天台烏薬

Benzoin strychnifolium O.Kuntze  往時享保年間ニ支那原産ノ者ヲ移植栽培セル常緑潅木ナレドモ今ハ九州並ニ紀州和州駿州ニ野生アリ。高サ約3mニ達ス、、、、根ヲ薬用ニ供ス。和名ハ烏薬ノ名品天台烏薬ノ音ナリ,而シテ元来ハ天台烏薬ナル漢名ハ無ク其レハ支那ノ天台山ヨリ出ル烏薬を我邦の本草学者ガ天台烏薬ト呼ビシニ過ギザルナリ。
      < 牧野 富太郎  日本植物図鑑>

しかし、 こんな話もあります。
徐福が秦の始皇帝に命じられて、東方海上の蓬莱の国へ行って、不老不死の薬を採る為、豪華な船と,三千人の若い力、財宝を積み、出航したそうです。徐福一行は台風に遭遇し、分断された。徐福は駿州から、紀州古座を経て、熊野今の新宮市に着いた。別の一行は熊本の金峰山、別の一行は肥前佐賀の金立山に住み着いた。船団は美しく船体を飾り立て、賑やかな音楽を奏でながら陸に近づいた。船には五穀の種子、農機具、そして大勢の若い人達がいた。徐福は熊野山中で、天台烏薬を見つけた。<?>

又、 昭和53年  中国の ケ小平さんがいらっしゃいました。その時、ケ小平さんが、日本は蓬莱の国、不老不死の薬があると聞いている。今日の訪日の目的は、其れを手に入れる為でもあるとおっしゃいました。四年後、昭和57年、趙紫陽さんが来日なさいました。その折、是非天台烏薬をと、懇願されました。新宮市から、二十年木を贈呈し、湖北省武漢の、植物研究所に植えられました。<新聞>

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