掲示板等の発言記録 (2007の2)


年越しのBCCメール(厄年と干支)   2007・12・31
妻が後厄だから厄払いを・・・と準備してくれた。本人は先日足をねじって一時的に障害を持つ皆様の気分を味わっているので一緒には行けないという。明朝準備してくれたものを持って地元の神社へ行って来ようと思う。
本当は昨年が本厄だったということだが、厄払いはしていない。
この話を聞いて思い当たることがある。厄年と干支とは関係ないのかもしれないが、干支の年に大きな事件が起きている。後厄払いの結果が如何出るかは判らないが、その全容を駆け足で回想してみたい。

昭和22年生まれであるから亥年生まれである。平成7年(亥)の元旦、東京ディズニーランドの帰り道に立ち寄った浅草観音で「凶」を引いている。その年は選挙の年で、4年前の選挙で「解雇」問題が表面化したが、選挙で誰を応援しようが個人の自由ということで選挙を手伝った。選挙後「解雇」問題が復活して、平成8年1月1日より休職を命じられている。この休職を廻って仮処分裁判ではあったが高裁まで行っている。「嘘」にまみれた裁判であったので決定が出るまでに1年半もかかってしまった。
決定の理由が、生活の糧を得るために就職していたことだった。
HP『高岡発・介護問題研究会議』は、その裁判記録がベースになっており、法廷でも地域で実践してきた地域ネットワーク活動の内容を胸を張って主張している。そしてその延長線上に介護支援専門員受験から独立居宅開設への流れがある。

その事件から12年後、今年も「亥」年であった。某活動家の「嘘」に嫌気が差しこちらから退会することにしたが、ネットワーク作りの角度から見れば一歩後退したのかもしれない。それはそれで良いのだが、この3年余りかけてきた労力が無になるかもしれないことが残念である。幸いピッタリの内容の講演会が新春早々開催されるので、その行く末だけは見守りたいと思っている。
本厄の年の出来事としては、自分の意思で行ったことでもあり納得は得ているが、ここに来て業績がうなぎ登りで、少しセーブも必要かと思っている。
そういう中、隣市の昔馴染みのワーカーから電話があったので、困難事例を選んでいただいて一件受けることにしてしまった。もう件数は限度に達している。

明朝のお払いでは、この勢いを保持出来るように祈ってくるが、事業拡大も視野に入れた検討を早急に行なう必要性を感じている。2月には限界に達する。
困難事例を受けることが出来るように、ケースのやり繰りが必要だが、自分自身のネットワークで集まったケースだけに、背景を考えると他人にお任せするわけには行かない。「協業組合」を結成出来る事業者数には至っていないので、独立開業される方が現れるまでお預けにはなるが、ケースの交流を「協業組合設立準備会」の名の下で行っても良いようにも感じている。

新春早々、ネットワーク会議で顔合わせするのも良いのかもしれない。
色々なところで会議が始まりそうな勢いを感じながら、大きく飛躍出来る背景が整いそうな新しい年に向って、還暦を迎えながら、気持ちだけは青年と変わりはない・・・そういう自分を自覚して大晦日を迎えている。

年間618投稿(ケアマネドットコム)  2007・12・31
今年1年間で618投稿しているが、それだけの出来事があった。
法改正後、予想に反してしばらくケースの流れが鈍って来ていたが、秋頃から一気に集中して、担当件数も頭に入れておかなければいけない状況になっている。
新規相談ケースはネットワークで調整するが、困難事例の相談窓口だけは開いておく必要がある。誰が担当しても良いケースは、初期調整だけ行って申し送りをすれば良いが、手持ちケースで他人に任せても良いケースは数件しか見当たらない。相談ルートが自分自身のネットワークであり、放すに放せないケースばかりである。

独立・民間事業所が数ヶ所増えてくれれば協業組合構想をスタートさせるのだが、こちらでは大きな期待は出来ない。
先日も友人が遊びに来て、順調にケースが伸びているので安心して帰ったが、民間ではなかなかケースが伸びない現状があるそうである。
開業から66件+アルファーの相談があったが、最初の頃若干認定調査でのつながりのケースがあったが、全国に先駆けて新規認定調査を保険者が行うようになってからはつながりが途絶え、ここ3年間は全て私自身のネットワークからの相談である。

今振り返っても12月は息のつく間もない忙しさだった。30日の日曜日に少し時間が空いたので大掃除を行い、大晦日には担当者会議と会計事務が残っている。夏頃までは通帳を見るのが怖いような状況が続いていたが、ここ数ヶ月でその状態も脱した。
新年に向かって、民間事業所が潤う体系が動き出そうとしているが、地方においても新しい道を模索してみようと思う。
一人では捌けないケースが舞い込んでくることになるが、ネットワークの輪を拡げて、民間協働の橋渡しが出来れば良いと思う。

1年間暖めた民間結集に向けて、行動を始めるときが来たのかもしれない。

年越しした問題  2007・12・30
近い内に3件の癌患者を担当することになるが、内一件往診が必要になる。
家族の希望の医院では対応出来ないというアドバイスをいただいて、在宅療養支援診療所の中から選んでもらうが、訪問の上院長に確認すると往診は出来ないと言われる。午後家族にお逢いしてその旨を伝えたが、もう時間が無かった。残る支援診療所リストに順番を付けて年明けに当たってみることにした。
事情があってズバリ指名は出来ない中でも、かなりのヒントはいただいているし、内容も絞り込めている。

もう一人は意見書が遅れ、28日に受け取って来ておられるが、訪問することが出来なかった。大晦日に書類を受け取り、年明け早々担当者会議を開催して暫定スタートする約束をしてある。
介護と支援の境界の方だが、何時もの如く、申請書コピーを包括に届け「支援が出たら再委託お願いね・・・」と。

以前担当していて一時卒業していた方が軽い脳梗塞を起こされた。連絡をいただいたので直ぐに申請することにして、主治医意見書が年越しになった。
利用希望の施設が小規模多機能施設のためケアマネジメントはサービスに包括される。そう説明すると別のことを考えておられる。ケアマネジメントを担当して欲しいようだ。嬉しいことである。

大晦日の担当者会議に付き合ってくれるサービス事業所やケースの種を3件持ち越しての年越しである。
病院からのケースの流れを調整してくれている方もあり、この流れで行けば一人では無理な状況になってきている。
法改正が裏目に出て一時停滞したが、ここに来て勢いがある。良い年越しが出来そうである。

信義上許すことは出来ない。  2007・12・19
今月担当を変わったが、前任者のプランの焼写しでケアプランを書いた。
不幸(?)にも12日目で入院になったが、年末までの入院予定だということは伝えてあった。年明けのサービスが予定から消されているとは、退院が決まる日まで知らなかった。常識として退院後復活が暗黙の了解だろう。
詳しく書くと悪用されても困るので書かないが、支援を行うということはこういうことだと思う。

こんなバカな施設と争うつもりはないが、契約等公法上は許されるのかもしれない。しかし、生活困窮者の支援を公法で判断できるわけではない。これは信義の問題である。
社会福祉法人は公的助成も受けた法人である。
その法人が営利に走っている。この気持ちを何らかの形で行政に伝えたい。

プランを整え、周知するまで2時間であった。切り捨てても良い法人なのだがこのままでは市の福祉行政も良くならない。委託機関受諾法人でもあるので、市の福祉の牽引役にもなっていただきたい。
そういう意味も込めて、担当課長の耳に入れることにした。
一ケアマネがプランをスタート出来るかということよりも、もっと大きな問題が潜んでいる。この現状を行政は理解すべきである。
異常である。

ということで、新年早々対談が始まる。
申請書類も3件ほど準備できるので、ついでに新春対談を持ちたいと思う。

大晦日のサービス担当者会議  2007・12・29
居宅変更で12月1日から担当したが、12日目にデイサービスから緊急入院になった。入院から20日足らずで退院になるが、退院にむけてデイサービスの追加希望と送り出しヘルパーの追加依頼があった。ヘルパーははじめてなので、大晦日に担当者会議を開催して、年明けの準備をすることにしてあった。

朝一番にデイサービスへ追加希望があることを伝え検討しておいていただき、昼の時間に相談に出かけることにしてあったが、行ってみると「何処にも入らない、1月の予定は削除してある・・・」ということだった。その非常識さに驚くと共に、私が相手をする事業所ではないと別を当たることにした。これが社会福祉法人の実態だが日本の福祉の貧しさを感じた。

走りながら利用施設を探し、年内の担当者会議の了解も得て、利用者宅で事情を説明して、事務所に帰って2事業処分の関係書類を作り、変更ケアプランも作って、家族にケアプランの変更分の説明を行い、各事業所へケアプラン関係書類を届け終わるまで2時間。超スピードでケアプランの変更を行った。

ということで大晦日のサービス担当者会議が始まるが、無理が利くのはやはり民間。随分年末にはサービス事業所に無理を聞いてもらった。
10日頃から仕事が混んで、ようやく一段落したが、2件ほど年越しすることになってしまった。相手があるから仕方のないことだが、それにしても凄まじい年末であった。(過去形にするのはまだ早いのかもしれないが・・・)

私に困難事例は無いのかもしれない。  2007・12・28
「骨のあるケース・・・」と紹介されたケースだが、どうもケアマネジメントがまずかったようである。

人間浮き沈みがあり、苦しいこともある。その時に支払が滞ったことからサービスがセーブされていたようである。
理由はわからないが、退院に向けて子が心を開いた。現状サービス(通所介護週2回)の追加と送り出しヘルパーの追加である。
これが理想だということは前任者とも話をしていた。

福祉人には人の痛みを判って欲しい。苦しくて利用料も払えない方もあるのかもしれない。根っからの悪人は居ない。気持ちを汲んでいただきたいものである。
骨のある・困難事例として受け継いだが、やはり問題はケアマネにあった。支払能力があるかよりも支払う気持ちがあるかを見抜いていただきたい。

前任者から引き継いで在宅期間12日間残りは入院である。その中から子の背中を見ながら子の妻と話したことが1回あった。この1回で心は開かれたようである。
困難事例を解決する秘訣は介護者の心を開くことと結論付けても良いだろう。もう一件居宅変更で心を開いていただいたケースもある。
困難事例とケアマネが思っていても、問題はケアマネ側にあることもある。このことを知る必要があるように思う。

退院に向けた主治医からの説明に同席して、とんだ拾い物をした。
理由はわからないが人の心を拾った。
もう困難事例ではない。

もう一件命を拾った方がある。
デイサービス相談員から電話がかかった。支払方法が確立していないそうである。手持ちの預金を使い果たして生保になる方なのであるが、手持ち現金は有効に使っていただきたい。そこで支払方法の話し合いに同席することにした。
大晦日に担当者会議をセットする必要もあり・・・。

人の生活に年末年始は無い。

(追伸)
患者会等団体で、役員の営利のために行なわれる利益誘導は許されない。
増して開設者の我がままには付き合っておれない。

横列・縦列のネットワークもあるから不謹慎な方はやはり切り捨てることにしようと思う。私が担当できる方向へ進むようである。

受診日の修正  2007・12・28
薬の関係で2週間に1回通院介助をしてきたが、正月をはさんでサイクルが狂いそうになった。正月明けが込んでいて、1週間ずらしていただきたいという話であるが、どうしても参加したい講演会があるので「私がダメなんです・・・」と主治医に言ってしまった。
そういうことならと4週目の受診にして、処方箋を書き換えたが、1種類だけ出ない薬がある。痛み止めだが麻薬である。2週目に薬だけの診察予定が打ち込まれた。

1月17日に県MSW協会の講演会が開催され、ネットワークがテーマの発表もあるが、集められた顔ぶれに興味がある。難病相談支援センター・厚生センター・MSWに加え、介護支援専門員・難病団体代表など縦列・横列のネットワークが一堂に会する。
数ヶ月前、某薬品会社主催のネットワーキングの会で「患者力」として書き出された社会資源が縦列・横列のネットワークに整理された。誘導した訳ではないが、まとめはさせていただいた。「縦横の結びつきが大切なのですよ・・・」と。

その結びつきが今回の講演会で実を結ぶのかもしれない。発表者を円卓にすれば形だけは整う。その記事を再掲する。

(ここから)
「患者力」 2007・7・8
某製薬会社が企画する「ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会・第2回北陸学習会」に参加したが、第2回にして「患者力」をテーマにしたワークショップが行なわれた。
司会は難病ネットワークとやま理事長が務めたが、「患者力とは何か」の説明途中に緊急電話がかかり中座した。あとで判ったことだが、患者力とは「患者(の)力」になる社会資源であった。私は「患者(が持つ)力」と受け止めていた。結果的にはこの方が良かった。

患者の立場になり切れていないので、患者の持つ力は中々出てこない。そこで書記を務めることになったが、皆様の意見を項目別に整理しているうちにその本質が判った。
全て書くと大変なので、結論だけをお伝えしたいと思う。

整理された項目を同類項でまとめていくと大きく四つのグループに分かれた。行政・医療・患者会・本人(内面・外面)である。その何れにも「ネットワーク」という言葉が入っていた。ここまで来れば「横列・縦列のネットワーク」の話をしない訳にはいかない。「この横に拡がるネットワークが必要なのですよ・・・」と。
グループに今後大いに期待されるMSWもいたので、「MSW協会として患者会担当を決めていく方向を考えておられる」こともお話した。正に今日参加しているMSWはその先頭を走っている。
各グループの発表のあと、患者会設立を準備しておられる代表から、医療とのネットワークの話が出た。ここには最近、私のグループのMSWが参加している。そこで県MSW協会の方向性をお話しておいた。

別に誘導した気持ちはないが、横列のネットワーク図が出来上がった。あとは縦割り行政の縦列のネットワークを整理すれば良いわけである。
各持ち場持ち場で、市民(団体)をも意識した役割分担をすれば良い訳である。これこそが「網の目のように張り巡らされた」ネットワーク構造ではないであろうか。
今回のネットワーキングの会の開始に当たって、難病患者会が多いことから「難病相談支援センター」にお誘いかけをしておられる。その答えが「そうですか・・・」であったことは前にお知らせしているが、この姿勢が大きな問題である。

今日の会で思い出した言葉が「福祉は社会運動」である。これからこの会は大きく「社会運動」に育っていくだろう。
緊急電話でその趣旨を知らずに「ワークショップ」が始まったことはかえって良い結果をもたらした。私の口から「横列のネットワーク」を持ち出さなくても、関係団体の代表はその必要性を感じておられたわけである。

良い意見交換であった。
(ここまで)

隣市の包括からケース相談が・・・。  2007・12・27
いよいよ自社では捌けなくなったようである。包括からケースを受けて貰えないかと電話がかかった。
所在する包括ではなく、他市の包括からである。

若干ケースに余裕があるので、「外に出るのだから問題の無いケースではね・・・少し骨があった方が良いよ・・・」と言ってしまった。支援は受けることは出来ない確認もしておいた。
実際、支援から介護への変更もあるから、担当件数はある程度の調整をしておかなければいけない。予測性を持って担当しなければいけない状況にある。

「介護問題」を看板に掲げているので骨があっても良い。隣市まで出かけるのであるから大義名分が欲しい。ということで年明けにはケースの依頼がある。一層のことこの地を諦めようかとも思っている。
糠に釘・・・もう・・・少し疲れてしまった。
要が居ないからダメなんだね・・・と自分自身に言い聞かせてはいるが、本当に「ダメマネ」が実権を握っている。

やんちゃ坊主に仕切られるのなら・・・と。来年度からの役員編成に期待している。個人加盟の協会に変更しても、事業所加盟があるようでは前途も無いと思う。自立と自律・・・ケアマネジャーも自律していただきたいものである。

通院支援  2007・12・27
午後から骨髄腫の方の階段昇降介助で通院支援を予定していたが、昨晩心配な方の子から電話がかかり、付き添いの依頼があった。年末の慌しい時だが、快諾した。

先日来住宅改修なども行い、生活の安全を図る工夫をしていたが、最近様子がおかしい。夫がいた間はかなりの介護負担がかかっていたが、入院してからは空気が抜けた風船状態であった。原因を作ったのは私だが、一番心配していたことがおこったようである。
多分そのままにしておいたら夫婦共倒れであったのだろうが、目に見える状況としては、とにかく空気が抜けてしまった。デイサービス通所を年明けから隔日に変更して、人と接する機会を増やしていく方向へ調整していたが、昨日変更プランの確認に行ったときに、認知症状がかなり進んでいると感じていた。

かかりつけ医の紹介状も出来て通院しようにも休みが取れず、孫も用事があるので途中までしか付き添えないと言われる。そこで途中で交替することにした。
午後からは階段昇降介助があるので、長引けば病院に途中お願いしなければいけないかもしれないが、とにかくダブル受診に挑戦することにした。

届けなければいけない提供票がかなり残っているが、今回も提供表を届けたついでのモニタリングは見送りになった。
臨機応変に、重要な問題から解決していくことにする。
そういえば昨日もかなり複雑な調整を電話で行った。私費対応とはいえ、ケアプラン書類は付ける必要のあるケースである。

ラッパ  2007・12・26
我が子の時代は「ラッパ」であったが、今は「トランペット」である。
今20数年前のわが子の姿を見た。

二人の娘がいるが、年が近かったのでおもちゃも共有した。その一つに「ラッパ」があった。
通常ラッパは小さい口から吹くものだが、うちの子は二人とも大きな口から吸った。吸っても音は出た。子供のラッパだから音は出た。
子がトランペット(と言っても3音しか出ないが・・・)を吹いて聞かせていた。そのトランペットが気に入ったのか手に取った・・・・・・やはり親子、親が20数年前にとった行動と同じ行動をとった。トランペットの大きな口に口を当てた。音は出なかったが、その内に吸うことを覚えるのかもしれない。

歴史は繰り返される・・・。
こうして子供は育っていくのですね・・・今妻のマネをしてガラス戸をノックしている。何か用事があるのかもしれないから・・・出ていってやることにした。

利用者の選択  2007・12・26
先日老夫婦と一緒にデイサービスセンターを駆け足で3箇所見学したが、選択の視点は各々違っていた。職員の表情・利用者の表情・興味のあるプログラム・知人の存在などなど、第一段階として利用したいセンターは絞られていた。
利用希望の曜日は伝えてあったが、希望の方向性に関して応えて頂けたセンターと絞り込んだセンターとが合致した。選択肢の全てが希望に添ったわけだから、あとは時間をかけて希望の回数に近づければ良い。

「選択の自由を保障する」第一段階はケアマネジャーを選ぶことだが、この方はケアマネジャーを選ぶ段階でも、自分の目で確かめて、居宅変更の申し入れがあった方である。
通常はなかなかケアマネジャーを選ぶことは出来ないが、知人・友人を通じて紹介されるケースや関係者からの紹介も、間接的ではあるが選択された結果だと言えるのではないだろうか?そういう意味では、関わってきた全ケースで選んでもらったことになる。この様な市場を先ず作る必要があるのだろう。

本来ケアマネジメントは単独で存在する性質のものである。必ずしも独立する必要はないが、サービスに所属していては独立性の確保も難しいだろう。
居宅を持たないサービス事業所からケアマネジメントの依頼があることもあるが、先ずサービスから選んでおられるからその事業所を使うことになる。
先日もケアマネを変えたい方に、自社に居宅がありながら紹介していただけたケースがある。サービスはそのままで、居宅だけの変更である。ケアマネジメントとはサービス提供だけではないという証がここにある。

情報公開制度がスタートして2年目に入るが、この制度を使いこなして「選択の自由」を保障していただきたい。そのためには介護保険の入り口であるケアマネジャーを選ぶ段階で、行政の持つ被保険者情報の公正な取り扱いが求められる。行政自身とその委託機関が、今公正さを求められている。先ずはこの段階をクリアしていただきたいものである。
そして委託機関におられる数多くの天下り管理者の技量を発揮していただく時が来ている。天下りは品質の向上を目指してスタートしている。一日も早く本来の姿に戻っていただきたいものである。

自転車では寒くなった。  2007・12・25
毎朝「会議室」へメールのチェックに行くが、自転車では寒くなってしまった。掲示板やブログの発信は大方半々だが、「会議室」宛のメールもたまにはある。オープンから2年余り経つので、事務所のアドレス帳と若干違っている。今回はじめて「会議室」からBCCメールを発信したが、重要なところが抜けているようにも思う。逆に削除したアドレスへも発信しているかもしれない。そういう事情もあるので、近々一度照らし合わせてみたいとも思う。

健康のためになるべく歩くようにはしているが、仕事が混んでいる月末などは自転車で出かけてしまう。JRで出かける予定の時には「会議室」で少しまとまった仕事をすることもある。ケアプランソフトがインターネットでつなぐタイプのものであるから、どちらでも事務は出来る。

今日から予定の合間に事業所を訪問するが、可能な限りサービス利用中の利用者にもお会いしてくる。これを完璧にやるとすれば1週間必要なのだが、その月によっては予定が組めないこともある。双方向からのモニタリングも可能な限り行なっているのであるが、完璧に行なうとすれば30件が限界なのかもしれない。そうこう言いながらモニタリング表を埋めるように努力をしている。

今年も後一週間。今週中には仕事を終えたいと思っている。
入院中3名・受診1名・サービス追加2名のプランが確定していないが、今日・明日中には確定できるものと思う。
来月の予定も月の後半が詰まって来ているので、早めの行動を起こすことにしなければいけないように思う。

開業からの相談ルート(2)2007・12・25
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm
「介護支援専門員」投稿原稿ではこの実態を指摘している。』

大阪セミナーでは『協業組合』を選んだ根拠をお話している。
行政委託機関併設居宅で行政の持つ被保険者情報が囲い込まれてきた実態があるが、多少差はあるが全国的な傾向であることへの確認が取れた。介護保険市場の構造的な欠陥から『選択の自由』が保障された市場へと変化させるためには公正取引委員会にご活躍いただく必要がある。
公正取引委員会は商工会議所に事務所を構える。中小企業組合連合会も商工会議所に事務所を構える。
中小企業組合に色々な組合形態があるが、協業組合では事業の一部を協業することが出来る。介護保険の入り口が先ずケアマネジャーを選ぶことから始まるから居宅のみを協業させる為にはこの方法しかない。

大阪・名古屋セミナーで方向性が見えてきても形に表れるには時間がかかるものと思われる。ビジネススタイルの構築が先か、背景作りが先かということにもなると思うが、何処かの時点で介護保険界の浄化を行なう必要がある。医療法改正にも仕掛けがあるように思うが、果たして地域が如何に変化するかはもうしばらく様子眺めが必要かもしれない。
年明けから始まる2回の名古屋セミナーで、ぼんやりとでもその姿が見えてこないかとも思っている。

団塊の世代が高齢者の仲間入りするまで残すところ5年間。そろそろ本番を迎えようとしているが、果たして間に合うのであろうか???
夢だけは見続けたいものだと思う。

開業からの相談ルート  2007・12・24
開業から3年9ヶ月、45ヶ月での相談数は台帳番号を付けた数が66件である。この他に相談にのりながら台帳番号を付けるまでに至らなかったケース等が10件ほど、そして障害(児)者の相談も含めれば80件余りであろうか相談が入るまで空白の期間もあるから、1ヶ月平均2件くらいの相談があった・・・ということになろう。

そこでその相談ルートが問題になる。2件ブロック外の在宅介護支援センター今は地域包括支援センターから相談があったが、これも人的関係と捕らえても良いだろう。即ち100パーセントが私の知人・友人・サービス関係者も含めた地域のネットワークからの相談である。
認定調査がキッカケになったケースもあるから、正に公正取引委員会の指摘するとおりであった。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm
「介護支援専門員」投稿原稿ではこの実態を指摘している。

今面白い情報が入った。
老健施設が家族の責任ということを大義名分に正月の帰省を強制しているそうである。重度認知症の方で精神病院が療養型を外されたことから、老健→特養の道を辿っている方である。例え一晩でも家には帰れない。それを一律強制されているようである。

私の答えは簡単である。
施設長の名のもとに年末年始の帰省を強要されるなら、権力で向うしかない。私の一番嫌いなケースであるが権力を使える背景があるから使えば良い。
私が関わって苦情申し立てをしても,
申し込みしてある特養入所が間に合うかどうかわからない。それなら一層のこと権力を使っていただくことにした。私の一番嫌いなケースである・・・が悪いのは施設経営者の考え方である。
大義名分があるから伝家の宝刀を抜いていただくことにした。これは福祉の発展につながる。これなら私も納得出来る。

ということで矛先を行政に向けることにしたが、どのような解決方法があるのかは未知である。一時的に家に帰ることになっても良いんじゃないの・・・という姿勢であり、家に帰られればプランを書くことが出来る。
「素晴らしい〜〜〜」と評価されるプランを書くことが出来るかどうかは別として、支えることは出来る。
ということで今回は、「目には目を・・・・」という体験をしていただくことも勉強になるのかもしれない。

ケースによってはかなり過激ですよ・・・・。

大阪セミナー(2)  2007・12・24
大阪セミナーにケアマネドットコムブログメンバーも6〜7人集まった。自己紹介は実名だが司会者からハンドルネームも紹介された。全国的にはkaigokenの方が売れている。

今回は初回で顔合わせが主な目的だが、方向性だけは示された。民間居宅がシステムを使って時間を作り、仕事に幅を持たせる方向性と企業組合等組織化を進めていく方向性である。勿論条件が揃えば協業組合化することも一つの方向性である。ちょうど1年前4人の男が名古屋で会っているが、1年かかって人数は数倍になった。
1月・3月には名古屋でセミナーが予定されているが、愈々夢の実現の第1歩を踏み出すことになる。全国で500人集まれば企業の支援も受けることが出来るだろう・・・ということである。

このシステムは2年余り前になるが、産学連携で基礎を作っているが、かなりバージョンアップも済んでおり、実用化出来るようになっているという。
当時MSW協会にも参加いただいて検討してきたシステムである。
医療保険法改正では地域連携も一つの柱になってくるが、先ずは名古屋でシステムを動かしてみようということで1月末にはインターネットを使ったシステムとしてインターネット界にお目見えする。
クリニカルパスは医療連携の一つの共通語になっていくのだが、医療・介護の連携をシステムに乗せて行えないかという実験が始まろうとしている。興味のある方は是非名古屋へ足をお運びいただきたい。

セミナー終了後懇親会に入ったが、東海道経由の二人の女性を新大阪駅まで案内するために先に失礼してきた。夢のある話はまだまだ続いただろうが、名古屋の状況を見て「高岡で・・・」という声もあった。氷見浜直送の回転寿司を紹介しているが、皆様の興味を引いているようだった。
「名古屋で会いましょう・・・」を合言葉に大阪を去った。

Re: 御無沙汰しています。  2007・12・24
kpcqd843 さん、お久しぶりです。
特養に診療所が併設されているところはありますが、本来なら単独で存在するものだと思います。
”みだり診療”って言うんですか・・・。嘱託医が薬付けにしていましたので指摘したら「医者は薬を出さんと儲からん・・・」と。看護師・生活指導員の会議の場での発言でしたので議事録に残しておきました。

大阪の茨木でしたか・・・。昨日は平野区をトンボ帰りしました。
南は北九州市と北は千葉からも来ておられました。
1月には名古屋で更に輪を拡げます。

大阪セミナー  2007・12・22
福祉に首を突っ込んだのが平成元年9月だから18年前のことである。
社会福祉主事任用資格通信講座終了が平成4年だから一応専門職の仲間入りをしてから15年余りが経過した。
特養生活指導員・在宅介護支援センターソーシャルワーカーとして専門職の道を進むことになるが、全て手探り・・・自分の流儀であった。その実戦記録がHP『高岡発・介護問題研究会議』
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/
である。

福祉に入職した同年代の方が「大阪セミナー」を開く。
昨年末に名古屋でお会いしてから1年目。想いを形に表していただけた。
彼は専門教育を受けて、実践経験もある。私の我流の理論とは違う。その我流の理論を打ち破っていただける期待をしている。
こちらからはシステム開発をした同年代の男性とご一緒するが、帰りは別々になるようである。

若い皆様は専門知識を持って経験を重ねておられるから、もう乗り越えておられるのかも知れない。セミナーが楽しみである。
HPでは主にネットワークの姿を実践に基づいて紹介している。
ネットワークは言い換えれば人のつながりである。
福祉をテーマにしたネットワークであるから、福祉関係者が如何につながっていくかということが重要かと思う。

今日、MSW協会から保健・医療・福祉連携研修会の案内が届いた。是非参加したい内容でもある。
開業以来この方向の関わりを持ってきたし、調整も図ってきた。
裏事情がわかる内容だけに、新たな興味も湧いてきた。県内におけるまとめがどの方向にいくかは大きな興味である。
活動報告のメンバーの実践内容も大方わかっているので、もしかしてコメンテーターから出された方向性に関してクレームを付けるかもしれない。私が指摘してきたことがまとめになるように思う。

「大阪セミナー」
全国に羽ばたくことが出来るセミナーであって欲しい。専門紙二社へのつなぎは終わっている。
セミナー終了後の懇親会では・・・美味しいお酒が飲みたい。
その内容の打ち合わせをJRで走りながら考える。

往診医の選択  2007・12・22
1ヶ月余り前に電話がかかり、顔を見るなり救急車を呼んだ方から退院後の相談があった。経管栄養で寝たきり状態だが、状態はそう大きく変わらないものと思われる。本人は家に帰りたがっている。

現状のまま帰宅することになれば、往診医と訪問看護・訪問入浴・福祉用具が必要になる。家族からは近くの医院の名前が上がったので、訪問看護ステーションへ相談してみた。今回の入院は肺炎だが、鼻副鼻腔癌で大学病院で手術をしておられる。
そこで紹介していただけたのが、WAMネットの在宅療養支援診療所である。

MSWには、病院内の調整や変更申請の検討などを依頼して、往診医に関しても家族の希望を伝えてある。その時は何も言わなかったが、希望の医院では対応出来ないらしい。退院はまだ先のことであろうから、充分に修正が利く。最良の医師を選んで退院していただきたいものである。
この1週間で情報が集まりかけている。最後の止めは病院と連携が執りやすい医師を選ぶことになる。

昨日病室を訪ねたが妻には会えなかった。夜電話をして週明けにお会いすることにした。在宅療養支援診療所の中から選んでもらうか、選定をMSWに任せようとも思う。他の疾患もあるので、病院とつながっていたほうが良いように思う。
退院はまだまだ先のことになるが、余裕を持って相談していただけたので準備にも余裕がある。ケースを目の前にしないと判らないことだが、順次方向性が見えてくる。地図通りには行かないのであろうが、もしかして地図にヒントがあるのかもしれない。

ここまで推測したのであるから、あとはMSWに聞くことにしようと思う。次のヒントが待っているような気がする。

妻から突然電話が・・・  2007・12・21
何時もより帰りが遅いと思っていたら「洋装店に居るから・・・」と電話がかかった。急に何を思い立ったのか・・・???
飲んでいないからと洋装店へ向うが、もう決めてあった。サイズを測るだけの呼び出しであった。ジャケット・替え上着・2パンツスーツ・・・もうこれで服を買うことないよ・・・と言う。試着してみるとどれもピッタシで決めてしまった。

そういえばこの十数年服も新調していない。40代に着ていた服を着ているがチョッと派手かな???という服もある。還暦祝いの積もりもあったのだろうが、これだけ揃えればもう服は生涯要らない。
元々ファッションセンスは無いので全てサイズを測って購入してきた。
半金入れて残りは週明けになるが、もう裁縫が始まっている。ズボンの丈直しは有料だから自分でやる・・・と。

大阪出張に間に合わせてくれたのかもしれない。
セットで着て行くことにした。
この気変わり・・・大事に繋がらなければ良いのだが・・・・。

包括さんがいるから安心して仕事が・・・。  2007・12・21
研修会後の意見交換で「包括さんがいるから安心して仕事が出来るんですよ・・・」と言ったら「イエ・イエ・・・・・」とかわされてしまった。ブロックに二ヶ所の包括があるが、ケースを通じて何れとも関わりがある。
併設居宅からの担当の移動も何件かあるが、何れも超困難事例、施設ケアマネには対応は出来なかったであろう。
イヤミの気持ちは無かったが、そう感じられたのかもしれない。本心は地域の拠点として育っていただきたいと思っている。これが独立ケアマネとして長い冬眠から覚めた本心である。
まだまだ管理者の顔色を見ながら仕事をしているサラリーマンケアマネは多いが、ポツリポツリと目立つ方も出てきている。

要介護4の独居の方や要介護5の家族間の問題を抱えた方など、たしかに施設ケアマネには荷が重いのかもしれない。社会資源が整っていれば良いのだが、その整備も出来ていない。骨髄腫の方にとってはターミナルの姿も予測しておかなければいけない。ケアマネジャーの役割は非常に重要なのだが、報酬は給付管理係り程度である。

包括さんは地域事情をかなり把握しておられる。
この情報ネットワークを公正に使用していただければ良い。
施設管理者に向って苦言を呈する専門職が一人位居ても良い。
そのことを確認するだけに戻ってきたが、最後の言葉が「やはり私が居なければダメだったね・・・」では寂しすぎる。
乗り越えるソーシャルワーカーの出現を心待ちしている。

他市にはいるのだが・・・。

重度者の落ち着き場所がない(2)  2007・12・20
夏頃だったが、某新聞社から電話取材を受けている。重度認知症の方の落ち着き先が無いという。ちょうどケースを抱えていたので概容をお話している。知り合いの独立ケアマネが、重度認知症対応の小規模多機能施設を始めたという情報もいただいた。その必要性を感じてのスタートだったようである。

認知症に限らず、重度者を敬遠する嫌いがある。介護力の問題もあるが、経営・管理者の理念にも問題がありそうである。
取材に答えたケースでは後日丁重にお詫びがあった。重度者は介護力を上げる「宝」であるとの考え方に至られた。今後大いに期待したいものである。

理念を整えていただくためにもケアマネとの関係を整理しておきたい。
介護出来るか出来ないかはサービス機関の問題であって、ケアマネの問題ではない。自分の目で確かめて、本人を介護出来るか出来ないかの判断は自分で行っていただきたい。落ち着いているケースとはこの関係が安定しているケースである。

サービスをスタートさせる際に契約を結ぶが、この契約関係が継続出来ない場合には理由を明記して契約解除を申し入れる必要がある。ここにはケアマネは関わらない。サービス機関と利用者の関係である。ただ、プランを変更するために必要な期間の猶予は設ける必要があるだろう。
サービス依頼をしているケアマネに契約解除の話をしても契約は解除できない。この点を勉強しておいていただきたい。

この関係を明示したら、管理者の考えが変わった。利用者を取り巻く専門職の位置付けを理解していただけたようである。
ケアマネからのサービス依頼に関しては、正当な理由が無い限り断わることが出来ないことになっている。この部分は法で保護されている。
重度者の落ち着き場所が増えていけば良いとも思う。

兄弟姉妹会  2007・12・19
妻側の兄弟姉妹で会を作っている。海外旅行を目指して一人5000円の積み立てを3年余りしただろうか???海外へ行けなかったわけでもないが、父母が続いて亡くなったり、タイミングを逸してしまった。
そこで豪華な忘年会が続いている。
ホテルでの宴席料理が多いが、昨日の料理は8000円だったとか・・・そう美味しいとも思わなかったが、酒も込みで12,000円位かかっている。2次会のカラオケも入れて2万円はかかっていないだろう。
はじめてから4〜5年経つが、まだまだ続きそうである。

家の奴が末っ子だから、長男夫婦は70歳に手が届く。長女夫婦もそれに近い。でも皆様気持ちは若い。長男の妻は難病だと言われている(病名は聞かないが・・・)。お抱えケアマネジャーと一緒に飲んでいるのだから、皆様安心しきっておられる。酒の量もかなりのもので、どれ位飲んだのであろうか???
かって、従姉妹の夫も交えて祭りで飲んだときには、燗が大変だったそうである。従姉妹の夫は昨年ガンで亡くなっているが、しばらくの間だったが担当させていただいた。ターミナル・・・とはいかなかったが、壮絶な死を目の当たりにした。ターミナルケアにはかなりの勇気が必要である。

今後も可能な限り続くであろう忘年会だが、この皆様を看取るまでケアマネジャーを続けていることが出来るであろうか???
現在は通院介助など誰も出来ない社会資源に自らなっているが、この皆様を見ていると、スナック介助なども出てきそうな気がした。
先日ヨーガジムからの温泉行きでで、かって「夜の帝王」だった姿を垣間見た方は、今でもカラオケボックスへ通っておられるそうである。
趣味の分野まで介助をすると公正ではないような気もするが・・・その時の気分で行なうのかもしれない。ケアマネ人生が何時まで続くか判らないが・・・独立ケアマネしか出来ない有料サービスがあっても良いような気がしてきた。

業務内容によっては、介護保険単価で料金設定しますか・・・。
利用出来る社会資源が無いことの方が問題だとは思うが・・・。

お世話になった名医  2007・12・18
昨日のケアマネサロンにお世話になった先生が特別参加しておられた。
同じ病気で1年余りの間に4回手術室に入ったが、4回目には何もしないで出てきた。
手に負えない手術はあるもので、切って縫うだけでは傷はふさがらない。筋肉移植という手術が必要だと言われ、隣市の総合病院を紹介していただけた。この道の名医である。

退職されたことは聞いていたが、療養型病院におられるとは知らなかった。
院長に納まっておられるが、副院長も知っている。
終わってから「その節はお世話になりました・・・」とご挨拶しておいた。
1年半かかって3回の手術で完治しなかったが、2週間の入院で完治出来た。その後も何もないので再発はない。今は後継者も育って、その技術は受け継がれている。

昨日のテーマはクリニカルパス・地域連携パスだったが、医療言語と介護が結びつくようなパスが出来上がれば良い。富山市でスタートしていることを紹介しておいたが、まだ病院連携の段階である。
今回の医療法改正に向かって準備が進んでいるが、医療情報は医療にしか流さないという方向性も聞いている。クリニック・訪問看護が地域における情報の窓口になっていくものと思うが、良い地域連携が出来上がっていけば良いものだと思う。
しかし・・・だが・・・考え違いをする方は出てくるものである。

やはり歴史は繰り返されるのであろうか・・・。

記事を書いている時間がなかった・・・ 2007・12・17
今日は朝から飛び回っていましたが、かかるはかかるは電話の嵐・・・。
合間を縫ってのスタンプラリーの結果は後日入力することにして、会議記録が一件入力出来なかった。
夜は夜でケアマネ研修会・・・帰ってきたら・・・もう止めた・・・。
明朝会議記録を書くことにして、水割りを飲み始めた。まだ酔ってはいないですから・・・。

今日のケアマネ研修会に出席された医師に8年位前に助けていただいています。「痔」の権威が今療養型病院の院長です。副院長は知り合いの神経内科医ですから、隣市ですが何時でも相談に行けます。
「その節にはお世話になりました・・・」と・・・。途中から判っておられたようでしたので、終わってからご挨拶したら、記憶にあったようです。某市民病院で3回手術をして、4回目には何もしないで出てきて紹介されましたが・・・それ位の権威です。
一度の手術で2週間の入院で完治です。

ケアマネジメントも同じ・・・「人」ですね。

背水の陣  2007・12・16
「一歩も退くことの出来ない、絶体絶命の立場。失敗すれば再起は出来ないことを覚悟して全力を尽くして事に当たること」広辞苑にはこう書いてある。

私が起業を思い立った背景は正に「背水の陣」であった。福祉にかける最後の夢を「可能性」に賭けた。開業から数ヵ月後融資も受けている。
最近「背水の陣」から何とか脱することが出来たかな???という実感を得ている。
私自身の背水の陣ということよりも、介護保険業界自身が「背水の陣」であったようである。そろそろ「黒幕」の仮面が剥がされる時が迫っているが、業界そのものが「背水の陣」を執っていた。このことが先ず異常であった。
介護保険で介護・福祉が自由化されたことは一市民は知らない。利用してみてはじめて異状に気付く方も多い。
この現状を先ず何とかしたい。

自由化された「介護」を理解されている方はどの程度おられるのであろうか???自由に選んで良い制度になっているが、選ぶことさえも忘れた方々がある。先ず行政担当者が自由化されたことを理解していない。
介護保険法が施行され、方向性を示す改正も行なわれてきた。その改正の趣旨を読み取っていない事業者や行政職員がいる。膨大な資料になるが、全て読まなくても理解は出来るであろう。判断材料は「常識」である。

「常識」が無いから改正法を理解出来ない。この繰り返しが始まるように思う。
過去にもお伝えしたが「天下り管理者は品質管理」を求められている。
優秀な管理者に天下っていただき、地域の拠点施設・地域の要の役割を果たしていただきたいものである。そのことが実現しない背景には、縦割り行政の弊害がある。この垣根を先ず取り払っていただきたいものである。

チビッコギャングと一緒に回転寿司へ・・・  2007・12・16
回転寿司といっても100円寿司ではない。120円から720円までネタはカラフルである。氷見ぶり大トロで720円だが、値はあった。とろけるような舌触りが何とも言えなかった。
氷見浜直送お勧め5貫セット1,050円というのもあったが、甘エビ・生タコ・イカ・カニ・アジ・玉子焼き等など食べきれない位食べてきた。次女夫婦は飲む準備もして妻の送迎付である。
チビッコギャングは納豆巻きと梅巻き・玉子焼きしか食べることが出来ない。そして貝汁には舌鼓を打っていた。・・・こりゃーノンベイになるぞ・・・
これだけ食べて、飲んで、一人三千円は安い。

今回はまだ、にぎりを手にとって食べることは出来なかったが、来春には大丈夫であろう。何時頃から生魚を食べることが出来るのかは知らないが、さび抜きの寿司の注文もあるのだろう。長女は未だにさび抜きである。
今回長女は帰って来ることが出来なかったが、今度帰ってきたら一緒に行く約束をしている。
高岡の寿司屋は江戸前寿司が多いが、回転寿司とは使うねたが違う。江戸前は東京湾の魚の一番おいしい調理方法である。
氷見浜直送は生で如何に美味しく食べるかということである。

昼は昼で「といつくどん」の畑の収穫祭であった。
終わってから運営委員会を久しぶりに開催したが、職員にもかなり負担がかかっている。一口に「医療ケア付障害児(者)デイケアと言っても大変である。良く頑張っていただいている。
カンシャ・・・カンシャである。

追伸  2007・12・16
今回から注文方法が変わっていた。
小さな子がいるから座敷であるが、パソコンタッチパネルで注文が出来るようになっていた。メニューを目で見て注文するから注文し易い。システムはどんどん進化しているが、目的は人件費の削減である。
社会の構造もどんどん変わっていることを実感した。

アンパンマン  2007・12・15
孫が横でアンパンマンの歩行車に乗って遊んでいる。そうかと思えば居間側からガラス戸をノックする。妻が用事がある時に使う手である。良〜〜〜く見ている。思わず笑ってしまった。ということは今日来ている。

良く似た名前の慰問団体がある。あんぽんたんである。名前の通り底抜けにあんぽんたんである。同じく慰問団体にばっちゃま劇団というのがある。往年のスターを担当しているが、今でも現役である。小道具が素晴らしい。
先日も温泉で芸を見せていただいた。こちらは高岡の歴史を伝えるという目的を持っておられる。
どちらが好きかは好みであるが、どちらも素晴らしい。

突然話は変わるが、昨日は嬉しい悲鳴を上げたが、3件のアセスメント表作成に今日までかかった。プリントすることは無いであろうが、パソコン入力も済ませた。まとめだけはコピーして手書き台帳に貼り付ける。この簡易台帳で通常運用している。認定調査項目は一応網羅している。

午前本人に面接して来週主治医から家族に話があるということなので、退院前カンファレンスを担当者会議として設定してもらうことにした。超過密スケジュールなのだが何とか時間が合いそうである。希望のサービス事業者にも連絡を取って、何時退院になっても良い体制は整えた。
認定結果が出るのはもう少し先になるが、暫定スタートをしても良い状況は整えた。

今日も熟睡出来そうである。

一日3件の相談はキツイ・・・  2007・12・14
と、嬉しい悲鳴を上げている・・・。

2件は何れも癌の方で昨日から予定をしていたが、今朝重要な方からも相談の電話がかかったので、早速対応することにした。
午前中の1件は入院中であり、MSWに院内調整をお願いしてきた。
10月に認定調査が回ってきて、もしや・・・と思いながら調査に訪問すると、もしやだった。若い頃労働組合で一緒に旗を振り、一緒に酒も飲んだ。もう35年も前のことだが面影は残っていた。

11月上旬往診医を紹介して欲しいと電話があり訪問してみるとチァノーゼが出ていた。直ぐに「救急車・・・」と妻に電話をしてもらって入院になったが、それから1ヶ月余り、状態は大きく変わっていた。
介護保険の変更申請の検討と退院にむけての院内調整をMSWに依頼してきたが、良い医療連携が出来るものと思う。

残すところ2件は、17時に約束をした方は境界の方だが、暫定スタートを希望しておられるようである。
19時の方は入院中ということで、今日は話だけになりそうだが、後日病院で再相談の必要がありそうである。
欲張ってその間に更新プランの確認も出来ないかと考えているが、こちらは申請が遅れて暫定サービスでつないでいる方である。

午後からプランや書類作りを平行して行なっていたので、頭の中が交錯している。でも、多分大丈夫なはずである。

やはり我が子であった・・・。  2007・12・13
家庭にも組織にも女房役が必要である。
女房の電話一本で問題は解決した。どちらも痛まない形での解決である。
予定通り今週の日曜日、チビッコギャングを招いての(くるくる)寿司懐石が実行出来る。

夏ごろであった。1歳2ヶ月の女の子が椅子に座って寿司(玉子焼き)を食べていた。隣のテーブルである。数ヵ月後には是非実現させなければいけないと予定調整を行なってきた。その日が迫っていた。
実現して良かったね。。。。。

家庭にも組織にも女房役が必要である。女房がいれば丸く収まる。
その女房を失った組織が心配である。
「女房」とは「問題解決出来る存在」である。このことは知っておかなければいけないだろう。このことを組織関係者は知る必要がある。
「女房」は「女」とは限らない。
そう・・・調整役が必要だということである。

そろそろ1年目だが・・・大丈夫???  2007・12・13
昨年の12月は超過密スケジュールであった。
独立協のセミナーに高速バスを利用して東京をとんぼ返りした。その日の午後担当部・課に「選択の自由を保障する」申し入れをしている。

週をまたいで名古屋へとんぼ返りだったが、向かう車中でDV事件を知ることになる。途切れ途切れの電話で対応をして、帰ってからあらゆる手を尽くして出ていってもらうように仕向けた。3ヵ月後位にもう大丈夫だろうということで家に帰ることになる。
それから数ヵ月後戻ってきていることを知るが、見て見ぬ振りをしていた。

先日、そろそろ1年だが大丈夫???と聞いてみた。大丈夫と言われるから大丈夫なのであろうが、本人の様子が変である。聞いてみるとやはり出掛けにあったということだった。
ちょうど1年。同じことは繰り返されるものだが、これだけは再燃して欲しくはない。

非常に長いスパンで歴史は繰り返されている。必要性を感じて開業以来ケアプランを担当課に届けていた。現在は中断しているが、今回義務化された。2年位前には確実に届けていた。
そういえば随分色々なご指摘をしている。
認定調査における談合やワムネットに公然と違法性なことをやっていると書いてあったり、適正化事業の方向性や囲い込みの問題もあった。そうそう、地域包括支援センターの保健師に関する意見交換もあった。
先日、地域包括支援センターと在宅介護支援センターという名の居宅介護支援事業所合同ミーティングも目にしている。意識的には変わっていないようでもある。

更新申請の代行時連絡方法を伝えたら、〇〇さんは担当の方の調査をされないのでしたね・・・。という言葉が返ってきた。これも元に戻っているようである。担当ケアマネが認定調査をすること自体が公正ではない。マークが横滑りすることがあるかもしれない。
歴史は繰り返される。同じご指摘をすることは止めておこうと思う。
この繰り返しが理念を作り上げるのだとも思う。

ケアプランチェック  2007・12・13
開業から1年余り、新規ケアプランを自主的に担当課に届けていた。開業に向けて開いていただいた説明会での疑問がキッカケであった。
「それではどのようなプランが運用されているかわかりませんね・・・」と。

やめたキッカケは適正化事業だったように記憶している。
その適正化事業の一環として新規ケアプランのチェックが始まる。居宅届けの際に添付することになるようである。
ケアプランをチェックすれば色々なことが判る。相談経緯から囲いこみの内容まで判るであろう。どの点に着眼して適正化を計るかということである。

措置から契約へと自由化された介護保険が、ここに来てようやく本来の姿を取り戻すキッカケになれば良いと思う。介護保険の入り口は先ずケアマネジャーを選ぶことから始まる。情報公開制度もスタートしており、適正な情報の取り扱いがなされることを望んでいる。
行政情報の適正な取り扱いは、行政窓口・委託機関にウエイトがかかると思われるが、その点も含めてケアプランのチェックを行なっていただきたいものである。

ケアマネジャーには独立性・中立性の確保が求められているが、本来の姿に少しでも近づくキッカケになれば良いとも思う。

チビッコギャングの仕業・・・。  2007・12・12
朝食はトースト1枚半とハム一枚。パンにはマーガリンを塗って、牛乳小ジョッキーに1杯・・・といった生活が数十年続いている。朝はオーブントースターが必要である。

少し前にオーブントースターがおもちゃ箱になっていたので、最近は裏向きに置いてあった。久しぶりに今朝は開きが前に向いていたが、別に不思議とは思わなかった。網の上には何もなかったのでパンを焼いた。しばらくすると煙と異臭が・・・。良く見ると、網の下で歯磨きチューブが燃えている。何でこんなところに入ったのか・・・出そうと思ってもなかなか出ない。チビッコギャングお気に入りのチューブである。

そういう訳で今朝は出遅れた。
ボランテイア移送の運転手が帰郷しているのでその代役が回って来ていた。
「会議室」のメールチェックだけ済ませてジム通所者を迎えに行き、帰りの約束もしておいた・・・が・・・。ケアマネジャーの仕事は予定が立たない。救急車騒ぎのキッカケの電話がかかった。

施設に向かい、家族との連絡が取れないので救急室へお付き合いすることにした。遠方にいる子と協力しながら連絡を取っているが、子の妻と連絡が取れない。携帯の留守電に録音しておいたので一時間後位にようやく電話がつながった。
しばらく経って子の妻が救急外来に顔を出した、検査も全て終わって医師から声がかかった。レントゲンフイルムを見るなり、何が起こっていたのか判った。片肺が真っ白である。

結果、ジムの送りも出来ずに中途半端な1日になってしまった。
病院にいる時に電話がかかっていたが、午後から訪問してみるが入浴介助でお会いできなかった。用件だけ伝えてきたが、ちぐはぐな一日だったので後は事務を行なうことにした。

タイミングの悪いことは続くもので、異常な子育ての姿を見た。事務を行なわなければ見なくても良かったのだろうが・・・チビッコギャングが虐待にあっている。子育てという名の虐待である。「そんな子育てはしてこなかったよ・・・その方針なら家に帰ってやってくれ・・・」と。子はその足で家に帰ったが、もう来ないかもしれないと妻は言う。それでも良い。異常なものは異常である。気付きがあれば良いのだが・・・。
嫌がるものに押し込んで食べさせても血・肉にはならない。心を育てる子育てをしてもらいたいものである。そのキッカケになれば良いのだが・・・。

ギャングはもう来ないのかもしれない。

死に行く姿を描いてのケアマネジメント  2007・12・11
関わっている間に亡くなられた方の葬儀には出席させていただいている。数はそう多くは無い。
入院中に亡くなられてもご連絡をいただければお参りさせていただいている。葬儀が終わってから知ったこともある。
記憶に残っている印象的な葬儀が3件ある。突然死・癌との闘い・死んでも良いから家に帰った方々である。

今、三人の方の死に行く姿をイメージしながらマネジメントを進めている。
一人は入所。後の二人は妻が支えるであろう。その二人の妻に照準を合わせて話を進めよう。
何れも難病・・・余命5年から7年である。病名告知から一歩進んで病名に対する正確な情報をお伝えしてある。お一人は腹太く開き直られた。お一人は繊細な精神をお持ちなので精神的苦痛に陥っておられる(ただし「私にもケアマネジャさん付いているのよ・・・」と友人に語っておられた)。

このお二人の女性の心を支える気持ちでケアマネジメントを行っているが、ケアマネジメントとは様式に書かれたプランではない。日々この介護者を如何支えていくのかというプランがケアマネジメントである。
「私にも・・・」という話を聞いて非常に嬉しく思った。主介護者に認められている。是非死に行く方の主介護者の心を支えたいものである。もう一方も監視は必要だが・・・。

そうそう、重要な方を忘れていた。遠距離介護を受けておられるの方の急な変化に対しても、全部介護者帰省中の救急時の対応に関しても考えておかなければいけない。緊急時の判断だけに任意後見登録をも視野に入れた対応も必要なのかもしれない。他に子がありながら子に連絡出来ないという現状に対してもイメージしておく必要がありそうである。
「介護問題」を提唱しながら、まだまだ穴だらけである。

ネットワークで出来た畑の収穫祭  2007・12・11
急なご案内だが、12月16日(日)収穫祭が行なわれる。

医療ニーズの高い障害児(者)のデイサービスセンターのサポーターチーム「といつくどん」主催だが、「どんぶり」ではなくてちゃんこ鍋が準備される。ゴーヤも入ったちゃんこ鍋かもしれない。何が出るのか楽しみなところである。
畑を耕した〇さんに電話で予定を尋ねると用事があるそうである。「畠畑」の収穫祭に参加出来ないということなので、少し残念な気もする。

遷延性意識障害者の生活を支える「生活向上委員会」と県パーキンソン病友の会高岡支部のネットワークが協同で耕した畑だが、見事に実ったということを聞いている。以前「おおきくてとてもおいしいカボチャがとれました。天ぷらにしてみんなで昼食にいただきました。〇さんにも機会があればお伝えください。」というメールに、熱いものを感じた。ネットワークが無ければ出来なかったかぼちゃである。

そういう訳で、代表して一人で収穫祭を楽しんでくることにする。

医療法改正への関心  2007・12・11
先日あるセミナーで、休憩中に講師も交えて意見交換の機会があった。
皆思い思いに考えを巡らせているが、焦点はやはり地域医療の方向性に関してであった。クリニック・訪問看護の方向性に関しても興味が寄せられていた。
そんな中、某社からセミナーの案内が届いていた。少し急なのと隣県開催なので今回は遠慮するが、興味のあるテーマである。

後期高齢者医療に関して医療ネットワークが作られようとしている。これを介護保険法の現状の運用の問題点を指摘した方向性であると読んだのは私だけではなかった。
介護保険法スタートのキッカケは膨れ上がる医療費の抑制と国民に新たな負担を求めることにより、来るべき超高齢化社会を乗り切ろうという意図があったことは定説になっている。そして3年毎に双方の改定が行われていく。
今回のメインは医療保険であるが、介護も全く無関係ではない。大きく左右されるであろう点が、地域医療の方向性である。

先日もご紹介したが医療情報は医療にしか流さない方向性を孕んでいる。すなわち、地域のクリニック等がその受け皿になっていくものと思われる。もうその準備は始まっているのであろう。その兆しを感じている。
そして地域でどのようなネットワークが作られていくのかは興味深いところである。
ある情報では地域で医療と介護を結び付けていく役割を担うのが訪問看護ステーションではないかという。これは充分に考えられることであり、その連携先がまた問題になってくるのであろう。
過ってMSWのマニュアルに、医療連携の先が在宅介護支援センターであるとされた資料があった。今回そのまま地域包括支援センターに書き換えられるのかは疑問であるが、法の上では地域包括支援センターは行政の責任で作るとされていた経緯があり、その保健師に関しては行政にも持ち駒がある。
そう保健センターである。

保健センターの活用こそが、医療法に描かれた連携の要なのではないかと・・・思い始めた。このことは地域包括支援センター構想が出たときに行政幹部とも意見交換しているが、その時の会話は「市にも持ち駒がありますよ・・・」「保健センターか・・・」といったものであった。
満更的外れな指摘でもなかったようでもある。
あと数ヵ月後には順次方向性が示されていくものと思われる。

ラップ療法  2007・12・11
褥創が破れたようだと言われるので早急に受診していただくように伝えておいた。気になったということで、その夜、開業している医療機関を受診しておられる。担当は内科医だったが、ラップ療法を採用された。かなり普及して来ているようである。
ラップは一診療一枚しか出せないということで、創が小さいこともあり、半分に切って使用されたとか・・・入浴後に張り替えて下さい・・・ということで予備をもらって来ておられた。

かって骨まで達する褥創も見ている。生活指導員に代わって3日目に亡くなられたが、入院させることも出来なかった。
交代に際してカウンターを療養室の横へ新設しているが、悲痛な叫び声を直接聞いている。2度とこのような事が無いようにとの思いを胸に、2年半後には地域に出ている。
地域でも同様の光景は見ているが、印象深かったのは液体洗剤の容器(確か)を再利用して、ぬるま湯で固まった薬を洗い流している訪問看護師の姿だった。

もう10数年前の話だが、今はラップ療法が主流になっていると聞いている。人間に身体は本来自然治癒力を持っているので、体内からの滲出液で自然治癒させようというものらしい。時が動いているように、医療も動いている。
まだ軽度のようなので、一日も早く完治させたいものである。

組織の上滑り  2007・12・10
組織が個人によって操られている状況を随分と見てきている。その状況が良いのか悪いのかは操っている方の人格にもよる。またその目的によっても判断は違う。組織とはそういうものである。

過去にかなりの組織の形態を見てきている。
自殺者も出した組織の形態も見てきているが、監査が甘かった。如何にもならなくなってからの発覚であったから、これしか方法がなかったものと自分自身を慰めている。予兆は感じていたが、部外者としてはそこまで立ち入ることが出来なかった。組織とはそういうものである。
組織によっては「お願い」パーターンでの協力要請がある。一応協力をする姿勢を示しているのではあるが、協力のメンバーが悪い。そこまでは考えてはおられないのであろうが、「ビジネス」的な考え方からは出てこない考え方である。でも協力をすることにした。連絡は当事者にしていただいて、その上での協力はする。主体の明確化である。

実は「組織」を考え違いすると大変なことが起きる。目的ばかりに捉われると、実態が変化する。そこまでは言わないが、返事を待つことにした。ボランテイアとしての私には依頼出来ない内容である。しかし組織である。
このことを体験していただくために、問題を投げかけた。「自分でやってね・・・」ということである。
組織運営は意思を持たないと出来ない。この意志が他人任せなら「お飾り」でしかない。役職に応じた運営を行なっていただきたいものである。
黙ってこの姿勢を見極めさせていただくことにした。

ケアマネジャーは個人の依頼で動く。利用者本人との関係を明確にしておかなければいけないこともお伝えした。
先日の「リスクマネジメント」研修でも関係は明らかにされていたが、「主体」は誰か????ということである。組織を見るのと同じ視点で「人」を見ていただきたい。天涯孤独の方もあるが、「関係者」即ちその方を取巻く組織が動いていることもある。その関係を把握することが先ず必要な「アセスメント」だと思う。

人の関係を把握してから「ケアマネジメント」を行ないたいものだと思う。

カラオケで盛り上がる。  2007・12・10
何時もヨーガ・リハビリジムで盛り上がっているメンバー総勢18名が、宴席後1室に集まった。思い思いに想いでの歌が出るが歌詞を忘れている。
歌詞カードでもないかな???ということでカラオケボックスへ借りに行かれた方がある。20名以上は入れるカラオケボックスだった・・・。
ということでご一行様の大移動が始まった。
最初2時間位でしょう・・・と始まったカラオケ大会が、延々3時間続いた。

一番驚いたのは、日頃会話もままならない最重度の方の口から、出るは出るは・・・良く歌を知っておられる。ビップのおかかえ運転士をしておられたことは知っていたが、夜の繁華街でも顔だったと言われる。家1軒位は飲まれたのであろうか・・・。歌にも年季が入っている。
帰りは家まで送ったが、かなりADLが低下してきておられる。車椅子移乗は全介助になっておられた。
通所出来る間は通所しようと頑張っているが、病状の進行を遅らせているのは毎日の入浴とリハビリにおける患部の温浴だと実感している。筋肉の固縮を少しでも防げれば良い。

主治医は大学病院が出した病名に拘っておられたこともあるが、最近は認めておられるようだと主介護者は感じている。私に対しても柔らかくなってきておられる。
ということで、今家に着いた。

退院後の相談  2007・12・8
入院計画書の2週間が過ぎるが、途中低血糖をおこして一時体調不良に陥ったこともある。退院は少し先のことになりそうである。そうこう思っているところへ電話がかかった。

病院の談話室での話しだが、かなり際どい相談になった。ストップしているサービスが軌道に乗り体調が安定するまで、訪問看護と家政婦を連日希望される。これに関しては事前に相談しておくことをお約束した。
実は今日の呼び出しにはもう一つの意味があった。申立書の校正である。
二ヶ所にアンダーラインが引いてあったが、一ヶ所は不明確のままで良いと感じた。もう一ヶ所は事実関係をはっきりとさせた方が良いと感じた。本人の申立書だから、アドバイスをおくっても良いだろう。文章を書くことを職業にしておられる方の文章は鮮やかである。

二日ほど前から不眠が続いており、今寝ているところだと言われるので顔を見ないで失礼した。食事は三分粥ぐらいになっているということと、少しずつ体調が戻ってきていると言われる。せめて全粥にまで戻しての退院になるものと思われるが、来週に入ってそろそろ退院話が出るものと思われる。(何も無ければ・・・)

週明けは、温泉帰りに直ぐに担当者会議をセットした。週の初めは少しキツイが、訪問看護と家政婦の根まわしだけは行なっておく必要がありそうである。これさえやっておけば、施設との調整のあとすぐに計画が組める。
臨機応変に・・・何とかなるものである。
ゆっくりと温泉につかって頭の中をリフレッシュさせてくることにするが・・・週明けは多分二日酔いだろうな〜〜〜

安全センターからの電話  2007・12・8
水割りに口をつけようとした時だった。

「床に落ちて身動きできないそうです・・・」安全センターからの電話であるが、通報だけである。今回は子機も手元に無かったようである。
「通報だけなら必要ないんじゃない???」「100円だから良いよ・・・」「でも税金の無駄使いだよ・・・」
つい先日こんな会話があったが、今回は役に立ったようである。

「飲んでいたらタクシー代もらうよ・・・」「良いよ・・・」という会話もあったが、救急車を呼ぶときは便利なようである。
以前医師から「もっと大変な方もあるから、尿閉ぐらいで呼ぶな・・・」と言われて怒っていたこともあった。でも安全センターからだと何も言われなかった。
「今度の日・月いないから落ちないようにね・・・」「気をつけるよ・・・」「ヘルパーさんにお願いしていくから・・・でも、二人で来ないとダメかな・・・」「気をつけるよ・・・」
地域からなるべく離れないことにしたので、大方は間に合うのだが、たまには出張もある。案外予定を知っているかのように何かが起きるものである。

日・月はヨーガ・リハビリジムメンバーで1泊温泉旅行へ行って来る。パーキンソン病・関連疾患の患者本人と介護者・ボランテイアのメンバーだが、このボランテイアさんは久しぶりの参加になる。担当者も5人参加されるということで、ジムには日頃からお世話になっている。
実は後程聞いた話だが、ボランテイアで苦い経験をしておられる。計画性のない行事進行でかなりの負担がボランテイアにかかったそうである。賢い方は黙って退かれるが、私は改善していただくために指摘をする。その違いこそあれ、考えていることは同じである・・・ということで久しぶりにご一緒することになった。

ここで一人心配な方がある。安全センターからの電話である。
今回からヘルパーの緊急派遣という新しい制度(?)をスタートさせようと思う。床に落ちた状態ならヘルパー一人では無理だと思い、二人派遣を依頼した。事前に地元を留守にするときには連絡しておくことにする。
ということでヘルパー事業所管理者に電話をしたら、もう耳に入っていた。
そういえば昨日サービス提供責任者にお会いした時に話をしていたかもしれない。
ということで新しい制度(?)はもうスタートしていた。

研修会講師の暴言  2007・12・7
某独立ケアマネさんが怒っていた。困難事例を進んで担当し、行政とも前向きの姿勢で接している方である。その講師の言葉は「独立ケアマネは軽いケースを20件くらいもって、それでは生計は成り立たないからアルバイトをしている・・・そういう形のケアマネさんがいます。」というものである。
冗談じゃない・・・・・。
行政ライン・委託機関併設居宅の姿勢を正面から批判してきたが、その講師の話を聞いてみたかった。聞くのは良いが、研修会にならなかっただろうな・・・と思った。「現状分析さえ出来ない者が講師を務めるな・・・」といったところだろう。

行政の責任で作るとされた地域包括支援センター併設居宅に未だに行政ラインの情報が流れるシステムが継続している。ケースを選んでいるのは併設居宅のほうである。
最近あまり「選択の自由を保障する」に関して書いていないが、この構造的欠陥こそ日本の介護保険の氷山の全体像である。コムスン問題など氷山の海面に出た部分でしかない。
先日某専門紙記者と懇談(実は取材)した中で、広報の方法などを紹介しておいた。某ジャーナリストに「介護支援専門員」原稿を送っておいた話もしたが、「送り続けないといけないですね・・・」と。
確実に届いている実感はある。

今、併設居宅から変更した何件かのケースがあるが、独立ケアマネ(というか私)にしか出来ない内容でもある。しかし、本来ならこのレベルまで技術を上げていただきたい。利用出来る社会資源が無いために自ら資源になっているケースは別として、法がらみのケースぐらい担当していただきたいものである。
昨日の相談も天涯孤独状態で、先行き不安なのだから地域包括へ回そうかとも思ったが、こちらで解決することにした。行政窓口でも相談にならないということになれば、ソーシャルワーカーはいないと言っても良い。失礼だがそう言わさせていただく。

研修会に出席していたケアマネさんは随分怒っていたが、このような輩がいるから、日本の介護保険界は良くならない。是非お目にかかりたいものである。

Re: 研修会講師の暴言  2007・12・7
ご自分のことを(自嘲して)おっしゃっていたのでは?
だって『研修講師』をすること事態がアルバイトじゃないですか。(笑)


そうですね。講師自体がアルバイトですね。
そう言えば、コーディネーター協会設立に際して介護保険のシステムを講義したことがありました。その次の回がMSWで、有名な方でしたので聞きに行きました。その時の名刺交換がまさか今まで続いているとは・・・。もう2年余り前の話です。

老後の不安と住宅事情  2007・12・6
人生設計の誤算と老後の不安に耐えてきたが、住宅事情も重なったということで相談があった。養護老人ホームは数的にも足りないし、ケアハウス等も費用面で手が出ないと言われる。そこで、先ず住み替えの提案をした。
今のところは何とか自立した生活が出来ているので、少しでもその生活を続けていただくことにする。

もう一つの不安は、頼る身寄りもない一人暮らしの不安である。姪や甥はいるが、過去に騙されたことがあると言われる。本人の意識としては天涯孤独である。
親しい友人に老後の不安を託そうと思っていると言われる。公証役場の話が出たので、友人を後見人として任意後見制度を利用されることを勧めた。
公証役場の場所もお教えして、友人とも相談されることを勧めた。

老後の不安とは一人であることへの不安でもあるが、せめて簡単な葬儀でも・・・とも思っておられる。後見人がここまでやれるのかは判らないが、友人葬という葬儀にお参りしたこともある。後見の相談に行かれたときに相談されれば良い。とにかく方向性は決まったようである。
単発的に出る言葉をつなげて、その方向性をお示しする。これも一つの相談のスタイルなのかもしれない。

不安と事情の方向性に向って動かれるのは本人である。納得の上帰っていただいた。準備した資料は福祉制度に関する小冊子とインターネットから任意後見のページのコピーである。
目の前で必要な資料が出てくるので安心し切って帰っていかれたが、要介護者として戻ってきて頂きたくはないと思った。
元気でお過ごしいただきたいものである。

調停  2007・12・6
最初に相談を受けてから2ヶ月が経過した。
「介護環境」を整えるために、手順を踏む必要性を感じた。先ずケアプラン契約をきちんと行なう必要がある。成年後見も考えたが、時間が合わなかったことから、当事者に集まってもらって、誰が契約書に代筆するのかの確認を行った。相談申込者と同一人で良いということを先ず確認した。
ここで出てきた言葉が「全部介護者」であった。全部介護者とケアプランの中身を検討していくことになる。プランの内容は前任者と同じである。

このあと法的措置を考えておられるということだったので、手順だけはお話した。エリア外のことなので、アドバイスぐらいしか出来ない。あとは専門家に相談していただくように伝えている。
その間2回位衝突があったであろうか???ケアプランのテーマが「静かな療養環境作り」であるから仲裁に入った。
調停の話が進んでいるようだったが、今回緊急入院もあり、行動を急がれた。内容証明郵便を送られたということだった。

要介護5で体調も不安定である。心の動きが体調を崩す原因になることもある。今回の入院もキッカケがあったらしい。入院の少し前に「静かな環境を作っていただきたい」とお会いしている。
どちらが異常なのかは法の判断に任せることにして、担当ケアマネとしては静かに療養していただければ良い。そのための背景作りは継続して行なっていくことにする。

人と人の結びつきに関して、その関係を正しく判断する必要がある。
これは組織においても言えることだが、自分の立場を先ず確立する必要がある。この位置づけが出来ていないと、将来的に問題の核心になってしまうこともあるだろう。目的に合った位置づけを行っていきたいものである。
ケアマネジメントは社会の常識にも通じる。

低血糖で大変だった・・・。  2007・12・5
入院10日目で口からものが入ったと言われる。その後が大変だったと・・・。

感染性腸炎等で脱水などもあり入院になってちょうど10日目、若干の食物が口から入った。血糖値三〇〇超えでインスリンの量が少し多かったのかもしれない。低血糖を起こして大変だったと言われる。そこでかかりつけ医の言葉を思い出されたらしい。「食事量を見てからインスリンの量を決めても良いですよ・・・」全介護者に与えられた課題である。

その心配が入院中におこった。訪問看護師に言わせれば「入院中に何をやっているのでしょうね・・・」というレベルの話である。
週末までの入院予定(計画)だったが、私の目から見ても少し長引くようである。関係チームにはそう伝えた。退院が決まってから流動的なプランを組めば良い。サポートしていただける方も準備してある。

介護保険サービスだけでは問題は解決しない。何時でもサポートが出来るように準備してある。増して、本人・介護者共に落ち着き払っておられる。もう介護に関する邪魔は入らない。ここまでが私の仕事であった。
もう誰が担当しても良いのだが、結末を見るまでお付き合いしようとも思う。担当しているだけで安心していただけ、ケアプランの内容はサービス担当者と直接調整しておられる。それで良い。そのようなケアプランもたまにはあっても良いのかもしれない。

書類つくりは下書きをもらえるから、ケアプランソフトに入力するだけで良い。また問題が起きたら出番はあるが、もう出番はないのかもしれない。

重度認知症と精神科病院  2007・12・5
脳の機能障害を診る科に神経内科と精神科があるが、精神科にはかかりたくないという気持ちを持っておられる方もあるようである。
認知症は高次脳機能障害の分類からも外れるから、精神科医の担当なのだろう。問題行動のある重度認知症の対応に関して、境界を見極めることは難しいが、精神科医の方が適切な対応が出来るものと思う。あくまでも「身の安全」をキーワードにした身体拘束の角度からの判断である。

精神科も診療科に持つ病院併設の老健が「入院」の答えを出した。MSWにお会いしてきたが、答えははっきりと出されていた。しかし、家族へはベールがかかった言い方になっていたのかもしれない。本人にはお会いしていないが、状況を聞いて当然の判断と理解した。
結果にベールをかけないで家族にお伝えした。確かにそう聞いていると・・・。しかし・・・と続くが、精神科という診療科が心に痞えているようである。
このままでは介護が制度上パンクすることをお伝えして、受診されるか如何かは子の判断に任せた。私が出来る後方支援はココまでである。

施設には色々な機能がある。その機能を生かした施設介護もケアマネジメントの一部であるが、現状で考えなければいけないのは、先を見越した施設利用の可能性である。半年後の相談だったら選択肢は無い。現在なら在宅介護の道も残されている。しかし在宅では無理だと言われる。
施設の種類を充分にご存知で、見学もしてきておられる。それなら尚更のこと、あとは決断があるだけの話である。

親を精神科病院に入院させたくない子の気持ちを、如何整理するかだけが残された道である。しかし入院で全てが解決する訳ではない。
相談に乗りたくない相手でもある。
答えの出ない相談は愚痴話でしかない。

ショートステイの連続利用  2007・12・4
2件ほど、病院との連携や施設入所をにらんで連続利用のケースを持っているが、新たに相談があった。私が関わっていると知ったら依頼してこられるであろうから内緒で動くことにした。これ以上増やしたくはない。
相談場所がデイサービスだったので、在宅生活の相談かと思ったが、よくよく聞いたら入所しか頭にないケースだった。「何でデイサービスに相談???」とも思ったが、聞いた話の結論だけは出すことにした。

入所相談をしておられる老健には知り合いのMSWがいる。今日出勤するということなので連絡を取ってみるが、話の筋(裏情報も取ったが)からすると、どうも重度認知症は入所対象になっていないようにも聞こえる。精神科もある病院を紹介されたそうである。
家族との話では、老健側が言った通りに動かれることを勧めたが、一応真意を確認することにした。結果、担当ケアマネにも予防線を張っておく必要がありそうである。

あまり関わりたくないケースがショートステイの長期利用であるが、この問題はもっと根が深い。
施設建設と同時に満床になってしまうが、果たして全ての入所者がその必要性があってのことなのか疑わしい。このことを施設関係者に追求したこともあるが、実際別荘感覚の入所者があることは事実である。

各施設何百人待ちということを聞くが、必要なときに入所できないのも日本の施設事情である。
ショートステイを準入所施設に使ってしまうと、ショート利用が必要な方々がはじき出されてしまう。そういう意味もあり、あまり使いたい手ではない。
全くのボランテイアになるのだが、一応約束した返事だけは届けることにしようかと思う。

良く書いたものだ・・・。  2007・12・3
ブログに誘われたのが、2006・9・27、14ヶ月余りでかなりの文章を書いている。

投稿記録をワード編集しているが、9ポイントで1ページ50×44=2,200文字なんと930ページを越えている。200万文字を越えているが、空白や他人の投稿もあるので7掛けぐらいであろうか・・・。この1年間気の遠くなるような文字を打ち出している。

ワープロをはじめて手にしたのが1999・12月であるから、キーボード経験は約7年であるが、便利なものが出来たものである。
実務研修の時ケアプランを手書きして手が痛くなったが、これだけのケアプラン文章を手書きしていたら大変である。
仕事も含めてどれだけの字数を打ち出しているのかと思うと気が遠くなる。

そしてその情報がインターネットを通じて世界を飛び回っているということになれば、大変を通り越して楽しくさえなる。
もしかして横文字のメッセージが届いているのかもしれない。全て削除しているが・・・。

資質と組織  2007・12・3
人が集まって組織が出来る。独立ケアマネは別としてサービス事業所も組織である。活動をするからには組織が必要である。全て社会は組織で成り立っている。その組織の質は、構成員の資質の集大成に他ならない。組織の質が問われるということは、個々の資質が問われているということに通じる。
組織は人である。

組織において個人プレイはご法度である。しかし現実は管理者の力が強いことは事実である。公正・中立であるはずのケアマネジャーも管理者の前には力を持たない・・・というのが、多くの現実なのではないであろうか?「理念と雇用を天秤にかけ・・・」と表現しておられた方もある。全ての組織に当てはまることではないであろうか。

雇用関係がなければ話は簡単である。理念を通せば良い話だが、中には義務的に運用している組織もある。本来ならば「義務を果たしていただきたい」のだが、地域には伝統の力関係があることは事実である。その実態も目にしている。過って〇〇村と呼ばれていたところには、今でもその名残はある。家の格付けである。

そういった雑多な組織の中で資質が生かされていくことは必要ではあるが、そう大きな期待はしていない。所詮仲良しクラブ的な組織が多いことも事実である。
今、介護に関わる組織の見直しが成されようとしている。医療との連携であるが、少し前のMSWテキストには連携先が在宅介護支援センターと記されていた。この時にMSWと現状に対する意見交換をしているが、相談業務としての連携から、医療・介護の連携へと少し形が変わりそうな気配がある。
MSWにケアマネ資格を・・・という話も聞くが、医療情報は医療へ流すという形である。この流れは注視するに値する流れでもあると思う。

組織と組織の間に連携が生まれるわけだが、連携がスムーズに行くためにも組織の中で資質が生かされた運用が成されるようにしておかなければいけない。個人プレー・ワンマンプレーではいけないということである。この関係が拡がってネットワークが形成されるわけだが、ネットワーク形成のためには閉鎖的な組織運営を改めることから始めなければいけない。

やはり私の話はこの方向へ結論が行ってしまう。
ネットワークを作っていくことが出来るオープンな組織運営が必要である。それが出来なければネットワークは崩壊する。そこには仲良しクラブが存在する。
組織の中で資質を育てていきたいものである。

保健・医療・福祉に関わる者などの資質  2007・12・2
保健・医療・福祉関係者に関わらず、コミュニティーソーシャルワークで関わりが出てくる、幅広い方々に関してその「資質」とは・・・という想いがかなり前からあった。HPをくまなく探していただければ、出てくるであろうが、民生委員等公職の方々は勿論のこと、患者会等お世話しておられる方々にもその資質が問われる。またボランテイアにしても然りである。
増して行政で直接事務を摂っておられる方は勿論のことであるが、その資質とは何かを一言でお伝えしたい。

仕事には幅広い意味がある。内容を判りやすくするために、物理用語からご紹介する。
【仕事】
力が働いて物体が移動した時に、物体の移動した向きの力と移動した距離との積を、力が物体になした仕事という。


即ち何らかの力が働いて、何かが移動すればそれは仕事である。
それでは、関係者はどの方向へ向って仕事をすれば良いのであろうか?
医療は病気が治る方向へ・・・保健は健康を保つことが出来るように・・・福祉は???民生委員等公職の皆様は??ボランテイア等の方々は?そして行政事務を執られる方々は???
各々の仕事の方向性はあるだろう。その方向性を一言で言い表せば「対象者に心を届けること」ではないであろうか?

どうも結論から言ってしまったようだが、それでは「資質」とは???
人間持って生まれたもの。それが資質である。
広辞苑に明快な答えがあるので(と思って探すが・・・)・・・。
【資質】
うまれつきの性質や才能。資性。天性。


非常に明快な答えがあった。
この資質を、如何に「対象者に心を届けること」が出来るように活用していくかということが、関わるものに求められていることであろう。
今一度日頃の姿勢を確認していただくキッカケになれば良いかと思う。

一日ショートステイ  2007・12・2
緊急ショートステイの申し込みがあったが、用事がある日は一日だけだと言われる。多分前後して一泊で取らないといけないとは思いますが・・・ということで調整に入った。
ショート施設へ電話で空き情報を問い合わせると、希望の日一日だけ空床がある。前後は詰まっているということである。
そこで「一日ショートステイ」という言葉を思い出した。送迎2まで打ち込んでみなかったが、帰りは家族が迎えに行っても良いと言われる。送迎(2)付きの一日ショートステイには感覚的に抵抗があった。

明後日のことなので、早速修正利用表・提供表を作って訪問に出かけたが、利用者宅で確認をもらい、施設に向おうとしたところへ担当者から電話がかかった。一日ショートステイに関して、明日施設管理者に相談したい主旨だった。
そうこう電話で話をしている間に施設に着いた(これは内緒)。
「一日ショートステイ」という言葉は聞いたことがあるから、何か探してみることを約束して、いずれにしても利用の方向で、上司と相談していただくことにした。

市から送付されている解釈通知にショートステイ分はなかったのでインターネットで検索してみた。やはりあった・・・。

資料名 :平成12年介護報酬Q&A Vol.1
タイトル:宿泊を伴わないショート利用
質問:短期入所生活介護を宿泊せずに、一日だけ利用することは可能か?
回答:宿泊を伴わないサービスが必要な場合は、緊急の場合であって、他の居宅サービスを利用できないような場合においては例外的に一日だけショートステイを利用することも可能である。なお、一日だけショートステイが利用される場合であっても、当該利用者について専用のベッドが確保され、適切なサービスが提供されなければならない。


日曜日に話があって、火曜日の利用だから緊急の解釈に無理はあるかもしれないが、営業日から言えば翌日の話である。またベッドがその日しか空いていない。緊急として対応することにしたが、他の代替サービス・デイサービスなど、明日、利用に向けて話を進めても間に合わせていただけるかは判らない。それにも増して一日ベッドが必要な方でもあるので、上司と利用出来る方向で話をしていただくことを依頼した。

Q&Aは後程ファックスで送っておいた。
日曜日午前中の仕事である。

DV被害に関する研修会  2007・12・1
県MSW協会定例研修会でDV問題が扱われた。県女性センター所長が講師に立たれた。
実は他の所へ行くつもりだったのだが、急遽定例研修会に参加することにした。もしかして再燃するかもしれないDVが目の前にある。そういうこともあり、急遽変更した。

これが世の廻り合わせかと思えることが起こった。
午前中サービス事業所で相談中に電話がかかった。今日からショートステイを利用出来ないかと言われる。今言ってすぐに空いているか判らないけど、一応探してみるね・・・と何時もの施設へ電話をする。担当者はサービス担当者会議で外出中ということで帰られたら電話をいただくことにしておいた。

自宅へ向かい「何で・・・???」と聞くと本人の表情が少し可笑しい。疲れきっておられるようにも見えた。
元来若干のうつ傾向もあり活動的な方ではないが疲労が蓄積しているようである。そうこうしている所へ電話がかかり、空きベッドの状況を聞いてみると全く利用出来る可能性は無い。それではと思い出したのが、昨年末のDV事件で一時避難した施設である。
電話で空きベッドの状況を聞いてみると、今日は無理だが明日の夕方からなら大丈夫だと言われる。何か因縁を感じたが、とにかく書類を揃えて昼過ぎまでに届ける約束をした。

その足でDV研修会に向ったが、世の廻り合わせというか、もしかして再燃の予兆なのではないかと思った。
出て行っていただいたはずの子の夫が、何時の日か戻ってきておられる。
本人の体調もそれに合わせて落ちて来ているようでもある。
MSWではないが、利用者本人の生活の場を確保するためにも関わらなければいけないこともあるんですよ・・・とケース概容を紹介しておいたが、それにしても廻りあわせとはおかしなものである。
今回は女性センターも利用出来る社会資源に加わっている。

DV被害に関する・・・(2)  2007・12・2
昨年末のDV事件では、考えられるあらゆる方法を使った。
名古屋へ向かっている車中で連絡を受けているので、とにかく身を隠すことにして、デイサービス利用中の母をショートステイに変更した。2泊は確保出来た。

翌日警察へ被害届けを出して、夫の措置入院に関しても相談した。主治医の意見と厚生センターの関わりが必要とか・・・翌日手順どおりに事を運んだがこの時点で行政ラインは当てにならないと悟った。女性センターの存在も教えていただいたが時間が無い。母の落ち着き先を探すことが先決・・・ということでショートステイを探した。年末ではあったが、翌日から3日間、ベッドの確保が出来た。今晩一晩は宿屋で寝ることになった。

アパートを捨てることにしてアパートと子の仕事探しが始まった。子のかっての人脈を辿ってアパートと仕事が見つかったのは、ショートステイ入所2日目であった。翌日とりあえず必要なものを持って引越しした。そして母を向かいいれた。
引越しと同時にアパートのガス・水道・電気を止めた。これで冬の寒空では生活が出来ないだろう・・・とアパートを去った。
それから2ヶ月余り新天地での生活が始まるが、もう来ないだろう・・・とアパートに戻ったのが3月中旬だったであろうか・・・落ち着いた生活が続いていた。

夏ごろデイサービス職員から、戻ってきているらしい・・・ことを聞く。本人に確認するが「私には言わないように・・・」と子から口止めされているようであった。それから2ヶ月位あとのこと、利用票を届けた際に、「実は・・・」と恥ずかしそうに話があった。男と女の関係は不可解である。

研修会当日の朝、急にショートステイ利用の申し出があった。利用出来たのは昨年末逃避に使った施設であった。
そろそろ1年間、再燃の前触れなのかもしれない。
今度はどのような手を使おうか・・・。
招き入れた子を責めても仕方のないことである。

在宅介護支援センターソーシャルワーカーとして  2007・12・1
平成6〜7年度の話だから、もう暦は一回りしてしまった。しかし、当時の動きをお伝えするだけでも新鮮かと思い、少し書いてみようと思う。

動きには計画性が必要である。そしてその動きの目的は「地域が目に見えるように・・・」であった。市内に3箇所、担当地域には90人の民生委員が・・・範囲が広大でつかみ所がない。先ずは民生委員さんの担当地域を地図に現すことにした。その地図をページトップに綴じて90冊のファイルを作った。これが目的に対する道具であった。ファイルは校下別に色分けした。
その地図を作るために民生委員さんの協力を得た。

動きに無駄があってはいけないので、ついでの仕事も随分した。用事がある近くのファイルは一緒に持っていく。当時携帯電話もそう普及していなかったので、急用時に民生委員宅へ捜索電話がかかったこともあった。事務所にファイルが無ければ出かけている方面が判る。
このようなことを繰り返しながら地域に潜り込んでいったのだが、半年も経たないうちにその活動は定着した。町のソーシャルワーカーとして気軽にお付き合いしていただけるようになった。40代後半のことである。

ねたきり・認知症の申請者やサービス利用者・ひとり暮らしの方々など、地図上にマークが増えていった。一緒に綴じられた利用者台帳には支援の経過・身体状況の変化もわかる訪問記録が添付されている。現在使用している台帳(アセスメント・モニタリング表)はこの時の様式を参考に作っている。
ケアマネジメントの本質は当時も今も変わらない。ケアマネジメント研修では現在の第3表を埋めていく作業から入っている。超ベテランのケアマネジャーさんから聞いた話だが、ケアプラン作成に悩んだら第3表から逆に戻るということであった。
私は「ケアプランは文章ではない」と開き直っているので第1表から順番に作るが、モニタリング表を書く時に時々自分のプランが可笑しいことに気づく。でも修正はしない。ケアプランは文章ではないからである。

支援の経過にこそケアマネジメントがあるものと、現在のターゲットは利用者を取巻く社会資源に変わってはいるが、当時はケアマネジメントを通じて地域ケアマネジメント・コミュニティーソーシャルワークにも取り組んでいたように思う。
如何にコミュニティーを作っていくか・・・今後の大きな課題なのではないだろうか?地域包括支援センターが生き残る道はこのコミュニティソーシャルワークにあると思う。社会福祉士さん・・・頑張って下さい。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです

某専門紙記者の来訪(2)  2007・11・30
「協業組合」構想の追跡取材ではあったが、随分と問題点をご指摘させていただいた。専門紙記者だけあってかなり勉強しておられる。記者からの投げかけはないが、こちらからの投げかけには充分にお答えいただけた。現状を見る目として、基本的にはそう大変わりしない。冷静に介護保険の現状を見ておられる。そういう角度からは良い意見交換が出来た(記事になるかは別だが。。。)。

地方からの取り組みでは時間がかかると思い全国発信したことや、協業組合構想の基になる考え方の文書も提示した。
市政への提言の内容と窓口そしてプレゼンテーションを行なったメンバーとその後の回答書など等・・・。表向きには動かなかったけれども、地域では活動を続けていることをお伝えした。
「もう還暦も迎えたし、若い方が民間事業所のあり方に関して、形は違うけど、現在進行形の形態もありますよ・・・」と大阪セミナーに関してお知らせしておいた。

地元で静かにしている理由もお知らせしたが、一番の問題「行政ラインでの被保険者情報の囲いこみ」が行なわれている実態を指摘して、行政と正面から向き合っている姿勢に違いがないことだけは伝えておいた。
インターネットを通じて、天下り構造が日本の介護保険の現状だということを日々発信しているが、この氷山の全体像をコムスン問題をキッカケに某ジャーナリストに送っておいたことも伝えた。「送り続けないとダメですね・・・」とは記者の言葉だが、地方局ではあるがNHKから取材に来ていただいていることもお話しておいた。日本のマスコミの代表として、この構造改革に一役を担っていただきたいものである。

話は現在取り組まれている医療改革に及んだ。医療情報は医療にしか提供されない性質のものでもあり。認定かかりつけ医(言葉は正確でないかも)制度はその方向性を示すことが出来るのではないかと、記者も期待しておられた。
最後に全国のケアマネさんに贈る言葉として良い言葉がないですか???ということであったので、介護保険の入り口でもある、ケアマネジャーを選ぶ時点で選択の自由が保障される市場が作られていくことも視野に入れて「独立出来る背景作りが必要ですね・・・」とお答えしておいた。

ケアマネジメントは本来独立して存在するべきものと考える。その独立が進むような背景を作っていくことこそが、介護保険界に関わるものの共通した課題ではないだろうか。今そのことが脅かされている。
そういう意味で行政とそして天下り管理者と正面を向きあっている。
地域包括支援センター(在宅介護支援センター)が法人からより独立した形を摂り、独立ケアマネが組織として育っていく。そういう構想を描いている方の言葉も伝えておいた。

記事は1月号か2月号になると言われるが、にこやかに話す写真も撮っていかれたので・・・ハレーションを起こしていないか心配なところである。

逃避。  2007・11・30
現実から目を背け、感情に任せた人生は味気ない。そのような姿勢でも生きることは出来る。

目標に向けて進むためには前途に何があるか判らない。有効な方向性を探り迂回することはあっても、問題から目を背けてはいけない。増して逃避などとんでもないことである。迂回路を探すことが正しい進み方であろう。逃避と迂回路は違う。

目標を達成するために色々な方法がある。その焦点が絞られつつある。問題点も明らかになりつつある。保健・医療・福祉の連携と言われて久しいが、今その方法が模索されている。情報の取り扱いである。
模索されていると言うことは現状が否定されているということにも繋がる。ここに綱引きがおきるものと思う。もうおこっているのかもしれない。

介護保険法が施行された背景には、パンク寸前の医療保険の姿があった。国民に新たな負担を求めたことにより自由競争の世界に入った。しかし介護・福祉界にとっては始めてのことであり、未だに措置の感覚から抜けきっていない。これが現状ではないであろうか?その感覚に、医療法改正においてメスが入りそうである。

主題からそれたが、目標に向うために問題点から逃避してはいけない。逃避のための嘘もいけない。
迂回は別の方法論である。逃避=迂回ではない。このことを心しておく必要がありそうである。
今、迂回路を模索している。方法論として形態が標示されようとしている。そのすり合わせを近日中に行なう。
結果としての利益はともかく、目標が達成されることが必須条件である。
私の目標は「選択の自由を保障する」市場を作ることである。医療法改正と両睨みで判断したい。

〇〇さん、命を拾ったよ・・・。  2007・11・30
提供表を届けるついでにMSWを訪ねた。不在だったので相談員に「〇〇さん、命を拾ったよ・・・。 」と伝えた。「???」何か大変なことがおこったのかと・・・「普通に食事が出来るようになったんだよ・・・」と。
退院から1ヵ月半経過したが、もう大丈夫である。

退院後、「食べたいとは思わない・・・」と食事拒否が続いた。
弁当を具沢山の味噌汁に作り変えたり、麺類ならのどを通るようだった。
食べたり食べなかったり・・・食事量がどうなのか判らない状態が10日から2週間続いた。弁当はほとんど残っている。この時は病院へ返すことも考えていた。
デイサービスへも通える状態ではなく、食事が入り出した頃、始めての通所があった。2回目は拒否だったが、最近は様子が違っている。もう大丈夫である。

ある日突然、通所日に電話がかからなくなった。運転士の根気に負けたようである。弁当もほぼ全量食べておられるという。先ずは一安心である。
ヘルパーはレトルト食品なども買いそろえ、炊飯器はスイッチを押せば良いようにセットしてくると言う。自分でスイッチを押すことが出来、お湯を沸かすことが出来れば食事は出来上がる。先ずはこの動作を出来るようになることが自立への第1歩である。
生ゴミは出すことができるが、不燃物の収集場所が判らないらしい(本人は同じ場所といっていたが)。返品されてきていたのでデイサービスの送迎車で引き上げてきたということだった。
チームの各員に助けられながらプランは動いている。

暖かくなったら通所回数を増やしていく方向性を話している。一応本人も了解しているが、その場になってみないと判らない。同時にヘルパーの手も順次離れていくことにする。
一日一回の定時訪問は必要だろうが、家事内容を順次本人に渡していく。しかし全くの自立にする訳にはいかない方である。前歴がある。
冬の寒さをしのぐ方法も変えていかなければいけない。電気ストーブ1機では北陸の冬はしのげない。しかしその生活が長年続いてきている。結果必要時以外は布団にもぐりこんでいることになる。

サービスが定着するとケアマネの役割が段々と減ってくる。最後の仕事は「生きる力」を持っていただくことではないかと思っている。
日々の生活の中から、少しでもその力を得ていただければ良いと思う。
「生きる」から「生活」へ・・・。まだまだ仕事は残っていそうである。

美女先生の前で鼻歌・・・。  2007・11・29
階段昇降介助・受診付き添いに自宅へ行くと、車椅子まで歩かれる。骨折後始めてのことである。補装具の装着は必要だが、昨晩歩いてみたら歩くことが出来た・・・と言われる。思わず「無理をしないでね・・・」と言ってしまった。
起きている時間が長くなったらしく、下肢に浮腫みが出てきている。一昨日訪問した時には浮腫みが無くなっていたのだが、また出てきたようである。
今日は全てにおいて体調は良かったようだ。勿論痛みもない。表情が先ず違っていた。

病院へ着いてから、チョッと用事が・・・ということで、先日退院援助で地域連携室から電話をいただいていたので連携室を訪ねた。名前もうろ覚えだったので、「何て名前の方がおられるの・・・」と3名ほどの名前が上がったので、多分〇〇さんだと思いますが、□□□さんの退院時に電話をいただいた方です・・・と名刺を差し出した。
しばらくして来ていただけたが・・・顔を見てビックリ、昔お世話になった美人の看護師さんだった。美人だから外見はきつく見える。でも、個人的に話すと物腰の柔らかい優しい方だった。
始めての入院からもう8年経つが、その時に「虚構」はじめにを書いている。そして2年間に4回手術室へ入っている。4回目には手に負えないということで何もしないで出てきているが、そういう経緯もあるから、印象に残っていたのだと思う。でも何故私がケアマネをしているのをご存知だったのだろうか???裁判中だったから別の仕事をしていたはずだ・・・が知る人ぞ知る・・・だったのかもしれない。

週2回病院へ来ている訳をお話した。〇〇先生の患者さんで、麻薬も出ているから往診医では治療が出来ない。通院出来る間は良いけど・・・。交通さんが出来ないと言うから移送サービス運転士と私でやっているんだけど、車椅子に座ることが出来る間は大丈夫だけど、座ることが出来なくなったら、通院出来なくなったら相談に乗ってね・・・と。
にこやかに微笑んでいただけた。

当の本人のところへ戻ると鼻歌が出ている。妻はさかんに止めているが、今日は機嫌が良いようである。診察の順番が来て診察室へ入るなり鼻歌が出た。美女先生はにこやかに血液データーを見ながら「良いですね・・・」と、鼻歌ではなく血液データーが非常に良いようだった。
むくみに関しては薬が増量されたが、このままいきましょう・・・と大量の薬の処方箋をたたき出しておられる。かたや鼻歌が続いている。
診察室から出るときに美女先生から「次回も歌聞かせてね・・・」と声がかかった。ユーモアもわかる先生である。

とにかく楽しい雰囲気で病院を後にした。

某専門紙記者の来訪(予定)  2007・11・29
9月頃だったか、「協業組合」構想発信の追跡電話取材が何件かあった。その時はまだ種も見えていなかったので、行政への申し入れやその結果、文書が出てからも変化が見られない・・・といったことをお話している。

先日、某専門紙記者から電話がかかり、ついでがあるから立ち寄りたいと申し出があった。『会議室』の場所を伝えるのは簡単であるからこちらでお会いすることにした。
高岡駅正面口から出て右へ真っ直ぐ古城公園方面に向い、最初の大きな交差点を左に曲り、ホテルニューオータニの手前5軒目・・・そこに少女漫画の目(必要以上に大きい)のような看板が揚がっています。
と、何時も言っている。

今回は大阪セミナーも日程に乗っているので少し話題を膨らませることが出来るのかもしれない。報道以来の経過もお話すれば、非常に面白いことになるのかもしれない。市からの回答書後、表立っては行動していないが、そういえば情報提供や取材もあった。決して情報発信の経過としてストップしている訳ではなかった。何故か静かな時の流れに錯覚をおこしていたようである。
余りにも良いタイミングなので、もしかしてセミナー絡みかとも思っているが、組織形態こそ違うが、決してすり合わせが出来ない内容ではない。また「協業組合」に拘るものでもない。

それでは何故「協業組合」だったのか・・・。
中小企業組合連合会は商工会議所ビルに事務所を構えていることが多い。公正取引委員会も同居している。この関係をスムーズに利用出来ないかという発想に他ならない。
介護保険法がスタートして、自由化された「介護」が自由に選択できる市場へと発展していくために公正取引委員会は方向性を明らかにして方針を明示している。しかし現状は自由化されていない。
行政ラインの情報が天下り管理者のいる委託機関において囲い込まれてきた現状がある。その点に着目したことと、居宅部門だけでの協業も可能だということである。

今回のセミナーはビジネスとしての視点を持っている。何らかの組織化は必要になると思うが、組織形態やその方向性よりももっと大切なことがある。
行政ラインでの情報の流れを断ち切ることである。
一時、何時でも動くことが出来るように民間結集の呼びかけ文書を作成していたこともある。気抜けするような結果に延び延びになってはいるが、改めて「同じ悩みを抱えるものどおし」が結集することへの働きかけを行なっていく必要性を感じている。

週末の予定変更  2007・11・29
週末、中央から大物を呼んでの政局講演会のご案内をいただいていた。参加する予定でいたが、興味のある研修会が舞い込んだ。
介護保険法に関わる者として、法そのものには疑義を感じていない。その運用が大きな問題である。ただ問題の大元に政治が絡んでいることは事実である。政治と言うか行政の構造的な欠陥である。
飛び込んだ研修はDV被害に関してのものだが、再燃するともしないとも言えない状況下にあるケースがある。そろそろ1年になろうとしているが、接見禁止仮処分の手続きと方法をお示ししておいたが、そこまで必要ないであろうと・・・一応問題は解決していた。

ケアマネとして、老母が安心して生活出来る生活環境を確保するために関わっている。
数ヶ月の逃避生活後、もう帰ってこないだろうと家に戻ったが、それから半年後ぐらいだったであろうか?戻ってきていることを確認している。
この問題にはもう誰も触れないが、老母はあきれ返っているし、本人は照れくさそうにしている。
とにかく男と女の関係は不可解なものである。

そういう背景もあるので、DV研修会のほうに出かけることにしたが、講師は県下の女性問題第1人者である。
被害届け〜精神科相談〜厚生センターと回ったが問題は解決しなかった。
無料法律相談・女性センター・接見禁止仮処分なども検討していたが、結果身を隠すことになった。
果たしてその対応がベストだったのかも含めて、研修を受けることにした。

年末の寒空に、アパートへ引越しが終わるまで、ショートステイを転々と・・・。一晩だけは町外れの宿に泊まることになるが、その姿からは侘しさを感じた。
早いものでもうそろそろ1年になる。

強風にもめげず踏ん張る姿・・・。  2007・11・28
午後少し時間があったので珍しく事務を執っていると、珍しく妻から誘われた。生活センター(?)へ行きたいんだけど、チャイルドシートがないので・・・乗せていってくれない???珍しく低姿勢である。
コピー用紙がそろそろ底をつくので・・・それなら文具を買いに行くついでに乗せて行ってやるよ・・・と。悪までも業務の延長線上の「ついで」である。(単なる口実の理由付けだが・・・)

目的の店で二人を降ろして一路ホームセンターへ・・・コピー用紙を買って戻ると、つまらなそうな顔をしてベビーカーに乗っている。何時もは店内を駆け回っているそうだが、カラツものもあるので野放し状態には出来ない。そこで監視下でベビーカーから降ろすことにした。
先ず気に入ったのが、クリスマスツリーやクリスマスグッズである。電飾を興味深げに見ている。そのうちに手を出そうとしたので手を遮った。

次に何を思ったか、入り口へまっしぐらに駆け出した。自動ドアが面白いらしい。二重の自動ドアだが、二つ目のドアの外は強風が吹いていた。柔らかいほっぺたが引っ込むくらいの強風である。立ち止まって風と闘っている。身体が吹き飛ばされそうになる。風に向って踏ん張っている。生まれて始めての挑戦だったのかもしれない。しばらくして助っ人を出したが、かなり根性がありそうである。

その姿を見て「挑戦」と「チャレンジ」の違いを思い浮かべた。
広辞苑によれば
挑戦   :たたかいをいどむこと
チャレンジ:手強い相手に試合を申し込むこと
となっている。
ニュアンス的には、チャレンジには意志が感じられるが、挑戦には置かれた現状と闘うという意味も含まれているように思う。
今日の孫の姿は正しく風に対する挑戦者であったのであろうか???必死に踏ん張っていた。

チャレンジャーは手に負えないと思ったら逃げるが、挑戦者は負けるまで闘う。そんな姿を見たような気がした。
生涯挑戦者でありたいものである。

穏やかな認知症  2007・11・28
主治医意見書にはアルツハイマー型認知症と記されているが、本当に穏やかに進んでおられる。来訪者に対する礼儀もわきまえておられる。

通路の安全性を図る住宅改修を行うが、コーディネーターは手すりの持たせの意味も含めて、居室からトイレまでワンルームの設計図を書いた。採光の工夫はしてある。親族会議の結果、臭いが篭るのではないかという話になった。将来を心配しておられるようである。
認知症の進行は表面的にはなかなか見抜けない面もある。行動や臭いから判断することもあろうが、このままの状態で静かに進行することは予測しておられる。

どちらが良いかの判断は利用側が決めることなので、開放された通路に手すりを設置する図面も出来上がった。結果として費用面ではそう違わないのだが、開放型の改修を選ばれた。
理由書の下書きはしてあったが、読み返しても何の問題も無い。理由書にはその必要性は書いてあるが、方法までは書いてない。下書きをそのまま、ますにあわせて少し大きめの字で清書した。

今日正式図面が届くが、話しが決まれば工事も早い。1週間以内に完成である。
聞くところによると近隣の市町村では確認通知書が出るまで4〜5日かかると言われる。高岡では当日か翌日には出ている。工事開始を来週にしておいた。

住宅改修だけは慣れた業者と組まなければ、書類が大変である。担当者と工事事業者と直接話をしてもらったケースもある。
今日は一日フリーであるから自由に提供表を配布するが、ついでに利用者と合える可能性を込めた巡回ルートにもなっている。
余裕を持って月末を迎えられるようである。

名古屋出張  2007・11・27
昨年12月22日、友人の車に同乗して名古屋へ向って走っている。
その途中でDV事件の連絡を受け、交番へ駆け込むように伝えている。明日帰ってから対応するから、兎に角逃げることと、デイサービス利用中の母をショートステイで保護してもらうように調整した。

大阪のケアマネさんと新幹線駅前で待ち合わせをして、ホテルのレストランで会談をしたが、向こうは二人で来ておられた。
会談後名古屋駅の居酒屋で酒を酌み交わし懇談したが、夢も希望もある話であった。
そして介護ビジネスの話に花が咲き、色々形を変えて、今その姿を見せようとしている。

一方私は、少し前に市側に申し入れしてあった「選択の自由を保障する」市政への提言に対する回答書は得ているが、後味の悪い結果でもあったので、現在は傍観している。経緯の中で同じ悩みを抱えるもの同士の結集を意図した準備書面は作っていた。民間居宅の結集である。

どうも同じことを考えているようである。しかし形は違う。ビジネスの提案で民間結集を図りたい考えのようである。
「協業組合」構想は「公正取引委員会」を視野に入れている。行政ラインとの真っ向対立である。
彼らの考えはシステムで差別化を図ろうという形の民間結集である。ビジネスモデルを発表するまでに話は進んでいた。

大阪・名古屋に続いて富山・・・という声も出そうになったが、先ずは都市部から固めていく必要がある。東京???神戸・・・さて、どの方向へ進むかは不明である。
発信は富山でも良い。しかし実態は付いていかない。意識レベルの問題かもしれないが、このような勢いは感じない。

医療法改正に関して情報は入っている。介護保険とのパイプ役を認定されたクリニックに求めることになりそうである。このパイプ役を誰が担うかということで行政ラインでの情報の囲いこみを断ち切ろうという意図があるようである。方法は違うが、私が問題としている点とも一致する。
一歩先を読んだセミナーになるようだが、大いに期待しても良いのかもしれない。

緊急入院(2)  2007・11・27
入院の事実を兄に伝えるタイミングを図っておられたようである。
ケアプランの内容がどの程度伝わっているのかは知らないが、予定では今日までショートステイだった。
昨晩電話がかかり、今日の16時以降に伝えて欲しいということだった。
「静かな療養環境作り」がテーマのケアプランであるから、当事者の判断に合わせれば良いのだが、もう直接話をされる意志は無いようである。

内容証明郵便に関しては1ヶ月前にお知らせしているが、今回その必要を感じられたようである。明日内容を確認して発送されるそうだから、月末には届くことになるだろう。問題が公にも表面化するわけである。
介護・看護に関わるケアマネジャーの立場は契約者の立場である。お二人同席で「誰が代筆するか」を確認している。代筆された方を代理人としてケアマネジメントは進んでいるが、前段階として成年後見も検討している。
入院も重なって成年後見制度を使うタイミングは逃したが、同席の上で代筆者の選定に合意されたわけだから、この点は問題にならないであろう。

今回の入院にはキッカケがあった。ちょうど1週間前に気持ちを動かすような無責任な発言があった。病弱な方にとって体調を崩す原因にもなる。
その時に兄にお会いしているが、ご指摘した事は理解していただけたが、平静を欠いていた。口には出さなくても行動に出る。その心の動きは察知できる。
今日もう一度お会いすることになるが、個別にお会いするのはこれが最後になるのかもしれない。

嫁・姑・小姑の関係を調整出来なかった背景には亡舅も絡んで来ると言われるから根は深い。
「静かな療養環境」の中で静かに日々を過ごしていただきたいものである。

誕生メール・・・。  2007・11・26
予定表に「誕生メール」の予定があった。
誕生日知ってるよ・・・と言っていたのは8月頃だったかもしれない。
今では受け取りたくないメールになっているのだろうから止めても良いのだが、如何しようかとも思っている。

受信拒否がおこったのは「嘘」を追求して以来である。
「嘘」の後追いをしても仕方ないであろうから、止めておくかとも思うが、知っていたことだけは伝えたい気持ちもある。また、約束を守らないのも如何かとも思う。
ブログにも来ておられるので、こちらでお伝えしておこうか。

明日は〇〇才の誕生日ですね・・・おめでとう。
今後のご活躍をお祈りしています。

緊急入院  2007・11・26
ショートステイ入所中に下痢・嘔吐が続くので入院の検討を・・・と介護者に電話が入った。かかりつけ医に相談し、ショートステイから直接症状を伝えてもらうと入院の手配をしていただけた。前回入院時の主治医がちょうど当番医だったということで安心仕切っておられる。
午後から予定が入っていたが、ちょうど方向も同じだったので30分ほど早く出て見舞うことにした。

今回帰省予定が無くて良かったが、先月の入院もショート利用中だった。予定は予定として組むが、本人の体調が付いていかないのが現状である。それ位体調は不安定である。
約1ヶ月静かな生活が続いていたが、ここに来て心の乱れの原因も出てきていた。静かな療養環境を作るために、余計なことは言わないで欲しいと申し入れをして来ている。それから3日目のことだが、全くの無関係ではなかったようである。

後程入院計画書をFAXで送っていただき、兄には入院したが、病院として面会は裂けていただきたいと言っている旨伝える予定だと言われるので、その方が良いでしょうということにしておいた。
問題がこじれた原点は知らないが、修復不能なまでに崩れきっている。背景には「嘘」があったことだけははっきりしているのだが、その「嘘」を今から解明されようとしておられる。
それまでの気構えは、母を想う気持ちから来るものだと思うし、長い生活の歴史の中にも「嘘」があったと聞いている。
女性の執念には怖いものを感じる。

今回のケアマネジメントを通じて感じることだが、男性ケアマネにしか解決できない問題はある。ソーシャルワーカー時代には嫁姑・姉妹・親族の問題等にも関わってきているが、今回は果たして問題の原点を解決出来るのであろうか・・・。複雑な問題はあるものである。
向かって来てくれている間は解決方法はある。

胸が痛いけど・・・何かやったかな???  2007・11・25
今朝起き掛けに胸が痛かった。運動をした記憶もないし、やぶつけた記憶もない。胸の辺りを触ってみても痛みはない。両腕を後へ胸を張ってみると少し痛みがある。深呼吸をすると痛い。咳をするともっと痛い。・・・もしかして・・・とは思ったが、タバコが切れていたのでタバコを買ってきた。

何しろ医者嫌いだから健康診断以外は医者にかからない。私を医者嫌いにした医師がいる。「医者は薬を出さんと儲からん・・・」医師である。
コレステロール・中性脂肪が高い体質なので投薬治療を受けていたこともある。
先日の健康診断でも指摘されたので聞いてみた。「治療をしなければいけないほどですか???」「食事に注意すれば良いでしょう・・・」良い医師である。

この状態がしばらく続くようなら受診するが、呼吸に不自由はない。でも痛いということは何か原因があるのだろう。過去にこの痛みは経験したことがない。風邪なのかもしれないから、今晩は風邪薬でも飲んで寝ようかとも思う。
ボーリングの後懇親会だが、身体と相談しながら飲むことにするが、あまり加減すると心配する仲間でもある。

医療連携の姿???  2007・11・23
昨年の今頃「MSWが消える日・・・」というテーマのワークショップに関して書いている。MSWが退院援助をしないと本当に消えちゃうよ・・・という話である。
地域によって事情は随分違うだろうが、昨日の電話では本当に消えちゃうよ・・・という内容が含まれていた。
病院関係者と人を介してお会いされるということことだが、その前段の話のようだった。内容はこうである。

「医療の連携先は医療である。実際に退院援助を行なっているのはMSWよりも病棟看護師である。その連携先はやはり看護師・・・そう訪問看護ステーションである。」
続きは後日連絡が入ると思うが、その病院の意向は医療→医療の連携「らしい」と言う。

2年余り前にO・MSWが講義資料に使っていた連携先は在宅介護支援センターであった。地域連携室の構成メンバーも福祉職・医療職が入り乱れている。病院内の二つの流れがあるところもあるし、病棟が退院援助を行っているケースもある。即ち定型がない・・・というのが実態だろう。
しかし、この病院の影響力は大きい。
こちらでは訪問看護が忙しくなったから居宅を閉鎖するという話も出ている。地域連携パスが、現状では医療連携の目的で運用されている。福祉との共通語に育てることは考えていないのだろうか???

介護支援専門員受験資格に関して医療・福祉の相当の駆け引きがあったと聞いている。今回の医療法改正ではどのような方向へ進むのであろうか?
認定かかりつけ医(言葉は正確ではないが)との連携に医療報酬が付く方向性も検討されていると聞く。
そしてその3年後の介護保険法改正は仕上げである。

この話を聞いて「もしや・・・」と思った。もうその準備段階に入っているのかもしれない。
「独立化の勧め」は今のところはたいした波及効果は無かったようだが、インターネットにだけは残しておこうと思う。

医療連携の姿???(2)  2007・11・23
昨晩の電話の主が来て行った。
チビッコギャングが見知らぬ来訪者が気になるらしく、丁重な接待をしてくれた。そういう訳で話も前に進まない。妻が帰って来てようやく興味は別のところへ行った。

医療法改正は再来年度からであるから、そろそろ骨子が出始める。ここに注目である。保健事業にも波及するかもしれない法改正であるから、自分のエリアだけ見ていてはいけない。保健・医療・福祉(介護)はセットである。是非注目して予測を立てておいていただきたい。
地域包括支援センターが3年持つかと言われてきたのにも根拠がありそうである。

量産されたケアマネが来年度で更新を終わるが、大きく変わると予測されるケアマネジメントにどれだけ付いて行くことが出来るか見ものである。更新研修にはソーシャルワークが入っていると聞いている。
このソーシャルワークこそが次世代のケアマネに求められる内容であり、その利用出来る社会資源も問題になってくる。
現在機能していない社会資源を再構築させていくことこそがこれからの視点だと力説する。
地域格差はあろうが、介護も自由選択の時代に入っている。認定者も非認定者も含めての選択の自由である。

実際田舎の実態に合わせると難しいものがある。モデルは先ず都市部で・・・ということで、大阪・名古屋でのセミナーに期待している。

Re: 医療連携の姿???(2)  2007・11・24
〇〇 さん、ありがとうございます。

家族(家庭) の機能ですね。

これは当然のことなのですが、医療連携の方向性に関してですから、保健の役割が重要になってくるのかもしれません。地域包括がどの方向へ行くのかも楽しみなところです。

もう、『セミナー』の時代は終わりかけているでしょう。

起業家の開くセミナーですから、興味を持っています。
興味がおありでしたらお知らせします。
12月23日大阪・年明けに名古屋を準備しておられます。

居宅介護支援事業所の看護師のケアマネが
 訪問看護ステーションの看護師に移っているように


法改正ではこの方向へ行くようですね。

家庭(地域・子育て)と両立しながら
 自分が培ってきた能力を一番発揮して伸ばせる職場はどこなのか
 (女性は)判断できるようになってきています。


女性には頭が下がりますよ・・・全てではありませんが・・・。

Re: 医療連携の姿???(2)  2007・11・25
彼女たちのインフォーマルな資源上での役割(母親の役割など)を果たせなくなってきて、
 教育に悪い影響がでてきて『それは本末転倒でしょう』といったもどかしさがあって・・・


我が家は「亭主元気で留守が良い・・・」でしたから、子育ての時間はあったのでしょう。しかし別の意味で悪影響が出ていたのかもしれませんね。
子は親の背中を見て育つとも言われますから、その評価は生涯を通じてのものなのだと思います。
子から良い評価を得るためにも、嘘のない、前向きの姿勢で生きていきたいものですね。

大学経営者向けの 『男女共学家政科開設セミナー』 なら有意義であると思います。(笑)

男は生活(能)力がありませんから良いかもしれませんね。
おじいちゃんの料理教室は効果が出ているのでしょうか?

医療連携の姿???(3)  2007・11・24
連携の形はともかくとして、一つのネットワーク図が描かれている。組織形態には色々あるが、その組織図に着目している。現時点では公にはなっていない。医療連携ということであれば民間型のネットワーク図に置き換えることが出来る。このネットワークの中に民間居宅も組織されていくことになる。公が作るネットワークと違う点がポイントかと思う。

地域包括支援センターは試施行だったのかもしれない。在宅介護支援センターが機能しないことからの改組だったのかもしれないとの思いに至った。ということは行政ラインによる個人情報の囲い込みの実態を厚生労働省は知っていたということになる。そこで医療側からの改革が始まった。

春頃だったか、医療と関わりの深い方から某(どなたかは知らない)医師が地域包括の対応に腹を立てておられるという話があった。そこでお渡ししたのが機関紙原稿である。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm

地域包括支援センターは全国で1万箇所に到達しているのであろうか?膨大な組織である。
介護支援専門員受験資格で綱引きが行われていたことは過去にお話したが、綱引きを行っていたのは全国在宅介護支援センター協議会と日本医師会である。
介護保険法施行から8年目にして同じ綱引きが始まろうとしている。

そういった背景を頭において、法改正の流れを眺めるのも面白いかもしれない。日本医師会は医療側からそのネットワーク体制を構築していかれるのだろうが、全国在宅介護支援センター・地域包括支援センター協議会はどの角度から綱引きを行われるのであろうか???
天下り構造を改革して、行政の持つ個人情報が公正・公平に取り扱われる。そのような背景作りを期待している。

オーブントースターがおもちゃ箱に・・・  2007・11・22
とにかくとびらやふたを開くのが好きである。食器棚のとびらにはガムテープが・・・それでも苦労してあけている。カラツの食器が好きである。一つならまだしも二つ掴んで重ねている。
最近オーブントースターのふたも開けるようになった。棚があるから整理しようと思ったのか・・・おもちゃの山になっていた。

子供の成長は早いものである。誕生から1年2ヶ月、遊びの範囲も拡がった。面接室(事務所横の座敷)のテーブルの上に書類を積み上げておく訳にはいかなくなった。一緒に書類整理という仕事をしていただける。
背も大きくなったのでパソコンデスクに頭をぶつけるようになった。誰の仕事かわからないが、角にはガムテープを張って怪我をしないように加工してある。

ふすま戸を裏から開けて裏から出入りするのが好きだ。
サッシ戸に頭をわざとぶつけたり、危険がいっぱいである。
妻がいるときに、パパがいなければ必ず来てワンパクのあるだけやっていく。非常に行動的である。そんな彼が今日はお泊りだと言う。
2階は全て板張りなのだが、簡易畳で4畳半の和室?を作った。ベッドでは転落の危険もあるので大改装した。良い機会だから不要な粗大ゴミ捨てた。(危うく私も・・・)

起きている時間の半分以上は家に来ているかもしれない。もっと幼い時にパソコンを触らせたら、仕事の手伝いに来る。キーボードと言うかボタンが好きなようである。専用携帯電話も持っているが、リモコンなど手当たり次第に・・・部屋が明るくなったり暗くなったりしている。
急ぎの仕事があるときは邪魔な存在だが、そう急がない時にはお手伝いをしてもらっている。仕事は全く進まない。

そんな彼が、今日は泊まっていく。

電話が無いということは・・・(2)  2007・11・22
少し興奮した、オクターブ高い声で電話がかかった。

方向性をうやむやにしているのならまだしも、明確に方向性をお示ししてある。求められていることや経過もお解かりのはずである。お解かりでないからこんなことを言い出すのだろう。
求められていることをうやむやにして逃避するレベルと同じだと思った。一言多くても少なくても、問題は解決しない。

先に内容証明郵便についてお伝えしている。先ず関係を文書でお知らせしておく方法である。電話で依頼されることを勧めたが、電話がつながらないということで、こちらにかかってきたようだ。電話の状況からは何らかのつなぎが必要のように感じた。もう酒を飲んでいる時間だったので、明日の晩お会いして年明けの介護計画をお話しすることにした。
法的解決を睨んでいるから内容証明郵便であるが、通常は密室で行なわれた真実をオープンにすれば良い。世の常識が判断してくれる。

年末は何とかなるが、正月はサービスが途切れる。一人で頑張る予定でいるところへ横槍が入ったらしい。出来ないことを気軽に言ってもらっちゃ困る・・・ということで心が乱れたといったところである。もう顔も見たくない関係になっているが、けじめだけは付けなければいけない。
介護に関わる部分だけは責任を持ってお伝えする事にした。
方向性はお話してあるのだから誰かに相談されれば良いものを、どうも思い付きで行動されているようである。問題をますます複雑にしてしまうだろう。「問題の原点が何処にあるのか・・・」重要な部分の認識が甘い。

ということで、今日、穏やかな「ドンパチ」を予定している。「嘘」を見抜く力は持っている。

久しぶりの「といつくどん」  2007・11・21
ヨーガジムから、パーキンソン病友の会砺波交流会への移送を依頼されたので、会場までお送りした。
しばらく「といつくどん」へ顔を出していなかったのでその足で向った。
水曜日は歌の好きな方が集まられる。今日はカラオケになっていた。
曲目は昭和40年代を中心に構成されているが、ちょうど我が青春の歌が半数を占めていた。心を込めた歌が続く。

今面白い企画が始まっている。来訪者向けに不用品の販売である。リサイクルショップから準備されたものもあるようだが、会員が持ち寄った不用品もある。無駄を省き日々の生活をされている障害者・家族の生活を垣間見た。
蔵に常設展示場が準備されている。

話には聞いていたが、寄贈されたトランポリンが折りたたまれていた。臼組み構造の広間においてあるので、天井までは3メートル余りある。拡げた高さも70cm位か・・・乗り降りには全介助(全てに全介助ではあるが)が必要である。ここに障害児・者を乗せて揺さぶるのであろう。バランスボールの時もそうだったが、上下運動は脳の活性化に良いそうである。

おやつをいただいて帰ってきたが、何時行っても笑顔が絶えない雰囲気である。笑顔の中で重度障害者が介護されている。集まったみんなが利用者なのだが・・・これで経営が成り立つのだろうか???と心配になってきた。
独立ケアマネさんがデイサービスを始めたが、富山型ではあるが、同じスタイルでやっておられることを伝えておいた。

まるで同窓会・・・。  2007・11・20
国保連の研修会が行なわれた。講師の橋本泰子氏の話に興味があって参加したが、まるで同窓会のような雰囲気になってしまった。過って席をおいた施設のメンバー・・・今はバラバラになっているが、近い席に座ることになった。
現状報告をはじめ施設建設の時期も確認したが、数年前のことだが記憶は曖昧である。「居宅を立ち上げた時ご挨拶に行っているよ・・・もう3年半経つからそれ以前だよ・・・」「?????」如何でも良いことだが、もう忘れておられる。
みんな職場は違うけど、第1戦で働いておられる。当時から優秀なメンバーであったし、私に福祉を教えていただけた方々でもある。
JRの中からご一緒した、これも分野は違っていて、同じ時期にニアミスを起こしている方から「良いね・・・まるで同窓会みたい。先日も飲み会で〇〇さんとデュエットするなど、微笑ましいところを見せていただいていますよ・・・」と。そういえば良い職場だったんだ・・・と再認識した一コマだった。

帰りのJRでもご一緒し、現在何故独立開業しているかの経緯もお話した。まだ最後ではないから最後に言いたい言葉は言わなかったが、民間力を合わせていかなければいけない現状に関してもお話した。
裁判記録がHPのベースになっていることに関して、ほんの2ヶ月ぐらいのことだったが、法廷に立つことは精神的にかなり負担になるという話も出て来た。日本の司法制度は進んでいるとも感じておられるようで、それに比べて「2年半というのは、相当の精神力だったのですね・・・。」と・・・。まだ続いていると言ったら腰を抜かされそうであったので止めておいた。

「無から出発して、受験も含めれば4年半。ようやく何とか軌道に乗りつつあります。」と報告しておいたが、確かに色々なことがあった。現在があること自体が不思議である。
この間何人かの女性から色々な形の支援をいただいている。何故か男性からの支援は無い。勿論、充分な報酬を家計に入れることが出来なかったことに対して黙って(?)いてくれた妻もその一人である。

こう書きながら一人の女性に独立開業を勧めようかと思った。事務所は提供出来るが、資金援助は出来ない。もし、ケアマネジメントに未練を感じておられるのなら是非とも誘いたい。勝手にやっていただいて、もしよければ会社を作っていただきたい。我社の資本金は妻出資分と合わせて2万円である。諸経費を合わせても10万円で会社は出来る。(たしか)
「会議室」スペースは無償提供していただいている。必要以上に大きい看板、ある方によれば「少女漫画の目」だそうだ。必要以上に大きいということを的確に表した言葉だと思っている。

看板に後押しされて、必要以上に大きなアクションを起こしているのかもしれないが、良い同窓会でもあった。

利用者の数ほどのお付き合い・・・  2007・11・21
「利用者の数ほど事業者ともお付き合いがあるよ・・・」
勘でこんな話をしたが、数えてみると本当にそうだった。

何故か通所介護・訪問介護・福祉用具の囲いこみ率を報告(記録に残す)することになっているが、訪問介護50%台・福祉用具30%台・通所介護10%台というのが実態である。
皆さんもそうしておられるだろうが、通い袋に整理しながら書類作りをしていかなければ整理が付かない。作業を手順通りに行わなければ抜けることもあろう。その手順とは、利用票の確認をしていただいてから提供表を作るという手順である。
今でもやっているかどうかは知らないが、デイサービスセンターのカウンターに利用表が積まれていた。「ハンコ貰っといて・・・」である。先ず手順が違う。

相談からサービススタートに至るまでも手順がある。
相談申し込み・インテーク面接・ケアプラン原案作成・原案に同意。ここまでを契約書に準じた相談申込書で行なう。原案に合意いただいてから、重要事項等の説明・契約・担当者会議の設定・サービス計画作成依頼届けと手順を踏んでいくが、この手順も怪しい。
今もやっているかどうかは知らないが、認定調査で事業所名の入ったサービス計画作成依頼届と自分に相談が来るようにメモが残してあった。在宅介護支援センター併設居宅のベテラン(?)ケアマネである。手順がこれだから、ケアマネジメントの内容も大方想像が付く。

ケアマネジャーの質に関しても話題になったが、今受けても受からないでしょう・・・とご謙遜。地域に密着した活動を行なってこられた専門職の方である。
かなり幅広くお付き合いしているから動きはかなり目立っているようである。社会福祉法人とのサービスでのお付き合いは数箇所だが、民間事業所中心でも結構良いサービスを提供していただいている。目で確認できるデイサービスはあまり規模が大きいと敬遠されがちである。
これが3年半の実績といったところである。

ゼロからの出発だったから少し時間もかかったが、そろそろ次の段階に入ったようにも思っている。インターネットから飛び出した事業所だから1代限りでも良いのだが、検討の余地は残している。

電話が無いということは・・・  2007・11・20
良い知らせだった。
遠距離泊り込み介護の方に最後にお会いしたのが先月の末。郷里へ一時帰宅されるJR待ちの数時間お付き合いした。10月の半ばで居宅変更を行なっているが、プランは動いていた。
何故居宅変更を行ったかというと「安心」であった。
強面でもないが、前任者よりは良かったのであろう。一度だけ「ドンパチ」とやっている。

このケースでそう大きな働きをした記憶は無い。契約を誰の立会いで行なうかの確認と「家政婦」という言葉を勘違いした嫁が逆上した時の対応だけである。私にすれば別に大した問題ではない。それでも「安心」を提供出来たようである。
民事訴訟も考えておられたようであったので、法的手順の概容をお知らせしている。郷里で、そして帰ってから弁護士に相談されているが、予備知識が役に立ったようである。結果「調停」の方向に進まれるようである。

餅は餅屋・・・もうこの件に関して口を挟む必要は無いが、プランはスムーズに流れている。
予定もサービス提供責任者と打ち合わせが済んでおり、それを利用表・提供表に落とせば良い。提供責任者は「ゴメンネ・・・」と言っていたがそんなことは無い。この状態が続けば、こんなに簡単なケースは無い。

何故担当替えがあったのか・・・ケアマネジメントの独立性・中立性の問題だけだったと思う。最初の契約時の立会い者(代筆者)を確認した時点で全て解決したようである。
本人の状態も良くなっているし、「静かな療養環境作り」のテーマに向って静かな環境が出来つつあると喜んでいただけた。
電話が無いということは、良い知らせでもある。

患者会支援  2007・11・20
頚椎後縦靱帯骨化症患者会設立の相談を受けた頃だから、6月下旬だったと記憶しているが、県MSW協会事務局に相談されることを勧めている。
遡ること約2年前にMSWの役割についてメールで意見交換をしている。その中に患者会支援も含まれていた。
この時は電話で相談に行かれることを伝えているが、患者会設立に全面的に協力していただけるという返事であった。

昨日会報が届いたが、理事会で具体的に検討が始まっていた。
ALS患者会設立の流れの中で1年ぐらい前から若くて熱心なMSWの参加が始まっている。午前相談会、午後MSW協会総会でご一緒して微笑んだこともある。そのような経緯の中で、協会の考え方を難ネット理事会でも伝えたことがあった。
難ネットから各患者会への協力要請が出ているが・・・如何したものかという論議が続いている。

2年前のメール交信が今姿を見せようとしている。組織を動かすためには時間がかかるものである。そのためにも受け皿を整えておく必要がある。
如何いう方向へ行くかはわからないが、MSWも地域に目を向け始めている。
コミュニティーソーシャルワークという言葉もMSWから聞くことが出来るようになって来ていることもあり、ケアマネジャーもソーシャルワーク技術を身につけていく必要があるようにも思う。

死んでも良いから家に帰りたい・・・。  2007・11・19
そろそろ3年になろうとしているが、始めて居宅変更をしたケースのテーマである。そのケアマネさんから居宅変更の依頼があった。
電話をいただいて事務所を訪問したが、開口一番、ご無沙汰を詫びた。自宅に帰って8ヶ月目に亡くなられたが、家に帰っての目的が子の躾だったことなどもお話した。

その方の葬儀は、前後関係も含めて明確に脳裏に焼きついている。大雨の中での葬儀であった。
前日から始めて県パーキンソン病友の会・温泉一泊旅行に参加している。会報紙の1面を飾った写真では電話中である。解散後家に帰り礼服に着替えて葬儀に参加している。終了後、前日から行なわれていた独立・中立型介護支援専門員全国協議会公開シンポジウムに参加。終わり次第、奈良県の独立ケアマネさんに高岡を案内している。スケジュール一杯の1日であった。

ところで今回の引継ぎケースは家庭内の問題と言うよりも、金銭問題が絡んでいる。公的な後見制度は使えないが、何らかの手を打っておく必要がありそうである。
今月は月末に予定が集中していたことから少し早目に動き出しているが、ここに来てケースの引継ぎには厳しいものがある。とにかく日程調整のうえ、今週中にお会いすることになった。

話を聞けば聞くほど、このケースは行政が解決しなければいけない問題である。地域包括支援センターも招いてのケア会議は開催しておられると言われるが、根本的に解決する問題があるように思う。
この点をアピールしてきたが、行政は地域包括支援センターに丸投げしていたようだし、解決出来るワーカーもいない、いない訳ではないが、何故かいない。

チョッと大変なケースを又、貰ってしまうことになりそうである。

死んでも良いから家に帰りたい。(2)  2007・11・19
ケアマネジメントは対象者本人の生活を支えるだけではない。このケースでそのことを体感させていただいた。今振り返ってもケアプランのテーマは非常に大切だと思う。このテーマが家族にも伝わっていた。
前任ケアマネから今回新たなケースを引き継ぐことになったが、関係を引き裂くように引き継いだケースの結果を報告をすることで心が軽くなった。周りにいる同僚にも判るように明確な結果報告をした。先ずは納得していただけた。

ケアマネジメントはケアマネジャーだけで完結するものではない。関わるメンバーにテーマを理解していただいて始めてケアプランが動き出す。ケア計画のみがケアプランではない。
このケースではヘルパーに不自由な身体で家に帰ってきた母親の代弁をしていただけた。家に帰って来た目的もヘルパーは理解していたから、母親代わりの役割を果たしていただけた。男性ケアマネジャーでは出来ない役割である。

ある日ヘルパーが子の相談にのっている。女性しかのれない相談なのだが、適切なアドバイスを送っていただいていた。後日この話を聞いて感激した。
駅前で学友と一緒のところで子に会ったことがある。私は確認できなかったのだが子から「〇〇さん、お世話になっています・・・」と言う声がかかった。
もう躾は完璧であった。

今如何しておられるのかは判らないが、子は真っ直ぐに育っているであろう。少し曲った体験をしてきた子の方が人生真っ直ぐに生きるようである。
その志を貫いていただきたい。
嘘をつかない子に育っていただきたい。
ほんの2年余り前のことだが、随分成長しているものと思う。
年寄りには付いて行けないだろう・・・それで良いと思う。

母の心がヘルパーに通じて、今明るく生きていることだと信じている。
母の代わりに人生を謳歌していただきたいものである。
そういう思い出が・・・担当交代で・・・フッと思い浮かんだ。
正面を見て人生を歩んでいただけることを信じている。
ケアマネジメントは対象者の不安も解決することもある。

地域包括支援センターが機能しない。  2007・11・19
各方面から地域包括支援センターが機能していないという情報が入っているが、機能しないのは当然のこと、法改正時点で随分とご指摘を行ってきている。
地域包括支援センターの設置は「行政の責任で作るセンター」とされていた。原則は行政であるが、但し書きとして、「地域に密着した活動を行なってきた在宅介護支援センターに委託出来る」とされた。この但し書きの読み間違えが現状を招いている。

読み違いというのか、文章を飛ばしてしまったようである。地域に密着した活動を行なってきた在宅介護支援センターは一握りにも満たないであろうから、スタート時点でもうその結果は見えていた。スタートして間もなく「3年持つか・・・」と言われていた事実もある。
予防プランセンターと化した膨大な組織の行く末は果たしてどうなるのであろうか・・・傍観している。

現状が見えてきているが、もうしばらく言葉を控えることにしようと思う。
理由は数は多くは無いが、焦点に迫った考え方の方もあるからである。
先日コミュニティーソーシャルワークに関して意見交換させていただいたが、この視点まで全体をレベルアップさせることは困難かもしれない。しかし可能性は秘めている。その方向性だけでもこの目で確かめたい。それからでも決して遅くはないだろう。

機能しないセンターだが、必要なセンターではある。
出来ているところはどのように法が触られても変わらないが、出来ていないところはまたゼロからの出発になってしまう。この繰り返しが何時まで続くのであろうか???
次回法改正では大きな構造の変化が見込まれる。1年余り先になった医療法改正の方向性が待ち遠しい。その先3年後に予定されている介護保険法改正の方向性も見えてくるであろう。団塊の世代が高齢者の仲間入りをする最初の年である。

その時点まで現役でいるかはわからないが、予防プランはセンターから外れる予測は付く。そうなると残る機能は、コミュニティーソーシャルワーク・在宅介護支援センター機能そのままである。
併設居宅で行政の持つ個人情報を囲い込んできた体質を変えるために予防担当とされたが、また元に戻ってしまうのだろうか???
天下り人事は品質向上を目的にスタートしているが、このことが理解されることはあるのだろうか?
気の遠くなるような話である。

某ボランテイアからの進言  2007・11・18
「・・・私たちボランテイアグループが手を引いたのも同じ理由からです。
計画性の無い、思いつきの企画ですから、ボランテイア自身が如何動いて良いか判らないことがありました。初対面の、転倒の危険のある方を突然紹介されても困ります。ボランテイア活動には準備が必要です。」

この言葉を重く受け止めた。私が知らない場面でのことが例示されていたが、手に取るようにその光景が目に浮かんだ。

フリーのボランテイアとして会に関わってきたが、ボランテイアとはいえ会員登録はしていた。この時点で勘違いされたのかもしれない。ボランテイアはボランテイアである。
地元ではボランテイアは続いているが、勘違いはないようである。足が無い時には足代わりにもなるし、相談があれば相談にも乗る。そんな関係が続いているが、相談が仕事に結びつくこともある。先日聞いた話しだが、ある方が「私にも専属ケアマネジャーさんがいるのよ・・・」と明るく語っておられたという。もう問題は解決したようである。

コミュニティーの中に色々なテーマを持った団体がある。そのテーマに沿った支援が必要ならば、可能な限り協力をしていきたいと思っている。この関係が重要かと思う。ボランテイアであるから会の運営にまで口は挟まない。
フリーなケアマネジャーはフリーな支援が出来る。フリーな立場を独占してもらっては困る。現在もフリーな支援は継続している。
お人好しではあるがけじめは付けた。
けじめの内容は会としてのマネジメントの内容であった。会員は大切にしなければいけない。会運営の原点の問題である。

進言は続くが、ボランテイアとして協力できる範囲には限界がある。そのすり合わせは必要である。なーなークラブ・仲良しクラブではボランテイア受け入れの準備も出来ないであろう。しかし重要なことである。
非常に重要なことではあるが「人」を尊重する気持ちが大切かと思う。参加者・スタッフ・ボランテイアの気持ちが一つになってこそ、良い企画が完了する。

提言いただいたボランテイアさん・・・ありがとうございました。今後の「私」の活動に役立てていきます。

訪問看護・・・尿閉対策大成功・・・  2007・11・17
尿閉で救急車騒ぎが続いたので、訪問看護を依頼した。土日を挟んで中二日で担当者会議までこぎつけたが、指示書が出たのはその翌々日である。
カテーテルをもらうための受診を翌日に行い、道具と背景が揃った。それから二日目、尿閉が起こった。

昼頃訪問看護ステーション管理者から、緊急対応をしてきた旨電話がかかった。約800ccの排尿だったそうである。それから3時間後本人から電話がかかった。「またでないんだけど・・・」状況が良く判らないので、本人の判断で電話をしていただくことにした。作業中の仕事を手短に(1〜2分)整理して自宅へ向った。
途上、馴染みの看護師から電話がかかった。「今管理者とも話したのですが、こう頻繁だと、救急外来へ行った方が良いのではないかと・・・」「とにかく今向っているところですから、また電話をします・・・」と・・・。

「前の導尿から3時間だから・・・緊急性ある???痛くなって来ている???」
「もう限界かもしれない・・・でないんだ・・・痛くなってきている・・・」
「それじゃもう1回呼ぼうか・・・。」

私がいたら仕事がし辛いだろうから帰ったと言っておいて・・・と自宅を後にした。
それから4時間後本人から電話がかかった。
「今出ている・・・出ている・・・」と嬉しそうな声である。
「エ・・・自分で出来るようになったの???」
「そうじゃないよ・・・クダをさしてから・・・」
「さしたままになっているの???」
「そうじゃないよ・・・自分で出ているんだ・・・」

非常に嬉しそうな、ビールもかなり入っているような声で電話がかかった。
余程嬉しかったのだろう・・・。
導尿計画大成功。。。。。。。

苦情として扱う前に・・・親切心より。。。  2007・11・17
デイサービス利用者本人・家族から苦情があった。密室と言っても良い浴室の中で、手を止めてお喋りが始まるそうである。
以前にもきれいに洗ってもらえないという苦情があったが、意向を伝えたので問題は解決しているものと思っていた。

最近職員が大幅に入れ替わった。両極端で若い年齢層とベテランの年齢層が入り乱れている。施設長はそのような現状をしっかりと見定めておられ、質の向上に取り組んでおられることは知っている。良い施設に育っていただきたいと外部から眺めている施設でもある。

この苦情を苦情として扱えば扱ったになるのだが、成長していただきたいと思っている施設だけに、直接提言を申し上げることに了解していただいた。
トップに対してではなく、現場責任者に対してである。この対応を見てから次の段階に進むことを了解していただいた。
現場管理者は密室での出来事を果たして掴んでいるのだろうか???

私の経験はデイサービス介助運転手から始まる。入浴介助は勿論体験している。何も知らない私に介護を教えてくれた看護師がある。今でもお会いしてそう言うと照れている。だから密室での出来事は知っている。
浴槽は特浴だけだったので、後の増築時点で改修が行われた。
無駄話は無く、厳かな雰囲気での入浴だったと記憶している。現場に男性が入ると雰囲気は随分と違う。

今回現場管理者にその対応を投げかけたが、改善しないようならデイサービスを変わる話も出ている。この親心を理解して、是非良いセンターに育っていただきたいと思う。
この種の提言は良く行なうが、意味の取り違いで逆上する方もある。未来ある方と期待して提言を行なった。

真実の追究  2007・11・16
防衛省問題で国会喚問が行なわれているが、どちらが嘘を付いているか見ものである。「記憶にございません」とはロッキード事件以来流行った言葉だが、久しぶりに聞いた。
日頃から「嘘」を付かなくても良い生活をしたい。嘘は嫌いである。

言わなくても良いことは言わないし、言わなくても良いようにしてある。時たま言わなくても良いことまで言う方があるが、この神経にも疑問を感じる。(言わないからご安心下さい)
理に反することは口にしたいものである。しかし私の感覚は少し違う。

私は被害が出たことを確認してからその理不尽を追求する。身近な問題でも内容を確認しない限りは口にしない。その確認方法は当事者である。空想でものを言ったことは無い。
この判断は世の常識に習っている。かなりの組織を解体にも追い込んできた。仲良しクラブを解体に追い込むのは上手である。

馴合いではぼろが出るが、そのぼろが政界においても出始めている。これはうやむやに出来ない問題であろう。こんなに大掛かりではなくても、身近にも問題は山積している。どうも常識が通用しない社会に生きているようである。コネを使い優位な事業運営を行なう。これが日本の行政か・・・介護保険分野においても「ある」。天下り構造を改めなければいけない。

大きな話のついでに小さな話かもしれないが、介護保険界は狂っている。悪循環の繰り返してある。法改正により誕生した地域包括支援センターが本来の役割を果たせていない。在宅介護支援センター誕生からそろそろ20年になろうとしているが、その本来の役割が果たせていない。
「地域福祉コミュニティー」作りこそが地域福祉に位置付けられた役割なのだが、「福祉」は遥か遠くに行ってしまった。今は予防プランセンターと化しているのであろう。

果たして間に合うのか・・・団塊の世代が本格的に高齢者の仲間入りをする日も近い。団塊の世代と言われながら数十年、本当に高齢者になってしまう。これが現実である。

Re: 真実の追究  2007・11・17
fp_pf さん、お久しぶりです。

http://park3.wakwak.com/~sunflower/homepage/tool-box/zaikai2006.pdf

地域包括に変わったはずの在宅介護支援センターに関する駆け込み通知ですが、疑義を感じます。

また、人員基準に満たない者と平然と勤務している包括職員も
包括職員としてふさわしくないのですから
保有資格上の業務停止や戒告などの処分が必要に思います。


行政のやっていることですからね・・・構造が原点から狂っていますね。
真面目にやっているところもあるにはあるのですが・・・。

Re: 真実の追究  2007・11・17
fp_pf さん、

デタラメ人事の包括を見逃している
行政の委託関連担当職員に『何もおとがめがない』というのも
住民の理解に苦しいところですね。


行政の持つ個人情報の囲い込みに関しても意見交換していたことがありますが、公正取引委員会も言っただけ・・・全国一斉に取り締まるほどの人も抱えていませんしね。(実際そのような回答があったとご連絡いただきました)
この問題を解決するのは住民なのかもしれませんね。

NHKさんが番組を作ってくれれば良いのですが・・・。

Re: 真実の追究  2007・11・17
不祥事多発のNHKが番組を作ったところで良い方向にいきそうにないですよ(笑)

それもそうですね。届いただけで「良し。。。」としますか・・・。

Re: 真実の追究  2007・11・18
なんだか、関係有識者の『故意』のような気がしてきました。 
 地域包括支援センターマニュアルにも 
 3年後の 『見直し(実態把握?)』 や 『期待』 などといった言葉がさりげなく書かれていましたし…


3年持つか・・・という話も囁かれていましたが、果たして如何なのでしょうか?

この数年間を
 『新規事業委託にあたっての委託法人の審査期間』 
 『新規事業を受託した法人の事業方針の検討期間』として捉えれば


某市市長が代議士と“地域包括支援センターが機能しなくて困っている・・・”といった会談をしていたという情報も入ってきているのですが、かなり深刻な問題になりつつあります。
法改正での委託基準は『地域に密着した活動を行なってきた在宅介護支援センターに委託出来る』でした。行政の責任で作るセンターですから、『密着した活動』を行なってきたセンターが無い場合には、行政自ら作ることを求められていました。
某市長はこの点を理解されて、相談されていたのかもしれません。

現状を招いた行政の責任が問われると思います。

Re: 真実の追究  2007・11・18
『介護予防事業は保健センターがすればいいじゃない。』というのが私の考えですが・・・。

もう2年半位前になりますか、改正法の内容が明確になり始めた頃、新任早々の課長に暗に提言を行なっています。「市にも持ち駒はありますよ・・・」と。この持ち駒こそ保健センター保健師ですね。視点が同じで安心しました。

『じゃあ、包括で予防事業を担当していた職員を行政の嘱託として雇用しては?』・・・。

・・・ご指摘のとおりですね。

『福祉用具・住宅改修ばらまきセンター』になっている包括さえありますよ。

ばらばらな現状はありますが、時として育っていただきたい方を目にします。ただ・・・若い方ですので、家庭が逃げ場になる可能性もあります。
女性を一律評価することはいたしませんが、大きな資源が結婚によって失われている可能性を感じています。
婚前に良い体験をしていないと、職場に戻るのは難しいのでしょうか???
もしよろしかったら・・・教えていただきたいと思います。

退院援助  2007・11・16
ここのところ退院援助が続いている。長期入院だから理由は色々ある。
一つ一つのケースが自分自身への戒めでもある。家族関係の縮図がここにある。
嫁姑・老夫婦・親子等など、入院の理由も内的疾患から自身が原因である症状まで多岐にわたる。長期入院の中に社会的入院があることは事実である。
しかし在宅生活が可能かといえば必ずしもそうとは言い切れない。数日なら見ることが出来るが、長期的には難しいものがある。

先月退院した方は命を拾った。退院後しばらく食事がのどを通らなかったので病院へ帰そうかと思った時期があった。
家に帰ると近くに自販機があることから妻が痛い目を見なければならないケースでは、帰宅願望が強いため病院へ帰すことを検討している。その前段階として2泊の帰宅が実現した。
今日一件退院前カンファレンスを予定してもらったが、退院後家に帰ってからショート入所になる。以前入所していたグループホームの空き待ちである。

好きではないのだが、誰も書かないというからショートでつなぎながら、在宅の可能性も探ることにしてある。家庭内事情から来る問題解決の中間施設にショートステイを利用させていただいている。本来なら老健でやっていただきたいが、リハビリの内容が違う。
施設に慣れることが出来なければ在宅で・・・ということになるのだが、精神病と認知症の2ケースがここにもある。専門医が少ないこともあるが、病院では薬を使った介護が出来る。

先に、重度者の受け入れ施設が無いという内容の取材を受けたが、認知・精神に関する対応は難しい。本来なら特養ホームがその役割を持たなければいけないのだが、過去に異食のある入所予定者を断わった現実を見ている。老舗の施設である。比較的新しい施設では、ショートでは無理ですが入所なら見れますよ・・・。と言っていただけた。
精神科関係のつながりがある方が身近に(私は身近とは思っていないのだが・・・)いるので良く声がかかる。

長期入院の全てを社会的入院と決め付けることは出来ないが、施設入所している方が全て入所が必要だとも言えない。
在宅の限界を感じても入所出来ないケースも抱えているが、限られた社会資源でもある入所施設の有効利用は出来ないものかと思っている。

頻回な排泄と骨折  2007・11・15
右手の腫れは残っているが、退院しても良いということで土曜日に帰って来られる。退院準備の手配は終わった。1年前の不全骨折と同じ部分だった。
病室を見舞うと右手をかばいながら、左手で上手に食事をしておられるが、偏食いである。心配なのは排泄である。

5分〜10分間隔でトイレに通われるが、病院では紙パンツを使用しておられた。家に帰ってみないと・・・と子は言うが、日課となった排泄行為がどうなるかはわからない。尿意があるからトイレへ行かれるのだろうが、毎回排泄があるかはわからない。
少し前から利用を始めたショートステイでは居室にトイレがあるので、間隔までは掴んでいないようだが、かなり頻回だと・・・。
右手が不自由になったので、パンツを下ろすことが出来るか子は心配している。

居室に閉じこもっている状態を何とかしたいと相談していたが、キッカケは親戚の葬儀であった。そんなこともあろうと書類の準備はしていたが、ショートステイ計画利用のキッカケになったのは予想通り葬儀であった。偶然家から一番近いショートステイに空きベッドがあった。それ以来、月2回二泊のショート利用が始まった。つい最近のことである。

骨折入院になったとき、1か月分だけキャンセルしておいた。月末の分を残してあることを子に告げると大喜びであった。それまで一週間余り自宅での生活状況を見ることが出来る。
かなり耳が遠いのでコミュニケーションを取ることに困難さがあり、認知症状もある。しかし断片的に判断すると認知は軽度ではないかと思い始めている。医師がカルテに書いている字を見て、書き順が違うと指摘されたこともあるそうである。

わが道を行くおばあちゃんが好きである。
ご挨拶をすると耳に手をかざして、「耳遠いから・・・な〜〜〜ん聞こえん・・・」が決まり文句であった。
家に帰ってどのような生活になるのかは、帰ってみないと判らない。

頻回な排泄と骨折(2)  2007・11・15
珍しく(どころか始めて)地域連携室から電話がかかった。
何時もはもう一ヶ所の相談員を訪ねていたが、こちらは保健・看護系である。過ってそう分けられていたが、介護保険が始まってからもその流れがあるようである。在宅介護支援センター時代はどちらかと言えば現在の地域連携室の方と連絡を取り合っていたが、これは人の好みのようでもある。

超ベテランの方が事務に回られているので(これだけで人を特定される方もあるほど・・・ヤバイ)どちらかと言えば・・・どちらでも良い。ALS患者会設立の協力依頼に相談室へ行った時に交替されたことがわかった。
せっかく電話をいただいたのだから、二週間後に通院付き添いで病院へ行くのでその時にでもご挨拶をしてくるか・・・と思っている。

本人の身体状況は概ねこの目で見て来たものと同じ視点だった。一番心配な排泄に関しては、家に帰ってやってみなければ判らない・・・ということだろう。ポータブルトイレの話も出たが、歩行には不安はないようだから、部屋から出てすぐのトイレの方が良いのかもしれない。認知障害もあるので新しいものには馴染めないであろう。後は食事の内容である。
病院ではおかゆにきざみ食、ものによってはミキサー食になっていた。この工夫は子に任せて、1週間後にショートステイ施設に伝えれば良い。退院準備は完了している。

でもどのような相談員なのか気になる。話し方は柔らかかったから、1年余り前に話した相談員ではない。興味津々だから・・・出来るだけ早い時期に顔見世をしようか・・・。
この仕事をしていて良かった・・・。

タイミングが合っている(2)  2007・11・14
『受診目的はカテーテルであるが、腹の中を見られないように、付き添いをすることにする。滅多にないことではあるが、腹黒く振舞いたい。』

やはり腹黒くはいかなかった。本人も正直者だが、付いて行った私も嘘はつけなかった。
救急搬送が続いたので、訪問看護ステーションに相談したら・・・という経過をこと細かにお話した。そこで出て来た話が自己導尿である。「自己導尿のためなら出すことが出来るが、そのためには、導尿指導を受けてもらわなければ困る・・・来週午後来て下さい・・・。」「通院困難者なので何とか・・・それとデイサービスが・・・」腹の中では、入院中に何故指導をしなかったのか・・・と思ったので言ってしまった。これで腹の中ではドンパチである。

カテーテルを出して治療打ち切り。薬も出ないということだった。カテーテルの賞味期限も教えていただけない・・・マ、良いか・・・と本人と顔を見合わせた。(腹の中では何かあれば救急車だね・・・と)
訪問看護ステーションへは訪問の上ことの次第を報告しておいた。

少し時間をおいて訪問看護ステーションから電話をいただいた。
「指示書が出来ているということなので明日貰いに行きます・・・」「それじゃ来週から派遣していただけますね・・・」「OKよ・・・」と軽快な言葉が返ってきた。
以上本人にご報告。初回は立ち会うから・・・。

事務所へ帰って予定を見るとその日・その時間は国保連の研修会である。訪問看護ステーションには立ち会えないが・・・と丁重に電話をしておいた。
「ビールを沢山飲むと起こるんですよ・・・」と。本人には「健康チェックがあるからビールは飲まないでね・・・」と伝えてある。
看護師が入るというだけで生活指導になるようである。

人の飲酒にケチを付けるほど規則正しい生活はしていないが、恥ずかしくて言えないほどの飲酒量である。

基礎資格と資質・・・心を売る。  2007・11・13
訪問看護師さんと面白い会話があった。心が揺れ動いている方へのメッセージ(?)でもあった。
看護師の合格率が80%ぐらいだと言われる。介護支援専門員の約30%から見ると大したことはない・・・と、ご謙遜である。
実は最初の数年間に量産されたケアマネが問題なのですよ・・・。利用者も「そうか、そうか・・・」と頷いて聞いておられる。
問題は「人」ですよね・・・と。
そう言って・・・お先に・・・と利用者宅を後にした。

この後ご飯が美味しい・美味しくない・・・とご夫婦で言い争いになったそうである。入院事件からの延長である。看護師から電話がかかった。
「奥さんが可愛そうで・・・何とかなりませんかね。例えば娘さんとかの心のサポートを受けられませんかね・・・」
「長女の夫は長距離バスに乗っているから身体の自由が利かないと聞いたことあるよ・・・」と。
この電話を非常に有り難く思った。専門技術だけではなく、マネジメントの「心」を身に付けておられる。
そこで次回受診時、妻と二人になれるタイミングがあるから話をしてみることをお約束した。

突然話は変わるが、雇用を守るために「心」まで売ってしまう方もある。
過去に何回かその場面に接してきているが、常に心は売らなかった。そのような経緯のもと現在独立開業している。もう心を売ることはないであろう。
意に反すること。法に反すること。世の常識に反すること。・・・など等を求められて雇用を守るために心を売っておられる方も多いだろう。
心を売ってまで裕福な生活を求める方はそれはそれで良いのだろうが、その「心」が心配である。

雇用を守るはずの労働組合でも「心」を守ることが出来ない事実があった。管理者の無知である。
経営方針にマッチしない管理者は今でもおられるであろう。色々な方と接していると実態が浮かび上がる。継続出来る事業なのかは「人」を見れば判断出来る。その範囲でのお付き合いが多い。
とにかく「心」を売ってまで職場に固執しようという考え方を持った事はない。「良い事は良い」「悪いことは悪い」それを貫いてきた。
組織においても同じことである。良い事は良いし・悪いことは悪い。
この判断を示すことの出来る方が少ないようにも思う。

ここで個人の錯覚が生まれる。
「良い」「悪い」は常識に照らし合わせてのことである。「常識の無い方」や「嘘の好きな方」等などは良い悪いの判断さえ出来ないだろう。この評価の前に「心を売って」しまっているということである。
「常識」は「心」の持ち様(もちざま)である。
「嘘」は「心」を偽ることである。
何れも正しい心の持ち方ではないであろう。

今私は清々しい生活をしている。心も平静である。しかし裕福ではない。
介護支援専門員として定められた限度一杯の仕事をしても当時評価としての半分位の報酬しかないだろう。しかし心は穏やかである。
何のしがらみも無い。誰にも拘束されない。誰の圧力も受けない。・・・そのような自由を満喫している。
自由なケアマネジメントとは利用者の自由を保障するケアマネジメントでもある。人間自由が一番良い。

私が心を売らなかったことにより廃墟となりかけた介護現場に、少しずつかもしれないが、「心」が戻ってくれば良いと思う。それが「当時と一緒ですね・・・」という言葉になって現れたと思う。
少しずつ・少しずつでも良いから、本来の姿を取り戻す力を得ていただきたい。微力ながらその応援はさせていただきたい。

巡回型ケアマネジャーとは・・・モニタリングケアマネジャーでもある。
「犬も歩けば 棒に当たる・・・」ということなのかもしれない。

タイミングが合っている  2007・11・13
しばらく無かった尿閉が1週間の間に2回・・・これは何か対策を講じておかないといけないと・・・別の方法もあったが少し辛いものがあるので訪問看護ステーションへ依頼した。2回目の救急搬送の翌日のことである。
各サービス機関調整のうえ一番近いところでサービス担当者会議を予定した。
その日の内に修正ケアプランを各事業所に届け、担当者会議に備えた。最初の退院から1週間目である。

訪問看護ステーションで何処からカテーテルをもらうかという話がでていたが、担当者会議の後指示書の依頼に主治医を訪ねた管理者から電話がかかったのは、会議終了後40分経った時である。
「やはり泌尿器科からカテーテルを出して貰わないと・・・内科的にも投薬があるから訪問看護としては入ることが出来るけど・・・道具が無いと何とも出来ないし・・・何とかならない???」ということである。
たしか、本人は行かないと言っていたが再診予約があったはず・・・と自宅に向かった。再診予定は明日であった。

事情を話して「行くよ・・・」ということで、タクシーの手配とデイサービスを休む連絡。ヘルパー事業所への若干の時間の変更など等を済ませ、訪問看護ステーションへ電話をすると「良かったね・・・」という声が帰ってきた。初回派遣が来週の火曜日に間に合いそうな感じになってきた。
今回の仕事はタイミングも合ってスムーズにいったが、医師がらみの仕事は余り好きではない。先日救急外来で説明していただいた医師でもあるので、お礼の一つも言って来なければいけないと思っている。

受診目的はカテーテルであるが、腹の中を見られないように、付き添いをすることにする。滅多にないことではあるが、腹黒く振舞いたい。

精神病と認知症  2007・11・13
精神科医は神経内科医の分野は判らない。神経内科医は精神科医の分野は判らない。高次脳機能障害講演会での話であるが、早速その現実に直面した。

暴力行為など、行動に制限が必要な状態は精神科医の分野だと理解している。
アルコール依存症で主に妻に暴力を振るった方が精神科病院に入院していた。アル中であるから言語が少し不自由である。しかし聞き取れないことはない。
状況が状況だけにもう家には帰してもらえない。施設入所のトレーニング(?)としてショートステイへ入所して、そろそろ2ヶ月になる。最近随分帰宅願望が強くなってきている。

昨日昼に、名産の干し柿のテレビ放映を見て家に帰って仕事をしなければ・・・ということになった。何とか説得して帰ってきたが、夕方また電話がかかった。研修会の時間が迫っていたので、子に電話をして明日施設でお逢いすることにした。その足で施設へ迎い、本人に明日、子と一緒に話をしようという了解を取り付けた。走りながら考え・行動に移した。

精神科対象者とはいえ、アルコールが切れた状態では普通のお年寄りである。民生委員の経験も長く、社会貢献されて来られた方である。
依頼されたプランではあるが、施設に閉じ込めておくには困難な方である。
遠方のケースなので、家へ帰られるということになればケアマネの手配もする。もう根回しは済んでいる。
県内各地に知り合いのケアマネが点在しているから、担当の紹介には事欠かない。

今週もう一件同様のケースがある。病院での退院前カンファレンスに担当者会議を相乗りさせていただく。退院援助・医療連携である。
夫婦の問題、嫁姑の問題など等、長い歴史の中で培われてきた関係は、身体が不自由になった時点で噴出する。心の中にマグマを貯めた死火山のような家族関係もあるのかもしれない。
日頃から火山が噴出している家庭はこのことを認識しておられると思うが・・・・・・・もしかしてあなたの家庭が死火山であるかもしれないことを心の片隅においておく必要がありそうである。

ちなみにわが家庭は・・・・・活火山が鎮火した死火山なのかも知れないが、マグマが残っているかどうかは判らない。

病院へ連絡して・・・救急車・・・  2007・11・12
35年ぶりに認定調査でお会いした方の妻から電話がかかった。「ここ一週間余り食事も喉を通らなくて、病院へも行きたがらないので、往診してもらえる医師を紹介していただけませんか???」ということであった。午前中はスケジュール(自分で組んだ)がいっぱいだから、午後になるかもしれないけど、行きます・・・。と電話を切ったが気になり、銀行へ同行している方を家に送り届けてから直行した。

訪問して顔を見るなり、「病院へ電話をして来ても良いか聞いてください・・・。そして救急車・・・」と。そこには土色に変わりつつある旧友の顔があった。予定を繰り上げて訪問して良かった・・・。
先日認定調査でお会いしていなかったら判断が難しかったかもしれない。先日お会いしたときは顔色も良かった。この変化を見分けたのは長年の感なのかもしれない。
119番通報されるのを確認して家を去ったが、気になっていた。
午後妻から丁重な電話がかかった。肺炎で入院になったそうである。
良かった・・・間に合って・・・。

この電話と前後してもう1本「何時ものリハビリ通院でないのだけど、介護タクシー使えますか???タクシー会社が担当ケアマネに確認して欲しいと言っているのですが・・・。」「良いですよ・・・」ということで風邪らしいので主治医を受診されるということであった。
午後にでも訪問して状態の確認をする予定にした。

そこへショートステイから電話がかかった。帰宅願望が強く、精神状態も不安定だといわれる。精神科病院からの入所者で現在老健の役割を果たしてもらっている。在宅か・施設か・病院かのテスト入所である。
居室を訪問して話をお伺いすると、家に帰って干し柿を作らなければならないと言われる。この地方の干し柿は正月の贈答品に使われる高級品である。
「長い間仕事をして来られたのですから、若い人に仕事は任せて、のんびりと生活をして下さい・・・」ということで昼食時だったので食堂へご案内して帰って来た。

昼時だったが、介護タクシーの方を訪問するとまだ帰って来ておられない。クリニックへ行くと抗生剤の点滴中で主治医から説明があった。平熱が7度台の方だが、8度を越える熱が出ているということ。レントゲンで説明していただいたが、誤嚥性肺炎のようだと言われる。病院への紹介状は何時でも書きます・・・ということだが、ニュアンス的に一晩様子をみてからと聞こえた。妻にそう促がすと、そうなった。
で・・・出てきたのが私の検診結果だった。中性脂肪・コレステロールが高い赤↑が付いている。「治療の必要はありますか・・・最近お酒が美味しくてね・・・」と。食事に気を付ければ良いということなので、今回も治療を見送ることにした。

午後は午後で、静か過ぎて気持ちの悪い方の情報を仕入れに利用施設・サービス事業所を訪問した。どうも落ち着き払っておられるようである。介護者にも「安心」を提供出来たようである。
冷たい雨の中駆け回った1日だったが、走行距離はそう多くはない。行く先々から電話がかかる、効率の良い巡回が出来た。
そうそう、主治医意見書を直接主治医から受け取って申請できるように、申請書と被保険者証を預かってきた。利用者にとっても効率の良い方法である。

夜は事例検討会が開催されるそうで、こちらにも顔を出さなければいけない。

我が人生を歩む・・・HP作成(追記)  2007・11・12
HPを公開してしばらくたった頃、目に止まるHPにする為にと、HTMLソースの書き換えを教えていただいた。かなり重いページになってきているが、検索サイトでは上位にランクされている。フットワーク良く、インターネットを飛び回っているようである。ソースの一部をご紹介する。

『<!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Transitional//EN">
<HTML lang="ja">
<HEAD>
<META name="GENERATOR" content="IBM WebSphere Homepage Builder Version 6.0.2.1 for Windows">
<META http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS">
<META http-equiv="Content-Style-Type" content="text/css">
<TITLE>掲示板等の発言記録2007の2</TITLE>
</HEAD>
<BODY>
<H2>掲示板等の発言記録 (2007の2)</H2>
<BLOCKQUOTE><BR>
<p><B>我が人生を歩む・・・HP作成</B>  2007・11・11<BR>
印刷・製本に平行して、インターネットに関して1冊の本を読んでいる。インターネット入門書である。<BR>
・・・・・・・・・・
<BR>
HP開設当時はかなりの数のHPに書き込みをしてきた。その中での交流が今でも続いている方もある。かなり辛口の投稿であったから、衝突もあった。理念の低い方には嫌われるようである。<BR>
その交流の中でも想い出深いのは、中央に直結する裏情報がストレートに入る状態にあった時期がある。余りにもレベルの低い話なので大きくは期待していない。<BR>
・・・・・・・・・・・
                      (つづく)』<BR>
</p>
スリムになって飛び回っている。

果たしてどの方向へいくか・・・。  2007・11・12
9月末から関わっているケースだが、今日がそのクライマックスでもある。
テーマとした静かな療養環境作りは成功したようである。初動の後、一度だけ火花が散った。
最後にお逢いしてから2週間経過したが、非常に静かである。
郷里に帰って方向性を相談しておられるが、要点をまとめた申し送り書などを貰って来られるように勧めておいた。静かだということは問題なく進んでいるのであろう。私がお伝えした内容はその安心材料でしかない。後は専門家にお任せすればいい。

サービス提供も問題なく行われているようである。先日も訪問看護師にお逢いしたが、この件に関しては触れられなかった。サービス提供だけを取れば何の問題もないケースである。
相談業務に関して気を付けなければいけないことがある。それは業務の範囲を知ることである。家庭内に入り込んでの相談であるから、介護以外の問題にも触れることがある。ここで問題の本質を瞬時に掴むことが出来るか・・・ということがある。過って同僚が犯した多くの問題の原点もこの点であった。

一触即発の夫婦に「離婚」という言葉を口にしたワーカーがいた。問題のテーマが見えていなかったのであろう。親の介護相談に入って、離婚相談になってしまった。まだまだあったが思い出せない。
今回のケースも良く似た内容であった。先ずは相談相手を確認した。「主介護者」という言葉に対して「全部介護者」という言葉がかえってきた。一瞬戸惑ったが「全部介護者」という言葉を確認した。兄にも異論が無かった。

今後この兄妹がどのような経緯をたどるのかは判らないが、介護に関しては責任を持っていかなければいけない。妹からは介護以外の相談もあるが、アドバイス程度に留めている。しかし介護が続く以上必要なことではある。
今日がその一番大切な日である。
この2週間静かだったということは、妹の意に添った方向へ進んでいることを意味している。問題があれば電話がかかってくる。

利用施設へは明後日の利用日に顔を出す予定にしているが、介護以外の問題に興味本位に関わってはいけない。そのためにもテーマを決めている。
年末年始の予定が希望通りに進んでいない様子だが、こちらから投げかける必要も無いように思っている。意に合わなければ向うから連絡があるだろう。巡回型ケアマネジメントは、何らかの形で本人の状況を掴んでいれば良い。状況の変化に即応出来るように、日々の準備も必要である。

ケアマネジャーの仕事は事務所には無い・・・と良く言うが、事務のほとんどをパソコンがやってくれるから大した事務負担ではない。私は相談中心に動いている。相談が無いのも相談である。安心すれば良い。
先日面白いことがあった。本人は伝えたつもりだったのであろうが伝わっていなかった。迎えに行ったけど本人がいない・・・という電話がかかった。行き先はわかっていたので「休むと言っていなかった???今日はバスハイクだよ・・・」で問題は解決した。予定表にはそこまで入れない。追加する分は聞かせていただかないといけないが、休む分には当事者同士の話で良い。まして施設訪問時に確認していたことだから、担当者には伝わっているものと思っていた。

今日は一日雨のようだが、雨の日には雨のような仕事をすることにする。キャッシュカードを作りに同行しようかと思っていたが、明日以降にしようかと思う。連れ出すのがまた問題なのかもしれない。
とにかく近日中に出かけることだけは伝えておかなければいけない。

高次脳機能障害講演会(認知症を体験)  2007・11・11
高次脳機能障害支援センターが開設されてから10ヶ月余り、その取り組みを紹介いただくとともに、高次脳機能障害専門医の東北大学大学院医学系研究科教授 森 悦朗氏から非常にわかりやすい講義をしていただいた。
医学的に広義では認知症・失語症も含まれるが、今回は狭義に限って講義をいただいた。

原因としては脳血管障害と外傷性脳損傷に大きく分けられるが、人格変化・意思決定の障害・意識・注意障害などは前頭葉にその原因があることが多いということである。記憶障害は人の記憶システムである海馬を含む側頭葉内側部や視床内側部にその原因があることが多い。
脳のことであるから、正確に診断出来る医師も少ないということで、かなり難しい症状であることはわかった。

狭義の「高次脳機能障害」はー脳血管障害で定型的に損傷されない部位の損傷ーと定義付けられているが、加齢に伴う脳障害は該当しないとされているようである。
神経内科医と精神科医はお互いその分野のことは判らないと言われる。
どちらの医師を選ぶかということになると、その行動から判断する必要があるように感じた。
はっきりと言えば、身体拘束が必要なケースは精神科医であるが、穏やかな認知症は神経内科医で治療が出来るということになるのであろうか???とにかく高齢者は対象としていないようである。

講演後家に帰り情報発信等が終わったので、少し早目にお酒を飲んだ。寝不足も続いていたので、水割り2杯ぐらいで良い気持ちになったのだろう・・・。パソコンを前に熟睡してしまったようである。
電話がかかったので飛び起きたが、その頃にはもう暗くなっており1時間余りの熟睡であった。が・・・私は早朝と勘違いしてしまった。海馬が異常な判断をしてしまったようである。
暗くなっているので朝と勘違い・・・「おはよう・・・」と言ったら「〇〇さん何言っているの???」と、状況をお話して大笑いしてしまった。

過去に認知症の方は、私たちがお酒を飲んだ時のような気分なのかもしれない・・・と無責任なことを書いたこともあるが、そのことを体験してしまった。
特養時代のふれあいカウンターは徘徊の方々の止まり木でもあった。そのような場所が街中にあっても良いと思った。
自由な背景で自由に行動が出来る。そのような街が出来ても良いのかもしれない。
外へ出る必要がない、自由な行動スペースが準備された全天候型の共有の庭付きの集合住宅。好みに合った食べ物を出してくれる店もあり、欲しいものが手に入るような・・・規模はともかく、そのような町並みをイメージしてしまった。暗くなれば飲み屋さんも開業して・・・と。
楽しいヘルパーさんの夢のある構想に近づきそうである。

我が人生を歩む・・・開業から今日まで  2007・11・11
HP公開後、一市民として担当課との意見交換も行ってきている。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2repo-tono4.htm
レポートNO4 在宅介護支援センターの絶大な計画
2003・3・2に担当係長・基幹型在宅介護支援センターの皆様と意見交換をしたが、そのときにまとめたレポートである。

関係機関等へは「介護研ニュース」
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/sub4.htm
も届けているが、今考えてみると、どうも「ぬかに釘」だったようである。

開業後の動きを日を追ってご紹介する。
2004・4・1 指定居宅介護支援事業所『高岡発・介護問題研究会議』開設
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/jigixyousixyogoannnai.htm
2004・6・5 担当課長に申し入れ(公正取引委員会調査報告書など)
http://www.jftc.go.jp/pressrelease/02.march/02031301.pdf
2004・7・2 市長にお願い(県パーキンソン病友の会に同行)
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2sitixyounionegai.htm
2004・8・4 新聞広告に「介護研ニュース」折込予定(失敗)
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2nixyu-suno15.htm
2004・8   ボランチ型在宅介護支援センター事業申請
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/boranntigatazaitakukaigosiennsennta-sinnseisixyo.htm
2005・4・28 認定調査における談合の申し入れ(担当係長)
2005・10・1 『会議室』開設。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kannbann.htm
2005・10・12 週間ダイヤモンド取材
2006・3・8  週間ダイヤモンド電話取材
2006・7・18  「独立化の勧め」情報発信
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm
その後の記事等は、上のページでご参照下さい。
2006・9・28  ブログ開始
http://www.care-mane.com/blog_my_top/blog_id=74
2006・11・13 市政への提案(担当部次長・担当課長・協業組合設立準備会)
2007・1     隔月誌「介護支援専門員」1月号の原稿
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm
2007・3・19  市政への提案回答書
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/2tiikihoukatusiennsennta-notorikumi.htm

随分色々と取り組んできたが、回答書以降、表向きの活動はストップしている。
その一ヶ月前に、定年があと1年あると言っておられた方が、回答書を書いて退職された。急に天下り先が決まったことが理由だとは思うが、ご指摘した立場から言えばあまり気分の良いものではない。
現状は何ら変わっていない。
市政への提案からちょうど1年が経過した。

12年前の平成7年といえば「亥」。干支である。
元旦に浅草観音にいたが、引いた富くじが「凶」であった。今年は引かなかったのだが、もしかして「凶」を引いていたのかも知れない。
大きな別れがあった。

我が人生を歩む・・・HP作成  2007・11・11
印刷・製本に平行して、インターネットに関して1冊の本を読んでいる。インターネット入門書である。
HPビルダーを頼りにHPを作成しているが、現在のスタイルだけは完成している。現在リンクをはずしてあるが、HPのベースになっているのは「虚構」である。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage4mokuji-2.ht
インターネットの知識がある方なら開くことが出来る。

「虚構」の原稿をスキャンで読み取ったものであるが、そんなに正確には読み取れない。原稿と見比べてかなり修正している。とにかく完成させて、2001・10・1に公開している。
公開と同時にメーリングリストやリンク集・掲示板などにも書き込みを行ってみた。6年前のことである。ヤフー掲示板に『「介護問題」に関するインターネット会議』のトピを作り初投稿したのが2001・10・14である。これで一応情報発信の準備が終わった。

インターネット会議というからには「会議」を開かなければいけない。
2002・1・12を初回に2003・10・1開催まで計7回のインターネット会議を開催している。中には嫁姑の問題も取り上げているが、この会議は終わりのない会議になっている。ご意見があれば再開させても良いと思う。No6である。一番最後の会議開催月には、実務研修受講資格試験を受験してケアマネとしての門をたたいている。
この受験から独立開業までを公表して行っているので、万が一落ちていたら現在は無い。背水の陣で臨んでいる。

HP開設当時はかなりの数のHPに書き込みをしてきた。その中での交流が今でも続いている方もある。かなり辛口の投稿であったから、衝突もあった。理念の低い方には嫌われるようである。
その交流の中でも想い出深いのは、中央に直結する裏情報がストレートに入る状態にあった時期がある。余りにもレベルの低い話なので大きくは期待していない。

HP公開から1年余り経過した頃、独立・中立型介護支援専門員全国協議会が発足している。その会議をテープから反訳した。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/dokuritukeamanezennkokukaigi.htm
反訳は裁判で身につけた技術である。テープから言葉をそのまま書き表せば動かぬ証拠になる。
2003・1・13開催だから、この時点ではまだ開業を思い立っていないが、この会議に参加して開業を思い立ったのかもしれない。

それから1年後、二人の方からメールをいただいている。どちらが先だったかは記憶にないが、お一人は「大工さんネットワーク」構想を、お一人は「難病支援」を熱く語った。
そういう流れの中で開業準備を進め、2004・4・1指定居宅介護支援事業所『高岡発・介護問題研究会議』が誕生する。
HP公開から2年半目のことである。
                      (つづく)

我が人生を歩む・・・「虚構」発行  2007・11・11
1,999年暮、何を思ったか妻がワープロを買ってきた。
施設時代には触りもしなかったので、事務員から「やる気がないからですよ・・・」とお叱りを受けていた。そんな私がキーボードに触ったのには目的があった。ファイル1冊に溢れんばかりに綴じられた膨大な裁判資料があった。
「決定」が出てから1年余り後のことである。

年が明けてから手探りで入力を始めた。B5二つ折りのサイズで冊子を手作りする計画である。ちょうどその頃、1週間ぐらいの入院をしている。その病床で「はじめに」「背景」「裁判までの動き」の原稿を書いている。
「まとめ」の日付が2000年6月11日であるから、約500ページの原稿を、キーボードに触ったことのない状態から半年余りで入力したことになる。50冊作成することにした。
このキーボードとの出逢いが後に、インターネットとの出逢いのキッカケになる。

友人のプリンターを借りて印刷を始めて三分の一位印刷が進んだところでプリンターが不調になった。それから半年余り後に冊子をインターネットに載せることを考え付いている。
パソコンが身近になって来ていたと言っても、まだセットで20万円ぐらいしていたと思う。プリンターセットで25万円ぐらい支払ったと思う。甥がコンピューター関係に勤めているので今でもお世話になっているが、細部にわたってご指導いただいた。

印刷が完了したのは暑くなってからのことだった。
編集後記の日付が2001・6・24になっているが、たかが50冊といえ、500ページ125枚の原稿をセット組みするだけでも大仕事である。最後には無駄にならないように不足分を追加印刷している。結局55〜6冊出来たのではなかったかと記憶している。
製本はパンチで穴を開けて、タコ糸で綴じて、表紙を糊付けしている。今考えても根気のいることを仕事の合間に行なっている。

配布先記録が残っているが、2007・9月の休日を利用して訪問の上手渡ししている。
                       (つづく)

我が人生を歩む・・・福祉編  2007・11・10
平成元年に亡父の友人から、特養ホームを作るから来ないかという誘いがあった。デイサービス運転手である。当時長距離トラックに乗っていたのでかなりの高給を得ていた。子供たちにも楽しみの多い生活をさせてやることが出来た。
引抜であるからその給与がベースになり、今施設に勤務しておられる方々が怒られるほどの高給での転職になった。(少しは落ちたが・・・)

特養ホームオープンから1年余り経ったとき、社会福祉主事認用資格の通信講座を受けてくれないかと依頼があった。生活指導員を誰にさせてもダメだというのである。
40歳も超えているので勉強はしたくない・・・と固辞したが、半ば業務命令的な勢いで受ける羽目になってしまった。
通信講座受講中に先ず最初の事件が起こった。

法人役員には政治につながりのあるメンバーも顔を連ねていたので、友人が地方政治に関わりたいと言ったとき、その関係に関して事務長と懇談している。「個人的な内容だから良いんじゃない???」ということが後に大変な事件に結びつく。
選挙も終わり、通信講座受講中の私に解雇通告書が発せられた。勿論選挙は理由にしていない。この時は某団体を中に入れて解雇は取り消されたが、4年後に休職という形で再燃することになる。私は選挙応援に係る人権としての自由を貫いた。

組織の意思決定と組織の中の個人の決定とは違う。役職名が付けば個人ではない。組織の顔である。
個人の感性で組織を動かそうとすればそれは公私混同である。組織運営は役員合意の下行わなければ組織は崩壊する。その良い例を4年後の裁判でお見せした。決定が出た2年半後には新しい生活が始まっていたので申請は却下された。しかし現状がその結果を表している。「お荷物施設」と表現された方もあった。

今回某団体をまとめて退会したが、ここにも公私混同があった。独走もあった。今回目にした真実は16年前・12年前に見た内容と同質のものである。組織の独断的運用である。
どのような立場におかれても、個人の自由は尊重しなければいけない。組織としての合意がなければいけない。合意を取り付ける方法は民主的に行なわなければいけない。力で人をねじ伏せてはいけない。この真実を隠すために「嘘」があった。
私は「嘘」がまかり通る組織を捨てた。

前回は攻撃を仕掛けられたので迎え撃った。今回は殻に閉じ篭ってしまったので放棄した。ただ、数日後に明らかになった真実を本人の口から公表するように求めた。人として当然行なわなければいけないことである。
「嘘」の事実を突きつけているのに逃げていてはいけない。結果として「嘘」があった事実を認めたことになる。

在宅介護支援センターソーシャルワーカーとして地域を駆け廻っている頃を知る方はそう多くはない。しかし先日言われてしまった。「当時と同じですね・・・」と。
地域を駆け廻るケアマネジャー・・・範囲は随分広くなっているが、目に止まっていたようである。12年前と同じだと言っていただけた。
                             (つづく)

某独立ケアマネ苦悩の一年半・・・  2007・11・10
本当に久しぶりにメールが届いた。メールには苦悩の一年半と行政担当者の「失礼な対応」に関して書き綴られ、今後の方向性に関しての相談も含まれていた。久しぶりに丁重な返信を送った。

「独立性・中立性の確保」と厚生労働省が言い出した頃に開業されたが、大変なケースを抱えたことは知っていた。あらゆる手段・資源を使っても解決しない問題はそう多くはないだろうが、これはケアマネジメントの問題ではない。行政機関の中で解決しなければいけない問題である。しかし、縦割り行政では出来ない。寂しい日本の現状がここにある。
とにかく担当課で自己作成扱いでプランを回すことになったそうである。しかし担当者の目が冷たいと言われる。必要以外は無視をすることをアドバイスしておいた。

本来ケアマネジメントは単独で存在するべき性質のものであるが、「独立性・中立性の確保」と唱えてみても、現状の背景では困難なものがある。その背景作りを急がなければいけないが、唱えただけなのかもしれない。見せ掛けのお題目である。
行政ラインでの癒着を公言しているが、この背景を失くすことは行政自身の問題である。氷山の全体像がここにある。

虐待ネットワークを発展させるためにNPO法人化させる方向のようだが、居宅もその中で一緒にやろうかという話になっているらしい。
自分の砦(会社)は残しておいた方が良いとアドバイスを送っておいたが、独立・民間居宅は何らかの形で組織化する必要性を感じている。苦悩の1年半も組織として受ければ苦にならなかったであろう。法律家とのつながりも重要なことである。

始まったばかりの介護保険法ではあるが、良い方向に発展できる施策が必要なように思う。急造したケアマネジャーの質の問題もあるが、常識の無い人間が多すぎるということだろうか???
果たして来るべき超高齢化社会を乗り越えることが出来るのか・・・心配になってきた。

大事なことを思い出したが・・・。  2007・11・9
昨日の仕事は早かった。早かったのは良いのだが、大事なことを忘れていた。思い出したから認知・・・ではない・・・と自己満足している。

久しぶりに分単位で動いたので仕事が完了した時点でビールの栓を抜いてしまった。それからしばらくして「事務所に向かっているが、今日だったね・・・」と電話が・・・。予定表には明記してある。栓を抜いてしまったものは仕方がない・・・と飲み干すことにした。
それから10分余りして到着したが、予定が頭から吹飛んでいたことをお話して大笑いした。訪問先でも素直に謝った。
人間関係が出来ているから許していただけたし、相談のメインでもなかった。ただの付き添いである。

相談のあと重要なことを伝えなければいけないことがあったが、これも頭から吹飛んでいた。訪問日誌に書き込んでいて思い出した。早速電話をしたが留守電になっている。とにかく電話をいただきたい旨メッセージを入れた。
今電話をいただき用件は終わったが、気をつけなければいけない。
今日は午後から認定調査が一件入っているが、急用が入ると忘れそうである。調査書類は目に付くところに置いてある。

今日はのんびりとした日になりそうだが、ふたを開いてみないと判らない。最近は1本の電話からドラマが拡がることが多い。
そういえば恐怖の電話が二週間近くかからない。上手くいっている証拠なのだが、教えた筋書き通りに行っているのであろうか?12日が相談日だと言っていたから、その後が怖い。内容証明郵便で全て解決すれば良いのだが・・・。時には脅しの手も使う。
人の心は判らない。もう腹をくくられたのかもしれない。

大きな地域格差。意識そして・・・。  2007・11・9
介護保険事情には大きな地域格差がある。その格差を意識と地域事情の角度から探ってみた。
大阪と名古屋が引き合いに出されていたが、都市が育ってきた経緯によって介護保険事情も随分違うし、行政の意識にも随分格差がある。そういった中で底辺レベルと評価付けられた地からの発信は通常のケースでは的を得ていた。都市によっては生活保護の比率が多いことも事実のようである。

的を得たとされた発信
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm
だが、一部地域によってはケアマネ難民も出ているようであり、地域格差があることも事実のようである。
「選択の自由を保障する」と公言出来る地域は喜ばなければいけないのかもしれない。出来るところから是非実現していただきたいものである。

短時間の対談だったので細部までのすり合わせは出来なかったが、地域格差や意識の違いを知った上で、ビジネスモデルをアレンジさせる必要があると言う。基本は同じでも地域に合った方法が必要になる。
都市部では随分独立系の居宅も増えているようだが、団結するまでには至っていないようだ。「協業組合」構想もかなり浸透しているらしい。

来年度の医療改革の後の方向性に関して地域連携パスの存在をお知らせしておいたが、医療・介護の共通言語として使えるようになって行けば良いとも思っている。
その次に来る介護保険法改正では保健事業の拡大が予測されているが、もう準備に入ろうとしている(かどうかは判らないが)動きも見られる。

団塊の世代に照準を合わせた法改正が順次行われていくことになるが、一つの区切りとされている2015年・2025年はすぐそこまでやってきている。果たして間に合うのかという心配もある。また、保険財政も心配なところである。
少子化を招いたのも団塊の世代であるが、支え手が逆ピラミッドの人口構造を作り上げたのは戦争である。問題解消まで100年かかるというのは事実のようである。
2050年はその区切りの年でもある。

「ゆりかごから墓場まで・・・」の福祉構想は団塊の世代に照準が合わせられたもののようである。介護に関してはその前段階でしかない。

新しい社会資源の誕生か???2007・11・8
今朝公衆電話から電話がかかり???だったが、声を聞くと一昨日退院したHさんだった。昨日はデイサービスへ通所している。
携帯電話へ24時間転送しているので、誰からの電話かもわかる。「どうしたの???」というのが第一声だった。
「昨晩遅くにまた尿閉が起きて今度は〇〇病院だったんだけど、導尿してもう帰って良いと言うんだけど、タクシーも無いし、救急室の横で泊めてもらった・・・」タクシーは馴染みの運転手に連絡が取れているということだった。「帰る前にヘルパーが来ていたら心配するので連絡を取って欲しい」という主旨の電話だった。

家に帰られた頃に訪問して、「こう度々救急車ではね・・・自己導尿の話出なかった???」「痛いからやだよ・・・」「それじゃ何か考えなければいけないね・・・」と、来ているヘルパー事業所のオーナがが看護師であることを思い出した。
早速電話で確認すると「矛盾点もあるので県に聞いてみて・・・」ということだったので久しぶりに保険者に問題提起が出来るかな???と思いながら訪問看護ステーションへ向った。
管理者が留守だったので、内容の主旨を看護師に伝え、帰えられたら電話をいただきたい旨伝えた。

昼過ぎに電話がかかり、話を聞いていただけそうな感じだったのですぐに駆けつけた。
「緊急時加算だけというのはつながりも出来ないから、月に何回か状態観察でもさせてくれない???」「そりゃ当然の話だね。24時間対応できるの???」「一応誰かのところに転送になっているから・・・」ということでOKをもらった。
これからが早かった。(自己満足)

今月更新なのだが、更新申請が遅かったので認定は来月になる。更新プランを書いておいて、認定が出てからコピーすれば良い。このサービス担当者会議は更新時も兼ねれば良い・・・ということで、ケアプランを書きながら担当者会議の日程調整も・・・。

プランが出来たのが3時過ぎで先ず訪問看護ステーションのご都合を聞きにケアプラン関係書類を届けた。会議時間も決まり郵便配達が終わったのが4時半頃。非常にスピーディーにことが運んだ。そうそう、心配しておられる民生委員さんも訪ね「ケアマネジャーの仕事って素晴らしいですね・・・」とお褒めいただいた。美女で同年代の方である。

そう、ケアマネジメントは素晴らしい。目的に向ってただ行動あるのみである。
ということで新しい社会資源は誕生しなかったが、この現状を喜んでいる。

あなたの夢叶えます移送サービス  2007・11・8
施設時代に「ふれあいの日」という入所者にとって特別な日を作っていた。
担当寮母との日々のふれあいの中から発見した入所者の夢を叶える1日である。
この延長線上に「あなたの夢叶えます移送サービス」の発想があるが、業績が上がれば車椅子用の車両を購入して、ボランテイアで行なえないかと考えている。

介護タクシーとしての事業化は考えていないが、タクシー会社には任せたくない移送がある。隔日の通院なのだが、小規模事業所では出来ない。
昨日いただいた情報だが、ヘルパー運転手の介護タクシー以外にも介護保険の適用を受けることの出来る移送サービスがあるそうである。これがいわゆるボランテイア移送なのかもしれない。
その気になれば何時でも聞けるが、ヘルパー資格を今更取るつもりはない。しかし、その道は残されているようである。パソコン操作が出来なくなったら居宅からの方向転換も良いかもしれない。

介護タクシーも悪用する事業者があるから厳しくなって来たが、原則的には移送と介護は切り離すべきである。しかし、車に乗るまでの間に介助が必要なケースはある。
現在階段昇降介助を移送サービス運転手と二人で行っているが、介護タクシーを使っていた頃はタクシーとは切り離していた。男性ヘルパー2名と介護タクシーである。
男性ヘルパーの運転する介護タクシーと1名の男性ヘルパーがいれば用は足りるが、こうしなければいけなくなった背景には悪徳事業者の存在があった。移送費用を介護(身体介護)費用で賄っていたということである。

在宅で外出希望を持っておられる方は多いと思う。果たして「あなたの夢叶えます移送サービス」がスタート出来るかは???であるが、夢だけは持ち続けたい。

組織と人・そして真実と嘘  2007・11・7
組織は人の集まりである。
一人一人顔が違うように考え方も違う。
密室で、あうんの呼吸で方向性が決まったそうである。
このあうんが問題である。

良く似た話が日常的に起こっている。
真実を隠すために嘘をつく。
個人差はあると思うが、嘘は心の負担になる。
もし負担になっていないとしたら、心に問題がある。
利己主義は・独裁は組織に馴染まない。

医療・福祉に関わる相談の中で、色々な心に触れることがある。
先日も迷いに乱れる心に出会った。先ずは心の乱れを修復する必要性を感じた。
病気の告知もこれにあたるが、選択肢を与えなければいけない。
辿る道は概ね示されているが、その段階に応じた解決が必要である。
辿る道を知る段階は一人で行なっていただくことにした。
先日お逢いしたら少し明るくなっておられた。先ずは第1段階をクリア出来たようである。

専門職として、重要な選択肢の中に「嘘」を混ぜることはしない。その場だけの解決をも望まないし、常に方向性を睨んでいる。
昨日の丁寧な侘びの言葉は、ここ1年半かかって行なった告知の最終段階を意味している。単発的にではあるが、今日の日を予測してきた。本人には気に食わなかったことだと思う。

組織には色々な人が集まる。その全ての人に満足を得ていただくためにも「嘘」はいけない。真実で向かい合う必要がある。
自分の感性で組織を動かそうとすれば歪が起こる。
感性に合う人だけを集めるのなら、これは仲良しクラブである。
目的に向って、色々な視点を取り入れて一つにまとめていく。これが組織だと思う。
テーマを同じくする組織のネットワークも出来ていけば良いと思う。

組織も人も同じである。真実に満ちた関係が出来ていけば良いと思う。
先日二つの真実をお蔵入りさせたが、インターネットを通じて書いてきた両極端の「真実」である。しかし基を正せば同じこと、人の「心」の問題である。お蔵入りさせたとは言え、心の問題は書き綴っていくことにする。
心の使いようによってその人は評価される。良いも悪いも評価される。

人生最期の評価で快い人生を振り返りたい。
そのためにも真実に満ちた、嘘のない人生を送りたい。
嘘は大嫌いである。

悪いことを言った・・・と利用者からの侘び  2007・11・6
先月退院後4回の訪問入浴を予定していた。1回は再入院になって中止になっているが、残る3回は何れも発熱のための中止である。
入院期間も含めると今日が1ヵ月半ぶりの入院である。

アパートの4階まで入浴車からのお湯が上がるかという心配もあったし、浴槽へ安全に入ることが出来るかという心配もあった。そこで訪問したのだが私が来たことに対して、ご本人はおかんむりだった。私にはその理由はわからなかったが、病状が進んで思うようにいかない歯がゆさから来るものと理解していた。
そういう状況なので、隣室で入浴が終わるまで新聞を読んでいた。紙面を飾っていたのは民主党首辞任のニュースだった。
入浴中ご本人はかなりご満足のようであった。

夕方妻から、とんでもないことを言い出したと電話をいただいた。気にしないでいただきたいことを伝え電話を切ったが、小1時間後、本人からも電話があった。丁重にお詫びがあったが、実は私に裸を見られたくなかったということである。それは察知していたが、初回訪問入浴が上手く行くのか確認しなければいけないと思っての訪問であった。このことがご理解いただけなかったようでもあった。
しかし快い電話でもあった。間違いだったと言われ、改めて最良のマネジメントに取り組まなければいけないと意を新たにした。

同じく人間に生まれてもこれが出来ない方もある。
間違いを間違いと認めることの出来る人間に育ちたいものである。
快い電話であった。

談合はいけないよ・・・  2007・11・6
苦労して主治医意見書を書いてもらった晩に救急入院になってしまった。
とにかく申請だけはしておこうと、入院中ということで更新申請を済ませた。
中1日おいて病院から電話がかかった。明日の検査の結果明後日退院になる予定です・・・と。
退院に向けた手配をして明朝病院へ行くと医師からの退院許可はまだ出ていないと言われる。とにかく予定は未定ということだった。昼ごろには判るということなので、退院に向けた準備は済んでいるから、退院出来ない時には電話連絡をいただくことにしておいた。

午後担当課へ退院の旨電話をして、認定調査依頼先に退院時間と本人の週間スケジュールと家にいる日の午前中の調査の方が良いことも含めて伝えて欲しいと伝言しておいた。午前中ビールを飲んで、午後は寝ている日課が続いている。
しばらくして調査をするケアマネから直接電話がかかった。明日3時過ぎには家に帰っているから、その頃に電話をしていただきたい旨伝えてたが、細かく聞いてくる。
何で入院になったかまでは伝えたが、それ以上は自分の目で確かめていただきたい・・・談合はいけないよ・・・ということで電話を切った。

看護師ケアマネだから病状などわかって良いのかもしれない。特定疾病の病名を二つ持っておられる方だが、仕方が無いから自立した車椅子生活をしておられる。ADL的には、床に転んだら横を向くことも出来ない。電動ベッドがその動作を助けている。
生活自立度(寝たきり度)を眺めて考え込むのだが、自力では寝返りもうてない状態で、自力で車椅子に移乗する。足は全く利かないから、腕の力だけで生活動作を行っている。

車椅子での自立生活を見れば要介護3なのだろうが、自力では寝返りもうてないということになると要介護5である。
介護度が上がると通所サービスの単価が上がるから、負担面では今のままで良いのだろうが、入所判定委員会に対しては介護度が高い方が良いだろう。
先に、まだ若いし自由に生活しているから・・・と入所待ちの順位にランクされなかった経緯がある。が、在宅生活は限界に来ている。

適切な認定結果を期待しているが、果たして何が出るかは楽しみなところである。

宇宙の果ては???  2007・11・5
私達は有限の世界しか知らない。宇宙の果ては・・・と言うか、有限と無限に関して興味を持ち始めたのは何時頃からだろうか???「∞」は小学校で習うのであろうか???もしかして小学校高学年でこの事に興味を持ち始めたのかもしれない。ぼんやりした記憶がある。

高1の時、年老いた教師に、「0」と「∞」の割り算の取り決めに関して食って掛かっている。0が分母の割り算の答えは「不能」であり、無限大が分母の割り算の答えは・・・忘れてしまった。
この、未だに解決していない特別の数字に興味を持っていたわけである。
教師の答えは「ゼロはゼロじゃ・・・」で終わっている。

同じく高校時代に化学の美人教師に食って掛かっている。多分、酸の電解率は「1」なのに、それよりも濃い酸がある。その電解率はどうなっているのか・・・。という質問だった(のかな?)。答えは「大学へ行って勉強して下さい」であった。美女らしくスマートに逃げられてしまった。

現代科学では仮想でしかない「宇宙の果て」だが、未だに興味を持っている。有限の世界である人間社会でも言えることだが、判らないものがある。それは人の「心」である。
もしかしてその計り知れない「心」を目に見えるようにしていけるとしたらそれは「福祉」なのかもしれない。そういう意味からも化学と福祉はつながる。いや「心」も無限大の世界なのかもしれない。
その無限大の世界をほんの少しでも見てみたい。「心」が見えた瞬間、形として「涙」を見せていただいている。

限られた空間で共同生活をしているわけだが、共同生活が成り立つためには色々なルールを守らなければいけない。このルールは人間としての常識の範囲で決められている。そのルールから外れれば法で裁かれる。
その一歩手前の段階が人としてのルールである。人としての倫理と言った方が良いのかもしれない。

話は変わるが、高岡大仏は日本3大仏の一つとされている。その台座の下に地獄絵が掲示されている。その中に、嘘を付いた者の舌を大型ペンチで抜いている図がある。
過って遠くから来られた独立ケアマネさんをご案内したことがあるが、この地獄絵の神聖さに驚いていかれた。身が引き締まったそうである。
「嘘をつくと閻魔様に舌をぬかれるよ・・・」という絵図がある。

人の「心」を科学するのは、まだまだ先のことなのかもしれない。
宇宙の果ての解明と果たしてどちらが早いのであろうか???
そして福祉は・・・・・。

つかの間の入院  2007・11・5
昨日退院調整の電話がかかった。手術は無いようである。

規則正しい生活(?)をしないと尿閉がおこる。誰にも言わなかったが、今回の尿閉には思い当たるところがある。
救急入院当日の午後から、主治医意見書を書いてもらうために受診している。この間水分制限(実はビールなのだが)をしている。デイサービス以外の日は朝から飲み始める生活習慣になっている。

デイサービスでは適度な水分補給をしているから問題はないのであろうが、この日は受診の間5時間ほど水分は摂っていない。アパートに帰って二時間位でおきた尿閉だから、その関係は充分に考えられる。7時間余り排尿が無かったので排尿障害を起こしたことは充分考えられる。

アパートに送った時、囲碁仲間が来ていた。友人はゆっくりとしていく予定だったのだろうが、本人は「今日は3番・・・」と言っている。
とにかくごゆっくり・・・と分かれて3時間後ぐらいの安全センターからの電話であった。
朝から食事・水分制限をしているところへ、ビールを飲みながら囲碁が始まった。
救急現場に友人はいなかったから、帰ってすぐのことだったと推測する。
空に近い膀胱へ約3時間で飲んだビールが溜まりはじめた。送り届けて3時間後のことだった。

救急医は前立腺肥大の手術も匂わせていたが、結局手術をしない方向が決まったものと思われる。
どのような状況下でも生活のリズムを崩すと何かがおこる。可能性として考えられる尿閉を防ぐためにもアドバイスをする必要がありそうである。
ビールが飲めなければその分の水分を摂る必要がある。安心して水分を摂っていただくためにも、今回のような状況下では紙パンツを使用していただくことにしよう。
入院に際して、会いたくない兄から紙パンツと紙おむつが届けられていた。これを活用していただくことにしよう。

本人にもプライドがある。しかし担当ケアマネの責任として、言う必要があるように思う。

お蔵入り  2007・11・4
以前週間ダイヤモンドに掲載されるはずの記事がお蔵入りしている。
天下り人事に関する記事である。
今回、事実をお蔵入りさせた。ご本人の将来性にかけてお蔵入りさせたものである。

この二つのお蔵入りの事実を公表できる社会が出来ていくことを望んでいる。
前者はその立場で求められたことを遂行していない。悪用していると取られても仕方のない現状である。現職も情けない。
後者は組織の独善的な運用と公私混同が原因の出来事である。私は身を引いたが、この種の問題が表面化すれば何時でも立ち上がる。
ネットワークに私を出してはいけない。

二つのお蔵入りは何時再燃しても可笑しくは無い。
理念が違っていると言えばそれまでのことだが、背景が問題である。
何れも悪意に満ちた「心」が原因であるから、再燃したとすれば許すことは出来ない。その種の問題であることを当事者は知っておいていただきたい。
行政に対するご指摘はこれからも続くものと思う。

住宅改修のアイデア  2007・11・4
そんなに数多くは関わっていないが、気に入った改修がいくつかある。
設計士さんでは思い浮かばないアイデアもあるが、私自身が自宅の改修に関わって来ているからでもある。しかも2回も・・・。
人は税金対策かと言うが、資金が不足していたからである。改修・改修で新築になったのだが、動かせないものがある。それは廊下である。精々工夫したが、2期工事はそれ位の値しかない。しかし住宅に関する随分多くの知識は得ている。

一番大掛かりなものは居住スペースをワンルームマンションに作り変えたものだが、トイレの位置と方法を決めたのは私である。既存のトイレを裏から破った。やぶにらみ(角度を変えた)の結果である。トイレ入り口側の廊下から眺めると、車庫の裏側にトイレがあった。

もう一件気に入った改修があった。
設計士の図面では階段幅を60センチに取ってあった。これを材料幅いっぱいに変更してもらった。75センチの材料だったが、この幅なら車椅子に若干の調整は必要だが介助で昇降できる。
段差は10センチで緩やかな階段を作ってもらった。
乏しい知識ではあるが、住宅の角度からと福祉機器等の角度から住宅を見ることが出来る。ほんの小さなアイデアなのだが、今のところ上手くいっている。

長い廊下に、玄関から居室まで手すりが設置されている改修を見た。玄関には車椅子が置いてある。聞いてみるとつい最近改修を行われたと言われる。
手すりは居室のすぐ横のトイレまでだけで良いと思った。外出時には車椅子で介助されれば良いだろう。外出の機会は通所サービス利用時だと言われる。???の改修であった。

ケアマネジャーは色々な知識を持たなければいけないと思う。法的知識もあるので、かなり幅の広いケースに対応出来る。何時までも行政情報を行政ラインで囲い込んでいてもらっては困る。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/2tiikihoukatusiennsennta-notorikumi.htm
まだ本格稼動していないようである。一番の問題は施設長会議である。天下りの皆様、あなた方が一番問題だと言っているのが、まだお解かりでないようですね。

HPの更新がお留守に・・・  2007・11・4
昨年の法改正後「独立化の勧め」
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm
を中心に情報発信していたら、HPが形を変えてきていた。介護関連時事にコムスン問題さえ取り上げていなかったことに気付いた。

平行して「ケアマネドットコム」
http://www.care-mane.com/blog_top/
でブログも書いてきたので、「掲示板等発言集」を中心に更新を行ってきたようである。
とは言え、HPのテーマは「介護問題」であるから、この部分に関しては12年前と変り映えしていない。私の実践を超えた内容の報告は今のところない。

この変わり目の最後の年にお会いしたソーシャルワーカーと先日飲みながらの論議を行った。テーマは「コミュニティーソーシャルワーク」に関してである。
制度としてのネットワークと私的・公的団体等のネットワークをどのように絡めて行くかという話であるが、大筋では合意出来たようである。
私を超えたといえば彼ぐらいしか知らないが、彼だけなのであろう。勤務地でも良いのだが、居住地に引っ張りたい気持ちであるが、あと20年は生活のため、現状を続ける必要がありそうである。

20年後といえば私はもう引退しているだろう。随分と不摂生をしてきたからこの世にいないかもしれない。これだけは突然訪れるから誰にもわからない。
それまでの間、機会ある毎に唱え続けることにしようと思う。気の長い話である。
この再会は1年半ぐらい前のことであるが、研修会でにこやかに迎えていただいた。その後飲み会でもご一緒しているが、当時の同僚に接点を聞いてみると、最後の1年間(9ヶ月)がダブっているということだった。12年前、今よりも少しは頭髪も豊かであったが、記憶に残る顔だったのだろう。男性に覚えていただいていたことに嬉しさを感じた。

それにしても残念な思いをしている。事件がなければ高岡ももう少し変わっていたように思う。コミュニティーソーシャルワーク。福祉を社会運動の角度から眺めるソーシャルワーカーがいなかったことに残念さを覚える。高岡にこそ必要だった考え方である。
『高岡発・介護問題研究会議』の情報発信はコミュニティーには届かない。対象はソーシャルワーカーである。

量子論  2007・11・3
何故かこのテーマに関してエピソードを書きたくなった。私が化学者を目指していた頃の話である。
原子と電子の関係を皆様はご存知かと思うが、原子核の原子の数によって物質や性質が違う。これはイメージである。
原子核内の原子が1個なら水素である。2個ならヘリウム3個ならリチウム・・・・・といった具合である。原子表の順番は原子の数で決められている。
原子核とその周りを回るとされる電子の間に、説明が付かない関係がある。バランス良く回るための矛盾を解決させた理論が量子論である。

この講義の後レポート提出があった。
私はこの関係を宇宙に例えた恒星と惑星・衛星に摩り替えたレポートを書いている。例えば太陽系で言えば、地球と月の関係。土星の四つの衛星の関係等である。そして太陽の周りを回る水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の関係である。最近冥王星だったか、惑星ではないと結論付けられたようだ。
レポート提出後の講義を休んだので人伝に聞いた話だが、東大並のレポートだと賞賛され、公表されたそうである。その程度の私立大学の応用科学科に通っていた。

今この理論を地域ネットワークに応用しようとしている。人間の関係もこの理論に当てはまるのだろうが、存在する物質をつなぐ目に見えない物質が量子である。
この量子が何かということだが、それは人の心であり、時には組織の方向性である。このバランスが崩れるとネットワークは崩壊する。人の作るネットワークであるから心の動きが重要である。
多数決で方向性を決めても良いだろう。その方向でバランスが取られても良いだろう。しかしバランスを崩してはいけない。

この目に見えない力こそが、自然界に存在する量子の力なのだと思う。
社会における「量子」の役割を持つ理論の構築を急がなければいけないように思う。
人間の常識や倫理論等など、人の心を一つにする理論が必要だと思う。
現代社会はそのバランスを失っている。

北陸の風物詩・・・雪吊り  2007・11・3
一日に兼六園の雪吊り風景がニュースで流れていたが、そろそろ雪吊りが始まった。12月末を目処に庭師さんの1年を通じて一番忙しい時期が来た。

今年は何時までも暑かったのでまだその気分にはなり切れていないのだが、例年この時期に雪吊りを行っていた。上着を着てまだ1ヶ月経っていないので実感が湧かない。
一昨年は12月初旬から大雪で月の半ばで仕事にならなくなったと聞く。
「会議室」の中庭に椿の木が一本あるが、屋根雪を下ろすと雪囲いも埋まってしまった。大事な枝が一本死んでいる。

今日・明日は天気が良いようなので、午前中に用事を済ませて荒縄を買って来ようかと思う。
今年は一カ所減ったから4玉で良かったはず、職人一人の1日分の仕事量が4玉と聞く。
今日・明日はのんびりと庭師さんに変身することにする。

地域包括で話し込んでしまった。  2007・11・2
予防プランの実績がほとんど揃ったので午後から地域包括めぐりを行った。
何時もは一生懸命仕事をしておられる方々が雑談(か如何かは判らないが)中だった。受付カウンターに招かれたので座って話し始めたらコーヒーが出てきた。にこやかな笑顔で迎えていただけたので話がはずんだ。

医療法改正の方向性から次に来る介護保険法の改正の方向性や地域包括の進む道など、堅い話ばかりしていてもしょうがないので「介護問題」のクライマックスの話にも乗った。
「嫁と姑の問題が無ければね・・・」と言い出したのは「嫁」さんである。
「表面化しない陰湿な問題も難しいね」「ドンパチと表面化していた方が解決しやすいよ」・・・「でも法的な解決が必要なケースもあるしね」などなど。成年後見の彼が挨拶に来ていった話もあった。

医療と福祉が一体になって進んでいく方向性やMSWの口から「コミュニティーソーシャルワーク」という言葉が出た話等など、つまみ食いの表面だけのニュースをかなり入れておいた。
今度お逢いした時、興味のある中身を聞いて来られるかもしれない。MSWの彼と酒盛りをしながら夢を語った話もしておいたから、飲み会で堅い話が出てくるのかもしれない。

「嫁」さんに釣られてか二人の女性の前で言ってしまった。
「最近憂鬱でね・・・女性不審に陥ってるよ・・・」と「・・・・・・・」
だった。

Re: 地域包括で話..2007・11・3
fp_pf さん、お久しぶりです。

男性には女の本性はなかなか見抜けないものなのですね?(笑)

そうですね。不可解です。
介護の現場はの90%以上女性ですが、そんな中を一人で渡り歩くのって大変は大変なのですが、私流の世渡りをしています。
化学方程式を駆使していますが、時には爆弾を作ることもあるようです。

Re: 地域包括で話..  2007・11・3
因みに母は『男の世界(競争)は女よりえげつない。』とも言っていましたよ。(笑)

競争している方々にはポテンシャルが見えないのでしょうね。
先ずは自分の立場をわきまえることだと思います。とは言えかなり飛び越していましたね。それが私のポテンシャルだったのかも・・・。

今も昔も一緒ですよ

今度は役に立った緊急通報装置  2007・11・2
緊急通報装置が無くても本人は119で救急車を呼んでいただろう。しかし役に立った。

ちょうど入浴中で、上がって来たら妻から2回電話がかかっていたことを知らされた。03・・・だから東京だが電話をしてみると安全センターだった。対応を聞くと救急車を呼んだとのこと。お酒が入っていたので妻の車でアパートに向かった。
救急車が発進しようとしているところだったので搬送先を聞いてみると〇〇病院とのこと。病院へ急行した。
尿閉は何度もおこしているが、今夏の時に本人は気分の悪い思いをしている。尿閉位で救急車を呼ぶな・・・と医師が言ったとか。けしからん奴である。

診察後医師に呼ばれ、帰っても良いのだけど一人だし・・・帰る方法はありますか???何回も尿閉をおこしているし、検査して前立腺の手術を考えても良いかも???と、どちらかというと入院を勧める言い方だった。
大手の介護タクシーは営業時間を終わっているが、お酒を飲んでいなければ迎えに来てくれるところがあることを告げ、こちらもどちらでも良いことを匂わせておいた。
しばらくして看護師から入院になったことを告げられた。

ここからが役に立った部分だが、救急受付に一人の男性が来た。安全センターという言葉が聞こえたので、もしかしてお兄様ですか???と聞いてみた。
実は本人は兄に会いたがっていなかった。その兄のところへ連絡が行った。親族として申請書に名前は書いたが、本人はそこまで連絡は行かないものと思っていた。
私も初対面であったが、兄弟の溝を埋めるのには良い機会だったのかもしれない。

疎遠になっていたとは言え、入院中は親族の役割を果たしていただけそうである。

楽しかった頃の想いでは何時までも・・・  2007・11・1
非常に楽しいおばあちゃんにお会いしてきた。
県立高等女学校時代から教員になった頃の記憶は鮮明である。当時のバスの経路まで教えていただいたが、その通りである。病院も教えていただいたが、もう3代目に変わっている。しかし地理的にはしっかりと覚えておられる。旧国道は言われる通りに走っていた。その昔、馬も走った道である。
戦後道路も随分変わったものであるが、おばあちゃんの頭には当時のままの国道が走っている。

少し離れた施設の名前も出た。昭和の最後頃に出来た施設だが、3ヶ月間おられたそうである。その施設の名前もすらすらと出てきた。
認知症で要介護3だとか・・・。果たして・・・と思っていたら、やはり3だった。それだけの話がただただ繰り返される。
嫁は外出願望・徘徊が激しくて家では看ることが出来ないと言う。

学生時代から代用教員時代が一番充実していたのであろう。嫁も始めて聞く話だったらしい。
最後に退院後の話になる。
今回の入院でグループホーム退所になっているが、再入所が決まるまでショートステイでつなごうかという話である。たまにはこんなプランも良いだろう。そこで出た話が・・・「家にいたら邪魔だから泊まる所へ入れるのだろう・・・」と嫁さんに向って一言。私は旅館の番頭である。

まだら〇〇のおばあちゃんと楽しい会話をしてきた。この頃が一番良いのかもしれない。

子供と一緒じゃないの・・・!!!  2007・11・1
兄嫁の一際甲高い声が響き渡った。でも2回目の通所は無かった。

聞くところによると、2年前と同じだと言われる。
身体中に湿疹が出来て寝たきりの道へとまっしぐらだったそうで、救急搬送された総合病院では病気で無いと追い返され、先日退院した病院への入院になる。退院時の投薬内容は「どうしても飲まなければいけない薬ではないですから、薬はありません・・・」ということだった。
兄の口からはこの経緯を振り返り、往診を依頼すると・・・。

兄夫婦を妹宅まで送り、親族会議が始まったのだろうがその中へ入ることはしなかった。
ここのところ陰湿な問題が続いているが、中にこもる問題は苦手である。どんなに困難でも表面でドンパチやる分には解決方法が必ず見つかる。陰湿な問題は嫌いである。

諦めて外へ出たとき自治会長にお逢いしたが、ヘルパーから話を聞いておられるらしく食事が入っていることは知っておられた。
朝デイサービスの所長も20分余り説得されているが、連れ出すことは出来なかった。
子供さんは女性の言うことは聞かれるのかもしれない。それならそれで女性ケアマネと交替する手もある。身軽ではないが経験豊富な適任者はいる。

人が生きることを忘れた姿を見ているが、先週の通所持には生き返られたと思った。まだまだ経験不足である。本当の闘い(?)はこれからなのかもしれない。

新たな問題が・・・。  2007・11・1
これも縦割り行政の弊害か・・・という問題が出てきた。

春頃、市担当者に広域圏を視野に入れているということで、指定に同意していただくように申し入れをしておいた。その時点では、他の申請者に優先して指定するための理由が明確な文書が欲しい・・・ということであった。
指定に規制をかける考え方自体が、選択の自由を保障する介護保険法の趣旨から後退したものなのだが、その部分に関しては論議しなかった。

経緯はともかく、指定に関して新たな問題が出てきたということである。人員基準の問題である。
障害児・障害者・高齢者はそれぞれ適用される法が違う。指定に際して最低人員基準が必要だと言われる。そこで出てきた言葉が「富山型で無いしね・・・」ということであった。富山型デイサービスも制度ごとに申請しておられる。人員は「兼務」で良かった筈だが、どうもその点でつまずいているようである。

先に1号被保険者で、障害者施設から断られそうになっている気管切開の方の相談を受け対応の可否を問い合わせたことがあるが、結果的には病院入院の連絡をいただいている。レスパイトショートが長期入院につながってしまった。

もうしばらく時間をかけて調整されるが、片方で出来ているから、出来ないことは無いと思う。
もう一ヶ所がどうなっているのか聞いてくるのを忘れたが、仮に解釈が市町村によって違うことになれば、「可笑しい」と言わざるを得ない。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです

口腔ケア  2007・10・31
といつくどんで口腔ケア教室が行なわれると誘っていただいていた。女医さんとは、数限りなく偶然にお逢いしているが、気さくな美女である。(誤解のないように・・・私にとって美女とは、心の綺麗な女性です)

相談者は介護者の都合で参加出来なかった代わりに、オープンな懇談会になった。自由な懇談である。
先ずなつめろ大会が始まった。オーナー夫人の参加するコーラスグループの歌詞カードから知っている歌を選んで10曲余り歌った。選んだのは利用者だが、数十枚の歌詞カード全てがレパートリーに入っていた。
オーナー夫人もなかなかのものである。

一度飲みながら歌いたいね・・・と言いながら実現していないが、カラオケを歌いだしたらマイクの独占どころか、全曲デュエットになってしまいそうな感じであった。それ位良く歌を知っておられたので〇〇さんすごいですね・・・とエールを贈っておいた。家主のスナックで飲みたいね・・・という話は前からある。

肝心な口腔ケアだが、介護保険で簡単に口腔ケア加算が取れると思っておられたらしい。3ヶ月限定で、継続する場合には煩雑な手順が必要なことをお伝えしておいた。
某施設の話が出たので、嘱託医が「薬を出さんと儲からん」医師だということも伝えておいた。
一緒に飲んだら、福祉が良くならない裏情報の風通しが良くなる情報交換が出来そうである。

歯のかぶせものがいつの間にかなくなっていた話や原因がビールの栓抜きに使っていたこと等もお話したが、歯は治しておく必要がありそうだった。
80・20運動に参加する意味でも、近々予約を取ろうと思った。
ワクワクの歯科治療である。

月一回の憂鬱な日  2007・10・31
この日が無ければ独立ケアマネも悠々自適で良いのだが、会計上月を越さなければいけない。
今月は車検もあり、手持ちの資金を使い果たしている。その費用をどれだけ回収できるかが問題である。会社と社長のポケットマネーとの駆け引きである。これにより来月の行動範囲が決まる。
昨年の11月といえば全国を飛び回った・・・というほどでもないが、東京・名古屋へ出張している。名古屋でセミナーが予定されているので、急に連絡があっても対応出来るようにしておかなければならない。

もう11月か・・・と月日の経つのも早い。もう1年経ってしまった。
市へ申し入れをしたのが東京とんぼ返りの日だった。
結果、
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/2tiikihoukatusiennsennta-notorikumi.htm
と回答いただいたが、書かれた方にとって最後の仕事だった。
定年を1年残しての退職だったが、私もあまり良い気分ではない。
別に足を引っ張ったわけでもないが、一番痛いところを指摘したようである。

それから半年あまり、何ら変化が無い。ケアマネ協を交渉団体に育てる必要がありそうである。
協業組合構想は、公正取引委員会・商工会議所をバックにした交渉団体をイメージしていたが、独立協も元気がない。昨年のセミナーで少しお話させていただいたが、メーリングリストが賑わったのはしばらくの間だったようである。
目の覚めるような出来事はなかなか起きないものである。

ターミナル期における心の動き  2007・10・31
かなり気の短い方ではあるが、今回は異常だった。
前日8度台の発熱があり座薬で対応されていたが、その時に「また肺炎かもしれないから・・・」と妻から入院の話が出たらしい。

退院後始めての訪問看護と訪問入浴の日だったので午前・午後訪問する予定にしていた。
訪問するとベッド上で髭を剃っておられ、剃り終わってから車椅子で居室へと移動した。前日の発熱で訪問入浴は断ったということであった。
そこへ看護師が来て発熱の話になるが、どうも先日の入院が納得できなかったらしい。MRIで発見された肺炎だから、通常なら軽微なことなのかもしれないが、在宅酸素使用者の本人にとって放置しておく訳にはいかない。
と思うのだが、気に食わなかったようである。急に怒り出してしまった。

先に1週間のステロイド治療を行った時は、抵抗力が無くなるから注意するように言われていた。それ以降もステロイドは継続されているから、軽微な肺炎でも注意する必要がある。しかし本人は肺炎ではなかったと言い切られる。
最近骨の状態をフイルムで見る機会が増えているが、本人もそろそろ大変な状況だということは判ってきておられる。一寸したことで骨折することや骨が再生されないこともご存知である。そういう状況下での怒りだったのかもしれない。非常に心が不安定になっている。

後ほど妻から申し訳なかったと電話がかかったが、看護師と外へ出てから妻の気持ちを治める必要があることを話していたことなどを伝えた。
訪問入浴の看護師からも電話がかかっていたが、皆心配している。
内臓が強いからここまで持っているという主治医から妻への話もあったということだが、今一番気を付けなくてはいけないのは肺炎であろう。
発熱と肺炎・・・次回からは本人の訴えがない限りは入院話は出来ないようである。

階段昇降を車椅子で行なっているが、救急隊は担架を折り曲げて、背負うタイプの機器を使用しているそうである。

独中協よ・・・どうした??? (2)2007・10・30
やはりダメだったようである。

遡ること2年半余り前に、厚生労働省宛の提言文書にクレームを付けた。このクレームが後に失速の原因になって行ったことは、会員から報告をいただいている。
個性派の寄り所帯だから意見対立があって当然である。議論の末決定するというプロセスが省略されていた。時間が無いというのは言い訳である。方向性だけでも示しておけば良い。それを怠った結果がクレームにつながっている。

県独立・中立型介護支援専門員ネットワークの事務所を預かっているが、こちらも昨年踏み絵を踏んでいただいた。本当に独立型でまとまっていこうという気持ちがあるのなら、今頃は「協業組合」が発足していただろう。決してあわてないで、高岡中心に行政と渡り合ってきた。不幸な結果になったので、今はなりを潜めている。
今、別の方向からの活動を思い立っているが、出来るか出来ないかは来年度以降になる。しばらく様子眺めといったところである。

「会議室」にその拠点があるのだが、留守がち・・・と言うよりはほとんど留守の拠点である。毎朝メールチェックには出かけるが、日中立ち寄ることはない。それでも「留守看板」に書かれた携帯電話に連絡があることがある。電話取次ぎ所の役割は果たしてくれている。
そういった中、独中協の動きが鈍っていることが心配になった。
どちらかと言えば、組織を作るよりも壊すほうが得意である。理に合わない組織ならつぶせば良い。その恐れがあったので、今回は自ら身を引いた。

会を元気付ける位のアドレスは持っているので、CCメールでも書いてみようかと思う。如何にもならないようであれば、日本の介護保険界から「独立」の二文字は消える。厚生労働省が求めているのは「独立性」であって「独立」ではない。とは言え「独立性」を担保出来る「独立」が増えれば良いと思っておられるだろう。全国にどれだけの独立事業所があるのかは知らないが、一つになれば発言力も増すだろう。そのことを期待している。

本道を歩けるはずの団体だったが、何故こうなったのか・・・みんな私が悪い。しかし、苦難を乗り越えて団結して行って欲しい。それでこそ本物が誕生する。
そういう意味も含めて、名古屋セミナーに期待している。
とにかく私を乗り越えていただかなければ、組織は解体する。
何故なら、私の意見が何時も正論だからである。心に迷いは無い。

Re: 一人よりもみんなで  2007・10・30
takadesita1111 さん、はじめまして。
富山県でも今月の14日ALS患者会が設立されました。
つい先日まで関わっていましたが、訳あって行動範囲での関わりに縮小しました。独立ケアマネです。

もしよろしかったら現在の症状など教えていただけないでしょうか?

  2007・10・30
最近新聞は斜め読みだが、朝刊コラムに「嘘」に関して取り上げられていた。
英語直訳の「白い嘘」「黒い嘘」であるが、白は罪のない嘘・黒は悪意のある嘘だと解説されている。
ブラックジョークという言葉もあるが、ホワイトジョークに関しては知らない。嘘もジョークも「黒」は人を傷つける。

たった一つのことを隠すために嘘の上塗りがあったが、私は真実を知っている。上塗りすればするほど、腹の中が丸見えである。覗くつもりは無かったが、自ら腹の中を見せていただいた。
福祉専門職は、例えジョークであっても黒は良くない。口から出てくる言葉と腹の中が違う方も知っている。

これを公の場でやれば犯罪である。
社会の中の人のつながりは果たして公かということにもなるが、公人を名乗っていれば公である。
嘘は良くない。

嘘を嘘とも思わない人間に真実は無い。
専門職ではないにしても、医療・福祉に関わる資格は無い。
そのことを知っていただきたい。

変更プランのスタート  2007・10・30
骨折・退院後体調が思わしくなく再入院になった。骨髄腫によるターミナルの段階に入っているのだが、悲壮感は無い。
一週間スパンで時は流れていくが、骨折・退院時に大きくプランを変更した。ようやくそのプランが動き出す。
アパート4階の訪問入浴が可能か・・・単純に1階3mとすれば4階床面まで9m、お湯はかろうじて上がる筈である。
浴槽で座ることは難しいであろうから、バスタオルで介助することにしてある。寝たきりではないが寝たきりの取り扱いをしていただくことにしてある。

現代医学では手の施しようのない症状であり、痛みをなくすだけの医療が行なわれている。関わってから1年9ヶ月余り、通院介助をはじめて1年になる。骨折しても再生はない。補装具が増えていくだけである。
関わった頃に病名告知だけはしてあったが、その内容までは本人は理解していなかった。時間をかけて徐々に理解してきておられる。
とにかく車椅子に座ることの出来る状態を保っていただきたい。車椅子に座れれば通院出来る。在宅生活が可能である。
主治医によれば、内臓がしっかりしているからここまで持ちこたえているそうである。

入浴車のポンプの能力の違いなのかは判らないが、挑戦していただけるのは民間事業所である。現場を見て、ホースを何処から入れるか妻に説明をしていっているが、理に適っていた。挑戦者の思考である。
今日は「お手並み拝見・・・」と同席させていただくことにしてある。
退院時サマリーも届いているので、訪問看護・訪問入浴の時間に合わせて訪問する予定でいる。


変更プランのスタート(2)  2007・10・30
やはりスタートできなかった。

昨晩8度台の熱が出て、訪問入浴を断ったと言われる。
妻は主治医からステロイドを使っている関係上、発熱があることは聞いておられたが、今日の本人は随分いらいらとしておられた。昨晩何かあったらしい。
訪問看護師と気持ちを和らげるような会話をしながら体調チェックするも、かなり血圧が上がっている。

私がターミナルの段階に入っていると感じている以上に、本人は病状に対して悲観的に考えておられるようであった。そのキッカケが昨日の発熱だったようである。
現在麻薬などがかなり処方されており隔週の通院になっているが、可能な限り通院を続けたいものである。また、通院しか方法がないことも事実である。

明後日がその通院日である。

もう来られないでしょう。  2007・10・29
ネットワークが閉鎖的になってしまった。
閉鎖的なネットワークを「仲良しクラブ」と言う。
衣笠発言も最後になるのかも知れない。

追い詰めた意識は無いが、真実を語っていただきたかった。
ネットワークの崩壊

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/nextutowa-kunohoukai.htm

ご参照下さい。

お茶の間〇〇ー  2007・10・29
義姉妹を介護保険対象外の通所施設見学にお連れした。
義姉がデイサービスに通いだしたら、義妹が「私も行きた〜〜〜い」となった。隣同士なので嘘は通用しないので、最初から見学に誘った。

義姉の夫が長期入院になったので空気の抜けた風船のようだと連絡をいただいていたが、要介護1だから通所回数を増やすことが出来る。認知症状もかなり進んでいるので隔日位の利用を考えているが、義妹が「私も行きた〜〜〜い」となりそうである。こちらは要支援1で週1回の利用に限られる。そこで介護保険対象外の通所サービスを一緒に利用していただいて、残り1回だけは我慢していただこう・・・。という作戦である。

どんな夫でも、長年連れ添っていれば空気の存在になっている。その間を裂いた悪いケアマネがここにいる。一緒にいれば共倒れになるかも知れない位認知症状が進んできた。ただ通常の方法では二人を引き離す方法は無かった。妻の一人暮らしは、少しぐらい症状が進んでも可能である。そういう意味で、男は生活力が無い。他人事ではないのだが・・・。

二人を家に送り届けて、何れも近隣に住む子と相談して決めていただくことにした。
お茶でも一杯・・・ということで、茶漉しが必要な100円ショップの急須の構造を確認したところ茶漉しが付いていない。これはティーパックのお茶を入れる急須ですね・・・。ということで大笑いして帰ってきた。

静かな療養環境作り  2007・10・29
ケアプランのテーマであるが、いよいよ本格的に動き出す。
自宅へ旅立たれる時間を割いてお逢いしたが、相談の方向性に関してアドバイスした。
自宅では静かな環境を準備出来たが、利用施設へ行かれるそうである。静かな対面なら良いのだが、本人も嫌がっておられるという。そうであればこれも止める必要がある。施設職員にはそこまでは求められないから、利用施設を変える方法もある。
私に出来るのはここまでである。

しかし、現状を変える方法はある。
家族・親族の問題であるから、これも含んだ法的な解決の方法と手順をお教えした。今回の帰省にはその目的もある。
今回のケースは、困難事例だということを承知でお受けしている。
先ず最初に契約に関して立場をはっきりと位置付けている。誰を代理人にして契約を結ぶかという場面でその関係を確認している。
後に発生した好ましくない環境はその日の内に解決を見ている。ただケアマネの立場では、行動に制限は加えられない。

帰って来られたらお逢いすることにしてあるが、相談の結果を聞いてからでも遅くは無い。一度は口にしなければいけないことである。
法が絡むと行動も慎重にしていく必要がある。
日本の法は自然法だから常識の範囲で判断していけば良いのだが、判断を誤ればケアマネ人生にも影響が出る可能性も孕んでいる。こちらとしても慎重にアドバイスを送る必要がある。

とにかく相談内容のポイントはお話した。それに対しての解決に向けた手順もお話している。帰られてからの相談に関しても予約は取ってあるということだった。半月後には具体的に動き出す内容だが、それまでの間は慎重に行動する必要がある。
相談を受けてから丁度1ヶ月目だが、少しずつ環境は変わりつつある。


静かな療養環境作り・・・追伸  2007・10・29
追いかけるようにサービス提供責任者から電話がかかった。
昨日ニアミスではなく、まともにぶつかったそうである。そこで職員に「面会させないで・・・」となったようである。
この件に関しては一緒に相談していただくように伝えてあり、その結果、ケアプランのテーマにも掲げていることでもあり、私のほうから告げる予定にしていることなどを伝える。

その他にも、施設利用者にアドバイスをおくったり、少し勇み足もあるので、施設側からも言うが、機会があったら伝えていただきたいということだった。
悪気は無いのであろうが、少し軽いところもあるようである。血液型を推測してみたが、多分B型であろう。素晴らしい才能を軽率さでぶち壊しにしておられるように感じた。時間をかけて、慎重さを取り戻していただきたいものである。

私は手品が好きなので、本人を隠す方法もあることを伝えているが、提供責任者にもそのことは伝えた。良い環境を作る方法は色々あるが、もうしばらく様子を見てからにしたいと思う。

支援は外郭から・・・。  2007・10・28
衣笠選手と似ているということにヒントを得て、過去メールを探ってみた。
多分掲示板だったのだろうと記憶しているが、面白いメールが見つかった。
ご本人の名誉もあるので、伏字で要だけお伝えしたいと思う。

『・・・〇〇さんも9月10,11日のいそはなびの一泊にどうですか?
△△さんのご両親、△△さん、もこられますし、
ぜひ、患者さんの生活そのものをみていただけたら、うれしいです。』

△△さんご夫婦と本人は来ておられなかったが、これが始めての行事参加である。その2ヶ月前にも参加はあったが押しかけである。公式にはこれが最初である。2年余りお世話になったようである。
過去メールを見て標題を思い浮かべた。その通りであろうと思う。
内部に入ってしまうと「甘え」が出るのかもしれない。

ボランテイアが一番良いと感じた。
ボランテイアとしての内容は何一つ変わらないのだが、意識だけが変わったのかもしれない。今でもボランテイアは継続している。

ケアマネジメントと家族・親族  2007・10・28
家族・親族の関わりに助けられた、凄まじい一週間であった。

親族の持つ力が心を動かし命を拾った方もあれば、再構築出来そうもない関係も目にした。また、離れ離れになった妻には空虚な時間が過ぎていく。その方向性を決めるのは「人の心」であることを身を持って感じた。
人の生き様に人の心は動く。ケアマネジメントにおいて利用出来る家族・親族の力は大きい。良いにつけ悪いにつけ、力が働くことは事実である。人生そのものがケアマネジメントには現れる。

家族・親族関係の中に色々な「心」を見せていただいた1週間だったが、その中に大きな「嘘」を感じた。関係を大枠で見ているが、その大枠からも大きく外れる内容の発言があった。「心を見透かされる」とはこのことであり、自分のことしか考えない方に多いようである。
家族・親族関係がギクシャクしている原因は、ほんの些細なことであろう。しかし長い歴史の中で修復し難い関係が作り上げられてしまうのだろう。

関係が悪ければ「出たとこ勝負」で対応していくこととするが、良い関係は今後もバネにさせていただきたい。
必ずしも関係は悪くはないのだが、一人一人の受け止めが複雑に絡み合ったケースもある。夫婦での生活が限界に来ていたが、離れれば離れたで心に隙間も出来る。この隙間を埋める仕事が残っている。来週から早速取り掛かることにした。

足元が少し危なくなってきていて、玄関横にあるトイレへ行くことに不安を感じておらたので、段差解消と手すりの設置を提案しておいた。
改修の彼も忙しい身なので、お逢いできたのは昨日の夜になってしまった。
空気が抜けたような気持ちの本人と子に構想をお話したが、この発想はなかなか出てこない。居住スペースの温度差を無くして、脳血管障害を防ぐというものである。一番良いのはワンルームマンション。過って住宅改修でワンルームマンションを作ったこともある。

高齢者にとって一番住みやすい住宅環境はワンルームマンションだが、今その住み替えも視野に入れた、医療・介護の連携構想に花が咲こうとしている。現状では咲くとも咲かないとも言えないが・・・。

通院支援  2007・10・27
アパートの4階からと1階からの通院支援が同じ日の午後になった。1階から外に出るのにもスロープ介助が必要だが、女性一人では出来ない。何時もは別のタクシー会社のガッチリした男性運転手が一人で行なっているのだが、長期欠勤のようである。同じ日になったので時間を少しずらしてもらったが、帰りが判らない。

4階は何時もの階段昇降介助だが、1階ははじめてである。スロープを入れる時テストしてみたことがあるが、これ以上長いスロープは収納場所が無い。男性なら一人で出来たと記憶しているが、女性の力では二人必要である。通所の迎えは二人体制で行なっている。
実は月初めの受診で主治医意見書を依頼したが、午後から別の医師が問診して書くということだったらしい。本人は盛んに、意見書を書いてもらったことが無いと言い張る。通院で書いてもらうのは初めてなのかもしれない。

ちょうど2年前は排尿障害で入院中だった。その前は他市の病院に入院していた時だったと言われる。
最初は「行かない・・・」と言っていたが、ヘルパーと共謀して少し脅かした。「サービス利用出来なくなるよ・・・一人で如何するの???」と。
ようやく重い腰が上がったが、結果は認定期間終了までに何とか間に合うのかも知れない。意見書はその日の内にいただけるそうである。

誰が認定調査に行くのかは判らないが、凄まじい現状がそこにあるから、調査員を指定しても良いのかもしれない。予備知識を入れておかないと腰を抜かしてもらっても困る。しかしそれだけの生活をするのが目一杯なのだから、現状をそのまま見ていただくのも良いかも知れない。
つかまらないと寝返りも出来ない方が、時には失敗もするが車椅子生活を行なっている。車椅子・特殊寝台・ポータブルトイレ・ヘルパーの手助けで、一応は自立した生活が出来ている。

2ヶ月前の広報  2007・10・27
昨日サービス事業所訪問をしていたらケアマネさんから声をかけられた。
「明日、難病センター研究会に行けないので、後で資料見せて下さいね。」
「俺も行かないよ・・・」
「???????」
「・・・・・・・」
そういえば2ヶ月前、センター研究会と後縦靭帯骨化症講演会開催のパンフレットを配布していたことをすっかり忘れていた。日程は確か今日から明日にかけてだった。
先日行われたALS患者会設立総会に関してはパンフレットが出来ていなかったので、翌月の配布になっている。

もう12〜3年からの知り合いであるから、もう子供さんは成人しておられると思うが、女性は年をとらないのかもしれない。今一番生き生きと仕事をしておられるのかもしれない。
春頃にALS相談会の高岡開催を打診された時に意思確認をしている。
「高岡ではね・・・」という結論だったが、何時までもそのようなことを言っていても仕方がないだろう。出来る雰囲気を作っていく必要性を感じる。

先日紹介した2年前のメールの前後にMSWの患者会支援に関しても意見交換をしている。それが今実現しつつあるのだが、組織としての取り組みには時間がかかる。今ようやくその第一歩が踏み出されつつある。
先日MSWの立場から、コミュニティーソーシャルワークの話があった。
この話の延長線上にあるのが、同じ悩み・問題をかかえる方々のネットワークである。

広報したことさえも忘れ去っていたが、全く無駄な広報でもなかったようである。ネットワークの整理は大きな課題ではあるが、その種でも残すことが出来れば良いかと思う。スタッフは揃っている。

ブログ・13ヶ月の記録  2007・10・26
ケアマネドットコムでブログを書き始めてから、早いもので13ヶ月を過ぎようとしています。
その全記録をワードに編集していますが、ご希望の方にメール添付でお送りしたいと思います。800ページを越えていますので、プリントして読もうとは考えないで下さい。
メールをお待ちしています。

それにしても随分書いたものだ・・・と、本人が驚いています。
この1年間、本当に色々なことがありました。
これが人生なのですね。

役に立たない緊急通報装置  2007・10・26
昨日の朝、民生委員から電話がかかった。緊急通報装置の安全センターから昨晩電話がかかっていたが〇〇さんはどうなったのか・・・という問い合わせである。はじめて聞く話なので?????とにかく本人の所在を確認するため、アパートに向った。
事情を聞くと、ベッドから落ちそうになったので緊急通報ボタンを押すと問い合わせがあり、しばらくして誰かが来たので助けてもらった。安否確認だけだから介助は出来ないという言い方だったと言われる。

そこへ安全センターから電話がかかり、担当ケアマネが来ているから変わる・・・と。開口一番非常に失礼な言葉が返ってきた。生意気そうな女性の声である。「連絡網をきちんとしておいて下さい・・・」「バカモン・・・」(とは言わなかったが)今民生委員から連絡を受けて来たところです。市担当者もシステムの内容を知らないようだから説明しておいて下さいと丁重にお伝えしている。

夕方市担当者から電話がかかり、第1通報者の担当ケアマネに電話をしたが、営業時間終了のコールがあったので第2通報者の民生委員に電話したと言っているということである。これこそが「バカモン・・・」である。
電話は24時間携帯電話に転送してあり、着信記録が残っている。電話は受けていないから「大嘘吐き」であること伝えておいた。
良いことか悪いことか・・・最近嘘をつく女性に恵まれている。

今朝市担当者を訪ね、着信記録を確認する。記録はない。
今日は低く響き渡る声で話をさせていただいたが、「安全センターは大嘘吐き」であることをお伝えした。ついでに、一人くらしが増えればSOSが出るから、有料でも良いから助けることの出来る資源を準備するべきだということをお伝えした。もう一つついでに、在宅は限界に来ているが、先日の入所判定委員会で若いことを理由に入所待ちになっていないことなども伝えておいた。

行政にない資源を自分自身で作っている現状がここにもあるが、電話連絡だけの通報装置では全く役に立たない。子機で直接電話をいただけば、行くことが出来なければヘルパー事業所へ連絡をする手もある。
市担当者から勧められたシステムだが、かえって逆効果だった。
本人にそう言うと、「100円位だから・・・」という声が返ってきた。負担は100円だが、税金の無駄遣いである。

その後、安全センターの男性からお詫びの電話がかかったが、携帯に転送してあるからと早々に電話を切った。
「嘘をついてもらっては困る・・・」とだけは伝えておいた。

家政婦とヘルパー  2007・10・26
長時間派遣の可能性が出てきそうなケースでは、家政婦紹介所兼ヘルパー事業所にサービス依頼をすることが多い。
事業所間でも連絡を取っておられ、利用者に合った人材を派遣していただいている。年齢こそ高目だが、対象者が高齢者であるからそんなに気にならない。ヘルパー資格は勿論のこと、元看護師さんも混ざっている。

今回紹介いただいた家政婦さんもご多分に漏れずベテランである。
世の巡り合わせとは不思議なもので、家族が勤める会社の会長を看取った家政婦である。本人と話すその姿にはやさしさがにじみ出ていた。静かな初対面であった。
色々なスタッフが入り乱れ介護・看護の背景を作り上げていく訳だが、そのテーマが「静かな療養環境」である。

一つ屋根の下に住みながらギクシャクとした家族・親族関係がエスカレートして来ているが、この同居のキッカケの時点で関わっていても果たして関係修復が出来たかは判らない。長〜〜〜い家族・親族の歴史の中で作り上げた背景がある。
その関係の中にいる本人に雑音を入れるわけにはいかない。
主介護者の話は延々と続く。

この夫婦、最初から同居していた訳ではない。同居するようになったキッカケまでは知らないが、同居するようになってから亡父が酒に走ったと言われる。年老いてからの酒は時として死期を早めることもある。(余談だが、私は若い頃からかなりの酒を飲んできたが、そろそろ調整時期に入っているようにも思う。)
当時から精神的な虐待があったと言われる。これは妻(姑)の口から出たものであろう。

月一回の往診と週3回の訪問看護、それ以外の日にはデイとショートで暮らしておられる。全部介護者はその間ビジネスホテルなどで過ごされるが、インスリン注射が出来ない日には施設へ出かけられる。
訪問看護の午後、家にいることに不安を感じられ、「誰か来てくれる人はいないか・・・」という相談につながった。
遠距離介護で味方をしてくれる人が誰もいない現状で一人戦っておられるが、一人では心細くなってきている。家政婦はその心の支えの意味も持っている。

私費ヘルパーとして派遣している事業所もあるが、今回は「人」に配慮して欲しかった。本人には気に入っていただけたし、一目見て「大丈夫」と思った。相性というのは人の雰囲気で伝わってくるものである。
実情に合わせて家政婦とヘルパーを使い分けているが、過去に一件苦い思いをしたことがある。もう過去のこと・・・オーナーも語らなくなった。

嫁・小姑(姑)の闘いに長男駆けつける。  2007・10・25
主介護者(本人によれば全部介護者)の介護支援に家政婦が必要になった。介護保険では出来ない内容も含むので、家政婦として依頼した。
その初日に主任ヘルパーと一緒にヘルパー2級を持つ家政婦が同行した。
一足先に入った私と嫁は初対面であったので、こちらから「ケアマネジャーです」と自己紹介した。
家政婦が到着して車庫へ案内したところへ小姑である全部介護者から「家政婦さん紹介しておきましょうか???」と相談があった。「そうですね、家に入ることになりますから紹介しておいた方が良いですね・・・」と。
これがいけなかった。

嫁は家政婦という言葉を違う意味に取ったらしい。「不足する分は私がやりますから・・・」と家政婦拒否である。家政婦の話こそしなかったが、私の役割は「静かな療養環境を作ること」である。この話は昨晩も長男にしてある。夫婦のコミュニケーションが取れていなかったのか、嫁は内容を知らなかった。
同時進行で福祉用具のメンテナンスも行われている。担当交代ということで、私の専属(?)福祉用具相談員と前任者も同行している。その目の前で闘いが始まった。

嫁に退席いただいてしばらくすると長男から電話があった。電話を外で受けようと部屋から出るとそこには嫁がいた。外へ出て長男から経緯を聞いていないか尋ねるが、何も聞いておられないようだった。長男は家に向っておられる。
「静かな療養環境を作る」ことがテーマのケアプランだが、家族親族の問題は第三者を入れての法的な解決の方向へ向っている。これとケアマネジメントは区別を付けていただくように嫁に伝えたところへ車が見えた。

長男との話は14日の話の確認になってしまったが、ケアプランの内容を求めていたと言われる。ケアマネジャーが発行出来るプランの内容とは利用表位である。主介護者(全部介護者)は内容を知らせることを望んでおられない。ということは家族・親族の問題であるから、法的に解決いただきたいものである。
とにかく、分割サービス担当者会議の場で、家庭内の現状を暴露された結果になった。

闘うことの出来ない本人の代理人は小姑である。私はその関係で契約を結んだ。長男にも了解いただいている。そうであればケアプランには主介護者(全部介護者)の意向を入れることは当然のことである。
そこへ長男夫婦がクレームを付けた・・・・。
女の闘いでもあり、本来ならば長男が解決しなければいけない問題と面と向っている。

私は女の闘いには参画しないつもりである。これ以上如何にもならないほど関係は悪化しているから法的手段に委ねられるのも良いだろう。
私に課せられた仕事は「良い療養環境の確保」である。そのためには家族関係にも口を出すこともあるだろう。それが昨晩の長男との話し合いであった。
ケアマネジャーは本人を取巻くあらゆる関係からも中立の姿勢をとる必要がある。威圧感のある長男夫婦の姿勢は中立の立場から見ても異常に写った。
中立とはどちらもの話を何時までも聞くことではない。中立的な立場から、世の常識から外れるものは排除して行く必要がある。
本人に確認しながら、誰の言うことを聞けば良いのか判断していかなければいけない。その判断を記録に残しておく必要がある。

支援経過を介護の参考にと思い各事業所に配布しているが、支援経過にもベールを掛ける必要があるのかもしれない。しかし、ケアマネジャーの支援の経過だから、担当者全員に知っておいていただきたい気持ちもある。

ケアマネジャーの立場  2007・10・25
ケアマネジャーは本人の「介護」をテーマに、本人を取巻く資源に対して中立の立場を執る必要がある。この関係を確りと押さえておいていただきたい。

先日、「静かな療養環境作り」をテーマにしたケアプランを書いたが、「家族・親族(当事者)会議」では、数々の問題に関して話し合いをしている。その中から一番大事なことをテーマにした。
このテーマに関する問題が早速おきた。
法的に解決しなければいけない問題が引き金となってテーマが脅かされたのであるが、問題を起こした本人に注意する内容はテーマの内容である。
引き金となった問題に関しては、どのような現状であるのか説明するだけで足りる。間違ってもその内容に触れてはいけない。

言い換えれば、保健・医療・福祉(介護)の連携以外にも利用出来る社会資源が出てくる場合がある。それらは単独で存在するものであり、その内容にケアマネジャーは口を挟んではいけない。この関係を押さえておかれれば、かなりの・相当困難な事例を担当されたとしても大丈夫であろう。
即ち、自分のエリアで連携を図り、その他の資源はその存在を紹介されるに留めておかれることをお勧めする。餅は餅屋・・・ということである。

以前「ボランチ型在宅介護支援センター」の申請に関して、NPO法人化して成年後見を薦められたことがあると紹介したことがある。お断りした理由は、成年後見制度もケアマネジメントの結果生ずる社会資源の一つだということである。すなわちサービスである。サービスを一切持たない趣意で居宅を開業している。

ケアマネジメントの「独立性・中立性の確保」が厚生労働省からの文書になって問われたのは、法改正の1年前である。もう2年半も前のことである。
果たして独立性・中立性の理念は浸透しているのであろうか・・・。
この関係を抑えておかないと、他の専門職のエリアにまで口を挟み、大火傷をすることもあるから、お気をつけていただきたい。

市のルールで居宅変更は10月1日付にしてあるが、変更届を出したのは16日である。私としては来月からの方が格好良かったのだが、相談者の希望ですぐに変更した。予想通り一週間目に問題が起きている。
昨晩、早速家長とお会いして「静かな療養環境」を作っていただくお願いをしてきた。そしてその原因となっている問題は第三者を間に入れて相談が進んでいるが、来月中旬まで待ってあげていただきたいことも付け加えておいた。

たったこれだけのことを求めて行なわれた居宅変更である。

2年前のメール  2007・10・24
過去メールを整理していて大変なメールを開いてしまった。
そのメールには、某氏と大きなところで手を結んでいただきたいと書かれていた。かなり大きなところでの対立だったので、読み飛ばしていたのであろう。
理論を持つ方はかなり頑固でもある。

前段で行政の立場やケアマネジメント・ソーシャルワークに関しても触れられている。法人経営者の問題や意識が欠如したケアマネに関しても書かれている。個人メールだからかもしれないが、私が日頃書いていることよりもスケールが大きい。
それらを知った上で求められた協同である。大変なことを求められていた。

この頃に『会議室』をオープンしてマスコミとのつながりも増えて来ている。日頃遊んでいる『会議室』だが無駄なスペースではない。大きな看板が介護保険の現状を見渡している。そして数々の情報発信をしている。
大分期も熟しているので、一度連絡を取ってみるのも良いかも知れない。
忘れてはいたが、仲裁メールが届いていた。

具体的な内容まで書くと誰か判ってしまうから止めておくが、県内で「独立性・中立性の確保」が進まない原因の一端がここにもあるのかもしれない。
立場の違いを乗り越えて、大きく大同団結を進めたいものである。

プランが決まらない。  2007・10・24
「食べたいとは思わない」から一週間「身体が悪いからまだ行けない」と・・・。
額には垢がうろこ状に噴き出て、メガネにも付いている。
先週のデイサービスは食事が充分に入っていないので見合わせたが、今週は何が何でも利用していただくことにした。

もう一人確認の訪問をしている方があった。デイサービスセンターの所長さんである。ほんの一足違いだったようである。打ち合わせに訪問しようかと思っていたところへ電話がかかった。ご心配いただいている。
訪問の上手順を相談したが、一応送迎のルートに乗せることにした。時間を合わせて私も行くが、それでダメなら兄夫婦に登場していただくことにした。何が何でも入浴していただく予定である。

退院時の相談では「昼・夕の弁当があれば良い。掃除・洗濯は自分でする。」ということであった。近くに銭湯が無いから入浴の手段が必要である。デイサービスを二ヶ所見学の上、自分で決めていただいた。
夕食の弁当は準備できないことにして、見守りの意味も含めてヘルパーを組み込んだ。本人の言う通りにしていたら、今頃は病院へ逆戻りだったであろう。

「食べたいとは思わない」と言っていてもそのうちに食べる・・・という見方もあるだろう。「身体が悪いからまだ行けない」と言って入浴しなくても死にはしないだろう・・・という見方もあるだろう。しかし何とかして生きる気力を持っていただきたい。

迎えの時間に合わせ再度促がしてみるが、それでダメなら兄夫婦に立ち会ってもらうことにした。一際甲高い兄嫁の声が響きそうである。
その時には責任を持ってデイサービスセンターまで送ることにする。

はじめてのメール  2007・10・23
非常にお忙しい方からメールをいただいた。良〜〜〜く考えてみたらはじめてのメールだった。
メールには非常に嬉しいことが書かれていた。自慢とする特徴をズバリ書いていただけた。心の綺麗な方なのだな・・・と思った。

1年半ぐらい前のことである。
大学病院の大講堂で最後列に座っていた私を演壇から確認していただけた方があった。後日圏域研修の時お会いしたが、「来ていましたね・・・」という声が返ってきた。こちらも非常に素直な方である。演壇から確認出来たそうである。

かって困難事例でご一緒したが、兄弟の家で対策を協議している。結果県内には保護出来る施設がなくて、隣県の施設にお願いしたという苦い経験があるが、この時に「ソーシャルワーカーは、利用出来る社会資源を作って行く必要がある・・・」と感じている。後日出来たには出来たのだが、制度改正で無くなってしまった。長期療養型病床が、管を付けた方を優先してしまったからである。精神障害こそ行く場が無い現状を厚生労働省は知るべきである。

目立つことは良いことである。
良い(?)特徴は遺伝するが、孫が目立つようになるともっと目立つ特徴がある。誕生後非常に大人しい生活を送っていたので頭の形もそれを現している。
この話をすると娘は嫌〜〜〜な顔をするが、ものは捕らえようである。

素直に表現していただける方は根に持たない方だと思うので、心も澄んでいるのだろうと勝手に思っている。
心地よい初メールであった。

退院が続く  2007・10・23
先週の急激な気候の変化で入院者が相次いだ。今週は退院ラッシュである。
日曜日には滅多にお逢いできない方の退院だったので、時間を合わせてショートステイでお逢いした。今日の退院は昇降介助が必要である。
昨日電話がかかり、移送サービスの彼と時間を打ち合わせた。何しろこのメンバーでしか出来ない移送であるから、時間を合わせる必要がある。
幸いスタンプラリー中であるから時間は如何にでもなる。

もう一件あるが、こちらは骨折だからもうしばらくかかるものと思われる。
ベッドとトイレの間を数限りなく往復される日課の方だが、歩くことが出来なくなったら大変である。
家族の観察ではほぼ5分おき、訪問時に2〜3回お目にかかることもある。
単純計算だが、一日100〜200回の排泄である。?????

ソーシャルワーカーは利用出来る社会資源を作っていかなければいけないということを書いた記憶があるが、力不足で自ら社会資源になっているケースもある。
昇降介助もそうだが、緊急通報装置の役割を果たしていたこともある。実際まだ緊急通報装置は実働していないようだが、話を聞いた限りでは目的には沿っていないようである。緊急連絡があるのかもしれない。

最近困難事例が重なって対応に追われていたが、少し落ち着いてきたようである。月末混雑しそうだと1週間早目に行動に移したが、何とか乗り切れそうな感じになってきた。
一件相談電話がかかっていたが、緊急性が無くなったようである。近々担当者会議でお逢いするからその時にでも良いと言われる。31日には時間を取ってあるから、それまでに答えを出してあげれば良い。
何とか月を越せる見通しが付いた。

「]デイ」の朝  2007・10・22
入院日になったが本人への入院告知で揺れ動いた。
理解の程はともかく、事前にお話しておく予定だったが、子からストップがかかった。告知後、同居の妻への影響が懸念される・・・ということであった。

妻には子から話があったが、こちらも混乱しておられた。何度か電話をいただき話をしたが、すぐに忘れられる。認知度から言えば良く似たご夫婦なのだが、穏やかに進んでおられる。二人一緒の生活には限界が見えていた。
今日の入院は、終の棲家に向ってコースに乗っているのであるが、妻には入院治療だと伝えてある。「嘘」は嫌いだが、「嘘も方便」という言葉があるから許していただくことにした。
条件は付いたが、告知に関しては全権委任されている。ご希望の条件下で職責を全うしたいと考えている。

最後の仕事として病院まで送り届けるが、そこまでが私の仕事である。
約3ヶ月前にクリニックの玄関までお送りして難ネット理事会に向ったが、これが一つの方向性の分かれ目だったのかもしれない。良かったとも悪かったとも判断できないが、人生とはそのような流れに乗っていくものと思う。流れに逆らう必要は無い。ご夫婦の生活だけを見れば良い方向なのかもしれない。

今日は助手席に乗っていただくことにした。
断片的に受診→入院の話に加え、老健→特養の話もしておく必要がある。架空の話ではない。特養の入所判定委員会に向けた面接も終わっている。
病院まで小1時間、本人の反応を見ながら話をする予定である。
その前に車に乗っていただけるかという問題がある。今までは乗車拒否は無かった。
遠方から子も来ているので雰囲気の違いは察知されるものと思う。

本人への話は結論から逆に辿ることにしようと思っている。特養の面接はショート利用中であり、立ち会っている。しかし施設は嫌いだから???である。
反応を見ながらの話であるから変更もあるが、脳腫瘍の話をしても良いのかもしれない。でもMRIでかなり暴れておられたからこれもまずいだろう。
今までも、私にだけは暴力が無かったが、今日はわからない。雰囲気で反応されることも考えられるから、道中はまずいのかもしれない。

雑談の中に必要事項を織り交ぜるという方法もあるにはあるが、騙すようで気が引ける。今日の任務は無事送り届けることであるから、最終告知は病院に着いてからでも良いのかもしれない。
そうこう思いを巡らせながら「]デイ」の朝を迎えている。
果たして上手く行くだろうか・・・。

]デイは無事・・・・・穏やかな入院。  2007・10・22
7時半頃に迎えに行ったが、ヘルパーは排泄介助(トイレ誘導と紙パンツの交換)に追われていた。
週刊誌を読みながらヘルパーの作業を待ったが、朝食がまだのようである。そこで軽食を提案した。幸いアンパンがあったので、それで良いか聞いてみた。食べると言われるので定位置に座っていただくが、なかなか座れない。そこで少し介助をした。この時点で、親交の握手をしている。

アンパンを食べるのに10分位かかったであろうか・・・100円ショップで買ったと言われる急須では上手くお茶が入らない。お茶ッ葉ごと出てくる。
何とかお茶は出てくるが茶漉しが必要である・・・・といった状況下で出発時間が過ぎている。
そろそろ行きましょうか・・・と口を切った。ご本人には再度握手を求めている。この時点で、今日の入院は成功したと確信を得た。

自分の意思で車に乗っていただき一路病院へと向ったが、雑談の途中で入院に関して切り出した。
「先日の受診で都合の悪いところが出てきたので、今日の受診で入院になるかもしれないよ・・・悪いところは直してもらおうね・・・」この言葉が入院の告知であった。
病院で入院に向けた診察(権利擁護に関する書類作成)が行なわれたが、主治医からの入院の意思表示には頷いておられた。・・・どうしたのだろう・・・とかえって心配する状況であった。

何故かは知らないが、日常的に介護介護抵抗がある方とは思えない穏やかな入院だった。
昼食を美味しそうに食べておられる姿を確認して病院を後にしたが、入院しなければいけない状況を全て知っておられたのかもしれない・・・と言っても良いほどの穏やかな入院だった。

治療が終わったら、老健→特養の施設入所の道を辿られる方だが、最後に家を後にする姿には心に響くものがあった。「二度とこの敷居をまたぐことは無いんだ・・・」と。
そういう背景で果たして告知の方法がそれで良かったのか・・・・・。
私のケアマネジメントはその程度である。

今大きな仕事を終えて振り返っているのだが、時には家族・親族主体のケアマネジメントがあっても良いのかな???と自己満足している。しかし、もう少し進んだ状況では、老夫婦には別々のケアマネが担当する必要性も感じた。今回の方向性について、何方かのご意見をいただきたい。
果たして「介護者休養」のケアプランを書いても良いのかとも・・・自分自身に問いかけている。

大変な一日だったんだ・・・。  2007・10・21
『高岡へ来られた日の午前、「死んでも良いから家に帰りたい」というテーマのケアプランの方の葬儀でした。』

そういえば、大変な一日でした。
前日からP友1泊旅行で、大雨に見舞われ、バスを送り出してから着替えに戻り葬儀に参列。昼食も摂らずに一路富山で行われている、独立・中立型介護支援専門員全国大会に出席しました。
全国大会への出席は、出席しているだけで意義があったようです。

そこで合流して一路高岡へ。先ず古城公園を案内してから瑞龍寺に着いた頃にはもう薄暗くなっていて、門も閉ざされていました。改装中の『会議室』も見ていただいたかと思いますが、これは記憶にありません。
夕食は近くの回転すしへご案内しましたが、氷見浜直送のネタでしたから楽しんでいただけたようでした。
JR高岡駅へは、当時大工さんネットワークの彼がまだ高岡にいましたので、事務所の前へ車を置いて裏駅側からご案内したと思います。

記憶に残る一日ってあるものですね。

Re: 大変な一日だったんだ・・・。  2007・10・21
friezyar さん、「回想録」目に止まっていますか・・・。

Re: 思い出は疲れを癒してくれますね!  2007・10・22
やっと、困難ケースから手が離れたと思うと、どっと疲れがでますね。
そんな時・・・
閑静な高岡の景色を思い出し、ほっとさせてもらっています。


ありがとうございます。
駆け足のご案内でしたが、高岡でご案内するところはその程度です。大仏も行ったかもしれませんね。

夕べも今朝も脅迫めいた電話が番号かえてかかりっきり・・・

私は電話を全て携帯転送で受けていますので、非通知通話を3時間位の間に三十数件受けたことがありました。BCCメールを発信した翌日でした。
耳が痛い方にも発信していますのでそれくらいは覚悟していますが、陰険なのは好きではありません。前を向いて議論したいものだと思います。

今日、市役所へ関係書類をすべて提出してきて、頭が痛くて倒れそうなんですが、じっとしていても辛いので自転車で他市まで走ります。
忘れなきゃ!
他の利用者さんが待っているから元気を出さなくちゃ!


そうですね。私たちは利用者・対象者の利益のために働く天命を授かっていると思っています。
後ろ向きな方とは「サヨナラ!!!」しました。あとは取巻きに解決していただけるでしょう。
お体に気をつけて頑張ってください。

(追伸)
女の闘いに首を突っ込んでしまいました。

Re: 市の出した答えは・・・  2007・10・20
friezyar さん、
これは良い答えかもしれませんよ。
本来なら委託機関の包括が担当するケースだと思いますが、地域包括も居宅は持ちませんね。市も居宅を持ちませんから、自己作成という形で市がマネジメントを行うということだと思います。(あるいは包括が担当するのかもしれません)

こちらでは、予防プランに関して認定が出る前からサービス提供を行ないますが、支援の認定が出た場合、初月は自己作成扱いで市が給付管理を行います。関係書類を揃えて包括に届けておけばOKです。
私は申請即プランをスタートさせますので、居宅の書くプランですから先ず介護プランを書きます。担当の包括には申請書コピーを届け「支援が出たらお願いね・・・」と事前に断っています。

私は離れることができて嬉しいけれども、これでは、真面目に自己作成に取り組んでいる人達への誤解も生れる。もっと、自己作成というものを真摯に受け止めて欲しいと願います。

これに関しては居宅を持たない市ですから、他に方法がないと思います。
良い方向性が出たのではないでしょうか?

Re: 市の出した答えは・・・  2007・10・21
fp_pf さん、お久しぶりです。

『地域包括支援センターの主任ケアマネがケアプラン自己作成の支援をする』

良いですね・・・。

最低限、地域の居宅介護支援事業所でケアマネを5年経験した人に限りますけどね。

主任ケアマネですからね・・・。

人員基準の最低原則を満たしていないのに安易に包括の業務を請け負うような
判断能力に欠ける劣質なケアマネが自己作成を支援したら
ますます制度がデタラメになりますから要注意ですけどね。

もっとも、そのケアマネ本人よりも
そんなケアマネをそのポジションに配置している法人の人事の良識に問題があるのですけどね。

こんなのが天下りにいるのですよね。
言いたいことを全て言っていただき、ありがとうございました。
この方々との対決が始まるような雰囲気を感じています。
ここで明言しましたので、裏の力が働くのかな???
雰囲気だけですけどね・・・。

Re: 市の出した答えは・・・  2007・10・21
friezyar さん、fp_pf さん、白昼の論議が始まっていましたね。

介護保険利用非適用者だよという地域包括の判断が自己作成に至ったものです。地域包括が本人宅を訪問して相談してというものでもなく、サービス事業所にすべてを託して給付管理さえ出来ればいいと言う利己的な考えがあります。

保険者了解で勝手にサービスを利用しても、介護保険から出る金額は決まっていますので、サービス事業所がとばっちりを食いそうな内容ですね。争点が何処かへ行ってしまったようです。

法人と地域が可愛ければ(?)
『裏の力』を上手く使って穏便に『虚宅ケア真似』(介護研さん風に言えば『勘違いケアマネ』を退かしなさいな。…です。


これだけ公言しても糠に釘ですから、勘違いの角度が違うのかもしれませんね。

次の支援機関に委ねられることは
ケアマネとして可能な支援を充分なされた結果と感じますよ…?


そのとおりですね。
逃げの論法は好きではありませんので、正面から指摘してお解かりいただけなければ「ハイ・サヨナラよ・・・」ですが、時々使うことがあります。

お二人へのプレゼントですが、もしよろしかったら内緒話にしませんか?

http://www.furby.co.jp/aboy.html

リハビリジムに若い女性が・・・。  2007・10・20
先日ジムの近くへ行ったので寄ってみると、若い女性の新顔があった。すぐに電話で呼び出されたので誰かはわからなかった。後日のことではあるが、間接的に退院援助を行った方であった。
入院中の病院のMSWを紹介しているが、特定疾病でもなく他法の支援も皆無であったために援助にはならなかったのであるが、ジムで顔を見たということで、何らかの心の支えにはなったのかもしれない。

以前同じルートで相談があったケースがあるが、人伝に息子と相談するように伝えてある。よくぞここまで・・・と思えるほど「嘘」にまみれていた。
話を突合せると身近な解決方法があるのだが、そこまで私が掴んでいるとは思われなかったのか、再相談があったそうである。
「介護は家族を中心に、地域で支え、制度はそれを補う」好きな言葉である。

相談員は、相談者の嘘を見抜く力も兼ね備えていなければいけない。
可愛い嘘も時にはあるが、過って天狗になって近くの山を飛び回る話があった。天狗の葉っぱで扇ぐと一っ飛びである。幻想・幻覚が明らかな場合は別として、巧妙に仕組まれた嘘もあることを知らなければいけない。
嫁姑の問題がこれにあたることが多いが、代弁者がある場合には気をつけなければいけない。

嘘を見抜くコツは、話の大枠を捉えて可笑しいと思うことを聞いてみることである。そうすると嘘を隠すために新たな嘘が出てくる。この繰り返しを何回かやってみると必ず矛盾が出てくる。
本当に嘘を吐き通そうとする方は嘘の上塗りはしない。
最近嘘博士のようになってしまったが、この技法は意識しないで使ってきている。過去に一件担当を断わられたケースがあるが、この時は嘘を突きつけた。

若い女性に話を戻すが、身辺整理をしてボランテイア活動の方向へ進まれることを(案)としてある。自分で出来る間は人生に挑戦していただきたい。
その方向へ進まれるのであれば、ボランテイア先を紹介しても良いと思っている。
歩んでこられた人生にぴったりのボランテイア先がある。

懐かしのユニホームは・・・何処へ・・・  2007・10・19
随分寒くなった。
孫が帰ってきたのでダイニングリビングにエアコン暖房を入れた。隣の事務所は寒い。
先日からチョッキを着て寒さを凌いでいるが、愛用の「緑」のジャンバーがあるはずだと妻は言う。このジャンバーこそ、12年前、いや、16年前のユニホームである。(多分色あせたと処分したはずである)

平成元年に特養ホームへ勤めているが、スタートはデイサービス運転手であった。かなりベテランの安心できる運転手であった。そのような私に専門職への道を求められた。「社会福祉主事任用資格通信講座受講」である。
入職から3年半後に、特養生活指導員の職に就いている。

この経過に中で緑のユニホームを手にしている。小学校6年間、メンバーも変わらず担任も変わらなかった珍しい同級生の後援会幹部のユニホームである。
結果、平成7年いっぱいで所属した社会福祉法人を解雇になっている。この解雇に対して仮処分であったが法廷に立って主張をしている。その記録がHP『高岡発・介護問題研究会議』のベースになっている。
私は今も当時の実践を基に、地域ネットワークの重要性をインターネット発信している。

そういう意味では充分に市民権を得ているが、行政自信がコミュニティーに働きかける方法を知らな過ぎる。委託機関の活用も知らないし、委託機関自信も方向性が判らないでいる。
もうカレンダーも一回りしたようだが、実践はこれからだと思っている。

先日某ソーシャルワーカーからコミュニティーソーシャルワークという言葉を聞いた。これから進む道なのであるが、当時もその発想はあった。
実現出来なかった道を今求めている。私自身に求めている。
焦点はただ一つ、委託機関(現地域包括支援センター社会福祉士・過って在宅介護支援センターソーシャルワーカー)への大きな期待である。

「今は昔・・・」後どれだけ関われるかは判らないが、出来るだけ考えを関係者に伝えたいと思う。
私自身行動出来ることになれば目標も近づくのであろうが、現状では行政ラインでの行動・結びつきが中心になっている感は否めない。

「介護保険も福祉の一部である」より福祉に近づけるように、そろそろ行動をはじめる時期も迫っているのかもしれない。

ケアマネジメントはドラマ!!!  2007・10・19
長谷川式8点の精神障害(帰宅願望・介護拒否等)を持つ方が、サービス提供の限界を告げられのは7月下旬であった。
かねがね、精神科医師に相談することは勧めていたが実現していなかった。
通告をお聞きして私なりにマネジメントを行った。利用機関の調整である。

受診日午後、難ネット理事会・飲み会が予定されていたのでクリニック玄関までお送りして、「あとは大丈夫だろう・・・」と一路目的地に向った。
翌朝帰途に着いたところに電話がかかった。参院選投票日の早朝である。その足で子宅を訪問した。
このルートは後に、国立病院機構入院につながる。

8月に入って間もなく施設長と具体策に関して意見交換をしている。施設側からの委託契約の解除に関してであった。サービス提供を出来るか出来ないかは施設側の判断であり、出来ない場合には契約を解除しなければいけない。その手順をお教えした。
数日後に改めて会談を持ったが、「非常に申し訳のないことを言った。介護困難事例は施設の宝である・・・」と丁重に謝罪があった。しかし施設探しはもう始まっていた。

9月初旬に受診、脳に腫瘍らしきものが見つかりこの正体を探ることになった。結果1年前にも発見されており、悪性のものではないでしょうという結論に至った。
この腫瘍が入院の決定を大きく左右していたが、週明けの入院が決まった。仮に悪性のものであったにしても延命治療はしない結論は出ている。

担当ケアマネジャー最後の責任として病院まで送り届けることにしてあるが、この3ヶ月はドラマであった。
そのドラマの結果を左右していたのは、初動であった。

少し遅れてもう一つのドラマが始まるが、こちらも一応の終焉を迎えている。
週明けの入院で全て終わるが、ケアマネジメント・ソーシャルワークの評価は後日になるものと思われる。
果たして、利用者・対象者にとってそれで良かったのかという答えは出るのであろうか???

結果はわからないが・・・ケアマネジメント・ソーシャルワークはドラマである。
そして新たなドラマも始まっている。

口の悪いおばあちゃん  2007・10・18
心は綺麗なのだが、汚い言葉が遠慮なく飛び出す。以前延々と続く話を聞きながら居眠りをしたこともある。不謹慎なケアマネである。
今日の話は聞き流すことの出来ない内容だったので、やんわりと注意をした。

「あんな態度の太い奴おらんわい・・・。手足が不自由なら大人しくしとるもんじゃい・・・あっちでも断られて、来とるがやけど・・・」と怒っておられる。
「でもね・・・からだが都合悪い人はいたわらんといかんよ・・・」
「あんなもんいたわらんでも良いわい・・・」
デイサービスで何かあったらしい。

確かに言われるとおりである。
障害があっていたわってもらって当然と権利主張でもすれば反発を買うのは当然のことである。ここに人間の常識があるものと思われる。
人の心が動くのはその状況から心が動いた時である。心の動きには個人差があると思うが、先ずは人間としての常識を持ち合わせていなければ心は動かないものと考える。常識のない心の動きは見せかけでしかない。

その場では、障害がある人も無い人も、常識が通じるお付き合いをしなければいけないね・・・とごまかしておいたが、この問題にはもっと奥深いものがあるように思う。
これは人の常識を分析していけば答えが出るものと思われるが、先ずは嘘をつかない・人を欺かない等などから、人として対等にお付き合いをすること等も含めて数えだせば切りが無いだろう。相手の立場で考えれば争いも起きないだろう。その対象のとらえ方がまた問題だと思う。

ごまかしついでに「嘘はいけないね・・・」と言うと「そうじゃ・・・」という言葉が帰ってきた。
若い頃は随分お転婆で通っていたようだが、まだ現役のような気もした。

Re: 口の悪いおばあちゃん  2007・10・19
friezyar さん、この投稿を別の角度から読みました。社会が良くならない原因がここにあるように思います。行政担当者に限りませんが、リーダー的な存在の方が保身に回り、取巻きがそれを保護する。そのような現状をたくさん見てきました。

地域包括などは頭から市役所の管轄の問題だから・・・と取り合ってくれない。

都合の良い言い方ですね。

私が怒りを持つのは、ケアマネとして保険者から状態に応じたケアマネジメントをしてサービスを適正に使うようにといわれ、何度も殴りかけられながらかわしつつ、本人に介護保険はこうなんだよと制してきたにもかかわらず、保険者の窓口ではいともあっさりと本人の言い分を認め過剰サービスとわかりつつ「どうぞ使ってください」という。
本人は自分の言い分はすべて通ると思っている。


・・・・・・・。
傷害事件にもなっていますから、契約を解除するのには充分だと思います。

さすがに介護保険課は本人に3日くらい考えさせてといったらしい。
私は市の対応を待つしかないが・・・


良い答えが出れば良いですね。

・・・「どうなってもいい。死んでもいいんや」という。

奥さんが一番責任を感じておられますね。
高岡へ来られた日の午前、「死んでも良いから家に帰りたい」というテーマのケアプランの方の葬儀でした。

「地域連携とクリニカルパス」  2007・10・18
県MSW協会呉東部会のご案内をいただいてた。内容は全国クリニカルパス学会発表報告だったことと、患者会相談会でここ1年ほど毎月お会いしてきた若いワーカーの発表だったことから興味があった。
先日の患者会設立総会でお会いしたので、出かけようと思っていることを伝えておいた。

クリニカルパスは、現状では地域医療の連携に留まっているようであるが、将来的には保健・医療・福祉(介護)の連携に役立つ内容に育っていって欲しいものだと思っている。
クリニカルパスを医療の共通様式として、ケアプランにも乗せることが出来るような方向も良いのではないかと感じた。

資料の中に尾道方式の医療を核としたネットワーク「「尾道医師会方式ケアカンファレンス」が厚生労働大臣から表彰された記事が紹介されていた。そこで思い出したのが、今春、某大学某教授からいただいた一通のメールだった。
大学間で地域ネットワークに関する共同研究を行なっておられるが、HP『高岡発・介護問題研究会議』が目に止まっている。そのメールの一節をご紹介する。

『・・・一年ほど前から、〇〇福祉大学と共同で医療と福祉(介護)の連携やネットワークについて、研究しております。
私どもの関心は、特定の組織を中心とした功利的な関係ではなく(いわゆる一法人のなかに医療と介護を複合的に持って囲い込むという発想ではなく)、さまざな参加者が互いに平等性を保ちながら、最適なケアを提供する医療・介護のネットワークについての理論を発見することにあります。
今のところは、内容を分析するまで行かず、実践をなさっておられる方々に教えを請うている段階です。しかしながら、なかなか思うような事例に巡り会うことができずに、苦心しております。
昨年は、医療主導のネットワークとして、広島県尾道市や、青森県などを訪問してお話を伺ってまいりました。』


昨日この内容を紹介しようかとも思ったが、現段階では時期尚早かと思い、またの機会に譲ることにした。現段階では、彼らとお酒を酌み交わした時の「肴」の段階かと思う。

来年度の医療法改正の方向が、その3年後の介護保険法改正へとつながるが、予測も含めて医療法改正を非常に興味を持って見ている。医療連携に初期加算として若干の報酬が付いているが、次回にはより具体的になるものと思う。医療連携が日常的に行なわれるようになるためにも、クリニカルパス(現状では大腿骨頚部骨折に関して実践が始まっている)が全疾患にまで拡げられるように期待もしている。

『さまざな参加者が互いに平等性を保ちながら、最適なケアを提供する医療・介護のネットワークについての理論を発見することにあります。』
理論の発見を期待している。そのために必要な情報はお伝えした。

誰も書かないケアプラン・そして終結(2)  2007・10・16
ケアプランの説明に訪問看護と時間を合わせて訪問する約束をしてあった。
今朝電話がかかり、往診を3日早めたと言われる。看護師が入る30分前である。
急遽時間を早めて訪問したが、主治医の話も聞けたし、訪問看護師とも意見交換できた。とはいえ、ケアプランの方向性をお話して、話を聞かせていただいただけである。

今日の2件と明日のデイ・ショート担当者との個別会議(面談)そして25日に予定されている用具のメンテナンス時の新旧交代も含め、5件の個別会議を1枚のサービス担当者会議記録に記載する。かなりの技術である。
たまにはこういった変則会議も良いと思っているが、先日も3事業所との個別会議(面談)を一枚の記録に書きとめた。病み付きになりそうである。こちらは緊急退院であった。

「安心して療養生活が出来る環境作り」というケアプランのテーマには主介護者にも満足していただけた。
こんなケアプラン見たことない・・・は主介護者の言葉であるが、私もそう度々書いているわけではない。テーマ以外は「サービスの継続」である。
サービスの中身は良く知らないから今後すり合わせを行なっていくことにするが、今回のケアマネ交替の原因はケアプランの中身ではなかった。だからこそテーマそのものがケアプランなのである。

時として手抜きプランはあるが、今回ケアの中身に関して手抜きしたのは、現在一番重要なことがテーマそのものだと感じたからである。細かなことは如何でも良いから、要だけは利かせよう・・・というプランである。
でもモニタリング表を作るときに怖いものを感じている。短期目標とサービス内容のモニタリングだから、ひょっとしたら何にも出てこないのかもしれない。

書いて、合意をいただいてしまったプランだからそれでも良いのかもしれないが、プランを見るなり、主介護者には感動していただけた。「こんなケアプラン見たことない・・・」エ・・・みんな、どんなケアプランを書いているのか興味を持った。申し送りにもらっておけば良かった・・・。

追伸:誰も書かないケアプラン・そして終結2007・10・16
主治医とは過去に2回接点がある。ご本人は良い印象を持っておられないのかもしれない。あるいは、注意ケアマネと写っているのであろう。

一件は総合病院入院中に専門病院受診の橋渡しをしていただき妻と一緒に受診した。診察を待つ間の昼食時に誤嚥を起こし、診察時には症状が現れていた。救急車で丁重にお送りいただいたが、問題にこそしなかったが、看護ミスでお別れをすることになってしまった。

もう一件は、糖尿病からくる脳症で何度か受診に立ち会っている。経済的理由もあったのだが、経緯もあって精神科病院へ入院されることになった。
入院から1年半経過したが、現在の状況は知らない。

そのような経緯もあり、先生には「ご無沙汰しています・・・」とご挨拶をさせていただいた。

Re: 追伸:誰も書かないケアプラン・そして終結  2007・10・17
friezyar さん、本当にお久しぶりです。

今、すごく無気力な状態というか、どんなに適正に向かって努力してきても保険者の対応にやる気をなくしている私です。

これは忘れられれば良いと思います。最近必要以外には接しないことにしています。
こちらでは望ましい方向への雰囲気を感じていますが、時間への挑戦が始まるのかもしれません。

また、悪質なヘルパー事業所は切っていこうとしても利用者さんが好んでいればケアプランを他の人に交代してもらわざるを得ない。

これは必要なことだと思います。社会福祉法人も時には利用しますが、民間中心のサービスを使っていると、目に見えないネットが張られていたようです。
サービス事業所からの紹介は困難事例が多いですが、またもや『介護問題』にぶつかりました。ご本人には安らかに過ごしていただきたいものだと思います。

もう、この事業を投げ出したいような気持ちです。
でも、そんなことはできない。


例のご夫婦の問題は解決したのでしょうか?チョッと重荷だったようですね。私なら放り投げていたかもしれません。
[No.3126]約1ヶ月時間をかけましたが、決断は2日間でした。

Re: 追伸:誰も書かないケアプラン・そして  2007・10・18
friezyar さん、おはようございます。
書きたかったものがありましたので、後先になりました。
例のご夫婦の問題は解決しましたか。やはりそういう形でしか解決しないのですね。
先日一件居宅変更・・・と言うよりはケアマネ交替だったのですが、喜んでいてはいけませんね。若い方々には困難事例を進んで担当していっていただきたいものだと思います。

ところでここに来て入院者が続出です。骨折・肺炎なのですが、一緒に(というか退院して1週間も経たないうちに)患った方もあります。
特養時代に同時に5人の骨折入院者が出たことがありました。担当の比率から言えば良く似たものなのですが、これでおさまってくれれば良いのに・・・というひそかな願いを抱いています。
今月は月末の予定が少し詰まっていたので早目にスタンプラリーを始めています。

大分寒くなってきていますので、自転車では大変でしょうが頑張ってください。
私は「会議室」へ来るときだけは自転車です。
それではお元気で・・・。

ボランチ型在宅介護支援センター  2007・10・16
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/boranntigatazaitakukaigosiennsennta-sinnseisixyo.htm

『3、「介護問題」への介入・解決
「介護問題」には長年の家庭生活の中で形成された複雑な問題を含んでいます。そのよりを戻すことが問題解決のただ一つの方法であるために非常に時間のかかるケースが多く・・・』

3年余り前に担当主幹に「検討しておいてね・・・」と提出しておいた業務委託申請書(案)の一節だが、ここまでこじれる前に相談していただきたかった。
担当していたのは委託機関併設居宅だが、相談をいただいたルートはサービスを提供している民間事業所から主介護者に対して紹介があった。

このケースはもうよりは戻らない(と思う)。そこまでこじれてしまっている。
そうなれば対象者本人が、安心して療養出来る環境を作り上げていくしかない。
本人には醜い争いごとを見せたくないということであるから、家の中では関わらないことにした。ただ担当交替の合意だけは得ておいた。
主介護者は関係修復を求めていないので手をつけないが、この問題の根底にあるものは「女の闘い」である。それを戸主が解決出来なかったというだけの話である。

嫁・姑の問題を買って出たのが嫁いだ小姑だったところがにくい。もう関係修復を望んでおられないから手は出さないが、この『介護問題』を解決出来る方法はただ一つしかない。今は無理だが、落ち着いた時点でささやいてみるのも良いのかもしれない。
法的解決を考えておられるようだから今は口にしないが、月末の帰省から帰られたら相談があるはずであるから、その時にでもタイミングが合えば呟くことにしよう。

表面化した『介護問題』の解決は案外容易である。半年余り前に両夫婦が一緒にテーブルを囲んでおられる。サービス担当者会議である。この会議が一つの機会だったのだろうが、私なら担当者会議にしなかっただろう。先ず家族・親族会議で安心できる療養環境を作ったと思う。

色々な背景を予測しながら、サービス担当者から個別に状況を教えていただく方法をとることにした。果たして本題の調整が出来るかは疑問であるが、問題の原点の対決を実現させたいものである。
こじれるだけこじれているからもう修復は出来ないとは思うが、同居夫婦の関係修復にもつながるのだが・・・そういえば、犬も食わないと聞いたこともある。
『男はつらいよ・・・』といったところであろうか???

誰も書かないケアプラン・そして終結  2007・10・15
親族・家族会議の結果少し違う角度からのプランを書く必要があると一日構想をめぐらせていた。少し疲れたので、美味しいお酒を飲んで早目に寝た。久しぶりに2時に目が覚めたのでプランを書きはじめた。

「死んでも良いから家に帰りたい」というプランを書いたことがあるが、その方も2年余り前に亡くなられた。家に帰って約8ヶ月の命であったが、葬儀の背景は今でもしっかりと脳裏に焼きついている。はじめて参加した友の会温泉旅行の2日目は大雨であった。その足で着替えて葬儀に参列している。若かりし頃の美女の遺影がそこにあった。

今回のテーマは「安心して療養生活が出来る環境作り」である。この裏には火花が散っている。
ALS協会設立総会会場で浮かんだ文章を羅列している。頭が二重構造で動いていたようである。記念講演が終わるとほぼ同時に通路の階段に人が座る気配を感じた。そこで浮かんだのがこのテーマである。
帰り道ご一緒したが、お会いしていなければこのテーマも浮かばなかったかもしれない。サービスは全て現状の継続である。

ケアマネジメントとは・・・と自分自身に問いかけているが、決してケアプラン文章を書くことがケアマネジメントではない。筋書きとしては良い方向へ進んでいるようである。本人・介護者に「安心」を届けることが出来るのかもしれない。
とにかくこのテーマで進むことにした。

このような状態で参加していたので、失礼があったのかもしれないとCCメールを送っておいた。BCCメール以降「嘘」も無くなったようだし、ブログ投稿の確認メールでポイントをお伝えしている。
何時か真実をお話いただける時も来るであろうから、真実をお蔵入りさせることにした。

ALS協会富山県支部設立総会  2007・10・14
今日は非常に失礼なことをしたのかもしれない。気付かなかった・・・。

受付を済ませると圏域の保健師からご挨拶があった。横を見ると会長が車椅子で・・・介護者まで確認していなかった。
会長には「おめでとうございます」とご挨拶をしたが、介護者から声がかかった。言葉までは覚えていないが・・・「ご苦労様です」だったのかもしれない。
私の返答もはっきりした記憶はないが「お元気???」だったのかもしれない。

会の最後に交流会があったのでどうしようかと考えていた。
午前中の相談といい、食事をしない方もかかえているので思案しているところへ声がかかった。「どうするの・・・」と聞いてみるとこれで帰ると言われる。図々しく車だったら便乗させていただこうと聞いてみると、JRで来たと言われる。これは好都合であった。

久しぶりにゆっくりと情報交換をさせていただいた。直近のイベントには参加出来ないが、月末は大丈夫である。
介護者のかかえる共通の問題を解決するネットワークを作って行く必要があるという点では合意いただけた。
大きく分けて3つのネットワークの姿がある。
子供からお年寄りまでの交流と疾患別・症状別の交流。そして介護者のかかえる問題別の交流・ネットワークである。近々患者家族会に誘われているので会の存在をお伝えする確認を取った。

一つのネットワークの姿が『高岡発』で誕生するのかもしれない。

Re: 苦手な『介護問題』とは・・・(4)  2007・10・14
無事、家族親族会議は終わった。

相談経緯・ケアマネジャーの役割・契約の手順などをお話した後、相談者同席の上本人と契約を交わすことになるが、契約者の代筆で契約が成り立つことの確認をいただいた。
通常「主介護者」という言い方をしているが、相談者から「全部介護者」だとクレームが付いた。またつばぜり合いのようなやり取りもあったが、私にとっては好都合であった。

「本人の生活環境を整えていくことを目的にケアプランを書きますので、お話しなければいけない状況になった場合には、直接お話させていただくことになるかもしれません」と付け加えておいた。
法的な対応が必要な問題には私は入れないが、生活環境を整える意味からの介入があるかもしれないことを明言しておいた。

家族が帰られたあと具体的なケアプランの内容の打ち合わせになったが、サービス担当者会議は家に入れない背景があるので、個別会議を行なうことにした。
現担当ケアマネには、居宅変更の日を何時にするかという相談が残っているが、相談者の希望としては、何時何がおこるか判らない状況なので、一番早い時期にということで、デイサービス利用時の担当者会議・契約を提案した。
「本当は来月からということにすれば、私としてはスマートなのですが・・・。」と言うと、報酬が絡む問題だけに「そうですね・・・」と腹の中を見られたような気がした。

目の前で持っておられる利用票のコピーを作成し、利用票を作る作業は簡単だということを体験していただいた。
明日は、現担当ケアマネ→デイサービス→ショートステイ→訪問看護ステーション→用具事業者へ担当交替の確認を訪問の上行うことにした。ケアプラン等書類一式は、ケアプランへの合意→契約→居宅届けの手順を踏んだあと届けることにする。
明日から4日間の手順である。

食べたいと思わない・・・(2)  2007・10・13
今日もヘルパー事業所から電話がかかった。
「食べたいとは思わない・・・」そうである。
退院の日の夕食は、温かいご飯と具沢山の味噌汁を作ったら、味噌汁はお替りされたという。それならば、弁当が届く時間にしばらくヘルパーを入れてみようか・・・ということを提案した。ケアプランに無いヘルパー派遣である。
本来はケアプランを書き換え、合意の下スタートすべきなのだが、そんな悠長なことを言っている時間がない。監査等で追及されても全て責任を持つ。支援経過にだけは一行申し合わせ事項を書き込んだ。
本人にその旨伝え、兄宅にも電話で昼のヘルパーの件を伝えた。
急な話だが、ヘルパー事業所では空き人員を組み込んでいただいた。

週末にかかっているので病院に相談するのは月曜日以降になるが、その可能性も兄夫婦には伝えてある。
何よりも本人の生きる力を呼び戻せなかったケアマネの力不足だが、「食べたいとは思わない・・・」との返答に対応策は無い。
退院に向けて「拒食症」という新たな病にかかられたのかもしれない。
とにかく「介護」で一両日頑張ってみようと思う。

苦手な『介護問題』とは・・・(3)  2007・10・13
家族・親族(親族・家族)会議の方向性は決まった。方向性は契約の代筆を誰がするかということに焦点を絞ることにした。
以前の契約は家族立会いで行なわれていると推測するが、主介護者が交代している。主介護者から相談申し込みがあったのだから、主介護者立会いで契約を行なっても良いかという確認の会議にすることにした。殺伐とした関係の解決は法に譲ることになっていた。
本人への影響を考えると契約の時点で揉め事を起こすのはマズイ。水面下で調整を行っておく必要がある。その点に焦点を絞ることにした。

会議室には6席あるが、一つ置きに座れば良いだろう。物が飛ばないようにテーブルの上は片付けておいた方が良いだろう。果たして二時間の中で合意が得られるかといえば疑問も残るが、午後からはALS患者会設立総会に出席する約束もしてある。延長出来て30分である。
聞いた話から推測すれば、契約時に兄妹の同席は本人の状態からいってもまずいような気配を感じている。ここは会議の中で主介護者の立会いで良しとする合意を得たい。合意が得られなければ成年後見制度を使うしか手がないのかもしれない。
ケアマネも本人・家族・親族からは第三者機関の役割を果たすが、それで納得いただけないようであったら、その方法しかないのかもしれない。本人からは私に替わることに対して合意をいただいている。

本来なら本人のために家族・親族の関係を修復する立場にあるのだが、関係修復が法に乗っている以上出番はない。現状で一番良い方法として、合意の上主介護者の交替があったということだから、主介護者の意向に沿うのが筋だと思う。この経緯を確認するために担当ケアマネも呼んであったが、欠席のご案内を文書でいただいている。「是非・・・」と担当替えを希望しておられた。

何か大変なケースを抱えることになりそうであるが、もう引き返すことも出来ないようである。
本人の介護がスムーズに流れるようにチームをまとめていくことと、本人が安心して過ごすことの出来る環境を整えていくことにするが、水面下では殺伐とした関係が続く。
相談者親娘が安心して暮らすことが出来るように、継続して見守っていく必要がありそうである。

食べたいと思わない・・・。  2007・10・12
はじめての配食弁当なので昼近くに訪問した。弁当はきているが「食べたいとは思わない・・・」と言われる。水分も摂っておられないようである。
コンロに鍋がかかっていたのでのぞいてみると一杯分の味噌汁がある。昨日の夜食の分を余計に作ってあった。
「味噌汁があるから暖めようか・・・」と誘いかけたが、「いい・・・」と言われる。水分も摂っておられないようである。

退院日は朝から食事が入っていない。まる2日間飲まず食わずでは大変だと思い、ヘルパー派遣時間に再訪問してみることにした。配食事業者からの電話ではその日の内に引き上げるシステムになっているそうだが、全く手を付けてなかったので明日の配達時に回収する予定だと言われる。それで良いとお答えしておいた。
実はヘルパーが食事量のチェックをすることにしてあった。そのためにも回収してもらっては困る・・・と言うことを伝えた。

夕方訪問してヘルパーに聞いてみると、昨晩完食ではないが食事は摂っておられる。気長に安定した食生活に整えていっていただく予定だと言われる。
そこで新たな疑問が・・・食べたことを忘れられたのだろうか???
食事も大切だが、水分補給も重要なことである。関係者各々、協力していただいている。兄夫婦からは不足する物品も準備していただいている。

「あんた・・・しっかりしなさいよ・・・」という声が聞こえてきそうである。

ヨーガ・リハビリジムで温泉企画(2)  2007・10・12
温泉企画の話をしていたら思い出した。
「会議室」オープンから半年目、家人が急に帰ることになった。荷物もあるので山中温泉まで迎えに行ったが、行ったときには乗用車で運べる荷物だということで、愛車で向かった。一般道路である。

向うへ行って荷物の量を見るととても1回では乗りきらない。そこで高速道路を使って往復することにした。片道約100km、半日で2往復した。
家人を連れ帰ったのは夕方であったが、生活をすると荷物も増えるものである。

「会議室」には必要以上に大きな看板が掲げてある。先日もお逢いする場所を電話で伝えたらすぐに判っていただけた。あと何年やれるかわからないが、その間地域福祉の行く末を見守っているものと思う。
「会議室」のパソコンからも随分情報発信をしてきた。
一見無駄なスペースのようだが、それなりの効果はあった。「通う」ことが生活を整えている。

先日のBCCメール以降過去ログが消されているようである。インターネット情報は非常にめまぐるしく移り変わるが、今後も真実を発信していきたいものだと思う。

苦手な『介護問題』とは・・・(2)  2007・10・12
結局4日間の入院で家に帰られたと電話があった。翌日担当ケアマネに交代の意思を伝えると言われる。その動きに合わせて行動を開始することにしてあった。

相談中に電話があったが、メッセージは入っていなかった。相談後電話をしてみるとFAXであった。事務所に帰ると一通の文書が届いていた。担当交替に異存がなく、家族・親族会議の場へは用事があって出席出来ないという内容である。
昼の時間を見計らって、同居家族の長男に電話をした。日曜日の午前中に家族・親族会議を行いたいという内容である。場所は「会議室」である。現担当ケアマネは用事があって出席出来ないので、交替に依存がないという文書が届いていることも伝えた。

家族・親族会議出席に合意いただき会議が始まることになるが、相談者に以上の内容を伝えると「よろしくお願い致します。当日私は話しませんから・・・。」ということである。二時間捲し立てるように話した方が、今度は沈黙である。「困ったぞ・・・」
苦手な『介護問題』を内向させてもらっては困る。爆発させて始めて解決の道が開けるのだが、これではますます問題が内向してしまう。第一弾は失敗に終わるのかもしれない。
最悪担当交替の確認だけに終わっても良いが、出来れば一歩でも前進出来ないかと思う。殺伐とした関係が内向すると残る解決方法は一つしかない。

逆に考えると内向しても良いのかもしれない。問題解決のプロセスだけは踏んでいるから、この場は手順と現状プラン継続の確認で終わっても良いのかもしれない。契約書等への署名に関して立ち会っていただいても良いのかもしれない。あえて問題を表面化させることはないとも考えている。
この会議で相談窓口を一本に絞ることが出来れば、一応その目的は果たせる。

ベールに包んだような会議は余り好きではないが、相談者の一言でその方向へいくことは確実になったようである。
お二人に爆発していただくことを期待して・・・静かな家族・親族会議を開くことにする。果たしてこの『介護問題』を解決出来るのか・・・と思っている。

三十五年ぶりの再会  2007・10・11
先日認定調査の依頼が来て「もしや・・・」と思っていたが、やはりそうだった。知人の認定調査は断っているが、お会いするまで気付かなかったのでこれは致し方ないのかな???と自問自答している。公正な調査が出来たか?と自問自答している。

血気盛んな頃(今でもそうだと言われそうだが・・・)に労働組合の執行委員を務めている。その時の仲間であり一緒に赤旗を振った。毒舌家で酒の好きな彼とは飲みながら議論したこともあった。35年の歳月はその時の記憶をほとんど打ち消している。精神障害も少しあり、イメージとしては思い出しておられるようだが、顔が結びつかないようである。
若干縮れ毛ではあったがフサフサとしていた。眉間の皺は少しはあったが、もっとすっきりとした強面のする顔立ちであった。やはり結びつかないだろうな・・・と思いながら調査が終わってからお話した。

その頃家を新築しておられ、お気に入りの座敷があった。今日はその座敷の上座に招かれた。妻も若くてきれいな方だった。その新築祝いに執行部メンバーが招かれている。かなりの量のお酒をご馳走になったのであろうか・・・多分彼と私でその大半を飲んだのであろう。そのような思い出話もさせていただいた。
認定調査で居宅のセールスはご法度だが、帰り際に妻から「サービスが必要になったらお願いしますね・・・」という言葉もいただいた。

そういえば当時の仲間はどうしているのだろうか・・・私を除いて彼が一番若かったから、心配なところである。若かったと言っても70歳。若い頃から年上の方々を相手に論戦を張っていたものだと改めて気付いた。
懐かしい良い想いをしながら別れて来た。果たして再会の再会はあるのだろうか???

ヨーガ・リハビリジムで温泉企画  2007・10・11
デイサービスの見学にご一緒したら温泉企画が急に湧き出したようだった。
先週お会いしたときは種も無かったのだが、介護者のお母さん方の話に花が咲いたようである。もうかなりの人数に膨れ上がっているようである。
福祉バスも予約されたということで話がまとまるのは早い。
実は昨年も誘われていたのだが予定が入っていて行けなかった。

もう少し話を拡げる予定のようで、今回参加出来なかった方や老健グループも誘う予定のようである。介護が必要な方には介護者が付いていかれるが、入浴介助は同性でなければいけない。〇ちゃんも先生も行かれるのなら大丈夫だよ・・・と引き受けてしまった。バスは35人乗りだからもう少し増えるのかもしれない。話がまとまるのは早いものである。
今回は高岡だけにしておかれるようだが、隣市の方の名前も上がっていた。

言い出しっぺは各種団体やボランテイアグループともつながりを持たれ、社会活動の幅も広い方だが、人を見る目は鋭い。ネットワーク論争をすることもあるが、人と人が結びついていく姿を良〜〜〜くご存知である。
ボランテイアの紹介もあったが最近顔を見なくなった。その理由も教えていただいているが、全くの同感であった。社協会館でイベントの準備をしておられる姿も目にしているが、この方々には信念がある。そういう方々と夢を語る時が一番楽しい。

大変な企画がスタートしているようだが、2ヵ月後が楽しみである。

ミクロの決死圏  2007・10・10
ちょうど40年前の今日、横浜神大寺の映画館で標題の映画を見ていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%81%AE%E6%B1%BA%E6%AD%BB%E5%9C%8F
「事故により脳内出血を起こした要人の命を救う為、医療チームを乗せた潜航艇を縮小光線を用いて縮小し、要人の体内に注入する。・・・・・。」という内容の科学映画である。
下宿へ帰ると電話がかかっており急遽故郷へ帰ることになるが、この日を境に横浜へ戻ることは無かった。また化学者への道も放棄した。

掲示板やブログで時々宇宙や原子のことを書くことがあるが、これが世の原理原則であり、各々の要素である原子核・電子あるいは地球と惑星もっと大きくは銀河系のバランスが崩れた状態では原子や宇宙もそのバランスを崩してしまう。これが私のネットワーク構想の基になっているのかもしれない。

この日に先立って帰省しているが、小腸が破裂した状態で消化物が腹内に溜まり、それを管から抜いている状況ではそう長くはないと思って帰っている。ちょうど試験中のことであった。
この帰り道、これを機会に高岡に帰る決意をしているが、最後の思い出にと見た映画がこの映画であった。
現代医学ではカテーテル治療なども行なわれているようだが、この映画にヒントを得たものなのかもしれない。当時では画期的な映画であった。

何故か毎年この映画のことを思い出すので紹介してみた。

チョット遠いデイサービス  2007・10・10
先に民生委員・福祉活動員で見学に行ったら「迎えに来ますよ・・・」ということだったらしい。「本当に???」と見学希望があればつなぎますよ・・・ということにしてあった。

見学したいということなので電話をしてみると、「誰が言ったのかな???」ということである。しばらくお逢いしてはいないが、馴染みの方である。見学者を案内した誰かが言ったらしい。担当者は知らなかった。
曜日は限定されるが、不可能ではない様子だった。
今日がその見学日で、午前中は三ヵ所で重要な話をしてこなければいけない。そうこう思っているところへとんでもないことを言い出す奴がいた。掲示板初登場である。

「今日から1週間〇〇〇と〇〇が泊まるから、ベッド処分して畳を敷いて・・・・・・。」「おいおい、朝から何を・・・。今日・明日は予定が詰まっているからダメだよ・・・」
良くあることだが、朝起き掛けの突然発言がある。B型でもないのだが、夢にでも見るのかもしれない。とにかく計画性が無い。思いつくことは上手である。

一応金曜日の午前予定が入っていないのでお付き合いすることにしたが、車を車検に出さなければいけない。そう言うと「代車にトラック借りてきたら・・・」「乗用車の代車は乗用車だよ・・・」「あ!そ・・・」
こういうときに限って急用が入るものである。
トラックの手配もして、一応自営業の自由さを発揮することにした。その代わり日曜日には午前・午後予定が入っている。午前の予定は殺伐とした内容であり、調整を間違うと午後がキャンセルになるかもしれない要素をはらんでいる。

話は戻るが、デイサービス担当者とは2年ぐらい前に出会っている。しばらくお付き合いがあったのち現在のデイサービスがスタートするということで変わられたが、根っからの明るい性格の方である。
通所出来るか出来ないかは二の次にして、久しぶりにお逢いしたいと思っていた。デイサービスの件で訪問するのは始めてのことである。利用者には悪いが、そのダシになっていただくことにした。この利用者も根っからの明るい性格でユーモアのある方だから、どうも話が脱線しそうな感じもしている。良く似た性格だから利用したいということになるのかもしれないが、送迎は果たしてどうなるのであろうか???

無責任なことを言った方もあるものである。

慌ただしい一日(入院・退院・担当交代)  2007・10・9
今日は入院・退院・ケアマネ交代の準備に駆け回る1日であった。

入院を依頼してある病院まで約1時間かかるので、7時過ぎに長女宅を出た。長男は昨日の大雨の中帰省されていた。病院の受付は8時半からだったが、一番に受付を済ませ、一番に相談に乗っていただけた。
MRI検査に関しては少し抵抗があったようだが、1年前と変わっていないことから、仮に悪性腫瘍が見つかった場合の延命治療に関して「望まない」と答えたということで納得していただけた。何よりも威力があったのは、紹介医と主治医との関係である。(やはり学閥の関係があった。)

入院が決まり病棟との日程調整の中で、一番早いのが明後日・・・準備には少し時間がかかるので来週以降で検討させていただくことにした。
その足で紹介医を訪問、入院が決まった報告をした。治療後、行動が少し落ち着いた時点で、こちらでの入所(入院)へ繋ぐ依頼もある。病院と連絡を取りながら対応していただけることも約束いただけた。
以上の内容を相談員にも伝えて施設を後にした。

半分諦めていたが、退院後初回の訪問看護にも間に合った。

そして、ケアマネ交代に関して現担当ケアマネを訪問した。相談者からはケアマネ交代の通知はまだ無いということだが、「お願いします・・・」ということであった。逃がさないぞ・・・という姿勢も見せておいたが、問題点については意見が合致した。「サポートするから担当を継続しませんか???」と投げかけてみたが、外れることを喜んでおられるようにも見えた。

次に向った先が退院に向けて準備をしている方の民生委員・自治会長宅である。退院日程のお知らせと支援の内容・福祉電話申請に対する意見の依頼・近隣の協力など等。退院後の地域の見守りなどもお願いした。
広域圏から地域へと、今後の方向性も感じることの出来る内容でもあった。

HP公開から6年目にして、「介護問題」の情報発信もごく身近での地域での実践が始まろうとしている。公開している実践内容に恥じない実践をしていかなければいけないと思っているが、実は苦手な「介護問題」の内容である。自分の殻に閉じこもった方の心をどう開いていくのか・・・今後の実践報告を、大きな期待なく、気長に見守っていただきたい。
その方向性は、民生委員・自治会長にはお話してきた。その上での協力依頼である。

本当に慌ただしい一日であったが、充実した一日でもあった。結果は差し引きゼロだが、目まぐるしい内容をこなせただけで満足している。現役時代に変わらない内容であった。

MRIで発見された脳腫瘍の正体は???  2007・10・9
先の受診で入院予約にはなっているが、腫瘍の正体が何かはわからなかった。そこで地元の総合病院で最新の造影撮影で確認をすることになっていた。
家族が紹介元の病院を通じて相談に行ったが、先ずフイルムを見たいということで、フイルムを送って貰ったりしていたらかなり時間が経過した。

総合病院には昨年夏に入院した時のMRIフイルムが残っていたという。見比べるとほとんど同じ状態だったと聞いている。成長性の腫瘍ではないとの結論が出ているようである。造影検査をする場合には同行すると言ってあったから、フイルムを見比べた結果の返書が書かれているものと思う。

旅から長男が帰ってくることと、病院が少し遠いこともあり同行することにした。今考えられる最高(?)の医療を受けてもらおうと医療ネットワークを駆使していただいているが、本人にしてみれば「余計なお世話」なのかもしれない。
そういえば最近お逢いする時間を作ることが出来ないでいるが、先日デイサービスで見かけたときは、何時もの如くマイペースであった。
今日は本人の診察はない。腫瘍の正体を確認して入院出来るのかが確定する。

今日一日はゆっくりと時間を取ったつもりであったが、その後予定が詰まってきている。出来れば半日で終わらないかとも思っているが、何件かは明日に持ち越さなければいけないかもしれない。
退院後始めての訪問看護・訪問入浴、退院に向けた地域の調整、ケアマネ間の調整など時間が許せば顔を出すことにしよう。

ケースもカラフルである。重篤な病状・脳の異常・人間関係の異常・無気力等など、どれ一つとっても同じケースは無い。中でも内にこもった陰湿な関係だけは避けて通りたいが、好んで寄って来るようでもある。あるがままの姿で支援を行なうしか方法が無いようでもある。

苦手な『介護問題』とは・・・。  2007・10・8
何故ここまで固執されるのかと思うケースがある。

親の介護を他人に任せることが出来ない気持ちは判る。しかし家族を犠牲にしてまでかかりきるその気持ちに心配な面が顔をのぞかせた。拘る原因が何かを考えてみた。ご本人は嫁が何にもしないからだと言われる。
小姑が家に帰って共同生活・通い介護生活を始めた状況をご想像いただきたい。その背景に何があるかは推測の域を脱しないが、もしかして別に問題があるのではないかという想いに立った。

よく似たケースを目にしている。
親にも人生設計はあったはずだが、最後は一人になってしまった。私にも可能性があることだが、一人になったらなったで良い。一人の生活を考えていってくれれば良い。別居の子が築いて来た生活までを犠牲にして欲しくはない。それが私の「家族」の考え方である。

家族・親族という言い方を良くするが、家族とは同居家族である。親族とは直系親族である。先ずこの区分けをしてから相談にあたる。
今回の相談は親族からの相談だった。他には親族は無いようなので、家族同席の相談を求めた。同居家族同席である。
一応相談申し込みは親族からいただいているが、家族の同意が無ければスタートは出来ない。そういう意味で石橋を叩いた。

主介護者は親族なのだが、その責任は家族にある。合意が出来れば主介護者を軸にケアプランを組む。合意が出来なければ辞退ということになるのであろうか???現担当ケアマネとも事前に話をした方が良いようである。
そういう想いもあって、サービス担当者の意見も聞いてみた。やはりこの辺りの整理を行なうことがキーポイントだと思っておられるようであった。
過去にかなり大掛かりなサービス担当者会議も開いておられるが、今回はこじんまりとやりたいと思った。当事者以外に現状の決断を求めても仕方が無いとも思った。

どうも捕まってしまったようである。明日から非常に頻繁な電話がかかるものと予測している。明日は予定がいっぱいだということは伝えてあるが、電話攻勢があるような感じを受けた。夜には時間を空けておくからということで、状況に応じた根回しは行なう予定である。
ここ1ヶ月間は何か吹っ切れたような勢いで仕事が舞い込んでいるが、いよいよ『介護問題』ケースに迫ってきている。

私の場合は医療連携よりも法連携の方が性に合っているのかもしれない。今日も「法テラス」の話をしてきたが、通常のケアマネジメントではここまではやれない。今思い出したが、接見禁止仮処分も当事者の「会いたい気持」がある以上無力であった。
要は相談の主体が誰なのかを見極め相談を進めていくことになるが、家族・親族は非常に無責任な面もあることを知っておかなければいけない。
大局を睨んでのケアマネジメント・・・ということであろうか???

成年後見制度  2007・10・8
先月末にサービス事業所の紹介だということでご相談をいただいた。
延々二時間話し続けられ、結果紹介したのが成年後見制度の存在である。
今日がその相談日だったが、昨日電話があって緊急入院になったそうである。一昨日成年後見人協会の相談員から、月曜日だと思っていたら祭日だった・・・と少年野球の審判の役割を忘れておられたようである。
相談者と日程調整をしてみたが調整が付かないので来月に先送りしようかと電話をすると、時間を空けて来ていただくことになっていた。その矢先の入院である。

彼との出会いはもう2年半ぐらい前になるであろうか???
非常にスパンの長い話だが、その頃に接点があった。だから電話で用事が済む。
開業から少し経った頃に在宅介護支援センターの動きが鈍いので一通の申請書(案)を提出している。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/boranntigatazaitakukaigosiennsennta-sinnseisixyo.htm
「ボランチ型在宅介護支援センター申請書(案)」である。
困難事例『介護問題』ケースを引き受けても良いよ・・・という内容だが、1年近く担当者の机の中に眠っていた申請書である。

課長が変わったので催促してみると申請書(案)は出てきたが、後日NPO法人でも作って成年後見制度を担当しないかという話になった。私の返事は「成年後見の必要性はケアマネジメントの結果生じるものであり、これも一つのサービスと考える。独立居宅としてサービスを持たない方針であるから、私のところでは出来ない」という内容であった。そこで紹介したのが彼である。この話は当日もう決まったいたようである。

その後、施設訪問時にお逢いしたり、マスコミからの問い合わせにつないだりということがあったが、一緒に仕事をしたことはない。今回初めて一緒に話しを聞こうかということになっていたが、緊急入院では致し方がない。朝から雨であるから少年野球も延期だろうから、気兼ね無く会えると思っていたが残念である。その連絡をすると、聞きたいこともあるし一度お逢いしたいということであった。
別のところでも成年後見人協会のメンバーにお逢いしているし、近況報告も兼ねて対談するのも良いかと思っている。

成年後見制度は単独では存在しない。ケアマネジメントの結果その必要性が出るケースもあるが、この結びつきを大切にしていっていただきたいと思う。退院後、担当することになるかもしれないニュアンスがあったが、勉強の意味も兼ねて現担当ケアマネに頑張っていただきたいものである。
私が担当すれば後見制度は利用しなくても良いのかもしれない。

まだやっている!!!!!  2007・10・7
余りにも可愛そうなので先日、偽名・書き換え投稿の記録が詰まったファイルを「誰も教えてくれませんでしたか・・・」というメッセージに添えて送っておいた。ファイルの見方がわからなかったのか、まだ偽名投稿を続けている。
掲示板には過去ログが残るタイプのものがある。この過去ログと投稿を照合すれば何が行われているのか一目瞭然である。その過去ログを親切心からお送りしておいた。

問題の原点は、私が関わっていながら、私の知らない内容の1本の電話から始まる。メーリングリストで何故私が知らない電話を掛けたかを問い合わせると「会長から頼まれた」という返答がきた。会長は頼んでいないと言われるから、「嘘」であることを明言した。この些細な嘘が全てに拡がっていく。自分の立場が可愛いだけの利己主義的な発想がその嘘には隠されている。
頼んだ・頼んでいないという平行線が温泉終了後も続いていたので、この会を見切ることにした。この間に別の役員から横メールが入っているが、この返信もメーリングリストに戻しておいた。

2日後本人にお逢いして電話の内容をお聞きした。「受診の結果行くか行かないかを決める」は口実であった。そこで直接私に電話が掛かってきたわけである。
この内容を掲示板で伝えると偽名投稿でこの投稿を次のページへ押しやろうという意図が見えた。その中でヤフーで使っているHNのかな書きがあったので一人芝居であることを指摘すると掲示板は閉鎖になった。

しばらくして再開していたので過去ログと照らし合わせると、内容の書き換え投稿も含め、全て過去の投稿を書き換え・偽名を使った投稿であることの実態が浮かび上がった。
もう一つの掲示板でも一人芝居が続いていたので、ネットワークに関して書いたものをコピー投稿しておいた。ここでも同じことが起こり、本人も書きすぎたと思ったのか削除した投稿があった。この削除した投稿を過去ログから貼り付けておいたら、こちらも閉鎖になっている。その記録は過去ログに残っている。

私の目的は出すぎた電話の内容を自ら公表する責任を果たしていただきたいだけのことである。この真実を隠すために、多大な損失を被っておられる。「信用」という名の損失である。
再掲ではあるが
「嘘嘘嘘嘘嘘 嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘 嘘嘘嘘嘘嘘 嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘 嘘は大嫌い」
嘘が嘘を呼びとんでもないことになる。
もう引っ込みは付かないのだろう。もう一度教えてあげようかとも思うが、多分自動削除になっているであろうから、止めておくことにする。

もう一つの退院  2007・10・6
来週もう一つの退院があるが、こちらは入院期間約2年、超のんびり退院である。
退院援助にも1ヶ月近くかかったが、先ず居住スペースの確保から始まった。担当者会議から2週間目の退院になったが、自宅のメンテナンスに少し時間がかかった。

昨日退院日にあわせた利用表・提供表・その他の申請の配布を済ませたが、ご本人は思ったより素直だった。
実はこのケースは『介護問題』には違いないのだが、私の最も苦手とする問題である。このことは各サービス担当者に伝えてある。
表面化した殺伐とした人の関係を調整することは案外容易である。しかし内にこもった陰険な人間関係の修復には時間もかかるし、根気もいる。ここまでは良いとしよう。

今、果たしてこの方の生活を支えきれるのかと思っている。
生きる気力を持っていただくための方法を考え巡らせているのだが、なかなか良い方法が思い浮かばない。人生無気力で生きてこられた方だけに、家に帰ってどのような生活をされるか見えてこない。病院では日中もほとんど布団をかぶって寝ておられる。

長い間電話も無い生活をしてこられたが、今回福祉電話の申請をすることにした。こちらからかければ通話料が必要だが、かかってくる分には無料である。親族からの「お元気???」コールを期待している。
親族からも見放された生活を送ってこられたが、今回その関係は少し修復出来たようである。そういう意味からもコールを期待している。

あとは地域のかかわりだが、ベテラン民生委員さんが来月で交代になる。最後の仕事として福祉電話申請書に意見を貰って来るが、地域との関わりが何か出来ないかと思っている。地域からも孤立した生活を長年続けてきておられるので難しいものはあるのだが、働きかけだけはしてみようと思う。
近くの担当ケアマネを選ばれた理由もこの辺りにあったのかもしれない。
それにしても都合の良いところに独立ケアマネがいたものである。

超困難事例である。

介護経験の乏しい独立ケアマネの考えたこと  2007・10・5
施設時代の介護経験は、デイサービスセンター介助運転手を1年半経験しただけである。移動・特浴入浴に関してはプロの域に達していたかもしれないが、介護ということでは素人同然である。その私がここ4日間悩み考えた末の結論を聞いていただきたい。

訪問系のサービスは経験したことがないので、訪問入浴の具体的な方法は知らない。
とにかく骨折しやすい方なのだが、訪問入浴の浴槽にまたいで入ることは何とか出来るだろう。その後が問題である。如何にして座って如何にして浴槽に寝るかということである。このことで悩んでいた。「何〜〜〜んだ」という声が聞こえてきそうである。急な退院なので医療連携は無かった。

退院の階段昇り介助があったので車椅子を持って病室に迎えに行った。そこへ来た看護師に「立った状態から浴槽内で座ることが出来るか???」と聞いてみた。即答はなかったが、ナースステーションで相談してこられたのであろう。「出来ると思いますよ・・・」ということであった。本人・妻に聞いてみても「出来ると思うよ・・・」ということだが、それでも納得出来ない。補装具をつけて、ベッド〜車椅子への移乗が何とか出来る程度である。安全性を考えれば見守りが必要である。

とにかく「座って寝て」という動作が浴槽内で出来るか、家に帰ってもまだ心配になっている。そこで本人・妻に示した案は、例えば大き目のバスタオル(?)などを使ってベッド上から浴槽へ四人で介助する方法である。これなら直接身体に触らなくても良い。下手に触ったら骨折である。
そのような話をしているところへ訪問入浴から利用面接の訪問があった。名刺の肩書きは管理者兼看護師である。

身体状況・病状を説明しながら、悩みに悩んだ入浴方法に関して聞いてみた。案外あっさりと介護素人の私の(案)を採用していただけた。
「それじゃベッドから浴槽までバスタオルで運びましょう・・・」と。
10数年前に一度だけ訪問入浴の現場に立ち会っている。はっきりした記憶は無いが、浴槽の上に張ったネットを調整して体の位置を調整するようである。
良い機会なので、初回利用時見学させていただくことにした。一日予定があるが、入浴の時間には身体が空いていると思うので、見学を申し出た。

未知との遭遇のようなはずむ心と、病状進行に対する重々しい心が交錯しているが、決して興味本位ではない。果たしてその方法で大丈夫なのかの確認である。頭で考える介護・・・実際とは一致しないのかもしれないが、過去にも随分色々な発想をしてきたように思う。
年老いても気持ちだけはまだまだ現役である。

超スピード退院  2007・10・5
8月末骨折で入院になったが、約3週間後、ギブスで固めた骨がずれていることが判った。そこでワイヤーを通して固定する手術になったが、術後2週間で退院話が出た。骨がスカスカになっておりリハビリは出来ない。この状態での退院だから、ADL等は全く確認していない。
先日病室でお逢いしたときには、補装具で補強して車椅子に座っておられたので、隔週の通院は出来る。ベッドは当然必要になるが、ポータブルに移るためには手すりが必要である。一人で移乗出来るのかまでは確認していない。とにかく医療が手を離したケースだから、後は介護でやるしかない。
訪問看護師からサマリーの請求があったので、病院へ行かれたら請求していただくことにした。

このケースでは医療連携は望めない。返ってくる答えは「骨折をしないように気をつけてください・・・」であろう。医療とのパイプ役を訪問看護師にお願いして、最小限の準備はした。あとは帰ってからの話になる。
大きく変わったところは自宅の高い浴槽をまたぐことが出来なくなったことである。ベッド上の生活が中心になり、排泄はベッド横に置いたポータブルトイレで・・・ということになるが、一人で移乗出来るかどうかはわからない。その状況を見て、妻も考えられるであろう。

1年半余り前に始めて関わったとき、妻は常時介護者であった。それから半年余り経って、状態が良くなってきたので「私仕事に出ようと思うのですが・・・」ということで約1年間務めてこられた。また元の状態に戻るのかは、帰ってみないと判らない。後は本人の生活力にかかっている。
とは言え、1ヵ月半の入院生活で筋力も衰えているであろう。安全のために常時介護が必要なようにも思う。
退院後最速でサービスを入れるために、退院後すぐに訪問入浴の利用面接がある。昨日は福祉用具搬入にも立ち会った。
訪問看護師とは来週の訪問時には逢えない。1週遅れるが訪問時間に行くことにした。

一堂に会した担当者会議は出来ないが、個別に方向性は伝えたいと思う。今回のケアプランはシビアな内容になっているが、滅多にこのようなプランは書かない。
そのプランを読んで、妻の口からポツリと・・・「先生も内臓が強いからここまで持ったと・・・」もう最期を予測しておられ、その目は潤んでいた。

最後になるかもしれないケアプランだが、書きながら涙があふれてきた。ターミナルのプランとは・・・果たしてこれで良かったのであろうか。
事実を知って、その事実を共有してこそ、良い介護に結びつくのではないかと思う。

血液型性格判断で・・・気質を「見極める」  2007・10・4
あれ???また一件投稿・削除されている。

http://www.furby.co.jp/aboy.html

血液型による性格判断だが、自分としては概ね当たっているように感じた。

A型の男性は失敗をすると、自分の信念に迷いが生じ、平常心が乱れてしまい・・・。

この部分は隠れ因子の0型がカバーしているのかもしれない。
決して怖くはないですから、向って来てください。

笑顔で手を・・・。  2007・10・4
毎朝『会議室』へ自転車でメールチェックに通っているが、今朝車中から微笑んで手を振る女性に出会った。信号の関係で滅多に向こう側には渡れないのであるが、今日は珍しく信号が合った。
出勤途中だから、気が付かなかっただけで何時もの光景だったのかもしれない。病院事務の仕事をしているから病院では良く逢うのだが、通勤途中で気が付いたのは始めてだった。

ディズニーランドへ通っていたのはもう20年位前のことであるが、当時舞台女優をしていたから、かなりのおばさんになっている。おねえさんではない。
年末ジャンボの抽選会に出演したこともあるが、私の知らない世界に生きてこられた方である。

今日は笑顔で迎えられたから、良い仕事が出来そうである。
月初めは少しのんびり出来るかと思っていたら、退院援助が一件加わった。
先月から継続している退院援助もあるから近日中に2件の退院がある・・・が、継続分については歯切れが悪い。帰る条件としての大掃除に関して親族に任せているのだが、掃除日程も決まっていないらしい。病院側は準備が出来てからで良いよ・・・といっているので催促もしないが、退院前カンファレンス(兼担当者会議)からもう1週間になる。最後のどんでん返しがあるかもしれないので、退院日程だけはコースに乗せなければいけない。

今日は包括への報告一件と用具の搬入に立ち会わなければいけないが、チョット辛い話もして来なければいけない。
患者会イベントと県の集団指導が重なってしまった。送迎など協力するよ・・・。と言っていた第二回目がこれである。市内近辺にいれば時間調整は可能であるが、集団指導だけは外すわけにはいけない。
ゴメン・・・と言う話は早目にしておいたほうが良いだろう。

残り一件実績報告が届けば伝送出来るのだが、もう終わったも同然である。
最近は報告も早くなっている。
このあと約二週間フリーの期間があるが、この期間を「お元気訪問」に使っている。月後半から始まるスタンプラリーまでの自由な時間である。この期間の支援の経過にこそケアマネジメントがある。「お困りごと」を予測をして巡回するが、ケアマネジャーとして一番充実した期間でもある。

Re: HPからのメール  2007・10・3
年老いていく過程で支える家族が投げやりになってくると、当事者に何がいいのかとか選びにくく(どうでもよく)なってくる気配もちらほら聞く。

その逆もある。適度な妥協が出来ない。パーフェクトの介護状況を維持しなければ納得できない。
これもまた問題である。どちらかというと私は後者で
あの手この手で工夫してきたつもりである。



問題があっても、組織運営においてもこの姿勢でいて欲しかった。
私は完全主義だが、如何でも良いことは問題にしない。理念の根底に関わる事のみ問題視してきた。
お陰で腹の底まで見てしまったが、これが本性だとは思いたくはない。歯車が一時的にずれただけだろう。

そのずれた歯車の背景から偽名を使った一通のメールが届いている。偽名を使われたご本人にBCCメールのコピーをお送りした。これを世では「やぶへび」と言う。

サービス担当者会議  2007・10・3
約1年間、住宅改修とつい先日から用具レンタルで生活を支えてきた方の担当者会議を予定している。
ADL低下の他に排尿障害にも気を付けなければいけない病気だが、病気の特徴を伝えておいたことから、今年の夏は安静にしておられた。夏場の排尿障害で病状が進んだ方のアドバイスもあったらしい。

歩行障害は今までもあったが、最近は足が笑うようになってきている。笑うという言い方が適切なのかは判らないが、膝が横方向に不随運動を始める。
ヨーガ・リハビリジムは2階なので、先ず階段昇降が危なくなった。夏休み後の再開時に行ってみると、ほとんど体操が出来ない状態である。
「階段大丈夫だった???」と聞いてみると「大丈夫」という答えが返ってきたが、実は大丈夫ではなかった。そこで通所リハの話を進めていた。

一番近いデイケアで対応が可能だということなので見学をすると、そこで良いと言われる。そう新しい施設ではないが、雰囲気が良かったと言われる。
職員の対応が良いことは保障しておいたのだが、雰囲気で感じていただけたようである。
PTに身体の状態も確認していただき、サービス提供責任者には文献で病気の特性を知っていただいていた。

追加した用具も今日入荷予定であり、時間を合わせて納入していただくことにした。利用面接・用具の取り扱い説明も兼ねた担当者会議が始まるが、今日の会議は記録係で良いようである。
会議らしい会議は行ってはいないが、各担当お互いの持分を確認できる会議であれば良いとも思っている。後は日々の支援の中で確認して行けば良い話で、支援の経過にこそケアマネジメントがあると思う。サービススタートに向けたその作業は会議開催までに終わっている。

今月は静かな滑り出しだったが、予定表が少し賑わってきた。用具搬入・訪問入浴???そして退院・成年後見・病院同行・・・患者会設立・セミナー等など。
そして近日中にもう一件担当者会議を設定する必要もありそうである。
結構ケアマネの仕事は忙しい。
今日は包括分の実績が揃いそうなので、包括廻りもしなければいけない。
忙しい内が良いのかもしれない。

アパートの4階で訪問入浴???  2007・10・2
骨折したらいけない方が骨折をした。3週間余りギブスで様子を見ていたが、ずれていたそうである。そこでワイヤーを通して固定する手術を受けたが、約2週間で退院話が出た。リハビリは省略である。
骨がスカスカになっているから骨折に気を付けて下さい・・・ということで高い浴槽はまたげなくなった。そこで訪問入浴の話が出た。

市内で一番経験豊かであろう方に相談を持ちかけた。「4階までは???」ということだったので、別の事業者に問い合わせをしてある。アパートを見て可能かどうか返事がいただけることになっている。
浴室にボイラーがあるからここから給湯しても良いのだが、そのようなことは考えておられないようである。とにかく入浴車からの給湯である。
一応、水圧が弱い時にはボイラーからの給湯を併用する方法も伝えた。

訪問入浴の低い浴槽が最も安全な入浴方法だと思うが、それでも危険が潜んでいることは事実である。
出来る限り動かなくても良いように、ベッド横にポータブルトイレを置いて、手すりも要求されている。安全と考えられることの全てを試みなければいけない。

「骨髄腫」血液の癌であるが、下手に身体に触っても骨折の恐れがある。浴槽内で立った状態から、如何にして座って、如何にして寝るかが問題である。仮に給湯が出来たとしても介護の問題が付いて回る。ここは妻同席での入浴にしなければいけないと考えている。そうすると利用日(時間)も限定されてくる。

階段昇降では出来る事業者がいないので、移送サービスの運転手と昇降サービスを行っている。訪問入浴が出来ないとなれば作るしかない。
浴槽でも買って、ボランテイアでやりますか・・・協力してくれる看護・介護職員はいる。これなら一部介護保険を適用しても良いのかもしれない。

Re: アパートの4階で訪問入浴???  2007・10・3
(追伸)
今朝妻から電話がかかり、昨日事業者が下見に来ていき「これなら大丈夫」と言っていたということであった。
浴槽に座ることが出来るかに関しても、妻は何とかなりそうに感じておられる。残るは利用日の設定だが、火曜午後か木曜午前しかない。これが合致すれば、本格的に軌道に乗っている。
開業以来のんびりと散歩をしながら仕事をしてきたようだが、ここに来て一気に背景が整ったようである。

開業から3年半、あらゆる『介護問題』に向かって支援を行っていく背景が整ったようである。

めぐり合わせとは奇なもの  2007・10・1
緊急性があって立山山麓のふもとの施設に入所していただいて1年半が経過した。家庭内の問題もあり、半年ほど妻が面会に行っていないと言われる。そこで半年振りに面会にお連れすることにした。
片道小一時間の道のりを軽快に車を飛ばして施設に着いたのは10時頃、ちょうどお茶タイムだった。一日のほとんどをホールに出て過ごされるが、後ろから見ると少し小さくなられたようであった。

妻を隣に誘導して語りかけが始まったが、途中で本人に妻と話が出来たか聞いてみると「なぁ〜〜〜ん」という答えが返ってきた。名前を呼べば反応はあるが、妻の名前を言ってもほとんど反応は無い。認知症もかなり進まれたようでもある。
二人の会話を傍で見ながら何気なく向こう隣に座っておられる片麻痺の重度認知症と見受けられるおばあちゃんの靴の名前が目に入った。・・・・・・・・・・。同じ施設に入所されていることは聞いていたが、まさか隣の席だったとは・・・・・。

帰りがけに「〇〇さん、お元気でね・・・」と声をかけてきたが、偶然とは不思議なものである。ご本人は見ず知らずの私から声をかけられ「???」だったのであろうが、元気で安らかに日々過ごしていただきたいものである。
今朝は少し早起きだったので帰路は少し眠気があった。
それにしてもめぐり合わせとは不思議なものである。

もう一つの別れ  2007・10・1
この投稿の前に削除された投稿があった。削除するのなら最初から書かなければ良いのだが、何か書きたくなったのかもしれない。

居宅開業から平行して患者会等に協力してきたが、最初の頃にも何かトラブルがあったらしい。2年半ぐらい前からであったであろうか本格的にお手伝いをしてきた。独走する方だとは聞いていたが、今回その実態を目にした。
独走の内容を確認して真実を掲示板でお伝えした。そこで始まったのが偽名投稿である。その中にヤフーで使っているHN(仮名)があったので指摘したら掲示板を閉鎖してしまった。

ケアマネブログへも他人のHNでそれらしき投稿があったので、名前を使われた方に記録を添付したメールを送っておいた。
私が確認したかったのは「嘘」の実態である。その全貌が、過去ログ等で明確になった。全て独り芝居。本文を書き換えられ名前を使われた方や全く身に覚えの無いことを勝手にでっち上げられた方など、実在する方で4〜5名はある。

組織運営はワンマンプレイでは何れ崩壊する。その危惧もあったので身近な方にアドバイスを依頼するBCCメールを送っている。その中に「聞かないものに何を言っても無駄だ・・・」という返信があった。もう見捨てられている。結果誰もアドバイスできなかったようなので、最終的に過去ログをコピーしたファイルをメール添付で送っておいた。書き換えの経緯が全てわかるファイルである。

「嘘嘘嘘嘘嘘 嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘 嘘嘘嘘嘘嘘 嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘 嘘は大嫌い」(「花」という有名な詩を捩ってゴメンナサイ)
見捨てるには忍びないものも感じていたが、もう未練は無い。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです

別れがあり、そして出会いがある。  2007・9・30
2年余り前に一つの別れがあった。原因は思想信条の問題であった。
表面的には隠された問題だが、裏のつながりまで知っていれば当然のことであった。私的な関係なら別に問題にもしないが、公的な文書への記載であったから追及した。
どうにもならない状態になってからの発表であったので、その関係は終了した。

それから1年半ぐらい過ぎた頃のことであった。別の団体でまた顔を合わせることになる。第1回目の会合で顔を合わせたが、2度目はなかった。
どうも3度目がありそうな雰囲気である。
お互いもう会わない方が良いのであろうが、どうも逢わなければいけない宿命めいたものがあるようである。

先の2回は個人の意思での出会いであったが、今度は個人の意思に関わらず会わなければいけないようである。紅い糸で結ばれているわけでもなかろうが、何故か結果がその方向へ行くようである。
考え方は良く似ているが、根本的に違うところがある。その違いとは・・・。今度時間のあるときに譲るが、キーワードはケアマネジメント・ソーシャルワーク・ネットワークである。

出逢いたくもあり、出逢いたくもない関係だが、避けては通れない状況のようでもある。
人生堂々巡りをしているのかもしれない。

『介護問題』  2007・9・29
『介護問題』のご相談をいただいた。相談場所は「会議室」に設定した。
相談内容は非常に複雑で多岐にわたるが、非常に簡単に言い表せる内容であった。

相談者の遠距離介護の子の話は、延々2時間続いた。日頃蓄積したものを全て吐き出していただいた。
2時間後おもむろに口を開かせていただいたが、その言葉は「権利擁護・成年後見は必要だと思われますか???」であった。
「金銭的虐待はある。無謀な圧力で本人と相談者の居場所が脅かされている。」この2点で十分に成年後見の必要性を感じた。

「行政書士会が成年後見の窓口になっていますが、市では話はなかったですか???」相談はしておられるが、その角度からの話は無かったようである。
確認の上、呉西の担当者に電話をして、直接概要を伝えていただいた。
一度日を変えて相談をすることになったが、日程調整の上、来月初旬に相談日を設定した。相談員に電話で確認すると午後の方が良いということなので、今日と同じく「会議室」でお会いすることにした。
相談員の希望もあり同席させていただく。

一応2時間の話のまとめと対応を30分でさせていただいた。
相談者の表情はそれを境に明るくなり、それ以上の話は必要なかった。
成年後見制度はケアマネジメントの結果必要になるものであるが、現行のケアマネジメントの内容も、担当者を確認しただけで大よそ見当が付いた。担当ケアマネが負担に思わなければ続投していただければ良い話である。
2時間立て続けに話されたことと、今まで無かった視点が出てきたことで、相談者は安心しきった表情で「会議室」を後にされた。

相談業務はそのポイントだけを抑えることが出来れば良いということの見本のような相談であった。

過去から離れられない  2007・9・29
約2週間、順序立てて意思確認をしてきた。おおよそ2年ぶりになるが自宅に帰らなければならない。
経過の中で養護老人ホーム入所の話もまとまりかけていたと言うが、最後の段階で誤和算になったそうである。その手法を見たように思う。

退院前カンファレンス・担当者会議で順を追って経過を説明していると2年前の話に戻そうとされる。その2年前に問題があったから現在があるわけである。
私は2年前の生活をことごとく否定した。順序立てて踏んできた経過とその生活の比較である。××だったから〇〇にしていきましょう・・・と。
大掃除を残して準備は整っている。全て他力本願で生きてきた本人にとって、果たして家に帰って生活の意欲が出るのであろうか?

ケアの質は介護の質ではない(・・・と思う)。心を支えてはじめて質の良いケアと言える(・・・のではなかろうか)。そのような取り組みを施設時代には随分行なってきたように思う。その在宅版の実践が始まろうとしているのだがしばらく作戦を練ってみることにしようかと思う。
光が当たることがない人生を過ごしてこられた方だけに、現状の中から自分を発見していただくことはかなりの困難を伴う。親族はその人生を否定している。しかし仲間に引き入れる必要がある。ここにキーポイントがあるのかもしれない。

家族・親族に関わる「介護問題」は随分みてきたが、本人自身が「問題」のケースははじめてかも知れない(そうでもないような)。問題の原点を解きほぐせば問題は解決する・・・ハズであるから、とにかく試みることにする。果たして「人間復活」と出来るかどうかは「やってみなければ判らない」といったところである。

チビッコギャング、満1歳の誕生日  2007・9・28
明日が誕生日なのだが、当人同士は日曜日に計画していたようである。
「明日誕生日だよ・・・」という投げかけが娘からあった。
「パーティーでもするか・・・」と言ってみた。
「エ・・・???」「久しぶりに外食でもするか・・・」と言ってはみたが、明日は銀行も休みである。とにかく手持ちの福沢諭吉を提供することにした。

「外食も良いけど足りないよ・・・」「後はお母さんの担当だよ・・・」「それなら料理でも作ろうか・・・」その会話に妻が入ってきた。「寿司の盛合わせぐらい取ろうよ・・・」
どうも話はまとまったようだ。

娘が各方面へ電話をしている。
「明日帰り何時になる・・・」「6時半ぐらいだよ・・・(と言ったらしい)」「それじゃ大丈夫だね・・・ここでやるよ・・・」
「日曜日にケーキを頼んでいた〇ですが、明日に変更出来ますか???」
ということで、明日誕生会が始まるようである。

久しぶりに娘も手料理を作るようだし・・・日中家にいては「マズイ・・・」と感じた。幸い午後から「会議室」に来訪者もあるので、逃げることにした。
「料理大変だろうから、出来ること手伝うよ・・・」と言ったら、ケーキの引き取り役が当たったようである。

ということで、誕生パーティーが始まる。

某独立ケアマネからのメール  2007・9・28
久しぶりに独立協メンバーからメールが届いた。
主任介護支援専門員研修も終わり、主任介護支援専門員として講義を行うことになるが、公正・中立の立場で独立性に満ちたケアマネジメントを行うための指針として、HPを紹介しても良いか・・・という確認だった。
紹介されるページは「独立性・中立性の確保」
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm
になるものと思われるが、最近ケアマネ協のほうにも動きを感じている。

昨年度行われた臨時総会でケアマネ協への方向転換が行われたが、その議長を務めている。満場一致で承認され、今年度一年間はその移行の年である。
最近妙な雰囲気を感じているが、確実にその移行の準備は進んでいるようである。
組織委員としては臨時総会に向けて度々会合持ってきたが、組織が軌道に乗れば必要ないのも組織委員である。組織運営のご意見番といったところであるが、現体制では方向を間違うことはない。そう確信している。

ケアマネジメントリーダー・主任介護支援専門員と制度が変わる度にその役職を作ってきたが、問題はその資質である。地域のケアマネジメントのリーダーとしてその役割を果たしていただきたいものである。
紹介したページには膨大な量の考え方が含まれている。
先日MSW協会の講義で聞いた地域ケアマネジメントの考え方も勿論含まれている。
今、疾患・症状別の地域づくりから抱える問題別の地域づくりへの転換も視野に入れているが、これらが網の目のように張巡らされた地域ケアマネジメントの姿が目に浮かぶ。このためにも各種団体を横につなぐ構造が必要になると思う。大きく地域をネットワークでつなぎたいものである。

スーパーマンより早い・・・。  2007・9・27
先日、地域から離れない決意をしてから勘が戻ってきたようである。
不思議なことに呼び出し電話は、概ねその校下にいる時にかかる。昨日は若い専門職に笑われて(微笑まれて)しまった。到着まで5分もかからなかった。
そう言えば一昨日、施設に入った途端に電話がかかったが、肉声で答えた。ビックリしただろうな・・・と思うが、案外そうでもないみたい。今日は今日で希望サービスの不足分がキャンセルになったから利用出来る・・・という電話もいただいている。利用者宅まで3分の所にいた。
カップラーメン並の対応が出来ているが、私は行動力が引き込む運だと思っている。とにかく「犬も歩けば棒に当たる・・・」である。

作業が早いということは時間も空くということである。今日の行動目標が立ったので、新規相談を今週中に受けることにした。土曜日を予備日に空けてあったが、その日に来所。事務所ではない「会議室」である。
この会議室はネットワーク会議に何回か使ったのと、あとはマスコミの来訪である。ケースに結びつく相談ははじめてかもしれない。「自宅では出来ない話なので別の所で・・・」という電話であった。

電話の中で紹介先が判った。お付き合いしているサービス事業所である。
居宅も併設しておられるがご紹介いただいた。先ずは困難事例と思っても良いだろう。そこで「会議室」で相談にのることにした。
今週だけで5件の担当者会議はきつかったが、更新時期が同じ方が集中している月であった。そのほかに新規3件入っているから忙しいはずである。
でもその峠は越えた。余裕を持って月を越せる見通しが立ったので、滅多に来ない認定調査も受けてしまった。

地域を活動範囲にするということはこういうことである。即応できる体制作りこそが、独立ケアマネに求められることなのかもしれない。

虚構  2007・9・27
広辞苑によれば
『事実でないことを事実らしく仕組むこと。また、その仕組んだもの。』
と説明してある。

私のHPに『虚構』というページがあるが、リンクを外してある。興味のある方は開いてみられるのも良いかと思う。開くヒントは「m」である。
このページは私製冊子をインターネットに乗せたものだが、HPの基礎にもなっている。
現在は「掲示板等発言集」の更新を中心に行なっているが、少し時間が出来たらHP全体の整理も行ないたいと思っている。(現職中は難しいとは思うが・・・)

虚構の原点は「嘘」であるが、嘘を立証することは難しい。嘘に嘘が付いて回り何処までが嘘で何処までが本当なのかさえも判らなくなる。しかし嘘をついた本人の心の負担になることは事実である。
人間根っから「悪」を背負って生まれたものはいない。成長の過程で「悪」を身に付けるのだが、嘘を嘘とも感じないことになると、成長過程のどこかで「悪」を身に付けてしまったということになろう。何処かの時点で「善の心」に戻っていただきたいものである。

今回ズバリ「嘘」の証拠を突きつけた。
しかし「嘘」は「悪」だという観念がなければ、それを正そうという気持ちは起きないであろう。
身近な誰かから教えてあげていただけないかと、その証拠をお知らせしたが、果たして「善の心」に戻ることが出来るのであろうか???
「三つ子の魂百まで」ここにその原点があるのかもしれない。

嘘の原因は、自分を正当化させたいということであろうか?
デッチアゲは良くない。

Re: 虚構  2007・9・27
ネットで見つけました。

『いいんです。人はそもそも、間抜けなんです。』

でも嘘はいけませんね。

偽名投稿の確認  2007・9・25
掲示板には過去ログがある。削除してもログは残る。

閉鎖していた掲示板が復活していたので過去ログと照らし合わせた。
都合の悪い部分は削除されていたが、中に一件本文が書き換えられている投稿があった。「選択の自由を保障する」ブログの中に、同一人の名前での投稿であるが、本文の内容が一致しない(本人はそのようなことは書かない)投稿があった。
偽名投稿が出来ることは確認したし、芸名で会員登録もされていたので、ほぼ100パーセントに近い確立で確信を得ていたが、100パーセントではなかった。
書き換えられた元投稿を読んだ時、そのパーセントは100パーセントになった。ご本人は書き換えたことさえ忘れておられたのであろう。

嘘にまみれたその姿勢は、患者団体の指導者としては相応しくない。嘘を平気でつく人間は心の中まで腐りきっている。たかが掲示板での投稿だが、削除しなければいけないことは書かない方が良い。
真実を告げた投稿をうやむやにしたいがために偽名を使った偽装工作が行なわれたが、過去ログは全てを知っていた。

公私混同のない、個人プレイではないネットワークを作って行っていただきたいと思い提言を重ねてきたが、その腹の中まで見てしまった。
やはり裸の王様であった。

(追伸)
復活された掲示板の新規投稿五件は全て書き換えられた投稿であり、投稿者名は一件を残して全て偽名であった。
この事実を突きつけられ、唖然とした。これは掲示板管理者にしか出来ない仕事である。

進行性難病と妻の不安  2007・9・24
相談後、妻が後を追うように外へ出てきた。その目には涙があふれていた。

病名告知はされていたので難病情報センターの資料はかなり以前にお渡ししてあった。日頃明るい妻なのだが、ここに来て改めて予後に不安を感じられたらしい。先日からジムの階段を登ることが出来なくなったそうである。(本人は大丈夫と言っていたが・・・)

来月講演会・交流会が開催されるが、私はご夫婦そろっての受講を勧めていた。もし必要ならば同行もしようと話していた後のことなので、その内容は大方察知した。
現在の心境からはとても二人一緒に聞くことは出来ないと言われる。そこで話をしたのが、1年余り前に同病者の相談会に始めてこられたときのご夫婦の状態と患者・家族とのふれあいで変わっていかれた様子である。
病気を受け入れ、予後を納得したときに始めてその落ち着きは出るのだろう。心の切り替えである。

先に同病者を紹介して交際も続いているが、その方はお一人で出かけられると言われる。こちらの方は少し病状が進んでおり、夏場の病状管理の申し送りがあったらしい。予測は付いていたが、夏場のジムを休まれたことの理由の一つである。

妻は今精神的にもまいっておられる。精神状態が不安定なことや不眠もあり、薬をもらっておられるという。表情からは深刻な状態を受け止めた。
とにかく同行することにして申し込みをしておいて、一緒に行くかは後程決めれば良い・・・。と、日程確認の上、同行できるかの電話をいれることにしておいた。

告知の問題には慎重な対応が必要である。医師による病名告知だけで良いのかという疑問もある。ひどい話では、特定疾患申請書に病名を書いて告知を受けた方もある。ここはMSW等がサポートしなければいけないことなのであろう。病名告知と共に心も支えなければいけない。
ここに来て講演会参加が続くことになるが、今回も患者会設立のきっかけになるのだろうか???希少な病気だけに、コミュニティーソーシャルワークの観点からも検討する価値がありそうである。

Re: 進行性難病と妻の不安  2007・9・26
まだ車椅子にしたくないのだけれど、座って移動出来る歩行器が欲しい・・・。

歩行器が1機種入っているので、同じレンタル事業者に準備出来るのか聞いてみた。カタログにはないということで、別の事業者のレンタル商品のコピーを渡しておいた。
結果コピーの商品は準備出来ないが、これなら出来ると見せていただいた機種はまさしく簡易車椅子だった。
車椅子の使用に制限がかかってからこの種の製品も開発されている。

妻の意向は、「まだ車椅子にするのには早いのだけど・・・」ということで座って移動できる歩行器を探していた。紹介された歩行器は折りたたみの方法を見ても、正に車椅子である。
コピーで紹介したレンタル商品は二つ折れになるからかさばってしまう。乗用車等に載せるのには座席を一つたたまなければいけない。
主旨が同じこの歩行器は、たたんでも幅を取らない。

そうこう検討しながら、機種選定は進むのであるが、今回の告知にだけは心を痛めている。

素晴らしい視点。  2007・9・23
一泊研修の初日の講師は、在宅介護支援センターソーシャルワーカー時代の最後の研修会でご一緒している。その確認も行なった。

演題は「連携」に関してだが、『コミュニティーソーシャルワークと自己実現サービス』の中に素晴らしい視点が隠されていた。
「・・・・・しかし、属性分野ごとに障害・高齢・児童というふうに分けて、しかも、その分野ごとのサービスを入所施設に限定して考える福祉関係者の場合には、そこまで広がっていない。」と締めくくられている。
この部分でこみ上げるものを感じ、こころよい涙がほほを伝った。
本当に大きく成長されたものである。

第一日目が終了して、部屋で、懇親会でこの話題で盛り上がった。
今、一つのネットワークの姿を描いているが、抱える問題のテーマ別にネットワークを構築していこうという方向性は、正にこのコミュニティーソーシャルワークの一つの方向性であることを再確認させていただいた。
「〇〇さんに褒めていただけてありがとう・・・」と言っていただけたが、今後ネットワークの進むべき道は、大きくコミュニティーソーシャルワークを目指したいものである。

なお研修会に先立って患者会代表から設立総会のご案内があったが、ここには担当が張り付いてきた。同日、もう一つの患者会が設立されるが、ここにも近くの先日お母さんになったばかりの担当が付く。
この根まわしは1年余り前から行なっていたものだが、途中「〇〇さんは難病支援を行なう気がない・・・」と言っておられた方がある。本当に付ける薬は無い。このことも代表ご夫婦と付き添って来ていたCMに伝えておいた。

介護・福祉関係者への提言  2007・9・22
『先日「ケアマネジャーの皆さんが過大な事務負担で役割を果たせていない」旨報道されました。
介護保険に移行されたと同時に介護認定業務が増えた事、ケアマネジメントが量的に増えた事、定期的見直しが義務付けられた事等がその原因ではないかと推測しています。
介護保険は、高齢者の介護費用を負担するシステムが変更されたものです。
負担増から利用を控える方もあり、福祉面から一考の余地はありますが、医療・保健・福祉の役割は本質的には変わっていません。』

6年前に公開したHPの書き出しだが、この6年間、介護保険法に関わる構造的な欠陥も含めて、現状の抱える問題点を中心にご指摘してきた。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm

独立化の勧めの中でその構造的欠陥を指摘しているが、私は胸を張って全国の介護・福祉関係者に挑戦状を突きつけたことになる。この内容が今NHKにも届いており、番組が出来るかどうかは判らないが、結果として究極の提言となった。
この問題を解決できるのは社会全体の「善」の心かと思うが、制度継続のためには是非改革しなければいけない内容である。
問題はもう私の手の届くところには無い。それで十分に満足しているし、今後の成果を一市民として期待しているところである。

最近もう一件手を離れた問題がある。かなり綿密な説得を試みたが、私の手には負えなかった。1週間も経たないうちに同じ問題を繰り返してしまった。通信拒否もあったので、もう説得の機会は無いと判断し、身を引くことにした。その後出てきた真実を掲示板でお知らせしようと投稿した。
結果あまりにも醜い投稿が続いたので、各役職の責任を問うて接続を切ったが、「選択の自由を保障するブログ」に偽名投稿まで出てきた。
こちらも今後如何にして社会的責任を果たしていかれるのか、傍観することとした。
何れも究極の提言である。

今私でなければならない利用者も何件か担当している。自らネットワークを拡げることはないのかもしれないが、求めて来られる方にはそれなりの対応が必要かと思っている。
少し時間がかかったが、事業も軌道に乗りつつある。
後はのんびりと時々は風刺を交えた社会への提言を織り交ぜながら、有効な社会活動を行なっていくことにしようかと思う。

私のテーマは「地域」である。

爆笑劇団  2007・9・21
今日は予防マネジメント研修の圏域(高岡地区)研修が行なわれた。

圏域内には「爆笑劇団」が存在する。福祉の問題・介護の問題を面白おかしく聴衆に伝える劇団である。研修会ではその団長が司会を務めたが、随分成長されたものである。司会者・コメンテーターの役割も兼ね備えられ、素晴らしい研修を聴講できた。
問題を笑いに出来る技術を持たない私だが、非常に勉強になる研修会であった。

ICF理念を日頃頭の中で行なっている私には、アセスメントシートは必要無いのであるが、整理されたシートの分類は出来た。「ここからここまでがこの項目で、ここからここまでがこの項目ですよ・・・」とシートの解説をする機会もあった。
ある方がケアプランを作るときに、第3表から入ると言われたことがある。
その通りなので、10数年前に受けたケアプラン講習では、現在の第3表を埋める作業から入った。古い方にはその方が馴染めるのかもしれない。
とにかく、頭に描いたケアプラン(第3表)を基に第1表から順番に作っていることは事実である。
予防プランに関しても同様の手順を執っているが、日常的には頭の中での作業である。そのミスを防ぐのにシートがあるものと思う。

今日は研修会に爆笑劇団の高岡分団が登場した。先日の研修会でもそうだったが、皆様笑いが好きなようである。リラックスして学ぶグループワークで司会を務めたが、ニーズを項目別に落とす要だけはグループメンバーに伝えられたと思う。(本当は司会が発言すると先に進まないので、滅多に司会は引き受けないのだが・・・)

現在6件の予防プランを担当しているが、介護プランから変更することもそう困難ではない。
境界の方に関しては先ず介護プランを作る。サービスをスタートさせ予防になったらなったでプランを書き換えれば良い話である。
膨大にならない程度の手抜きプランを作っているが、ケアマネジメントは文章ではない。必要なだけの日々の支援を行なっていくことの方が重要であり、支援の経過にこそケアマネジメントがあることは介護も予防も共通することだと思う。

今日は快い研修会であった。

ボキッと折れた・・・。  2007・9・20
椅子に座りがけに、チョッとねじったら、ボキッという音と共に折れたそうである。割り箸を割った時のような音がした・・・と。

昨日午後から片道1時間の道のりを、居宅サービス計画作成依頼届けの手続きに走った。その足で手術予定の方を見舞ったが、一番最後の手術だということでイライラしながら待っておられる。元来気の短い方なので、心を和ませるお手伝いをした。そこで出てきた話が、骨折時の様子である。
レントゲン写真では骨に水泡状の状態が映し出されていた。金魚の水槽に水を循環させる時に出る泡をイメージして頂ければいいのかもしれない。

全身の骨がもろくなっており、少し強く触れば骨折してしまいそうな状態である。骨髄腫・全身に痛みが走り、その痛みを抑えることが治療の中心であるが、果たして家に帰ることが出来るのか・・・と心配している。
手術室の前まで送りそのまま妻と別れて帰ってきたが、果たして手術は出来たのであろうか???
ワイヤーを通して固定する手術だと聞いておられるが、果たして固定出来たのであろうか?私は最悪の状況も予測している。

今日早い時間にお見舞いすることにする。

Re: ボキッと折れた・・・。  2007・9・20
今日面会に行ってきたら、手術は一応成功したということだった。
ただ、痛みが激しく、我慢出来ない位の痛みだと言われる。
血液内科の麻薬等は服用されているが、それでも痛みが強いということで、薬の追加処方があるということだった。
本人は思ったより元気であった。1ヵ月後の退院予定に向けて、リハビリ等にも励んでいただきたいものである。

チョッと遠いかな???  2007・9・19
県西部最南端の町のケースを受けてしまった。
自宅に帰られることになれば担当は返上するが、利用施設が市内ということで依頼があった。でも一度は担当の届けに行かなければいけない。
昨日被保険者証が届いたと電話があったが、子が市内に勤めているということで、その職場で預ることにした。ケアプランに関してもその方向性だけはお示しして、通常の手順を省略させていただいた。本来ならば、ケアプランに合意いただいてから、契約・届けの手順を踏んでいる。

施設入所までの間、施設に慣れておいていただこうというケースだが、今回2件病院がらみのケースに関わることになった。2件とも病院連携はしっかりと行っているのだが、このケースに関しては加算Uをいただくのは少し気が引ける。
無難なほうを選ぶことにした。

電話がかかり次第被保険者証を受け取り、届けに出かける予定でいるが、今日の午後、心配な手術も控えているので夕方には戻らなくてはいけない。スタンプラリーの真っ只中、週明けにはプランも整えなければいけないので厳しい状況ではある。週末はMSWの皆様と宿泊研修もあるので、日程的にはかなり詰まってきている。

MSWといえば先日電話をいただいたが、いよいよ患者会担当を決めていく方向性が出たようである。その必要性は予てから伝えていたが、いよいよ実行に移られたようである。
以前、彼女には誠に失礼な話だが、〇〇支援を行なう気がないと言っていた方がある。正に暴言である。裏ではしっかりと根回しをしておられた。こういった見えない力を感じることの出来る感性を身に付けていただきたいものだと思う。

ということで、今日は南に向って走らなければいけないので、スタンプラリーは一時中断になる。それにしても月末の連休が続くので厳しいものがある。休日返上で、何とか乗り切りたいものだと思う。

独中協よ・・・どうした???  2007・9・18
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/dokuritukeamanezennkokukaigi.htm

4年半前のことであるが、独中協の第1回全国会議に参加している。開業の1年余り前のことであるが、この時は独立開業などは考えてもいなかった。とにかく会議の内容をテープに録音して、その内容をテープから「反訳」した。そのつもりで参加している。ご参照いただきたい。

その独中協の動きがここに来て鈍っているように思う。(根拠はある)
日本の介護保険下では独立開業など無理な話なのであろうか???全国的な話のようである。
介護は自由化されている。ケアマネジメントには独立性・中立性の確保が求められている。囲いこみ率90%以上は減算対象になっている。何れを執っても独立性を求めた制度である。

日本人の体質なのであろうか???
人間としての本性なのであろうか???
とにかく安定した収入を求めている。
介護は福祉である。福祉理念が優先する考え方があっても良いように思う。

今日久しぶりにその現況確認をした。メーリングリストで確認をした。
法の方向性に向った団体が育たないことは寂しいが、これは福祉に限ったことではない。福祉に携りながら寂しい想いをしている。
果たしてこの構造改革はどの時点で行なわれるのであろうか?

混沌としたこの内容に迫るのには重すぎる現状なのかもしれない。
この問題を解決するためには行政の構造改革も必要になりそうである。

我が家がディズニーランドに・・・。  2007・9・18
下の子が小1のときから6年間、ゴールデンウイークは東京ディズニーランドで過ごした。その期間に毎年買い集めたぬいぐるみが、先日から順次居間に集まり始めている。
身の丈より大きい、ミッキーマウス・ミニーマウス・ドナルド・デイジーに続いて七人の小人が一人ずつ登場し始めている。小人は持って遊ぶには丁度良い大きさである。

二人の子供の宝物であったが、もう興味は失せているのであろうか・・・。思い出して順番に2階から持って来ているようである。
はじめての年に下の子はリックにディージーを入れてもらい背負って帰ってきている。途中休憩の時もリックを背負って得意げに車から下りてきた。正しく東京ディズニーランドから運んだのは本人である。その得意そうな表情は今でも忘れない。
そのような想いを我が子にも伝えようとしているように見える。

大人が行っても夢のある場所東京ディズニーランドだが、現実はそうはいかない。嘘にまみれた我侭や公私混同に出会い夢を失くしていた。
今我が家ではディズニーランドが再現されている。
今日も一日忙しい日を過ごしたが、その光景を見て疲れが吹っ飛んでしまった。

今月は更新が多くて担当者会議4件・新規2件で月末まで日程調整が大変になってきている。その合間を縫ってのスタンプラリーであるが、接近困難のお二人以外は何時行ってもお会いできる。そういった中、お二人の入院がある。明日は非常に困難な手術が行なわれるが、術後是非お会いしたいと思っている。
今電話で手術内容を確認したが、ワイヤーを通す手術を行うが、途中で状況に変化があればすぐに中止されるそうである。非常に困難な手術と推測するが、多分執刀医は10数年前に頻繁にお世話になった医師だと思う。先日病室でお会いしてご挨拶を申し上げている。

手術の成功を祈っている。

嘘も方便・・・。  2007・9・18
「男寡にうじが湧く」ならぬ栄養不良で寝たきりになった方が、1年10ヶ月ぶりに退院になる。
この間養護老人ホームへの入所も検討されていたようだが、ことごとく拒否されてきたそうである。いわゆる社会的入院が続いていたわけである。
家に帰って掃除・洗濯は何とか出来ると言われる。昼と夜に弁当があれば良いと・・・。
家に風呂が無いということで、週1回の通所には合意いただけた。

看護師長とMSWとの話の中で「嘘」の合意をした。夜配達出来る弁当は無いということにしておこう・・・と。
とにかく留守にした家の状況を見てくる必要があるので、ついでに2〜3箇所のデイサービスセンターを見学することにした。利用施設は本人に決めてもらえば良い。別居の兄夫婦も同行することになるが、こちらも高齢である。とにかく足の確保はすることにした。

昨日本人にデイサービス見学と「嘘」の内容に関して合意いただけた。ホームヘルパーの採用である。
業務は調理・買い物などだが、「嘘」の理由は「見守り」である。
こんな嘘ならついても良いだろうと・・・自問自答している。
時としてこのようなペテンにかけたようなケアマネジメントも行うが、経緯が経緯だけにその二の舞は許されないであろう。
内心、家に帰ってから拒否が起こるのではないかとも思っているが、家の片付けなど、時間をかけて行なっていただければ良い。

果たして2年近く留守にした家はどうなっているのだろうか???。
本当にうじが湧いているかもしれない。
困難事例がまた一件増えたようにも思っている。

嘘も方便・・・。(2)2007・9・21
デイサービス二ヶ所見学のあと自宅へ向った。兄の勘違いで、妹夫婦とは会い違いになっていたので、本人と兄を家で降ろして妹夫婦を迎えに行った。
帰ってくるとまだ玄関の前におられる。玄関の鍵が開かないらしい。
幸い窓が開いていたので、そこから入ることにした。一昔前なら軽く飛び乗ったのだろうが、自信がなかったので肩車をしてもらった。

家の中に入った一同は唖然とした。とても生活が出来る環境ではない。
みんなで掃除が始まったが、片付きそうにない。業者に依頼することを提案した。
その間玄関の鍵に油を注して修理を試みたが、鍵が回らない。これも修理である。
台所の水道の蛇口も回らない。その他にもあるのだろうから、電機・水道の点検も必要だろう。この際総合的に業者に点検修理を依頼することも勧めた。

病院に帰って、デイサービスを決めていただくことにした。2つのうち一つを選ぶことがなかなか出来ない。兄嫁の一際甲高い声が響き渡った。「あんたはいつも・・・」しぶしぶ一つの施設を選ばれたが果たして馴染めるのかとも思った。
ヘルパー事業所は一任されていたので、これで介護スタッフは一応揃ったわけだ。電話でデイサービスへは利用者との相性の合いそうな利用曜日の検討を依頼した。ヘルパー事業所へは、毎日の夕方のヘルパー派遣の可否を検討していただくように依頼した。しかし大きな不安が残っている。果たしてプランは回るのであろうか???

人間生きるのには生きる意志が必要である。その意志が感じられない。ただ生きているだけである。そういった本人の意志(?)が感じられた。
かって特養の施設長が「食べて・寝て・・・それが介護か・・・心を支える介護であって欲しい・・・」と言ったことがあるが、本人の意志は「昼夜の弁当があれば良い」であった。送迎つきで入浴出来れば良いのであるから、デイサービス通所は苦痛になると思う。正に食べて寝ての繰り返しで良い訳である。「人」を介護する角度から見ると超困難事例である。

2年前に栄養不良でねたきり状態で発見されている。この繰り返しだけはやってはいけない。

Re: 嘘も方便・・・。(3)  2007・9・22
一人暮らしの方が家に帰るのだから・・・と民生委員さんを訪ねた。
この方春頃お会いしたときに、何かあったら〇〇さんにお願いしようと思っています。と言っておられた方だが、昨日行ってみたら、今期で交代されるということだった。たしか私より一級だけお姉さんのはずだから、四年勤められてちょうど定年だと思っていた。でも、今期でやめられるという。何かあったのかもしれない。

ケースの内容をかなり詳しく知っておられ、養護老人ホームへの入所の話が出ていたところまでご存知だった。本当はその方が良かったのだが、本人が拒否されたことをお伝えしておいた。
果たして支えきれるかと思っている困難事例だということをお伝えして、地域の協力もお願いしておいたが、退任まで1ヶ月間の中で、次の方に申し送りをしていただけるものと思う。

サービス担当事業所へケアプラン(案)等を届け概容をお話した。困難事例だと担当ケアマネが感じている、起こりうる状態もお伝えしたが、最初はかなり綿密に関わりを持って軌道に乗せなければいけない。ケアマネジャーも時には利用出来る資源の役割を持たなければいけないと思う。
人生そのものを受け入れていない方だから、支援が軌道に乗るかどうかは、スタートしてみなければどうなるのかも判断が付かない。一応プランには合意はしていただいてはいるが・・・。

来週早々にでも退院前カンファレンスに担当者会議を合流させていただく予定であるが、その段階でも二転三転しそうな感じを受けている。
とにかく手順だけは踏もうと思っている。

子猫が3匹・・・。  2007・9・17
今月は連休もあり、困難(?)事例のスタートも月末から月初めにかけて2件あるので少し急いだ。敬老の日だから休もうかとも思ったが、休んでおれない状況を感じている。困難事例はスタートが見えないケースである。でもスタートしなければいけない。スケジュールは決まっている。

明日受診予定の方の介護者に伝える必要がある内容もあった。リハビリジムへは事務所の鍵を託ける必要があった。ついでに午後から自宅訪問をすることにした。病院で困難な方と見学日程の調整や休日しかお会いできない主介護者を狙ったり・・・やはり一日かかってしまった。
その間に更新2件、被保険者証をゲットしてきている。プランはコピーに少し手を加えれば良いようになっている。
駆け回っているその時に電話がかかった。

滅多に電話して来ない妻から「何処にいる???」と電話がかかったので、急用かと思った。妻にしてみれば急用だったのであろうが、とにかく駆けつけることにした。
庭木の茂みに子猫が3匹いると言う。親猫は追っ払ったが、子猫をどうしようかという相談である。
会社に電話すると「保健所へ・・・」と言ったそうだが、今日は休日、お役所は休みである。そこで生き残れるところへ捨てることにした。(見つかれば民法で罰せられるかもしれない)

段ボール箱は用意してあったので、1匹ずつ「ゴメンネ・・・」「ゴメンネ・・・」と言いながら箱の中へ・・・。安住の場に着くまでだけは、ガムテープで梱包した。
生き残れる場所と言えば民家もあった方が良いのかもしれない。と車を走らせていたら、民家もあり、問屋街もあり・・・といった所に空き地があった。「ゴメンネ・・・」と言いながら、ガムテープを外して段ボール箱を横にして置いた。

誰かの目に止まれば生き残れるのであろうが、3匹ともまだ乳飲み子のようであった。親猫がいれば一緒に運べば良かったのだろうが、親猫は妻が追い払っている。
結論として、妻に責任を持ってもらう事にして、その居場所だけは見つけた。安住の地だったのかはわからないが・・・無事生き延びてくれることを祈っている。可愛い3匹の子猫であった。

言い訳だが・・・場所を移動しただけである。

不覚・・・。  2007・9・16
今日は朝から利用表や不足するケアプランをそろえていた。3時ごろに概ね終わったので、日曜日だから良いだろう・・・と業務を終了した。
滅多に飲まない昼酒だが・・・ちびりちびりとネットサーフィンを楽しんでいた。そのうちに眠り込んでしまったのであろう・・・目が覚めたら外は薄暗く(薄っすらと明るく?)なっている。
パソコンの時計を見ると17時台を示している。???随分ゆっくりと眠った感覚だったので、時計が信じられなかった。

そういう訳で現在の状況がわからない。失見当とはこういうことを言うのであろうか???
しばらく外を眺めていると段々と暗くなっていく。パソコン時計は合っていたのだ。
ほんの1時間余りの熟睡だったが、ここ1ヶ月余りの不眠を全て解消してくれたようである。頭も冴えてきている。

ほんの1時間で急激な変化があったことに対して恐さは残るが、完全に忘れ去ることも出来るようである。自分自身に一つ一つ投げかけてみたが矛盾点は無い。
時として空しい別れはあるものである。でも、中途半端な妥協はしない。
自分で納得した我が道を、これからも突き進むことと思う。

我が人生に悔いはなし。自分の信ずる道をこれからも突き進むであろう。
それにしても「快眠」であった。

裸の王様(2)  2007・9・15
今日、後縦靭帯骨化症の講演会・交流会に参加した。首謀者から「インターネット会議」へ相談があったが、数人の方に相談されるように勧めている。
そのうちお一人が参加しておられた。勿論、県内限定BCCメールのメンバーである。
ネットワーク首謀者にこの方を勧めたのも私だし、今年度からは「社員」という複雑な名称で会にも参加しておられる。「社員」制度を作ったのもこの方のためなのかもしれない。当事者及び家族は社員になれる・・・らしい。

会の合間を縫って小刻みに話が始まった。
「力不足でゴメンナサイね・・・」
「昨日、Nさんにもゴメンネ・・・力不足で・・・とご挨拶してきたところだよ。」
「Mさんおねがいね・・・」
等など・・・予想通り介護福祉担当理事への誘いがあったそうである。
「メールをして良い???」
「良いよ・・・」と別れたが、実は彼女にはもう一つ大きな仕事が待っている。「協業組合」設立のメンバーである。
予測はしていたことだが、未だに私の手の中で動いておられるようである。

帰路について一つのイメージ図が浮かんだ。孫悟空の話だが、時速数十万キロで飛ぶことの出来る孫悟空もお釈迦様の手から外へ出ることが出来なかったそうである。(これは子供向け漫画であっただろうか???)
私がお釈迦様だ何て滅相もないことを言うつもりはないが、常識と理念をわきまえたソーシャルワーカーの手の内からも脱出できないようである。

人材不足と言ってしまえばそれまでだが、ネットワークの崩壊を防ぐためにも彼女には働いていただきたい。
今回私が突き放したのは、私の手中にいては何時までも本性は変わらないだろうと思ったからである。しかし良いアドバイス役がいたものである。(とは言え私の手の中である)
これで安心して地域活動に取り組むことが出来る。

新たなメンバーとメール交信が始まりそうである。
「協業組合」設立の可能性も含めて、一歩前進したのかもしれない。
転んでもただでは起きないという話しもあるが、達磨さんは7年間壁に向き合ったそうである。
格言などが頭を過ぎる一日であった。

「地元での活動は何らかわらないよ・・・」ともお伝えしておいた。

目がない・・・。  2007・9・15
裸の王様(2)の追伸だが、「今日は目が無いね・・・」と言う話が妻から出た。
「控え目だから・・・」とは言ってみたものの、本当にそうなのかもしれない。講演会での出会いもあったし、お酒も入って余程嬉しかったのであろうか???

良い機会なので、最高の笑顔をご紹介する。

http://www.toyamav.net/~ptomo/kouryuukai%20gllary.html

この中から私を見つけていただきたい。床屋にそう金がかからないことだけはお伝えしておく。
隣の女性の笑顔も良いが、本当に良い笑顔である。

知人の妻が・・・  2007・9・14
実は同窓生であった。

非常に密接にお付き合いさせていただいてる方なので、なかなか聞けなかった。今日は推測をお話した。
「もしかして奥さんの姓は〇〇ですか?」「そうだよ・・・」
「それじゃ、お父様は〇〇 〇〇0〇・・・様では」・・・・・。
ご本人は不思議そうであった。

実は同窓生なのだが、一級先輩である。病気をされたらしく、1年遅れて入学されているが同窓生には違いない。お姉さまには違いない。
お会いするたびにイメージがダブってきていた。そこで今日「失礼かもしれませんが・・・」ということで聞いてみた。

私がデイサービスを運用している時に、温泉一泊旅行を行っている。
措置時代だが、行政の了解を得て自由な温泉デイサービスを実施している。
措置時代の良いことなのか、現代の良いことなのか・・・措置時代でも出来たことなのだから、自由競争になった今、出来ない筈はない。
その旅行に参加されているご夫婦の娘さんである。
話は合致した。不思議なものである。
何かのご縁で結び付けられているのか・・・縁は奇なものである。

突然話は変わるが、以前霊媒師のお話を聞いた事がある。
失踪された方を霊媒師に探してもらう話である。結果「ご本人は探して欲しくないと言っておられます・・・」ということだったらしい。
紹介いただいた方の「内緒話」は水子の霊の話であった。誰にも告げずに・・・・ということが今でも心につかえているようであった。
何故私にその話をされたのであろうか???・・・。

二度とお会いすることはないかもしれないが、公的な場ではお会いすることもあるだろう。その時に笑顔で社交辞令的な挨拶でも出来るようにと・・・随分文章を書いた。

起こって欲しくないことが・・・その後  2007・9・14
『骨髄腫の方が骨折をしてしまった・・・。血液のガンである。』

そろそろ3週間になるが、ギブスで固めた骨がずれているそうである。
現在手術も検討しておられるというが、もろくなった骨を手術でつなぐことが出来るのであろうか???
当初最悪の場合、折れた骨を関節で外さなければいけないのかな???と一人密かに思っていた。もしかしてその可能性も否めないのではないか・・・。

昨日血液内科の主治医が回診に来て、頭をかかえていかれたそうである。ご本人は冷静にそのことを受け止めておられた。
手術がどの方向に行くのかはわからないが、もしかして家に帰ることが出来ないのでは???という考えも頭を過ぎる。大変な骨折であった。

しばらくは様子を眺めるしかない。せめて車椅子に座ることが出来るようにならないと、家に帰る方法はない。

Re: 起こって欲しくないことが・・・その後  2007・9・15
昨日妻から電話がかかり、18日に説明、19日に手術だと言われる。
手術が終わった頃に病院へ行く約束をした。

裸の王様  2007・9・13
今回難病団体とネットワークの役員を辞退したが、メールでは失礼かとも思ったが通信拒否もあったので、両団体代表者連名のCCメールで文書等を送信した。送信先は「会議室」である。
仮に私からのメールを削除しておられたとしても、片方には届いている。CCメールだから、その記録も残っている。
1ヶ月余り会運営に対してメールで説得していたが納得には至らなかった。その記録はファイルにして残してある。

最終の問題に関する事実を確認したのはその2日後だが、その事実を掲示板に書き込んだ。そして「役職の責任として、会員に真実をお伝えする必要性・責任がある」ことを明記した。
そこで始まったのが掲示板への偽名投稿である。早くその投稿を下へ送りやりたかったのであろう。そこでファイル記録の私の発信分をインターネットページにすることにした。
1ヶ月の交信記録とはいえ、そのページはワード編集50ページを越えるボリュームであった。編集すると約半分になった。不要なもの(署名等)は全て削除した。

各役職の責任を果たす意思が無いようなので、このページを各掲示板に貼り付けた。そこでもまた偽名投稿があった。掲示板記事では「公表する」と書いている。掲示板投稿は予告である。
しばらく様子を見て、県内限定メールになるのであろうが、公表することにする。

会運営の真の方向性を説いても判っていただけなかった。身近な取り巻きにも注意するものはいない。正に「裸の王様」に「裸」を告げた子供のように思えた。「王様」は「裸」だということに気付いてくれるのだろうか?
内部でダメなら外部へ真実を伝える必要がある。私にはBCCメールという飛び道具がある。

しかし自分に気付きが無ければ誰も注意はしてくれないであろう。
「裸の王様」は今後も迷走を続けるのであろうか?
自らピエロになりたいとも言っていたことがあるが、パッチ・アダムスは裸の王様ではない。
優秀な活動家であるだけに真のパッチ・アダムスになって頂きたい。

精神・知的障害者の家族会  2007・9・13
家族会が患者会なのか・・・という話をしたことがあるが、当事者団体ということでは同じだと思う。昨日そちらのほうから誘いがあった。実態を知って欲しいと言われる。
内容のさわりをお聞きしただけで、一番に拳を天高く突き上げそうな内容である。次回の家族会に誘っていただけるそうである。

先につくし〇といで開所式で、ボランテイア代表としてインタビューに答えた内容だが、障害児(者)と高齢者では介護者が違うということである。これに知的・精神も当然加わる。
「私たちが年老いてこの子の世話が出来なくなったら、この子はどうなるのだろう・・・」共通する悩みだと思う。

介護者の共通の悩みを「介護」の視点で見るのか「置かれた立場」で見るのかで、その組み合わせの構成は違ってくるだろうが、私は「置かれた立場」で大きく纏まることも必要ではないかと思う。すなわち、障害児(者)も知的・精神障害児(者)も同じ視点「私たちが年老いてこの子の世話が出来なくなったら、この子はどうなるのだろう・・・」で大きくネットワークを組むことも可能だと思う。

話を聞く限りでは、かなり過激な団体のようである。行政に対しても、言いっぱなし・聞きっぱなしということもあるらしい。どうせ答えが出せない担当者に対してだからそれでも良いのかもしれないが、この部分を聞いて身の不安を感じた。
とにかく一度は同行して雰囲気を感じることにするが、言いっぱなし・聞きっぱなしは良くない。仮にお手伝い出来るとしたら、この辺りの戦略に対してなのかもしれない。

地域に数ある団体の共通する問題を一つにしていくことの出来る、そんなネットワークも必要である。実りある活動が誕生するような呼びかけが出来れば良いと思う。

後縦靱帯骨化症 2007・9・12
15日に講演会・交流会が開かれるが、昨日、首謀者からメールをいただいた。
患者会設立の意向があり、形が整うまでは何らかのお手伝いをしなければいけないと思っている方でもある。
「会」ということであるから、私に出来ることは組織を整えることであろうか???最初に相談をいただいたときには、可能なネットワークへはつないだ。

当日行ってみて、どのようなメンバーが来ているかも楽しみなところではあるが、会場に入りきれない聴講申し出があり、断わっておられる状況だとお聞きする。
難病相談支援センターが関わっているので、その実力なのかもしれない。先日厚生センターで聞いた話では、センターで掴んでいる患者全員に郵送されたそうである。(文書と一緒に郵送されており、タイミングも良かったのだろうが、患者宅その封書を見かけた)

お一人、名前は言われなかったが、「こんな方知ってる・・・」ということだったので、もしかして・・・と答えたら、図星であった。細かな内容まで当ててしまった。この方となら利害を抜いてネットワークが組めそうである。勿論今お付き合いしている方とも継続支援を行っていくが、閑散とした地域に賑わいが戻ってくるキッカケになるのかもしれない。

ネットワークに公私混同や利害が絡んではいけない。オープンな組織運営を続けなければ何れ衰退してしまう。このことは過去の事実が物語っており、そこには必ず利己主義な方が関わってきている。何件か実例を見てきている。

「介護問題」と「地域の連携」
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/sub4.htm
というページがあるが、昨晩から今日にかけて、久しぶりに更新ページを追加した。リンクしていないページもあったので、全てリンクを回復させた。
講演会のあと患者会設立ということになれば、このページも賑やかになるのかもしれないが、せっかく出来る患者会であるから、オープンな運営をしていただきたいものである。

???AM???  2007・9・11
今朝、週間予定表の火・木曜日に「AM」のマークがある。「???」何故付けたマークか思い出さない???

今電話がかかって思い出した。それも少し話が進んでからである。
国立病院機構〇〇病院からフイルムが届くのを待って、総合病院へ相談に行くという話であった。電話をいただかなければ何のことか判らなかったかもしれない。
先に家族が医師に相談して、予約日が決まったら同行するという話である。フイルムが届かないから今日は行けないというご連絡であった。

土曜日に温泉行きのバスを送り出した直後に電話がかかって、訪問の上日程調整をしてきたのだった。
この週末は思考がただ1点に集中していた。
果たして会長が理解出来る話し合いが行われるのであろうか???という1点にである。その結果意思決定をすることにしてあった。
結果は経過説明と一方的に都合の良い話であった。意思決定は早かった。瞬時の決定である。

ところで、思い出すことが出来れば認知症ではないというが、今の電話で、少し危ない気もしている。少しずつ・確実に近づいているのかもしれない。

良かれと思って・・・。2007・9・11
将来大いに期待出来る方だけに、組織運営の姿勢に関して提言を重ねてきた。
一度は関係者に説得されて、時間をかけて姿勢を正していただくことにしたが、1週間も経たないうちに同じことをやってしまった。立場の取り違え・公私混同である。

指摘した時点で返信が無くなったが、電話もつながらなくなった。組織人らしからぬ行動である。
準備は地域ごとに進めてきたが、ここで個人プレーが起こった。関わってきた本人が知らないところへ直接電話電話をしたという。再三会長からも注意をしたということだが、聞き入れなかったという。利己主義な考え方は以前から判っていたが、ここまでくれば付ける薬は無い。

温泉で会長に納得出来る話をしていただくように言っておいたが、経過説明と自己主張に終わったようである。
重要メールを送っておいたのだが、受け取ったとの返信も無い。電話で確認するも、電話に出ない。そこで開封確認メールで最終確認をした。

良かれと思っての提言であったが、逆に恨まれてしまったようである。
開封確認メールの取り扱いがわかればそれで良い。その人となりを判断するには充分である。
1ヶ月余りの夏の熱い思い出であった。

Re: 良かれと思って・・・。  2007・9・12
メールの開封確認の返信は無かった。

この1ヶ月余りに発信したメールと掲示板・ブログでの発言をページにまとめた。
ネットワークの崩壊
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/nextutowa-kunohoukai.htm
です。

電話がつながらない。  2007・9・10
3年半もお付き合いしたのだから、お別れの言葉の一つも言いたい。そう思いながら電話をしているが電話がつながらない。
昨日は自宅に電話をしたが、ご主人が「疲れて寝ている・・・」と言われる。でもインターネット情報発信はしておられる。
今日は今日で電話したら話中であった。再ダイアル2回目で数分呼んだが出られない。明らかな受信拒否である。

たった一言お礼を言いたくて電話をしているのだが、ここまでくれば意地になる。文書が届いているのかとの確認の電話だが、ひょっとして重要文書も削除されているのかもしれない。
推測だが正面を向き合うことが恐いのだと思う。これは敗北を意味する。
間違いを間違いと認められないのかもしれないが、そのことは概ね予測している。

間違いを間違いと認め、前を向いて進んでいただきたいものである。
それにしても不安は残る。このままでは言わなくても良いことまで公言しそうである。

ネットワーク  2007・9・10
組織や企業の内部にもネットワークがある。行政ネットワークは縦割りだが、このネットワークも横へ拡がって行く必要がある。組織や企業も同じように内部ネットワークを持っている。
その内部ネットワークが崩れれば組織や企業は機能をしなくなる。これは当然のことである。

ネットワークと言っても言葉に表すことは難しい。一言で言えば「人と人との結びつき・・・」ということになるのであろうか?
即ち人間関係をどう作っていくのかということがネットワークの原点なのだと思う。組織や企業に属すればその本来の目的に向って、人のネットワークを作っていかなければいけない。
ところで、企業や組織にはその目的をどうやって遂行していくのかという方針がある。定款や事業計画等など、文書にして残されているはずである。これを構成員はバイブルとしてその業務に励むわけであるが、そのバイブルが危ない企業や組織もあるだろう。

勿論内部ネットワークが崩れればその組織や企業は崩壊の道を辿るのだが、その前に誰かがそれを指摘しなければいけないということになる。そうしなければ本当に崩壊してしまう。
今回私が身を引いたのは、その原点が非常に重要な人物だったからである。
他の誰かであったなら、とことん追求していただろう。今心配しているのは取り巻きの質の問題である。非常に悪いのが身近にいる。
その選択をするのは当事者本人であるから、今の私にはもう関係のないことなのかもしれないが、将来を見越して考えを改めていただきたいような気もしている。

もうどちらでも良いことなのだが、やはり気になる。
目先のことならネットワーク理念を考えていただければ判ることだろうし、目先を考えないのなら英断を密かに期待している。でもお答えがない。
ネットワークは人と人とのつながりであることを、もう一度確認しておきたい。
この種のネットワーク論は今後決して書くことはないであろう。

病院の改装  2007・9・10
かなり古い病院だが、一部改装工事を行なわれるそうである。
長期入院中で家に帰ることの出来ない方もあるので、しばらくショートステイで対応出来ないかという話である。対応するショートステイは決まっているようだが、保険者が少し遠い。一度は足を運ぶ必要があるので躊躇している。
とにかく今日、本人にお会いすることにしたが、ショート対応出来る方なのかも判らない。

社会的入院が問題視されているが、家族に介護力がなければこれも致し方ないのかもしれない。終の棲家である特養には簡単に入所できない。特養の申し込みが為されているのかも確認しておく必要がありそうである。
以前、特養で対応できるかテストケースでショート利用の手配をしたことがある。このケースは利用の理由付けが出来たが、今回は果たして如何なのであろうか?
とにかく今日MSWと本人に逢うことにしたが、そこでの話になるものと思われる。

前回はかなり重度の方で、入所面接に来ても老舗の特養に断られたケースであった。二ヶ所ほど利用して、「ショートでは難しいですが、入所なら対応出来ますよ・・・」と言っていただけた。数ヵ月後に特養入所が決まったと連絡をいただいた。
今回の病院の改装というところが気にかかるところだが、果たして理由付けが出来るのであろうか?ケース記録はしっかりといただける病院である。

いずれにしても、病院からショート施設入所であるから、初回加算は控えめにしておくことにしようと思っている。

国立病院機構北陸病院受診その後  2007・9・8
子から電話がかかり訪問した。

受診後の経過だが、本人を家に送ってから、長男と長女は紹介施設の担当者訪ね返書を渡して医師に伝えていただくように話してきておられる、翌日長男が紹介医師を訪ね、受診の報告と相談の上、総合病院脳神経外科医師宛に紹介状を書いてもらって来られた。
総合病院に問い合わせをすると、フイルムを持って事前に担当医に相談に来てから受診日を決めれば良いということだったので、北陸病院へ電話をしてフイルムを送ってもらうことにされたという。
来週にでも相談に行って受診日を決めて来られるということなので、受診には立ち会うので連絡をいただきたいとお伝えしてきた。

北陸病院では入院予約を生かしておいていただけるということで、腫瘍が悪質のものでなければ、入院治療→老健→特養(3箇所申し込み済み)の形が出来上がることになる。
この件はこれで良かったのだが、もう一つの火種が再燃してしまった。
一つ戻って「役職の使い分け」をご参照いただきたい。

役職の使い分け  2007・9・8
組織の肩書きを組織ごとに持っているとその使い分けが難しいらしい。
まして一つの事務所に組織が混在していると、そこに集うメンバーもその内容がわからなくなってしまうらしい。これはリーダーの責任である。
先にそのリーダーに注意したが、良く判っておられなかったらしい。一応妥協点を見つけ時間をかけてお解かりいただくことにした。

1ヶ月も経たないうちにまた同じことを繰り返してしまった。
(案)を事務局で作って役員に図ることになっていた。ここで問題を起こしてしまった。事務局に役員も加わって(案)を作ったということである。会長には事前に知らせてなかった。会長から希望として出されていた内容を盛り込まずに、事務局+一部役員で(案)を作ったということである。
(案)が出てから会長と事務局長が電話対談をしたということだが、聞き入れない事務局長が「直接本人に電話する・・・」と言ったので「勝手にしたら・・・」答えたらこれを許しを得たと取り違えてしまったようだ。

私にも関わる問題だったのでメールで確認すると、許しを得てあると返信が来た。会長に電話で確認するとそのときのやり取りを教えていただけた。許しは出ていないと、経過のポイントと問題点を指摘したメールを送った。
通常問題解決の気持ちがあれば返信があるはずであるが、返信がないので、会長と一緒に電話をするが電話にも出ない。連絡を諦めて家に帰ったら、事務局協議に加わった役員からメールが届いていた。このメールが問題メールであった。

当然事務局長が答えなければいけない内容に触れていたので一喝した。
組織を立て直すためにも整理しなければならない問題なのだが、しばらくの間突き放してみることにした。
先ずは自分の立場を理解して整理することから始まるが、その使い分けもしていかなければいけない。そうすれば回りも自ずと立場の整理が出来ていくものと考える。
少し時間がかかりそうである。

パーキンソン病はやはり難病だった。  2007・9・6
DBS再手術で僅かにずれていた電極を1本入れ替え、快調に退院された。
退院後の相談で一時は介護保険から卒業出来そうであったが、医療リハビリには通えなかった。デイケア通所で何とか首はつながれたが、退院から1ヶ月、体調も落ち着かなくなってきていた。

ヨーガ・リハビリジムも休みがちだということは聞いていたが、デイケアを休んだとはじめて電話をいただいた。聞くからに苦しそうな声だったので、何も出来ないが訪問することにした。2回目の薬が効かないと言われ、2時過ぎの訪問だったが、そろそろ3回目の薬を飲む時間になっていた。

DBS手術は0N−OFFの波形をなだらかにする効果があるが、今日の状況では全くその効果が現れていない。明日受診したいと言われるが、行きは良い良い、帰りは恐い・・・になりそうである。そこで神経内科と脳神経外科を一緒に受診出来るように病院と連絡を取った。そして同行することにした。

やはりパーキンソン病は難病であった。非常に微妙な調整が必要のようである。入院中の担当医が外来で揃って診察されるということで、本人も安心しきっておられた。
時間があれば地域連携室へもお寄りしようかと思う。
そうそう、お一人DBS手術入院の方もあった。明日は一日仕事になりそうである。
そのあと温泉の最終打ち合わせは・・・キツイなぁ〜〜〜。

Re: パーキンソン病はやはり難病だった。  2007・9・7
神経内科と脳神経外科をそれぞれ受診したが、結果退院時の薬の状態と電極の調整に戻して様子を見ることになった。
来週火曜日が神経内科の予約日になるので、それまでの5日間の様子を見て、脳外医師も診察に立ち会うことになった。
家に帰る頃にはONに戻っていたが、パーキンソン病は本当に微妙な病気である。

もう一人先月末に手術をした方があるので顔を見に行ったが、こちらは薬を併用しなくても良い位、安定したON状態を維持しておられる。食前に薬を飲むと効き過ぎて足に震えが出るということで、食後に服薬されている。その方がゆっくりと効きはじめるということなのかもしれない。薬剤師の方がおられれば教えていただきたい。

重度者の落ち着き場所がない。  2007・9・5
介護が必要になることは誰にでも予測されることであり、自分だけは重度介護が必要にならないと言い切れる方は無い筈である。
特養時代には随分重度の方を見てきたが、介護保険下での実態は如何なのであろうか?
医療機関も含めて、手のかかる方を敬遠する嫌いがある。
何に手がかかるかと言えば、看護・介護ではない。見守りである。

先に施設で転倒〜死亡に至ったケースが裁判になった。判決は損害賠償の支払いであったが、果たしてこれで良いのであろうか???
施設内でおこったことは施設の責任なのかもしれないが、転倒等リスクの高い方が施設には沢山おられる。
生活指導員のときに、1ヶ月に5人の骨折入院があった。思わず「またか・・・」と叫んだこともある。
怪我をさせて良いということではないが、リスクが高ければ高いほど敬遠されることも事実である。

措置から契約へ・・・介護保険下では、公正な入所判定委員会が開かれることになっている。本来施設側が入所者を選ぶ事が出来ないシステムになっている・・・ハズ・・・ではあるが、その実態は判らない。
一件だけ経過を確認できたケースはあるが、全く密室で行なわれているのが実態ではないであろうか?

この実態にマスコミがメスを入れようとしている。しかしこの実態を表面化させることは難しいと考える。
選択の自由の保障に関しても言えることだが、実態を改善するためには関係者の理念の高揚が求められるであろう。そこで形容した言葉が「誰にでも予測されること」である。
「明日はわが身・・・かもしれない」という考えに基づいて、公正な入所判定を行なっていただきたいものである。

国立病院機構北陸病院  2007・9・4
究極の選択から1ヶ月目、経緯の中で紹介のあった精神科受診に長男・長女と一緒に同行した。
初診の予約は一件だけだったらしく、昼過ぎまでゆっくりと診ていただいた。ただ本人は3回中座した。その見守り役も勤めた。

入院を前提に各種検査を行い診察室に入った。脳萎縮はそれなりにあるが、ただ一点気になる部分の指摘があった。MRIが古くてよく判らないが、脳に腫瘍らしいものが映し出されている。これが何かを確認していただきたいと返書には書かれていた。医師から一通りの説明を受け、家族は病棟を見学したが、凄まじい現実を見て来られたらしく表情は変わっていた。妻のことを考えれば隔離しなければいけないが・・・。と家族の究極の選択が始まった。

診察に先立って行なわれた心療療法士の問診で、果たして答えられるかと思っていた長谷川式スケールには自分なりの答えを返しておられた。ここで感じたのは「接し方」である。流石・・・と思ったのは日常の本人を良く知っているからである。意に反したら決して口は開かれない。
医師に対してもそれなりに言葉を返しておられたが、お二人とも言葉は柔らかい。

受診の一日が終わり、家族と経過を確認している中で、病院の対応も素晴らしかったが、デイサービス・ショートステイの究極の選択も素晴らしかった。その説明中に熱いものが頬を伝わった。人の心を感じることは素晴らしいことである。
若い頃はかなり涙もろかったが、しばらくこのことを忘れていたようである。

先月を前後して起きていた問題点はほぼ解決した。
もう一件は急がないし、「照れくさい話」として、「大きなかぼちゃ」に心打たれたことは伝えてある。
悩める1ヵ月半からの脱出宣言をしても良いのかもしれない。
非常に良い、充実した一日であった。

失敗続きの広報(介護研ニュース)  2007・9・4
開業から3ヶ月余り、認定調査もケースも来ない現状から、予想通り行政ラインで情報の囲い込みが行なわれている実態を身を持って感じた。
担当課長への申し入れや市民の皆様に実態をお知らせする決意をしたのはこの時である。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2nixyu-suno15.htm
介護研ニュースNO15「待つ福祉から発見できる福祉へ」

このニュースは新聞折り込み広告用に作ったものだが、この種の印刷物は不良広告の取り扱いを受けるということで折り込みは出来なかった。
今読んでも新鮮なのだが、とにかく印刷した約3万部は処分してもらい、約1000部を町並みに無差別に投げ込んだ。実はこのニュースは行政にとっても脅威であった。課長以下重要メンバーの集まる会合に呼ばれ、これで終わりにしていただきたい・・・ということになった。
民生委員からの通報があったということであるが誰かは判っている。また裏の関係も知っている。これは施設からの苦情であった。

それから1年後、市中心部に『会議室』
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kannbann.htm
を準備することになるが、開設記念紙として準備したニュースが同じく
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2nixyu-suno15.htm
介護研ニュースNO15「待つ福祉から発見できる福祉へ」

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2nixyu-suno16.htm
介護研ニュースNO16「地域包括支援センター」に期待である。

『会議室』の開設を待ったかのように、経済誌の取材を受けているが、ちょうど同じ問題で訴訟が起こったということで記事はお蔵入りしている。結果、電話取材も含め当たり障りのない記事を2回掲載していただいている。

そして、「独立化の勧め」をキッカケに、一連の広報へとつながっていくわけである。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm

開業してからの広報はご紹介した2通のニュースから始まる。それ以前のニュースに関しては関係機関に配布しているが、興味がおありだったらご参照いただきたい。

2ヶ月余り前のことであるが、某TV局から取材をいただいている。地方局だということだが、広報としては一応その目的を果たしたようである。
『選択の自由を保障する』はそのような経緯の中から生まれた言葉であるが、ブログに誘われてからそろそろ1年が過ぎ去ろうとしている。
混沌とした介護保険の現状ではあるが、誰かが言わなければいけない問題であり、納税者である市民の皆様にお伝えしなければいけない問題である。

「コムスン問題はほんの氷山の一角でしかない。」(ジャーナリスト櫻井よしこ氏の言葉より)

寝ていない方がいる・・・。  2007・9・3
私は夜が早い・・・はずだったが、最近は12時頃のことも時たまある。
それでも4時には目が覚めるから、たまには寝ていないこともあるかもしれない。パソコンを前に居眠りしていることもある。
そのような私と時間がほとんどつながる方がある。果たして寝る時間があるのかと余計な心配をしている。

時間構わずメールやFAXを送ることがあるが、家庭用FAXは呼び出し音が鳴ることを忘れている。携帯メールで着信音を設定しておられる方もあるので、早朝から起こしてしまうこともある。誠に迷惑なことである。

もう少しメカに強くならなければいけないと思うが、新しいことは頭に入らない年になってしまった。
頑固さはこのような状況の中で自然発生するのかもしれない。
「老いては子に従い・・・」とはこういうことなのかもしれない。

価値観  2007・9・3
若いお二人のブログ交信に時として口を挟むことがあるが、今日は標題が頭を駆け巡った。
医療・介護に関わらず、人として共通した価値観に命の尊さ・生きるということが上げられると思う。最近この価値観が怪しいのではないかと思うことがよくある。

専門職であるから業務ではあるが、その業務に心を感じることが出来ないことがある。そのようなサービスは勧めもしないが、その判断材料がたった一人の職員であることもある。人事は重要なことであり、外部と接する職員はサービスの顔でもある。心を感じることの出来る職員を配置していただきたいものである。
専門資格は業務に対する対価を得ることの出来る資格でしかない。医療・介護等人を相手にするからには心をも兼ね備えていただきたいものである。

人が生きる上において、時としてお困りごとが発生することがある。この困った状態を解消するために助け合いや制度があるわけだが、基本姿勢としては相手の立場で考えるということだと思う。そして、お互いの価値観を共有した上で支援を行なうことになるが、心を支えることも忘れてはいけない。
時として受ける側のマナーも口にすることがあるが、ここには権利意識が潜んでいる。介護はたしかにビジネスになったのかもしれない。しかし良い介護には心の通いあいが必要である。

そのような心を感ずる方々が何かを考えているようである。
福祉に囲いこみたいような方々だが、福祉の現状はそんなにきれいではない。人としての理念に欠落しているような管理者も目にするが、近付かれない方が良いだろう。
反面、何か出来ないかと考えておられる方もある。このバランスが来るべき超高齢化社会を支えることが出来るかというポイントになるものと思うが「善の心」をもつ若者が増えてくれることを大いに期待している。

数々の情報発信が色々なところに届き、個人の情報発信としては限界を見ている。文書もいただいて、その方向性も明確にされている。しかし地域は動かない。この現状にうんざりしている。
価値観を共有できる方々と共に歩みたいものである。

介護は続く・・・。  2007・9・2
国は介護予防と言うが、要介護者が自立出来る訳がない。要介護になった理由をそれぞれ持っている。

認知症・パーキンソン病・若年性脳疾患障害・肺気腫・糖尿病三合併症・片足切断と認知症・うつ病・頚椎難病・膀胱ろう・大脳皮質基底核変性症・骨髄腫・小脳変性症・腎症・脊髄損傷・心臓疾患など等、思いつくままに書いたが、介護が必要になった原因の疾患である。
生活習慣病の改善を目指した保健事業・介護予防事業に完治できない原因の多くが盛り込まれている。これら疾患を如何予防しようというのか・・・完治出来ないレベルの医療でしかない。

これでは介護予防事業は介護給付費削減の方策だったと言われても致し方ないであろう。各種難病や完治しない病気が原因で介護が必要になっても、頭がクリアなら予防給付である。
予防プランの半分に、予防しようのない疾患・状態であることを明記している。予防給付の考え方自体が、付け焼刃的である。勿論認定審査会のレベルの低さを否定するものではない。

支援であろうが介護であろうが、介護が必要なケースでは介護が続くのである。
認定審査会の意見が記された被保険者証を見たことがない。それでもケアプランには「なし」と記載して下さいと言う。レベルの競争をしているのではないが、審査会にこちらから意見を言っても良いほどであるが、それほどまでに開かれた認定審査会ではない。言うのも疲れるから、余程のことがない限り、不服申し立てはしない。
一件だけ意思表示したが、窓口で変更申請としてかわされてしまった。不服申し立ての制度がありながら、行政も含めてグルグルである。

とにかく介護は続くのであるから、続ける必要がある。
予防出来ないものを予防給付で給付していること自体が矛盾である。
先日の訪問看護のケースでは、毎回バリケア交換になっても、限度額内で何とか収まりますね・・・で締め括っておいた。
何が介護予防なのかを今一度考えてみる必要がありそうである。

Re: 介護は続く・..  2007・9・2
fp_pf さん、お久しぶりです。

何が(高齢者にとって)介護予防かを考える気があるなら
介護保険で介護予防をしてはいないでしょう。


いえいえ今回の法改正は、次回に向けてのステップだと思っています。
市町村保健事業の中で軽度者の支援を行なっていくのではないかと予測しています。あくまでも予測ですが・・・。

ところで、
虫歯や歯周病等の『予防』のための・・・。


女医さんとお付き合いさせていただいています。
イベントの時にはコーヒーセット一式持参です。お祭りが好きみたいです。
訪問口腔ケアの必要な方はあります。必要な方に必要なサービスが届けば良いですね。

Re: 介護は続く・..  2007・9・2
まあ、能力もないのに専門家ヅラしてシャシャリ出ていた人が『むごい思い』をするのは
本心『いい気味』ですが、そんなに上手くいきますかね?


内情を理解しないで勤められた方もありますが、予防プランは保健センターの仕事だと思っています。気付かなかった行政も悪いのですが・・・提言だけはしています。

そこで残るのが在宅介護支援センターなのですね。

上手く移行できれば利用者の理解は得られると思います。

厚生労働省は今回の法改正で市町村の力量を天秤にかけていますよ。
次回改正が楽しみですね。

にしても、介護事業所の加算メニューって、うさんくさいですね。

通常では取れないようになっているのですが、それでも加算をしているところは余程優秀なのか、力量を見られているかどちらかだと思います。
安易な加算はしない方が良いと思っています。(優秀なところは別ですよ・・・)

緊急ショートステイその後  2007・9・2
食事はホールでみんなと一緒に、プログラムもそれなりに参加されていたという。ただ・・・ただ・・・トイレが頻回であった。

デイサービスへ行くなら家で寝てるわ・・・タイプの方だが、耳がほとんど聞こえないので、要は筆談である。笑顔を送れば笑顔で応えていただけるが、それが彼女の社交辞令である。
医師がカルテに好い加減な字を書くと指摘される。(人のことは言えないが、日本語を書く医師にそう多くはお目にかかっていない)認知は全くないとは言えないが、生活が不活発な理由は「耳が遠い」(聞こえない)ことかな???と思っている。私とのコミュニケーションは笑顔だけである。

スタンプラリーは居室を訪問しなくても良い。玄関先で話をしていれば必ず通りかかられる。ほんの少し話し込むと2回目もある。その通りがかりに笑顔を送れば笑顔で応えていただける。
ショートステイ担当者によれば、1日に100回くらいですかね???ということだが、頻度を見ていると100回できかないかもしれない。とにかくトイレに通うことが日課になっている。
主治医にも相談しておられるが、身体的には全く異常がないそうである。しかし頻尿である。

閉じこもりの防止策として、ショートステイの計画利用の相談があった。緊急利用だったので施設も見ておられないので、子を見学に誘った。それじゃ・・・ということで見学と利用予約を兼ねて一緒に施設へ出かけた。
一室空いていたので居室を見せてもらったが、子は納得された。居室内に専用トイレがあるから、頻尿でも大丈夫である。

ということで、9月に一泊、10月に一泊と二泊のショートステイを予約することが出来た。思ってみれば緊急で三泊四日が取れたこと自体奇跡に近い。よほどタイミングが良かったのか、私自身が付いていたのかもしれない。

入浴介助  2007・9・1
友の会温泉一泊旅行で「全介助の方の入浴介助が出来るか・・・」との投げかけがあったので、ADL等本人の状況を聞いてみた。
電話で状況を教えていただいたが、ADLはともかく、1年近く入浴をされていないと言われる。気管切開・胃ろうを持っておられるが、昨年はお一人で参加されている。この1年間で病状が急激に悪化したものと思われる。

入浴されていないということは、利用出来る施設が無いのかも知れない。(無いことはないのだが・・・)
気管切開や管をつないでいると敬遠する施設が多い。デイサービスでも看護師必置であるから出来ないことはないのであろうが、やはり敬遠されている。
話をお聞きして利用出来る施設を紹介しようと思う。

「大浴場で入浴できない???」という投げかけに間髪を入れずに「やりましょう・・・」と答えた。
「気管はガーゼとラップで塞いで・・・」「チョット待って・・・息出来ないよ・・・」「良いの、自発呼吸出来るから・・・」「?????」・・・。頚椎も傷めておられるのでこちらのほうが心配である。
ということでぶっつけ本番の入浴介助が一週間後に控えている。

医療と介護の狭間が広がったように思う。
かってALS患者の吸痰が出来ないと言って地団駄踏んだホームヘルパーと同席したことがある。今要職に付いておられるが、その事業所では現在吸痰は行っておられないそうである。何か矛盾を感じながら介護の現状を眺めているが、医師の指導の下出来るようになっても「出来ない」と言われるその心を疑いたい。

吸痰を引き合いに出したが、今回の入浴は切開した気管に水が入らないようにすることと、首に気をつければ良いだけの話である。専門職は私一人だが要さえスタッフにお伝えして、3人で移動すれば寝たきりの方でも大丈夫である。自信を持って入浴介助を行うことにした・・・とはいえ、介護となると15年ぶりのことなので、若い方に助けられながら、何とか無事、温泉につかっていただきたいものである。

Re: 入浴介助  2007・9・2
usagi112770 さんお久しぶりです。

パーキンソンの方で、昨年階段から落ちて首を折りました。

階段は得意なはずなのですが、事故って起こるものなのですね。ジムでも気を付けなければいけませんね。
先日も骨折してはいけない方が、イスに座りがけに足をねじられました。私等なら「おっとっと・・・」で済む話なのですが、捻挫の前に骨折でした。

退院して間もないのなら、何故気管をふさがなかったのでしょうね。カニューレはもう外れているのでしょうか?一回り小さめにして外すこともあるようです。
気管切開・胃ろうでも利用出来る施設はありますので、大丈夫だと思います。良いスタッフも揃っていますから・・・。

いろいろ問題もありますが、一年に一回くらい、いいことあってもいいですよね。

意識ははっきりとしておられると思いますので、確認しながら介護すれば良いと思います。もしよろしかったら家庭内の問題もお手伝いしますよ。

とにかく、危険がいっぱいだから、確実に入浴できるようサポートしましょう。私もはいるぞ!

大丈夫ですよ。今年は介助入浴でご一緒することになりますね。
それでは当日頑張りましょう。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです

昔〇〇〇今〇〇〇  2007・8・31
昨日、貸し出していたDVDが帰ってこないので訪問したが、本人が不在のため、必要になった旨伝言をお願いした。どうも当事者はすぐに入院になったらしく、退院は無いのではないかとの見解だった。
裏情報としてはレスパイト入院の相談をされているということであったが、この相談経緯の中で入院が決まったらしい。それならそれで連絡をいただかないと、通所出来るように手配を進めていたこともあり、こちらも急がなくて良いという話にしておかなければいけない。

ネットワークを通じてネットワークに相談が来たわけであるから、大きな動きがあった場合には、何れのネットワークでも良いから連絡をいただかないとネットワークは動き出したままである。この関係は常識の範囲だと思うが、案外気付いていない方が多い。相対的に物事を見ることが出来ないということであろうか???
これはケアマネジメント・ソーシャルワークにおいても気を付けなければいけないことなのであるが、一貫性がないと混乱することが多い。介護保険法ではその意思統一するために一定の様式があるが、この様式には混乱を防ぐ意味も含まれていると思う。

話は反れたが、待ち合わせ場所へ外出したがっている孫を連れて行った。同じく孫を抱いた、見かけは若いおばあちゃんにお逢いした。本人同士は興味があるようで、盛んに振り返ったりしている。
この若いおばあちゃんも含め、若い頃は青年部で盛大な活動を行っていた。
今は壮年部という名前に変わって当時ほどのことは出来ないが町内に貢献しようとしている。まだまだ青年部には負けないと、頑張っているメンバーの妻である。

周りがみんな一緒に年を取っているので意識はしないが、標題の通りの現実がある。もうしばらくしたら〇〇がもう一つ増えるのであろうが、直視したくない現実でもある。
ということで、今夏最後のトンだ夕涼みになった。
気持ちだけでも若くありたいものである。

不可解な関係  2007・8・31
昨年秋のことだが、友人の車で名古屋へ向かう途中電話がかかった。DVである。
幸い本人はデイサービスに出かけたところで、そのままショートで保護してもらうことにした。
日帰りの予定で出ているので、帰ってからの相談とした。子は娘のところへ避難するということだった。

警察へDV被害を届けに行ったのは翌日の昼頃になったが、措置入院させるには現行犯でなければいけないということである。子は派出所へ行ったが誰も居なかったので諦めたと言う。派出所の電話は110番直結だと言われるが、気が動転している時にそこまで気が回るだろうか???
とにかく、主治医の証明と厚生センターへ届けて欲しいということであった。
言われる手順を踏んで翌日再度警察へ向かったが、担当者は逃げ腰である。
結果、こちらで対応するしか方法がなかった。

その対応は子の夫に出て行ってもらうことである。
その話し合いに出かけたが応じていただけないので、留守を見計らって電気・ガス・水道を切ることにした。(これは良い内容であった)
別にアパートを見付けしばらく身を隠すことにしたが、その手順に3日位かかっている。
その間、ショートの空白が出来たので一夜街中の旅館に母・子は泊まっている。

避難生活も落ち着いて2ヶ月ぐらいで、もういなくなったということで家に帰ることになった。果たして大丈夫かとも思っていたが、平穏な生活が半年くらい過ぎ去った。しかし実際は平穏ではなかった。
断片的に入る話しだが、帰ってきて精神科病院に入院していたらしい。
先日デイサービスでお会いしたとき気分が優れないように感じた。職員同席で聞いてみたら、断片的に話し始められた。私には内緒にしておくように子から言われているということである。

生活環境を整えることもケアマネジャーの仕事だと思い関わってきたが、子夫婦には何もいうことは無い。しかし、今後も本人の体調が優れないようであれば口を挟むかもしれない。当時は接見禁止仮処分も含め法的措置やその方法もお教えしてある。
少し前には笑顔で生活されていたが、先日はその笑顔がなかった。表情だけで判断する予知能力もケアマネジャーには必要なのかもしれない。

それにしても「男と女」とは不可解な関係である。
そしてケアマネジャーも気が休まらない。

リハビリ教室・個別指導  2007・8・29
リハビリの目的は決して身体能力の改善だけではない。「人」の持つ能力いっぱいに使って、少しでも生活能力を上げることである。五感を少しでも高めることや感じるだけでも良い。その繰り返しで、眠った能力が少しでも甦れば、それもリハビリである。スキンシップもリハビリである。

こういう内容を話す、素晴らしいPTと半日ご一緒した。
重度障害児(者)を対象にしたデイサービスで行われたリハビリ教室・個別指導である。関係者に案内を出したら、何人かの参加者もあったということで、5人の指導が行なわれた。
内一人には、作業所形態の施設の暗示もあった。
富山にならあるのだが・・・と懇談の中で難病作業所を紹介すると、社長は納屋に作ろうかと検討中だと言われる。PTも含め、価値観が一致した。

全人的な復権をもリハビリテーション理念は表しているが、その人に適した人生を送っていただくためにも、能力に応じた生活の質の向上を目指して行く必要がある。決して効果は望めないかもしれないが、何かを感じることが出来れば人生はより豊かになる。決して諦めない心づもりが必要かと思った。

もう15年も前のことだが、総合病院リハビリ室にリハビリ理念が掲示されていた。その前に立ち止まり、何度も何度も読み返したものである。誰が書かれたものかはわからないが、今日記憶に残る数々の言葉をベテランPTからお聞きすることが出来た。
久しぶりに心が洗われるような気持ちになった。

???考えられない高度テクニック  2007・8・29
毎朝「会議室」へ通うのが日課になっているが、街中の何でもない交差点で、考えられないことが起こっていた。ワゴンタイプの軽四がフロントガラスを下にして裏返ってバランス体操をしている。その状態で止まっていること自体が先ず不思議だった。

現場検証中だったので道路につけられた白墨の後が見えた。通常なら2〜30キロで交差点に向かい、徐行しながら右折する交差点である。
交差する道路は通称「桜馬場通り」駅から古城公園堀淵を走る40キロ制限の道路である。高岡城建設中に武士の馬場練習場だったことからこの名前が付いている。
こんな街中で「どうして???」と、見物客は口々に言う。本当にどうして???である。

スピードとハンドルのバランスが崩れたらこうなるのかもしれないが、それにしても素晴らしい技術である。交差点内で止まっているから、そうスピードは出ていなかったものと思われる。何かにぶつかって止まった訳ではない、バランスを崩して数メートルで止まったと推測する。
???考えられない事故である。

車の運転も人の人生も同じことなのかもしれないが、止めるコツがある。自ら止まろうとする力を働かせなければいけない。車は道路状況に応じてスリップする。先ずはスリップすることを知らなければいけない。このスリップを自分の中で吸収する方法である。
車ならブレーキテクニックであろうし、人に対しては心のブレーキであろうか???

自然の原理は自然に働くが、それにしても不可解な転等であった。ブレーキ痕もはっきりとは見えなかったので、空を飛んできたのかもしれない。考えられないことではあるが・・・。

緊急ショートステイ  2007・8・28
老々介護世帯には、何時緊急に家を空ける必要が出てくるか判らない。そのような予測をしながら、ケアプランにも盛り込んでいた。緊急ショートステイの担当は担当ケアマネ・相談である。

今朝7時前に電話がかかった。主介護者の妹さん宅にご不幸があったと言われる。場所は関東・遠方である。
8時半の出勤を見込んで少し早めに電話作戦は始まった。2施設目で空きベッドが見つかった。その後が強引であった。

担当者の予定を聞くと10時から会議だと言われる。「それじゃ9時に迎えに行きます・・・」ということで、利用者宅へ9時過ぎにお伺いする電話を入れ、必要書類を調えて施設に向かった。予測して準備をしていなかったらこのような訳にはいかない。第2表のショートステイ利用の内容を確認して、担当者会議記録で不足部分を補うことにした。ケアプランには緊急ショートの必要性とその対応しか記されていない。
利用面接を兼ねた担当者会議が終了したのが10時に15分前、施設に着いたのが10分前である。「大丈夫???」と声をかけると「大丈夫。」と担当者は施設の中に消えていった。

初回入所の確認もしないでその後市内を駆け巡った。予定がビッシリ入っている中での緊急ショートステイであった。多分大丈夫だろうと思うが、家族からは「病院へ行こうね・・・」ということで納得していただいている。
入院以外はほとんど家から出ることが無かった方だが、ひょっとしてはじめての大冒険なのかもしれない。

明日は時間を割いてでも顔見世して来なければいけないだろう。

起こって欲しくないことが起こってしまった  2007・8・27
骨髄腫の方が骨折をしてしまった・・・。血液のガンである。

介護タクシー・訪問介護事業者から階段昇降介助が出来ないと言われてそろそろ1年になる。
最初の月は友人を使ったが、次回からは移送サービス事業者の男性運転士と担当ケアマネのコンビで階段昇降を行ってきた。病状が重篤になってきており、今月からは月2回の受診が必要になっていた。これは使っている薬が出せる範囲から逸脱してしまっているので、2回の受診が必要になったものである。

5日前の受診で腕が痛いということでレントゲンを撮った。フイルムが届いているはずなのになかなか呼び出しが来ない。妻が診察室を覘くと主治医がフイルムを見ながら考え込んでおられたという。
診察室に入った私の目に、今まで見たことの無い骨の形状が飛び込んだ。水泡状に骨に空洞が出来ている・・・・・ん・・・・・。
床に手をついて立ち上がっておられるが、そのことだけで腕に痛みが走る。一寸したショックで骨折してしまいそうな、見るからに弱々しい骨である。

そういった状況から判断して、介護用ベッドの使用に関して聞いてみた。主治医の意見は使用することに賛成だった。
一晩相談しますと。本人・妻の相談の結果は必要ない。であった。それから中一日で骨折されたわけである。
ベッドを使ったからといって転倒は無かったということではない。ベッドを勧めたことに、身体に負担をかけないようにという意味を含ませていた。


介護タクシー・訪問介護事業者からサービス提供を断られた時点で、往診医の可能性を聞いている。その後血液の専門医に担当が替わっているが、今聞いても同じ答えだと思う。車椅子に座ることが出来れば通院は出来る。必ず通院しないと全身に痛みが走る。麻薬・毒薬に分類される薬を使っての自宅療養。これも在宅ホスピスの一つの形だと思う。通常のガンなら往診医も見つかるだろう。
しかしその道は閉ざされている。

今終末期の医療・介護の形が頭を廻っている。車椅子に座れなければ、救急隊の使う背負い式の搬送用具にも座れない。住み替えという話もあるのかもしれないが、住みなれた自宅だからこそ安心して日々を過ごしておられる。
ここにも究極の選択肢があった。
通院することが出来なくなったらやはり行き先は病院ということになるのだろうが・・・公的病院・総合病院に療養型は無い。老人が多く入院する病院では果たして如何なのであろうか?医療費削減の現状から特例を作りたいものである。行き先の無い方はあるものである。

チョット休憩  2007・8・27
約1年間、情報発信や患者会・職能団体など、積極的に関わってきたが、ここに来て少し停滞気味である。
情報発信に関しては2ヶ月前ぐらいにフィードバックがあったが、その後非常に静かである。これを嵐の前の静けさと捉えるのか、一区切りと捕らえるのかはもうしばらく様子を見ないとわからない。身近な情勢も静かである。

目前にあるのは患者会の一泊旅行なので、少しでも盛り上げることが出来ないか思っている。
そのような中、インターネット会議に相談があった患者会設立の意思のある方の記事が掲載された。早速メールで激励しておいたが、講演会を是非成功させていただきたいものである。
地元の介護支援専門員組織やMSW協会・難ネットにもつないで、側面からサポートを行っているが、是非患者会設立までつないでいただきたいものである。そのサポートはしようと思っている。

とは言うものの、そろそろ本業のほうに戻らなければ時間が無くなってきているようにも思う。3月に地域包括支援センターの新年度からの取り組みに関して文書が出たが、動きが感じられない。また同じ文書を読んでも理解力はばらばらであろう。3年を目処に何らかの形を残すことが出来れば良いとは思っているが、それにしても動きが鈍い。

「糠に釘」とはこの状態を言うのであろうか?それならば「押してもダメなら引いてみな・・・」としばし休息することにした。
情勢眺めをしばらくしてみるが、少し遅い夏休みでも取ろうかと思う。
誠に持って身勝手は、充分承知していますが、正直疲れました。

体調の悪い方が多くて・・・  2007・8・27
今年の夏は短期集中的に暑かったせいか体調を崩している方が多い。中には骨折とかもあるのだが、それにしてもメンバーが集まらない。友の会一泊温泉旅行である。

状況がわかっている範囲ではそれなりに理由がある。その理由を解消するための方策も必要なのだが、無理をしてもらっても困るだろう。
大浴場に入ることが目的の方もあるが、果たして介助しきれるであろうか?介助者の顔ぶれを見て、やれるかもしれないと思った。
夜間の排泄の不安を抱える方もあるが、本人に了解を得ることが出来れば紙パンツという手もある。生活環境がホテルでは違うので、そのことに対する不安である。

年々身体状況も進行していくから参加し難くなるのは事実だが、「今年が最後かもしれない・・・」と、楽しい一時を過ごしていただきたいものである。
その楽しさを味わっていただくためにも、最後の電話作戦を行なうことにした。

妥協  2007・8・26
約3週間、ほぼ一つの問題に関して擦り合わせを行ってきた。
問題の焦点は、組織の中における「人」の位置付けであり、ネットワークに関してである。
ネットワークが拡がれば拡がるほど、組織と人の関係が入り乱れてくる。この整理が行うのに良い機会だったのかもしれない。

目的を持って組織が集まりネットワークが出来ていくが、このネットワークは組織間ネットワークである。この組織間ネットワークが動き出すと「人的ネットワーク」が誕生する。非常に良いことなのだが、ここで気をつけなければいけないことがある。
組織間ネットワークの中における人的ネットワークの取り扱いである。
ネットワークを作った目的が組織間ネットワークであるから、人的ネットワークも所属組織に基づいたネットワークである。先ずこの関係を踏まえておかなければいけない。

組織には顔が必要である。対外的には「公」である。組織を名乗るからには「私」ではいけない。
組織の中においても肩書きが付けば「公」である。何事においても会員組織の「公」と合意の下に事を進めなければいけない。「私」的に一会員と話し合って進めていれば、これは「公私混同」である。
「公私」の使い分けは決して難しいことではないが、そのためには組織の中における「位置付け」が重要になってくる。如何なる立場で如何なる立場の方と話しているかという各々の位置づけが重要になってくるかと思う。

このような話の擦り合わせを行ってきたが、「・・・照れくさいけど・・・」と話をする機会がありそうである。ここに妥協があったものと思うが、照れくさく無くなってから話をしたい。
「対等・平等」の原則である。

地域医療ネットワーク  2007・8・25
総合病院を核にした医療ネットワークが誕生した。朝刊のななめ読みであるが、癌のターミナルケアをネットワーク会員で行おうという趣旨のようだ。

亡くなられてもう1年半余りになるが、癌患者を担当している。
術後の経過が思わしくない中で、家に塞ぎ込んでいても気が滅入るだけだと、外に出ていただくことにした。
若い頃からカラオケが好きで、お酒も沢山飲まれた方である。デイサービスに通って好きなカラオケを歌ってもらうことにしたが、約1年間通われ、やはり再発した。

本人も悟っておられたようであり、2度目の入院は死を意味していた。
このターミナル期を在宅で・・・ということだろうが、果たして支えきれるのであろうか?病気の告知は行われており、本人・家族も病気を受け止めていた。
死の一日前に病室を訪ねているが、死に向かって壮絶な生への最後の戦いがそこにはあった。この状態を正視出来る方がどの位おられるのであろうか?
私には出来ない。

在宅ホスピスは医療に見放された方の生き方である。意識のあるうちに最期の人生を全うしていただきたいものである。
関わって10ヶ月、デイサービスに通い、好きな歌を歌い、亡くなる半年前には好きだったお酒も一緒に飲む機会があった。1本のビールを楽しそうに飲まれるその姿には往年の笑顔があふれていた。
そういう意味では自分で選ばれた人生を全うしていただけた。

しかし死に行くその姿は正視出来なかった。ターミナルの考え方に若干ずれがあるのかもしれない。
義母の死に際しては、延命措置は否定している。

骨髄腫  2007・8・24
発症時、病名の告知はあったが、本人はそれほど大変な病気だとは思っておられなかった。関わってから1年半余り、左腕が痛いということで今日の受診で二枚のレントゲン写真を撮った。
以前紹介したことがあるが、アパートの4階から車いす昇降介助で通院を行なっている方である。移送のプロが出来ないと言うので、移送サービス運転士と担当ケアマネで1年ぐらい前から介助を行ってきた。プロ中のプロの移送である。

受付へレントゲン写真を届けてからしばらくお呼びがかからなかった。
妻に催促してもらったが、主治医は考え込んでおられたようである。
診察室に入ってフイルムを見るなり、医療素人の私にもその異常が感じられた。見たことのないフイルムである。
空洞化が水泡状に進んでおり、骨密度は低下を続けている。少し力を入れれば骨折してしまう状態である。骨折だけは気を付けなければいけない。

布団から手をついて起き上がっておられるので背上げベッドの有効性について聞いてみた。美女先生には賛同していただけたが、本人がその必要性を感じておられない。ご夫婦でゆっくりと話し合っていただくことにしたが、本人はフイルムを見てその重要性を判られたようである。そのショックを横にいて感じることが出来た。
診察が終わり、打ち合わせ通り先に診察室を出た。妻は残り、予後について聞いておられるはずである。

可能な限り在宅で、通院できる限りは通院を。しかし往診出来る医師はいない。それほど重篤な症状である。1ヶ月余り前に肺炎で救急入院になったが、週明けには転院になっている。在宅で看ることが出来なくなった場合入院ということになるが、その病院に関しても心づもりをしておく必要がありそうである。
麻薬・毒薬に分類される薬も大量投与されており、二週間に一回の通院が必要になった。

公私混同  2007・8・23
『・・・・・他人が自分の家に勝手に侵入してはならないのと同時に、自分も他人の家に勝手に侵入してはならないからだ。 ・・・・・』
ネットで見つけた言葉だが、標題を細分化していけばこのことに行き着くものと思う。

それでは家の外で家の中の話がなされていたら???と思った。外での話は私的な関係であり、家という公的な関係からは逸脱している。これを家の中に持ち込んだらやはり公私混同だろう。
相談業務に就くものには守秘義務が課せられているが、こういう意味もあるものと思われる。隣の家で聞いたことを例え兄弟でもその隣で話してはまずいことになる。

井戸端会議などでよくある光景であるが、噂話に花が咲くことがある。
この場だけの話にしておけば良いものを黙っておれない方もある。女性(限定するつもりはないが)には気をつけていただきたいことだが、公にして良い話と悪い話がある。公にして良い話は「公」であるが、公にして悪い話は「私」である。この判断を間違うと「公私混同」ということになる。

このことに関して深く考えていただけることになった。数年後には気付いていただきたいと思うが、公私の使い分けは難しいものである。そのためにも自分の立場の理解から先ず始まる。
色々な専門職を見てきた。自分の立場を理解していないことから問題をおこした方も多い。肩書きがついたら、先ずその位置付けを理解していただきたいものである。

現在進行形の関係もあるが、全て独立ケアマネの立場で行っても良いのだが、果たしてそれで良いのかとも思っている。
公私を混同はしないが、「私」では行えないことも継続している。この件に関してはもうしばらく考えることにする。

苦渋の選択  2007・8・24
『現在進行形の関係もあるが、全て独立ケアマネの立場で行っても良いのだが、果たしてそれで良いのかとも思っている。
公私を混同はしないが、「私」では行えないことも継続している。この件に関してはもうしばらく考えることにする。』

独立ケアマネの行動範囲に支援を縮小することにした。
これなら矛盾しないであろう。

家に来るイタズラ坊主  2007・8・22
誕生10ヶ月少し前に伝い歩きが始まった。昔は満1歳の誕生日に歩き出すのが標準だと思っていた。(我が子に関してはっきりした記憶はないが・・・)
もうすぐ11ヶ月に到達するが、屋内移動はほとんど自立である。
まだ危なさは残るが、危険予知もしている。転倒しそうになったら、先ず座る。「ドス〜〜〜ん」とである。

それでは人間の成長に進化があったということだろうか???
私はそうは思わない。
育児用品が随分進化している。
正確な記憶はないが、我が子の時にはまだ「オムツ」だったように記憶している。現在は紙おむつ・紙パンツである。

大人用の紙おむつ・紙パンツも子供用から進化したと聞いている。
私が在宅介護支援センターにいる頃の話だから、もう暦も一回りしているが、パンツタイプの紙おむつを認知症の方に勧めたことがある。丁度出始めでもあり、品薄であった。しかし使用してみられた家族からは好評であった。
そういう経緯を経て、現在は紙おむつ・紙パンツが主流になっている。ほんの10数年前の話である。

子どもの話に戻るが、布オムツではかなり重いし、こんもりとしている。
スリムになった紙パンツが子の行動を容易にしたのであろうか???
成長が早いという話に加えて、この理由も加えていただけないであろうか?
身軽になったから歩くのも早くなったと思いたい。

あと一週間で11ヶ月をむかえるが、そのイタズラ坊主が月のうち半分は家に来る。歩き出す前にキーボードを触らせたのが失敗だった。マウスも引きずり落としてあることがある。身長も伸びているからパソコンデスクの低いところに頭がぶつかる。危険予知能力が備わっていないから頭をぶつける。でも泣かない。目的があるからである。

好きなことが、名札をなめること。タバコ臭い事務室が好きなこと。テーブルの上においてある書類を「クシャクシャ」にすること。等などであるが、子どもの目から見ても独立ケアマネの仕事は面白いのかもしれない。
仮にそうであれば、頑張って85歳までは元気にしていなければいけない。
そうすれば私の担当ケアマネさんになってもらえるかもしれない。

浴室改修から2年半  2007・8・22
パーキンソン病の特徴だが閉所で体が動かなくなる。2年半位前に0.75坪の浴室を1.5坪に拡げる改修工事を行っている。ユニットバスだったので市担当者とも綿密な打ち合わせで申請書類を作った記憶がある。その方から久しぶりに電話がかかった。

症状が少し進んで、トイレの中で方向転換が出来なくなった。これは良くあることで、開いたドアに挟まってしまう方もあった。
方向転換が出来ないから、バックでトイレから出てくると言われるが、入り口には段差もあり、危ない話である。(健常者なら大丈夫だろうが・・・)
そこでその対策を用具事業者と一緒に考えることになった。

実はその中間に「選択の自由」があった。
用具事業者に相談したら、〇〇苑の包括が担当だということで、そちらの居宅に繋がれたそうだ。「そこは嫌だから・・・」と相談があったわけだが、事業者に電話すると包括関係と担当が違うそうである。私の担当はもう決まっていて、担当の方が代わることになった。

結局、住宅改修ではなく、用具でその対応をすることになった。床と天井を突っ張り棒で支えを作り手すりをつける方法だが、これなら方向転換出来そうだと言われる。とにかくレンタルだからやってみよう・・・ということでケアプランが一件増えた。
切れていた介護保険の再申請を行い、申請書のコピーを担当地域包括に届け「支援が出たら再委託してね・・・」と。
あとはケアプランに合意いただいて、契約・居宅届けとつながる。ここまでは契約書に順ずる「申込書」で行う。

閉じこもり対策は再相談を受けた時点で手を打ってある。ヨーガ・リハビリジムへはもう通っておられるが、そこで身体状況は確認してある。
始めてみたケースだが、薬が切れかかって、横になると体が全く動かなくなる。頭が寝たら身体も寝てしまうということだろう。これでは夜トイレへ行くのは危ない。
ということで、支援と介護の境界だが、サービスを先行させることにした。

不眠不休で・・・。  2007・8・21
昨晩は参った。

ケアマネ研修会から帰ってメールを開き、不必要なメールを削除していくと突然画面が青色に変わった。まだ期限があるはずのウイルスセキュリティーも期限切れ寸前になっている。どうも問題はセキュリティーにありそうである。
手順に従って確認していくが、有効期限はまだ残っている。そこで、シリアル番号が変わっていることが判った。番号の切り替え作業を繰り返し、メールの削除も繰り返したが問題は解決しない。そこで水割りを飲みながら考えた。不要のメールを削除する方法を考えれば良い訳である。

必要なメールだけをフォルダーに移し、不要メールを順番に当たっていくと、一通のメールが浮かび上がった。
「もしや・・・」と思いウイルス検索にかけたがウイルスの反応はない。
その間急ぎのメールを1通書いているが、送信マークが付いていないのに気が付いた。このメールは力作だったのだが、とにかく相手方にパソコン不良を伝えた。

飲みながら考えると良い知恵も浮かぶもので、問題のメールに触らないで、必要メールだけ移動して、「受信トレイ」のメールを一括削除した。もう一度やろうと思っても出来ない手順で、どうやったのかさえ覚えていない。
とにかく朝方パソコンは復帰した。

急ぎの返信を書いたが、寝不足でもあり、ストレートなメールになってしまった。ま、たまには良いか・・・とも思うが、問題解決のクライマックスにも来ていたので、正しい判断をされるかは未知数である。
大きな岐路に立っておられることを自覚していただき、前向きな答えを待つことにしよう。
「待つ福祉から、発見出来る福祉へ」そのためにも待つことにした。

立ち止まって考える・・・  2007・8・20
ここ2週間余り、深く考えなければいけないことが重なっていた。
ケアマネジメントにおいては相手があることでもあるので、過程を予測して根回しをしておくことも必要である。
家族・親族に加え、色々な資源が関わっていくことになるので、一つ一つその可能性を探ってきたが、行き着く先は両極端であった。その究極の選択に対しても根回しは行なった。
この経過がケアマネジメントであり、結果はその時点時点で相談して進めれば良いが、考えられる全てを想定して、利用出来る資源を整えておくことも重要なことだと思う。

もう1点は、ソーシャルワークに関する内容であり、独立ケアマネの立場で作り上げることの出来るネットワークに関してである。先の投稿でも書いたが、行政ラインの縦割りのネットワーク(行政が縦割りだからという意味)を如何に市民生活に密着したネットワークに作り上げていうかという意味で横列のネットワーク(縦割り行政を横につなげる意味も含めて)作りへの調整である。まだ私的な交信の段階だが、一つの方向性を示してみた。

即ち究極のケアマネジメントの方向性と縦割り行政をも改善していただく方向性を視野に入れた、横列のネットワークの調整・方向性に関してである。

ソーシャルワークもケアマネジメントも本質的には変わりはない。
対象のテーマが違うだけ、対象者本人のケアに関することならばケアマネジメントであろうし、社会構造等、組織や機関を対称にすればソーシャルワークということになるのでなるのであろう。社会資源を如何に有効に活用するのかという意味では、同じだと思う。

その何れにも答えは出ていないが、今立ち止まって考えている。

究極の選択に関しては来月早々次の行動に移すことになっている。それを受けて順次進めていけば良いことだが、落ち着くまでは少し時間がかかるものと思う。
ソーシャルワークに関しては、いくつかの方向性は示した。人と組織の関係もあるが、私自身の立場が変わる方向性でもあるので、結論が出るまではどちらが出ても良いように立場を使い分けしていくことにしようと思っている。

ケアマネジメントとソーシャルワークは、専門職の立場とその位置づけが重要になる。実践内容に合った位置づけをしていただきたいものだと思う。
そのことを将来的にも期待している方にも問いかけている。
ついでと言っては失礼かもしれないが、世の多くのサービス併設機関のケアマネさんに問いかけたい。
「あなたは如何なる立場・位置づけでケアマネジャーを務めておられますか???」と・・・。

縦列と横列のネットワーク  2007・8・19
老人介護支援センターを根拠法にした在宅介護支援センター・地域包括支援センターに関してネットワークの重要性について随分書いてきた。
高齢者対照の施策であるから、ここで言う横列のネットワークは主に住民を対象にしたネットワークということになる。余りにも漠然とした話なので、対象を障害・難病に絞って話を進めようと思う。

障害全般に関して、障害者相談支援センターが設置されている。数は少ない。
難病相談支援センターは大都市を除けば県に一ヶ所のところが多いと思う。富山県を例に取れば、厚生センタールートのネットワークが張り巡らされている。ここまでは行政ラインの縦列のネットワークである。

難病団体関係者とのメール交信で、「・・・だから、人間味あるネットワークが必要なのです・・・」という内容があった。人間味・・・すなわち有機的に機能したネットワークが必要になってくる。
厚生センターが疾患別患者会相談会の支援を行なおうと相談しておられる。
これは一患者会との相談会である。縦列のネットワークが地域と結びついた形であろう。この接点を重視して、横列のネットワークを拡げていくことが出来ないかと考えている。

難病相談支援センターもそうであるが、行政ラインで結びつくことは上手である。ただ県によっては指定管理者制度で難病団体にその運用を任されているところもある。すなわち接点に幅があるということである。
難病連不在の状態が約30年間あった。難病連に変わる団体を意図して「難病ネットワークとやま」は誕生しているが、是非力をつけて難病(重度障害)患者の生活不安を代弁できる団体に育っていただきたい。

せっかく相談会を通じて接点があったわけであるから、これを足がかりに、この枠を拡げるネットワークに働きかけたいと思う。
障害の違いや病気の違いもあるかもしれないが、共通した問題もある。先日来書いてきた介護服もその一つだが、特に重度者には共通した問題がある。その辺りから、共通のテーマを求めて横への拡がりを作っていく必要がある。行政に関わる問題もあるから、接点の他にもつながりを作る必要がある。患者会等が地域で結びついていく姿、これが横列のネットワークの姿である。

是非取り組みたいテーマである。

家族会議  2007・8・18
一時究極の選択を迫られた家族が揃ったので家族会議に参加させていただいた。
約4週間の経緯を振り返り、その時々の考え方もお話した。究極は家族にとっては勿論のことだが、施設や担当ケアマネにとっても究極の選択、お互いの役割分担の中で判断される内容だった。
施設側から最終判断を覆したのは、組織関係における対等の立場であったのだろうか?施設が判断すべきことにまで口は挟まなかった。

心には「善」と「悪」が共存している。この時点で邪まな「善」の心で、再考をお願いしたとしたら如何なったであろうか?契約書の内容にも及ぶ判断だったので、当事者同士で話し合われれば良い。即ち突き放したわけである。
人が判断するべき性質のものまで判断してはいけない。それが組織のルールであり対人関係にも及ぶものと思う。

私は施設の心の動きまでは知らない。その意思決定が覆っていることを知ったのは、ほんの4〜5日前である。英断であり、福祉に携るものの基本姿勢がここにあった。その段の説明中言葉に詰まった。込み上げるものがあった。施設の「善」の心を思い出したからである。
しかし何時までこの関係を続けられるかは誰にも判らない。続けていただきたい・続いて欲しいという願望でしかない。

話し合いの結果、究極の選択肢に対しても家族に動いていただけることになった。入院か24時間家族介護かの選択だが、現状に対しての甘さが感じられた。順次認識していただければ良いとも思う。シビアな現状にはシビアな判断をしていただきたいものである。

熱い一日  2007・8・17
16日には40,9度と観測史上最高気温を70年ぶりに書き換える記録的な暑さだった。その暑い日に熱いことをしていた。

午前中一件住宅改修申請書を作りのため訪問して、そのあと冊子を読み出した。
この冊子は、改造服ネットワーク作りのため同行訪問したときにいただいたもので、ご主人が6年間かかって書かれたコラムの中から自薦コラムを日付別に再編集されたものである。年度は前後するが日付別に並べられているので、季節感も感じることが出来る。
夕方までかかって6月分まで読んだ。途中で心を打つコラムにしおりを挟んでいたら、その数は6編になった。

1編は朝送っておいたのだが、今・是非読んでいただきたい方のために、順次メールに打ち込み送り出した。夕食をはさみ、5編送信するのに3時間ぐらいかかったであろうか。最後にコラムの総評を発信している間に、一通のメールが届いていた。
このメールには大枠的な解決の方向が書かれていた。知人のブログへの返信を引用してあったが、究極的な解決である。

今回身をもって指摘したのは、ネットワークにおける組織と人のあり方である。また組織の顔の姿勢である。中途半端には出来ない内容なのだが、何処まで受け止めていただけたかは疑問である。
最後のメールは動く絵がついた「ありがとう」メールであった。
また機会があると思うので、これ以上は求めないことにするが、今回提示した問題に関して何時でも良いから答えをいただきたい。

とにかく熱い一日であったが、表面化している問題に関しては早急に答えを出していただきたい。そのどちらにも解決と何らかの影響を及ぼすことが出来る内容だけに、答えを待っている。

心の奥底にしまった想い  2007・8・16
生涯誰にも話すことはないであろうが、思春期に大きな心の傷を受けた。今でも嘘や隠し事は大嫌いだが、その時の『心』が現在を支えてくれているように思う。

社会に出てからも随分嘘に出逢っているが、私はその都度身を引いてきた。ただ、福祉に関してだけは譲ることが出来なかった。『虚構』との闘いは今も続いている。
私は『虚構』を晴らすことと、手がけていた地域福祉の姿を取り戻すために独立開業をした。『虚構』はある程度晴れたのであろうが、地域福祉コミュニティーが出来ていく気配はない。自分で手を下せない歯がゆさはあるが、これは致し方ないことだろう。それにしてもブランクは益々拡がっていく。

ソーシャルワーカー時代には行政ラインの縦列のネットワーク作りを中心に実践していたわけだが、ここ数年は民間ラインでの横列のネットワークにも取り組んできた。
介護保険下では民間事業者も参入することになり、競争の原理が働く市場へと転換されるはずだったが、果たして現状は如何なのであろうか?仮に開かれた市場になったとしても、これは法に基づいた制度であるから、出来るネットワークも縦列と言わざるを得ないように思う。


そういった企業や地域の組織は各々一つの人格を持っており、その関係は「平等・対等」でなけらばいけないと思う。不平等に対しては「平等」を求めることも必要だと思うが、私なら先ず避けて通るだろう。
話の成り行きですり替えられてしまうこともある。話がすり替われば、組織ならば持ち帰って検討することになるが、一つの判断基準を持っていれば即応できるであろう。その判断基準のすり合わせは必要だが、常識と基本的理念があれば、自信を持って対応できるものである。
独立ケアマネはその点気楽である。

その気楽な独立ケアマネだが、縦列のネットワークを整えるのには時間が無いと思い出した。私の舞台は元々地域であるから、ここ3年余りの横列のネットワークを地域で整える活動に方向転換出来ないかと考えるようになってきた。
ヘルスケアネットワーキングの会の地域版を地域で実践出来ないかということである。

同じ地図(考え方)を持った者同士が、同じ土俵にいる必要はない。という結論に至った。気楽な独立ケアマネの立場に戻って地域を飛び回ることにするが、組織をあずかる方には、不本意かもしれないが、組織の人格と権威を守っていただきたいと思う。組織は個人ではない。自由に当事者の側に立った支援を行うためには個人に戻るしかない。そのことをご理解いただきたい。

ネットワーク機能  2007・8・16
もう干支が一回りしてしまったが、在宅介護支援センターソーシャルワーカーとしてネットワーク活動に取り組んできた。ネットワークの対象は地域の高齢者である。民生委員等を窓口に、町内で抱える高齢者の福祉ニーズを解決する目的を持った地域福祉ネットワーク作りである。
地域にはこの他にも各種ネットワーク・情報ネットワークや保健・医療においても対象者に細分されたネットが張られている。これらが上手く絡み合っていくことが必要かと思う。
いわゆる行政ネットワーク・縦列のネットワークである。

これらのネットワークが地域で機能していくように、何らかの働きかけが出来ないかと独立開業を思い立ったのが4年余り前、開業からもう3年半も経過してしまった。開業間際に熱心な活動家から誘いがあり、パーキンソン病友の会の患者会活動や後日設立された「難病ネットワークとやま」にも関わってきた。また、MSWの皆様とも関わりが出来て、即応出来る体制は一応は出来上がった。
ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会では患者会等いわゆる横列のネットワークを目指しているが、これから大いに期待して良い会のように思う。

各種組織が色々な場面で絡み合っていくことになるが、組織間にもルールがある。「対等・平等」のルールである。この原則だけは忘れないでいただきたい。これは「人」にも言えることなのだが、その原則が崩れればネットワークは崩壊する。組織が肩書きを与えるのであって、社会的にも胸を張っていただきたい。
協業組合設立準備会は公的な団体ではないが、各種情報発信をしてきた。その肩書きで行政にも提言を行なっている。
その情報発信がNHKにも届いた。番組が出来るのかどうかはわからないが、それ以上はないように思う。

活動家と同じ視点で患者会と関わって来れたことは非常に嬉しいことである。もう私がいなくても大丈夫だと思う。
当初の目的である地域に目を向けることにしようと思う。

有限と無限、そしてゼロ  2007・8・14
突然、標題に関して書きたくなった。
高校数学で先ず疑問を持った。∞と0は特別の数字であり、特別のルールがある。この頃からこの特別の数字に特に興味を持ち出した。

大学学生寮で面白い論議があった。宇宙の果てに関しての論議である。
宇宙は無の状態からビックバンで誕生しているとされているが、無限の質量を持つ核が大爆発を起こし今も無限に成長を続けている。
先ず、爆発前の無の状態が如何なる状態だったのか問題になる。そして今も拡大し続けているとされる宇宙の果ては果たして如何なっているのであろうか???
宇宙全体がブラックホールだというところで落ち着いているようである。

経済学部の彼は、今見ている宇宙を巨人(大きな人)の身体の一部(一つの細胞)に例えた。それじゃ巨人の身体の外側は如何なっているの???というのが私の指摘だった。永遠に答えが出ないゼロと無限大の論議だが、有限と無限、ゼロとマイナスの関係は良く似ている。
余談だが、ゼロとマイナスは数字として日常的に体験できるが、マイナスの会計帳簿は無いそうである。
ゼロと無限大を頭において、夜空を眺められるのも面白いのではないかと思う。「宇宙の果ては・・・???」と。

星座理論・・・「数ある星の点と点をつないで星座を作るように、数ある社会資源をつなげていく・・・」ソーシャルワーク・ケアマネジメントの原点である。
ネットワークは人や組織をつなげていく役割を果たすが、中立の立場でネットワーク作りをしていきたいものである。

施設の意思表示(3)  2007・8・13
子への話と食い違いがあったので、内容確認のため施設を訪問した。

応接室へ入るなり施設長から深い陳謝の言葉をいただいた。「非常に失礼なことをした・・・」という内容である。「手のかかる重度者は施設にとって宝だ」という主旨の言葉もお聞きした。かなり苦しまれたようである。
重度者を排除する施設が多い中、その言葉を聞いて目頭が熱くなった。
元精神科のソーシャルワーカーを務めた施設長の英断に感謝すると共に、立派な施設に育っていただける確信を得た。目標はゴールであり、目標が無ければゴールは無い。

これと平行して、究極の選択に対しても準備を進める必要がある。
投薬の継続や紹介病院の受診、24時間の家族介護の可能性などについて、遠方に住む子の帰省を待って家族会議を開催することにした。

先日重度者排除に関しても取材があったことも書いたが、この様に前向きに重度者への対応を考えていただける施設が増えていけば良いと思う。
心が通じたのであろうかとも思える、施設の姿勢でもあった。

改造服  2007・8・12
昨日、改造服をめぐって30通余りのメール交信を行なった。一つのテーマでこれだけ綿密なすり合わせをしたことは無いが、その中からネットワークの一つの姿が浮かび上がった。

『難病と障害の違いはありますが、同じ悩みを抱えるもの同士が横のつながりを持って、共に助け合っていく必要性を感じておられました。』
返信メールの一節だが、このつながりを作っていく役割を「難病ネットワークとやま」は求められているのかもしれない。社会資源をつなぐという意味ではソーシャルワーク機能も持つ団体に育っていただきたい。

ネットワークは人と人とのつながりだが、縁がある時にはその結びつきも早い。相談を受けてから3日目に、双方をご紹介出来ることになった。丁度こちらへ来られる予定があったそうである。
せっかく来られるのだから、つくしもご案内することにするが、そこには同じくネットワークで出来た畑がある。
『おおきくてとてもおいしいカボチャがとれました。天ぷらにしてみんなで昼食にいただきました。〇さんにも機会があればお伝えください。』
という返信から、何故かこみ上げるものがあった。心を感じた。

「難病ネットワークとやま」にこのソーシャルワーク機能を期待しているが、そろそろ地域に目を向けたネットワーク作りに取り組む必要性を感じている。そういう訳で、少し方向転換することにした。
約2年後に照準を合わせ、順次目標に向かっていくことにしようと思う。

改造服(2)  2007・8・15
組織は人の集まりであるが、一つひとつの組織にはその集まった目的がある。それらの組織の間にも共通した問題があることがある。この諸問題を解決するために組織間の調整が必要になる。
この共通した問題を解決するためにネットワークが必要になるが、今回のテーマは「改造服」であった。

研究しておられる組織があったので、必要とされる組織へとつないだ。
相談から3日目、直接お逢いしていただいたが、良い関係が出来て行きそうな感じであったし、メールもいただいている。
研究成果は研究して来られた組織に帰属するものと考えるが、アイデアとしては応用していただいて良いだろうし、今後アイデアの交流も出来ていく雰囲気でもあった。組織間の関係はオープンにつながりを持っていただければ良いと思う。

社会資源を作ることもソーシャルワークには求められるが、資源をつなぐことも重要なことである。
組織と人のつながりを地域で作っていく必要性を感じているが、先ずは組織間で同じ考えを持つ必要がありそうである。
オープンな関係を作るためには、オープンな組織運用が必要になってくる。
そういう意味では随分とオープンなつなぎが出来たようにも思う。

世間は狭いもので、立ち寄った施設でもつなぐことが出来た。人のつながりをほぐしていけば新たなネットワークも出来てくる。こちらにも将来利用出来る社会資源があった。
ネットワークで出来た大きなかぼちゃも見せていただき、畑へもご案内した。

お土産に1冊の冊子をいただいてきた。「雑草のこころ とやまコラム歳時記」6年間の自薦コラム集である。

25件のメール交信  2007・8・12
お二人のネットワークに欠かせない方との交信の他、その調整や今日行なわれたセミナーの首謀者などとのメール交信があった。

最後の一通に目頭が熱くなった。
ほんの二行のメールだが、活動への成果が報告されていた。
おおきなおいしいかぼちゃが出来たそうである。
みんなで食べたら美味しかったそうである。

そんな些細なことにも人の心は動いている。
その心の動きに対する涙なのであろうか・・・。
快いうれし涙は止まらない。

惜しかった・・・。  2007・8・12
HP『高岡発・介護問題研究会議』のアクセス数が今日中に「77777」をむかえます。
私も密かに狙っていたのですが少し早かったようです。

現在「77772」アクセスですが、見事命中された方にはメールでお知らせいただきたいと思います。
粗品は出るかどうか判りませんが、何らかの御礼は考えています。

「77777」のページ添付でメールでご応募下さい。

Re: 惜しかった・・・。  2007・8・12
今日はメール交信も多かったのですが、今開いてみたら77777でした。
「上を向いて歩こう」の実践が今から始まるのかもしれません。

時代の流れを感じています。

大変な事態が・・・。  2007・8・10
結果を聞いて、受診付き添いの必要性に関して思い返してみた。
別居の子の車に乗ることが出来るのか・・・という心配もあったので送り出しには立ち会った。後部座席まで誘導して、シートベルトを締めた。
行き先には精神科医がいるから大丈夫だと高をくくって送り出した。

昼頃子から電話をいただき、大変な事態の全容をお聞きした。精神科医の目の前で、暴言暴行・・・雨あられ・・・だったということ。当然施設利用は出来ない。
追って相談員から電話がかかり、結果報告と医師の言葉をお知らせいただいた。「先生は如何にもならないようなら相談に乗ります・・・」と言っておられるということである。
施設相談員の電話から「措置入院」という言葉を思い浮かべた。
紹介病院の医師と相談して「措置」も可能ですよ・・・とニュアンスが窺えた。

この老夫婦は放っておくとサバイバルゲームが始まることは火を見るよりも明らかである。約2年間のケアプランは介護者休養がテーマであった。
加齢と共に人間の脳は大きな変化を来すことがある。人格変貌である。
果たして良い解決方法はあるのであろうか???
明日の話し合いの結果、家族会議を開催する必要がありそうである。

ちょうどお盆に向かうが、遠隔地に住む親族の帰省もある。
ケアマネジメントにはお盆も正月も無い。

Re: 大変な事態が・・・。  2007・8・11
早く寝たら2時に目が覚めた。
介護者休養であるから、介護者の意向を汲んできた。本人に意思は無い。

利用に先立って妻も一緒に3箇所の施設を見学している。本人の意思決定は無かったが妻のお気に入りの施設があった。別居の子も加わって検討された結果、妻のお気に入りの施設を利用することになった。
本人は何処へも行きたくは無かったのかもしれないが、入浴の手段が無かったのでサービスを利用する必要はあった。
誰しも意に反することには抵抗するものである。約2年間これが続いていたのなら申し訳ないことをした。問題を原点に戻してみることにした。

サバイバルゲームになるのかもしれないが、一緒に行動していただくのも手かもしれない。
他に選択肢の無い究極の選択だが、本人の意に反した拘束をすることと、共倒れになるかもしれないが本人の意に任せる選択肢である。
二つの選択肢の中間は無くなった。

妻の認知症もかなり進んできている。言ったことはもう忘れておられると思うが、先日「私がみます・・・」と子も交えた話の中で発言があった。その時には否定しておいたが、それも一つの選択肢になってしまった。
お盆に帰省された時に家族・親族会議の開催となるが、この選択肢に向かっての根回しをしておく必要がありそうである。残された日は限られているが、先回りをしておく必要がありそうである。

ケアマネジメントの原点を忘れていたわけではないが、長年連れ添ってこられた妻の力に大きな期待をしている。が・・・大きな危険も感じている。

困難事例  2007・8・10
民間事業所を駆け巡っているケースがある。ルートを聞いただけでその経緯がわかった。ケアマネは三人目である。
サービスを受ける側にもマナーが必要である。
認知症など、本人に判断能力が無いケースは仕方ないとしても、このケースは確信犯である。認知は無い。
そのようなケースだからご本人は気楽に取り組んでおられる。「ダメモト」である。

私なら・・・の話だが、このようなケースこそ委託機関に担当していただけば良いと思う。しかし何故か民間を駆け巡っている。
介護を継続して受けるためには本人に考え直していただかなければいけない。この点はご指摘してきたが、果たして出来るのかは疑問である。
数あるサービスの中から選ぶ事が出来る・・・と言っても限度がある。原点を正さなければ結局サービスを受けることが出来なくなる。
プランを書くだけなら簡単である。

そういう私も今日・明日中に答えが出る困難事例を抱えているが、一応の手は打ってある。提供側の問題は残るが、来週以降本格的に調整に入ることにする。現状ではこれ以上動けない。状況眺めである。
困難事例の原因の多くは利用者側にあるが、事業者側が原因のこともある。重度者や問題ケースを排除しないことも大切である。
その為にも介護技術を高めて行く必要がありそうである。言葉一つで変わることもあるのは事実である。

介護には話術も必要である。

BCCメール  2007・8・9
HPを公開した頃は、「インターネット会議」のご案内などのためにBCCメール(宛先非通知)を使っていた。
途中からは重要な内容の投稿なども加えて、考え方なども送信するようになった。
メール交信のあった方のアドレスはアドレス帳に残るので、数こそ確認していないが、数百の送信先のデーターが残っている。

今回このBCCメールを違った目的に使ってみようかと思っている。
偶然なのかもしれないが、アドレス帳にある方々の多くが同席されるセミナーがある。セミナーのご案内で私との関係を知っていただければ私のテーマである「ネットワーク」のイメージがより強くなる。その背景作りをしておけば「ネットワーク」発言にも威力を増すのではないかと思った。
このことで初対面の方が初対面ではなくなるということである。

BCCメールは同時に発信する個人メールである。
掲示板等では書けない個人名も明記出来る。セミナーのご案内をするだけで、遥々来られる方にも地元における人間関係を知っていただける。これは面白い方法かもしれない。
患者支援に人生をかけている方を応援しているが、その接点は「ネットワーク」である。インターネットを通じて作り上げてきたネットワークが、今はじめてお役に立てそうな状況である。

インターネット会議も地域へ飛び出して早いもので3年半位になるが、この支援が無ければ我社も現在存続しているのか危ないものである。
「ネットワーク」が網の目のように張り巡らされた地域作りを進めるためにも、今回は是非出来る限りの応援をしたいものだと思っている。

チビッコギャング  2007・8・8
県パーキンソン病友の会で、富山市が採用しているパワーリハビリの講演会に参加した。システム創始者の話を聞くのは始めてであったが、パワーリハビリそのものの意味を勘違いしていた・・・と言うか、マシーントレーニングだから筋力増強の話だろうと思っていた。
が、マシーンを使ったリハビリという意味では同じなのだが、その目的は大きく違っていた。「軽い加重をかけての、可動域増強」がその目的であった。正式には6種類のマシーンを使う。

高岡市で行なわれているマシーントレーニングは4種類の機械を使い、主に筋力増強を目的としている。
目的が違うから効果も違うのだが、果たしてその効果や取り組み率は如何なものであろうか・・・実際問題マシーンは空いている時間が長いし、同じ状況だとお聞きする。

数年前に、パワーリハビリはパーキンソン病にも効果があるという話を聞いていた。「咄嗟の時に筋力を増強しておけば踏み止まることが出来る・・・」ぐらいに理解していたが、運動によって、ドーパミンが出るようになる・・・と言われる。果たして如何であろうか?この点を無視すれば、誠に良い講演会であった。

その後場所を移して、昼食を一緒にとり懇親会を行なったが、各地バラバラのリハビリの現状の話しも出ていたようである。(全ては把握していない)
お一人、やってみたいという方に、講演の内容と市の現状の違いを説明して、具体的な内容もお伝えした上、地域包括支援センターと相談していただくように伝えておいた。

バスの発着場所へ帰ってから、今日急に欠席になった二名の方を訪問して、緊急の補填と対策をお話して帰った。家(事務所)にはチビッコギャングが待っていた。

伝い歩きは誕生10ヶ月の一週間余り前のことであったが、それから約3週間、今では出来ないことは無い。両手におもちゃを持って着陸地点を目指す。時には失敗もあるが、ほぼ目的地に到達する。
先程ひとりで事務所に入っていったが、結果イタズラ(?)をしていたのは、手の届かない所に置いた筈のゴミ箱であった。大人の手が届かなくても子供の身体が入る隙間がある。見事大転倒していた。
子供の成長は目まぐるしいもので、明日には何を仕出かすのだろうと楽しみでもある。

大きく飛躍するが、介護保険の現状も目まぐるしく変化していただきたいものである。その資料と公的根拠は全て提供している。これでも変化しないのなら次の言葉が待っているのかもしれない。
一人でも良いからこの意味を理解できる専門職がおられることを期待する。

表面立って出来ない話!!!  2007・8・7
シンポジウムやセミナーでメンバーが変わるとテーマも変わってしまうことがある。そういう意味で少しがっかりした。
変われば変わったで、別のテーマも出て来るのであるが、それでは主役が可愛そうである。

重度者の受け入れ施設が無いという話を書いたが、これは全国的な問題である。障害・難病・認知症など、重度の方に焦点を合わせて論議が進むことになれば面白いかもしれない。そういう角度から言えばメンバーは揃っている。しかしこの方向へ行くと医療の話が中心になってしまう。社会福祉の角度からまとめるのは困難を来たすものと思う。
大学間で共同研究しておられるテーマがある。
『・・・さまざな参加者が互いに平等性を保ちながら、最適なケアを提供する医療・介護のネットワークについての理論を発見する・・・』
という趣旨からの研究だが、テーマから見ても医療を外して重度者の話は出来ないであろう。どちらかと言えば私向きのテーマである。

先日のヘルスケアネットワーキングの会、グループワークで「患者力」が四つに分類された。行政・医療・患者会・本人である。
教授の専門がネットワークであるなら、ネットワークに焦点を当てるのも面白いかもしれない。
インパクトのある内容を考えておられるようなので、ネットワーク形成の趣旨から現状までの報告をするという手もある。その話の中に出てくるのが相談支援センターの機能である。これなら教授にぴったりのテーマである。
ここで医療ネットワークの必要性を訴えられれば良いと思う。

混合処遇か疾患・症状別処遇かの論議を避けられたことはメンバーを見て受け止めることが出来たが、かえってやぶへびだったのかもしれない。今一番出来ていないのが行政ラインでのネットワークである。これを縦割り行政の弊害と言ってしまえば一言で終わるが、今回のメンバーを見て一番インパクトの強い内容は、病院間ネットワークの話なのかもしれない。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/nanbixyonextutowa-kutoyama.htm

この内容なら、行政批判にもならないであろう。

実践して来られたことは話し易いものである。

Re: 表面立って出来ない話!!! 2007・8・8
コーディネーターは良い視点を持っておられると思いますよ。
頑張って下さい。

自立支援法でも選択の自由の保障は無い  2007・8・6
今朝初対面の方から電話があったが、運転中でもありHPからメールで概容をお知らせいただくことにした。
『・・・介護保険と障害者自立支援制度の差はあれど殆ど似たような状況が起こったことに驚いているところですが・・・』と、検索でHPにたどり着かれたようである。

充分に障害者自立支援法を学んでいる訳ではないが、先ず指定の原則から聞いてみた。措置から契約へ「県の事業者指定となり審査については市町村としています。」ということである。
即ち、市町村の責任で運用することになるのだが、その内容が怪しい。
『介護給付(居宅介護・重度訪問介護・行動援護等)は県の指定となりますが、地域生活支援事業(移動支援・地域活動支援センター)は市の委託事業となっています。』
この部分で綱引きが起こっているようである。両事業を利用する利用者の「選択の自由」の問題である。
土日・祭日を利用していただく方針なのだが、そのことで全て利用になったら「困る・・・」という話である。それならそれで、土日・祭日も開業されれば良い話である。原点は簡単である。

公正取引委員会へも問い合わせをしておられるが腰は重いらしい。
措置から契約へ・・・今一番困っているのが行政自身なのかもしれない。
是非公正な立場からの判断を望むところである。

「天下り」「既存事業者の優遇」はもう止めましょうよ。
本当の意味で「選択の自由を保障する」社会の実現を望んでいます。

ということで、
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm

このページを順序立てて送っておいた。

過去メールから人生を・・・。  2007・8・5
久しぶりに時間があったので興味のある過去メールを振り返ってみたが、そのメールをつなぎ合わせれば我が人生を語っているようでもあった。勿論同一人物へのメールではつながらないが、不思議と同じ時期に関連したことを書いている。
最初の頃はメールをいただいた個人別にワードで整理をしていたが、開業した頃からそれが出来なくなったようである。是非このメールの記録は残しておきたいと思う。ファイルに編集したものはバックアップデスクに保存されているが、Outlook Expressのデーター記録を残すことが出来るのであろうか???ご存知の方があれば、是非教えていただきたい。

学業もそれなりにこなしていた少年が人生に挫折感を覚える。そのきっかけが大人の「嘘」であった。これからが心の人生になるのだが、色々な体験もしたし、仕事もした。そしてある日福祉と結びつくキッカケがあった。
20数年間、自分自身の心と闘ってきたわけだが、この人生経験が福祉経験の中で大きく役に立っている。
私は嘘が嫌いだし、ごまかしも嫌いである。そのような人生の中で得た経験から、常に前向きに誰が見ても納得できるような対応をしてきた。

独立開業するまで8年余りブランクがあるが、その間も福祉活動は止まっていなかった。HPを公開してからそろそろ6年になるが、そのベースになっている私製の冊子がある。この編集にも相当な時間を要しているから、仕事としてのブランクはあったのかもしれないが、私自身はブランクとは感じていない。
そのブランクのキッカケも「嘘」であった。

今、「嘘」の無い福祉の現場作りのキッカケにならないかと、全国に向けて情報発信をしている。すなわち私の言っていることは「常識」の範疇で解決出来る問題である。市民の方が良くお解かりになる内容である。
「虚構」とは広辞苑によれば『事実でないことを事実らしく仕組むこと。またその仕組んだもの。」と解説されている。

やはり自分で・・・。  2007・8・5
開業前のことだが、独立ケアマネが全国協議会を結成されるということで静岡県まで足を運んだことがある。2年目が神奈川県開催で、受験準備に入っていた。この2回の全国協議会総会で一人の女性からその抱負をお聞きしている。重度認知症の方の通所・入所施設の設立である。

先日風の噂でその活動をお聞きした。受け入れ先の無い方々を喜んでお受けされているそうである。
usagi112770さんは、難病をテーマに安心して利用出来る施設建設の構想を持っておられる。
そこで混合処遇が良いのか、テーマ別処遇が良いのかということになるが、この論議は10月に行われる共生セミナーに譲ることにして、行き先の無い重度認知症の方の落ち着き先は見つけなければいけない。

先日来考えがまとまらない日が続いているが、結論としては混合処遇が招いた結果のように思えている。中立の立場から言えば当事者同士の話の結論で答えを出せば良いのだが、真の理由は私から見た場合の第3者に関するものである。これが思考回路を狂わせている。
ケアマネジメントは独立・中立の立場で行わなければいけない。サービスは利用者に対して中立の立場で行わなければいけない。この関係を崩すつもりはないが、一部崩れ去っているようにも思う。これが思考回路を狂わせている。真実が目に見えていないからである。

ケアマネジャーとして復帰した理由は『地域』であるからサービスに手を出すつもりはなかった。大きく地域を変える目的を持っているので、個に目を向ける余裕はない。しかしこれも重要なことである。
考えが前に進まない理由はここにもある。
ここ2週間趣向品の量もかなり増えている。

今日逢おうか逢うまいか・・・迷っている。

Re: やはり自分で・・・。  2007・8・5
今お逢いしてきた。

施設の意思表示2007・8・4
サービス提供責任者から電話がかかった。意味を取り違えて伝わっているようである。受診日には、半日しか休みを取っておられないだろうから、翌日時間をとっていただくという話だったので、そのことを伝えた。

しばらく経って子から電話があったが、その話には立ち会えないことを伝えた。午前中に施設長と逢って来たことと、契約に関する内容だということは伝えた。「施設の意思決定」の内容は知らない。
来月からの変更に関しては現在進行形である。受診の結果の決定に対して何時でも動けるように準備はしている。
とにかく契約者同士の話し合いをして欲しい。

話し合いの結果不満に思われるのなら、苦情処理のルートに乗せることも考えている。結果を見ないと判らないが、一方的な契約解除になりそうな雰囲気は感じている。果たしてそれで良いのであろうか???そこまでの話は今日の会談ではして来なかった。
施設の意向を聞いて手順だけは踏んでいる。今月いっぱいに希望通りのプランを準備できるかは微妙なところだが、受診の結果受け入れが決まれば微調整していく必要性を感じている。

先日の産経新聞記者からの電話でも、重度者を排除する傾向があることを記者自身が記事にする必要性を感じておられる。
こう書いていると一つの話を思い出した。


かって某総合病院精神科に入院中、ガラスを破って強制退院させられてきた女性の話を聞いたことがある。本人によれば確信犯だった。
果たして今回のケースは如何だったのであろうか・・・もしかして、ケアプランミスだったのかもしれない。「介護者休養」を念頭においてのプランではあったが、介護者も何回かは倒れている。
本人にすれば行きたくない所へ行かされていたのかも知れない。
もしそうだとすれば申し訳ないことをした。

しかし放置しておけば、地域の不安が増大していたことも事実だが・・・。

施設の意思表示(2)  2007・8・11
施設側と話をして来たと子から電話がかかったので訪問した。
話の内容は施設での出来事などを伝えたに終わっていた。サービス提供を継続出来ないという話は全く出ていなかったが、今後このような事があれば考えなければいけないという内容だったということである。

一応予告の形態の話し合いだったのかもしれないが、これでは担当ケアマネが先走っているようにも受け止めることが出来る。問題はそんなに簡単ではない。
今度何かあったらサービスの提供が出来ないということなら、何かあるまでサービスの提供は出来るということである。一応今月の提供表は渡してあるが、来月の分も作っても良いということである。しかし、確認が必要のようである。

しかしこれは不可解な内容である。
サービス提供依頼をしたのは私だが、契約をしたのは施設である。その契約を施設側から破棄しようという内容であるから、施設はその意思表示をする必要がある。サービス依頼をしたケアマネに施設の意向を伝えただけでは問題は解決しない。サービス利用時の問題をサービスの外部にいて聞いただけである。
これでは「担当ケアマネがあんただから、サービスを提供できないよ・・・」という、某県の在宅介護支援センター・地域包括支援センター組織の偉い方が言った言葉に代わりはしない。この件では国保連への苦情申し立てまで発展している。

契約者の家族への説明がこうだったのだから、週明けにもその真意を聞いてみたい。担当ケアマネへの話は何だったのだろうか・・・???
結果私一人が先走って行動をしていたように摩り替えられても困るので、確認することへの確認を取っておいた。必要があれば、再度家族との話し合いを行なっていただく必要がありそうである。

これと平行して、サービス利用が受けられない場合の代替策を話し合った。
このケースは両極端しかない。
入院か家族介護かの両極端である。
一つの可能性として、1年365日妻と行動を共にする方法である。その支援を行っていただける施設を探す必要がある。
家族(妻)+施設介護である。

Re: お誕生日おめでとう!  2007・8・4
usagi112770 さん、メッセージありがとうございます。
usagi さんにもメッセージ送りますね。

ところで今施設の姿勢を問うて来ましたが、意思表示する時には意思表示しなければいけませんね。その方法を暗示してきました。

特別養子制度  2007・8・4
何故か急に標題の内容に関して書きたくなった。
昭和63年1月1日に施行された法だが、昭和62年9月26日 法律第101号「民法等の一部を改正する法律」(民法・家事審判法・戸籍法の一部改正)
昭和62年11月18日 最高裁判所規則第4号「家事審判規則の一部を改正する規則」
を経ての施行である。

子が出来ない夫婦にとって、子育ては願望でもあり生涯の事業でもある。
養子縁組の制度は以前からあったが、その事実が戸籍には残る。戸籍は血縁を追うから、養子縁組をしても両親の関係の全て戸籍には現れる。そこで誕生したのが「特別養子制度」である。この制度を使えば実子同様の戸籍の記載を受けられる。
良いことなのか、悪いことなのか、私には判断が付かない。
戸籍上の問題は解決しているが、そうでは無いという事実は残る。

この問題は病気の告知にも似た要素を含んでいると思う。
例え戸籍上は実子扱いになっていても、いつかは子に告知する必要があるように思う。
生涯隠し通した方が良いのかの両天秤は危険でもあろうし、最初からその意思決定をしておく必要がありそうである。
「特別養子制度」を使うなら隠し通すということと、隠し通す意思がないのなら「養子縁組」で良い訳である。先ずこの点の整理が必要かと思う。
本当はもっと大きな問題が潜んでいるのだが・・・。

http://foster-family.jp/data/tokubetu_youshi.html

興味のある方はご参照いただきたい。

穏やかな夜明け  2007・8・4
台風が来ていたらしいが、昨日の夕方少し車が流される程度の風は吹いた。夜からは雨に変わり穏やかな夜明けを迎えている。
八月になって暑い日が続き、2日には富山で日本一の暑さを記録したと聞いているが、若い頃から見れば暑さもそう感じないし、汗も出なくなった。

今日は北日本新聞社主催の恒例の花火大会が行なわれる。
庄川河原まで出かけたこともあるが、これはこれで迫力があって良いものである。花火を目と身体で感じるためには、30分ほど歩かなくてはいけない。
子の新居は河原に近いところにあるので、そこへ行っても良いのだが、今日も通い子育てに来るのだろう。夫の帰りが遅いので、孫を風呂に入れてから帰る日が続いているが、今日だけは交通渋滞で何時ものようには行かないと思う。

今日は一件解決しなければいけない問題がある。ケアマネジャーの立場と施設の立場をはっきりさせる良い機会なのかもしれない。
サービス提供に際して施設と本人は契約を交わすが、この意味を理解しておられないようにも思う。施設の事情をケアマネジャーに話していただいても困るということである。
次の段階に向かって動いているが、何の話があるのだろうか???

60代に突入したが、その出発の日にしては穏やかな日である。

3000投稿を自ら踏みます。  2007・8・3
2001・10・14「介護問題」に関するインターネット会議 を開設してからの経緯は、
1000投稿 2004・6・22・・・削除されています。
2000投稿 2006・3・ 9 ・・・usagi112770 さん
3000投稿 2007・8・ 3 ・・・自ら踏みました。

50代最後の1日は、非常に忙しい1日でした。
今後ともよろしくお願い致します。

産経新聞からの電話取材  2007・8・2
今日、かって名刺交換した記者から電話があった。
特集記事を書かれるということだが、テーマは「サービス提供拒否」に関してである。
「選択の自由を保障する」提言は利用者に関しての話だが、利用者側が希望してもサービスの提供を受けることが出来ないことがある。これは重要な問題である。
重度認知症(精神科?)の方が入所出来ないシステムがあることは事実である。誰しも軽介護で報酬を得たい気持ちはある。

取材に関しては、一昨日「措置入院」に関して書いているが、

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834885&tid=a1v2p8nldbja1wa4k4xa49a4ka5a4a5sa5bfa1bca5ma5ca5h2q5d&sid=1834885&mid=2991

この内容もお伝えしておいた。施設側がガードに入ることは当然考えられるが、それ以前の問題があるように思う。介護保険下での入所は措置ではないということである。

入所申込者の中から、入所判定委員会で入所の必要性を吟味して、入所の優先順序を決めるシステムになっているが、その過程で施設側が介護困難ケースを排除していないであろうか?
ここに(施設側の)選択の自由が発生する。
昨年の法改正で重度認知症の皆様の終の棲家になっていた療養型病床が介護保険から外れた。介護保険で利用出来る長期療養型病床が消えたわけだが、これは経営者側の法改正に対する一つの抗議の形だと思っている。貴重な社会資源が消えたわけである。

この記事は実名で掲載される。その確認があった。
ケアマネジャーの〇〇 〇の話として記事が載ることになるが、経済界は「選択の自由を保障する」社会システムとして成長していく介護保険法に期待をしておられることは良〜〜〜く判った。
「天下り訴訟」に一段落が付けば、お蔵入りしている記事の掲載もあるものと思う。

重度認知症(精神科?)の受け皿は特別養護老人ホームしかない。その為に施設建設費にも補助が成されている。この意味を良〜〜〜く考えていただきたい。補助金は国民の血税から出されている。
この補助金も削減されつつあるが、その時にはじめて「介護の自由化」が実現するのかもしれない。
本当の意味での自由化・競争政策上の原理が働く介護保険の誕生を心から待ち望んでいる。

8・4緊急集会  2007・8・2
8月4日(土)某事業団が緊急集会を開催する案内をいただいていた。
メッセージを求められていたのでメールで

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm

このページを送っておいたが、丁重な返信メールをいただいている。
今「事前速報・号外」がFAXで届いた。

『厚生労働省老健局の阿曽沼老健局長と交渉の結果、
「私は立場上出席できないが、代わりの担当者を参加させる」
との確約をとりつけました!
厚労省に対して、介護福祉の現場の声を直接届けるチャンスです!』

果たして氷山の全体像を伝えていただくことが出来るのであろうか?

早速事業所の管理者に電話で、メールでメッセージを送ってあることを伝えた。
内容はご存知である。

DBS再手術  2007・8・2
6月中旬に先ず神経内科入院で、手術前の薬の調整を行った。
7月上旬にDBSを一本だけ入れる手術を受けられたが、本人の一番の心配は言葉を失うのではないかということであった。手術前は、電話でほとんどその意向が聞き取れなかった。電話をいただいたら、先ず訪問するように心がけていた。

2週間ぐらい前に顔を見て来た時、以前よりわずかだが、言葉もはっきりしたように思えた。ON状態では右足の出も良くなっている。途中で薬が切れて車椅子で病室まで送ったが、ベッド移乗には若干介護が必要であった。
手術は成功だったとの実感を持って帰ってきた。

今朝電話をいただいて、今日退院すると言われる。退院前準備が必要だったのかもしれないが、とにかく退院するということである。言葉は確かに良くなっている。
午後から通院のお供があるので訪問は夕方になるが、そう言うと遅いほうが良いと言われる。とにかくお逢いしてからの相談である。

かっては通院リハビリに精を出しておられたが通うことが出来なくなった。そこでしばらくの間デイケアでリハビリを続けてこられた。ヨーガ教室・リハビリジムへも車で通うことが出来なくなったので、ボランテイア移送を利用してきた。果たして何処までの回復なのか・・・術後の回復も見込んで、免許の更新もしておいた。この時だけは一つの方法を共同研究した。

薬の調整で生活時間が如何変化しているか興味のあるところである。
電話の声からは再手術は成功だったと推測出来た。

七夕祭り  2007・8・1
高岡七夕は1ヶ月遅れの八月に行なわれる。今日から七夕祭りが始まった。
地場産業の不振も手伝ってか、一時から見るとかなり縮小した七夕祭りになっている。

活気があったといえば約20年前の、子が小学校の頃だったかと思う。
子に誘われて児童クラブの世話もしていたが、大縄跳び大会は記憶に残っている。とにかく連戦連勝であった。
現在は駅前通だけに縮小しているが、当時は「会議室」のある通りも各種イベントに使用されていた。大縄跳びはその通りで行なわれていた。
駅前には今でも高さ20メートル余りの七夕が立つが、この竹を運ぶのがまた大変らしい。四国からトレーラーで運ぶと聞いたことがある。

人口が郡部に移り、中心街は高齢者が多くなっている。人口のドーナツ化と共に、車社会になったこともあり商店もドーナツ化している。
このあと花火大会も各所で行なわれるが、ようやく夏らしい天気にもなり夏を感じているが・・・梅雨は明けたのだっただろうか???
最近はマスコミとは余り関係のない生活をしている。

Re: 七夕祭り  2007・8・2
usagi112770 さん、いい思い出ですね。

私の思い出の中でひときわ輝いている街が高岡である。

再び輝いて欲しいものだと思います。

私は中学まで川原にいましたが、魚市場を中心に活気のある町でした。
生活の中から見る町と思い出の中で見る街とは違うのかもしれませんが、思い出の地が高岡であったことに喜びを感じます。
島尾海岸には良い思い出があるのですよ。

今Tさんから電話がかかり、今日退院されるそうです。夕方に早速顔を見てきます。

Re: 七夕祭り  2007・8・2
Tさんのこと、ご家族のことくれぐれもよろしくお願いいたします。

了解しました。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです

措置入院  2007・7・31
例えば、事件を起こしたとか・・・の認知症高齢者を如何するかということで、精神科医2名での診察がある。その精神科医が協議して、入院の必要性があれば措置入院になる。

あったとも・無かったとも言わないが、こういう話がある。
現在では個室の特別養護老人ホームが主流になっているが、私が勤めはじめた頃は4人部屋が主流であった。50床の特養ホームで男性部屋は2室であった。その1室で事件が起こった。

重度認知症の方は夜中でもかまわずに、目的もなく「お〜〜〜い。お〜〜〜い。」と叫び声を上げる。
ある晩同室の認知症とも精神病とも言えない無口の方が「うるさ〜〜〜い。」と枕でその方の頭を殴ってしまった。その異変を感じた介護職員が部屋に行ってみると、殴られた老人はぐったりとしている。すぐに救急車を呼んで病院に運ばれたが、治療の甲斐なく、数時間で亡くなられた。死亡原因は脳挫傷であった。

事件であるから司法解剖も行なわれ、加害者である老人は精神鑑定にかけられた。それが二名の精神科医による診察である。
結果、この方は措置入院になった。
数年後、別の特養ホームに入所しておられることを知ったが、その時は複雑な思いをした。やはり措置入所には、社会とは別の法則があるようである。

今回医に相談をかけているケースがあるが、私が出来た人権擁護はここまでであった。精神に障害があったとしても、犯罪者にはしたくない。少し前までは介護者擁護のプランを書いていた。受け入れ施設からもその限界を告げられ、私の立場で出来る擁護は無くなった。
犯罪者になっていただきたくないという想いから、精神科医の門を自ら叩いた。

富山県予防マネジメント研修  2007・7・30
午前中は大川先生を招いてICFを学んだが、午後からは地元講師であった。
地域包括支援センターの立場でどのように考えておられるか興味があったので午後も聴講した。とは言え、何時もの仲間に昼食を誘っていたので、往復40分の歩行訓練と昼食・懇談の時間を差し引いたら、結局30分の遅刻になってしまった。

地域包括支援センターの仕事は結局予防プランセンターとしか受け止めておられないような気もしたが、県居宅会長の話には地域福祉コミュニティー作りをうかがわせる話も混ざっていた。現状ではこの内容なのかもしれないが、時期が来れば誰かが言わなければいけない内容であろう。
そう思いながらJR駅に向かったが、途中で副会長にお逢いした。ひょっとして研修会終了後、理事会が招集されていたのかもしれない。

ICFは予防プランに限らず必要な視点であるが、今日はじめてご本人からその内容を聞いた。違う受け止め方をしていた訳ではないが、その確証を得た。
アセスメント票は自作の台帳方式を使っているが、まとめだけはICFでパソコンからコピーしている。
〔心身機能・身体構造〕〔生活活動の状況〕〔参加の状況〕がその項目であるが、コピーを台帳に貼り付けている。

何人のケアマネさんに声を掛けられたであろうか???我市より東のケアマネさんが多かったように思う。チョッと残念な想いもするが、心はもう離れてしまっているのかもしれない。
昼食・懇談では力をいただいてきている。

専門職の中立性  2007・7・30
「ミドルステイ(富山県単独事業)も受諾したし、老健の話はするな。市もそう言っている」と言った管理者がいた。
 市が言っているのは嘘だが、皆さんはどう思われるでしょうか?この考え方が、公正取引委員会の調査報告の結果になったと考えます。
囲い込みはいけませんね。』
5年余り前のレポートのまとめであるが、その時点でもうこのようなことを予測していた。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2repo-tono2.htm

ちょうど公正取引委員会が調査報告書をまとめた時期である。
http://www.jftc.go.jp/pressrelease/02.march/02031301.pdf
行政運営が利用者獲得を廻る事業者間の競争に公正に働いていない理由として
・措置からの継続
・社会福祉法人等への認定調査の依頼
・社会福祉法人等の在宅介護支援センターの受諾
・市町村から要介護者にかかる情報が公平に提供されていない
という実態が報告されている。

レポートにも指摘しているように「囲い込みはいけませんね」ということである。現在は、認定調査だけはその多くを保険者実施するようになったが、その実態は全く変わりはない。
先日の研修会で一人の超ベテラン専門職がそのことを口にしかかったので「その件に関してはいずれまた・・・」と言葉を濁しておいた。

この囲い込み体質をお持ちなのはレポートでも書いているように経営管理者である。社会福祉法人等の経営管理者の多くは天下りの元公務員であり、その多くは施設運営の実権を握っている。
法や制度は出来上がっていると重ね々々申し上げてきたが、先の法改正で一番大きく指摘されているのが保険者の責務と介護支援専門員の独立性・中立性の確保である。
その独立・中立性が担保されない大きな問題が先にも述べた経営管理者の問題であるなら、経営管理者の多くが天下り管理者だということを考えれば行政と元行政マンとが法改正のメインテーマになっているということである。

厚生労働省は3年前に市町村(保険者)に対しては大手の監査を指示した。大手とは社会福祉法人等天下りの方々(多くは県であろうが市町村もある)がおられる所である。果たして結果はどうあったのであろうか?その指示の内容は〜全保険者が第一歩を踏み出そう〜
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/10/h1021-7.html
である。

この問題に経済界が不審を持っているということである。
当時〇〇問題もあり、発行日もお知らせいただいていたが、記事にならなかったという経緯もある。
今回はどのように取り扱っていただけるのであろうか?

難病団体と独立居宅  2007・7・29
兎に角無謀なことをやったものである。

3年前の実務研修終了に合わせて独立居宅を開業したが、これだけでは今日は無かったと思う。
実務研修終了を待ったかのように一通のメールが届いている。
メールをいただいたキッカケはこの掲示板である。

難病支援に全精力を注いでいる女性がある。
市民の立場で、全てボランテイアなのだが、その活動には頭が下がる。何故ここまでパワーがあるのかは判らないが、自信を持って活動されている。この前向きな姿勢が羨ましい。

最近はそこまではやっていないが、メールを個人別に整理していたことがある。その過去メールで出逢いを確認した。
「虚構」のリンクを現在は切ってあるが、インターネットに精通した方なら開くことは出来る。その内容も知っていただいてのお付き合いだから、想いが同じなのかもしれない。

行政担当者はその立場を優先される。
そこに鋭く切り込む手法は良く似ているが、方法が少し違うようにも思う。
見習いたい部分である。
難病支援ということで言えば、東にも熱心な方が現れた。このような存在をもっともっと増やしていかなければいけないのだが、行動力という点では女性に遥かに劣る。私は突き放すタイプである。

今、私の情報発信も究極の場面に来ているが、一段落が付けば方向転換も考えている。本来の地域福祉の姿をお伝え出来る日が、一日も早く訪れる日を心待ちにしている。

全国難病センター研究会  2007・7・29
第9回研究大会が富山で10月27日(土)〜28日(日)開催されるが、難病連が消え去ってから数十年後に復活させたそのパワーには感服している。
実父のパーキンソン病がそのキッカケと言われるが、難病支援にかける想いは計り知れないものがある。
その準備もあって「難病ネットワークとやま」理事会が開催された。

【開催要綱】
1.名称 全国難病センター研究会 第9回研究大会
2.目的 平成15年から各地で開設されてきた難病相談・支援センターの方向性を探り、運営・相談に従事する者の知識、技術等の資質向上を目的とします。また、医療、福祉、行政関係者、患者・家族団体とのネットワークの構築を図ります。
3.主催  全国難病センター研究会
4.後援 厚生労働省健康局疾病対策課
厚生労働科学研究費補助金難治性疾患克服研究事業
「重症難病患者の地域医療体制の構築に関する研究班」
「特定疾患患者の自立支援体制の確立に関する研究班」
5.会場  富山県民共生センター サンフォルテ(27日)
〒930-0805 富山県富山市湊入船町6−7
TEL:076-432-4500 FAX:076-432-5525
快適ウェルネスホテル とやま自遊館(28日)
〒930-0805 富山県富山市湊入船町9−1
TEL:076-444-2100 FAX:076-444-5541
6.日時と主な日程   ※時間帯は多少変更になる可能性があります
2007年10月27日(土)
13:00-13:30 受付
13:30-17:00 研究大会
17:00-17:30 世話人・運営委員合同会議
18:00-20:00 参加者交流会
2007年10月28日(日)
9:00-12:00 研究大会
12:00-13:00 休憩(昼食)
13:00-15:00 研究大会
7.主な内容 パネルディスカッション 座長:今井尚志((独法)国立病院機構宮城病院)
特別講演 伊藤 智樹(富山大学人文学部 准教授)
     ほか講演・発表多数(発表者募集中です)
8.参加費 研究大会   4,000円  ※当日の資料代と後日送付予定の報告集の代金を含みます。
※団体での参加の場合は2人目3,000円、3人目以降2,500円。
参加者交流会 6,000円  
2日目昼食  1,260円  
宿泊費    シングル朝食付   7,000円(とやま自遊館 20室)
ツイン朝食付1人分 7,000円(とやま自遊館    7室)
ほか和室あり
なお、下記の宿泊地もご利用になれます。別紙「宿泊のご案内」をご覧下さい。
※ オークスカナルパークホテル富山、アパホテル富山駅前、コンフォートホテル富山
9.事務局 財団法人北海道難病連
住所:北海道札幌市中央区南4条西10丁目
TEL: 011-512-3233 FAX: 011-512-4807
E-MAIL: jimukyoku@do-nanren.jp ホームページ: http://www.do-nanren.jp

それにしても、昨日は飲みました。
県内を駆け巡る医師や介護支援専門員・闘病日誌を私費出版された方の参加もありました。
皆さんそれぞれの立場で頑張っておられます。

バランスボール  2007・7・28
近くまで行ったついでに「つくしの家といで」を訪問した。
直径1メートル位のバランスボールが置いてあったので、使用方法を聞いてみた。「今からやるから見ていかれ・・・」ということで見学することにした。
3人の重度障害者(児)とそのお母さんが揃った所で実践が始まった。子供たちをボールの上に乗せると言われる。考えてもいなかったことなので少し驚いたが、とにかく手を貸すことにした。
先ずはボールを前後に動かして、そのバランス感覚を取り戻す訓練から始まった。次に始まったのは上下に揺さぶって、ボールの上で身体をバウンドさせる。予想外の行動である。

上下運動は脳波に良い影響を与えるということで、ボールから下りた子供たちを見ていると、心なしか拘縮が緩んだようにも感じた。
3人のお母さん方はかなり手荒く子を扱っている。「目を覚ましなさい・・・」という想いもこもっているのか、一緒に楽しんでいるようにも見える。
トランポリンも申請したら寄付していただけることになったそうで、こちらは抱いて上下運動をするそうである。
バランスボールの合宿が土曜日に行われ、終わったところで飲み会に変わるそうである。

障害児(者)と高齢者では介護者が違う・・・ということを書いた記憶があるが、障害児(者)の共通する悩みは「私たちが年老いて介護できなくなったらこの子はどうなるのだろうか・・・」ということである。
介護者の真剣な姿を見て思い出したが、病気や障害を先ずは家族が受容することが必要である。
先日来2件のALS患者で、本人・家族共に病気を受容出来ていないケースの相談があったが、担当ケアマネさんには先ず病気を受け入れることが出来るように働きかけていただきたい旨伝えている。

バランスボールで遊ぶ姿を見て、「告知とコミュニケーション」の重要性を感じた。何もいわない子達の想いを身体で感じ取っておられるようにさえ見えた。

Re: 要介護10  2007・7・28
usagi112770 さん、要介護10になっても介護の内容はそう変わらないシステムになっています。施設サービスの利用料は介護度によって違います。
実費の内容に関しては吟味する必要があると思いますが、通所よりも入所を中心に組み立てた方が良いようにも思います。半分在宅半分施設ですね。

・・・ジョクソウ用の高額シール・・・

気にかかりましたが、ラップは使用しておられないのでしょうか?

しかし病むものが家から放り出される実態とて普通ではない。

「選択の自由を保障する」は(利用者の)ですが、現状を変えていかないと(施設の)「選択の自由を保障する」になりかねない現状があります。
熱弁ありがとうございました。
昨日福祉の姿を見てきましたので、後程書きますね。

今朝目が覚めたら3時でしたが、パソコンを前にして寝ていました。

Re: 要介護10  2007・7・28
・ジョクソウ用の高額シール・
とはラップのことです。
もちろんサランラップではなくて滅菌された医療用のものです。


これって医療保険対象になっていないのでしょうか?
入所中に創ったものがまだ治っていなかったのですね。

・・・絆創膏でかぶれて・・・

ビニールテープが良いと聞いたことがありますが、如何なものでしょうか?

最近絶え間なく傷やかぶれになるので・・・

そうでしたか。皮膚も弱ってきているのですね。

今日午後から一件施設へ案内してから向かいます。
別の意味で大変なケースです。告知はしていたのですが、もっと早くその必要性を判っていただきたかったのですが、強制はしませんでした。

Re: 要介護10  2007・7・29
昨日はありがとうございました。
事務所を出てすぐに電話がかかり、一件相談を済ませてから投票に行って来ましたが、またもや途中で記憶が途絶えていました。美女と楽しく飲んでいた記憶はあります。

ブログへは事務所のパソコンから投稿しておきましたが、ここにアドレスを載せるのは・・・やばい・・・ですよ。
お気に入りに追加しました。

赤根崎の日の出  2007・7・27
13〜4年前のことだが、近い時期に2回赤根崎へ行っている。
主任生活指導員研修とスーパービジョンに関する研修だったと記憶しているが、2回とも晴天に見舞われている。
何故か突然その日の出を思い出した。

北陸では海から昇る太陽を目に出来る場所はほとんど無いが、(当然のことだが・・・)夕日が沈む光景は目に出来る。水平線に近くなると太陽は2〜3倍に膨れ上がる。その大きな太陽が静かに沈む光景には寂しさを感じる。
反面、海から昇る太陽には力強さを感じる。

ほとんどのカレンダーは日曜日から始まっているが、卓上日誌やスケジュール帳には月曜日から始まるものが多い。身体を休めてから仕事に励むのか、仕事に励んでから休むのかの違いだと思うが、何故かこうなっている。

赤根崎での晩餐のとき、地元の方から「今日は素晴らしい魚が出ますよ・・・」とお聞きした。富山湾も海の幸の宝庫であるから楽しみにしていた。出てきた刺身が鰹のたたきであった。
日頃からかなり贅沢をしていることをその時に知った。

その頃から見れば私の日の出にも益々磨きがかかっている。
写真はアップにしなくても誰かはわかるが、インターネット上にもその写真は増えてきている。
かなり色々な所に出没している今日この頃であるが、それも特徴の一つかと思っている。

「♪♪♪星に願いを・・・」  2007・7・26
昨日のバーベキュー大会では、参加者に想いを込めた短冊を作っていただいたが、その想いが星に届くのか・・・という簡単な話ではない。
人類究極的な研究、宇宙の果てを覗こうという研究である。

http://www.asahi.com/science/update/0722/TKY200707210357.html

『宇宙は誕生からしばらく星のない「暗黒時代」が続き、その後、星や銀河の形成が始まる「宇宙の夜明け」を迎えたと考えられている。』

介護保険法も今混沌とした暗黒の世界なのかもしれない。
介護が保険制度になり、民間も参入することになった。介護は措置時代から行政主導で運用されてきたが、介護保険法誕生と同時に措置の形態は崩れ去った。しかし未だに措置の延長線上にある。
宇宙の誕生後もしばらくは混沌として状態が続いていた。

長い宇宙の歴史とは比較にならない規模なのだが、考えようによってはその道を辿るのかもしれない。自然発生的に「無」から「有」が誕生したが、かなり時間のかかることである。
「介護」にはそんなに時間が無い。干支が一巡した頃には、その形を成しているのであろうか?
やっと半分を過ぎたところでもあるが・・・。

非常に楽しいものがあった・・・。
我が家にも子供から見て楽しいものがあった。今まで見えなかっただけである。

夕方僧侶が月参りに来たが、終わり頃に孫の参加もあった。とにかく「抱っこ」を求めるのでそのまま玄関まで送った。孫の興味は全く別の所にあった。
そこにあったのは「ミッキー・ミニーのフラワーデザイン」の6000ピースのジグソーパズルであった。5・5mmのベニヤをベースに額状に仕上げてある。この高さだから今までは目に入らなかった。

ディズニー漫画はやはり永遠のベストセラーなのであろうか?はじめて見た絵なのだが、パズルを触っている。
制作年代を過去の背景から探っているが、どうも平成5年のゴールデンウイーク中製作の線が色濃い。14年前だから逆算すれば子の歳が出てくる。先ず喜んだのは、その母であった。

良いものは何時の段階でも良い・・・こんな独立ケアマネのキャッチコピーが出来ないものだろうか???
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2nixyu-suno15.htm
3年前のニュースである。
どうも一貫して同じことを言っているようである。

雨が・・・。  2007・7・25
昨日パーキンソン病友の会イベントの準備をしていたが、梅雨明けを思わせるような快晴の夏日であった。
今ポツリポツリと雨が・・・。
天気予報を見ているが、日中30〜50%の降水確率である。

気象衛星の画像では雲は薄いが、こちらに向って流れてきているようである。
地球の自転の関係か天気は西から東へと変わっていくが、その薄い雲が富山県を通過しそうである。

昨日は余りにも良い天気なので屋根にシートは張らなかった。開始1時間前には集合する予定で迎えの予定も組んである。その時点の判断でシートを張ることにしたが、本当に天気は気まぐれである。
さて、どのような天気になるかは判らないが、昨年は雨の中音楽療法も楽しく行っているから、何とかなるものである。

友の会の年一回のデイサービスであるが、9月には1泊ショートステイも計画している。リハビリ教室や地区懇親会などなど、結構忙しい団体である。

心を感じる  2007・7・23
若い方のブログだが、心を感じることが出来るから好きである。
気の向いた時に訪問して返信しているが、今日の返信では力をいただいたような気がしている。その返信を紹介する。

(ここから)
「俺は独りじゃ
   ないんだ」


目的に向かって突き進んでいますが、今私を支えてくれているのは現在の仲間です。
その皆様の力をバネに過去を振り返っています。

今必要なのは現在ではありません。
混沌とした現状を過去の実践に導くのが今の私に与えられた仕事なのです。

そう思いながら、本道と信ずる道を進んでいます。
現状が可笑しいから、過去に戻っています。その過去が正しかったのかは判りません。

8月12日に良い体験をさせていただきたいと思います。
(ここまで)

人生最後の「やり残した仕事」に取り組んでいます。
その仕事は、地域福祉コミュニティーの種を残すことです。

老人介護支援センター  2007・7・22
地域包括支援センター業務マニュアルに情報の漏洩に関して明記されていることを先にお知らせしていたが、老人福祉法の第二十条の七の二(老人介護支援センター)も改正になっていた。
新旧を対比いたします。

(ここから)

(老人介護支援センター)
第二十条の七の二
 老人介護支援センターは、第六条の二に規定する情報の提供並びに相談及び指導、主として居宅において介護を受ける老人又はその者を現に養護する者と市町村、老人居宅生活支援事業を行う者、老人福祉施設、医療施設老人クラブその他老人の福祉を増進することを目的とする事業を行う者等との連絡調整その他の厚生省令で定める援助を総合的に行うことを目的とする施設とする。
(平六法五六・追加、平九法一二四・一部改正)



(老人介護支援センター)
第二十条の七の二
 老人介護支援センターは、地域の老人の福祉に関する各般の問題につき、老人、その者を現に養護する者、地域住民その他の者からの相談に応じ、必要な助言を行うとともに、主として居宅において介護を受ける老人又はその者を現に養護する者と市町村、老人居宅生活支援事業を行う者、老人福祉施設、医療施設、老人クラブその他老人の福祉を増進することを目的とする事業を行う者等との連絡調整その他の厚生労働省令で定める援助を総合的に行うことを目的とする施設とする。
2  老人介護支援センターの設置者(設置者が法人である場合にあつては、その役員)若しくはその職員又はこれらの職にあつた者は、正当な理由なしに、その業務に関して知り得た秘密を漏らしてはならない。
平成一八年六月二一日法律第八三号(未施行)

(ここまで)

改正法は未施行になっていますが、これは5年後の施行を意味します。「5年間は(残すところ4年間)は大目に見るが、それまでの間に正しておいてね・・・」という寛大な心を感じます。

如何に在宅介護支援センターが行政情報を囲い込んできたのかという実態が、法にも現れています。天下り管理者にはそろそろ襟を正して、本来の役割(品質管理)に動いていただく時が来ています。
改めて私が言うほどのことでもないのですが、余りにも醜い現状から言葉を発しています。先ずは身の回りから、その実態を点検していただきたいと思います。

Re: 老人介護支援センター  2007・7・22
fp_pf さん、早速ありがとうございました。

介護保険法に感染した老人介護支援センターが
4年後に健康を回復し、感染前以上に元気になることを期待します。


私もここまで徹底した法改正になっていたとは知らなかったのですが、「公正取引委員会と介護保険法」の関係を再確認していたら改正法が出てきました。
老人介護支援センター=在宅介護支援センターですが、機能しないことから介護保険法に地域包括支援センターを行政の責任で作るセンターとして創設させ、老人介護支援センター機能も持たせました。
しかし法改正の駆け込みで在宅介護支援センター(という名の居宅介護支援事業所)も存続することになりましたので、本家本元の老人福祉法でその公正さを保ったと推測いたします。

保健センターの保健師さん達、早くワクチンを持って来てください。
そして 本当の 予防事業を始めてください。


地域包括支援センターに配属されるとされた保健師は、私も保健センターだと思います。当時課長に暗示をかけたことがあります。「市にも持ち駒がありますよ・・・」と。

「選択権の保障」から「選択の自由を保障」  2007・7・22
2006・9・17(日) 北日本新聞朝刊からの抜粋
「・・・利用者の選択の自由を保障するため、ケアマネジャーは双方に対して中立の立場であることが原則。・・・」
であるが、
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/kitanihonnsinnbunnkeisaikiji.htm
それまでは「選択権の保障」と言っていた。
この柔らかい表現にひかれ、それ以来「選択の自由を保障する」を使っている。

公正取引委員会と介護保険法の関係
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2repo-tono12.htm
もご紹介したが、今介護保険の現状は独占禁止法にも抵触しそうな運用が行われている。抵触しているところもあるだろう。
「選択の自由を保障する」ために公表制度がスタートしているが、実際利用できるかといえば???のシステムである。システムがスタートした理由にはこの公正取引委員会の指摘が背景にあるわけだが、ここで問われるのは個々のケアマネジャーである。だからしてケアマネジャー諸氏はお気をつけていただきたい。「囲い込み率90%」もこれと連動しているし、「管理者の指示」も勿論あるだろう。しかしそれに靡いていたのではその専門性は無い。

訪問介護:66.7% 通所介護:14.3% 福祉用具:37.5% が
昨月の実績であるが、目で見て選ぶことの出来る通所介護ではかなり低い数字を示している。訪問介護は居宅を持たない事業所からの依頼でもあるので、少し高率を示している。
目で見て、雰囲気を感じることの出来る通所介護では、希望がない限り近くのデイサービスセンターを2〜3箇所見学してから決めていただいている。
ケアマネジャーには中立性が求められているから「90%までは囲い込んでも良い・・・」といった考え方にはなっていただきたくない。

http://www.jftc.go.jp/child/index.html
レポートでも紹介した子供向けの漫画だが、このこと位はケアマネジャーの皆様にご理解いただきたい内容である。
このことを実現するために、ケアマネジャー諸氏には、先の法改正の意味をかみ締めていただきたい。
特定事業所加算・集中減算はこの表れではないであろうか?

利用者の「選択の自由を保障する」ためには先ずケアマネジャーを選ぶことの出来る体制を作り上げなければいけない。そしてその背景が出来て初めて「独立化」も進むであろうし、「独立性・中立性の確保」といった本来の姿が出来上がっていくものと考える。
出来なければ出来ないで次回法改正でケアマネの質が問われることは必至である。ケアマネジャーの専門性を問われないためにも、一人ひとりのケアマネジャー諸氏には、その位置づけを今一度確認していただきたいものである。

パーキンソン病とパワーリハビリ  2007・7・22
開業した頃にはリハビリに筋力トレーニングが取り入れられており、教室も開かれていた。最近はトレーニングに励む方をあまり目にしなくなったが、パーキンソン病には良いとされていた。歩行バランスが悪いので、筋力を鍛えておけば咄嗟の時に持ちこたえられるだろう・・・ということなのか、勧める神経内科医もあった。

友の会の健康パーク日帰り旅行は例年続いているが、ここにも立派なリハビリ機が揃っていると聞いている。そのリハビリ機を見てマシーントレーニングがしたいと通えそうなデイサービス・デイケアを探したこともある。結果通えるところはあったが、少し遠かった。
その本拠地で8月8日に講演と体験の会が開催される。8・8はゴロ合わせである。体験利用出来る施設は限られるが、設置してある施設はかなりの数にのぼる。その会へのお誘いがあった。

一応パワーリハビリの現状はお話しておいたが、有名な先生が来られるのだから講義だけでも聴いてみよう・・・という話になった。呉東のバーベキューが中止になった代替の意味もある。
どうせ集まるのだからどこかで昼食会でもしようか・・・しかし障害者が簡単に利用出来る会場はなかなか見つからない。そこで社会福祉会館を聞いてみるとホールが空いていると言われる。会館ホールで昼食会・・・素晴らしい発想である。トイレの心配もしなくて良い。

4種類のリハビリ機に関してはモデル事業で見学しているので凡その内容は判っているつもりである。しかし6種類のリハビリ機に関しては目にしたことはあるが、その内容は良くは知らない。良い機会であるので一緒に参加するのも良いかと思っている。

最近高岡を離れることが多くなっている。全容は見えてきているが混沌とした現状でもある。たまには外の空気を感じてくるのも良いかと思う。

独占禁止法と介護保険法  2007・7・21
介護保険法の構造的な欠陥である問題を、「ケアマネドットコム」にレポートから分割投稿した。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2repo-tono12.htm

長文であり転記出来なかったので、アドレスを紹介します。

今月は少し急いだ・・・。  2007・7・20
通常なら20日前後の休日に利用表等を作成してスタンプラリーを始めるが、今月は月末に行事等が集中していたので1週間早めに動き始めた。
今日大方終了して、月末に備える。
担当者会議1件と境界の方の認定待ち一件で、どちらもその日のうちに全て完了する予定である。認定待ちの方に要介護が出れば1日浮いてくる。

昨日の包括との話の中で、予防プランを受ける居宅が少ないということがあった。これは厚生労働省がかっての委託機関、在宅介護支援センターに対する戒めの意味も持ってスタートしたセンターだと思っているが、いずれは保健事業と統合されていく性質のものであろう。そこで残るのが「老人介護支援センター」機能を持つセンターである。(=在宅介護支援センターということになるのだが)従来のようなことをやっている訳にはいかない。

在宅介護支援センターが再生された時点でHPをまとめることにするが、HP『高岡発・介護問題研究会議』は再生された在宅介護支援センターの実践書である。(再生されればの話だが・・・)
在宅介護支援センターを核とした地域福祉コミュニティーを作るためには如何すれば良いかということであるが、しばらくその話からは遠ざかっている。しかし私の中ではネットワークがどんどん膨れ上がってきている。

先日ALSに関する情報提供の時お逢いしたケアマネさんから、『ボランチ型在宅介護支援センター』に関して聞かれた。ボランチ・ブランチという論議もHPには残っているが、(介護)問題のあるところに逸早く駆けつけるセンターであることをお伝えしている。ご本人は納得しておられた。

私の持つネットワークは私から見れば見えるのだが他の方からは見えない。これを目に見える形にしていく必要性がある。
難病ネットワークの要に何人かの顔が見えるが、これらの方々も目に見えるネットワークを持っておられる。これらのネットワークを目に出来るようにしていく必要性を感じている。このネットワーク図に専門職ネットワークを重ねていけば全体像が見えてくる。

県MSW協会では、患者会にMSWを貼り付ける構想を検討しておられる。
段々想いに迫ってきていただいているが、賛助していただいている真の意味はここにある。
某薬剤メーカーのネットワーキングの会もあるし、近い将来、良いネットワーク図がかけそうである。

快い女医さん  2007・7・19
アパートの4階から車椅子を使って昇降介助が必要な方がある。
その道のプロであるはずの最大手のサービス事業所が「出来ない・・・」と言ってから、そろそろ1年になる。必要だから何らかの方法で介助は行なっている。
他で出来るのに「出来ない・・・」と言うとプロの座を明け渡したことになる。この意識を担当者には持っていただきたいと思う。

介護は資格ではない。資格を持たないと出来ない内容もあるが、ボランテイアとしてもかなりの介護負担を軽減することが出来る。これは介護に対するアイデアである。即ちアイデアを持たない、与えられた事しか出来ない専門職はボランテイアにも劣るということなのかもしれない。介護はそれほど難しいものではない。少し前までは(今でもそうだが)家庭の主婦(主夫)でも家族介護を行なってきている。即ち、経験とやる気である。
ただ報酬があって、その業務を主に行う方はプロである。プロのはプロのプライドがあっても良いと思う。 
そういう意味から言えばボランテイアである。(過去にはプロであった)

とにかく移送サービス運転手と担当ケアマネがボランテイアを行っている。報酬が無いからボランテイアなので、その技術は先にも検証したとおり「プロ」である。
そのボランテイアに楽しみが出来た。「快い女医」さんに定期的にお逢い出来る。

何が快いかと言えば、患者の希望を良く聞いていただける。
階段昇降介助を行なわなければいけない症状の方だから重篤な症状である。
通常は出すことの出来ない薬を出しておられるので、かなり制約を受けておられるようであった。大学病院からの派遣医師であるから、出せない薬もあったらしい。しかし今日はスムーズに薬がでた。そのからくりは院外処方にあったようである。
今日変更された薬に院内処方分があったと言われる。
以前検索して無かった薬があったがその薬も出てきている。単に院内と院外の使い分けのルールをご存知無かっただけのようである。

派遣医師は病院内では独立ケアマネのようなものである。患者本人との応対振りをみていてそう思った。
本人は最初は「女医」というだけで信頼できなかったようである。
今日の様子を見て思ったが、信頼できる医師に変わったようである。ここまでに4ヶ月かかっている。
血液に症状が現れる「癌」であるが、予想より1年以上長生きをしておられる。まだまだ生きられそうでもある。
それまでの間、誰にも出来ないボランテイアが続く。

地域ケア会議の真相  2007・7・19
先日隣市のMSWから地域ケア会議で提示されたALS患者の件で電話相談があった。早速担当者に電話をかけたが電話中だった。それ以降連絡が無かったので必要が無かったのかと思っていた。

行政をはじめ厚生センター・保健センター・医療機関・サービス担当者等などが一堂に会したサービス調整会議は必要なのだが、我が市で現在行なわれているのかはその存在すら知らない。地域ケア会議は行っているそうだが、どうも上滑りをしているのかもしれない。
そういう現状なので、サービス担当者会議が継続していること自体を評価していた。
しかし話を聞いてみると、ここにも大きな問題が潜んでいた。会議構成員の質の問題である。

問題の焦点はレスパイト入院(入所)出来る施設が見つからないということであった。出来る施設はあるはずなのだが、手がかかるから受けたくないというのが現状なのかもしれない。
通所施設も無く障害者施設を利用しておられるが、年齢的にもオーバーしているということだった。そこで市が指定に規制をかけている話も交え、「つくしの家といで」の存在をお知らせした。ここにも行政の問題はある。
吸痰は医師の指導を受ければホームヘルパーも出来ることになっている。レスパイトが目的なら家政婦という手もある。とにかく利用出来る社会資源の幅が拡がっていることはお話した。

サービス担当者会議で行政担当者はとんでもないことを口にしている。「〇人と数が少ないから特例を作ることは出来ない・・・」と。それに反論するメンバーもいなかったということだが、福祉レベルの水準がその一言に潜んでいるような気がした。
「何処も同じか・・・」といったところであろう。

必要ならば何時でも呼び出していただいて良いことを伝え、先ずは本人・家族に病気を受容していただくことから始めて頂くことにした。心のサポート・ピアカウンセリングの力を患者会は持っている。必要な資源が無ければ少し枠を拡げて探せば充分に対応出来る。資源を作っていくこともソーシャルワーカーの仕事であり、ネットワークは「人」である。ネットワークで解決出来ないことはない。そして一番重要なことは、本人自身に「生きよう」という強い意思を持っていただくことである。

良い勉強の機会だと思うので、このケースを通じて大きく育っていただきたいと思う。そのサポートは行っていこうと思う。

Re: 地域ケア会議の真相  2007・7・20
いっちん さん、
昨日地域包括が来ていきましたので地域ケア会議も話題にしてみました。
民生委員などにも来ていただいてケース検討会程度はやっておられるようですが、拡大サービス担当者会議の程度のものでした。

地域ケア会議は地域のケアサービスの質を向上させるためのものと理解していますが、言い方を変えれば地域のネットワーク会議の性質を持たなければいけないと思います。
介護保険でサービス量も随分増えましたが、各サービスのネットワークも必要になってきます。当時サービスごとに県レベルで部会も持っていましたが、これを市町村(保険者)単位でネットワーク化する必要性も感じています。(もうその部会は無いのかもしれませんが・・・)

保健・医療・福祉の連携も叫ばれていますが、地域でそのレベルを上げていく会議こそが地域ケア会議だと思いますので、そこには各分野を代表する方が出席されます。ケースによっては必要なサービス機関の方にも参加していただければ良いことになります。

隣市では、結果利用出来る社会資源が無かったということですが、実はそれは行政にとって恥ずかしいことなのですね。その行政が『「〇人と数が少ないから特例を作ることは出来ない・・・」と。』こう言っているわけです。
そこでMSWが連絡をしてきたわけですが、ここにも恥ずかしい現状がありました。

こういったケースもあろうかと、かなり広域を睨んで医療ケア付きデイサービスを準備していたのですが、介護保険の指定は市が規制をかけていてまだ下りていません。窓口で担当者に「指定に合意されないと近隣の市町村に迷惑をかけますよ・・・」とお話はしてきてありますが、まだのようです。

何れにしても、私のネットワークでは形こそ変わるかもしれませんがレスパイトも含めた支援は行えるのですが、これは「何とかしなければ・・・」という「人」のネットワークだからです。そういう意味で、行政の一言には非常に敏感です。
「福祉」は忘れられてしまったのでしょうか?

DBS手術大成功  2007・7・18
天湖森バーベキューが中止になったので、急遽来週のバーベキュー大会の打ち合わせをした。その後、帰りに予定していた大学病院入院中の二人の見舞いに出かけることにした。そこで事務局長の都合を聞くと、午後なるべく早い方が良いと言われる。病院ロビーで13時に待ち合わせることにした。

病棟で二人を発見、喫茶店で会談になったが、手術を受けた方は一目で症状が改善していることがわかった。ことばもよりわかりやすくなっている。
このあと数百種類ある調整項目に薬を合わせる作業が残っているということだが、現状よりも悪くはならないだろう。薬が利いていない状況でも、手術前よりも動きは良くなっている。

会談中に薬が切れたが、次の薬は約3時間後だと言われる。その状況を見ながら薬の調整が行われるらしい。
薬が切れたから、病棟へ車椅子を取りに行った。看護師に〇〇さん薬が切れたので車椅子を借りていきます・・・と。大丈夫ですか・・・。大丈夫ですよ・・・。ということで車椅子で病室に帰ることになった。
ベッド移乗に若干の介助をしたが1m位の移動なら充分足が出る。後ろを見て気付いたが、看護師?PT?さんがその行動を監視していた。これも薬の調整のための状況観察なのかと思った。

お互い時間が無かったので地域連携室へは寄らないことにしたが、玄関前で話していると近所の知り合いに逢った。「お仕事ですか???」「半分仕事みたいなものですが・・・」「半分仕事ですか、良いですね」・・・他の3人はにこやかに笑っている。
何処までが仕事で・何処までがボランテイアで・何処までが趣味なのかは区別が付かないが、必要な手順は踏んでいる。友の会の重要メンバーを仕事に付き合わせたのかもしれない。

ところでもう一人は現在薬の調整中で、来月末の手術が予定されている。
そしてもう一人手術を勧めたい方があるが、主治医は手術に反対の立場である。
そこで受診する方法をご披露した。

先進医療を個人の責任で受ける権利は何方にもある。主治医がそれを止めることは出来ない。
ここにも「選択の自由の保障」がある。
公務員でこのことを理解されていない方が多いことには驚きを隠せない。

天湖森  2007・7・18
テンコ盛りは山盛りいっぱいだが、「天湖森」ではバーベキューが出来る。

その「天湖森」で、パーキンソン病友の会・呉東地区のバーベキュー大会が行われる・・・はずだった。先日来天候を気にしていたのだが、山には霧がかかっていると連絡が入った。曇りで何時雨が降ってきてもおかしくない天気なので、バーベキュー大会を中止しようと思う・・・とメールで連絡が入った。関係者に電話連絡をして、帰りに予定していた大学病院へのお見舞いだけは行きたいと思う。

予定が変われば変わったで新たな予定が出来るもので、車中で行う予定だった会議だけはセットした。その時点で連絡調整を行い、滅多に一緒に行くことのないメンバーでお見舞いに行く根回しだけは終わった。ついでに地域連携室を表敬訪問しようと思うが、揃って行くことは今後もそう無いのかもしれない。

来週は呉西地区のバーベキューだが、こちらは雨天決行である。
昨年は雨の中シートを張って音楽療法も行っていただけた。日よけのすだれも何時でもセット出来るようになっている。
今年は津軽三味線も招待してあるので、にぎやかな会になると思う。先日つくしの家で最初の1曲しか聞けなかったが、かなりの腕前である。今珍しくなった大道芸人である。

月末に行事が集中する予定だったので、今月は1週間早く動き出した。三連休にも仕事をした。スタンプラリーも7割方終了しているし、何とか8月を迎えることが出来そうである。
10月も行事が立て込んでいるので、この手を使う必要がありそうである。

孫の第一歩  2007・7・17
そろそろ誕生から10ヶ月経つ(正確には9ヶ月と22日)が、今日はじめて自力で第一歩が出た。伝い歩きから一歩だけ自力で歩いて、次のつかまり先まで到達した。はじめての第1歩である。
安全性も加味してか、必ず着陸方法と天秤にかけている。歩けなければ不時着ではハイハイで移動する。その第一歩の歩みだしがあった。

昨日子家族と「くるくる寿司」へ行って来た。寿司が回っている回転寿司だが、寿司ネタは氷見浜直送である。
5人だったので注文席に案内されたが、子供用の座椅子も使える。食卓テーブルになった我が家とは雰囲気が違う。
注文席だったので思い思いに2皿ずつ注文したが、最初に届いたぶりを見て顔の筋肉が緩んでしまった。握り飯の4倍はあっただろうか?ぶりの切り身が幅を利かせている。二貫4百数十円は決して高くは無い。

太平洋側の某県の独立ケアマネにお越しいただいた時にもご案内しているが、秋であったが充分に富山湾の肴を満喫していただいている。
その想いもあり、行き先は子家族に選ばせたが、やはりここだった。
あまりにもスムーズに食が進むので、会計時には財布ごと妻に渡した。「足りなかったらお願いね・・・」である。

隣のテーブルに少し大きな女の子連れのグループがあった。
玉子のにぎり寿司を食べていたので生まれ月を聞いてみた。1歳3ヶ月ということで随分お姉さんである。あと5ヶ月でこれだけまで成長するのだと思い楽しい思いをした。

その二人がお互い興味を持ったようである。うちの孫が、イスに座りながら後ろを向いているが、向こうも気にかかるらしく、後を向いてイスに座ってしまった。
もしかして同年代の異性との初めてのご対面だったのかもしれないが、非常に良い雰囲気であった。

1歳の誕生日どころか、10ヶ月で歩きはじめるかもしれない勢いを感じている。
とにかく良く動く。

ネットワーク図  2007・7・17
1年前、重度障がい者患者会の集まりに難病団体の代表と同席したことがある。PTも同席しておられたと記憶しているが、その場でネットワークを図に表すことを提案している。

先日のネットワーキングの会で行ったワークショップでは、ネットワークを「行政・医療・患者会(障がい者団体)・当事者」の4つのグループに分類したが、この各々がネットワークを持っている。各分野のネットワークに関しては後日分類することにするが、当日会場にお集まりいただいていた方々の中心は患者会代表である。一部医療関係者や相談援助職の顔ぶれもあったが、患者会に何らかの関わりのある方々である。

このメンバーに各々のネットワークを図に表していただいたらどうなるであろうか?そしてそのメンバーの持つネットワークにもネットワークはあるだろう。団体や会としてのつながりから、人と人とのつながりが目に見えてくる。
このネットワークが地域や地区で結びつくこともある。病気や障害の枠から外れて、同じ悩みを抱えるもの同士が支えあっていくことは必要である。
これが患者会等を軸にした「横列のネットワーク」の姿だと思う。

行政ネットワークは非常に細分化されており、組織図としての住民ネットワークは出来ていることになっている。
過去にその一部として在宅介護支援センターソーシャルワーカーとして地域に出たが、地域包括支援センターに変わった今、果たしてその活動はどうなっているのであろうか?この角度からも後日整理してみたいと思う。

ネットワーキングの会はそのネットワーク図を整理する役割を持っているのかもしれない。そこに行政ラインからの参加が無いことには不満はあるが、参加が無ければ無いで、ネットワーク図を書いてみれば良い。何が欠落しているのかを知るのには充分だと思う。

明後日、地域包括支援センターから巡回訪問がある。2年前までは担当課(基幹型在宅介護支援センター)からの巡回だった。昨年来られなかったので誘ってみたが、今年も来ないということらしい。重なる時間帯に地域包括支援センターと同法人の居宅介護支援事業所を訪問されるということで時間が早回っている。
地域包括支援センターにもネットワーク図を書いて頂きたい気持ちにもなっている。

早速の電話攻撃  2007・7・15
昨日のALS相談会の間にも非通知設定で呼び出し0秒の電話がかかっていた。
今朝9時過ぎから2時間の間に計26回の電話がかかっている。事務所に居ることはほとんど無いので、常時携帯電話に転送してある。着信記録は残っている。
過去にもこれ程までではなかったが、非通知設定の呼び出し0秒の電話はかかっていた。

今回の着信時間は記録した。その間何度も携帯に電話したがつながらなかったそうである。中には命の電話もあるので、悪戯は止めていただきたい。
投稿文章との関係で大方の見当は付いているが、次回からはNTTへ問い合わせることにする。
非通知は相手方に対しては非通知であるが、NTTでは全て発信者が判る。
今回の2時間に計26回の電話は犯罪行為でもあるので徹底的に対処することにする。

2度とこのようなことをやらないようにご注意いただきたい。

Re: 早速の電話攻撃  2007・7・16
fp_pf さん、お久しぶりです。

住所氏名を堂堂と載せられて どなたかにとって聞きづらい(?)ご意見も述べていらっしゃるので
嫌がらせはされないのかな?と思っていましたが、やはりあるのですね。


聞きづらい方は沢山あるのでしょうね。
でも2時間に26本は陰険ですね。

Re: 早速の電話攻撃  2007・7・16
介護保険が始まっておかしくなってしまった人が沢山発生しているのかも。

県や国保連の幹部ぐらいまでは大丈夫なのでしょうか?[選択の自由を保障する]という言葉を公の場で聞いています。利害が絡む市町村・保険者レベルでは混沌とした現状なのではないでしょうか?
マスコミでどの程度解決できるのかは未知数ですが、この1年間の情報発信で究極まで届きました。
「協業組合」構想は公正取引委員会を意識していますが、専門誌の電話取材ではこのことをお伝えしています。

そんな中で介護の質がどうやって向上するんでしょう・・・?
 !!! まじで怖いです。 !!!


行政ラインにおける行政の持つ個人情報の囲いこみ構造を解体させない限り良くはならないでしょうね。
そういう意味で、東京都が区立特養を指定取り消しにした件を評価しています。

Re: 早速の電話攻撃  2007・7・16
誰がどうなのかはわかりませんが『身震い』します。

おおよそ予測は付いています。

Re: 早速の電話攻撃   2007・7・16
『身震い』はこれとは全く別の『わからない何か』からくる予感で、気のせいかも。

私も書いてから勘違いかな???と思いました。
どうなっていくのかは判りませんが、何かが起こる・・・かもですね。
2025年までそんなに時間はありません。

ALS相談会に厚生センターからの参加  2007・7・15
10月の患者会設立に向けて準備も進んでいるが、その首謀者が「難病相談支援センター」へ相談に行った時に非常に悪い印象を受けてきている。「もう行かない・・・」というのが、支援センターの評価であった。
その難病相談支援センターの持つネットワークは、厚生センターを中心とした保健・医療のネットワークである。言い換えれば、厚生センター機能の難病部分を組織したに過ぎない。
本来の目的とされる、大学病院を核とした医療ネットワークの構築には程遠い現状がある。

その厚生センターから二人の保健師にご参加いただいた。患者ご夫婦に付いて来られたものだが、その熱心さが伺えた。
会が終わってから、「難病ネットワークとやま」に関してもお話して、同じく10月に行われる「全国難病センター研究会」の富山開催のご案内もしておいた。10月は難病ラッシュである。
ちょうど手元に昨年の県パイロット事業として開催したALSに関する「告知とコミュニケーション」の講義資料を持っていたのでお渡ししたが、会の世話役からは当日のDVDも渡された。

先日来、難ネットの地域でのネットワーク作りに関してその必要性を感じていただけに行政ラインからの参加は非常に意味がある。私的参加ではあるが、ネットワークは「人」の結びつきである。相談に行っても「もう行かない・・・」という評価にはならないであろう。行政側にも心ある方はおられるものである。

このつながりをキッカケに、今後ネットワークの輪を大きく拡げていきたいと思う。人の情報から、各地でネットワークが拡がっていけば良いと思う。
先日のネットワーキングの会で「行政・医療・患者会・本人(内・外)」に分類された利用出来る社会資源を横に拡げて、網の目のように張巡らされたネットワークを作りたいものである。

嫁と姑の問題  2007・7・14
90歳を超える元気なおばあちゃんから相談を受けた。
夫と長男に先立たれ嫁と孫との同居生活をしておられるが、その孫が家を建てるのに援助もしておられる。しかし嫁との心の関係は冷え切っているようである。
良い関係を保っておられる方も知っているが、問題を抱える家族も多いことも事実である。

この問題をテーマに研究会議も開催しているが、その中で二つの原因を指摘している。一つは「嫉妬心」であり、もう一つは「価値観の違い」である。
介護が社会化されたとは言え、嫁姑の問題を解決するまでには豊かではない。
介護が必要になれば入所という逃避生活があるのかもしれないが、生活自立では住み替えを提案するしか方法が無かった。地方ではその住み替えも容易ではない。年金と住み替え費用のバランスも見なければいけない。

不動産の登記書は金庫に入っていると言われる。しかし名義が変えられているようだと言われる。しかし憶測では動けない。とんだやぶへびになっても困る。
悩みに悩んでの相談であったのだろうが、良い解決策が見当たらない。
出来ることなら嫁姑の良い関係を作り直していただきたいと思うが、果たして如何なのであろうか???

寂しそうに事務所を去る老婆に心が痛んだ。
家族は中抜けをしてはいけないということだろうか?
日々良い家族関係を作っていただきたいものである。が、そういう私も・・・果たして如何なのであろうか?
人が集うということは難しいものである。
そして一番小さな社会である家庭を円満に作り上げることの難しさを感じた。

Re: 嫁と姑の問題  2007・7・14
March_II_cure さん、お久しぶりです。

なんで建築士がここ(介護福祉の相談を受けるところ)にいるの?
と、よくたずねられましたが、

このあたりに住宅設計のポイントがあるからなのですよ…。


そうですね、お互いの私的空間を如何作っていくかということでしょうか?

Re: 嫁と姑の問題  2007・7・14
庶民は土地建物に使えるお金を持っていないから
 共有の空間を私的空間に使えるようにしてしまうのです。 
これには、『目に見えない間仕切り』がいるのですが、建築材料にはないのです。(笑)


私は心のバリアフリーが必要だと思っていますが、そのバリアフリーを実現出来る住宅改修のアイデアがあるのでしょうか?
よろしかったらご教授いただきたいと思います。

Re: 嫁と姑の問題  2007・7・14
(追伸)
『これは「太陽」の暖かさでコートを脱がせるお話ですが、北風(お寒い雰囲気)で強風を送っても「人」はかえってガードを強くします。』
私自身[今]矛盾の実践を行っています。
今問われるのは「行政ライン」。天下りも含めた『行政ライン』の構造改革が必要です。

非常識なサービスの囲いこみ  2007・7・13
「選択の自由を保障する」ためにも、先ずケアマネジャーを選ぶ事が出来る背景を作っていかなければいけない。この為にも委託機関による「行政の持つ個人情報」の取り扱いが問題になる。委託機関の持つ個人情報・被保険者情報は全て行政情報である。

この個人情報を併設居宅で、思い切り囲い込んできたのがこれまでの状況であるが、この現状がサービス提供にも影響を及ぼしている。自社サービスによる囲い込みである。サービスの囲いこみは、通所介護・訪問介護・福祉用具貸与で特定事業所集中減算の適用を受けることになったが、サービス提供においても「選択の自由を保障する」姿勢は必要である。しかし誠にもって非常識なことを行なっているケアマネジャーがいる。

この手口は訪問介護に代表されるが、定時から定時の派遣しか行なっていない委託機関併設のヘルパーステーションがある。
夜間・早朝も派遣が必要なケースまで囲い込むから問題が起きてくる。夜間早朝分については自社完結が出来ない訳であるから、この時間帯だけを民間事業者に下請け感覚で依頼してくる。これを非常識と言わなければ何と言うのであろうか???

ケアマネジャーには「独立性・中立性の確保」が求められている。これはケアマネの位置付けであり基本理念でもある。
仮にこの理念がなくても、常識で考えても判りそうなものである。しかし非常識なケアマネを数多く見る。ケアマネの立場を今一度考えていただきたいものである。

DBS再手術大成功か・・・。  2007・7・12
昨日MLでご連絡いただいたが、薬なしで歩行・・・軽快にジョギング・・・。といった状態らしい。

電極手術は過去に受けておられたが、検査の結果、左脳電極が若干曲ってずれていることが判っていた。症状としては右足が出にくかった。
薬が切れかかると右足が出ない。そこで右足踵を足で送り出すと左足が付いていく。0FF時にもこの状態で歩行器歩行は何とか出来た。
脳外・神経内科受診に何回か同行した。手術に絶対は無いが、かなりの確立で改善する見通しは立っていた。検査結果と症状を見比べ、私も手術は勧めていたが決断するのは本人自身である。苦渋の選択肢がそこにはあった。

本人が最も気にかけていたことは、言語を失うのではないか・・・ということである。電極が言語中枢の間近かを通るため、言語障害がおきることが多い。第一回目の手術でかなりの障害が出ているが、慣れれば何とか聞き取れた。再手術でもっと悪くなったら言語を失うことになる。本人はそのことを一番恐れていた。正に苦渋の選択である。

身体機能の向上を取るか、言語を取るか・・・この答えだけは誰も出すことは出来ない。手術日が決まり、コースに乗ってから約3ヶ月間、この間も本人の中には葛藤があった。両方の危険性を繰り返し確認しながら、何時も決定するのは本人自身であるという結論にたどり着いている。
そういった中、2回ほど、心労のあまり「もうダメ・・・入院したい・・・」と電話をいただいた。不思議とその日はパーキンソン病友の会役員会の朝であった。

何時もの如く堂々巡りの話の結果、「久しぶりに役員会に行きますか・・・」と一緒に出かけ、みんなの顔を見て心が落ち着いたのであろうか、また何とか在宅生活が続いていた。そして翌月にもまた同じことがあった。
一時排尿障害が出て、受診や排泄の工夫を行ったこともあるが、薬要らずで歩行が出来ている状態ならもう問題は解決されているものと思う。
全ての問題は、OFF状態から来ていた。

歩行・ジョギングという内容は伝わってきているが、その状態で電話がかかってこないということは、もしかして言語を失われたのかもしれない。
月曜日にMSWにメールを送っているが返信がない。もしかしてが当たっているのかもしれない。
パーキンソン病は小字であるから筆談は出来ない。手話という手もあるのかもしれないが、家庭生活に役立つまでの訓練が出来るか心配な面もある。
確かにその時、文字盤という手もあるという話はしていたが、コミュニケーションでははるかに障害を受けたことになる。

その状態を確かめるために、来週病院を訪ねたいと思う。会話が出来れば大成功である。

独立出来る背景作り  2007・7・12
「独立化の勧め」の発信から1年経つが、今日は市ケアマネ協の飲み会である。昨年の飲み会に合わせて「会議室」前にプリントを準備した。
その後「協業組合」構想とあわせてインターネット情報発信を行なったが、昨日一年目の現状に対して取材があった。「独立出来る背景作り」として、協業組合設立準備会として行政側からもお答えをいただいたことなどを伝えた。
もう忘れられているかと思っていたが決してそうではなかった。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/2tiikihoukatusiennsennta-notorikumi.htm

そう簡単に囲いこみ体質が改善されるとも思っていないが、内容はともかくとして、改善の方向へ動かれたことは評価したい。そして、改善の鍵を握るのは行政自身だということである。
天下りの本来の目的が「品質管理」であったことは先にもお話したが、委託機関受諾法人の多くには(こちらでは全て)天下り管理者がおられる。この方々に是非、介護保険法が求める所の「公正・公平」「独立性・中立性の確保」という品質管理を行っていただきたい。

某社会福祉法人では天下り管理者が窓際に追いやられていた。天下りを受けた理由は、委託機関受諾など、行政機関を手中にして営利を求めることであった。「介護支援専門員」の原稿でも触れたが、このような経営者には介護保険界から退散していただきたいものである。業界全体の目が節穴のように思えている。

ここに来てまた取材が重なっているが、市民の立場で報道されるマスコミには大きな期待をしている。
是非この構造的な欠陥・氷山の全体像を明らかにしていただきたいものである。
そして利用者の「選択の自由」が保障された介護保険界であって欲しいと望んでいる。

ここがポイント  2007・7・11
「患者力」の投稿で
『別に誘導した気持ちはないが、横列のネットワーク図が出来上がった。あとは縦割り行政の縦列のネットワークを整理すれば良いわけである。』

この縦列のネットワークの整理こそ行政が行わなければいけないことである。
制度ごとのネットワークはそれなりに整理されてきているのかもしれない(介護保険を見る限りでは出来ていないが・・・)。この縦割り行政を横につなぐ役割がソーシャルワーカーと言われる職種である。精神・障害等など、各ワーカーはその分野の仕事しかしない。ワーカーをまとめるワーカーも必要になってくる。大きく一つにまとめるソーシャルワーカーの出現を期待する。

難病ネットワークとやまでは患者会の立場でそのネットワークを作ろうとしている。ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会の趣旨もこれに通じるものがあると受け止めている。
次の段階として、地区・地域でネットワークが出来ていくことを期待している。自立支援法の統合で支援センターも統合されていくことになるが、現状ではどちらのケースにも対応出来るワーカーにはお目にかかっていない。是非育っていただきたいものである。

行政ラインの支援センターとMSW・患者会等団体そして本人(市民)を取り巻くネットワークが各段階で一つにつながる日が来ることを期待している。

石の上にも3年  2007・7・11
例え冷たい石の上にでも、3年も座っていれば暖かくなるだろう・・・。

某女性活動家の活動の歴史をお聞きしてこの言葉を思い出した。今正に2サイクル目の活動に花が開こうとしている。良い「人」のネットワークを作っておられる。女性ならではの社交術が身に付いておられるが、この点では脱帽である。

私の情報発信の内容もこのサイクルに当てはまる。
インターネットを通じて、在宅介護支援センターを核とした地域福祉ネットワークの姿を過去の実践に基づいて紹介してきた訳だが、HP公開から2年目に入って本来の役割を果たしていない確信を得た。そこで自ら介護保険の現状に身をおく準備が始まった。

独立開業してからは直接その現状が見えるようになった。あまりにもお粗末である。何点か行政にもご指摘しているが、マスコミにも取り上げられるようになってきた。
経済誌に始まり、専門紙・誌、地方紙・テレビへと続くが、発信してきた情報のまとめとして書いたのは「介護支援専門員」投稿原稿である。
この原稿は「題」が指定されていた。私にピッタリの題であった。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm

この一連の流れのまとめとして番組が作られるようだが、そろそろ第3ステップの準備を始める必要がありそうに思っている。
インターネットで情報発信をしてきた本来の目的は目に見えるネットワークである。良いネットワークが出来ていけば良いと思う。

在宅生活の限界か・・・  2007・7・10
ADL的には要介護4・5の境界にある一人暮らしの方だが、現状のままだと在宅生活に限界がきている。現状のままということは、趣味・趣向を尊重した場合の話である。

囲碁仲間が訪ねてきてビールを飲みながら囲碁が始まるのだが、これが唯一の楽しみなのかもしれない。1日の飲酒量は500ml缶で4〜5本といったところだろうか。気分によってはもう少し増えることもあるらしい。1日は長いからこの位なのかもしれない。

民間の緊急通報装置の使用を断わられ、子機付きの電話に入れ替えてからしばらくは平穏だった。ここに来て夜の呼び出しが増えている。
デイサービスから帰ってから2〜3本飲まれるらしいが、車椅子からベッドへの移乗が出来ない。アルコールが切れていれば出来る。
最初は「落ちそう・・・」というコールだったが、数回は落ちそうであった。最近は、ベッドに移れないコールである。電話では「落ちそう・・・」である。

特養の入所申し込みもしてあるが、少しは良いだろうが、現在のようには飲むことは出来ない。趣味・趣向に制限を受けることは目に見えている。
自由な生活を保障しようとは思うが、現状を変えていかないと難しい状況にきている。
夜は私もお酒を飲んでいるので、昨日は妻を運転手に使った。

行政の緊急通報装置は〇コ〇を使っているが出動は有料である。あと半年で制度を使えるようになるのでそちらに切り替える予定にしているが、その話はしてある。かなり高額な出動料である。
入所が先か緊急通報装置が先か。いずれにしてもあと半年は「落ちそう・・・」コールには応えていこうと思う。

近くにもう一件、誰もやれないボランテイアがあるが、ケアマネが行うからボランテイアになるので、事業化するのも面白いのかもしれない。
公的制度で支えることの出来る範囲は自ずと決まってくるが、生活の中で何が起こるか判らないのも人生である。
その人生を支えていくことが出来れば良いと思う。

ビールの話はしないことにした。

65歳の誕生日はディズニーランド・・・  2007・7・9
昨日から金沢で自立生活をしている長女が帰ってきている。
次女は妻が休みの日だけ日中孫を連れてくる。
そのサイクルが昨日から合っている。2日続いての家族水入らずである。孫は今駄々をこねて愚図り声(鼻声)を出している。甘えられる時には甘えれば良い。

そこでの話だが、家族旅行ではじめて東京ディズニーランドへ行ったのが、次女が幼稚園年長さんの時だと言う。長女が中2の時のオールナイトまで6年間通っていたことになる。時期はほとんどがゴールデンウイークであった。回数は6回ではない。
孫が年長さんになるのは5年後である。(計算が違っているかも・・・)5年後には私も高齢者の仲間入り、65歳になる。
先日定年の話をしたが、一応の区切りかもしれない。そこで提案をした。
「65歳の誕生パーティーをディズニーランドでしようか???」と。

別に「東京」とは言っていない。皆は「東京」と思っているかもしれないが、行き場所はその時考えれば良い。会社の業績次第である。その位の費用は、ポケットマネーで会社に投資してある。
一応、一台で乗れるようにレンタカーで行くことは提案した。運転手も兼ねることが出来る。

当時は四輪駆動のワゴン車がなくて、ス〇ル〇ミン〇に乗っていたが、座席を倒せば低学年・年長の姉妹はゆっくり休んで行くことが出来た。
その頃随分高速道路を使った遠距離ドライブを楽しんでいる。
群馬サファリーパークは日帰りだし、京都大文字焼から鳥取砂丘へのコースは車中泊であった。黒姫高原のコスモス祭りや安曇野周遊などは早朝に出かけ、目覚めた頃には現地に着いていた。とにかくそのワゴン車は大活躍した。

今から5年後、高速道路を走ることが出来る力が残っていれば良いと思う。
多分婿さんに運転は任せることになると思うが、「東京」とは言っていないが、誕生日をディズニーランドで過ごすことにした。
高齢者の仲間入りをするけじめの日を楽しい場所で過ごすことにした。
子を出汁に一番楽しんでいたのは私なのかもしれない。
そうそう、東京でミュージカルを観劇したこともあった。宝塚の旅もあった。古都京都で1泊したこともある。

5年後も元気でいたいという、はかない望みの表れなのかもしれないが、その日を一つの目標にすることにした。念書は作っておいた方が良いだろうから後程作るが・・・何故か夢が湧いてきた。
良い夢を見続けたいものだと思うが、その夢に皆が合意してくれた。

そう言えば、大きなビデオカメラを背負って記録を取ったが、かなり前にビデオデッキが巻き込んでしまった。
新たな記録装置も数々出ているので、記録は婿さんに任せることにしようと思う。
是非行って来たい夢である。
「健康」・「事業の繁栄」がキーワードになるのであろうか・・・。

Re: 65歳の誕生日はディズニーランド・・  2007・7・10
usagi112770 さん、良い思い出があるのですね。
日頃意識していませんが、歳を数えるとそうなりますね。でも良いおばちゃん達に囲まれて活力が湧いてきます。

この分だと65歳まで現役を続けられそうですよ。

子供に釣られて25年ぶりにスキーを履いたりもしましたが、今は無き大川寺公園がはじめての遊園地だったかもしれません。富山県では遊ぶところが無く、順次県外に出て行った記憶があります。最初の長距離ドライブが能登一周でした。
良い想い出は大切にしたいと思います。

今度の飲み会、楽しみにしています。

Re: 65歳の誕生日はディズニーランド・・  2007・7・10
では冬はスキー+温泉+宿泊でやってみますか(^^

スキーはチョッと恐いような気がしますが、低学年のお相手ぐらいなら出来ますよ。
温泉+宿泊+カラオケといったところでしょうか?

もう来年のことを考えなくてはいけませんね。お役目ご苦労様です。

Re: 65歳の誕生日はディズニーランド・・  2007・7・11
・・・A先生はプロ灸のスキーヤーとお聴きしています。

そうなんですか。フロとお灸ですか・・・。
良いですね。
最後のスキーからもう12年経ちました。

Re: 50代からの冬の楽しみはいかが?  2007・7・11
冬になるともう50代が終わってしまっています。
お誘いありがとうございます。

「患者力」  2007・7・8
某製薬会社が企画する「ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会・第2回北陸学習会」に参加したが、第2回にして「患者力」をテーマにしたワークショップが行なわれた。
司会は難病ネットワークとやま理事長が務めたが、「患者力とは何か」の説明途中に緊急電話がかかり中座した。あとで判ったことだが、患者力とは「患者(の)力」になる社会資源であった。私は「患者(が持つ)力」と受け止めていた。結果的にはこの方が良かった。

患者の立場になり切れていないので、患者の持つ力は中々出てこない。そこで書記を務めることになったが、皆様の意見を項目別に整理しているうちにその本質が判った。
全て書くと大変なので、結論だけをお伝えしたいと思う。

整理された項目を同類項でまとめていくと大きく四つのグループに分かれた。行政・医療・患者会・本人(内面・外面)である。その何れにも「ネットワーク」という言葉が入っていた。ここまで来れば「横列・縦列のネットワーク」の話をしない訳にはいかない。「この横に拡がるネットワークが必要なのですよ・・・」と。
グループに今後大いに期待されるMSWもいたので、「MSW協会として患者会担当を決めていく方向を考えておられる」こともお話した。正に今日参加しているMSWはその先頭を走っている。
各グループの発表のあと、患者会設立を準備しておられる代表から、医療とのネットワークの話が出た。ここには最近、私のグループのMSWが参加している。そこで県MSW協会の方向性をお話しておいた。

別に誘導した気持ちはないが、横列のネットワーク図が出来上がった。あとは縦割り行政の縦列のネットワークを整理すれば良いわけである。
各持ち場持ち場で、市民(団体)をも意識した役割分担をすれば良い訳である。これこそが「網の目のように張り巡らされた」ネットワーク構造ではないであろうか。
今回のネットワーキングの会の開始に当たって、難病患者会が多いことから「難病相談支援センター」にお誘いかけをしておられる。その答えが「そうですか・・・」であったことは前にお知らせしているが、この姿勢が大きな問題である。

今日の会で思い出した言葉が「福祉は社会運動」である。これからこの会は大きく「社会運動」に育っていくだろう。
緊急電話でその趣旨を知らずに「ワークショップ」が始まったことはかえって良い結果をもたらした。私の口から「横列のネットワーク」を持ち出さなくても、関係団体の代表はその必要性を感じておられたわけである。

良い意見交換であった。

夏祭り  2007・7・8
昨日、町内の夏祭りを28日に開催するご案内をいただいた。
子が子供の頃、同じ年代の親が青年部として続けてきた夏祭りだが、極端な少子化により中断されていた。その昔を懐かしむ当時のメンバーと子が一緒になり、青壮年部を結成、昨年再開させたものである。
兎に角お祭りが好きなメンバーだが、再開第1回目は大盛況であった。

非常に残念だが、当日難ネットの役員会とその後ビアガーデンで飲み放題が予定されていた。勿論2次会付きである。
飲み会は別にしても、土曜日は月2回患者会の相談会・役員会で固定されている。地域の行事ともかみ合わないことも多くなってきている。

かって高岡1の児童数を誇っていた校下であるが、随分高齢化が進んでいる。少子化の影響もあるのだろうが、車社会になり旧市内を取り巻くように住宅が建ちはじめ、若者が町中にいないというドーナツ化現象が進んでいる。
祭りが好きな連中であるから10年後にも続いているかもしれない。その時はまた名前も変わって、老壮年部ということになっているのかもしれない。

とにかくどちらも楽しいメンバーである。
選択の自由は保障されているが、選択に迷う選択だった。
早速、不参加に名前を書いて届けておいた。

大失敗・・・  2007・7・7
週末になると特に忙しい日が続くが、患者会イベント・担当者会議・階段昇降介助と時間を縫って何とか予定が終了した。事務所まで後1分というところで電話がかかった。独居で車椅子生活。サービスを利用しながら何とか自立生活を送っている方である。電話を取るなり「落ちたの・・・」と。
尿が出なくなり救急車を呼ばれたということなので、そのまま直行する。
ちょうど救急車と同時に到着、救急車よりも早い(電話を受けてから)スーパーマンぶりを発揮した。
1年半前に救急搬送→入院になった病院が救急当番だということで、関係書類と愛用の車椅子を積んで後を追った。
病院に到着すると後を追うように救急車が入ってきた。(まさか救急車を追い越した???正にスーパーマン・・・だと思っていた)ら、下りてきたのはおばあさんだった。腹の中で「まさかの出来事」ではなかったことに安心した。

救急室で導尿をしたら、自発排尿があったということ。そのまま帰る事になったので呼ばれ、馴染の訪問介護事業所のタクシーを呼んで欲しいということになった。
担当者とも連絡がとれ、30分ほどで到着できるということなので救急室でそのことを伝えた。ちょうど医師との話中で、若い医師は私にも聞こえるように「これ位で救急車を呼んでもらっては困る。もっと重篤な病人がある・・・」と。本人はこの一言が非常に気に触ったようである。
救急室から出て待合室での話。「でもおしっこが出なくて腹が痛くなったから電話したのに・・・・・・」と医師の言葉に意をあらわにしておられた。

30分の約束時間にあと5分くらいになった頃、「タバコが吸いたくなったから外で待とう・・・」という話になった。実は急なことだったので足掛け(足台)は付けて来なかった。(私のミスである)足がだらりと床に付く状態なので怪我の危険がある。ここからが私の大失敗である。
本人はいらいらもしているし、早くタバコも吸いたいという気持ちだった。そこでお手伝いをした。足を上げて車椅子ごと引っ張るように移動を始めたが、本人も車椅子を漕いで自走が始まった。5メートル位進んだところで途端に後ろ向きにズド〜〜〜ンとひっくり返ったしまった。
物理学でバランスを習い、車椅子移動に関しての介護経験もある。しかし始めての経験であった。

途端に本人はいびきをかき出した。急遽救急室へ逆戻り、脳外・整形外科医の診察。レントゲン・MRI検査。・・・結果異常はない。本人の意識も戻っていた。一時的に脳震盪を起こしたのだろうということでアパートの帰ることになった。本人はその間の記憶はない。自分は2回病院に来たと思っておられるが、その経緯は説明して判っていただけた。

7・7・7の縁起の良い日にとんだハプニングであった。今考えるとやはり一人では無理であった。たかが「タバコが吸いたい・・・」ということで、安全の原則を忘れてしまっていた。
明日まで特に異常がなければ「大難は小難」という意味での良い日であったのだろうが、「安全」ということでは大きな体験であった。
バランスを崩した原因が、本人が車椅子を漕ぎ出したため・・・等とは言うつもりはない。

大事にならなくて良かったようである。
明朝早速訪問する予定でいる。

HPを公開して最初のレポート  2007・7・6
一市民として提言もしてきた。
このレポートの内容を1000字メールにまとめて厚生労働省へ提言を行なっている。

レポートNO1「介護保険法スタート時点での間違い」
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2repo-tono1.htm
内容は「委託機関が金の心配をしなくても良いようにしてあげて下さい」といった内容である。

その2年後に居宅を開業することになるのだが、内容はかなり変わってきている。地域の拠点施設が、その立場を利用してケースの「囲いこみ」を行なってきた訳である。この時にはもう公正取引委員会の指摘をお伝えしている。
天下り管理者が本来の仕事をしていないからの現象だとは各所で書いているが、果たして委託機関併設居宅の個々のケアマネさんの意識は如何なのであろうか?
その方々に3つの質問をしたい。

1・特定事業所集中減算は何故創設されたのであろうか。
2・情報公表制度が何故必要であったのであろうか。
3・地域密着型サービスのケアマネジメント報酬は何故サービスに包括されたのであろうか。

是非お答えを頂きたいと思う。

Re: コムスン問題どこへ行く  2007・7・6
komimi833 さんの掲示板に何か投稿しなければいけないと思っていたのですが、これだったかな???と思っています。

コムスンの報道が少なくなる中、コムスン問題は砂にしみこむ水のようになくなってしまうのか?

コムスン問題は氷山の一角(某ジャーナリストの言葉)でしたので、氷山の全体像をお知らせしておきました。
http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm
これが全体像の姿です。

先日NHK富山の番組制作ディレクターが取材に来ていかれましたので、これに加えて、市担当部・課とお話させていただいた時の資料もお渡ししておきました。
出演はないでしょうが、この方向で番組を作られるようです。
東京都は区立の特養を指定取り消しにするなど、自ら姿勢を示しておられますので言えることで流石日本の首都だな〜〜〜と思っています。

「待つ福祉から発見する福祉」の表現も東京都のHPには見ることが出来ます。
ということで、何かが変わる予兆を感じています。

また遊びに来て下さい。

フリーマーケット  2007・7・6
医療ケア付き障害児・者のデイサービス「つくしの家といで」で戸出の七夕に合わせ、7日フリーマーケットが開催される。
本来七夕は7月7日なのだが、梅雨の期間中で雨が多いという理由で、高岡の七夕は1ヶ月遅れの8月7日に行なわれる。
フリーマーケットのイベントとして、津軽三味線の名士に来ていただくことになっている。かなりの腕らしく、街頭芸として地下街などでも弾いておられるそうである。地下街と言っても人通りは少ない。

地下街がひっそりとしているのは高岡だけではない。
車社会に変わり、駐車場のあるところが賑わっている。公共交通機関も人離れしており、極端に乗車人数の少ないバス路線に行政が補助する方向で検討されているようである。町のスーパーや商店を残さなければいけないということを過去に書いたが、高齢化社会では交通手段が問題になる。
中には歩けないから車で・・・という危ない方もあるが、車に乗らなくても良いプランを書いた。今日認定結果を聞くが、要介護ならほぼ実現できるが、要支援だと一日だけ自由な日が出来てしまう。これは危険である。

その担当者会議がフリーマーケットと重なってしまうかもしれない。
要支援なら来週会議を開催することにしてあるが、要介護だと重なることになる。その調整は終わっているので機械的に日程に乗れば良いのだが、背景からすれば要支援の方が良い。
しかし我社の経営から言えば要介護の方が良いのだが・・・複雑な心境である。

地域ケア会議  2007・7・5
地域ケア会議を行うことになっているが、如何なる形で、如何なるメンバーで行われているのか知らない。独立ケアマネにとっては密室の会議である。

措置時代にはサービス担当者調整会議が行われていたが、ここへは在宅介護支援センター・サービス担当者の他に保健所・保健センター・医療相談室等からも参加があった。この会議を継続している市がある。

先にALS患者会設立の協力依頼に、神経内科医のおられる医療機関の地域連携室を窓口に、患者会設立担当のケアマネジャーであり患者家族でもある方と回ったが、この時にお逢いしたMSWの一人から電話をいただいた。
市の会議で、困難事例として在宅生活を希望されるALS患者の相談があったということである。
確かに難病のケースであるから利用出来る社会資源は少ないのかもしれないが、10数年前に関わったときから見れば随分介護の枠も拡がっている。

コミュニケーションに関しては、当時は文字盤しか方法が無かったが、現在ではパソコンにつなげる機器も開発されている。吸痰の問題に関しては、ホームヘルパーも主治医から指導を受ければ行えることになっている。当時ホームヘルパーで吸痰が出来ないと言って地団駄踏んだ、今は偉い方もある。
通所サービスに関しては、医療デイケアもあるし、そこでダメならつくしの家といでもある(ただ、市の承認をいただき指定を受ける必要はある)。随分利用の幅は拡がっている。


相談会では利用出来る社会資源がないということだったらしいが、在宅生活ということで言えば、主治医にも一抹の不安は残っている。往診出来る医師が少ないという実態はある。
いずれにしても相談には乗るつもりでいるが、ケアマネジメント事態はそう困難ではないはずである。

過去にもそうであったが、困難事例は人の問題である。
介護者や本人が困難なケース。その取り巻きが困難なケースなど色々あるが、私はその人の問題を「介護問題」と位置付けて情報を発信している。
HPの書き出しは
「あなたの地域に、訴えも無く、ひっそりと社会から孤立して生活しておられる要介護者・要支援者がおいでになりませんか?
そのような方々に、人の心を伝えるためにあなたのお力をお貸し下さい。」
である。

「介護問題」は人の心の問題である。

定年延長  2007・7・4
ちょうど4年前独立開業を思い立って、その年に受験した。開業は翌年4月1日だった。その間、7年半のブランクがある。
来月60歳の誕生日を迎えるが、そのブランクを定年延長で埋める決意をした(健康ならの話だが・・・)。
高齢者が高齢者の相談にのる光景を思い浮かべて複雑な心境ではあるが、現在でも同年代の方の相談にのっている。中には若い方の相談もあるが、別に問題だとも思わない。
私よりも遥かに高齢の方が頑張っておられる現状も見ているが、これも一つの目標である。まだ数十年は大丈夫である。

介護保険の抱える多くの問題を直接見てきているので、その改革の形を見てから定年を考えても良いように思った。
当初の私のHPのテーマは「地域の連携・コミュニティーの形成」であった。しかし現状は少し違う。
在宅介護支援センターが目指さなければいけない、地域福祉コミュニティーの姿とは程遠い現状がそこにはあった。その原点は、行政の歪んだ構造にある。これが氷山の全体像であろう。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm
「介護支援専門員」原稿にはこの氷山の全体像を書いた。
今この構造にライトが当たりそうな状況下にある。この全体像を改めない限り地域福祉はない。

法改正はこの構造を崩壊させる方向で行われているが(例えば施設建設費の削減)、6年に一回の法改正では、団塊の世代が本格的に高齢者の仲間入りをする2015年、あるいは2025年には間に合わないであろう。介護保険法が施行されてからでも7年が経過している。私の現職時代にはもう準備が始まっていた。

そういった背景もあるので、一応はブランクの7年半を定年延長しようと思うが、その時になっても同じ現状が続いているのなら、定年は無いかもしれない。そして、同じようにパソコンに向って、同じようなことを書いているかもしれない。
とは言え、そろそろ視力も落ちてきている。キーボードを叩くことが出来なくなったときが定年なのかもしれないが、とにかく67歳の誕生日を一つの区切りにしたいと思っている。

今月も実績は順調に・・・。  2007・7・4
給付管理に関して、利用者数とほぼ同じ数だけサービス事業者等とのお付き合いがある。今月も実績は早く、3日までに残すところ2社となった。

タバコが切れたので、6時になるのを待って買いにいってきたが、何時も行くタバコ屋さんは古城公園の入り口にある。自宅(事務所)から一分もかからない。
高岡古城公園は加賀藩の出城として建設されていたが、一国一条例により建設途上にあった城が取り壊されている。規模としては現在の市庁の位置まで予定されていたというから、かなり大きなものであった。その半分位の規模で現在公園として残っている。
金沢の兼六公園は作られた公園だが、高岡は自然に出来た公園である。人力で掘った外堀だけが残っているが、その規模は壮大なものである。(公園内に市の施設はある)

タバコで脱線したが、給付管理に関して使用しているソフトの機能をご紹介しようと思う。
昨月までは1件〇百円の使用料であったが、独立ケアマネに配慮してか、今月からは居宅のみの事業所は月額定額制になる。大きく助かるソフト使用料である。
インターネットでつなぐことが出来れば、全ての帳票を送ることが出来るが、それはやっていない。訪問することに意義があると思い、全て持参している。実績は大方FAXか郵送だが、何社かは直接届けていただける。(この機能が全てインターネットを通じて出来るシステムだと聞いている)
スタンプラリーを日常的に行なっている訳だが、性格的に書類を溜めることが嫌いである。日々発生する書類を配布する目的で、実は巡回のコースを設定している。

不思議なもので、電話も巡回先の近くからかかる。余程のことがない限り、電話がかかればすぐに面談・・・ということになるのだが、行く先々から電話がかかることが多い。丸っきり反対の方向からの呼び出しも時にはあるが、向かっている方向からの電話も数多い。
スーパーマンよりも早いこともあるので、異名が付いている(?)のかも知れない。

今日明日は少し余裕があるが、週末には予定が詰まっている。残る2件を余裕のある間にいただけることを期待して、今日は午後から足指マッサージの会に参加する。半分運転手である。

Re: 今月も実績は順調に・・・。  2007・7・4
usagi112770 さん、お忙しいのにありがとうございます。
パンクの件ありましたね・・・。

ところでお父さん、如何でしたか???
お役に立てるようでしたら、相談させてください。

それと隣市からですが、MSWから相談が入りました。
ALSの方なのですが、施設ケアマネさんから困難事例ということで、相談会で相談があったそうです。紹介しても良いかという相談です。
(このようなメンバーでの相談会は必要なのですが、高岡にはありません)
勿論電話をいただくことになっています。ちょうど交流会開催中だったので、夕方電話を欲しいと伝えておきました。まだ電話はありませんが、何処の誰かは判っていますので、明日連絡を取ろうと思います。戸出なら対応していただけそうです。
でも指定がまだなんですよ。一応窓口で担当者にお話して、その後相談に行って来ておられますが、事業所開設に規制をかける行政の姿勢は基本的に間違っています。サービスの良い事業所が選ばれるようにならないといけませんね。
その方向へ行くようなら、県に大至急指定を出していただかないといけませんね。その働きかけなら乗りますよ。(大恥かくのになぁ〜〜〜)

HPに異変が!!!  2007・7・3
お恥ずかしい話ですが、HPのアクセス数のデーターを公開以来取っています。
台帳は「会議室」にあるのですが、今朝はメモを持っていきながら転記を忘れました。昨晩の分はわかりませんが、今朝から夕方まで、110人を越える方にお越しいただいています。こんなことは公開後始めてのことです。

通常私のHPは、1日に多くて50アクセス、通常は30台から40台です。でも、確実に今日の日中、110を越えるアクセスがありました。
考えられることは団体で読んで頂けたということです。
もしかして昨晩、どこかの会合で話題になったのかもしれません。

拙い文章だけのHPですが、大歓迎しています。
今後ともよろしくお願い致します。

土建屋さんの住宅改修  2007・7・3
今回はじめて直接土建屋さんとお付き合いさせていただいた。
旧家だから土台も高く、犬走りまでは50センチぐらいの段差がある。そこに一段だけ階段が付けてあった。
足腰が弱ると上るのも大変な高さである。
この階段にかぶせるようにコンクリートで幅の広い階段を2段作り、ステンレスパイプで加工した手すりを付けるという内容である。

気になっていたのは、現存の階段幅いっぱいに工事をすることと、加工した手すりが、介護保険の住宅改修として認められるかということである。
階段幅いっぱいの工事は見かけ上仕方ないとしても、加工手すりには品質の問題がある。見積書をいただいて加工業者が、パイプの専門店であり、JIS規格のパイプを加工することになっていた。これなら大丈夫だろう・・・と申請したが、夕方、事前申請が通ったと担当者からご連絡をいただいた。

住宅改修に関しては大工さんネットワークを作っている業者とのお付き合いもあるが、工務店とも何回か仕事をしている。しかし土建屋さんははじめてである。
コンクリート工事になるから部落の土建屋さんに相談されたのだが、お年寄りも良いネットワークを持っておられる。
生活に密着した電気・ガス・水道など、日々の生活に結びつく専門家が地域には散らばっている。スーパーなどもこの一つだが、生活に密着したものは近くで、地域住民が育てて行く必要があるようにも思う。

土建屋さんから地域のコミュニティーを見せていただいた。

空梅雨の予報と各地の水がめ  2007・7・2
先月中旬までは確か空梅雨の予報が出されていた。「今年は雪も降っていないので山にも雪(水)が無い。大変な水不足が予想される。」といった内容だったと記憶している。

先月末から、合間を置いてではあるがかなりの降雨がある。今日は小刻みに動いたので、次の訪問先に着くまで濡れたシャツが乾かなかった。エアコンで車内を乾燥させながら移動していたが、短い時間では効果がない。
ということで、事務所に入ってもしばらくは濡れたシャツが気になった。
全国的に如何だったのかは、読者各位から情報をいただきたいと思うが、北陸の今年は決して空梅雨という程のことはない。

大きく地球を見た場合、地上の水分と大気中の水分とは常時バランスが取れている。小雪で山に雪が残っていないということになれば、大気中にその水分があるわけである。別に海面が上昇したという話は聞いていない。(可能性としてない訳ではないが・・・)
予想としてだが、すっきりしない梅雨であり、梅雨明けも遅いのかもしれない。とにかくここ一週間は梅雨空である。

四国の水瓶・東京の水瓶が話題に上がっていたが、富山は幸い名水の里である。水道水でも生でいける。
関西へ通っていたことがあるが、生水は飲んだことがない。そのような事情もあり〇〇の水・・・と水が商売になるようである。昨年東京へ行った時も水を買って夜行バスに乗り込んだ。
大阪は琵琶湖が水源だと聞くが、いっちんさん、ネットワークで水を扱いませんか???ハワイの〇〇水・・・しかし〇〇〇の可能性もありますので余りお勧めはいたしません。

この雨で全国的に潤っていれば良いのですが・・・。

ケアマネジメントは相手のある仕事  2007・7・1
今回ほど腹の探りあいをしたことはない。

要支援を受けたくないサービス機関もあるとは思うが、条件によっては非常に高い単価を得ることが出来る。これをサービス事業所が調整しては「困る」という話しである。
果たして腹の内は如何なのか・・・に関してはこちらからは働きかけないことにした。出た結果によって現状をつなぎ合わせることに結論は出た。本人・家族の合意である。

私はかけ引きは余り上手ではないし、通常は必要がない。
しかし利用者が被害を被ることは黙って見ていることは出来ない。そこで手を打った。
今日、本人・家族にそのシナリオをお話して来た。非常に複雑なシナリオだが、話しとしてはご理解いただけた。決して文章にしてはいけないシナリオなので心の奥深く閉っておいていただくこととした。シナリオをプロセスとしてご理解いただいた。

来週は予定がかなり込んできている。特に土・日は調整不能になっている。
夜間・早朝の相談もあるかもしれないが、一週間だけは静かであって欲しいと祈るような気持ちなのだが、救急入院〜転院された方を見舞うと、来週末に退院になるかもしれないと言われる。無事部屋までお送りしたいのだが、時間の合間をぬっていただく必要がありそうである。


こんな話を書いていたら、利用者側の身勝手を思い出した。
もう10数年前の話だが、19時に約束をして民生委員同行で訪問すると、食事を始められたところであった。私たちは食事前である。
食事が終わるまで玄関先で待っていたが、身の入らない相談でもあった。
受ける側にもマナーはあると思うが・・・あのケースはどうなったのだか・・・思い出せない。大した問題だとも家族は考えておられなかったようでもあるので、それで良いのかもしれない。

確か社会生活のルールを守ることが出来ないといった内容だったが、守ることが出来なければ出来ないで、それで良いのかもしれない。食事時間中にお邪魔する方が悪いのかも知れない。

「独立化の勧め」から1年  2007・7・1
「会議室」のウインドウにA4の「独立化の勧め」のポスターを張り出してから丁度1年経った。

富山県独立型介護支援専門員ネットワーク「協業組合」設立準備会開催が7月17日(日)であるから、もう「準備会」の名で行動をはじめて1年になる。
「協業組合」構想を、「先ずはインターネットで全国に向けて情報発信するよ・・・」とBCCメールで発信した。
専門紙3社・地方紙1社で取り上げられ、同時期に専門誌からの原稿依頼もあった。

県NPO公開講座  「実践!! 企画力パワーアップ講座」が開催されたのは8月〜9月だったと記憶している。県NPO課も立ち会った模擬プレゼンテーションで、介護保険法の運用の問題・構造的な欠陥を指摘しているが、担当課にも声を掛けようかと思っておられたそうである。
「選択権の保障」から「選択の自由を保障する」という表現に変わったのは地方紙の報道以来である。企画書には真新しい「選択の自由を保障する」を使っている。

9月末にブログに誘われ「選択の自由を保障する」のテーマでブログを書き綴って9ヶ月余り、11月には独立中立型介護支援専門員全国協議会のシンポジウムにも誘われ、東京を夜行バスで往復している。
東京から帰った日に、市担当部次長・課長と「協業組合設立準備会」の名で提言を行なっているが、「市政への提言」ルートに乗せたものが、担当部・課に差し戻しになったものである。
窓口の名称は違うかもしれないが、こちらでは、広報統計課長が窓口になり、経営企画部長と担当部長との協議で、文書で市長に報告すると共に文書で回答があるというものである。
担当部・課へ差し戻しになっているが、お答えがなかなかいただけなかったので、専門誌に原稿が掲載された際に、分冊子を届けてお答えを聞いている。そして担当課長からの回答文書はいただいた。肩透かしされたような気もしているが、今後に期待することにした。

そういった中、コムスン問題で某ジャーナリストが番組の中で「氷山の一角」という表現をされていたので、同専門誌原稿のインターネット版

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/newpage2kaigosiennsennmonninntoukougennou.htm

を、同ジャーナリストのブログのメールからお送りした。
それから2週間目に、NHK富山放送局から取材依頼があり、急いでおられるということなので同日午後お逢いしている。出演は無いと思うが、「選択の自由を保障する」介護保険の背景が出来上がっていくための番組制作に対しても協力出来て、嬉しい想いをしている。

テレビ出演といえば、「つくしの家といで」開所式で、北日本放送の特集番組にボランテイア代表ということでインタビューを受けている。ビデオを後ほど見せていただいたが、良い笑顔だった。話の内容は、「障害児・者と高齢者では介護者が違う・・・介護者の共通した悩みは、『私たちが年老いたらこの子はどうなるのだろう・・・』ということであり、医療ニーズの高い方々が利用出来る施設が増えていけば良いと思う」という内容であったと記憶している。高齢者と違って、介護者の強い団結がある。その介護者やそれを支えるボランティアチームが「といつくどん」である。

情報発信から1年目に、その1年を振り返ってみた。

http://www1.tcnet.ne.jp/kaigoken/toyamakendokuritugatakaigosiensenmoninkixyougixyoukumiai.htm

その1年間が詰まったページである。

このページについて、ご意見、ご感想などEメールをいただければ幸いです。

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