掲示板等の発言記録 (2008の2)


最後の最後にSOS・・・   2008・12・31
担当者会議を済ませ、葬儀にも参列して、大掃除が終わった後の正月飾りと神棚の掃除も終わった。私の役割は果たせたかと思い、入浴後晩酌もはじまった所へ「安全センター」から着信があった。コール1回の着信だったので、こちらから電話をした。夜半は東京のセンター本部が連絡通報を受け持っておられるようである。

電話の結果「ベッドから落ちそう・・・」だということ。晩酌が始まっていたからもう運転は出来ない。一足先に飲んでいたが、まだ飲んでいない家族がいた。子の夫である。
年越しそばが出来たところだったが、子の夫に頼んでアパートまで送ってもらった。
部屋に入るなり、状況が良く判らなかった。車椅子からの移乗の失敗でもないし、ポータブルへの移乗の失敗でもない。ベッド・車椅子・ポータブルの中間でベッドに持たれかかっておられる。下半身は完全にベッドから落ちている。

今までに無い体勢ではあったが、ベッド上まで介護した。温風ヒーターの延長と電気を消しておけば朝まで大丈夫だと言われる。
今年の大晦日は担当者会議に始まり、葬儀にも参列した。最後の締めくくりが「SOS」だったが、何とか年越しが出来そうである。
残すところ数時間・・・今年も波乱万丈の良い年であった。

東京からの来訪者・・・  2008・12・30
以前の東京からの来訪者は、東京へ嫁がれた方であった。田舎に帰っての独立開業も視野に入れておられたが、民間・独立では利用者情報が少ない現状をお話した。東京の方が情報が有り余っているようである。
今回の来訪者は近々こちらの住民になられる。同じような話をさせていただいたが、大きく違う点があった。

一人の熱心な行政マンにより、委託機関を核とした情報ネットワークが確立されていると言われる。ご尤もな話で、行政マンが措置から契約に変わった介護保険法に関して理解があるとこうも違うものかと思った。しかし困難事例等が選ばれて情報が入ることに拒否は無かった。利用者側の選択の自由ではなく、事業者側の選択の自由なのだろうか・・・情報が不足している現状はあるが、選ばれた情報も混ざっているようである。

かなり色々と情報を交換したが、大きく違う点は目に見えた行政情報の囲い込みが、現在仕事をしておられる地区では無いと言うことだろうか・・・こちらの現状をお話ししておいたので就職活動に役立てていただきたいと思う。
先ずは事業所訪問をして、ご自身の目で施設の良し悪しを見極めていただきたいとも伝えておいた。

東京は情報量も多いようである。2年前の「独立化の勧め」は、田舎からだと時間がかかると思い全国発信したものだが、今回の報酬改訂でより一層身近になったのかもしれない。形こそ違うが、田舎向けにアレンジされたのかも知れない。
可能か如何かに関して吟味も必要だが、出来れば2ヶ月以内に答えを出したいとも思う。

今年も大晦日の担当者会議に・・・  2008・12・30
29日の夜、時間は打ち合わせの経緯の中で段々と遅くなっていった。時間までに本人家族が現れないので電話連絡をしたところ、片付けが手間取って遅くなっているということ。「嫁に行かせるから・・・」と待つこと20分余り、現れたのは嫁だけだった。充分に意思が伝わっていなかったのか・・・先程いただいた電話では嫁の早とちりだったようである。
利用面接も兼ねた担当者会議だから本人抜きには開催出来ない。

年始早々の利用を準備しているので時間的に心配していたが、大晦日の担当者会議が可能になった。昨年も大晦日に担当者会議を開催しているが、今回のサービス提供責任者は昨年の大晦日の担当者会議とも全く関係の無い方ではない。待っている間時間があったので福祉経歴などの情報交換もした。そういう中から、世間は狭いものだと思った。

大晦日の担当者会議にもお付き合い頂ける施設とは末永くお付き合いをしたいものである。今回は家族が原因であったが、施設が原因で大晦日に開かざるを得ない場合は利用したくない施設にリストアップされるであろう。家族(市民)も良く見ておられ、その施設は嫌だ・・・と言われた方もある。
人を相手にした仕事であるから、悪い評判が立たないように気をつけなければいけない。長〜〜〜い事業経営の期間の中で答えが出てくるのであろう。

そういう訳で、今年も大晦日に担当者会議を開くことになった。応えてくれる担当者もあり、心強く思っている。
年明けがまた大変である。現在連絡があったところでは4名の方が入院になっている。三名が肺炎・一名が巨大な胃潰瘍である。
年明け早々病院回りをするが、四名とも危険な状態なのかもしれない。四名とも長引きそうな感じを受けている。

公正中立なケアマネジメントとは・・・。2008・12・29
今回の報酬改訂に関して気にかかることがある。「独立性・中立性を高める観点から」と言いながら、特定事業所加算に関して特定事業所集中減算の内容に触れていないことである。
いわゆる囲いこみ率90パーセントに関して、段階的に比率を下げていくように独立協では提言を重ねてきている。
利用者の選択の自由を保障していればどのような数字になるのかをご紹介する。

今年度前期の数字だが、訪問介護:43%・通所介護:14パーセント・福祉用具は35%である。
目で見て、雰囲気を感じて選ぶ事の出来る通所介護に関しては、利用者の居住地を中心に隣接校下も含めて数ヶ所見学をして決めてもらっている。
果たしてこの数字で良いのかは判らないが、「90パーセントまで囲い込んでも良い・・・」と解釈した特定事業所加算居宅が増えそうな気もしている。

人を雇ってまで出来る報酬ではないので、独立ケアマネとしては苦しいところである。自宅開業だからこそなんとかやっているが、事務所を借りてまで二人(以上)体制が取れるかという点もある。
協業組合構想は、法人が行っている事業の一部を協業して組合を作ることが出来る。組合として指定を取れば果たしてどうなるのであろうか???
自宅開業をしながら、定例的に会議等を開催していれば、要件を満たすであろう。

新年早々会談を予定しているが、検討の余地はあるだろうし、調べてみる必要がありそうである。
年末のとんでもない思いつきなのかも知れないが、良い夢を見ることが出来るのかもしれない。
仮に可能だとしたら・・・独立ケアマネは増えるのだろう。

独立化の勧め  2008・12・27
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm

2年余り前に情報発信した内容だが、特定事業所加算の重度者60%という内容がかなりきつかった。今回の報酬改訂(案)の内容では(U)でその要件を外している。担当件数にも幅を持たせてあり、案外簡単に特定事業所を作ることが出来るように思えた。しかし内容を吟味してみると、複数のケアマネを抱えた事業所の方がはるかに有利のように思える。どうもお手盛り改正のような気がしてきた。

運営基準減算や特定事業所集中減算の適用を受けないことは基本中の基本であり、複数のケアマネジャーを抱える事業所に関して、問題点は24時間の連絡体制であろう。輪番で携帯電話に転送しておけば24時間対応は出来る。
これらを日常的にこなしているが、2名体制を執ることは独立ケアマネにとって一番困難なことである。

協業組合構想には最低4法人が必要である。オーナーケアマネで組合を作って、二人が常駐する手もある。常駐出来ない方には後方支援をお願いして、応分の配分をすれば良いだろう。一つの種を作る良い機会なのかも知れない。
年明け早々具体的に話を進めてみようと思う。形だけ作って、将来的に整えていけば良いだろう。とにかく担当件数は限度に来ている。

将来的に(T)が算定出来る特定事業所に育て上げていく為にも、今回何らかの行動を起こしておきたい。

SOS〜〜〜ベッドから落ちた・・・。  2008・12・26
歴史のある「救急車」の方ではないが、先日落ちたときの為に携帯電話を介助バーに紐で縛ってきた方がある。その方からの「SOS」だった。
何れの方もベッドの上に布団を敷いておられる。日頃から「布団が滑るから・・・」と言っているが、各々理由がある。
今日の方は姉が来て敷いていかれると言う。褥創の心配もあるので低反発マットを使っているが、その上に布団である。

駆けつけたが玄関の鍵がかかっている。
居室の窓を叩くと気付いていただけ、裏へ回るように手招きがあった。後ろ向きだがコミュニケーションは取れた。
裏から失礼して、座った状態だったので先ず車椅子に介助で移ってもらった。駆けつける途中布団を外す計画をしていたので先ずは車椅子への介助である。

本人に確認して布団を外すことにした。姉が来られたら電話を貰う予定にしていたが、その前に滑り落ちてしまった。良い機会である。
ベッドメーキングをして、本人にベッドに移ってもらったところへ主介護者(?)の嫁が帰ってきた。(?)は姉には言えない・・・ということなので(?)だが、介護に関する権限を持っておられるのが本人の姉のようである。

転落の危険を回避するために、日中一人にならないように、年明けからは毎日通所の調整も終わっている。暫定プランも二枚書いていて、最初のプランに携帯電話の話が出てくる。毎日通所で行くことにした段階的暫定プランが効力を発した。ケアマネジャーが不足する社会資源を担うプランだが、このプランも好きである。しかし今回が最後になるのだろう・・・。

SOSに応えることが出来て、2段階の暫定プランが甦った。
毎日通所のプランでは削除した支援計画だが、今後の状況を見て復活させる必要がある内容かもしれない。サービス事業者は携帯電話を繋いであることは確認していっている。
サービスチームの中の口だけのケアマネジャーではないことは認めていただいているが、本人の口から公報されるのであろう。今回も満足出来るプランが書けたが、ケアプランは文章ではない。

主介護者の主夫から素晴らしい言葉が・・  2008・12・25
担当者会議の中で、老々介護の主夫の立場から素晴らしい言葉が聞かれた。

主に移動介助を行っておられるが、本人の力を上手に「バネ」に使っておられる。主婦の方は力ずくで介護されているが、その違いを会議の中で総括させていただいた。本人にとって優しい介護は、本人にとっても良いもので、結果本人が主夫を慕ってきておられる。微笑ましい話である。

長い人生の中で他人と暮らす葛藤はあったのだろう。しかし介護が必要になった現在は信頼し切っておられる。この関係を見て、介護従事者も是非そうであって欲しいと思い、簡単に解説をした。「是非私たちも見習いたい関係」であることを会議の場で明言した。

介護の基本は介護される方の不足する部分を介護することである。如何に本人の持つ能力を活用して介護するかということである。本人が出来ることまで介護をすると本当に出来なくなってしまう。本人の持つ力を如何に活用していくかということである。そのことを実践されていた。主婦は力ずくである。

午前中に一件訪問しているが、その件に関しては自分自身の置かれた状況・体調に対して負けておられた。自分で病気を作り上げ、「・・・だから出来ない・・・」という背景を作っておられる。出来ないという結論(本人の)に誰も協力は出来ない。その対照的なケースを形こそ違うが見てしまった。

出来ることを如何延ばして生活の質を上げていくのか・・・これはサービス提供だけでは解決しない問題である。その問題に取り組んでおられる老夫婦ではあるが、老夫婦だけでは限界に達している。
経緯もあって現状のサービスで支えていくことにしたが、今回の成果として、公正である必要のある介護保険制度が公正な形で運用されていない。そのことを重要な方に知っていただけたということである。

もしかして・・・「独立化の勧め」
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm
の後方支援をしていただけるかもしれない。
良い担当者会議だった。

乳歯だったが・・・ここにもネットワークが  2008・12・24
午後早目にデイサービス・ショートステイの調整に走って、ALS定例会の案内に重度障害児・者・高齢者のデイサービスに立ち寄った。話を早々に二時から担当者会議を招集していたので帰ろうとしたところへ、その発起人の車が見えた。私は方向転換・車は裏の駐車場へ向かった。待つこと数十秒、発起人が現れたので、その父の話をしていた。高齢者である。
そこへ現れたのが、3時に予約を入れてある歯科医院の女医さんである。

・・・「先生3時に行きますからお願いします・・・」「やはりあなただったの・・・」「お父さんは???」という複雑な会話が入り乱れたが、1時間余り後に行くところが皆様に判ってしまった。そこで「乳歯かもしれないそうですね・・・」先生は判っているがもう一方は何のことやら・・・「乳歯が残っていたみたいです・・・」と大笑いをした。歯科医院で大笑いをするよりは健全で良かったのかもしれない。

担当者会議を終えて歯科医院へ直行したが、レントゲンの結果やはり乳歯だった。素人が考えるほど簡単ではなく、乳歯の下に永久歯はいない。永久歯は乳歯を避けて奥に生えており、その列は下の歯の数よりも多かった。
親知らずが1本も生えていないのだが、乳歯が生えている側だけは歯数が合っていた。
自然科学というか医学では避けて通ることなのだが、化学者は避けて通るということを知らない。1+1=2が数学者・化学者の考え方である。

結果永久歯の間に空間が出来たのでブリッジで繋いでいただけるそうである。口腔ケア・歯の掃除もしていただいて外れた被せ物と詰め物もしていただける。少し気長に歯科医通いが始まるが、次の通院日が3週間後、優しく「今日はお酒を飲まないでね・・・」とは言われて来たが、その場では「きついね・・・」と答えておいた。
今美味しく禁止されたお酒を飲んでいる。いけない患者である。

SOS〜〜〜救急車出動・・・。  2008・12・23
風呂から上がって安全センターからの着信に気付いた。何と94秒呼び続けていただいていたが、風呂には携帯電話は持っていかない。デスクでけたたましく鳴っていたのだろうが、家族も気付かなかったようだ。
安全センターへ電話をすると、ベッドから落ちて足が痛いということなので救急隊と連絡を取っているところだと言われる。
折り返し電話をいただいて、救急車が出動した・・・ということ。ここまでが最初の電話から14分後だった。搬送先が判ったら教えていただくことにした。

待つこと20分余り、連絡が無いので消防本部へ問い合わせをした。本人の状態を確認して、搬送しなかったということだった。
安全センターへその旨伝え、本人に呼びかけていただくことにした。その返事を貰うまで約15分、本人は安全な状態だと言われる。お酒も入っていたので明朝本人を訪ねることにした。

翌朝訪問すると、ヘルパーが少し遅くなるということで、ベッド上でテレビを見ておられる。救急隊に搬送しなかった理由書(?)にサインを求められたということ。以前、同様の状態で救急車を呼んで前任のケアマネが叱られたと言われる。「今回呼んだのは安全センターだよ・・・」と笑ってきた。

入所申し込みをしてある特養ではそろそろ順番が来そうな感じである。本人は個室では費用が払えない(年金の枠内だが・・・)と言われるが、在宅では限界に来ている。好きなビールを加減すればこのような事も無いのだが、入所すると現在のような飲み方は出来ない。そこが辛いところでもあるのだろう。費用的には個室に入っても払えない額ではない。

如何なる事やら判らないが、残すところ数ヶ月、加減をして頑張っていただきたい。現在の生活を続ける限りでは、在宅での一人暮らしは限界に来ているが、ビールを飲まないことにすればもう少し頑張ることが出来る。
本人にとって苦しい選択肢でもある。

乳歯かもしれない・・・???  2008・12・22
国保に変わったのは独立開業の準備に退職した時だから、もう5年半も前のことになる。
一番新しい被保険者証を身分証明に使ったら生年月日が書いてない・・・???ということで免許書で代行した。
扶養(同居)家族が一人抜けることになって申請に行ったら、世帯主には別の被保険者証がある・・・???ということだったので、担当課へ行って来た。

退職者国保の対象になっているということで、データーは市のパソコンに打ち込まれていた。しかし被保険者証をもらった記憶はない。再発行ということで発行してもらったが、効力を発していたのが、昨年の誕生日の前日である。少なくとも一年4ヶ月は医療機関にかかっていない。
そこでせっかく(再?)発行してもらったので使ってみよう・・・と思った。ポケットに被保険者証を入れて仕事に回っていたからそう思ったのかもしれない。

12時を少し過ぎていたが目的の歯科医で予約をするつもりで相談に入った。目的の先生とはお会い出来なかったが、職員(多分歯科技工士)が歯の状況を診てくれることになった。ご丁寧に事務員さんと一緒にである。
診て貰った結果・・・「ぐら付いている歯は・・・ひょっとして・・・乳歯の一番奥の歯かもしれない・・・」と・・・。「今日まで乳歯で生活していたの???」と三人で大笑いをしてしまった。

目的の予約は休日明けに取れたが、担当者会議開始の1時間後である。何とか50分で済ませて、10分でかけ付けることにした。
レントゲンを撮ってみないと乳歯かどうかは判らないが、もしかして乳歯なら、抜けば永久歯が生えてくるのだろうか???・・・レントゲンの結果が楽しみである。

何時初診の診察に来れば良いのか聞きに行っただけなのに、予備診療をしていただいて、予約までしてもらった。初診時には楽しみが待っている。「あんただったの・・・」と大笑いになるのだろう。その上「乳歯」だったら大笑いの上塗りになるのかもしれない。
明後日が楽しみである。

ちょうど一週間・・・ハイペースの仕上がり  2008・12・21
工程良くキッチンの工事が終わり、朝から食器棚等を移動した。
配置は工事前と同じなので何とか収まったが、大型冷蔵庫には苦労した。空にしてもかなり重い。
家具を落ち着けて眺めてみたら、随分落ち着いた感じがする。大きく変わったところはカウンターの高さである。

25年余り前にこのカウンターを作っているが、希望より10cm高かった。タイル1枚分である。それから数年後に半分増築しているが、建築業者を変えさせてもらった。利用者側の選択の自由である。
毎日使うところなので、話のついでにカウンターの高さが出てくる。この話は充分に大工に伝わっていた。

カウンターの厚みも半分以下になったので、結果15cm低くなったということだった。その分天井付けの棚も15cm下げて使い易くしたということ、当然のことだが、カウンターの天井板も15cm下がっている。
椅子に座った目線より高かったカウンターが、目線の少し下に来た。圧迫感を感じないし、落ち着いてくつろげるダイニングリビングになった。

随分カウンターの高さに拘ってみたが、25年間の想いが1週間もかからずに解決した。

地域リハビリ室  2008・12・19
何人かの理学療法士の方が独立開業をしておられる。
総合病院のPTと医療リハビリ・通所リハビリの併用に関して調整を図っていた時「理学療法士も独立開業できれば良いんだが・・・」と言う話が出た。「〇〇さん開業しておられますが・・・」「そうだね・・・」と言う話で終わっていた。そのからくりが判った。
医療請求をするためには、主治医の指示書は勿論のことだが、その受け皿が必要である。その受け皿があった。

重度障害児・者に加え、半年ぐらい前から介護保険でも利用出来るようになった。その施設へ独立型PTが来ておられた。施設利用者・看護師に対してのリハビリ指導はボランテイアなのかもしれないが、開業のからくりを教えていただいた。訪問看護ステーションを保険請求の窓口にしておられるということである。

施設併設の訪問リハビリを行っておられる事業所もあるが、ここにも訪問看護ステーションはある。介護保険単独の訪問リハビリもあるし、内容は複雑ではあるが、訪問看護ステーションからPTを派遣すれば出来るということだった。

在宅医療の充実が叫ばれる中、訪問看護・訪問リハビリを利用する方が随分と増えた。毎月きちんとした報告もいただけ、安心してお任せしている。命を拾らわれた方もあり、在宅医療には感謝をしている。
独立型で開業しようという方々とはお会いすることも多い。患者会や患者会がベースになっている事業所とはどこかでつながっていく。ごく自然につながっていく。

そういうネットワークも、徐々にではあるが拡がりを見せている。

歯がヤバイ・・・。  2008・12・18
若い頃は非常に強靭な歯を売り物にして、宴席では栓抜き代わりに使っていた。高校時代の同級会の時だっただろうか(学生時代)???栓抜きが欠けてしまった・・・それから40年・・・途中でかけた歯の修理をしている。削って、被せ物をする方法である。

その被せ物が一年ぐらい前に取れてしまった。歯の3分の1位の被せものだったので気にもしていなかったが、最近その上の歯がぐらつきはじめた。
歯の構造をインターネットで調べてみたら、歯は歯槽骨で固定されているということ。下からの刺激がないとゆるんでくるそうである。その緩んだ歯が舌に触って動いている。

医者嫌いなので放っておくつもりだが、隣の歯にも影響が出てくるとか・・・下の歯の影響でぐら付いているのだから当然なのかもしれない。
仮に歯科受診をするとすれば、ボランテイアでお会いする女医さんもあるが、何故か恥ずかしいようにも思う。
歯槽膿漏の歯を診察していただくのだから・・・。

時間が無いことを理由に今日まで放置してきたが・・・さて、どうなる事やら・・・。兎に角医者嫌いである。

受診のついでに・・・。  2008・12・18
リハビリ通院は家族の送迎で1ヶ月間通われたので、主治医の所へも行っておられるものだと思っていた。「姉に薬だけ貰って来て貰っていた・・・」ということで、主治医は術後の肩の状況をご存じ無い。その報告も兼ねて受診に同行した。
快く目の前で変更申請の意見書を書いていただき、申請書類は揃った。

受診に先立ちケアプランに関して嫁と意見交換を行った。限度額オーバーでも良いから、毎日通所出来ないかということだった。
受診後、過って通っていた、ヨーガ・リハビリジムへ立ち寄った。丁度終わったところで、何人かが残っておられたので一緒にコーヒーを入れてもらった。
手術の前までは何とか通っておられたが、術後の思わしくない状況は伝えてあった。久し振りの再会を楽しんだ後、毎日通所の調整に一緒に出かけた。

デイサービス・デイケアで、可能なら1回ずつ、2回追加出来る事業所があれば、順次平均化することとして、とにかく年明けから1週間が埋まらないか検討していただくことにした。
ヘルパー事業所へは、調整の方向性を伝えておいた。

今年も残すところ10日余り。確定しないプランが2件と認定待ちが一件ある。何れも担当者会議を開かなければいけないケースだが、「後が無い」という状況はそう大変わりしない。今日は一日予定が開いていたので、揃った提供票を配布した。
週末に認定結果が出揃い、サービスの空き状況も判る。今週末も仕事になりそうである。

結果5件の担当者会議に・・・  2008・12・16
師走に4件の担当者会議を予想していた。
更新3件と保険者の変更が1件だが、これに区分変更を睨んだ新年度からのサービス追加に関する会議が加わった。
区分変更は1月1日を予定しているが、申請前に行う必要が出てきた。会議日程も決まり、一件時間の調整だけが残っているが、年内の予定はほぼ確定した。

年末に慌しくなる予想をして早めにスタンプラリーを始めたが、余裕を持って年末を迎えることが出来る予測が出来るまでになった。あとは双方向でのモニタリングも兼ねた事業所訪問の日程を週末から組んでみるが、概ね日程に乗るように調整出来る。残り半月間、今年も余裕を持って年を越すことが出来るようである。

昨年の12月は入院者もあって、年明けのプランが決まらない方も何人かあった。今年は皆様体調良く過ごしておられるが、家庭内の状況が大きく変わる方もあり、通院付き添いの必要も出てきた。それらを加えても余裕を持って年を越せそうである。
しかしまだ油断は出来ない。

サービス事業所の対応も全て安定した状態だから心配もしないが、昨年は居宅変更のあとすぐに入院になり、2週間の入院でサービスに戻ろうとして、席がなくなっていたことがあった。大晦日の担当者会議の原因だが、それ以降その法人とは関わらないことにした。常識の範囲で事業運営を行っていただきたいものである。

使い捨ての生活(私には思い付かない・・)2008・12・15
キッチンの工事だからしばらく水が使えない。食材は準備出来ても、食器等を洗うことが出来ない。そこで考えられたのは使い捨て・・・の生活である。
朝はパン食であるが、昼もパンになりそうである。夕食は弁当を買ってくるのか、家族の時間が合えば外食になるのだろう。必要に迫られても私には思い付かない、容器の使い捨ての生活が始まった。
パン皿の代わりのアルミホイルを使った。ミルクカップは紙コップでバターナイフはテッシュペーパーで拭く。そういった生活が一週間続く。

今仕事が終わってウイスキーの水割りを飲んでいるが、ジョッキーダコの出来るジョッキーは片付けてあった。「紙コップでドーゾ・・・」生まれてはじめて(?)水割りを紙コップで飲んだ。
花見でビールや酒を紙コップで飲んだことはあるが・・・そういえば水割りもあったかもしれない。そういう生活が残り5日間続く。

水割りも3杯目・・・紙コップのつなぎ目から水割りがにじみ出てきた。アルコールは2杯が限度の紙コップのようである。パンクしないうちに飲み干すことにした。

区分変更申請  2008・12・14
家庭環境が大きく変わるので、サービス事業所に打診をした。担当者も同じ想いで、2段階の変更は望めない。もしかして・・・という想いもあるが、確実に望むことが出来るのは、介護度の1ランクアップである。
変更申請の大変さから、思ってはいたが口に出来なかったのが現状なのだろう。そういう意識の方々とお付き合いさせていただいている。

主治医への受診を如何しているか聞いてみた。姉に薬を貰いに行ってもらっている・・・と。嫁には言いにくいようである。が・・・リハビリ通院に1ヶ月間付き添っていただいている。
嫁の一言「私には言い難いんでしょうね・・・」と。皆様私以上に背景の細部までご理解しておられる。その関係を修復する事もケアマネジャーの仕事である。

サービス事業所で、「意見書を書いて貰うついでに、術後の状態を見てもらってきますか・・・」と。区分変更申請の主治医意見書を書いてもらうために通院に同行することにした。
「変更申請の日は1月1日ですね・・・」そこまで話したら、「さすが〇〇(独立ケアマネ)さん・・・誰もそこまで出来ませんよ・・・」と賛同的な合意がいただけた。もう一ヶ所の事業所には月曜日にでも行ってくる予定である。「区分変更申請することにしましたが、ひょっとして月遅れ請求になっても・・・ゴメンネ・・・」と。

細部にわたって確認していなかった私も悪いのかもしれないが、まさか主治医から薬を貰ってくるだけになっていたとは知らなかった。私的な観点だが・主治医は怒るだろうが・これ以上主治医との関係を悪くしたくないと思っているが・・・あえて書く。この方はパーキンソン病ではない。症候群と曖昧な名前もあるが、関連疾患でもないかもしれない。それ位複雑だから「神経難病」という名前が付いている。主治医に判らないものは私にも判らない・・・がパーキンソン病ではない。(HPを見ておられたら・・・ごめんなさい・・・)

ということで、区分変更に関して調整を図ることにした。激励していただけた方の笑顔に応えるためにも、認定調査にも同席することにした。
区分変更は保険者調査。家族がいる時間に調査を行えないので、オブザーバーとして同席させていただく。区分変更だから保険者調査だが、更新申請に関しても担当者の調査はしない。そのことは担当課にも伝わっているが、担当している方の認定調査に同席することも、今回がはじめてである。
認定調査とはそれ位厳粛なもので、私情をはさむことが出来ない背景だけは作っておく必要がある。

独立ケアマネに朗報か!!!その2  2008・12・12
予測する内容を明記すれば行動が始まるかもしれない。当然予測して、行動が始まっているのかもしれない。民間にも開かれた介護保険法だから当然のことではあるが、同じ方法をお示ししても、理念で内容が違ってくることもある。そのことを心配する。

かって某県・某市の社会福祉協議会が事業を3分割〔包括・居宅(重度)・居宅〕して特定事業所加算を〔捕ろうと〕して介護保険界の顰蹙を買ったことがあったが、ケアマネジメントの適正化に関して今後も辛口の情報発信は続けていこうと思っている。

私は信じたい。『理念』の段階では、『人間持って生まれた「常識」は全ての方が持っておられる。その成長過程で変化が起きるのかも知れない』
とは言え、「常識」が気がかりな日々でもある。
常識が気にならない生活を日々おくれれば良いと思うが、「気にならない」とは「気にしない」こととは違う。人生『意思』を持って生きたいものでもある。

そういう雑感もあるが、独立協の関係者が週末重要な会合を開かれるそうである。日本のケアマネジメントの『独立性・中立性の確保』を推進していただくためにも、現状で是非踏ん張っていただきたいものだと思っている。

ビックリするような認定結果  2008・12・12
介護度は高く出れば良いというものでもない。適正な認定結果が求められるが、出過ぎた場合は如何したものかと・・・。本人家族と相談をして決めたいと思う。

・過去に状態が改善した方の区分変更の申請を行った時、不思議がられた。
「適正な介護度でサービスを受けないとね・・・」と答えておいた。
・明らかに不足する介護度(要支援)では、不服申し立てを打診した。結果担当課から変更申請という手もある・・・と本人に電話がかかっている。変更の理由は「状態の悪化」である。嘘を付くのは嫌だが合意した。
変更の結果「出すぎました・・・」と。

今回明らかに1ランク上の介護度が出た方がある。
重度にランクされるから我社は儲かるのだが・・・「エッ・・・要介護3???」である。杖歩行の方に要介護3が出るのなら、通常車椅子・歩行器歩行も若干・・・大丈夫な方には確実に4が出るだろう・・・と思った。2段階悪化していれば区分変更である。

認定にばらつきはあるが、保険者は軽い認定を望んでいるようである。頭の中までは測り知れないが、目に見える状態象には大きな違いがある。
今回の認定結果が仮に正しいとすれば区分変更を考えるし、区分変更しない(申請しても一ランク上)ことが正しいとすれば、認定結果に不服申し立てをすることになるのかもしれない。

それにしても何故???という想いはある。

心熱き看護師さん  2008・12・11
術後のリハビリが思うようにいかなくてADLも低下して来ている・・・とデイサービスの看護師さんから電話がかかった。
デイケアとデイサービスを利用しておられるが、最近は目に見えた変化はなく、心配しておられる。デイサービスで出来るリハビリで元気になっていただきたい・・・。

デイケアのリハビリの内容を確認してデイサービスを訪問した。
ちょうどサービス提供責任者や看護師さんが話し合いをしておられるところだった。何とかならないか・・・。
術後の肩の改善はほとんど望めないので、下肢筋力中心に筋力を付けていく方向でデイケアでもリハビリが進められていることを伝えると納得の笑顔が返ってきた。
肩に関しては固縮を防いでいく程度しか出来ないとPTも考えていた。

そこへ提案があった。家で使っている歩行器で歩行訓練をしたら如何だろうか???と。少し手間のかかることだが、送迎時に持ってきてくれるという。デイサービスのホールは広いから訓練になるかもしれない。次回から持ってきていただく事にした。
何とかならないか〜〜〜と考えている皆様の熱い心を感じた。

多くは望まずに現状維持で、ベッド周りでの生活の自立を少しでも長く続けることが出来れば「良し」としなければいけないだろう。
看護師さんの熱い心に動かされて、リハビリの方向性を探ってみた。
結果、デイサービスでも下肢筋力の維持改善を中心にリハビリ計画を立ててもらうことにした。

保険者移動の給付管理票  2008・12・10
保険者から新しい番号を電話でお知らせいただいた。
給付管理票が二枚になるということは大変なこと・・・のようだ。

変更の日付も入れ、利用票・提供票を二つに分けようと思ったが、二枚の利用票を作ることは出来なかった。そこでソフトと知恵比べをやった。
元の保険者・被保険者番号に戻して、旧保険者分の利用票・提供票を作った。実績を予定通りに入れて先ず旧保険者の給付管理票を作った。実績が違っていても修正は出来る。

次に新しい保険者分の利用票・提供票を作り印刷もした。
少し心配になったので、旧保険者分の給付管理票を確認してみた。?????何と、保険者番号は旧保険者のもので、保険者名が新保険者になっている。?????非常に不可解な現象が起きている。

保険者移動の実績を表してのものなのかは判らないが、とにかく異常なことがソフトの中で起こっている。
ソフトをだまして作った新保険者分の給付管理票がどうなるのかは判らないが、今回起きた逆の現象が起これば良い訳である。
請求先が保険者番号であり、保険者名がもう一ヶ所の保険者を現しているとしたら限度額管理も出来る。
システムを調べるよりは実際にやってみようとも思う。結果が違っていればソフト会社に聞いてみるが、保険者番号と保険者名が一致しない方が合理的なのかとも思った。

来月の給付管理が楽しみである。

独立ケアマネに朗報か!!!  2008・12・9
12月3日開催された「介護給付費分科会資料」に次のような提案が成されている。

・・・・・
具体的には、ケアマネジャー1人当たりの標準担当件数を維持しつつ、件数が40件以上となる場合に全ての件数に適用される現在の逓減制について、経営改善を図る観点から、超過部分にのみ適用される仕組みに見直すとともに、事業所の独立性・中立性を高める観点から、特定事業所加算について、実態に即して段階的に評価する仕組みに見直す。
・・・・・


「独立化の勧め」http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm
として協業組合構想を情報発信したのが2年半前であるが、先の法改正で掲げられた「独立性・中立性の確保」の考え方は継続していた。

独立化が進まない原因の一つに、ケース獲得の困難さがある。
在宅介護支援センターもそうだったが、地域包括支援センターに変わった今も併設居宅での行政情報の囲い込みが行われている実態を数多く情報発信してきた。
幸い開業以来順調に相談はあるが、ここに来て市内の包括からはじめて相談の電話がかかった。包括からのケース依頼は他市も含めて何件か受けているが、ここからははじめてである。

今回はパンク状態なのでお断りをしたが、我が事業所への利用者からの相談ケースに関しては受け皿がある。まだ稼動はしていないが、ネットワークが動き出すのも時間の問題、困難事例の窓口としてケース交流も必要になってくるだろう。しかし、困難なことでもある。
パンク状態になったのは復帰組みが続いたからで、適正件数で余裕を持って動きたいと思っている。

今回の報酬改訂の根底に「独立性・中立性の確保」がある以上、独立ケアマネに関しては朗報と言って良いのではなかろうか???
ケアマネジメントの本来の姿を実現する為には、必ずしも独立開業をする必要はないが、現状を見る限りでは「理念」高きケアマネにはお目にかかっていない現状がある。
報酬改定の内容に大いに期待しているのだが、例えば、「囲いこみ率90%以上減算」を裏返したような報酬改定になるような予測を立てている。

少し寝不足  2008・12・8
温泉旅館では6畳2間で四人の部屋割りがしてあった。患者二人とボランテイア二人、誠に良い部屋割りだった。
何が良いかと言うと、夜身体が動かないメンバーとボランテイアの組み合わせである。お一人は、患者会と社会構造などに関して研究しておられる、非常に熱心な先生である。先生の入浴介助も見せていただいた。
入浴・晩餐にはそう多くの介護は必要ではなかったが、夜が大変だった・・・。

今回は晩餐ではそんなに多くお酒は飲まなかったが、お二人は申し合わせたように夜2回トイレに起きられた。隣の部屋の方は先生が担当???応接テーブルを横においてあったので何とか立ち上がって伝い歩きでトイレまで行っておられた。
私の横の方はハイハイである。家ではベッド横のポータブルトイレだが、温泉旅館のトイレには手すりは無い。紙パンツは使用しておられるが、プライドが許さないのだろう・・・ハイハイしてトイレまで行っても便器に座ることが出来ないことは、部屋に入った時点で確認している。

私の担当の方は、晩餐の後カラオケボックスで一曲歌ったところで突然OFFになった。カラオケ担当をしていたので先生が部屋まで送ってくれた。
カラオケが終わって先生と部屋でビールを飲み始めたが、お二人はOFF状態である。飲み足りなかった分を飲み干して眠りに誘われたが、しばらくして物音がする。私の横の方がトイレに向かってハイハイをしておられる。
介助で姿勢を整え、利き足を足で送り出して何とかトイレまで・・・洋式便器に座った状態で、あとは出来るといわれる。
完全OFFの状態ではないことを確認する。

真夜中・・・3時頃だろうか・・・もう一度物音で目が覚めた。同じく四つん這いでトイレに向かう姿だった。同じくトイレに座っていただき、用が済んだら布団まで誘導した。
DBSが機能している。薬は切れているが、若干身体は動く。このことを確認する為に同行したのかもしれない。

そんな訳で、今日は少し寝不足気味である。
全て終わったところへ電話がかかり住民票移動に関して担当課へ同行したが、午後からは公表制度の手数料を振り込んで仕事は止めた。
今晩はゆっくりと眠れそうである。

住民票の移動  2008・12・7
年末ギリギリになるかもしれなかった住民票の移動が早回りそうである。
登記をしないと引越しが出来ないということで、月曜日に手続きをする予定のようである。
昼頃までには帰って来ているので、こちらへ来られたら電話をいただくことにしておいた。居宅の届けもあるので、保険者移動の届けと一緒に提出しておいた方が良いだろう。

今月は給付管理票やサービス事業所も2保険者に請求することになる。その切り替えの日は少しでも早い方が良い。当初の予定では年末ギリギリになる予測だったが、2週間ほど早回った。余裕を持って年越しの準備が出来そうである。

住居を完全に新居に移すのは年末になるので年内はこのままのサービスが続くが、年明けからは家族構成も変わるので、全く別のプランになる。
年内3週間ぐらいは住所地こそ変わるが、住居地は同じである。今、ケアプランの書き換えを如何しようかとも考えている。
3週間分のプランは住所が入っている第一表だけの書き換えにして、年末に全く新しいプランを書くという方法もあるのかと思う。

移動の日付は申請によるものであるが、孫の就学の問題もあるので、如何される予定なのかは判らない。とにかく年内に住民票の移動が行われ、同じ介護度で半年間の被保険者証が出ることだけは判っている。
最低限の修正で年内を乗り切り、年末最後のサービス担当者会議で、新年に向けたサービスが確定するが、手順としてはそう変わらない。新しい被保険者証が手元に届くのが早くなった程度に考えることにしようとも思っている。

1月の利用票を書くことが出来ない件数が5件あるが、今年も年末まで走り回らなければいけないのかもしれない。
昨年の締めは、大晦日の担当者会議だった。

心待ちにした温泉旅行。  2008・12・6
温泉旅行の確認の電話が妻からかかった。
「本人が電話しろ・・・言うものですから・・・」と。
迎え時間と天気によっては始発からバスに乗ることにして、最終出発地で一人誘導して合流する予定をお話しした。

今朝から雪模様で、数センチの着雪がある。明日の昼頃まで降り続くようだが、湿った雪だから大雪にはならないだろう。雪の心配は無いが、バスに乗る予定にしている場所に、車椅子で避難できるスペースがあるかという確認が出来なかった。天候によっては始発の福祉センターから乗っても充分に間に合う。
バスに乗ってしまえばそう問題なく温泉へ行って来ることが出来るが、そこまでが私のボランテイアである。

果たしてどのような内容になるのかは判らないが、昨年は夕食後カラオケボックスに3時間いた。
身体こそ不自由だが、食べるものも美味しいと言われる。日頃言葉が聞き取り辛いが、カラオケになるとまた別のところから声が出るのだろうか???何十曲と一緒に歌ってきた。
この日を楽しみにして、間違いなく行けるように、確認の電話までかかってくる。

地場産業も下火にはなっているが、最盛期の頃県外からも多くのビジネスマンが訪れている。その接待のキーマンでもあったので、繁華街では夜の帝王だったのだろう。それをうかがい知るような話も耳にするが、カラオケもその一部なのだろう。
デュークボックスからカラオケへの転換期を私も知っているが、時代は大きく変わっている。繁華街も閑散としている。

そういった昔話も交えて、明日も延々とカラオケが続くのかもしれない。

ケースの流れが可笑しい(元に戻ったかな)  2008・12・5
1ヶ月余り前に友人から相談を受けていた。転居→要介護認定申請手順を打ち合わせしておいたが、友人の親族がその通りに動かれなかった・・・。
代行申請の予定であったが、窓口へ行かれたそうである。
丁度包括担当者が窓口に居たということで、包括ラインで動いてしまったようである。認定調査も包括がやるとか・・・???新規申請に関しては保険者調査になっている・・・筈である。
面白そうな話なので傍観することにした。

一応確認しておいたが、要介護ならネットワークのケアマネが対応することにして、要支援なら自己作成が適切な対応のようである。再委託を受けるつもりは無いが、それも面白いかもしれない。
正に行政ラインでのケースの囲い込みの実態を目の当たりにすることになるのであるだろう。まさか私が関わっているケースだとは、誰も思っていないのであろう。行政の手の内を見せていただくことにした。

電話をしてきた彼は「抑えて・・・抑えて・・・」と状況を説明してくれた。もう如何でも良いことなのだが、詳しく聞いたらまたご指摘をすることになる。定年を一年残して退職した管理者もいたが、何か言えば個人攻撃と取られる現状は好きではない。丁度2年後に耳にした現状に「ガッカリ」した。
仮に本人・家族の希望でケースを担当することになれば、担当者会議で報告するのだろうか???担当者会議資料は初回だから提出義務がある。

丁度一年前、包括担当者が退職をしている。再委託出来ないという内容を担当者会議記録に残しているが、現在は自己作成扱いになっている。
今回もその方法もあるし、支援が出れば担当しても良い。
とにかく年末の忙しい時期にかかっているので、認定結果を待つことにした。

このケースで行政と地域包括支援センターが、申請時点で一体として動いている事実が伝わってきた。
行政ラインのもつ被保険者情報が包括併設居宅にストレートに流れている現状を語るよりも容易に目に出来るケースが目の前にある。
2年余り前に二枚名簿で担当包括に丸印をしていった保険者の認定調査員もあった。
制度の適正な運用の為にシステムを変えても根本的に理解していないから同じことの繰り返してある。

介護保険法は民間にも開かれた制度であり「利用者の選択の自由を保障する」制度である。その選択の自由の幅を制約しているのが、行政自信であることが残念である。

不可解な会計帳簿(マイナスの帳簿は・・)  2008・12・4
開業当初、出資金を残高にした会計帳簿をつけていた。一年目の決算で繰越金(というか原資)が有ったかのような調整が行われた。「会社にはこれだけしか金が無いのですよ・・・」と必要経費は家計の引き落とし通帳の項目ごとに設けられた比率で引き落としていった。
会計士の言い分は「金の無いところから金は出ない・・・」ということだったが、会計素人としては、月末に清算している・・・という感覚だった。それでは明細が現せない・・・「無いところからは出せない・・・」ごもっともの話である。

そういう訳でわが社の繰越金は架空の金である。ただ、清算してどの項目で数字を合わせるかというタイミングだけは図っている。会計帳簿なんて好い加減なもの・・・金の出入りが判れば良いだけの話で、マイナスの帳簿は無いということである。
日々の残高は記帳していないが、通帳も合わせた残高を記帳したら会計士は頭を抱えるのかもしれない。そうこうしながら4年余り来た。

会社の経理を助けた我が家の引き落とし通帳も何とかプラスになったようである。
チビッコギャング(家族)が来るということで少し家を直したが、今月ダイニングも少し触るようである。展示品の台所用品が安く手に入ったとか・・・もうしばらくしたら工事が始まる。
大き目のダイニングテーブルは貰いものだが、6人掛けにしてはゆったりした寸法である。

慌ただしさを予測している師走だが、一件転居の手続きが早回りそうである。年内に年越しの準備が出来れば良いと思う。現在関わっていただいているサービス事業者にも二枚請求を出していただく必要はあるが、少し気が軽くなった。
加賀温泉から帰ってくる月曜日の午後、居宅届けを出すために同行することになりそうである。地元だから「何時でも呼び出してね・・・」と伝えてある。

服薬管理・・・。  2008・12・3
パーキンソン病で一番大事な事が服薬管理である。
時間毎に分包された薬も当初は主治医の意向に沿っていなかった。
食前・食後という通常の飲み方ではない(大学病院での実績)時間差をもうけた服薬方法がようやく定着してきた。服薬管理を行っているのは訪問看護師である。

「友の会の会合に出なければいけないので訪問看護を断っておいて欲しい・・・」という電話がかかった。訪問看護の時間と重なっている。
「誰が服薬管理をするのですか???あなたのおかれた状況をもう少し真剣に考えて下さい・・・」
薬を飲まなければ身体も動かないから・・・と少し強い口調で伝えた。
後程電話がかかって、訪問看護をそのままにして欲しいということだった。

ご自身の置かれた立場と病状をもう少し考えていただきたい。
良くなった時点でサービスを切って去って行かれた方だが、今回は黙ってお受けした。
人間には病気とは関係なく「常識」という思考分野がある。「相手の立場で考える」という思考分野である。

病状に甘えて求めることは「常識」に欠けることだと思う。病状を克服しようとしておられる姿を見て始めて協力心(ボランテイアの気持ち)が生まれる。しかし・・・判って頂けないだろうな〜〜〜とも思っている。
もうしばらく様子を見せていただき、本人に一番適したケアマネジャーを紹介しようと思う。合理的に問題を解決出来る方にバトンタッチしたいとも思っている。

それにしても問題点の捕らえ方が甘い。せいぜい自分自身に甘えていただきたいものだと思う。

独立を目指す方の来訪。  2008・12・2
事業所が閉鎖になったということで、独立居宅の開業を考えている方の来訪があった。
少し前に、困難なケースを担当してもらえないかという相談があったが、手持ちケースでいっぱいなので、事業所閉鎖・困難事例なら尚更のこと、行政に相談されることを勧めた。
その彼が今独立開業を考えている。失業保険もあるので時間は充分にある。

独立開業をするのか、しないのかに関してはご本人に判断していただくこととして、私の開業から今日までの経緯をお話した。現在担当しているケースの相談ルートなども重要なことなのだが、経過の中で運転資金が必要になる。その運転資金に公的な融資を利用されることも必要ではないか・・・などなど、今日に至る判断材料を提示した。

幸い(と言うか)介護支援専門員のご夫婦だということで、ご主人が道をつけてから、奥様と一緒に事業を継続・拡大させていく手はある。何とも羨ましい背景があるが、果たして計画通りケースを獲得出来るかという点が一番重要だろう。

法改正の方向性に関しては、先の法改正の内容を見ても、厚生労働省はケアマネジャーの「独立性・中立性の確保」を掲げていたので、独立開業に関しては決して暗い要素だけではないことも話しておいた。
現在の介護報酬では事業として成り立つ報酬ではないので、ケアマネジャーの本来の姿を実現させるためには何らかの改訂が必要である。この方向を見てから判断されても良いように思う。時間はある。

果たして独立ケアマネが増えるのか・・・夫婦で運営する独立居宅が誕生するのか(確か中部圏に一ヶ所あったはずだが・・・)・・・。
法人を作ることは簡単である。
独立居宅を作ることも簡単である。
如何に運営していくのかという点で考えておられる方も多いと思うが、そろそろ日本のケアマネジメントの方向性が見えてくるのであろうか???
自社サービスをつなげただけのプランに報酬が付かない時代が来るのかもしれない。

週間天気予報  2008・12・2
7日(日)〜8日(月)の天気が心配になって週間天気予報を見てみた。
7日の後半に雪マークがある。
要介護5の方をリフトバスまで自家用車で移送しようという計画をしているが、大雨にでも降られたら大変である。雪だるまだから雨よりも濡れる確率は低い。
時間的なものまでわからないが、7日の後半が雪だから、もうバスに乗ってしまっているのだろうから大丈夫なのかもしれない。

おそらく今年が最後になるのだろうが、本人は行く気になっておられる。
先日、目出度い席でお酒も飲んでこられたとか・・・歌も好きな方である。
身体が不自由になっても気持ちだけは元気である。そういう方の希望に対して応援することにした。

昨年も最後だろうと思って、好きなカラオケにお付き合いをした。
何時もは言葉も聞き取り難い方だが、カラオケになると別である。元気な頃はマイクを離さなかった方なのだろうが、その姿が目に浮かぶ。
先日も担当者会議でこの話をしていたら、メンバーの一番心配なことが自家用車でバスの乗り場まで行くことであった。

リフト車が無ければシートに移乗すれば良い。一人では無理だが、要だけ応援してもらえれば良い。
かなりガッチリとした体格の方だが、最近体重も少しずつ減ってきている。重度化された割には移乗は容易になっているのかもしれない。しかしやってみなければわからない。

何とか移乗の時間にだけでも晴れ間があることを期待しながら週間天気予報を見てみた。

月初めの認定調査・・・。  2008・12・1
「二兎を追うもの一兎も得ず・・・」とは良く言ったもので、認定調査票を書き込んでいる間もFAXが流れてくる。特記事項は私製の様式で作っているが、実績を取り除きながらの記入になった。
通常より調査票の作成時間もかかってしまい、16時を回っていたので明日提出することにした。

年末に向かってか、今月の実績は早目に届いている。
先月遅れたお詫びの意味もあったのかもしれないが、29日の土曜日に実績が届いている。予防プランの実績も届いていたので昼一番に届けている。
リズムある1日ではあったが、文書作成時はゆっくりと取り組みたい。そういう意味もあって少し時間をかけてしまった。

実績が送られてくる日から各事業所の業務のサイクルを予想している。
実績が出揃ってから提供実績を書き込んでいる事業所や毎回の利用時に書き込んでいる事業所など・・・それが届いた実績から読み取れるところが面白い。担当者の性格もうかがい知ることが出来る内容でもある。

そう大変わりはしないと思うが、今月は少しでも早く給付管理を済ませたい心境でもある。そのことを察知してか、心持ち早目に実績が届いている。
12月は例年揺れ動いている。多分大晦日に書類を作って、新年早々配布しなければいけないケースもあることを予測している。
新年は場所にもよるが車は案外すいているので、条件さえ合えばそう気にもしていないが、正月早々月遅れは作りたくない。何とか間に合わせる予定で方向性に関してスケジュールは組んだ。

とは言え相手のあることだから、どうなるかは判らない。

保険者の変更  2008・12・1
いよいよ12月。年末に少し余裕を持たせておかないと年越し出来ないかもしれない背景がある。

転居に伴っての住民票移動日に、色々な背景がある。子はその日を双方向から検討していた。結果、子(孫)の終業式に合わせて移動することになった。12月24日だと聞く。
仕事の関係もあろうから、24日から役所が年末休業に入る26日までの3日間にこの作業日程が絞られた。

結果月の途中で保険者の変更も行われるが、こちらは利用表・提供表・給付管理票が2枚になる。利用事業所が4事業所あるから、何処で区切りをつけるかは住民票の移動が為された日・・・ということになるが、26日では年内に新しい被保険者証が届くのか微妙なところであろう。申請と同時に居宅届けを出すために同行する必要がありそうである。

新年度からのサービス事業所とは29日に担当者会議を開く予定にしているが、ケアプランが出来るかどうか微妙なところになってきた。
被保険者番号をダミーで入れておくか、何か方法を考えておく必要もありそうである。
年を越して3枚の書類を作ることになるのか、年内に3枚の書類を作ることになるのか・・・24日〜26日の中で保険者が代わることはお伝えしてあるが、いずれにしても年末に余裕を持たせておく必要がありそうである。

今月は1週間早くスタンプラリーを開始することにした。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

ボーリング大会と懇親会・・・  2008・11・30
昔青年・今壮年(〜初老)のメンバーが数年前に活動を再開した。少年だった子等も青年に育ったが、引継ぎが出来なかったメンバーでもある。
夏祭りの復活と年に何回か飲み会があるが、ボーリングはそのキッカケでしかない。景品は今年も青果市場から直接仕入れた野菜・果物だろう・・・そういう企画のボーリング大会に参加する。

今年は腰痛の心配もあるので形だけのボーリングにするが、過っては必ず景品を貰ってきた。トップもあれば、ブービー賞もあるが、一番記憶に残る景品はホットプレートだった。約20年間使って先日お払い箱になったが、一番活用した景品だった。
昨年の景品は持ちきれないので車で配達してもらった。

結果はともかくとして懇親会がメインの会なのだが・・・年々気持ちだけは若返っていくようにも感じるメンバーである。

過誤請求の清算・・・  2008・11・29
過誤請求の清算で返戻(保留)で給付管理票が戻ってきた。

過誤の事業所は一度取り下げて、再請求されるということで、給付管理票を再提出した。これと同時に私費負担が発生している事業所も同時進行で取り下げ・再請求という手順を踏む必要があった。
返戻になって来ているので電話で聞いてみると、取り下げの翌月の15日以降に再請求することになっていると言われる。保険者に一緒に聞いてみようかと思っての電話だったが、もう1ヶ月待つことにした。

この手順から、過誤請求にかかる経緯の中にケアマネジャーも入る必要性を感じた。限度額内での話なら対象事業所だけの話で良いのかも知れないが、私費負担が発生しているケースでは他にも影響が及ぶ。限度額一杯の給付管理票から、そのことを察知して欲しかった。

来月請求して如何なる結果が出るのかは判らないが、私費で頂いた中から利用者に返さなければいけない金額も事業者には明示してある。
話は簡単で、減算になった分を加算すれば良い話なのだが、給付管理票の中からその関係も読み取って欲しかった。
しかし私費負担の内容が判らないから、関係を給付管理票から読み取ることは出来ないであろう。

何とか良い方法が無いものだろうか・・・今月は清算が出来なかったようである。

急ぎの認定調査依頼・・・。  2008・11・28
担当課から認定調査の依頼の電話がかかった。
金曜日午後の申請だから通常なら月曜日に居宅へ調査依頼が届くことになる。調査希望日が月曜日だから依頼書が届いてから時間の打ち合わせをしていたのでは遅い。そういう背景からの打診である。
仮に依頼を受けておいたとしてもその後用事が出来れば時間が合わないことも考えられる。出来れば事前に時間の打ち合わせだけはしておきたい。

簡単な事情と住所だけ教えていただいた。嫁いだ子が母親を引き取っておられるというから名前を聞いてもぴんとは来ない。住所番地は教えてもらったが、隣の町内かもしれない・・・そうこう思いながら地図を見てビックリ・・・良く知った方のお母さんである。

申請事業所が判っているから、時間調整の依頼をした。その時に私が調査をしても良いか聞いていただくことにした。以前もこの事業所の認定調査を行っている。
私は担当者の認定調査は行っていないが、全体として最近の調査の依頼先の動向を分析して自社調査に戻ってしまった実感を得ている。
認定調査は公正に行っていただきたい。

そういったやり取りの結果、調査時間と調査員も決まった。調査は午後であるから、調査依頼書が届いてからの調査になる。
申請から保険者に調査票が届くまで、最短時間の調査になるだろう。午前中に依頼書をFAX送信して夕方には結果の報告を受け取っていることになるのであろうか・・・。

そういえば過去にもそいうことがあったような・・・早ければ良いというものでもないのだが・・・調査結果は早目に提出するようにしている。

孫が好きな名刺ホルダー・・・。  2008・11・27
パソコンデスクの上段に二冊の名刺ホルダーがあるが、気に入っているようである。
開業から4年半の足跡なのだが、現在は三百枚を越えている。
孫が好きなのはホルダーの色が違うからである。何故なのかは知らないが、グリーン色の初代は「パパ」であり、ブルー色の二代目は「ママ」である。何故か知らないが色分けをしてある。

全くのゼロからスタートしているので最初の1年間は20枚余りの名刺の数である。トップが市長だが、患者会代表と一緒に陳情・申し入れに行った時のものだろう。とにかく最初の1年間は社会運動に何らかの関係のある方々の名刺である。
2年目に入って施設・サービス関係者の名刺が増えてくる。この頃まで介護保険関係の方々を事業所ノートに整理していたからこの数なのかも知れない。

それにしても随分多くの方々に出逢っている。別ノートの集計はしていないが、そういえば開業を前後して市内の事業所訪問をしている。この時点でもかなりの方々にお会いしているから、名刺の数はもっと増えるのであろう。
逆に言うと、仕事以外でお逢いした方々の名刺を整理し始めたホルダーだったのかもしれない。

多くの方々に支えられて今日まで来たが、何とか今月も越せる感じになってきた。明日は数件の事業所訪問と申請書類を一件届けるだけになった。
明後日の土曜日に「月1回の憂鬱な日」記帳→会計業務が待っているが、最近はその「憂鬱さ」も薄らいで来ている。
この状況を半分の年数で作り上げることが出来れば・・・もっと独立ケアマネも増えるだろうと思っている。

一人のケアマネが責任を持って担当出来る件数は・・・予防・自己作成支援も含めて35件が限度だろう。特定事業所が予防・自己作成支援を行なわないルールにはなっているが、これこそが介護保険界の構造を変える内容でもある。自己作成支援や予防給付も「特定事業所」には認めていただきたい。
現在報酬改定が論ぜられているが、利用者が自由にケアマネジャーを選ぶことが出来るように、現状の枠を取り払う必要があると思う。その上でも35件が限界だろう。

現状はかなりオーバーヒート気味である。

七・五・三(写真)のやり直し・・・  2008・11・26
先日の日曜日に孫家族が七・五・三の宮参りに行ってきた。声がかかったので同行してきた。生涯の記念に孫家族と孫一人の写真を撮って貰ったが、三歳とは言え、三歳は数え歳の話で、二歳と一ヵ月半で一人での写真に挑戦した。
カメラマンは超ベテランの50年来の知己の方であるが、全て終わってから「〇〇さんですね・・・」と確認があった。生涯の中で何回か写真を撮ってもらっている。

スナップ写真を現像して来て、妻と子が「可笑しい・・・」と話していた。そしてその写真を持って美容院へ走ったそうである。
結果として美容院から素人並の着付けに謝罪があったとか・・・写真屋に連絡を入れて取り直して貰うことになった。
孫の着付けも一緒にやって貰えるということで、写真のための正装が今度の日曜日にも始まる。

家族の集合写真と孫一人の写真。「二歳になったばかりの子の一人の写真はなかなか撮れないのですが・・・」と言いながら「撮れました・・・」と言い切っていただいていた。
せっかく二人揃って着付けをしてもらうのだから、両方の写真が撮り直しになるのだろう・・・上手く撮れなければ先日の写真があるから良いようなものだが、2週続けて神社へ行くことになる。これも長い人生で良い経験になるのかもしれない。

「イヤダ・・・イヤダ・・・」と晴れ着を着なかった孫も、神社に行ったら行ったで活動的だった。
今回は果たして黙って着てくれるのかは判らないが、美容院で着付けをしてもらえるそうである。美容院の面子にかけても、良い着付けがなされるのであろう。

自由競争になった介護保険サービスも質の良い所が残るような市場を作っていく必要がある。間違いを間違いと認めて、良いサービスを提供出来る事業所が残る市場に育っていただきたいものだとも思う。
ケアマネジャーとは・・・全てにおいて低姿勢である必要はあるが、論外な要求・常識外れの状況には姿勢を正す必要もある。この切り替えが出来るケアマネジャーが増えてくれれば良いとも思っている。

微妙な電極調整・・・果たして  2008・11・25
朝迎えに行くとOFF状態だった。10時の薬を飲んだ所だと言われるが、薬が効いてこない。車椅子で車の所まで行き、介助で移乗していただいた。
大学病院へ付いてもOFF状態であり、その状態で電極の調整が行われた。
悪くはならなかったが、決して良い状態ではなかった。

隣の科は連休明けで待ち時間が1時間以上、昼になったので軽く昼食をとってくることにした。薬を飲んで昼食を取ると薬が効いてくると言われる。
受診科へ戻って、神経内科へ先に行った方が良いのか問い合わせていただく。このまま待っている方が良いということで、待つことになった。そうこうしている所で本人が動き出した。薬が効き、独歩である。

一番OFF状態を見て欲しい神経内科医の前でも独歩であり、薬はこのままにしておきましょう・・・ということになった。
帰り際に電極の調子を見てもらうために脳神経外科へ寄ったが、ここでもこのまま様子を見ましょう・・・・・ということになった。
家に帰ってもON状態が続いており、良い結果を期待しながら別れて来た。

そんなに簡単に良い状態は続かないとは思うが、約3時間半ON状態が続いたから良いとしなければいけない。1日3回この状態が確保出来れば、中間の薬でほとんど日中ON状態が続く。
果たしてどうなるかは判らないが、毎回受診に付き添うわけにも行かない。
合理的に通院出来る方法はあるのだが、もうしばらく状況を見ることにした。

腰痛とクラス会  2008・11・24
朝起きると腰が痛くて、起き上がり・立ち上がりが不自由だった。
朝一件訪問予定があったので出かけたが、近くに住む子も来ておられ、年末年始の通所予定を確認した。その時に「ぎっくり腰???」という話も出ていたが、とにかくクラス会には出かけることにした。
立ってしまえば歩行には支障が無いので、駅まで歩いて合流して民宿の迎えの車に乗り込んだ。

民宿について直ぐに入浴をしたが、腰痛に関しては温めて良いのか、冷やせば良いのか判らない。そういった話をしながら、腰まで浸かってゆっくりと温めた。
部屋へ行くとビールが準備してあった。嫌いでないほうなので、腰痛の事は忘れて飲み始めた。
宴席では富山湾の魚をたっぷりと・・・お酒もすすんだ。

朝起きてみると腰痛は無くなっていた。
温めて・中からアルコール消毒をして治る腰痛だったが、ひょっとして冷えから来ていたのかもしれない。
平日だったら接骨院へ走っていただろうが、今回の腰痛はその原因が思い当たらなかった。原因不明の腰痛だが、何かの予兆で無ければ良いのだが・・・。

今年の最終担当者会議は12月29日に・・  2008・11・22
昨年は大晦日にサービス担当者会議を開催しているが、今年は29日の夕方になりそうな感じになってきた。

一年経つのは早いもので、大晦日の会議の経緯をはっきりと覚えている。
担当してから2週間目に入院になり、約2週間の入院後デイサービスへ再開の話しに行ったら、もう席が無かった。年も押迫った大晦日に退院して来られたが、その日の内に担当者会議を開催して、正月早々サービスを開始していただいている。

12月29日が御用納めのセンターだが、開始は早い。もしかしてその初日が利用日になるのかもしれない。そういう想いで年内の担当者会議を申し入れてみた。
被保険者証が届くのがこの頃であるから、29日は変更プランの周知に走らなければいけないのだろう。28日に全ての業務を終わって、実質29日がわが事業所の最終業務日になるのかもしれない。

そうは言え、年末年始は何があるのか判らない。
今年の初稼動は1月2日であった。年末年始は誰もお酒の量が増える。「ベッドから落ちた・・・」コールが仕事始めであった。こちらもお酒が入っていたので妻に送らせたが、良く似たことの連続が一年間の間に繰り広げられる。
電話の相手で、今何がおこっているのか瞬時に判断出来るが、年中無休の状態がケアマネ業務なのかもしれない。無い社会資源に関しては、自分自身が資源になる必要がある。

まだ1ヶ月余り今年は残っているが、現時点での雑感を記録してみた。
ケアマネ業務は何処までなのかは判らないが、困った状況を見逃す訳にはいかない。

さわやかな笑顔と最後の別れ・・・  2008・11・22
先日相談中に家庭の都合で退職されることを聞いた。
込み入った内容のプランなので早目に届けると笑顔に出会った。「多分今日が最後ですね・・・」と言うと笑顔が返ってきた。多くは語らないが、複雑な問題も絡んでいるようである。
10ヶ月位のお付き合いだったが、職場や利用者にも笑顔を振りまいておられた。明るい雰囲気でのサービス提供の源でもあった。
かなり遠方から通っておられたことも聞いているので、もうお会いすることはないであろう。

三人の利用者を依頼して来ているが、中には重度認知症の方の通所拒否もあった。その原因を探り当てた時の納得の笑顔は、利用者の心に触れた微笑ましいものであった。
記憶が曖昧になっても、長〜〜〜い人生の中で身に付いた事実はある。その事実は認知症になっても失せることはない。そのことを一緒に確認した。

多くは語られないが、会話の中から寂しさを感じた。余程職場が好きだったのだろう。笑顔が満ちた職場から去ることになる寂しさだったのだろう。
「頑張って〜〜〜」と意味不明の激励をしてきたが、「〇〇さんもお身体を大切に・・・」「かなりガタが来ていますよ・・・」と別れて来た。
2度と会うことはないのかもしれない方の、さわやかな笑顔とさわやかな別れが出来た。

転居日程がスケジュールに乗った。  2008・11・20
迷いに迷って一緒に行くことにされたが、転居日程を子(孫)の通学の関係から終了式後にすることなった。年末ギリギリの転居ではあるが、年内に住民票を移せば、介護保険のほうもそのままの介護度で6ヶ月間認定される。
プランを見ていて、最低二事業所(用具は???)が、二保険者に請求することになる。給付管理表も二枚になる。
こちらの意図ではないが、そうなってしまった。一応保険者の耳に入れておこうと思う。

転居後も同じ事業所を・・・と思い近くの事業所を集めたが、結果残るのは用具事業所だけで、新たに通所サービスを探せば良いことになった。
一ヶ所声がけはしてあるが、そこがダメならもう一ヶ所・・・これはあくまでもつなぎの役割なのだが、利用してそこも良いということになれば、二ヶ所併用していただいても良い。
ここにも逃げ道・・・というか代替案を準備している。

思っていたよりもスマートなプランの変更になったので、気にしていたわりには大した労力を使わなくても良いようだ。随分元気になられた結果なのだが、家族構成が変わることも手伝っている。
最後の利用票が何とか書けるようになったが、保険者変更の時期には斜めに赤い斜線が入るし、余白に注釈を入れた利用票・提供票を作る必要がありそうである。

少しだけ心配していたが、難なく転居が終わりそうである。

薬が利かな〜〜〜い。  2008・11・20
DBS手術で電極が一本ずれていたので、再手術を勧めた。1年半前のことである。術後、薬の調整も上手くいって一時卒業していた方である。
1年ぶりに病院から電話がかかり担当することになったが、この一件が負担になっている。行動範囲が狭くなったらなったで、受診出来る方法を本人に考えていただきたい。不安があるということなのでもう一度同行することにはしたが、月末までの予定はびっしりと詰まっている。

眼科受診もあったということでMSWを通じて近医宛の紹介状は準備した。
下剤に関しては訪問看護師の配慮で、所属病院から出ることになった。本人自身が現状に負けていることから、対応が後手後手になる。
丸っきり薬が効かない訳でもないので、効いている間に調整だけでも図っていただきたい。短時間にサービスをスタート出来たが、はじめてのケアマネではこうもいかなかったであろう。しかし要は本人に押さえていただきたい。

そういう中、ヨーガ・リハビリジムからの一泊温泉旅行に同行する予定でいる。車椅子を持って行けば何とかなるのではないかと思うが、ONの時間は僅かである。服薬管理もこちらで・・・ということになるのだろうが、朝一番の薬だけは飲ませる必要がある。完全OFFの状態を確認する良い機会でもある。

今度の受診で電極調整が上手くいけば良いのだが・・・2ヶ月の入院で出来なかった調整が出来るとも思わないが、何かの拍子に元に戻るかもしれない。初期値のデーターはもう無いそうである。

安いアルミホイル・・・その訳は・・・  2008・11・19
2年前だったか・・・妻の車のスノータイヤに安いアルミホイルを組み込んでもらった。新車に乗り換えた時のことだった。私が新車に乗ったのは10数年前のこと、11年間で乗りつぶして、子が新車に乗り換えたので下取り価格で買い取った車に乗っている。唯一の会社の資産である。

その時のアルミホイルが安かった訳が今春判った。クリップボルトの咬み合わせが悪い。十字レンチを使っているが、少し硬いと滑ってしまう。その構造的な欠陥を何とかクリップボルトで解決出来ないかと、カー用品の店を覘いてきた。
長目のクリップボルトを見つけたが、メーカーによって品物が違う。安易に買って合わなくても困るので、今度修理に入れた時に相談することにした。
「餅は餅屋・・・」である。

スノータイヤを組み込んだのはタイヤ屋だが、ホイルと車とのマッチングは自動車屋の仕事だろう。これをタイヤ屋に任せたことがそもそもの間違いだったのかもしれない。
タイヤ交換位は・・・と長年スノータイヤに交換をして来ているが、長い間問題はなかった。

もう一度そのまま組み込んで、来春外れなかったら修理工場に走ることにした。事情が判っていても綱渡りをすることはある。
今回の寒波は全国的だったようなので、少し早目に冬支度をすることにした。
例年12月10日を目安にしているが、来週の週末にはタイヤ交換を終えたいと思っている。

初あられ・・・。2008・11・18
今日の訪問中に、昨年の初あられが11月18日だったと聞いた。今日がその日である。

仕事を終わって「チビリチビリ」やっているとけたたましい音がした。初あられである。
北陸の冬も刻一刻と本番に向かっている。
ほんの一瞬ではあるがあられが降った。

今は雨・・・。
利用者には「寒さに向かって風邪には気をつけてくださいね・・・」とは言っているが、一番心配なのが担当ケアマネかもしれない。

重要な会議(会談)中に頻繁な電話が・・・  2008・11・18
担当者会議記録は残したが経過の報告と今後の方向性に関して決断をしていただく会談でもあった。
一通り説明したところに電話がかかった。全く無関係でもないMSWからの電話だが、用件は依頼してあった紹介状に関してであった。「出来ましたが・・・と・・・を持って来て下さい・・・」そして続いて2回の電話があったが、必要書類に関してであった。
重要な話をしているので今日は行けないかも知れない・・・ということで、総合受付に託しておいていただくことにしてあった。

何とか会談の方向性が見えたので、しばらくはその方向で進むことにして会談は終わった。
訪問予定の資料を持ち出していたので、その方向へ走り出した。途中寄って、大きく迂回してMSWに必要書類を届けることにした。午後からは担当者会議を控えているので行動出来るのは午前中だけである。

予定していた手順を踏んで病院総合受付で聞いてみたがまだ届いていない。MSWを呼び出してもらい書類を受け取った。向こうから、心配になっているらしく現状の問い合わせがあった。
実は・・・電話をいただいたときは〇〇さんと担当者と話しているところでして・・・〇〇さんの結論をいただきましたのでケアプラン資料は作れます・・・。と簡単にご報告をしておいた。
後日メールで報告するが、このメールで全てが解決する。何時発信出来るかは判らない。

不思議なことはあるもので、ショートステイの連続利用をしているもう一人の方にも関わっていただいている。□□さんもこの方法でショートステイ入所していただいているのですが・・・と言うと「裏技はあるのですね・・・」と。裏技ではないが、必要な時には致し方ないであろう。

それにしてもMSWとの関係とプランの方向性に関しては不思議な関係があるものだと思った。彼女がいなければ担当しなかったケースかもしれないが、同じようなケースに紛れて電話で紹介状もいただける。
介護保険のケアマネジメントではそこまで求めていないが、それにしても良い連携の関係でもある。

通常なら数日間かかる(かも知れない)調整も短時間でこなせる裏技には私自身のネットワークにも大きく働いていただいている。

何とか方向が見える・・・かも・・・。  2008・11・17
行こうか・行くまいか・・・迷いに迷って悩んでいた方が決断されたようである。「行かなきゃしょうないね・・・」一人暮らしの心構えは薄れてしまったようである。
親子関係が如何だったのかまでは把握していないが、子に電話をしてその対応から、決して悪い関係ではなかったように感じた。「行かない・・・」と言われた時の子の対応とは随分違っていた。「俺がこれだけ思っているのに・・・この気持ちが判らないのか???」という口調ではあった。

人生とは複雑なもので、親子関係の中に嫁姑の問題も絡んでくる。子の意思に反して関係が崩れることもある。第三者が家庭に入ることは血縁に複雑な関係をもたらすが、第三者が入らなければ家系も途切れてしまう。太古の時代から続いてきたことではあろうが、節目では微妙な心の動きもあるのだろう。子への電話で、関係を崩したくない意向は感じ取れた。

今週中に来月からのプランに関して具体的な話をするが、問題は保険者切り替えの時期である。二本建てでの準備はしてあるが、具体的な内容が一日でも早く判れば良い。それに合わせたプランを準備できるように下準備はしてあるが、具体的な日程にのせたい。

予想通り日に日に過密なスケジュールになっていくが、何とか目処がついたようにも思う。
このまま師走に雪崩れ込めば、早目にスタンプラリーの準備をしなければいけない。ヨーガ・リハビリジムからの温泉旅行もあるので、来月はスケジュール調整が今月よりも困難になる予測は立てている。
果たして来月四件の更新サービス担当者会議が開催できるのであろうか・・・。

ケアマネジャーも走る師走かな???

雨の日曜日・・・。  2008・11・16
午前中、日曜日にしか主介護者と逢えない家庭を4件訪問してきた。
昨日の予想通り雨の1日になっているが、雪吊りの荒縄は雨をたっぷりと含んで、良い具合に縮んでピ〜〜〜ンと張っている。ちょうど良い張り具合である。
夕方もう一件訪問するが、今日を逃したら来月まで会えない。残りの日曜日は全て予定が入っている。

来週は小学校以来続いているクラス会ではじめて一泊で出かける。
もっとも基礎になっているグループとは、毎年一回は酒を酌み交わす。日帰りのことが多いが、今回は氷見の民宿で一泊で開催される。富山湾の魚が食膳に並ぶが、魚に関してはかなり贅沢をさせてもらっている。

16〜7年前に幹事をしているが、場所は雨晴。施設のすぐ近くの高台に立つハイツで開催した。今は農協関連で経営する施設になっているが、当時は経営者も違っていたように思う。
雨晴海岸も景勝地なのだが、海岸の侵食が進んで随分テトラポットが並んだ。子供の頃の話だが、数十メートル沖に泳ぐと、休憩出来る水没した岩があった。その岩もテトラ工事の時に砕いたとか・・・海岸の様子も随分と変わっている。

今回の会場になる民宿はカタカナにすると幹事の名前と同じである。このゴロ合わせをした仕掛け人がいるが、還暦を過ぎてもみんな若い。
中学の還暦学年同窓会に続いての還暦クラス会だが、一泊ということもあって、旅からの参加も多いのかもしれない。
東京・静岡・岡山位からは来るのだろうが、思いも付かない懐かしい友人に逢うことが出来るのかもしれない。

先生の送迎用に車で参加の、酒を受け付けない彼が、どうも裏の仕掛け人のようだ。

腰が痛くなった土曜日・・・フル回転。  2008・11・15
4件の訪問を予定して事務所を出た。遠いところから順次近いところへ・・・訪問パタンなのだが、一件目で非常に忙しい状況を目にした。本人は居られるのだが、何処におられるのかまでは確認出来ずに「後日・・・」ということで失礼してきた。高齢者が役割を持って忙しいことは良いことだ・・・。

2件目を訪問すると、非常に真面目な看護師さんの車があった。「〇〇さん〜〜〜」と声をかけて家に入ったが、まだ作業前であった。簡単に情報交換をして、車椅子クッションのエアークッションを紹介していただいた。過去に耐圧分散エアーマットを教えていただいたことがあるが、福祉用具も随分研究しておられる。事業所に問い合わせる約束をして、作業に入られるので部屋を出た。

主介護者とはゆっくりと話が出来、冬場だけでも・・・とデイサービスの追加を考えておられる。一昨日も会っていたデイサービスセンターの管理者に電話をするが送迎に出て留守だと言われる。用件だけは職員に伝えておいた。
残り2件の訪問を先に済ませてくることにして家を出たが、電話をいただいたのは昼近くだった。

2件の訪問先でも社務所で高齢者の集いがあるということで出かける準備の最中だった。スタンプラリーのハンコだけはいただいたが、元気はつらつのお二人はには後日「お元気訪問」の必要がある。とにかく送り出されて、送り出してきた。

そういうところへ電話がかかった。「追加利用大丈夫ですよ〜〜〜」と軽やかな返事が返ってきた。事務所の近くまで来ていたので、利用票を作り変えてから再訪問することにした。事務所での仕事時間は5分間位であっただろうか・・・。
本人にも確認してデイサービスを追加したが、年末年始も上手く埋まった。訪問看護も年末の休み中に準備していただけるということ。ケアマネジャーは確実なネットワークを作ってさえおけば、あとはネットワークにプランを作り上げていただける。

明日は雨のような雲行きなので午後から「雪吊り」をすることにした。
事務所(家)に帰ると家族は誰もいない。昼食も準備してないので帰る予定なのだが、何時帰るのかはわからない。とにかく庭に出た。
雪吊りだけで半日かかるのだが、今日は剪定も若干ある。何とか今日済ませたいと作業をしていると妻から電話がかかった。車を引き取りに行っているがまだ出来ないということ。娘の車が1ヶ月余りの間に同じ場所に2回受難があった。庭に出ていることを伝え、昼食が出来たら声をかけてもらうことにした。

・・・・・「雪吊り」作業が終わった時には暗くなっていた。見えるゴミだけ拾って完全な掃除はしなかった。落ち葉もあるし、冬前に掃除はしなければならない。掃除は妻の仕事である。
とにかく「雪吊り」は終わった。通常なら一日分2万円を請求しても良いのだが・・・請求先は会社であるが・・・。
開業当初(その前からも)冬場には友人の庭師さんのお手伝いをした。腕前はプロである。

久し振りのことなので、腰が痛くなってしまった。
昨年までは大丈夫だったのだが・・・。

作戦成功・・・(前投稿のご報告)。  2008・11・14
朝一番に電話がかかった。
身勝手な甥(親族も認めている)の兄嫁からである。
『・・・結果として引き取るしかない状況がそこにあった。・・・』状況は私から説明することにして、被保険者証・後期高齢者医療受給者証が届いたら、私に連絡をいただき、こちらで受け取ることを伝えていただくように伝言した。間違っても施設に届けないように確認をしておいた。

訪問看護ステーションからの電話もあった。
デイケア利用中の本人を訪問する予定で駐車場へ車を止めていた。そこへ電話がかかった。・・・今前まで来ています・・・と1分(もかからなったかも・・・)後に事務所に入ると目を白黒しておられた。眼科受診の診断書の兼では病院に電話をするがMSWを呼び出してもらっている間に電話が切れた。
「後程連絡をとって、近くの眼科にかかることが出来るようにします・・・」担当看護師も管理者も「ん・・・」といった感じ、前日の電話の「下剤」に関しては解決していた。
MSWの出来ることと看護師の出来ることとの違いはあるが、良いネットワークで結ばれている。

『ことを進める為には「背水の陣」ではいけない。余裕を持って逃げ道も作っておかなければいけない。・・・』
柔軟に対応出来ることは良い事で、後日『紹介状』に関して調整結果をご報告いただける。しかしご本人にこの状況に甘えていただきたくない。

『その見本のような担当者会議も夜半開催したが、背景には「苦情申立て」がある。本人にとって一番良い方向へ進めることもケアマネジャーの役目であろう。』
一件、会談の申し入れがあったので日程調整をしてから、おもむろに切り出した。「こういう状況ですが、何時までサービスを提供していただけますか???」新任施設のサービス開始まで責任を持ってサービスを提供していただく確約があった。

『解決しておくべきは早めに、解決出来ないことは結論を先に延ばす・・・そういう状況下で「付箋」だけは貼っておかなければいけない。』

早めの解決はほとんど終わったが、遅めの解決はタイミングを見ている。残る3件に関して、二件は来週本人の意向と施設の意向を確認して作ることが出来るが、一件に関しては被保険者証待ちである。届いたら連絡を取って来ていただくことにしてあるが、間違えても利用施設に届けていただきたくは無い。そのことは朝一番の電話で伝えておいたが・・・もしかして来月の給付管理に間に合わないのかもしれない。

被保険者証を届けていただいた時に詳細に関して説明する予定である。予定に乗らなければそれでも良い・・・ご本人の行動の結果がここにある。
最後の最後まで噛み合わないのかもしれないが・・・。

制度解釈の違い・・・やはり勇み足・・・  2008・11・13
満更違う方向のアドバイスではなかった。落ち着き先を決めてからの転居を勧めていたが、その通りの結果になってしまった。
保険者の制度解釈の違いもあるが、結果として引き取るしかない状況がそこにあった。

ことを進める為には「背水の陣」ではいけない。余裕を持って逃げ道も作っておかなければいけない。その見本のような担当者会議も夜半開催したが、背景には「苦情申立て」がある。本人にとって一番良い方向へ進めることもケアマネジャーの役目であろう。

動きが大雑把な一日だったが、その間に訪問看護師から下剤の相談も入った。直接動くことが出来ないので善処していただくように依頼をした。病院の薬局にある薬を貰ってきて欲しい・・・旨の依頼のようだった。
何でもケアマネジャーではない・・・病院〜薬局で準備出来なければ買えば良い(準備できるかは別として・・・)。その姿勢だけでも見せて欲しかった。出来るか出来ないかはやってみないと判らない。出来たとすれば金で解決する問題である。

明日は今日の総決算(一部後日になるが)の1日になるが、もう一件の総決算も同時進行になるだろう。
解決しておくべきは早めに、解決出来ないことは結論を先に延ばす・・・そういう状況下で「付箋」だけは貼っておかなければいけない。
方法は色々あるだろうが、時として思いついた考え方のメモを要件別に束ねる方法をとる。
今回は筋書きで整理している。思い付きが通用する解決方法では解決出来ない問題ばかりである。

「敵の出方論」は兵法の極意であるが、「相手の出方論」ケアマネジャーの護身術なのかもしれない。
何とかそのシナリオが全ての問題に関して書けてきた。
今作れない5枚の利用票があるが、来週早々書くことが出来るように思っている。今月はこの5件に焦点が絞られた。

タイミング良く滑り出し・・・。  2008・11・13
朝一番に主治医意見書を貰ってきた・・・と電話がかかったが、一番に訪問する予定にしてあった。予定と行動がかみ合うと一日スムーズに流れる。

概ね予定通り済ませて昼頃、隣市へ出かける予定で電話をしたがつながらない。着信が残っているはずだから電話があるものと、午後は午前中の整理に取り掛かった。
電話が無いので夕方、デイサービスから帰って来られる時間に合わせてその方面に出かけた。一件用事を済ませて行ってみると帰ってきておられた。

事情をお聞きすると、チョッと大変な状況のようである。かと言って本人のサービスを継続しないと、もっと大変なことになる。人を介して解決を図ろうとしておられるが、成功をお祈りするしかない。その状況の報告に施設へ向かった。しばらく様子を見ることにして、状況に応じた判断をして行くことで合意いただいた。
他にも話があったのでしばらく話し込んだが、時計を見ると18時を回っていたので、ケアマネサロンへ直行・何とか間に合った。

今日は一日かかるだろう調整に出かけるが、夕方急遽決まった利用面接を予定している。30分のズレはあるが、MSWの勉強会も予定にある。ひょっとして間に合わないかもしれないが、顔だけは出そうかとも思っている。
予定表をめくってみて唸っているが、来週も予定がビッシリ。12月の利用表を作ることが出来ない方が5名・・・。
今月も慌ただしい月末になりそうな感じになってきた。

憂鬱な一日  2008・11・11
明後日から始まる規模の大きな変更やサービス事業所の変更・変更の可能性のある会談・調整、そして本人の意思決定を如何導き出すかという問題を目の前に、気の乗らない一日であった。
たまに「ボー・・・」とするのも良いのかもしれないが、午後2件続けて留守だったので、事務所に閉じこもってしまった。

頭の中では会談・調整のシナリオを書いているのだが、考えながら運転していると道を間違える。午後一番に道を間違えたが、留守だった2軒とも道を間違えている。
先月もあったことだが、大きな施設の曲がり角を通過したこともある。
これも「ながら運転」なのかもしれない。

一日の予定をメモ書きして出かけるが、時としてそのメモが何を意味するか判らないこともある。自分で読めないメモなら書かないほうが良いが、それでもメモを頼りにしている。
初回面接・担当者会議とMSWの地区学習会が重なり、学習会への出席も微妙になってきた。
最低限の週末までの予定を確定させたが、予定通りこなせるかという問題も潜んでいる。
そういった背景が道を間違えることにつながっていると信じたい。

しかし・・・「もしかして???」という想いもある。
自覚している間は大丈夫なのだろうが・・・書類を作っているときにも再確認しながら、はかどらない仕事をした一日であった。

利用施設を変える羽目に・・・。  2008・11・10
デイサービスから電話がかかった。施設の都合(利用者にその他の申込者を受け入れるために休んで欲しいという話)で休んで欲しいという話は聞いていたが、直接利用者に伝えて欲しい旨伝えておいた。「何でもケアマネ・・・」ではない。

デイサービスから電話がかかったが、FAXが壊れていたということで、昨晩電話をしたら、施設の身勝手な対応に怒っておられるということ。取りあえず自宅を訪問してみると、本人は一人で車椅子に座っておられる。
デイサービスからの電話では主介護者は休みだ・・・ということだったが、携帯に電話をしてみると仕事だと言われる。とにかく帰られてからお会いすることにして、本人にはこのままの状態でいていただくことにした。

夕方訪問してみると前日電話がかかったが、管理者からの電話ではなく若い(者)職員に電話をさせていた状態だと言われる。苦情申立ても考えておられるということで、別の施設を探して欲しいということ・・・17時を回っていたが、別の施設に見学の申し入れを行った。「良いですよ・・・」ということなので、本人を一人にして主介護者を連れ出した。

施設へ行くと滅多にお目にかかれない(4ヶ所のサービスを持つ)社長にもお会いできた。事情をお話してサービスの提供を依頼する。
重度が対象の施設であるから、十分に応えていただける。早速事前面接兼担当者会議の打ち合わせも終わり、近日中に自宅で本人と面会していただくことになった。

新しい施設の方が近いのだが、介護保険の認可がいつ降りるか判らないということで、少し遠いが見学した施設での対応を検討していただくことにした。安心してお任せ出来る施設である。
現在利用中の施設には利用が決まってから伝えることで主介護者にも了解していただけた。
目まぐるしい予定の中で施設移動を行うが、スケジュール的にも何とかなりそうであるが、今週中に行わなければいけない県外出張が何時になるのか・・・現時点では連絡が来ていない。

ゼロと無限大・・・(科学の話題のおまけ)  2008・11・9
久し振りに科学の話題を書いたら、数学の矛盾にも触れたくなった。
マイナスの無限大からプラスの無限大まで数字は続くが、数学にはこの二つの数字の割り算に制約を設けている。
無限大を分母とした割り算は「不能」、ゼロを分母とした割り算は「不可」と習ったように記憶している。

ゼロはプラスからマイナスに替わる瞬間の値であり、数字は連続している・・・はずである。(わが社はこの状態を繰り返してきた事実もあり、税理士からは「マイナスの帳面はありません・・・と言われて来た)
無限大はプラスは正数の極限であり、マイナスの無限大は負数の極限である。
この二つの数字を分母とした割り算は出来ないことに数学ではなっている。

確かにゼロと無限大は特殊の数字なのかもしれない。
高校時代に教師にゼロの割り算に関して聞いてみたが、答えは「ゼロはゼロじゃ・・・」であった。
ゼロをゼロで割っても、無限大を無限大で割っても「1にはならない」これが数学のルールである。

しかし「無限大の可能性」を抱きながら人生を送っておられる方は多いと思う。
全くのゼロ(受験)から介護界にカムバックしたが、現状は掛け算でも割り算でもないことを実感している。
人生における足し算に挑戦していただきたいものである。
それと同時に、引き算(負の社会資源)は切る方向で考えている。

プラス・マイナスで帳尻を合わせる方向は性格的には合わない。

担当者会議の日程調整が困難 2008・11・9
一週間ビッシリの日程が詰まっている方がある。僅かに予定が無い日は土曜日の午前中・・・果たして自宅での担当者会議が開催出来るのであろうか???

開業当初から患者会を通じてお付き合いはあったが、介護認定を受けてから4年になる。要支援から始まって要介護5に至るのにかかった日にちが長かったのか・・・短かったのか・・・神経難病の中でも治療法が確立していない病気の一つでもある。
大脳・中脳・小脳に障害のあるのそれぞれの症状を見せていただいているが、この方の場合特に気を使ってきたことが、筋肉の固縮を如何に遅らせていくかということだった。

車の運転が出来なくなったきっかけは、3年前の大雪の時に除雪をしていて左手から全身に走った激痛だった。リハビリジムに通うことが出来なくなってから半年後、ジムの新年会に行ったときには、車椅子から自家用車に移乗できた。
それから1年後の今年の正月には妻と二人がかりで移乗した。
友の会の夏のイベントにも参加して来ておられるが、意識がはっきりしている方だけに残念な想いをしておられると思う。

土曜日の午前の会議が出来なければ、妻の時間に合わせて利用施設で開催することになりそうである。会議内容はともかく、通所出来る間は通所していただきたい。

来月の温泉にも行かれるということでご一緒することにしたが、今年もカラオケが始まるものと思われる。昨年はカラオケボックスで3時間歌い続けた。

久し振りに科学の話題・・・地球を救う科学  2008・11・7
天文学と動体物理学・宇宙科学など等の協働の研究から判ったことなのだろうが、近い将来小惑星の「アポリス」が地球に激突する。その破壊力は原爆数万個分とか・・・。地球の3分の1は崩壊されるだろうという予測がされている。その地球の壊滅的な崩壊を人工衛星で救おうという話である。
ケアマネジメントの参考にもなるかもしれないのでご紹介する。

天文学的関知からの計算では「アポリス」は地球と激突してその生涯を閉じる。過っての「特攻隊」である。この軌道を変える為には少し力を働かせれば良い。その力を人工衛星からの噴射力でカバー出来ないかという話である。宇宙は真空だから少しの力でも軌道は変わる。軟着陸に失敗して激突したとしても力が働いたことになる。成功の可否によって若干の差異はあるが、地球を救うことの出来る確率は変わってくるという。

ここまで書いて大学時代のことを思い出した。専攻は応用科学だったが、量子論で頭の構造を教授から評価された。量子論の原子核・量子・電子の関係を宇宙に例えた論文に目がいったらしい。原理の理解と言った方が良いのだろうが、原理を絵に書き表すその構造を文章にした。
地球を中心とした月との関係。太陽を中心とした惑星の関係・・・これが「原子」の構造である。

太陽系では小惑星という自由に行動する集団がある。この集団の中の大き目の惑星が地球に激突するという話である。
生きている間の話ではないので詳しくは調べないが、このような出来事の繰り返しが宇宙では起こっているのであろう。
生命が誕生して、その現状を予測できるようになっている地球だが、科学の力で地球滅亡の危機を防ぐことが出来れば素晴らしいと思う。

ビックバーンで宇宙が誕生してから生物が誕生している星もあるだろうし、文明が滅亡した星もあるだろう。
(ケア)マネジメントとは大きくは宇宙で、小さくは家庭内で、その可能性に挑戦をすることなのかもしれない。
科学とケアマネジメントは「如何にその障害を取り除くのか・・・」という視点から見れば同じレベルの話なのかもしれない。

久しぶりの電話  2008・11・7
任意後見の話を煮詰めていたのが4〜5月だったから半年ぶりになるのだろうか・・・。そんな彼から電話がかかった。義理の母のうつ病が悪化して義兄が引き取ることになったが、介護保険が必要の様子だということ。転居後お会いして誰が担当するかを検討することにした。状況によっては自己作成支援で対応するしかないケースのようにも思う。
うつの方が閉じこもっていてはいけないし、大きな施設で人にのまれても困るので近くの小規模施設を頭に描いてみた。薦めることの出来る施設はあるのだが、定員が如何かという問題もあった。
そこへ浮かんだのが一人の専門職だった。通勤途中に迎えに行く・・・というのは如何だろうか???

半年前の後見の相談もうつの一人暮らしの方に関してだった。見守り体制は出来ているので急ぐ話でもないが、本人がなかなかその気にならない。
必要性は判っておられるが、決断出来ないといったところであろうか?
こちらはまだ介護は必要ないが、何れ介護も必要になるだろう。

「よろず相談室」には各種の相談がある。法関係に明るい方もいるので安心して相談に乗っている。
金銭的虐待が疑われるケースには嫁姑の問題が絡んでいた。亡き夫と築いた財産ではあるが、生活に不安が出ない限りは口にしないことにして貰ってある。
介護保険制度そのものに疑義を感じておられる方から、認定結果への不満の相談があった。病気の特性と症状から、不服申し立て出来るケースであることもお伝えしている。

よろず相談で関わった方も、介護が必要になれば戻って来られるのだろう。

チョッと困った状況・・・  2008・11・6
子の再婚→新居の建設→同居・・・という予定で転居の大凡の日程も決まったところで「私しゃ行かない・・・」ということになった。
転居後のことも考えて他市の包括から依頼のあったケースだが、サービスも転居に備えてメンバーを揃えた。

認定期間が転居日と微妙な関係にあったので準備だけはしておいたが、行かないという話が出たので更新申請の準備だけはしておくことにした。先日の受診日に主治医意見書を依頼してもらった。
1ヵ月後の受診日に意見書を貰うまで行くのか行かないのかを考えて置いていただくことにしたが、問題は案外根深いところにあった。

子の再婚に反対はしていなかったが、新築する住居に関して相談は無かったようである。現在の住居に関しても処分方法等相談していない。再婚は新居に移ってからということになるのだが、その辺りに問題の原点があったようである。
吐き捨てるように「仏壇を置くところも無い家は嫌だ・・・」と・・・。
時代の変化を説いてはみたが、戦前生まれの方が大切にされる部分でもある。

一人暮らしが出来るのかという問題もあるが、ヘルパーを主体にしたプランを組めば何とかなるようにも思う。入院中の認定調査だったので介護度は高目に出ているが、介護が出れば何とかなる。女性は生活力があるから、高く望まなければ何とかなるだろう。
嫁いだ娘の関わりも大きいが、一人暮らしをするとすれば、頻繁に訪問していただく必要もありそうである。それが可能な状況でもあるので、最終的には時間切れにならない準備だけは出来たようである。

住所不定に・・・。  2008・11・5
一人暮らしが出来なくなり、入所出来るまでショートステイでつないでいる方がある。冬場の火の始末もあったことから、冬場の3ヶ月はミドルステイ(県単事業でショートステイで不足する分を公費で補ってもらえる)で負担の軽減を図る話を以前からしてあった。その申込者を県外に住む、後見申立て者にもなっている方に依頼して欲しいという市担当者の意向もあり、電話で制度を説明して書類に記名捺印して送り返してもらおうとしたのだが・・・。
県営アパートを引き払った・・・と仰る。以前から住民票の移動先が重要だということは伝えてあった。

とにかく住民票を移動しなければいけないが、実家のほうに移そうかということである。
この話もしてあったのだが、ケアマネジャーは都道府県に登録してはじめてその地で仕事が出来るので、県外在住者のプランは書けない。保険者に相談してみて如何なるのかは判らないが、現在は住所不定の状態である。
この状態を作らないためにも事前に制度に関して説明をしておいた。

とにかく現状を施設に伝えておく必要がある・・・と電話をするが、施設長も担当者も不在である。担当課にも話をしておく必要がありそうな内容だが、現在ケアプラン自身が宙に浮いている。
後のことを考えて行動して欲しい旨何度も言ってはあったが、我関せずのようであった。裁判所もからんでのことなので、そう深刻には考えていないが、無知というか無鉄砲なことをする方もあるものである。
保佐人に保佐人を付けなければいけないのかもしれない。

残り3事業所に・・・。  2008・11・4
週末から連休になって実績が何時届くか心配になっていたが、各事業所に頑張っていただき、残すところ3事業所になった。
ほぼ利用者の数と同じだけ事業者ともお付き合いがあるから、一気に実績が届いたら複合機がパンクしてしまう。パンクと言うよりは詰まってしまうかもしれない。
そういう思いもあって、実績が届く日にはまとまった時間外に出ることが出来ない。

そういう中デイケアから電話がかかった。ボルトが飛んで車椅子が動かない・・・空気も入らない・・・ということだったので用具担当者に手持ちがあれば代替の車椅子を持って見に行ってもらうことにした。
勿論直行したが少し遠い所にいたので時間がかかったが、用具担当者よりも早かった。

車椅子を見るとタイヤのムシゴムが無い。ムシを抑えるネジが飛んだようである。しばらくして到着した用具担当者に状況を話したが、何故そうなったのか・・・の根拠探しから始まった。
今必要なのは、常時車椅子が必要な方に如何にして車椅子を提供するかということである。代替で置いていった小ぶりの車椅子に大きな方を移乗してみて、移送時には何とか耐えられるが、向こうに着いたら病院・施設の車椅子を利用していただくように主介護者・デイサービスに連絡をとった。

そうこうしている間にも実績は届いていた。
残り3事業所、内一事業所が届けば自己作成分が提出出来るし、一事業所が届けば包括への報告が出来る。残る一事業所は限度額オーバーの要を握っている。複雑な給付管理・限度額オーバー分の調整も残ってしまった。

引越しから二日目・・・(焼肉パーティー)  2008・11・3
結果外食になってしまった。
孫が肉が好きだということで、ファミリー焼肉屋に行き先が決まった。
焼肉店ではあるが、子供のメニューもおいてある。
ウインナーもあるメニューを注文したが、肉も口に合ったようである。ご飯は彼用・・・周りから突付いてのことではあるが、お替りもあった。
カフェバーとご飯はお替り放題とか・・・ビールのカフェバーもあれば良いね・・・と勝手なことを言ってみた。

氷見浜直送の回転すし・んまい〜〜お好み焼き・国道8号線ルートのラーメンチェーン店など等・・・子供の視点は『サービス』である。
総称して「ファミリーレストラン」と言って良いのかもしれないが、子連れの客には随分気を使っておられる。抽選で虹色につながった色鉛筆を貰ってきた。
子供だけでは来ないから・・・随分気を使っておられる。
また行きたそうな雰囲気だった。

介護保険サービスも自由化されている。
「選ばれる」サービスを目指していただきたいものである。
ケアマネが選びたくないサービスは、利用者にも選んでいただけないであろう。

引越しから二日目  2008・11・3
慌ただしい日は時間を感じることなく過ぎ去った。
昼食は北海道展の海産物弁当だった。いくらをつまみ食いした孫が夕方下痢気味になった。気にはなっていたが、やはりまだ早かった。
洗濯機の設置などを手伝ったが、小物の整理は妻と娘が頑張っていた。頑張っていたというほど整理は出来ていないが、整理をしていたのだろう。
夕食は近くのラーメンチェーン店で済ませたが、孫はラーメンが好きなようだ。量的に半分は食べただろう。身体は小さいが、食欲には感心させられる。
2日目の仕事は孫も含めて、男の仕事はそうない。朝一番に軽トラいっぱいの最後のごみ捨てに行って来た。

先月末から実績が届き出したが、週末から始まる月は実績も変則的に届く。包括や自己作成の実績は早めに欲しいのだが、遅れる公算が強い。保険者は5日までに実績を欲しがっている。
自己作成の代理提出が可能になり、利用者の選択の自由の幅も拡がった。担当して欲しくない地域包括があることは事実だし、担当させたくない地域包括があることも事実である。

市内の半分の包括と関わって来た。協働出来そうな包括もあれば、協働したくない包括もある。
以前担当には結び付かなかったが、包括をまたいだ相談があった。一人暮らしをしておられたが、子に引き取られたケースである。
話を進めている間に入院になって、退院後精神状態も落ち着いて自立の認定が出たケースである。

今後も自己作成が増えていくことになるとは思うが、行政の責任で地域包括には開かれた運用が求められるものと思う。閉鎖的な包括は必要ない。経営管理者も含めたオープンな姿勢が求められるのであろう。

慌ただしい一日・・・(鼻マスク)  2008・11・2
朝一番に車を点検に入れて患者会に出かけようとしたら、もうトラックが着いた。引越しは運送屋さんにお任せして車を点検に出して会場へ向かった。
駐車場では代車なので判り易い所へ車を止めた。
ALS患者会の今日のテーマは「鼻マスク」人工呼吸器に関しての勉強・体験の会だった。

気管切開・人工呼吸器を装着する前の段階として鼻マスクが随分普及して来ている。在宅人工呼吸療法の4分の3以上が鼻マスクになっているが、利点も多い。
会話や口から食事が出来ること等利点も多いが、限界もある。吸痰や顔面に潰瘍が出来やすいことも上げられていた。
人工呼吸器の使用によって、生活の質の向上は望めるが、先ずは本人の生きる力と家族等の支えも必要になってくる。

日本神経学会 ALS治療ガイドライン2002 には次のように書かれている。
『人工呼吸器を装着して生きるかどうかは患者本人が家族等と事前に充分検討して自己決定するものであり、医師を含めた医療チームは患者・家族が正しく判断できるように、早期から十分な情報を提供することが求められる。』

鼻マスクで体験入院された方もあるが、人生に対する早い時期からの準備も必要のように思った。その話を聞いて、一度しかない人生を生き抜こうという心構えを感じた。

富山型デイサービスとしてのスタート  2008・11・1
医療ケア付重度障がい者(児)のデイサービス、4ヶ所目は富山型デイサービスとしてスタートを切った。補助金等の関係から富山型を選ばれたということだが、富山型にも色々・・・創始者の理念も行き渡らない為にか・・・最近重度者を嫌う傾向のある施設も目にしている。

利用施設を選ぶのは利用者であるが、一ヶ所利用施設が決まってから紹介いただいたケースでは最近目に余るものがある。利用者を大切にしない施設はケアマネからも紹介されない。原点に戻ってもう一度利用施設を選んでいただく機会を提供しようかとも思っている。
そういった数多くの施設の中でも、自分自身でも選びたい施設がもう一ヶ所増えた。

開所式でのオーナーの話の中に30年来の福祉との関わりの歴史があった。井波彫刻から発祥した福祉用具の加工の技術は私が住む町内にその端を発する。
福祉用具から福祉の道へ進んだ方はそう多くはないと思うが、障がい者に触れ、その介護施設を作る必要性を感じておられる。

理念の違いと言ってしまえばそれまでのことだが、理念を忘れかけている方々にその理念を植えつけていただきたいものだと思う。
帰り際に「レベルアップにご尽力いただきたい・・・」とお伝えしてきた。
近日中に利用施設の変更が行われる・・・のかもしれない。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

いよいよ・・チビッコギャングがやって来る  2008・10・31
8月頃からゴミ捨て(不要家具の処分)や住宅の改修を行ってきたが、刻一刻とその時が迫っている。

明日は最後の処分品・大型冷蔵庫を電気屋に引き取ってもらうが、重度障害者施設の開所式と重なったので午後にしてもらった。
今日は洗濯機の貰い主が現れたので納入したあと廃棄出来る方向で処分をしてきた。廃棄は貰い主の責任での処分である。
今日の記帳で改修費用が払える目処も立った。先ずは、全て準備が整った。

若い夫婦の引越しなので家具は分割出来るように作られているということで、引越しは業者と婿さん(?)に任せることにした。孫も手伝うのだろうな〜〜〜と想像しながら、その時間には患者会の定例会に出席することにした。実は根気強く誘って来たわが町の「エース」にも出席していただける。今回の患者会だけは外すことが出来ない。

引越しを目の前に、何時も通りの予定が入っている。
その代わり・・・と言っては「何」だが、落ち着いた後で如何にでも為るように手持ち軍資金を準備してきた。かなり動きの激しい月末・月初めを迎えるが・・・銀行さんに誤解が無ければ良いのが・・・。

認定期間の勘違い  2008・10・30
認定から1ヶ月目で担当したケースが1年間経過した。
この3ヶ月集中的にショートステイを利用することになったので残日数を計算していた。残すところ9ヶ月で、通常の利用以外の利用出来る日数は一桁になったことを伝えておいた。

ショートステイ利用日数管理表を見ていておかしなことに気が付いた。前任者の1か月分が担当した1ヶ月前に打ち込んである。そこで被保険者証コピーを確認して認定期間を間違えていたことに気が付いた。初歩的なミスである。9ヶ月と8ヶ月とでは大きな違いである。余裕の幅がかなり拡がるので「全部介護者」に電話で伝えておいた。

遠距離・通い介護にショートステイを活用しておられるが、郷里にも心配事を抱えておられる。心配への対応も思う存分行っていただけるように年末の3ヶ月で60日以上のショートステイを組んだ。この間ゆっくりと郷里に残した心配事を解決してきていただきたい。

1年間波乱万丈の介護支援であったが、峠は越えたようである。残るは結論を待つだけの状況なのだが、年内に答えは出るものと思われる。
日本全国を探してもこのようなケースはそう多くは無いであろう。ケアマネジャーの立場を弁えていないと巻き込まれてしまいそうな内容である。
餅は餅屋・・・専門外のことに口を出さないことも重要なことである・・・が、レールだけは敷いている。

嘘のような症状(DBS電極調整)  2008・10・29
1ヵ月半の入院の間電極調整を行ってこられたが、薬効時間が短く、本人はもう半分諦めておられた。ヤケッパチになり、一時帰宅で病院へ帰ったその足で退院・・・ということになってしまった。
退院から1週間目の受診で先ず脳外科を受診した。
その時点ではまだ薬が効いていたので、神経内科を受診して、薬が変わったら調整しましょう・・・ということになっていた。

泌尿器科受診を済ませ神経内科の受診では、病気に対するうつ傾向もあることから精神薬が朝1回処方されていた。その薬を朝夕に分けて飲むことになった。基本的には薬は変わっていない。

本人の意思で再度脳外科を訪問した。OFFになりかけている状態だが何とか杖歩行は出来る状態だった。
「外来での調整は危険ですが・・・」と言いながらも調整を行ってみることになった。調整後の歩行の状態は心なしか足が軽くなったように見えた。

今回から院外処方で時間毎の分包を行っていただくことにしてあったので、処方箋を薬局に送ってもらうことを確認した。
帰りに薬局に寄ったが、足りない薬はあるが夕方まで揃えて届けていただくことになっていた。明朝の薬は無い。次の服薬まで20分の時間だったが、本人も歩行で薬局に入った。

家に帰るとちょうど服薬時間だったが、身体は動いている。歩行で居室の定位置まで行ってもらった。
嘘のような症状だが、入院期間に達成できなかった調整が、ほんの数分で出来たようである。もしかして・・・脳外主治医も含めてオーラが発せられていたのかもしれない。何とか出来ないかという心が一つになったということだろうか???
嘘のような症状である。

ヨーガ・リハビリジムからの温泉  2008・10・28
昨年から福祉バスを借りて行くことになった一泊温泉旅行だが、今年も計画が進んでいた。時々ジムにも顔を出しているが、そう言えば最近時間が取れなくなってきていた。
昨日午後、訪問の約束時間に少し余裕があったのでジムを覗くと誰もいない・・・会員の車が3台放置してあるが、行き先は見当がついた。

訪問の目的は車椅子スロープの配置だったが、少し早めに行って本人確認の上玄関内の配置換えを行った。入り口の引き戸も出入り口を逆にすることにして、関係機関には連絡をしておいた。
用具担当者がスロープを持って到着、変更内容を伝え、玄関が狭いことから少し短めのスロープで早速試してみた。角度が急なので本人から不安の訴えがあった・・・ということで当初予定した長さで納入することにしてもらった。

用具担当者が帰ってから温泉行きに関して聞いてみた。「行きたい・・・」と言われる。他に4人担当しているが、3人は介助者が付く。もう一人に関して意向は聞いていないが、多分行きたいと言われるかな???と思いながら、とにかく同行することにした。
ベッドの部屋があるのかは判らないが、聞いてみていただけることになった。何人ぐらいのグループになるのか、介護スタッフも吟味して計画を練らなければいけないだろう。

チョット大変なグループメンバーになるのだろうが、昨年はカラオケルームで3時間歌い続けたメンバーである。日頃言語がはっきりしない方も歌い出したらスターである。
今年も一昔前の夜の帝王の歌声を聞くことが出来るのであろうか???
一人ひとり色々な人生があるが、その人生に触れることが出来るのも温泉旅行である。

各種団体からのご案内  2008・10・25
ケアマネジメントに関係のある各種団体とお付き合いをさせて頂いて来たが、今日二ヶ所からシンポジウム・講演会等のご案内をいただいた。
講師のお一人に非常に興味があったので参加を申し込んだ。もしかして、女性中心の講演会であり、「黒」一点なのかもしれない。それも良いだろう。

公務員(?)の立場で女性問題を唱えて来られた方がある。お名前は充分知っていたが、身近の、増して地方都市での、数十人規模の講演会にも来ていただける方とは思っていなかった。せいぜい数十人でも活動家が集まれば声になる。その点が男性とは違うところだと思う。
ちょうど難病団体の会合があるので紹介しようと思う。東の方が中心ではあるが、もしかして・・・ということがあるのかもしれない。先ずはご案内しておこう。

講演を聞きたいと思ったのは、一部かもしれないがその業績に触れているからである。実際の中味でしか考え方を予測できないが、その中味には「弱者救済」の理念が詰まっていた。「福祉」という名のばらまき福祉ではない。福祉を届ける先を明言されている方でもある。今回のテーマは女性問題のようではあるが・・・参加することにした。

今月は何とか月を越せそうである。月の半ば以降波乱万丈・・・何とか一件落着のようである。
他人を頼りたい気持ちはわかるが、先ずは身内から・・・そして本人自身がその気にならなければ介護は成り立たない。
現状を「受容」して「自立」に向けて頑張って頂きたいものである。
ケアマネジャーは「心」に働きかけることは出来るが「心」を変えることは出来ない。

生活を変えるのは本人自身であり、介護者の協力である。そのサポートしか出来ないことに関して、消化不良を起こしている。
本人自身が生きようと頑張るしかないと思うのだが・・・???

初回加算  2008・10・24
初回加算算定の要件は
初回加算T:@新規に居宅サービス計画を策定した場合
        A要介護状態区分が2段階以上変更となった場合
初回加算U:初回加算Tの要件を満たしている場合であって、30日を超える入院・入所期間を経た後の退院・退所に当たって、病院・施設等と居宅サービス事業者との連携を図りつつ、居宅サービス計画を策定した場合。ただし、同一の利用者について前回の算定から6ヶ月以上を経過していること。

となっている。
先日2年ぶりに復帰(退院)された方には初回加算を算定しなかった。

先日ケアマネの会合で、初回加算はアセスメント〜ケアプランの作成〜サービス提供の開始といったプロセスに加算されるものであって、必ずしも初回Tの要件を満たしていなくても算定できるという説明があった。
MSWから連絡を受けて直ぐのことである。

2ヶ月前に2年ぶりに退院してこられた方のケースでは初回加算は算定しなかった。2年ぶりのケアプランだから契約も含め全ての手順を執っている。
今回1ヵ月半余りの入院で、全く状況の違った方を担当したので、丸っきり初回と同じ手順を踏み直した。病院との連携も勿論ある。

解釈通知では適用にならないが、行政担当者が良いと言うのだから算定してみようかと思う。介護度は1年前と同じであるが、区分変更を出している時間が無かった。半年後の更新申請では確実に介護度は変わる。この時点で加算Tの要件を満たしても加算Uは算定出来ない。
一堂に会する担当者会議は出来なかったので、退院前カンファレンス2回、個別の担当者会議を3回行っている。

初回加算Tはアセスメントから一連の手順に対する報酬だと言われるのだから請求してみることにした。
介護度が2段階変わったといって、必ずしも初回アセスメント並みの労力が必要だとは言えない。曖昧な説明ではあったが、初回以上の、状況が判っている者しか出来ないアセスメントでもあった。

1年間の空白・2年間の空白があっても、ケアプランをスムーズに動かせるのは基本的な部分が頭に入り込んでいるからだとも思う。
全く始めてのケアマネジャーが担当していれば、1ヶ月かかっても退院に結び付けることは出来なかったのかもしれない。そういう意味では医療連携がベストの形で出来たのだから、保険者担当者の言うとおり、初回加算Uを請求することにした。

もう少し動くのかもしれないが、ほぼ希望通りのプランになったようである。

超特急のケアプラン・・・完結編  2008・10・22
訪問しようと家(事務所)を出てしばらく経って電話がかかった。SOSである。10分ほどで着く事を伝え電話を切った。
行ってみると、自己導尿したけど残尿感がある・・・と言われる。もう一度導尿していただくことにした。排尿量50CC・・・病院では紙パンツで過ごしておられた。聞かなくても容態で判る。

家に帰ってパンツにされたのはそれで良いのかもしれませんが、汚したらいけないという感覚が排尿感に結び付いているのではありませんか???紙パンツを常用して「安心感」を得られたら如何ですか???
本人の自尊心への挑戦である。
緊急の相談が2件あったので、午前中に済ませて一時帰宅の病院までの送りを買って出た。この2日間の報告をするためである。

MSWに電話をしているが繋がらないので要件を済ませてからメールを打っておいた。「1時に病院に着くように、報告もありますから送っていきます・・・」と。

迎えに行くとONである。自力で車に乗って、病院駐車場から病室まで歩行で大丈夫だった。嘘のような本当の話・・・パーキンソン病のON−OFFとは「嘘のような」症状である。
病室についてしばらくしてMSWに顔を出していただけた。「???」「ご連絡を受けていましたから・・・」メールは届いていた。
それまでの間に「今日退院する・・・」という話が出ていた。本当に退院することになってしまった。

病院側の退院準備は受診日の決定と受診日までの薬の準備である。待つこと小1時間、薬が出来てきた。それまでの間電話で明日から在宅サービスがスタートできる準備・担当者会議の召集を行っていた。集ることが出来なかった事業所とは家に帰って担当者会議を済ませてからから、訪問の上個別担当者会議を開催した。
超特急は最後まで超特急であった。

先週木曜日に電話をいただいてから一週間。二転・三転・四転では足りなくて五転・六転まであった。大どんでん返しのあと、明日の眼科受診にいけないかもしれない・・・という話があった。系列病院が近くにあるから、予約取り消しの電話の際に系列病院への紹介を依頼されることを勧めた。
依頼をしてみてダメならMSWを通じて調整を図ることにした。電話でも充分に対応していただける病院でもある。

今日は少し疲労感を感じている。

超特急のケアプラン・・・その3  2008・10・21
メールで報告しておいた。
(ここから)
〇〇さん お世話になっています。今日のご報告です。

3時に訪問すると車庫の車のエンジンがかかっていました。
玄関の鍵がかかっていましたが、チャイムを押すとしばらくして鍵が開きました。とにかくエンジンを切ってくるのにキーを借りました。(何故エンジンがかかっていたかは不明ですが、充電だったのかもしれません。)

部屋へ入ると居間の隣の部屋で本人は四つん這いになっておられました。OFF状態で、帰ってから風呂に入ったが、居間の定位置に戻ることが出来なかったという状況でした。
介助で定位置に座ってもらいましたが、妻には出来ない介助です。
そこで服薬時間を確認しましたが、今日から早朝の分は6時になったのですね。
ヘルパー事業所に確認しましたが、6時30分が早朝の限度ではないかと言っていますので、ご検討いただきたいと思います。

本人の口から2階での生活は無理だという言葉が出ましたので、ご夫婦のベッドとポータブルトイレを下に下ろすことにしました。モーター部分だけは一人では無理でしたので隣の方の力を借りましたが、この方の妹さんもパーキンソン病だと言われているそうです。
生活の場を一階に移して、OFF時にはベッド上にいるようにすれば何とか生活は出来るものと思われます。
また、ベッドを利用することで完全OFFの朝一番の服薬も容易になるのではないかと思います。

ただ、今日のような四つん這いの状況で薬が必要になった場合、妻には薬を飲ませることが出来ませんのでSOSが必要かと思います。市内に私が居れば良いのですが、居ない場合にホームヘルパーの緊急時訪問(制度にはありませんが・・・)も必要なのかもしれませんね。

以上今日の状況をお伝えいたします。

明日9時に訪問した時点でのご報告は、電話でお伝えいたします。
(ここまで)

果たして朝の服薬は出来ているのであろうか???
居住環境を整え、服薬状況の確認を短時間に行うことが出来た訪問であった。
明朝の訪問は医療側の老婆心・家に帰ってから検討を重ねれば良い話である。
一時帰宅の翌日退院が濃厚になってきた。

超特急のケアプラン・・・その2  2008・10・20
土曜日の午後からケアプランの周知に走り回って、あとは退院日が決まれば対応出来る状況になっていた。
日曜日の夕方本人から電話がかかり「退院出来ない・・・」ということである。退院への自信がないのだろうから、特定疾患を対象にした療養型病床の存在が頭を過ぎった。月曜日の朝一番に病院へ行く予定を告げ電話を切った。

先ず地域医療連携室へMSWを訪ね、昨日電話があったことを告げた。診療情報提供書の依頼もあったので依頼しようとすると、先ずは本人と意向の調整を行い、診療情報に関しては病棟に依頼していただければ良いということだった。
本人の意向は主治医とMSWに仲介していただいて、もう一度話し合いた・・・ということだった。
診療情報を地域医療連携室に依頼して、退院に関しては、準備は出来ているから病院の中で調整を図っていただくこととした。

昼前にMSWから、明日の退院になったと電話が入った。急な話なので利用表・提供表を作っているところへ本人から確認の電話が入った。明日退院に迎えに行って、家に着く頃にヘルパー事業所を呼んでおいて、サービス担当者会議を開催・翌朝から服薬介助を行なうことにした。全て病院でのカンファレンスの手順に添った準備が出来た。

それから2〜3時間、急な退院になるので提供表を配りに出たところへ再度地域医療連携室から電話がかかった・・・「実は・・・一泊の一時帰宅からはじめては・・と主治医が言っているのですが・・・」提供表配布が、退院予定の電話内容を修正する訪問に変わった。
一時帰宅では在宅サービスは利用出来ないし、送迎も出来ないとMSWに告げた。1年の空白後私を指名された理由がはっきりとした。以前は通院支援も行ってきた。

サービス事業所へ入ろうとした所にMSWから電話がかかった。
妻に朝の服薬時間を告げていただき、服薬の確認をしていただけないかということである。これならケアマネジャーが関わる必要がある内容であろう。明後日状況を報告することとして、快諾して電話を切った。その結果を病院内で検討されて退院が決まる。
緊急性があるからと超特急でプランを準備したが、二転三転・・・四転までもあって、病院側の内部のネットワークを疑う結果になってしまった。

決定事項を外部へ出す時には充分に気を付けていただきたい。それが組織の品位である。

超特急のケアプラン  2008・10・18
木曜日夕方MSWから電話がかかった。「あなたの担当しておられる方からの相談です・・・」と・・・。検査入院しておられる方があるので当然その方かと思ったが、電話を替わった方の声で誰かが判った。ちょうど1年前、電極手術の結果と投薬内容が合って、ほぼ自立に近い状態になり、私の元を去って行った方である。
金曜日には予定が立て込んでいたので、土曜日に訪問する旨伝えると、MSWが休みだと言われる。切羽詰った状況を感じ、翌日訪問することにした。

病室を訪問するとOFF状態で薬を飲ませてもらっておられるところだった。利き始めるのに約30分かかるということで、主治医を交えて退院前カンファレンスを開いていただけた。非常にスムーズな対応である。その間本人から「担当してもらえますか???」との投げかけがあった。

カンファレンスで話を聞いてみると電話があった日が退院予定日だったと言われる。退院準備が出来ていないので呼ばれた訳だが、私自身限度件数に達している。緊急性のあるケースだったのでお受けすることにはしたが、減算が目の前に見える担当件数になってしまった。数日前に予防から介護に変更になった方もある。

とにかく朝一番の投薬介助ヘルパーとデイケア・訪問看護を準備することになったが、デイケア・訪問看護は何とかなるにしても早朝のヘルパーが見つかるのか心配な点もあった。走りながら電話で3ヶ所のヘルパーステーションに検討を依頼した。勿論交通違反である。
デイケアに関しては中断した理由もあるのでMSWから連絡をとっていただくことにしておいた。電話をかけながら直行した先はデイケア担当者だが、何とか検討していただけるようである。医療連携は二重の効果を生んでいた。

一夜明けて土曜日の早朝、立て続けに電話がかかった。「ヘルパーOK」と「来週金曜日にデイケアで状態を確認してから2日目の利用日を決めたい」という内容である。これでプランは書ける。午前中かかってプランを仕上げた。午後からはじめての事業所へ関係書類を届けたが、もう家の下見に行ってこられたということ。まことに行動が早い。

ということで話が舞い込んでから2日未満。相談から丸一日でプランが出来上がった。
週明け早々退院になるが、本当はネットワークのケアマネに依頼しようと思っていたケースである。急な相談があっても良いように・・・誰かを代わりに居宅変更しなければいけないのか・・・

新規をネットワークで担当してもらうことにして、困難事例が出た時点で考えることにした。

厚生労働省の調査・・・調査をバカに・・・  2008・10・16
厚生労働省から調査に答えたお礼の文書が届いた。そこまでは良いが、お役人は常識が無い。お礼状は調査・アンケート結果が届いてから発送するものである。

何と、調査票を提出していない事業所にも確認の意味で出しておられるという・・・これぞ行政の怠慢・・・提出したお礼と提出依頼と同じ文書とは何たる侮辱であろうか・・・今一番姿勢を正さなければいけないのは厚生労働省なのかもしれない。

ついでだから書くが、介護保険行政は地方も含めて狂っている。

難病患者の重度化  2008・10・14
大脳基底核変性症・パーキンソン病・多系統萎縮症と大脳・中脳・小脳を患っている方々を担当しているが、初期段階では神経内科医にも厳密な区別は難しいようである。
薬に関しても「これは・・・」というものが無く、パーキンソン病系の投薬がなされている。
関わっている間に気を付けなければいけない部分が見えてくるが、小脳(脊髄)系の方は排便・排尿障害が起きることが多い。
大脳では運動機能が著しく低下するし、パーキンソン病は運動を司る伝達物質に問題がある。投薬でドーパミンが放出されている間は動くことが出来る。

3年前要支援だった方が、今回の認定では4又は5が出るであろう。2年前要介護3だった方も更新では4又は5になるであろう。要介護2で肩脱臼で手術を受けられた方も3ぐらいのレベルになってしまった。この方に関してはリハビリも途中なのでもうしばらく様子を見た方が良いようにも思っている。

進行する難病を抱え順次ADLが低下していくが、生活ということに関しては介護環境が大きく左右する。家族介護力や福祉用具を有効に使って生活を整えていく必要があるが、ケアマネジャーとして出来ることはその介護環境を整えることであろうか???良い家族関係を作らなければ生活が破綻してしまうだろう。
どのような形が良いのかは本人が一番良くご存知である。介護度こそ低いが一番心配だった方の家族関係も何とか修復出来たようである。

通所の追加を促すような言葉もあったのでサービス量の増大にむけて調整を図ってみることにした。先ずは週に一日通所日を増やすことから始めるが、出来ればリハのほうが良いようにも思う。

白エビ丼・・・100円  2008・10・12
この広告に会場へ出向かれた方は多い。我が家はテレビ放映で知った。
隣市の町興しのイベントだが、会場が「道の駅」である。
午前中一件久しぶりに特養入所中の夫との面会に同行する約束があったが、そのあともう一件欲張った。生憎外出中だったので「後日・・・」ということでチビッコギャングの家族が待つ我が家へ向かった。

書類等家に投げ込み会場に向かったが、高架橋の側道への分岐点位から車は渋滞していた。「白エビ丼100円では人は集るよね・・・」と何時もに増して(?)気長に行列の列に入った。
チビッコギャング家族には遊園地で時間をつぶすように言うが、気になるらしく時々顔を見せる。私は妻と手分けして、丼・・うどん・そばの列に並ぶ。3〜40分経ったことだろうか???うどん・そばも「白エビ天」だという情報が入った。「どちらにする〜〜〜」ということで、うどん・そばを選んで私は行列の列を離れた。

食堂の入り口に入った頃、携帯電話で孫家族を呼んだ(孫が主体のところが面白い)。全員集合したので手の空いた孫も含めた男性陣は場所取りに走った。場所を確保して、テーブルに首が乗りそうな孫を心配していたところへ近くのご婦人から声がかかった。「これ使われたら如何ですか???」子供用の椅子があった。上機嫌の孫は準備したコップ1杯の水を飲み干した。一気ではなかったが、チビリチビリでもなかった。

白エビ天うどんは半分くらい・・・白エビのヒゲが喉につかえたらしい。しかし白エビは嫌いでなかった・・・と言うかもっと好きなものがあった。
・・・食事後売店で試食用の「白エビチップ」と「ホタルイカチップ」が並んで置いてあった。白エビの方があっさり味なのだが、何故か「ホタルイカチップ」が好きなようである。安全モニターカメラの真ん前だが、5〜6回は試食品を取りに行ったであろうか???ここまでくれば「試食」ではない。
結果買ったものは「白エビチップ」だった。

大人はあっさり味の「白エビチップ」だが、孫の口には塩味の利いた「ホタルイカチップ」の方が良かったのだろう。実はこの味・・・ビールの肴にピッタリである。もしかして・・・将来遺伝が表面化するのかもしれない。
そういう不安(?)も抱えて、チビッコギャング家族と楽しい一時を過ごした。
帰り道カーテンレールを3本買って・・・3週間後に迫った転居の準備は順調に進んでいる。

ゼロからはじめて5年間・・・  2008・10・11
受験も含めての5年間だから気長な話である。
当時地域で活躍していた方が「3年で何とか採算が取れるようになれば良いのだが・・・」と言って独立した。
受験準備から開業まで9ヶ月間をみたが、開業してからも時間があったので何とか何時相談があっても良い準備は出来ていた。

そのような経緯の中で、日本の介護保険法の致命的な欠陥も目にしている。公正・中立を目指す・・・ハズの介護保険法がケアマネジメントの部分で汚れ切っていた。介護保険法の入り口が汚れているのだから致命的である。
汚していたのは行政ラインと言えば良いのか・・・天下りに関わる行政構造であった。誠に情けなく思った。

天下りと言えども社会福祉法人等事業所に関われば、その事業の経営を先ず優先して考えられる。社会構造は二の次である。その結果、行政の持つ被保険者情報を囲い込む結果になった。それに加担したのが行政、即ち保険者である。
先ず公的な会議のメンバーにそのことを見ることが出来る。御前会議とでも言おうか・・・介護保険法を行政の都合の良い方向へ導くメンバーの会議が多くなった。措置時代の延長である。
ここに行政自身が公正でない現状がある。

必要なことは必要な時点で言ってきたが、介護保険法への構造改革を理解出来ない行政担当者はいまだに措置の延長的な感覚しか持っていない。その感覚が残念である。
行政に関わりが有ろうが無かろうが、指定を受けた事業者は皆同列なのである。このことがお解かりになっていない。先ず(組織)運営が閉鎖的である。もう如何でも良いことだが・・・。

ゼロからはじめて5年間・・・今、行政ラインから差別を受けていたグループがあるが、そのグループをまとめ、足並みを揃えることが出来ないかと考えている。行政ラインで作り固めた拠点施設よりも充実した地域の拠点施設を作ることによって、コミュニティーソーシャルワークが目に見えてくる。自由なグループで要の利いたソーシャルワークが行えるのであるから、正にコミュニティーに入り込んだ活動になる。

『ボランチ型在宅介護支援センター』とは拠点は一つなのかもしれないが、地域に有機的に入り込んでいく・・・その活動力を総称している。
一昔前の少女漫画のような大きな看板が、市内をそして県内を見渡している。

介護保険制度の核はケアマネ!  2008・10・10
厚労省老健局担当官のインタビュー内容がページになっていた。
無断だがHPに掲載したのでご参照頂きたい。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/kakuhakeamane.htm

日頃書き綴っている内容にも触れておられるが、ケアマネジャーはもっと進化しなければいけない。御用聞きケアマネは必要ないであろうし、施設管理者の顔色を見ているのなら出て来ていただきたい。
それが可能になりそうな報酬改定が検討されているようである。

身震いがするような記事であった。

予想通りの認定結果  2008・10・10
1年前の認定審査会の出した認定結果に疑義を持っていたが、あえて不服申し立てはしなかった。主治医意見書には認知症が明記されてあった。ただ、その他の精神疾患に関してはその欄には書き込まれていなかったが、明記してあった。
包括担当者とは先日今回は「介護」だよ・・・。と意見交換をしている。ADLがかなり低下して来ていた。

先日訪問してみると、立ち上がりが不自由だということでベッドが入れられていた。少し高いので危険なベッドなのだが、心配したとおり2度ほど転落をしておられるという。介護用ベッドの使用を提案する必要がありそうである。入れるベッドは一モーター高さ固定の背上げ用ベッドである。高さ変動は危険な方なので、事業者も絞られてくる。

通所サービスも増やした方が良いだろうと、事業者に利用可能か問い合わせをしている。利用出来るということなので、提案するプラン内容は決まった。あとは本人・主介護者とのすり合わせである。
通常腹案を持って相談に臨むが、大方この方向で決まるだろう。何年間か付き合って来ているので返ってくる答えも概ね見当が付く。
大風呂敷とまではいかないが、最小限必要なサービスは盛り込んだ。

商店を営んでおられるが、サラリーマンとは生活時間が違う。その違う時間に合わせるために、早目の夕方に訪問の約束をした。

通院日とサービス調整  2008・10・10
デイサービスによってはかなり幅を持たせていただけるところもある。
希望通りの利用日に調整をしていったら受診日に重なる日が出てきた。先月、前後で利用出来る日はないか聞いてみると、快く変更していただけた。
その変更日にデイサービスを訪問して来月の受診日を聞いてみた。4週間後である。
デイサービス職員に、受診日の前後で利用可能な日を聞いてみた。即答で同じ曜日に変更することになった。

年末に向けて転居が予定されているが、転居後のサービスに対しても利用予定施設に問いかけがしてある。一件問い合わせがあったが、家族構成が変わるのでショートステイは必要なくなっている。そのことを伝えるのを忘れていたので問い合わせがあった。申し訳ないことをした。

年内に転居出来れば更新は必要無いのだが、微妙なところのようである。
仮に更新申請をしておいても、現認定期間内に転居になれば来年度からの認定が宙に浮いてしまう。転居の時期と認定期間が同じ頃になってしまった。
とにかく完工予定時期を聞いておいていただくことにした。

そういう時期に交通事故で入院になったとか・・・軽微な怪我だったようで一週間位の入院で退院してこられたが、人生で事を起こすときには何かが起きるものである。そういった困難な中、人生は厚みを増す。
年内に転居出来るかが大きなキーポイントになっている。

ちびっ子ギャングがやって来る!!!  2008・10・8
家族が増えるので初夏の頃から家財の整理や住宅改修も行ってきたが、愈々日程に乗った。残る処分品は大型冷蔵庫と台所テーブルだけになっている。あとは貰い手のある電化製品が何点か・・・大型冷蔵庫は何処も引き取り手がなかった。
処分は電気屋でなければ出来ないので、馴染みの家電屋と日程調整も終わった。電化製品が大型化しているが、大型のものは処分に困る。特に10年を過ぎた冷蔵庫などはリサイクルショップも見向きもしない。まだ使えるのに・・・とは年をとったせいなのだろう。

「やって来る」といっても突然ではない。誕生から2年間、平日の半分は我が家で暮らしていたからもう家族も同然、違和感はない。ただ心配なことがある。
ある日インターネットでアンパンマンのページを紹介した。キャラクターのプリントも沢山持っている。昨日その束を持ってきたので聞いてみた。「〇〇チャン如何してた・・・」と。上手にそのしぐさを真似て笑いを買っている。

「ケアマネジャーは事務所に仕事はない・・・」とは言ってみたが、パソコンを使った最小限の仕事はある。ゆっくりと座っているときは急ぎの仕事がある時である。その時にはかまってやれないが、本人にはその区別は付かない。事務仕事の時間調整も必要になってくるのかもしれない。

今月も慌しい月末と月初めが予想される。そういった中患者会の集まりと日程が合ってしまったが、運送屋さんにお任せすることにしよう。半日だけは空けることにした。

自己作成に寛大な保険者  2008・10・7
訪問看護ステーションから緊急に訪問する必要が出てきたと電話がかかった。先月から自己作成支援を行っている方だが、4年間関わって一度もこのようなことはなかった。
電話ではあったが、今後のことも考えて緊急時加算を付けておいていただく必要も・・・。ということだったが、とにかく訪問して結果を聞かせていただくことにしておいた。

夕方電話で報告をいただいて、昨晩から悪寒が来てそれが原因で外れたのかもしれない・・・ということだった。高齢でもあるし、長い間専属看護師を勤めてきた妻の病状も思わしくない。何時でも訪問出来るようにしておいたほうが良いのではないか・・・という見解だった。

市へ自己作成担当者を訪ねると外出中だということで一回り時間をつぶすことにした。一回りと言っても訪問看護ステーションへ担当看護師を訪ねた。
自己作成だから記録を持たないので、プランに緊急時訪問を明記して利用表・提供表を書き直さなければいけないと思うが・・・と担当者との話の方向性をお話しておいた。

30分ほどして市へ戻るとまだ帰って来ておられなかったので「それじゃ明朝・・・」と帰ろうとすると帰って来られた。
昨晩からの事情をお話して、書類上は如何しましょうか???と問いかけると、利用表に緊急時追加利用があるかもしれないことを明記しておいて貰えれば良い・・・ということだった。

話を要約すれば、本人の申し立てでサービスを利用されるのであるから、緊急時には状況に合わせて追加利用していただいて良いですよ・・・ということになるのであろうか。
事務所に帰って最小限の変更書類を作成するのに10分もかからなかった。
今日、変更になった内容をお話しに行って来るが、末永く元気にしていていただきたい方でもある。

考え方が斬新で年を感じさせない方でもあり、人生の大先輩としてその生き方を見習いたいと思っている。今もなお勉強継続中の方でもある。

ケアマネジメントと契約  2008・10・6
介護保険法が施行されてから自由競争でサービスの質の良い事業者が選ばれることになった。介護保険法の入り口であるケアマネジメントにおいても例外ではない。
それではケアマネジメントの質とは???どの時点で契約を結ぶのかが問題になってくると思う。契約は商品を見てからというのが通常の社会契約であろう。ケアマネジメントの商品とは言うまでもなくケアプランであろう。

ケアマネジャーと利用者の出会いから契約までのプロセスを考えてみると、相談→サービス調整→ケアプランへの合意という手順が必要かと思う。即ちケアプランに合意していただいてから契約→居宅届け→ケアマネジメントのスタートということになろうかと思う。ただ、相談→ケアプランが出来るまでのプロセスにおいて、ケアマネジメントの依頼があった事実だけは残しておく必要があろうかと思う。私はその時点から効力を発する「相談申込書」をいただいている。

今年から当市でスタートしている初回ケアプランチェック事業はこのプロセスにも合致している。居宅届けを提出する時に、アセスメント表・1〜3表・担当者会議記録を添付して届けを出すことになる。認定が出ていない場合には暫定ケアプランを提出することになるが、これも理に適っているであろう。ただ契約のタイミングが問題になる。

相談の時点で契約を結んでいたとすれば、商品を見ないで契約することになるから極端な言い方をすれば詐欺まがいの手順である。後程問題が起きたときのためにも、この手順は避けなければいけない。
ということで、契約書に準じたケアマネジメント実施要綱を明記した申込書を作られることも、ケアマネジャー自身の身を守るために必要ではないかと思う。

ケアマネジャー側から契約を解消するケースもあることを明記した申込書である。

肩の筋肉が衰えると痛みが???  2008・10・5
昨年末ぐらいから肩に痛みがあったが、最近その痛みも和らいできた。
痛みが和らいだ変りに極端に筋肉が落ちたように感じる。痛みとの因果関係はあるのだろうか???

学生時代は万能スポーツマンとして各分野のスポーツに関わった。メインは体操競技と陸上競技だったが、体操競技には身体が大きく(重く)、陸上・投てき競技には身体が小さかった。そういう訳だから筋肉・特に肩の筋肉は盛り上がっていた。

年と共に筋肉は衰えるが、3年余り前に住民ソフトボールに誘われてセカンドを守っていた。セカンドゴロでホームまでボールが届かなくて笑ったことがある。
最近はスポーツからも離れて、指先の運動だけは毎日行っているが、目に見えて筋肉の衰えを感じている。

ケアマネジャーにはパソコンを打つ筋力が残っていれば良いし、通常の会話が出来れば良い。目的地まで行く行動力と中立の立場での判断力が残っていれば良い。誰にでも出来そうな業務内容だが現実はそうではないようである。

肩の痛みから始まった、筋骨隆々とした元ボディービルマンの病気は難病だった。しかし現在も筋肉は残っている。衰える筋肉と衰えない筋肉とでは鍛え方が違っていたのであろう。
肩の痛みに関して難病が頭を過ぎったこともあるが、その期間は過ぎ去った。大丈夫だったようである。
最近はパソコンから来る腱鞘炎位に思うことにした。

痛みが軽くなったことは良いことなのだろう・・・。

ショートステイ一泊延長に関する心の動き  2008・10・4
午前中の約束でスキー場で開催されているコスモス祭りの会場の方向へ車を走らせた。目的は近くで行われている、孫のお気に入りの皿を焼いてくれた陶芸家の仲間三人で開催する「三人展」の会場である。皮工芸・絵画・陶芸の即売も行われていた。
お土産にひょうたんを模した一輪挿を買ってきた。

コスモス祭りの会場へは昼食の予定で立ち寄ったが、そこで電話が鳴った。ショートステイの延長を申し入れてこられたが、ルール違反だと言う。山間で電話も途切れ途切れだったので後程対応することにして電話を切った。
電波の良い所まで来てから家族に内容をお聞きした。ショートステイの延長はついでに出た話であった。

夫の体調が思わしくないことは聞いていたが詳しくは聞いていなかった。私の耳に入れないつもりだったと言われるが、その捌け口の話からショートステイ延長の話に至ったようである。延長希望の日に入院になると言われる。
主治医からの話は来週末に帰った時でも良いのではないかと夫は言っているのだが・・・ということだが、出来れば入院時にその時間を持てないかと思っておられる。一日延長してもその時間は無いのだが、それで気が済んだようでもある。

調整も終わり事務所に帰ると実績の山になっていた。
通常は四日がピークなのだが、土曜日の事もあり一日早回ったようである。予防プランの実績も揃ったので包括を訪問してから、給付管理を始めた。残すところ二ヶ所の事業所からの実績を待つだけになった。

看護サマリーが出た訳・・・  2008・10・2
火傷の方を迎えに行ったら、主治医(かかりつけ医)への申し送り書と一緒に「看護サマリー」が名指しで準備されていた・・・「???」請求していないのに・・・と思ったが、拒否する理由は無いので貰って来た。開封してみると重要なことが書かれていた。血糖値が高くて一時的にインスリンで対応しておられる・・・それにしても何故名指しでサマリーが出てきたのか判らなかった。

せっかく貰った医療情報だから関係機関に配布することにした。途中かかりつけ医へ通院されるということで、介護タクシーの手配まではしたが帰りのタクシーまで時間がある。そこで関係機関にコピーを届けた。
何も言わなくても出てきた理由が判った。訪問看護ステーション管理者が昨日訪問して「サマリー〇〇さんに出しといてね・・・・・」と言って来られたそうである。鶴の一声・・・サマリーが出てきた状況を納得した。

次に訪問した先はデイサービスセンターだが、看護師さんを呼び出してもらったら、若い相談員と一緒に・・・初対面だが私よりも高齢(?)の看護師さんに来ていただけた。サマリーを声を上げて読んでいただき、糖尿病に関しては「可笑しい・・・」と思っておられたそうである。サマリーで納得され、明日からの処置をお願いする。ここにも良いスタッフがいた。
あとは訪問介護で薬をぬれば良いのだが、少しだけ傷が残っているようなので、傷バンで良いとは言われて来たが、傷バンの大きさをヘルパーに確認してもらうことにした。ここにもベテランの方がおられた。

ケアマネジャーは極端な話何も知らなくても良い。医療的な観点が必要なら各サービスの医療職に対応していただける。
ケアマネジャーの本来の仕事は、そのチームを如何まとめていくかということである。今回は隠れた専門職の存在もあり、助けられる結果になった。

入院者が続々在宅へ・・・。2008・10・1
8月に2年ぶりに在宅復帰された方を皮切りに入退院の入れ代わりが激しかった。この期間に入退院されたのは計7名、その内6名が全て在宅へ帰られる。お一人はロングショートの方で月に1〜2回家に帰られる方だから数に入れないが、給付管理は継続している。
限度いっぱいの担当数なのだが、その数は揺れ動いた。

夏場の変動は毎年のことだが、秋にかけては例年忙しい日々を送っている。ケースの受け皿は準備出来たので、「いらっしゃ〜〜〜い・・・」といったところだろうか?インテーク後最も相応しいケアマネにバトンタッチをすることになるが、プランの基礎作りだけはお手伝いしなければいけないと思っている。困難事例ならケース交流も出てくる。

今年に入ってケースの動きが鈍いように感じている。近隣からはスムーズに入ってくるのだが市内が可笑しい。
癌のターミナルのケースが地域包括へ回っていた実態もあったが、理念の低い関係者が増えたのかも知れない。「地域包括」と「在宅介護支援センターという名の居宅介護支援事業所」の二枚名簿を示して、「お宅の地区担当はここです・・・」と未だにやっているのかもしれない。勿論初回認定調査は保険者調査である。

「選択の自由を保障する・・・」と2年間ブログも書いてきたが、現在の介護保険界で一番の問題点はこの行政の持つ被保険者情報が適正に扱われていないことである。
地域包括の職員体制を見ても入れ替わりも激しくなかなか定着しない。地域に根ざした包括の誕生を心待ちにしているのだが、ほんの一言でその実態が伝わってくることもある。
地域で苦戦している法人をまとめていけないかとは考えているが、これが何を意味するのかはご想像に任せることにする。

面白いことがおきそうな予感を胸に・・・衣替えした。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

介護保険の正常化に専門誌・紙も必至・・・  2008・9・29
久しぶりに電話をいただけた。業界の事情が判っておられるから話も早い。軽快な電話応対で日々ブログ(掲示板)に書いているような内容をお話した。
今回の電話取材は独立ケアマネの意識調査だったのかもしれないが、次期報酬改定の方向性に関する情報収集だったのかも知れない。日々情報発信しているような内容を伝えた。

現状からは民間に入った被保険者情報は民間で対応する方向で進んでいること。行政にはある出来事からものを言わないことにしたこと。ケース交流から民間での団結の方向性として協業組合を睨んでいること。自ら困難事例は解決していく方向で進んでいること・・・などなど。現状でのお話をしておいた。

ケアマネジメント報酬に関しては、施設ケアマネの担当件数が減らされる方向性が出ていることから、ケアマネジャーの担当件数も減らして、それで給料が払える方向へ進んでもらいたいものだと伝えておいた。そのことで囲い込みもなくなるだろうし、本来のケアマネジャーの独立性も担保出来るのではないか・・・と。
そして一人ひとりのケアマネジャーの理念が一番問題ではないかとも伝えておいた。

日本協会の都道府県支部は勿論のこと、保険者単位での支部が出来ることを期待して組織委員として参画していることなど・・・筋書きとしての必要事項も伝えておいた。
今求められるのは、独立したケアマネが如何か・・・という問題ではない。ケアマネジャーに求められた「独立性」の確保を如何していくかという問題である。

答えは一つ「理念」の問題である。
「理念」高きケアマネジャーが胸を張って仕事が出来る背景を作っていく必要性を感じる。

ケアマネジメントは文章ではない!!!  2008・9・29
今回複雑な日程調整になったが、結果何箇所かの事業所を日程的につなぐことになった。ここで看護・介護の申し送りが必要になってきた。
最低限提供表に書き込める内容は書き込んだが、日々の介護・看護に関しては連絡帳と排便チェック表を活用することにした。その要だけを提供表に表した。
基本となる記録があれば申し送りもスムーズに行くだろうし、そのつなぎ部分をケアマネが担当することにした。後は各専門職・プロにお任せすることにした。

記録の重要性は判っておられる方々なので、ポイントだけは伝わるようにしておけば看護・介護もスムーズに行く。人の身体で問題が起きる介護のポイントは食事と排泄である。
今回追加した排便チェック表は、それだけでも介護記録になる詳細なものであった。この先3ヶ月で介護の体制が変わるかもしれない重要な時期なので、ショートステイを活用することになった。

帰ってから認定期間中の利用日数を計算してみたが、残る9ヶ月で、週3日のショートステイ+12日間が限度である。この限度日数だけを伝えておいた。
年末までの3ヶ月間集中的に利用して主介護者の身体を軽くする計画をしたが、予定通りに利用するかは「選択」である。長い目で見て介護方法を選んでいただきたい。

何とか目的通りに進んでいただきたいものである。

Re: 介護って儲かるよね  2008・9・26
kaikaigogokaikaiketin さん
age_ue_agare さん、議論が盛り上がっていますね。
約13年前の平成7年末まで在宅介護支援センターソーシャルワーカーでしたが、その時の給料が700に手が届くかな???といったところでした。(これを聞いたら全国の真のソーシャルワーカーは怒られるでしょうね・・・)
現在独立開業をしていますが、ケアマネジメント報酬の最高額を弾き出していただければ判ると思いますが、500に手が届くか如何かです。こんな事業は他業種を見ても無いですね。

そういった私の福祉人生を語ってきました。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2jixyouetukouennkai.htm

行政ラインからは煙たがられ、民間事業者からは求められる日々ですが・・・本当に行政ラインと民間の対立構造を作り上げるかもしれません。そのような爆弾状態です。

期は熟しているのかもしれません。

火傷の入院  2008・9・25
両下肢に作りたてのラーメンをかぶって皮膚科受診の結果、一人暮らしでもあり通院治療が大変だろうと入院になった。一週間から10日間ということで開業医から頼んでもらったが、ほぼ全快に近い状態まで入院治療をしていただけるようである。
退院日の連絡が今日あったが、包括支払方式―DPC―の入院日数を調べてみると、ドンピシャリ17日間の入院になった。これ以上入院すると入院単価が下がる。

退院後かかりつけ医を受診したいということで、かかりつけ医までは病院にいるタクシーを使うことにする。時々の通院だから乗降介助は付けていない。何とか受診が終わった時間に介護タクシーが準備出来るということで、引き続き訪問介護員に早代わりしていただくことにした。
翌日からは従来通りの支援を行っていくこととして、各サービス事業所に電話連絡をした。

来月の提供表を作ってからの入院になったが、1週間から10日間の入院依頼から、限度日数いっぱいの入院になったので月をまたいでしまった。しかし完治に近い状態で退院されるので、薬を塗ること位ならヘルパーでも出来るということ。先ずは良い入院期間だったのかもしれない。

一ヶ所だけ提供表を届けてあったが、書類の差し替えも最小限で終わった。
今後は包括支払方式―DPC―入院日数である程度退院日が予測される。2年前の資料だが、良い資料をいただいた。

私に何かあったら・・・。  2008・9・24
一人暮し・老人世帯・老々介護など、老人だけの世帯が随分増えている。遠方に子はいるが、帰ってくる予定のない方もある。そういった背景の中、「私に何かあったら・・・そのときのために施設に慣れておいて欲しい・・・」とショートステイの計画利用が始まった。名目は妻の休養ということにしておいた。
空きベッドがある時で良いから、月に1回3〜4日の計画(?)利用である。

担当件数の約三分の一に一人暮らしも含め、高齢者のみの家庭が見られるが、近くに子が住んでいて心配のない家庭もあるが、何時何が起こるかわからない家庭もある。本人の介護以上に心配な状況もある。
核家族化した今、状況が変われば大変なことになる家庭も多いことかと思う。

老々介護が限界に来ている家庭では入所申し込みも済んでいる。決して入所事情は良くないことは伝えてあるが、果たして入所まで本人が持つのであろうか?
隣町では、タイミングが良ければ入所も早いと聞いている。申し込みから面接まで、非常にスムーズにいったケースがある。しかし隣町では面接もまだだと聞く。やはり「わが町の資源」という意識はあるのだろう。

住民票の上ではそうではなかったのだが、我が家も高齢者世帯に近付いていた。そういう我が家へちびっ子ギャングがやってくる。
仕事も手に付かない日々が続くのかもしれないが・・・。

利用者も重度化  2008・9・23
開業から4年半、利用者も重度化してしまった。
ケアマネジャーの腕が悪いこともあるのだろうが、開業から2年間の利用者も重度化している。最近は主に重度で困難事例を好んで受けているから良いのだが、最初の2年間の利用者を重度化させたことはケアマネの責任でもある。重度化の原因は難病と認知症である。

特定疾病と難病・認知症で約半数、残りの方々はそれなりに問題は抱えておられるが、特に問題の無いケースである。
「介護問題」を看板に掲げているが、家族間に問題のあるケースは現在は一件を除いては無い。避けて通るのか、マネジメントの中で問題が解決してしまっているのかもしれない。人の好き嫌いを別にすれば、誰に担当して頂いても良いようなケースばかりなのだが、実際は判らない。

担当件数がアップ・アップの状態なのだが、独立ケアマネに流れるケースを確保していきたいと思っている。相談に対して簡単に状況を確認させていただいて、問題の無いケースはネットワークで担当していただこうとも思っている。
もう少し時間のかかる問題なのだろうが、民間系居宅をネットワークでまとめていく方向性も考えている。行政ラインがその姿勢を改めない限り本当に実施するかもしれない。地域福祉向上のためには少し手荒な方法を執るかもしれない。

開業から4年を前後してその実践が可能な背景が整った。
今日も「会議室」でメールをチェックして来たが、必要以上に大きな看板「一昔前の少女漫画の目」が地域を見下ろしている。
愈々その時が来たのかも知れない。

通所・通院リハビリの併用(2)  2008・9・22
地域医療連携室にMSWを訪ねた。館内だということで、「探してもらえますか・・・」とお願いしている所へ怪訝そうな顔をして彼が現れた。
「包括支払方式の勉強会の時にお話していた入院日数は、実はお宅の・・・」と話を切り出したが、今リハビリ課長とやりあってきた所なので・・・本人が来られるなら本人の口から依頼された方が良いでしょう」ということであった。
一応、必要があれば一ヶ月の併用は可能だという通達を確認していただいた。PTは男性でしたか?女性でしたか?の確認で誰かはお解かりになられたようである。

リハビリ室で受診されたかを確認してから、玄関へ出てみた。病院へ向かっている・・・ハズの本人の携帯電話に電話するが出られない。しばらく玄関で待ってみるが来られないのでリハビリ室へ戻ろうと地域医療連携室の入り口を覘いてみると来ておられた。状況をお話しながらリハビリ室へ行って受付を済ませた。
担当PTの関わりから、ほんの短時間だったが内容が伝わっている実感があった。家族は一ヶ月も通えるかどうかわからないと言われるが、とにかく一ヶ月の医療リハビリは準備出来た。

デイケアへの申し送り書は今週末になるので、1回は従来のリハビリを行っていただくこととして、来週からは肩のリハビリもデイケアで併用できることになった。
医療・介護の連携・・・今回はケアマネジャーからの指摘で実現出来たようである。

この情報はインターネット検索サイトからの情報である。
一歩々々改善を図っていかなければいけないが、医療保険改革・介護保険改革に着いていく為には、インターネットも有効な武器になる。そして、その積み重ねが地域改革にもつながるものと思う。
MSWがリハビリ室との直接的な仲介を拒んだ理由は内部改革だった。内容は知らないが、助っ人を出したような形になったのかもしれない。

社会福祉士さんはこういう所でも闘っておられることを、改めて実感させていただけた一日であった。

通所・通院リハビリの併用  2008・9・22
リハビリに関してここ数年、これだけまでに揺れ動いているとは知らなかった。原則、期間を経て通所リハビリに変更されていくということだが、特定疾患で併用をしておられる方もある。リハビリ期間の捉え方なのだろうか???医療リハビリが終了しないまま退院された方に関して、少し調べてみた。

先ず医療リハビリが途中の段階で退院日程に乗っている。
これに関しては、先日包括支払方式の入院日数から納得させられるものがあった。かと言ってリハビリは終わっていないのだから、通院リハビリを受けることが出来る・・・だろうことは、特定疾患でもあり、リハビリ室で確認してきている。

ところが退院されて訪問してみると、後は通所リハビリでリハビリを受けて下さい・・・ということだったらしい。医師の紹介状もリハビリの申し送り書も依頼してあったが、貰えなかったということだった。
通所リハビリへサービスの再開を依頼に行くと、デイケア担当者は土曜日で休みだったのが、併用は出来ないと言われる。月曜日に返事がいただけるが、病院・デイケアの調整が必要である。
家族はリハビリ通院の準備をしておられるし、地域医療連携室を通じて、両リハビリ機関との調整を図ることにした。

特定疾患の話は別として色々調べてみると、医療から介護へスムーズに移行するために、今年の3月に解釈通知が出ている。1ヶ月に限り併用は認められている。1ヶ月あれば充分である。腕の内旋リハビリしかして来られなかったが、術後6週間を越えた時点で外旋リハビリを行えるということだった。退院日が丁度包括支払方式の関係から術後6週間目での退院になってしまった。

1ヶ月に限り併用出来るということなので、この資料をプリントした。
朝一番に保険者に書類を提出して、その足で地域医療連携室を訪問することにした。先日の包括支払方式の勉強会で、退院日程の意味がわかった・・・と彼と話をしていた。まさか自分の病院でおこっていることだとは、本人の知らないところである。

自分の下肢筋肉を眺めての雑感・・・・  2008・9・20
下肢が劣り出したことには気付いていた。しかし目に見える兆候を発見した。

夏場はパジャマ代わりに「短パン」をはいている。パジャマのまま「運動会」に出ても良い格好で夏場を過ごすが、何気なく下肢に目をやった。膝関節の内側の大腿骨(大腿筋?)部分にくぼみがある・・・何時からあったのだろうか???少し気になった。

若い頃鍛えた筋肉は何とか維持している。5年ぐらい前にソフトボールでセカンドからホームへの返球が届かなかったことがある。肩に力が入らない・・・という状態なのであろうか???とにかく体力の衰えに笑ったことがある。しかし今日は深刻である。明らかに筋力・筋肉(量)が低下している。

住民運動会が開催されるが、そろそろ宴会係(昔そうだったが・・・)から接待を受ける側に入ったのかもしれない。

専門研修課程U終了  2008・9・20
来年でも良かったのだが、1年早く研修を受けた。更新の書類は揃ったが手続きは来年度でなければ出来ない。何がおこっても良いように、余裕を持って準備を進めた。

講師は措置から介護保険への流れを知っている方だから、ケアマネジメント機関に関しての論議もご存知である。在宅介護支援センターの本来の姿もご存知の方だから、思考の角度が同じである。講義資料にさっと目を通して、講義の方向性を読み取った。
ニーズの発見からモニタリングに至るまで、プロセスにおいての視点に共通するものを読み取った。
実務研修で使った内容だと言われるが、チョッと高度である。日々の作業を振り返りながら、ケアマネジメント手順を振り返る良い機会であった。

休憩中に喫煙室で同席することになったので、「実務研修で使っているの???」と聞いてみた。同席したベテランの口から、「本筋を判っているのがどれ位いるかな???」と・・・。
一応、日々の業務を振り返る良い機会だということをお伝えしておいた。

講義資料の中に双方向のモニタリングの内容があった。
その道具として「サービス提供一覧表」を準備してあるが、最近おろそかになって来ている。時間が無いということが原因なのだが、中央での担当件数に関する話題なども聞いてみた。
「居宅としては出ていないが、施設側から50件の話が出ているからね・・・」と・・・。

ケアマネジメント報酬が安いことから囲いこみも起こるのであろうが、ケアマネの地位を高めるためにも理念あふれるケアマネジャーが増えてくれれば良い。この角度からは合意を得ているのだが、進む道が違うだけである。
何時の日にか一緒に仕事をするだろう彼とは、日々、近くも遠くもない関係を保っている。
約13年前、宴席で夢を語っていた青年がいた。

包括支払方式―DPC―  2008・9・19
県MSW協会支部勉強会で包括支払方式がテーマになった。
入院医療費の計算方法の変更であり、従来の出来高払いから、病気の種類・手術(処置)・合併する病気の有無などによって病気を分類している。その分類に分類ごとに一日あたりの包括診療部分の医療費が決められ、また入院日数も決まってくる。

2年前から取り組んでいる病院からの説明であったが、他に2病院今年の7月からはじめられたところがあった。
診断郡分類点数表も資料に付いていたので、不可解に思っている病名に対する入院日数を見てみた。リハビリが完全に始まらない(手術の内容と症状に対して)まま退院を迫られている方が居るが、一応通院リハビリということで話をまとめた。
実はこのDPC制度が退院日程を自動的に決定した原因であった。

膨れ上がる医療費を削減するためには効果的な方法なのかもしれないが、せっかく自立を目指して受けた手術のリハビリ部分を不完全で終了しては手術をした意味がない。従来のサービス+通院リハビリでその回復を目指すことにはしたが、そうせざるをえない原因がここにあった。

今後DPC制度を導入する病院も多くなると思う(準備中のところもあった)が、必要な医療だけは受けることが出来るようにしていっていただきたいものである。
裏技としてのオフレコはあったが、医療費削減だけに目が行った制度にはして欲しくない。医療費を膨れ上がらせている原因は現在も過去も変わらない。

社会的入院に医療費を使うのは可笑しいと・・・声を大にしたい。
先日社会的ショートステイには半分私費を求めた。

全て順調に・・・  2008・9・18
一本の電話から飛び回った一日のまとめから、全て順調に動き出す実感を得た。
入院期間に関しては病院側に任せておけば良い話で、その後が良かった。

手術で極端にADLが落ちた方に関して、しばらくの間ベッドを中心とした生活を送っていただくことにした。そして可能な限り家族送迎で通院リハビリも受けていただき、早期にADLを回復させようという計画である。
週2回のデイサービス・週一回のデイケア以外の日に通院できれば良いのだが、全てとは言わない。「週に1回でも2回でも・・・」と決して関係の良くない嫁の首に鈴をつけた。ポータブルトイレの後始末にも快く合意いただけた。
この結果を本人に伝えたら心なしか涙ぐんでおられた。

「介護問題」をテーマにしているが、家族関係を修復することで大きな介護資源を得ることが出来る。随分数多くの実例を見ているが、何故か家族関係の修復が上手くいく。先月も一件あった(こちらは費用負担に対する合意だが・・・)。

決して最初から家族関係が悪かったわけではないであろう。長い家族生活の歴史の中で違う方向へ行ってしまったのだろうが、修復にはキッカケが必要である。今回のキッカケは本人の言葉であった。
事情を一番知っているのは本人自身であろう。その本人にケアマネが考える方法を相談してみたら良いだろう。私の提案は拒否された。本人の言うとおりに進めた結果、快い言葉を聞くことが出来た。その本人の想いが涙に現れたのだろう。

横槍を入れてきた親族があったが、家族・親族の総意を聞かせていただきたいと退けておいた。
「介護問題」を解決する方法を知っているのは本人自身である。

一本の電話から・・・  2008・9・17
何とか一息つくことが出来るかと思っていたが、一本の電話からその予定が崩れ去った。
昨晩作りたてのラーメンを足にこぼした・・ということだった。足が痛いということなので、走りながら介護タクシーに電話(これは違反)をした。

行ってみると、両下肢の3分の1くらいの範囲で赤くなり、一部皮もむけている。折り返しタクシーから電話があり、10時30分には行けると言う。その時間に戻ってくるから・・・と市への提出文書と1件の訪問を済ませて再訪問した。

皮膚科受診で、顔を見るなり「バカ・・・」という言葉が返ってきた。口の悪い先生だが腹にはない。結果2〜3週間かかるやけどだったが、2日に1回は通院しなければいけない。受診の中間はフイルムと滲出液吸収剤を張り替える必要がある。1日分しか余分に出せないことが理由だが、訪問看護で対応することも視野に入れ問い合わせをしておいた。

状況を理解した先生から入院の話が出た。聞いてみないと判らないが・・・。ということで病院を何箇所か聞いていただけた。
入院が決まり、外来へ一時まで行って下さい・・・ということになり、自宅に戻ってとりあえず下着類を持って病院へ向かった。

病院が一緒で良かった・・・一時にサービス事業所と待ち合わせていた病院だった。介護タクシーも一時半には隣市まで行かなければいけないと聞いていた。何とか両方とも間に合ったが、総合受付をしているところへ事業所の二人の美女が通りかかった。「外来受付まで行って後はお任せしてきますから・・・」と先に行っていただくことにした。

少し遅れて約束の場所へ・・・今日はゆっくりとリハビリの状況を見せていただくことにしてあった。
術後の状況とADLの概要もわかったので、ベッドとポータブルトイレを使用することを提案した。デイケアへの申し送り状の依頼や通院リハビリが可能なことも確認した。この提案の手順も本人に確認した。先ずは「嫁」に話をして欲しい・・・ということだった。

そこへ入院中の方がリハビリに訪れた。歩行状況も確認、随分回復しておられる。
同じ病院で3人の利用者の状態確認をして、一路隣市へ向かった。四時に約束をしてあったが、何とか間に合った。
福祉用具が遅れたお詫びと別の事業者を使うことで、明日早速納入していただけることになった。

このあともう一件、五時頃電話をしてみると約束の時間より少し遅れると言われる。家に帰られたら電話をいただくこととして、事務所に戻って記録をはじめた。丁度終わって最後の訪問・・・さすがにこの書類作りは翌日回しになった・・・。
「何とか一息・・・」はつかの間の空想だった。

何とか一息・・・  2008・9・16
月末に認定結果が出る方が5人も集中したので今月は急いだ。今週は研修会・講習会のラッシュである。その合間を拾いながら更新ケアプランを書くためにも、時間に余裕を持たせた。退院支援も併せ、8名のプランが確定していない。2週間あるから大丈夫だろうと思っているが、中にはスムーズに連絡が取れない方もある。

困難事例ではないが、家族との連絡が取れないケースも手間がかかる。先月一件、連絡の取れない困難事例がゴールを見たので、少しは気が楽になっている。本人用と家族用の2通の利用表を作り、1通はポストに投函しておくことにした。被保険者証のコピーさえ撮れば1年間は手のかからないケースである。

そういう中、施設に入れたい親族から電話があった。家族・親族の総意を伝えていただかないと何も出来ない・・・と突き放しておいた。以前某市の市議会議員を使って電話をしてきた方である。大きな勘違い・・・電話をしてくる議員も議員だが・・・こういうのをこちらでは「エメンジョロ(溝)議員」という。

今日一件、サービス事業所職員と一緒に病室を訪ねるが、時間が合えばリハビリの状況も見てきたい。かなり不自由そうにしておられたが、あれから1週間、少しはリハビリも進展しているのであろうか???

何時ものことだが月の半ば以降に研修会等が集中する。
月の前半は案外時間にも余裕があるが、半ば過ぎに集中すると仕事が進まない。
月に2日間祭日がある月は特に負担が大きい。カレンダー通りに休むことが出来ることは通常考え難い。そのようなケースが集まって来ることも事実なのだが、今後は平日を休みにすることも考えていかなければいけない。

独立ケアマネとしてはその方が良いのかも知れない。

原稿依頼  2008・9・15
某市ケアマネ協(事務局行政担当者)から機関紙用原稿の依頼が来たので下書きをしてみた。
〆切には余裕があるので、是非ご意見を頂きたいと思います。

常識と理念    指定居宅介護支援事業所『〇〇発・介護問題研究会議』
                 管理者兼介護支援専門員 〇〇 〇

〇〇地域居宅介護支援事業推進協議会の皆様、先日は総会後の講演会にお招きいただきましてありがとうございました。
講演の中でもお話しましたが、民間にも開放された介護保険法ですが、果たして利用者の「選択の自由」が保障された制度運用になっているのか心配な面も日々見ています。

公正取引委員会の指摘から情報公表制度がスタートしていることや地域包括支援センター業務マニュアル2.5に示された「個人情報保護」の内容は、従来在宅介護支援センターと居宅介護支援事業所の業務を明確にしてこなかったことへの指摘であろうかと思います。
富山県内にはいまだに「在宅介護支援センターという名の居宅介護支援事業所」が数多く残っていますが、マニュアルに指摘されながら「地域包括支援センター」と「在宅介護支援センターという名の居宅介護支援事業所」が一体として運用されている現状もあります。

在宅介護支援センターもそうでしたが、地域包括支援センターが委託されている法人には必ずと言って良いくらい天下り管理者の方がおられます。建設業に始まった天下りの制度ですが、当初は品質管理を目的としていたと聞いています。
公正取引委員会の指摘は「常識」だと思うのですが、その常識が守られる地域を作って行っていただくことも天下り管理者の役割ではないかと考えます。

一方介護支援専門員の理念は「人権尊重・主体性の尊重・公平性・中立性」に代表されると思いますが、先ずは「選択の自由を保障する」ことから始まるのではないでしょうか?
先の法改正で制度化された囲いこみ率90%減算もそうですが、理念を数字で表さなければいけない現状を社会は知っています。
理念が常識に劣ることのないように、地域包括支援センターを核とした地域を是非作り上げていっていただきたいものだと思います。

私は利用者の自宅の隣接中学校区に枠を拡げて、目で見て・雰囲気を感じて選ぶことの出来るサービス(通所)に関しては、見学の上利用事業所を決めていただいています。最近サービスの量が不足していますが、保健福祉計画・介護保険計画に基づいてサービス量を規制してこられました。
ある日、「規制をかけないで、サービスの質の良い事業所が選ばれるようにしていかれたら如何ですか???」と提言しましたが、「〇〇苑がつぶれたら如何するの・・・」という答えが返ってきました。

介護保険法がスタートした時点で競争政策上の考え方が導入されています。競争の原理が働く介護保険界こそ社会の『常識』であることをお伝えして、今後の〇〇地域居宅介護支援事業推進協議会のご発展をお祈りいたします。

ケアマネジメント関係の終結  2008・9・13
某居宅のケアマネジャーから、誠に身勝手な利用者に関して相談があった。
利用者側にもサービスを利用するマナーがあるから、契約の時点で各サービス機関からもマナーに関しても説明を行っている。ハズである。
わが事業所では、申込書の裏に「ケアマネジメント実施要綱」として、その内容を明記している。

(ここから)
(6)ケアマネジャーは、以下に掲げる正当な理由なく一方的にケアマネジメント関係を終了する事は出来ない。
1)申込者ないしケアプラン利用者より、ケアマネジメントの委任の本旨に反する依頼を受けた場合。
2)申込者ないしケアプラン利用者よりケアマネジャーに対する信用破綻行為などがあった場合。
3)ケアプラン利用者が死亡した場合。
4)その他ケアマネジメント関係の継続が社会通念上著しく不適当と認められる場合。

(ここまで)
契約書にも同様の内容が明記されており、市町村と協議し、必要な措置をとる事になっている。

アドバイスの方向は、ケアマネ側から契約関係を終了出来ることも必ず明記してあるはずであるから、地域包括支援センターの主任ケアマネなどを通して行政ラインに乗せることである。
多分ケースを担当してくれないかという意向だったのだろうが、アドバイスで方向性を見出されたのであろう。調べてその方向を検討してみます・・・。と電話は切れた。

利用者には自由に事業者を選ぶ権利がある。この権利に対抗する内容が義務である。義務を守っていただかなければ、事業者側から契約解除も出来ますよ・・・というのが、いわゆる社会通念である。
本来なら委託機関の社会福祉士等要となっていく人材に、この種の困難な問題を解決していただきたい。そのための委託なのであって、行政の顔を地域で守っているという姿勢が欲しい。

果たして結末はどうなるのであろうか〜〜〜後日報告があるものと思う。

胃婁にも色々・・・。  2008・9・12
胃婁そのものは色々無いが、流し込む食材が色々あることは知らなかった。
胃婁点滴(と言うのか?)で誤嚥性肺炎を再発した。食材の逆流である。
そこでゼリー状の食材を直接胃に流し込む方法をとられた。一袋3百`iの胃婁用の食物である。

重度障害者の方々ともお付き合いもあるので胃婁に関してはある程度の知識はあった。いわゆる胃婁点滴に関して・・・である。今回はじめてこの方法にお目にかかった。注入する薬や食後の水分にもとろみをつける必要がある。そういう状態の方だから吸痰も必要である。果たして家族・親族で介護が出来るか・・・といったところだが、日中は親族(関係者)が看ることになった。

こうなれば大船に乗ったつもりで、必要(医療では出ない)な機器や食材をそろえれば良い。福祉・医療用具を扱う親族希望の医療器屋さんに相談したら、食材は薬店なのだが準備出来るそうである。先ずは準備が整った。あとは家族が栄養他薬などの補給方法をマスターされれば良い。その期間が半月余り、病院へ通って退院前指導を受けられる。

カンファレンスと言えばカンファレンスなのだが、「病院で準備出来ない機材を如何しようか???」という相談の意味もあった。変更申請もかけてあるので一応医療連携は出来た・・・ことにしようと思う。
少し生活能力は下がったかもしれないが徐々に回復していって欲しい。大きく変わったのは胃婁から栄養分をとることである。

退院準備は一応整った。残るは家族に胃婁からの栄養補給・薬・水分の投入方法をマスターしていただければ良いところまで来た。
ここまで2ヶ月間。結果2ヵ月半の入院になりそうである。

生きる力・・・。  2008・9・11
担当してからそろそろ1年になるが、「生きる力」を失った方がある。
退院後「食べたいとは思わない〜〜〜」と食事拒否が続いた。週一回の入浴に関しても通所拒否が1ヶ月余り続いたであろうか。
経緯の中で病院へ返そうかとも思ったこともあったが、何とか命を拾われた。

生活はといえば、食事・排泄以外は布団の中である。生活しているとは言えない状態なのだが、命はつないでおられる。
そういう状況の中で、夏場不潔にしているとおこる皮膚疾患がある。何とか受診にまでこぎつけ、医師の指示で、タオルの使いまわしだけは避けて欲しい・・・と、投薬がなされた。
通所用荷物の中にヘルパーが1枚のタオルを入れたことから事が始まった。

一応説明をしておいたが、通所当日、ズボンを穿こうか如何しようか迷っておられたという。結果久しぶりの通所拒否につながったが、その後の対応はしなかった。朝昼兼用の昼食は抜きになった。

生きる力を失った方が半年余り後に更新を向かえる。ADLから言えば要支援が出ても仕方がない。何とか工夫して生活を支えているが、そうなればそうなったで「包括さんお願いね・・・」といったところだろうか・・・。
要支援では生活を支えることの出来ない方でもある。
認定項目には生きる力までは加味されていない。

眠剤の服用ミスか〜〜〜  2008・9・10
ご自身の体験から、半錠位追加されたら良く眠られるかもしれないとアドバイスされたという。昨日一日中傾眠状態で右に傾き、よだれも垂らされていたと言われる。
そういう状態の中で、呼び出しを受けた。

多分半錠の追加ではなく、一錠の追加ではなかったか・・・という憶測から、精神科から新しい主治医への紹介状が出ているのか???という話にもなった。主介護者も忙しい方だから、お会い出来た時に話しておくことを約束した。
夕方主介護者から電話があった。家での生活状況も教えていただき、必要な介護用品の手配をすることにした。

誠に良い機会だったので、主治医への紹介状に関しても聞いてみた。紹介状は渡してあり、それに基づいて薬が出ているということである。
一応精神科医の使う薬は強いことを伝えておいた。状況を見ながらの薬の増減に関しても伝えておいた。「倍はいけない・・・」と・・・。
大方の予測で話をしているが、原則は守らなければいけない。

今後時間をかけて話をしていくが、施設で急変があれば救急車である。この確認をしておかなければいけない状態でもある。最近総合病院も受診しておられるらしいが、その問題は以前に解決している。一過性の脳梗塞だったのだろうが、各所で血管が詰まる時期があった。紹介状にはこれに対応してある薬も含まれているはずである。
この電話をいただいてから2年後の在宅復帰であった。

もしかして・・・の可能性もあったが、とにかく在宅復帰された。

チョッと心配な状況・・・肩関節が固定  2008・9・9
脱臼肩の術後が心配な状況である。
手術から約3週間固定している間に固まったのかもしれないが、肩が縮んでしまったようにも見える。手は口までもう少しのところまでしか上がらないので、食事も出来ない。左手で食事をしていると言われる。
手の腫れは無くなっているが、リハビリで何処まで回復するのだろうか?手に力が入らないとも言われる。
最初の入院計画よりも10日間延長された。残る10日間のリハビリでどの程度まで機能が回復するかはわからないが、とにかく心配な状況である。

退院が延びたことと利用再開の準備に明日各事業所を訪問する予定にしているが、現状を何て説明したら良いのかわからない。
見かけでは肩が縮んで固定した状態である。
手は口元まで上がらないし、力も無い。
大きな期待を持って手術を受けられたが、機能的に何処まで回復するのだろうか・・・。

とにかく、現状をそのまま伝えて来ることにしようと思う。

ケアマネ協支部が組織出来ない訳・・・2008・9・8
県段階ではケアマネ協が設立された。19年度総会で可決された規約には次のように書いてある。
(ここから)
(組織)
第11条 本会は、本会の目的を達成し地域における活動に資するため、各保険者単位に支部を置くものとする。
2・・・・・・・・。

(ここまで)
当然組織されているものと思っていた。
余裕を持った臨時総会の議長は務めたが、その後に行われた定例総会でも確認された内容である。
滅多に行わないことだが、会長宛にメールを送った。
「どうなっているの???必要なら働きかけますが・・・」といった内容である。

別件で用事があって某氏に電話をしたが、その時に市の実態をお聞きした。
少し強引に行われているようだが、何とか協会支部は出来ている。本家本元がそうであるから造反もあるのかもしれない。来年度の定例総会では議題として避けられても、質問があって然るべき内容である。質問者は「私」なのかもしれない。

久しぶりに電話をしたが、滅多に電話をしない。隣県でお話されるということなので激励した。
良い機会だと思ったので方向性のおさらいをしておいた。独立・民間系ケアマネ・・・オーナーケアマネの結集である。
協力していただける姿勢であった。

道のりは長いのかもしれないが、ケース交流を始めたこともお伝えした。
私自身が窓口になって、独立・民間系ケアマネとケースを共にする。
このケース交流だけでは問題は解決しないので、ネットワークでの運用が必要である。その内容は充分ご理解いただけた。
今後擦り合わせは必要だろうが、根本的に理念が合致したという感覚を得た。

是非、一緒に仕事をしたい方である。
個性の強い方々の集まりであるから、期が熟せば協働出来る・・・「かも・・・」の可能性があることも伝えておいた。接着剤は「彼女」である。

在宅緩和医療懇話会  2008・9・7
緩和ケアに前向きに取り組んでおられる医療機関や開業医の先生方の集まりだが、居宅介護支援事業所・地域包括支援センター・訪問看護ステーションにも声がかかっている。在宅緩和ケアネットワークが正に今動き出そうとしている。

緩和医療を通院で続けて来られた方が、今春通院出来なくなった。
最後の通院で貰うことにしてあった往診医への紹介状はパソコンに入っていた。急遽地域医療連携室を通じて発行してもらい、往診依頼に妻に同行した。
その日から4日間連続往診していただき、5日目には医師自ら救急車と病院の手配を行っていただけた。
ICU入院2週間で帰らぬ人となられたが、このネットワークには満足している。

同じような時期に、ターミナルの方の退院を試みている。他市ではあったが、緩和医療のネットワークを作り上げた。
結果退院こそ出来なかったが、主治医からはそのネットワークに感銘していただけた。12名参加のサービス担当者会議・退院前カンファレンスだった。

在宅でも緩和医療を受けることが出来る。在宅を選ぶのか病院を選ぶのかは本人の選択である。その選択肢を提示するのも関係専門職の仕事なのであろう。
医療関係者だけではなく、相談援助業務に関わる者にも門戸が開かれたことは喜ばしいことである。

実は中心になっておられる方の中に、訪問看護師の独り言にあった先生が含まれていた。ネットワークとは独り言からでも生まれるものである。
ターミナル期を自分の意思で過ごすことの出来る医療の体制が出来つつある。今回声をかけていただけたことに対して、意義を感じている。
良い地域医療・緩和ケアに対するネットワークが出来ていくような予感があった。

常識と理念  2008・9・5
広辞苑には次のように説明されている。
(ここから)
常識:普通、一般人が持ち、また、持っているべき標準知力。
   専門的知識知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む。
理念:俗に、事業・計画などの根底にある根本的考え方。
(ここまで)

介護保険法におけるケアマネジャーに求められた基本的な理念には
1、人権尊重 2、主体性の尊重 3、公平性 4、中立性 5、社会的責任 6、個人情報の保護
が掲げられている。
この基本理念が脅かされてきたので、先の法改正では厚生労働省が一つの大きな柱を掲げている。「独立性・中立性の確保」がその柱である。

介護保険法は民間参入を認めた、社会に開かれた制度・法である。しかしその現状では、常識では考えられないことが行われている。
「行政の持つ被保険者情報の囲いこみ」の実態をインターネットで発信してきたが、最近介護保険界を去られた方々からも、その常識の無さを見ている。常識あるケアマネジャーが常識の無い管理者の元を去った現状だが、これは全国的な実態でもある。

一番常識的に地域福祉向上の姿勢を執って頂きたい方々、そう、天下り管理者自身がこの現状を作り上げていることを行政担当者は理解しているのであろうか???
現職時代に天下り管理者の実態も見ている。
天下り管理者方々には福祉畑を歩んでこられた方ばかりでは無いが、長年公務員(準)を勤めてこられたのだから常識はあるはずである。
その常識を疑う。

地方とか中央とかは言わない。今必要なのは公務に携る方々の自浄力である。現状を知って、自浄力を発揮していただきたい。
日本の介護構造の根底を揺るがす問題だが、今「あなた」が解決しなければ日本の高齢者福祉は「絵に描いた餅」でしかないであろう。

更新研修等で語句を並べただけでは解決しない問題でもある。

専門研修2日目  2008・9・4
来年でも間に合うのだが、1年早く更新用の研修を受講している。今日はその2日目だったが、自立支援は当然のことだが、介護支援専門員に求められている姿勢として「公平性」「中立性」「社会的責任」といった言葉が各所に出てくる。そして厚生労働省は先の法改正でケアマネジャーに「独立性・中立性の確保」を求めた。
これらを統合すれば、ケアマネジャーは(事業所に所属していても)「公平・公正・中立・独立(所属事業所から)の立場で、独立性・中立性を確保したケアマネジメントを行う職務を担っている・・・」ということになるのであろう。
このことを確認するための専門研修2日目であったように思う。

グループワークもあったが、我グループは随分花が咲いた。当然判り切っていることは当然の如く、司会進行とは別の話の流れがあった。
その中に『「介護支援専門員」としての30年後を考えよう!』というテーマがあった。
『もしかして・・・「独立化の勧め」の最先端で指揮をとっている・・・かも???』が答えだが、昨日のアンパンマン・・・の投稿の焼写しであった。これだけでは判らないので、経歴を少しお話してからお話した。

90歳を過ぎたケアマネが存在するのかは30年後でないと判らないが、案外皆様定年を一つの区切りにしておられたようにも思う。
何時何が起こっても良いようなネットワークの体制作りがこれからの私の仕事と実感して・・・良い研修であった。

我が家の住宅改修・・・  2008・9・3
住宅改修というよりもリフォームなのだが、とにかく使いやすい家にしたいと、収納スペースも含めて家を改造している。
可能な限り全員が集ってもプライバシーを守ることが出来る家になれば良いと思っている。

家族が増えるということは洗濯物も増えるということである。妻が一番心配したのは洗濯物を干す場所の確保である。北陸は雨が多い・・・ということは屋根がある場所の増設である。
ここ高岡は、日本のアルミ産業の一端を担っている地でもあるので、メーカー直接サンルームの施行を行っていただける。ということでサンルームの増設も含め、何とか住むことの出来る家にリフォームすることにして工事は始まった。

かなり良い感じで工事は進んでいる。直射日光をまともに受ける場所の床材の痛みは、今回は塗装で処理していただくことになった。その皮膜を剥がすことが先ず大変であった。
「税金対策・・・」かと言われて20年、二期工事で建てた家だが、その何れにも改修が必要だった。家財の収納場所も再検討する必要があったが、何とか使いやすい家になりそうである。

リフォームをはじめて勉強になったことだが、使いやすい家とは収納も一緒に考えた家である。2度の増築に加え今回のリフォームで何とかコツをつかんだようである。
サラリーマンが人生において2度の住宅の建て替えは不可能であろうから、今回のリフォームで住宅を触るのは最後にしようと思っている。
独立ケアマネは法人の代表でもあるが、収入(ケアマネジメント報酬)からみればサラリーマンでしかないように思う。

アンパンマンと独立化の勧め・・・。  2008・9・2
午後時間があったので孫を連れて古城公園へ自転車で行ってきた。自販機のジュースをご馳走するつもりであったが、先ずは動物園へ寄ってみた。何度も来ているらしくかなり慣れた遊び方をする。雨上がりのフラミンゴの滑り台へ登って行ったので一緒に滑った。ズボンの尻はびしょ濡れである。
帰ってから聞いた話だが、滑り台の階段を送り出して、下で万が一に備えて介助すれば良いそうである。

今日の自転車でのドライブでも自販機のジュースを準備した。ご機嫌良く家に帰って、アンパンマンのHPのおねだりである。そこで作者の「ヤナセタカシ」さんのプロフィールを知る。何と、89歳の老翁である。
http://anpanman.jp/shokai/index.html
このプロフィールを見て恥ずかしくなった。

「独立化の勧め」を唱えてみたが、なかなか独立化が進まない。
常識的な観点から、もう一度ケアマネ更新を受け、満了時に引退のスケジュールを書いていた。
ヤナセタカシさんのプロフィールから、そのスケジュールは大きな間違いだと思った。まだまだやれる・・・。

「アンパンマン」が電波にのったのは、先生が69歳の時のことである。
「独立化の勧め」は私がほんの60歳に達するかどうかという時の話である。
先生に近付くためには、まだ30年近くある。
果してその時にその域に達している事が出来るかは判らないが、今回の更新研修が最期であるとは・・・少し早計であったようである。

果たしてどのような人生が待っているのか・・・人生はこれからだということを「アンパンマン」に教えていただいた。
ひょっとして100歳のケアマネジャーがいても・・・ゴメンナサイね。

ケアプランの自己作成その2  2008・9・1
昨日の様子を見ていたら、どうも住民票を先に移されるつもりのようである。一応担当ケアマネの申し送りなど、介護保険法のルールは説明しておいたが、何処までご理解をいただけたか判らない。そこで万が一の場合にはケアプランの自己作成をお勧めしようかと思う。
自己作成はそんなに煩雑な問題ではない。

住民票が先に移転された場合、必要書類はお渡しすることにしようと思う。
ご自身(後見人)が担当課へ出向いて一枚の申請書を出されれば良い話である。それに付随したケアプランは保険者番号を入れ替えてFAX送信しておけば良い話である。
毎月の予定に関しては様式をお送りしてコピーしておいていただいて、毎月カレンダーに合わせ手書きで担当課と利用施設に届けていただけば良い。

自己作成の代理提出は行っているが、代理作成・後見人提出というのも理に適っているであろう。
独断で先行される方だから、ここまでのシナリオを書いておく必要があると思った。あとはサービス事業所との契約も継続しているであろうから、後見人と施設の話になる。

システムをゆっくりと考えてみれば結論が出るのだが、サービス提供に関してケアマネには責任は課せられていない。悪までもサービス提供事業者と利用者との契約でサービス提供が成り立っている。
一件某包括担当者と確認してきたが、サービス提供に関してケアマネは無理に制度を捻じ曲げる必要はない。澄み切った目で見つめられ、思わず目を逸らした。

厳しい目であったが、立場を充分ご理解いただいていた。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

鍵を忘れた〜〜〜  2008・8・31
もうしばらく流動的な状況の中で電話がかかった。アパートの整理に向かっているが、鍵を忘れた・・・ということである。アパートに入らなければ作業も出来ない。
確認しておく必要がある内容もあったのでアパートに向かった。

アパートへ着いたらもう来ておられたが、早い時期に整理したい様子である。整理は良いのだが、住民票の移動に関しては先日FAXでお知らせしておいたが、ケアマネジャーの登録は都道府県なので、県をまたいだプランはかけないことを確認しておいた。サービスは全国何処に行っても受けることが出来るが、ケアマネジャーは他都道府県では居宅の届けを出すことが出来ない。先ずこの点を確認しておいた。

施設に預けてある本人用の鍵が金庫から出そうもないので、奥の手を教えた。ベランダ側のドアのガラスに破損しているところがある。過去に住宅管理会社の方と「破ろうか・・・」というところまでいったことがある。
そういう話をしただけだが、身軽な方はあるものである。もう戸は開いていた。親族の責任で開いた。

中へ入られたのを確認して、確認しておかなければいけないことも確認したので失礼してきたが、かなりマイペースの親族グループである。
わが道を行く方々を否定はしないが、マイペースとは意味が違う。法が絡んだ制度にはルールがある。そのルールを最低限守っていただかないと空白が出来ることも無きにしも非ずである。その心配を他所にマイペースで動いておられる。

一応重要な内容は伝えたのであとはあと・・・ひょっとして私費ケアマネジメント報酬が発生しそうな雰囲気も感じた。
言い方を変えれば「楽天的」なのかもしれない。

サービス利用における選択肢  2008・8・30
朝一番にショートステイの連続利用がどの程度取れるのか事業所を訪問した。満床の日はあるが、本人の定期利用を差し引いていくと、残るは一日だけになった。キャンセル待ち・・・最悪一時帰宅・・・ということで永久にショートステイは確保された。

滅多に会えない家族に説明する時間もあった。夕方の短時間だが、話を早くするために、永久に利用しても良い費用負担の選択肢を準備した。大きくは限度額いっぱいに私費を含めた場合と、介護保険と私費を半数ずつ利用した場合の2選択肢だが、長期化することも予測され、平均的な負担方法を選ばれた。
認定期間の前半を介護保険中心に、後半を私費で負担すると、後半の負担が大変な額になる。予測出来る選択ではあったが、試算表を準備したので話は早かった。

「家に帰りたくない〜〜〜」から丸一日で答えが出たが、タイミング良く盆に申し込んだ特養の面接も日中行われている。家庭事情など、入所の必要性に関しても裏で伝えてあるが、何時入所出来るかは判らない。
平均的な負担方法を選ばれた家族には、入所まで長期間かかることはご理解いただけていたようである。

包括依頼のケースなので近日中に報告をしてくるが、しばらく様子を見て落ち着いておられるようだったら併設居宅にお願いしても良いように思う。
依頼から四ヵ月余り、本人のペースに合わせて何とかゴールへ導くことが出来たようである。

複雑な会議・・・30分で納得  2008・8・29
ショートステイ連続利用に関して、介護保険法上のルールの説明から始めなければならない担当者会議だったので、家族向けに選択肢を示したメモ(試算)を準備した。
限度額いっぱい使って、日数が概ね半数に達した時点で私費負担をする場合と、毎月半々で利用していくケースでは、認定期間を通じてほぼ同じ負担額になる。最初を軽く、限度日数を迎えた時点で重い負担にするのか、毎月平均的な負担をしていくのかという選択肢である。

特養申し込みも入所判定委員会のコースには乗っているが、何時入所出来るかは判らない。それなら・・・ということで平均した負担方法を選ばれた。15日が介護保険で、残りの15日が私費である。
けっして全額私費になるとケアマネジメント報酬が無くなる・・・なんて話はしない。最初は軽く・・・最後は重くなのか、平均的な負担なのかの問いかけ・選択である。

説明と結論に10分余り要したであろうか、通常ならこの説明だけで30分はかかるだろう。
時間が余っただけ、本人の希望も聞けたし、看護側から病状に対する対応を任せていただきたいという話も出来た。
和気藹々と会議は終わった。

会議が終わってから家族から丁重に礼があった。非常に判りやすい選択肢だったと感謝していただけた。
かなりの費用負担があるので今まで口にしなかったが、ケアマネジャーが利用者を施設で保護出来る唯一の方法である。本当に必要でなければ口に出来ない方法でもある。

今回は丸一日で軌道に乗せることが出来た。担当者の協力があってのことだが、全て思うように動かせた。お付き合いこそ浅いが、良心的に対応していただいている。良いネットワークが各所に出来てきている。

家に帰りたくない〜〜〜  2008・8・29
夏場の入院→ショートステイの経過を辿った方があるが、このままショートステイに居たい・・・という話になった。急なことなのでベッドを確保出来るかは判らないが、施設側と交渉の余地も残されているようである。

入所申し込みは先にしていただいたが、何時のことになるかは判らない。
ショートステイ連続利用の認定期間の概ね半数の理由にも適応しない。
そうなれば概ね半数を私費で対応するしかないのであろうか???その他の制度を使っての入所はダメだった実績もあるし、長期入院出来るような病状でもない。医療的にはこれといった病名がついていない。

月末のしかも週末に向っての急な話だけに、結論を出すのは今日しかない。
イメージは描けているのだが、家族合意の結論を出すためには少し時間がかかるだろう。とにかく来月1ヶ月のプランを組み直す必要がある。
余裕を持って月を終わることが出来るかと思っていた矢先のことであるが、残る調整3件と会計・請求業務が待っている。日曜返上で月を越すことは出来そうであるが、少々ばて気味である。

熱い夏も終わった。
今年は大きな問題もなく無事終わりそうだが、それにしても夏場には色々起きる。

ケアマネの顔を知らないサービス事業者  2008・8・28
「最後の更新研修になるかもしれない・・・」と言ったら「・・・それじゃ困る・・・」という声が返ってきた。担当ケアマネの顔さえ知らないサービス提供があるそうである。
ケアマネジャーが事務所で行わなければいけない仕事はそう多くはないので「ほとんど外に出ていますからね・・・」がその答えだった。

以前2ヶ月目で35件担当しているケアマネに関して書いたが、法改正後ケアマネに背番号が付いているから、法的にはケアマネの顔を知らないサービス事業所があるはずは無い。○○事業所の□□ケアマネが担当しているケースである。
ケースを担当しているからには、サービス担当者会議も行わなければいけないし、サービス提供責任者がケアマネの顔を知らないはずがない。しかし知らないと言われる。

この現状を少しはまともにしていくために「・・・それじゃ困る・・・」という言葉が返ってきている。
私は当たり前のことを当たり前に行っているだけなのだが、過去にサービス事業所のカウンターに置かれていた「ハンコ貰っておいてね・・・」という利用表も同レベルの話であり、書類さえ揃えば良い話ではない。

少しは前後するが、団塊の世代の二人の会話には「私達が対象者になるまで何とかしなければ・・・」という想いがこもっていた。
ということは、あと一回は更新研修が待っているのかもしれない。70歳を超えられた方の受講があったそうである。

「独立化の勧め」から2年・・・。  2008・8・25
「独立化の勧め」の情報発信
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm
から2年が過ぎ去った。
独立ケアマネが一緒に事業を行う程事業運営は楽ではない。

「ケアマネジメントの独立」はケアマネジメントの本来の姿なのだが、俄か作りのケアマネジャーにはその理解度も低いのだろう。多くのケアマネジャーを抱える協会にも本来の姿を示していただきたいものと思う。
必ずしも独立開業をする必要はない。事業所に所属していてもケアマネジメント理念の高い方があることは事実である。

そういう理念の高い方を改正法に合わせて「協業」させようという情報発信ではあったが、一時民間結集という形も視野に入れたことがある。大きな問題は行政ラインでの癒着・行政情報の「囲いこみ」が招いている現象だからである。
そう言う私も、独自のネットワークで集まった利用者が限度件数を超えそうである。急変がない限り自己作成で対応出来る方には自己作成支援を行っていくことにした。

ネットワークでのケース交流に始まって、将来的な事業化も視野に入れて、今年の専門研修Uに加え、来年度は主任介護支援専門員受講を申し出てみようと思う。その資質(持って生まれたもの)は再帰後の実績が物語るし、誰も拒否はしないと思う。
最近思うことだが、ケアマネジメントは奇麗事ではない。生活を支えるための実践的なプランが必要なケースもある。これはケアマネジャーの判断である。
奇麗事のプランを書いて問題が解決するケースばかりではないということである。

常にその先を読んだプランを意識している必要がある。その為にもサービス事業所に結論を求めることもある。

家具の整理  2008・8・25
先日来妻が家の整理を始めた。不要なものがかなりあるもので、車に3台分捨てたが、まだまだ出そうである。
この機会に少し家も直して、2世代が住めるようにしなければいけないが、不要なものが大切そうにしまってあるのは何処の家庭でも同じなのかもしれない。

ここ1年間で家族が急に3倍になりそうである。
事務所と相談室のスペースだけは何とか確保できるが、日本住宅特有の無駄な部屋でもある。
和室が二部屋あるが、数十年前とは丸っきり生活様式が変わってきている。洋間中心の間取りに作り変えてはあるが、部屋数が足りなくなるのは目に見えている。必要ならば増築も考えておかなければならない。

そういう中で、建築士と相談を行なった。内装中心の改修だが一部増設も行う。
人が増えるということは色々なスペースが必要になる。洗濯物を干す場所も不足するので、増設する必要が出てきた。
果たして実行可能な見積もりが出てくるのか・・・しかし必要なものは必要である。
年末まで断続的に工事が進むものと思う。片付けながらの工事であるから時間もかかるであろう。

何かと時間に余裕を持ちたいものである。

月1回の帰宅  2008・8・24
お盆には時間が合わなかったが、入院中に住宅改修を済ませたい・・・と大工との打ち合わせに帰ってこられた。そういうことなら・・・と日曜返上で相談にのった。

本人の部屋を見てビックリした。何時もは散らばり放題の部屋だが、小奇麗に掃除と整理がされている。かなり時間がかかったであろうが、いままでに無かったことである。
何かが少しずつ変化して来ている。決して家族関係は良いとは言えなかったが、家族・親族が変わって来ている実感が伝わって来る。病院でもそうだった。

医療から見放された状態だったが、てこの原理を使って手術にまでこぎつけた。紹介状を持って受診すると医師の姿勢が全く違っていたそうである。
筋肉移殖と聞いていたが、この年代になると筋肉ももろくなっているし、傷も一つ増える。そこで人口骨をボルトで止める方法がとられたそうである。
バストバンドでの固定もそろそろ外れる時期に来ているが、良い結果が出ることを家族・親族が心待ちにしておられる様子が伝わってくる。

不可能だと思っていた手術が実現したことから、本人に対する関わりも違ってくるのだろう。今後は今まで以上に家族の役割を果していただけるものと思い、病室を訪ねて住宅改修の話をした。
家族の想いが伝わったのであろうか・・・心なしか涙ぐんでおられた。

ケアプランの自己作成  2008・8・22
「会議室」には「ケアプラン自己作成支援」を大きく掲げている。
今年の1月に再委託しない方針の地域包括の担当エリアで自己作成支援を行っている。包括にはプランを書いてもらいたくないという利用者の希望からスタートしている。
原則利用者がプランを提出することになっているが、市では「代理提出」を検討していただけた。その方の更新時にはじめて「代理提出」が認められていることを知り、2ヶ月位前から代理で提出している。

今回更新の方で同じく予防給付だったので、更新支援計画書を届け、「自己作成」が出来ることをお伝えした。勿論全面的に支援を行う。93歳の老翁が提案に乗ってこられた。若い時からチャレンジャー、ボウイスカウトで盛り上がったこともある。現在もなお新しいことに挑戦してみたいと思っておられる。

「久しぶりに市役所へ行ってみようか・・・」これが自己作成の意思表示だった。勿論お連れして、以降のプランは代理提出をする。それでも新しいことに挑戦したい気持ちは嫌というほど伝わってきた。この方を見習えば、まだ30年はケアマネジャーが出来るだろう(冗談・冗談・・・)。
そこで来週の都合の良い日に市役所へ同行することにした。

帰り道、担当地域包括支援センター・担当サービス事業所を訪問して、来月から自己作成になることをお伝えした。担当課にも出向き、申請当日の持ち物を確認しておいた。
役所へ行く時は「印鑑」を忘れないように・・・の教訓どおり印鑑と被保険者証があれば良いと言われる。先ずは下準備(根回し)完了である。

来週の或る日、担当課のカウンター越しにケアプランの説明が始まる。稀な病状から、その対処法を誰かに知っておいていただきたい・・・と、介護保険の利用目的が述べられる。
私は果たして30年後に自己主張が出来るだろうか・・・先ずはこの世にいるかということも心配しなければいけない。
病気を持っても良い・介護が必要になっても良い。しかし自分自身の人生は自分で決めたい。可能な限りその訴えが出来る機会を、もしかしたら待っておられたのかも知れない。

最期まで自分で責任の持てる人生をおくりたいものである。

字(姓)も忘れる・・・。  2008・8・21
認知症の方で、症状として過去の記憶が鮮明な方を数多く知っているが、姓名も書けなくなっている方を目にした。変更利用表へのサインなのだが、自分の名前は読むことが出来る。その名前を見ながらのサインである。
更新申請で要介護3が出た方だが、認定結果は適切だと思った。

この方の初回認定調査に立ち会ったが、素晴らしい調査であった。会話の中からのモニタリングそのものなのだが、チェック程度のメモしかしていなかった。全体像を掴んで調査票を書き上げられるのであろう。思ったとおりの認定結果であった。
その時から見ると状況に大きな変化があり、行動そのものが鈍っている。一ランク上の認定結果には納得出来るものがある。

この様な方にサインをさせているのだから、詐欺まがいである。介護者に電話をしたがつながらないので、本人の目の前で家族宛の手紙を書いてきた。
すらすらと書くので感心していただけた。「ありがとうございます・・・」
私はスタンプラリーの印鑑は余り求めない。サインの方が本人の筆跡を確認すれば確実であろう。どちらでも良いという姿勢である。

パソコンで文章を書いていると、大方の形だけで字を覚えている。漢字が書けなくなっていることは事実だが、書かなければいけないときはパソコンに頼る今日である。そろそろ近付いているのかな???とも思いながら、先日事業計画を立てた。ケアマネ更新に合わせた計画なのだが・・・26日から専門研修が始まる。
3日間の研修で5年間つなぐことにした。

発つ鳥あとを濁さず・・・  2008・8・20
響きの良い言葉ではあるが、読者の各位に仮に「発つ鳥」の方があったとしたら、その想いを聞いてみたい。「発つ鳥」であったのか「去る鳥」であったのかを・・・。

ケアマネジャーもそうだが、相談援助職には「独立性・中立性の確保」が求められている。言い換えれば利用者の立場での相談である。
「発つ」は足がかりとしている事業所から「発つ」ことではあるが、足がかりにしている方は何人か見ている。事業所(法人)所属であっても「発つ」ことは出来る。しかしごく限られた方々であることを明言しておく。

「発つ鳥」は後を濁さないのであろうが「去る鳥」は後を濁す。少しはまともなっていただけないかという想いであろう。去るには去る理由がある。
「発つ」と「去る」には大きな違いがある。意識の違いである。
意識上は去らなければいけない状態だが、去るタイミングさえも見えない方がある。ご自身の置かれた立場が理解出来ない寂しい方でもある。

法人の立場と一担当者の立場は違う。介護保険法による事業を行うには法人格が必要である。法人が設立した事業の代表は法人代表であるが、事業運営の代表は施設長であり管理者である。
先ずこのあたりを整理してみる必要がありそうである。

安心して法人代表も管理者もケアマネ兼務で行っている。私に入った情報は「施設の決定」と聞く。聞けば聞いたで解決方法を模索する。しかし法人決定で無い決定もあるようである。
動きは早いが、決定のプロセスが整わない限り動かないことにした。背水の陣は敷いているが、担当者のお手並みを拝見することにした。介護保険は「契約」で動いている。人を頼らず、ご自身で適正な「契約」を実行していただきたいものである。
ヒントは与えてある。

さて、わが身に置き換えて考えてみると私は「発って」きた。しかし後も濁れた。濁れた原因は私ではない。法人に責任がある。
その真相が今明確になりつつある。
「発つ」か「去る」かの論争以上に重要であり、面白くなって来ている。

スーパーマンより早い???  2008・8・19
隣市のデイサービスセンターから電話がかかった。二人分の利用日の変更だからメモを探していたら電話が切れた。相談が終わってその方面へ向う予定だったので、とにかく車を走らせた。
走り出してから再度電話をするが(これは違反である)話中である。電話が切れたことが判らなかったのかもしれない。走りながら何回かダイアルをして(これも違反である)ようやく電話はつながったが、担当者が電話中だと言われる。今向っている所だと伝言していただくことにして・・・施設へ着いた。そこへ電話がかかった。

「今玄関に居るよ・・・」「???」「玄関で待っているね・・・」
約30秒後に担当者に玄関に来ていただけたが、目は「白黒」であった。
「ちょうど向っているところへ電話がかかったり、行く先々で電話がかかったり、施設の玄関で電話を受けたこともありますよ・・・」
何時もの如く、穏やかな眼差しが言葉を追っている。
お別れの挨拶をして外へ出ようとしたときに言葉がかかった。振り返って聞いてみると「あの〜〜〜、つい先日からなのですが、施設内も土足で良くなったのですよ・・・」と立て看板を指差していただけた。

それにしても今回の利用日の変更は迅速に行っていただけた。こちらの方がスーパーマンより早かったのかもしれない。お盆の16日の会議で出た話であり、18日は会議出席者が休日であった。今日話し合われて決まったことなのだろう。
隣市でもサービス事業者から歓迎を受けている。

ひとつ気になるのは、通話中に電話が切れるのは携帯電話の寿命なのかもしれない。そのあともう一件の家族に電話したが、この電話も途中で切れた。

麻酔の影響か・・・夢じゃないの???とは  2008・8・18
念願の手術を受けた方の状況を確認に行った。
エレベーターでご一緒した方に見覚えがある。行く階も同じだったので・・・もしかして・・・と聞いてみると行き先は同じであった。

病室ではPTとリハビリの打ち合わせが行なわれていた。本格的なリハビリはもう一週間待たなければいけないが、筋肉の固縮を和らげるリハビリが今日から始まるという。担当ケアマネであることと姉夫婦であることを告げ、入院計画に関して聞いてみた。
手術した肩の固定が2週間。その後2週間のリハビリを経て退院になる。

本人も交えて話をしている中で、本人の口から不可解な言葉が聞かれた。
「先日〇〇と××と一緒に△△へ行ってきたが、気が付いたら病院のベッドにいた・・・」と。
妄想である。
本人には「夢を見られたのですね・・・」と言ったが、関係者には「麻酔による妄想なのかも知れない・・・」と伝えておいた。
「夢ですね・・・」と確認したが「行って来た」と言い切られる。

そういう話をしているところへ同居の長男の嫁も孫を連れて顔を見せた。帰り際に廊下に誘って「妄想・認知症状」かも知れないと伝えておいた。
家族関係が決して良くないだけに、今回の手術の仕掛け人としては満足だった。手術を期に良い家族関係を作って行っていただきたいと思う。

その足で各サービス事業者へ残り約3週間の入院になることと、退院後スムーズに元のサービスに戻っていただけるように依頼をしてきた。サービス利用で最も問題だった点が、手術で解決・・・されているのかも知れない。
とにかく医療を巻き込んだケアマネジメントが家族・親族をも巻き込んだようである。
ただ、麻酔の後遺症が心配である。

無事退院していただけることを望んでいる。

お盆の一時帰宅。  2008・8・17
お盆の間も何やかやと仕事があったが、家族の都合も重なって2日遅れのお盆になった。孫家族が来るなり孫が昼寝を始めたので墓へ出かけたのは4時過ぎになってしまった。

出かける前に焼き鳥の注文をした。孫が寝ている枕元で妻と次女の談義が始まっていた。〇〇何本、□□何本、△△何本・・・である。結果150本程になっていたらしい。長女も含め大人の頭数が5人であるから一人30本。それだけあれば大丈夫だろうと思っていた。孫にはポテトチップスと焼おにぎりが注文されていた。

孫が目を覚まし、焼き鳥を注文して、足早に墓参りに出かけた。お盆明けの日曜日の夕方だから墓は閑散としていた。妻がお参りの依頼に行って、私は足早に墓前の準備をしていた。ロウソクに火が点かないうちに僧侶に来ていただけた。
今日は駆け足だから庫裏には寄らないつもりであった。結果も寄らなかったのだが、前住職やその妻からもお誘いがあった。時間が無いからと足早に失礼させていただいた。
その足で焼き鳥を受け取り家に帰った。

長女は少し遅くなる予定だったので先に始めさせていただいた。運転手の役割があるから次女は飲めない。次女の夫とチビリちびり始めたが「小さなコップに一杯だけ・・・」と遠慮がちに声がかかった。「代行で帰ったら・・・」とは優しい夫の言葉だったが、本人は一杯で良いと言う。
長女も合流して、焼き鳥のノルマもほとんど解決した。「満腹・・・」という実感で焼き鳥パーティーは終わった。

飲みたいけど飲めない彼女が安心して飲める時が近いのかもしれない。
我が家にも新たな動きがあるようである。大筋では「良いよ・・・」と言ってあるが、すり合わせが行われているようである。

夏の大雨・・・被害が心配  2008・8・16
今年はお盆の間断続的に大雨に見舞われている。

お盆の間にしか担当者会議を開くことが出来ないであろう方の会議に16日午後関係者が集った。全員揃う前から、一番心配なことを投げかけて、話はスムーズに進んでいた。主介護者の妻が出産なのだが、その間夫が子と認知症の祖父の介護が出来るのかという話である。
孫嫁は軽く「主人がやるでしょう・・・」と言ってのけていた。そのことを当事者に聞いてみた。不安はありそうで、出来るとは言われない。そこで盛り上がったのが同じ経験を持つサービス担当者である。(その件もあったのかもしれないが、サービス提供責任者に代わって看護師の参加であった)

そこへもう一人の関係者が到着した。まさか私がそのことを話題にしているとは知らず、目を白黒させている。
担当者会議の場でサービス調整をすると話は早い。携帯電話でショートステイの空き情報を問い合わせていただき、完全ではないが、心配な期間のショートステイを確保することが出来た。ショートステイで寂しかったら、デイサービスへ遊びに来ても良いよ・・・という企画である。
第2表は追加して書き換えるが、根拠は担当者会議記録である。

そうこうして帰ろうか・・・といった頃が雨のピークだったのだろう。玄関前に止められている車のタイヤの3分の1が水没している。そこで長靴を貸してもらって駐車場まで行くことにした。
タイヤが半分以上水没したら気をつけなければいけない。ファンで浮遊物を巻き込むことがある。3分の2以上だとエアクリーナーにまで水分を巻き込む可能性がある。何とか車を動かすことが出来るギリギリのところまで水が来ていた。

大雨の印象深い盆の担当者会議だったが、更新は1年後である。
今日のメインテーマであった孫嫁に「来年もお盆開催ですね・・・」と耳打ちしてきた。来年は家族が一人増えている。歩いているか歩いていないか・・・一番危険な状態の家族が増えている。二人になっていないことが何よりもの願いである。
快い担当者会議であった。

医療から見放された脱臼肩の手術  2008・8・15
日頃から、日常的に肩脱臼を繰り返している方が転倒→救急受診→手術の可能性→近くの総合病院へ紹介状の経緯を辿ったのはまだ寒い頃のことだったと記憶している。
紹介状を持って近くの病院を受診すると手術の必要は無いということだった。しかし肩は日常的に脱臼を繰り返す。少し腫れも見られ、正常ではない。

救急受診した医師を受診して手術の依頼をしたところ、一度紹介状を書いたのだから、紹介先で手術をしてもらって欲しい・・・と医療から見放されていた。
デイケアでも肩が抜けるのでリハビリのしようが無い・・・と困っていた。

本人の手術を受けたい強い意思を確認して、方法を模索していた。主治医である開業医は、手術が出来ると言った医師の病院から開業しておられる。そこで「てこ」の原理を使うことにした。小さな力で大きく動かす方法である。
受診に同行して経緯をお話して紹介状を貰うことにした。紹介状を持って受診すると、対応が全然違っていたと言われる。そして手術は実現した。

手術の翌日病室を訪ねると、通常でも体の動きが悪い方が、手術側の腕を固定されているので全く動くことが出来ない。言葉も不自由なので「オ〜〜〜」といった言葉しか出てこない。一方的に話をして帰ろうとすると、おもむろに手が伸びてきた。その手を硬く握り締め握手をしたが、その目は涙で潤んでいた。
まだまだケアマネジャーとして待っていてくれる方はある。心に響くマネジメントに意を新たにした。

お風呂敷のケアプラン  2008・8・14
入院中だったのでADLの状況が良く判らなかった。そこで家族の要望を全て受け入れるプランを書いた。それに対する安心感もあったのか・・・本人は目に見えて元気になられた。
入院前に関わっていたデイサービスサービス提供責任者の言葉も重要視した。関係者の希望通りのプランを書いた。結果、認定結果ドンピシャリのプランになっている。

退院後そろそろ1ヶ月になるが、在宅生活の状況が見えてきた。更新時には現在の介護度は出ない。そこで予防線を張った。
家族構成も居所も変わるので、変わった時点での情況を予測して家族関係者で相談しておいていただくことにした。先ずカットされるのはショートステイである。利用出来る条件も同じ施設はお伝えしておいたが、先ずは候補から削除になりそうである。

高岡では通所サービスが不足してきている。声はかけてあるが果たして数ヵ月後の状況がどうであるかはわからない。ここに最悪利用出来る施設がある。本人が了解されればの話だが・・・。
最悪と言ったが、最良の施設でもある。高齢者施設で利用出来る施設が無ければ・・・という意味で最悪と言ったが、医療ケアも行える施設である。
家族的な雰囲気で静かな環境を楽しんでいただくのも良いのかもしれない。

子と話をすることにより、大風呂敷もかなり絞り込まれた。選択肢を提示して、選択を迫られているのは利用者である。この余裕の中にこそ真のケアマネジメントが生まれることと思う。選択するのも決定するのも利用者である。如何に幅広く選択肢を提示できるか、ケアマネは求められている。

今日一件二つの選択肢からの選択を認知症のお年寄りに迫ってきた。果たして帰宅願望が無くなるのかは判らないが、結果何れかの方向へいってしまう。今考え込んでおられるところなのであろうか・・・かなり厳しい選択肢を提示してきた。

微妙な退院調整  2008・8・12
こんな事ならMSWに任せておけば良かった・・・。

入院から5日目病状を聞いてみたが、特に病気が無いと言われる。色々と検査をしてみる予定だとも言われるので、もう1週間待った。
一両日中に退院なのだが、家族に連絡が取れないということだったので、携帯電話を教えた。
昨晩21時30分に家族から電話がかかっていたが、お酒を飲んで眠り込んでいたのであろう気付かなかった。朝一番に電話をすると、今日は行くことが出来ないが明日病院へ行くように伝えてあるということ。ショートステイは明日から予定に入っている。今日の午前中にキャンセルをするか如何か連絡をすることにしている。
病院側では退院日程をもう決めているようである。今日主治医から話があって明日の退院である。主治医との話が明日になったとして、即座に退院になる可能性もある。
日中携帯でも連絡が取れない家族だから、そう早く答えが出るとは限らない。ショートステイを如何するかのタイムリミットが迫っている。

事情をお話しておいて、答えも保留にすることにしようかとも思う。確実に言えることは、明日の迎えが要らないということである。
ケアマネが思うほど家族は思っていないのかもしれない。サービス利用には礼儀がある。

微妙な退院調整その22008・8・13
タイムリミットまで来たので、一応キャンセルしておいた。

主治医からの話では特に病的な異常は見つかっていないので、精神的なものが大きいのではないか・・・ということだった。そこで本人の希望で一番早い退院のコースを選ぶことにした。翌日退院・一晩家で過ごして・翌日のショート入所の図式が描かれた。期間は8月末までの暑い間・・・だが、末日が日曜日なので9月1日まで・・・という希望が出された。果たしてショートステイは空いているか・・・大きな課題を示された。

昨日何日か満床の日があったのを確認しているが、日にちまで確認していない。ショートステイへ向い、パソコンが立ち上がるのを待った。
満床日には全て本人の予約が入っている。「大丈夫ですよ・・・」と優しい声が返ってきた。
計画利用をしていなかったら先ずは取れない日程である。それにしても運の良い方だ。
前回の入院でも、2週間の入院から2週間のショートステイへつないでいる。何かあったら1ヶ月は施設で過ごさなければいけない方のようである。

今度こそは生きる力を持っていただきたい方でもある。家族関係は良くなりつつある・・・かどうかは外部からは判らないが、家族の口ぶりが柔らかくなって来ている。家族離散を何とかくい止められたのかもしれない。

週末にも会えない家族・・・  2008・8・11
週末のしかも夜にも会えなかった。
更新時のサービス担当者会議を盆休みの間に計画しようと日程調整をしていたが、結果合うことが出来なかった。こうなれば一発勝負である。
デイサービスは盆の間も開所しているが、ヘルパーの予定がどうなっているか・・・先ずは確認してから時間設定をさせていただこうかと思う。

通常の時間内でサービス担当者会議を開催することが困難なケースもある。
日程的な問題もあったが、大晦日に担当者会議を開催したこともある。とにかく型にはまらない対応をしているが、応えていただける事業者もある。
お盆の会議は今回が初めてだが、果たして上手くいくだろうか???

自己作成に関して書いたが、このケースも自己作成にした方がスムーズに行くのかもしれない。こちらのペースで書類だけ揃えれば良いのだから、時間のロスが省ける。しかし保険者が違うから、交渉する必要はある。
私が作るプランはマイケアプランであるから、代理提出を保険者に認めていただければ出来る。しかしケアマネジャーの仕事はケアプランを作ることだけではない。その点で少し不安は残る。

時として本人が見つからないことがある。通所拒否もあった。そのようなことは家族は知らない。この役割も家族が行わなければいけない。
訪問の電話は滅多にしないが、電話で確認しているからには会う必要があるからである。
担当者会議の日程を大枠で決めてから、電話で時間調整をすることにした。
そうでもしないと担当者会議は開催出来ないだろう。
強行策の調整を行うことにした。

ケアプランの自己作成  2008・8・10
ケアプラン文書はソフトが作成してくれるから、そう大きな問題ではない。
一度作った文書を更新時にも焼写しにすることも多い。そこで考えた。必ずしも自分で担当する必要が無くなったケースも中にはある。
確かに介護はビジネスであるから、ある程度の担当件数は必要である。しかし必ずしも私が担当しなければいけないケースばかりではない。

「ケアプラン自己作成」利用者自身がケアプランを作って担当課に届ければプランは回る。そういう思いからケースを眺めてみた。
予防プランは数件を除いて、私が関わっていなくてもプランは回る。先ずこれらのケースを自己作成にしては如何かと思い立った。関係書類を作成して、家族・親族から届けをしていただければ良い。ここ高岡では、ケアプランの代理提出が認められているので、利用表・別表・提供表・別表を毎月担当課に届ければ良い。

ケアプラン関係書類はソフトがたたき出してくれるが、若干の事務時間が必要である。そういうことよりも支援を待っているお年寄りがある。新規を受けることが出来るように、担当ケースに幅を持たせようと考えた。
要介護者で問題の無いケースは順次ネットワークに依頼していくが、要支援者まで依頼は出来ない。そうこう考えると担当出来る件数に幅が生まれた。

要支援者は自己作成、手のかからない要介護者はネットワークで・・・。依頼があったケースは全て受けていくつもりである。
先ずは、更新時の要支援者に届けだけを出していただくことから始めよう。
何れ、独立・民間系ケアマネで「協業組合」を結成出来るようになる一つの過程なのかも知れない。
早速、予防プラン報酬を集金すると言っているのに、口座振替しか出来ないと言っている包括の分から実行してみることにした。振替手数料は当方持ちである。・・・この取り扱いは常識に欠けている。

リハビリのゴール  2008・8・8
リハビリ室で出来ていることを生活に結びつける・・・ICFの基本理念でもあるが、危険を伴った生活動作を強いてはいけない。急ぎ過ぎてはいけないということである。

ショッピングや通院用に車椅子を使用するプランを書いた。主夫と主婦が仲良く主婦の役割を果せるように安全性を重視した。しかしPTはリハビリ室で出来ているから車椅子に抵抗がある。しかし実生活では行動範囲が違う。
一応座ることの出来る歩行器で対応することにしたが、ケアプランは書き換えない。先ずは安全性を重視していくことにした。

話の辻褄を会わせよう。
床からの立位が取れないから、認定結果が軽度者にランクされても特殊寝台を使用できるように準備を進めている。医師の医学的判断である。
床からの立ち上がり動作が出来ない方が、歩行器を使ってどれ位の外部歩行が出来るかご想像いただきたい。精々数十メートルであろう。この実力で日常生活のための通院は良いとしても、ショッピングに出かけられるか・・・ショッピングセンターは近くにない。

リハビリ室では歩けているので、ショッピングも座れる歩行器で・・・というのは現実を見ていない。能力と持久性とは違う。数十メートルごとに休んでいたのではショッピングセンターにもたどり着かないであろう。
レンタル商品は(座れる)歩行器だが、ケアプランは「車椅子」である。実生活で実験してみられてから決めていただければ良いと思っている。
ICF理念は危険性の排除にまで触れていなかったのかもしれない。しかし危険を冒してまで冒険する必要はないであろう。入院以来転倒骨折もある。
3ヵ月半の入院を経て今回退院になる。

急ぐことはない。安全な用具・方法を経て大丈夫なら次の段階に行けば良い。年のせいかも知れないが、先ずは安全性を選ぶ。
用具は使ってみて本人の感覚でレベルアップ(私の立場からはレベルダウン)させていけば良いと思う。リハビリ室で確実に出来る内容を生活に結び付けて良いとも思う。

非常に感じの良いPTだったので多くは語らないが、今後もリハビリ室を訪ねるだろう。

一時帰宅が退院に・・・  2008・8・8
今日退院前カンファレンスをセットしていただいたが、お盆の一時帰宅の家族への話は、実は退院の勧めであったようである。
福祉用具が必要な方だから、一時帰宅時にも用具が必要である。そう思い最小限の用具を準備する手はずを取っていた。
準備が出来る目処が立ったのでMSWにお会いした。

推測・予測も入れて話をしてみると、やはり退院に向けた話であった。そこで退院後に介護に関わるチームを引き連れて臨むことにした。
後程リハドクターから電話がかかったので、ケアプランの概要をお話した。概ねその内容で良いと言う事なので、介護チームにケアプラン等関係書類を届けて正式にサービス提供の依頼をした。急な話だったのでサービス提供責任者が会議と重なったので、代わりに看護師に出席させるという事業所もあったが、チームは揃う。

家族にはサービス事業者も同席させていただくと電話をすると、もう退院の話だということを感じておられた。「病院の意向もありますしね・・・」と。
MSWは出席できないということだが、リハビリスタッフには出席いただけるようである。盆の一時帰宅から推測して出席の必要性を絞り込んでいったが、今回も予測性を働かせて慌てなくても良かった。
要介護2以上は出るとは思っているが、軽度者に対する用具レンタルに対する予防線も張っておこうと思っている。

今回もスムーズに流れる退院前カンファレンス・サービス担当者会議がセット出来たように思う。

構造は変わるのか・・・。  2008・8・7
一年半余り介護保険下の状況を眺めさせていただいてきた。
地域包括支援センターが機能し始めているところもあるが、大方はどんぐりの背比べである。何故物を言わなかったかというと、個人的に恨まれても仕方がないからである。公での発言は個人に向けたものではない。
そういうある日、地域包括支援センターの監査を目にした。

現職時代県の監査時に、「〇〇が俺に何を言おうというのか・・・」と裏の話ではあったが、言った管理者があった。意識的にグルグルであるから、感覚としてはそう大変わりはしないであろう。この感覚を先ず変えていく必要がある。監査は公のものである。
人と人とのつながりと立場と立場のつながりは違う。公職にある(あった)方々にはこの辺りをご理解いただきたい。

大きな期待をしないで『監査か・・・』と思って帰って来たが、当時の預かり金の管理に関して「完璧です・・・」と評価していった監査官があった。数字が合っているということではなく、手順が完璧であった。(数字も合っているが・・・)
管理者には私的なつながりをてこに使うことなく、完璧な管理を行っていただきたいものである。

何が完璧かは部署によっても違うのだろうが、相談援助職の「完璧」は「理念」だろう。理念的にも完璧な地域包括支援センターであって欲しい。

お盆の一時帰宅。  2008・8・6
話の筋は誠に良い。しかし話の本筋は「病院が休みになるから、盆の間帰って、自信が付いたら退院して良いよ・・・」ということらしい。福祉用具が必要な方である。
一時帰宅では福祉用具をレンタルすることが出来ない。「福祉用具も準備をして退院してみて、都合が悪かったら戻って来ない???」の方が親切である。

近々退院だということはわかっていたので、チームは組んである。退院前カンファレンスに呼んでいただいて、退院の日を決めていただければプランは動く。しかし一時帰宅では福祉用具も使えない。そこで相談してみた。
答えは「今月中に退院されるなら、半月請求でも良いですよ・・・」しかし入院中にレンタルを開始する訳にはいかない。
居宅の届けも担当者会議記録を付けて届けをすることになっているから、こちらでもルール違反になる。

明後日一時帰宅に関して病院側から家族に話があるそうであるから立ち会うことにした。福祉用具レンタルにからめて可笑しな話にならなければ良いと思うが、ちぐはぐである。一応MSWには通してあるのだが、そちらからの話ではないようである。看護師の盆休暇の延長線上にある話だろうが、あまり好きな話ではない。
どんな話が飛び出すのか・・・福祉用具が必要な方の一時帰宅は大変である。

以前一泊の一時帰宅で、5000円でベッドを準備したことはある。搬入・搬出の手間を考えればそんなものであろう。

2年目の退院・・・。  2008・8・5
入院されてしばらく経った頃「脳の血管の血流が悪く、全身にもその兆候が現れている・・・」と大学病院から来ている医師が言っている・・・とご連絡をいただいていた。(頭の中ではとっくに他界されていると思っていた)
その方の妻から電話がかかった。退院させられてきた・・・と言われる。

都合の良い時間をお聞きすると午後2時頃が良いと言われる。
話の内容からすると全日デイサービスの利用が必要な状況だと判断した。
最初に紹介をいただいた方々は、今デイサービスを運営しておられる。過去に利用したデイサービスに問い合わせる前に、紹介していただいた方に電話をした。「・・・・・月曜日から土曜日まで、日中デイサービスで保護する必要性を感じるのですが・・・一緒に訪問して、アセスメント兼担当者会議にしませんか???」と。

限られた時間に限られた行動に移して、決められた書類をそろえるのに10時間も必要なかった。認定期間が抜けているので、申請に同行して改めて居宅届けを出す必要があるかも確認している。「継続していますから・・・」ということで、主治医意見書は1ヶ月先、認定調査もその後の状況の中で、明日からサービスを提供することになった。

申し込み→→契約までは新規と同じ手順を踏むが、主介護者の都合でケアプランの確認・契約は明後日になる。日付だけ明日にして、サービスも動き出す。不正と言えば不正なのだが、確認日が一日遅れるだけである。
ということで超特急。申し込みの連絡からケアプランが出来るまで時間にして9時間かかった。これ以上の超特急はないであろうが、担当者会議も終了している。

明朝楽しそうにデイサービスの迎えを待っておられる本人の姿が目に浮かぶ。

花火大会  2008・8・5
今年で57回を迎えたというが、年々豪華になってきているように思う。幼い頃に連れて行かれた記憶があるが、最初頃から知っているのだろう。帰りのバスが満員だったことは記憶にある。

当時川原まで行かなくても、現在の家から少し歩けば全て見通せた。同じような場所から鑑賞したが、随分沢山家が建ったものだと思う。大きく上がる尺玉は屋根越しに見えるが、後は雰囲気だけである。見ず知らずの方と一緒に歓声を上げてきた。
花火鑑賞に行く途中、気になる関係者宅を訪問している。飲み会で留守だったが、耳にだけ入れておかなければいけないことがある。組織が組織の形を整えるためにもご尽力いただきたいものである。

孫は花火が直接見える場所にいる。腹に響く花火の音に驚いたのか・喜んだのか・・・今日も来るはずだから聞いてみようと思う。
私よりももっと小さい時から花火を体験しているが、何才頃からの記憶が残っているのだろうか???3才児位で、印象深い出来事に対しては記憶があるのかもしれない。

何れにせよ、毎年花火で誕生日を祝ってもらっている。365分の1の確立である。

退院支援  2008・8・4
大腿骨頚部骨折で入院されてから3ヵ月半経過している。術後の経過が良くないのであろうが、少し気になるケースでもある。
伝い歩きも数メートルと言われるから、ほとんどねたきりに近い。ベッドからポータブル移乗がかろうじて出来る程度のADLである。

以前、長年接骨師をして来られた方から人工骨頭に関してお聞きしたことがある。受け側の骨がしっかりしていないと、骨頭が落ち着かないということである。骨には骨髄が走っている。骨髄では骨頭を受けることが出来ないということである。
入院期間が長いことから少し気になっている。

先月末に要介護認定の申請を行い、今朝認定調査に来る連絡が入っていることを電話で知らせていただいた。多分これ以上の回復は望めないのであろうが、痛みさえ無ければ良いと思っている。女性特有の骨粗鬆症が無ければ良いとも思っている。
MSWにも退院調整の依頼をして来たし、残りは近間のデイサービスを探しておこうと思うが、福祉用具の検討は退院間カンファレンスで行っても良いと思っている。週2回程度利用出来るデイサービスが見つかるかが今後の課題である。

サービス量に規制をかけてきた結果、サービスが不足する現状がある。

車の乗り換え・・・。  2008・8・3
妻が普通車に乗りたいと車種を検討していたが、車庫の関係からも長女・次女と同じ車になってしまう。「まさか3台もね・・・」という話が出ていたが、長女が車を乗り換えようかという話になっていたようだ。

誕生日プレゼントを貰いに自動車会社へ出かけたが、馴染みのセールスからその構想を聞いた。今なら私の車も値段が付くということであった。
長女:新車・妻:長女の車・私:妻の軽四で乗り換えの差額を会社で持とうという話である。会社に車はないが、現在乗っている車を下取り価格で購入した形にはなっている。今度も同じ手を使おうということである。

車を持ってから40年経つが、その間に乗った車は5台である。内中古車が3台だから新車は2台しか乗っていない。それに比べ我が家の女性軍は乗換えが激しい。3年目には乗り換えている。
果たしてどうなる事かは判らないが、軽四で仕事をすることになりそうである。燃料高騰のおりでもあるから、経費節減に結びつくのかもしれない。

退院2件  2008・8・2
7月中旬に入院された二人の方にそろそろ退院話が出てきている。
一件は日程に乗ったが、もう一件はこれからである。誤嚥性肺炎で、一時経管栄養も試みられていたが、結果胃ろう造設に落ち着くらしい。いずれにしても少し状況は変わっているが、ほぼ入院前のADLを保つことが出来そうである。

歩行が少し不自由になられたということもあり、昨晩改めて家の構造を確認してきた。段差解消機の話も出ていたので、居室の変更が出来るかも含めて検討したが、現状のままスロープで対応した方が良いようである。

1件に関しては主治医から家族への話に立ち会ったが、繰り返す可能性を極力避けるために、一度は外された留置カテーテルに戻すことになっている。管理に関しては月一の受診時泌尿器科で行っていただける。訪問看護も現状で良いということだった。

いずれも大きくは状態は変わらないものの、若干の変化は仕方のないことである。出来る限り繰り返さないようにしていかなければいけないが、1人に関しては一時寝たきり状態になるかもしれないと予測していた。
先ずは最良の状態で退院されるようである。

ケアマネジメントのコツ・・・。  2008・8・1
「ケアマネジメントはケアプランを作ることではない」とどこかに書いた記憶があるが、ケアプランはサービス提供の目安でしかない。ケアマネジメントとは状況にマッチした相談によりプランが動くようにしていくことである。そのことを実感させられた一日であった。

少し甲高い声で昨日電話がかかったが、甲高い声には施設長も施設の責任者ではなかった。まさか本人も施設長の前で携帯電話で話しているとは思っていなかったであろう・・・。電話が終わってから、「組織の体制が整っていませんね・・・」と指摘した。施設として判断することと、現場で判断することの区別が付いていない。現場から訴えがあれば組織の決定と解釈して独立ケアマネは動く。

通常私は現場とは風通しを良くしている。その為にも利用中の本人を訪問したりもするのだが、サービス提供の現状をある程度は知っている。しかし今回は全く降って沸いた話であった。
施設長との話は、「鍵がかからなくて困っておられるのなら、鍵のかかる施設を紹介しましょうか???」という話である。甲高い声の方はこの内容が何を意味するのかお解かりでない。親族には説明をしておいた。

電話の結果に対しては、施設長と「現場では見るつもりなのですね・・・」と確認を取っておいた。「施設の決定事項以外は軽々しく外部の人間に話すべきではない。」これが施設の品位である。
昨日即答で「何故今まで帰宅願望の話をしなかったのか」を問い詰めた。「最初からあった」と言うから、後見申し立ての診断書の時点で立ち会っているし、裁判所からの問診時にも伝えていないと言う。重要な診断・調査時にも伝える方法はあった筈である。

認識の甘さ・理念の低さなのかもしれないが、組織を私物化する方は大嫌いである。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

静かな月末の一日  2008・7・31
朝一番に記帳をしてきて会計事務も終わった。
午後今月最後の担当者会議が残っているが、サービス事業者一堂に会しての会議というのは始めてかも知れない。

昨年の秋に骨折される前は、福祉用具と緊急時のショートステイだけの方だったが、骨折でADLがかなり低下された。元々認知症で重度認定の方だったが、それにADL低下も加わったのだから、その時点で変更申請をしても良かったのかもしれなかった。
5月頃から限度額オーバーのプランになってきたので、変更申請を勧めていた。先月末にようやく主治医意見書がそろい、月をまたぐことなく、一日に変更申請を提出している。

そういう意味で言えば今日の担当者会議は計画された担当者会議である。
限度額に余裕が出たが、新たな希望が出てきた。通所(入所)サービス日数の追加である。ショートステイは「概ね半数」の縛りがあるので難しいが、デイサービスなら利用出来そうである。果たして定員が空いているかという問題もあるが、とにかく家族介護は限界に来ている。
入所の申し込みもしてあるので、少しでも有利に・・・と変更申請を勧めたが、またまた限度額オーバーのプランになりそうである。

問題が無ければスムーズに終わる会議であるが、施設側も介護に困っているケースなので、無事まとめ上げることが出来るかはやってみないと判らない。静かな月末になれば良いのだが・・・。

一緒に旗を振った仲間・・・担当者会議  2008・7・30
認定調査で30数年ぶりに再会した方がある。関係者の認定調査は受けていないが、懐かしさの余り彼の認定調査を受諾した。結果彼の命を救うことになる。
認定調査は公的調査であるから整然と行われた。調査が終わって一度ご挨拶をした。そのあと誰かを名乗った。

それから2ヶ月経過してのある日、妻から電話がかかった。悪い予感がして直行したが、彼はチアノーゼを起こしていた。後に判ることだが、誤嚥性肺炎である。顔を見るなり妻に「救急車・・・」と言葉を投げかけ、電話が終わったのを確認して旧友宅を後にした。
それから3ヵ月後に彼は家に帰ったが、退院1週間前まではねたきりであった。

そのケースが更新を向えた。退院2週間前に組んだプランだが、本人は気に入っている。ねたきり状態のプランに甘えていただいては困るのだが、彼も頑固である。
入浴嫌いの彼が入浴するようになったのは訪問入浴である。訪問看護師さんには、シャワー浴→入浴を試みていただいているが、本人は訪問入浴が気に入っている。ここは各担当、気長にその役割を説明することにした。

相談を受けてから始めて2階の座敷へ案内された。もう35年も経過しただろうか・・・ご夫婦にとって重要な部屋である。この座敷で当時腹一杯のお酒を飲んでいる。担当者会議参加者にもそのことを紹介した。
今彼がいるのは、認定調査と救急の判断をした私への電話であった。
あの時30数年ぶりの再開を告げずにいたら、もう彼はこの世にはいないかもしれない。

人には出会いと別れがあるが、ここに「再会」も加えたい。良い再会が何時の日にかあることを信じて、日々人とのお付き合いをしていきたいものだと思う。
再会は望むものではないのかも知れない・・・。

スムーズな流れ  2008・7・29
昨日、別の方の提供表を持って行ったついでにサービス担当者会議の日程を知らせておいた。「今から見に行って、主任が今日休みなので、明日相談しようと思っているんですよ・・・」とにこやかに答えていただけた。

8時22分の着信だから、主任との相談はそう時間がかからなかったのだろう。ケアプランがパソコンに入っていることは伝えておいたし、代替サービスも考えていることも伝えておいた。14時の会議だから昼まで連絡をいただければ良いことも伝えておいた。しかし電話は朝一番であった。
少し余裕を持って書類を準備することが出来た。

今日の担当者会議は8名のメンバーだったが、多床室を個室にして使っておられたので、居室で行った。ショートステイ担当者のご配慮だったのだろう。会議もにこやかにスムーズに進んだが、マイペースでの会議、初対面の方がおられることを忘れていた。紹介無しで、いきなりサービス内容の確認に入ってしまった。
会議が終わってから名刺交換もあった。

気の張らない、気の長いお付き合いもしていかなければいけないので、時としてこのようなスタイルも良いかと思った。関係する方々は直接連携を取っておられる。担当ケアマネがデシャバル必要は全く無かった。
最後にサービス提供が可能だと連絡をいただけた方は終始笑顔で臨んでいていただけた。帰られる時に「助かりました・・・」笑顔を返しておいた。
先ずは一日目大成功であった。

明日は病気から来る倦怠感もあるのだが、なまくらな方に「生活に活動性を持たせてください・・・」と往診医からコメントをいただき続けている。
本人に活動性の話を出来るのは私しかないのであろうが、果たして上手く伝えることが出来るであろうか???過って労働組合で議論を闘わせた方である。熱弁家でもあったが、認知も少し出て来ているので、言葉には気を付けなければいけない。

果たして彼を論破出来るか???これも楽しそうな担当者会議である。

今月の締めくくり・果たして予定通りに・・  2008・7・28
残すところ3日間、連日担当者会議が組まれている。

本人希望のデイサービス利用が可能かどうか・・・本人の状況を確認して、センターで対応の可否を協議して、担当者会議2時間前までにご連絡をいただけるように丁重に依頼して来た。口調は柔らかいし、心ある相談員なのだが、果たしてセンターをまとめることが出来るのだろうか???
利用出来なくても次の手は考えてある。「もし利用出来なかったら如何されるのですか???」という質問があった。「何とかなりますよ・・・無理をしないでね・・・」と。

担当者(専門職)とのお付き合いと組織(サービス)とのお付き合いとは別である。事情が許さなくて利用出来ないときには別の資源で支える心積もりは常に持っている。専門職個人に心の負担を感じさせることはしない。
公私混同をしない変わりに、相手にも公私混同をさせないでおこうと思っている。
今苦渋の選択を迫られているのは私ではない。可否を担当者会議の2時間前まで連絡していただければ良い。書類は全て揃っている。

組織の中で個人の考え通りにいくことは少ないであろう。私が無理を言うのは民間事業者に対してである。手持ちの人材で不可能な場合でも、人の使い方まで協議することがある。今回は私のケースを渡り歩いていただければ解決すると判断したので、時間に幅を持たせた。そのヘルパーに先日お会いしたので「時間的に混んでいるけどお願いね・・・」と言ったら、にこやかに微笑んでいただけた。

誰がサービス提供をしているのか判らないプランを書いているより、サービス提供者の顔が見える方が良い。サービスは持っていないが、サービス提供者の顔は見える。約40件のケースだが、サービス提供責任者・サービス提供者も含めると何十・いや何百人の方々に支えられてケースは動いている。
これが独立ケアマネの醍醐味なのかもしれない。一言多いが、大半が女性である。

午前中に利用の可否を連絡いただければ担当者会議用のケアプランと利用表は出来る。あとは担当者会議で本人・家族の意向を聞けば良い。本人の意向に沿った調整がここまでしか出来なかったのであるから致し方ないことだと思う。代替サービスも心の内にはあるので提案することとする。
3ヶ月余り後に転居になるので、その時のことも考えてチームを組んである。

残る3ヶ月余りを本人の希望どおりにプランをスターとさせられれば良い。
今回も流動的なプランになったが、色々な条件を視野に入れながら、どのようにでも変化できるプランを描いていきたい。
ケアプランは固定したものではない。

講演のテーマ(ALS講演会より・・・)  2008・7・26
先日の上越講演のテーマは公正取引委員会の指摘とそれを受けた厚生労働省の見解・地域包括支援センターに課せられた「守秘義務」であった。講演には「テーマ」が必要である。
日本のALSの第一人者である医師の講演のテーマは、「本人に係る事故に対する賠償問題」であった。
何れも根が深い問題である。・・・が性質が違う。

ALS患者の最後の砦でもある先生のケアセンターは貴重な存在である。今後医療機関から福祉施設でも対応出来るように、制度改革も図っておられる。介護職による吸痰の問題も一つだが、現在医療ケアとされている部分をケアセンターで指導して施設で介護が出来るようにしていこうという構想である。これは素晴らしい取り組みだと思った。

そこで出て来たのが「事故」の話である。「入所入院中に何があっても、施設・病院の責任を問わない・・・」これに関する念書も取っておられる。しかし心配である。
前向きな姿勢だが、家族(親族)には必ずしもこの趣旨に賛同される方ばかりではないであろう。「事故」があっても「それが寿命」という考え方に賛同は出来るが実際にはそうではないであろう。
某国立病院機構の精神科医師が言われた。「転等事故で訴訟問題がおこったら病院側が不利なんですよ・・・」と。
先ずこの関係を整理する必要がありそうである。
教授はさらりと念書を取っている話をされたが、ここでも法的な関係を精査しておく必要がありそうである。

患者本人との関係だけではなく、法との関係も整理しておく必要がありそうである。
半分オブザーバーで参加しているつもりであったので発言はしなかったが、中央省庁で見解を統一しておく必要がある問題でもある。
その意見統一こそ、「必要があって託したからには、事故があった時点が寿命だった・・・」という確認である。

厚生労働省と法務省の綱引きになるのだろうが、重度者を率先して受ける背景を作るためには重要なことだと思う。
かと言って、看護・介護の質の低下は困るが、団塊の世代がそろそろ高齢者の仲間入りをする。理念や考え方は充分に統一しておいていただきたいと思う。
私が最後に訴えかける問題を仮想すると・・・「家族・親族の責任と医療・保健・福祉関係者の責務」である。
自信を持った、前向きな介護・看護を大きく期待している。

何とか月が越せそうな・・・  2008・7・26
週明けにロングショートステイの入所を確認して、3件の担当者会議を開催、提供を配布すれば良いところまで来た。日曜日に親族会議の案内があるかもしれないが、先ずは日程に余裕が出てきた。
土日は何件か利用者に確認しなければいけないこともあるが、これは休日にしか会えないの分だからそう大ごとではない。

昨日は「会議室」へ近隣の方から相談があった。退院まで半月ほどあるので、主治医意見書用紙を渡して先ずは申請を行っていただくことにした。本人にお会いするのは来月早々だが、話の感じではそう問題のあるケースではないように思った。ただ、希望しておられることと、介護保険で出来ることとの内容に違いがあるのかもしれない。私費対応する手もあるから、何とかなるだろう。
ここのところ大変なケースが続いているので、軽く受け流しても良いよう思うが、関わって見なければ問題点があるのかどうかも判らない。とにかく月初めにご本人に会うことにした。

ただ、流れが切れていないと感じている。
動いた割には件数は増えていない。入院者もありかえって件数を減らしているが、この流動的な中で動いていることにケアマネジャーの醍醐味を味わっている。
私の中では解決とその方向性が見えているが、家族が右往左往しているだろうケースもある。早く手中に戻っていただきたいものである。

忙しい中にも、何とか月を越せそうな雰囲気を感じている。
そうそう、サービスを利用出来るのか連絡を待っているケースがあった。見切り発車しているが・・・。

困難事例・・・(本人が問題)  2008・7・25
関わって3ヶ月、問題の全容が見えてきた。問題の原点は本人の生き方である。

妹さんから相談があったのが約1ヶ月前、週2日のショートステイ利用にも抵抗していた本人に「妹さんも望んでいるから、1日増やすね・・・」と週3日のショートステイ利用に変更した。
変更後2回目で頭が痛い・・・ということで延長の申し出が本人からあった。結果延長して次週の利用予定とつなぐことになった。10日間のショートステイである。

帰宅日の夕方、妹さんから電話がかかった。「頭が痛いから・・・」ということだったらしい。頭痛の原因は医療では治せない。神経からくるもので、医療ではどうしようもないということである。
以前、腰から来る足の痛みを訴えて近隣の総合病院を全て回っておられる。この時にも医療的にはどうしようもない神経から来る症状だという答えが出ている。

「痛み」は他人には判らない。本人しか感じない痛み・・・足の痛み・頭の痛み・・・10日間のショート利用中に一度訪問しているが、頭が痛いとは言っておられたが、その後職員からの報告は無かった。家に帰って直ぐに痛みの訴えを妹さんに電話で伝えられたということである。

妹さんには親族会議を招集していただくようにお願いした。本人に話していただけるような、影響力のある方にも来ていただけるようにお願いした。
医療で如何も出来ない痛みをケアマネジャーは取り除く術を持たない。精神的な痛みなのであろうから、精神的な解決方法しかないであろう。

包括から引き継いだ時に、最終的なケアプラン・計画を提示している。日中独居の方を私費も含めて、1日の中で必ず一度は家族以外の誰かの目に触れるプランである。私費部分と入浴介助を削ったのも本人であった。
50パーセントしか稼動していないケアプランだが、その反動が10日間のショートステイになったようである。

果たしてまとめ切れるのか・・・親族会議を後見にプランを進めていく構想を描いている。
「自分自身の人生が嫌になった」方のお付き合いをケアマネジャー1人で出来るわけが無い。その責任を平等に分ける親族会議を一番本人に近い方に求めた。

カラスの足音  2008・7・25
ここ数日、早朝にカラスが遊びに来る。
最初は何の音か判らなかった・・・。「カシャ・・・カシャ・・・カシャカシャ・・・カシャカシャカシャカシャ・・・・・」
車庫のトタン屋根の上を歩いているカラスの足音である。

ゴミを荒らすから害鳥とされているが、童謡にも歌われた鳥である。
・カ〜ラ〜ス何故鳴くのカラスは山に・・・

ゴミを個人家庭の管理から近隣の管理に変わったが、ゴミ収集車のコースの都合もあって集積場へ集めることになった。ごみ収集の有料化から統一した袋を使っているが、高岡では青色の袋を使っている。
カラスには黄色が見えないというから、黄色の袋を使ったら如何かと提案したことがある。多くの集積場ではシートやネットでゴミを蔽っている。それでも時にはカラスに荒らされることがある。

ここ富山県では県の中央部にある太閤山がカラスの巣になっていると言われる。マンモス住宅・公営住宅も立ち並ぶ住宅地の裏山がカラスの巣になっているらしい。
明るくなると県内各地へ出勤(?)して、暗くなると山へと戻る。

・・・・・カラスが鳴くから帰〜〜〜ろ・・・
というのもあったが、最近のカラスの悪態は歌にもならない。

BCCメール・・・某市講演会  2008・7・24
講演会その後・・・の記事を書こうとしたら、掲示板には載せていなかった。メールを最後にコピーするが、還暦同窓会の記事にも不可解なところがあったのだろう。

10日ほど前の講演の記録をBCCメールでご案内した。同級生の教授と懇談したのは還暦学年同窓会である。このメールがあってはじめてこの会話が成り立つのであって、メールが無ければただの講演記録である。
講演内容をお伝えする手段として今回はBCCメールを使ったがブログ(掲示板)にも載せておく必要があった・・・ようである。

コピーします。

(ここから)
皆様ご無沙汰しています。

二上浩@介護問題研究会議です。

昨日上越で「我が福祉人生」を語る機会がありました。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2jixyouetukouennkai.htm

上越へ向う途中、講演中、懇親会中も電話はかかっていました。
訪問看護・地域包括支援センター・民生委員など等、私自身のネットワークからも応援をいただいていました。
公正取引委員会の指摘と法改正の関係を中心にお話して来ましたが、良い地域福祉コミュニティーが出来ていくような雰囲気を感じながら高岡へ帰ってきました。

講演原稿をHPに掲載いたしましたので、ご参照いただきたいと思います。
順次資料へのリンクを整理していきたいと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

././././././././././././././././././././././././././././././././././././././
☆ボランチ型在宅介護支援センター『高岡発・介護問題研究会議』
        URL : http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/
mailto:kaigoken@p1.tcnet.ne.jp
☆指定居宅介護支援事業所『高岡発・介護問題研究会議』   
     〒933-0043 富山県高岡市中川上町9−25 二 上  浩
TEL0766-22-7972 FAX0766-22-7973 (携帯)090-5684-6065
☆HPボランチ型在宅介護支援センター『高岡発・介護問題研究会議』会議室
☆富山県独立型介護支援専門員ネットワーク事務所
     〒933-0035 高岡市新横町1044-3
            mailto:kaigoken@forest.ocn.ne.jp
☆ブログ    http://www.care-mane.com/blog_my_top/blog_id=74
././././././././././././././././././././././././././././././././././././././

ターミナル・・・役割は果たせたか???  2008・7・23
6月27日に指名をしていただき、初回訪問の足で主治医を訪ねている。訪問看護の利用と訪問入浴の可否に関してお聞きしている。
30日に訪問看護との担当者会議を開いている。日程的には週末でもあったのでこれ以上早くはならなかったであろう。

3日の初回訪問看護で褥創が出来かかっていると連絡をいただいて直ぐに用具の手配をした。翌朝褥創予防マットの搬入に立ち会っている。
次の訪問看護で、訪問入浴で半身入浴をしても良い状態だと連絡をいただき、その日の内に訪問入浴を確保、翌日利用面接を行っている。
中一日おいて訪問入浴初回利用。訪問看護の日と重なったので一日ずらしている。
その訪問看護にも立会い、サービスは軌道に乗った。

それから10日目、訪問看護師から報告のFAXが届いた。動きも鈍くなって来ておられるので、ベッドの入れ時かもしれない・・・と。
訪問の上家族に確認した。「そう長くないだろうから、このままで良いよ〜〜〜」と。本人の状態を確認すると家族の判断は正しいと思った。
そして翌朝訃報が届いた。

時間との挑戦のマネジメントだったが、果たしてターミナルを支えることが出来たのだろうか・・・。医師の往診予定の早朝、静かに息を引き取られた。子から電話でお知らせいただいたが、その声に迷いはないと感じた。
良いターミナルだったのだろう。そう思うことにした。

ギリギリの調整  2008・7・23
デイサービスの送り出しにヘルパーが集中している。車で5分位の距離だが、3件目が出た。出来るか出来ないか・・・本人の状況を考え合わせ論議が続いた。
週1回のことだが、他所へ言おうか・・・と言った時、「やります・・・」という答えが返ってきた。ショートの送り出しは時間も遅いし、それ以外の日も余裕がある。デイサービスの送り出しだけが問題になっていた。
駆け巡るヘルパーの姿が目に浮かぶ。

デイサービスを利用出来るかの答えが出るのは週末になるが、答えを聞いてから次の行動に移る必要があるのかもしれない。希望のデイサービスを利用出来るのかも微妙なところである。
ショートステイで一時避難するから時間があると思っていたが、慌ただしく日々が過ぎていく。月末に向ってプランを整えることにはかなりの労力が伴う。月を無事越せるのであろうか・・・。

今週は週末まで予定がビッシリと詰まっている。月末の4日間で提供表の配布と3件の担当者会議を行わなければいけないが、日程調整もこれからである。今月は郵便配達で勘弁してもらうことにしよう。
暑い夏・・・夏本番の8月はどんな月になるのだろう???
気持ちだけには余裕を持ちたいものである。

病院間ネットワーク  2008・7・22
隣県の病院に通院されていたが、可笑しいと思い受診されたら入院になったと連絡を受けていた。誤嚥性肺炎だったようだが、現在寝たきりの状態・・・のようだ。急性期リハビリは出来るようだが、回復期のリハビリ病院を探すように言われた・・・と。入院2週間での話としては納得出来ない内容である。
回復期リハビリ病院として候補に上がっていた病院も急性期病院である。

MSWと相談しておられるようだが、病院の種類を整理してお伝えしておいた。転院先さえ決まれば病院間連携は図れるのだが、県外の病院から県内へ戻ることが先ず問題になる。
精神科の長期療養が出来る病院の中心は重度認知症の方々であろうから、チョッとかわいそうな気もする。
病院側の対応を聞いているとチョット無責任なようにも思ったが、候補に上がっていた病院は精神科の長期療養型病院であった。その他にも何箇所かあるので紹介をしておいたが、転院にも困難を来たす状況のようである。

月末は仕事が込んでいるので動けないが、月初めにでも出かけようかとも思う。MSWから状況を聞いて、MSWに伝えることは出来る。転院可能なら紹介状があれば良い。もうしばらく様子を見て解決しないようならそれも致し方ないであろう。
ここまでは事前に予測して伝えておくことは出来なかったが、別の疾患が疑われるときは地元の病院へ行ってもらえば良かった。基礎疾患の科がある総合病院を候補に上げておくべきだった。

今日病院へ行くと言われていたので、候補に上がっていた総合病院へ転院することが出来れば良い。その後は病院関連系・医療連携の橋渡しは可能である。
状況をお聞きした限りでは、家に帰ることは出来ないようである。
現在入院中の方が3人あるが、何人が家に帰れるのであろうか???
今年の夏は、病院通いの夏になるのかもしれない。

還暦学年同窓会・・・終了  2008・7・21
テーブルの数を数えてみると200人位の参加があった。約600人の学年だったから、3人に1人は出てきていた勘定になる。かなり良い出席率だった。
我がクラスは平均以下の出席率だったが、関係者が見たら「!!!」だったのかもしれない。お互いもうしばらく現役を続けることが出来そうである。

そういう中で先日結成された患者会のメンバーからご挨拶があった。「〇 〇さんの会の・・・」とご挨拶があったが、当人は車椅子で参加されていた。こちらが判らなくても、判っていただいていた。
会のメンバーを担当していることや病気の特性も理解しているので、困ったことがあれば連絡をいただくことにしておいた。

懐かしいメンバーとの一時だったが、懐かしい歌もあった。
「校歌」に始まり、三小学校歌も紹介された。案外覚えているものである。
あっという間の2時間だったが、結構皆様若かった。
和服で正装してきていた女性もあったが、理由は後でわかった。うつ傾向で、病院でよく会う方だが、今日はそのうつもどこかへ飛んでいっているようであった。

相談されても困ることもあるが「介護問題」に関しては窓口を広く開いている。
親の介護を終わった方やこれからという方もあった。
日本の介護もそろそろ本番を迎えようとしている。「団塊の世代」のトップバッターが「還暦」を迎えた。

連休も仕事・・・書類の山は増えていく・・
開業以来はじめて書類の山が出来つつある。昨日の段階で作ることの出来る書類も手付かずである。メモが山になってきた。
連休も合間を見て仕事をするつもりでいるが「還暦学年同窓会」が明日に迫っている。午前中は患者会の相談会である。

予定表を一枚めくってみた。祭日には2名分のケアプランを書く予定でいる。一名は自己作成プランである。
その後も続くは続くは、サービススタートにむけた隣市への居宅届けもある。届けの後サービス事業者との調整も予定している。このプランを受けるのは本来日程的に無理だったのかもしれない。しかし、条件的には最適なケアマネジャーであった(と自己満足している)。

何故かこの時期に研修会が集中する。それに加え難病団体からイベントへの支援依頼も舞い込んでいる。そしてイベントに参加出来るように調整も行っている。
予定から予測してスタンプラリーも早目に行なっている。何とか出来る・・・はずなのだが、これ以上予定が増えると「オーバーヒート」してしまうだろう。
熱い夏を迎える前にオーバーヒートはしたくないが、今年も熱い夏になりそうな予感がしている。

市ケアマネ協勉強会  2008・7・18
今日のケアマネサロンのテーマは「何処までがケアマネの仕事???」だった。ケアマネが介護まで行っておられる事例が続々と出てきた。
私自身社会資源になっているケースはあるが、他に資源がないからである。利用出来る社会資源は全て使っている。

そういう中で紹介したのが、後見協会の行なっている身上監護である。しかし、親族が金を出そうとしないので、ヘルパー変わりまでやっておられる。金を出さないことは虐待にも通じるので、必要ならば市長申し立ての後見制度があることも伝えた。申し立てできる方がありながら、後見制度が必要でありながら利用出来ないとなると、市長申し立てが出来る。虐待ケースなどでは有効な手段なのかもしれない。

昨日も市担当者と包括の訪問で話していたことだが、ケアマネジャーが問題を自分で囲い込む必要はない。社会資源としてある各種専門家を有効に使うべきである。私は自分で解決出来ない問題をその道の専門家に相談をしている。この相談できる窓口を先ず確保する必要があるだろう。
人間幾つになっても教えを乞うことは必要である。

事例を紹介した方は、何か得をしたように思われて帰っていかれたようにも思われた。グループワークから自分の考え方の盲点を見つけることがある。視点の違いなのか、良い解決策のヒントをいただけることもある。
テーマはあるが漠然としたテーマでもあったので自由な内容が話題になった。当人は一生懸命やっておられるが、視点を変えると別の角度も見えてくる。これがグループワークの良いところなのかもしれない。

何かを見つけて帰っていかれる方の肩には力が漲っていた。
大したアドバイスも出来なかったが、視点を変えていただけたようである。
ケアマネジャーはチームの要ではあるが、全てをまかない切れるものではない。問題の原点を誰に相談すれば良いのか焦点を絞ることが出来れば良い。
そのことだけはお伝え出来たのかもしれない。

サービス担当者会議+アルファー・・・それが頭に浮かべばケアマネジャーは苦しまなくて良い。このコツを体得していただきたい。
極端な話だがケアマネジャーは何も知らなくても良い。それがケアマネジメントである。
専門職を如何にネットワークで結ぶか・・・その方が重要である。

力を振り絞っての訴え・・・  2008・7・17
「食事が出来なくなったので受診したら入院になった・・・」とご連絡をいただいたのが月曜日だった。老夫婦へのヘルパー派遣の按分内容を少し触った。結果をご報告しようと携帯に電話をしているのだがつながらなかった。

ちょうど入院中の病院へ行ったので寄ってみた。肺炎だと言われるから誤嚥があったのかもしれない。そのあと出て来た言葉を聞き取ることが出来なかった。病気から来る言葉の不自由もあるのだが、振り絞るように訴えられる言葉の中から「訴訟」という言葉がかろうじて聞き取れた。何か意に合わないことがあって、訴えたいのだろう・・・「頼んだぞ・・・」と言って、両手を合掌されたので、思わずその手を握った。

何があったのかは振り絞るように訴えられる言葉からは聞き取れなかった。しかし何か人生における一大事が本人の中におこっている。それを探る作業に入った。
子を訪ねそのことを話すと、一昨日までは通常とはそう変わらない状態だったそうである。誤嚥があるから水分は制限されていたが、意思表示が困難な状態ではなかったそうである。
本人が何を訴えたかったのか・・・今日面会に行っていただくように依頼した。

人生において何か残念なことがあったのかもしれない。内容は判らなかったが、その状態を察知した。本人に安心感を与えることもケアマネジャーの仕事だと思う。
訴えの内容を察知出来れば良いのだが・・・退院が何時になるのかということよりも重要な話だと思った。

何があったのだろう・・・温厚な方である。

慌ただしい一日・・・  2008・7・16
昨日一件隣市の包括から電話がかかっていたが、対応は市と地元包括の来所の後になった。

明後日退院前カンファレンスを開催出来るように包括から手配をいただけるということなので、私はサービスの確保に奔走した。とにかくターゲットにしたショートステイで月末までのショート利用は可能になった。状況によっては空きベッドが出るかもしれない。3ヶ月の長期利用になればそれでも良い状況である。

サービス提供者にも時間に合わせカンファレンスに出て頂けるようになったが、受け入れ側のカンファレンスの日程が取れない日程でもある。
尿路感染で若干発熱もあるということなので、退院を連休明けに延ばせないかの駆け引きを行うことにした。私から働きかけても良いのだが、包括から病院の相談室に掛け合っていただくことにした。現在は病棟との調整のようである。

いずれにしても私が関わることを伝えておいていただいた方が話は早いようでもある。いずれにしても連休をはさんでの1週間後の退院はキツイ。
何とか日程に目鼻は付いたが、余裕を持って退院に臨みたい。ただお会いしていないので、状況だけではケアプランも書けない。この過密な予定の合間を縫ってケアプラン一件仕上げる必要があるが、チョッと手抜きプランになるかもしれない。

秋には転居になって、サービス事業者も変わることになりそうだが、プランを整えるのは少し先送りになるのかもしれない。
可能なら、転居までショートステイの連続利用でつないでも良いのかとも思っている。
サービスを開始してから、しばらく模索が続くのかもしれない。

鍵が無〜〜〜い!!!(ボケるなら先に)  2008・7・14
急ぎの事業所訪問を済ませて事務所(自宅)近くまで来た時妻から電話がかかった。「鍵が無〜〜〜い!!!」腹に力の入らない、空気の抜けた風船のような声(どんな声???)だった。
とにかく家へ行ったが、車が動かないので一昨日から来ている長女に職場まで送ってもらっているらしい。今朝出したはずのゴミ袋まで持ち帰ってある。

しばらくすると長女が帰ってきて、手当たり次第に二人で探したが見つからないということ。再確認の意味で応接椅子や心当たりを探してみたが見つからない。訪問記録が残っているが、パソコンに向っては思い当たるところを探してみた。
昨日の行動から検索したが、家の鍵が空いていたかどうかははっきりしないと言う。鍵を開けて家に入っていれば何処かにあるはずである。

そうこうしながら仕事が手に付かない。何の気なしに車庫へ行ってみると妻の車の後のドアが半開きになっている。そこで車中をくまなく点検してみた。やはり無い。
スペアキーを探し当て、我が家に関わる鍵は揃ったが、会社の関係の鍵もあると言う。それでもと思い、しばらくして車を点検してみた。

何と鍵は「あった・・・!!!」屋根の上に寂しくキーホルダーは置かれていた。
長女から見つかったと電話をさせ、帰り道に届けておくことになった。
長女も余り時間が無かったのだが、何とか間に合った。
帰りの足が無いので終業時間に迎えに行ったが、声は通常に戻っていた。現金なものである。

長女には「ボケ始めたのかもしれないから、ボケたら帰ってきてね・・・」と依頼しておいた。
本人には物が無くなったら、行動を遡ることを教えておいた。
もしかして・・・なのかもしれない。
希望としては妻の先にボケることである。
そういえば最近車の運転に不安を感じている。

果たして先にボケることが出来るのであろうか???
これだけは誰にもわからない。

フォーラムの途中に電話が・・・  2008・7・14
市長と活動家の対談を楽しみにフォーラムに参加したが、そろそろ・・・という時間に電話がかかった。MSWからの電話だったが、留守録もセットしておいたが、3連続電話であったので会場の外に出た。
関係者が会のイベントに迎えに行ったら「足が腫れていて痛いので行かない・・・」ということだったと言われる。受診の必要もある・・・かも・・・ということだが、朝状況を見に行っている。

一昨日帰りが遅いとヘルパーから連絡をいただいていたので朝訪問しているが、何時もの如く帰る道が判らなくなったらしい。徘徊とも言うが、かなり歩かれたらしかった。会へ連絡をしたいが電話がつながらないようだった。電話料金が引き落とせないのでストップしているのかもしれない。
会へ行かないということは聞いていたが、理由は聞かなかった。足が痛いとの訴えは無かった。

行ってみるとベッドで横になっておられた。足の腫れは無いが、膝にシップ薬が張ってある。聞いてみると膝が痛いということだった。
ヘルパーに電話で確認すると、先日転んで膝を打たれたようである。車も避けてくれて事故にはならなかったらしい。その膝が徘徊による疲労から少し痛んでいるようである。
明朝の様子を教えていただくことにした。

どちらにしても緊急性は無い話のようだが、MSWが医師と連絡をとろうとしておられたので病院に電話をした。救急外来へつながったので恐縮だったが、まだ病院内におられないか探していただくことにした。もう帰られたようだったので、情報の発信者を通じて連絡をいただくことにした。
原因は判ったので、しばらく安静にしていれば良いだろう。打撲と疲労で会へ行かなかったことから、話は膨れ上がってしまったようである。

通常なら動かなかったであろうが、あと2週間問題なく過ごしていただきたい。

姉妹家族が揃った・・・  2008・7・12
被保険者証が届いたという連絡を受けて訪問すると遠方に住む妹家族が来ておられた。お盆まで持つかどうかというターミナルの方だが、今回の帰省が最後の別れになるものと思われる。
土日を利用しての帰省だが、今晩は酒盛りが始まりそうな雰囲気だった。

延命措置をとらない家族の意向だが、本人の行動も段々と鈍ってきている。自宅でターミナルの看取りを行う予定でおられるが、主治医も交えたきめの細かな連携が必要になってくるかと思う。
高齢でもあり、家族の表情からは悲壮感は見えない。離れ離れに暮らす姉妹が一緒に調理をしておられた姿からは、楽しそうな雰囲気が伝わってきた。

自宅でターミナル・・・家族関係も良いようなので、大きな問題は起こらないであろう。親を看取る心構えは出来ているようである。
ここ2週間で大きく状態は変化して来ている。トイレまで行っておられたが、今はその力は無い。しばらく様子を見て、介護者の為にベッドを搬入する必要も出てくるものと思われる。そのタイミングを家族に任せた。夕方まで聞かせていただければ、明朝には準備出来る。

静かな中にも、日一日と最後の日に近付いておられるが、姉妹の表情を見る限りでは心構えも出来ているようである。
そういう重要な日に被保険者証が届き、その光景を目にさせていただいた。
良い最期を迎えられるものと思う。

車椅子とスロープ  2008・7・11
かなりADLが落ちてきているので、何時話が出るかと思っていた。
以前怪我で歩行が不自由になった時は、デイサービスの車椅子で送迎を行い、スロープは「会議室」のものを一時貸し出していた。今回は本格的に車椅子生活になるのでレンタルをしていただくことにしようと思う。

午後福祉用具購入に関する相談を予定しているが、品物があれば家も近くなのですぐに納入出来る。ケアプランは2表に事業者名を追加すれば良いようになっている。
先を見越したプランを書いているので、サービスの追加に関しては即応出来る。

今日は時間との戦いの一日になるが、予定通りに行かないと記録だけ残ることになるかもしれない。夜は地元ケアマネ協の交流会である。
先月末ぐらいから、中旬以降の予定が詰まりだした。少し早目に動くことにしたので、何とかなりそうな感じはしているが、これだけは終わってみないと判らない。
認定待ちが3件あるが、2件はサービス担当者会議を開催する必要がある。月末にかけてバタバタする予想もしている。

30度を超える予報も出ているので、今日も熱い一日になりそうである。

懇親会にもお誘い  2008・7・11
総会後の講演のあと懇親会が行われると言われる。その懇親会にもお誘いいただいた。
お酒は嫌いなほうではないので、せっかくの機会なので出席させていただくことにしたが、過去の経緯からもチョッと心配なことがある。その日の内に家に帰ることが出来るのか・・・ということである。

25歳頃のことであるが、県東部の市の選挙応援に出かけ、祝勝のお酒を快く飲んだ・・・その後が大変だった。
当時真夜中の寝台急行列車があったが、何両か一般車両も連結していた。「北国」という名前が付いていたと記憶しているが、その列車で帰ってきた。

「高岡〜〜〜」「高岡〜〜〜」という放送で飛び起きたが、それは出発の駅のコールであった。
・・・・・・・・・。
結果、金沢まで行って、同じ列車の下りに乗り換えて家に帰ったことがある。
そういえば乗り越して富山まで行って、バスで帰ったこともあった。

翌日包括の訪問相談があるが、市担当者も同行するということなので、朝までには家に帰れば良いだろう。
帰りのJRを確認したが、福井までの乗り越しなら何とか時間まで帰れそうである。

今月は早めに・・・  2008・7・9
月末から月初めにかけて慌ただしく時間が過ぎていったが、幸い(?)予定表に一日の空間があった。
これ幸いと、隣市の遠方の病院に入院中の家族に更新申請書類を届けるために隣市の介護保険課を訪ねた。更新申請書と主治医意見書用紙を貰うと、「これも如何ですか・・・」と申請手続きのパンフレットも出していただけた。「ケアマネジャーです・・・」と辞退してきたが、対象者・又は家族と思われたのかもしれない。

その足でデイサービスセンターで意見交換をして本人が身を寄せる子宅を訪問した。午後から主治医から話があると呼ばれているところだと言われる。「申請は来月で良いんですが、とにかく意見書を依頼してきて下さい・・・」と話は順調に回っている。誤嚥性肺炎だったと聞いているので、退院の話なのだろう。状況が大きく変わるような話だったら、ご連絡をいただくことにしておいた。

昼に事務所に帰ってもう一度予定表とニラメッコをした。
今日作っておかないと・・・ヤバイ・・・。ということで、午後利用票を作成した。
私が使っているソフトは利用者の確認を得ないと提供表を作ることが出来ない。ケアマネジメントの手順通りに作られている。
そういう訳で、予定が確定していないプランや認定待ちのプラン以外の利用表・別表と予定に連動した「介護健康メモ」を作成した。これで何時でも暇を見てスタンプラリーに出かけられる。

今月は土日もほとんど詰まっている。難病団体の相談会や職能団体の研修会は共催になった。富山型に加え還暦学年同窓会も・・・。人との再会を楽しむ研修会やフォーラムなど等・・・そして講演にも出かける。
本当は余裕を持って講演原稿の読み直しもしなければいけないのだが、どうもブッツケ本番になりそうである。

早いところで、明後日はケアマネ協の懇親会が待っている。
そういえば半年前に2次会に行った先で、知人と合流して随分飲んだ記憶がある。

土日に何が起こったか・・・  2008・7・8
日に一度は誰かの目に届く状況を作り上げたい方だが、週一回の1泊のショートステイへ「当分行かない・・・」という話があったので、土曜日の夕方家族も交えて話をしている。
月曜日の朝一番に介護センターから電話がかかったので「?????」だった。

近くに住む妹から電話があって、入所か入院をさせて欲しい・・・ということだったらしい。下着を買ってきて欲しいと言ったら、嫁が用事があるからいけないと言ったので、別居の義妹に頼んだ・・・。
土曜日の夕方言ってもらえれば方法もあったのだろうが、急に・思い付きで言い出して、話を大きくしてしまっている。問題のある家族ではあるが「どっちもどっち・・・」である。
社会は自分中心には回っていない。そのためにも事前に話し合ったり、予定の調整を行うのだが、このことをご理解できない方なのだと悟った。

入所・入院に関しては、本人が納得していなければいけないことと、そんなに簡単に入所・入院できないことを伝えた。ショートステイなら概ね半数使えることを話すと、そんなら1週間に3日間・・・と話しは簡単である。

「行かない・・・」と言う本人と「入所・入院を・・・」と言う妹の折衷案が週3日利用であった。
事業所と調整の結果利用可能だったので、「本人には一応伝えますが・・・妹さんからも説得して下さいね・・・。」と結論は家族・親族にお任せした。

本人にとっては、今回の我が侭はやぶへびだったようである。しかし、ケアプランの目的に一歩近付いたことは事実である。
微調整や積んだり・崩したり・・・ここにも流動的なケアプランがある。
介護センターの職員には前任者の経緯も伝え、この状況が続けば地域包括へ返すことも考えていることなども伝えた。

結果同じ方向へ・・・  2008・7・7
MSWから電話がかかった。先に甥が依頼した診断書はやはり入所用のものだったようである。裁判所から診断書用紙が届いたと言われる。向うの裁判所へ後見申し立てをされ、住所地の裁判所へ回ったようである。
離れていると日々の身上監護が出来ないから・・・と、こちらにいる間はこちらで後見人を立て、帰られるようになれば交替すれば良い・・・という話をしたのが3月末だから、3ヶ月余り経ってから、その時の話が実行に移されたようである。
非常に回りくどい、実態に合わない方法ではあるが、提案通りにことは進んでいるようである。

その間に色々とあった。金銭管理が出来なくなっておられることがわかったのがゴールデンウイーク中である。それから進めたマネジメントが、今月最終週からのショートステイの連続利用である。13ヵ月後に入所先が決まっているかどうかはまだわからないが、今冬にその凡その姿が見えてくると予測している。
冬場の3ヶ月はミドルステイ制度を利用して数万円の費用負担軽減を試みる。1年はあっという間に過ぎるので、気は許せないが、一応コースに乗った。
その診断書用の診察に立ち会うことにした。

窓口がいくつもあるので、こちらのペースで話を進めることは出来なかった。しかし準備したコースに、形は違うが全て乗ったことになる。
入所の必要性が、金銭管理が出来なくなったことから4ヶ月位早回ったが、結果としては同じコースの中で動いている。
成年後見申し立て→冬場の火の不始末によるミドルステイ利用→ロングショートステイ→グループホーム入所
これに出身地での入所が加わった。

どちらが早いかは判らないが、来年の秋ごろには落ち着き先も見つかっているものと思われる。
まだ安心は出来ないので、他の方法も頭に描いておく必要もありそうである。

3ヶ月ぶりの夫との面会  2008・7・6
1ヶ月に8件の相談があった中の2件だが、直接担当課窓口へ居宅変更届けの用紙が届いた。前任者はケアマネ協の中でもリーダー的な存在の方である。そろそろ3年の月日が流れ去ろうとしている。
今日確認すると、入所からそろそろ2年半になると言われる。月日が経つのは早いものである。

緊急性があったので少し離れたところの特養に入所していただいた。入所面接にこちらまで来ていただけた相談員の方も所属事業所を変わられケアマネになっておられる。そういう歴史のあるご夫婦だが、妻のケアプランには「家族の努力で月に1回は夫との面会を実現させる」ことを明記している。
ケアプラン通りに動かないので、3ヶ月に1回は面会に同行している。
3対1、これが担当ケアマネの責任度合い???なのかもしれない。書いた以上は何らかの形で実現させている。

そういえば、老夫婦に加えて、子夫婦にもエピソードはあった。離婚・DV・逃避行・精神科病院入院など等・・・その夫婦も今月末で別れることに話はまとまったということである。直接関係が無いので詳しくは聞かない。
そういう背景もあってか、本人の足取りは軽かった。要介護3の独歩老人である。変更申請も考えなければいけない状態だが、あと半年だからこのままいくことにしている。ということは、1年半前は状態が悪かった。

出来事だけの羅列だが、
子と県外(岐阜)の交番所へ子の夫を連れに行っている。
DV事件で、警察・精神科病院・厚生センターを回った。
アパートの電気・ガス・水道を切って避難した。
もう良いだろうとアパートへ帰って数ヵ月後、子の夫をアパートに受け入れていた。
ここまでくれば・・・・・・である。何もいうことは無い。

その子から先日恥ずかしそうに説明があった。「7月末で離婚が成立して、8月には出て行ってもらうんです・・・」と。
夫との面会で妻の足取りは軽かった。全て問題が解決したのだろう。
次回更新時には精々出ても要介護2だろう。
3000円の介護報酬減に変えられない大きな喜びがある。
一家を変えるケアマネジメントだったのだろう。この種のマネジメントは男性ということもあって、私にしか出来ないマネジメントなのだと思う。

成功報酬いただけるのかな???国保連から・・・。

可笑しな選択肢  2008・7・6
ベッドから落ちて動けなくなり、入院とショートステイで1ヶ月を過ごした方がある。週に2日間のショートステイ利用はデイサービスの代わりなのだが、日中独居で生活不安があるので、1日に一度は誰かの目に届く状況を作り上げて行く必要がある方である。かと言って生活支援のヘルパーは入れない。

「当分ショートステイへは行かない・・・」ということだったので、限度日数いっぱいのショート利用を提案した。3日・4日の隔週利用である。
黙って本人とのやり取りを聞いていた嫁が口を開いた。鶴の一声だった。
「週に一晩位息抜きをしたい・・・」と

本人がショートステイへ行きたくない理由は、病院とショートステイの食事の違いである。排便障害もあるのだが、水分を含んだ食事の方が自然排便を期待出来る。家にいれば弁当の昼食なので、下剤・浣腸を常用しておられる。体調を整えるためにも、身体に合った食事の方が良いようにも思う。
食事内容と生活不安の両天秤を選択肢としたことはかってないことだった。

前任者の時も、何かと理由をつけて通所拒否があったと聞く。
1週間を埋めた大風呂敷を拡げたケアプランから絞り込んだプランだが、これ以上は絞れない。
自分で病を作り上げている方をなだめすかして、生活不安を少しでも無くしていきたい。何だ・かんだと言って、登苑拒否はこれからもおこるのだろう。
子供のまま年老いた方もあるものである。嫁もあきれ返っていた。

離れて暮らす子の心配名古屋より高速・・・  2008・7・5
東海北陸道が開通した初日に名古屋から高速バスで帰省された。正味2時間25分で高岡に着いたと言われる。JRより1時間早い。料金も三千円台とか・・・名古屋も近くなった。

子の心配は一人暮らしをしている母の最近の状態である。一人になってろくなものも食べていないのではないか・・・ということであった。近くに住む子宅で二人の子と相談を行なったが、毎日デイサービスでは家事を行なう時間が無い。買い物に行く時間も無い。そこで提案したのが、デイサービスは現状どおり隔日として、残る日とデイサービスから帰った日のヘルパー利用である。限度額オーバーの月も出るかもしれないが、大方限度額内に納まるのではないかと試算した。

二つの選択肢を持って本人に話すことにした。
デイサービスは楽しくて気が紛れるが、毎日となると・・・。それじゃヘルパーは???・・・。そこまでも必要性を感じておられない。
「まだ頑張るちゃ〜〜〜」という言葉が返ってきた。
「倒れる前に教えて下さいね・・・」ということで今回の話は振り出しに戻った。しかしどちらを選ぶかの選択肢の方向性は見えた。

何よりも良かったのは本人の「頑張る」意思表示である。強い意思表示であった。
今冬までの4〜5ヶ月間の様子を確認して、ミドルステイも隠された選択肢として心の奥底にしまっておいた。
子には「本人の頑張る気持ちを大切にしていきましょう・・・」ということで別れて来た。

流動的なケアプラン  2008・7・4
はじめて利用表・提供表に(暫定・変更)と書き込んだ。
訪問看護で先ずスタートした暫定プランだが、第2表には訪問入浴・福祉用具は位置付けてある。
訪問看護、初回訪問の終わり頃に訪問すると臀部と背中に褥創が出来かかっていると言われる。「それじゃ、耐圧分散マットでも入れますか・・・」と。

看護が終わってから別室で家族と契約等今後の話になったが、「病気も病気だし、訪問看護は医療で入ることにしました・・・」「それじゃ・・・という訳でもありませんが、褥創予防マットを明朝まで準備します・・・」と。
話が後先になっていればケアマネジメント報酬のためのマットだろうが、必要だから利用していただくことに関しては家族にも理解していただけた。
過去にも用具レンタルからスタートしたプランは何件かある。病状の進行に合わせプランを整えていったら、1年後には12名の担当者会議になったケースもある。今回のケースは短期集中型ケアプランになる予測をしている。

月初めから慌ただしく揺れ動いている月だが、予定表を見て唸ってしまった。月の半分はもう予定が入っている。今月も一足早く行動する必要がありそうである。

初回サービス  2008・7・3
初回サービス提供には必ず立ち会っているが、サービス事業所の変更3件、初回1件が今月から始まる。
車椅子は自ら交換したが、デイサービスは今日から始まる。そして、新規ケースの訪問看護も今日から始まる。
実績が8割方集まってきているが、包括関係の実績が揃っていないので、揃った時点で巡回しようかと思っている。そんな合間を縫って、午前1件、午後1件の訪問を予定している。

初回サービスに立ち会うことは重要なことだと思っている。サービス提供を依頼しているのだから当然のことなのだが、スムーズに開始出来たか確認することは当然のことだと思う。自社サービスの囲い込みで、玄関先で「いらっしゃい・・・」という訳にはいかない。
この点がサービスに併設された居宅ケアマネと意識的にも違う点だと思う。

介護保険法がスタートした時点で、ケアマネジメント機関のあり方に関しても論議に上がっている。
本来ケアマネジメントは単独で存在する性質のものであるが、「サービス量確保のため、サービス機関に併設させた・・・。」某女史と老健局長との会話である。
ということはいずれ見直しされるものと思うが、今更如何にもならないものだとも思う。

上記のような理由もあり、ケアマネジャーの立場を勘違いしておられる方もあるように思う。ケアマネジャーは利用者に変わってサービスを依頼する立場であるから、サービス事業者に対しては『依頼=お願い』する立場である。
基礎資格に実務経験を上乗せして、実務研修受講試験に合格して実務研修を受けたのだから、自社サービスのサービス提供者よりは『上』なのだ・・・と。
この種のケアマネジャーのケアマネジメントで生活を支えることは出来ない。他所へ行ってもこれをやるからヒンシュクを買う。

利用者の数だけ事業者ともお付き合いしていると、〇〇の誰々が・・・という話は良く聞く。ケアマネジャーが心しなければいけない『自分の立場』である。
あなたも影で囁かれているのかもしれない。

半面考え違いをしている事業者は徐々に切っていく。
サービスが無くなったのか、依頼しない方向なのかを見極めていただきたい。

事務所の床張替え・婿さんが工事・孫は???  2008・7・1
広縁を事務所にしていたが、カーペット張りで元々事務所には向いていなかった。
開業に先立ってパソコンを入れた時点で椅子を使うことになっていた。HPを公開したのが2001年11月だから、もうそろそろ7年経過する。カーペットの部屋を事務椅子で使用していればカーペットも傷む。そろそろ限界だった。

そういう訳で、床を張り替えることにした。
1畳半の事務所だが、張り替えるのに一日かかった(他にも若干あったが・・・)。工事をしたのは婿さんとその兄である。
妻が休みなので子も孫を連れて来ていた。はじめて目にする父の仕事振りが判ったのであろうか???心なしか「ウキウキ」しているようにも見えた。

今日は月初め、ファックスの嵐である。
朝急ぎの用事があって、パソコン機器の移動には立ち会えなかったが、FAXも含めて移動は機器の機能を活かした配置になっていた。月初めは情報が入ることは伝えておいた。
今、工事が終わった事務所ではじめての文章を書いている。

今迄からみると椅子が走るようになったので孫には危険である。最近安定した椅子には乗り降り出来るようになっている。
非常に良い感じの事務所が出来上がったが、心配の種が出来た。
椅子に乗ろうとして、あるいは降りようとして事故が無ければ良いのだが・・・。そう言うと寛大な母であった。

「怪我をしたらしたで良いんじゃないの・・・」怪我だけなら良いが、障害を背負わせてはいけない。そのような方々を沢山見てきている。
「怪我」は良いが「事故」は防がなければいけない。
しかし、それもその子の人生なのかもしれない。
こういうのを「取り越し苦労・・・」と言うのだろうか・・・。

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