吉田連兄人

天平二十年十月の皇后宮職牒に正七位上侍医皇后宮大属河内代目と見える。天平勝宝元年八月紫微少忠、同三年十月従五位下。吉田連氏に医を以て仕える者の多かったことは、続後紀承和四年六月己未条の吉田書主等への興世朝臣賜姓の記事に「世伝医術」とあることや、文徳実録嘉祥三年十一月の興世朝臣書主の卒伝に、祖父の吉田宜、父の古麻呂ともに打ち薬正、侍医であったと記すことからも知られる。  (続紀・天平勝宝元年4月14日・新日本古典文学大系)