ネギをうえた人  朝鮮民話選

                      金素雲 編   岩波少年文庫 2025 

人間が、まだ、ネギをたべなかったころの話です。
 そのころは、よく人間が、人間をたべました。それは、おたがいが、牛に見えるからでした。うっかりすると、じぶんの親や兄弟を、牛とまちがえて、たべてしまうことがありました。
 ほんとうの牛と、人間の見さかいがつかないのですから、こんなぶっそうなはなしはありません。ある人が、やっぱりまちがえて、じぶんの兄弟を、たべてしまいました。あとで、それと気がついたときは、もう、取りかえしがつきません。
「ああ、いやだいやだ。なんてあさましいことだろう。こんなところに暮らすのは、つくづくいやだ。」
 その人は、家をあとにして、あてのない旅に出ました。広い世間には、きっとどこか、人間が人間に見える、まともな国があるにちがいない。何年かかってもよい、その国をさがしだそうと、そう、心にきめていました。
 ながいあいだ、あてのない旅がつづけました。山の奥にも、海べにもいきました。どこへいってみても、やっぱり人間どうし、たべあいをしていました。
 それでもあきらめずに、旅をつづけました。秋や冬を、なんどもおくりむかえました。若かったその人も、いつのまにか、だいぶ、おじいさんに、なってしまいました。
 旅の空で、年をとっているうちに、とうとうその人は、ある見知らぬ国へ、たどりつきました。それが、ながいあいだ、その人のさがしていた国でした。
 そこでは、だれもが、仲むつまじく暮らしていました。牛は牛、人間は人間と、ちゃんとした見さかいが、ついていました。
 「もしもし、あなたは、どこからきなすったかね、そして、どこへ、いきなさるんだね。」
そこの国の年寄りが、旅の人にききました。
 「どこといって、あてがあるわけではありません。」
そういって、旅の人は、人間をたべない国がないかと、ながいあいだ、さがしあるいた話をしました。
 「まあ、まあ、それはえらい苦労をなすった。なにね、もとは、こちらでも、やっぱり、人間が牛に見えたものです。それで、しじゅう、まちがいがおこったが、ネギをたべるようになってから、もう、そのまちがいもなくなりましたよ。」
 「ネギですってーーーー。」
その人は、びっくりして、ききかえしました。
 「そのネギというのは、いったいどのようなものです?」
 年寄りは、しんせつに、ネギ畠へあんないして、ネギを見せてくれました。そのうえ、作りかたや、たべかたまで、くわしく教えてくれました。
 その人は、大よろこびで、ネギの種をわけてもらい、じぶんの国へ帰っていきました。これをたべただけで、人間が人間に見えるようになるーーー。そう思うと、一時も早く、みんなに教えたくなりました。遠い遠いみちのりも、くるしいとはおもいませんでした。
 やっとのことで、その人は、じぶんのふるさとへ帰りつきました。なにはさておき、まっさきに、やわらかい土の上に、ネギの種をまきました。
 ネギの種をまき終わると、安心して、その人は、ひさしぶりに、なつかしい知りあいや、友だちをたずねました。
 だれの目にも、その人が牛に見えました。みんなは、よってたかって、その人をつかまえようとしました。
 「ちがいます.ちがいます。よく見てください。わたくしは、あんたたちのしりあいです。」
そういって、いくら大きな声でいいわけをしても、みんなの耳には入りません。
 「おや、おや、なんてま、よく鳴く牛だろう。」
 「ほんとうだ。なんでもいいから、早くつかまえてしまえ。」
とうとう、その人は、みんなにつかまえられて、その日のうちにたべられてしまいました。
               ☆
 それから、しばらくしてからのことです。
 畠のすみに、いままで見たことのない、青い草が生えました。ためしに、ちょうっとばかりたべてみたら、よいにおいがしました。
 それがネギだということは、だれも知りません。知らないながらも、みんなは、その青い草をたべました。すると、たべた人だけは、人間がちゃんと人間に見えました。
 それからは、みんなが、ネギをたべるようになりました。もう、むかしのように、牛と人間を、まちがえるようなことも、なくなりました。
 ネギをうえた人は、だれからも礼をいわれません。そのうえ、みんなにたべられてしまいました。けれども、その人のま心は、いつまでも生きていて、大ぜいの人をしあわせにしました。




大君は、ある時、三宅の連らが祖、名はタヂマモリを常世の国に遣わして、トキジクノカクの木の実を探させたのじゃった。この実を食べると永久の命を得ることができると言われておる木の実じゃった。大君になると、尽きぬ命が欲しくなるのかいのう。この老いぼれなど、いつまでも生きていたいと思わぬがのう。
 仰せを受けたタヂマモリは、長い時を経た苦しみの末に、ようやくのことで常世の国に行き着いての、その木の実を採り、縵八縵、矛八矛に作って持ち帰ってきたのじゃ。縵というのは、木の実を縄に下げて輪にしたものでの、矛というのは、串に木の実を刺し通したものじゃ。ほれ、干し柿を作るときにも、縄を輪にして下げたのと、串に刺したのと、二通りの形にして神に供えるじゃろうが、あれと同じ形じゃ。
 ところが、常世の国から戻って見ると、大君はすでに亡くなっていたのじゃった。それで、タヂマモリは、その半ばの縵四縵、矛四矛を大后ヒバスヒメに奉るとの、残りの縵四縵、矛四矛を大君の御陵の前に奉り置き。その木の実を奉げての、哭き「常世の国のトキジクノカクの木の実を持ち帰り上り参りました」と叫んだのじゃ。そしての、叫び哭きながら、そのままの姿でタヂマモリも息絶えてしもうた。永遠の命を手に入れるための木の実じゃったが、行かせた物も行った者も死んでしもうたとはのう、これが人の世の定めじゃ。
 その、トキヂクノカクの木の実と言うのはの、今のタチバナのことじゃ。
                                                    (古事記・垂仁天皇・三浦佑之)




橘は、『万葉集』に「橘は実さへ花さへその葉さへ霜降れどいや常葉の樹」(1009)とうたわれているように、常磐木の中でも生命力の豊かなめでたい木とされた。その生命の木ともいうべき橘が、常世国からもたらされたとするのは、常世国が生命力の根源世界と考えられていたからである。
タヂマモリが常世国から帰ってきたとき、天皇がすでに崩御されていたというのは、常世国がはるか遠い海のかなたの異郷であると共に、時間を超越した世界であることを表している。そしてタヂマモリもまもなく世を去ったとされている。常世国は、浦島説話における常世国と同様に、現世と違って、時間を超越した永遠の世界と考えられていたのである。今日、垂神天皇陵と伝えている古墳周壕の中に、一つの小島があって、これが田道間守(タヂマモリ)の墓であると伝えている。
                                                       (古事記・垂仁天皇・次田真幸) 




トキジクノカクの木の実
トキジクはトキジシ(時がない、永遠不滅の、の意)という形容詞を名詞化した言葉、カクは輝くの意である。いつまでも輝きわたる木の実の意で、タチバナの実(柑橘類)をいう。おそらく、この実を食べると、永遠の命を与えられると考えていた。中国の神仙思想の影響があるだろう。
永遠の命(不老不死)への希求は、古代中国の神仙思想における仙薬が有名である。古代中国では金と水銀とを中心とした好物を化合した毒薬類が道士たちによって作られた。おもに皇帝達によって求められたものだが、古代日本列島にも伝えられ、七~九世紀あたりの天皇達も各種の仙薬を服用したらしい。持統天皇の宮殿であった藤原宮跡からは、仙薬の調合に使われたらしい鉱石の破片が出土している。こうした神仙思想における永遠の命をテーマとして、七世紀末に伊預部馬養(イヨベノウマカイ)という知識人によって書かれたのが、「浦島子伝」(昔話「浦島太郎」の原話)という漢文の伝奇小説である。
                                                         (古事記・垂仁天皇・三浦佑之)


非時香菓
記に「登岐士玖能迦玖能木実トキジクノカグノコノミ」とある。「非時」は、時を定めず、何時も、の意。カクは「輝カク」。橘の実はいつも黄金色に輝いているのでいう。「香菓」は嗅覚上からの表記であり、カクノミは嗅覚上の名。

タチが根幹の名で、「花ハナ」の語を接してタチバナという。ダイダイ・ミカン・キンカン・カラタチの総称でもあるが、この場合は、不老長生の呪果という主題であるから、今日も正月用品に橙が飾られる習慣と照合すると、ダイダイをさすか。
                                    (日本書紀・垂仁天皇・新編)



*橘(たちばな)

 漢字音は「キッ」音符の旁には「おどかす」の意味がある。

訓「たちばな」は何処から来たか。結論から謂うと「到致花」である。柑橘類の原種に近い物「橙・夏蜜柑類」の特性を言い表わしている。実が成って熟しても放置しておくと次期の花が咲いても、未だ成っているのである。他の如何なる成り果物も、過塾して腐って落下するのに…。前期の実と次期の実を生らす事も可能であるから将にひとを「おどかす」に十分である。この果実が「代々続く・繋がる」のを縁起ものとして、正月飾りの鏡餅・注連縄に「代々=橙」が飾られるのであろう。

∴「橙」の漢字音は「トゥ」である、訓の「だいだい」の語源も解いたことになる。

 九州弁「タゥ」に「届く・達する」の意があるが「到」であろう。倭数詞の項で後述するが「十(とう)」もこれである。

 

*「橘=到致花」項で触れたように、「到る」の意の 닿다”(data)を採る。

九州弁の「タゥ」はこれと同義で、一桁上の数値に「届く」=「十」(タゥ=トォ)であろう。

「到る」の意の 닿다”(data)は、古代倭語(九州弁と朝鮮語に臍の緒を留める)であろうと疑っている。

 ※「非時香実」の文字使いが、物語っています。
*橘の語源とも関連しています。木偏の右の旁は「おどかす」。
*「橘」=「到致花」⇒次期の花の季節に到っても前期の果実が成っている=代々⇒前代の実と次期の実が同時に成る=子孫が途絶えずに代々繋がる=橙(だいだい)。
∴一シーズン前の実が過熟したり腐ったりせずに、今期の実と同時に木に成っている=他の如何なる果実にもあり得ない=人を驚かすに充分である。
*非時香実の文字使いの妙を感じずには居れない。

以上、福島雅彦説です。

本     業  一級建築士・一級建築施工管理技師。

趣     味  古代史の謎解明≪自称・古代史研究家≫

著     書  『卑彌呼が都した所』葦書房1996年 

          『私の邪馬台国論vol-2』十名共著の内

          『邪馬臺國も邪馬壹國もなかった』梓書院2003年

ペンネーム     福嶋正日子   ・E‐mail himmikot@mocha.ocn.ne.jp 

Yahoo →掲示板→芸術と人文→歴史→日本史『所謂「邪馬臺」問題は文献から解明できる』

のトピ主として、yamattai  と yamattai_1 のハンドルネームで場を張る。


古代の薬園 薬園年表 薬園掲示板 薬戸 雑草のささやき