家族に同行していただければデイサービスの車も借りることが出来る・・・と思いながら自宅に向かうが、休日の(ハズ)の子の夫が居ない。そこで子(主介護者)に携帯電話をすると、仕事中だから・・・と迷惑そうであった。夫に同行を求めて良いかとの確認だけの電話だったが、電話対応では、担当ケアマネジャーが関わること自体が迷惑そうであった。そこで確認すると「月曜日に受診すると言っているでしょう・・・」ということだったのでその言葉を信じた。

ちょうど1週間目に管理者兼看護師から電話がかかった。不幸があって忌引き中なのだが・・・と。
施設を訪問して職員・看護師に確認すると写真を見せていただいた。・・・ひょっとして・・・と医療素人の私にもひょっとしての判断は出来た。滅多なことは言えないが、火傷部分の下肢切断である。
デイサービス職員に対して、『介護・健康メモ』の記録を見ていただくようにテーブルの上にメモを置いていただくように依頼した。皮膚科の救急搬送はあるのかは判らないが、放っておくと命にも関わるのかもしれない。

心配になった管理者から電話がかかったが、記録を大切にしていただくように伝えた。受診を約束しながら受診していない家族だが、これは介護放棄にも通じる。
家族の立会いさえあれば受診支援が出来る・・・という主旨の電話で「仕事中・・・」だと怒られた。担当ケアマネ・サービス事業所の出来る内容は、家族の支援でしかない。在宅介護である以上、介護者は家族である。

とにかく担当ケアマネの記録を届けることにした。出来る限りのことをしようとしたが拒んだのは家族である。受診に行くと言われた日には受診しておられない。何処で準備された薬かは判らないが、その薬も通所持に持参されていない。ガーゼーも裏表使用されており、入浴禁止の連絡もなかったそうである。

担当ケアマネの記録はその要だけは記録している。
記録の方法にも色々あるが、日を追って事実関係を記録していかれれば良い。それが可能な記録用紙を使っているが、主旨は双方向型の記録である。一週間分をカレンダーにのって記録出来る様式なのだが、必要な方があればメール添付でお送りしたいと思う。是非ご活用いただきたいものである。

何とか提供票を作り終えた・・・  2009・3・27
ケアプランソフトの対応が月末だと連絡をいただいていたので、予定だけ確認出来る利用票で従来通りのスタンプラリーを行ない、加算情報が入った事業所の分は朱書きでお伝えしてきた。何らかの加算が付くかもしれないことをお伝えしながらの別表の説明だったが、了解いただけた。

早朝からソフトが動き出したので、順次修正を加えながら提供票を作ったが、結果丸一日かかってしまった。
ソフトが対応していないのかと思い、飛ばしたサービスもあったが、改正内容をマスターしていなかったことに気付いた。訪問介護に関しては基本単価だけの加算であり、+α分は無かった。このことに気付くのに半日かった。

一件報酬改訂に関して相談があったので、利用日の問い合わせがあった事業所といっしょに訪問した。問い合わせがあった事業所に関しては留守だったので、書類を投げ込んでおいたが、相談を受けた事業所では深刻な問題が発生していた。書類上の問題なのか、根本的に理解されていないのか・・・加算の根拠を出しておられながら、非該当の文書を作っておられる。4月には間に合わないだろうが、県へ行って来るとのことだった。

土曜日にほとんどの事業所へ郵便配達に出かけることにした。残りは週明けに配布するが、少し軽くした。担当者会議も予定しており、31日は月一回の憂鬱な日である。最近はそうも思わないが、何とか軌道に乗ったのであろうか???
今回の報酬改定は3%と聞いているが、概算だが、我が事業所では5〜6%の加算になるようである。半分近く独居・認知症だから、改正の方向に乗ったのかもしれない。

一件だけ4月の予定が決まらないケースがあるが、週明けには退院していただける体制は整えた。久し振りに家に帰って、昔を懐かしんでいただければ良いと思うが、状況は大きく変わっている。
生活は苦しいかもしれないが、平和な家庭がそこにあるのかもしれない。
ケアマネジメントは理論ではないと今回も思った。

病院連携・医師連携・・独立型MSW???  2009・3・26
市内の3総合病院と療養型病院へ足を運ぶ予定の一日だったが、前日入院中の妻から電話があった内容が気になった。
朝一番に妻を訪ねると、退院した足で神経内科へ受診をする予定だと言われる。退院を前提とした主治医からの話なら、最低限訪問看護ステーションも同席する必要があると話し、ステーションへ向かった。

早番の看護師と駐車場でお会いしたので後を追ったが、管理者は9時出勤だと言われる。20分余り待たせていただくこととして、午後の主治医の話しに立ち会っていただくことにした。
病院側への連絡は地域医療連携室を通じて「訪問看護も立ち会って良いですか???」とステーションから問い合わせていただくことにした。

病院から療養型病院併設のショートステイへ預り入院をしたかたを移動同行している途中に訪問看護ステーションから電話がかかった。退院前の主治医の話ではなく、その病院に無い科の紹介に関しての面談だということで、訪問看護ステーションとは退院が決まった時点でカンファレンスを予定しているということだった。引き続きMSWから電話がかかったので、同席させていただくように伝えていただくことにした。

ショートステイへ無事送り届け、午後一番に別の病院での退院前カンファレンスを済ませ、主治医との話しに同席させていただいた。時間前だが、主治医から担当ケアマネが来たら連絡が欲しい・・・ということになっていた。歓迎されている。
主治医との話の中で4ヶ所目の総合病院も話題にしたが、通院が出来る状態かを先ず確認した。非常に難しいという判断だったので往診で対応出来る方向を模索した。結果出てきた言葉が、紹介状とMRI・CT・症状を写した写真も含めて、フロッピーに入れて準備するから、画像診断を依頼出来ないか・・・という内容であった。開業医に面談して出来ることなのかを依頼してみることにした。

一件用事を済ませてからクリニックへ向かい、出来るか出来ないかの相談に来たのですが・・・と医師に面会させていただいた。
午前中の報告を済ませてから、画像診断と必要ならば・・・ということで往診を依頼した。.快く引き受けていただけたので近日中に妻に同行して画像診断のための受診をすることになった。

ケアマネジメントにソーシャルワークも包括されるのだろう(通常はソーシャルワークの一部にケアマネジメントがある)。医療連携を中心にしたソーシャルワーカーをMSWと略す。
開業一年余り経った時だったが、県MSW協会との出逢いがある。独立ケアマネでありながらMSW協会会員でもある。今日ほどその立場が・そのつながりが役に立った思いをしたことはない。標題の通り「独立型MSW」である。

開業医に画像診断を快諾していただけた時には「ヤッタ・・・」と心の中で祝砲が爆発した。
さりげなく病院MSW・訪問看護ステーションに方向性を報告した。
慎重に・・・慎重に・・・医師に快い連携を進めて行きたいと思う。

二枚舌  2009・3・24
昨日10時の約束でもあったので認定調査前に超特急で市も含めて6事業所を巡回している。2時間で6箇所だから要件だけしか話をしていない。その中に重要な話もあった。

重要な話とは、利用者側の意向に合わせて『自己作成支援』を行っているケースだが、住宅改修事業所から当事者からも申し入出がない改修工事に関する理由書の依頼である。最初の時点で担当課には取り扱いを相談しているが、自己作成支援をしているケアマネには書けない内容のようでもある。
先日間違えて妻の携帯電話に電話をかけた際に、「あんた誰・・・・」という返信もあった。ということは携帯電話の電話帳から削除されている・・・ということである。第1の不審は自己作成の代理提出でシステムが便利になりすぎて電話の必要も無くなった・・・ということである。何もしなくても必要なサービスは利用出来る。

そこで出てきたのが、住宅改修の意見書を誰が書くか・・・ということである。
担当課には問い合わせをしてあったが、結論を先に言うと担当包括が書くことになる。

携帯電話の不審もあり、サービス事業所へは相談しておいた。「認定期間満了で自己作成支援終了だね・・・」と。
今朝電話がかかってきて、下水工事に伴う住宅改修をしつこく迫られているが、当分は改修しない予定だと言われる。改修事業者からはしつこい位担当ケアマネの意見書を求めてくる。自己作成支援をしているだけだと伝えるが、意味がお解かりにならない。要支援の担当は地域包括支援センターなのだが、母体法人(施設)が嫌いだから、そこにプランを書いてもらいたくない・・・ということで自己作成支援を開始している。

午後市から電話がかかり、住宅改修をしたい・・・ということであったということ。朝一晩(7時前)にかかった電話では、下水工事に合わせてセールスが回っているが、当分の間改修はしない予定だということだった。
『二枚舌』自己作成のプランを継続して欲しい気持ちはあるが、自己作成支援をしてもらっている事業所(ケアマネ)の電話番号を携帯から削除してしまった。『自己作成支援』という形で楽な支援も受けたいが・・・住宅改修もしたい。
そこで出てきたのが『詭弁』である。

朝一番に愛想良く電話がかかった。
住宅改修は事業者から責められて・・・責められて。下水工事のついでにやられませんか???と責められているが、今はしないつもりだということだった。
午後市からかかった電話は住宅改修を如何したら出来るのかという相談だったと言われる。電話でする話でもないので直行したら、丁度包括も来庁中だったとか・・・メンバーは揃った。

自己作成に至るまでの概要をお話して、携帯電話電話帳から削除され、もう信頼関係はないことも確認して、包括へは何時移動していただいても良いと・・・。
自己作成の始まりは包括受諾法人自体嫌だということで、妻の『我が侭』に一年数ヶ月お付き合いしてきたが、もう自己作成支援は必要無いだろう。
サービス事業所からの依頼もあったので、妻の意向に沿った自己作成支援を継続してきたが、ボランテイア・・・と言うよりも、費用もかかるボランテイアであった。

同席した包括担当者には、何時自己作成から変更していただいても良いと告げてきた。一応認定期間満了までの文書を作ったが、昨日一時保留にした。
でも、週末には本人のファイルに綴じることにした。

退院支援と退院・入所支援  2009・3・23
まだ地域医療連携室からは連絡をいただいていないが、MSWの退院支援への具体的日程調整が始まった。担当者がほぼ全日外出中だということで伝言をお願いしてきたが、日程としては家族の勤務状況からもその日(指定された日)しかないという現実がある。この日程に乗っていただかなければ、指定された日の退院は無い。退院支援とはそういう要素も含まれており、MSWからケアマネジャーへバトンタッチされる日程調整でもある。

もう一件、一時避難的に入院していた方のショートステイへの移動もある。先日申し訳なさそうに受け入れカンファレンスの連絡をいただいた。1時間余り時間が空くが、その間に用事もあるだろう。「ハイ・サヨウナラ・・・」という訳にも行かないので、出席させていただくことにした。報酬改定にかかるソフトが動き出す日だが、半日は思い切っていた。
午後は退院支援のカンファレンスである。

退院に向けて翌日用具を入れるスケジュールになるのだが、微妙なところで車椅子が通るか・・・という問題が起きている。見たところ何とかなりそうでもあるが、用具搬入に立会い、必要ならばその場で用具の選定を行いたい。しかし・・・。

報酬改定にかかるケアプランソフトが使えるようになるのが26日。加算の申請が25日までだから、加算情報も各事業所からその日には届いているだろう。しかし1日、退院支援とカンファレンスでつぶれてしまう。徹夜をしてでも修正提供表を作成する予定でいるが、時間が無い。ひょっとして日曜日にも提供票を配っているのかもしれない。

そういう中、認定調査の依頼があった。今回だけは日程的にも無理なので電話で断ったが、来月の報告になっても良いから・・・とは言われるが、対象者に連絡を取ること自体が来月になってしまう。一応お断りするということで、来月に入ったら依頼が来るのかもしれない。
業務が多様化しており、来年度認定調査の依託を受けることが出来るか微妙なところへ来ている。

多様化した業務の一部に自己作成支援があるが、支援を受ける側にもマナーがある。電話番号を削除された・・・のかは判らないが、誰から電話がかかったのかわからないことでは困る。便利になり過ぎたシステムにあぐらをかかれたのは利用者側なのだろう。本人・家族からの依頼の無い住宅改修に関して、事業者から度重なる電話をいただいている。
ボランティアのつもりがどうも便利屋になっているようである。
このケース、認定期間満了で自己作成支援も満了することにした。1年半黙って支援を行ってきたが、判っていただけない方には判っていただけないものである。
サービス事業所担当者にはそのことを伝えてきた。

超多忙の日曜日・・・報酬改定に向けて・・  2009・3・22
日曜日もフル活動になってしまった。報酬改定に関しては加算改定であったので、手元に届いている加算内容を朱書きして、他に加算があるかもしれないことを告知しながらのスタンプラリーだったが、約90%終了した。
一件緊急ケースを受けたので水曜日にはケアプランの合意をいただかなくてはいけない。下書き段階だがケアプランの骨子は出来た。

今日動かなかったら月を越すことは難しかっただろうが・・・何とか月を越す見通した立った。あとはソフトの対応を待つだけ・・・のような感じになってきた。それにしても修正をしながらの提供票作りだから一日はかかるだろう。無事退院支援を行いたいものである。とにかく日程は詰まってしまっているので明朝日程調整をする必要が出てきた。

そういった状況の中で認定調査を一件受けてしまった。担当者には「多忙でね・・・」と足止めをかけておいたが、依頼があったからは断ることも出来ない。依頼がある前の断り方法・・・依頼したくない状況を作ることも必要なのかもしれない。とにかく限界に来ている。

自己作成扱いの住宅改修に関しては来月に回してもらった。この相談は改修事業者からの相談であり、本人・家族からの相談ではない。妻に相談の電話を入れるように事業者に伝えたが電話はかかってこない。相談の無い住宅改修には関わる必要は無いだろう。実は大きな問題が根底にある。

先日間違えて妻の携帯に電話をした。電話番号は交換していたので「ゴメン・・・間違えました・・・」と電話を切った。後程電話がかかってきて「あんた誰???」「00ですよ」と名乗っておいた。
自己作成の代理提出が認められてからそろそろ10ヶ月位になるだろうか・・・私がいなくてもサービスを利用できると勘違いされたのであろうか・・・携帯電話の電話帳から私の電話番号が消えてしまっていたようである。

自己作成支援は勿論ボランテイアなのだが、多少なりとも経費が発生している。その存在を忘れられたのであればもうボランテイアの必要は無いだろう。業界に全く無関係ではない方なのでこの対応には怒りを覚えている。
そういう背景もあり、住宅改修に関する相談は無い。相談がない改修の理由書を如何欠けば良いのであろうか???改修事業者から意見書を求められる筋合いは無い。

もうしばらく放っておく予定であるが、家族から電話がかからない限り理由書は書かない。自己作成支援だから担当ケアマネでもない。
担当地域包括が嫌だと言われるから自己作成支援を行ってきたが、包括にプランを書いてもらえば良い。再委託もしないという包括だから、何とかしてあげようと営利事業所がボランテイアを行ってきた。自己作成プランの代理提出も認められ、何もしなくてもサービスを受けることが出来るようになった。

そこで電話番号も携帯電話から削除された。
「あんた誰・・・」の答えは「もう必要なくなったのですか???」であろうか・・・。
一年半も我が侭を聞いて黙って自己作成支援・代理提出を行ってきたが、もう良いだろう・・・「地域包括支援センターに書いてもらってください・・・」と言っても・・・。

認知症専門棟のショートステイ相談  2009・3・21
半年余り前に精神科病院を退院して、在宅生活へカムバックされた方がある。入院中は一時危険な状態もあったが、安定した療養生活を送ってこられた。ただ、先の法改正がキッカケで療養型入院施設ではなくなった。病院の方針なので致し方ないが、貴重な社会資源を失うことになった。その法改正の内容が、主に管をつけた方々に有利に働いていることは事実である。

先日要介護5の方なら療養型病床の対象になることをお聞きした。管と要介護5が療養型病床の入院要件のようである。しかし、余程のことが無い限り、動ける認知症で要介護5は滅多に出ない。先日も精神科医の開業するクリニックでは「私が意見書を書けば4は出るかな???」と言われて来たと聞いたケースもある。
認知症で要介護5は至難な業である。

法の方向性はともかくとして、必要性のあるショートステイ利用に関して相談にいった。相談員からは「受診→医師が必要と判断→病院内の何処でサービス利用になるのか→サービス利用の相談」の手順になるらしい。何処でという点に関しては、相談員は「認知症専門棟でしょうね・・・」という見解であった。誇大しては伝えてないが、フェースシート(初回・再来)だけでそう読み取っていただけた。先ずは作戦成功である。

あとは家族が受診予約を取って受診→利用決定→継続的受診→入所・入院という図式である。費用はかかるだろうが家族が生き残る道はそれしかないのかもしれない。
今一番幸せなのは認知症状の中で生きている本人なのだと思う。好き勝手言って、家族を介護疲れの状態に追いやって、それでも好き勝手をやっている。
私はその生き方を見習いたい・・・のだが、現実社会はそうではない。

先日もある方にお話したことなのだが、「ケアマネジャーはサービスを依頼する立場だから低姿勢ですよ・・・」と。充分ご理解していただいていたのでもう一言付け加えておいた。「サービス提供者にも勘違いしている方もありますよ・・」と。
たったそれだけの会話だったが、充分に背景をご理解いただけていた。

利用者を核とした良いネットワークを作っていきたいものである。そこにはお互いの立場の優位性は無い。利用者を取巻くネットワークは横一列の関係である。それでも私はサービス提供を「お願い」してきた。
今日「在宅・緩和医療懇話会」に出席してきたが、講師の医師は「地域におけるネットワーク作り」を力説していかれた。
チームで支えるとは・・・ネットワークが機能することである。

まだ医師に説教するほどの年齢には達していないが、ネットワーク作りはネットワークメンバーが同じ立場に立つことから始まる。「医療・保健・福祉(介護)」「保健・医療・福祉」「福祉・保健・医療」書き方としての順番が如何でも良いとメンバーが思えた時がその時なのかもしれない。
今日も脱線したが、相談当初の名刺交換は無かった。こちらの名刺は渡っているのだが・・・帰りがけに恐縮そうに名刺をいただけた。

このかけ引き・・・大成功だったようでもある。

人生とは・・・  2009・3・20
ソフトの関係で月末に超多忙を予測してスタンプラリーを開始したが、7〜8件予定をして事務所を出た。休日でないとお会い出来ない家庭を二件訪問したところへ電話がかかった。退院が決まったらプランを依頼されていた方だが、MSWと一緒にお会いしたのは月初め、月末に向かう予測はしていたが、本当に報酬改定で忙しい最中の退院になった。

地図では確認していたが手ぶらで出ていたので、大凡の道順を聞いた。住宅地の入り口に来たら電話をすることにして、一路自宅へ向かった。
そこへもう一件電話がかかった。先日来「食べる・食べたいとは思わない・・・」の繰り返しの方の解決策に関してであった。急な相談が入っているので夕方に訪問する約束をした。

相談後、今日しかお会い出来ない方を二件訪問して駆けつけた。結論は出ていたのだが、妹宅の味噌汁が冷めない距離での生活が始まる。その決断をさせた事実が、毎週通っている(ハズの)デイサービスから「迎えに来なくなった」という発言だった。認知の度合いを妹さんが察知された。
後程自宅を訪問してヘルパーも立会いの下で本人に内容をお話したが、大凡の内容は理解されているようだが、真の意味は理解されていなかった。

一人暮らしが限界に来た方。離婚当日倒れて、病気が復縁のキッカケになった方。人生の目に見えないつながりを見せていただいた。
人と人とは本当に「赤い糸」で結ばれているように思えた。切っても切れない縁とはあるものである。

ケアマネジメントとはその「赤い糸」を手繰り寄せることなのかもしれない。いずれもほんの2〜3週間の間での出来事であったが、キッカケだけは作ることが出来たようである。そしてこれからがケアマネジメント本番である。果たして満足していただけるマネジメントが出来るのであろうか???
その種だけは蒔いた。

見切り発車・・・。  2009・3・19
ケアプランソフトが26日からしか動き出さないので、順次利用票に確認をいただいている。施設サービスの基本は動いていないので、若干の「加算」があるかもしれないということで了解を得ている。
訪問系サービスに関しては、ソフトが対応出来ていないので手書きで変更単価を書き込んでお伝えしている。提供票を起こすのはソフトが機能してからでも良いだろう。26日には動き出すということなので、徹夜をしてでも作り終え、土・日で完配したいと思っている。

通常利用施設へ提供票を届けるときは、サービス利用のモニタリングも兼ねているが、今回は郵便配達である。
カレンダーを眺めながらスケジュールを調整しているが、ほとんど時間がない。そういうところへ、義務を果された方から電話がかかった。準備していないので、報酬改定が行われ、提供表の配布まで時間が詰まっていることをお伝えした。義務を果せば権利主張になるのだが、今回だけは待ったをかけた。問題が無ければ即応したのだが、問題があったので準備出来なかった。

今月のスタンプラリー(別表に関しては変更があることを伝えながら・・・)は順調にいっている。
独居で別居の子からも「鍵」をかけて置くように言われている「おばあちゃん」に会えた。もうスタンプラリーは終わったも同然、この「接近困難」な状態が、日々負担にもなっている。月一訪問とは大変なことでもある。

事業者にお会いすると加算要件が出てくる。
加算に関しては担当ケアマネでは判らないのでお知らせいただく必要があるのだが、ソフトが動き出すのが26日・・・それまで届いた分は加算も入れて提供票を作るが、それに間に合わない事業所は実績で合わせるしかないと思っている。
そうこう思いながら我が事業所の加算状況を確認してみた。

3%の報酬改定だと聞いているが、その倍に近い報酬アップがありそうである。加算中心の改定ではあったが、加算に見合う仕事をしていたのかもしれない。その代わりと言っては何だが・・・提供票を期限を切って発行することに余裕がなくなって来ている。日曜日にも郵便配達をしているのかも知れない。

居宅変更の難しさ・・・  2009・3・18
男性ケアマネでは無いことなのだが、何故か女性ケアマネが多い。ケアマネに限らず介護職員も圧倒的に女性が多い介護保険界だが、その女性ケアマネから声がかかった。娘のような年代のケアマネさんなので、是非協力をしようと思い、あらゆる方法を模索した。
非常にお目出度いことで、来月以降産休に入られる。そのカバーを事業所では出来ない背景があり相談があった。5月から担当を引き受けることにしておいたが、チョッと問題が出てきた。

在宅と入院を繰り返しておられる状態的に不安定な方なのだが、そういう状況もあり、当面ケアプランは発生しない。同行面接を済ませた後、住宅改修の相談があった。果たして担当ケアマネがありながら住宅改修の意見書を私が書くことが出来るかという問題である。

居宅届けは、ケアプランに合意いただいて、契約を結んではじめて提出出来る。この手順を定着させるために、市では、相談→ケアプラン原案作成→ケアプラン原案に合意→契約→サービス担当者会議→居宅サービス計画作成依頼届けの手順を定着させるためにケアプランチェック事業を行ってこられた。新規だが、居宅届けを出す際に一〜三票・サービス担当者会議記録を添付することを義務付けられて来た。
私は開業以来その手順で居宅届けを提出しているので何の違和感もなかった。今回その実践がクローズアップされた。ケアプラン無しに居宅変更届を出すことは出来ない。

そういう意味もあって担当課に相談した。実は前日私への連絡が取れないと相談を受けておられた担当者があったので、その方を通じて相談したら予想通りの方へとつないでいただけた。最近は無いが時々衝突をしたこともある方だが、介護保険法に精通しておられる方でもあった。
協議の結果、住宅改修に関する意見書を私が書く訳にはいかない。そして、居宅の変更もケアプランが発生しない以上、私が担当することも出来ない。
一応同じ見解が出たので、ついでに自己作成をしている方の住宅改修に関する意見書に関して聞いてみた。意見書を書くことが出来るのはケアマネジャーであり自己作成は出来ない・・・ということでまたまた問題提起になってしまった。

結論としては誠に申し訳ないことになったが、居宅変更が出来ないのだから、前任者が住宅改修の意見書を書く必要がある。本人と面談してその足で家族にお会いすることとしたが、向かう道中電話がかかった。「私も今から向かいます・・・」
一通りの話が終わったところへ担当ケアマネさんが到着したが、担当ケアマネが知らない見積書があった。・・・事業者ももっと繊細な気を使わないといけないが、私のルートでは必ず同じ書類がケアマネにも届く。
如何評価して良いかは判らないが、今回は事業者の手抜きでケアマネが苦しむ結果になったということであろうか・・・。

独立ケアマネは事業者を選ぶ。ここにも「選択の自由を保障する」要素が隠されているのかもしれない。
ケアマネジャーは組織に所属しておられても、自由に事業者を選んでいただきたいものである。

大型リグライニング車椅子  2009・3・17
利用者の中で2人目になるが大型リグライニング車椅子が必要になった。もう一方ショートステイでは超大型リグライニング車椅子を使用されることになる。福祉用具の変化は重度化の証、腕の悪いケアマネジャーだということを身にしみて感じた。

大型リグライニング車椅子はベッドにも変わる機能を持つが、その機能を使いこなせないととんでもない重介護の道具にもなる。その電話がかかった。
話を聞いてみると、スロープや段差を上がる時にも後部への転倒防止レバーを外しておられない。ねじを緩めて外すようにアドバイスをした。
数分経ってお礼の電話がかかってきたが、口調がまるっきり違っていた。丁重にお礼をいただけた。

施設職員によれば説明をして来られたそうである。主介護者が留守の時には居室で安全な状態で独りで留守番していただいているようだが、たまたま主介護者が帰っておられ、玄関で引継ぎが行われたようである。「家の中まで入れてもらわれたら良かったのに・・・」と言うと「お世話になっているのにそんなことはさせられない・・・」ということであった。その後大変な事件(?)がおこっている。激怒するほど車椅子が憎かったらしい。

この(大型)リグライニング車椅子を使っている方は随分数多く知っている。重度障害者の方々はこの車椅子に生活を支えているのだが、高齢者にも必要な方が増えている。重度化してもこの車椅子があるからこそ通所サービスなどを利用できる。かなり重度な方を連れ出しているが、入院もそうだが、家に閉じこもってもねたきりの道へまっしぐら、2週間の入院で寝たきり度が進むことは実証(?)されている。

年末から続いた入院ラッシュももう一方の退院を待てば全員在宅復帰になるが、そろそろ20日目に入ることに危機を感じている。1週間の入院計画が20日間に近付いている。若いと言えば若いのだが、私の10歳上のお兄さんである。
果たして何時まで仕事が出来るかは判らないが、病気の原因も心当たる方だけに、他人事とは思えない。元気で帰ってきて欲しいとは思うが、酒で痛めた身体はなかなか元には戻らない。

人間とは判っていてでも改めることが難しい動物のようでもある。動物学者ではないので判らないが、人間以外の動物はそのことさえ判らない・・・のであろうか???
今日はとんでもない方向でのまとめになってしまった。

現実の確認・・・納得・・・  2009・3・16
先日から弁当騒ぎが起きていた。週1回のデイサービス以外の日に届けられる昼食の弁当だが、デイサービスが休み(祭日)にはヘルパーを追加派遣してきた。人間最低限二食は食べなければいけないという担当ケアマネの生活支援プログラムである。
過去に「食べたくなければ食べなくても死にはしないよ・・・」と言われた方があった。直接の死因にはならないかもしれないが、医療のお世話にならなければいけないことを暗示したことがあった。

「食の自立支援サービス」の直接の連絡先が変わった連絡をしておいた。今日はその方面から攻めていただけたようだが、食べて無かったそうである。
食べてあっても食べて無くても弁当代は払っていただくが、背景に大きな問題がある。だから食べたくなくなったのであろうが、その背景は充分に承知している。心の支えになっていたのであろう兄が先日他界された。
一年半前「食べたいとは思わない・・・」方を担当している。経緯はMSWからの相談であり、近くでもあった。

なが〜〜〜い入院中に養護老人ホームへの入所が決まっていた。しかし入所を拒否したのは本人である。
拒否の理由は判らないが、長年住みなれた家に心が残ったのだろう・・・それはそれで本人の選択である。
本人の選択に基づいて支援を行っていくのがケアマネジャーなのだとも思うが・・・何が最善だったのかを見極めるのもケアマネジャーなのかもしれない。

親族を交えて経過も含めて話をした。関わって頂いていた兄が他界されたので妹にバトンタッチされたが、経過も迫っていたので、経過に基づいた支援を行おうというスケジュールを示しておいた。どうもケアマネジャーが全てやってくれると勘違いされたのであろう。計画の全ての責任が家族・親族にあることをお伝えした。バトンタッチされたあなた方が良いと思う方向で、これと・これを行っていただきたい・・・と。

昨日電話をしたが繋がらなかったヘルパー事業所の管理者から「ゴメン・・ゴメン・・気が付かなくて・・・」と一日ぶりに電話がかかった。「風呂に迎えに来ないよ・・・」という話が出ていたので確認の意味で電話したことを伝えた。
通所拒否があれば電話がかかる事業所だから、、「迎え」がないことは頭から信じていなかった。その確認の電話を前日していた。

結論が出ない話なのだが、一つだけ結論を出した。今本人に迫っている問題解決に向けて行っている支援は、亡き兄からのバトンタッチのつもりだったが、「ケアマネさんが全部行っていただける」と後任者に取られているようなので親族の責任も明確にして、身体を透かした。
ただ今回本人の状態を直に目にしていただけたことは成果であったと思っている。

人の後見を引き受けるということは容易なことではない。その重要性を妹さんに判っていただけただけでも良い結果だと判断している。
大きなパワーを持って担当ケアマネから巣立たれた「親族」を目にした。

こまったチャン・・・二件・・・  2009・3・15
続くもので、「こまったチャン」の相談をしていたらもう一人の「こまったチャン」から電話がかかった。ケアマネジメントとはかけ離れた分野でのこまったチャンだが、社会生活の基本で困ったことが起きている。一件は高等分野であるが、一件は低レベルである。本当にそうなのなら、施設で保護しなければいけない。

社会生活を営む上で守らなければいけない権利義務がある。介護保険サービスに関しても守らなければいけないルールがあるが、それは保険料の納入と一部負担金の支払である。その支払が滞っているケースがある。施設側からは最期通告が為されているが、金額が大きい。半年余りの利用でその半分以上を貯め(?)込んでおられる。サービスを止めるという話になっても致し方ない。

そういうところへ、弁当を再開して欲しいという電話がかかった。そこまでは良かったが、最近「風呂」から迎えに来ない・・・ということである。通所拒否があれば電話が掛かって来る事業所なので、記録を見て欲しいと親族に伝えるが、記録が見当たらないと言われる。直ぐに行くことが出来なかったので、明日お会いすることにした。
確認の意味で自宅を訪問したが記録用紙が無い。

以前、養護老人ホームで保護することになったことのある方だが、入所段階で本人の拒否があったと申し送りをいただいている。
通所したかどうか記憶にない方が、ひとり暮らしが出来るかは問題である。常識から考えても出来ないだろうから、ケアプランの方向は違う方向へ行くだろう。私の立場は在宅介護支援専門員であり、ソーシャルワーカーではない。丁度保護申請の予定をしているので、保護課ワーカーにお任せしようかとも思う。
通所したかどうかの記憶が無いということは、かなり認知も進んでいる。

以上が一つの筋書きだが、考えられることが本人の性格に帰する問題である。自分を正当化させるためにケアプランを次々に否定して、自分を正当化させていこうとしておられるとしたら、これは信頼関係の崩壊でもある。
答えは2ヵ月後に出るのだが、状態も良くなっており、支援が出る可能性が非常に大きい。認知(の素振り)が通用しなければ「包括さん・・・お願いね・・・」である。2度と担当することはないであろう。そうならない為の努力・準備も重ねて来ている。

休日の話でサービス事業所への確認こそ出来なかったが、「認知症」が進んだのかどうかは判らない。
詳細は休日明けに明確になるのだろうが・・・休日に二件「こまったチャン」が続いた。

ケアプランソフト・・・間に合うか・・・。  2009・3・14
通常なら10日過ぎの週末に利用票を作成しているが、今月はソフトがメンテナンスに入る。他にも同様のソフトはあるが、開業当初から使っているソフトにデーターが入っているので、なかなか変える勇気が湧いてこない。
とにかく報酬改定に関してのメンテナンス・リリースが終わるのを待つしかないようである。使い始めて5年も経つと、余程のことがない限りは惰性で行くようである。

土曜の夜から月曜日の早朝までの約束なので、月曜日の朝から利用票を作成しようと思っている。改定された点数になっていれば通常通り作るが、加算に関してはわからない。提供表を配布した時点で確認・朱書きで修正を行えば良いと思っている。
通常、スタンプラリーと郵便便配達に2週間予定しているが、月末には余裕を見ている。そういう意味からも今月は会計事務にシワ寄せが来そうな感じである。ましてや30日に担当者会議を組んでしまった。

今月は特別な月でもあるので、記録を少し手抜きしようと思っている。
仮にソフトが対応していなければ、別票だけ後日(来月)確認ということにしていただこうと思っている。利用予定だけ確認して、負担に関しては来月の訪問時に確認すれば良いだろう。
とにかく2段階での確認が必要になりそうであり、限度額オーバーの方だけ、今月中に確認出来れば良いだろう。

先の法改正時はそうも思わなかったが、今回は加算が随分と多い。事業所から加算等に関してお知らせいただければ随時ソフトの中で作り変えるが、結果は実績で合わせるしか方法が無いのかも知れない。しかし変更分の書類は作っておかなければいけない。
・・・・・・・・・。
とにかくやってみなければどうなるかは判らない。紙とトナーは充分準備してあるので、しばらくは印刷屋が中心になるのかもしれない。

待った無しの対応に感激・・・。  2009・3・13
スケジュールに押されてお会いする時間が遅くなった。切羽詰った状況でもあり、出来れば明日まで対応できれば良いと思いながら、施設へ向かった。
約3週間の入院でかなり体力は弱っている。同じ状態の方が二人あったが、一人は入所を選ばれた。
在宅生活を続けられる方に関してデイサービスから安定した生活を続けられる車椅子の提案である。大型リグライニングヘッドレスト付き、アームレスト対応・・・要約すれば、枕付き・背もたれ(足も)が自由に動き、肘掛も移乗の際に邪魔にならない・・・車椅子である。

待った無しでレンタル商品を準備していただけたが、家族と連絡が取れない。本人が居る(ハズの)自宅を訪問するが、鍵は固く閉められている。
18時も回ったのでメモを書いて家族に伝えようとしているところへ担当者から電話をいただいた。用具の問屋さんが待機しているとのこと・・・今日は諦めることにした。
明朝デイサービスの迎えの少し前に用具を持って行っていただくことにした。

デイサービスセンターへ連絡をすると、迎え時に留守のことが多いと言われる。車椅子が届いているから、乗り換えてから通所していただくように依頼をした。
目が覚めるような対応を目にして、短い気を見透かされたようにも感じた。そういえば随分速い対応を各事業者にしていただいているが、私に合わせていただいているのかもしれない。
理由は何であれ、そうだとすれば少なからず影響を与えている訳である。

最近思うことだが、若い方・しかも女性の対応に感銘している。
中にはのらりくらり組のおばちゃんも混ざっているが、『介護』に関わる内容で『かけ引き』をしてはいけない。ケアマネジャーが相談していることは必要なことである。気を持たせるような対応は余り好きではない。
誤解がないように・・・。職業柄、即対応を心掛ける姿勢は年齢に関係ないのかもしれない。それが『資質』持って生まれられたものなのかも知れない。
子の年代の方のテキパキとした対応を目にすると、そろそろ引退かな???と思うことがあるが、おばちゃんにまで定着させるまでは現役でいなければいけないのだろう。

昨日、同年代のおばちゃん(おばあちゃん)にお会いしたが、心なしか干支を一回しした前よりは、柔らかくなっておられたようでもあった。
何故か女性の成長が気になっているが、その対応で評価させていただいている。

勿論のことではあるが、相手からも評価を受けているのだろう。

指導監査・・・来ないよ・・・  2009・3・12
報酬改定説明会の帰りに独立ケアマネが三人一緒になった。久し振りに三人揃ったので、これからの方向性も少しお話しておいた。
そこで話題になったのが指導監査であり、多分独立ケアマネの所へは来ないのではないかな???と言う話をしておいた。

開業から半年位経過した時、数ヶ月前に開業した独立ケアマネの所へ指導監査があった。その場で「独立ケアマネは監査をしなくても良いね・・・」と言っていかれたということ。次が私の番だった。
それから4年数ヶ月が経過したが、監査の兆しはない。「本当は来て欲しいのだが・・・」と本心を話してしまった。どうも嫌われたようである。

一つの歯止めになっているから、独立ケアマネの監査は無いのだろう。他府県では如何なのかは判らないが、とにかく嫌われて(?)いる。
年度明け早々居宅とケアマネの更新を同時に行うが、これが最後の更新になるのか・・・ならないのかも知れない。
しかし一度位監査を受けてみたいものである。

尿閉  2009・3・11
2月初旬から体調が思わしくなく、月末に入院になった方がある。その間2回の往診があり、救急車を手配されたのは高熱の訴えで往診された内科医だった。
入院後入院計画書で入院期間を確認したが、1週間の予定・・・のはずだったが、少し入院が長引いていた。別件でMSWを訪ねた時確認してみた。
電子カルテで尿閉がおこっていることを教えていただいた。

訪問看護ステーションへは尿閉がおこっていることと、必要があれば退院前カンファレンスを依頼してきたことなどを伝えた。導尿になるのか、バルーンカテーテルになるのかは判らないが、とにかく対応していただくように依頼をした。
心配になって妻を訪ねた。妻は尿閉の事実を知らず、カテーテルは入らないと言い切る。前立腺肥大を大切に持っておられるということだった。

そう言えば・・・と、家に居る時から尿の色が妙に濃かったそうである。手指の筋肉が引き付けを起こして、妙に形が変わっていた。もしかして・・・今回の入院劇は、排尿障害が原因ではなかったのだろうか・・・そうすれば身体状況の変化も説明出来る。
妻には内緒の裏話としていただくことを依頼してきたが、体調不良・発熱の原因が前立腺肥大だとしたら説明が付くのだろう。

一年かかってかなり元気になっておられたが、急に体調不良になられた。
尿閉と前立腺肥大は結び付くし、病気の原因を一番良く知っているのが家族だったとは・・・。
泌尿器科専門医もチームに加え治療を行っておられるのでもう大丈夫だろう。
本人はリハビリに入っておられるが、その段階で真の理由が身体に現れたのかもしれない。

独立ケアマネの特権(通い袋)  2009・3・10
事業所に書類を届けるための通い袋が開業以来50枚余りある。事業者の数が60余りであるから、80%は網羅しているのであろう。それ位の事業者とのお付き合いを日々行っている。事業所の中には複数のサービスを提供しておられるところもある。その角度から数えてみたことは無いが、約半数のサービス事業とのお付き合いがあったのではないかと頭の中で描いている。
サービスを如何に本人の希望も引き出して利用していくかがケアマネジメントでもある。
とは言え「ここしかない・・・」とこちらで準備する場合もある。

お付き合いのあるサービス事業所の数はそうなのだが、そこに働く方々の数はその数倍〜何十倍ということになるのであろう。仮に一事業所10人平均としても、数百人の方々と日々仕事をしている(依頼=お願い)訳である。時として職員が事業所を変わられた事実も目にすることもある。人事交流(?)も目にしている。

これだけ多くの方々とお付き合いがあるが、ケアマネの立場は「サービスを依頼」する立場である。良いサービスを提供していただくためにも、一人ひとりの介護職員に対して「依頼」する姿勢だけは持っていなければいけないと思う。
数多くの方々に見守られながら仕事が出来ることも独立ケアマネの特権でもあり、姿勢でもある。

良く耳にする話だが、偉いケアマネ・高飛車のケアマネがあるようである。所属機関に守られての姿勢なのだろうが、私の目からみれば根本的に「ダメマネ」である。立場そのものをご理解しておられない。
サービス担当者からヒントをいただくことが数多くある。今回も二件続いたが、通常では解決出来ない問題を難なく解決していただけた。状況を伝えるだけで背景の困難さをご理解いただけ、通常では出来ない(のかもしれない)方法で、問題点を解決していただけた。

自社ケアマネでは出来ることなのかもしれないが、部外者に究極の調整を図っていただけたことに感謝している。それならば尚更、ケアマネジャーの立場はサービスがあって始めてのこと、サービス提供者とは低姿勢でお付き合いしていかなければいけない。

過去にケアマネジャーとサービス提供責任者との業務がダブルと書いたこともあるが、併設居宅のケアマネの業務と提供責任者がダブらないためにも、この位置付けはしっかりと持って行く必要がある。
利用者が必要とするサービスを提供していただくためにも、自社・他社を問わずケアマネジャーはサービス提供を依頼する立場であって欲しい。

冒頭にも書いたが、数多くのサービス事業者と気持ち良くお付き合いをさせていただいている。提供責任者との折衝が中心になるが、実は行動の一部始終を見られている。人として常識のあるお付き合いをしていくことが求められると思うが、この常識を勘違いしてはいけない。
ケアマネの立場は利用者の立場、利用者の代弁でもある。
相手に合わせた対応が出来るためには、時として自分を抑える必要もある。
サービス事業者・そこに働く職員とは良い関係を作り上げていただきたいものである。

仕事は順調に・・・(本人の責任)  2009・3・9
パーキンソン病で脳内電極手術を受けておられる方を担当している。もし電極が入っていなかったら寝たきりだろう。電極で平均的にカバーをして、薬で時差的に運動機能を調整している。薬の量は副作用もあるから現状以上は増やせない・・・と神経内科医は言っている。

訪問看護師は「ONだからといって車に乗らないで欲しい・・・」と言っている。突然の「OFF」が何時起こるか判らない。
朝一番に身体を動かす「服薬」を担当しているホームヘルパーは、OFF時の移動方法が心配だと言う。妻が歩行器を前へ引っ張って食堂まで移動しているようである。基本は出ない足を(足ででも良いが)前へ送り出して、姿勢を正しながら移動する必要がある。PTも同じ意見であったので、リハビリの中でその動作を覚えていただくことにした。
動いても、動かなくても、同じ動作である。

ご本人は不満のようであるが、その状態を正確に判断した認定結果が出た。調査員テキストには「ON−OFF の状況をどちらも加味して結果を出すこと」とされているが、2年半前には不服申立ての話にまで至っている。
とにかく不思議な病気で、パーキンソン病を知らない方(調査員)は理解出来ないであろう。
今回は午前・午後に加え、意見書にある「ON−OFF現象が顕著」の確認も行なっていただいている。(調査された方には心から「ご苦労様・・」と)

3年位前だろうか・・・パーキンソン病の方の認定結果にクレームを付け出した。「調査員テキストにはこう書いてありますが・・・」から始まって不服申し立てまでいった。調査員研修に関する研修会向けのアンケートにも答えた。とにかく「パーキンソン病」はON−OFFがあることを知る必要がある。

今ようやくその時の訴えが届いたのであろうか・・・出過ぎかもしれないが、症状に合った認定結果が出た。無駄な労力(提言)では無かったようである。この調子で「ケアマネジメントの独立」に関しても答えが出れば良いのだが・・・まだまだ先の話だろうな???とも思っている。

(本人の責任)に関しては、体調の良い時に車を運転されることが、訪問看護師から報告された。ダメとは言えないので、本人の責任で・・・ということにしておいた。
要介護3で車の運転も出来る病気(?)がパーキンソン病である。
私にも「???」の病気である・・・が、嘘のような、本当の話である。

発想の原点・・・  2009・3・7
良い発想の展開だったのだが・・・発想を展開しているうちに原点の問題点を忘れてしまった。思考ルートの確認は行なったが、原点の問題点は何だったのか・・・という話である。その時に役立つのがフェースシート。私の「台帳」である。何の相談を受けていたのかは「台帳」で確認する。

「台帳」に残らない相談があった。当事者からの相談ではないので、お知らせいただいた概要で、限度件数に来ていることを理由に断った。しかし私が必要だったケースではないかと・・・心に残った。断ることを前提に話をしているので、内容は聞いていない。相談側にも照準を当てられたのなら、断られない相談方法・手順はある。電話が初対面では理由を述べてお断りをすることもある。

友人が過去に言っていたことだが、事業の繁栄とは「行列が出来る・・・」ことらしい。負担になるから「待って欲しい・・・」とは言ったことはないが、言って良いことだとも思っていない。とにかく「即応」を目指している。
そこで詳しい内容は忘れたが、電話を切った後気になっていることがある。「相談ルートの確立」突然電話を日頃お付き合いのないケアマネさん「個人」からいただいても、即答出来ない。

もしかして切羽詰って相談して来られたのなら、出来るだけ協力したいと思う。しかし、多くのケアマネをかかえる法人に所属しておられながら、突然個人的に電話がかかることが解せない。
実際所属法人を通じて相談いただいているケースも現在進行形としてある。理由がはっきりとしているのでお受けすることにしているが、ここに来て居宅を抱えていることは、必ずしも事業者にとって利益に結び付かない・・・と感じておられる法人が出てきているようである。

その通り「ケアマネジメントは本来独立して存在する性質」だということを気付いた法人が出てきたのかもしれない。

電話の主の意識は図りかねるが、本当に法人の中で困ってのことなら、ケアマネの「駆け込み寺」になっても良いと思っている。もしかして、そのキッカケになる電話だったのかもしれない。
余韻を残す対応にしておけば良かったのかもしれないが、性格がストレートである。余韻を求めて交信があれば・・・次の段階では対応は柔らかい。
加齢と共に一時的に頑固になっているようでもある。

私の答えは「イエス」か「ノー」である。

私のケース引き受けてくれませんか???  2009・3・7
土曜日の午前中時間が空いたので、久し振りに床屋へ行ってすっきりとした。3ヶ月に1回丸刈りにするが、今回は3ヶ月を越えていた。無精な私でも少し気になっていた。終わって代金を払うだけになっていたところへ電話がかかった。しつこい位人を確認するが、事業所(自宅)へ電話をすれば私しか電話を取らない。通信機器を集中管理できるシステムにしてある。
「ケアマネジャーの〇〇です」ということで納得していただけたようだ。

「〇〇会の△△ですが・・・」ということで関わりたくない法人に所属しておられるようだ。一方的に出てきた話が「私のケースを引き受けていただけませんか???」ということだった。返答する間もなく続いて出た言葉が病状説明である。看護師ケアマネだという予測は付いたが、私が本人の状況を伝える時は、本人を取巻く背景から話す。ケースの困難さは病気ではない。病気の困難さを話さなければいけないときは「難病」だろう。

長い話になっても困るので「チョッと・・・チョッと・・・」と口を挟んで、「担当ケース一杯なんですが・・・」と話を終わらせてしまった。相談のルートをキチンと踏まえて相談していただければ、限度件数オーバーでも相談に乗ってきた。独立ケアマネを自分と同じ立場だと思っておられる状況が手に取るようにわかった。
独立ケアマネは法人代表でもある。事業運営に関して全ての責任を持つ。

この電話が地域包括支援センターを通じての話だったら相談にも乗ったであろう。昨日も一件、法人を通じて法人所属のケアマネから相談があった。少し厳しいが、4月以降のケースの引渡しだということで「少し骨があった方が良いよ・・・」とお引き受けして、仕事が立て込んでいたので電話を切った。夕方近くまで行ったので寄ってみたが本人は留守だった。しかし意向は伝わっている。

ケアマネジャー個人として誰かに渡したいケースを独立ケアマネに回してもらっても困る。回すからにはルールがある。如何しても法人所属のケアマネが対応出来ないケースであればルートを通じて相談して欲しい。それ位の自信は持っている。
今回のケースでは所属法人を名乗られたことでお断りしたが、法人を通じては私に相談がないケースでもある。
現在自己作成という形で関わらないでおこうかと思っているケースがあるが、助平心が出てきた。再依託を受けるのも面白いのかもしれない。

誰もがビックリの・・・退院劇・・・  2009・3・6
2週間前の金曜日に足が痛いということで受診→入院になった方がある。週明けの月曜日には、手術が出来るかどうか検査中ですということだった。
手術が行われたのは水曜日だったが、それから10日目、家族から退院日が決まった・・・と電話があった。手術の場所が大腿骨転子部ということで、誰もが人口骨頭置換手術だと・・・思っていた。

後追うように地域医療連携室から電話があった。「私も???なんですよ・・・」と、とにかく午後一番にサービス事業者管理者兼看護師と一緒に病棟看護師にお会い出来るように調整を取っていただく事にした。
更新申請書類は揃っているということ。先ずは一つの問題は解決していた。

退院前カンファレンスの位置付けで始まった会議はスムーズに運んでいたが、その場で術後の状況を確認させていただくことにした。手術は最初から最低限に留められていた。歩くことを想定せずに、ボルトで固定した手術だった。これも家族の選択だったようである。
介護上普通に扱って良いのかということの確認と、介護負担を軽減する方向で福祉用具の変更を確認した。

家族からの電話から3時間後、何時退院しても良いように準備は整った。来週水曜日の退院だが、日程的に認定調査はちょうど来週の今日になる。それで充分、来月のサービスは暫定スタートになるが、暫定を消せば良い介護度が出ることは確実である。
家族の選択・・・最小限の医療で良いことになったようである。
歩行出来ない状態になっておられたからそれでも良いのだが、見せていただいたレントゲンフイルムでは、骨折こそしていないが、一寸した衝撃で骨折しそうな部分が数多くあった。

ひび割れ状態の骨状態で生活をしておられるのだから・・・くしゃみをしても折れることがある・・・のかもしれない。

季節外れの天神様  2009・3・5
先日妻が何を思ったか急に孫への天神様(寄贈???)の話を持ち出した。
外孫の男児(長子)に天神様を贈る風習がこちらではある。ただ、初天神の時はアパート住まいだったので飾るところが無いからと辞退があった。

昨年10月にチビッコギャングと同居することになったが、その時には話は無かった。おばちゃん(おばあちゃん)の井戸端話だろうが、天神様・雛人形・五月飾りなど等はシーズンが終わると格安だそうである・・・ということで先日専門店を覘いた。
格安とは定価の6掛けだが、一シーズン過ぎていれば約半額である(赤札の6掛け)。

何でも良いと思っていたが、最初の3点では少し心残りであった。そこへ出てきたのが赤札商品である。中に唸る作品があった。表具も金糸交じりの、しかも掛け軸の縁が反り返らない工夫がしてある商品であった。
美術品素人の私でもその違いがわかったが、妻にも判った・・・のかどうかはわからないが、今その天神様が座敷(相談室)の床の間に飾られている。孫も昨日から「キレイ・・・キレイ」の連発である。

専門店の職員からは、季節外れでもしばらく飾ってみたら良い・・・とアドバイスをいただいた。一週間程度飾っておく予定で、今日はお鏡も届いた。お神酒は上げてないが、我が家の座敷(事務所)は正月である。
日本古来からの風習ではあるが、なぜか落ち着きを感じる。
そういえば我が家では100年ぶりの天神様をお迎えしている。この事実に今気付いた。

訃報  2009・3・4
やはりダメだった。
連絡をいただいたのは市担当者にショートステイの連続利用に関する届出に関して問い合わせた直ぐ後のことだった。
甦られたら〇〇さんが担当されるのでしょうね・・・勿論です・・・という会話が届いたのかどうかは判らないが、最初に連絡をいただいてから丸1日と数時間。この間に尽くせる手は尽くした。
「ご安心して、ゆっくりとお眠り下さい。」

介護者の弔いに行くのは始めてなのかもしれない。
超高齢化社会を目の前に、このようなケースは多いのかもしれない。
私的な話だが、妻を大切にしている。
安心して自由な生活を続けられるのは妻のお陰・・・なのかもしれない。
ご冥福をお祈りいたします。・・・ご苦労様でした。

要介護5の方の主介護者が倒れた・・・  2009・3・3
6時41分、相手が判らない携帯電話から電話がかかった。電波はすごく悪いが、相手が誰なのかは確認出来た。担当している方の子である。
前日のデイサービスから帰ってから、主介護者(本人の妻)が倒れられたそうである。「脳出血」で救急搬送され、今はICUだと言われる。本人は昨日から病院で過ごされているということ。妻の一大事には立ち会っておられた。

ICUで妻の状態を確認して、経験(?)として主介護者に戻ることの出来ない状態だと判断した。子の入所の意思を確認して、とりあえずデイケアへ家族で送っていただくこととした。
デイケアへ家族の送りだということを伝え、ショートステイの確保に走った。日頃お世話になっている施設へ入所とセットで持ちかけたが、ショートステイの連続利用が何時から可能になるかは判らないと言われる。そこで走ったのが、療養施設併設のショートステイである。

新規が集中しているので今週は対応出来ないと言われる。ベッドは若干空いているが、連続利用が出来るまでに3週間ある。入院とセットなら対応しましょう・・・ということで、3週間本人が落ち着ける場所が必要になった。そこで頭を過ぎったのが、主治医の存在であった。
一件医療ショートステイ利用の相談の約束があったので病院を訪問しているが、次に向かった先は主治医のクリニックである。
窓口で「〇〇さんの主介護者が脳出血で倒れられたので、先生に相談があるのですが・・・」と。カルテを回して相談の順番を取っていただけるということだった。

子には大凡のスケジュールを伝えてあったので、長女夫婦も同席していただけるということで、病院へ迎えに行くことにした。
長男・長女夫婦と私のメンバーで、ショートステイ入所までの入院を依頼した。そういえば・・・ということで某病院で重度者の介護者が倒れた時の一時避難的な入院に対応していただけるということだった。
主治医が電話された先が地域医療連携室、折り返し電話がかかってくると言うことだった。電話の相手が女性だったということで、折り返し男性のMSWから電話がかかって来たら私が関わっているケースであることを主治医からも伝えていただくことにした。

出来上がった紹介状と本人を手分けして、1時間もかからないうちに入院先の病院にメンバー+本人が集まった。朝電話をいただいてから6時間半で本人の入院とその先のスケジュールが決まった。
今思えば結果良しの結果が出たが、特養で対応出来なかったことから医療へ視野を移したことだろうか???未練を持った対応ではなかった。言うなれば可能性の追求から、可能性の無い方法を順次切っていった結果がプラン(スケジュール)に結び付いたのだろう。

生涯あるかどうか判らない、自分でも満足出来るマネジメントだったが、流石に疲れた。短時間で解決出来たことから、通常の仕事もこなせた。
今日は何人分の仕事をしたのであろうか???日々のネットワークが無駄でないことを実感した一日でもあった。

実名で出ておられるのですね・・・。  2009・3・2
施設訪問をしていたら標題の内容を聞かれた。
そうですよ・・・と答えておいたが、ハンドルネームでも出ている。「介護問題研究会議」を短縮した「kaigoken」である。読んでおられる掲示板の記事はかなり古いもので、最近は行っていないことをお伝えしておいた。「意見」というか、根本的に福祉理念がずれていたので、今は覘かなくなった掲示板である。

そういう問いかけがあったので、今はヤフーとかドットコムで書いていることを伝えておいた。インターネットの検索サイトでは色々なページを検索出来る。実名で検索してみたが、かなり古い記事はインターネット上に残っている。「kaigoken」の方が最近の記事が載っていることを伝えておいた。
しかし、ご指摘の掲示板管理者は日本でも有数の勉強家でもあり、施設運営にも努力しておられる。

・・・・懐かしくもあり、議論を尽くしたこともあり・・・そういうインターネット上で名前を見付けて頂けただけでも嬉しい気持ちがした。
ハンドルネームはご存じないが、検索デスクで検索していただければかなり出てくる。
インターネットの真髄を探っていただきたい方でもある。
自信を持って投稿を試みていただきたいものである。

2025年  2009・3・1
2025年は団塊の世代がすっぽりと75歳以上・・・後期高齢者に達する年である。日本の政策は「ゆりかごから墓場」までこの年代に照準が合わせられてきた。

小学校は1クラス50人で5クラスあった。一学年に250人いた校下が、いまや小規模校下・・・一学年に40人に満たないと言われる。子供がいなくなったということは、高齢化している。市のドーナツ化現象はかなり・・相当進んでいる。
確実に超高齢化社会へと、一目散に進んでいることは事実である。

団塊の世代の一人ではあるが、現状の介護・福祉の考え方で行くと近い将来壁にぶち当たる可能性があるので色々と提言を重ねてきた。結果は如何にということではあるが、確実に問題点が浮かび上がっている。行政指針の指摘ではあったが、違う角度(専門職)からの反応でもある。現状の地方行政の姿勢では問題は解決出来ないということである。

「上意下達」
少なくても介護・福祉行政においては意味を成さない言葉になっているようである。行政の内部にもソーシャルワーカーが入り込んでいるし、その方々が本来の仕事をしていれば行政は福祉本来の道へ進むはずであった。
ある程度行政職員にその理念は見えているが、ここからが遠い『手の届かない道のり』である。行政職員では解決出来ない遠い道程がある。

話は逸れたが、団塊の世代が後期高齢者に入り込んだ場合にどうなるのかということだと思う。その時に向けて『自立支援』にも励んでいただきたいものと思う。
戦前派とは少し考え方が違うのかもしれない。戦後生まれたものとしては、戦中・戦後の混乱は知らない。物心付いた頃には社会もかなり潤っていた。一番苦労(社会不安の体験)をしてこられたのは、戦前・戦中に生を受けられた方々なのかもしれない。そういう意味ではそろそろ『超高齢化社会』に向かってまっしぐらである。

社会構造が大きく変わる2025年が境として示されているが、後16年後の話である。そして2050年まで戦後の清算は続く。
若い方々には申し訳ないが、歪な人口ピラミッドを作ってきたのも『戦争』である。戦争の後遺症・・・団塊の世代が社会構造の調整をしてきたのも事実なのかもしれないが、二人で二人の子作りでは人口は減っていく。どうしても子供が出来ないご夫婦もある。

そして次の目標の2050年は終戦から100年経過した時である。
団塊の世代と言われる初年度は1947年生まれであるが、国の一大事が解決するのには100年かかると言われている。その一つ前の段階の2025年が心配である。
果たして現状でその時を乗り越えることが出来るのであろうか???。

理念さえ間違わなければ大丈夫であろうことを明言しておくが、今一番怪しい理念の持ち主が、行政ラインの中におられることも明言しておきたいと思う。
権力と理念。権力に負けない理念追求をしてきたが、一人の力は限られている。今求められる内容は行政自身の浄化であり、その関係機関(者)にその理念を求めていただきたいと思う。

無から出発して受験も含めて5年半が経過した。
60歳も過ぎて全く不安がない訳でもないが、自分自身の「セーフティーネット」だけは確立しておかなければいけないと感じている。
独立ケアマネにもサポート体制としてのネットワークが確立出来れば良いと思う。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

2回目の救急入院。  2009・2・28
一年数ヶ月前、認定調査で30年来の旧友にお会いした。知人だから調査を断ろうかとも思ったが・・・という想いで調査にお伺いした。家を新築された時には2階の座敷で腹一杯お酒をご馳走になっている。
調査が終わってから「実は・・・」と名乗った。

しばらくして電話をもらって訪問してみるとチアノーゼを起こしている。「救急車・・・」と叫んだのは私だった。
3ヶ月に近い入院で一命を取り止められたが、入院中に担当の依頼が来ている。
往診医を各科で準備して、訪問サービスを中心に組み立ててきたが、一時通所出来るのではないかというところまで回復して来られた。その方の様子が2月初めからおかしくなってきた。

エアーマットを入れたのは3日前、39度の発熱があり往診医を呼んだが、先生から救急車の手配があったと言われる。
丁度一年前のことを思い出すが、医師が救急車を呼ぶということは、緊急性がある・・・何とか持ちこたえていただきたいと思う。
関係機関へは月曜日の連絡になるが、訪問看護ステーションだけは早めに連絡をしておこうと思う。輪番で携帯電話を持っておられるが、そう急がなくても良いだろう。日曜日の夕方までに電話で連絡をしておくことにした。

毒舌を基に・・・無事帰還していただきたいものである。

一息つけるかと思ったが・・・。  2009・2・27
認定調査の報告や資料請求分の受け取り、認定結果の問い合わせなどの目的で担当課へ行った。
変更分のケアプランの周知など、若干の業務も予定していたが、今日はゆっくりと更新プランに取り組もうと思っていた。しかし現実は厳しい・・・。
認定結果を問い合わせする前に、良い所に来たとばかりに声がかかった。
「犬も歩けば棒に当たる」である。

「変更申請なのですが・・・少し遠いですが・・・受けてもらえませんか???」「変更申請は保険者調査のはずですが・・・」「新規に対応できなくて困っているので変更もお願いしているのですよ・・・」
先日の変更申請が前回調査した事業所に回っていたことは知っていた。???だったが、更新の月に変更が出たから、確認の意味で同じ調査員にした・・・のかと思っていた・・・が、そうではなかった。表現が適切かは判らないが「火の車」のようである。古巣での調査が1週間に3件も重なってしまった。

一息付けるかと思っていたのですが・・・とお受けした。
訪問先から帰ると依頼書が届いていたので直ぐに電話をしてみた。家族が来週の土曜日まで時間が無いと言われるので、調査報告は来週の木曜日になっていることをお伝えした。それなら・・・午後からでも・・・ということで、依頼当日調査を行なうことになった。報酬請求もギリギリで今月である。

認定調査を担当ケアマネが行うのは公正じゃないんじゃないの・・・と担当者の調査はして来なかった。歴史(?)があるから回って来ないが、今月は久し振りに調査依頼が多かった。私の意図が通じているかどうかは判らないが、認定調査を受けないで更新が済んでいた方もある。そういった話を聞くたびに認定調査員(ケアマネジャー)の理念の低さを痛感している。ケアマネジメント技術が如何の・・と言う以前の問題である。

来月は果たしてどうなるのだろうか???そういえば3〜4年前に10数件の調査依頼があった月があった。人事異動の前月であるが、これを私に向けた「エール」と受け止めていた。
なかなか公正にならない認定調査のシステムだが、ここまで言わせるのなら、担当ケアマネが担当者の認定調査をしない方向を確立されたら如何だろうか???その方が余程気が休まるのかもしれない。

明日は月末。記帳・会計業務の合間に、今日出来なかったケアプランの作成を足早に行うことにしようかと思う。
シンポジウムも予定に入っているが、「???」明日になって見なければ腰が上がるかは判らない。

何かと多忙な一日・・・  2009・2・26
午前中フル回転でスタンプラリーを済ませ、12時の約束の認定調査に向かった。病院へ行くと急に受診が必要になり、受診中だと言われる。時間があるのなら・・・と地域医療連携室の場所を教えていただいた。

MSWとは土曜日にお会いして、日曜日の留守中に認定調査にお邪魔することを伝えておいた。まさか・・・同じ病院の入院者の調査が火曜日に回ってきた。その辺りの経緯も含めて病院との関わりなどもお話した。10数年前にはホームグラウンドだった病院も随分情況が変わっていた。
〇〇先生とか、〇〇先生に関しても情報交換をした。実際今でも昔を懐かしんでいただいている先生もある。世間は狭いものである。

昼を回ることが確実になったので病棟看護師に食堂へ行っている事を伝え、軽く昼食を済ませた。病棟へ戻って病室で調査を済ませ、確認の意味で看護師からも医療や認知に関わる情報を入れていただけた。
懐かしい病院で、認定調査ではあったが快く迎えていただけた。医療連携が必要なケースでは病院とのパイプ役が重要である。その役割を果しているのがMSWであるが、日々のお付き合いから連携もし易くなっている。

事務所(自宅)へ帰って調査票を書き上げようとしているところへ電話がかかった。内容を利用票に細かく表して夕方訪問することにした。一部分だけ本人の体のことを考えて修正を求めた。その確認のためにもお会いする必要があった。
デイサービスへ迎えに来られる時間に合わせ確認をいただき、その足でもう一ヶ所確認の必要がある家庭へと向かった。

ショートステイ利用の希望があるが医療依存度の高い方である。予定していた施設が週末混んでいる事から二本立ての取り組みをしていることを伝えておいた。それでダメならこことここがあると施設の紹介もしておいた。何とかなりそうな感じではあるが、病状から病院を選んだことも申し添えておいた。

多忙ではあったが、流れのある一日でもあった。かなり複雑な調整も二件済んでいるので、あとは答えを待って次の行動に移すだけである。
利用者の納得出来る経緯も「選択の自由」を保障していることになると解している。近くで探してみたけど・・・ここしか無かった・・・という納得出来る内容である。
ついでに次の段階としてこことここを考えていることも伝えておいた。

「選択の自由」とは「何故その施設なのか・・・」という理由の基に『利用者の納得』を得る行動も含むのかもしれない。

選択の自由を保障・・・出来るか・・・  2009・2・25
今回の報酬改定で心配なことが一つある。必要性があって限度額いっぱいに使っておられる方々への配慮である。報酬改定前から限度額オーバーで使っておられる方も何人かおられるが、支払に問題のない方である。
何人か限度額をオーバーしないように微調整をしてきた方がある。報酬改定で確実にオーバーするので、微調整に苦慮している。必要なサービスを我慢していただかなければいけないケースも出てくるだろう。辛い所である。

厚生労働省は3パーセントの報酬アップをしたと言っているが、3パーセントの報酬アップを使えないケースがある。もう一歩踏み込んで、限度額も3パーセントアップしていただきたかった。これがケアマネの本音なのであろう。
限度額オーバーが可能な方ばかりでは無いのでこう思うのであろうが、現実問題として、境界の方はある。報酬改定説明会を受講してから直ぐに利用票を作り始める予定ではあるが、ソフトに打ち込んだだけでは解決しない問題が山積している。

ソフトのバージョンアップの連絡はいただいていないが、バージョンアップをしたからと請求された方もあると聞いている。私が使っているソフトはまだ出来上がっていないようである。
ソフト面ではそうであるが、ハード(現実に即した対応とでも言おうか・・・本来逆なのだが・・・)面では選択の自由が保障されないケースも出てくる。そこで選択の幅を絞り込むわけだが、ソフトにいきたいものである。

鶏が先かタマゴが先かの話にも似ているが、現状のプランで如何対応するかが問題になるケースもある。ソフトに相談をしてハード(法)に乗せたいものだとも思っている。
「選択の自由を保障」して現在のプランがあるのだが、報酬のみ改定した今回の報酬改定は欠陥だと思っている。
3パーセントアップが何処に付いたのか・・・限度額アップがあってはじめて報酬改定が行われたと言って良いのだろう。

ケアマネジャーの立場として詐欺に逢ったような気分だが、ケアマネジャーの報酬は利用者の負担に関わらず少し(3パーセントあるかは個々に違いがあるだろうが・・・)だがアップする。それだけを喜んでもいられないような報酬改定でもある。
説明会(集団指導)をまだ受けていないのでこう感じるのかも知れないが、サービス提供者あってのケアマネジャーである。サービスが滞ることにならねば良いのに・・・という懸念はある。

困難ケースは受けたくないというのは、誰もが心の奥底に持っている考え方であろう。その綱引きがより困難になることに繋がらなければ良いのだが・・・。

反訳  2009・2・23
録音テープから聞き取って文章にする技術(?)がある。このことを「反訳」と言う。テープを添付すれば裁判の公式記録になる。
この「反訳」を過去4回実施している。

裁判目的で「反訳」したが、結果は実らなかった。
2回目は確か独立協・全国協議会の第一回全国大会だったと思う。独立開業を考えていない頃であるが、誘われたのでカセットレコーダーを持って参加している。第一回全国大会の議事はこの時の「反訳」を元に作られている。
第3回目は独立開業を志した時で、受験勉強真っ最中だったが、気晴らしの意味も含めて第2回全国大会機関紙の〆切に間に合わせている。それよりも記憶に残るのは、大会終了後の懇親会であった。

現在はそれぞれの道を進んでおられるので、もう一度まとまるのには時間が必要なのかもしれない。何らかのキッカケでまとまる機会があれば良いと思うが・・・会が誕生した時のような求心力はない。しかしこのままではいけないと思っておられる方々も多い。
そして第4回目は町内のイベントでのことであった。市長を交えての懇親会のテープ反訳ではあったが、反訳の意味を解さない方が編集をしてしまった。

テープからの反訳は、聞き取れる限りその言葉を文章にすることである。文章を都合よく書き換えては「反訳」にならない。そのことをご理解いただけない方があったので、町内の役員は降りた。
もう機会は無いのかもしれないが、かなり正確な反訳をする。
最期の反訳が受験準備の時だったから、もう5年は経過した。もしかして近々その必要性があるのかも・・・

正確に文章に表すことが出来れば良いとも思っている。

利用料の遅れと新規サービスの依頼  2009・2・23
利用料が滞っている家族から追加サービスの依頼があった。更新申請の遅れから認定にブランクが出ているので、一応そのことを理由にしておいた。
滞っている事業所とは来月末に綺麗にする約束をしておられるが、その結果を見てからの行動にしたいが、その前に認定が下りるであろうからそうも行かないのであろう。何らかの口実で時間稼ぎをしたい気持ちがある。

重度認知症の方だから、精神科医がいる所でなければ受けてもらえない・・・というのも口実だろうが(実際そうなのだが)、利用するための受診で時間稼ぎをするのも方法なのかもしれない。
親切心から全てをお伝えすることも考えたが、それ位で解決する問題ではなさそうである。支払が悪いのは商売においてもそうらしく、仕入れは現金で行っておられるという情報も入っている。

人の生活を守る「介護」分野にもその人の持つ根本的な感覚を持って来てもらっては困るのだが、利用料が滞っているようである。ものには順番がある。生活を支える「介護」の支払は最優先しなければいけないのではないか・・・と思う。
一ヶ所から話を聞いていて他のサービスは提供出来ない。自転車操業のお手伝いは出来ないので、断るものは断らなければいけない。かと言って現在滞っている料金を払われるのか如何されるのか見極める必要もある。

サービス事業所からは最期通告が為されているので、この邪魔をしてもいけないだろう。丁度良いタイミングで追加サービスの申し出があったものである。もしかして・・・腹の探り合いなのかもしれない。
出来れば敬遠したいケースではあるが、支払さえしていただければマネジメントを継続する準備がある。
断る理由もあるのだが、今までサービスを提供した分の支払が残っている。

良いタイミングで、誰も痛まずに解決出来る方向を睨んでいるのだが・・・果たして如何結果が出るのだろうか???1ヶ月余り後に答えは出るのだが、もう一度文書を発行する必要がある。さりげなく乗り切りたいものである。

日曜日の認定調査  2009・2・22
調査依頼書をいただいた時から予測していたことだが、結果日曜日の認定調査になった。調査の連絡を19:30以降、又は土日に指定してあったので予測はしていた。
病院での調査であるから夜はない(だろう)。ということは土日の調査になるが、土曜日には予定が詰まっている・・・ということは日曜日の調査しかない。と最初から思っていた。

依頼書が届いたのが木曜日で、21:30位まで断続的に電話をしてみた。ストーカー行為そのものなのだが、電話がつながらないので翌日担当者に相談した。もう一晩つながらなければ調査は間に合わないので、入院中の病院を通じて連絡が取れないか問い合わせてもらった。帰ってきた答えが「転院」である。?????
遠いから変更しましょうかということだが、懐かしい病院でもあるので調査を引き受けることにした。ただ、連絡が取れなければ一週間調査が遅れるかもしれないことへの了解を得ておいた。

夜に連絡が取れ、翌日MSWに合う機会があった。留守中に調査をしていくことを伝えておいたが、ついでに別の困難事例を相談されてしまった。
かなり困難事例を囲い込んでいるようでもあり、地域事情が判るだけに時には応援することにした。
MSWのマニュアル本に連携先が在宅介護支援センターになっていたことを紹介したことがあるが、戸惑われても困るから公的に指摘をしたことはない。しかし、困難事例の連携先になっていることは事実である。

土日にでも動いてきた結果、自分自身のネットワークが出来てきている。ケースに関してもネットワークからの紹介がほとんどであるが、そろそろ独りの事業としては限界が見え始めた。

行動予定・・・一応目安・・・。  2009・2・21
日々の行動予定は立てているが、それがケアマネジメントとは思わない。
相談がある時には時間を決めてお会いするが、日常的には行動予定(利用者に関して)をお元気訪問という言い方をしている。
公的訪問の余った時間に「お元気」訪問をしていると言った方が良いのだろうか???

「介護予防研究会」を聴講したがその必要性に関して論議されていた。決して押し付けではない。
医療・福祉・介護の関係視野が一堂に会して「担当者会議」ぐらい開きなさいよ・・・というのが厚生労働省の配慮だろう。
まだまだ本当の医療・介護の連携がなされていないと感じた。

戻るが、MSWから一件相談されてしまった。
無年金の姉を支える妹の話である。詳しくは聞いていないが、生活保護施設へのアタックもしておられる。世帯分離をしたが保護は受けられないそうである。施設入所が出来なければそれまでの間在宅での支援を約束した。

やってみて、できなければ、出来る範囲で施設入所までつなぐことにしようと思う。何故出来ないのかは判らないが、兄弟には扶養義務が・・・・あったかどうかは知らない。
世帯分離をしても同一家族だということで保護は出来ない・・・ということになれば、本当に世帯分離をすれば良い話である。
姉妹喧嘩でもしたことにしようか???

善意の心が法的な制度に報われて来ない現状を目にした。
兄弟の扶養義務???日本の法律に定められていましたか???
別居だが、良く似たケースを担当しています。情報をお知らせ下さい。
特に行政関係者・保護関係者の情報をお待ちいたします。

限度額オーバー私費請求・・・暗黙の了解  2009・2・20
何件か限度額オーバーをして、暗黙の了解でオーバー分を私費請求してもらっているサービス事業所がある。その施設の選択に暗黙の了解がある。
誰が見ても妥当な事業所選定ではあるが、私の頭の中で一つのルールがある。簡単な話が利用者に「より近い」事業者を選んでいる。

その1は、最も利用者に近い存在の事業所。即ち一番多くサービスを利用しておられる事業所である。
二つ目は利用者と何らかの関係のある事業所。例えば現職時代に関係事業に関わっておられたとか・・・民間である。
そして、私費請求の事業所の選定が困難な時は、担当ケアマネが一番懇意にしている事業所に依頼をする。

選ばれた事業所は私費請求分を加算して多く支払っていただくことになるが、決してその選定を不服には思っておられない。何故なら、「暗黙の了解」私が書くケアプランなら当然のことと理解していただいている。安易なことをやるのは、私費請求が発生していることさえ頭に無い事業者である。

昨年8月に、私費負担を請求していない事業所が減額申請をする必要が出てきた。勿論限度額オーバーが如何関係してくるのかは頭に無かったのだろう。利用点数では最高の事業所ではなかったかと記憶しているが、解決するまでに約半年かかった。解決したという報告は受けていないが解決しているのであろう。私費請求分を担当していただいている事業所から、利用者に差額分を返却する措置をとった。

別件だが今、限度額オーバーのある利用票に承認をいただいてきた。利用者側も当然のことと思っておられるので、オーバー分の金額の確認しかない。
暗黙の了解とは・・・説明をしなくても理解出来る・・・常識の範疇なのであろうか・・・。
利用者とも事業者とも良い関係を作り上げている。
国保連は如何思っているかは知らない。
もし関係者が読んでおられたら・・・「ごめんなさい」・・・

報酬改定で限度額オーバーも増えると思う。

報酬改定の説明会が日程に・・・波乱の3月  2009・2・19
3月12日に報酬改定に関して説明会があるということだが、それから利用票を作ることになる。加算の内容に関しても、ソフトでは対応が成されていると思うが、説明会の後でなければ4月分の利用票は作れないであろう。
規模の大きなデイサービスなどでは規模の確認も必要であろうし、作りながら電話確認を行なうということになるのだろう。少しだけだが身軽になっていたことを喜ばなければいけないのだろう。

今月かなり空振りのケースがあった。
認定結果の空振りもあったが、サービス拒否の空振りもあった。最後の最後の土壇場での空振りだから、サービスがスタートしていたとしたら2万5千円の報酬があった。それだけの仕事はしているのだが、空振りになった。他の産業なら損害賠償ものだが、介護保険の現状のルールでは賠償は取れない。居宅介護支援事業所の弱い立場だが、相談だけで報酬がいただけるように地位向上も目指す必要があるように思う。

そういえば過去に随分報酬に結び付かない相談をしてきた。そういう時には手土産があることも多い。制度や介護保険のシステムから説明することも多い。
「ボランチ型在宅介護支援センター」を掲げているが、行政からは委託費用は出ていない。しかし相談に来られる方はかなりの数に上る。「よろず相談所」(これも看板に)の機能も果している。

横道に逸れたが、来月のスタンプラリーを心配している。
とにかく作れるところから作って、スタンプラリーと書類作りを併用して行く必要がありそうである。
あるいは利用票だけ作って、別票は後日・・・(事情によっては郵送も・・・好みではないが・・・)という手があるのかも知れない。
提供票はとにかく何でも良いから作って、届けた時点で点数を確認する。・・・修正したものは来月届けることにして、パソコン(ソフト)の中で修正をしておく・・・。こういう手も使わなければいけないのだろう。

現在、スタンプラリーに10日間見ている。事業所訪問は一週間、出来る限り利用中の状況もモニタリングしたいと思っている。こう考えればケアマネジャーは事務所にいる時間は無い。精々いても日数換算で、書類作りの2日間(利用票〜提供別票)と訪問等記録(換算不能)以外は外に出ている勘定になる。給付管理は実績待ちもあるから5〜6日かかるが、その間も外に出ている。
とにかくケアマネジャーの事務仕事はその程度で、事務所にはそう多くの仕事は無い・・・と言い切っても良いだろう。

3月は予想以上に忙しい月になるのかもしれない。腰を落ち着けて取り組まなくてはいけないが、落ち着いた時点で次なる構想に取り掛かることにしようと思う。某教授もブログに書いておられたように、何らかの形にしたいとは思っている。解釈通知を見せていただいてからの話になるが、独立・民間系ケアマネに光が見えないかとも思っている。

胃婁と誤嚥性肺炎  2009・2・18
胃婁点滴では逆流するので、ゼリー状の食材を使用してこられた方が誤嚥性肺炎をおこしてしまった。2ヶ月の入院で家に帰られるが、再発の心配がある。今回は原因も判っているので、病院での担当者会議は求めなかった。
退院後早い時期に担当者を招集したが、テーマは誤嚥性肺炎に関してであることも周知した。

前回の退院が夏場だったので、アイスクリームを舐める程度ならお許しが出ていた。舐めたあとは吸痰で取り除いておられたが、口から食べる楽しみも無いとね・・・とエスカレートしていっていたようである。
暮に職員から「今年いっぱい持つかどうか・・・」という言葉もあった。その矢先の入院だった。みかんを食べた痕跡が出てきたこともあったとか・・・ご自身が作り上げた入院だったことは明らかになっている。

本人には若干認知症状も現れているが、口から食べる楽しみも身体の状態から我慢していただく必要がある。冷蔵庫を開けることも出来るし、ポットにはお湯がある。電源を抜いておいても水道の蛇口をひねれば水も出る。

担当者会議といっても、家族会議の延長のような会議になるように思う。
本人に如何に飲食を我慢していただくかという方向に焦点は絞られた。
本人の自由意志に任せていれば同じことの繰り返し・・・家族も「私はもう知りませんからね・・・」という境地に立っている。
食べる楽しみと命を両天秤にかけた「選択の自由」があるのかは本人が選択することだとは思うが、家族が「知りませんからね・・・」というのも選択である。

殺伐とした会議になるのかもしれない。

鶴のひと声・・・第二声・・・  2009・2・16
先週「鶴の一声」でホームヘルパー派遣を断念した。
日に一度は誰かの目に触れる状況を作り上げる必要がある方である。
規模の縮小で夫のデイサービス利用面接(兼担当者会議)を開催した。一番最後に「鶴の第二声」があった。
「何でそんなとこへ金払って風呂へ入りに行くの???風呂一緒に入っているじゃない・・・」夫は頭を抱えてしまった。

デイサービス職員を送り出してから依頼側の弟に目の前に電話をした。「デイサービス利用面接で・・・・・・・・ということがありました。今説得しているところですが・・・無理みたいです」・・・「良いよ、そう言うならそのままにしておいて・・・」
過去の担当ケアマネジャー・親族の答えは出た。
本人の妻の意向で、現状の生活をしていただくことになった。

デイサービスへは最終的な報告(利用しない)をして、包括担当者にもお会いした。地域からも盛り上がっている話だが、私では如何にもならなかった。出来る方があるのかは判らないが、支援を地域に返すことにした。
包括からは担当課とも相談して・・・という答えがあったので、今回の支援に関して必要な記録は請求して頂ければお渡しする約束をした。

前回の拒否は台所へ他人を入れたくない女性の心理である。そのことは判っていたので無理には話を進めなかった。
今回は夫のデイサービス利用である。妻が拒否する理由は本来無いのであるが、夫の行動まで制約したいという行動に出られた。独占欲である。
これ以上話を進めるのは危険である。もう精神科のエリアに入っている。

ケアマネジャーが相談記録を付けるのは決められているからだけではない。相談専門職の身を守るためにも記録は必要である。
長々と書く必要は無いが、事実だけを記録しておけば良い。
あとは包括ラインにお願いした。
担当課に相談しなければ・・・のような発言もあったが、このライン・逆ラインを活用していただきたい。

地域ケアマネジメントのスタイルを整えるキッカケになれば良い・・・とも思っている。

『選択の自由を保障する』の原点(連載)  2009・2・14
ブログの標題の『選択の自由を保障する』は、我が福祉人生で課題としてきた『テーマ』そのものである。そして、私自身が選んだ人生そのものでもある。
不当な権力に服従することなく選んだ道だが、その選択肢に後悔は無い。
今『悠々自適』のケアマネジメントを堪能している。その福祉人生を語る時が来た。誰も私の口を塞ぐことは出来ないであろう。

人生の選択肢・・・それは「選挙の自由」であった。私が誰を支援して応援しようが自由である。その自由に制限がかかったことから私の『選択の自由』が脅かされ始めた。しかし私は『自由』を貫いた。
事件の発端からそろそろ18年になる。『事件』がおこってからそろそろ14年になるが、今日まで私自身の『自由』を貫いて生活をしてきた。
金銭的には苦しい場面もあったが、心はいつも晴れていた。その晴れた心をインターネット発信してきた。

2001・10・1日公開したHP『高岡発・介護問題研究会議』
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/
は、私自身の福祉人生を公の場で主張した『裁判記録』がベースになっている。胸を張って我が福祉人生を語っている。
その基本姿勢は『利用者の選択の自由を保障する』ことであり、私自身の『選挙応援の自由』を主張した内容である。

「福祉と理念」「基本的人権と選択の自由」「人として尊ばれる人生」など等、憲法に保障された人の権利は数々あるが、その一つでも『保障』出来ないかというのが私の情報発信。狭い範囲でしか効力を発しない情報発信である。
今日から機会ある毎にHPから記事を転用したり、新たに書き加えたりしていくが、過去に書いたブログ等の引用もあるかもしれない。
本日は、過去に書き綴ってきた『原点』に迫る必要性を感じ、必ずしも時系列にならないかもしれないが、一区切りも出来たことであるので整理していくことを思い立った。

どの程度連載出来るかは未知数であるが、引用した時点で書き加える記事もあるのかも知れない。そのことをご了解の上、ご愛読いただきたいと思う。
時として、現状に合わせて書き加えることもあるのかもしれない。

『我が人生ここにあり・・・』

メールの活用  2009・2・14
仕事でも何人かのソーシャルワーカーとメールで情報交換を行っている。
緊急に主治医に伝えなければいけない内容や本人の近況をお伝えしたり、病院の待合室の構造を変えてもらったこともあった。
電話がなかなかつながらない時など、メールを打っておけば翌日には返事がもらえる。確実な手段として随分と活用してきた。

今貰ったメールは、報告した内容の確認の意味もあったのだろう。先日本人にお会いしたが、内容は全く覚えておられなかったということ。誠に平和な話である。
確認事項も何点かあるので出向くことにしているが、『忘れていない???』という確認の意味もあったのかもしれない。

話は変わるが、そろそろ早めに行動をおこした効果が出てきた。順調に予定は詰まって来ているが今日・明日で大方見通しが立つ。日曜日も行動予定に入れてあるが、日曜日にしか合えない方も何人かある。
一件施設側の予定が決まらないので困っているケースがあるが、あまり急かさないことにした。一週間呼吸を置いて、月末に集中することにした。

交流会・研修会が目白押しの週末・月末ではあるが、何とか余裕を持って参加出来そうである。

措置入院(入所)  2009・2・13
第三者に危害を加えて、放置出来ない状況の時には、精神鑑定を経て措置入院になる。
人間の生活と言えない状況があった時には、措置入所も出来る。
何れも人としての最低限度の生活を保障した憲法に基づく行政措置なのだが、そこに至るまでが大変のようである。
措置入院と措置入所が一緒になりそうなケースを耳にした。栄養失調と認知・徘徊はあるが人に危害を加えていないのでお二人とも措置入所なのかもしれない。とにかく介護力の無い家族からは引き離す必要があると判断した。
大変なケースもあるものだ。

こう書いて書棚を斜め読み(?)したら、それに類似したケースはやはりあった。しかし私の目はそのようなケースでの焦点は介護が必要な当事者ではない。介護者に焦点を当てている。
『介護問題』をテーマにしているので問題が逃げていっているのかもしれないが、かなり複雑な家族・親族の問題も扱っている。問題を捉える焦点の違い・・・と言ってしまえばそれまでなのだが、如何すれば在宅介護が可能なのか・・・という視点も必要なのかもしれない。
そうすれば当然、本人を取巻く家族・親族の問題にもメスが入る。問題の大小はともかくとして、その視点での解決を眺めながら介護を見ているように思う。
言い方を変えれば「介護環境の整備」である。

かなりの困難事例があっても行政はなかなか動かないようでもある。
犯罪になれば精神科医二名の診断で措置入院ということになるのだが、措置入所があるのか・・・如何か・・・特養時代に一件あったが、天涯孤独の方であり、民生委員が関わっておられた。熱意のある民生委員だったが、天涯孤独のみをとって「措置」ということも可笑しなことだと思う。
しかし、独立ケアマネでは関わることが難しい方であることは事実である・・・が、関わった後、そのような状況になりそうな方も無いことは無い。

『措置』という言葉が介護保険が始まってから、そう意味を成さない言葉になったようにも思う。しかし『措置』が必要な方はある。
行政の責任で法の精神を守っていただきたいものである。

女性三人が三つ巴・・・軌道修正が・・・  2009・2・12
別件で包括を訪ねたら、待っていました・・・と(実は顔を見たから・・・)と用件が終わってから相談室に招かれた。
女性の真剣な眼差しには迫力を感じるので、時々目を逸らすようにしている。仮に見つめていたら話の方向はどうなったのかは判らない。話が進む内に目は潤んできた。本当に苦労しておられる。交通整理役が欲しいとも思っておられる。

本人には難病があるが負けておられるようでもある。嫁はそれなりに面倒は見ておられるが、もう一つ複雑な関係があった。嫁いだ娘が口を出している。「口を出すのなら面倒見てもらったら・・・」と一言だけ総括をした。
包括相談員もそれに合意で、話は延々と続いた。たまには捌け口になったも良いと思い、延々と話を聞いた。
そこへ来た職員からコーヒーのご馳走があった。

彼女からは以前にも困難事例(本人が・・・)をいただいているが、その現状をお話しする余裕(スペース)は無かった。限度件数は達し(つつ)あるが、話を聞いた以上お受けしなければいけないであろう。減算になってもお受けするつもりになってしまった。
次回お会いしたときには相談員が陥ってはいけない状況に関してもお話しようと思うが、今日はお話しする隙間さえなかった。
隙間とは・・・相談員の逃げ道である。真面目な方ほど陥りやすい現状でもある。

本人はともかく、家族・親族は女性ケアマネを希望しておられるという。そういう意味では逃げ道があるが、男性でも良いということになればお受けしなければいけないだろう。
話は簡単。お受けした場合に家族・親族間の想いを如何に交通整理していくかがプランの方向性を決める。その方向性を家族・親族が望んでおられないのであれば、永遠に「女性ケアマネ」の話が出るであろう。

嫁・姑問題に小姑が絡んでいるとなれば超困難事例である。
仮に受けることになっても果して解決出来るであろうか・・・と言いながら、それなりに複雑な関係を修復して来ている。
今月1件修復しなければ行けないケースを抱えているので、直ぐには無理だが、桜の咲く頃に関わるケースになるのかもしれない。

(独り言・・・出来れば囲い込みたいケースではないのだが・・・)

判断がコロコロ変わるから認知症???  2009・2・11
判断がコロコロ変わるから認知症という病名が付くことは理解していたが、ひょっとして体験するのは始めてなのだろう。施設にいた頃は重度の方をみていたので、本人の判断基準は余り気にしていなかった。これぞ認知症の移り気なのかも知れない・・・。

1週間前にヘルパーの応援を受けることに合意しておられた。それが無ければこの夫婦の生活はありえない。入浴が如何の・・・という話ではなく、先ず食生活を整えることからプランの作成に取り組んでいる。これなら大丈夫だろうというプランを「物忘れ」という言葉を使って妻も同席の上説明した。そこで出てきた言葉が「ヘルパーなんて要らない・・・」であった。妻が出来ないと言っていた入浴介助はデイサービスに譲った。

老夫婦に加え親族にも参加していただいたが、夫と親族は顔を見合わせ、言葉にこそならなかったが「こりゃダメだ〜〜〜」という感じだった。
時間をかけて夫や親族の説得が続くのであろうが、本人も気付かない(?)ところに問題は潜んでいる。女性のプライドである。
ヘルパー事業所を訪問してことの事態を説明すると、ひとり暮らしでもあるそうである。

この話から、嫁姑の問題を思い起こした。女性が二人台所に立つと問題は起きる。
我が家でも正月に複雑な問題が起きている。帰省中の長女と妻が台所に立っていたら、同居中の次女の気持ちに触れたらしい。同居後新しくした台所だが、資金は妻から出ている。妻が直した台所を誰が使おうが問題は無いはずである・・・。

人生色々・・・生活も色々・・・。
何故問題が起きるのかに最近気付いた。
自分を中心にするのか社会常識を中心にするのか・・・という判断に関して、女性は少しだけ自分寄りなのかも知れない。

異論があれば教えていただきたい。

自己作成支援・・・背景の変化・・・  2009・2・9
新規二件の相談に行ってきたが、何れも支援が出る可能性が限りなく高い。担当件数も限度まで来ているので、説明をした上で、自己作成になるかもしれないことを伝えておいた。
ここに来て一件余裕が出そうな感じなので、再依託を受けても良いと思った。
実は手の内をのぞきたい包括がある。良い機会なのかもしれない。
最初から結論を見ないで、取り組んでから結論を見るのも面白いかも知れない。


余裕を持っておきたい気持ちは山々なのだが、同じような条件の方が2名続いたので、余裕を持つことにワン呼吸おいても良いような気がしている。
利用者(家族)には、自己作成にする予定をお伝えしておいた。
好奇心もあるが、余裕を持った事業運営も必要である。
認定が下りるまで1ヶ月間あるのだから、その間の情勢によって判断しても良いのだが、再依託を受けたい気持ちもある。予想される重度者に関しては、プランを準備して「ゴメン・・・」とネットワークに依頼する手もある。プランの方向性はベストなのだが、必ずしも私が担当しなければいけないケースでもない。

今後もこのような微調整が必要になってくるので、一日も早くネットワークでの協業を開始したいものである。
しかし、現状を見る限り・・・今月は動けない。

無事???帰還。  2009・2・9
日曜日の東京出張だったが、新幹線乗り継ぎ、寝台特急「きたぐに」で無事(?)帰って来た。
会議終了後、夕食会も予定に入れて3本の乗り継ぎ列車を予定していたが、結果最終列車になってしまった。
熊本県の方が案内してくれた店は宮崎千鳥の店だったが、知事お勧めの店・・・だとか・・・宣伝文句は如何にでも作れるようである。
過去にこの列車で乗り過ごしをしているので隣のシートの方に気付かれたら起こしていただくようにお願いしておいた。

会議の方は、将来に希望を持たせる内容になったが、現状としては独立ケアマネの実態を厚生労働省が見抜いていたのかもしれない。一人で事業運営をすることは、時として継続出来ない現状に直面することもあるのだろう・・・例えば病気など、不死身の人間だけではないということであった。
中には10名ほどのケアマネジャーを抱えて事業運営をしておられる方もあるが、実態としては自転車操業である。

事業の継続を諦められた方の中には、担当するケースが無かった方もあるが、ここで再度行政ラインによる行政の持つ被保険者情報の囲い込みが全国的に行われている実態も確認しておいた。
そういう角度からも「協業組合」を考えていることをお伝えしておいたが、中小企業組合中央会は商工会議所に所属しており、そこには公正取引委員会も事務所を構えている。この角度からの刺激が、介護保険の現状を変えるキーポイントになるのだろう。とにかく現状のままではいけないことの確認が行われた。

無事高岡に着いたまでは良かったが・・・凍結していたわけでもないが、足を滑らせてしまった。
何かが起きる「きたぐに」での帰還である。

別に食べなくても良いんだけど・・・。  2009・2・7
別の方の相談で、通所サービスが休みの祭日にもヘルパー派遣をする話をしていた。書類も作り変えて配布したが、一件気になるケースがあった。
確認してみると、利用票を機械的に作っていた。通所日には配食も無い。
ヘルパー事業所へ電話で早めの派遣を依頼して、本人を訪ねた。

現在は「寒いから・・・」という理由で寝たきりの生活をしておられるが、確か夏場も布団の中の生活だった。汗をかいて皮膚疾患が発症したのは昨年の夏だった。
「通所サービスの日には弁当も無いので、ヘルパーさんに少し早目に入ってもらうね・・・」と言うと「別に食べなくても良いんだけど・・・」と言葉が返ってきた。「3食食べなくても、2食は食べないとね・・・」「別に良いよ・・・」そこへヘルパー事業所から電話がかかった。
「昼前に入って2食分準備します。準備してあれば食べられると思います・・・」と。それで良いと返事しておいた。

「食べたいとは思わない・・・」から一年半、最初は弁当を加工して食べてもらっていたが、半年余り経った頃から規則正しい1日2食の生活が続いている。機械的に利用票を作ったことから1食抜けるプランになっていたが、他のケースにヒントを得て気付いて良かった。
血の通ったプランを書いていかなければいけないという戒めだったのかもしれない。

某氏のブログより・・・  2009・2・6
久し振りにブログを覘いてみたら同じ受け止め方をしておられた。無断だが主旨は同じなので転載することにする。

『居宅介護支援事業者の介護報酬改正で、厚生労働省は今まで進めてきた方向を転換してしまったのではないかと、不思議に思うことがある。

 厚生労働省は、一時期、独立型のケアマネジャーに加算をつけるような話しがあり、この独立型を増やすことで、中立公正を担保していこうと考えていたことがあった。その時には、加算だけでなく、基本的な介護報酬を上げない限りは、独立型のケアマネジャーはさほど増えないことを発言したことがある。さらに、独立型だけでなく、法人の中で居宅介護支援事業者が独立した組織になっていくためには、基本的な介護報酬のアップが不可欠であると主張したことがある。

 これは数年前の論議であり、懐かしいことであるが、今回の居宅介護支援事業者の特定事業者加算は、逆の方向に進んだように思う。現実に、従来の特定事業者加算の敷居を低くし、大多数の事業者が特定事業者加算(U)を取ることに努力するだろうし、多くが取れることになると思う。

 この(U)には、職員体制がポイントであり、主任介護支援専門員と常勤・専従の介護支援専門員2名がいることが条件となっている。具体的には、3名以上の介護支援専門員を配置していなければ、加算がとれないことになる。スケール・メリットが居宅介護支援事業所にも及んでいることを示している。(私の意見を言っておけば、こうした体制ができていようが、いまいが、サービス内容に違いはないと思う。そのため、利用者に負担額が上がることをどう理解してもらうのであろうか。これも困ったことである。)

 独立型居宅介護支援事業所は、ほとんどが1〜2名で細々と事業をしているのが現状である。そのため、加算(U)をとるのが難しいといえる。同時に、(U)が取れないと、今まで通り、極めて厳しい経営状況が続くことになる。さらに言えば、淘汰されるおそれが十分ある。

 このようなことを考えると、厚生労働省は今までの考えから方向を変えたと言わざる得ない。今までの考えを世襲していくとすれば、基本となる介護報酬を大幅にアップすることで、経営の安定を図ることが一番良かったのではないかと考えている。

 なお、独立型や小規模の居宅介護支援事業所は、経営のために、合併や合同事務所といった方策を今から準備していっていただきたいと思う。ただ、経営のためにノウハウではなく、高い介護報酬を得るために、利用者への質の高いサービスなりケアプラン作成をお願いします、ということを発言したいものである。残念至極である。』


先生のご期待に沿えるように準備を進めています。
ケアマネジメントに関する高い理念から現状を見られた場合にこの結論に至るのですね・・・。
『独立化の勧め』は再燃しています。

雛飾り  2009・2・5
午前中複合機のメンテナンスも終わって、一日を如何過ごそうかと思っているところへ妻から、「床の間に飾れる範囲でお雛様出さない・・・」と声がかかった。
ということで、三人官女までの五体と関係器材を運び出し飾り付けをした。昨年までは一部屋占領していた雛飾りだが、何とか床の間・・・周辺に収まった。
チビッコギャングがそれを見て「キレイ・・・キレイ・・・」の連発である。
座敷を相談室として届けてあるので、これが限度である。人が増えるということは部屋も必要になる。余裕の部屋はもう無くなった。

そういうところへ某クリニックから電話がかかった。歩ける方に褥創が出来たと言われる。体圧分散ベッドマットの機種をお伝えすると、折り返し医師からマットの指定があった。体圧分散マットの最高級品でこの上はエアーマットになる。
用具事業者に電話で問い合わせると外出中ということで連絡を取ってもらった。折り返し電話がかかり、事業所へ帰って確認するが、在庫があったかもしれない・・・ということ。
約30分後電話があり在庫があったということで、通い介護で通院付き添いした子に電話で確認して直ぐに納入することにした。

車は四時までしか空いていないということだが時間は充分にある。5分で着くからマットを車に積んで待っていただくことにした。
事業所に着くなり助手席へ・・・目的地へ直行した。
道中かかるはかかるは・・・電話が・・・。ショートステイ追加利用の電話やロングショート退所の電話が・・・。
それぞれ担当者に電話をして問題は解決した。
一件事務所へ戻って書類作成をして事業所へ向かった。
そこでもヒントを貰い、走りながら思いついたプランに関して、答えを明朝にお知らせする電話を走りながらかけている。交通違反である。

夕刻子に電話をして、本人を交えてヒントに関して提案をしてきた。あとは本人と遠方の子とで答えを出していただければ良いのだが、答えは明朝まで欲しい旨伝えてきた。細部にわたって確認の電話をいただいているので、こちらの話もまとまるのかもしれない。

こう書いている横へチビッコギャングが来て、アンパンマンのおねだりである。雛飾りを見ているように連れて行くが、「キレイ・・・キレイ・・・」はしばらくだけである。とにかく子供は忙しい。
押入れに入りっぱなしになるかと思っていた雛飾りだが、簡素な形で出すことが出来た。
そういえば約30年間、雛壇を組み立て上段の人形を飾るのが私の仕事であったが、場所が無いことを良いことに随分簡素化してしまった。

今改めて思った・・・。もう30年以上経ったことを・・・。
月日の流れは早いものである。
福祉へ足を踏み入れたのは約20年前、雛の持ち主は当時小学校2年生であった。

ベッドマットを届けたら、マットを片付けてあった。
ベッド柵にコードが引っかかっていたので何のコードか聞いてみた。電気毛布のコードだと言われる。ベッドマットの上に敷いておられたということ・・・「電気毛布は身体に被せて下さいね・・・」とだけ伝えてきた。

歩くことの出来る方の褥創騒ぎは・・・実は低温火傷だった。
医師にそう言っても認めないだろうから、クリニックへベッドマットを交換した旨電話をしておいた。ついでに「実は電気毛布を敷いておられたのですよ・・・先生にお伝え下さい」とだけ伝えておいた。
受診に同行した子は看護師である。

歩くことの出来る方に褥創が出来ることは「想定し難い・・・」というのが厚生労働省の見解であろうか???しかし現実には色々なことがおきる。

我が事業所を助けた一人の女性・・・。  2009・2・4
開業の早い時期から2年間、事業運営を助けていただいた女性がある。その期間に10件の紹介をいただいているからかなり確率は高い。
先の法改正後サービスが必要無くなった方があるが、ここに来て復帰する必要が出てきた。何が何でも受けなければいけないケースだが、不確定な2名を加えれば限度件数オーバーギリギリの担当になる。何とか行ける。

昨日の午前中に相談を終え、イメージした事業所にケースの概要を伝え、サービス依頼をした。復帰だからフェースシートの全ては作らなかったが、変動部分だけは作り変えた。そのような台帳様式を使っている。
給付管理を行いながらの作業なので、昨日はそこまでしか出来なかったが、今日は早朝からケアプランを書き出した。約3年前のプランの一部を引用して書いたプランだが、ご本人にも満足していただけるのだろう。とにかく経緯がわかる「動くケアプラン」である。

今日は午後から病院の情報交換会の予定が入っていたが、サービス提供を依頼してある事業所へフェースシート(台帳)のコピーを届けた。
認定が切れているので、暫定スタートに関して無駄のないように、地域包括支援センターにも臨席をお願いした。今回の急変を察知して、民生委員から包括へ連絡が入っている(これも行政ラインの情報ネットワークだが・・・)。その経緯を尊重した。

話は逸れるが、病院の情報交換会で出た話だが、過去にも書いたことのある地域医療連携室の連携先は、マニュアル本に書いてある通り当時在宅介護支援センター・今は地域包括支援センターである。この組織図はこれで良いのだが、その運用方法が間違っている。
地域の拠点施設・行政の委託機関は公正な情報の取り扱いをしなければいけないことは、公正取引委員会も指摘している。

「地域の連携」とは専門職が最適の機関に情報をつなぐことであり、その一部に「打算」があれば連携は難しいだろう。そのレベルでの相談専門職であって欲しい。
今その女性から実績を送っていただいたが、決して無理はしなかった。ごく自然に地域のサービス事業所を利用することで話はまとまっているが、事業所を選んだ根拠も公正でなければいけないと思う。
そういう経緯も納得していただいて、申請後すぐにサービス提供が出来る体制は整った。
認定結果に関わらず、「暫定プラン」がスタートする。

独立化の勧め以来の閲覧数・・・が・・・。  2009・2・2
ケアマネドットコム
http://www.care-mane.com/
でブログを書いているが、約2年半前(始めた時)に次ぐ高閲覧数があった。
その記事は
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=HL&action=m&board=1834885&tid=a1v2p8nldbja1wa4k4xa49a4ka5a4a5sa5bfa1bca5ma5ca5h2q5d&sid=1834885&mid=3961
であるが、報酬改定の方向がどうなるのか、皆様興味津々のようである。

「独立化の勧め」がテーマの投稿だが、今回の報酬改定を受けて、再度情報発信することにした。日本のケアマネジメントに厚生労働省が言うように「独立性・中立性の確保」を盛り込む為にはこの方向しかないだろう。
解釈通知が出ない中での予測ではあるが、ケアマネが二人いれば特定事業所加算(U)が算定出来るという簡単な内容ではないようである。

どうも追跡調査をしていただいているようで、この2年余り随分マスコミ(専門誌含む)からの取材をいただいている。2年半前の情報発信を再度繰り返す時期に来ているのかもしれない。
勿論解釈通知を見てからの話だが、予想も含めて早目に行動に移すことにした。
マスコミを呼んであるのかどうかは知らないが、次の日曜日に東京で構想をお話しする。

2年半経過したが、同じ構想である。
確信を持って全国発信した内容であるから、そう大変わりはしない。
これを行政が如何受け止めるのか・・・県段階では確認している時間が無かった。東京在住の独立ケアマネに直接厚生労働省へ問い合わせていただく可能性も出てきている。

独立ケアマネが全国で増える要素を含んだ内容でもあるが、先日の市ケアマネ協の飲み会で随分多くの方から「落ち着いたら独立開業したい」という言葉を聞いている。子育て真っ最中だから安定した収入を得たい方もあった。
時期が来れば独立開業の夢を抱いておられる方が多いことに驚いた。
その方々に対しても「夢」を持っていただける何らかの行動が出来れば良いと思っている。

2月8日は人生最後の大舞台なのかもしれない。・・・そう書いて・・・込上げるものがあった。
ゼロからのスタートではあったが、5年を待たずしてパンク状態である。

切羽詰った疑問???の電話・・・。  2009・2・1
歯切れの良いおばちゃんの声で「〇〇の兄の子ですが・・・〇〇はどうなるのでしょうか???」と電話がかかった。
携帯電話からの電話だったので、誰のことかはすぐには判らなかった。電話の相手からみれば叔父さんの生活に関する問い合わせである。

一度兄夫婦と一緒に生活保護の相談に担当課に出向いていただいている。その時の返答が「預金残高が10万円を切ったら相談に乗りましょう・・・」ということだったと報告を受けている。金銭の引き落としを依頼してあるヘルパー事業所管理者からの報告では、もう一度下ろしたら10万円を切るということ。昨年暮頃に報告をいただいている。そろそろなのだが、3月位の話なのかもしれない。

本人が生活出来るようにマネジメントは行っていきますが、生活の糧に関しては親族の連帯責任で賄っていただきたい。それが生活保護という手段だったとしても、その手段を選ばれるのは親族です。保護申請に関しては介護保険の部分も影響してきますので同行する予定でいますが、申請に関しては是非親族の方で行っていただきたいと思います。

この程度の説明しかしなかったが充分にご理解いただけたようだった。
この他に親族の役割はあるが、現時点でそこまで確認する必要もないだろう。保護義務者であることには変わりないので、最後の部分はこのおばちゃんにかかっていくのかもしれない。ケアマネジャーはそこまで行わないことだけはご理解いただけたようである。

生保のプランは書いたことが無いので判らないが、通り一片のプランを届けておけば良いのだろう。請求は生保ということになるのであろうから、担当件数に影響してこない。考え方によっては美味しいプランである。
問題があれば身をすかせば良い話だし、そう気にもならない話である。生保のワーカーが応援してくれるのだろう。応援を受けられなければ「保険者でどうぞ・・・」と言っても良いだろう。

今まで余り意識しなかったが、生保のケースを担当する時期が間近に迫っている。ちょうど更新時期ともダブっているので、包括へは認定調査に立ち会う準備を進めていただいている。「支援が出たら支えられないよ・・・」とお返しすることを匂わせた圧力(?)もかけている。
実際の話、支援が出ては生活を支えられない。そういう生活意欲の方である。ADLとはまた違う。

電話をいただいて、必要なことは伝えたが、最終的に本人の生活の責任を持つのはケアマネジャーではない。つなぎ止めておかなければいけない親族から電話があり、支えの世代交代も可能だということがわかっただけでも随分気が軽くなった。
ケアマネジャーは全てを囲い込んではいけない。如何に役割分担をするかということも重要なことである。
歯切れの良い電話のおばちゃんと、結果相談していくことになるのであろうが・・・そのこともご理解いただけたようである。

そしてこの投稿を裏返せば、囲いこみ型ケアマネジャーは自分自身の圧力に耐えることが出来なくて破滅する道筋もあるという提言にも結び付く。もっと言うならば・・・・・・・だが、今日は止めておこう。
賢明な諸氏はもうお気付きのことと思う。

多くの方々とのお付き合い。  2009・2・1
開業準備から5年余り、この間随分多くの方々とお会いしてきた。開業後の名刺の数が300枚余り。開業前に事業所訪問をした時の分が約100枚。
利用者や相談者として関わった方が約100名。その方々にもつながりはある。

日々約40名の利用者に加え、ほぼ同数のサービス事業とのお付き合いがあるが、最近担当者の名前がすぐに出てこないこともある。人は固定していないが、移動の経緯も目に見えている。
ケアマネジメントも含めた介護サービス事業所の人事交流(?)を目にしているのも独立ケアマネなのだろう。

何百人の方々と「介護」を通じてお付き合いをさせていただいてきたが、これだけの人とのつながりを作ってくれた介護以外の分野でのお付き合いも数多い。人は人に支えられてひとり立ちできる現状を見せていただいているので、ひとりで立てない方を如何するかという観点での見方も出来る。

その他にも専門職各種の会のつながりや患者会等のつながりなど、開業以来人とのつながりを大切にしてきた。
それにしても多くの方々とお会いしてきた。

独立ケアマネの組織化  2009・2・1
来週独立協の総会が開催されるが、日本のケアマネジメントの独立性・中立性を高めるためにも実りある総会にしていただきたいと思っている。
全国でどれ位の独立居宅が誕生しているのかは判らないが、独立後サービスを持たれた方も多い。そういう意味からもオーナーケアマネに照準を当てた組織化を考えている。

今回の報酬改定で、特定事業所加算に関して厚生労働省は次のように書いている。
『事業所の独立性・中立性を高める観点から、実態に即し段階的に評価する仕組みに見直す。』
ということである。しかし、常勤介護支援専門員を2名以上配置している独立事業所はそう多くはないであろう。かと言って人を雇ってまで出来る報酬でもない。人を雇えばもはや独立ではない。

私の頭の中には共同事務所を持つ考え方はない。ひとり一人独立した事業所を地域で組織化出来ないかということである。
ケアマネジメントをひとり一人の責任で行い、その見返りもひとり一人にある。そういった組織運営が行なえれば良いと考えている。
勿論困った時には助け合いもしていかなければいけないが、見返りだけを求める方とは協働出来ない。その人選も間違えてはいけない。

総会でどのような話になるかは判らないが、日本のケアマネジメントの方向性を論じて来た会には違いない。
「独立性・中立性」の『性』は必ずしも独立しなくても確保出来る性質のものだが、果たしてそこまで理念の整った方がどれだけおられるのであろうか?独立しなくても独立性の高い方は確かにおられる。しかしほんの一握りではないであろうか???

ひとりケアマネの危険は事業を継続出来ない状況に至った時の利用者の保護であろうか???そういう意味も含めて事業組合的な組織化も必要だと考えている。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

独立ケアマネと確定申告  2009・1・30
今年度から確定申告をする必要が出てきた。
源泉徴収は給与に見合った全額を控除して(したことにして)税務署に届けてある。確定申告の準備をしてみたら、年金分(勿論半額)で納税の必要が出てきた。年金は微妙なところなので源泉徴収はしてない・・・・ということで追加納税をする必要が出てきた。

面倒くさい税の計算は終わったが、果たしてこの数字が合っているのかは判らない。とにかく2万数千円追徴課税を支払うことにした。
税理士に聞いてみたが「そんなモンでしょう・・・」という答え。課税対象額20万余りにかかる税金が2万数千円である。何と、1割課税である。

大雑把に法人事業税は7パーセント。所得税は5パーセントだから、会社に黒字を出さずに、給与で取って下さい・・・という話はあった。しかし結果として、課税対象額20万(換算)にかかる所得税は2万円余りであった。??????だが、計算しただけ通帳から引き落として下さい・・・という方法を取った。現状では引き落とされた税額を会社通帳から「社長に返済」との事務処理をするのだが、会社の必要経費にはならない。(当たり前のことだが・・・)

税務処理をしていて大きな矛盾(不思議)にであった。
約14年前、所得税はどれだけ払っていたかは記憶にないが、年間所得が600を超えていた。これがソーシャルワーカーの給与だと思うが、皆様如何思われるのであろうか・・・。
現状の介護報酬では、限度件数の35件(プラスα)があったとしても、一人のケアマネが稼げ介護後報酬は年間せいぜい500であろう。独立ケアマネも同じである。

この介護報酬でソーシャルワーカーの給与は出ない。給与の見返りを求めるのは経営者である。ここに「囲いこみ構造」サービスの囲いこみ構造が出てくるのだが、こと行政委託機関には行政情報が集まるシステムになっている。そこで委託機関ごと「行政の持つ被保険者情報(利用者情報)」が委託機関に集ることになる。この情報を公正な立場で処理していただければ良いのだが、委託機関職員も雇われの身・・・上司である天下り管理者から指示があれば自社(?)居宅につなぐことになるだろう。

ケアマネジメントの「独立性・中立性の確保」はケアマネジャーに求められた理念であることは勿論のことだが、その前に天下り管理者の資質を検証する必要がありそうである。
天下り管理者が何を言っていようが真っ当な仕事をしておられる方々はある。理念と人間の強さは決して比例はしないが、理念高き意思強靭な方々を組織できないかと考えている。

もしかして・・・・・・・。
大きくそれたが、確定申告で2万円余り追徴されることになった。
4年目にして所得税を払えるようになった。

出番のタイミング・・・そろそろかな???  2009・1・29
包括担当者と研修会でお会いしたので聞いてみた。「〇〇さん如何???」
前日訪問されたようだが、緊急性が迫っているようである。ご本人は怪我が治ってから・・・と言っておられるようだが、直ぐにも対応しなくてはいけない状況のようである。
兄の子の関係者と連絡をとっていることは伝えておいた。

そろそろ出番のタイミングが来ているようだが、プライド高き本人の気分を害してはいけない。そこで電話で日程調整を依頼した。「明日以降は時間にも余裕があるので、都合の良い時間に連絡をいただきたい・・・」と。
多忙を予測して組んだスケジュールだが、元旦変更申請の方への対応(各事業所の請求を間に合わせる)と会計事務が残っている。時間の余裕は充分にある。

明日裏調整の上ご連絡をいただけるが、今独走しないのには訳がある。ケアマネジャーだけでは支援を行えないので、出来る限り「家族・親族」の支援を受けたい。その為にタイミングをずらしている。今後継続的に関わっていただきたい方々である。
裏資源の開発もケアマネジャーの仕事である。(巻き込むと言った方が適切かも・・・)
ご連絡から10日間経過した。この期間(余裕???)が重要なのかもしれない。

要介護認定の改正に関しての各々の想い2009・1・28
色々な立場の方が、新認定方式に関して色々な想いを持っておられる。
私は施設入所者・認知症には重く、在宅生活者には軽く出るのではないか・・・と推測をしている。
例えば、施設介護がプログラム化されていれば、ある程度本人が出来ても介護を受けていることになるし、居室へ帰ることが判らなければ迷子になったことになる。勿論施設における居室は自宅だとの認識は数十年来持っている。

自宅で自分の部屋が判らない場合は如何なのであろうか???自宅の廊下は家の中であるから家に帰れないとはいかないであろう。施設の廊下は公道である。
面白いのは中心静脈栄養の方で、入浴も禁止されている方に関しては、移動の必要性が無いから「移動」は自立だそうである。他の項目で点数が付くようになっているのかもしれないが、何件か???が目に付いた。

地域包括の立場では支援が増えると予測されている。再依託を受けることが出来る件数は限られているので、我が事業所では「自己作成」が増えるのかもしれない。何故自己作成なのかも内密にお話しておいた。
2月2日に第1号の更新申請を代行するが、認定結果が出るまで少し時間がかかるのかもしれない。大学病院受診の方なので、1ヶ月早く意見書用紙をお渡ししておいた。そういう時に限って早く書いていただけるもので、1週間後には郵送で届いていた。主治医にも気を使っていただいている。

幕を開けてみないと判らないが、厚生労働省が支援を増やす方向で考えているとしたら大変なことになると思う。地域包括の機能崩壊でもあるが、何処へも持っていくことが出来ない。結果自社で受けるしかないだろう。そこまで考えてあるかどうかは判らないが、結果そうなると面白い現象が起きる。
当然我社も自己作成が増えることにつながる。

考え方を変えて、自己作成をどんどん増やす手もある。そういう背景の中でネットワークを運営するのも面白いのかもしれない。一度関わった以上「出来ない」とは言えない。
3月に出される解釈通知が気になるが、流れからしてケアマネジャーが独立し易い背景を作って行く必要がありそうである。構想は「ぼんやり」と煮詰まっているが、果たして求められた方向なのかは判らない。
判らないが一歩先に行動することになりそうである。

県段階で腹の探り合いをしてみるのも面白いのかもしれない。
結果はともあれ、行動に移す準備は頭の中で固まっている。

地域ケア会議  2009・1・27
2日続けてケアマネ相談会・研修会が開催されるが、ケアマネジャーだけが勉強すれば良いということではないと思う。地域を良くするためには地域ケア会議を地域で開催する必要がある。
現状では密室で行われている地域ケア会議だが、メンバーは行政ラインの関係者だろうと推測する。会議の内容が公表されたことも無ければ、方向性も知らない。ただ一度だけ、私が出席出来る会議ではないことを匂わせていただいた。地域ケア会議って何???

これと同列の話が、ケアマネだけ勉強してそれで良いの???という話である。法の枠組みはどうなっているのかは知らないが、地域の関係者が一堂に会する会議こそが地域ケア会議ではなかろうか???
委託機関の地域包括支援センターが主体となって地域の抱える問題を解決していく・・・。このスタイルが実現出来なければ、地域包括は在宅介護支援センターにも例を見たように、行政の持つ被保険者情報を併設居宅で囲い込む性質のものでしかない。そのことをある方と確認してきた。

現在、独立・民間系のケアマネを組織化することを考えているが、私が過って関わっていた組織に労働組合があった。この角度からの構想であるが、対等に話が出来なければ構造は一変する。その背景がありそうなので、「強い見方」を巻き込んだ組織化になるだろう。
事業組合的な組織は各管轄省庁でも準備されているが、運営に少し費用がかかっても有効な組織形態を選ぼうと考えている。介護保険界における構造改革の意味もあるので、構想は固まりつつある。力のある方には後方支援をお願いしなければいけない組織形態である。

独立協の総会も10日余りに迫った。
具体的な準備こそ出来なかったが、3つの選択肢を上げて構想を発表出来る準備は整えた。
日本のケアマネジメントの公正・公平、独立性・中立性を確保するためにも何らかの行動はおこしたいと思っている。地域包括支援センターも巻き込んだ行政ラインでの行政情報の囲い込みが行われていることが当たり前となってしまえば、日本のケアマネジメントは世界のソーシャルワーカーから笑われるだろう。
ケアマネジメントはソーシャルワークの一部であり、給付管理(のみ)がケアマネジャーに課せられた仕事ではないことを一人ひとりのケアマネジャーに自覚していただきたいものである。

独立協が唱えてきた事柄は法の上でも充分ではないが明文化されている。それを実践出来るかが、今後求められることになるのだろう。その重要な内容を審議する大会を目の前にしている。
そして報酬改定の真の中味は3月に出る解釈通知に待つことにしようと思う。

勢いを感じる今日この頃・・・  2009・1・25
11・12月は37件の給付管理だった。12月末4人の入院者を抱えていたが、お一人が年を越すことが出来なかった。

年明け早々、明らかに利用者の我が侭から、居宅も変えて頂くことになった・・・と言うより、居宅変更の方向へ水を向けた。
入院で1月を越す方が2名、1名の退院だけがプラス要素だったが、ここに来て復帰予定が3名出てきた。うち要支援1名だが、認定期間が切れていたということで申請中である。必要があれば暫定でスタートさせるが、まだ声がかかっていない。しかし、2月の退院1名は確定しており、入院1名に加え3名の復帰が予想される。

全員復帰で申請中の方を要介護としても38件。支援を3件抱えているので計39.5件。かろうじて減算は免れている。
裏情報の方と担当できるか計算したが、何とかいけそうな数字である。このほかに申請書を渡してある患者会の方が2名。支援が出れば自己作成。介護ならばネットワークのケアマネに依頼することにしようと思う。

「・・・一歩下がって2歩進む・・・」という歌もあったが、今年も幸先の良い年を迎えている。
実は昨年1月にこの予想を題材に会談を持っているが、予想に反した。パンク寸前ではあったが、パンクしない年であった。しかし申請中も含め、今パンクの状態になってしまった。SOSである。

来月ネットワークを機能させる行動に移すが、情報ネットワークはパワー全開。順調に相談が舞い込んでいる。しかし新規の困難事例を担当するためにも余裕を持ちたい。一度担当すると居宅変更は出来ないことが昨年のケース交流で判ったので、グループで居宅を持てないかと思っている。同じ居宅なら担当ケアマネが変わっても良いだろう。その為にも組織化を考えている。

可能なところから自己作成支援を行ってきたが、もう一年経過した。そのことが現在を助けているのだが、もうこれ以上は限界である。
相談体制を整えるためにも、組織化を進めたい。そして介護保険の現状を行政情報の囲いこみを無くし、選択の自由を保障していくためにも、組織形態は色々あるが・・・やはり、協業組合しか無いように思う。
何処が発信地になっても良いのだが・・・もしかして富山県・ここ高岡からの情報発信になるのかも知れない。

HP『高岡発・介護問題研究会議』の発信が2001・10・1だから、7年余りで一人の力ではどうにもならないところまで来た。
今日を再出発の日として・・・7年後にはどのような状態になっているのか楽しみになってきた。
夢は延々と続く。

超多忙の日曜日・・もう一人のケアマネ・・  2009・1・25
朝「お試し入所」に無事送り届け、心配したらいけないから隣と民生委員に連絡しておくね・・・と施設を後にした。
感心したのは、ベッドとテレビがランダムに置かれていた。部屋に入ってから、配置をするのは本人である。気の利いたご配慮だと思った。

時間が無かったので先ず患者会へ顔を出した。終わり頃だったが、誰かが増えた気配を感じていた。会の中で耐圧分散エアーマットを勧めているが、会長に詳しく伝えるために席へ行って説明した後振り返ると、はじめてこちらまで来ていただけたケアマネジャーの顔があった。
「ご無沙汰しています〜〜〜」ということで話を切り出したが、先週の主治医研修会に参加しておられたそうで「今日行かれますか〜〜〜」という言葉が返ってきた。一件訪問してから行くことを伝え、一本の電話をしながら民生委員宅に向かった。

民生委員はお留守だったので家族に伝え、一件電話をしてみるがつながらない。昼食を早々に済ませ研修会会場へ向かった。
走りながらかかった電話では仕事に出ておられるそうで、終わったら事務所へ寄っていただけるということ。何とか研修会には間に合った。
研修会のテーマは治療とケア編、医療では遅らせることしか出来ない認知症への対応を学ぶ内容だった。

会場から出て車の列に付いていると午前お会いしたケアマネさんが現れた。ここにも忙しい日曜日を過ごした方があった。
更新被保険者証を預りに一件立ち寄って、一件事務所へ来ていただいて予定の調整を行い、何とか今日一日終えることが出来た。
駆け足の一日だったが、得るものも多い一日であった。

果たして無事「お試し入所」出来るのか・・  2009・1・24
施設見学と手続きも終わり、お試し入所の準備は出来た。
別居の長女から電話がかかり、持ち物は施設に届けておいた・・・ということだったが・・・チョッと心配な言葉も・・・。
どうも隣の義妹から「何でそんな所へ行くの???」というアドバイス(?)があったのだろうという予測である。

日頃同じ行動をしたい希望を持つ義妹だが、先日「同じ行動をしても良いよ・・・」と話に行ったら、そちらの長女から「そんなに通って払えるの???」と大風呂敷が半分になりそうな状況だった。
そして翌日、「私行ってくるね・・・」と話されたのだと思う。そしたら「何でそんな所へ行くのか・・・」という話になったのではないかと予測する。

果たして明日「お試し入所」に連れ出すことが出来るのか・・・。
そこは認知症のお年寄りから人気があった・・・特に女性からは・・・過去の実績を看板に・・・是非無事送り届けることが出来れば良いと思う。
何故かは知らないが・・・随分もてた。

県連携(ネットワーク)研修会  2009・1・23
保健・医療・福祉ネットワークは重要なことだと誰もが判っているのだろうが、果たしてネットワーク作りは進んでいるのであろうか???少なくとも私の周りでは進んでいる。必要なネットワークは確保出来ている・・・ということにしておこう。ネットワークの形は示していないが、声をかければネットがつながる方も数多くある。ネットワークは人と人の結びつきである。

先日も担当ケアマネの顔を知らないサービス提供責任者がいる話を書いたが、そういう意味では優秀なほうである。時には顔を知って我が侭を言う方もあるが、考え違いをした方とはなるべくお会いしないようにしている。
サービスを通じてネットワークはどんどん拡がっているが、このネットワークをもっと有効な方向へ拡げようとしている。ネットワークのネットワーク化である。

小さく言えば、市サービス事業者連絡協議会を本当の意味でのネットワークの核として機能させていかなければいけない。方法は簡単なのだがそこまでネットワークの意味を解した方がいないのだろう。ケアマネの勉強会を中心に開催していても仕方のないことだろう。ケアマネ自身がネットワークの意味を理解できなくても仕方のないことだろう。

担当ケアマネの顔を知らないサービス事業者がある実態を異常だと思っている。電話で忙しいケアマネを目にするがケアマネの仕事は事務所には無い。ケアマネジメントはディスクワークではないということである。
今日は1件の調整と研修会そして1件の相談で終わっている。相談は20分。連絡調整に半日使っている。残る半日が研修で、相談は残業部分である。その間に電話で解決した件数は3件、訪問の結論を伝えた内容だったが、重要な方に確認の電話をする事を忘れていた。

顔を見ながらのマネジメントでも連絡不十分な点が出てくる。週末に連絡の徹底を図る必要があるのだが、果たして書類を作っている時間があるのか微妙である。明日の結果を見て連絡の徹底の方法を考えるが、一応方法としての根回しは終わっている。月曜の朝ポストを確認していただければ結論が出るようにしてある。

体験入所  2009・1・22
入所希望者に体験利用をさせていただけると言われる。入所が決まってもいきなり入所では戸惑われるのは本人だろう。入所の体験を空きベッドを使ってさせていただけるということである。誠に良い話なので、別居の子に勧めた。
本人にはお会い出来なかったが、朝短時間で伝えておいていただくことにした。詳しくは利用中のデイサービスを訪ねお話しする。「お試し・・・」という言葉は本人の口から聞かれていたので「お試し入所」を勧めてみようと思う。

ここに来て今月は余裕を持ってスタンプラリーを終わらせておいて良かったと思った。明日は半日しか動けないが、午前中に「お試し利用」の根まわしを終わりたいと思っている。一件多分予防認定が出ているであろう方の担当者会議の日程調整に包括へ行く予定をしている。午後からは私の好きな「連携研修会」に出席する・・・しかし業務が優先である。

一応利用に向けた根まわしを別居の子と済ませてきた。日曜日に予定があると言われるから、私の用事が始まる前に送ることにした(日曜日の迎えは無いだろうから・・・)。
各サービス事業所へは予告だけしておくことにした。お試し入所が本決まりになれば、メモを一枚ポストに入れておけば対応していただけるように、連絡網メモを活用することを伝えておかなければいけない。
これだけやっておけば大丈夫だろう。
この種の調整を電話でやろうとすると必ずと言って良い位問題が起きる。私が利用者とほぼ同じ数の事業者の中を飛びまわる理由がここにある。

突然話は変わるが、サービス事業所もそう思っている。
実績などはFAXでいただいていたが、本社から方向転換の方針が出たと言われる。私はどちらでも良いのだが、一つには「顔も見たことの無いケアマネの顔を実績を届けたついでに見て来い。」ということらしい。別の事業所でも出ていた話だが「担当ケアマネの顔を知らない・・・」と言われる。
私にすれば「?????」である。

少し脱線したが、利用者の立場に立ったケアマネジメントが行われるのは何時のことなのだろう。
ケアマネジャーは法人の顔の影で仕事をしてはいけない。自らの顔で仕事をしていただきたい。
そういう意味ではケアマネ協として法人化を考えておられるところや、独立ケアマネを組織か出来ないか考えているものも居る。

ケアマネジャーとして施設側から声がかかることは嬉しいものである。

出番のタイミングが支援の要・・・  2009・1・21
前日包括から電話がかかっていたが、裏ルートから現在の情報を仕入れていた。ケアマネジャーとしては指名されているようだが、出るタイミングがありそうである。
包括からも裏情報からも連絡が無いので裏側へ連絡をとってみた。概要は判ったが、出るタイミングが微妙のようである。情報から、支援の方向性はイメージ出来た。

朝一番に別の用事も絡めてその方向へ動いた。結果空振りだったが、来ていったことが伝わっていて、内容を整理していただいていたようである。
昼に電話をすると、昨日の相談の方向性は伝わってきた。結果支援の方向性も出ないまま相談が終わっているが、「例えば・・・」として方向性をお話しすると同じことを考えておられた。家から出ることが嫌な方には出なくても良いプランを提案する必要がある。そのことはブランクはあるが関わって来た経緯の中で充分承知している。

ケアマネジャーとしての名前は上がっていたが、利用者本人から依頼があったわけではない。何故包括へ話が行ったのかは判らないが、経緯の中でそうなったのだろう。本人が希望されるのならそれでも良いが、如何もそうではないみたい。とにかく何らかのアクションがあるまで待つことにした。

夕方施設を訪問する機会があって、お会いできたので簡単に考え方をすり合わせておいた。出るタイミングもあろうし、効果的な出かたをする必要もあるようである。そのタイミングを図る仲介をしていただくことにした。
そう複雑化しないプランと思っているが、タイミングが狂うと収拾が付かなくなるだろう。

柔軟な対応で潜り抜ける必要があるケースだが、必要な情報はいただける。
数十年(数年かも)後の自分自身を見ているようなケースだが、年をとると頑固になる。その頑固さを和らげる技術(?)も持ち合わせているが、良いタイミングで情報が入れば良いと思っている。
出番はそう遠くはないと思っている。

生かき・・・美味しかった・・・。  2009・1・20
車で約2時間、目的の民宿・かき料理店に着いた。予約がしてあったのですぐに席に案内された。生かきのもっとも美味しい食べ方は炭火焼だった。長火鉢のような席には二人で一つの網焼きコンロが準備してある。勝手に焼いて「ドーゾ・・・」というスタイルである。
装束としてはエプロンと手袋が一つ準備してある。道具は大きなピンセットとバターナイフ(様の物)、それに箸である。
そこへ生かきが出てきた。二人でボール一杯のかきだが、数にして3〜40個(匹)あっただろうか??とにかく焼いて食べ始めた。

全く何の加工もしてないかきだから、かきそのものの持つ味が味わえる。ツユを飲んでみたが、濃縮した海水にかきの味が良い感じで調和している。
ツユはそこそこにしておかないとのどが渇くよ・・・とアドバイスをいただき焼き上がったかきから順次食べていったが、しばらくしてかきフライが出てきた。大き目のかきフライだが、食べてみると2〜3個で一個のフライが作られている。本場で食べるからなのかもしれないが、フライも美味しかった。
孫が食べるものがあるかと心配していたが、充分にかきの味を楽しんでいたようである。

締めくくりはかきご飯に澄し汁と漬物など、これは座敷の方に準備していただいた。炭火焼から食事の場へと客をローテーションしておられるようだった。8人3列にコンロが12個準備してあるが、休日だと門前払いのこともあるとか・・・量も多いことから人気のある店なのだが、そういえば3〜40個のかきを食べてきたのかも知らない。みんな満足で、夕食時にまで腹応えがあったので、夜は簡単に済ませた。

帰りに能登島でひょうたん島にある湯に浸かって来たが、ここも塩泉で暖まる湯であった。
静かな一日だったが、午後数件の電話がかかった。
主治医意見書が出来たという連絡や包括からは先に担当していた方が怪我をされて・・・と、別ルートでの確認も電話で済ませておいた。
着信履歴があったので電話をしてみたが、何の電話だったのかも判らない電話もあり、常時転送も困ったものだと思った。

生活が成り立たなくなっている夫婦があるが、手は尽くしたので本人からのSOSを待つことにしようと思う。

「かかりつけ医の役割」認知症編研修会  2009・1・18
県と県医師会共催の研修会に参加した。今週と来週の2回で修了書がいただけるようだ。しかし目的は修了書でも、認知症関係の研修会参加の実績を作ることでもなかった。実は・・・・。
私と認知症の方との関わりには歴史がある。在宅福祉に関わってから最重度の方お二人にお目にかかっている。最重度と言ったのは、精神科医が最重度と判断したケースである。

一件は在宅介護支援センターソーシャルワーカー時代に、県内に受け入れ施設が無かったために、隣県の施設を紹介していただいた。
施設構造までは知らないが、私が当時勤務していた施設には、カーテンで仕切った洋式便座が二つあり、水で流せるようにカラーセメントで床を作った部屋があった。二人部屋なのだが、境界は排水溝である。何故かこのような部屋をイメージしていた。
人権の角度から見ても問題のある部屋のように、私の目には写っていた。勿論部屋には自動ロックの鍵が付いており、火災報知器とは連動している。

もう一件は精神科だから大丈夫だろうと、病院まで送って他の用事に出かけたケースである。
診察時に暴言・暴行・・・などなど、結果精神科病院に入院して治療をすることになった。3ヶ月余りの入院で随分大人しくなられた。退院先は紹介して頂いた医師の施設である。
退院〜入所後、危険があるのでナースステーション前にベッドを移して監視付きの生活を送ったおられたが、入所1週間目に骨折があった。救急入院から1ヶ月目であっただろうか・・・帰らぬ人となられた。

この二つのケースが印象深かった。

2回で5人の専門医が講師に立たれるが、二つのケースで関わっていただいた三人の先生が講義をされる・・・ということで、是非お話をお聞きしたいと研修会に参加した。

研修が終わってホールで市内の関係者数人にお会いした。声をかけて先日の飲み会での話を口に仕掛けたところへ後から声がかかった。1年半余りになるであろうか・・・ご無沙汰している方である。
こちらでもサービス事業所を作りたいということで、情報交換をしたいと言われる。通所サービスが不足しているから是非始めていただきたいのだが、どうも訪問系のようである。冬場はどうしても人が減るから判らないが・・・近日中にお会いすることにした。
アドバイスの方向性は持っているので、ヒントだけお話しておいた。

介護保険サービス+αが事業存続の秘訣である。αは余裕である。

独立を希望しておられる方がかなりおられる  2009・1・17
昨日のケアマネ交流会で「独立開業」が話題になった。余裕が出たら開業したいと思っておられる方がかなりおられることに驚いた。包括や包括併設ケアマネの中からも聞かれた言葉だが、今両天秤にかけておられるところなのであろう。

そういう中でかなり目立っているようである。頭の特徴(?)は大学の大講堂の最後列に座っていたが、司会者から確認出来たと言われる。しかし頭の特徴が目立っているのではなかった。私の行動が目立っていると言われる。意識していただいていて嬉しいことなのだが、行動は当然やるべき行動である。特別目立つような行動は取っていない。
しかし、目立つそうである。

「独立し易い環境」を作っていくことをお約束してきたが、今抱いている構想が成功すれば確実に独立化は進む。「独立化の勧め」の実践である。
予想に反して思いがけない方からも抱いている希望をお聞きした。
「今はまだ若いので出来ないが、将来的には考えていますよ・・・」と爽やかな言葉が返ってきた。子育ての真っ最中の方だが、「子が巣立ったら独立しますよ・・・。」と聞こえた。

何が目立っているのか推測するに、「自由」さではないかと思った。
時間の自由と制約を受けない自由なマネジメントが出来る。
サービスにも特徴があるので、本人に最適なサービスを選ぶことも出来る。
何を行うにしても利用者本位にことを運ぶことが出来るし、利用者主体のマネジメントも出来る。これこそが厚生労働省の言う「事業所の独立性・中立性を高める観点」ではないのであろうか???
そういうケアマネが集まって共同事業を始めれば良い。

今回厚生労働省から謎かけをいただいたようにも思っている。全く不可能ではないであろうから、最善の方法を見出したいものである。

始めて認定調査に立ち会う  2009・1・16
一人暮らしなど、認定調査に立会いが必要なケースではサービス事業所や支援が出たら困るケースでは地域包括に立会いを求めている。
今回は家族の立会いもあったが、必要があって立ち会った。
「私はオブザーバーなので・・・」とADL低下の原因になった要に関してだけ付け加えた。立ち会ったのには訳があった。

調査員が来る30分前に自宅へ行ったが、先日来の雪模様で車椅子で家を出るのには除雪が必要だった。通所時は車椅子ごと送迎者に乗り込んでおられるが、自家用車に乗ることが出来るように足元も良くしておかなければいけない。乗り込む際に雪で足を取られては大変である。除雪が終わって本人の顔を見に行った時は約束の時間の5分前だった。
そろそろかな???と外に出て待つことにしたが、ちょうどそこへ市の車が見えた。手を振って合図をしたら気付いていただき、家に入って調査が始まった。

オブザーバーとはいえ要はお話した。床に座ってしまったら立ち上がることが出来ずに、携帯電話でSOSを出せる体制をとっていること。電話の使用は「可」にチェックが入っただろうが、床からの立ち上がりは「不可」である。
概ね聞いてから細かいところは家族と別室で・・・ということになった。
その間に車椅子の乗って待つこと5分間、認定調査は終わった。
「ADL確認の意味で、車に乗り込むところを見ていかれますか???」と言ったが、もう必要無いようでもあった。

そこで立ち会った目的のデイケアへ本人を送り届け、サービスがスタートしている事業所へケアプラン関係書類を届けた。
今月は月末に業務が集中する予想をしていたのでスタンプラリーはもう始まっている。今日・明日と担当者会議も予定しており、認定待ちが二件ある。
追加サービスの確認やサービス利用の日程調整・入院中などなど、来月のプランが確定しない方が7〜8名ある。
何時ものことだが、余裕を持ってもギリギリの月末を迎えるのだろう。

今日はケアマネの交流会に出るが、二日酔いでないことを祈っている。

担当者会議(依頼するということは・・・)  2009・1・15
気心の知れた方との担当者会議はスムーズに進む。
改めて議題の説明をしなくても事前に届けたケアプラン関係書類を充分に確認して来ていただけた。あとはサービス提供に必要なことだけ、不足する部分だけを直接聞いていただければ良い。

開業してそろそろ5年になるが、彼にサービス依頼をしたことが3回ある。
先の二件は「癌」の方であり、今回の方は「潰瘍」である。病状からも少し長くお付き合い出来るのではないかと思っている。
卒業も含めて、手が離れれば関係は終息する。今回は出来るだけ長いお付き合いをしたいものだと思っている。

ケアマネジャーとサービス提供者とのつながりは、サービスを依頼した方だけの関係には留まらない。関係する皆様から評価をされていることをケアマネジャーの皆様は知らなければならない。
サービスを依頼するということは如何いうことなのか・・・。「依頼」という漢字を見ても明白だが、「依」寄りかかり「頼」頼りにすること・・・である。サービス事業所を信頼してお願いする・・・ということである。

先ず併設サービスを依頼する場合、依頼されているのかもしれないが、多くの独立ケアマネさんから聞いた言葉は「管理者からの指示・・・」だったそうである。
日本のケアマネジメントの貧困さはこの辺りから来ているのであろうが、もっと貧困な状況がある。ケアマネジャーに被保険者情報が届くのに経緯があるが、行政委託機関に行政(の持つ)情報が流れるシステムになっている。
行政委託機関には天下り管理者がいる。

少し横にそれたが、醜い介護保険界における構造がある。その構造をぶち破るために「不死鳥」のようにカムバックしたのかもしれない。今ようやく射程距離に入ったようである。
ここ1ヶ月ほどで関係者への根回しは終わるが、その頃になれば具体的な情報発信が出来るであろう。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm
「独立化の勧め」の実践に入る時が来たようである。
しかし私が待っているのは、天下り管理者も含めた行政ラインの自浄力である。準備は進めるが、頭ごなしに潰すことはしない。関係者に悟っていただけるようにも最大限の努力はする。

究極の方法も考えているが、建設談合の二の舞にだけはなっていただきたくないと思い、しばらくは柔軟に事を進めようと思っている。

超特急のケアプラン・・かなめは押さえた。  2009・1・14
火曜日の午後在宅介護の決心をされ、デイサービスが訪問入浴に変わっただけのケアプランである。文章を読んでみると意味不明のところもあるがそれでも通るところが面白い。
ケアプランはケアプラン文章ではないが、抜けたプランが人の心をつかむこともある。嫁にケアプランを説明していると、横からきらりと光る視線を感じた。確実に心を掴んだことを実感した。

自宅で介護されることが決まってすぐに電話で訪問入浴を確保している。残業(???)してケアプランを訪問入浴用に書き換えて、朝一番に事業所へ電話をした。会える時間は昼の間しかないということで、12時30分に事業所を訪問したが、入浴車は午前中の仕事からまだ帰っていなかった。
しばらくして入浴車が帰ってきたが、色々なサービススタッフから私が来ていることの報告が本人に行ったようである。ご報告いただけた。

彼とはかなり長い付き合いになる。福祉の先輩であり、福祉界に入ったときにご指導をいただいている。申し送りもいただいたし、ごく初期の段階からのお付き合いである。
簡単な資料で簡単な説明をして、現地確認及びサービス担当者会議は明日である。サービス提供の確認まで1日・担当者会議まで2日間の超特急プランである。
サービス提供は来週からでも良いよ・・・とは言ってあったが、ひょっとして今週中にサービス提供をしていただけるのかもしれない。肝心な利用曜日を聞くことを忘れていた。

フリーな形の利用面接・担当者会議が始まるが、要は「何時何処で・誰が・何のために・何をすれば良いのかという話である。新聞記者が記事を書くときに五W一Hの要素を入れるが、それと同じことである。何時・何処で・誰が・何の為に・何を行うか、その根拠だけ明確にすれば良い。

話を戻すが、きらりと光る視線は親の介護が出来る喜びを感じた子の喜びだったのだろう。長男の妻(嫁)と仲良く手分けして行って欲しい。
「きらリ」を感じているから、さめた関係も感じることが出来るであろう。この関係を作り上げていくこともケアマネジャーの仕事である。
良い家族・親族関係が出来上がれば、もうケアマネジャーは必要ない。そのタイミングを「きらりと光る視線」から感じた。
もう本人の在宅生活は大丈夫だろう。良い家族・親族関係・・・になるだろう兆を見せていただいた。

MSWの話に納得・・・在宅支援へ・・・  2009・1・13
朝一番に病院を訪問した。向かった先が在宅調整を行っているケアマネジャーだが、転院の話をすると「〇〇さんの方が良いでしょう・・・」という言葉が返ってきた。MSW協会でお世話になっている方である。
一応組織のルールを通すために、話をつないでいただくことにした。総合受付で15分後に・・・ということで待っていると彼が現れた。
話の概略をお伝えして、某病院のMSWにベッドの空き状況を問い合わせたことは伝えた。あとは家族との話も含めて全てお任せした。

病室をのぞくと主介護者が来ておられたので、仮に在宅になったとして・・・「こういうことも出来ますよ」・・・「こういうことも出来ますよ」・・・と大風呂敷を拡げておいた。
大風呂敷の責任を取るために、架空のプランを提供するメンバーに根回しをしておいた。
午後、MSWとの相談が終わった頃に、大風呂敷の結果を確認する意味でも病室を訪ねた。メンバーが全て揃っておられた。

MSWの話を聞いて、在宅で見る気になっておられた。大風呂敷もしぼんでいた。「家族・親族で協力をしていきます・・・」と最小限のサービス提供から始めることになった。
施設事情はMSW・大風呂敷の内容は・・・そこまでしてもらわなくても・・・というところで親族間で話はまとまっていたようである。
仮に施設事情を私から話していたら、話はまとまらなかったであろう。

持ち場持ち場の役割がある。
私は時として大風呂敷を拡げることがある。何でも出来る介護保険である。
しかし内容を選択するのは利用者である。
別の話だが、半年前の担当者会議で訪問看護師から、訪問入浴はもう必要ないのではないかとのニュアンスの発言があった。事実そうなのだが、その時点で話を具体化しようとすれば破談であったであろう。半年後、本人自身がその気になっておられた。ケアマネジメントは決して急いではいけない。

それにしても良いチームに支えられて、思うとおりのケアマネジメントの展開がある。決して急いではいけない。チームをまとめてさえいれば、ケアマネジメントは良い方向へ流れていく。その手綱を握っていることだけ自覚していれば、良いケアマネジメントが出来るだろう。
「ケアマネジメントは生き物である」

包括支払方式と連休・・・  2009・1・12
手術の可能性もあり、胃婁の話も出ていた。胃カメラの検査が月曜日に予定されていたが、家族から簡単に結果は聞いていた。潰瘍も大分小さくなっているということで、細胞検査の結果悪性ではなかったようである。
かと言って手順があるだろう。連休に向かう金曜日の夜に退院日を告げるのは家族にとっても酷な話である。

連絡を受けて土曜日に本人の状態を確認しに病院へ行ったが、病院の相談員は休みである。このままでは家に連れ帰ることは出来ないということで、転院希望の病院MSWに電話をすると、昼少し前だったので電話での話は出来た。
ニュアンス的に病院からの紹介があれば考えていただける感じを得たが、病院のソーシャルワーカーは火曜日でないと出勤しない。とにかく火曜日に病院側と相談する予定を組んだ。

日曜日の昼過ぎのことだが、回診時に一日早回る退院を言われたと家族から電話がかかった。調べてみると、包括支払方式で決められた日数と合った。
「先生・・・それは無いぜ・・・」患者の立場を無視した包括支払だが、告げられた退院日まで相談出来る日は一日しかない。
診立てがでたのは月曜日の検査のあとだから「もう少し早く言えよ・・・」というのが実感だった。

巨大な胃潰瘍だが、包括支払では「巨大」まで算定に入っていない。特定解釈をしても入院期間は20日間である。検査結果が出て正確な病気が判るまで12〜3日かかっている。見当で治療をしてこられたのであろうが、「先生・・・それで良いの???」と言いたい。
待った無しの退院劇があるとは聞いていたが、日本の医療はこれで良いのだろうか???同じ薬を使っても高齢者の治癒力には限りがある。

在宅で生活が出来ない方を追い出すのが、包括支払方式なのだろうか???
社会問題にしても良いような現象である。

RE:独立は淘汰されるのかな?  2009・1・12
fp_pf さん、返信を見逃していました。ごめんなさい。

介護保険制度の存在が国民に周知されている現在、『介護サービス事業所の客引き』しかできないケアマネ(や包括職員)は
複数の介護サービスを提供している法人にとっては必要な人材ではなくなっているようです。(首切れないけどね。)


日本のケアマネジメントも良い方向へいっているようですね。

寒ぶりトロが美味しかった・・・。  2009・1・11
席に着くなりビールと寒ぶりを注文したが、先日とは少し味が違うと言う。ぶりも成長したのかもしれないし「トロで頼んだら・・・」と言ってみた。
色々食べ比べてみてからそうするということで、連発の注文が始まった。頭数だけ準備出来れば良いから、2皿ずつの注文である。
孫は納豆巻きとかっぱ巻き(のかっぱだけ)と蒸しエビ位しか食べるものが無い。

適度におなかがふくれたところで「寒ぶりとろ」が注文された。店は満席なので画面注文の品物はなかなか届かない。店員が注文書を持ってきたが、画面注文に無い品物ばかりでなく、何を注文しても良いという。こちらの方が早いので注文方法が変わっていった。ビールは娘夫婦と同じペースで注文している。二人がお替りすれば3杯目のお替りをしている。回転すしを食べながら2リットルのビールを飲んできた。

届いた「寒ぶりとろ」は正しく先日食べた寒ぶりの味だった。脂ののったぶりだったのか、場所を間違えたのかは判らないが、2貫で515円の皿に乗ってきたぶりは、脂ものり、とろけそうな味だった。富山県人は随分贅沢をしている。回遊魚が富山湾へ入り込み、彷徨っている間に脂が乗るそうである。
孫の締めくくりはプリンだったが、牛乳たっぷりのプリンで、こちらも満足している。笑顔が違っていた。

〆て40皿以上はあっただろうか・・・腹一杯のすしを食べて・・・飲んで、この値段では安すぎる。クイズにしてもいい位である。

RE:独立は淘汰されるのかな?  2009・1・10
〇〇 さんにも書いて頂けた「独立性・中立性の確保」にはこれしかないと、協業組合構想を2年余り前に全国発信しました。

今回の報酬改訂の内容を見ていると、「独立性・中立性の確保」と言いながら、独立ケアマネには手の届かない特定事業所加算の内容です。手の届かない内容は常勤2名の配置ですが、実態を把握していない厚生労働省の見解が手に取るように見えました。現在の報酬で独立開業をして、ケアマネジャーを雇うことは至難の業です。

そこで謎賭けもあるのかと・・・明日対談を持つ予定でいますが、協業組合という形で独立ケアマネ(オーナーケアマネ)の組織を作れば特定事業所加算を請求できるのかという問題に直面しています。
指定を受けてマネジメントを行っている方々が、協業組合という組織を作って、組合として指定を取って、加算請求が出来るのかという解釈に富山県から取り組んでみようと思っています。

中小企業組合と県担当課に出向くには一日の予定を組まなければなりませんが、この方法が可能なら、全国的に拡がることでしょう。
独立ケアマネが独立した理由の多くは、管理者からの「囲いこみ」の指示でした。今回の報酬改訂ではその問題は全く解決していないと思います。

それとは別に、今回の加算要件の緩和は、囲いこみを増長させるものでしかない・・・と、現状では思っています。細部に要件が付くのかもしれませんが、とにかく本道で取り組んでみようと思っています。
「門前薬局」的な居宅よりも「利用者の選択の自由を保障」してきた私も含めた「独立性・中立性の確保」を実践してきた全国の独立ケアマネが報われる報酬改定であって欲しいと思っています。

寒ぶりが美味しかった・・・。  2009・1・10
忘れた頃に妻から『寒ぶりが美味しかった・・・。』という言葉が聞かれた。1週間前に氷見浜直送の回転すしでの思いで話しだった。
当日は訳あって家族それぞれの日課をこなしたが、回転すしへ行ったのは、長女と私たちであった。

いくらしていた???と聞いて見ると、2貫で315円だったらしい。寒ぶりをその値段で食べることが出来るのだから、随分贅沢をしている。
他にもぶりづくしなども出ていたし、かなりの量を食べてきている。「質より量・・・」とは言ったものの、ネタの質は良い。

あらためて「美味しかった・・・」という言葉から、「また連れて行け・・・」という言葉を連想したが、さらりと「美味しかったね・・・」と返しておいた。
明日から「日本海なべ祭り」が開催されるが、日本海の海の幸は今が一番美味しい時なのかもしれない。

ケア・・の「独立中立性の確保」と組織形態  2009・1・9
『ケアマネジメントの「独立・中立性の確保」とケアマネジャーの組織形態』と標題を付けたかったが、字数オーバーだった。

何を言いたいかというと、ケアマネジメントの独立性・中立性は組織形態ではない。一人ひとりのケアマネジャーの理念の問題である。組織構成の形態だけを見てそう判断するのは早計である。
事業所に二人以上のケアマネジャーがいて、当然果すべき数値を確保していれば特定事業所加算が算定出来るなんて、厚生労働省のお手盛り予算のような気がした。ケアマネジメントの独立性を確保しているのは、色々な背景があって独立ケアマネなのだが、独立したケアマネジャーに『門前薬局』的なケアマネジャーがいることも独立協は数年前に指摘している。

『・・性』の問題は非常に根深い問題でもあり、ケアマネジャー自身の心の奥底に潜む問題でもある。このことを意識しないケアマネジャーは受験の段階から適正さを欠いていたのであろう。標題を理解出来ないケアマネジャーには日本の介護保険界から早々に退散していただきたい。
結論から言えば、2名以上のケアマネジャーを配置していることが標題の評価にはならないということである。

実施要綱に関しては3月の発表だということだが、この点だけを指摘することも現時点では問題も多いので差控えるが、「一人では会議を開くことが出来ない・・・」ということが根底にあるようでもある。
情報公表制度では「私がマニュアルです・・・」的な言い方もしたことはあるが、何故公表される情報に拘ることがあるのだろうか???事実をそのまま公表していただければ良いのだが、調査員も拘っているように思う。

制度の中で適正化を図る工夫は色々為されているが、問題の根幹がもっと根深いところにあることをお気付きの方も多いと思う。かねがね指摘しているように、介護・福祉を良くする目的(果たして理念があるのかはわからないが・・・)で天下っている方々の仕事振りに今後はかかっていると言い切っても良いだろう。
第二の就職先では無く、日本の高齢者福祉を良くするという理念を持って天下っていただきたいものである。

天下り人事は品質管理の為に誕生した制度である。その重責に対する理念を持っていただきたいものである。

後味の悪い一件と新規相談3件・・・  2009・1・8
気持ち良くマネジメントをしたいと日々思っているので、利用者側の問題点も指摘をする。
過って「お客様は神様です・・・」というキャッチフレーズがあったように思うが、対人援助に関してはこの言葉は当てはまらないであろう。私は間違いも指摘する。それで嫌なら去っていかれれば良い。
無事一件の契約解除が成立した。合法的にである。

予定をしていたことだが、夕方一件新規相談に乗ってきた。明日も二件まとめての相談だが、ひょっとして全件予防給付になるかもしれない。ネットワークからの相談が3件まとまってしまったが、結果が何であれ全件引き受ける必要がある。うち何件かは自己作成支援になるのかもしれないが、若干症状の違う方々だから、全くのコピープラン・・・という訳にもいかないようである。

今日の方は、段差のある自宅では生活が不自由で、ほぼバリアフリーのマンションに移り住まれた。住宅改修で終わるのかもしれないが、リハビリも希望しておられる。急性期医療リハビリは終了しているものの、継続して行なうリハビリは習ってきておられる。とにかくデイケアのリハビリ光景の見学にお連れしたいと思っている。

福祉センターと通所サービスの違いを説明しなければならない方だが、自宅での入浴には不自由しておられる。通所目的は主にリハビリだが、かなり近い年齢の方なので、利用者の顔ぶれを見て如何言われるかは判らない。まだまだ高齢者の仲間入りをしたという意識は薄いのかもしれない。
他人ごとではあるが、利用者の生年月日を見て、私自身何時来るかもしれないその時のことを予測しておかなければいけないようにも思う。

明日の方々はそれなりに高齢者なのであまり気にならないが、今日こそは身体の状態を遠慮がちに聞いた。
そう言えば現在年下の方も担当しているが、高齢者が高齢者の相談に乗っている・・・そういう現実が迫っているのだな〜〜〜と改めて思った。
同年代だから言い易いことも言い難い事もあるだろうが、自分中心の方の相談にだけは乗りたくない。

残り二件は何を希望しておられるのだろうか???

七草粥への招待  2009・1・7
ヨーガ・リハビリジムから電話がかかった。電話は昨日大学病院へ送って、「帰りはタクシーでお願いね・・・」と置き去りにした方の携帯電話である。
電話の相手は会長だが、「七草粥を食べに来ないか・・・」という誘いの電話であった。他に相談のある方もあるらしい・・・。

「実は11時の約束をしている件があるので、昼過ぎには体が空くと思うのですが・・・」と言うが、もうしばらくしたら出来るということだった。どうも奥様に合わせていただいたようである。
とにかく急行して、リハビリ体操中の皆様にご挨拶をして下に降りた。
先生も急いでおられるらしく、七草粥は出てきた。随分のご配慮である。

相談相手のお二人が降りて来られたのは、ご馳走になっている最中であり、時間もタイムリミットになったので、金曜日に来る約束をして早々に退散した。金曜日に住所を確認してインテーク面接をすることにするが、お二人のADLは概ね把握している。境界の方である。
住所地によっては受けたくない包括もあるが、どうも避けたい包括のエリアのようである。自己作成という手もあるし、包括の手の内を探ってみるのも良いし、相談の上方向性を決めたい。

自己作成の代理提出が認められているから、ケアマネジメント・・・と言うか方法論として随分幅が出ている。将来に向かって何らかのつながりを作っておく必要のある方々だが、担当出来るかは微妙な状況である。現在の担当の状況からいうと限度件数一杯で何とかお受けできるが、私でなければならないケースが出た場合にはパンクをしてしまう。
明日一件支援の相談を予定しているが、本当にパンク状態である。

無難なところで支援を睨んで自己作成支援を考えた方が良いようにも思う。
報酬改定で余裕も出たが、残る3ヶ月は現状を維持して行く必要がある。
申請から始まるケースであるから、認定が下りてからのマネジメントにしてもらおうかとも考えている。
緊急性があるとは思えないので、今回だけは結果待ちのマネジメントをお願いしようと思う。

自転車で「会議室」へ・・・  2009・1・7
今週初めから自転車で「会議室」へ通っている。この時期には珍しいことである。
今週末この「会議室」で来季に向けた重要な会談が行われるが、平素は留守がちなスペースでもある。
せっかく作ったスペースなので有効利用できないか考えているが、必要があれば2階部分の改装も可能である。

大きくは富山県の拠点事務所であり、規模を縮小して高岡市の拠点事務所になるのかもしれない。人が常駐することになるのかは現時点では判らないが、現在情報発信をしているパソコンの使い方が多様化することだけは確実のようである。
インターネット社会でもあるのでインターネットを有効活用する必要はあるが、インターネットを使うのは人である。

インターネットの有効活用の方向性は人と人をつなぐだけには終わらない。
現在もインターネットを使って仕事をしているが、その仕事にネットワークをプラスすることを考えている。賢明な諸氏には何のことかお解かりになると思うが、1台のパソコンでそのネットワークを作る方法があった。
現在は可能かどうかは判らないが、将来的には充分可能な方法でもある。

今日はこのまま春になるのではないかと思うくらい良い天気である。暖かい春に向かって、春らしい構想を描いている。
今年の初夢はこの構想のことだったのかもしれない。
そういえば最近ゆめを見ないようになった。毎日が熟睡である。

実績も順調に・・・  2009・1・6
正月休み明けの実績が届くか心配したが、年末・年始に届いた分も加えると90数パーセント届いて、残り2社になった。
自己作成分に関しては5日まで届けてくださいということになっているので、仕事始め(?)に事業所訪問をして、持参した用紙に書き込んで、確認を貰ってその足で届けた。
地域包括に関しては6日まで欲しいという要望を聞いているので、年末に実績を貰える予定を聞いてあったので、充分に間に合った。

残るは10日までいただけば良いのだが、どうも1社忘れておられるような気配もある。催促は金曜日位で良いだろうが、もう1社は集計に手間取っておられるのだろう。利用者に合わせたサービス提供をお願いしてあるので、ソフトで「予定通りに設定する」とはいかないであろう。
実績をいただいてから、実績に合わせて利用票を書き直し、書き直した予定通りに実績を打ち込む。内緒の話だが、自己作成プランでも実績に合わせていただいているし、生身の生活は計画通りには行かない。

気を付けなければいけないのが限度額オーバーの給付管理である。自己負担請求の事業所は事前に決めてあるが、給付管理表に繁栄されないこともある。予定通り記憶させておいても給付管理票で違う事業所に自己負担が算定されていることがある。気まぐれなケアプランソフトであるから、最終的に実績と給付管理票の数字を確認する必要がある。そして実績利用別票をFAXして双方間違いの無いように心がけている。

給付管理はパソコンがやること(ゴメン)だが、その正確さを保つことは一人ひとりのケアマネジャーの腕にかかっている。過去に2回返戻をいただいているが、何れも生年月日の間違いだった。インテーク面接で生年月日を聞くが、被保険者証が来てからその部分を確認していなかったミスである。
本人が言われた内容でも疑ってかかることが、生年月日のようである。

もう通所しない・・・。  2009・1・5
ヘルパーステーションから「もう通所はしない・・・」といっておられるということで電話がかかった。昨年末にも外出プログラムのパチンコ屋でのタバコで問題がおこっていたが、今回は年始のお神酒だったらしい。血圧も高いので職員の方でそのような対応をしたようだが、とにかく訪問の上事情を聞くことにした。

訪問すると、家に居る時は朝からビールを飲む方だが、気に障った事情を話し始められた。健康のため・・・と言う理由もあろうが、私としては一口二口のお神酒など、家に居る時の状況を職員が知ったら大変なことだと思った。しかしサービス利用に関する管理責任が伴うことは否めない。
週3日の通所がすぐに準備できるかは疑問だったので、しばらくはヘルパー代行で生活を支えるように連絡をした。

名前が上がっていたデイケアと近くのデイサービスに業務の合間を見てサービス提供の依頼をした。
一ヶ所は夕方までに返事をいただくこととして、一ヶ所はその返事を見てから連絡することで、利用可能な曜日だけは確認しておいた。
そういった中、夕方返事を待っている施設から電話がかかった。「本人さんから今電話をいただいたのですが、調整してみましたが利用出来る日はありません・・・」その口調から直感したことだが「酒を飲んで電話をしたな・・・」であった。

本人にその旨電話をすると、他にも手当たり次第に電話をするつもりだと言われる。電話の向こうから酒の匂いがプンプンとしてくる話し振りだった。
「ケアマネジャーが信用出来ないなら自分でやったら・・・」と電話を切り自宅へ向かった。
「明日市役所へ電話をするつもりだ・・・」と言われるので「何のために???」と
話の成り行きで「ケアマネジャーを変える・・・」と言われる。
「変えても良いけど、誰か担当出来る方があるのかな???それまでの間ヘルパーでつないでおくね・・・」と帰ってきた。

日本中探してもこれだけの対応をしているケアマネは無い(のかもしれない・・・あったらごめんなさい)。
一応大晦日と元旦の「SOS」のお礼(家族に送ってもらった足代の代替分)を支払っていただき、「ケアマネジャーが見つかれば良いですね・・・」と帰ってきた。
別にこちらから断ったのではないから良いとは思うが、こちらから断りたい気持ちもあった。二人分の労力は使っているが、携帯電話も片時も離すことは出来ない。離すのは入浴中だけだが、入浴中に着信が残っていたこともあった。

果たしてこのケアマネ交代劇・・・無事終了できるのだろうか???

穏やかな正月  2009・1・4
年末年始に少し雪は降ったが、穏やかな正月だった。
記憶にある雪と言えば36・38・56豪雪位であろうか、北陸にも大雪は降ったことはあるが、最近そう気になる大雪は無い。
4年前だっただろうか・・・12月に大雪が降ったことがあるが、庭師さんは雪吊りを「もう止めました・・・」と言っていた年もあった。
地球温暖化で雪の量は少なくなったように思うが、まだ気は抜けない。

山に雪が降らないと夏場に水瓶が渇水状態になり、生活水の確保が危ぶまれるが、昨年だっただろうか???梅雨に続いて台風時期にも雨が降ったことから洪水が危ぶまれた年もあった。
年間降水量はほとんど一定しているのだが、一時的に一部の地域に集中すると災害になることもある。

大気の飽和水量は決まっているから、年間に降る雨量はほとんど同じなのだろうが、問題は海水である。地球温暖化により海水量は増えつつあると言われ、海抜0メートル地点には危険が迫っている。
地球全体でバランスを崩せば、陸地の増減や自然災害が増えていくことになる。地球温暖化の原因は人間自身が作り出したものでもある。

社会構造にも当てはまるような自然の原理だが、バランスを崩さない関係を作り出して行く必要がある。その関係を崩す原因になりかねない(なっている)現象を随分と指摘してきた。そろそろ目が覚めていただきたいものである。
常識が通用する介護保険界であって欲しい。

医療連携・・・総合病院の情報交換会  2009・1・3
最近情報交換会が頻繁に行われるようになった。
県MSW協会を通じてMSWの皆様ともお付き合いをさせていただいてきたが、お付き合いのキッカケは開業から半年余りたったころであろうか???
某団体の勉強会の講師を務めたときに、次回がMSW協会からだということで聴講をさせていただいた。それがキッカケであった。

MSWのマニュアル本には連携先は当時在宅介護支援センターになっていた。情報交換の機会もあったので、その図式は間違いであることを伝えている。行政ラインによる行政情報の囲い込みの原点がこの図式にも現れていた。それ以来、この「囲い込み」の問題を情報発信してきている。
今回の法改正では、ケアマネジャー自身が医療との連携を果たしたときに報酬が付くことになった。良い背景を作ってきているので、そう気にせずに医療との連携を執ることが出来るのであろう。
MSWとのお付き合いが間違っていなかったことだけは立証されたようである。

「会議室」からの投稿だが、パソコンの横に数冊のファイルがある。県独立型介護支援専門員ネットワーク・地域の連携など等のファイルだが、一冊各種団体のファイルがある。難病・障害など等の各種団体の情報が混載されたファイルなのだが、このファイルが我が事業所を救ってきたのかもしれない。
患者会の関係からも数々の開業医とお付き合いをさせていただいてきた。
今回の歯科もこの関係なのだが、地域には身軽な医師もおられる。本人の状況に応じては、かなり幅広い範囲での往診も可能である。先日受診に付き合ったときには、医師自ら往診しても良いと言っていただけた。3ヶ月に1回程度は受診に付き合うことを伝えておいた。

医療と介護が一体となって要介護者を支える地域の体制も整いつつある。ソロバン勘定の無い地域連携ではあるが、一番重要な所が燻っている。
行政自身(行政ライン)が姿勢を正す時が来ているのだろう。余りにもお粗末な現状である。
建設業において天下りが始まった理由は品質管理であった。
福祉経験の無い方が天下ることの出来る介護保険界では、果たして品質管理・品質の向上を望むことが出来るのであろうか???

年末調整と思ったが・・・重要書類届かず  2009・1・2
年初めに年末調整業務をしなければいけないと思い税務署関係の書類を開いたが、どうも苦手である。若干の保険控除や国保等の控除もあるが、計算すること自体が面倒くさくなった。
年金関係もあるから確定申告も必要(のハズ・・・)になるが、社会保険庁から税金控除額の案内は未だに無い。

ということで、全額所得税を納付することにした。全額と言っても独立ケアマネの給与だから微々たる税金額である。
公的な書類に収入だけを書き込んで、その額で税を納付(一応)することにした。今年はじめて確定申告をすることになる。
未だにかなりの額を会社に貸してあるので、会社通帳から下ろして税金を納付することにした。会計帳簿の項目は「社長に返済」である。

この会社経営は事業を続ける間続くが、事業形態がひょっとして変わるかもしれない。ネットワークで事業経営を行い「独立化の勧め」の実践に結び付けたいと考えている。
全国で独立化が進むように事業形態を近日中に公表するが、可能か如何かは国及び県の段階で確認する必要がある。その構想を描き、今年はおみくじを引いてみた。「中吉」良くも悪くも無く、丁度良いくじであった。

今から14年前の厄年に浅草観音で「凶」を引いている。
本当に「凶」だったが、カレンダーも一回りした昨年は「大吉」だったのだろう。多くの問題を抱えながら1年間乗り切ることが出来た。
今年は発展の年。丁度良いおみくじを引いて構想が動き出しそうな気がしている。
2月の東京出張まで下準備をしておく必要がありそうである。

元旦早々のSOS  2009・1・2
貰い物の大吟醸で晩餐もすすんだ所へ・・・「安全センター」から電話がかかった。お酒を飲んでいないのは長女だけ・・・お願いして急行した。

大晦日・元旦と続いてのSOSだが、何らかの御礼はしなければいけないと思っている。

郊外のショッピングセンターは人であふれ・・・  2009・1・1
一家6人が揃ったので、孫のお年玉もあったので一緒に出かけた。
おもちゃ売り場コーナーには子供が遊べるスペースもあり、子供連れの家族で賑わっていた。本人は礼儀正しく(?)ブーツを脱いで遊び出した。
段々と欲しいおもちゃの枠が狭まってきたがなかなか決まらない。結果選んだのは親であり、孫はそれでも良い感じだった。

郊外は車であふれ、駐車場に入るのにも長い行列である。買い物が終わって、アイスクリームでも食べようと・・・これも行列。少し複雑なものを頼んだら出来上がるまでまた20分位かかった。
特別孫のアイスクリームは頼まなかったが、あちらから・こちらからお裾分けがあって、結果1人前は有に食べたであろう、ご馳走様と手を合わせた。

帰りに中心街の近くを通ったが、人通りはまばらで、車の流れも良い。人が混んでいたのは郊外のショッピングセンターだけのようである。
町作りの観点からは好ましくない傾向なのだが、車で移動出来る間は良いのだろう。しかし何時までも車を運転できるとは限らない。
町の八百屋さん・魚屋さん・スーパーなどを育てるのも地域住民である。

近くの魚屋さん・テレビに出た(数十年前の話だが未だにコマーシャルが)コロッケを売る肉屋さん・八百屋さん等には頑張っていただきたい状況である。(余り買っていないようだが・・・)
我が家の食材の中心は宅配事業者のものが多い。少し離れたところのスーパーは健在のようなので今の所は良いが、もうしばらくすると近くのショッピングセンターも一ヶ所店を閉める。

市内で一ヶ所だけ人が集中していたのであろうか???他のところは判らないが、とにかく活気があった。
数十年前の都会の商店街の年始の活気を知っているだけに、その光景を元旦に目の当たりにした。

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