サヰ

狭井河・佐韋河(サヰガハ)その河の辺に山ゆり草多サワにありき。その山ゆり草の名を取りて、佐韋河と号(ナヅ)けき。山ゆり草の本の名は佐韋と云ひき。(記・神武天皇・次田真幸)→さゐ →山ゆり草

佐韋(さゐ) 山百合(記・神武天皇・次田真幸)  山百合の元の名→さゐかわ →やまゆりくさ

是に、其の伊須気余理比売の命の家、狭井河の上に在り。天皇、其の伊須気余理比売の許に幸行して、一宿御寝し座しき。其の河を佐韋河と謂う由は、其の河の辺に山ゆり草多た在り。故、其の山ゆり草の名を取りて佐韋河と号けき。山ゆり草の本の名は、佐韋と云ふ。古事記・神武天皇・新編


ここの所は古事記では珍しく、花について熱弁を振るっています
伊須気余理比売が ヤマユリのような人だったのでしょうね


東征に明け暮れ生きられた神武天皇の御一生

その中でただ一箇所 ヤマユリの花が熱く語られている所です


イスケヨリヒメの家が狭井河のほとりにあり
狭井河のほとりには ヤマユリが沢山生えていた
ヤマユリのことをサイと言った

狭井河のほとりのイスケヨリヒメの家で
イスケヨリヒメと結ばれた神武天皇は
この時に感動なさったようで
後に歌を読んでおいでです

葦原の しけしき小屋に 菅畳 いやさや敷きて 我が二人寝し


戦いばかりの一生を過ごされた神武天皇が
ヤマユリが一杯咲いているイスケヨリヒメの家で
イスケヨリヒメと結ばれたのが良くて忘れられない

この話が出てきて 何かほっとします