二上 様 宛  (菊地様へのレスについて)      2002・5・12 3:00

 会議が開催されていた事にやっと気づいた塚本@連絡会議管理者です。またまた投稿できず申し訳ありませんでした。
 ところで、前回の会議記録を読んでいて、当方の批判に対する緑風苑菊池様からの反批判が掲載されてある事に気づきましたので、さらにコメントを加えたいと思います。内容が適当であるとご判断いただけるようでしたら、次回の会議録にでも掲載下さい。
 本メールはDMにしようかとも思ったのですが、あえてcmsshrにも配信します。

菊池様wrote
(以下引用)
「 まず担当ケアマネが所属事業所の利用プランを立てるべきでない、<囲い込み>を防ぐ為には、厳格な峻別を行うべきであると、ということに対して
>本当に利用者本位を考えるならば、医薬分業同様、厳格な峻別を行うべきであると考え
>ています。

という塚本さんのご意見ですが、
 これは、こと介護サービスにおいては現在の制度化で医薬分業と同列に論ずるのにそもそも無理があります。なぜなら医薬分業の背景には、医師の処方箋をもっていけば、薬 剤師のいる薬局なら、どこでもその指示された薬が、間違いなく処方され、薬剤師の力 量による差がでないということです。
 しかし、介護サービスには、現実として、質の差があり、また利用者の好みの問題もあり、あうあわないという問題が同じサービス提供においてでもあるということです。
 その場合、担当ケアマネの所属事業所のサービスが受けられないとしたら、その方にとって担当ケアマネ所属のサービスが明らかに質が高いと思え、かつ希望しても、利用で きないという不合理が生じますし、介護保険制度の基本理念のひとつが、利用者の選択性の保障、サービスの自由な選択、といったことが掲げられている点と、明らかに矛盾しております。そしてそれは大都市ではない、サービス選択の幅が狭い地域において、顕著に利用者の選択性を失わせるという、利用者側にとっての不利益を生じさせることになります
 さらにいえば、いくつかのサービスを組み合わせて使う場合、担当ケアマネの所属事業所のサービスを全く使わなければ、実際のサービスプランが組めないという実態が、それほど小さくない地域でも生じます。例えば、私の事業所のある市には、デイサービスは私のところを含め2箇所、デイケアは3箇所。ショートは5ヶ所ありますが、ベッド数で行くと私の所属事業所が全体の5割を超えております。そうすると、よしんばデイサービスは他の事業所にお願いしたとして、ショートが所属事業所を使えない場合、実質サービス利用ができないという不利益、不合理が生じるのは明白です。

 また塚本さんのこのようなお考えの背景として、
>むしろ、当方が現場で見聞する問題は、ケアマネジャーが同一法人であるがために、嫌
>なことがあって別法人のヘルパーに変更したくても、ケアマネジャーに相談しずらかっ
>たり、ケアマネジャーから説得されて結局別法人のヘルパーに変更できなかったりとい
>う類のものです。

 ということがあるのは、うなずけるし、そのこと自体は言語道断ですが、それが果たして全体の中の何パーセントそうであるのか、なぜそのような状態が起きる背景があるのか、という具体的考察が必要です。いい話は入ってきにくいが、悪い話は入ってきやすいため、偏った情報で、担当ケアマネの所属事業所のサービス利用は、すべて「囲い込み」だからだめ、ということにはならないと思いますし、実際、私の地域では、そのような状態は殆どありませんし、地域のケアマネはネットワークが構築されており、協力体制もできており、相互批判もできる状態であると感じています。」
(引用終わり)

 まずは、ここまでについてですが、当方は、ケアマネジャーを第三者機関から選ぶ事を利用者にはお勧めし、また行政に対しては段階的に第三者機関でなければケアマネジメントを行ってはならないように制度改正を行うよう求める立場です。ご指摘の利用できるサービスの選択肢が狭まるという点は、逆にサービスの方を選んでケアマネジャーを別法人等のケアマネジャーに変えるという選択を取ればよいのではないでしょうか。
 複数のサービスが必要であればあるほど、ケアマネジャーは選択されたサービスの事業者以外から選ぶ事になり、公平・公正・中立性が高まります(つまり、複雑なケースほど最終的には市町村直営の居宅介護支援事業所に収斂される事になりましょう)。
 もちろん、ダイレクトサービス同様、ケアマネジメントについても選択権が認められており、両方を同じ法人から選択できないという意味では確かに選択権の制約にはなりますが、囲い込みの弊害を秤にかければ、やむを得ない制約であると考えます(政策論的には、段階的な変更が必要であろうと思いますし、これまでもそのように主張してきました。
 具体的には、完全な第三者機関のケアマネジメント報酬と関連機関のケアマネジメント報酬を分け、前者を独立採算ベースにまで高める、後者は当面据え置き、数年ごとに段階的に引き下げ、最終的には廃止するというものです)。
 
 このような政策誘導を行えば、ケアマネジャーは他法人等のケアの質を高めなければ自らのケアマネジメントの質も高められないという相関関係に立つ事になります。

 新自由主義的な競争原理に立つならば、他法人のケアの質を高めるなどという発想はそもそも成り立たない話かも知れませんが、当方は「地域ケアの質を競争で高めることは出来ない」という考えを持っています。
 仏教のたとえ話で、長すぎて自分の口に食べ物を運べない箸であっても、お互いにその箸を用いて給仕すれば、皆幸せになれるという布施の心を説く話しがありますが、日本の地域ケアを指導する原理は、新自由主義的な競争ではなく、信頼と共生でなければならないだろうと考えているのです。
 このような例えをすると、事業者間の馴れ合いを助長するかのような誤解をされる向きがありますが、ここで例えとして用いている「食物」は「介護報酬」のような金銭ではありません。
 ケアのスキルや知識、ともに地域のケア水準を高めていこうという意思、心の糧を指しています。

 Zanderは、同一法人で供給されるケアをとりまとめる事をケアマネジメント、地域で複数の法人等が提供するケアをとりまとめる事をケースマネジメントと区別して表現しているそうですが、コミュニティケアの観点から本当に求められるのは後者、すなわちコミュニティ・ケースマネジメントであろうと考えます。
 二上様がつとに主張されている地域の関係づくりまで含めた仕事ですね。
 日本の介護保険制度の現状は情けない限りですが、わずかでも理想に近づける方策があるとしたら、私は第三者機関限定説に立たざるを得ないと思うのです。

(以下引用)
 「それから単一プランの報酬についての議論ですが、これは、「単一プランの報酬を下げる」ということが論議の主旨ではありません。今後の介護報酬の見直し議論において、現行の居宅介護支援事業所の報酬体系が低すぎることは疑いなく、また介護度別の報酬体系も実態に即していないという点は皆が感じている点です。そしてその上で、医療報酬引き下げの状況、現行の経済状況を判断すると、介護報酬だけが大きく上がることは考えられない、それなら、労力のかかるプランに対しては報酬を高く、そうでないプランには低く、差を設け、全体としてプランの質を高め、報酬を上げるようにしよう、そのための方法論として、サービス担当者会議の評価や、モニタリングの評価の視点を取り上げながら、単一サービスと、複数サービス組み合わせのプランの報酬に差をつけてはどうかという提言です。
 このことは、塚本さんがおしゃるように、単一サービスだからといって労力はかかる場合は多い、ということは充分承知の上で、例えば、福祉用具貸与として、ベッドだけの貸与を何カ月も継続しているだけのプランにアセスメント労力やモニタリング労力もあまり大きくないであろうし、その他のプランと報酬が全く同じというのは、問題があると思います。
 本来なら、塚本さんが言うように、
>、正確に本当に必要な行為に対する出来高で積み上げるならば、病院入院中の方への面
>会訪問や、当事者参加型拡大院内カンファレンスへの参加に要する費用や、病態急変時
>のサービス担当各機関への連絡調整に要する費用など、現行制度下では実施すればする
>ほど事業者の持ち出しになる行為への評価を加えるべきであろうと思います

 ができるにこしたことはないですが、実際にはそれらの評価を全部取り入れて報酬設定することは実際は無理と思いますし、別に給付管理業務が増えたり、労力の増加につながり困難ですので、ひとつの方法として<単一サービスと複数サービスの報酬差額>を提言したのです。プランの目に見える形での評価方法の一提言です。
 その上で
>本当に必要なのは、介護保険サービスが一品かどうかではなく、当該ケアプランが本当
>に利用者にとって最善であるかどうかです。保険者をはじめとする行政は、ケアプラン
>が一品かどうかといった安易なアンケート統計でごまかさず、積極的にケースカンファ
>レンスを開催し、実質的なプランの妥当性を厳しく吟味し、必要な指導を行うべきであ
>り、それが公的責任を果たす事であると考えます

このご意見に対しては、全面的に賛成いたします。」
(引用終わり)

 当方の担当ケースで、医療機関は3機関が関わり、訪問看護、訪問介護、訪問診療などの利用がある他、病態の変化に応じた福祉用具のマッチングの確認等も必要な特定疾患事例がありますが、介護保険だけ見れば訪問介護の単品サービスプランになります。
 重度認定を受けた場合に訪問看護が医療保険該当となる他、福祉用具関係は介護保険前に給付等の別制度で対応したためです。単品かどうかという基準では新たな不合理を生じます。
 満足度調査については、モニタリング・エヴァリュエーションを客観的なスケールで行う事がそもそもケアマネジメント業務に内包されているわけですし、新たな労働の賦課にはなりません(はじめからやってない所では「新た」になるかも知れませんが・・・)。
 当方の担当ケースのケアプランには、必ず市町村の保健師等が総合相談担当として組み込まれており、居宅サービス計画書等のケアプラン資料も担当者の一人として配布していますし、サービス担当者会議にも招いています。
 このようにしている目的は、一つには介護保険法施行以後あいまいになっている市町村の地域ケアに対する責任の所在を明らかにする事、もう一つは、ケアプランが適正かどうかを市町村自体が客観的に把握し、必要に応じ改善を求める機会を保障する事にあります。
 やりかたはいくらでもあると思います。

 以上、緑風苑の菊池様からのレスにコメントを加えさせていただきました。
 既存の施設に所属しておられる方はなかなか立場上の制約などからこのような場で実名で発言する事が難しいところ、菊池様のようにきちんと論理的なレスをつけていただける方がいらっしゃる事をうれしく思います。今後とも忌憚のないご意見を拝聴できれば幸いに存じます。


2002・5・16
特別養護老人ホーム緑風園 Web管理者 菊地 雅洋様からのメールをご紹介致します。

二上様

研究会議第4回の議事録を読ませていただきました。
看護婦さんの連携に関連した書き込みは感動でした。そのような方が、介護の現場に一人でも多くいてくれることを望みます。

それから塚本さんの反論も読ませていただきました。
塚本さんに、まず第一に知らせていただきたい点があります。それは前回、前前回の私の書き込みは反対意見ではありますが、塚本さんにたいする批判ではないという点です。むしろ、このような場で、忌憚のない意見交換をできたこと、塚本さんの論理的で冷静な反対意見を聞けたことは、私自身大変勉強になったし、また楽しいといったら不謹慎かもしれませんが、気分のいい意見交換であります。塚本さんには感謝こそすれ、批判の気持ちは毛頭ありません。

それから、担当ケアマネが所属事業所の利用プランを立てるべきでない、<囲い込み>を防ぐ為には、厳格な峻別を行うべきであると、ということに対しては前回意見を述べたのですが、やはり現状認識の差も大きいとは思いますが、そのことは現状ではサービス提供の選択性の制限から利用者に不利益でありメリットよりデメリットが大きいという考えは同じです。

>逆にサービスの方を選んでケアマネジャーを別法人等のケアマネジャーに変えるという選択を取ればよいのではないでしょうか。

これも地域のサービス提供事業所の数に限りがあるかぎり大都会ではともかく、多くの市町村で需要と供給バランスが崩れてしまうことは目に見えているのが現状と認識しますし、介護度が上がったり、加齢に伴ってサービス利用の量や種類が増えざるを得ませんが、その中で自らのプランを立てているケアマネの事業所のサービスを利用しなければならない状況になることは、サービス供給の量から見て必然とならざるを得ず、(これは前回私の地域でのショート利用の例をあげて説明したとおりです)ケアマネをその時点で変えなければならないということであれば、利用者とケアマネの信頼関係にまったく配慮がないし、1人の利用者が幾度もケアマネを変えねばならないというデメリットがたくさんでてくるでしょうし、どうしても現状では利用者にとってのメリットよりデメリットのほうが大きいと考えざるを得ないのです。

>(つまり、複雑なケースほど最終的には市町村直営の居宅介護支援事業所に収斂される事になりましょう)。

このことも結果的によいことなのか。介護保険制度が民間サービスを福祉の現場に参入させ(特養もいずれそうなるでしょう)民間活力を利用し、競合し質を高めるという側面があるはずで、(結果質が高まるかは別の論議ですが)その流れからは反していると考えます。

介護報酬については、現在実際報酬改訂の流れがみえてきたようで、この結果を見て改めて論議したいと思います。
しかしケアプラン評価について、単品、複数という単純な比較でなく実際の内容で評価できるのであれば、そしてそれが、全国共通に公平な評価ができるのであれば、それにこしたことはなく、是非その方法論を確立してほしいのですが、

>満足度調査については、モニタリング・エヴァリュエーションを客観的なスケールで行う事がそもそもケアマネジメント業務に内包されているわけですし、新たな労働の賦課にはなりません(はじめからやってない所では「新た」になるかも知れませんが・・・)。

モニタリングはケアマネに課せられたやらなければならない業務ですが、それは自分の立てたプランが利用者にとって本当に自立につながっているプランになっているのか、利用者の満足度はあるのか、サービス提供は適切か、という評価であり、第3者がある人の立てたプランやケアマネジメントについて、報酬に見合っものであるか、そうでないかを評価することとは根本的に違います、第3者がその評価を行うのには、やはり新たな労働の賦課につながるし、制度そのものの複雑化につながると思います。

しかし意見の相違はありますが、地域というもの、その中のサービス提供のあり方を考える塚本さんの真摯な態度、ご意見には非常に敬服しますし、各論には反対意見あるものの、この制度をよりよくして、ケアプランが質の高いものであって地域の、この国の高齢者対策に真に有効になるべきである事のお考えには、総論として同じ考えと思っているのですが。


2002・5・18 
社会保障と人権連絡会議inとやま ソーシャルワーカー 塚本 聡様より「批判」という言葉についてメールを頂きましたのでご紹介いたします。

二上 様 宛

 塚本@連絡会議管理者です。菊池様発レスを拝見しました。今回菊池様との間でやりとりした事柄は、いくつもの論点が含まれるものであり、その一つ一つについてきちんと論理的に順序立てて議論を積み重ねなければ建設的な結果にはならないだろうと思います。メールという媒体の持つ限界でしょうか。きっと、直接お会いしてお話する事ができれば、相互に理解が深まるものと思います。
 今回の菊池様発レスの内容についてのコメントはあえて行いませんが、「批判」という言葉についてのみ補足させていただきます。
 当方が「批判」という言葉を用いる場合、他方で「非難」という言葉を想定しています。
 「非難」が相手の人格に対する負の感情の表出であるのに対し、「批判」は相手の論理(思考の論理、行動の論理)を対象とする論理的な吟味(何が正しくて何が間違っているかの吟味)であると考えています。従って、「批判」を行った結果、「正しい」という事が分かる場合もある。あるいは、この部分は正しいがこの部分が間違っているという事が分かる場合もある。後者の場合、正しい部分をきちんと評価しつつ、誤っている部分を正しく補い、新しいものを作っていく(弁証法論理)事ができます。また、「批判」の場合、その対象は他者の論理だけではなく、自らの思考や行動の論理に及びます(自己批判)。
 正しい意味での批判クリティークは、何が正しくて何が間違っているかを明らかにしますので、自己も含め批判を受けた者にとって利益になります。従って、正しい批判は歓迎されます。また、正しい批判は、相手への人格非難と異なり、相手への人としての敬意を前提としなければ成り立ちません。
 日本では、「批判」という言葉が「非難」と混同されて用いられる嫌いがあるため、正しい批判精神が育たないのではないかと個人的には疑っています。
 福祉の領域ではクリティカル・シンキングが必要だという事で数年前に「おはよう21」という雑誌で連載企画が組まれた事があります。
 この「批判」と「非難」の違いについては、当方の管理するメーリングリスト等では折に触れて申し述べているところですが、二上様経由の今回の議論では、当方の説明が足らなかったかと反省しています。誤解があってはいけないので付言しますが、当方が「批判」、「反批判」という言葉を用いた事は、菊池様宛の敵意を表明したものではありません。菊池様は、メールという媒体の性質上目に見えない相手に対して誤解を生じないよう細やかな配慮で言葉を選ばれているのだと思いますが、当方としてはむしろ正しい意味での批判・反批判の積み重ねが社会的に求められているのだという考えを持っていますので、あえてこの言葉を用いている次第です。

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